眼下に、廃墟の町が流れていく。
 戦争によって傷つき打ち捨てられ、今また何者かの手によって瀕死の重傷を負わされた、海に浮かぶ人工島、高天原。
 その上空を無遠慮に飛び回るのは、胴体に『♂』のマークが光る、純白の民間用ヘリコプター。火星の後継者が一派、森口派の運用する宣伝ヘリだ。
 機体下部に設置されたスピーカーから大音量で流される音声は、この日のために録音してきた彼らの首班、森口修二の肉声だ。その下にいる連中の疎ましい、あるいは憎らしい視線を受けつつも、それを知ってか知らずかメッセージを流す作業を止めない。それこそが彼らに課せられた“使命”であり、たとえ聞き入れる者がいなかろうが、ここで彼らが捕まろうが、やめるわけにはいかない事だった。

「……酷いな、これは」

 ヘリの機内、森口派構成員の一人は放送器具を操作していた手を止め、窓の外に広がる廃墟の町並みを見てそう呟いた。
「町がぐちゃぐちゃになっちまったぞ……大丈夫か?」
「仕方ないだろう……こんな演習、続けさせるわけにはいかないんだ」
 ヘリの副操縦士を務めていた構成員が、前を向いたままで答えた。
「下の連中、怪我とかしてないかね。建物の下敷きになったりとか……」
「それは配慮してあるって言ってただろ。なに、下の連中はプロ揃いだ。このくらいで下敷きになるようなノロマはいないさ」
「でも、これだけ街が崩れたらメガフロートだってただじゃ済まないんじゃ……」
「それも大丈夫なようになってるって言ってただろうが」
「でも……」
「でも、でも、ってくどいぞお前。ほら。そろそろ放送が終わるぞ」
 ぴしゃりと一蹴され、放送係は渋々と目の前の放送器具に向き直る。と、放送が終わった。
 放送器具からディスクを抜き取り、もう一つのそれを鞄から取り出す。これはすでに二度放送した一つ目のディスクとは違い、まだ一度も放送していないものだ。
「…………」
 ディスクを入れるのを、しばし躊躇する。
 放送するのが、少し怖かった。
 録音してある内容はもちろん知っている。副操縦士の奴は気楽な事を言うが、これを放送したら今度こそ下からミサイルでも飛んでくるのではあるまいか。……いや、そもそもこんな所でこんな事をしている時点で、捕まるか撃墜されるかしても文句は言えないのだが。
「おい。何やってるんださっさとやれ」
 副操縦士が急かしてくる。
 ……もう、どうにでもなれ。意を決してディスクを挿入しようとした、その時――――
「う、うわっ!?」
 突然ヘリの中が日陰に入ったように暗くなったと思いきや、操縦席から驚いた声が上がった。操縦席の窓から見える外が異常に暗い。何かがヘリの前に立ち塞がっている。
「エ、エステバリス……」
 副操縦士が、さすがに動揺した声で言うのが聞こえた。逆光でよく見えないが、背中に一対の大型スラスターユニットを背負ったそのシルエットは確かに空戦フレームのエステバリスだ。壁のようにヘリの前に立ち塞がり、外部スピーカーから殺気立った声を発してきた。
『森口派の乗組員に告ぐ。こちらの誘導に従い、速やかに着陸せよ。繰り返す。速やかに着陸せよ。少しでも逃走や抵抗のそぶりを見せた場合、こちらはヘリを撃墜するよう指示を受けている』
 エステバリスの右手が上がり、ヘリにラピッドライフルの銃口が向けられる。副操縦士が「ひえ!」と小さく飛び上がった。
「どどど、どうします機長!?」
「どうもこうもあるか。……仕方ない。着陸する」
 命令に従うので攻撃しないでほしい旨を通信で伝え、承諾の返事が返ってくる。
 ヘリは誘導されるまま指定された着陸地点へ向かう。エステバリスはヘリの右側にぴたりと張り付き、銃口を向けたまま並走している。こちらに何か不穏な気配あらば、即撃墜できる体制だ。
 やはりこうなったか……放送係は暗澹たる気分で思い、ほんの少し後悔の念を抱いた。
 今回は、いくらなんでもやりすぎたのだ。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻―― 
 第七話 ちっぽけなライオンハート 後編



 どのくらいの時間が経ったのだろう。時間感覚が全くないここにいたのではまったく解らない。
 メガフロートの内部は暗い。太陽の日差しは二百年前に比べ確かに強いが、それさえも前後左右上下を鉄に覆われたここまでは届かない。唯一の光源であった照明が死んだ今では、ただ一寸先も見えない暗闇がどこまでも広がっている。
 その暗闇の中に、ぽつん、と小さな明かりが存在していた。

「ウムム……ウームムム…………」

 野獣が敵を威嚇するような唸り声が響く。
 声の主である烈火は事務机の上に置いた紙束をライトで照らし、それに顔をぐいと近付けて唸っていた。その横では美佳が、紙束と格闘する烈火を見守っている。
 ここはメガフロート内部に置かれた事務所らしき部屋だ。周囲の机などはほとんどが荒らされ、鍵が掛かっていた引き出しも強引にこじ開けられて中を物色されている。不要と判断された何かの書類等が散乱するその有様は、知らない人間が見れば空き巣の類に入られたと思うに違いない。
 実際、空き巣まがいの行為だなと烈火は思う。
 間もなく沈没するこの島を救うと決心した烈火と美佳が、まず探す事になったのがここのような部屋だ。
 島を救うため、目指すべきなのは全体を管理制御する中央制御室。だがどこにあるかも解らないそれを限られた時間の中で探すには、このメガフロートは広すぎる。そのためまず手に入れる必要があったのが、制御室の場所を記した地図だ。それを見つけるため、このような空き巣か火事場泥棒のような真似をする羽目になったわけだった。
 まあ今は非常時だ。正当な理由もあるし問題はあるまい……そんな言い訳めいた事を思いつつ、烈火は探し当てた地図相手に格闘していた。美佳にも手伝ってもらいたいところだが、この地図は昔ながらの用紙にプリントしたものだ。こればかりは目の見えない美佳には手が出せない。
「えーっと、俺たちが今いるのが、多分Bの何番だかって書いてあったからこのあたりで……くそ、地図が多すぎて解んねえ……」
 また唸る。
 なにしろメガフロートの地上と地下全てを網羅したこの地図は結構な枚数になるのだ。一刻を争う焦りも手伝って、烈火は探すべき所も解らず紙の上で指を迷走させる。
 と、美佳から助け船が来た。
「……地上の地図を見ましょう。私たちが今いるのは企業などのオフィスビルなどがある商業エリア。だから地下にも事務所があります……とすれば、中央制御室は役場などがある行政エリアに……」
 烈火は美佳に言われたとおり地上から探してみた。探すべき地図の枚数は減ったが、それでもA五サイズの紙が十枚近くになる。
 幸い、演習前のブリーフィングの際に地上の地理は一通り頭に入れていたおかげで、行政施設などが集中する場所を見つけるのにさして時間は要らなかった。その真下に当たる場所を探し、やがて『メガフロート中央制御区』と書かれた一角に行き着いた。
「あったぞ……! 美佳の言ったとおりだ」
 烈火は声を弾ませた。二人のいるここからは距離にして約三キロ。歩いて行くだけなら十分な距離だ。
「よし。長居は無用だな。出発するぞ」
「……はい。……?」
 不意に、美佳が明後日の方向を向いた。
「……何か聞こえませんか」
「あん? 何も聞こえ……」
 ねえぞ、と言いかけて、烈火ははっと息を詰まらせた。
 ……聞こえる。
 余計な音が存在せず、しかも密閉された空間だ。遠くの音、あるいは小さい音もよく聞こえる。
 音は大きくない。金属同士がぶつかり合う、機械の駆動音にも似た甲高い音だ。それは徐々に大きくなりつつあるものの、このような状況でなければ無視してしまうであろう程度のものだ。
 だが、烈火の第六感は叫んでいた。何か来ると。
 その何かは危険だと。
 ――まさか…………
 音は確実に忍び寄り、やがて鉄の壁一枚隔てた向こうで止まる。
 一瞬の、重苦しい沈黙。
 烈火は警戒に、一歩足を引く。
 次の瞬間、ガン! と打撃音が響き、壁が大きく歪んだ。
「おわっ……!」
 二度三度、連続して壁が向こう側から打撃される。数度の打撃で壁に穴が開き、そこからねじ込まれた鋼鉄の節足が穴を強引に押し広げにかかる。広がる穴から二対四つのカメラアイがぎょろりと覗き――――烈火と、視線が合った。



 現れたのはバッタだった。背中の甲殻が殴られたようにひしゃげたその姿を見て、烈火はあの時の奴だと直感した。
 自分の右腕をへし折ってくれたバッタが、今また自分たちに狙いを定めている……
「冗談じゃねえぞぉー!」
 烈火は迷う事無く逃走を選択し、美佳の手を引いて部屋を飛び出した。振り返るとバッタはもう部屋の中に入り込んでいて、烈火たちへ向け猛然と突進してくる。烈火は時間稼ぎにドアを蹴って閉める。気休めだ。だが何もしないよりましだ。
 どうする? まともな武器は何も無い。今のメンツは右腕を折られた烈火と戦闘向きでない美佳。どう立ち回っても勝てる状況じゃない。
 ――せめて他の奴らがいれば……!
 歯噛みする。
「美佳さんよ。逃げ切れると思うかね……!?」
「……バッタの歩行速度は、平均的な人間のそれと大差ありません。ですが……」
 生身の私たちは不利です、と美佳は言う。
 生体兵器と言っても生身には違いない。際限なく追い回され続け、体を酷使し続ければいずれ疲れてしまう。対してバッタのバッテリーは、走るだけなら半日は軽く動くのだ。
 ただでさえ、ここまでの道のりで烈火と美佳はかなり体力を消耗している。体力に自信のある烈火はまだしも、

 ――美佳はもう限界だよな……

 掴んだ手の感触で解る。動悸が乱れていて……呼吸も荒い。この蒸し暑い中数時間歩き続けて、彼女の体力は限界に近付いているのだ。
 背後で破壊音が響く。何が起こったかは振り返って確認するまでも無い。バッタがドアを叩き壊して、通路まで這い出てきたのだ。
 背後から追い立てる鉄の足音。それは烈火にとって、追いつかれれば確実に二人を殺す死神の足音にも等しい。
 殺される。
 死ぬ。
 嫌だ。死にたくない。  美佳を見捨てれば俺は助かるかもしれねえ……と、そんな考えが頭に浮かぶ。
 動けなくなった美佳を助けようとすれば、まず自分も殺される。泳げないくせに溺れた奴を助けようとして、二人とも溺れ死ぬ間抜けを演じるくらいなら……
「……烈火さん」
 息を切らせた美佳の声に烈火は、はっ、となった。
 ――俺は……何を考えてたんだ?
「……私が動けなくなったら……私を置いて烈火さんだけ逃げても構いませんから」
「ばっ……バカ言ってんじゃねえッ!」
 聞くや、烈火は反射的に怒鳴っていた。美佳は驚き、肩を震わせる。
「そんなこと言うもんじゃねえ! 絶対二人で助かるんだ!」
「……ですが、走れなくなった私に構っていたら、烈火さんまで……」
 重荷にはなりたくありません、と俯いて美佳は言う。それを烈火は、バカ言え、と切って捨てた。
 美佳を見捨ててしまえば、烈火は確かに助かるかもしれない。別の部隊の奴ならそうする奴もいるだろう。
 しかし烈火は、『草薙の剣』はそうしては駄目なのだ。
『十拳の剣』と『布都御魂』が消滅した時も、『天の叢雲』が全滅しただろう時も……烈火が感じたのは怒りでも悲しみでも、殺した奴らへの憎しみでもなかった。
 烈火の胸には、ただ仲間を助けられなかった、護ってやれなかった後悔だけがあって……七日七晩自分の力の無さを嘆いた後、気が付いた頃には髪の毛が真っ白になっていた。
 ここで美佳を死なせたら、また悪い夢を見続けないといけない……もう沢山だ。
「美佳が走れなくなったら俺が背負ってやる! それで追いつかれたら俺も一緒に死んでやる! 俺たちはずっと一緒に頑張ってきたじゃねえか! 生きる時も死ぬ時も一緒だ!」
 本気で烈火は言い切る。それは美佳を見捨てる事を一瞬でも本気で考えた馬鹿な自分への戒めでもある。
 ――俺は美佳に生きててもらいてえ……とは言ったものの、現実問題どうすりゃいい。
 背後からは、依然としてバッタのガシャンガシャンという重苦しい足音が追いかけてくる。少しづつ距離を詰められている感じがするのは気のせいではないだろう。やみくもに走り回るだけでは逃げきれない。最初こそ逃げ切れたが、あれは幸運の賜物と言うべきだ。
 どうする? どうやればあいつを振り切れる? 足りないとよく言われる頭をフル回転させるが、妙案は思いつかない。こういう時にいろいろ考え、決めてくれる和也や楯身の有難さが身に沁みた。あいつらならうまく逃げ道とか考えてくれるのに。
 自分の判断力の無さを嘆く烈火。そこへ背後、バッタの追ってくる方からジャキッ、と機械的な音がした。それは烈火や美佳にとっては聞き慣れた、機銃に弾が装填される音。
 やばい。危険度が最大値にまで上がる。緊急回避しようにも、逃げ場も遮蔽物も無い。なすすべの無い二人に向けて銃弾が容赦なく飛来し、足、背中、肩。立て続けに走る衝撃と飛び散る飛沫。撃たれた! 理解が及んだ時にはもう二人はドッと床に倒れていた。
 すぐに撃たれた場所を確認する。痛みは無い。このべっとりとするのは血ではなくペイント弾だ。やはりあのバッタも訓練用の標的機ドローンか。とにかく二人とも怪我らしい怪我は無い。
 実弾でなくてよかった――――などと思えたのはほんの一瞬だ。二人が起きあがった頃にはもう、バッタは目と鼻の先まで迫っていた。最初からこれを狙っての射撃だったのだ。
 ――駄目だ。美佳を連れてたんじゃもう逃げきれねえ!
 その時の烈火に冷静な判断力があったかどうかは解らない。ただ無我夢中で、取るべきというより取りたいと思った行動を、体の動くまま実行していた。
「こっちだ、虫コロヤロー!」
 投石。
 投げられる石を手榴弾か何かと勘違いするほどバッタの思考ルーチンは下等ではないが、それでも明確な攻撃の意図だ。バッタは烈火を優先すべき目標として猛追を開始する。そして烈火は美佳を突き飛ばし、自分は反対側へと逃げる。……バッタと共に。
 もっといい手は無かったのかよ……! 烈火は歯噛みする。
 しかし烈火には、これ以外の手段は思いつかなかったのだ。


 烈火が一人で逃げ去り、それをバッタが追っていく。バッタに半ば無視され一人残された美佳は、ああ、と声を漏らした。
 烈火の行動は仲間意識から来るもの――と美佳は思った――だったのだろうが、残される側にとっては残酷だ。
 神よ、と地球に来てから信じるようになった神に祈ってみる。だがそれで救いの手が伸びてくるわけも無い。そもそもこんな暗い鉄の箱の奥底で祈っても届くかどうか。
 ――烈火さんが殺されてしまう……また一人になってしまう……
 それは恐怖。
 美佳はこれまでバッテリーの残りを考えて動かしていなかったソリトン・レーダーを起動。残り少ないバッテリー残量を使い潰すつもりで出力を上げる。
 ――何か……このまま見殺しなんて……
 烈火を救う手段を求め、神の視点でメガフロートの内部を俯瞰する。しばし、そこに目を凝らして――――
 ある物が、美佳の視野に映った。



 美佳を逃がすため進んで囮になった烈火だったが、自分を犠牲にするなどとは毛頭考えていない。
 狭い扉、部屋に並ぶ事務机に椅子などの障害物。烈火なら避ければいいがバッタが通るには邪魔になる物がこの近辺には沢山ある。烈火はそれらを利用して逃げていた。
 美佳には申し訳ないが、美佳がいなくなった事も烈火にとっては僥倖だったと言える。身軽になった烈火は少しづつではあるが、確実にバッタとの距離を稼いでいた。
「いいぞ……このまま行ければ……俺もこのまま逃げ切れ……る、かもしれねえ」
 走り詰めでさすがに息を切らせつつも、烈火の目に希望の光が見えてきた。美佳なら大丈夫だ。彼女もまた『草薙の剣』の一員。一人でも外に出て、味方と合流できるだろう。
 美佳が俺は死んだと思って悲しんでる所にパッと出て行って、あいつの喜ぶ顔を見るのも悪くない……そんな事を考える余裕も生まれてきていた。
 ドアを蹴り開け、そこに走り込むや時間稼ぎにすかさず閉める。何度目かのそれを繰り返した時、烈火は景色が急に変わったのに気が付いた。
「あ? なんだ……ここは」
 そこは今までの狭苦しい通路とは一変して開けた場所だった。ライトで照らしてみると床はタイル柄で、壁も今までの無機質なネズミ色とは打って変わって柔らかなクリーム色だ。見ればなにやらキーホルダーや置物らしき物を一杯に並べた店らしき所があって、そこになぜか般若の面が置いてあるのを見て悲鳴を上げた。
「ここは……地下鉄の駅か? 線路を辿って行きゃ制御室まで近いだろうが……」
 やばい、と烈火は思った。すでに後ろからはバッタの足音が聞こえ始めている。今までは狭くて障害物も多いバッタに不利な空間だったが、ここは違う。広い上に遮蔽物も何も無い。ここでは追いつかれかねない。
 ――やべえ所に来ちまった……!
 舌打ちするが、今更戻る事も出来ないのではやるべき事は一つ。前進するしかない。
「うおおおおおお――――!」
 気合いの雄叫びを上げて走る。これまでで何とか距離は稼いだ。その貯金でなんとかここを抜けるまで持たせてやる。
 時間にして数秒の全力疾走。やがてライトの光の中に非常口のマークが見えた。あの奥はまた狭い通路が続いているはず。いけると思った。しかしその瞬間、不意に背後から追い立ててきていたバッタの足音がぴたりと聞こえなくなった。
 諦めたのか? と思い、それはあり得ねえな、とすぐ思い直す。諦めるべき理由など何一つありはしない。とすれば――――瞬間、烈火のすぐ横をごおう、と何かが風を帯びて走り抜けた。
「んなっ!?」
 仰天する。四本の脚を折り畳み飛行体勢を取ったバッタの黄色い甲殻が、今までとは比較にならない速さで烈火を追い越す。そこで減速、旋回しつつ足を展開して着地。ガギギギギギ――――――! とタイル調の床に引っ掻き傷を刻んで烈火の前に立ちはだかる。
 止まれ、と足に命令を送り、人工筋肉の力全開で足ブレーキ。だが勢いが付いた体はすぐには止まらず、烈火の意思とは無関係にバッタに向かって飛び込んでしまう。  骨をも砕く威力を持って振りぬかれる鉄製の節足。ズン、――――と胸に食い込む重い感触。
「ごはっ――――!」
 もろに食らった! 理解が及んだ時にはもう烈火の体は宙を舞っていた。
 訓練の成果か、辛うじて体の芯を外せたのはいい。だが烈火の体は駅の売店へ背中から突っ込み、拍子に陳列物の食べ物が撒き散らされる。常温で数年間放置された哀れなそれの臭いが鼻をついた。
「く、くそっ……!」
 何とか立ち上がろうとするも、全身を貫くような痛みに力が入らない。足で一撃された時に肋骨が二・三本折られた感じだ。右の鎖骨あたりもなんだか怪しい。
 バッタはガシャンガシャンと足音も高らかに近づいてくる。もう瀕死の目標に対し、それでも油断なく距離を詰めてくる。足の届く位置まで近づけば後はすぐだ。
 胴を貫くか、頭をかち割るか、いずれにせよ一撃で終わり。助かる可能性などありえない。――――救いの女神でも現れない限りは。
 チクショウ、と無念の声を漏らす。
 美佳に偉そうな事言っておいて、結局一人で先走っちまって……そのあげくがこれか。
 美佳は怒るかね。それとも泣いちまうか……なんでもいいから無事でいてくれ。そうでないと俺がこうなった意味がねえ。
「みんな、すまねえ……」
 最後にそう呟き、烈火は己の命を刈り取る必殺の一撃が来るのを、ただ、待った。
 その網膜を、突然の閃光が焼いた。

「烈火さんっ――――」

 突然一台の車が駅構内へ突入してきた。ヘッドライトが暗闇を切り裂き、激しいドリフト走行にタイヤを軋ませて爆走してくる。それに混じって聞こえるのは聞きなれた、抑揚に乏しい中から必死さをにじませた声。

 美佳……?



 烈火さんが危ない――美佳は思い切りアクセルを踏み込んだ。数年の間駐車場で放置されていた燃料電池式自動車は、美佳の過酷な要求に精一杯応えてくれる。
 烈火がバッタを連れていった後、美佳はソリトン・レーダーですぐ近くに駅の駐車場がある事を知り、駆け込んだそこで運良くキーの刺さったままになっていた車を見つけた。持ち主がどういった経緯でキーごと車を捨てて行ったかはさておき、美佳はこれも神のお導きと有難く受け取る事にしたのだ。
 どうせ何も危ない事などありはしない。誰もいない構内を走り、最短ルートで烈火の元へ。ソリトン・レーダーのバッテリーはあと数分持たないだろうが、惜しんでなどいられなかった。全速力で烈火のいる前に飛び出し、今まさに烈火を殺さんとするバッタへ向け躊躇わず車を突っ込ませた。
「烈火さんっ――――」
 激突する瞬間、アクセルそのままでハンドルを切りスピンターン。突然乱入してきた車に注意を奪われるバッタへ後部の一撃をぶち込む。衝撃の車のガラスがすべて弾け飛び、エアバッグが膨張する。邪魔なそれを訓練用ナイフで刺して潰し、烈火へと車を寄せた。
「……乗ってください、早く」
 バッタに一発やられたらしく売店の品物の中に埋もれていた烈火だったが、それでも意識はあり体も少しは動くようで、何とか自力で這い出し後部座席へ転がり込んでくれた。
 安心している暇は無い。バッタが来る。心臓がキュッと締め付けられる感じを覚えながら、美佳は再びアクセルを思い切り踏み込む。だが加速が鈍い。エンジンが弱っているのかもしれない。
 早く――――長い数秒の中でそう念じる。それが通じたか徐々に車の速度が上がる。追い付いてきたバッタの一撃を食らい、後部ドアを丸ごと持って行かれながらも車は加速。バッタとの距離が一気に広がっていく。
 しかし警戒は解かない。
「美佳……気をつけろ。あいつはここでなら飛べるぞ……」
 後部座席から、烈火が苦しげな声で言ってくる。言われるまでも無い。ソリトン・レーダーにもバッタが飛行して追ってくるのが見えている。一旦は離した距離が今度は瞬く間に縮まる。

 ――――――じじ、

「……く」
 レーダーが一瞬ブラックアウトし、またすぐ元に戻る。バッテリーが切れかかっているのだ。それが切れれば後は死ぬだけだ。
 ――……お願い、あと少しだけ持ってください……
 祈るように念じ、車をさらに加速させる。
「……少し、揺れます」
 後ろの烈火に一応の警告を発し、急ハンドルを切る。急な方向転換により発生する遠心力。「おうわっ!?」という烈火の声。悲鳴を上げるタイヤの音。なぎ倒されるベンチや植木。バチバチと連続的に響く音と衝撃はペイント弾の射撃。雑音をすべて無視して美佳は車を走らせる。地を走る車と空を飛ぶ虫型兵器の繰り広げる追撃戦が、静寂に慣れ切った地下の空気を震わせる。
 繰り出されるバッタの攻撃をハンドル操作で危うく避け、改札口など飛び越えて駅のホームへと抜け、そのまま地下鉄の線路へ。線路は比較的綺麗なものだった。緊急時の通路を兼ねているだけあってかその頑丈さはお墨付きで、瓦礫は道を塞いでいない。……そう。瓦礫は塞いでいない。
「なんだ……ありゃあ」
 烈火が茫然と呟く。
 それは大破し、脱線した電車の群れ。それに混じって転がる虫型兵器の残骸。恐らくは戦争中、電車で避難しようとする人々に対して容赦ない攻撃を行った虫型兵器と、民間人を守ろうとした軍との戦闘の名残だ。二人の前に顕現する惨たらしい戦争の爪痕が、高く厚く広い壁となって進路を完全に塞ぐ。
 烈火が後ろで何かを喚く。車を止めろとでも言っているのだろう。悪いが無視だ。美佳が向かっていたのは正しくここ。ソリトン・レーダーで見つけておいた、バッタの追跡から逃れるためのトラップゾーン。
「……烈火さん。合図したら、右へ重心を移動させてください」
「おい、美佳……お前まさか」
「……いいですか?」
 意図を察して動揺する烈火に、少し強い調子で念押しする。
「はい……」
 案外素直に烈火は従った。
 ソリトン・レーダーの導きに従い、ある一点に車を突っ込ませる。チャンスは一度。狙うは一つ。脱線した列車と列車の間にある狭い回廊とも言うべき隙間だ。そこはバッタの図体なら絶対に通れないが、
 ――……車高の低いこの車なら、通り抜けられるはずです……!
「……今ですっ――――」
「うおりゃ――――――――っ!」
 美佳が急ハンドルを切り、烈火が重心を移動する。想定外の重心移動に左タイヤがふわりと宙に浮き、九十度に限りなく近い角度で回廊へ突入。一拍遅れて追ってきたバッタがガン! と衝突音を立ててつっかえ、苦し紛れに伸ばした前足は車のリアバンパーを引っ掻いた。
「…………ふう」
 回廊を抜け、車が水平を取り戻したあたりで美佳は安堵の息をついた。
 バッタは――――もう追ってこない。


「いや、ほんと助かったぜ美佳よ」
 バッタをやっとの思いで振り切り、二人はお互いの無事を喜び合った。そして少し線路を走ったところで車を止め、怪我をした烈火の簡単な応急処置を済ませる。
 そして再出発。目指すは再び中央制御室だ。この頃にはもう美佳のソリトン・レーダーはバッテリーが切れていたので、烈火が道を指示し美佳が運転する役割分担を作ってのドライブである。
「美佳が来てくれなかったら、俺は冗談抜きで死んでたぜ。しかし偉そうな事言っといて結局美佳に助けられてんだから、俺も情けねえ……美佳?」
 命拾いした嬉しさも手伝って饒舌に喋る烈火だったが、美佳が先ほどから一言も話さないのが気になった。もともと口数の少ない美佳だが、これだけ喋って何も反応しないのはおかしい。
「おい、どうした? せっかく助かったんだからもっと喜ぼうぜ。……それとも、どっか怪我でもしたか?」
 いいえ、といつにもましてか細い声で、美佳。
「……申し訳ありません…………」
「なんだってそこで謝る?」
「……私のわがままで、烈火さんに怪我を……最初から逃げていれば…………」
 ああ、そういう事か。烈火はふっと嘆息する。どうもこの美佳と言う女は、思考がネガティブな方向へ行きやすいな。
「たわけ」
「ひゃっ」
 頭をはたかれて、美佳は小さく声を上げる。……いかんいかん。ちょっと可愛いと思ってしまった。
「そう思ってたら美佳を引きずってでも逃げてる。俺もこの島を助けてやりたいと思ったからここにいるんだ。あんまし一人で気にすんな」
 極力柔らかい声音を作って烈火は言う。
 まあ少し本音を言えば、バッタに追いかけられている最中、島を救うなどと一念発起した事を後悔しなかったと言えば嘘になる。だが最終的にそうすると決めたのは他でもない自分だ。美佳のせいにするほど落ちぶれてはいない。
 いや、相手が美佳だからそう言えるのか? ともかく、
「さ、島を助けてやるんだろ? 行こうぜ」
「……はい」
 美佳は前を向いたままで頷いた。その頬が僅かに動いたのを烈火は目ざとく見つける。――ああ、後部座席に乗ったのは失敗だった。助手席にするべきだったと、そんな事を考える。
 そのようなやり取りを挟み、二人の自主的判断による任務は続行。これといった障害も無く駅へと辿り着く。
 目的地まで、あと少しだ。



 その頃――――
 燦々と降り注ぐ太陽の光に輝く、太平洋の海上――――人知れずぽつんと波に揺られる、一つの船影がある。
 全長およそ80メートルそこそこのクルーザー。双胴型の船体を持つそれはクルーザーとしては中型ながら、後部にヘリ甲板を持ち、改造された三基のハイドロジェットエンジンは50ノット以上の速力を軽く叩き出す優れ物だ。
 その船の所在は、艦首の『第一正義号』という船名とともに描かれた『♂』のマークが何より率直に語っている。

「ふっふーん……」

 快適にエアコンの効いた『第一正義号』のキャビンの中、一人の男が座っている。ノートパソコンを前に、鼻歌を歌いながら。
 顔つきは、近くで見れば東洋系、あるいは木星人と解るだろう。しかしその肉食獣を思わせる顔つきと金に染めた髪から、どこか西洋系に見紛う。簡素なはずの火星の後継者の制服にもチェーン類を初めとする飾り付けを施し、どことなく近づきがたい雰囲気を発している。
 不良――――彼を一言で言い表すなら、それ以上に的確な言葉はあるまい。 「これで二十四人目。将来有望な戦士、また一人戦死、と。へへへ」
 ニタニタと笑い、茫洋とした調子でひとりごちる不良男。
 彼が覗いているノートパソコンに映っているのは、恐怖に表情を歪めて必死に逃げ回る一人の兵士。カメラはそれを上から見下ろすような視点でそれを追う。この船から水平線上に臨めるメガフロート……高天原に放った虫型兵器のカメラ映像だ。特殊な周波数を使っているとはいえ妨害電波をかいくぐっての中継なので、映像はかなり不鮮明だが。
 兵士は懸命に走って逃げようとするも、空を飛ぶ虫型兵器――つまりバッタ――の方がずっと早い。たちまち追いつかれ、背中に一撃。刻まれる傷は深く、傷口から背骨らしき白い物が覗くほど。虫型兵器にマイクは積んでいないが、音響センサーの拾ったデータを音に変換して聞かせてくれるのがこの実況中継の楽しいところだ。兵士がぎゃあっと上げた悲鳴までノイズ交じりながら聞こえてくる。
 十分致命傷になる傷を負いながらも這って逃げようとする兵士。バッタは逃走防止の処置のつもりか足をザクリと貫き、
『か、母さ……』
 そこで頭に止めの一撃。撒き散らされる血と脳漿。殺害映像スナッフムービーとしてはまあまあの出来だ。後で光ネットにでも流してやろうか――――作り物でも何でもない本物の死を前に思うのは、そんな事。 「ヒャハハハハ……! プロの兵士でもこうなっちまうとどうしようもねえな。母さ〜ん、だってよ」
 笑う。人の死を見て、嗤う。
 今頃あの島では武器も無く、脱出手段も無く、助けもやってこない状況で地球軍の連中は恐怖に震えているに違いない。対してこちらはちょっとした虫を仕込んで制御を奪った虫型兵器で自分たちは危険に身を晒す事も手を下すことない。また虫型兵器が壊されてもそれは地球軍の物。自分たちのフトコロが痛む事も無いのだ。これほど愉快なゲームは無い。そう。『ゲーム』だ。
「少佐殿」
 だしぬけに声がかけられた。「あん?」と面倒臭そうに返事をして、少佐の襟章を付けた不良男は声のした方へ振り向く。
「なんだ? 俺は今お楽しみなんだぜ」
「う……申し訳ありません。二つほど報告が……」
 恐々とした様子で、まだ年若い兵士は言う。不良男は言え、と顎で促す。
「はっ、まずこの船のヘリについてですが、間も無く燃料が切れる時間ですが帰ってきません。拿捕された可能性があります」
「あらー、それはお気の毒様。向こうさんはなんて言ってる?」
「抜かりは無い、と」
 それだけで、敵に捕まった連中の末路は想像できた。
「二つ目ですが、つい先ほど内部に迷い込んでしまった虫型兵器の一機が、敵兵を捕捉しました。逃げられたのですが、内部の監視カメラをハッキングしてみたところ、どうも中央制御室へ向かっているようでして。いかがしたものかと……」
 ふぅん、と不良男。――誰だか知らないが、この状況で島を救おう、か。ずいぶん余裕があるんだな。
 別に島が沈まなくても目的はほぼ完遂できるのでいいのだが、全長数十キロメートルのメガフロートがタイタニック号よろしく沈没する様は本日最大のメインイベントだ。潰されるのも面白くない。
「ほいじゃあ、虫型兵器を集められるだけ集めて包囲体勢。手が足りなきゃ海の奴らを上陸させてもいい。邪魔はさせんな」
「了解。しかし間に合わない公算が高いと思いますが」
「なら、なおさらだ。イベントを台無しにしてくれた罰金はきちっと払ってもらわにゃ……」
 言って不良男は笑う。にたり、と。狂暴に。

「ぶっ殺せ」



 やっとの思いで目的の中央制御室へ辿り着いた烈火と美佳は、さっそく島を救う作業に取り掛かった。
 液晶画面のディスプレイに、キーボードとマウス。なんともオールドタイプなコンピューターを前に悪戦苦闘する二人。操作しているのは美佳だが、点字モニターの類が無いため、何が表示されているかは烈火が逐一教えなくてはならない。旧式だけあってか動作も遅く、いろいろと手間を取らせられる困った奴だったが、その程度の事は許容してやるべきだと二人は思っていた。
「……信じられません……あれだけの大崩壊があって、これだけの機能が生きているなんて」
 感嘆の声を漏らす、美佳。
 先の大戦中、ここが放棄されてからもう六年。加えてあの崩壊だ。中央制御室に辿り着けても機械が動いてくれるか、動かせてもどのくらいシステムが生きているか、ここに来るまでの間ずっとそれが気がかりだった。良くても配線を繋ぎ直すくらいはしなくてはいけないと、そう思っていたのだ。
 しかしいざ辿り着いてみると、電源は予備電源のバッテリーがしっかりと動いているし、機械もスイッチ一つですぐ起動してくれた。なによりメガフロートの浸水防止システムも深い所なら半分以上が生き残っているのだ。これには烈火も美佳も、安堵を通り越して拍子抜けするほどだ。
「どうだ美佳。これで島は助かるか?」
「……はい。十分です。すでに水没している最下層から、ある程度の浸水は免れません。ですが現状のシステム稼働率なら、いま私たちがいる第三階層から上への浸水は完全に食い止められます。……島は助かります」
「よかった……! 命がけで来たかいがあったな!」
「……そう……ですね」
「んだよ辛気臭いな。俺たちゃ沈む島を助けたんだぞ? 英雄だぞ? ヒーローだぜ? もっと喜べよ」
「……いえ、なんだかうまく行き過ぎている気がして……」
 幸運、偶然、奇跡。どれも違う気がする。出来過ぎている――――そんな気がするのだと、美佳は言う。
 言われるまでも無い。あれだけの大崩壊でここまでシステムが生きているなど、幸運にしても相当なものだ。……そのくらいの事は、烈火にも解る。
「確かにおかしいな。でもここで考えてもどうせ何も出てこねえよ。それより早く島を助けよう。んでとっとと逃げようぜ」
 早くとんずらしないと、あのしつこいバッタがまた足をガチャガチャ言わせて追っかけてくるぞ、と烈火は言った。美佳は肩をすくめてマウスを走らせ、キーボードを打つ。……勿論、本気で言ったつもりは無い。冗談のつもりだった。
 だがそんな余裕は、言った通りのガチャガチャという足音が聞こえてくると同時に霧散した。
「……烈火さん」
 手を止めて、美佳が言う。
「……悪い事……言葉にすると本当になると、誰かに言われた事はありますか?」
「……ああ、聞いた覚えがあるな」
 あれはお袋から聞いたんだったか。それとも爺ちゃん婆ちゃんか? そんな事を漠然と考えている間に、それは中央制御室の入り口に姿を現した。随分と早いご到着だ。
 体のあちこちの塗料が剥げた、事故を起こしまくりの車のような様相のそれは――――間違いなく、ほんの少し前まで二人をさんざん追い回してくれた、『あの』バッタだった。
「ハハ……ハ……冗談だろ」
 乾いた笑い。なぜこうも早く、こんなにもあっさりと見つかってしまうのだ。
 ――やべえ、今まで以上に最悪の状況だ。この中央制御室の唯一の出入り口は、あいつが塞いじまってる。何か逃げ道はと思ったが、人が入れそうな通期ダクトも何もここには無い!
「……烈火さん……!」
「く……!」
 バッタが通るには狭い入り口を、無理やり押し広げて中へ入ってくる。
 ああ、もうダメだ……今度こそ逃げ場も武器も無い。無駄と知りつつ美佳を背に庇い、武器さえあればと無念に歯噛みする。その時――――

「撃てえ!」

 ガンッ――――! バッタの甲殻に火花が散り、不可侵とも思った甲殻に穴が穿たれる。
 これ以上無いほど愛しく思った実弾による射撃。何事か解らず呆然とする烈火と美佳の前で、バッタが応戦しようと慌てて身を引く。そこへ何やら四角い箱のような物が飛来し、バッタの眼前で炸裂。その頭部が赤く染まり、アイカメラが塗料に潰れる。
「目は潰した。今だ!」
「よし。撃て撃て!」
「くたばんなさい!」
 響く銃声。閃く銃火。怒涛の勢いで放たれる猛射。一際大きく聞こえるのは対物ライフルの射撃か。目を潰されたバッタはなすすべが無く、機能中枢まで撃ち抜かれて機能を止めた。烈火と美佳を苦しめた追跡者の、いっそ呆気ないほどの最期だった。
「中に誰かいるのか? 無事だったら……」
 返事をしろ、と動かなくなったバッタの向こうから、幾つかの顔が覗く。
「美佳! それに烈火も!」
「和也! みんないるのか!」
 無事だったか! 両者の声が重なった。


 ――――話は少し、遡る。

「ここは……?」

 和也以下、烈火と美佳を除く『草薙の剣』一同は美雪に誘われるまま、港湾施設の外れにある建物へ足を運んだ。
「多分港の倉庫でしょう。本土からの品物をここに一時保管していたのでしょうね。今は見る影も無いですが」
 周りをきょろきょろと見回す和也に、美雪が言った。
「しかし、倉庫ってわりには随分狭いな……」
 木星に海水の海は無いが、地球に移り住んでからは海沿いの町であるオオイソに居住していた事もあり、港には馴染みがある。学校の催し物で足を運んだ事も何度かあるから、港の構造は熟知しているつもりだ。倉庫がこれでは狭すぎる。
「人工島のスペースは限られておりますからね。だから、ほら」
 そう言って美雪が指したのは、人が一度に二・三十人は乗れそうな大きさのエレベーターだ。倉庫に二階があるようには見えなかったから、地下に続いているのだろうか。
「この倉庫は多層構造になっておりまして、地下三階まであるようですわ。先ほど降りてみましたところ、メガフロートの内部連絡通路にも出られるようです。ああ、言うまでもありませんけどエレベーターは動きませんから、脇の梯子で下りる事になります」
「はあ。それで美雪さん。ここで何をする気なんですか?」
「何を、とは何の事でしょう?」
 少し詰問調での妃都美の問いに、美雪は小首を傾げる。この女の本性を知らない男なら、萌えーと叫び出すような仕種だ。
「ただ日陰に来るためだけに、こんな端の倉庫まで私たちを呼び出すわけないでしょう。何か他の人に聞かれたくない話でもあるのでは?」
 問いただす妃都美と微笑する美雪。そのやり取りに和也は緊張する。
 妃都美は、ここ数時間の美雪の行動に不自然な点がある事を知っている。だから疑っているのだ……美雪が、船を爆破したのではないかと。それはつまり――――

 美雪が敵と繋がっているのではないかと。

「うふふ……さすがは妃都美さん。ご明察ですこと」
 内心冷や汗を流す和也の心証を知ってか知らずか、美雪はあっさりと認める。そしておもむろに和也の方を見、
「和也さん。烈火さんと美佳さんを捜しに行く方法、思いつきまして?」
「あるわけないだろ……どうやっても命令違反だよ」
 現在ここの臨時最高指揮官であるアントン准将が待機を命じている以上、どのような口実で二人を捜しに行こうが命令違反になる。そうなれば軍法会議は確実だ。
「私なりに考えたのですが……私たちも遭難した事にすればどうでしょう」
「……はあ?」
 突拍子も無い提案に怪訝な声を漏らす和也。それに美雪は胸を張る。
「私たちは、ここで日光を避けて休息をしていました。しかしここには敵が仕掛けた爆弾があり、それが爆発するのですわ」
「ば、爆弾っ!?」
 ええ、と美雪は事も無げに微笑って言う。
「訓練用の手榴弾などをバラして、中の炸薬をかき集めて作った爆弾をここの要所に仕掛けました。ちょっと苦労致しましたが、充分この倉庫を崩せますわ。ああ、遠隔操作式にしておきましたので、私がコミュニケのボタンを押さない限り爆発はしませんのでご安心を」
 本当か? と和也は思った。幾ら美雪が爆弾に精通しているからといって、訓練用の手榴弾などから取れるごく少量の炸薬でここを崩すなんて芸当が出来るのだろうか。
「私たちは爆発から逃げるため地下に飛び込み、直後にこの倉庫は崩れて出られなくなり、やむを得ず奥から脱出を試みるのですわ。まあ不可抗力という奴ですか」
 あははははは、と奈々美が笑った。
「ナイスな悪知恵だわ。これなら命令違反にもならないし、烈火たちも助けに行けるわね」
「確かにそうだが……危険すぎはしないか? 我々共々生き埋めになりはしないか」
 渋面を作って、楯身。
「信じてくださいな。私はそんなヘマは致しません」
 コロコロと笑って美雪は言う。
 楯身はむう、と突き出た顎に手をやる。
「……まあいいだろう。隊長。あとは隊長がお決めになってください。自分たちはそれに従います」
「そうですね。私も和也さんの決定に従います」
「ちゃっちゃと決めてよ。たーいちょ」
 ……簡単に言ってくれるよ、こいつらは。と和也は仲間を少しだけ恨みに思った。下手をすれば部隊全員の命を左右する決断をするというのがどれほどの重圧か、こいつらは解っているのだろうか。……多分解っていないだろう。実際に体験してみない事には。
 どうしてあの男は僕を『草薙の剣』の隊長にしたのだろう。僕より楯身のほうがずっと隊長に向いていると思う。実際楯身の補佐が無ければ隊長が勤まるかどうか。
 そんな事を口にしたら、楯身は頭から火を噴いて怒るだろうが。
「…………」
 少しの間黙効した後、和也は口を開いた。
「よし。行こう。このまま待っていても何にもならない。それならいっそのこと、勝手にやらせてもらおう」
 それは明確な独断専行。軍人としてあるまじき行為である事は重々承知の上だ。だが……
 ――あんな無能者の、しかも地球人の言いなりになるなんてごめんだよ。
 その感情が、和也の背中を押した。彼等はあくまでも木星のために戦うのだ。そのために地球軍の、統合軍の下に入ったとはいえ、地球のために動く駒になる気はさらさら無いのだ。
「決まりましたな」
「ええ。すぐ準備しましょう」
「水と食料は人数分用意いたしましたから、すぐにでも出発できますわ」
「抜け目無いわね。それじゃあ、和也!」
 全員の視線が集まる。
「よし。『草薙の剣』粛々と作戦開始だ。バレないうちに出発しよう。特にスパル中尉には……」
 つい先ほどお叱りを受けた手前、彼女には特に感づかれたくない……そう思っていた和也だったが、そこへいきなり声が飛んできた。

「なーにやってんのかな、お子様たち?」

 ……心臓が跳ね上がった。
 ああ、ドンピシャだ。聞き間違えるはずの無い、スパル・リョーコ中尉のドラ声。しかも『ライオンズシックル』のパイロット三人も一緒だ。まったくなんてバッドタイミング……
「えーと……ああ、スパル中尉ですか。それにライオンズシックルの人たちも。皆さんも休憩ですか?」
 内心冷や汗をかきながら、即興で練ったセリフを口にする。とにかくここで誤魔化さないと、拙い。
「さっきからそこの物陰で聞いてたんだが……なんだか『勝手に行かせてもらう』だの『ここを爆破する』だのと随分物騒な事を話してたみたいじゃねえか、ん?」
 白い歯を見せてニタニタと笑いながらリョーコは言う。どうやら盗み聞きしていたようだ。気付けなかったのが口惜しい。
 ――くそ、最悪だ。まさか口封じに殺す訳にもいかない……どうする?
 必死に思考を巡らせる和也だったが、そこへ奈々美がとんでもない事を口にした。
「盗み聞きなんて趣味が悪いけど、聞いてたなら話は早いわ。あたしたちは勝手に行かせて貰うわよ。もうあの能無しの下で待ってるのは限界」
「おい、奈々美っ!?」
「奈々美さん!?」
「何を言うのだ!?」
「…………」
 言いやがった。和也は焦り、妃都美は裏返った声を上げ、楯身は怒鳴り、美雪は無言で眉をひそめた。
「なるほど。お偉いさんの命令より仲間の命か。泣けるねえ」
 だが見過ごすわけにゃあ行かねえな、とリョーコは言う。それを合図にリョーコ以下、『ライオンズシックル』のパイロット三人も拳を前に突き出し格闘の構えに入る。
 まともにやりあえば、まず和也たちが勝てるだろう。こちらは生体兵器。あちらはただの人間でしかもパイロットだ。倒すのは簡単だが……その後意識が戻った彼等は勿論アントン准将に事の顛末を告げるだろう。そうなれば罰は免れない。
 それでも……やるしかないのか。『草薙の剣』が応戦の体勢を取り、『ライオンズシックル』の面々が拳を振り上げ足を踏み出す。
 緊張は頂点に達し、刹那――――
「うおっ!」
「どわっ!」
「ひでぶっ!」
「あべしっ!」
『ライオンズシックル』の面々は見えない拳に殴られたかのようにのけぞり、バタバタと倒れた。
「ぐはっ、やられ……たっ」
「…………?」
 奇妙極まる行動にして呆気に取られ、身構えたままの体勢で固まる和也たち。そんな彼等をリョーコがキッ、と睨みつける。
 ――なにぼけっとしてんだ。早く行け!
 リョーコの目はそう言っていた。ようやくそれに気がついた和也は、とにかく声を上げた。
「……あ! あああ! 邪魔者は片付けた。みんな行こう! 後の事は後で考えろ!」
 了解! と返事は四つ。飛び込むようにエレベーター横の梯子を下りる。
 飛び込む間際、和也はリョーコたちに礼を言おうとして、やめた。
『草薙の剣』は命令違反を犯したのだ。『ライオンズシックル』はそれを止めようとして逆に殴り倒された。彼らは後の仕返しを恐れてか誰にもこの件を口外せず、事は美雪の考えたシナリオの通りに運ぶ。
 そういう事なのだ。



「……とまあ、そんな事があってね。途中で戦時中に使われていた軍の倉庫を見つけて、そこで武器も調達できた。そうやってここに来てみたら、二人がいたってわけ」

『草薙の剣』メンバー全員が集合した中央制御室。そこで烈火は和也たちの持ってきた携帯糧食で空腹を満たす傍ら、和也からここに来るまでの経緯を聞いていた。
 烈火も美佳も、仲間と合流して安心できたせいかそれまで大人しかった腹の虫が急に騒ぎ出し、夢中で食事をかき込んでいた。和也たちは充電器も持ってきてくれたため、美佳のソリトン・レーダーを充電する事も出来た。
「僕たちは休憩中に爆弾の爆発でやむなく地下へ。そういう事にしてくれよ」
「……はい」
「ああ……もぐもぐ、解った」
 缶の底を押すだけで炊き立てを味わえる缶詰のご飯を、同じく缶詰の豚の角煮と共にかきこむ。その歓喜たるやだが、それを咀嚼しながら相槌を打つ。さすがに聞き流すわけにはいかない。つまらない口裏合わせだが、和也たちのやった事は完全に命令違反であり、変な事でボロが出たりしたら大変な事になる。
「……ところで和也さん。私たちはこの島が沈みかけているのに気がついて、ここに来たのですが……皆さんはどうして?」
 一息ついて、美佳が訊いた。
「僕たちも似たようなものだよ。内部に入ってから、島が浸水してるのを見つけて……」
「予定を一時変更して、私たちも島を助ける事にしましたの。助けはいつ来るか解りませんし」
 美雪が勝手に後を引き継ぐ。……何気に重大な事を聞いたような。
「助けはいつ来るか解らないって……どういう事だよ」
「ああ、言い忘れてたよ。僕たちが乗ってきた輸送船は敵……誰かに爆破されてね。妨害電波で通信は届かないし、伝令に飛んだクーゲルは帰ってこない。おまけに定時連絡は数時間後ときた。つまり助けが来る目途は立ってないってこと」
 何もしなかったら島が沈む方が早かったんじゃないかな、と和也は言う。
「するってえと、俺たちが島を助けようとしなかったら……」
「あんたたち今頃死んでるわね。上にはこいつと同じ、壊れた虫型兵器がたくさんうろついてる筈だから」
 笑顔で物騒な事を口にする、奈々美。
「情けは人のためならず、と聞いた事があるが、本当なのだな」
 そう言ったのは楯身だ。
「……神よ。感謝いたします……」
「ほんとほんと。やはり神様はいらっしゃるのだねえ……」
 神など信じた事も無い、強いて言えばゲキガンガーがそうだった烈火だが、少し考えを改めようかと思った。
「ところで二人とも。二人がここに来た時、誰かここで死んでたの?」
「あ?」
 いきなり訳の解らない事を奈々美が言い出した。怪訝そうな二人の様子を見て、「ほら。そこの床」と指す所に視線を移し――――
「うわ! なんだこりゃ」
 烈火は驚いて飛び退く。
 美佳と烈火が座っていたすぐそばの床には、べっとりと赤黒い染みが広がっていたのだ。来た時は明かりも何も無く、何より他の事に夢中で気が付かなかった……
「……戦争中、ここで誰か殺されたのでしょうか」
 美佳が真っ当な推論を口にする。道中、二人は戦争中の殺戮と破壊の跡をそこら中で見てきた。
 ここで誰か殺されたとしても不思議ではないが、血痕を調べていた美雪がそれを否定した。
「まだ、血が乾ききっていませんわね。誰かここで殺されたとして、数時間程度しか経っていないと思われますわ」
「はあ? それじゃあ……」
 誰が殺されたって言うんだ、と烈火が言いかけた途端、銃声が鳴り響いた。いきなり妃都美が拳銃を発砲したのだ。
「おわっ! 何すんだいきなり!」
「あそこ……カメラが動いていました!」
 驚いた全員が目を向ける先には、中心のレンズを見事に撃ち抜かれた監視カメラ。
「誰かが私たちを見ていたんです! 誰だか知りませんが――――危険だと思います!」
「……誰か、私のノートパソコンを……」
 美佳の対応は早かった。充電器からソリトン・レーダーのイルミネーターである眼球を取り外し、右の眼窩にそれを押し込む。空いた左目には私物として演習に持っていけなかった愛用のノートパソコンからケーブルを伸ばし、それの先端に付いた端子を突き刺す。なんともショッキングな光景だが、こうしてレーダーとパソコンを連結し、その演算能力を利用する事で捜査範囲と精度は格段に上がる。
「……たくさんの虫型兵器が、ここに向かってきています。このままだと数分後、ここは数十機の虫型兵器で埋め尽くされます」
「カメラを操作していた奴が呼んだのか……!」
 道理で、振り切ったはずのバッタがあんなに早く追いついてきたわけだ――――
「全員直ちに出発! 急いでここから離れよう!」
 和也の号令一過、全員大急ぎで荷物を纏める。やっと一息つけたと思ったらこれか……! もう見えないと知りつつも烈火は壊れた監視カメラを睨む。
「烈火に美佳。これ持っときなさい」
 ポンと奈々美から武器を渡される。美佳は拳銃とサブマシンガン。そして。烈火は専用の怪物マシンピストル二挺だ。
「武器はありがてえが……俺の利き腕はこの通りだぜ?」
「左手は使えるんでしょ。あたしもこのとおりボロボロなんだから文句を言わない。無理なら足手まといだから置いて行くわよ」
「手厳しいな。……あん? 奈々美、お前の武器……」
 苦笑した後、奈々美の持つ武器を見た烈火は疑問符を漏らした。
 無骨な外観の機関部に、やたら長く太い銃身。どう見ても対物ライフルなのだ。奈々美は強力な武器に頼るのが嫌いではなかったか?
「……まあ、あたしの一番の武器はこの拳だけど? 今は使い物にならないし、それに……武器をうまく使うのも、強さの内かなって」
 奈々美はそう言って、ふんと面白くなさそうに鼻を鳴らした。


『草薙の剣』が立ち去り、無人となった中央制御室――――その片隅にあるロッカーが、何の前触れもなくひとりでに空いた。
 ――――どさり。重量のある物体が床に落ちる。
 もう、見ている者はいなかった。
 胸に『♂』のマークが描かれた制服を着、顔を驚愕に歪めた、まだ若者と言っていいその男の姿を。
 胸を血の赤に染め、助けを求めるように右手を伸ばしたその亡骸を。
 見ている者はいなかった。



 上へと続く階段を駆け上がり、一同はようやく地上へと辿り着いた。
 出たのは役場と思しき建物の中。数時間ぶりの太陽はまだ高いようで、割れた窓から差し込む光が暗闇に慣れ切った眼に眩しい。痛いほどだ。
「ああ、愛しの太陽だぜ……」
「……空気が、おいしいです……」
 長時間地下に閉じ込められていた烈火と美佳は、埃臭い空気を吐き出し、新鮮な外気を肺いっぱいに吸い込んで、生きて太陽を拝む事が出来た事を喜ぶ。
「空気入れ替えは済んだ? 美佳、敵の動きを知らせて」
「……はい。……敵は北西、東、南南東の各方向からこの建物を取り囲むように展開中。数はおよそ二十。少し遅れて、南西方向からも三十前後の群れが迫っています」
「少なくとも約五十か……ちょっと多すぎないか? 司令部が襲われた時も結構壊したはずなのに」
「恐らくは、敵が持ち込んだ物も含まれると思われます。そうでなければ数が合いませぬ」
 実弾を装備している可能性が高いと思うので、交戦は避けた方が賢明かと、と楯身。和也は頷く。
 どのみち、七人で相手にできる数ではない。敵を連れていくようで悪いが、味方のいる司令部まで逃げるしかない。
「隊長。ここからだと統合軍の司令部に戻るより、宇宙軍のそれの方が近いと思われます。そちらに向かう方が得策かと」
 そう、楯身が意見を口にする。確かにそれが正解だと思う。だが……
「宇宙軍ね……」
「何か問題でも?」
「いや、僕の思い過ごしだと思うんだけど……」
 和也は逡巡する。
 数時間前、演習の時に宇宙軍の部隊と戦った時の事が思い出される。鬼気迫る――――そう言っても過言ではあるまい。あの敵意と殺気は、実戦形式とは言え演習に臨む姿勢にしては本気がすぎる。何より和也は、あと一歩で首を折られて殺されるのではという目に――本気でそうする気だったか、今となっては断言できないが――遭っているのだ。
 宇宙軍の中にも、敵がいるのではないか。いや、あるいは全員――――和也は、疑念を払拭できないでいたのだ。
「……いや、やっぱり駄目だ。統合軍の所に戻ろう。そっちの方が安全だ」
「ふむ……了解しました」
 敬礼。和也の気持ちをくみ取ってくれたのか、それとも楯身自身思うところがあったのか、以外と素直に従ってくれた。
 方針は決まった。和也は全員に視線を走らせて、言う。
「みんな準備はいいね? 疲れてると思うけど、ここを切り抜けないと明日のお天道様が拝めないよ」
 はい! と返事は六つ。しかしその内の一つは、どこか戸惑ったようで力無い。
「妃都美。いろいろ心配事はあると思うけど……今は仲間を信頼して。でないと生きて帰れないよ」
 疑心暗鬼に陥りかけている風の妃都美を、遠回しに諭す。
 美雪への疑いについては、烈火と美佳だけではなく他のメンバーにも話してはいない。確証など何も無いし、疑心暗鬼が広がるだけと判断したからだ。その疑いは、まだ晴れてはいない……
 だが今は忘れよう。この状況、仲間を疑り警戒していたのでは乗り切れないだろう……
「……はい。解っています」
 妃都美は完全ではないにせよ、とりあえず承知してくれた。怪訝そうな顔をする他のメンバーには、こっちの話だよと態度で示す。
 その時、美佳が鋭く声を発した。
「……和也さん、南西の敵から飛翔物が多数――――ミサイル攻撃、来ます。着弾まであと二十秒」
「隊長!」
「解ってる! 全員出るぞ!」
 号令一過、『草薙の剣』は外へ飛び出す。数秒の間を置いて飛来するミサイル。
 着弾。燃え上がる爆炎。背中を嬲る爆風。そして轟く爆音。それに負けじと和也は叫ぶ。

「敵の少ない北方面を衝いて、突破する! 遅れるな!」



 炸裂する『本物の』ミサイルがつい数秒前まで烈火たちのいた建物を吹き飛ばす。それを合図に必死の脱出作戦は始まった。逃走――――と言った方がいいか。
 初めに烈火たちを出迎えたのはバッタが一にジョロが二。恐らくは標的機。ジョロは足先のダッシュローラーをフルスロットル、バッタは重力波フローターで空を飛び、その機動性を最大に発揮して向かってくる。
「まだ撃たないで! 十分に引きつけてからジョロは足、バッタは腹を狙うんだ!」
 迎え撃つのは七つの銃口。各々が持つ武器を一列に並べ、七対十四の脚は迫る死の恐怖を振り払うように、やはり虫型兵器へとまっすぐに突っ込む。両者は引かず、自然と正面からぶつかり合う体制になる。
 数秒の内に距離が詰まる。攻撃態勢に入るジョロとバッタ。下される和也の指示。
「撃てぇー!」
 号令一過、放たれる銃火。狙うのは前足を振り上げて迫る二機のジョロ。それも硬い装甲に覆われた前面ではなくそれを支える六本の足。その最も脆弱な関節に火線を集中して浴びせる。
 途端、がくりと一方のジョロの体が傾いだ。被弾した足から崩れ落ちるように半身を道路に擦りつけ、派手に火花を散らしながら蛇行。あろうことかもう一機のジョロに激突し、両機絡み合うように横のビルに突っ込む。一機はそのまま動かなくなり、もう一機は衝撃で跳ね跳びくるくると回転しながら烈火たちの方へと飛来する。
「ひゃあ、危ない!」
「伏せろ!」
 一同は慌てて地面に伏せ、飛んでくるジョロを避ける。動きが止まったそこへバッタが急降下し、何の因果か烈火目掛けて足を振り下ろしてくる。
「――――――――っ!」  判断するより早く勝手に体が動いた。上体を捻って体を転がし、繰り出されるバッタの一撃を避ける。それは一瞬後がつっ、と烈火の頭があった場所を深々と抉り、攻撃に失敗したバッタは再度の攻撃を試みてか一旦飛び去る。その背中へ向け、奈々美が寝そべったままの体制で対物ライフルを向けた。
 ズドンッ――――! 爆発音と間違うほどの銃声。放たれた十五ミリ口径の銃弾は右へ逸れる。弾道を覚え、コッキングレバーを引いて再装填。
「落ちなさい!」
 言い放って発砲。今度は正確にバッタの腹へ銃弾が吸い込まれる。バッタは空中でぐらりと大きく傾き、少しの間を置いて爆発、四散した。
「ったく……バッタの足パンチなんざ飽き飽きだっつーの」
 ぶつぶつと呟きながら立ち上がる烈火。どうも傷と共にトラウマが刻まれているらしい。おかげで命拾いしたわけだが……
「安心してる暇は無いよ! 敵はまだまだ来る!」
 和也が怒鳴った。すると、その通りだとでも言うようにビルの蔭から、窓から、空から、地上から、次々虫型兵器が現れる。わらわらわらわら。群れで襲ってくるその様は正しく獲物に群がる虫の群れだ。
「とにかく逃げる! 味方がいる所まで! だから今はとにかく走れ!」
「ちっくしょーっ! なんか今日は走って逃げてそればっかりだぜえっ!」
「烈火さん。状況は圧倒的にこっちが不利なんですよ! 逃げるほかに戦いようはありません!」
 せっかく武器があるのに逃げるしかできない。口惜しさがつい口に出て、妃都美にたしなめられる。
 それでも、逃げながらも数機のジョロやバッタを食う事が出来た。前はお互いに実弾の無い条件だったからこそ、強固な装甲とそれ自体が武器である足を持つ虫型兵器に苦戦していた。こちらが武器持ちの条件なら、狙うべき弱点を熟知した虫型兵器は十分に対処できる相手だ。
 しかしその優位は、長く続くものではない――――
「……ミサイル攻撃、第二波来ます。着弾予測地点は私たちの周辺、広範囲です」
「また来たか……! 総員、対ミサイル防御! 隠れて!」
 和也の指示に従い、全員が急いで乗り捨てられた車や建物の陰に隠れる。次の瞬間、キイィィィィ――――! と甲高い音が響いてくる。それは飛翔するミサイルが空気を切り裂く音。死神の笛の音だ。
「うわあああああ――――――っ!」
「きゃああああああ――――――!」
 着弾は連続。轟く轟音は鼓膜を破らんばかり。上げた悲鳴もかき消される。
 ミサイルの誘導方式は対艦、あるいは対空・機動兵器用の重力波誘導で対人ではないはず。適当につるべ撃ちしているだけならまず当たりはしないが、一度でも爆発に巻き込まれれば確実に即死。そんな攻撃が一秒単位で降り注ぐのだ。道路にはたちまち深い穴が穿たれ、ビルが破砕し破片を散らせる。
「くそっ、せっかく助けてやった島に傷を増やしやがって……!」
 ビル同士の隙間に逃げ込んだ烈火は毒を吐くが、途端すぐ横にいた美佳が「烈火さん、上から――」と鋭く警告を発する。見上げると、上からぱらぱらと落ちてくるのはミサイルに吹き飛ばされたビルの一部だ。小さいように見えてその実は、一つ一つがヘルメットを貫通して頭をかち割る威力をもった凶器。
「危ねえ!」
「ひゃ」
 ほとんど押し倒す勢いで美佳を抱き抱え、降り注ぐ破片から逃れる。しかし逃れる先が悪かった。烈火と美佳は、未だミサイル降り止まぬ元の道路へと出てしまったのだ。  しまった……! 自分のミスを察した時にはもう遅い。一発のミサイルが二人への直撃コースで飛んでくる。
 死ぬ――――烈火が本気でそれを覚悟した刹那、「バカっ!」と怒鳴って和也が飛び出した。必死の形相でライフルを構え――恐らくは『ブースト』を全開にして――空へ向けてフルオートで射撃した。
 連射された弾の一つがミサイルの安定翼を捕らえ、翼の一部がもぎ取れたミサイルはあらぬ方向へ飛び去る。全てがゆっくりと見える『ブースト』を持つ和也の得意技だ。それに驚いたわけではないだろうが、ようやくミサイルの飛来が止む。
「す、すまねえ、助かった……」
「……ありがとうございます」
「お礼と反省会は後でね。来たよ……!」
 厳しい顔つきで、和也は一同が来た方向を睨む。
 彼らを追うようにいくつもの黄色い甲殻が姿を現している。しかしその体躯はバッタより二回り以上大きく、地面からほんの僅かに浮き上がって音も無く滑走してくる。その速度はジョロやバッタには一歩劣るものの、人間が走るよりは遥かに速い。
 水中戦に特化した、虫型兵器水式――――地球側コードネーム『ゲンゴロウ』だ。こんな物、演習用の標的機の中には無かったはず。とすれば――――
「正真正銘、本物の敵ってわけだな! どうするよ和也!?」
「どうするもこうするもあるか! 逃げ……!」
 和也は迷わず叫ぶが、そこへ横一列に並んだゲンゴロウから機銃の一斉射撃が開始された。
 銃撃は苛烈だった。ゲンゴロウ十機が12・7ミリ機銃をそれぞれ二挺、計二十挺を並べての一斉射撃は瀑布の如き激しさで、烈火と美佳は再びビルの隙間に退避し、遅れて和也もそこへ逃げ込もうとする。
 途端、「う……!」と和也が呻き、膝をついた。拙い、『ブースト』の反動だ。今まで騙し騙し使う事で抑えていた反動が、烈火たちを助けるために全開にしたことでついに出たのだ。
「和也、早く、早くこっちにこい!」
「く……くそっ……!」
 和也はよろよろと烈火と美佳のいる方へ歩み寄る。だが、遅い。眩暈にふらつくその足を、銃弾が容赦無く襲う。
「うあっ!」
 迸る和也の悲鳴。飛散する赤い飛沫。足を撃たれた!? たまらず和也は前のめりに倒れる。
「和也!」
 躊躇っている暇はない。烈火は隠れていたビルの隙間から飛び出して和也に駆け寄り、自然と美佳がそれに続いてきた。二人で和也を抱え起こして運ぼうとするが、そこへゲンゴロウは容赦無い銃撃を浴びせてきた。
 ゲンゴロウにとっては、願っても無いチャンスだったろう。一人のはずだった獲物が勝手に三人に増えたのだ。嘲笑の代わりに浴びせられるのは横殴りに吹き付ける銃弾の嵐。咄嗟にすぐそばに乗り捨ててあった乗用車の陰に隠れて被弾は免れたが、所詮は装甲など何も無い乗用車。数秒とかからずに蜂の巣になる。
 もう駄目だ……と一瞬思った。しかし道路を挟んだ向こう側から「やらせるな!」という叫び声が銃声の中辛うじて聞こえ、楯身と奈々美と妃都美と美雪。四人がありったけの火力を叩きつけ始めた。
 ゲンゴロウの銃撃が、より脅威度の高い敵と認識された方に集中し、烈火たちへの攻撃が一瞬弱まる。楯身たちが作ってくれたその隙に、烈火と美佳はすぐ傍の『センチュリー高天原』と看板を掲げたビジネスホテル。その玄関前を飾る支柱の陰へ和也と共に逃げ込む事が出来た。
「すまねえ楯身、たす――――」
 助かった。振り向き、そう礼の言葉を口にしかけ、烈火は息を呑んだ。
「ぐぁぁぁぁああっ――――――!」
 銃撃を浴び、数歩たたらを踏んで楯身が倒れる。烈火や和也を助けようと焦ったのか、それとも防御力を強化された自分の体を過信したのか、楯身は無謀にもその全身を銃弾飛び交う中に晒してしまい、そこへ集中砲火を浴びたのだ。
「いやああああああああ! 楯身様あっ!」
 美雪が絶叫する。誰もが凍りつく中、しかし楯身は自力で這って歩き、他の三人が隠れるビルの陰に入った。
 生きてる……烈火は心の底から安心し、ホッと胸を撫で下ろす。
 とはいえ、12・7ミリ機銃をしこたま食らったのだ。あのぎこちない動きからして、骨の数本は折れているはずだ。
 一方和也は、直撃こそ運良く免れているが右のふくらはぎの肉を抉られている。美佳がナノスプレーで応急処置を施して、出血は止まるだろうが、
「走れるか、和也?」
「……くぅ……」
「和也!」
「ごめん。無理……」
 傷の痛みに呻きを漏らす和也。くそっ、怪我人を抱えてたら逃げ切れねえぞ……和也と楯身には悪いが、内心で舌打ちする。
 そこへ美佳が、悪化する一方の戦況に止めを刺した。
「……新たな敵影を確認しました。ゲンゴロウです。確認できる範囲で約二十機。左右両翼に展開し、私たちの進行方向へ回り込みつつあります」
「挟撃かよ!?」
「万事休す、か……くそっ、こんな所で……」
 和也は無念に唸る。
 全滅――――考えるのも嫌だった最悪の事態がもう、目の前まで来ているのだ。『草薙の剣』の面々に絶望が満ちる。

「――――あれは!?」

 突然、妃都美が叫んだ。
 空の彼方を指さすその先には、ぽつんと何かの影が浮いている。遠くて判別はできないがあれはどう見ても戦艦の類だ。
 ――んだよ。虫型兵器の親玉でもお出ましになったってのか。
 烈火は毒づく。助けが来たとは思わない。妨害電波が消えた形跡など無いし、本土の軍が異常に気付くにもまだ早い。つまりあの戦艦は敵に違いない――――そう思っていた。

「あれは――――宇宙軍の戦艦ナデシコB! 味方です!」

 それだけに、妃都美が泣きそうな声でそう言った時の喜びはひとしおだった。


「重力波反応、多数確認しました。敵の虫型機動兵器です」
 ナデシコBのブリッジに、ハーリーの真剣な声が響く。それを聞いて頷くルリのシートはアームでブリッジの中央にせり出し、この艦が戦闘態勢であることを示している。
 ルリとハーリーがただ二人、ひょんな事から手に入った『脱出手段』で島から脱出したのが二時間ほど前の事だ。狙い通り攻撃を受ける事もなくヨコスカドックへ辿り着き、ナデシコBを手中に収める事が出来た二人は全速で島へ戻り、統合軍と宇宙軍の部隊を収容した。
 あとはこの艦の戦力をもって虫型兵器を掃討し、遅れてやってくる部隊に生存者捜索の任を譲ればそれでおしまい。楽な仕事だ。
「敵、なんでか密集してますね。また司令部を襲撃しようとしてたんでしょうか」
「ハーリー君。その周辺に生体反応はある?」
「いいえ。確認できる範囲ではありません。ただあのあたりはビルが多いので、ここからではなんとも……」
「…………」
 ルリは無言で通信回線を開く。外は未だ妨害電波が飛び交っているが、艦内通信なら問題ない。
『はい、なんでしょ』
 出たのはパイロットスーツ姿のままのサブロウタだった。その後ろでは、珍しく賑わいを見せているナデシコBの格納庫が見える。普段空きが目立つが今日に限ってエステバリスやステルンクーゲルをずらりと並べたハンガー。それらを整備して調整して実弾を食わせてやってとてんやわんやの整備士たち。そして顔を合わせたばかりに緊張状態に陥っている統合軍と宇宙軍の兵士たち。すでに一部では小規模な武力衝突も発生しているようだ。
 それはどうでもいいのだが、サブロウタが顔中に痣やコブを作っているのはなぜだろうか。どういうわけかこの男、ルリが見ていない間に素手で白兵戦でもやらかしたような顔になっていたのだ。
「タカスギ少佐。ブロック573の地点に敵を見つけましたが、あのあたりは調べましたか? 捜索に出た時に、です」
 ルリは必要な事だけを尋ねる。顔の事は後でいい。
『えー……ああ。そのあたりはもう調べました。生存者は一人もいませんでしたよ』
「そうですか。ならナデシコで攻撃しても問題ないですね」
『ナデシコでですか? 俺たちが出撃してもいいですぜ。スパル中尉たちもいる事だし』
 むしろ出撃させろ。そう言いたげな顔でサブロウタは言う。今日は嫌というほどやり込められた事だし、ここらでやり返してやりたいのだろうが、
「いえ、皆さん疲れていると思いますし、それに、まだ生存者がいるかもしれません。敵は都合良く密集していますから、手っ取り早く終わらせちゃいます」
『はあ。了解』
 サブロウタの少し残念そうな返事を最後に、通信を切る。
 さあ、行くよオモイカネ――――ルリは何よりの『お友達』であるオモイカネに戦いの意思を送る。



「おい、どうした? 俺たちが出るんじゃないのかよ」
 騒々しい格納庫の中、リョーコはつまらなそうに壁に寄り掛かったサブロウタに訪ねた。虫型兵器の掃討はてっきり、彼女らがやるものだと思っていたのだが、
「ん……どうやら出番はなさそうっすね。敵は密集しているから、ナデシコのミサイルで掃除するみたいです」
「ふうん、そりゃ……」
 つまらねえな、と言いかけ、リョーコはふと引っかかるものを感じた。
「おい、それだと下の奴らはどうすんだ?」
「あのあたりは俺たちがくまなく探したから、誰もいるわけないっすよ」
 なら吹っ飛ばしても問題ないでしょ、と事もなげにサブロウタは言う。
「そう、ルリに言ったのか? 誰もいないなら、なんで敵が集まってんだ?」
「さあ? それは解んないすけど……中尉?」
 リョーコは青くなった。



「ジャベリン、1番から14番まで装填。発射弾数は56。弾頭は島への被害、地下に生存者がいる可能性に留意し指向性弾頭にセット。着発信管にて作動とします」
「ミサイルの設定完了。艦首VLS、各発射管にミサイル装填します」
 ルリの指示にハーリーが応じ、それはIFSを介してオモイカネ、そしてナデシコへと瞬時に伝わり、実行される。
 ナデシコBの両舷から張り出したディストーションフィールド発生ブレード。その先端に据えられた左右16セルづつ、計32セルのVLSが一部口を開き、同時にその間に配置された排気口が扉を開く。VLSには既に鋭い牙を思わせるミサイルが計56発装填されており、後はルリの発射命令を待つばかり。



 ――やべえ。  リョーコは直感的に危険を察した。確証は無いが、リョーコの中ではそれはもう確信として固まっていた。
 コミュニケ……は無い。しまった、他の荷物と一緒に下に置いてきたままだ。それじゃ端末……ええい遠い! それならこっちの方が早いか! リョーコは脇目も振らず走りだす。目指すは自分の愛機、エステバリス・カスタムだ。
「ルリーっ! 待ってくれ、ルリーっ!」
 聞こえるはずが無い。解っていても叫ばずにはいられない。叫ぶしかない。

「あそこにはきっとまだ奈々美が、和也が……ガキどもがいるんだぁっ!」



「発射」

 ルリの命令一過、側面の排気口から炎が噴き出し、少し間を置いてミサイルが一発、二発、三発と順序良く飛び出す。そして空中で安定翼を広げたそれは、獲物を捕らえんとする蛇の如き俊敏さで飛翔した。



 飛来するミサイル。その姿は妃都美の『鷹の左目』にはっきりと捉えられていた。
「ナデシコBからミサイルが……!?」
 ええーっ!? と一同のほぼ全員が唱和する。
 全員が抱いただろう助かるという希望は、この瞬間粉々に打ち砕かれた。それも味方の手で、だ。
「ちょっと待て、俺たちもろとも吹き飛ばす気か!? 助けに来たんじゃないのかよ!?」
 まさか俺たちが統合軍だから助けない気か!? と半ば以上本気で叫ぶ烈火。それに答えるように和也が「しまった!」と両手で頭を抱えて叫ぶ。
「僕たちは独断でここに来たから、あいつら僕たちがここにいるなんて思ってないんだ!」
 そういう事だ。ナデシコBにも生体センサーくらいはあるだろうが、こうも高層建築物が多く、しかも全員がその中の狭い隙間に隠れているのではどうしようもない。
「美佳、着弾まであとどのくらい!?」
「……約一分弱です」
 ああ、と和也は絶望の呻きを漏らす。まさに絶望的な数字だった。逃げる時間も無い――――いや、そもそも虫型兵器に囲まれて逃げる道も無い。
「和也、さっきみてえにミサイルを撃ち落とせねえか!?」
「無理言うな! 虫型兵器のマイクロミサイルならともかく、艦対空ミサイルに小銃で歯が立つか!」
 せめて重機関銃でもないと無理だ! と和也。
 えいくそ、と烈火は歯噛みする。重機関銃というならちょうど烈火の持つ機関拳銃の威力がそれくらいだ。だが烈火にミサイル迎撃などという芸当ができるわけもなく、和也ではこの機関拳銃は反動が強すぎて使えない。
 今さら無い物をねだってもしょうがないが、せめて俺に『ブースト』が使えれば――――そう思った時、パシッ、と烈火の頭に電流が走った気がした。
「和也、重機関銃くらいの銃なら撃ち落とせるんだな?」
「ああ、たぶん……」
 なら、と烈火は言う。こんなナイスアイディア、俺らしくねえな。などと内心で思いながら。
「俺の機関拳銃を使ってくれ。反動は俺が支えるから、和也は照準だけやってくれ。それならどうだ?」
 一瞬の間があった。和也は少しだけ思案するように下を向き、すぐに頭を上げた。
「……ええい、確かにそれしかないか。こうなったら一か八かだ」
 こんな間の抜けた死に方なんて御免だよ……! と和也は烈火の左手に手を添える。
「美佳、レーダーはそのまま全開。ミサイルの弾道に注意して。他のみんなは敵に応戦、虫型兵器を近づけさせないで!」
 皆へと指示が飛ぶ。はい、了解、解りました――――帰ってくる承諾の返事。それはこの絶対絶命の状況で、全員がまだ全員で生き残る事を諦めていない証拠。
「……来ます」
 美佳が告げる。響いてくる死神の笛の音。それをかき鳴らすのは腹の内に大きな破壊の力を秘めたミサイル。その一発でも至近で炸裂すれば、彼らの体など一瞬で消し飛ばす威力を持ったそれが数十発。ここに味方がいるなど考えもせず、ただ目の前の標的を爆砕せんと飛翔する。
「着弾するぞ! 総員対爆防御!」
 あらん限りの声で叫ぶ和也。虫型兵器に応戦の弾を送っていた奈々美たちが、背中を丸め頭を庇って身を守る。次の瞬間――――

 爆発。

 網膜が焼き切れそうなほどの閃光。何も無い空中で巨大な火球が現出。眩しい。反射的に目を保護しようと顔を背け、それでは意味が無いとすぐに戻す。一拍遅れて襲ってくる熱風と衝撃波。剥き出しの顔などが炙られる。熱い。だがそれは十分耐えられる程度の物だ。命に関わるほどの物ではない。着弾場所は離れている――――――途端、連鎖が起こった。

 爆発、爆発、爆発爆発爆発爆発爆爆爆爆爆爆爆爆――――――!

「―――――――――――――!」
 ミサイルが次々降り注ぐ。轟く爆音は耳を破壊し、荒れ狂う爆風は何もかもを爆砕し、放射される熱は周辺の全てを焼き焦がす。その威力たるや、先のマイクロミサイルの比ではない。まるで熱風の洗濯機に放り込まれたような破壊的な嵐。体も意識も吹き飛びそうになるが、それを気合いと意地で堪える。
 発射されたミサイルはジャベリン対空ミサイルだろう。ジャベリンは一セルから最大四発の同時発射が出来るから、ナデシコBのVLS32セルからの最大発射数は128発。虫型兵器の数から逆算しても50は下らない数が発射されたと思う。
 その中で狙うのは、否、狙えるのはただ一発。和也が飛来する50発以上の中からどれが自分たちにとって一番危険かを見定め、照準し、烈火が全力の射撃でそれを破壊する――――言うは易しだ。ミサイルの飛来する速度はすでに超音速。見えたと思った時にはもう炸裂しているであろうそれを撃ち落とすなど、高性能なレーダーとFCS、それに連動した強力な火器があって初めて可能になる。
 人間に出来る芸当ではない。それは生体兵器でもさして変わらない。だが、

 ここで他の奴らを守ってやれないで、何のための力だ――――!

「烈火、撃てぇっ!」
「――――――――っ!」
 引き絞る。
 和也の導く方向へ、12・7ミリ口径の弾をフルオートでばら撒く。当たるかどうかなど解らない。ただ当たると信じて、当たれと念じて、当たってくれと祈って撃ち続ける。
「当たれっ、当たれええっ――――――!」
 叫んでいるのは和也か烈火か。それとも他の誰かかあるいは全員か。
 40発入りのマガジンの中身を全弾吐き出すまで数秒。気持ち悪いほど長い数秒が過ぎ――――

 ――――爆発。烈火たちの目の前で、空中に巨大な火球が現出する。

 至近で炸裂したそれは衝撃波で彼らを吹き飛ばし、破片で何人かの体に傷を増やす。烈火も木の葉のように宙を舞い、壁に背中をしたたか叩きつけられた。
「げうっ!」
 漏れる息。全身に走る衝撃。だがその命を刈り取るまでには至らない。意識が一瞬遠くなりながらもやったと思った。
 その時、ベキベキベキッ――――――――! という不吉な音が耳をつんざく。今度は何事だと音のした方へ顔を向け――――

 瞬間、空が落ちてきた。

「そんな…………っ!」
 バカな、と声を上げる暇もない。
 このあたりは先の崩壊による被害は少なかったのだろうが、それでも内部構造物には少なからぬダメージがあったはずだ。危ういところで耐えていたそこへ、ミサイルが止めを刺した。傷ついた内部構造物は建物の荷重に負け、周辺の建物は足元から崩れ落ちるように、烈火たちの頭上へと倒れてきた。
「うっ、うわああああああああああ――――――――!」
 叫び、腕を頭上に掲げる。無駄と解りきっていても振ってくるものを受け止めようとするのは人間の本能らしい。迫る死を直視しないために瞼が閉じられる。ガッ、と全身を鷲掴みにされたような衝撃を感じ、そして――――

 落着。崩れ落ちる建物が、激しい戦いの痕跡も、そこにあった命も、何もかもを押し潰してゆく。不思議と痛みの無い中、烈火はその轟音をどこか他人事のように聞いていた――――


 ……風を感じる。妙な浮遊感。死んだのだと思った。
「……ああ、崩落の音が遠いぜ。これが死ぬって事か。こんな事なら最後に美佳に……」
『何言ってんだおめえは?』
「ああ、神の声が聞こえるぜ。神様さんの声は思ったより野暮ったいんだな……」
『目ぇ覚ませ――――――!』
 うわぁ! と神の怒鳴り声に目を開ける。……て、はい? 何か聞き覚えのある声を聞いたような。
『よーし、目ぇ覚めたな。怪我無いかガキども?』
「ス、スパル中尉殿っ!?」
 眼前の赤いエステバリスの顔に仰天する。いつの間にか烈火と和也と美佳はリョーコのエステバリス・カスタムの掌の上にいて、並んで飛ぶ『ライオンズシックル』メンバーのエステバリスの手の上では、奈々美と楯身と妃都美、そして美雪が無事な姿で手を振っていた。
「ちょっとー! なんでこんな時まであんたが出てくんのよー!」
『虫どもが群れてるってサブから聞いて、ひょっとしたらお前らがいるんじゃないかと思ってな! 飛び出してきて正解だったけど、余計な御世話だったか!?』
 う、とあっさり引き下がる奈々美。……奈々美の奴、スパル中尉にやけに突っかかるが何かあったのだろうか。
「……皆さん、無事なんですね?」
 そう、美佳が聞いてくる。
「おお。全員無事だぜ。俺たちの頑張りとスパル中尉殿のおかげだ」
「……よかった。本当に……よかった、です」
 がくり、と糸が切れたように美佳は項垂れる。
「おい、美佳!?」
「……気を失っただけだよ。体力的にかなり無理したみたいだから、休ませてあげて。……ありがとう烈火。おかげで今回も、誰も死なずに済んだ」
 そう、和也。
「そ、そうかね。俺もがんばったけど他の奴らもよくやったと思うぞ。もちろん和也も」
「……それはどうも。じゃあ僕も休ませてもらうよ。僕も……疲れ、た……」
 言って、和也も瞼を閉じる。
 生き残れたのはいいが、みんなボロボロだ。この先、こんな事はいくらでもあるのだろう。
「もっと強い武器を手に入れて、もっと強くならなきゃな……」
 誰に言うでもなくそう口にして、烈火もまた傷ついた体を休めるのだった。



「重力波反応消滅。目標の殲滅を確認しました。……あ、勝手に飛び出したスパル機より入電」
 統合軍の生存者死にぞこない七名を確認。救助したとのことです、とハーリーは告げる。
「やっぱりいたんですよ……どうしましょう。僕たち友軍相撃を……」
「やっちゃったものは仕方ありません。とりあえず救護班は準備してください」
 ルリはしゃあしゃあと言ってのける。統合軍からは文句の一つもあるだろうが、……まあ不測の事態だったという事で、上に任せよう。
「戦闘モード解除。艦内は警戒態勢パターンBに移行。これよりヨコスカに帰還します。……ハーリー君。捕虜の様子はどう?」
「今のところ、大人しいようです。ただ容疑については半分くらい否認しているみたいです。我々はやっていない、って」
 犯行は認めても殺意は否認、というところか。何をバカな――――憎々しくルリは思った。死傷者は両軍合わせて百人を超えるというのに、いまさらそんな言い訳が通るとでも思っているのか。
 すぐに化けの皮を剥いでやる。自白剤を胃の中に反リットルもぶち込めば、どんな鍛えられた人間でも洗いざらい白状するしかないのだから……
「あのー……艦長」
 暗い事を考えていたルリに、ハーリーがおずおずと声を掛けてきた。
「何?」
「さっきから、スパル機が助けた人たちからひっきりなしに通信が来てるんですが……」
 怖くて出られません。ハーリーはそう視線で訴えてくる。
「……いいよ。こっちに回して」
「は、はい……」
「こちらは宇宙軍所属の戦艦ナデシコB。艦長のホシノ・ルリ中佐です。生存者の皆さん、無事ですか?」
『○×△☆□Д――――――――!』

 ぷつっ、

「……怒ってる怒ってる」
 肩を縮こまらせて、ハーリーは呟いた。



「ウッヒャヒャヒャヒャヒャ……! こりゃすごい、見事なもんだ」

 統制下の虫型兵器、全滅。そのメッセージを淡々と表示するノートパソコンを前に、火星の後継者の制服を着た不良男は笑い声を上げる。
 哄笑。そう表現するのが最も適当であろうそれを男は撒き散らす。何がそんなに可笑しいのか解らない他の人間の奇異な物を見る視線など気にせず、男は誰はばかることなく笑い転げた。
「運命ってのは皮肉なもんだ……ああ、よく生きててくれたもんだ。今すぐ迎えに行ってやりたいよ今すぐ抱きしめてやりたいよ! ああでも今は駄目だなんでお前らはそんな所にいるんだよすぐには迎えに行ってやれないぜおおなぜ俺たちを裏切ったのだぁああ」
 喜びの声を上げたかと思いきや消沈し、すると今度は怒りを露にする。下手くそなミュージカルのような一人芝居。
「……少佐。そろそろ撤収しましょう。ナデシコも現れたことですし、これ以上ここに留まるのは危険かと」
 見かねた年若い兵士が言う。ああん? と不良男は座った眼で睨んでくる。ヘビに睨まれたカエルのように動けなくなる兵士だったが、不良男は以外にあっさりと腰を上げた。
「ん、それじゃ帰るか。あーあ、島は沈まず、殺せた敵兵も予定を下回り、虫型兵器も全部オシャカにしちまったか……」
 帰ったらお目玉だなあ。と不良男は気だるげに言う。
「でもまあ作戦はおおむね成功。思わぬ収穫もあったし、俺的には満足かねぇー」
 独り言は続く。
「……何なんだ? あの人は」
「さっきからずっとあの調子。もともと変な人だけど……」
 今日は特にその奇行に拍車がかかっている――――周りの火星の後継者の兵士はそう、小声で言い交わした。
 彼らは船底から、そこを殆ど破壊する形で入り口を突っ込んでいた小型潜水艇に乗り込み、誰にも気づかれる事なくその場から消えた。そして船底に穴を穿たれたままの『第一正義号』は体内を水に浸食され、浮力を失って沈み始める。

 ――――どん、どん、どん、

 沈みゆく船の中、外が見える丸い、はめ殺しの窓を必死に叩く手があった。

 ――――助けて、助けて、誰か、誰か!

 助けを求めて叫び、救いを求めて窓を殴打する。手は一つではなく、複数人。何もない海の真ん中で助けなどあるわけもないのに、それでも窓を叩き、助けを求め続けるしかない。

 その叫びも、彼らの命も、ついに誰にも知られる事なく、暗い海の底へと飲み込まれていった。










あとがき

 第七話の後編をお送りしました〜、燃え尽きました。

 めでたく島を救い、何度も死にかけながら傷だらけの生還を果たした烈火たち。それを遠くから監視する不気味な影も出てきましたが、これで『孤島編』は転から結へと至ります。

 ジョロやバッタ、ゲンゴロウといった虫型兵器と生身でガチ戦闘してますが、決して『草薙の剣』が強すぎというわけではないです。彼等が虫型兵器の弱点などをよく知っているから、という事で。オフィシャルの小説ではアキトが拳銃一つでバッタを壊してますから、あながち無茶でもないかと。

 今回はあくまで烈火その他の『草薙の剣』メンバーに焦点を当てたかったので、ルリやサブのパートはばっさりカットしました。というわけでそちら方面の活躍や、今回回収しきれなかった伏線を次回で片付ける事になります。ご容赦下さい。

 最後に……またしても予想以上に更新を滞らせて申し訳ありません。次はもっと頑張りますゆえ。

 それでは、次回もよしなに。







ゴールドアームの感想

 ゴールドアームです。内輪のことですが、感想の付与に時間が掛かったことをお詫びしておきます。

 さて、今回の物語は、危機一髪からの大逆転という、きわめてオーソドックスなお話を盛り上げていただきました。フラグ立ちまくりでもいいものはいいということでしょうか。
 未回収の伏線は多々ありましてそれが気になりますが、次回以降とのことなので気にしつつもお待ちしております。
 文章や展開に関しては勢いで突っ走った面があるせいか、あまり細かい点を気にするのも野暮な気がします。
 
 
 
 しかし、前々から指摘していましたけど、誤字、相変わらず目立ちます。
 今回気がついて、全面修正掛けたものに、「エステリス」があります。
 あの〜、これ、エステリスの間違いですよね。
 勝手ながら直させていただきました。
 
 
 
 文章の構成力とかは及第点だと思いますので、書いたものはよく見直しましょう。
 ゴールドアームでした。