注:この小説には一部残酷な表現があります。苦手な方は読まない事をお勧めします。



 照明の落とされた広い部屋の中、中央に配されたテーブルが無機質な光を放っている。
 ここは連合宇宙軍本部ビルの会議室。
 居並ぶ連合宇宙軍の高官たちがテーブルを囲み、その明かりに各々緊張した顔を浮かび上がらせている。そんな彼等の視線の先には、ある男の顔を映し出したウインドウが大きく表示されていた。
『今しがた演習が始まったそうだ。まあお互いベストを尽くす事にしよう。地球の平和と秩序のためにな』
 ウィンドウに移る五十代過ぎの白人の男は、豊かな白い口髭を蓄えた顔を不愉快そうに顰め、それを隠そうともせず慇懃無礼に言った。
 男の名はジェイムス・ジャクソン。地球連合統合平和維持軍、総司令官である。
「地球の平和と秩序か。あー、それもそうだが、今回の演習には宇宙軍と統合軍、両軍の連携を深めるという目的もある。そこの所をよろしくお願いする」
 連合宇宙軍総司令官、ミスマル・コウイチロウは彼なりの鷹揚な調子で言う。
 今回の地球連合軍第一次対テロ総合演習が宇宙軍と統合軍の合同となった理由として、両軍の信頼関係を構築するというものがある。
 反駁し合い、足を引っ張り合う統合軍と宇宙軍。この一大事に何をやっているのだもっと仲良くしろと、地球連合政府は再三申し入れてきたものだ。尤もそんな事で対立が収まれば誰も苦労などしていないが。
 一項に改善されない両軍の関係にしびれを切らしたか、数日前に両軍の親睦を深める取り組みをするようにと、連合政府から命令が下った。そう。『命令』である。
 政府の命令とあっては無視は出来ない。そこで両軍の信頼関係を構築する取り組みの一環として、今回の演習を合同で執り行う事になったのだが……
『解っておるさ。連合政府からのお達しだからな』
 それが無ければ誰がお前等との合同演習など……腹の中でそう言っているのが目に見えるようだった。
 元連合海軍所属のこの男もまた、統合軍に属する多くの将兵と同じく宇宙軍に敵愾心を持っていることは、コウイチロウもよく知っている。
 コウイチロウ個人は別に統合軍に悪感情は持っていないが、こうも目の仇にされると信頼関係などどうすれば作れるのか、正直想像もつかない。
「まあ、そう固くならずに。もっと穏やかに……」
『おお、通信が入った。私は一旦失礼する』
 ぷつっ、とウィンドウが消えた。会議室のそこここから深い息が漏れる。
「まったく、大した戦果も上げていないくせに、何を偉ぶっているのか……」
 高官の一人が、通信が切れたのをいいことに毒を吐く。その胸には、宇宙軍内部で密かに勢力を伸ばしつつある『ある団体』の一員である証のバッチが光っていた。
「やれやれ、困ったもんですな」
 コウイチロウの横でそう言ったのは、連合宇宙軍総参謀長、ムネタケ・ヨシサダだ。
「両軍の関係がこのままで良いとは思いませぬが、この調子では今後どれだけ人的交流を推進しても効果はどれだけあることやら。先が思いやられますな」
「うむ……」
 コウイチロウは頷く。
 今後、両軍の人的交流はさらに推進される事が決まっている。現在編成が進みつつある対テロ部隊も、その一部を相互に『出向』させるなどの取り組みがされる。
 しかし、それすらも空しい努力としか思えないのが悲しい所であった。
「はてさて、どうなる事やら……」
 最近どうも胃のあたりが重たくなってきたのを自覚しながら、コウイチロウは自慢のカイゼル髭を指で撫で付けた。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第六話 暴力への意志 前編



 群青色の海の中、孤独に浮かぶ見捨てられた人工島、高天原。
 戦争によって傷つき打ち捨てられ、後は静かに朽ちる時を待つばかりだったその島を、たった一つだけ忘れていないものがある。それが太陽だ。
 八月の太陽は呪わしいまでに盛りで、街は一面がオーブンのよう。道路や建物のコンクリートは貪欲に熱を吸い込み、視界を陽炎に揺らめかせる。
 そんな街中で蠢くのは武装した兵士たちだ。完全武装の兵士が敵を求めて街を走り、その上空を機動兵器が飛び交う。さながらまた戦争が始まったかのように。
 地球連合軍対テロ総合演習。
 頻発する火星の後継者・湯沢派による強力なテロに対抗するため、創設される事となったカウンターテロ部隊。その育成のために宇宙軍と統合軍が不本意ながら合同で執り行う事となった演習は、予想した以上に過酷なものとなった。
 太陽は誰の上にも平等に光をもたらす――――と言えば聞こえは良いが、対テロ演習に参加する兵士たちにとっては、ただ演習の過酷さに拍車を掛けるものでしかなかった。天から降り注ぐ光線は温室効果ガスや海からの照り返しなどとの相乗効果も相まり、容赦なく兵士たちの体力を奪っていく。
 時刻は正午を過ぎ、いよいよ暑さはピークを迎える。
 その苛烈な暑さに耐えながら、彼らは廃墟の街を駆けていた。

「はっ……! はあっ……! みんな、頑張れ! ここでつまずいてたら話にならないぞ!」

 先頭を行く黒道和也の叱咤が飛ぶ。
 だが田村奈々美にはそんなものを聞いている余裕は無かった。流れる汗は滝のようで、額の雫が目に入り視界が遮られてもそれを拭っている暇さえない。
 かつて『草薙の剣』と呼ばれていた七人の少年兵。彼等は全力で、一陣の風となって――――
 逃げていた。
「ちくしょーっ! なんでこうなるんだあっ!」
 山口烈火が大声で叫ぶ。その後ろからひゅんひゅんと恐ろしい擦過音を立てて訓練用ペイント弾が飛んできて、時折爆音が彼等のすぐ傍で轟いては盛大に砂煙が舞う。彼等も何度か苦し紛れに反撃するが、当てられるはずもない。
「うわあああ、死ぬ死ぬ! これじゃ死んじまうぞおい!」
「喚いている暇があったら走れ! さもなくば死ぬぞ!」
 泣き言を漏らす烈火を立崎楯身が一喝する。
 まさに、惨めな敗走の図。
 畜生、と奈々美は唸る。
 ――屈辱だ。生体兵器のあたしが、こんな無様に逃げ回らなきゃならないなんて。
「はあ。仕方ありませんわね」
 影守美雪は残り少ない手榴弾を取り出し、安全ピンを外して放り投げた。それを見て、奈々美達を追い掛け回してきた宇宙軍部隊は散り散りに身を隠す。
 背後で爆音が響く。多少の時間稼ぎにはなったろう。
「この調子では、もうすぐ手榴弾を使い切りますわよ?」
「解ってる。節約できるよう努力するよ……美佳、振り切れた?」
「……とりあえず、敵はこちらを見失ったようです……あ、三時方向から反応。来ます」
 神目美佳が言い終わるか終わらないうちに、巨大な影が奈々美達の頭上を横切り、それによって生じた突風が彼等を嬲った。
「しつこい奴……! そんなんじゃ女の子にもてないよ!」
 和也が虚勢を張る。だがそんなものは何の気休めにもならない。
 現れたのは青いカラーリングのエステバリスだった。両肩には連射式のキャノン砲らしき物を装備し、おまけに先ほどミサイルまで肩から撃ってきたのを見た。量産機とは比べ物にならない火力。個人用のカスタムメイドなのだろう。それが許されるという事は、乗っているのはエース級の凄腕パイロットという事だ。
 少し前、空からいきなり降ってきたこいつに轢き殺されそうになり、それから目を付けられてしまったらしい。助けにきてくれた味方機はあっさりと撃墜され、彼等はこいつと敵の歩兵から死力を尽くして逃げ回らなければならなくなったのだ。
「烈火、貸しなさい!」
 奈々美は烈火の持っていた携行型対機動兵器ミサイルを奪い取り、烈火の抗議の声を無視して照準。ロックオンを知らせるブザーが鳴ると同時に発射した。
 白煙を引いて飛翔するミサイル。しかしエステバリスはデコイも何も使わずひらりとそれを躱し、逆にラピッドライフルの下部に取り付けられた対人用ミニガンを和也達へ向けてきた。
「たっ、退避ー!」
 和也達は大慌てで近くの路地へ逃げ込む。一拍遅れて瀑布のような勢いでペイント弾が降り注ぎ、先ほどまで和也達の居た辺りを真っ赤に染め上げてしまった。
「このっ!」
 真矢妃都美が身を翻し、上向きにアカツキN7狙撃ライフルを構える。獲物を逃すまいとエステバリスが顔を出した瞬間、頭部のアイカメラに向けペイント弾を放った。
 三連バーストで撃った弾はエステバリスの顔のすぐ脇を掠めた。外れた。妃都美は壮麗な顔を悔しさに歪める。
 だがアイカメラを狙われ驚いたか、エステバリスも一瞬たじろいだように見えた。その隙にまた逃げる。
「ふう。さすがにこんな狭い所までは追って来られないか……」
 と、和也が安堵の声を漏らしたのもつかの間。
『おーい! こっちだ! こっちに敵の歩兵が居やがるぞ!』
 いきなり響いた大声にぎょっとした。
 考えるまでもない。あの青いエステバリスのパイロットが外部スピーカーの音量を最大にして叫んでいるのだ。
「あの野郎!」
 烈火が怒鳴ったが、それでどうなるわけでもない。すぐに「いたぞ!」と先ほど撒いた敵に見つかり、そしてまた逃げる。
「畜生……!」
 悔しさと口惜しさに、奥歯が折れんばかりの力で歯噛みする。
 奈々美たちは、逃げる事しか出来なかった。逃げる事しか…………



「チッ、見失ったか……逃げ足の速い奴らだな」
 タカスギ・サブロウタ少佐は面白くなさそうに舌打ちした。銃声が鳴り止んだところを見ると、下の歩兵部隊も振り切られたか。
 歩兵風情に逃げられるとは……とんだ失態だ。さてなんと言い訳したものかと頭を巡らせる。
 が、いい文面を考え付く間もなく通信を知らせる電子音が鳴った。
『ご苦労ですね。タカスギ少佐』
 労いの言葉をかけるホシノ・ルリ中佐に、サブロウタは苦笑いで答えた。
「面目ない。逃げられちまいました」
『あなたほどのパイロットが目標を逃がすなんて、信じられません』
「はは、それは光栄な事で。……ただ、なかなか逃げ足の速い連中でしてね」
『そうですか。それで、その部隊の実力はどうですか?』
 ルリの問いに、サブロウタは正直に答えた。
「ダメダメっすね」
『…………』
「統率はある程度取れているように見えたっすが、攻撃はばらばらで、連携も俺から見れば雑なもんです。ありゃどう見ても慣れてないヒヨッコっすね。なんであんなのがこの演習に参加してんだか……」
『厳しいですね』
 と、マキビ・ハリ中尉の声が聞こえた。
 サブロウタはそちらにも回線を繋ぐ。
「当たり前だろうが。あいつ等はこれから戦いの最前線に立たされんだぞ。生半可な腕前で来られたら死んじまうよ」
 対テロ戦で物を言うのは量より質だ。にも拘らずあんなヒヨッコを送ってくるとは……サブロウタは憤懣のこもった息を吐く。
『でもその人たちは、さっき四人撃破のスコアを出していますよ。強いんじゃないですか?』
 ハーリーの疑問符に、サブロウタは「ああ、俺もそれは気になったんだが……」と言葉を詰まらせ、少しの間考え込む。
 正直に言えば、あの部隊にそれだけのスコアが出せるとは到底思えなかった。出来るとしたらよほど運が良かったか、もしくはやられた部隊が例の部隊以上のザルだったかのどちらかだろうが……
 なんとなく、引っかかるものがあった。
 ――まさかな。
 自分の想像に、自分で眉に唾する。
『何か、思い当たる事でも?』
「ん……いや、例の奴らは一生分のラッキーをここで使い果たしただけでしょう。そうでけりゃ四人撃破なんて無理無理」
 突っ込んできたルリに、かなり失礼な事を言ってごまかす。
『そうですか。……はあ』
「何ですか、ため息なんかついて。幸せが逃げますぜ」
『いえ、その人たちはきっと強い人たちなんだろうと期待していたんですけど……』
「統合軍の所属ですぜ。あいつらは」
『そんなのどうだっていいです。火星の後継者と戦う役に立ってくれるのなら、どこの人だろうと役に立ってもらうつもりでしたけど……期待外れ、ですね』
 ルリの物言いに、サブロウタは僅かながら不快そうに眉を顰めたが、本人の手前、普通を装って言う。
「まあ、強い奴ならほかに幾らでも居るでしょ。それじゃ、そろそろ切りますぜ」
『はい。リョーコさんに会ったらよろしくお伝えください』
 ルリのウィンドウが消え、サブロウタはふう、と深い息を吐く。……やはり、あんなルリの姿を見るのは気持ちのいいものではない。
『サブロウタさん……』
 心中を察してくれたのか、ハーリーが心配そうに声をかけてきた。
「なに、気にすんな。それよりハーリー。さっきの奴らが逃げた方向、解るか?」
『あ、は、はい……先ほど敵部隊は、第12分隊の追跡を振り切って東の方へ逃げたようです。その後の消息は不明ですが……』
 おそらく、これまでのマイナス点を取り返そうと必死に動くはずだ。とサブロウタはあたりを付けた。それに備えて今は一休みの最中、といったところか。
「たぶん人質救出を狙ってくるな。とすりゃ、次に奴らが出て来る場所も大体予想できるか……」
『あの、追いかけるんですか?』
 ハーリーの問いに、サブロウタはああ、と答えた。
 誤解のないよう申し添えておくが、サブロウタに弱い者イジメの趣味は無い。本当ならあんなヒヨッコ連中はもう相手にしないところだ。
 ――しかし、さっきの奴等ただのヒヨッコなのか?
 サブロウタは全周囲スクリーンの右側に視線を移す。ほんの少し、赤い塗料が付着していた。先ほどヒヨッコ連中を追い掛け回した時、その反撃で付いたものだ。
 ライフルはエステバリスに対する有効火器ではないため、いくら撃ったところで損傷判定はされない。恐らく演習で使用しているのがペイント弾という事を利用して、目を潰す目的でアイカメラを狙ったのだろう。
 まともに考えれば、ライフルでアイカメラを狙うなど正気の沙汰ではない。結果としてサブロウタは想定外の行動に驚き取り逃がしたわけだが、判断としては褒められたものではないだろう。殆ど自殺行為に近い。
 とはいえかなりきわどい所へ弾を通したのも事実。まぐれかもしれないにせよ、あの状況でこれだけ性格に狙いをつけられるなら大したものだ。相手に多少のラッキーがあれば目を潰されていたかもしれない。
 ただの新兵にこんな芸当が出来るとは思えない。常識ならただのまぐれ当たりか何かと考えるのが妥当だろうが、サブロウタの中にはある一つの疑念があった。
 ――あいつら……まさか生体兵器……か?
 聞いた事はある。あらゆる倫理を無視し、戦争のために体を兵器に改造された兵士。それについては最上級の機密事項で、民間への公表は五十年あるいは百年先。地球軍内部でも一部の高官しかその存在を知らない木連の暗部。
 サブロウタもそれを知ったのは戦後、上官であった秋山源八郎から聞かされた時で、それまではただの噂話と思っていた。
 結局、生体兵器は期待されたほどの戦果を上げる事もなく、戦争と熱血クーデターの際にほとんどが戦死し、ほんの僅かな生き残りは移民に混じって地球で暮らしているという。生き残りは全員が子供だというし、せめて平穏に暮らしていればいいと思う。
 しかしさっきの連中は明らかにただの兵士とは違った。考えすぎかもしれないが、本当に生体兵器ならそれを確かめたかった。それが連中を追う理由の半分。
 そしてもう半分はというと――――
「美人、だったな」
『え? 何か言いました?』
 サブロウタはその弾を通した兵士の顔を思い出す。一瞬だけ見えたがあれは確かに女だった。流れるような黒髪に細く凛々しい顔立ち。その凛とした視線は弾丸より鋭くサブロウタを射抜いた、まさに日本風スナイパー・ガール。
「スバル中尉が居るのに悪いが、また違った味わいがあるよな……」
 知らず口元に笑みが浮かぶ。
『……サブロウタさん? 何を考えてるんですか? もしもーし?』
 そのハーリーの声は、もうサブロウタの耳に入っていなかった。

 地球連合宇宙軍少佐、機動戦艦ナデシコB副長兼パイロット、タカスギ・サブロウタ。

 悪癖の発露であった。



 突然に、ぞくっ、と妃都美が酷暑の中で身を震わせた。
 和也は何事かと声をかける。
「どうした? 妃都美」
「いえ、なんだか少し寒気が……」
「おいおい。こんなくそ暑い中でかよ」
 呆れたような調子で、烈火。
「暑さにやられたんじゃないのか? 気をつけてよ」
「いえ、平気です」
 ……とまあ、そんなやり取りを間に挟みつつ、七人の生体兵器は日陰に集まって小休止を取っていた。
 とりあえず全員生きてはいるものの、何人かは手や足にペイント弾を喰らい負傷判定を受けている。なによりこの炎天下で走り回ったせいでほぼ全員が早くも疲労困憊。消沈した顔は陰影の濃い日陰で余計に暗く見える。
「しっかし、最初に奇襲が上手くいったからって正面からやってみたらこれだ……」
「だから正面突撃なんて野蛮な真似は止めましょうと申し上げましたのに。おかげで酷い目にあいましたわ」
 烈火が愚痴を漏らし、美雪がなじる。
 美雪を前に立てた奇襲攻撃で四人を仕留めたまではよかったのだが、調子に乗って正面から敵と当たったらこの有様だ。いかな生体兵器といえど、正攻法ではベテラン兵士に敵わない事を思い知らされる。
 木星にいた頃は死ぬ気で訓練を積んで来たが、四年のブランクはいかんともしがたい。この一ヶ月で多少は調子を取り戻したつもりだったが、やはりまだまだだ。
「でもここでつまずくわけにはいかない。せっかく掴んだチャンスなんだ。ここを逃したら次の機会はいつ来るか」
 もともと和也はこの演習に参加できるとは思っていなかった。参加している者の多くは戦争を行きぬいた経験者やベテランで、入隊一月足らずの和也たちの入り込む余地はないと、そう思っていたのだ。
 だから演習への参加が許された時は正直驚いた。和也たちが将来有望と判断された――まずありえないと思うが――のか、それとも生体兵器の力を過大に評価されたのかは解らないが、いずれにせよ振って沸いたチャンスだ。ここで好成績を収めれば実戦への近道になるだろう。
 それだけに、この失点はなんとしても取り返さねばならなかった。
「なんとか挽回しないと……どうするべきかな、参謀長」
 和也は楯身に伺いを立てる。
「とにかく我々の優秀さを上にアピールするしかありますまい。やはり一番有効なのは美雪を前に立てた奇襲戦法でありましょうが……」
「そう何度も同じ手が通用するとも思えませんわね」
 あまり頼られても迷惑だと言わんばかりに、美雪。
「ああ、もうまだるっこしい……そんなに悩むほどの事でもないでしょうが」
 と、地獄の底から響くような低い声で言ったのは奈々美だ。声が低いのは機嫌が悪い時の奈々美の癖だ。
「人質の一人も助けりゃ点が貰えるでしょ。それで失点は取り返せるわ」
「またストレートだね……」
 言いつつ、和也はコミュニケで仮説司令部のオペレーターへ通信を繋ぐ。各分隊にはそれぞれ一人のオペレーターがついていて、和也たちにも専属の係が一人いる。
「オペレーターさん。周辺の地図を見せてください。それから、ここから近い人質の居場所を」
『了解』
 すぐに島の全体図を表示したウィンドウが現れる。そこで幾つか光る光点は現在確認されている人質の居場所――人質ポイントと呼ばれる――だ。建物の中にあるそこへたどり着くことができれば、人質解放と見なされる。それによって稼げる点数は大きい。
 無論、障害も多く、辿り着くまでには多くのトラップを突破しなければいけないわけだが。
「それが一番手っ取り早いね……奈々美の案でいくか。狙うとしたらここかな」
「よし! そうと決まったらさっそく行こうぜ」
「まて。みんな走り回ってへとへとだ。もう少し小休止にしよう。美佳、誰か近づいてくる奴等がいたらすぐ……」
「……機動兵器らしい物が一機、近付いてきています」
「へ?」
 思わず間の抜けた声を上げてしまったその時、遠くから荒々しいモーター音が聞こえてきた。聞き間違えようも無い。エステバリスのダッシュローラーの音だ。
「接近しているのは何? 敵か?」
「……IFFを働かせていない事からして、敵と思われます。真っ直ぐにこちらへ向かっています」
「まさかまたあいつじゃないだろうな……もう逃げるわけにもいかないし、やるしかないか」
 和也の問いに、楯身が頷く。和也はすぐさま迎撃の態勢を整えるよう指示を出し、各々武器を手に物陰へと身を隠す。
「さあ、いつでも来い……」
 自身を鼓舞するように、呟く。
 烈火が携行ミサイルで敵を狙い、他のメンバーがそれを援護する。こちらは美佳のレーダーで敵の動きが良く見えるし、敵がどれほどの腕前だろうが不覚を取る事はありえない――――はずだった。
 だが美佳が半ば引きつった声を上げかけたのと、和也たちの頭上を巨大な影が被ったのはほぼ同時だった。
「な……!」
 泡を食う。ビルの上から一気に躍り出たそれは、頭を下にした態勢で和也達に銃口を向けてきた。気がついた頃にはもう全員がキルゾーンに捉えられ、身を隠す暇さえなかった。
 ミニガンが火を噴く。無駄と知りつつ両手で頭を庇う。そして聞こえる弾着の音。
 ――ああ、とうとう死んでしまっ――――
「……て、ない?」
 恐る恐る目を開ける。目を開けて……戦慄した。
 発射されたペイント弾は、和也のすぐ傍の地面を真っ赤に染め上げていたのだ。距離は僅か数センチ程度。あと少しずれていたら死亡判定だった……! どっと冷や汗が湧き出す。
 見れば他のメンバーも似たようなものだ。全員すぐ傍に着弾しているにも拘らず誰も一発も喰らっていない。これが偶然のはずがない。わざと『外した』のだ。
 そして、そのとんでもない芸当をやってのけたエステバリスは、いままさに和也達の目の前に着地した所だ。真っ赤に塗装されたそれは0G戦フレームの重力波ユニットを二つに増設したハイパワーカスタムタイプ。つまり乗っているのはまたしてもエースパイロットに他ならない。
 そのエステバリスはゆっくりと、和也達の方へ振り向き――――

『よう、ガキども! 生きてっかあ?』

「スバル中尉……」
 外部スピーカーで荒っぽい女性の声が響き、和也ははあ、と安堵とも諦めともつかない息を漏らした。



「汚いわよあんた! 上から降ってくるなんてありなわけ!?」
 奈々美は見事な――彼女からすれば卑劣な――奇襲攻撃を仕掛けてきた赤いエステバリスに向かって猛然と抗議の声を上げる。いつもながら凄まじいその剣幕に誰もが一歩引くが、そんな事を意に介す奈々美ではない。
『戦いに汚いもくそもあるかよ。敵は前から来るとは限らねえって事だ。……青いねえ』
「くっ……」
 奈々美が押し黙ったのを見て、ウィンドウに移る赤いエステバリスのパイロット――――スバル・リョーコ中尉はふふんと鼻で笑った。
 この女性らしさとは百光年ほど縁遠いパイロットの女とは数日前、演習に参加する部隊の顔見せの時に知り合った。烈火が彼女の事を知っていて、顔を見るなり銃にサインしてくれと頼み込む始末だった。
 なんでもリョーコが乗っているエステバリスはエース専用のハイパワーカスタムで、彼女はその発案者なのだとか。なのでその手の人間の間ではとても有名な人物だそうだ。
 烈火は彼女とお近づきになれて大層ご満悦のようだが、奈々美は正直この女が気に入らなかった。同じ統合軍所属のくせにわざわざIFFを切って攻撃してきたように、どうもここ数日の奈々美たちはいいように遊ばれている気がする。事あるごとに『ガキ』『ヒヨッコ』呼ばわりされるのも気に食わない。
「ちょっと、美佳!」
 リョーコに攻撃をかわされた奈々美は、その矛先を変えた。
「なんでもっと早く教えないのよ! あんた、観えてたんでしょ!?」
「……申し訳ありません」
 言い返す言葉も無く唇を引き結び、美佳は頭を垂れる。『神の目』にはリョーコの動きが確かに『観えて』いたはずなのに、奇襲を防ぐ事が出来なかったのだ。
「……奈々美。美佳だけを責めるのはよせ。見苦しいぞ」
「そうですよ。奇襲を防げなかったのは私たち全員の責任です」
 見かねた楯身と妃都美が止めに入る。奈々美はケッ、と吐き捨て、その場に座り込んだ。胸の奥に自己嫌悪を感じる。
『は、麗しき仲間同士の庇い合いかね……いいこったけど、おい、お前』
「はっ、はい」
 リョーコに指を指され、反射的に『気をつけ』の姿勢になる和也。
『お前がこのガキどもの隊長だろ。もうちっと判断力を身につけねえと、可愛い部下を死なせちまうぞ』
「……肝に銘じておきます」
 和也の返事に、よし、と頷くリョーコ。完全に先輩面である。
 好かない相手にこうでかい面をされると、奈々美としては嫌味の一つも言ってやりたくなるのだった。
「そういうあんたこそ機動部隊の隊長じゃなかった? 部下の人たちほっぽり出してなにやってるのよ」
『ああ、あいつらなら俺がいなくても平気だろ。一人になっても何とかできる奴らさ。……お前らと違ってな』
 ……あっさりとカウンターを返され、奈々美はまた押し黙るしかない。
『しかしまあ、その様子じゃ相当やられたみてえだな』
 リョーコは『草薙の剣』のメンバー一人一人を値踏みするように見渡す。
『生体兵器だか戦隊兵器だか知らねえが、大事なのは何よりもここだ。お前等みてえなヒヨッコが簡単にのし上がれるほど、軍隊は甘かないぜ』
 言って、リョーコは自分の腕をパンパンと叩く。
「ふん。このくらいの失点、すぐに取り返してやるわよ」
 苛立たしげに吐き捨て、奈々美は保温ボトルの水分補給ドリンクをちびちびと煽る。冷えたドリンクは加熱しきった奈々美達の体を多少なりとも冷やしてくれたが、この腹の奥が煮えたぎるような苛立ちはどうにもできない。
 奈々美は自分の実力に絶対的な自信がある。生体兵器である自分が“ただの人間”に負けるなど、あり得ない――――あってはならない、事なのだ。
「そうよ。負けやしないわ。あたしは強いんだからね……」
 自分に言い聞かせるように、言う。
『ふうん……あたしは強い、ねえ』
 リョーコが意地の悪い笑みを浮かべてきた。
「……何よ。文句ある?」
『いやいや、大した自信だなあと思ってさ』
 リョーコはごまかすように『あーあ、腹減ったな』と携帯食のパックを取り出す。
「もう食うの? ただの人間のくせによく食べるわね……」
 その奈々美のセリフは、嫌味というより自分が生体兵器だという自覚から出たものかもしれない。
 奈々美の受けた強化手術は、腕力を強化するものだ。腕に人工筋肉を埋め込み筋力を強化し、骨がその負担に耐えられるようカーボンナノチューブの繊維を使い強度を高めてある。その性能たるや、力任せに殴りつけるだけで人間を殺せる。
 ただしそれに伴う代償も存在する。
 奈々美の人口筋肉は後期型で、稼動に電池などを必要としない反面、そのために必要なエネルギーを食事という形で賄わねばならない。必要な食事の量は平均的な人間の倍以上になる。
 食べる事は好きだし、特に苦とは思っていない。むしろ自分が生体兵器なのだと実感する事が出来て誇らしいくらいだ。
 それだけに、ただの人間なのに朝っぱらから一ポンドはあるステーキを平気で食らう大食漢のリョーコを見ていると、彼女には牛のように胃袋が四つあるのか、などと思ってしまうのだが。
 ちなみに重火器の扱いに特化した烈火も似たようなものだが、彼の場合食事量は人並みに抑え、足りない分は高カロリーのカプセル剤などで済ませているようだ。
「だいたい、そんな細っこい体のどこに入るのよ」
『んー、そうさなあ』
 リョーコはぽりぽりと頭を掻く。そしておもむろに両の胸をたくし上げ、
子供ガキにはない部分……かねえ』
 そう言って豪快に笑った。体にフィットするパイロットスーツはボディラインがはっきりと出る。それを見た男三人は慌てて明後日の方向を向いた。
 奈々美は自分のものに触れてみる。
 …………
「は、はん! 戦う女にはそんな皮下脂肪なんか必要ないのよ! 見なさいこの肉体美!」
 ふん! とマッスルポーズを決め、自慢の筋肉を披露する。
 とそこへ、美雪が含み笑いを漏らした。
「……作り物の筋肉ですけどね」
「うるさいわよ!」
『はっはは、元気のいいこった。さて、俺はそろそろ行くとすっかな』
 ぎゅいいい、と荒々しい音を立ててダッシュローラーが回り出す。
『せいぜい頑張んな、ヒヨッコたち。はっははははは!』
 急発進。エステバリス・カスタムの赤いシルエットがみるみる遠ざかる。巻き上げられた砂埃で何人かが咳き込んだ。
「畜生……馬鹿にしてくれちゃって」
 奈々美はリョーコの消えた方向を親の仇でも見るような目で睨んで、唸る。
 リョーコが何を言いたかったのかは知らないが、それは充分に奈々美のプライドを逆なでしていた。



 これを言うと大抵の奴は意外そうな顔をするけれど、あたしは木星ではわりと金持ちな家の出だ。
 木連の都市部と地方の生活レベルの差は大きい。首都であるガニメデのほか、カリスト・エウロパなどの大規模コロニーには富裕な人間が暮らし、そうでない人間は他の小規模コロニーや都市船での生活を余儀なくされる。限られた生産能力しかない木星で戦争のことばかり考えて人口を増やし続けたその結果、供給が都市部以外の地域へ追いつかなくなってしまったせいだ。ある意味、身から出た錆というべきか。
 幸運と言うべきか、あたしはその前者だった。
 裕福な家庭に生まれ、何ら不自由を感じる事もなく幼年期を過ごしてきた。贅沢な金を使って教育を受け、レベルの高い国立小学に入学した。当時の記憶など殆ど無いけれど、木星人の中ではそれなりに恵まれた環境で育ってきた――――筈だ。
 ただその代償としてか、あたしは周囲の人間からは蔑まれ疎まれる存在でもあった。
 記憶があまり定かでないけど、あたしの父親は建設業を中心とした事業を営む実業家で、貧困層の人間を安い賃金で雇い、危険な仕事に従事させる、お世辞にも堅実とは言い難い種類の人間だった。
 月から火星へ、そして木星へと落ち延びる辛い道のりを支えたのは互いに支え合い、助け合った友情だと教えられる木星では、その手の商売は大いに侮蔑の対象となりえる。それが木連の生産と貧困層の人間の生活を支えていたのもまた事実だとしても。
 その手の人間をして、木星では“奴隷商人”と俗に言う。
 その娘であるあたしは、小学に上がるや苛烈な『攻撃』にさらされるはめになった。まあ平たく言えば苛めだ。
 いつの時代になっても苛めというのは陰湿で残酷なものだ。特に木星の教育方針は成績重視・統制型で、それについていけないはみ出し者が不満のはけ口として目に付いた奴を小突き回したり、陰湿な嫌がらせをするという事は、当時の木星ではそう珍しくもなかった。
 あたしの学校はレベルが高く規律もそれなりに厳しいほうだったが、そんなものは何の歯止めにもならなかった。
 木星では幼稚園の頃からこう教えられる。

『人とは仲良くしよう』

『でも悪人は叩きのめせ!』

 なにしろあたしは奴隷商人の娘。貧しい人たちを道具のように扱って、そうして稼いだ金で良い暮らしをする恥知らず。
 そんな悪党であるあたしを『攻撃』する事は、むしろ褒められるべきというわけだ。解りやすい構図じゃないの。反吐が出る。
 最初のうちは、上履きを隠されたり、ノートや教科書に落書きされるような些細な嫌がらせ程度のものだった。父が金の力で報復してくるのを恐れたのかもしれないが、父があたしにまったく関心を持っていないと知ると途端に『攻撃』は苛烈の度を増した。
 あたしがトイレで用を足している時、突然水をぶっ掛けられた事があった。奴らはあたしをそのままトイレから引きずり出し、ずぶ濡れのあたしを見て笑うのだ。あの時の屈辱は忘れられない……
 机に落書きされた事もあった。それも油性マジックのような生易しいものではなく、彫刻刀を使って『奴隷商人の娘』『天誅』『死ね』『裁かれよ』と汚い言葉が彫られていた。何とか消そうと必死に机を引っ掻いた。爪が剥がれて血が出るほど引っ掻いたけど結局消えなくて、逆に学校の備品を傷つけたとあたしが教師に説教を受けねばならなかった。
 他にもいくらでもある。数え上げたらきりがないほど、毎日、毎日、毎日、毎日!
 教師連中に訴えても無駄だった。奴らはあたしが苛められているのを見ても見てみぬ振りをした。
 親に訴えるという選択肢は最初から無かった。母はあたしが生まれてすぐに死んだらしくて写真の中でしかその存在を知らない。父は父でろくに家には寄り付かなかったから、話をした事どころか顔を見た記憶もあまり無い。ただ仕事について父を問い詰めた時、返事の代わりに蹴りが飛んできた事だけは憶えている。もともと体の弱かった母が死んだのはあたしの出産が原因と聞いたし、もしかしたら父もあたしを憎んでいたのかもしれない。
 ――結局、誰もあたしを受け入れてはくれない。誰もあたしを助けてくれない。
 他人が憎かった。
 周りの人間全てが敵だと思った。
 殺してやりたいと思った。
 あのくだらない腕をへし折ってあって百害の足を叩き潰して内蔵を引きずり出して脳味噌をぶちまけてやりたかった。
 なのにあたしは弱かった。ほんの少し手を伸ばせば目玉の一つも抉り出してやれるだろうに、ただ心は脅え、体は震えるばかり。
 こんなにも憎いのに、血が出るほど憎いのに、あたしは何も出来なかったのだ。
 強くなりたい。あいつ等を殺してやれるだけの力が欲しいと渇望した。それが適うならいま自分の人生全てを売り払ってもいいと思うくらいに。
 しかしそんな夢物語が現実に転がっているはずもない。あたしはただ繰り返される『攻撃』に黙って堪え、変わらない現実に絶望した。
 弱い者は、強い者に踏み敷かれるほか無いのだ。それがこの世界の摂理なのだ。
 そんなあたしの運命は、ある日突然変わった――――いや、狂ったと言うべきか。



 その日は、普段家にいない父が珍しく帰宅していた。
 皆が寝静まった夜、あたしはこっそりと部屋を抜け出し、父の部屋へ忍び込んだ。別に特別な理由など無く、単に普段鍵が掛かって入れなかった父の部屋を見てみたかっただけだ。
 父は、隣の寝室で疲れ切って寝ていた。
 多分始めて見る父の書斎を、きょろきょろと見てまわり、何気なく椅子を引き出して机に向かった。
 椅子に座ると、ギシッ、と存外に大きな軋み音がしてどきりとしたが、父が起きてくる事はなくほっとした。
 机の上には仕事関係のものだろう書類が散乱していた。貧しい人たちを道具のように扱う、父の仕事。
 これのせいで、あたしは『攻撃』されているのだ。
 気分が悪くなりその場を去ろうとした時、ふと机の引き出しの一つが僅かに開いているのに気がついた。別に放っておいても良かったのだが、目に入ってしまうと気になった。
 何気なくその引き出しを開けてみて――――ぎょっとした。
 銃だ。底光りする本物の銃。それも拳銃のほかにサブマシンガンまであった。
 それは父が護身用に購入していた物だったのだろう。仕事柄、恨みを買う事も多かっただろうし、今も家の周りには父の雇ったボディガードがうろついているくらいだから。
 持ち上げてみると、どちらも意外に軽かった。強化プラスチックを多用し、小口径の弾丸を使う事で力のない者でも扱える様にした物だ。あたしも何度か、学校の射撃の授業で似たような物を使った事があった。
 ……しばし、魅入られたように手の中のそれを見詰めていた。
 ――――これがあれば、あんな奴等を殺すなんてわけない――――
 それは蛇の誘惑だった。銃のぬらりとした光沢と、奥の紙箱に収められた銃弾から漂う甘い硝煙の香り。それは暴力に飢えたあたしにはあまりに蟲惑的で、蜜の香りであたしを誘った。
 抗えるわけがない。
 抗う必要など、ない。

 だからあたしはそうした。

 手始めに父の寝室へ入り込み、呑気に眠りこける父親の額に鉛弾を撃ち込んだ。撃った瞬間あたしは反動と音に驚き尻餅をつき、父は全身をびくりと一度痙攣させ絶命した。
 そこから先は良く覚えていない。気がついたらあたしは学校の敷地に息を潜めていた。
 そのまま朝が来るのをじっと待ち、やがて人が集まった頃に学校の中へ。
 中ではもう連中が集まって馬鹿騒ぎを始めていて、あたしの姿を認めるや空き缶が飛んできた。それを見て笑い転げる連中の間抜け面目掛けて、あたしはサブマシンガンの引き金を引いた。
 一転して笑い声は絶叫に変わった。
 つい昨日まで好き勝手にあたしを『攻撃』していた連中が恐怖に顔を引きつらせ、肉片を撒き散らし、脳漿をぶちまけ倒れていく。連中の体からは血飛沫が壊れた蛇口のように噴き出し、あたりはたちまち血の海になった。そのまま学校中を駆け回り、誰彼構わず銃を乱射して回った。これまで感じた事のない強烈な、凶暴な快感が全身を駆け巡っていた。楽しい。面白い。愉快で堪らない。やがて弾を全て撃ち尽くし、駆けつけた警察に拘束されるまで、あたしは笑い狂い、殺しまくった。



 ――そして今、その学校の生徒と教員併せて数十人を射殺した大量殺人犯は、体を兵器に改造された兵士としてここにいる。

 あの後、あたしは当然警察に捕らえられ、矯正施設に入れられた。
 矯正施設とは地球でいう少年院に近いもので、犯罪を犯した少年に更生と社会復帰のための教育を行う。あたしも本当ならまだ施設から出られない時期のはずだ。
 いまさらこんな仮定をしても意味は無いけれど、あのまま施設に居ればあるいは、あたしももっと真っ当な人生を歩んでいたかもしれない。だが時代はそれを許さなかったのだ。
 あたしが施設に入っていくらかの時間が経った頃、唐突に、数人の見慣れない連中がやってきた。
 連中は犯罪を犯した少年の更生を手助けする、政府公認のNPO団体と名乗った。あたしは連中に連れられ、どことも知れぬ施設へ連れて行かれた。
 結論から言うと、犯罪を犯した少年の更生云々というのは真っ赤な嘘だ。その実態は生体兵器の候補を集めるためのカモフラージュ。お前たちはこれから木連のために戦う剣となるのだ、と聞かされ、有無を言わさず体を兵器に改造された。
 インプラントが体に定着するまでに要した時間はおよそ一年。その間は地獄としか表現のしようが無い。
 元からあった体の一部を切除されて体は自由に動かず、大量の投薬による副作用は絶え間なくあたしたちを苛んだ。全身をかきむしるような苦痛と不快感、そして吐き気にただただ呻き声を上げ、それさえも出来なくなった奴は次の日には死体処理場行き。
 ひとり、またひとりと日を追うごとに被験者たちはその数を減らしていった。次があたしの番だろうか、その次かも……? この苦痛から開放されるならそれもいいかと思い、その度に迫ってくる死の影に脅えて日々を過ごし――――あたしはそれに耐え切った。
 我ながらよくあんな脆弱な『人間』があの地獄を生き残れたものだと思う。最初五十人はいた同期の被験者の中で、生き残ったのはあたしを含め十人に満たなかった。
 人権蹂躙もはなはだしい扱い。本当なら怒って然るべきだろう。しかしあたしはその気が起きなかった。それは嫌というほど教え込まれた思想教育の結果か――――いや違う。実を言うと嬉しかったのだ。
 あの生き地獄の日々を耐え切った後は世界が変わったようだった。
 単に生死の境を彷徨ったというだけではない。
 人工筋肉を埋め込まれた腕の力は素晴らしかった。同じ背丈の人間を片手で持ち上げられ、素手で殴っただけで人を殺せる。素晴らしい事だ。
 圧倒的なまでの暴力。それこそあたしが求めてやまないものだった。
 また生体兵器の被験者の多くは大なり小なりわけありの連中で、父の汚名も、大量殺人の容疑も、ここでは気にすることはなかった。
 初めて、あたしは受け入れられたのだ。
 それから約十年。地球との戦争のためにひたすら腕を磨いてきたけれど、それは熱血クーデターによって結局果たされなかった。
 失意の中で殆ど自動的に地球へ渡り、その後の暮らしは……まあ、決して悪くはなかったけど、取り立てて楽しいと感じられるものでもなかった。地球人などと馴れ合う気は毛頭無かったから。
 あの事件の後、こうして戦場に立っているのは単純に報復のためだ。楯身の言う『木星人の名誉を守る』なんて大仰な大儀には興味は無い。ただ自分に銃を向けた火星の後継者には、それ相応の報いを与えてやらねば気がすまなかった。

「さあ、とっとと終わらせて本番に行くわよ。絶対に火星の後継者はあたしが叩き潰して見せる。あたしは強いんだからね……!」

 その自負心こそが、あたしのアイデンティティなのだから。







 あとがき(なかがき)



 半年振りの最新話です。大変遅れてすみません。

 今回は怒髪天のバイオレンスガール、奈々美に焦点を当ててみました。
 なんかやたらと暗い過去ですが、ああいう何かにつけて自分の強さを誇示したがる人間は、なにか他人への恐怖みたいなのを持っているのではないかな、と思う次第です。
 今後この調子で各々の人格構成などやっていこうと思っています。

 ご指摘を受けました、演習が宇宙軍と統合軍の合同になった理由は、両軍の人的交流推進のため、というかそれを求める地球連合の圧力のためです。連合政府のお歴々としてもこの一大事に、両軍がいつまでも足を引っ張り合ってばかりいるのをよしとはしないだろうと思いまして。
 ……なんでこんな大事な事書き忘れたんだろ? 私。

 プロフェッサー圧縮様の感想は非常に論理的ですね。大変参考になります。

 さー、次回こそは思いっきり戦闘で行きます。少年たちよ、さあ銃を取れ! 立って戦え! 早く!ハリー 早く早く!ハリーハリー 早く早く早く!ハリーハリーハリー

 ……ごほん。それでは、今後も血を吐いてでも書きますのでお見捨てなきようお願いいたします。



圧縮教授のSS的



・・・おほん。

ようこそ我が研究室へ。

今回も活きのいいヴェスパーSSが入っての、今検分しておるところじゃ。


さて、今回は「承」のとっかかり辺りかの?

状況説明のフォローも中々自然でよいぞ。GJじゃ。

そして如何な『超人』と言えども、プロの十字砲火に晒されたら遁走するしかないのもリアリティがある。撃たれて死なない類いの人外じゃないようじゃしな。

・・・まあ、其処らを自覚しないで突っ込んでしまう辺りが「若さゆえの過ち」と云う奴じゃな。ま、死ななければ失敗を活かす道もあろうて。

問題はじゃ。激しすぎる感情が敗北を認めず、故に失敗を糧に出来ぬ者が出て来そうなところかの。

人間の感情エネルギーは時として(作者)をも超える。その修正には予想した三倍のコストが必要となるじゃろう。

破滅一直線が既定ならば、これはこれで良いのじゃがの。


念の為に申し添えて置くが、儂は過去設定を軽くしろと言っておる訳ではない。

一旦転がりだした感情は、あっと言う間に雪ダルマじゃ。

キャラの変化・成長に必要十分なイベントとタイミングの見積は慎重に。ただそれだけの老婆心じゃよ。



さて。儂はそろそろ次の研究に取り掛からねばならん。この辺で失礼するよ。

儂の話が聞きたくなったら、いつでもおいで。儂はいつでも、ここにおる。

それじゃあ、ごきげんよう。