注:この小説には一部残酷な表現があります。苦手な方は読まない事をお勧めします。



 ……どんな運命の日でも、いつも通りの朝はやってくる。
 そう言ったのは誰だったろう。

 横から聞こえる凄まじいまでの騒音に、黒道和也こくどうかずやは目を覚ました。
 最初に知覚したのは、昨日と同じうんざりするような夏の日差しと、ベッドの感触……そして、病院特有の薬の匂い。
 と思ったが、ここは病院ではなかった。
 和也にとってあまり縁のなかった部屋――――第一オオイソ高校の保健室だ。
 この騒音公害は山口烈火やまぐちれっかのイビキか……騒がしくも何処か懐かしい、それでいて平和なシチュエーション。昨日の事は悪い夢だったのではと、現実逃避じみた事をつい思ってしまう。
「う……」
 体を起こそうとして、全身を鈍痛が走った。一晩寝たというのに、体中の筋肉はまだ休み足りないと訴えているのだ。
「お目覚めですか? 和也さん」
 聞き慣れた声がした。
「こんなやかましいイビキを聞かされれば誰だってね……、妃都美はなんでここにいるんだ?」
 真矢妃都美まやひとみのくすくすという苦笑が聞こえた。カーテンに遮られて姿は見えないが、恐らく妃都美も和也と同じようにベッドに寝ているのだろう。
「怪我人が保健室にいるのは当たり前ですよ。……本当ならちゃんとした病院に行くべきでしょうけど、そうしたら私たちの体の事がバレてしまうので、適当な理由をつけてここに」
 私は幸い貫通でしたので、ナノマシンですぐ治りました――――そんな妃都美の言葉は、和也に否応なく現実を突きつけた。
「……夢じゃないんだな。昨日の事は」
 夢であればどんなにか。
「……ええ、私は足を撃たれて、烈火さんも腕をやられました」
 私も夢だと思いたかったですが……そう言って、妃都美は口を閉ざした。
 この先どうなるのかは、和也には見当がつかない。ただ一つだけ。

 自分たちは、もうここには居られないという事だ。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第四話 僕たちの宣戦布告



 目が覚めて間もなく、和也は痛む体を押してベッドから起きた。妃都美は傷に障ると止めたが、和也としては早く情報が欲しかった。妃都美も気持ちは同じだったらしく、わりと早く折れて同行を申し出た。
 烈火は――――まあ、そのまま寝かせておいても良かったのだが、こいつのせいで寝られないと思うといささか腹が立ってきたので叩き起こした。
 そして今、和也達三人は後の四人がいるという教室へ向かっていた。
「酷いもんだね……」
 校舎の惨状を見て、和也は呟く。
「ええ。……この中には、私たちの付けた傷も沢山あるでしょうね」
「悪い事、しちまったな」
 妃都美と烈火も異口同音に言う。
 午前八時――――いつもならば生徒が続々と集まってくる時間帯。学校が一番賑やかな時だ。
 しかし、普段の活気はそこにはない。
 外を見れば、学校の周りはキープオフのテープ……の形をしたウィンドウで囲われ、数こそ減ったものの武装した兵士が未だに闊歩している。装甲車が鎮座しテントが張られた校庭はさながら野戦陣地のようだ。
 中を見れば、校舎のそこかしこには戦闘の傷跡が生々しく残されていた。
 さすがにテロリストの死体は全て運び出されていたものの、壁に刻まれた弾痕などはそのままになっており、散乱した空薬莢も放置されていた。こびり付いた血痕は凝固して簡単には取れそうにない。
 それらの痕跡は、学校が和也たちに昨夜の戦いが現実なのだと言い聞かせているようでもあり、お前等が学校を傷つけたのだと抗議しているようでもあった。
「みんな、入るよ」
 がら、と和也は教室の戸を引き開ける。
 教室の中には、敷かれた布団も片付けないまま、見慣れた顔が四つ並んでいた。
「おはようございます。隊長」
 姿勢を正し、立崎楯身たてざきたてみは敬礼する。
「怪我の具合は、もうよろしいのでしょうか」
「あまり良くはないね……全身筋肉痛だし、刀傷もナノマシンでようやく塞がったところ。第一、まだ眠くてたまらないよ」
「だったらまだ寝てればいいじゃねえか……」
 ふああ、と大あくびをかましたのは烈火だ。
「烈火さんのイビキがうるさくて寝られない、と和也さんは言っていますが」
 妃都美の言葉は狙撃手の弾丸の如く、ぐさりと烈火に突き刺さった。本人も気にしていたのだろう。しゅんと小さくなる。
「で、今の状況はどうなの?」
「見ての通りよ……」
 そう面白く無さそうに言ったのは田村奈々美たむらななみだ。パイプ椅子と机を勝手に引っ張り出して、その上で頬杖をついている。

『えー、統合軍報道官によりますと、昨日、オオイソシティ第一オオイソ高校を襲撃、これを占拠した火星の後継者・湯沢派に属すると思われる武装集団は、軍の強行突入によって制圧されたとの事です。人質として捕われていた生徒、教職員には怪我をした人も居るようですが、いずれも軽傷で、命に別状は無いとの……』

 先ほどから彼等が固唾を飲んで見守っていたのは、普段授業に使われる黒板型ディスプレイだ。
 木目調の枠に緑一色の画面。そこをチョーク型の機械でなぞると本物の黒板にチョークで物を書いたようになる。
 授業のために映像を表示する機能もあるが、これをパソコンと接続して光ネットに繋ぐと即席の大画面テレビになるわけだ。
 そこには当然の如く昨日の事件――『第一オオイソ高校占拠事件』と名付けられた――の特番が放送されていた。現場からの中継に続いて放送されるのは軍に保護された人質たちの映像だ。あの修羅場から生きて解放された事を、皆家族と抱き合って喜び合う。それを見た和也達はほっと息をついた。
「良かったですね」
「うん、必死に戦った甲斐があったね」
「俺たちも無事、人質のやつ等も無事。一石二鳥だな」
 誰か二つも得したかと思ったが、とりあえず言わない事とする。
 それはともかく――――ここに居る七人も無事で、人質も全員生還したというのに、何故か楯身たちは浮かない顔をしていた。
「何だ、みんな表情が固いな。万事うまくいったように見えるけど、何か問題でも?」
 ふう、と溜息が聞こえた。影守美雪かげもりみゆきだ。少し寝ぐせがついてしまった髪に必死で手串を当てている。
「あなたという人は本当に羨ましい性格をしていらっしゃいますわね」
「……なんだよ」
「ほら、よく見て御覧なさい」
 言って、美雪はニュースを写しているディスプレイを指差す。
 いつのまにか場面が変わって、映し出されているのは昨夜の映像だ。激しく轟く銃声と爆音に混じって、校舎の中にマズルフラッシュが光る。その度に火星の後継者のテロリストの姿がはっきりと見える。
 そして、それと銃撃戦を演じているのは――――
「あれって僕たち……だよね」
 つい、馬鹿な問い方をしてしまう。

『ご覧になっているのは、人質として校内に残っていたと思われる生徒が、テロリストの武器を奪ってこれに応戦する様子です。生徒は見事なまでの戦いぶりでテロリストを圧倒し、突入した統合軍との共闘によりこれを撃退。一人の犠牲者も出さずに事態は収束しました。
 統合軍報道官によると、応戦した生徒の中には軽い怪我をした者もおり、現在治療を受けている模様です。軍は全員の意識が戻り次第、事情を聞く方針です。
 新たな情報が入り次第、お伝えします……』

 そんな女子アナウンサーの何処か興奮に上ずった声をバックに流されるのは、火星の後継者と銃撃戦を演じる彼等の姿だ。チャンネルを変えても、この映像が流れていない局は無い。
 音は指向性拾音マイクを使えばいくらでも拾えるだろうが、この画質はいくら超望遠が可能な昨今のカメラでもある程度近づかなければ無理だ。とすればこれは封鎖範囲内での撮影ということになる。
「ったく、どうなってんのよ、これは!」
 テレビの中のアナウンサーに対し、奈々美は枕による砲撃を敢行した。
「あまり興奮すると体に悪いですわよ。奈々美さん」
 そうたしなめたのは美雪だ。
「これが興奮せずにいられる!? 何であたしらがテレビに映ってるのよ!」
 奈々美が怒るのも無理からぬ話だった。
 昨日――正確には数時間前――統合軍に対して自分たちの事はマスコミには内密にするようにと、そう言い含めておいた。だからてっきり彼等は、統合軍の強行突入で火星の後継者が撃退された事になっていると、そう思っていたのだ。
 ところがいざ目が覚めてみると、どういうわけか大々的に彼等のことが報道されているではないか。
「統合軍には確かに言い含めておいたはずなのに! 裏切りよ! 報復してやるー!」
「待て! 早まるな!」
 ずかずかと教室を出て行こうとする奈々美を、和也達は四人がかりで背後から羽交い絞めにする。奈々美が本気で暴れようものなら、冗談抜きで人死にが出かねない。
「おい! 誰か奈々美を止めろ!」
 お待ちを、と紳目美佳しんめみかは黒板型ディスプレイに接続した視覚障害者用ノートパソコンを手早く操作する。点字を読み取った美佳はなるほどと言った感じに頷いた。
「……この映像、提供元はいずれもフジヤマテレビのようです」
 それで疑問が氷解した。
 フジヤマテレビと言うのは、視聴率を得るためには手段を選ばない事で名を知られた、悪名高い全国ネットの民放局だ。
 報道に関しては、その取材手法は強引極まる。大戦中には多くの従軍記者を最前線に送り出して多くの犠牲者を出し、テロの現場に記者を突入させた事も一度や二度ではない。
 それだけに最新情報をいち早く手に入れる事も多く、視聴率は確実に伸びているのだからたちが悪い。
 なお映像データを“買わせる”目的で人気アニメを最終回間際に打ち切り、これに抗議する署名活動が行われた事があるというのは余談である。
「……は、そういう事ね」
 奈々美は怒りを通り越してあきれ返った表情で、やれやれと両手を広げる。
 警察ならいざ知らず、軍はマスコミに対して甘くない。それが作戦の妨げになると判断すれば報道を差し止める事も出来るし、封鎖エリア内にマスコミがいるのを見つければ即、拘束して機材から何まで没収する事も出来るだろう。
 が、マスコミの側も黙ってはいない。軍が下手をすれば『国家権力による報道弾圧』と来る事もしばしばだ。大衆はこの手の話題に敏感だから軍もなるべく問題を起こしたくないというのが本音で、機密や作戦に触れるもので無ければ黙認される事も少なくない。
 マスコミと事を構えるデメリットと、和也たちの存在を公表するデメリット。軍にとってどちらが軽いかは自明の理である。
「あたしたち、ちょっと目立ちすぎたのかな?」
 と、力の抜けた顔で奈々美。もはや怒る気にもならないらしい。
「確かに。もっと控えめにやっていれば、フジヤマテレビの目も別のほうに向いたかもしれませんわね……」
 マスコミと言うのは派手好きですから、と美雪。
「そもそも、私たちでの殲滅に拘りすぎたのが問題でしたわね。人質の皆さんを逃がす事だけ考えればよかったのかもしれません」
「ちょっと待てよ。言い出した僕が悪いみたいだな」
「そうなんだよ」
 無神経な烈火の一言。無言で蹴りの集中砲火を受ける。
「まあ過ぎた事をあれこれ言っても仕方がありませんわ。それよりも今後の事を考えません?」
 掌を返したような美雪の言葉。むっとした空気が広がり、和也が慌ててフォローを入れる。
「ま、まあ、みんな無事だったんだからさ。結果オーライってことで……」

「よくないっ!」

 突然ドアが蹴破られたかと思うほど強く開け放たれた。誰もが思わず身構える。
「ぜえぜえ……みんなで話し込んでる所に失礼するわ……」
「……白鳥さん」
 乱入してきたのは白鳥ユキナだった。去年のインターハイで三位に納まった彼女が息を切らしているのは、単に走ってきたというだけではないようだ。
「ここ、立ち入り禁止のはずだけど……どうやって入ってきたの?」
 と、和也は当り障りの無い事を聞いた。その声にきっ、とユキナが和也のほうを向く。
 その顔は、正しく夜叉の顔――――
「どうもこうもないわよ。塀乗り越えて忍び込んできたわ。途中兵士に2・3度見つかったけどね」
「……捕まらなかったの?」
「捕まる前に張り倒してやったわよ」
 下手をすれば公務執行妨害罪に該当する事をさらりと自供する。
「そんなことより!」
 つかつかと歩み寄り、和也の目の前で仁王立ちになるユキナ。
 凄く恐い。武器を持ったテロリストと戦った時でさえ、こんなに恐かったかと思うほどだ。
「昨日のあれはどういうつもり!? 澪ちゃんをあんなに心配させて! あの子、泣いてたんだからね!」
「……ごめん」
 その名を持ち出されると弱い。和也は素直に謝った。
「でも、どうしてもやらなきゃいけないと思っ……!」
 問答無用。ユキナの右フックが和也の左頬を抉る。
「おー出た、白鳥の鉄拳」
 烈火が言った。
 あのテロリストの剣士の目にも止まらぬ剣撃さえ躱した和也なのに、ユキナの拳はどうあっても食らうのはなぜだろうか。
「……殴ったら満足した?」
「ぜんっぜん足りないわ。そうね。あんた達に関する情報の公開を要求するわ」
「お言葉ですが白鳥殿」
 そう言ったのは楯身だ。
「それは木連の国家……」
「機密がどうとかってのなら口外しないから安心しなさい」
「機密に触れる資格はあなたには無いわけで……」
「資格は無いけど権利はあるわ。あたしがいなかったら今ごろ人質みんなぶっ飛んでたんじゃないの?」
 痛い所を点かれ、楯身は押し黙る。
 なにしろ人質が逃げ出したと知らせてくれたのは他でもないユキナだ。その貢献が無ければ人質を助ける事は適わなかったろう。
「舌戦では、勝てそうにありませんわね」
「……白鳥さんの言う事ももっともです……和也さん。ここは」
 美雪と美佳に言われ、和也ははあ、と溜息を一つ。
「……解ったよ。話します」
 これは国家機密。それも最高機密に当たる事なので絶対口外しないようにと改めて申し添え、和也達は話し始めた。



「木連軍優人部隊……その特殊作戦軍って知ってる?」
 和也は初めに、そう切り出した。
 ユキナは首を横に振る。
「まあ、無理も無いよね。アレの存在を知っていたのは木連軍でもほんの一握りだったし。上層部の参謀連中を除けば、せいぜい秋山源八郎少将に月臣元一郎少佐……あとは木連の英雄、白鳥九十九大佐ぐらいのものかな」
 気のせいか、ユキナの表情が翳った気がした。
「……どうかした?」
「何でもないわ。続けて」
「ああ……とにかくその部隊の存在は極秘なんだけど、木星からの脱走者を追撃したりする秘密部隊がある――――って噂は、白鳥さんも聞いた事があるよね」
「……ええ」
 当時木連では、生活の困窮から地球への脱走を図る者が多くいたとされる。木連政府はこの脱走者の存在を否定しているが、当時の木連の状況からすればむしろいない方がおかしいと見るべきだろう。
 この脱走者を追撃し、始末する秘密部隊がいる――――という噂が数年前から囁かれるようになり、今では一種の都市伝説として定着している。
「知ってる人はごく一部だけど、その部隊は実在する……いや、実在したと言うべきかな」
 和也はここで、一旦言葉を切る。
「特殊作戦軍は、地球と戦うための組織。地球を倒すための軍隊。地球人を殺すための……」
「あー、そんなのはもう木星で嫌ってほど聞かされたわよ!」
 その手の話はもううんざりだ、という風にユキナはひらひらと手を振る。
「大体あんたたち、会った時は普通の国立中学の生徒だって言ってたじゃない」
「私たちの学歴も、今の名前も、皆さんに言ったものは全て嘘なんです。最高の兵士――――いえ、兵器となるべく、私たちは小学校へ通う代わりに訓練所に入れられ、訓練を受けていました」
 そう言ったのは妃都美だ。
「まさか元特殊部隊員です、なんて学校のみんなに言えないからね。嘘の名前と学歴を作ってもらったのよ。秋山さんに」
 奈々美の言った「秋山さん」とは現在木連の最高指導者の座に納まっている、秋山源八郎少将の事だ。
「それは解ったけどさ……なんであんたたちみたいな子供……がそんな特殊部隊に所属してるのよ?」
「子供だからこそ……ですわ」
 ユキナの疑問符に、美雪が相槌を打つ。
「木連は正義がモットー。そうである以上、誘拐とか暗殺とかには手を染めていない事が建前となっておりますが……」
 美雪の言葉を和也が引き継ぐ。
「その裏で、木連のために代々汚い仕事を一手に引き受けていた一族があった。その人たちが特殊作戦軍の前身に当たるわけだけど、詳しい素性は僕たちも知らない。ただその一族の代表は常に一人で、六人衆と呼ばれる配下がそれに付き従っているという事だけで」
「――それって……」
 ユキナが何か呟いたが、和也の耳には入らなかった。
「優人部隊創設に際し、その指揮系統から独立した特殊部隊を作って、一族の人間と六人衆の支援に当たらせるという案が出されたんだ。ただ、ここでいくつかの問題が発生した」
 その問題というのが何なのかは、ユキナにも何となく解った。
「人がいないこと?」
「ご明察。木連の総人口がせいぜい一千万。これに対して地球の総人口はおよそ百億。当然、軍隊に回せる人間の数にも天と地ほどの差が出てくる。どれだけ多産を奨励し最大限の人口増加を図った所で、この差が容易に埋まるなどありえない。これを補うべく、木連では来るべき地球との戦争に向け、質で数を補う事が出来る兵士を養成しようとした――――けど、これがまた大変なんだよね」
 優人部隊に入隊する最低限の条件として、次元跳躍――ボソンジャンプ――に適性を持っていなければならない。これは完全に先天的な要因によるもので、適性がないと見なされれば入隊は認められない。この時点で志願者のおよそ半分が脱落する。
 たとえ適性試験を通過しても、次に待っているのは厳しい訓練……圧倒的な戦力差を質で跳ね返すだけの兵士を養成する訓練だけにそれは激しい。ここでまた半分以上が篩いに掛けられ、脱落する。
 これらを潜り抜けた者だけが優人部隊、その実戦部隊に入隊できるわけだが……最終的に残るのがほんの一握りである事は言うまでもない。
「ましてや、ここからさらに腕の立つ人を引き抜いて特殊部隊を創設するなんて、なけなしの米を一粒単位で分け合うようなもの。当然奪い合いになるわけで……」
 要するに、正規軍が人材を手放したがらなかったわけだ。
「それに、二つ目の問題――――さっきも言ったけど、特殊作戦軍の受け持つ任務は、諜報活動や破壊工作のほか、誘拐、暗殺、機密保持のための味方殺しとか、とても表ざたに出来ないような汚い仕事も含まれる。果たしてこれを、木星でずっと教えてきた正義感を信じる若い人たちが受け入れるかな?」
 否だろう。ユキナは木星時代の友人たちと今でもメールのやり取りをしているが、火星の後継者がテロ集団に変貌した事を信じず、地球連合の流した嘘だと信じる者も多いと聞いている。
「特殊作戦軍の任務は木星人が何より嫌う汚れた仕事。ましてその兵士は暗殺術や隠密行動に長けた精鋭――――そんな連中に反感など持たれようものなら、最悪、木連政府首脳が暗殺されかねないんだ」
 正規軍からの引き抜きによらず、精鋭かつ汚い仕事も進んでこなす忠誠心を持つ人材を集める――――そんな都合のいい要求が通るはずもない。特殊作戦軍創設は白紙撤回されるかと思われた。
 だが、ある一つの計画が軍事化学研究部――軍のために必要な研究を行う軍の部署――から提示された。それは確かに、必要な要求を全て満たす事ができるものであったのだ。

「……それが、『生体兵器開発計画』……人間に武器を与えるのではなく、人間そのものを兵器に作り変える計画」

「人間を……兵器に?」
「ええ、薬物投与とインプラント処理で」
 恐ろしい事を躊躇わず口にする和也。
 インプラントとは、主に機械などを用いた人体改造の事を言う。例を挙げるならIFSを初めとするナノマシン処理や、事故などで手足を失った人間に義手や義足を取り付ける事などがそれに当たる。
 しかしその用途をほんの少し変えれば……例えば人口筋肉で腕力を向上させたり、レーダーやセンサーを人体に内蔵する事も出来る。常人には持ち得ない戦闘能力を持つ、生体兵器を作り出すことが可能なのだ。
「計画はまず人体実験から始められた。刑務所から終身刑に処せられた囚人を連れてきて、生体兵器開発のためのテストケースとした。本当なら死刑囚のほうがいいのかもしれないけど、なにせ木星に死刑制度は無いし」
 テストケースと言えば聞こえは良いが、その実態はモルモット以外の何者でもないだろう。どんな実験が行われたのか和也達は知らないが、何となく想像はできる。
 囚人たちは体を切り刻まれ、機械と繋ぎ合わされ、過剰なまでに薬物を投与され、そして死んでいった。一人死ねば一人補充され、また一人死ねばまた一人補充される。そんな悪魔の所業としか言いようの無い計画は二十年以上に渡って続けられ、数え切れない数の犠牲者の存在は権力によって抹消された。それに携わった人間たちは、いまどこでどんな暮らしをしているのやら。
「そんな人体実験と数多の犠牲の末、生体兵器の開発は一応の完成を見た。確かに生体兵器になった兵士は軍首脳部を満足させるだけの戦闘能力を発揮し、思想の問題も教育で忠誠心を植え付ける事が容易な、自我未発達の子供を被験者とする事で解決した」
 和也達がこのようなおぞましい事を平然と口に出来るのも、それが必要な事だった、正しい事だったと思う気持ちがまだ残っているからだろうか。木連政府の妄執に、ユキナは薄ら寒い気分を覚える。
「ただ結局、拒絶反応や薬の副作用で被験者の死ぬ可能性が大きすぎる事、会戦が間近に迫って量産が間に合わない事などの理由で計画は凍結されてしまって、残った三十人弱だけが訓練課程を終えたのち、七人一組で小隊を組み特殊作戦軍に編入された」
 ユキナの気持ちを知ってか知らずか、和也は続ける。
「なんで七人一組かって言うと、特殊作戦軍の前身となった一族の人と六人衆にあやかって……」
「もういい……眩暈がしてきたわ」
 額を抑えてユキナが遮る。
「最後に一つ質問。あんたたちが凄い改造人間って事はわかったけど、なんでそれが地球の高校生になってるのよ?」
「それは……」
 和也たち全員の表情が暗くなる。どうやら触れられたくない所に、ユキナは触れてしまったようだ。
「……各小隊には日本神話の神剣の名が与えられる。敵も味方も鋭く切れる剣になるようにね。僕たちも訓練課程を終えた後、第五小隊『草薙の剣』っていう部隊名が与えられた。それから戦場に出ると思った矢先、あれが起こった……」
「あれって……熱血クーデター?」
 先読みしたユキナに、和也は頷く。
「そう。あの戦いで草壁政権は転覆。僕たちも死にかけたけど何とか生き残ったよ」
 俺たちはしぶといからな、と横で烈火が笑った。
「あれから……まあ、いろいろあってね。結局秋山少将の庇護の下、移民として地球へ来た。それだけだよ」
 今一つ答えになっていない気がしたが、和也たちが辛そうにしているのを見たユキナはそれ以上問い詰めなかった。
「はあ……そう。じゃああたしはもう行くわね。頭、こんがらがってきたわ……」
 ユキナは席を立つ。
「……ああ、そういえばハルカ先生の具合はどうなの?」
「命に別状は無かったわ。ただ頭の骨にヒビが入ってて、少しの間入院。……今日、頭を縫うそうよ」
 それだけ言って、返事も聞かずにユキナは教室を出た。
「…………」
 廊下の途中で、ふと足を止める。
「ったく、あいつらは……」
 拳が震えだす。歯がギリギリと鳴る。どうしようもないと解っていても、体の奥底から憤怒が湧き上がってくる。
 義務、正義、理想……そんな美辞麗句で非道を飾り立て、人を殺そうが、人を傷つけようが何とも思わない――――結局、草壁とその取り巻きたちは今も昔も変わっていないではないか。
 あの時もそうだった。
 ――あいつらのせいで、あの子達は……
「人の命を何だと思ってんのよっ!」
 がん! ……と足の爪が割れるのも構わず、ユキナは壁を蹴りつけた。



「肝の座った嬢ちゃんだな」
 ユキナが立ち去ったあと、そう言ったのは烈火だ。
「てっきり腰抜かすほど驚くかと思ったがよ」
「あの人はもともと度胸があります……下手な男よりよほど」
 妃都美は暗に男を馬鹿にした事を言う。
「……さ、今後の事を考えるとしようか」
 まず、これから我々はどうするべきかだが――――と楯身。
「どーもこーも、もうここには居られないでしょ」
 憮然として奈々美が言った。
 そんな事は和也も良く解っている。これだけマスコミで大きく騒いでいて、和也たちの映像まで流れているのだ。仮にここを占拠した部隊が僕たちの事を通報していなかったとしても、火星の後継者に目を付けられずにはすまない。
 なにしろ和也達は、昨日だけで20人以上殺している。これから死ぬ者も含めればもっといるだろう。そしてそれは、すでに火星の後継者の耳に入っているはずなのだ。
 とすれば……火星の後継者は和也達を許さないに違いない。昨日より遥かに苛烈で容赦の無い報復が、和也達を襲う事になるのだ。
「この学校にミサイルぶち込むぐらいは平気でやるだろうな」
「今活発に動いてる連中は湯沢が率いてるらしいからね。あの暴力馬鹿……」
 烈火と奈々美は険しい顔で言う。
 湯沢翔太ゆざわしょうた。元木連軍参謀本部少佐。数人いた草壁の参謀の中でも、特に過激な思想の持ち主として有名だった人物。火星への無差別攻撃を立案したのも彼で、一度は却下されたもののその後の地球の不誠実な態度から計画が再検討され、承認されたという経緯がある。過激派を絵に書いたような人物だ。
 シンジョウや南雲など、有力かつ良心的な人間が軒並みいなくなり、あんな過激派しか残らなかったのでは、火星の後継者がテロ集団に変貌したのもむべなるかな――――と言ったのは、確か楯身だったと思う。
「そうすると、私たちはこの学校から……この町から出て行くしかないんですね」
 妃都美は辛そうにしている。
 そうだろうな、と和也は思った。
 四年という歳月は、別れが辛くなるほどの思い出を育むには決して短くない。ここにいる七人の中には、ここにいない友人を作った者もいるだろう。
 和也にしてもそうだ。
 露草澪――――あの少女と別れるのは、正直辛い。
「和也さんも、露草さんと別れるのは寂しいですか?」
 妃都美が言ってきた。
「そりゃあね」
 地球に来たばかりの頃、和也は周囲から孤立していた。和也に限らず七人全員がそうだった。あの時はお互いに地球人だ木星人だと、不信感が募るばかりだったから。
 そんな中、何の臆面も無しに接してくれたのが澪だった。
 最初は鬱陶しいと思っていたが、今では澪と離れ離れになるのがこんなにも辛い。できるなら行きたくない。
 父親の死からまだ一年しか経っていないのに、この上自分たちまでいなくなったらどれだけ悲しむかとも思う。
「大切な友達……だからね」

 ――――沈黙。

「……隊長。お気持ちはお察し致します。ですが今は、今後の身の振り方を考えるべきでしょう」
 楯身の言葉は厳しい。だがその通りだ。
「解ってる……みんなの意見を聞かせてほしい」
 妃都美が挙手する。
「私は軍に保護を求めるべきだと思います。私たちが火星の後継者と敵対した以上、狙われる事は軍も承知のはず。今ごろはもう施設の確保に動いているのではないでしょうか」
 でもさあ、と奈々美が不満げに言う。
「あたしはいっそ、軍に入って火星の後継者と戦うべきだと思うなあ。あたしらがここを出なきゃいけないのも、元はといえばあいつ等のせいでしょ? 仕返ししてやるべきよ」
 あたしらは強いんだからできるわよ。そう主張する奈々美に、烈火が賛成だ、と同意する。
「俺たちにゃ“力”があるんだ。テロリストだろうがなんだろうが吹っ飛ばしてやれるだけの力さ。今こそそれを有効に使うべきじゃねえのか?」
「でも参戦するとなれば超が付くほど痛かったり、死んでしまうような目に合う事も当然ありえますわ」
 参戦組の二人を睥睨するような目で見ながら、美雪。
「わたくしはまだ『十拳の剣』や『布都御魂』の皆様の後を追う気はございませんわよ」
「……汝殺すなかれ……裁くなかれ。私がそれを言う資格は、もう無いかも知れませんが……」
 美佳も彼女なりの表現で、参戦に反対する意思を示す。
「戦うべしが二人。保護されるべきが三人か……確かに、僕達は木星人だ。地球連合にも地球軍にも義理は無い。奴らのために戦う気はないし、火星の後継者への報復を目的にするとしても、はたして仲間を失う危険を推してまでするほどの事か……な」
 和也の天秤もまた、戦いを避けるほうへ傾く。
 元々生体兵器の間には、同じ改造手術を受けた者同士の連帯意識に似た物があるのかもしれない。まして、和也達はここにいる以外の仲間を尽く失っている。それだけに仲間を失う事に対する忌避感は強いのだ。
 だが、奈々美はそれに反駁する。
「じゃあ、やっぱり統合軍の保護を受けて、軍の用意した施設に隠れて暮らすの? 一生?」
 それも仕方がない――――そう言いかけて、和也はあ、と思い出す。
「……楯身、参謀長の意見はまだ聞いていなかったね」
 全員の視線が楯身に集中する。
『草薙の剣』の参謀と目される楯身は、腕を組んで目を閉じたまま、ゆっくりと口を開く。
「……単なる報復なら自分は反対するがな」
 始めにそう前置きしておいて、楯身は言う。
「だが火星の後継者――――湯沢達をこのままにしていてはいけないとも思う。見ただろう? 奴等が人質もろともここを吹き飛ばそうとしたのを。あれではただの殺し屋集団だ」
 おかげで世界中の木星人に対する心象は悪くなる一方だ。このまま行けば、いずれ排斥運動が始まってもおかしくない、と楯身は言う。それへの異論は誰にもない。
「21世紀に世界を掻き回した宗教過激派の事を思い出してみろ。あれの辿った末路と、後世に残した影響を。木星をあれの二の舞にしていいのか?」
「すると、木星人の名誉を守るため、僕たちは戦うべきだって?」
 和也の問いに、楯身は頷く。
「木星人である我々が火星の後継者を壊滅させれば、少なくとも奴らの行動が木星人の総意の上に無いと宣伝できる。木星人の名誉も守れるだろう……」
「統合軍にも宇宙軍にも、木星人は居ますよ? 私たちである必要はないのでは?」
 僅かに身を乗り出して、妃都美。
「確かに。だが今の我々ほど地球人、特に一般の人たちに名を知られた木星人は居るだろうか?」
 なにしろ昨日の事件は世界中で報道されている。言い換えれば、世界中の人間が和也たちの活躍を知っているということだ。
「いや、なんつうか……すげえな、説得力が違うぜ」
 烈火は感嘆符を漏らす。
「そうだね。今の火星の後継者は、明らかに暴走してる」
 和也は言う。
「これを止める事は、正義を執行するための汚れ役たる僕たちの使命だ。どうせここを出て行かなければならないのなら、その借りを返してやりたい気持ちも確かにあるしね」
「……日和ましたわね?」
 くくっ、と嘲笑って、美雪。
「うるさい。とにかく僕は統合軍に行くよ。みんなはどう?」
「なんだかまだるっこしいけど、文句はないわ。あたしたちの力、見せてやりましょう!」
「木星の名誉をかけた戦争か! 望むところだぜ!」
 主戦派の烈火と奈々美は意気盛んに言う。
「隊長が決めた以上は戦います。私も火星の後継者は許せません」
「……神の御心のままに……」
 反戦派だった美佳と妃都美も彼女らなりの表現で、賛成の意思を示す。
「ふう、揃いも揃って酔狂な方たちですこと」
 ただ一人、美雪は答えをはぐらかす。
「そうまでしてこの欺瞞に満ちた平和が惜しいのですか? 皆さんだって現状に満足しているわけではありませんでしょ。地球は私たちへの仕打ちに何の贖罪もしていない。ならもう一度戦争が始まればいいと思っていらっしゃる方も、この中には何人かいらっしゃるのではないかしら」
 う、と和也を含めた何人かが小さく呻いた。そう思った事は何度もある。
「でしたら火星の後継者に好きにさせても、よろしいのではありませんこと? それが私たちの――――」
「馬鹿を言え」
 楯身は一蹴する。
「確かに自分とて地球連合を許した気は無い。地球にもいつか自分たちの罪を認めさせねばなるまい。だがあのようなテロリズムでそれが果たせると思うほど落ちぶれてはおらん。我々の名誉が汚れるだけだ」
「…………」
「納得できないのなら構わん。美雪は抜けるか? 別に強制はしないぞ」
「いえいえ、そんなつもりで言ったのではございませんわ。私もお供いたしますわよ、勿論」
 茫洋とした態度で美雪は言う。その裏にどんな心境があるのか、和也にはよく解らなかったが――――
 とにかく全員の腹は決まった。
「じゃあ始めるとしようか。木星の名誉を守る戦いを」
 和也は、全員に向かって手を差し出す。
「誓おう。僕たちは必ず火星の後継者を滅ぼす。そして全員揃って凱旋すると」
 はい、と六人が唱和し、七人の手が重なり合う。
 誰一人切ることなく眠っていた剣は、ここに新たな敵を切るべく目覚めた。この七人なら烏合の衆には負けない。後は火星の後継者を壊滅させるためにどう立ち回るかだと和也は思った。



『草薙の剣』の名の元に宣戦布告は成された。
 統合軍の人間と掛け合った結果、和也達は一時統合軍の施設に保護され、その後入隊の手続きを取るという事になった。
 極秘の存在とはいえ『草薙の剣』は元木連軍の一部隊。当然、それに所属していた七人には軍歴も存在する。入隊から実戦に出るまで、さして時間はかからないだろう。
 それが決まってまもなく――――彼等は、僅かばかりの私物を持ってオオイソを去る事となった。

「……まさか、こんな形でここを出る事になるなんてなぁ……」

 統合軍の用意したバスの中、頬杖をついて窓の外を見ながら烈火が呟いた。全員が応える代わりに窓の外をじっと見ているのは、すっかり住み慣れたこの町と学校との、最後の別れを惜しんでいるのだろうか。
「いまさら名残惜しくなりましたの? 相変わらずでかい図体していらっしゃる割に小心者ですのね」
 せせら笑う美雪に、妃都美が反論する。
「美雪さん。そういう言い方はよくありません。誰でもお別れは辛いものです」
「そういや、俺もサークルの連中にお別れを言ってねぇな」
 烈火は『兵器愛好サークル』なるものを主催していた。メンバーは烈火のほかに三人。兵器マニアというか、兵器オタクの集団というイメージが強く、評判は決して良くなかった。
「だったら、なぜお別れを言いませんの? 皆さん携帯はお持ちでしょうに」
 意地悪く言う美雪に、「何を言えと?」と反論したのは以外にも美佳だった。
「……言っても別れが辛くなるだけです……それに、私たちの素性を聞かれるのも具合が悪いです」
 そう言って、美佳は俯く。
「……私も……夏休みには、友人とホウメイ・ガールズのコンサートを見に行く予定だったのですが……」
 美佳の声は暗い。
 それにつられてか、一同黙り込む。
「あー、みんなして暗い! あたし等はこれから戦争に行くのよ!? もっとこう、熱くならないの!?」
 奈々美はボクシングの真似事を始める。この中では奈々美と美雪が最もダメージが軽微なようだ。心残りになるほどの友人もいないということだろうか。
「……なあ楯身。僕たちが火星の後継者を叩き潰したら……またここに戻ってこれるかな」
 和也は沈鬱な面持ちで、隣に座る楯身に言う。
「そうですな。我々がここへ戻って来る時、皆が笑って迎えてくれる。そんな日が一日でも早く来るよう頑張りましょう。そのためなら自分は命を賭す所存であります」
「おいおい、命を賭すだなんてやめろよ。縁起でもない……」
「覚悟を申し上げたまでであります」
 はあ、と適当に相槌を打ち、和也は窓の外に向き直る。
 と、不意に腰の辺りに振動を感じた。マナーモードになっていた携帯のバイブレーションだった。どうやら電源を切り忘れていたらしい。
 ――まさか……
 不吉な予感を感じつつも、腰のホルダーから携帯を取り出す。
 着信は――――白鳥ユキナ。
「…………」
 案の定だった。
 出るべきか否か迷ったが、ユキナにはもう話してしまったのだ。なら仕方ないと判断し、意を決して通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
 罵倒が来ると覚悟したが、それは杞憂に終わった。『あたしよ』と聞こえたユキナの声は穏やかとはいかないまでも落ち着いていた。
『行くのね? お早い出発だこと』
 どこに行くのかとも、どうして行くのかとも、ユキナは聞かなかった。そういえば教室にきたときもユキナは今後の事は聞かなかった。彼女もこうなる事は予想していたのかもしれない。
「ごめん。早く行かなきゃと思って……」
『みなまで言わない。そうだろうと思って……ほら』
 ふっとユキナの顔がウィンドウから外れる。そして、
『……和也ちゃん?』
 ユキナと入れ替わりに映ったその顔に、和也ははっとした。
「澪……」
『……行っちゃうんだね?』
「澪……僕は……」
 ――何を言えって言うんだ。
 お節介を焼いたユキナを恨みに思いつつ、和也は必死に文学知識を総動員する。
 必ず帰ってくる? そんな台詞、澪はもう聞き飽きただろう。
『和也ちゃん……』
 澪は言う。
『約束、したよね? お父さんの代わりに、私を守るって……』
 それは一年前、澪の父が死んだ時に交わした約束だった。
 忘れてなんかない。だけど。
「……ごめん。約束は守れそうにない」
 和也は正直に言った。
 何を言おうが言い訳にしかならない――――そう思ったから。
『うん。解ってる』
 澪は言って、少しの間言葉を詰まらせる。そして数秒の後いつも通りの、それでいて懸命にそうしているのだと解る明るい声で、
『あのさ、私……大丈夫だから! 和也ちゃんたちがいなくても平気だよ。だから……和也ちゃんも私の事は心配しないで、元気でいて、ね?』
 そう言って、笑ったのだ。
 いじらしい。そう思った。
 この期に及んで、澪は和也を気遣っているのだ。
 行かないでと喚いたところで無駄なのは解っているから、せめて元気でいて――――と。
「わかった。どんな所でも絶対に元気でいる。だから……澪も元気で」
『うん……』
 そして、ウィンドウから澪の顔が消え、『お別れは済んだ?』と再びユキナが映った。
『あんたたちがこれから何しようが勝手だけど、もう澪ちゃんを悲しませる真似は絶対にしないでよ』
「はい」
『誰かが死ねば誰かが悲しむの。一人死ねば十人は泣くのよ』
「白鳥さん……?」
『誰かが死んで誰かが泣く。あたしはもう、そんなの見たくないのよ……』
 だから、とユキナは言う。
『また澪ちゃんに会うまで、絶対に死ぬんじゃないわよ! もし澪ちゃんを泣かせたら、地獄の底まで追っかけてぶん殴ってやるからね!』
「……解りました」
 和也の返事に、よし。とユキナは頷いた。
『行ってらっしゃい……和也ちゃんたち』
 ぷつっ、とウィンドウが消えた。
「…………」
 沈黙した携帯を、和也は両手で握り締める。
「澪……ごめん」
「隊長。いまさら悔やんでも何にもなりませぬ」
 そう、楯身。
「解ってる……だけど……」
「けど、でも、だって。隊長ともあろう者が部下の前で使っていい言葉ではありませぬな」
 楯身は辛辣だ。
「露草殿の事が心残りなら、せめてこれからでも彼女のためにしてあげられる事、してあげたい事を考えるべきでありましょう」
「これから……澪にしてあげられる事?」
「ええ。彼女とは当分、あるいは二度と会う事は出来ないかもしれませぬが、それでも隊長が彼女のために何かしたい事があるなら、それを為すべきであります」
「僕が……澪のためにしたい事」
「その時は、微力ながら我々も力添えいたしましょう」
「……ありがとう。楯身」
 和也は微笑み、楯身も微笑み返した。
 エンジンが唸りを上げ、バスがゆっくりと動き出す。
 彼等の望む場所へ。殺し合いの地へと走ってゆく。



 和也達を乗せたバスが走り出すのを、ユキナと澪はとある建物の屋上から見ていた。
「行っちゃったわね……」
 うん、と力無く頷いた澪は、がっくりと肩を落とした。
「……もう会えないのかな。和也ちゃんや、木星人のみんなに……」
「帰ってくるわよ」
 澪の肩に手を置いて、ユキナは言った。
「待ちきれないなら、追っかけていきなさい」
「でも……」
「でも、じゃないでしょ。和也ちゃんは澪ちゃんの何?」
「和也ちゃんは……私の……」
 俯いたままで、澪は言う。
「私の……」
 肩に置いた手から、澪の震えが伝わってくる。ユキナは澪の背中に寄り添うようにして、
「私の?」
「私の……大切な人……だよ」
 言い切り、わっと涙が溢れ出した。澪はユキナの胸にすがって、とめどもなく涙を流した。
「大切な人だから……一緒に居たいよぅ……!」
 よしよし、とユキナは澪の体を抱き寄せる。姉が妹を慰めるように。
「ほんとに、澪ちゃんはいい子だね……大丈夫。きっとまた会えるから」
「和也ちゃん……和也ちゃんのバカ……!」
「そうだね。悪いのは和也ちゃんよ」
 また会えたら、うんとお仕置きしなくちゃね……そう囁いて、ユキナは子供のように泣きじゃくる澪をただ見詰めていた。



 同時刻、某所――

 机、書棚、そしてコンピュータの端末。六畳ほどの広さの部屋に置かれた物の、それが全てだった。
 生活観のまるで感じられないその部屋で、黙々と書類に目を通す、一人の男がいる。
 火星の後継者の制服に身を包み、年の頃は三十代半ばから四十代。少々顎の突き出した風貌はいかにも軍人然としており、鋭い目つきがその雰囲気を助長している。草壁元中将には負けるかもしれないが、それでも一目で只者ではないと感じさせるだけの存在感を、その男は醸し出していた。
「む……」
 不意に端末から着信を示す電子音が鳴り、男は端末の通話ボタンを押した。
 現れたウィンドウに移っていたのは、三十歳前後の、やはり火星の後継者の制服を着た男だった。細身ながらもその肉体には鍛え上げた筋肉の存在が感じられ、両眼には確かな覇気がある。だが何処か斜に構えた顔つきが、質実剛健な軍人のイメージとは違う雰囲気を醸し出している。
 先の男が軍人ならば、この男は参謀と言った所だろうか。
 この部屋の主は、名を甲院薫こういんかおる。密かに、だが着々と軍備増強を推し進める火星の後継者・甲院派の首魁である。
 そしてそこへ通信を入れた男は、現在世界各地で苛烈なテロ活動を展開する火星の後継者・湯沢派の首班、湯沢翔太。
 火星の後継者の二大派閥の統率者。その会合であった。
「何の用だ、湯沢」
 甲院は単刀直入に言う。とかく余計なことは一切言わず、必要な事だけを求める口調。
 湯沢はその態度を別に不快とは感じない。昔からこうなのだ、この男は。
『昨日実行した作戦の事だがな……大変な事になった』
 湯沢は先日の作戦――――日本の学校を占拠し、草壁中将と同志たちの解放を地球連合に要求する作戦の推移を、簡潔に伝えた。
 要約するとこうなる。
「そうか、作戦は失敗……部隊も全滅か」
 甲院はそう、抑制の効いた口調で呟いた。
『すまん。装備を提供してもらっておいてこのザマだ』
「構わんよ。もともと成功する見込みの無い作戦だ」
 甲院は素っ気無く言った。
 彼は最初から作戦が成功するなどとは思っていない。学校という意外な場所を攻撃して地球人に動揺を与えるのが目的だ。攻撃されるという恐怖で敵を縛り、操る。それがテロという戦争方法の本質だ。
「しかし一晩というのはあまりにも早すぎるな。貴様、功を焦ったか? それとも現場で何かあったか」
『それなんだが、今朝になってとんでもない情報が入ってきた』
「情報?」
 甲院は訊き返す。
『ああ、まずはこいつを見ろ』
 甲院の前にもう一つウィンドウが現れ、今朝のニュース映像が映し出される。夜の学校を舞台に繰り広げられる銃撃戦の映像。戦っているのは湯沢配下の兵士たちだ。敵は軍の突入部隊かと思ったが、どうやら違うらしかった。
「ほう。まさかあれは……」
『俺もこいつを見たときは驚いた』
 あの規格外れの戦い方……ある者は素手で軽く兵士を殴り倒し、ある者は桁外れの跳躍力で兵士を翻弄する。あれは……
「生体兵器か……まだ生き残りがいたとはな。しかしなぜあのような所に、なぜ我々と敵対する……」
『それについては調査中だ。また連中もその後行方が解らん。まあ大方地球軍の施設に行ったのだろうが……なに、すぐに見つけ出して、然るべき報復をしてみせる』
「報復か。しかし連中が生体兵器の生き残りとすれば、我々と同じ木星人のはずだが」
『地球に味方し我々に弓引いた裏切り者に情けは要らん! 秋山とその犬どもと同じだ。尤も最初からそんなものは持ち合わせていないがな!』
 湯沢は一蹴する。
 ふむ、と甲院は顎に手を当てて、しばし黙考する。
『なんだ、何か言いたい事でもあるのか?』
「いや、お前が何をしようと私は干渉せんよ。上手くいっている限りはな。……とにかく、また葬式をせねばならんな」
『判っている。だがこちらは今手が離せん。悪いが式は任せる。同志たちを弔ってやってくれ』
「了解した」
 湯沢は一つ頷き、通信を切った。
「生き残っていた剣、か……」
 甲院は、一人呟いた。



「僕は負けないよ。火星の後継者にも。そして……」

 少年は決意する。

「……本当にやるのね?」
「うん。もう待ってるだけなのは、嫌なんだ」
「わかった。澪ちゃんがそういうならあたしも手伝うわよ。……それじゃ、まずはあの人に連絡して……」

 少女は行動する。

「全ては勝利のためだ。今はまだ早い。だが機はいずれ熟する……必ずな」

 戦人は黙考する。

 それぞれはそれぞれの思惑を胸に、目的へと邁進する。
 行き着く先は、未だ見えない。 








あとがき

 さらばオオイソ。また会う日まで……
 というわけで主人公一行、テロとの戦いを決意。涙のお別れでした。
 結局主人公たちは木連によって作られた改造人間だったと言うオチ。ベタですかね?
 ちなみにこの話では、「戦前の木連は地球よりある程度遅れている」という前提になってます。だから改造手術と言ってもナノマシンなどは使っていません。ましてや小型相転移エンジンなんて物を搭載してる奴は居ません。(笑)
 今回涙のお別れなのですが……いまひとつキャラの感じてる悲しさを表現しきれていない気が。
 いかんせん、私は心理描写が苦手なのです……人の心理を上手に書くコツって無いもんでしょうか?
 次は再び黒ルリパートになりますね……オリキャラたちの性格を売り込むのは少し送れそうです。申し訳ありません。

 それでは。また次回でお会いしましょう。

追記 2006年05月30日に改訂しました。

 まずプロローグと第一話にスタイルシートを適用。第二話を大幅加筆した他、気に入らないところを修正です。



感想代理人プロフィール

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代理人の感想

まー、こうなるでしょうなぁ。

ただユキナのハッパが功を奏したかと見えたのも束の間、なんか話が変な方向に進んでますが。

大丈夫かなぁ。

 

追伸

連中最初からどう見ても改造人間でしたって(爆)。