燦々と晴れ渡る青空に雲が流れ、その合間に輝く太陽から日の光が降り注ぎ、地上を温める。
 地球上ならば誰の上にも、平等に、無条件で広がるその光景も、木星の衛星に築かれたドーム都市においてはどうあっても手に入らない幻だ。晴れ渡る青空も、優雅に漂う雲も、照りつける太陽も、全てはスクリーンに投影された作り物。ドームの天井に作られた、偽物の空だった。
 地球を憎み、地球との戦争に向けて邁進するこの国がこのような地球を模した都市を作ったのは、やはり青空の下で生きてゆきたいという、地球を起源とする種の本能があるのか。
 ともかく、その偽物の青空の下でも、そこで繰り広げられる人々の営みは本物だった。
「位置についてー。よーい、ゲキガ・イン!」
 パン! とスターターピストルの音が響き、十数人の子供たちが弾かれたように駆け出す。その子供たちの親や友達が、がんばれーと競い合うように声を張り上げる。
 ここは、とある衛星ドーム都市の小学校だ。教育のレベルはおしなべて高く、多くのエリート候補生を排出してきた事で有名な学校。今日はそこの運動会の日だった。
 全寮制を採用しているこの学校への入学は、親と離れて暮らす事を意味する。まだ甘えたい盛りの子供たちが親と対面できる貴重な機会の一つが、この運動会であった。
 そのためマラソンを走る学生たちは、久しぶりに会った親に良い所を見せようと皆必死である。厳しい学校に入れられた事にいろいろと文句はあるかも知れないが、期待には答えたいと思って皆頑張っている。

 ――――そんな彼らを頭上から見下ろす、不穏な影があるとも知らずに。

「……ふむ」
 華やかな運動会が催されている校庭を見下ろせる、学校の一室――――そこに、その男は立っていた。
 鼠色をした外套の裏からは、そこに物騒な品々――短刀その他の殺人の道具――を忍ばせていると、素人にも容易に想像できる危険な臭いを発し、三斗笠の下に隠れた二つの眼は猟奇的な光を宿して、下でマラソンに精を出す子供たちを値踏みするように見回していた。
 あからさまにそれと解る、危険な男。だがこの男は必要とあらば、危険な気配を隠して雑踏に紛れる事も容易にやってのけるのだろう。それが、また恐ろしい。
 当然、その男の相手を務めているもう一人の男――――この学校の校長も、内心気が気ではなかった。
 校長が彼の、正確には彼やその同僚の相手をするのはこれが初めてではないものの、何度繰り返したとて慣れるなんて事は出来そうになかった。この男やその同僚たちが、これまでに何人もの人の生き血を浴びているのは容易に想像できるし、少しでもその必要ありと判断すれば、この男は校長をも一刀の元に殺すだろう。
 変な疑念を抱かせるような事は、絶対口にしてはいけない…………噴き出す冷たい汗をハンカチでせわしなく拭きながら、校長は何度となくそう思う。
「なかなか、いい仕事をしているようだな、校長」
 不意に、それまで下の子供たちを観察していた男の声が響いた。それだけで校長は心臓を凍った手で撫でまわされたような錯覚に襲われ、びくりと身を震わせた。
「はっ、はい……光栄であります」
「使えそうなのは十人弱といったところか。どれも第四期の被験体とするには申し分ない。許されるなら全員連れてゆきたいところだ」
「我々としては、あまり優秀な子ばかり連れて行かないでほしいのですが」
「…………」
 ぎょろり、と三斗笠の下から覗いた不気味な眼光が校長を射抜く。殺されるのではないかと思わせるその眼光に、校長は畏縮する。
「い、いえ……彼らは優人部隊の正規兵としても、また銃後を支える身としても、将来を期待される者ばかりでして……特に成績トップの藤原君などは、少し前に病気で入院した事があり、まだ体力が完全に戻っておらず……無理な投薬などしたら死ぬ可能性が」
「ふん。それについては、上からも仰せつかっている。……ほう。この者も使えそうだな」
 男は持っていた書類を刳る手を止め、一人の女子に目を止めた。
「座学評価B+。実技評価A+、特に射撃に秀でた適性あり。愛国心評価A。反国家的思想無し、素行的問題無し、総合的評価は戦闘員に適性、か」
 よし。と男は満足そうに頷き、じゅるりと舌なめずりをした。……あれは良い品を見つけたというより、獲物にありついた野獣の顔か。
「彼女は数日前に怪我をして、左目の視力が極端に落ちていますが」
「問題ない。壊れた部品は取り換えればいいだけの事。彼女は我々がいただこう。異論無いな?」
「……はい」
 そう答える以外の余地は無い。
「うむ。では他にこれと――――」
 その男の市場で品物を選ぶような一言が、その子供の人生を大きく左右する事を校長は知っていた。選ばれた子供の、その後の運命も。
 校長は教員免許こそ持っているが、本来は学校関係者ではなく軍人。それも諜報員に類する職業の人間だ。それがこうして学校の校長などやっているのは、まさにこの男たちに差し出すに足る子供を育てるために他ならなかった。
 この仕事は、国のためになる事だ。後悔などしていない。憐憫も感じていない。
 それでもやはり、今日まで育ててきた子供をこのような連中に差し出すのは、胸の痛い物があった。
 外では、まだ何も知らない子供たちの、無邪気な笑い声が、響いていた。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十話 たった一つの望んだ生き方 前編



 うわあ、と誰かが感嘆とも驚きともつかない声を漏らした。
 小四時間のフライトを経て、輸送機から降り立った『草薙の剣』が最初に見たのは、まさに焼けつくような太陽の光だった。
 オオイソのそれとは比較にもならない。『高天原』の時も物凄く暑いと感じたが、やはりそれ以上だ。地球を照らす太陽は一つだけのはずなのに、なぜ場所が違うとその厳しさも違うのだろうと、彼女――――真矢妃都美は思った。
 日照時間の関係云々なら学校で習ったが、こうして『本物の』青空の下に立ってみると、やはり自然というのは摩訶不思議な物だと改めて感じる。
「やはり……地球というのは凄い所ですね」
 そう感想を口にした妃都美に、うん、と黒道和也が頷いた。
「これが本物の砂漠か……広いね。木星じゃどこに行ってもこんな所は無かったのに……」
 滑走路から一歩踏み出せば、そこから先はもう果てしなく続くオレンジ色――――をしているらしい砂漠だ。そそり立つ砂丘が吹き付ける風で刻々とその形を変え、その様はまるで砂の海が波打っているようにも見える。
 その雄大な景色。文明の利器に慣れ切った現代人が生きていくにはあまりに辛い、草木の一本も生えない不毛の地だが、それだけに感じる怖さと力強さには圧倒されるものがあるのだ。
 そうして砂漠の風景に見入っていると、砂を孕んだ風が吹きつけてきた。途端に口の中にじゃりじゃりと砂をはむ感触が広がり、妃都美はむっと不快そうに顔を顰めた。
 ここは中東――――バビロニア連邦共和国。
 中東地域のほぼ西半分を版図に納め、現在の中東共同体の議長国を務める、中東諸国のリーダー的存在の国だ。
 今一行が立っているのは、その東側。ペルシャ湾岸に面した場所に建設された、戦艦クラスの軍艦も入港できる軍港と大型輸送機も着陸できる滑走路を備え、一万人近い人員を有する地球連合管轄の基地だ。
 地球連合軍、クウェート基地。
 ここは先の戦争中に建設された宇宙軍の基地だったが、宇宙軍の規模縮小に伴ない施設の三分の二以上を統合軍に移管――宇宙軍の人間に言わせれば浸食――され、現在は宇宙軍と統合軍の共用基地として機能している。
 敷地内の行き来は基本的にフリーパスだが、その境界線には無形の垣根が存在する事は言うまでも無い。その基地の宇宙軍側に、『草薙の剣』は立っていた。統合軍の制服に身を包んだまま――――
「向こうに街が見えるけど、あれってもしかしてあれ? 蜃気楼ってやつ?」
 地平線の向こうで陽炎のように揺らめく街並みを指して、妙な言い回しで田村奈々美が言った。……ここは一番近い町から数十キロは離れているはずだ。あんなに街が近くに見えるはずがない。
「おお。砂漠とかでよく見られる、変な自然現象だろ?」
「……大気の温度差により、光の屈折率が変化する事で起こる光の悪戯……私には縁の無い物ですが……」
 言葉足らずな山口烈火を、神目美佳がフォローする。目の見えない美佳も、砂漠の雄大さは肌で感じているはずだ。
「はー……初めて本物の海を見た時も驚きましたけど、これまた驚かされますわねえ……」
「うむ。まさに自然の驚異……」
 影守美雪に楯崎楯身の二人も、初めて見る砂漠に圧倒されている。
 そこへ、「おい、みんな!」と和也の声が響いた。
「観光気分はそこまでだ。これから僕たちが乗艦する艦へ挨拶しに行く」
 見れば滑走路の反対側には、すでに彼らを迎えに来たのだろう軍用ジープが止まっていて、運転手が早くしてくれと言いたげな顔でこちらを見ていた。
 ほら、駆け足! と和也の号令一過、一同はジープへ駆け寄る。ただでさえ統合軍から宇宙軍へ出向してきた身で肩身が狭いのに、遅刻などしたら何を言われるか解ったものではない。
「楽しみですね」
 走りながら、妃都美は横の和也に言った。「え?」と和也が怪訝そうな目を向けてくる。
「これから、私たちが乗る艦ですよ……本当なんでしょう?」
「ああ……本当だよ」
 和也はふっと顔をほころばせた。
 彼らが乗艦する戦艦――――初めにその名を聞いた時は驚いたが、これはもう宝くじに当たったような幸運ではあるまいか。あの艦の戦闘力も、快適さも、実際に体験してよく知っている。
「機動戦艦……ナデシコBに、ね」



 その話を聞かされた時、和也は寝耳に水とばかりに訊き返した。

「僕たちが宇宙軍……それも、ナデシコに出向?」

 メガフロート『高天原』における事件から、数日。
 島で受けた傷ももう癒え、途中で中断の憂き目に遭った演習の結果を待ち、果たして実戦に出してもらえるのかと心配しながら訓練に励み、疲れた体をベッドに横たえていたところをいきなり叩き起こされて――――用件もろくに知らされないまま隊長室に呼び出された『草薙の剣』一同を出迎えたのは、一通の辞令書だった。
「『本日付をもって、黒道和也分隊長を伍長、その他部隊員六名を上等兵に任じ、宇宙軍陸戦隊への出向、戦艦ナデシコBへの乗艦を命じる』ですか。こういう命令が来たという事は僕……自分たちは正式に対テロ特殊部隊員として認められた、と思っていいんでしょうか」
 和也の問いに、ごつごつした顔の部隊長――島では地下に閉じ込められつつも生きていた――は、まあそういう事だと大仰に頷いた。
「まだ正式な発足式も、部隊名も決まっていない状態だがな。敵は待ってなどくれない以上、それなりの能力がある部隊は今すぐにでも投入した方がよいとの判断だ。およそ10チームを各地に展開させ、その内5チームづつを我々と宇宙軍とで相互に出向させる。お前たちは暫定的にチーム5とするが、正式な部隊名と番号は追って伝える」
 部隊の相互出向。例の統合軍と宇宙軍の関係改善のための取り組みってやつか。向こうで宇宙軍の人たちと仲良くするのも任務って事だな――――と和也は思った。どうせ露骨に煙たがられて、余計溝を深くするのがオチだけど。
 出向期間がどんなものになるか想像してみて、さぞ居心地が悪いだろうと思い気が重くなるが、ナデシコなんて大層な艦に乗れればそれだけ戦う機会も増えるだろうと思って我慢する事にした。
「一つ質問してよろしいでしょうか」
 そう手を上げたのは楯身だ。
「ナデシコBとは宇宙軍の最精鋭艦と聞きます。それへの出向と乗艦を命ぜられたことは光栄に思います。しかし、なぜ自分たちなのでしょうか。先の演習では我々よりもはるかに経験豊富な部隊も多くいると感じましたが」
 それは和也も疑問に思っていた事だ。一応軍歴もあるとはいえ、なぜ彼らのような新米部隊がナデシコBなんて大層な部隊へ行かされるのだろう。
 部隊長はふん、と二つに割れた顎に手を当てて、
「何故かは知らんがな、お前たちを指名してきた……名指しでナデシコに乗艦させてくれと言ってな」
「名指し……?」
 一同は顔を見合わせる。あの時タカスギ少佐やホシノ中佐と話したご縁か……?
「こちらとしても特に断る理由も無いからな。演習での成績を見ても敵兵一個分隊相当、虫型兵器一機、さらにパワードスーツ一機を撃破し、人質も救出。まあ七人中の二人が戦死してはいるが…………」
「あれ、皆さん投降したと言っていませんでしたか?」
「ああ、そのはずだが……」
 小声で言い交わす妃都美と烈火。それに美佳が答えた。
「……たぶん、投降の意を知らせる前にメガフロートの崩壊が始まって演習が中断したので、私たちが投降した事にはなっていないのだと思います……」
「それで五人生存になっているんですか……」
「おお、ラッキー」
 と、そこで部隊長に気付かれた。
「こらそこ! 何をくっちゃべっている!」
「は、はい!」
「申し訳ありませんであります!」
 慌てて背筋を伸ばす。くっくっと聞こえた忍び笑いは美雪だろうか。
「続けるが……とにかくお前たちの戦果は悪くない。訓練過程もすでに一通り終えているとの事だし、もう実戦に出しても問題は無いと判断した。あとはお前たちの返答次第という事だが」
「……返答次第? 嫌だと言えば降ろしてくれるんですか?」
 和也は訊いた。
「言うまでも無いがナデシコBというのは宇宙軍の最精鋭部隊だ。そこへ配属されるという事は当然、危険度の高い作戦などに投入される可能性も高いわけだ。お前たちは今はまだ軍属なわけだから、怖ければやめてもいい。その時は他の連中を回すだけだからな。……どうする?」
 笑みを浮かべた部隊長の物言いは、明らかにプライドの刺激を狙ったものだ。
 和也は他のメンバーたちを見る。……六人が六人とも頷きを返してくる。
 答えは一つ。
「僕たちは戦うためにここへ来ました。危険な作戦などもとより覚悟の上。それで戦う機会が増えるなら、むしろ望むところです!」
 いい答えだ。と部隊長は満足そうだ。
「では、もう後戻りはできん。黒道和也以下七名は本日付をもって軍属から正式な兵士へと格上げ。対テロ部隊暫定チーム5へと配属。連合宇宙軍戦艦、ナデシコBへの出向を命ずる! 戦ってこい!」
『草薙の剣』は足を揃え、敬礼。そして「拝命します!」と唱和した。

 

 ――――そうして、今『草薙の剣』はナデシコBがその白い巨体を横たえる桟橋の上にいる。
 統合軍と宇宙軍の対テロ作戦部隊は、戦艦を中心とした遊撃部隊的な編成になっているのが特徴だ。
 戦艦1隻に特殊部隊1チームが乗艦し、それに戦艦の艦載する機動兵器や虫型兵器、ヘリコプターなどが付随する。これによって特殊部隊は戦艦の機動力を生かしてどこへでも迅速に展開でき、火星の後継者が機動兵器などを繰り出してきても戦艦の戦力で対処できる、というわけだ。
 確かに、有効な編成だと思う。それに宇宙軍指折りの戦力――地球連合憲章に定められたパワーバランス破壊兵器として、ABC兵器や相転移砲等と並び封印されているナデシコCを除けば――であるナデシコBに御鉢が回されたのも当然と言える。
 それに名指しで招かれ、出向を命ぜられたのはやはり『草薙の剣』の実力が認められた証拠だろう。それは素直に嬉しいと妃都美は思う。

 しかしである。

「ようこそ、諸君!」
 桟橋の上で出迎えに現れた、ナデシコBの副長兼エースパイロット――――タカスギ・サブロウタ少佐を前にして、妃都美は期待と不安の『不安』の方が少し大きくなった気がした。
 形式通りに、和也がまず敬礼する。
「お出迎えありがとうございます、タカスギ少佐! これから半年間、当艦でお世話になります!」
 続き、妃都美たちも敬礼する。軍人というよりミュージシャンか何かに見えるサブロウタも、さすがに折り目正しく答礼を返してくるが、
 ――目が私を見ている……?
 自分を注目しているサブロウタの視線に気が付くと、自然と目が合ってしまう。するとパチーンと軽いウィンクが返ってきて、妃都美は不快感を感じて目を逸らした。……何ですか、この人は。
「貴官らの着任を歓迎する。……さ、艦長がブリッジでお待ちだ。ついてきな」
 内心苛立つ妃都美をよそに、サブロウタは一同をナデシコBへ招き入れる。
 ――やっぱりタカスギ少佐も、所詮は男ですか……
 はあ、と妃都美は失望にため息をついた。
 サブロウタの視線からは妃都美の容姿、あるいは肉体への興味がありありと窺えた。これだから男という生き物は信用ならないのだ。
 行き交うクルーと適当に挨拶を交わしながらブリッジへ向かう。その最中にも、男性クルーから向けられる好奇の視線が鬱陶しかった。
 そして、到着。ブリッジのドアを前に、和也が念を押してくる。
「ほんの半年間だけどお世話になるんだ……くれぐれも失礼の無いようにね」
「顔が赤いですわよ。和也さん」
「そ……そうか? 砂漠は熱いからね」
 美雪にからかわれ、和也は慌てて体裁を取り繕う。和也はごく近しい関係の妃都美よりも、このドアの向こうにいる女性に男性的な興味が向いているようだ。
 そういう関係だからこそ、妃都美は和也たちと親しい友達であり、仲間でいられるのだろう。
「艦長。連れてきましたぜ」
 サブロウタが自分のコミュニケからおとないを入れると、『通してください』と澄んだ女性の声が漏れ聞こえた。
 シュルッ、とドアが左右に開く。その向こうはもうブリッジで、それを見た烈火がおお、と感嘆の息を漏らした。
 ナデシコBのブリッジは正面が一面の窓で、外の様子が一望できる開放的な作りになっていた。窓が殆ど無く、モニターばかりで狭苦しく薄暗かった木連式戦艦のそれと比べて、かなり広くて開放感がある。
 左右両側にはそれぞれ四席づつオペレーター席が配され、オペレーターたちがせわしなく作業に追われている。そして中央、妃都美たちの目の前に半分床に埋め込まれた形の席が三つあり、そこに座っていた人物が席を立ち、サブロウタと並んで向かい合った。
 まず妃都美たちが敬礼。そして向かい側の三人が答礼。
「地球連合統合平和維持軍、対テロ部隊暫定チーム5、隊長の黒道和也伍長です」
 形式的に、代表者である和也が自己紹介。妃都美たちもそれに続く。
「同じく上等兵、楯崎楯身であります」
「同じく上等兵、田村奈々美よ……です」
「同じく上等兵、山口烈火でぃっす」
「……同じく上等兵……神目美佳です」
「同じく上等兵、影守美雪ですわ」
「同じく上等兵、真矢妃都美です」
「以上七名、着任いたしました。今日から半年、当艦でお世話になります!」
『草薙の剣』が全員自己紹介を終えると、向い側に立つ真ん中の女性が口を開く。――――先ほどサブロウタのコミュニケから聞こえた声だ。この人が……
「地球連合宇宙軍第四艦隊所属、戦艦ナデシコB艦長、ホシノ・ルリ中佐です。皆さんの乗艦を歓迎します」
 それじゃあ俺たちも、とルリの右脇に立つサブロウタが、左脇の少年を促す。……そう。少年だ。年は十代前半――――ちょうど、『草薙の剣』が訓練課程を終えた頃があのくらいだったか。
「今さらだが……同じく連合宇宙軍少佐、副長のタカスギ・サブロウタだ。一緒に仕事ができる事を嬉しく思うぜ」
 言っている事は真っ当だが、その視線は相変わらず妃都美に注がれたままだ。視線のやり場を求めて反対側の少年に注目する。
「同じく、マキビ・ハリ中尉です。副長補佐をしています。よろしくお願いします!」
 緊張気味に少年――――ハーリーは腰を90度曲げた。さすがに彼は警戒の必要はなさそうだと少しほっとする妃都美だったが、その横では美雪が「あら。可愛い副長補佐さんですこと」と舌なめずりをしていた。
「自己紹介も済んだところで、まず……皆さんの武器を拠出してください。こちらでお預かりしますから」
 いの一番にルリはそう切り出した。和也が答える。
「武器なら、バッタやジョロと一緒にコンテナに詰めて持ってきました。今頃基地の人が搬入してくれているかと」
「そうじゃなくて、それです」
 ルリは和也が腰に帯びた軍刀を指した。
「これですか? 今は一応私物のつもりなんですが……」
「私物扱いでも武器は武器です。他にも武器やそれに類する物を私物として持ち込んでいる人がいたら、全て拠出してください」
「…………」
 一同は顔を見合わせる。武器といっても愛着のある品も多い。特に和也の軍刀は戦死した先輩から預かった形見の品だ。一時的に預けるだけならまだしも、任務の時以外取り上げられるというのは忍びないだろう。
「艦長、別にそこまでしなくてもいいんじゃ」
「駄目。規則ですから」
 サブロウタの進言にも、ルリは取り付く島が無い。
「恐れながら隊長……ここで波風立てるのはよろしくないかと」
「くう……解りました」
 楯身に言われ、和也は渋々軍刀を差し出す。それに続いて烈火が二丁の怪物マシンピストルを、美雪が愛用の45口径拳銃とナイフを差し出した。美雪の体中から数十本のナイフが次々出てくるのを見て、ハーリーは目を白黒させていた。
 それらの武器はルリが呼んだクルーによってケースに入れられ、武器の保管庫へ持っていかれた。……どうも、初っ端から微妙な雰囲気だ。
「もう聞いていると思いますが……」
 妃都美たちを見渡して、ルリ。
「皆さんはこれから半年間、このナデシコBを拠点にバビロニア共和国――――ひいては世界で、対火星の後継者掃討作戦を行う事になります。当然、危険な任務に皆さんを駆り出す事もあるでしょうが……」
「それなら出発前にも言われました。僕たちは安全を求めてきたのではありません。むしろ望むところです!」
 ルリの言葉を半ば遮って和也は言った。ヒュウ、とサブロウタが口笛を鳴らした。
 特に気分を悪くした様子も無く、ルリは続ける。
「それは本気と思う事にします。……私は先日の対テロ演習で、あなたたちの戦闘を見ていました。最初は正直期待外れと思いましたが、後半はそれなりに善戦したと思っていますので……当然、戦力として期待はしています」
 ――そちらから私たちを指名してきた割には、随分な物言いですね。
 妃都美は眼帯に隠れていない右目を僅かに顰めたが、和也にとっては瑣末な事であったようで、こう答える。
「その期待に応えられるよう、全力を尽くします!」
「後はあなたたちが全員最後まで変な気を起こさず、最後まで任務を全うしてくれる事を願っています」
「肝に銘じておきま――――はい?」
 和也の声がトーンダウンする。……今何か、聞き捨てならない事を聞いたような。
「変な気、とはどういう物でありましょうか、ホシノ中佐」
 楯身が、気丈な態度で問いただす。
 それに対し――――ルリは、とんでもない事を口にした。

「あなたたちが、軍を離反して火星の後継者側に寝返るような気を起こさないように――――という事です」

 その場にいた誰もが――ハーリーとサブロウタもが――ぎょっとした顔でルリを見た。
 なんて事を言うんですかこの人は……つい先ほどまでルリを前に顔を紅潮させていた和也も、完全に赤みの引いた顔で言う。
「ホ、ホシノ中佐は……! そういう疑いを僕たちに持っているんですか!?」
「いえ。ただ火星の後継者は今でも軍内部で懐柔工作を行っているらしいので。皆さんは木星人ですからそこに付け込まれて――――」
 感情の見えないルリの言葉を、そこから先は、もうほとんど誰も聞いてはいなかった。



「何だ、あの女は!」

 だん! と和也は八つ当たり気味に壁へ拳を叩きつけた。
 形式的な、それでいてとんでもない事を言われた顔合わせの後、『草薙の剣』は前に一度見ているからとサブロウタの案内の申し出を断り、各々に宛がわれた部屋に荷物を置くべく居住区へ向かっていた。
 憤懣やるかたない―――― 一様にそんな顔をした『草薙の剣』の歩みは、軍靴の響きも荒々しい。
「ホシノ中佐……私たちを全く信用していないようですね。面と向かって、あんな事を言うなんて……」
「ああ。火星の後継者に寝返ろうなんて気は起こすなだの、懐柔されるなだの……そんなの言われるまでも無い!」
 密かに抱いていたルリへの男性的な興味など、完全に宇宙の彼方へ吹き飛んでしまったようだ。
 ルリとしては、『草薙の剣』の離反を“ありうる事態”として釘を刺したつもりなのだろうが……それはつまり、ルリがその可能性を非常に高いと認識しているという事。要するに妃都美たちを信用していないどころか、疑念を待っているという事に他ならなかった。
 そんな疑念を待ちながら、なぜわざわざ指名してきたのか……信用できないけれど戦力として期待はするというなら、それは完全に使い捨ての駒扱いする気だという証拠ではなかろうか。
「今頃さ、あたしたちの戦闘服に小型爆弾でも仕掛けられてるんじゃないかしら」
「……私たちが裏切ったらボタン一つで処理できるように……ですか」
「けっ! ビッグな御世話だぜ!」
 他のメンバーからも不平や懸念が漏れ始める。初日からこれでは先が思いやられるが、改めようという気にはなれそうになかった。
「とりあえず……私たちはこれからどうするべきでしょう。和也さん」
 妃都美は訊いた。
「どうもこうも、適当に付き合いながら任務をこなしていくしかないだろ。少なくともタカスギ少佐は僕たちを悪いようにはしないと思うから。……上官としてはね」
 和也は最後にそう付け加え、ちらりと妃都美の方を窺い見た。
 和也も、サブロウタの視線には気が付いていたようだった。
「……はあ。先が思いやられますね……」



 ――――口々に不平を漏らす他のメンバーたちを、美雪と楯身の二人は後ろから、少し離れて見ていた。
「皆さんおかんむりですわね」
 いつも通りの茫洋とした口調で、美雪。
「確かに私たちは疑念を持たれてるようですけれど」
「……ホシノ中佐か」
 重々しい声音で、楯身。
「ええ。ご覧になりました? あの目」
「金色の瞳か。人の技にて生み出された白き妖精、その証……美しい瞳だ。だが……」
「怖い方ですわねえ……あの美しい金色の裏には、どす黒い憎しみの色が透けて見えるようでしたわ」
「彼女は火星の後継者に私怨を持っているとの噂があったが……どうやら本当のようだな」
 ――とすれば、彼女が南雲中佐を謀殺したという噂も、あながち嘘ではないかもしれぬ、か。
 それはいけない事だと楯身は思った。本来然るべき法廷で裁かれるべき主犯格を、私怨で謀殺するなど許される事ではない。戦闘で殺してしまったならまだしも、すでに逮捕された身であったのだから酌量の余地はあるまい……そこまで考えて、いや、印象論に過ぎぬな。まだ断定はできない……と自戒した。
 まあ、噂話の真偽はさておくとして――――
「何があったのかは知らぬが……そのような事情のある人ならば、我々に疑念を持つのも必然であろうか……」
「あら。自覚はありましたのね?」
「自分の感情ぐらいは把握している。納得はできるが……容認はできぬな。憎しみは憎しみを助長する」
 あれは絶対に不幸な結果を呼ぶだろう。それは彼女のみならず、周りの人間までも巻き込む――――楯身はそう思う。
 しかし美雪は、「あらあら」と笑ったのだ。
「あなたも変わりましたわね。昔の楯身様は地球を憎みゲキガンガーを信仰する愛国者でしたのに」
「今でもそうだ。自分なりに木星を愛して今日までやってきた。だが……いや、だからこそ火星の後継者は倒さねばならぬと思っている。お前はそうは思わぬのか?」
「さあ。わたくしは地球だ木星だはあまり興味がございませんので」
 あっけらかんと美雪は言う。……この女にそういう事を聞いたのが間違いだったか、と楯身は内心で思った。
「まあ……お前の個人的な思想についてとやかく言いたくはない。しかし自分としては、愛国心を育む機会に恵まれなかった者が不憫でならぬよ」
「不憫に思っていただく必要なんてありませんわよ……わたくしの選んだ生き方ですもの」
 ふ、と微笑って、美雪は話す先を変える。
「ところで……皆さま方」
「なに?」
 和也たちが振り返る。
「愚痴るのもいいですけれど、ホシノ中佐たち、あの様子だと監視カメラでわたくしたちの事を見ていますわよ。……ほら、カメラが動いていますわ」
 ぎょっ、と全員が美雪の指した方を見た。



 ぎょっとした顔でこちらを見上げる和也たちと目が合い、ルリは目の前に展開していたウィンドウを消した。
「勘の鋭い子だな」
 右後ろから、サブロウタの苦笑いが聞こえる。
 美雪の予想通り、ルリは『草薙の剣』がブリッジを出てからずっと、何か裏切りを示唆するような事を言わないか監視していた。結果としては、ただの愚痴や不平が聞かれただけだったけれど。
 しかし戦闘服に小型爆弾というのはいいアイディアかもしれない。後で整備班長に相談してみようか……などとよからぬ考えを巡らせるルリに、サブロウタがたしなめるように口を開いた。
「しっかし、奴らが腐るのも無理ないですぜ、艦長……」
「…………」
 ルリは答えない。
「こういうのは初対面が肝心なんですぜ? いきなりあんな、『私はあなたたちを疑ってます』的な話をしますか」
「僕もそう思います……」
 おずおずとした感じで、左後ろからハーリー。
「あれじゃ士気にも影響して、任務にも支障が出ます。どうしてあんな事を言ったんですか?」
「この地域は地球で一・二を争う切羽詰まった情勢下ですし、怪人クモ男とか、厄介な奴らもウジャウジャといるんですぜ。徒に実働部隊の士気を下げるような事は……」
「それは解っています。でも内部の不安材料を放ってはおけないでしょう?」
 不安材料? と二人は首を傾げた。それを聞いたルリはふう、とため息をついた。
 二人とも、あの七人組に気を許し過ぎだ。
「二人とも前に私と、あの人たちのリーダー……コクドウ隊長との話、聞いていたでしょう」
「ええ」
「あの人たちは、未だに木星の正義とやらに固執し、反地球感情を捨てきれてないようですから」
 ルリは数日前、和也と話した時の事を思い出す。……正義だ何だと大儀を掲げたがるその姿は、どうにも火星の後継者に重なって見えた。
 ああいう思想の持ち主なら、火星の後継者へのシンパシーや草壁への信仰心を未だに持っていてもおかしくないとルリは思うのだ。
「なので、少し釘を刺しておきました。そこを突かれて火星の後継者に懐柔されると困るので」
 ポリポリ、とサブロウタは頬をかいた。
「あー……まあ、確かにそれはよく解ります。ですがね……」
「あの人たちには私たちを裏切って、火星の後継者につく素養があります」
 ルリはみなまで言わせなかった。
「二人とも、あまり気を許し過ぎないようにしてください」
「それは……艦長としての命令ですかね」
「ええ」
 了解しました、とサブロウタは憮然として敬礼する。
「そんじゃあ自分は、奴らに裏切る気があるかどうかの情報収集も兼ねて、親睦を深めるための交流に行ってまいります。奴らが裏切らないように」
「許可します」
「ありがとうございます。おいハーリー、お前も来ないか?」
「あ、はい……行ってきます」
 では、とサブロウタはハーリーを伴ってブリッジから出ていく。
「……はあ」
 また、ため息が漏れる。どうも最近、ため息をつく事が多くなった気がする。
 サブロウタもハーリーも、今一つ納得してくれていないようだ。私の考えはそんなに間違っているだろうかと思い、いいや、とルリは頭を振った。
 あの七人組の地球に対する反感は本物だ。ルリとて地球がというか、地球連合とその軍が一点の非も無い潔癖な存在だなどと思ってはいない。
 だからこそ、彼らが失望感も相まって離反する可能性は大いにあると断定できる。どうしてあの連中がここに回されたのかは知らないが、危険物は遠ざけるに限る。
 二人とも、いずれ解ってくれるだろう。



 私物の片づけを終えて、妃都美は畳の上に寝転がった。私物といってもオオイソの住居から持ち出してきた物はさほど多くなく、ほんの少しの化粧品や愛読していた小説、後は絵を描く道具くらいしかないが。
「……ふぅー……」
 乗り心地の悪い輸送機に揺られてきた体に、畳が心地いい。
 妃都美に宛がわれた部屋の住み心地は悪くない。和風好みな妃都美の要望に合わせた六畳半の畳張りで、トイレ、シャワー完備。冷暖房は言うに及ばず、寝心地の良さそうな敷布団も用意してあり、壁に備え付けられた端末はしっかりテレビを兼用しているという取り揃えだ。
 ここまで来るともう軍艦というより完全に客船の域だ。これで家賃はタダどころか給料も貰えるのだから堪らない。まあ任務は命懸けだけれど。
 後は上の人がもっとまともな人たちだったら言う事無いのですけれど、そこまでは高望みしすぎでしょうか……と自嘲気味に妃都美は思った。
 今日から半年間、上官になる連中……印象は、最悪だった。一番ましだったのはマキビ中尉とかいう頼りなさげな副長補佐くらいか。妃都美たちを全く信用せず、裏切るのではと疑ってさえいるらしいホシノ中佐も鼻に据えかねたが、なによりあのタカスギ少佐も妃都美からすれば信用できない。一番嫌いな種類の人間だ。
 ――まったく、あれだから男というのは信用できないんです。
 男という生き物は、本質的にはみんな同じだ、と断定的に妃都美は思う。男は女の事など……ただ欲望を満たす対象としか見ていないのだと。
 女が求める愛情なんて、男には望むべくも無いのだ。妃都美はそれをよく知っている。……そう。よく知っているのだ。
 それでも妃都美は、彼らと付き合って戦うしかない。その程度の不快感を我慢してでも、加えて命を懸けてでも、木星の名誉を守るというこの戦いは、成し遂げる価値があると思うから……

 

 ――――私にとって、幼い頃の思い出という物は、あまり良い物ではありません。思い出すのは……いつも、憤りばかり。
 私の父は、小さいながらも好調な業績を上げる、軍事下請け会社の社長でした。母は軍人で、主にデスクワークに励んでいた事務官。お見合いで知り合い、結婚に至った二人の間に生まれた一人娘が、私です。
 生活は、それなりに豊かな物でした。軍需関係の仕事など有り余るほどあった当時では父の会社が仕事に困る事などありませんでしたし、母も軍の仕事についていましたから。過酷な労働条件の中日々を生きていた低所得層の人たちに比べれば、遥かに恵まれた暮らしだったと思います。
 ただ、そのせいで私は家より託児所で過ごす時間の方が多かった、と記憶していますが……それはそれで幸いでした。
 ……そう。バチ当たりを承知で言わせてもらうなら。
 私は、家に帰るのが何より嫌でした。罪を逃れられるなら家に放火してやれば、もう帰らなくて済むなんて思うほどに。
 几帳面な母は、多少遅れる事はあっても決まって晩御飯の時間までには迎えに来てくれました。それは嬉しい事です。でも……家に帰っても、そこには私と母の二人しか居ないのです。
 当時の我が家の家庭環境は…………控えめに言っても、最悪でした。
 母は軍の仕事をこなしながらも私を大事に養い、育ててくれました。愛されていた、と思います。
 まあ時々は、どうして仕事ばかりでずっと一緒にいてくれないのかと駄々を捏ねた事もありますが、母は決まってこう答えました。

 お母さんは木星が好きだから、木星の役に立つ軍隊のお仕事が好きなのよ。

 そう言って母は、私に木星の先人たち――要するに独立戦争に負けた月独立派――の話を聞かせました。正直まだ小さかった私にその話は難しくて、半分も理解できませんでしたが……母の言わんとする事は、確かに伝わってきました。
 月を追われ、火星を追われ、行くあての無い航海へ漕ぎ出した先人たち。やがて木星へと辿り着き、古代文明の遺跡を見つけ、国を築いたその偉業。
 さぞかし辛く、厳しい道のりだったのでしょう。それを乗り越えられたのは、ひとえにお互いを思いやり、支え合った友情と献身なのだと。
 実際、そうなのでしょう。
 木星には日系の他に高麗系や東南アジア系の民族も少数ながら存在しますが、文化も言語もかつては全く違っていた彼らがこうして一つの国の元に結束し、共存している。ドーム都市を見てもそこにはいくつもの文化圏の様式を取り入れた、雑然とした中にも調和を感じさせる折衷様式の街並みが広がっています。それも全て、その精神があればこそなのでしょう。
 そんな立派な人たちが作ったこの国はとても立派なもので、それの役に立つ軍隊の仕事は大切なものだと語る母の顔は、とても誇らしげでした。私もつられてああ、母は世界一立派な仕事をしているのだ、なんて思ったものです。
 そういう意味では、軍事下請けという地味ながら必要不可欠な存在である会社を経営していた父親も、木星のというか軍の役に立っていたのでしょう。
 しかし、私にとっての父親とは……私に何の関心も示さない冷酷な男。それ以外の何物でもありません。
 父は普段いつも会社にいて、家に帰ってくる事は殆どありませんでした。ごくたまに帰ってきたかと思えば部屋に閉じこもったまま……
 愛情の無い家庭。
 家族の会話など皆無でした。
 父のいない家の空気は冷え切っていました。父がいる時はもっと……
 私は父が憎い。母を欺き、まどわしたあの卑劣な男が憎い。結局父は世間体を取り繕うために結婚をしただけで、私もその産物に過ぎなかったのでしょう。……愛してなんか、いなかったくせに。
 今でも、父を許す気はありません。けれど……それを口にすると、母は悲しい顔をしたのです。
 父の事を話す母の顔は、いつも優しげで……本気で父を愛しているのだという事が、子供心にも伝わってきました。だから余計に許せないのです。そんな母の思いさえも冷たく無視し、無残に踏みにじったあの男が……!
 ――――結局、最後まで家庭に変化など訪れはしませんでした。母の優しさも、父の冷たさも、何も変わりはしませんでした。母が病気を患って死ぬ、その今わの際まで……



 ……そうして母が死んでから間もなく、私は家を出ました。
 本当なら祖父母の家でお世話になる予定だったのですが、私は家から離れた学校の寮に入りたいと申し出たのです。前々からもっとレベルの高い所へ行ってもいいのではと言われていましたし、何より……父から一刻も早く離れて暮らしたかったのです。
 そこはかなり費用のかかる学校でしたが、父は何も言わずに学費を出してくれました。父が何を思っていたかは知りませんが、今思えばこれが、彼の最初で最後の父親らしい行いだったと言うべきでしょうか。
 どちらにしろ、父と顔を合わせる事は二度と無かったのですが。
 早々に親元を離れての、学校での生活。それはなかなかに辛いものでした。寂しさもさることながら、授業のレベルは高く、年に一度の実力テストで成績が規定に満たない者は容赦なく放校にされる厳しさ。風紀も厳格で、些細な問題行為は勿論の事、服装や髪形に至るまでが徹底的に見張られていました。当時はそれが常態で疑問にも思いませんでしたが、今にして思えば凄まじい統制ぶりだったと思います。
 ですが、私を悩ませたのはそんな事ではありませんでした。
 どこに行っても必ずいる、貢物、あるいはラブレターを手に交際してほしいと誘ってくる男の群れ、群れ、群れ……同年代の子供だけでなく大人までをも含むその笑顔を見て私が抱いた感想は、異性から好意を持たれた喜びでも……多くの男性を引きつけた愉悦でもありませんでした。

 嫌悪。

 彼らは……みんな、父と同じに見えました。
 子供が何を大げさなと笑われるかもしれませんが、実際彼らの中に本気で私への恋愛感情を持っていた者など皆無でしょう。本気で愛してなんかいないくせに、ただ楽しむために、食い物にするために群がってくる。そして飽きがくれば捨てる。彼らもそうなのだと思いました。
 男という生き物はおしなべてそういう生き物なのだと私が悟るまで、そう時間は要りませんでした。
 たとえそれが父の記憶からくる、愚かな偏見だとしても―――― 一度心に深く刻まれた不信は、容易には取り除けません。
 そもそも、取り除く理由が無いのですから。
 男と遊ぼうなんて気も起きず、ただ勉強――――というより、座学と訓練に忙殺される毎日。趣味に興じる暇など殆ど与えられない、無味乾燥な日々……そんな私の小学生生活の糧となったのは、母から聞いた木星の先人たちの話でした。
 私は先人たちを尊敬し、彼らの創ったこの国、木連を誇りに思い……私も、母のように木星の役に立つ軍人になるのだと。辛くなった時も、そう自分に言い聞かせて頑張る事にしていました。
 その甲斐あってか、私は順調に成績を伸ばし、皆から一目置かれるようになりました。それに比例してますますその数を増やしてくる男の群れには辟易しましたが、私は非常に満足していました。

 ……それが、結果として私の運命を狂わせてしまったわけですが。

 入学した次の年に行われた実力テストで、私は落第点を取り、放校処分を受ける事になってしまいました。
 既定の点数を取る自信はありました。百点満点は無理でも、まさか落第はしないだろうと思っていたのに、私は必要な点を満たす事が出来なかったのです。
 何がいけなかったのか、解りませんでした。
 一体これからどうするのか。放校になって返ってきた私を見て、父はどんな顔をするでしょうか。私を役立たずと罵倒するか、駄目な娘だと嗤うか、それとも母と同じように無視するか……私は部屋で、ただただ悲観に暮れていました。
 そんな中、突然ノックも無しにドアが開け放たれ、二人の男がやってきました。
 二人のうち一人は、この学校の校長先生でした。しかしもう一人は……鼠色の外套に三度傘を被った、いかにも怪しい風体の男。校長先生の突然の来訪にも驚きましたが、それよりも私はその男の放つ異様な気配に気を取られていました。
 ぎょろり、と三斗傘の下から覗く不気味な眼光が、私を下から上へと舐めまわしたあの時を、今でもよく覚えています。背筋が凍るような――――それ以外に表現のしようが無いほどの悪寒。
 ただ見知らぬ男に立ちはだかられた、というだけではありません。間違いなく、この男は……まともな人間ではない。
 今すぐにも逃げ出したいと思ったけれど、足は石になったかのように動きませんでした。
「お前が…………か?」
 男は私の名を呼びました。何も言えないでいると「どうなのだ?」と威圧的に重ねて聞かれ、私は夢中で首を縦に振りました。
「今回のテストは残念だった。だが……お前には確かに恵まれた才能がある。このまま埋もれさせるのは惜しい」
 淡々とした、感情の見えない男の喋り方は、今思えば明らかにテンプレート化した決まり文句を口にしていました。
「以前お前が書いた作文を読んだが……お前の母親は軍人で、お前も母のような軍人になるためにここへ来たのだそうだな。その心がけやよし。だが……規則は絶対だ。もうここにいる事は出来まいが……我々はお前に新たな道を用意してやれる」
「この人は、君の才能を見込んでお誘いに来てくれたんだ。悪いようにはしないよ。君はここで将来の夢を諦めるべきじゃない」
 そう、校長先生は私に笑いかけました。しかし、温かい口ぶりとは裏腹にその声には沈痛な響きがあって。行ってはいけない……! そういう校長先生の心の声が、聞こえた気がしました。
 行けばどうなるかは、その時の私には解りませんでした、しかし絶対にいい事にはなりそうにない事だけは、なんとなく想像できました。

 だけど――――と私は思ったのです。

 この誘いを断るか逃げるかして……それでどうなるのでしょう。後の仕返しが怖かったのもありましたが、それを差し引いても待っているのは放校処分と誰より憎い父のいる家。そして新しい学校で向けられるだろう落第生への嘲笑です。
 私は男に訊きました。……あなたと行けば、軍人になれるのですか、と。
 対して男は、無論だ。ただの一平卒などではない、より木星に貢献できる役職に就けると保証しよう。と答えました。
「我と共に来い。お前の夢……叶えてやろう」
 悲観的な気分に陥っていた私にとって、それは蛇の誘惑でした。
 私は、それと薄々感づいていながら……自ら進んでその手を、取りました。



 ……あれから、かれこれ十年近くになりますか。
 私が未来を決めたあの日――――誰もが寝静まった丑三つ時の中、私は荷物を纏める間もなく例の男の運転する車に乗り込みました。
 校長先生の他数人の先生方に見送られながら、出発。
 窓が塞がれ外が見えない車には、私の他に二人。乗り合わせた客がいました。二人とも同じ学校の生徒で、皆成績は悪くない……いえ、むしろ上から数えた方が早いレベルの人たちが、どこに連れて行かれるのだろうかと不安そうな面持ちでそこにいました。
 どうしてここに来たのかと訊いてみると、二人とも私と同じように実力テストの点数が規定に満たず、放校になった所を誘われたと言いました。それを聞いた私は、以前耳にしたある噂話を思い出しました。
 この学校では……それまで成績のよかった者がある日突然実力テストで落第し、放校になった後行方不明になる――――その後は、軍で秘密訓練を受けるとか、人体実験のモルモットにされるとか、工作員として地球に送られるとか、いろいろな憶測とも呼べないおまけ話が付いていた……ある種の噂。怪談話。
 どこの学校にも必ずある、他愛ない噂程度にしか思っていませんでしたが、それがまさか真実を含んでいたなんて……
 後になって知った事ですが、私を誘いにきたあの男は、代々木星のための汚れた特殊任務を請け負ってきた一族の末裔――名前は北辰――の、六人衆と呼ばれる配下の一人で、あの学校は生体兵器の候補を集める役目を、密かに請け負っていたのだそうです。そうとは知らずにそこへ足を踏み入れたその時、私の――――そして目の前にいる二人の運命は決まっていたのかもしれません。
 やがて辿り着いたそこは、どこにあるとも知れない軍の秘密施設。私と同じように、木星中から何らかの手段で連れてこられた子供たち……日常の中で生きられなかった人たちが、そこには沢山いました。
 お前たちは木星のための剣となるのだと聞かされ、体に戦闘用インプラントを埋め込まれて。そして始まった、薬物の副作用に耐える責め苦の日々。毎日苦痛に呻き声を上げ、耐えきれなくなった者から順に死んでいく。それは……阿鼻叫喚と表現するに相応しい地獄絵図でした。
 もう嫌だ、死ねば楽になれるよと最後に言い残して、私と一緒に来た二人も……数ヵ月後に薬の副作用で死にました。
 傍から見れば私たちは、国によって戦争のためにモルモットにされた、哀れな存在に見えるかもしれません。実際、あそこには何も知らないまま拉致同然に連れてこられた人も多くいました。
 ですが、あの男について行くと決めたのは私の意志です。誰が何と言おうが、私は軍人になりたかったのです。母が愛し、偉大な先人たちが築き、何より私を育んでくれた木星のために。
 これに耐え切れれば軍に入れ、訓練が終わった暁には草壁閣下……元中将の直轄部隊に配属される事がほぼ内定している。それは確かに私の望んだ通りの――――いえ、望んだ以上の、過酷だけれど夢のような道が手の届く所にあるのです。
 家族も学歴も全てを捨ててここへ来た私にとって、もはやその目的は全てでした。手放したくはありませんでした。
 その気持ちが、私の命を繋ぎ止めたのだと。体の強さより、意志や動機に裏打ちされた心の強さが、生死を分かったのだと――――そう思います。
 そうして私が手に入れたのは……機械仕掛けの両目。
 実力テストの少し前、私は授業中のちょっとしたアクシデントが元で、左目に傷を負いました。
 失明こそしなかったものの、視力が極端に低下したその眼は、今はもうありません。代わりに眼帯に覆い隠された状態で収まっているのは、視力一を基準に数十倍率の望遠機能を持つ、灰色に光る『鷹の左目』そして右目も、ついでとばかりに暗視機能を持つ『猫の右目』に挿げ替えられました。
 そして両腕に手ブレを押さえる安定機構として人工筋肉を埋め込んだ私は、今や遠距離狙撃を得意とする生体兵器。
 しかしこの機械仕掛けの両目には、色を判別する機能が無いのです。おまけに両目の視野がどうしても一致せず、片方に眼帯をしなければ遠近感が狂ってしまう欠陥品。
 色を亡くした空虚な世界の中、次に始まったのは過酷と言うのも生温く聞こえる苛烈な訓練の日々でした。一日の風呂と食事と歯磨きとその他もろもろの時間は全部合わせて二十分足らず。睡眠は三時間あれば多い方。後の時間は全て座学と訓練。
 健全な木連軍人の精神を養うためゲキガンガーを鑑賞し、イメージトレーニングとして20世紀のハリウッド・アクションムービーを見て闘争心を鍛える一方、教官を務めた六人衆や北辰の元で肉体を限界まで鍛える。彼らは体にさしたる傷を負わせる事なく苦痛だけを味わわせる方法を知っていて、ミスがあれば容赦なく痛めつけられる……そんな毎日。何度訓練を終える前に殺されると思った事か。
 そんな中で私が挫けないでいられたのは、やはり先に言った目的と……そして仲間の存在があったからでしょう。
 みんなと一緒だったからどんな過酷な訓練も乗り越えられた。助け合い、励まし合って今日までやってこれた――――

 それなのに。

 月での戦いで『十拳の剣』と『布都御魂』は全滅し、その後追い打ちをかけるように、熱血クーデターでは『天の群雲』までがついに帰ってきませんでした。そればかりか私たち自身、上に見捨てられた挙句、捕虜となったのです。
 裏切られた――――そう思いました。
 今まさに殺されかかる私たちを、草壁元中将は――――信じていた上官は公然と見捨て、訓練の成果を出す間もなく戦争は終わり、私たちが今まで積み上げてきた物が、信じていた物が、何もかも水疱に帰してしまいました。それは私にとって、あの時死んでいればよかったと思うほどの、ショックでした。
 一時は草壁元中将を、木星を憎みたい気持ちになりましたが、それはできませんでした。
 それでは、最後まで木星に尽くそうとした母の気持ちをも否定する事になると思ったからです。
 ぽっかりと穴が空いたようだった私の心を癒してくれたのは、皮肉な事に地球での穏やかな暮らしでした。あれほど憎んでいた地球だったのに、そこでの平凡な学生としての生活は傷心の私に心地よいものでした。
 過去は忘れて生きていこう――――そう思っていました。戦争とはもう縁の無い所で、仲間と共に暮らしていければいいと。
 だから、火星の後継者のせいでオオイソを出るしかなくなった時は保護を受けるべきだと言いました。せっかくの新天地を叩き壊した火星の後継者は許せませんでしたが、それよりも残された仲間がまた死ぬ方が、私には怖かったのです。
 しかし楯身さんは単なる報復ではなく、木星の名誉を守るために戦うべきだと言いました。
 最初は、少し迷いました。
 それでも最後には戦うと決めました。楯身さんの言う通り、木星は……木連は、母の愛した私たちの星は……国は、あんなテロリストの集団と同議ではないはず。

 ――私は兵器。戦うための剣。木星のために敵を切る事が私の成すべき事なら、私はそれに殉じます。

 それが、私の望んだたった一つの生き方だから。










あとがき

『草薙の剣』現地へ到着。ナデシコBと合流したけれど……な回でした。「中東編」スタートです。

 今回はその光芒五里に及ぶ絶世の美女狙撃兵、妃都美の話です。今回は木星・木連のネガティブな面より、もっといい面に焦点を当てた……つもりです。(汗)

 見ての通り妃都美は愛国意識が強く、それを原動力にして辛い事を乗り越えてきた根っからの愛国者です。いつぞやの「表紙の言葉」に似たようなネタがありましたけど、やっぱり愛国心ってのはこうやって養われる物だと思うのです。

 今回は『起』から『承』のあたりまでですかね。たぶん次回の『草薙の剣』初任務で『転』から『結』に至ると思います。中東の情勢とか、今回書ききれなかった点もそちらで保管するつもりです。

 それでは、また会う日まで。











感想代理人プロフィール

戻る





代理人の感想
やっぱルリって指揮官には向いてないよなぁ。
劇場版のハーリー君に対する扱いもそうだけど、部下の慰撫とか鼓舞とか、そういうのも士官の必須技能であるはずなんだが・・・ひょっとして士官教育受けてないのかな。
(ハーリー君に対してはまだ身内に対する甘えみたいな物と解釈できなくもないのだけれど)
そこらへんをサポートするためのサブロウタでもあるんだろうけど、進言を聞き入れないんじゃどうしようもないか(苦笑)。
さてさて、いかがなりますことやら。


※この感想フォームは感想掲示板への直通投稿フォームです。メールフォームではありませんのでご注意下さい。

おなまえ
Eメール
作者名
作品名(話数)
コメント
URL