海の真ん中で、今、一つの島が死に瀕していた。
 体内で生じた巨大な破壊の力は、島を内部から引き裂き、嬲り、破壊した。島全体が軋みを上げ、あたかも戦争によって傷つけられたその島が断末魔の叫びを上げているかのように響き渡った。
 破壊はそれだけに留まらない。島の苦悶の痙攣は地震にも似た揺れとして島の上に築かれた町並みを襲った。半壊したビルがうねり、痘痕だらけの道路が割れ、焼け焦げた車が地の底へ飲み込まれていった。
 島が、町が、壊れる。
 島の上で無遠慮にも戦争の予行練習に励んでいた兵士達も、その崩壊から逃れる術は無かった。崩れ落ちる町の中ただ右往左往し、逃げ惑う者の悲鳴が降り注ぐ瓦礫の下に埋もれ消えていく。
 彼等もまた例外ではありえなかった。
「くそったれ、何がどうなってやがんだ――――!?」
『草薙の剣』のアタッカー、山口烈火は降り注ぐ瓦礫を危なっかしく避けながら、八つ当たり気味にそう叫んだ。彼等は宇宙軍部隊との演習で必死に戦ったはいいが、結局追い詰められ武器も使い果たして投降した。その矢先の変事だった。
「ここはやべえ。早く逃げねえと……おうわっ!?」
 突然に、烈火が足をつけていた道路が隆起した。道路の下に位置するメガフロートの内部構造物がその瞬間、崩壊――――支えを失った道路は巨大なシーソーのように持ち上がったのだった。
 急勾配の坂と化した道路を全力で駆け上がる。その勢いで向こう側の無事な道路へ飛び移ろうとした時、烈火の後ろで「ああっ」と小さな悲鳴が上がった。その声にはっと振り返る。
「――――っ! 美佳ッ!」
 叫ぶ。
 烈火の見ている前で、神目美佳が道路を転がり落ちていく。肉体派でない美佳は突然の事態に対応できなかったのだ。それを見た時にはもう、烈火は美佳を助けようと道路を駆け下りていた。
 自分にとっても危険な行為なのは解っていた。それでも烈火の体は勝手に動く。

 ――俺の行動基準に、『仲間を見捨てる』なんて言葉はねえ!

 美佳に向かって飛びつき、美佳を両手で抱き抱える。照れている暇など無い。足をブレーキに使い、なんとかその場に踏みとどまる。
「……す、すみません……」
「お礼は後だ!」
 美佳を抱き抱えたままの態勢で再び上へ駆け上がる。早く逃げないとどうなるか解らない、急げ、急げ、急げ――――
 だが次の瞬間、ドドドドド――――――! という轟音を立てて烈火の周囲が崩壊した。両の足が虚しく空を欠き、烈火と美佳は地の底へ飲み込まれていく。
「くそっ――――!」
 もうどうする事もできなかった。ただ美佳を必死に抱き抱え、降り注ぐ瓦礫から懸命に守ろうとする。

 ――こんな所で……死んでたまるかよ!

 洗濯機に放り込まれたかのように視界がグルグル回り、天地の区別がまったくつかない。降ってくる瓦礫に全身を殴打され、意識が遠くなっていく。それでも美佳は放さなかった。

 守って見せるぜ。絶対に――――!

 その思考を最後に、烈火の意識は闇に沈んだ。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第七話 ちっぽけなライオンハート 前編



 連続的に続いた揺れもやがて収まり、立崎楯身は伏せていた顔を上げた。
 ここは統合軍の仮説司令部が置かれた、『高天原』の港湾施設だ。かつては多くの定期船や貨物船で賑わっていたここも、いまは統合軍の兵士たちを運んできた水上輸送船が、ぽつんと一隻、止まっていた。
 中途で死んだ彼は一足先にここへ戻り、悔しさの中で休息していた時に異変に襲われた。実際はそう何分も揺れていなかったはずだが、何十分も揺れていたように感じた。何が起こったのかは皆目解らなかったが、これが演習の演出などでないことだけは確かだ、と思った。
 体に異常が無いか確かめ、特に怪我などしていないのを確認して立ち上がる。周囲には楯身のほかにも多くの兵士――つまり戦死者――がいたが、テントが倒れたりしているほかはそう大した被害は出ていないらしい事に、ひとまずは安堵した。
「『ここは』特に被害は無いらしいな……だが……」
 つい先刻まで傷つきながらも気丈に聳え立っていたはずのビル群は、考慮などしなくてよかったはずの地震に見舞われ、無惨にも倒壊していた。どう楽観的に解釈しても、市街地に残っていた部隊が無事で済むとは思えない状況だった。
「すぐに救助隊を編成し、救助に向かわねば……」
 楯身は仮説司令部へ向かおうと踵を返した。救助に向かう許可を貰わないといけない。部隊長は市街地へ出払っているから、許可を取るべきはあのアントン准将とかいう査閲官か……
 とその時、市街地の方から聞き覚えのある甲高い駆動音が聞こえてきた。そちらに顔を向けると、何かが土煙を上げて猛スピードで迫ってくる。演習の標的として放たれていたジョロやバッタだ。
「…………」
 楯身は目を細める。演習どころではなくなったから帰還の命令が出たのかと思うところだが、楯身は様子がおかしいと思った。
 木星にいた頃、楯身たちは――というより優人部隊の人間は――虫型兵器と共同で白兵戦を戦う想定の訓練も受けている。虫型兵器の行動パターンは良く知っているつもりだ。帰還の時に、あんなジグザグ走行をする事はない。
 攻撃を避けるための回避行動。
 戦闘機動。
「――いかん! 虫型兵器に近付くな!」
 遅かった。
 市街地に一番近いところに立っていた兵士が最初の犠牲者になった。彼は訳も解らないままジョロの足に腹を刺し貫かれ、大量の血と内蔵をぶちまけて絶命した。その惨事を目の当たりにし、周囲の兵士たちもこれが実戦に類する異常事態と理解した。
「先ほどの崩壊に、この襲撃……一体何がどうなっている、演習ではなかったのか!?」
 楯身は叫んだが、それに答えられる者など居るはずも無い。
 信じたくない光景だ。実戦を経験しているベテランが大半であるはずの対テロ部隊候補が、次々に体を貫かれ頭を叩き割られて殺されていく。何人かが手持ちの武器で応戦するが、まったく効果が無い。
 理由は簡単――――武器と言っても中身はペイント弾のままだ。銃に実弾が入っていないのは虫型兵器も同じだったが、あの強靭な足があれば人を殺すには充分すぎるほど事足りる。ここには機動兵器もいるにはいたが、その殆どは格闘戦能力の低いステルンクーゲルだ。素手やペイント弾で太刀打ちできないのは人間と変わりなかった。
「隊長たちは無事だろうか? ……いや、今は自分の事が先決か。おい! 実包はどこにある!」
 楯身は怒鳴った。せめて実包があれば虫型兵器に対抗できる。しかし返ってきた答えは、
「知らん! こっちが聞きたい。実包はどこにある!」
 そんな馬鹿な。いくらペイント弾を用いる演習としても情勢が情勢。人数分の実弾くらい持ってきているはずだ。どこかに実弾の入ったケースが置いてあるはずなのだが、何処を見てもそれらしい物が見つからないのはどういうわけだ。
 ――このままでは全滅……いや、皆殺しか。
 楯身の脳裏をそんな言葉がよぎった時、もう一人の戦死者、真矢妃都美が足早に駆け寄って来るのが見えた。楯身もそちらに走り寄る。
「楯身さん、これを!」
 そう言って妃都美が楯身に差し出したのは、胸に大事そうに抱えていた二挺の拳銃だった。いや、それは拳銃ではなく……
「それは……烈火の機関拳銃か? なぜここに?」
「何かあるかと思って、失礼ながら烈火さんの私物を開けてみたら出てきたんです。弾も十分あります」
 ――あの馬鹿者が。見つかったらどうする気だ。
「銃は有難いが……それは我々に使いこなせるシロモノではないぞ」
 楯身は言う。
 烈火は人工筋肉を用いて腕力を強化した生体兵器だ。基本的には奈々美と同じ物だが、インプラントされた人工筋肉の用途が腕力を高める物とショックアブソーバーの機能を持った物とに済み分けされている点が異なる。
 つまり奈々美が腕力による打撃を前提としているのに対し、烈火は常人では扱えない強力な火器を扱えるよう強化されているわけだ。この機関拳銃はそれ専用に作られた特注品で、烈火以外の者にはとてもではないが使えたものではない。
「分かってますけど、何も無いよりマシです。このままでは……」
 どちらにしても殺されます。妃都美がそう言いかけた時、「危ないっ!」と叫ぶ声が聞こえた。声のした方を振り仰ぐと、飛行態勢で滑空するバッタが目の前に迫っていた。
「くっ!」
「きゃあ!」
 咄嗟に身を躱し、体当たりを避ける。次の攻撃に備えて身構えた二人だったが、バッタは一度仕留め損ねた目標には頓着せず、そのまま滑空を続けた。
「――――っ! いかん!」
 楯身は息を呑んだ。バッタは目の前のもっと大きな目標へと狙いを替えたのだ。多くの人間がまとまっている場所――――仮説司令部。
 成すすべなく立ち尽くす兵士たちの目の前で、バッタは仮説司令部へ頭から突っ込んだ。司令部のガラス窓は一応強化ガラスだったが、バッタの質量には耐える術を持たなかった。悲鳴や絶叫にも聞こえる破砕音を響かせ、ガラスが飛沫のように割れ飛ぶ。
「おのれ……妃都美! あいつをやるぞ、できるか!?」
「やってみます!」
 楯身と妃都美は烈火の機関拳銃に弾を装填する。司令部に半身をめり込ませたバッタは、まだ節足を蠢かせて中へ中へと体をねじ込もうとしている。あれでは中のオペレーターに死傷者が出ているはず。中はきっと地獄だ。
 これ以上勝手にはさせない! 反動に耐えるべく両足を踏ん張り、機関拳銃を両手でしっかりとホールド。バッタの無防備な腹へ向けてセミオートで撃ち放った。
 ズトンッ! という大きい銃声と、ハンマーを叩き付けたような強い反動が腕から全身に伝わる。妃都美はたまらず尻もちをついたが銃は放さなかった。そのまま二発、三発と続けて撃つ。装甲の薄い腹に弾を喰らったバッタは痺れたように痙攣し、やがて力なく崩れ落ちた。
「やった!」
「安心するのは早い。構えろ!」
 鋭く言い放ち、機関拳銃を後ろに向けなおす。そこにはすでにおよそ五機のバッタやジョロが、楯身と妃都美へ狙いを定めていた。
「やはり、一機を倒した我々を最優先目標に定めたか。思考ルーチンの基本アルゴリズムは変わっていないようだ」
「あれだけの数、私たちだけじゃ敵いませんよ! どうするんですか!」
「口を動かしている余裕があったら銃を動かせ。ここで戦わねば命は無いぞ……」
 低い声で恫喝するように楯身は言う。状況は分からないが、こんな所で死ぬわけにはいかない。楯身も『草薙の剣』もまだ何も果たしていないのだ。火星の後継者を倒し、奴らの行動が木星人の総意ではないと証明する。
 それを成した、その後は――――
「まだ終わるわけにはいかん。我等の目的を果たすまではな……!」
「……分かりました」
 虫型兵器が突進の体制を取る。楯身と妃都美も、銃を構えて向かい合った――――

『――――そこまでだあ――――――――っ!』

 突然の大音響にびくりとした。
 ビルの合間から、一機の赤いエステバリスが踊り出た。見間違えようも無い、スパル・リョーコ中尉のエステバリス・カスタム。道中市街地の生存者を拾っていたのか手に数人の歩兵を抱え、その他にも体のあちこちに歩兵がしがみついていた。
「楯身、妃都美、無事か!?」
 エステバリスの掌の上から、大声で呼びかけてくる者がいる。黒道和也だ。それを見た楯身はこの非常時にあってほんの一瞬安堵した。
「おーっ! 隊長! それに奈々美に美雪も! 無事でしたか!」
「この女に助けてもらったのよ。不本意だけどね!」
 田村奈々美が威勢良く答えた。なぜか両手に包帯を巻いている。また何か無茶をしでかしたであろうことが伺えた。
「話は後にしませんこと? いまはこの虫けらどもを叩き潰すのが先決ですわ」
 影守美雪が言い、「だね」と和也は頷く。
「みんな行くよ! 武器が無くても意地と根性があれば何とかなる!」
『その意気や良し! 行ってきな!』
 意気込んで、リョーコはエステバリスを降下させた。地面との距離が一番縮まった瞬間にしがみついていた歩兵たちは機体から離れ、五点着地法を使って降り立つ。それを見届けたリョーコは再び機体を上昇させ、ジョロの一機に狙いを定めた。
『アチョー!』
 エステバリスの急降下飛び蹴り。一トン超過の機体が加速度を得てジョロを捕え、蹴りをまともに受けたジョロは六本の足が全て折れ飛び、四散した。その折れ飛んだ足を奈々美が空中でキャッチする。
「はあああああああああっ!」
 自分の背丈より長い足を軽々と振り回して別のジョロへと肉薄。なぎ払う足の一撃がくるが、腰を落として難なく避ける。
 ジョロの頭部を同じジョロの足で一撃。すかさず横薙ぎにもう一撃を叩き込む!
 奈々美の強烈な一撃にジョロは派手に横転し動きを止める。会心の笑みを口元に浮かべる奈々美だったが、その背後には新たに三機目のジョロが迫り、奈々美を狙って必殺の足を振り上げていた。
「させるか!」
 瞬間、和也が踊り出た。落ちていた鉄のパイプを拾い、ジョロの懐へ飛び込んで振り上げた足の付け根へと鉄パイプを突き入れた。関節部に侵入した鉄パイプがジョロの足の動きを止める。そこへ美雪が右手の“暗殺者の爪”を伸ばし、ジョロへと素早く走り寄って飛ぶ。その上を通り過ぎる瞬間、美雪の爪は鮮やかにジョロの首筋のコードを断ち切った。
 リョーコという援軍の到着と『草薙の剣』の活躍に、狼狽していた周囲の兵士たちも徐々に落ち着きを取り戻していった。実包が無くてもそばにあった鉄のパイプや訓練用の武器を使って関節部や首筋のコード、カメラアイなどの弱点を攻撃し戦闘力を奪っていく。ベテランの面目躍如といった所か。
 さらに『姉御――――!』というドラ声と共に市街地の方から、リョーコと同じように歩兵をしがみつかせたエステバリスが数機飛来した。リョーコが率いる『ライオンズシックル』の隊員たちだ。彼等と彼等が連れてきた歩兵も加わり、戦況は一気に統合軍側に有利になった。
「よし……何とかなりそうだね」
「隊長」
 と、楯身。
「ありがとうございます」
「何が? この状況で助けるのは当たり前だろ」
「いえ、それではありませぬが……とにかく、感謝しております」
「? まあ話は後でね。みんな、このまま虫型兵器を駆除するぞ! ベテランの人たちに負けるな!」
 おお、と皆が応じる。まだまだ周囲のベテラン兵士に比べれば荒削りな能力の仲間たち。だが楯身には、それがこの上なく頼もしく思えた。



 …………
 ……………………
 ……こつん。
 額を軽く叩かれた気がして、烈火は目を覚ました。
「んあ……俺は……?」
 出た声は、少し寝ぼけていた。脳が今一つ覚醒していない。なにやら柔らかい枕らしきものの上で首を巡らせると、あたりは随分と暗かった。ここは何処だろう。ベッドの上……でない事は確かだ。
「……烈火さん……気がついたんですね」
 不意に声が降ってきた。顔を上に向けると、目の前に美佳の顔があった。
「……良かった。あまりに静かなので、もう起きないかと……」
「へへ。俺様がそう簡単にくたばってたまるか……? うお!」
 自分の状況に理解が及び、一瞬で意識が覚醒した。頭になにやら柔らかい感触があると思ったら、それは美佳の膝……つまり、烈火は美佳の膝枕の上で寝ていたのだ。それに気付いた烈火はがばっと飛び起きた。
「こ、ここは何処だ? 俺は確か、何とか原って島で演習をやってて……」
 恥ずかしい気分を誤魔化す意図で訊いた。烈火の心臓は太鼓のように激しく鼓動していた。
「……ええ。追い詰められて投降しようとした時、急に島が揺れました。それで道路が割れて、私はそれに飲み込まれそうになりました。……烈火さんが守ってくれたと、感謝しています」
 そうだった。烈火は崩壊に巻き込まれそうになった美佳を助けようとして、結局逃げ遅れたのだ。瓦礫から美佳を守ろうと必死になって美佳を……その、抱きとめたまでは覚えているが、その最中で気を失ってしまった。情けのない話だ。
「と、当然の事をしたまでだぜ。とにかく、割れた道路の下って事は、ここはメガフロートの内部かね?」
 美佳は頷く。
 メガフロートの内部構造は、基本的には水上船と同じものだ。内部の空間は浮力を生み出すと同時に、さまざまな用途に利用できるスペースでもある。烈火と美佳はそこに落ちたわけだ。
「上までは、ぱっと見て10メートルってとこか……こりゃ登るのは無理だわな」
 烈火の目の前にそそり立っているのはあの崩壊した道路。後ろにはつい先ほどまで烈火たちが篭城戦を繰り広げていたビル……の慣れの果てである瓦礫の山があった。
 何が起こったのか烈火には知るよしも無いが、破壊された内部構造物は天井の重さを支えきれずに、ビルが周りの道路もろとも大きく沈み込んだ形だ。おかげで前も後ろも切り立った崖のようなありさまで、とてもではないが登れそうにはない。瓦礫の下で生き埋めにならなかっただけ、有難いと思うべきかもしれないが……
「……あちら側に、通路がありますね。探せばどこかに上へ通じる出口はあるでしょうが……下手に動くのも、かえって危険かもしれませんね」
「ここで助けが来るのを待つしかねえかな……水と食い物はまだあるかね?」
 持ち物をその場に広げる。烈火も美佳も水分補給ドリンクを少しばかり残していた。戦闘糧食もまだある。二人ともこれといった怪我はしていないようだし、携帯用の医療キットもちゃんとある。一日程度なら死にはすまい。
「……むう。武器だけは殆どどっかに行っちまったな」
 烈火は自分の体を探り、持っていた銃器類が無くなっているのに寂しさを感じた。
「あるのは使い残しのペイント弾がちょっぴりと、発射機の無いミサイルだけか。役に立たねえな」
「……必要ないでしょう。もう演習どころではありません」
「そうだけどよ……」
 美佳の言う事は正しいが、一度感じた銃への未練はそう簡単には捨てられない。
 烈火は子供の頃から機械が、特に武器が好きだった。見た目がかっこいい、持っただけで強くなれる気がする――――まあ、理由は何でもいいが、軍隊に入った頃から武器への執着は強くなった気がする。それは烈火が武器の扱いに特化した生体兵器であると同時に、やはり『あの時』のことに起因しているのだろう。
 まあ和也は無事だったようだし、ここで待っていればそのうち助けが来るだろう。それまで美佳と二人きりの時間を満喫するのも悪くない。
「ま、演習で疲れてたとこだし、ここでのーんびり……」
 呑気極まる事を口にし、烈火は瓦礫の山に背を預けた。
 すると頭を叩かれた。美佳に小突かれたと思い、そちらに顔を向ける。
「何だよ。叩く事ねえだろうが」
「……? 私は何もしていませんが」
 怪訝そうな顔で美佳が言う。するとまた頭を叩かれた。何だと思い上を見上げ、烈火の背丈より大きい何かが落ちてきたのを見てぎょっとした。
「危ねえ!」
「ひゃっ」
 美佳を突き飛ばしてその場から飛び退く。次の瞬間、一瞬前まで二人のいた場所へ『何か』が落着した。衝撃に埃が舞い上がり、二人を咳き込ませる。
「ゲホゲホ……何だいいところ……じゃねえ、せっかく疲れた体を休められると思ったってのに……」
 思わず文句が漏れる。
 落ちてきたのは、烈火にとっては見慣れたものだった。虫型機動兵器甲式――――地球側コードネーム、バッタ。背中から派手に落下し、無防備な腹を晒していた。
「……壊れちまったかね?」
 ツンツン、と足先でバッタの装甲を突っ突く。途端、びくっ! とバッタの全身が震え、烈火は驚いて数歩後ずさった。
 落ちてきたバッタはキュイイイ、と耳障りな駆動音を響かせ、ひっくり返った状態から四本の脚を使って器用に起き上がる。赤く光るカメラアイがぎょろりと二人のほうを見やった。
「探しに……来てくれたのか?」
「…………」
 この期に及んでまだ、烈火はこの状況が事故か何かと呑気に考えていた。だがバッタは姿勢を低くし、犬が威嚇するような体制で烈火たちを睨んだ。そこで烈火は、はっと思い立った。
 あの姿勢は、戦闘態勢――――
 烈火が危険を察した時にはもうバッタが動いていた。ガチャガチャガチャガチャ! と四本の足を動かし、猛烈な勢いで二人へ迫る。烈火と美佳は逃走を試みるが遅かった。バッタが前足を鎌のように振り上げ、逃げようとする美佳へ目掛け振り下ろす。
 骨のへし折れる嫌な音は、狭い空間の中で反響しいやに大きく響いた。



「それはどういうことですか、アントン准将!」

 ほぼ全壊した仮説司令部に代わって臨時の指揮所となっているテントの中に、和也の怒声が響いた。周囲の視線が集まる。
 辛くも虫型兵器を退けた後、統合軍は戦死者の遺体をテントの一つに収め、怪我人を救護テントに運ぶ鬱々しい作業を始めた。
 被害は決して軽くなかった。たちまち救護テントのベッドは負傷者で溢れた。指揮所にバッタが飛び込んだことで、オペレーターにも被害が出ている有様だった。和也達の専属オペレーターも、死んではいないものの重傷を負った。
「もう使い物になりませんわね、あれは」
 美雪などは冷たく言ったものだ。
 遺体と怪我人を収容し終わった後、和也達は市街地へ出たきりの部隊長に代わって部隊の指揮をとっている査閲官、アントン准将からの指示を待った。どうせすぐにでも市街地に残っている部隊の捜索と救助が始まるだろうし、和也達もそれに参加するつもりだった。特に崩壊に巻き込まれた烈火と美佳は、今すぐにでも助けに行きたかった。
 だがアントン准将の命令は、およそ信じられないものだった。

『各員は直ちに乗艦、一時島を離脱せよ。後日改めて救助活動を行う』

 ……その放送を聞いたとき、和也は頭が一瞬真っ白になった。
 市街地には烈火や美佳のほかにも、まだ取り残されている兵士が大勢居るはずなのだ。暴走した虫型兵器もまだ残っているであろう中で島を出るなど、アントン准将は彼等を見殺しにするつもりなのか。
 腹に据えかねた和也は、アントン准将に直談判しに向かった。何とか自分たちだけでも助けに生かせてもらえないかと、ダメもとで頼んでみるつもりだったのだが……
「じゃあ! 今市街地で孤立しているかもしれない人たちは、見捨てるって言うんですか!」
「そうは言っておらん。彼等も兵士のはしくれ。数日くらいなら生き延びられるだろう。助けに行くのは本土に戻って準備を整えてからでも遅くは無い……筈だ」
「無茶苦茶です! これはただの事故じゃありません、市街地にはおかしくなった虫型兵器もまだいるはずなのに、そんな中に置き去りにするなんて見殺しと同じです!」
「そう。それだ。この事態は事故ではない。ここにも、いつまた襲撃があるかも判らん。ろくに装備も無いこの状況では早く逃げ……いや、離脱しなければ危険だ」
 この男は……! 言葉の端々に見え隠れする本音に殺意を覚える。
 もっともらしい事を言っているが、その本当に言わんとすることは和也にも解る……要するに、危険なここから早く逃げたいという事だろう。自分だけが逃げれば軍務蜂起であり軍法会議ものだが、『部隊の安全を優先して一時引き上げた』と強弁すればそれも免れえるかもしれない。
 ――最低だ。完全に自分の身の安全だけ考えている。こんな奴が上官では話にならない。でもここで一番階級が高いのはこいつだし、部隊長は帰ってこない。あの崩壊に巻き込まれたとすれば、永遠に帰ってこない可能性もある。
 糞だ。
「勝手な真似は許さん。小隊長の君が命令違反をすれば、部隊全員を罰する事になるぞ。……解ったら、君も乗艦の準備をしたまえ」
 畳み掛けるように上官権限を振りかざし、アントン准将は和也に背を向けた。これ以上話をする気は無い、という露骨な意思表示だ。
「失礼します……」
 確実に罪を逃れる方法があれば、切り殺してやりたい……かなり本気でそう思いつつ、憤懣冷めやらぬまま司令部を後にする。
 テントの外では、美雪を除くほかのメンバーが待っていた。
 和也が駄目だった旨を伝えると、皆やはりそうかという顔で肩を落とした。
「兵の命より自己の保身か……頼りにならなさそうな上官だとは思っていましたが、大当たりでしたな」
「ふん。弱い奴ほど悪知恵は働くものね」
 楯身と奈々美が、陰口を囁きあう。「聞こえますよ」と妃都美がたしなめた。
「ったくどいつもこいつも、二言目には『勝手な真似は許さん』か……」
 和也は苦い顔で爪を噛む。
 勝手な真似は許さん。それは軍組織では当然の事だ。軍人が命令を無視して勝手に動けば、それは『軍の暴走』以外の何者でもない。解ってはいるのだが……
「くそっ!」
 まったく嫌な事を思い出させる! その言葉は和也、そして『草薙の剣』にとってはトラウマに等しい、この上なく忌まわしい言葉だ。従わなければいけないという理性と、逆らいたいという感情に挟まれ、和也はやり場の無い苛立ちを拳でコンクリート壁に叩き付けた。
「こらこら。いけねえな隊長さんよ」
 不意に声がかけられた。誰だと思って振り仰ぐと、パイロットスーツのヘルメットを脇に抱えてリョーコが立っていた。
「……何か用ですか? エステバリスのパイロットは再度の襲撃に備えて待機でしょう」
「ご挨拶だな……いいか、お仲間が心配なのはよーく解る。でも壁に八つ当たりはいけねえな。みっともねえ」
 ちくり、とその言葉が癪に障った。
「スパル中尉はいいでしょうよ。部下の人は全員無事なんですから。僕たちは……」
「和也」
 と、リョーコは今まで一度も口にしなかった和也の名を口にした。口にして、ずいと顔を寄せてくる。
「心配なのがお前だけだとでも思ってんのか? ん?」
「う……」
 威圧するような口調で言われ、和也は何も言い返せなくなる。今までのリョーコからは想像できないほど……恐い。これが歴戦の勇士が持つ貫禄なのだろうか。
 押し黙る和也に、くい、とリョーコが横へ顎をしゃくる。そちらを向けという無言の意思表示だ。促されるまま首を向けると、その場にいた兵士たちが疎ましそうな顔で和也を見ていた。
 ああ、しまった――――頭に冷や水をぶっ掛けられた気がした。助けに行きたいのは和也だけではないのだ。これでは本当にダダをこねるガキだ。
「……ごめんなさい。僕は自分の事ばかりで」
「よしよし。解ればよろしい」
 素直に謝った和也に、リョーコは破顔して頷いた。
 いけないな……と和也は思う。
 何とか隊長らしく偉そうに振舞おうとはしているが……この手の事態になると、つい冷静さを失ってしまう自分がいるのだった。それが過去のトラウマから来るものであると自覚もしている。
 ……それだけに、自分ではどうしようもない。
「みんな、みっともない所を見せてごめん。とにかく今は、僕たちにできる事をしながら機会を待とう。烈火と美佳は……きっと無事だ。そう、信じよう」
 和也は他の面々に向かって言った。了解しました。わかりました。わかったわ――――返事は三つ。三者三様の返事が返ってくる。
「とにかく今は、従うより他にないか……みんな荷物をまとめて。それと美雪はどこに行ったの?」
「はて。先ほど周りの様子を見てくると言って、どこかに行ったのですが……」
 角刈りの頭を掻いて、楯身。
「すぐに来るんじゃないの? あたしたちは先に乗ってましょ。ぐずぐずしてたらまたあの准将に睨まれるわよ」
 そう急かしたのは奈々美だ。まあ美雪に限って乗り遅れはすまい。奈々美の言う通りアントン准将に睨まれるのも悔しいが恐い。言い争いをやらかした手前、これ以上機嫌を損ねるのは避けるべきだ。
 和也は埠頭に佇む水上輸送船を見上げた。負傷兵が優先的に運ばれ、最初の一団が担架で運び込まれようとしている。別に当然の処置だが、不審というフィルターを透して見ているせいかそれさえもアントン准将の保身のためのパフォーマンスに見えてしまう。
 ……くそ、忌々しい。
 いっそあの船がドーン! と爆破でもされれば、あのクソ准将もこの島に残るのを余儀なくされるものを――――和也の脳裏にふっと邪気がよぎった。
 次の瞬間――――

 ドーン! と轟音が響き渡った。

「う、うわっ!?」
 また崩壊が来る!? 和也達を含め、その場にいた全員が反射的に地面に伏せ、頭を抱えて落下物から頭を守る体制をとる。
 しかし彼等が足をつけている地面が揺れる事も、瓦礫が落ちて来ることも無く――――海の中から、盛大に水柱が吹き上がった。
「……え?」
 つい、間の抜けた声が出た。
 突然に吹き上がった水柱は、止まっていた輸送船の船尾近くで発した。それで吹き上がった水がシャワーのように降り注ぐのと、船から火の手が上がるのはどちらが先だったか。
 船が爆破された。理解が及ぶまでにそう時間は要らなかった。
「火を消せ!」
「浸水するぞ、水密戸を閉めろ!」
「中の奴を外に出すんだ!」
 たちまち周囲が騒がしくなる。
 爆発が起こったのは船の喫水線の下だ。穿たれた穴からは猛烈な勢いで浸水が始まり、外から見る和也達からも大量の気泡が湧き出し、ごぼごぼと嫌な音を立てて割れていく光景として目に入った。それはあたかも、人間が溺れて海に沈んでいく光景にも似て見えた。
 入り込んだ水は船のバランスを崩す。水の重さで船尾が沈んで船首が持ち上がり、ふっくらとした形状の球状艦首が剥き出しになる。一度は運び込まれた負傷者が大慌てで運び出されるが、徐々に傾斜を強めていく船の上で一人が担架から転がり落ちた。
「ああっ!」
 負傷者は坂になった甲板の上をごろごろと転がり落ちた。いけない、あの人が海に落ちたら助からない――――! 辺りは一次騒然の度を強めたが、転がり落ちた負傷者は海に落ちる寸前で腕を掴まれ事なきを得た。
「美雪!? なぜ船に乗っている!?」
 和也の隣で楯身が叫んだ。負傷者を救った功労者の顔は、見間違えようもない美雪のそれだったのだ。
 美雪は負傷者を背負い、持ち前の脚力で甲板から埠頭へ飛び移る。誰かが「ブラバー!」と歓声を上げた。
 和也達は美雪に駆け寄る。
「美雪! 大丈夫か!?」
「ええ。私は平気です。それより……」
 きっ、と美雪は厳しい目を炎上する水上輸送船に向けた。浸水は食い止められたのかこれ以上傾く気配は無いが、以前火の手は治まらず完全に艦首を天に向けていた。これではもう、自力航行は出来そうにない。
 統合軍部隊およそ二百人は、この絶海の孤島で完全に孤立した。



 ぐう……と苦痛に呻き声が漏れる。
 烈火は脂汗を流し、苦痛に顔を歪めて真っ暗な通路を歩いていた。背後から追ってきているかもしれない、敵の気配に脅えながら。
「ぐっ……」
 呻く。
 烈火の右腕は、だらりと力無く垂れ下がっていた。二の腕のあたりが針の束を詰め込まれたように痛む。確実に骨は折れているはずだ。医療用ナノマシンを注入すれば一日二日で治るだろうが、ここではどうしようもない。とにかく痛みを堪えて逃げるだけだ。
「……なんとか、振り切ったようです」
 傍らを歩く美佳の言葉に、どっと力が抜けた。崩れ落ちるように膝をつく。
「ちっ……ざまねえな。助けようとして自分が怪我してりゃ世話はねえ」
「……申し訳ありません」
「う……いや、別に美佳を責めてるわけじゃねえんだがよ」
 うなだれる美佳。烈火は慌てて体裁を取り繕う。別に美佳が悪いわけではないのだ。
 バッタが美佳に襲い掛かった瞬間、烈火は無我夢中で美佳を突き飛ばした。それで美佳を助けられたは良かったが、逆に自分が腕に一撃を喰らう羽目になった。
 利き腕をへし折られ、烈火と美佳は命からがらその場から逃げ出した。自分ともあろう者が情けのない話だが、腕を折られ武器も持っていないのではバッタに歯が立つわけが無い。腕を丸ごともぎ取られなかっただけ有難いと思うべきだろう。
「あのバッタ……なんで襲ってきたんだろうな」
 携帯医療キットで応急処置を施しながら、烈火は言った。
「……解りません。ですがあの動きは訓練モードではありません。実戦の、敵に対する攻撃です」
「単に落っこちたショックでどこか変になっただけ……て訳じゃ無さそうだな」
 いま上で何が起こっているかなど、烈火には知る由も無い。しかし今の事態が危険な非常事態だと、ようやく烈火にも理解できてきた。
 きっと上でも何か起こっているはずだ。とすれば、ここに居てもまず助けは来ない。それに……
「貴重な食い物を置いてきちまったぜ。くそっ、バッドタイミングで襲ってきやがって……!」
 バッタが襲ってきた時、烈火と美佳は手持ちの食料を確認するためその場に広げておいた。その矢先の襲撃だったために、食料を持ち出す暇など無かった。
 一日二日絶食しても死ぬわけでは無し、空腹など我慢すればいい――――そう思うのは甘い。物を口に入れられなければ体力の回復もおぼつかず、やがては動く事もままならなくなる。救助が期待できない状況では深刻な問題だ。
 特に烈火にとっては『ただの人間』以上に重大な問題となる。烈火もまた、人工筋肉の稼動のため奈々美と同じように大量の食事が必要となるのだ。彼の場合はあえて食事量を人並みに押さえ、足りない分は高カロリーのカプセル剤で補っているのだが、それも食料と一緒に置いてきてしまった。
 腕だけでなく足にも人工筋肉をインプラントされている烈火は、このまま時間が経てば腕も足もまともに動かなくなるに違いない。そうなれば後に待つのは餓死か衰弱死か、それともあのバッタに見つかり殺されるか……どの道、楽な死に方は出来まい。
「……戻って、食料を取りに行く訳には……」
「駄目だ。またあいつとかち合うかもしれねえ」
 もう一度あのバッタに遭遇すれば今度こそ助からない。烈火は本能的にそう察していた。
「……では、自力で上に出るしかありませんね」
「ああ。幸いにして美佳が居る。ナントカレーダーなら上への道も解るだろ?」
 なら安心だぜ。と烈火は白い歯を出して笑う。例えるなら美佳は、迷宮の出口への道しるべになる糸巻きを持っているようなものだ。その点心配していなかった烈火だが、何故か美佳の顔色は良くなかった。
「……確かに、ソリトン・レーダーなら道がわかります。ですが……」
「どした」
「……バッテリー残量が心もとないのです。演習中にはかなり出力を上げていましたから……後十分から二十分、持つかどうか」
 思わず、げ、と声を漏らしていた。二人を導いてくれるはずの糸巻きは、いつぷっつりと切れてしまうかもしれないわけだ。
 状況はどんどん悪くなっていく。夢も希望もございません――――そんな嫌なフレーズが頭に浮かび、烈火はごつんと頭を叩いてそれを追い出した。
「とにかく行くぜ。電池が切れるまでに少しでも上に行く」
「……でも、烈火さんの怪我が……」
「痛み止めがすぐに効く。心配すんな。俺を誰だと思ってる?」
 余裕ありげに笑う。勿論カラ元気、虚勢だ。確かに痛み止めは討ったし折れた腕も固定した。肉体的にはまだ余裕はある。だが正直に言うと、精神的にはかなり余裕が無かった。
 はたして、生きて太陽を拝めるだろうか。閉ざされたメガフロートの内部でたった二人、しかも何処かには二人を狙う敵が居る。とても楽観できる状況でない事はもう烈火にも解っていたが、美佳の前で弱気は見せたくなかったし、彼女を不安にもさせたくなかった。
 戦争する以外さして取り得の無い自分だけど、ならば惚れた女の一人くらい守って見せるのが男の意地というものだ――――



 俺は、木星の資源採掘拠点コロニーで生まれ、小さい頃の一時期をそこで育った。船の材料とかに使う鉄鉱を含んだ石を掘り出す、炭鉱夫のような仕事をしている連中とその家族が住む小さなコロニーだ。
 そう言えば聞こえは良いが、実際は低所得層の人間の溜まり場のような場所だ。安い賃金で雇われた労働者たちが、生活のために危険な採掘活動に従事していた。居住空間はガニメデやカリストのような都市とは裏腹に、宇宙船の居住区をそのまま使っているような狭苦しいスペース。俺とその家族に割り当てられた住居は六畳一間程度の個室二つだけ。それに祖父に祖母。親父とお袋と、その子供である俺を含めた兄妹四人。三世代が同居する大家族が暮らしていたと言えば、その狭苦しさが解るだろうか。
 当時の木連の生産体制は、明らかな矛盾を抱えていた。
 木星の生産力の中心である木星プラントの生産力の大半が軍備増強に回され、民製品の生産などスズメの涙。しかし木星プラントも0から1を作ってくれるわけじゃなく、例えば戦艦を作るにしてもその材料となる金属諸々が必要となるわけだ。
 その材料は木星の輪っかを形作る小惑星から取れるのだが、その採掘活動には危険が伴い無人の作業機械でやるのが望ましい。が、さっきも言ったように生産力の大半が軍備増強に回されていたせいで、無人の作業機械もろくに入ってこなかった時勢だった。それにより採掘は滞り、木星プラントのラインもまともに動かなくなる。それによって作業機の生産も滞りさらに採掘量が減る……という悪循環に陥る。
 そこで幅を利かせてきたのが『奴隷商人』なんて俗に言われる連中だ。貧乏人を安い賃金で雇ってこういう危険な作業をさせる。気に入らない連中だが、こいつ等のおかげで木星の生産は保たれ、貧乏な奴等も飯の種に困らなくはなった。政府も失業率ゼロの体裁を作ることが出来るとあってそれを殆ど黙認していた。
 俺の親も、そんな奴隷商人に雇われた口だった。
 親父は削岩機を片手に石を掘り、お袋は大事な無人作業機を心を込めてメンテする。朝から晩までそうして働き、時には数日返って来ない。そして帰ってきた時には二人とも疲れ果てて寝てしまう。そんなふたりの寝顔を見るのが俺は好きだったわけだが。
 お世辞にも豊かとは言えない生活。だが幸せだったと記憶している。恐くて口うるさい爺さんと、対照的に優しい婆さん。ふたりの兄貴と妹に囲まれて。
 壊れた作業機械をこっそり持ち出して、兄貴たちが直したそれで遊んだ。作業機が紛失した事で採掘場では一騒ぎあったようだが、俺の知ったことではない。ほとぼりが冷めた頃に返しておいた。
 採掘場の中に木星プラントのような遺跡が眠っているという噂を耳にし、学校――と言っても一部の大人たちが集まって勝手にやっている青空教室という類のものだったが――の仲間と一緒に採掘場へ忍び込んだ事もある。そして迷路のような坑道の中で迷子になり、発見されて親父に頭の形が変わるほど殴られた。下らない噂を流した奴はあとでフクロにしておいた。
 これは内緒の話だが、爺さんにこっそりと銃の使い方を教えてもらった事もある。ただその時銃のハンマーに指を挟んで爪が剥がれかけてしまった。あの時の痛みが俺の人生で最高のそれだった。それに過ぎたるは無い。婆さんに叱られる爺さんの姿がなんとも可笑しかったのを覚えている。
 他にもいろいろあるのだが、記憶にある全てを語ろうとすれば日が暮れるので割愛する。俺はこの貧しくもささやかに幸せな生活が、ずっと続くと思っていた。……あの日までは。
 俺が七歳くらいの頃だったか。俺が飯の支度をして親の帰りを待っていた頃、不意にあたりが騒がしくなった。
 この時、採掘場では崩落事故が起こっていたのだ。巻き込まれて大勢の人が生き埋めになった。あまりの混乱振りになにがなんだか解らない状態の俺が採掘場へ走り出したのは、殆ど直感的な行動だったと思う。道中の記憶もまったく無い。気が付いた時には俺は息を切らせて採掘場の前に立っていた。

 ――そして俺がそこで見たのは、お袋の前でぐったりと倒れ、千切れた腕と足からどくどくと血を流す親父の姿だった。

 親父は命こそ助かったものの、重傷だった。
 足と腕をそれぞれ一本切断する大怪我を折った親父は、自力じゃ歩く事もままならなくなった。受けられる治療もけして満足とは言えないもので、傷は化膿して異臭を放ち、流れ出す膿は苦痛を孕んで親父を苛むのだ。痛みだけでも楽にしてやりたかったが痛み止めを買う金すら俺たちには無かった。
 そんな俺たち家族を支えるために、お袋は前にもまして必死に働いてくれた。兄貴たちも学校に行くのをやめて仕事に専念し、俺も機械いじりの趣味を生かしてお袋を手伝った。だが悲しいかな、それで得られる金はスズメの涙だった。
 それでも俺は、なんとか家族を支えてやろうと働く気でいた。家族を捨てて家を出るなど、考えたことは一度も無い。それなのに……
 ある日、何の前触れも無しに一組の男と女がやってきた。
 俺たちの着ている着古した服とは対照的な新しい服。女の顔をべっとりと覆う厚い化粧。一目でここの住人ではない、もっと所得の高いところの人間だと解った。
 ……ああ、あの時のことは一生忘れられない。その二人は、俺たちを身踏みするような目で見渡した。まるでペットショップの動物を見るように。あんな見下した目で見られたのは初めてだ。
 男は、俺の五歳になる妹を指差してこの子か? とお袋に向かって横柄に言った。はい、とうなだれてお袋は答える。何のことやら理解できずにきょろきょろする妹に向かって、お袋は言った。
 これからはこの人たちが、お前のお父さんとお母さんになるのよ――――と。
 俺は、お袋が何を言い出したのか解らなかった。解らないまま、妹は女に腕を引かれて家から連れ出された。嫌だと叫びながら、俺の、俺たちの名を呼んで……
 我に返った俺はどういうことだとお袋に詰め寄ろうとした。それを止めたのは二人の兄貴だった。俺を羽交い絞めにして、やめろ、と辛そうな顔で辛そうな声で言うのだ。お袋も、親父も、爺さんも婆さんもみんな同じような顔で俺を見ていた。何でそんな顔でみんな俺を見るんだ。おれが何か悪い事でもしたって言うのかよ。
 お袋は恐くて今まで言えなかったのだと、泣きながら答えた。どうやらこの時、俺たち兄弟のうち下の三人を高所得層の人間へ養子に出すことは、密かに決められていたらしい。知らなかったのは俺と、連れていかれたきり二度と会う事の出来なかった妹だけだった。
 低所得層の家が食い扶持を減らすため子供を手放すなんて事は、当時では珍しくもない話だった。片や高所得層の側も、多産が奨励されて最低二・三人の子供を作らないと世間体云々が悪いとされていた頃だったから、子供の居ない夫婦は養子を欲しがっていた。
 俺はショックと悲しさのあまりただただ泣いた。
 次に感じたのは家族への憎しみだった。
 どうして俺にだけ何も言ってくれなかったのか、俺を捨てるのか、俺はそんなに厄介者なのか――――口をついて出る言葉はいくらでもある。言葉の続く限り、俺は家族を罵った。爺さんと婆さん、そして親父は何も言わずにただそれを聞き、涙を流すお袋を尻目に兄貴二人と拳を交わした。

「お前らなんか大嫌いだ」

 最後にそう言い残して、俺は家を出た。それきり、家族の顔を見ることは二度と無かった。



 それから、俺は抜け殻のようになって養父母に引き取られた。これからどういう生活が待っているのか知らないが、少なくとも物と食べ物には不自由しまいと、俺は動くのを拒否しているような頭で漫然と考えていた。
 どうせ世間体のための養子縁組なのだ。愛情など最初から期待はしていなかった。結論から言えばそれは正解だった。
 家から出て、向かったのは養父母の家ではなく何処とも知れぬ施設だった。なにやら俺と同い年くらいの奴等が大勢居るそこに俺を放り出し、養父母は顔を合わせたその日のうちに消えた。
 そして聞かされたのは、お前たちはこれから木星のための剣になるのだ、ということだった。その施設が生体兵器の研究施設であったことは言うまでも無い。
 あの夫婦――本当に夫婦だったのかも怪しいが――は最初から、俺を生体兵器の候補とするために引き取ったのだ。気がついた頃にはもう遅かった。俺は薬で眠らされ、目が覚めた頃にはもう、俺はただの人間ではなくなっていた。
 インプラントが定着するまでの長い間、俺は大量の投薬から来る苦痛に悶え苦しんだ。
 人工筋肉をインプラントするために筋肉をあらかた切り落とされ、腕はろくに動かせない。そこから来る幻視痛は昼夜問わず俺を苛み、地獄の苦しみを味わわせる。それは日を追うごとに一人、また一人と力尽きた連中が死体処理場に運ばれていく中で、俺の番が回ってくるのはいつだろうかと思わせるに充分な責め苦だった。
 これは、バチが当たったのかね――――苦痛のせいか薬のせいか、虚ろに霞む頭で俺は、そう思った。
 人は死ぬ間際、一生を走馬灯のように思い出す、とどこかで聞いた。
 そのせいかは知らないが、俺は家族の事を思い出した。別れてからまだ殆ど経っていないはずなのに、なんだかとても懐かしく感じられる。と同時にその記憶は、別れ際のあの残酷なやり取りを、嫌が応にも思い起こさせた。
 ――ああ、違う――――
 ほんの短い間ではあったが、俺の中には確かに家族を恨む気持ちがあった。捨てられたと思ったから。今までずっと家族の事を思ってきた気持ちが、裏切られた気がしたからだ。お袋たちも散々苦しんだ末に決めたのだと解っていても、止められなかった。
 だが違うのだ。俺はあんな事が言いたかったんじゃない。家族を嫌いになったわけじゃない。そんなんじゃなくて――――
 家族と離れたくなかった。俺が言いたかったのはただそれだったのだ。
 畜生、と俺は泣きながら唸った。
 体の痛みは一向に収まる気配を見せなかったが、そんなものはこの心の痛みの前では瑣末なものだった。
 俺はバカだ。大バカだ。なんて酷いことを言っちまったんだ――――激しい後悔が俺の胸を焼いた。だがどれだけ後悔しても、何もかもがもう、手遅れになっていた。
 せめてもう一度だけ家族に会って、あの日の事を謝りたいと思ったけれど、それが適わないことは解り切っていた。俺はひたすらに後悔と自責の念ばかりを募らせ、それはいつしか自己嫌悪に変わっていった。
 俺は家族を酷く傷つけた本人である自分自身を憎んだ。
 いっそこのまま死んだほうがいい、とさえ思った。
 俺は何もかもが……嫌になった。



 ……文字通り死ぬまで続くかと思った責め苦の日々も、やがて終わった。

 生き残る気なんざ毛頭無かったはずなのに、元が頑丈だったのか神が気まぐれを起こしたか。悪魔が俺を苦しめてやろうとしたのかも知れねえな。
 生き残った俺とご同輩はいよいよ一人前の兵士――――じゃないな。兵器となるべく訓練に入った。冗談でも何でもなく、本当に死にそうなほど厳しい訓練の毎日。……ああ、思い出すだけで身震いがする。何度逃げ出そうと思ったことか。
 そんな俺を支えてくれたのは、やはり仲間の存在だったろう。和也、楯身、奈々美、妃都美、美雪、そして俺の……その……サイアイノジョセイ……である、美佳。
 いつから惚れたのかはよく憶えていない。どうして惚れたのかと聞かれてもうまく答えられない。そんな事はどうでもいい。美雪などは「吊り合わないカップルですわねえ」なんて言ってオッホッホと笑いやがったが大きなお世話だ。とにかく好きなものは好きなのだ。
 仲間が、美佳が居たから生きる気力を取り戻せた。仲間を助ける事が俺の生きがいになった。単に『仲間』を『家族』の代わりにして自分を満足させているだけかもしれないが、もしあいつらが居なかったら俺はとっくの昔に首を吊って死んでいただろう。本当に感謝している。
『草薙の剣』だけじゃない。
『十拳の剣』に『布都御魂』それに『天の叢雲』俺の先輩方だ。みんなとてもいい奴らで……何より強い奴らだった。戦争が始まった時も、いよいよ優人部隊の実戦投入が決まった時も、正直に言って負ける気がしなかった。ましてや死ぬなんて。
 だが……『十拳の剣』も『布都御魂』も戦争中に出撃したきり、誰も帰ってこなかった。その時は無事だった『天の叢雲』も――――熱血クーデターで全員が戦死したはずだ。
 俺は愕然とした。あんなに強かった先輩たちが、あんなにあっけなく死んでしまうものなのか。
 大切な仲間の死に、俺は家族と別れたときと似た、胸に穴が開いたような喪失感を味わった。家族を失った俺にとって、部隊の仲間はもう家族と同じようなものだった。……俺は、また守りたい人たちを守ってやれなかったのだ。
 悲しかった。
 それ以上に悔しかった。
 俺がもっと強ければ、先輩たちを助けられたかもしれないのに。和也たちの前でそれを漏らした時は「自惚れたことを言うな!」と殴られたが、それでもそう思ってしまう。
 もっと強くなりたい。そう思い続けてがむしゃらに訓練に打ち込み、どんどんと武器・兵器にのめりこんでいった。俺の兵器マニアぶりは強くなりたい気持ちの表れなのかもしれないな。
 全ては仲間を守るため。もうあんな思いをするのはたくさんだ。仲間が火星の後継者と戦うのなら、俺が率先してテロリストだろうが何だろうがふっ飛ばしてやる。
 仲間を、家族を守る。その為に強くなる。そんなちっぽけなライオンハートが、俺の行動原理だ。










あとがき(なかがき)

 新年初の投稿です。初投稿から既に一年半近くが経ってしまいました。月日の経つのは早いものです。

 今回は兵器マニアの筋肉ゴリラ、烈火にスポットを当てたお話でした。
 こいつに色を与えるとしたらきっとイエローでしょう。気は優しくて(?)力持ち。乱暴なところもあるけど仲間思い。好物はきっとカレーです。かなり動かしやすく、いろんな武器を使わせるのも楽しいとあって作者的にお気に入りのキャラです。(笑)

 今回はルリら宇宙軍の描写がありませんでしたが、次回は彼らにも活躍してもらいます。早く『草薙の剣』とナデシコトリオの絡みを書きたいな……

 よーし、続きも頑張って書くぞー! それでは、今後ともよろしく。




ゴールドアームの感想。

 シードさん、はじめまして。指名されましたゴールドアームです。
 今回指名を受けるに当たって、全編目を通させていただきました。
 
 さて、今回は7人組のうちの烈火君を中心としたお話、といってもなにやら悪魔っ子も影でなにやら、と思わせる描写もあったりしまして、全体的な構成も過無く不足無く、きちんとまとまっていて読みやすい、と感じました。初期の頃から、感想人さん達の意見を元に工夫したり精進したりしている様子が、文章を通して伝わってくるようです。
 ですので構成や描写に関してはチェック無し。初見できちんと雰囲気や景色が見えましたので、問題点もある一点を除いてはありません。このまま努力を怠らずに書き綴っていただければ、十分な評価を得られると思います。
 
 
 
 で。
 
 
 
 一つだけ、なまじ出来がいいだけに異様に気になる問題点を指摘させていただきます。
 
 
 
 誤字、多すぎ。
 
 
 
 思わず校正掛けたくなってしまいました。校正魔の代理人が直していないのが不思議なくらいです。
 (珍しく過去の話にも残っていましたので)
 今作中の誤字を、気づいた分だけ、あえてここでさらし者にさせていただきます。ほとんどがおそらくはIMEの変換ミスを見過ごしているものだと思います。作中の位置は検索機能で確認のほどを。
 
 仮説司令部>仮設司令部 変換ミスかと。
 
 済み分け>棲み分け カテゴリー/分野/役割などで区別されているという意ですので、動物たちが限定的な環境内で暮らしているときなどに使われる「棲み分け」が適当です。
 
 飛行態勢>飛行体勢 これは微妙ですが、後ろに「滑空」とあるのでこちらがふさわしいかと。「飛行態勢を取る」「飛行体勢で滑空する」を比べてもらえば判るのでは。「態勢」は物事に対する「態度」を意味し、「体勢」は、具体的な「姿勢」を意味します。本文の場合は、滑空するために飛行するための「姿勢」を取っている、という意味だと判断できますので、「体勢」がふさわしいと私は思います。間違っていたらごめんなさい(笑)
 
 慣れの果て>成れの果て 「成る」、つまり「創り上げる/完成させる」という意味の「果て」で「最終的な姿、結果」という意を否定的、侮蔑的に表現するのが「成れの果て」です。
 
 軍務蜂起>軍務放棄 単なる変換ミスかな?
 
 一次騒然の度を>一時騒然の度を これも単純ミスかな。
 
 火の手は治まらず>火の手は収まらず 「治」は政治の治。管理するというのが基本的な意味。勢いを静める意味の「おさめる」は「収」のほう。「治」を沈静の意に使うのは「騒ぎを治める」など、「管理する/整えることで収拾を付ける」という意味の時くらい。これすらも「収」で代用可能です。
 
 
 
 このくらいですか。あと、言葉の統一が取れていない点がいくつか見受けられました。たとえば「わかる(理解する)」という言葉の漢字表記は「分かる」「解る」「判る」がありますが、これはみな同じ意味です。「分かる」が一番一般的で、「解る」「判る」は慣例的なものです。ですが、特に意識してのものでない限り、一つの作品内でこれら3つをまぜこぜにするのはよい作法ではありません。こういう、「言葉の統一性」が、いくつか破綻していました。同意表記だけでなく、「分かる」と「わかる」のような漢字の使用/不使用なども、意図的に文章表現としての効果を狙うのでない限りは統一しておくのが基本です。ただ、こういうIME変換で文章を書いていると、時折変換誤差やミスでこれが崩れることがあるのです。
 
 これらのことは、書き終えた作品を少し頭を冷却してから読み返してみればすぐに判ることです。次からは一度自分の書いた物を校正してみてから投稿するように注意した方がよいです。先にもいいましたが、過去の文章にも結構ありましたから、一度自分で確認してみるといいでしょう。
 
 以上、なんか感想というより誤字指摘になっている気がする、ゴールドアームでした。