太陽系第五惑星、木星。分厚い大気の層が絶えず渦を巻き、十数個の衛星を従える太陽系最大の星。
 木星の大気が造形した巨大な嵐である大赤班は、今日も巨大な目玉の如き様相で宇宙の深遠を見つめ続け、地球の台風のように消えてしまうことなく、常に存在していた。まるで遥か遠くの何かを見晴るかすかのように。
 その淵で、瞬いては消えていく光の群れがある。それは数キロの距離を隔てて見れば、木星を彩る美しいイルミネーションに見えたかもしれない。
 それは命の放つ最後の輝きであった。また同時に、人の作り出した莫大なエネルギーの空虚な浪費であった。
『第一、第二防衛線、突破されました!』
『進め! 立ち止まれば我々に勝機はないぞ!』
『第七優人小隊、応答ありません!』
 悲鳴と怒号が電波に乗って戦場を埋め尽くす。その役目を終えた無人の戦闘機械たちが、木星の引力に引かれ嵐の中へ消えていく。
 殺しあっているのは、両者共にガニメデ・カリスト・エウロパ・および多衛星国家間反地球共同連合体――――略称木連の旗を掲げている軍勢。一方は守るべき政権と、曲げられない正義を。
 もう一方は平和への願いと、友への思いを抱え、昨日までの味方と凄惨な殺し合いを演じていた。
 クーデター。
 政権の座を奪い合う、権力闘争の粋を超えた戦いだった。



 プロローグ 『裏切り』



 殺意が充満する戦場の中、壁のようにたたずむ人影がある。
 人影、というにはあまりに異質な風体だった。腕は丸太のように太く、5本の指があるべき場所には四本の鋭い爪があるのみ。
 宇宙では役に立たない足は細く長く、背中に宇宙での足となる重力制御装置が一対の翼状に生えている。
 人の作り出した殺人機械。鋼鉄の巨人、ジン・タイプ。
「ゲキガンビーム!」
 声変わり前の幼い少年の声が、狭苦しいコクピット内に反響した。その声をマイクが感知し、機体に装備された高出力レーザーが音も無く咆哮する。それは目の前に迫っていた虫型戦闘機――――地球で言うところの「バッタ」を捕らえた。
 直撃を受けたバッタは腹に抱えていた大量のミサイルが裕爆を起こし、爆発四散した。
 格下の敵を葬った余韻に浸る暇も無く、突然の閃光に目が眩んだ。敵――――反乱軍の戦艦による砲撃が、彼の乗機である『ダイテツジン』を掠めたのだ。
 飛び出しそうな心臓を飲み込み、腹に力をこめて叫んだ。
「跳躍!」
 彼の命令を受け取り、ダイテツジンが次元跳躍、ボソンジャンプを実行。一瞬虹色の光に包まれたダイテツジンは、次の瞬間あらぬ地点へ『跳んで』いた。
 数回ジャンプを繰り返し、敵のカトンボ扱無人駆逐艦に肉薄。慌てたように時空歪曲防壁――ディストーションフィールド――を展開するそれに向かってダイテツジンはその巨大な腕を突き出した。
 敵のフィールドにアンチフィールドクロウで強引に穴を穿ち、そこへ腕部内蔵のコミサイルを叩き込む。船体に強固な装甲を持たないカトンボは短命な恒星となり、その役目を終えた。
 はあ、と彼は荒い息をつく。実戦が初めてという事もあってか、彼の顔には疲労の色が濃い。
 戦闘が始まってから、まだそれほど経っていないと思うのだが、自分たちが劣勢である事は嫌でも想像できた。彼ら『草薙の剣』はつい最近どうにか実戦に投入できる練度と判断された二線級の部隊。要するにヒヨッコである。
 そんな彼らが配置されたのは、この非常事態にあって比較的後方。そこまで敵が来るという事は、前の部隊が負けているという事に他ならなかった。
 となれば、数分前から連絡が取れない『天の叢雲』も――――考えたくないが、絶望的だろう……
『大丈夫ですか? 隊長?』
 スピーカーから心配そうな部下の声が聞こえてきた。彼と同じく、12・3歳ぐらいの少年の声だ。
 いくら木連の人口が少ないとはいえ、小学校を卒業するかどうかの年の子供を軍隊に引っ張るほど落ちてはいない。それでも彼らがこうして戦闘機械に乗り戦場に駆り出されているのは、彼らの特別な境遇ゆえである。
「問題ない。お前たちもしっかり持ち場を守れ! 草壁閣下のお膝元で、無様な姿は見せられないぞ!」
 言葉の半分は自分自身にも向けられたものだ。仮にも小隊を率いる身として、弱音は吐けない。
 腰に提げた軍刀を握り締める。不思議と身が引き締まる気がした。大丈夫。僕はまだやれる。
『隊長。前方より虫型戦闘機多数、来ます!』
 別の隊員からの声だ。
「ゲキガンシュート、なぎ払え!」
 ダイテツジンが再び吼えた。



「戦艦皐月、撃沈されました!」
「左翼部隊の展開が、60秒ほど遅れています!」
「敵、尚も進行中! 止められません!」
「周辺宙域からの増援はどうした!?」
「こちらへの到着は、早いものであと三時間後になる模様です!」
 木連正規軍の総旗艦、神楽月のブリッジには、正規軍の不利を告げる報告が続々と入っていた。
 戦闘が始まってから2時間。戦況は彼らに不利に進んでいる。
 前兆はあった。本来なら火星宙域において地球軍と睨み合っているはずだった艦隊の一つが、予告無しに木星へと転進してきたのである。
 不審に思った正規軍は注意を促すため分艦隊を向かわせたが、まさかクーデターとは夢にも思っていなかった分艦隊は反乱軍の攻撃を受けあえなく全滅。遂には総旗艦を中心とした護衛艦隊までの進攻を許したのだった。
 突然の味方からの攻撃に加え、反乱軍を率いているのが木連軍優人部隊の最精鋭と目されていた秋山源八郎と月臣元一朗の二人と知ると、正規軍の混乱は頂点に達した。
 統制の取れない正規軍は、全面崩壊寸前――――それでも辛うじて戦線を支えていられるのは、一部の忠実な兵達が必死の抵抗を見せているためだった。
 しかし、それももう限界だ。
「おのれ……秋山め!」
 神楽月のブリッジで、木連軍総司令官であり木連の実質的な指導者でもある人物――――草壁春樹は、指揮机に向かって乱暴に拳を振り下ろした。その音に驚いたブリッジ要員数人が草壁の方を向いたが、草壁は彼らを視線で制した。
 彼らしくもない取り乱し方だった。最も信頼をおいていたはずの二人の部下が二人とも彼を裏切った、その焦燥が草壁の胸をじくじくと焼いていたのだ。
「なぜ、この期に及んで反乱など……」
 誰にも聞こえないよう、小声で草壁は呟いた。
 思い当たる節は……ある。
 秋山、月臣に次ぐ3人目の最精鋭、白鳥九十九。彼は地球の戦艦と接触し、その戦艦『ナデシコ』と共に地球と和平を結ぼうと言い出したのだ。
 馬鹿げている。そう思った。我ら木連の祖先を弾圧し、あげく皆殺しを図った悪の帝国、地球との和平などありえない。我々がその使命を放棄すれば、誰が地球を裁くというのか。
 だから、月臣に命じて殺させた。正義を執行する者としてそれが当然と思った。

 ――――それが間違いだというのか。

 違う!
 正しいのは自分で、間違っているのは奴等だ――――そう自分に言い聞かせて迷いを振り払う。正義は常に一つ。我々の側にある。
 それを奴等が理解しないというのであれば、戦うしかない。
「閣下!『草薙の剣』より通信です!」
 通信士の報告が、草壁の思考を中断させた。
「『敵の攻撃凄まじく、戦線の維持困難、来援を請う』との事です」
「直に増援が来る。耐えろと伝えろ」
 とは言ったものの、現在手元にある兵力は神楽月直衛の僅かな無人艦隊しかない。たかだか一個小隊のためにその貴重な兵力を割くわけには行かなかった。にも拘らずそう言ったのは、彼らの士気を鼓舞するためだ。
「閣下。もはや戦線崩壊は時間の問題です。ここは一時の恥を忍んででも、後退して体勢を立て直すべきでしょう」
 参謀の一人、甲院薫という名の男がそう進言した。
 もはや後退するしかない事は草壁も承知していた。だがそれは、『草薙の剣』を始めとした一部の部隊を見殺しにする事でもあった。
 無論、普段であれば大を生かすために小を殺す事を躊躇う草壁ではない。だが……
 数秒の沈黙の後、草壁は命令を下した。
「前線の全鑑に伝えよ。守りを固めつつ、徐々に後退せよ。敵に隙を見せるな。それから本艦直衛の無人艦隊は全て前線に投入。味方の後退を援護させろ」
 通信士の返事の後、草壁は席を立った。
「閣下。どちらへ?」
「援護は多いほうがいい。私も出撃する。私が戻るまで指揮は任せる。以上」
 木連軍でこそまかり通る行動だ。
「閣下も人の子か……」
 甲院は草壁の消えたドアの向こうに向かって、小さく呟いた。



 彼の元に凶報が届いたのは、彼が二隻目の戦艦を破壊した時だった。
『隊長! 味方が後退していきます!』
「なに!?」
 そんな馬鹿な。増援が来るのではなかったのか? 彼は慌てて神楽月への回線を開いた。だが返ってきた答えは、
『我に余剰戦力無し。現有戦力を持って部署を死守し、木連軍人としての職責を全うせよ』
 ……そういう事だ。合理的判断。上の決断。自分たちは見捨てられたのだ――――使い捨ての駒として。
『隊長、持ちこたえられません! 我が方の増援はまだですか!?』
『早く援護を! このままでは全滅してしまいます!』
 スピーカーからは部下たちの悲鳴に近い声が聞こえてくる。それに答える言葉を、彼は何一つ持ち合わせていなかった。

 ――――今度は僕たちにも死ねと?

 これまで多くの仲間たちが地球軍との戦いにおける最前線で死んでいった。それは自分たちがただの駒だからなのか。
 自分たちが、兵器だからなのか。

 ――――草壁閣下にとって僕たちはその程度の存在でしかないのか!

 彼の思考を中断させたのは、部下の甲高い悲鳴だった。
 目に入ったのは、無数のバッタにたかられ、踊るようにのたうつ部下の『マジン』の姿だった。
 バッタはマジンに取り付くと、装備したレーザーで関節などの脆弱な部分を焼き切り、四肢をもぎ取っていく。戦艦より小さい敵との戦闘を想定していないジンタイプは成すすべなく全身を食い荒らされていった。
『振り払えないっ! 腕が、ああ、いやっ!』
 開いたままの回線からは泣き叫ぶ部下――――仲間の声が聞こえてくる。
 彼にはどうする事もできなかった。あんな小さい敵を、まして密着している味方を傷つけないよう狙い打つなどジンタイプには不可能だ。ただ仲間が虫の群れに食い殺される様を見詰めるしか。
『隊長―――――――――――――――っ!』
 部下の叫びが、ぷつりと途切れた。次の瞬間マジンが火球に包まれ爆散する。
 パイロットの生死は――――解らない。
「――――うわあああああああああああああああああっ!」
 彼の中で、何かが砕け散った。それは草壁への忠誠であったか、それとも信じていた正義であったか。気が付いたとき、彼は敵の中心目掛けてダイテツジンを突貫させていた。
 仲間はみんな死ぬ。草壁は自分たちを見捨てて逃げた。自分もここで戦死する。どうせ生きて帰れないのなら、最後に敵の旗艦だけでも道づれにしてやる。
 一秒ごとに十字砲火が降り注ぎ、バッタの群れが獲物に群がるアリの如く襲ってくる。止まれば死。無駄死にだ。
「――邪魔だああああああああああああああああっ!」
 ありったけのコミサイルと重力波砲で眼前の敵をなぎ払う。既にダイテツジンは相当被弾していたが、構ってはいられなかった。
 新しい敵をダイテツジンのセンサーが捕らえた。デンジン――――重量級のジンタイプだ。という事は有人機。やれるか?
 ……やってやる。彼はデンジンに向けてダイテツジンを前進させた。
 レーザーはジンタイプの強力なディストーションフィールドには効かない。コミサイルは弾切れ。残る有効な武器は重力波砲。一撃を捌いて至近距離から撃てば勝てる。
 デンジンの腹部から闇が湧き上がる。それがまだ極小の点だった時、彼はすでにボソンジャンプを実行していた。
 光すら押し潰す重力波の奔流がダイテツジンの脇を通り過ぎる。
「……地獄に落ちろ、裏切り者」
 ダイテツジンの両腕が胴体を離れデンジンに飛翔する。残った最後のミサイルだ。ボソンジャンプを使うと思ったが、デンジンは極僅かな動きでそれを避け、逆に四発のコミサイルを放ってきた。
「ちっ……!」
 ボソンアウト直後の隙を狙ったはずが、腕を無駄にしただけで終わった事に舌打ちしながらも彼は、レーザーの照準を飛来するミサイルに向けた。
「舐めるなっ……! ゲキガンビーム!」
 レーザー三連射。それらは狙い違わずミサイルに当たり、残る一発は他三発の爆発に誘爆を起こした。
 爆煙が二機の間に広がる。
 もらった。彼が会心の笑みを浮かべて「ゲキガンシュ……」と叫びかけた刹那、コクピットがシェイクされたように激しく揺れた。拍子にしたたか体を打ちつける。
「な……!?」
 爆煙の中から突き出したダルマのような腕が、ダイテツジンの残った右腕を鷲掴みにしていた。ミミズのような3本指は間違いなくデンジンの物だ。
 条件反射的に左の腕を突き出す。ダイテツジンなら残った腕でも格闘は出来る。
 デンジンとダイテツジンはお互いの腕を掴んで組み合う形になった。強烈な負荷に関節がギリギリと悲鳴を上げる。彼はそれに構わず、敵のコクピットにレーザーを叩き込んでやるつもりだった。
 だがダイテツジンはその要求に応えられなかった。残った右腕はデンジンの握力にあっけなく根負けし、無残にへし折られたのだった。
 ぐらりとバランスを崩すダイテツジン。そこへ追い討ちに突き上げるような衝撃が走る。デンジンの蹴りがダイテツジンの腹に深々と突き刺さったのだ。
「ああああああああああああああああああああああああっ!」
 コクピットが激しく揺さぶられる。衝撃で計器類が破裂する。コクピットの中に火の手が上がる。それはダイテツジンの断末魔の叫びだった。頭を打ちつけ意識が朦朧としてくるが、それでも操縦桿は放さなかった。
 だが……炎上するコクピットの中で彼が最後に見たのは、肉食獣の口腔のような闇を覗かせ、唸りを上げるデンジンの重力波砲だった。
 ああ。
 僕、死ぬんだ。
 結局、何のための命だったのだろう。今日までずっと木星の――――草壁閣下のためにやってきたのに。
 何でこんな事に? 僕たちが間違っていたから? 草壁閣下が間違っていたから? 解らない。解るのは、もう自分には何も残っていないという事だけ。

 ――――草壁閣下。

 そして、彼の視界は白く染まった。



 この戦いは後に『熱血クーデター』と呼ばれ、それからの人類史に大きな影響を与えたとして歴史に記録される。
 木連中将、草壁春樹は戦いの中数人の参謀とともに行方不明となり、クーデターの首謀者である秋山源八郎が政権を握る事となる。
 秋山の下、木連は地球と和平を結び、戦争の傷跡を乗り越え互いに歩み寄る努力を始めた。



 ――――そのはずであった。