第一次火星会戦後、木連軍は地球圏まで怒涛の勢いで攻め上った。
 地球や月の周辺では幾度となく戦闘が繰り返され、双方ともに多くの高価な兵器が一文の価値もない残骸へと化していったのである。その結果、地球圏にも多くの残骸宙域と呼ばれるものが形成された。
 そんな中を隠れるように航行する、数隻の艦影がある。
 二連筒付木連式輸送船と、それに付き従うカトンボ級無人駆逐艦四隻。地球の警戒圏内へ侵入し、誰にも知られる事なく地球へと向かっていた。
 何かの存在に脅えるかのように、密やかに――――



「第一次警戒ライン、進入します」
「相転移エンジン機関停止。全艦、慣性航行へ移行。以後、地球制止衛星軌道上まで継続します」
「制止衛星軌道への到着予想時刻は、地球圏標準時間18時。およそ七時間半後となります」
「“奴”の反応は?」
「付近に艦影無し。ボース粒子の増大反応も、今のところ確認できません」
 ふう、と輸送船の艦長である三十歳代の男は一つ息をついた。
「どうやら、無事に地球まで物資を運べそうだな……」
 艦長はひとりごちた。
 地球へ向け出発してから数日。まさに緊張の連続だった。もし“奴”に襲撃されれば、こんな輸送船などひとたまりもないからだ。
 一応この船は装甲と武装を追加し、さらに最大限の護衛艦が付き従っているが、そんなものは気休め程度にしかならない事はこの船の乗員は誰もが知っている。
 皮肉な事に、“奴”がその行動を制限されるであろう地球の警戒圏内が、彼らにとって最も安全と言えるのだった。それでも絶対とは言えず、船の中は常に張り詰めた空気が漂っていた。
「……しかし、今回もまたリスクの高い作戦だよな」
 緊張をまぎらわせたいのか、一部の乗員が小声で話し始めた。狭く静かなブリッジの中で艦長にはそれが聞こえていたが、彼はあえてそれを黙認した。
「いいだろ。参加するのは覚悟を決めてる奴等ばかりだ。例え失敗しても、俺達のメッセージは地球人どもに十分伝わるさ」
「……やっぱりああいうところを襲うってのは気が進まないな。おれの妹と同じくらいの年の奴ばかりだし……」
「なーに、地球人は地球人、敵は敵って割り切れよ」
「でもさあ……」
「例え一時の汚名を感受しても――――」
 艦長がいきなり話に割り込み、ふたりは大きくのけぞった。
「草壁閣下の理想は我々が実現せねばならない。地球軍を撃滅し、新地球連合の悪辣な支配体制を妥当し、新たなる秩序を作る。そのためには非道に手を染める事も辞さない。そうだな?」
 はい、とふたりは復唱した。
「……でも、その時は少しは手加減してやれ。政府の要人というのは大抵、若くない」
 ブリッジのそこかしこで笑い声が上がった。

 異変が起きたのは、その時だった。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第一話 見えない戦火



「前方に艦影! 艦数一!」
 その一言に、ブリッジに緊張が走った。
「まさか、“奴”か」
「いえ、動力反応はありません。おい、そっちはどうだ」
「こちらも同じです」
「画像補正完了。対象の光学映像出します」
 メインモニターに映し出されたのは、宇宙空間を所在なさげに漂う一隻の戦艦だった。一見損傷は無さそうに見えたが、よく見ると船体の後ろ半分が丸ごと欠落しているのだ。
「……艦形照合。旧式のリアトリス級戦艦のようです。生命反応ありません」
「戦争中に破壊された戦艦か。ルート変更なし。このまま進め」
 誰もが胸を撫で下ろした。
 艦隊はそのまま慣性だけで前進し、戦艦の脇を通過した。恐らくあの内部は乗組員の巨大な棺桶と化している事だろう。当時の虫型戦闘機は戦艦に穴を開け内部に侵入。その後内部の人間を無差別に殺傷するようプログラムされていた。
 艦長は多少気の毒だなとは思ったが、それ以上の感慨は抱かなかった。彼は頭に「元」が付くとはいえ木連の軍人で、「敵」に同情するような博愛主義など持ち合わせてはいない。
 興味を失った艦長は、映像を切ろうと手元のコンソールに手を伸ばした。
 その時、轟音と共に船が大きく揺れ、尻餅をつきそうになって慌てて踏みとどまった。
「何事だ!」
「右舷機関部に被弾! 攻撃です!」
「馬鹿な! 敵の反応などどこにも無かったぞ!」
「弾道計算……五時方向、距離二十キロ……あの大破した戦艦からです!」
 大破した戦艦からの攻撃……兵装の誤作動という極小の可能性を覗けば、考えられる事は一つしかなかった。
 叫んだ声は、半分裏返っていた。
「相転移エンジン再起動! 戦闘システム起動次第ミサイル発射、あの戦艦を破壊しろッ!」
 すぐさま輸送船の船体に突貫工事で取り付けられたランチャーから多数のミサイルが発射され、その全てが戦艦に命中した。次の瞬間、残っていた弾薬に引火でもしたのか、巨大な火球が戦艦を飲み込んだ。
「目標の完全破壊を確認!」
「……あっけないな」
“奴”にしては脆すぎる、と艦長は思った。待ち伏せ攻撃にしても、あんな廃艦を使う必要などないはず……
 ……待ち伏せ? 我々がここを通る事を奴が知っていたはずが無い。すると……
 艦長の顔色が蒼白になった。
「全速でこの宙域を離脱しろ! 奴が……奴が来るぞ!」
「前方の空間に、ボース粒子の増大反応を探知!」
 オペレーターの一人が緊張に裏返った声で叫んだ。
「質量推定……大型の機動兵器クラスです!」
「艦長、これは……?」
「やられた……罠だ。ブービートラップだ。近付く者を無差別に攻撃し、同時にその存在を持ち主に伝える。やはり……」
「重力波反応増大! 通常空間にボソンアウトします! 艦長!」
「し、正面――来ます!」
「やはり、『プリンス・オブ・ダークネス』かっ!」
 歪な鎧を纏った漆黒の巨人――――ブラックサレナ。
 死神が、彼らの目の前に現出した。



 ブラックサレナは全身のスラスターを咆哮させ、一直線に艦隊へ襲い掛かった。
 艦長は機関を損傷した輸送船での逃走は不可能と判断し、やむなく迎撃体制を取らせた。輸送船を庇うようにカトンボが扇状に展開し、さらにカトンボに搭載されていたバッタ、およそ二百機が周りに広がった。そのうち五十が輸送船の周りにあって守りにつき、残りが一斉にミサイルを放った。
 輸送船のブリッジでは数百のミサイルを表す光点が包み込むように一つの光点――――ブラックサレナへ殺到する様子がモニターに映し出されていた。一機の機動兵器に対して過剰としか言いようのない数。しかも全てのミサイルが対ブラックサレナ用に信管の感度を上げてあるのだ。
 光点が次々重なり合っていく。やった、と誰かが喜びの声を上げた。
 それも束の間――――
 全てのミサイルが爆発、ないし通過した後に、艦隊へと向かってくる光点が一つだけ残されていた。
 敵を示す赤い光点が。
「目標……健在」
 オペレーターが呆然と事実を告げた。
 その間にブラックサレナはカトンボの一隻へ肉薄。立ちふさがったバッタを尽く蹴散らし、ディストーションフィールドを薄絹のように突き破って懐に飛び込んだ。
 閃光は一瞬。そして爆発。
「く……無人機管制官、何をやっている! 敵機を反包囲して、艦砲の射程に追い込め!」
 やってはいますが……と管制官の苦しげな返事が返ってきた。
 ブラックサレナはその桁外れな機動力で艦隊を掻き回した。必死に追いすがるバッタを嘲笑うように翻弄し、正確にビームカノンを撃ち込み、体当たりを叩き込んだ。曳航弾とビーム光が乱舞し、爆発の花が立て続けに咲いた。
 初めから解りきっていた事だった。この程度の戦力で撃退できる程度の相手なら、地球への輸送活動が『死の行軍』等と呼ばれてはいない。罠にかかった時点で、彼らが獲物として狩られる事は決まっていたのだ。
 絶望的状況。
 それでも足掻くという事を諦めないのが人間だ。
 無人機が見る見る打ち減らされるのを見た艦長は、輸送船を守る最後のバッタをブラックサレナに差し向け、さらに近隣の地球軍に向け全チャンネルで救援要請を発した。
 助けてもらえるとは思っていない。地球軍とブラックサレナが交戦し、その隙に逃げる事が出来れば御の字だ。
 無駄な努力かもしれないが、彼はここで死ぬわけには行かなかった。木星には出産を間近に控えた妻がいるのだ。
 子供をこの手に抱くまでは死ねない。
 だが無慈悲な死神はそんな事に頓着してはくれなかった。
「! ……重力波反応探知! 位置は天頂方向……本艦の直上です!」
「な……!」
 ――――しまった。本命はこっち――!
 気付いた時には、もう遅かった。
 攻撃の機会を虎視眈々と狙っていた白亜の戦艦――ユーチャリスと呼ばれる――から射出された多数のバッタは、二十世紀の急降下爆撃に酷似した機動で輸送船に向け攻撃を浴びせた。
 ミサイルと機銃弾の雨。それによって輸送船の船体に、いくつもの穴が穿たれた。
「第十一から二十七番区画大破! 死傷者多数! 防空網稼働率六十%低下!」
「破損区画より、無人機多数が艦内に侵入!」
「ブリッジおよび機関部への隔壁を緊急閉鎖! 各員は侵入した無人機の排除に当たれ! 武器が扱える者なら誰でもいい、積荷の武器を使っても構わん!」
「敵艦よりグラビティブラスト、護衛艦、全て反応消失!」
「く……地球軍はまだ来ないのかっ!」
 こんなところで死んでたまるか、こんなところで――――! 彼が内心で叫んだ時、背後の隔壁が轟音を立てて大きくひしゃげた。
 二度三度の抵抗の後に隔壁は脆くも屈し、破壊されたそれを踏み越えて一機のバッタが姿を現した。爛々と赤く輝く二対四基のカメラアイが全員を舐めるように見回し、機銃に弾丸が装填される音がした。
「うわあ―――――――――――――っ!」
 艦長は無我夢中で拳銃を向け、次の瞬間、腹に殴られたような衝撃を感じた。ごぼり、と血反吐が口から飛び出し、自分が撃たれたのだと理解した。
 ――ああ、理沙…………
 残してきた妻の顔が目に浮かぶ。男の子だったらどんな名前にしようか、女の子だったら……つい数日前の会話が遠い世界の事のように感じられた。
 ――――すまない、名前は付けてやれそうに無い……
 銃弾は、艦長の思いも残された者の悲鳴も容赦なく打ち砕いた。



『――――とまあ、以上が輸送船のデータバンクに残っていた最後の映像……』

 ウィンドウの中で、パイロットスーツに身を包んだ金髪の男――――タカスギ・サブロウタ少佐が、苦々しげにそう言った。
 ここは地球連合宇宙軍所属の戦艦、ナデシコBのブリッジ。
 ブリッジの窓から見える宇宙空間には、船体のそこかしこに穴が開いた輸送船の残骸が、無残な姿を晒して浮かんでいる。
 この輸送船のものと思われる救援要請を受信したのが、三時間前の事だ。たまたま近くを航行していたナデシコBが現場に向かってみれば、見事に破壊された輸送船と無人兵器の残骸が漂っていたというわけだ。
『識別番号からして、輸送船の所属は『火星の後継者』と断定。艦内に生存者は当然ながら皆無。バッタが乗組員を片っ端から殺していく映像もデータバンクに残ってましたよ。見ますか?』
「う……け、結構です……」
 そう呻くように言ったのはハーリーの愛称で呼ばれる、ナデシコB副長補佐、マキビ・ハリ中尉だ。12歳という実年齢より若干大人びて見えるのはオールバックにした髪形のためだろうが、今その顔は青ざめている。
「ブービートラップを用いた索敵と機関破壊。間髪いれずに奇襲攻撃、護衛戦力を削ぎ落としつつ、タイミングを計って旗艦を直接攻撃。その後制圧……プリンス・オブ・ダークネスの目的は、やはり輸送船の積荷だったようですね」
 青く長い髪をツインテールにした少女――――ナデシコB艦長、ホシノ・ルリ中佐が、淡々とした口調で述べた。その顔にはサブロウタやハーリーのような、目の前の惨状に対する感慨は微塵も無い。
『……ええ、残っていたデータによると、輸送船の積荷は製造番号無しの銃火器類とその弾薬、百人が一ヶ月は生活できる量の食料。他にもパワードスーツに、ジョロやバッタといった無人兵器まで積まれてたようです。大半はかっぱらわれた後ですが』
「そうですか。後はいいです。帰還してください」
『了解』
 返事の後、空中のウィンドウは消えた。
「警戒態勢解除。タカスギ機回収後、調査部隊に後を引き継ぎ月基地へ帰還します」
 ハーリーの返事の後、ルリは疲れたようにシートに身を委ねた。
 ――――プリンス・オブ・ダークネス……アキト……
 かつてルリの仲間であり、兄であり、義理の父親であった人……テンカワ・アキト。
 家族の惨状に、ルリは胸が痛くなった。



 蜥蜴戦争休戦から三年後に勃発したクーデター、通称、『火星の後継者事件』から一年――――
 二度にわたる決起はホシノ・ルリ中佐――――当時、少佐率いる『独立ナデシコ部隊』によって鎮圧され、首班の草壁春樹。参謀のシンジョウ・アリトモが共に逮捕。第二次決起司令官、南雲義政が死亡という形で一応の決着を見た。
 ……しかし、火星の後継者が完全に沈黙したわけではなかったのだ。
 ――――2002年一月。宇宙軍月基地において無人機を用いたテロ発生。応戦した軍によって制圧されるも、死者三名。重軽傷者十余名を出した。
 ――――同年二月。地球圏のコロニー、サツキミドリ一号が十日間に渡り二十余名の武装グループに占拠される事件が発生。交渉を断念した統合軍の強行突入によって制圧されるも民間人を含む四十人あまりが死亡し、犯行に加わった人間は全員が殺害されるか、もしくは自殺した。この際犯行グループは『我々は草壁閣下の理想の継承者である』という趣旨の声明文を残している。
 ――――同年三月上旬。統合軍施設に何者かが侵入。当時施設には火星の後継者首班、草壁春樹元木連中将が収容されていた事から、司令官は現場判断で草壁元中将を別施設へ護送。その後侵入者は逃走したが、この際十名を超える兵士が殺害されている。
 ――――同年三月下旬。地球圏において哨戒活動を行っていた統合軍所属の艦艇が突如交信を絶った。捜索に出た艦隊は残骸宙域において破壊された艦艇を発見。乗組員およそ七十名全員の死亡が確認された。その後艦に残されていた戦闘の記録により、艦艇は所属不明の艦隊に襲撃を受けた事が判明した。
 その後も軍施設や部隊を狙ったと思われる襲撃や民間人をも巻き込んだテロ行為が頻発。これを受け、当初事態を小規模な残党勢力によるものと見て軽視していた統合軍も調査を開始。――――その結果、火星の後継者には第二次決起を行った『南雲派』とは別に、未だ高度に組織化された派閥が複数存在する事が判明したのだ。
 草壁元中将の開放などを目的とした無差別なテロ活動、誘拐、人質事件などを頻発させ、現在最も活発に活動している『湯沢派』。
 物資強奪などによって軍備の拡張を進めている最中と思われ、現在のところ積極的な活動は行っていないが、その全貌について不明な点が多い『甲院派』。
 地球連合に対する敵対行為を現在まで行っていないが、先の戦争やそれの発端となった百年前の月内乱に対する賠償などを求めてデモや座り込みを各地で行っている『森口派』。
 統合軍は現在まで地球から木星に至る人類の生活圏全てにおいて掃討作戦を展開しているが、火星の後継者の背後関係はおろか、その全体像すら把握できないまま、徒に戦費と時間を浪費する状態が続いている。
 そして…………

 ――――火星の後継者と暗闘を繰り返す、正体不明のテロリスト、プリンス・オブ・ダークネス。

 正体不明、というのはそれを利用する貪欲なブタどもにとって、何と便利な言葉なのだろう、とルリは思う。
 コロニー爆破犯。人類史上最悪のテロリスト。鬼畜下道の殺人鬼……それがプリンス・オブ・ダークネス、本名テンカワ・アキトの肩書きだ。
 第一次火星の後継者決起に先駆けて起こった、ターミナルコロニー連続爆破事件……その犯人が、プリンス・オブ・ダークネスだ。実際にコロニーを爆破したのはボソンジャンプ人体実験の証拠隠滅を狙った火星の後継者なのだが、それを差し引いても一連の犠牲者は1千人を下らない。
 この最悪のテロ行為に対し、何も知らない民衆は誰はばかることなく非道な犯人へ侮蔑と恐怖と憎悪の視線を向け、逆に犠牲となった者とその遺族に対しては惜しみない同情と支援の手を差し伸べた。
 だが彼が無関係な人を犠牲にする事を承知の上でコロニーを攻撃したのは、火星の後継者に彼と共に拉致されモルモットとして使われていた妻――――テンカワ・ユリカを助けるためだったのだ。
 それが一般に明らかにされることは無かった。
 火星の後継者を非公式ながら支持する事で、それが政権をとった後、将来的に発生するボソンジャンプの利権を手に入れようとする連合の非主流派の国々――――彼らの圧力によってアキトはその背景を求められる事も無く、彼らが火星の後継者に取り入るためのスケープゴートとして抹殺されようとしていた。
 家族が陥れられようとする事態に対し、ルリ達は必死に戦った。だがそれは極めて不利で、勝ち目の薄い戦いだったと言える。
 火星の後継者が拉致と人体実験を行った証拠は圧力に屈した宇宙軍から提出を許されず、なによりアキト本人が行方を眩ましてしまった事が一番の痛手だった。非主流国の主張を覆すには、それ相応の証拠と証人を用意する以外なかったのだ。
 地球連合の体勢に不満を持つ過激分子……世間はアキトをそう位置付けている。民衆はその与えられた事実をただ受け入れて、真相は闇に葬り去られようとしていた――――



「……ちょう。かんちょう。艦長!」
 ハーリーの声が、ルリを鬱々とした思考の海から引き戻した。
「あ、ハーリー君、なに?」
「間もなく月へ到着します」
 いつのまにか月の殺風景な光景がブリッジの窓いっぱいに広がっている。もうこんなに時間が経っていたのか。
 ルリは月基地管制室へ回線を開いた。
「こちらは地球連合宇宙軍所属、戦艦ナデシコB。月基地管制室、ドックへの誘導願います」
 返事がない。
「管制室? もしもし? おーい、やっほー」
 やはり返事がない。ただガリガリというノイズだけが虚しく流れていた。
 ルリは真っ先に思い至った可能性について尋ねた。
「……ハーリー君。通信システムに異常は?」
「システムは正常です。物理的な異常も認められませんし……あ、いえ、変な電波が大量に発生してます!」
「こりゃ、ジャミングだな……火星の後継者に違いないぜ」
 サブロウタがルリの右後ろの席で言った。彼は本来この艦の副長だが、パイロットも兼ねて乗艦している。
 いや、むしろパイロットが本職で、副長を兼ねているのかもしれない。そんな非常識な人事が平然と行われているのは、今でこそ改善しつつあるものの少し前まで訓練航海にも予備役を招集する必要があった、宇宙軍の人手不足の所為である。
「発信源つかめました。位置は三時方向……ネルガル重工所有の月ドックの方角です」
 それで状況を理解したルリは、敵もやる事が早いと思った。
「毎回恒例の報復攻撃ですね。全艦戦闘配置! 艦内警戒態勢パターンA!」
 途端にブリッジが騒がしくなった。
 火星の後継者は、プリンス・オブ・ダークネスの襲撃で被害を被るたびにネルガル所有の施設などに対して攻撃を行う。彼を裏で支援していたのがネルガルであり、『同罪』であるというのがその理由だが、実際は彼が神出鬼没で手の出しようが無いので、その代わりに――――というところだろう。
 勿論、ネルガルとプリンス・オブ・ダークネスの関係については、未だ公式には認められていない。
 しかし軍関係者、並びに火星の後継者にとっては、公然の事実だ。
「重力波反応探知! 複数の無人兵器が月ドックへ向かっているようです!」
「付近に母艦が居るはずです。ナデシコBは母艦の破壊を優先します。月ドックの防衛、よろしく」
 了解、という返事の後、ナデシコBのカタパルトからサブロウタが搭乗する人型機動兵器、エステバリスが発艦した。これはサブロウタ専用のカスタム機で、スーパーエステと呼ばれている。
 現在ナデシコBに搭載されているのはこの一機だけだが、サブロウタの腕なら無人機に遅れを取りはしないだろう。
「恐らく、母艦はクレーターや渓谷の中に隠れていると思われます。不審な反応に注意してください」
 見つけ次第即攻撃します、と付け加え、ルリは眼前に広がる月の風景に目を凝らした。
 このどこかに、奴等がいる。
 ルリ達家族から幸せな暮らしを、何百人もの罪も無い人たちから人生を奪い取っておきながら、それを正義と信じて恥じもしない狂信者たちが。
 何度も思った事がある。
 何故あの人がこんな仕打ちを受けなければならないのか。
 あの人が何か悪い事をしたのだろうか。
 A級ジャンパーというのはそんなにも危険なのか。
 結論はいつも“怒り”。
 ルリ達から幸せを奪った狂信者への、何も知らずにアキトを攻め立てる愚かな民衆への、それを利用して利益を貪ろうとするブタどもへの鬱屈した怒りだ。
 ルリは二度、奴等と戦った。そして二度叩き潰した。なのにまだ奴等は薄倖な理想にしがみつき、それを諦めようとしない。
 ならその理想が幻想でしかない事を思い知らせてやる。まだ何かを奪おうとするのならその前に全てを奪い取ってやる。

 ――――殺してやる。



 ナデシコBから勢いよく飛び出したサブロウタは、急速に迫り来る月の地表に目を凝らした。
 サブロウタから見て左前方に、クレーターを利用して作られたネルガルの月ドック。艦船の建造から補修まで行えるネルガルの重要施設だ。その周りには縦横無尽に渓谷が走り、網の目状の道を形成している。
 今はそこが戦場だった。
 渓谷の中を曳航弾やミサイルが激しく飛び交い、その中を虫型の無人兵器が猛スピードで走り抜けていく。
 応戦しているのは、宇宙軍から派遣された防衛部隊。エステバリス数十機からなるこの部隊は、ネルガルの各施設に重要度に応じて配備されている。
 また戦争が始まった訳でもあるまいに、と情勢に疎い一般人の間でジョークの種にされる事も多い態勢だが、軍にとって今の情勢は戦争中と殆ど変わりない。
 対するは火星の後継者、恐らくは湯沢派の所有する無人兵器。バッタのほかに、地上戦に特化したアリ型兵器『ジョロ』もいる。
 熱量からして、ジョロの何機かは本来ミサイルを搭載するスペースに爆弾を積んでいるはず。それで敵のど真ん中や施設内に突っ込んで自爆する。湯沢派の典型的な戦術だ。
 ドックに到達される前に、ケリをつける。
「――――行くぜっ!」
 スーパーエステの両肩部が開き、そこからミサイルが十二発、白煙を引いて飛び出した。
 渓谷にミサイルが降り注ぎ、盛大な爆発と共にジョロやバッタが舞い上がる。さらに両肩の連射式25ミリキャノンで追い討ちをかけるが、無人機群は弾丸やミサイルをばら撒きながら構わず渓谷の中を駆けていく。死を恐れない機械ならではの特攻戦法だ。
 それに対して防衛部隊は、突破しようとする無人機に対して渓谷のわき道から攻撃を浴びせていた。
 進路を塞ぐ真似はしない。狭い渓谷の中では壁を形成できるエステバリスの数は知れている。それよりも進む事に専念させれば被害を最小限に押さえながら敵の数を減らす事が出来る。
 さらに防衛線の最後尾には、エステバリスの中でも最大級の火力を誇る、エステバリス砲戦フレーム――俗に言う砲台フレーム――が配置され、最後の壁として敵を一掃するべくその巨大な砲身を光らせていた。
 その内の一機が、接近する敵性反応を捉えた。数は10機程度。少々多いが仕留めきれない数ではない。
 轟音が轟いた。
 砲戦フレームの全重火器が一斉に火を噴き、濃密な弾幕をもってキルゾーンを形成する。そこへ突っ込んだ無人機は虫ケラのように叩き潰され、爆炎を立ち上らせた。
 炎と煙が砲戦フレームのパイロットから視界を奪う。――――次の瞬間、煙の中から何かが飛び出した。
 飛び出したのはバッタだった。砲撃で右半身を抉り取られながらもなお命令を果たそうと背中のミサイルポッドを開き、目の前の敵に喰らいつこうとしていた。
 慌てて腹部スーパーガトリングを起動する。毎分三千発の速さで撃ち出される機銃弾が一瞬でバッタを蜂の巣にしたが、タッチの差でミサイルは発射されていた。
 運の悪い事に、数発がコクピットに命中した。砲戦フレームの分厚い装甲もミサイル複数発の直撃には抗えず、破壊的な爆風がコクピットの中を荒れ狂った。
 パイロットは即死だった。
 もう二度と動く事の無い砲戦フレームの横を、三機のジョロが無傷で抜けていった。
「ちいっ!」
 上空からその光景を見たサブロウタは、舌打ちしてジョロの後を追った。砲戦フレームの壁を越えた後には、もう遮るものは何も無いのだ。今回の襲撃に対する宇宙軍の見積りが甘かったと言うほか無い。
 大型レールガン、『ジャッカル』を構える。「物干し竿」と揶揄されるほど長砲身のレールガンだ。バッタやジョロに対してはオーバーキルだが、長い射程は心強い。  最後尾の一機に照準を合わせ、撃った。ジャッカルが音も無く咆哮し、二十ミリの弾丸が極超音速で撃ち出される。直撃を受けたジョロは弾け跳び、渓谷の壁に派手に激突し、砕けた。
 その時にはもう、残りの二機は渓谷から這い上がっていた。サブロウタは機体を急上昇させ、渓谷の上へ出ると同時に撃った。
 ジョロが粉々に砕け散る。残りは一機。
 離されている。射程ギリギリ。
 必中させられる距離まで詰める暇は無かった。月ドックまであと二百メートルを切っている。ジョロの移動速度なら一分とかからない。
 照準。そして発砲。
 土煙が舞い上がる。外れた。思わず舌打ちしてしまう。
「当たれよっ!」
 念じ、再度発砲する。放たれた弾丸は直撃こそしなかったが、ジョロの右足を三本とも吹き飛ばした。
 バランスを崩したジョロは回転しながらボールのようにバウンドし、惰性で月ドックへと突っ込んでいった。外壁に接触すると思われた瞬間、飛来した三発目の弾丸がジョロを粉砕した。
「よっしゃ!」
 サブロウタの喜びの声も束の間、敵の第二波が接近しているとの通信が飛び込んできた。
 ――――諦めてくれないのかよ。
 サブロウタは苦虫を噛み潰した。後数分もすれば、ナデシコBは母艦を発見し、即破壊するだろう。
 元木連軍人の彼としては、火星の後継者に所属する者の多くはかつての同僚であり、殺したくはないし、死んでも欲しくないというのが本音だ。
 無論、敵対する立場である以上、戦う覚悟は決めているが――――
「…………」
 サブロウタは無言で、同僚に銃を向ける守るべき少女を見上げた。



「――見つけました!」
 同じ頃、ナデシコBのブリッジ。
「ポイントC−77に重力波反応確認。微弱ですが、渓谷の底から通信用の重力波が発生しています」
「それです。射線軸は?」
「安全射線確保。……いつでもいけます」
 ハーリーは一瞬言葉を詰まらせたが、ルリは無視した。
 本当なら捕虜にするべき相手すらも容赦なく殺すルリのやり方に、ハーリーが反感を持っている事は知っている。
 悪い、とは思う。血は繋がっていないがハーリーはルリにとって可愛い弟のような存在であるし、ハーリーが宇宙軍に入った時は実戦に出るなど――考えなかったわけではないが、こんな事になるなど想像もしていなかったから。
 なにより、これはルリの私怨による復讐だ。
 連合宇宙軍の軍人というルリとハーリーの立場なら、どのみち火星の後継者とは戦う事になる。だがルリの戦う理由は第一には幸せを壊した連中に対する遺恨晴らしであり、報復であった。その片棒を担ぐ必要も理由も、ハーリーには無いはずだ。
 それでもハーリーの力は大きい。第一、彼もまた軍人なのだから命令に従うのは当然の義務だと…………そう思うようにしている。
 言い訳じみていると自分でも思う。ルリの権限があればハーリーを多少強引に後方勤務に回す事も出来るだろうに。
 自己嫌悪を押し殺して、ルリは命じた。
「グラビティブラスト、用意」
 ルリの命令に従い、ナデシコBはその巨躯を傾け始めた。同時に船体中心のグラビティブラストが砲門を開き、獰猛な獣の如く唸りを上げる。
 攻撃を察知したらしく、渓谷の底から敵の戦艦が姿を現した。逃げるつもりらしかった。
 ――――もう、遅い。

「発射」

 ナデシコBが咆えた。
 敵艦のディストーションフィールドは数秒の抵抗の後に屈した。重力波の奔流に晒された敵艦は痙攣したようにその身をよじらせながら、数十人の乗員と共にひしゃげ、捻じ曲がり、最後には爆発して消えた。
「敵艦、完全破壊……タカスギ機から、無人兵器も動きを止めたとの通信が入りました……」
「了解。後は宇宙軍に任せて、本艦は帰投します。ご苦労様でした」
 感情の無い声。自ら手を下して確実に数十人は殺したにも拘らず、アリを踏み潰した程度の感慨も、この声に含まれてはいなかった。むしろ心地良いとすら思う。そんな自分が恐ろしくて、嫌だった。
 あの人も、こんな気持ちで戦っているのだろうか…………とルリは、この星空の何処かにいるであろうプリンス・オブ・ダークネス――“家族”へと――思いを馳せた。
 ルリはこの一年で、数百人の火星の後継者とその支援者を殺した。奴等がこの世界から駆逐されるまで、それは終わらないだろう。
 アキトさん――――ルリは星空へ囁く。あなたはあなたの戦いを戦っていますか――――と。
 アキトはこんな、身を焦がすような怒りと憎しみを糧にして、ユリカを助け出したのだ。今度は私の番。火星の後継者を殲滅する。奪われた幸せを取り返す。それが出来ないというなら、それ相応の代価を支払わせる。

 ――――これは、私の復讐だから。



 ……時は、西暦2202年、七月。
 人類初の惑星間戦争、通称『蜥蜴戦争』から四年――――世界は、未だ見えない戦火の中にあった。







 あとがき

 初めまして。シードと申します。新参者ではありますがどうぞよろしく。
 さて、本作贖罪の刻。この話のテーマは『贖罪』。戦争による憎しみの連鎖だとかテロだとか、そういったものをテーマにしております。無論そういったものを肯定したりするのが目的ではなく、その逆です。……多分種ガンに触発されたのだと思いますが。
 種ガンでは結局結論の出なかった憎しみの止め方だとかなんだとか、そういったものにも私なりの結論を出したいと思っております。
 ただ、あくまでこれは日本の一般人の視点から言いたい事を好き勝手に言わせてもらうだけなので、この作品が問題の解決法を示しているかどうかも種ガンを超えられるかも解らないと申し添えておきます。
 それでは、遅筆で至らないところもあると存じますが、末永くお付き合いいただければと思っております。



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代理人の感想

ルリ黒いですねー。

でもまだ共感を抱けるレベルですねー。

今はまだ、黒と白の境界線あたりって事でしょうか。

その振り子がどっちに振れるか、興味津々です。