南米、某国――――

 ざくっ、ざくっ、と瓦礫を掘る音が、夜の静寂を破って響いていた。
 周りに民家の無い、開けた土地に広がる瓦礫の山。所々に鉄骨や壁の一部がそそり立つその光景は、静寂が支配する夜の闇と相まって墓場のように暗鬱な雰囲気を醸し出している。
 その中で、一心不乱に瓦礫を掘る人たちがいた。各々が持ち寄った道具を手に必死に瓦礫を掘り返し続けている。すでに誰もが疲労に足は震え、掌に出来た血豆は潰れて血を流していたが、それでもひたすらに掘り続けるその姿はさながら幽鬼のようだ。これが単なる瓦礫の撤去作業でない事は、その姿が何より雄弁に語っていた。
 遺体を掘っているのだ。
 この瓦礫の山の中から時折出てくる細かな肉片は、つい数日前まで彼等の親であり、子供であり、伴侶であった人たちだ。瓦礫の中に埋もれたそれは細切れで、もはや誰の物かも判らない肉や骨の欠片をかき集めては袋に放り込む。遺体はすでに腐敗し酷い腐臭を放っており、耐え切れずに嘔吐する者もそこここで見られた。
 そんな陰鬱な作業が続けられる事、今日で三日目だ。
「うああああああ……!」
 一人の女性がうず高く積み上げられた死体袋の山によりすがって慟哭した。この遺体の山の中には彼女の夫がいるのだろうか。それとも恋人か。あまりに突然に訪れた理不尽な死に、誰もが憤りを隠せない。
 そんな瓦礫の墓場の中心に、一人の男が轟然と立っていた。

「……派手にやってくれたようだな。あの小娘が」

 その男――――火星の後継者・湯沢派が首魁、湯沢翔太ゆざわしょうたは、顔の端を僅かに歪め苦々しげに呟いた。
 この瓦礫の山はつい三日前までこの国の空軍基地だった場所だ。この国は火星の後継者に対して非常に協力的で、この基地は北米への攻撃、その中継基地として火星の後継者の人間が頻繁に出入りしていた。
 三日前、連合宇宙軍がこの基地の事を嗅ぎつけ、この国の政府に対し査察を要求してきた。政府は最初渋ったものの地球連合に逆らえるわけも無く、この基地とそこに詰めていた人間は追求をかわすための尻尾として切り捨てられた。
 だがこれに反発した基地指令は、査察に現れた宇宙軍の戦艦――ナデシコB。多くの同胞を手にかけた魔女の艦。いつか思い知らせてやらねばと思っていた艦だ――を攻撃した。
 当然ダウングレードを施された機動兵器であの精鋭部隊に敵うわけもなく、あえなく返り討ちにあった挙句、基地は戦艦のミサイル攻撃で壊滅した。火星の後継者の人間は事前に退避したため無事だったが、この攻撃で軽く見積もっても3・400人は殺された。
 正しく鬼畜、悪魔の所業だ。
「……すまぬな」
 湯沢は足元に一輪の花を添え、目を閉じて黙祷を捧げた。彼らの死の責任の一端は自分たちにもあるし、なにより協力者の死にはそれなりの礼を持って報いるのが礼儀というもの。たとえ皆殺しにしても飽き足らない憎き地球人であってもだ。
 勿論、その時の無防備な姿は多くの人が目に留めていた。いかな湯沢に武術の心得があったとしても、まったく警戒せず護衛の姿も無いこの状況ならば簡単に取り押さえる事が出来るはずだ。
 にも拘らず、誰も――武器としても使えるスコップなどを持っている者でさえ――彼を捕まえようとはしなかった。テロ集団の首班である彼を捕まえれば地球を救った英雄として祭り上げられ、一生生活に不自由しないだけの懸賞金が手に入るというのに、誰一人湯沢に手を出さないのだった。
 まあそれも当然か。
 ここにいる誰もが、火星の後継者を敵とは思っていないだろうから。
 南米連合に属するこの国は、前々から地球連合とはそりがあっていなかった。核融合発電プラントなどを自前で建造する技術の無いこの国では、エネルギーを他国からの輸入に頼らざるを得ない。北アメリカ連合にマイクロ波発電の受信施設を作ってもらい、同国の保有する発電衛星から供給されるエネルギーが国民の生活を支えている。そのために支払わねばならない金は決して安くない。
 おまけに内政干渉に等しい要求を突きつけられる事もしばしばで、一体どれだけの金を北アメリカ連合に吸い取られている事か。経済制裁の名目で送電を止められれば国民の生活を維持できないため逆らう事は許されない。南米は北米の経済植民地だという言葉はもはや比喩ではないのだ。
 この現状を変えるような取り組みは未だもって行われていない。地球人類宣言? 地球市民は法の下に平等? そんなものはお題目に過ぎない。
 結局、力のある一部の国が上に立ち、弱い国はその下に踏み敷かれる。それが地球連合体制の現実だ。そんな中で火星の後継者に同調し、希望を託す人々がいるのは当然の成り行きなのだ。
 しかしそれに対する仕打ちがこれだ。地球連合はやはり冷酷非道な悪の帝国なのだと改めて感じる。
「なあ、あんた」
 一人の男が、瓦礫を掘る手を止めて湯沢に近寄ってきた。
「あんた、火星の後継者の人だろ? 頼む。あいつらをやっつけてくれ。ヘンリーの仇を取ってくれよ!」
「俺からも頼む! 一緒に戦わせてくれ!」
「私も……!」
「……約束しよう」
 湯沢は、静かに宣言する。
「我々は必ず地球連合を打ち滅ぼす。その暁には、諸君等に解放と、平等と、正しく報われる未来を約束する。その実現のため、諸君の力を貸して欲しい。……ここで流された血は、決して無駄にはならないだろう」
 わあっと歓声が上がった。
 ――別に、お前らのために戦ってやるわけではないのだがな。
 湯沢は内心で嘲笑う。
 彼としては、これはあくまで木星人の生存権確立のための戦いと思っている。
 地球は悪の帝国だ。その残忍さ、冷酷さはこの惨状を見ても明らかだ。
 同じ地球人をも平気で殺傷する連中が、再び木星を狙わない保障がどこにあるだろうか。いつか過去の恥部を抹消するため木星人を滅ぼそうとする可能性が無いと言えるだろうか。
 答えは否だ。
 いま、秋山源八郎を筆頭とする売国奴どもは和平だ平和だと妄言を叫んでいるが、そんな事はありえない。遠くない将来、地球連合は木星人を再び滅ぼしに掛かってくるに違いない。いや、ボソンジャンプによる時間移動が可能となった日には、過去に遡って木星人の存在そのものを抹消するかもしれないのだ。
 一刻も早く、滅ぼされる前に滅ぼしてやらねばならない。やられる前にやらねばならない。それ以外に木星の生き残る道は無い――――湯沢の行動原理は、その確固たる核心の下に成り立っていた。
 そのために利用できる物は利用する。特にこのような地球内部の火種などは、ほんの少し火を煽るだけで地球を内部から破壊する爆弾となりうる。
 別に嘘をついた気は無い。彼等に言った通り、地球連合を倒した後は彼等に平等に報われる未来を与えるつもりだ。南米も北米も平等に木星へ隷属するという意味で、だが。
 そう。全ては木星のため。そのためなら鬼でも夜叉でもなって見せよう。例え一時テロリストと罵られようとも、それが正義である以上怖れるべきものなど、何も無い。
「そういえば、もう日本では例の演習が始まっている頃か……我々を倒そうと必死のようだが、思い通りにはさせんよ」
 テロリストの首魁は、口の端を笑みの形に歪め、くつくつと含み笑いを漏らした。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第六話 暴力への意志 中編



 乗り捨てられた車や瓦礫の散乱する道路を『草薙の剣』は進んでいた。
 いよいよ演習も佳境に入り、『高天原』の兵士や機動兵器は徐々にその数を減らし始める。実力で劣る者、運に恵まれなかった者から順に脱落していき、実力と運に恵まれた者が生き残る。そんな中で錬度に劣る彼等が現在まで生き残れたのは、果たして運か実力か。
 しかし敵前で遁走する醜態を晒してしまった彼等としては、なんとかその失点を取り返したかった。たとえ生き残れても実戦にすぐ出れるかどうかは、査閲官と上層部の評価次第なのだから。
 これ以上の失敗は、絶対に許されない――――そんな緊張感を胸に、『草薙の剣』は次なる戦いを求めて廃墟の町を進む。
 と、一同の前進する足が不意に止まった。
「どうしたの美佳? 置いていくわよ」
 田村奈々美はつっけんどんに言う。
 立ち止まった神目美佳はおもむろに屈みこみ、足下の何かを拾い上げた。
「……ぬいぐるみです」
 美佳が拾い上げたのは焼け焦げたテディベアのぬいぐるみだった。長い間放置されていたらしく、一目見ただけでは原型が判別できないほどボロボロになっている。
「避難する時に落としていったのでしょうね。可哀想に……」
 ぽつりとそう漏らしたのは、真矢妃都美だ。
 持ち主は相当慌てて避難したのだろう。このぬいぐるみを大事に抱えていた女の子が人波に揉まれて、これを落としてしまった姿が目に浮かぶようだ。
 聞いた話によると、戦争中この近くの海に次元跳躍門――――地球ではなぜかチューリップと呼ばれているあれが落ち、そこから送り込まれた無人兵器群がこの島にも飛来し、大きな被害を出したそうだ。その証拠に乗り捨てられた車には大きな弾痕が刻まれているし、ビルの壁面はミサイルの直撃で大きく抉られ、撃破された虫型機動兵器の残骸もあちこちに転がっている。さすがに死体などは既に回収されているらしいが、血の跡らしい黒ずんだ染みは未だあちこちに見受けられ、当時の惨状を生々しく伝えていた。
「……さすがに、少し申し訳なくなりますな」
 同情しているのか、少し沈鬱そうな顔で立崎楯身は言う。……こいつはこの四年で随分とリベラルになったというか、地球に甘くなったのよね。と苦々しく奈々美は思った。
「仕方ないよ。戦争だったんだから……」
 元はといえば、悪いのは地球連合の奴等だ――――と和也は言う。
 黒道和也は真正のナショナリストを自称する。木星を離れこそすれ、その忠義心と愛国心は変わらないという。そんな彼としては、木星が悪い事をしたとは心情的に思いたくないのだろう。
 奈々美は愛国心云々に興味は無いつもりだが、それはそれで正しいと思う。
「あたしも和也の言う通りだと思うけどね……いつまで喋ってる気なの? また減点されるわよ」
「あ、そうだった。みんな、私語はそこまでにして……」
 進もう、と和也は言いかけた。
 耳慣れない男の声がヘリのローター音と共に響いてきたのは、その時だった。



『地球軍は直ちに演習を中止せよ! この演習は現状の改善に何ら益をもたらさない。害あるのみだ! 諸君等にも平和を望む心があるならば、我々への蛮行を認め謝罪した上で話し合いのテーブルにつくべきだ! 我々にはその用意がある! 諸君等の賢明な判断を期待する――――』

 ――うるさい。

 宇宙軍の仮説司令部の中、ホシノ・ルリは不快そうに顔の端を顰めた。完全防音というわけでもない仮説司令部では嫌が応にも耳に入ってくる。耳栓が欲しいと思った。
 拡声器まで使って怒声を撒き散らしながら上空を飛んでいるのは、白く塗装されたヘリコプター。軍用ではなく民間の物だ。今この島の周辺は封鎖されていて、当然民間機の飛行は禁止されている。下手をすれば撃墜されても文句は言えないだろうに、そんな事は承知の上と言わんばかりに悠然と島の上空を旋回していた。
 しかも、そのヘリの腹にははっきりと『♂』のマークが描かれているのが見える。それだけでヘリの正体を察するには十分だった。
 火星の後継者、森口派。
 現在活動している火星の後継者の残党勢力の中では、唯一と言っていい穏健派として知られている連中だ。首班は森口修二という名の男らしいが、旧木連軍幹部の中にはそれらしい名前は見当たらない。恐らくは尉官か、それ以下の下士官なのだろう。
 活動内容は見ての通りだ。ヘリを飛ばしてはスローガンを叫んで周ったり、木星での反地球デモを煽動したり、地球連合の施設の前で座り込みを行うなどの政治活動を大げさにしたようなもので、現在のところ暴力的な行動に出てはいない。地球連合としては無抵抗の連中に手を出したとして変な宣伝工作に利用されても困るので、今のところは放置する方針のようだ。
 とはいえ、火星の後継者の看板をそのまま掲げている事からも解るように、地球連合に敵対する意図は確かに感じられ、油断のならない連中であるには違いない。
 ルリは個人的に、奴らのスローガンも気に食わない。
 奴らが言う『我々への蛮行』とは二つの事を指す。一つは先の戦争の事。
 そしてもう一つが、百年前に月独立派、つまり木星人の先祖を火星、ひいては木星へと追いやった事だ。森口派が求めているのはそれに対する地球連合政府の正式な謝罪と賠償。そして関係者の処罰など。森口派はそういった『過去の清算』の要求を基本路線としており、暴力を用いない手法と相まって木星は勿論の事、地球の一部の国からもある程度の支持を得ている。そのほとんどが非主流派の国であるのは言うまでも無いが。
 だがルリに言わせれば、戦争と言うのはお互いが加害者であり被害者でもあるのが常なのだから、地球だけを責めるのは筋違いだろう。開戦に至った経緯がどうあれ、その引き金を引いたのは紛れも無く木星なのだから。
 百年前の事は――――論ずるに値しない。そんな大昔の事など預かり知らぬ話だ。少なくともルリの知っている木星人にそんな昔の事を蒸し返すような輩は一人として居ない。
 ――何が謝罪せよだか……
 噛み締めた歯が、ギリッ、と音を立てて軋む。
 森口派の主張は徹頭徹尾吐き気がする、自己中心的な反地球のプロパガンダだ。蛮行を認めて謝罪するべきなのは奴等だろうに、自分たちの犯したそれを奴等は認める気が無いのだ。
 許せるはずが無い。
 そんな昔の事をアリバイにして己の蛮行を……ルリの“家族”にした仕打ちを正当化しようなんて許さない。たとえ国際世論が許したとしても……私は、絶対に許さない。
 あんたたちこそ謝れ。私に謝れ。ユリカさんに謝れ。アキトさんに謝れ。私たち家族みんなに謝れ。謝れ謝れ謝れ…………

 私たちの幸せを壊した事を謝れ。

 まあ、どうせ言うわけ無いだろうけど……そう結論付けたルリは、撃破されて暇をもてあましているだろうエステバリスを呼ぶよう、手の空いたオペレーターに指示した。
「演習の邪魔です。さっさと追い出しちゃってください」
 それが許されている範囲内での対処だ。上のほうから今は手を出すなと命令されている以上、出来る事は追い出す事くらいしかない。とにかく一刻も早く、あの耳障りな声を遠ざけたかった。
 いつまでもあの声を聞いていたら、ルリはあのヘリを撃ち落したい衝動を堪え切れなくなってしまうだろうから。
 さほど間を置かずして宇宙軍のエステバリス・空戦フレームが二機飛んできた。そのまま両側から挟み込んでヘリを追い出しに掛かる。……かと思いきや、そこへ統合軍のステルンクーゲルが割り込んできて、ヘリの誘導などそっちのけでお互いを牽制し始めた。オペレーターは何をやっているのと叱責するが効果が無く、泣きべそをかいていた。
 ルリは呟く。
 ――――バカ。



 タカスギ・サブロウタは迷った。

 遠くに聞こえる森口派の声に、サブロウタは低空飛行を続けていたスーパーエステを制止させた。
 この高さでは立ち並ぶビルやマンションが邪魔でヘリは見えない。しかし何を言っているかは明瞭に聞き取れ、それを聞いたサブロウタは憂鬱そうに表情を曇らせた。
 サブロウタは火星の後継者を肯定する気は無い。
 奴等が正義を叫びながら裏でやってきた汚い真似は全て知っている。A級ジャンパーの拉致、それをモルモットにした人権蹂躙も甚だしい人体実験、それを隠すためのターミナルコロニー爆破……
 それだけではない。連中の二度に渡る決起でどれだけの兵士が死んだか。第一次決起では予告も無しに街中で戦闘を始めて、一体何人の罪の無い民間人が犠牲になったことか。
 許せない。本心からそう思った。何より、これをやったのがサブロウタと同じ木星人で、かつては自分も崇拝していた“あの”草壁春樹元中将と聞いた日には……恥ずかしくて死にたいと本気で思ったほどだ。
 ルリの償いを求める気持ちも、幸せだった頃を取り戻したいという気持ちも解るつもりだ。出来る事なら叶えてやりたい。火星の後継者はこの手で叩き潰してやりたい。そこに躊躇いは無い。
 ――しかし、だ。
 木星には、火星の後継者――特にあの森口派――に賛同する人が少なからずいるのも確かだ。百年前の事も、先の戦争も、木星人の中では未だ遺恨として残っている。サブロウタ個人はもう地球に何も求める気は無いが、それが今の今まで解決しないのが地球連合の不誠実な態度のせいという事も、サブロウタは否定しない。
 火星の後継者は許せないが、木星人として同胞の気持ちは大切にしたい……そんな複雑な心境が、彼を迷わせる。地球連合の軍人として、任務に私情は挟むまいと決めているのだが……
 なかなか、割り切れないな――――サブロウタは迷いを振り払うようにスーパーエステを飛翔させた。



 マキビ・ハリは恐くなった。

 そっと横目でルリを見る。――――ああ、怒っている。そう察したハーリーは慌てて前を向き直った。
 表情はいつもと変わりが無い。それでもハーリーには解った。ルリは今怒っているのだ。胸の奥で、陰惨なまでに暗く黒い炎を燃やして……
 ――戦争の事……百年前の事、かあ……
 正直、ハーリーにはそんな難しい事はよく解らない。
 当時ハーリーは養父母の下に居て、結局戦争に関わる事は無かったし、百年前の事がどうとか言われてもハーリーには今一つピンと来ない。当事者なんてもう生き残っているわけが無いし、今の木星人たちが月を追われたり核攻撃を喰らったわけではないだろうに。
 戦争が終わってまだ四年ちょっとしか経っていないわけだし、その遺恨がまだ残っているのはまあ解る。しかしこれが百年前の事となると、ハーリーとしては謝れと言われても困ってしまうのだった。まったく関係の無い事だから。
 それについてルリに訊いた時は、それはもう終わった事だと言われた。そんなプロパガンダに耳を貸す必要は無い、とも。
 その時は、それが正しいのだろうと思った。
 けれど少し前、同じ事をサブロウタに聞いた時に彼は、らしくもない曖昧な笑い方をして、お前は気にしなくていい――――と言った。隠し切れない辛そうな面持ちが、とても痛々しかった。
 やはりサブロウタも木星人だ。口には出さないけれど、あの手の主張には少なからず共感するところがあるに違いない…………
 どっちが正しいかなど、ハーリーには解らない。
 ただ一つ解るのは、ルリとサブロウタの感情はまったく正反対のほうを向いているということだけだ。それがすでに亀裂のようなものを生じさせているのも、ハーリーは直感として感じていた。
 このまま行けば、いつか二人が衝突してしまうのではないか……そんな危惧が首をもたげる。
 ハーリーはルリが好きだ。憧れる上官として、姉のような存在として、そして異性として、いろんな意味でルリが好きだ。
 ハーリーはサブロウタも好きだ。尊敬する軍の先輩として、兄のような存在として、サブロウタを大切に思っている。
 そんな二人が衝突するなんて、考えたくもない…………
 どうすれはいいかなど、ハーリーには解らない。何も……解らない。



「あれは森口派のヘリか……こんな所までやってくるんだね」
 ご苦労様だね。と和也は呆れた調子で言う。
「あんな事を言っても耳を貸す奴はここにはいないだろうに、難儀だね」
 そう言う和也と同じ事を思ったのか、「まったくだ」と山口烈火が皮肉を漏らす。
「何やってんだろな、あいつら。ギャ―ギャ―喚いてれば地球連合のお偉方が、『あたしらが悪うございました!』て言うとでも思ってんのか、あれは?」
「……手段として最適かはともかく、暴力に頼らず言葉で問題を解決しようという姿勢は評価できます。……烈火さんはそうは思われませんか」
「う……い、いや、そんな事はねえが……」
 美佳に論され、動揺する烈火。
「私としては、あれは甘いと思いますわね。言葉など……暴力の前にはちっぽけなものですわ」
「だが、そのちっぽけなものも集まれば暴力を押し流す大河となりうる。暴力だけに頼るようでは……湯沢たちと何ら変わる事は無い」
 楯身は影守美雪の物騒な論理に反論するが、美雪は、ですがいま地球連合はその大河すら消し去る力を持とうとしておりますわ、と再反論する。
「ボソンジャンプ……空間を一瞬にして飛び越える力。その有効性と危険性は火星の後継者の第一次決起により証明済み。それにここに来てから知りましたが、あれは時間をも自由に越えうるものなのでしょう? そんなものを地球連合が完全に制御などしたらどうなるか……考えるだけでぞっとしますわ」
「…………」
 楯身は言い返せない。
 当然ね。と奈々美は思った。美雪の口にする懸念は、木星人としてある意味当然の危惧だ。
「草壁元中将も、常々その危惧を口にしていましたからね。……私も、地球連合は信用できません」
 そう意見を述べたのは妃都美だ。
「オオイソで暮らし始めてから、地球人の友人はたくさん出来ましたけど……やっぱり、まだ地球を許す気にはなれないんですよね」
「あのゲス野郎どもは百年前の事は勿論、自分等が戦争の引き金引いたって事も認めてないものね。言われた通り素直に土下座してりゃ、あたしらも戦争なんてやらなかったのにさ。そいつらと話し合おうなんて、森口派の奴らも甘いったらないわ……」
 奈々美は率直に地球への反感を口にする。
「地球連合なんか、いっそのこともう一回戦争やって今度こそ叩き潰しゃいいのよ。……今の火星の後継者は気に食わないけどね」
 そうだね、と和也も同意する。
「草壁か……元中将が居た時の火星の後継者なら、世界を任せてもいい気がしたけどね」
 何人かがそれに頷く。
 火星の後継者と敵対しておきながらこんな事を言うのもなんだが、あの主張は正しいと思う。和也達にも木星人として譲る事の出来ない正義、イデオロギー、民族感情といった類の物があるのだ。あるいは遺伝子に刻まれた血の記憶とでも言うべきかも知れない。
 尤も、そんな事には興味の無い者が最低一名、ここにはいるのだが。
「なんだっていいわ。あたしらを攻撃してきた湯沢とその手下は絶対に叩き潰す。それでいいでしょ」
 右の頬を打たれたら、例え未遂であっても百発殴り返す。それが奈々美の流儀だ。そしてそれは、そのまま戦う理由でもある。
 奈々美らしいね……と和也が苦笑した、その時。
「――――散って!」
 美雪の鋭い声が飛び、即座に全員が八方へ散る。次の瞬間彼等の居た空間を高速で飛来した銃弾がこそぎ取った。敵か! 全員が物陰へ身を隠す。
「来たな……! 美佳、敵の数は!?」
「……レーダーの範囲内では、十二時方向に二人のみが確認できます」
「あれは歩哨ですな。人質解放を狙ってくる部隊を待ち伏せていたのでありましょう。ぐずぐすしていたら敵が殺到してくるかと」
 楯身の注釈に頷く。どうやら和也たちは餌に寄ってきたところを網にかけられたようだ。ならやるしかないか……! 全員の表情が緊張に引き締まり、銃を持つ手に自然と力が入った。
 和也は大声で、全員に聞こえるように言う。
「みんな、準備はいい!? ここで負けたら後が無いよ!」
「そんなの言われなくても解ってる。……絶対に、勝つわ」
 答え、奈々美は手にした74型木連式散弾銃のポンプアクションを引く。……絶対に、地球軍なんかに負けたりしない。あたしは強いから。もう誰も負けない。もうどんな敵からも逃げない。あたしは強いから……負けるなんてあり得ない!
「行くぞ!」
『草薙の剣』の戦い。その第二ラウンドを告げるゴングが今、鳴った。



「データ照合完了。第十八分隊からの通報にあった部隊と同一のものと確認しました」
「予想通りだな」
 この暑い中、待っていた甲斐があったというものだ、とレイ・オールウェイズ中佐は得意げに笑った。
 第十八分隊を瞬く間に全滅――50%以上の戦力を失えば『全滅』70%以上で『壊滅』となる――させた統合軍部隊の情報は、レイも受け取っていた。
 第十八分隊は決して練度の低い連中ではなかった。それをあっという間に全滅させるなどとんでもない事だし、何より連中は宇宙軍でも屈指の――不本意ながらそう認めざるを得ない――エースパイロットであるタカスギ・サブロウタの追撃を振り切って逃げおおせたというではないか。
 恐らくは相当な精鋭部隊に違いない。そう思ったレイは連中を待ち伏せるべくこうして網を張っていたのだ。どれほどのものか知らないが、統合軍にそんな連中が居るなら絶対に確かめておかねばならなかった。……『草薙の剣』にしてみれば、過大評価もいいところだろうが。
 縄張り争い? そんな卑小な問題ではない。統合軍がそのような精鋭部隊を持つという事になれば、統合軍が火星の後継者を壊滅させてしまうかもしれない。それは彼にとって絶対に容認できない――――してはならない、事だった。
 なれば、ここで手を討っておかねばなるまい。
「よし! 各員、戦闘を開始する! アルフォンスは二人連れて右へ行け。マーシャルは左だ。……いいか、油断するなよ同志たち。いま我々の前にいる部隊は友軍の第十八分隊を蹴散らした猛者だ。恐らくは相当な練度を誇る精鋭部隊と見ていいだろう」
 レイは、コミュニケを通じ部下たちに呼びかける。
「統合軍がそのような部隊を持てば、それは火星の後継者をも打ち倒す銀の弾丸となりうるだろう。……解るな? そんな事を許してはならない。ここで奴らを叩き潰せ。不慮の『事故』で死んでもやむを得ん!」
 灼熱する敵意とともに、おお、と返事が返ってくる。皆志は同じ。『あの人』のためならば命を捨てる覚悟のある連中ばかり。
「さ、出番だ」
 ずしん、と重々しい足音を立てて鉄の巨体が歩み出る。エステバリスやステルンクーゲルといった人型機動兵器の類ではない。全高はおよそ二メートル。迷彩色の外殻は丸い曲線を描き、丸太のような両腕はまるで大砲のような銃を軽々と抱えている。
 装甲強化服、通称パワードスーツ。屋内で使える装甲車の異名を持つ一世代前の主力陸戦兵器だ。
 22世紀の半ば頃に産声を上げたパワードスーツは、その高い機動性と汎用性によって古来陸戦の王者として君臨した戦車をその座から引きずり落とし、新世代の陸戦兵器の座を勝ち取った。
 しかし近年の蜥蜴戦争では、極限までの小型化ゆえに高価な部品が多用されコストが高い事、それによって数を揃えられない事が災いし、押し寄せる虫型機動兵器の大群の前にあえなく敗れ去った。
 その後、エステバリスを初めとする人型機動兵器の登場により、パワードスーツは主力兵器の座を降りることとなる。即位から半世紀足らずの短命な王者であった。
 完全に前世代の兵器の烙印を捺されたパワードスーツであるが、皮肉な事に近年火星の後継者・湯沢派によるテロ活動によって再び脚光を浴びつつある。屋内でも使用できるそれはカウンターテロ兵器として最高の有効性を発揮したのだ。
 いま、その銃は前方の統合軍部隊――――すなわち“敵”に向けられようとしていた。14・5ミリ口径のライフルに無反動砲を合体させたとんでもないシロモノ。どちらも実弾であれば防具を突き破って人体を粉々に粉砕するだけの威力がある。
「全滅させてやれ!」
 レイの号令一過、パワードスーツは前へと足を踏み出した。敵を押しつぶすために。



 鬱陶しい奴らだ、と和也は思った。宇宙軍部隊、つまり敵の歩哨は乗り捨てられた車を盾にこちらを狙ってくる。逃げる気配が無いのは足止めを命じられているからか。
「和也! こんなところでもたついてる暇は無いわよ!」
「解ってる、今潰すよ」
 奈々美に噛み付かれ、和也は妃都美にアイコンタクトで指示を出した。妃都美が頷いたのを確認し、アルザコンのランチャーにグレネードを装填する。
 ぼふっ、と気の抜けた音を立てて榴弾が飛び、それは彷彿線を描いて敵の向こう側に着弾した。……飛びすぎた。もう一つ榴弾を叩き入れ、照準をやや下方修正して撃つ。
 ドンピシャ。榴弾は敵の隠れる車の真上に落ちた。敵はいち早く危険を察して逃げ出したが、その期を妃都美は逃さずアカツキ狙撃銃で背中から狙い打つ。あの悪名高いネルガルの会長が自身の名を冠した自信作。気に入らない銃だったがその制度は抜群だ。敵の一人が背中を赤く染めてどっと倒れる。
「もう一人が逃げるわ! 追っかけるわよ!」
 奈々美はこれまでのフラストレーションを晴らす気で逃げる敵を追おうとし、「待ってください!」という妃都美の鋭い声に止められた。何よ、と怒鳴りつけてやろうとしたが、その時巨大な人影――と言うにはあまりに大きい――を遠くに認めて妃都美の言わんとすることを察した。彼女の普段眼帯で覆い隠されている『鷹の左目』は怪物サイズというのも生易しい巨大な銃口を向ける鉄の巨人を、その灰色の瞳に捕らえたのだ。
「パワードスーツです! 私たちを狙っています!」
「ご冗談を……! 全員伏せろ!」
 さすがに血相を変えて楯身が叫ぶ。
 次の瞬間、飛翔体が空気を切り裂くヒューッ、という音を響かせて砲弾が降り注ぐ。死神の笛の音とも言うべきそれを耳にして、誰もが心臓が止まりそうな気分を味わった。
 爆音。そして爆風。映画撮影でよく使われる殺傷力の無い爆薬とはいえ爆発が至近距離で起き、熱風が容赦なく体を嬲る。一同はこの嵐を避けようと必死に瓦礫の影や車の下に潜り込んだ。
「き、き、汚ねえぞ! こんなの反則だうわッ!」
 苦し紛れに烈火が罵る声を上げるが、それでパワードスーツが退散してくれるわけもなく至近弾に悲鳴を上げる。
「この……デカブツがっ!」
「およしなさい。弾の無駄ですわ」
 奈々美が砲撃の途切れた隙に散弾銃をぶっ放し、それを美雪が止めた。74型散弾銃は室内戦向けのライアットガンに近い物で、銃身をソードオフしてさらに短くしている。接近戦なら有効だが、この距離では弾を無駄にするだけだ。
「奈々美さん。突っ込みたいのは解りますけどここは抑えて」
「るさい。……解ってるわよ」
 美雪に釘を刺され、奈々美は銃を下ろす。いくら奈々美でも、死ぬのが解りきっていながら突っ込むほど無謀ではない…………はずだ。
 突っ込む代わりに、半ば八つ当たり気味に叫ぶ。
「烈火! あいつをやりなさい!」
「無理だー!」
 情けない声を上げる烈火。
 厄介な相手だった。パワードスーツは搭乗する兵器というより着用する防具、鎧に近い。常人には扱えない重く強力な武器と、敵の攻撃を跳ね返す重厚な装甲を歩兵に装備させる。当然普通では重くて動けたものではないが、人口筋肉による人力増幅ヒューマン・ストリングス・アンプリフィケーションがそれを可能にしている。人間そのものの戦闘能力を強化――――そのコンセプトは生体兵器のそれに限りなく近い。楯身と奈々美と烈火の能力を併せ持っているようなものだ。
 対する『草薙の剣』には、パワードスーツに対する有効火器の持ち合わせが何も無い。烈火のミサイルなら一応は有効だが、これは対機動兵器の重力波誘導タイプだ。重力波フローターなどパワードスーツは装備していないし、直撃させるのは難しい。せめて対物ライフルや、対装甲車ロケットが欲しい所だった。対歩兵と虫型機動兵器戦闘に重点を置いて武器をチョイスしたのが裏目に出た。
 正しく打つ手無し。完全に不動の壁となったパワードスーツを前に立ち往生する。こんなところで足止めを食う暇は無いってのに……! 和也の胸に焦りが募る。
「……和也さん。新たな敵影を確認しました。九時から十時の方向に三。三時から四時の方向に二です」
 そこへ美佳の報告が追い討ちをかけた。
「くそ。初っ端から分が悪いな。このままじゃ囲まれる……」
 和也は考える。どうする? ここにいてもあのパワードスーツを突破できる見込みは無い。なら包囲の完成していない今のうちに、全員で右か左へ行き各個に撃破する。それが一番いいはず。
 だが――――と和也は思う。人数で上回っていてもそう簡単に撃破を許してくれるか? ベテラン揃いのこいつらが。
 数で上回っていても撃破するまでに手間取り、その間に結局囲まれてしまう可能性は無いか? つい少し前にベテランとの差を見せ付けられた和也は、その危惧がどうしても頭から離れなかった。むしろ……
 少しの沈黙の後、和也は言葉を発した。
「……仕方ないか。みんな、バディを組んで脇道へ! 各個の判断で敵の数を減らして、人質救出を試みる!」
 下手に大人数で戦うより、ゲリラ的な戦法で敵の戦力を削ぐ。自分らしくない作戦だと和也は自嘲的に思った。これが実戦であれば、全員の生存率を上げるためにも七人揃っての行動を選択しただろうに。
 しかしこれはあくまで演習だ。本当に死ぬわけではない。反吐が出るような打算的な考えかもしれないけれど、今は一人二人が死ぬより、全員が一網打尽にされてチームが脱落する方が和也には怖かったのだ。
「で、でも下手に戦力を分けるのは危険です! 私たちは七人揃って……」
「ここで仲良くタコ殴りにされるよりましだろう!」
 バラバラになるのを恐れる妃都美を一喝し、和也は手早くバディの編成を各々に伝える。
「みんな無事でね。……特に奈々美」
「なに?」
「くれぐれも無茶はするなよ。相手は戦争を生き残ったプロだ。力押しじゃ勝てないよ」
 そう和也は念を押す。
「解ってるわよ。あんたたちこそ死ぬんじゃないわよ!」
 奈々美はそう、和也たちを気遣う台詞を口にした。だが仲間を連れて廃墟の町へ消えていくその目は、もう敵以外の何も見ていない。
 しかし和也には、これ以上何かを喋っている余裕は無かった。



 ――畜生……ッ! また、また負けるわけ!? 

 心の中で奈々美は呟いていた。

 ――あたしは強いはずなのに、ただの人間よりずっと強いはずなのに!

 焦りと焦燥に突き動かされ、奈々美は廃墟の街を走る。
 呼吸が荒くなる。胸の奥が熱い。首の後ろがチリチリする。――熱くなっている。自分で解っていながら、感情が高ぶるのを抑えられない。
「……はっ……はっ……ま、待ってください……」
「奈々美さん、一人で先行しすぎです。ベースを合わせてください」
 そう、後ろを走る美佳と妃都美が言ってきたが、奈々美は無視した。というより、耳を貸す余裕がなかった。
 たったあれだけの敵相手に、また逃げなきゃならないなんて……。手持ちの武器ではパワードスーツに太刀打ちできないと解っていても、いや、解っているだけに、奈々美はそれが我慢ならなかった。
 他人に負けるという事は、奈々美にとっては何より耐え難い屈辱であり、恐怖だ。あの屈辱の日々の中でひたすらに暴力が欲しいと願い続けた彼女は、生体兵器の力を手に入れてから自分は強いと自負してきた。そうする事で心を鎧って、自信を持って生きてきたのだ。
 奈々美はどんな時も強くあらねばならないのだ。敵に負けるという事は、自分が敵より弱いという事、弱かったあの頃に戻ってしまう事だから……
「……っ!」
 ぶんぶんと頭を振る。何を考えてるの。あたしはもう弱くなんかない。あたしは強いんだ。そう……絶対に強いんだ。
 昔の奈々美は確かに弱かった。でも今は違う。今の奈々美には力がある。人間の一人や二人片手で殺してやれるだけの力が。たとえそれが望んで与えられたものでなくとも、どんな目的で与えられたものであっても、奈々美はこの力を与えてくれたあのマッドサイエンティスト集団に感謝している。
 今の奈々美は昔とは違う。今の自分は人外の力を与えられた生体兵器。火星の後継者にも、地球軍にも……負けてたまるものか!
「奈々美さん、前っ!」
 妃都美の声が、思考を中断させた。咄嗟に横へ飛び退き、飛んできた弾を避けられたのは死ぬ気で鍛えた反射神経と幸運のおかげだった。
「来たわね……!」
 建物の影に隠れ様子を窺う。ここから見える敵は三人。確か美佳は、こちら側の敵は二人といってなかったか? よく見ると一人は被弾した跡がある。――ははあ、さてはあいつ、最初に逃げられた歩哨ね。
「数だけは互角、か。美佳に妃都美、あんたたちはどっか高いところから援護して頂戴。あたしが接近して奴らをやるわ」
「……分かりました。くれぐれも一人で突撃するまねはしないようにしてください。皆で連携しないと、戦いには勝てません」
「繰り返さないでも解ってるわよ。……そっちこそ、またヘマしないでよウスノロ」
「……!」
 美佳が息を呑み、妃都美が「奈々美さん……!」と咎める視線を向けて走り去った。……言い過ぎただろうかと思い、すぐに思い直して銃の引き金に指をかける。詫びは後でも言える。
「さあ……かかってらっしゃい!」



「奈々美さんたち……それに和也さんたちも、おっぱじめましたわね」
 再び鳴り始めた銃声を聞き、美雪はそうあたりをつけた。やかましい銃声に埋もれて声など聞こえよう筈もないが、絶え間なく続く連射音が烈火の軽機関銃の音だと、美雪の第六感は把握していた。
『草薙の剣』メンバー七人の中で、唯一美雪だけが単独行動をする事になった。別に怒ってはいない。一人のほうが自由に動けるし、性格的にもそっちのほうが向いていると和也は判断したのだろう。十年来の付き合いだけあってよく解っている。
 ぱあん、と手榴弾と思しき爆音が鳴り、一時途切れた銃声が一際高く聞こえ始める。やはり和也たちは苦戦しているようだ。まあ先ほどのように敗走に追い込まれないだけまだ頑張っているのだろうが。
 この部隊は市街戦の錬度が際立って高いようだ。動きに無駄が無い。
 ――オールウェイズ中佐の直轄部隊ですわね。
 宇宙軍部隊の現場指揮官の名前はブリーフィングで聞いている。パワードスーツの傍に居たのは間違いなくレイ・オールウェイズ中佐。ヨーロッパの軍神だ。部隊長としては勿論のこと、一人の兵士としても侮れない。また厄介なのに目を付けられてしまったものだと、自分たちの運の無さをつくづく呪いたくなる。
 だが物は考えようだ。敵の大将を討ち取れば点数など吹雪が吹くほど入ってくるだろう。
 美雪一人なら、敵の後ろに回りこんでオールウェイズ中佐を直接狙う事も出来る。他の奴等には囮になってもらう事になるが、『各個の判断で』やれと和也も言ったのだ。文句はあるまい。あとはあの厄介なパワードスーツをどうするかだが……そこまで考えて美雪は、なんだか馬鹿馬鹿しい気分になってきた。
 こんな必死こいて戦うより、さっさと死んでリタイヤしてしまおうか、とかなり本気で美雪は考える。そう思うと心なしか、身に付けた装備が重くなったような気がした。 「……はあ。どーして私はこんな所に居るのかしら」
 走る足を止め、手近な建物の壁に寄りかかる。今この瞬間にも仲間たちは死に物狂いで戦っているが、そんな事はおかまいなしだ。
 なんとも酔狂な仲間を持ってしまったものだ。大人しく軍に保護されれば誰も死なずに済むものを、火星の後継者を壊滅させると言い出すのだから呆れ果てる。
 木星の名誉を守る? 木星人移民の立場を守る? 確かに大儀としては充分だろう。少なくとも和也たちにとっては。
 だがそんなものは、美雪には何の興味も関心も無いものだった。今後木星の立場がどうなろうが、木星人の移民が排斥されようがどうでもいい。まあそうなれば当然、美雪自身にも火の粉は飛んでくるだろうが、その時は木星に帰るだけだ。
 どちらにしても命をかけてまで戦う理由など、美雪には何も無い。正直に言えば自分一人でも軍の保護下に入って、情勢が落ち着くのを待つという選択肢も、一ヶ月前のあの日には本気で検討した。
 だが結局は、美雪もここにいる。憎んでも飽き足らない地球軍の兵士としてだ。
「何をやってるのかしらね。私ったら……」
 こんな事をしたところで、報われる事など何も無いのに……鉛のように重い溜息が、口から漏れる。

 ――その時、美雪の頭上で、ぬう、と大きな影が顔を出した。

 それは音も立てずに美雪の真上の壁に這い出て、垂直に張り付いた状態で美雪を見下ろした。物思いに耽っていた美雪は、それに気がつかない。
 二対四つのカメラアイが獲物を見つけて喜ぶように赤く光り、箱状の口部が開いて銃口が突き出る。美雪は気付かない。機銃に弾丸が装填される音がし、その銃口が無防備に佇む美雪を照準して――――

 ペイント弾の雨が、美雪の頭上に降り注いだ。



「く……強い。やっぱりベテラン相手に同数じゃキツイか……」
 弾を撃ち尽くしたアルザコン31に新しいマガジンを叩き入れ、和也は苦しげに呟いた。
 道路の向こう側に見える敵は三人だ。こちらも和也、楯身、烈火で三人。既に三人合わせて百発以上の弾を使ったと思うが、一人も仕留められていない。
 やはり戦力を分けるのは愚作だったか? でもあの状況では……くそ、隊長ってのは体に悪い。
「いつまでもぐずついていられないってのに……うわっ!」
 パチパチッ! と着弾の音が鳴り、和也の隠れていたイーグルスマンションの鷲の像が赤く汚れた。敵の攻撃は正確で、和也たちは反撃の機会も掴めない。
 これじゃ勝てないかもしれない……そう思ったのが伝わったか、楯身の叱咤が飛んできた。
「諦めなさるな! 隊長ともあろう者が、弱気を見せてはなりませぬぞ!」
 言って、楯身は瓦礫の影からアサルトライフルを突き出して撃ち放ち、すぐに身を隠す。その一瞬後にすぐ近くで爆発が起こり、思わず上げかけた悲鳴を何とか飲み込んだ。
「CGR90か。俺も欲し……厄介な奴を持ち出してきやがったな」
 クリムゾンM200軽機関銃の弾を牽制に放ちながら、烈火。
 CGR90はメイド・イン・クリムゾンのグレネードランチャーだ。大昔のトミーガンを連想させる円盤型マガジンには三十発からの多種多様なグレネード弾を装填でき、連射によって高い火力を誇る。重くかさばるのが欠点だが、コンパクトで室内戦にも使いやすい事から世界中の特殊部隊に人気を博している。
「何とか接近したい所だけど……遮蔽物が無い。突っ込んで行ったらいい的だ」
 一か八か、煙幕弾を使って突撃するか? しかしあんな物で制圧射撃をされたら煙幕も役に立たない。あるいは一旦退いて体制を立て直す手もあった。こちらに有利な状況で戦える場所があるかもしれないが、下手に退けばまた敗走に追い込まれるのではという懸念がそれを躊躇わせた。
 和也が決めあぐねていたその時、怒り狂ったように照りつけていた日差しが一瞬、急に翳った。何かと思って空を仰ぎ、和也は泣きたい気分になった。
「奴は……先刻のエステバリスか!」
「ぐあーっ! あいつまた出やがったあっ!」
 楯身と烈火が悲鳴に近い声を上げる。上空を一旦通り過ぎたそれは和也たちへ首を向け、すぐにUターンして戻ってくる。青い絶望の壁――――そんなフレーズが和也の頭に浮かんだ。
「最悪だ……!」



「やれやれ。やっと見つけたぜ。手間を取らせやがって」
 コクピットの全周囲スクリーンに、青ざめた顔でこちらを見上げるあのヒヨッコ部隊が移っている。それを見たサブロウタはふふんと鼻で笑った。
 サブロウタはヒヨッコ部隊を見失った後、次に彼等が現れるポイントを予想してその上空を飛んでいたのだ。結果的にレイの部隊に先を越されてしまったが、あの連中に先に目を避けたのは自分だ。横取りされてたまるか。
「あーあー、こちらは独立ナデシコ部隊、タカスギ・サブロウタ少佐です。オールウェイズ中佐。これより援護しますぜ」
『こちらオールウェイズ。援護感謝する。邪魔にならない程度に頑張っていただきたい』
 一応規範に則って通信を入れると、予想通りの慇懃無礼な返事が来た。
 なぜこの男は自分にこうも敵意を寄せるのだろう。恨みを買うような事をした覚えは無いのだが。
「そちらこそ、足を引っ張らないように気をつけてくださいね、っと……以上、通信終わり」
 言いたい事を言って、さっさと通信を打ち切る。
 こいつとはあまり関わらないほうがいい。
 サブロウタはそう思う。
「さて。お仕事お仕事……覚悟しなヒヨッコども!」



「いいんですか?」
「まあ構わんよ。盛った犬は勝手に咆えさせておけばいい」
 レイはそう言って、部下に笑いかけた。
 タカスギ・サブロウタ……あの男の手を借りるのは不本意だが、使えるものは使わねば損というものだ。
「とは言え、獲物を持っていかれるのも面白くは無いな。右の敵には“予備戦力”を投入する。残りは私と来い。左の敵を殲滅するぞ」
 傍らに立つ鉄の巨人が頷く。手にしたアカツキ狙撃銃を構え直してレイは言う。
「ここで奴等に引導を渡してやる。行くぞ」

 ――――『草薙の剣』の命運は、風前の灯だった。









 終わらない……というわけであとがきは次回で。