薄い曇りガラスの向こうに、白い裸身がほの見える。
 ナデシコ級戦艦ならではの贅沢な設備の一つ――――個室に備え付けられたシャワー室の中、真矢妃都美は全身にまとわりついた汗と砂を洗い流していた。
 ここは中東。外は当然砂漠だ。ほんの少し外に出ていただけで服もその内側も砂だらけになる。男は気にしないかもしれないが、そこのところ妃都美はやはり年相応の少女なのだった。
 しかし綺麗に砂を洗い流した体とは裏腹に、その表情はいささか明るさを欠いていた。
「……はあ…………」
 一つ、ため息が出る。
 こんな快適な環境の艦に乗艦して仕事ができる。それはいい。
 だが環境の快適さと、この場の居心地の良さは、また別である。
「まったく……これからこの艦でうまくやっていけるんでしょうか、私たち」
 妃都美たちをまったく信用していない、鼻持ちならないホシノ中佐。あまりに年少で、頼りなさげなマキビ中尉。
 そして妃都美へ嫌らしい視線を向けてくるタカスギ少佐……あんな連中とこれから半年も付き合わねばならないと思うと、ため息の一つも出るというものだ。
「ふん、すぐに鼻を明かしてあげますよ……」
 シャワーを止めて、体を拭く。
 妃都美が、いや『草薙の剣』が確たる戦果を上げれば、彼らも文句はないだろう。仲間たちにはそれだけの力があると思っているし、
「私だってやれるはずです……」
 妃都美は左目に手をやる。引き換えに色を失ったけれど、『鷹の左目』も『猫の右目』も十分強力な武器だ。テロリストなどに後れは取らない自信はある。
「その時が来たら、こうやって――――」
 狙撃銃を構える真似をする。『鷹の左目』で敵を捕らえ、右目で覗き込んだスコープで照準を合わせる。敵も気が付いて、こちらへ銃を向けたけれどもう遅い。後は引き金を引き絞れば敵の頭が弾け飛ぶ。それで私の勝ちだ。もしミスすれば、脳漿をぶちまけるのは私になるけれど――――
「……!」
 途端にネガティブな想像が頭をよぎる。先日の演習の時に、相手役の狙撃兵――指揮官のオールウェイズ中佐だったとは後で知った――に負けた記憶と、学校の戦いで撃たれた時の痛みの記憶が一瞬、鮮明に蘇った気がした。
 まだ、実戦への不安があるのか――――よくない兆候だと思い、冷たいシャワーで頭を冷やそうとした時、不意にコンコンコンコンと規則正しく四回、部屋の玄関からノックの音が聞こえた。
 インターホンがあるのに、どうしてノックなのだろう、と妃都美は思った。しかし四回のノックは礼儀作法に則った正しい回数のそれではある。
 楯身か美佳か……あるいは奈々美だろうか。とりあえず裸では差し障りがあるので、備え付けの浴衣を羽織って玄関に出た。
「やあ」
 その男――――タカスギ・サブロウタ少佐の姿が目に入った瞬間、妃都美は反射的にドアを閉じてしまいそうになり、それは上官に対してするべき態度ではないと思い至ってブレーキをかけた。
「……こんな恰好ですみません。何のご用でしょうか。少佐」
 努めて平静な声音で言う。
 相手は少佐。妃都美は上等兵。軍隊というある種特別な階級社会においては天と地ほどの差だ。妃都美も今では立派な軍人である以上、上官に対して無礼はできない。
 しかし、妃都美は今素肌の上に浴衣を羽織って、前が開かないよう手で抑えただけだ。こんな恰好で出て来るのではなかったと、内心では激しく後悔していた。
 勿論、サブロウタが上官権限を楯にセクハラ行為を働くようなら黙ってはいない。
 すぐさま証拠をタレこんで、宇宙軍と統合軍全体をも巻き込んだスキャンダル騒ぎを起こしてやる――――そう思っていたのだが。
「真矢上等兵――――だったな」
 数刻前のサブロウタとはうって変わった、不埒な感情など微塵も感じさせない、歴戦の勇士としての威厳と迫力を感じさせる声。
 思わず気圧される妃都美に向かい、サブロウタは静かに言い放った。
「着任して早々に悪いが、お前たちに任務を与えたい」
「任務……ですか?」
「そうだ。……といっても、これは上からの正式な任務じゃない」
 そこでサブロウタは後ろに目をやる。見ればそこにはマキビ・ハリ中尉が立っていて、何やらコミュニケを操作しながらうんと頷いた。
「初対面で不愉快な思いをさせたわけだしな。これからモチベーションを上げに行く」
 それに、この国の情勢なんかも説明しておきたい、と至って真面目な顔でサブロウタは言う。
「は、はい……了解しました。他の皆さんには……」
「隊長の黒道には、もう話は通した。あとの奴らにも俺が直接声をかける。……解ったら、準備を済ませるようにな」
 上官らしい有無を言わさぬ口調で言い、サブロウタは背を向けた。自動的にドアが閉まり、妃都美はほっと息をついた。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十話 たった一つの望んだ生き方 中編



 何があるのやら……妃都美は内心で思った。
 サブロウタとハーリーの突然の訪問のあと、『草薙の剣』はナデシコBの外で集合。そしてサブロウタに誘われるまま、軽装甲高機動車二台に分乗して乗り込んだ。定員は運転手を含めて五名。車体は全体がライフル弾程度になら十分耐えうる装甲に覆われ、窓ガラスも薄く軽量ながらライフル弾の直撃に十数回は耐える簡易防弾ガラスを使っている。シンプルだが頼りになる、地球連合軍で最も広く使われている車両だ。
 一号車はサブロウタ自身がハンドルを握り、ハーリーを助手席に、後席には和也と妃都美を乗せ、後の五人は二号車に乗せて楯身に運転を任せた。
 出発。
 基地のゲートでは警備兵に市街の巡回と適当な外出目的を言い、荷物等のチェックを受け、砂漠へ。
 そのまま無言のドライブがしばし続いた後、沈黙に耐えかねた黒道和也が口を開いた。
「タカスギ少佐……そろそろ少佐からの個人任務とやらについて、詳細を教えてほしいのですが。僕たちはこれから何をすればいいんですか?」
「私も知りたいですね」
「そう固くなるな。別にこれからテロリストのアジトに突っ込むわけじゃない。市街地を見て回るだけだよ」
 こんな事言いたくはないが、うちの艦長が嫌な思いをさせた事だし、気分転換も兼ねてな、とサブロウタは言う。
「それに、お前らの活動にも良い材料になると思うぞ。……対テロ作戦を展開するにあたり、まず最初にやるべきは何だ?」
 サブロウタの問いに、情報収集です、と和也が答えた。
「まず現地人の中に協力者を作り、現地軍・警察などからも情報を得ます。それを元にして末端の活動家などを捕らえ、それからも情報を引き出してテロ組織の全容を解明。最終的に壊滅を目指す。その過程で武力行使もありうると、そんなところでしょうか」
「ふむ。まあ教本に従うならその通りだ。しかし言うは易し、行うは難しだ」
 特にこの国はな、とサブロウタ。
「湯沢派とかが活動を始めてからというもの、この国でも宇宙軍や統合軍を狙ったテロが頻発しているんだが、ここが余所と違うのは現地人。つまりバビロニア共和国の国民が、火星の後継者と一緒にテロをやっているって事だ」
 そこのところは、妃都美たちも以前からニュースで耳にしていた。
「今じゃあでっかいのから小さいのまで、沢山のテロ組織があるって話だ。俺たちの目下の敵はそいつらになるな」
「そんなのに構っている暇があるなら、火星の後継者を叩きたいのですけれどね」
「そう言いなさんな。これも立派な火星の後継者との戦いだ」
 正直に言った妃都美に、サブロウタは苦笑した。
「話が逸れたな。つまりこの国ののっぴきならない現状について話してたわけだが……こいつがかなり厄介だ。以前からこの国……というか、中東諸国はどうにも地球連合とそりの合わない国が多くてな。政府や国民の中にも、火星の後継者を支持したがっている奴は相当な数になる」
「でもバビロニア共和国その他の国の政府は、火星の後継者は反逆者で、テロは断固として許さないと言っていたはずじゃあ……」
 そう、和也が訊いた。
「公式見解ではな。だがそれが建前に過ぎないってのは明らかだ。国軍も現地警察もろくに協力しちゃくれないし、政府にそれを申し立てても、善処するってだけで後は何にも無し」
 これは事実上の黙認だろう、と言うサブロウタに、妃都美も和也も何も言えなかった。……そこまで、酷い状況だなんて。
「こりゃ予断だが、世間一般じゃ火星の後継者、イコール木星人というイメージが強いが、実際は必ずしもそうとは言えない。俺やお前らみたいに地球軍に残った木星人もいれば、逆に地球軍から火星の後継者に乗り換えた地球人もいる」
 特に中東からはそういう離反者が多く出てる。とサブロウタ。
「さて。ではなぜ中東はここまで地球連合への反感が強いかだが……お前たち、どう思う?」
「は……」
 いきなり飛び出した逆質問に、妃都美も和也も一瞬戸惑う。
 そんな事を言われても、何を言えばいいものやら……とにかく頭の中に保存された、中東に関する乏しい知識をかき集める。そして回答を、考え出す。
「やはり……歴史的、民族感情的な反感からでしょうか」
「ああ……歴史の授業でも少し習ったけれど、納得できなくはないね」



 今を遡る事百数十年―――21世紀も中期に入ると、それまで化石燃料に依存しきっていた世界の構図も少しづつ変化の兆しを見せ始めた。現代で言う、『三大石油依存からの脱却』である。
 水素ガスを主燃料とするラム・ジェットエンジンの実用化と、同じく水素で動く燃料電知式自動車の普及などによる、燃料依存からの脱却。
 プラスチックなど、石油から作られる工業製品のリサイクル技術の改良による、工業資源依存からの脱却。
 そしてマイクロ波発電衛星の打ち上げと、太陽光発電の大幅な改良による、エネルギー依存からの脱却だ。
 これらの技術革新は当時の――今でも尾を引いてはいるが――世界的な課題であった環境問題にひとまずの歯止めをかけ、多くの国々を喜ばせたが、逆に多くの不利益を被る結果となったのが、石油の生み出すオイル・ダラーで潤っていた中東諸国だった。
 ただでさえ21世紀前半に勃発した第五次中東“非核”戦争と、それに続く中東冷戦による軍拡競争。その果てに勃発した第六次中東“核”戦争による惨禍から完全に立ち直っていなかった中東諸国にとって、石油価値の暴落はまさに致命的な一撃だった。中東諸国も石油の枯渇に備えて観光客の誘致などを進めてはいたが、放射能汚染の恐怖がそれを妨げた。
 そして始まった中東経済危機。多くの国の経済が破綻し、町は失業者で溢れ、何人もの富裕層が身を滅ぼした。やがてそれは社会不安を生み、元からの民族問題なども相まって暴動や略奪、テロリズムへと発展し、政府が統治能力を失った国では軍閥が形成され、中東は群雄が割拠する戦国時代へと突入した。
 この事態に地球連合――――その前身に当たる国際連合に軍の派遣を求める声も上がったが、主流派各国の反応はあまりはかばかしくなかった。石油に価値が無くなった以上、もはや不毛の砂漠地帯でしかない中東に血と金を浪費してまで助ける価値は無い、というのが本音だったのだ。
 もはや国際社会から見捨てられ、混沌の様相を濃くしていた中東――――そこへ、一人の男が現れた。
 類まれなカリスマと統率力を持ったその男は、戦乱の只中にあった中東諸国を次々に平定し、バビロニア連邦共和国の建国を宣言。その版図に組み込まれなかったその他の諸国の平定にも大きく貢献した。
 英雄と呼ばれたその男であったが、その後彼は政治に一切興味を示さず、戦乱の終結と共にどこへともなく姿を消した。身元も出自も本名さえ誰も知らない彼は、今では神が使わした英雄として半ば神格化され、疑う者など誰一人いない。
 彼が真実神の使いであったかどうかはさておき、一人の英雄によって平和を取り戻した中東諸国は、その後もくすぶる民族間の軋轢などに悩みつつも、石油が価値を失った後の世界で生きて行くべく協力体制を築き、現在のバビロニア共和国をリーダーとした中東共同体が成立した。
 そして今、中東諸国は古代の遺跡や独特の自然を売りにした観光産業を軸に、地球連合の一員として現在まで存立している。……今のところは。



「その英雄とやらは、英雄である事に嫌気がさしたのかもしれないですね」
 中東の歴史を簡単に確認した後、妃都美はそう感想を漏らした。「ほう、何でそう思う?」と興味深げにサブロウタが訊いてくる。
「その人は、別に英雄になりたかったわけじゃないのでしょう。ただ、祖国や同胞の人たちを戦乱から救いたかっただけなのだと思います。でもそれに成功してみれば、お金や権力を目当てに取り入ろうとする人や、もてはやす人たちが後を絶たなくて……」
 そんな人たちに愛想が尽きた、だから彼は姿を消したのだろうと妃都美は言う。それに和也が苦笑した。
「共感するようなところがある?」
「あくまで憶測ですよ……彼は外国人という説もありますし。でもまあ、これが当たっているのなら、少しは」
 称賛というのも、度を過ぎれば煩わしいを通り越して不快なものだ。
「それは置いておくとして……確かにそういう歴史からすれば、歓迎されないのは仕方ないかもしれませんね。地球連合軍と言っても、中身は外国人の軍ですし……」
 中東が黄金の資源地帯であった頃、国益という名のエゴの元に介入を繰り返し、その価値が無くなった途端に中東を見捨てた外国の軍隊は、中東の住民にとっては大いなる厄病神だ。それがまた自国内にやってきて居座るのは、すでに百数十年前の歴史上の事とはいえ、気持ちのいいものではないだろう。
 要するにサブロウタが言いたいのは、そのような中東の歴史からくる地球軍への反感の事だろうと、妃都美と和也は思っていた。しかし、
「良い回答だが、それだけでは五十点だな」
「はい?」
 返ってきたのは、想定外の答えだった。
「それは、どういう……」
「後は実際に見た方がいいだろ。俺も全てを知っているわけではないしな……とにかくそういう情勢の国だから協力者を得るのも難しい。それを実際に目で見て、肌で感じておくといい」
 承知しました。良い助言をどうも――――と二人して言う。それ以降、無言のドライブが続いた。
「…………」
 妃都美は黙ってハンドルを握るサブロウタの背中を見ながら、考える。
 軽薄そうでだらしのない男だとばかり思っていたが、やはり歴戦の勇士というだけはあるか。礼儀作法を弁えていて教養もあるようだし、通信で呼び出せば手っ取り早いのにわざわざ一人一人に直接声をかけ、積極的にコミュニケーションを取ろうという姿勢も評価できる。
 少し彼への評価を改めるべきか――――妃都美は頭の隅で、そう思った。

 ――――サブロウタが、口の端に笑みを浮かべているのに気付くよしもなく。


 コツコツと、ホシノ・ルリ中佐はIFSシートの肘掛けを指でつついた。
 頬杖をついて、退屈そうな面持ちで彼女が見ているウィンドウには、砂漠の向こうへ走って行く二台の車が移っていた。乗車している人間が誰か調べると、案の定サブロウタとハーリー。そして統合軍から来た例の七人組と知れた。
 ――オモイカネ。タカスギ少佐たちの外出届は?
 IFSを介してナデシコBのメインコンピュータ、オモイカネにアクセス。回答はすぐに来る。
<提出されていません。外出許可も出ていません>
 でしょうね。とルリは思った。ルリ自身、外出してくるなんて話は一言も聞いていないのだから。
 二人とも、無断で外に遊びに行くような人間ではない。そうするとこれは二人の無言の抗議だろうかとルリには思えた。出向してきたばかりの連中に対して疑惑の眼差しを向け、士気を低下させた事に対しての……
 ルリは部下の士気を高揚させるにはどうすればいいのか、いま一つよく解らない。
 艦隊が一つのシステムとして機能し、戦闘がコンピュータの下で行われる現代の戦争に置いて、艦長の役割とは士気の高揚に尽きるとさえ言われる。部下の不満や不安を解消し、ストレスを吐き出させ、最高のモチベーションで任務に臨めるようにする。……言うのは簡単だ。しかし高等数学の数式を鼻歌交じりに解けるルリでも、これは遥かに難解で、明確な答えの無い問題だ。
 ルリは最低限受けるべき士官教育をごく簡単にしか受けていない。軍に戻ってからナデシコBの艦長に任命されるまでが短かったせいもあるが、何よりこのナデシコBは本来ワンマンオペレーションシステムの実験艦で、実戦任務など想定していなかったから。
 悪くした事に、元々特異な環境で生まれ育ったがゆえか協調性に乏しいルリは、円滑な人間関係を築くという事からして苦手だった。他の艦長や隊長を見ているとつくづくそう思う。完全に異世界のスキルだ。
 すなわちルリは致命的なまでに艦長、指揮官としての素質を欠いているのではないか。……ルリ自身、そう思い悩む事はある。
 もっとサブロウタ達の意見を入れて、多少懸念があってもお互いの調和を優先するべきだったのか……そう思って、

『それは人類の未来のため!』
『我々は貴君らの軍事力に負けたのであり、正義を欠いていた訳では断じて無い!』
『僕らの力で火星の後継者を倒すって。それで木星の正義を証明するってね』

 忌々しい記憶がフラッシュバック。それに何故か和也が重なり、腹の奥から黒い嫌な感触が湧き上がってきた。
「――――っ!」
 ルリは胸を押さえて突っ伏す。……駄目だ。やはり連中は火星の後継者と同じ匂いがする。信用しては……駄目だ。
「……とりあえず、外出届と許可はこっちで捏造しておいてあげましょう」
 サブロウタが期待しているであろう度量を見せてやれば、十分な埋め合わせになるだろう――――とルリが考えたその時、不意に耳障りな警告音が鳴り響いた。
 現れた赤いウィンドウに表示されている字面は――――『緊急連絡』



「こうやって見ると、至って平穏な様子に見えるんだけどな」
 簡易防弾ガラスの窓から見える街の風景を見て、和也はそう言った。
 砂漠を走る事数十分。すでに一行はクウェート基地最寄りの市街に入っていた。先ほどサブロウタに言われた通りに道行く人々の様子を観察し、和也が口にした最初の感想がそれだった。
 中東の町というと、土やレンガで建てられた住居が立ち並ぶ古風な様式の町並みを想像しがちだが、現在ではどこの街も中心部に行けばカーボンナノチューブ筋コンクリートで構成された高層ビルが林立し、少し郊外に出ればやはり、近代的な様式の住宅街等が広がっている。
 強いて言うなら、市内各所に鎮座する礼拝堂だけが古い時代の面影を色濃く残していた。しかしこれさえも、建築方法や材料には近代的なそれが用いられているのだが。
 勿論、かつての中東を思わせる土やレンガの町並みが残っているところもあり、そういった街は景観の保護を定めた条例もしくは法の下、中東各国の重要な観光資源となっている。
 とにかく、そんな近代的な街の中、道行く人の顔は至って普通。テロの気配など微塵も無い。こちらを見た子供が笑って手を振って来て、それに和也が手を振り返す。そんな一コマを見てなおさら妃都美はそう思った。
「確かに……これと言っておかしな様子は無いですね」
「ま、このあたりは都市部だからそんなもんかもな。だが……もう少し見てれば解ると思うぞ」
 言ったサブロウタに、それって……と妃都美が訊き返そうとした時、ふと、砂漠地帯特有の強烈な日差しが急に翳った。
「何だ?」
「何でしょう? 急に暗く……」
 空には雲の欠片も無い。相変わらず容赦無い太陽光が降り注ぎ、視界を陽炎に揺らめかせている。妃都美たちの周囲だけが、すっぽりと巨大な影に覆われているのだ。――私たちの真上に何かがある?
『おい、和也に妃都美。すげえな』
 いきなり現れたウィンドウに、妃都美は少し驚いた。
 ウィンドウの中には、少々興奮気味の山口烈火の顔があった。この顔は好みに合った兵器の類を見た時の顔か。
「凄いって、何が?」
『上だ、上。いいから見てみろって』
 烈火に促され、二人は窓から頭上の空を見上げた。
「あ……っ!?」
 はっとした。
 彼らの頭上を覆っていたのは雲ではなく、戦艦の巨大な体躯だった。統合軍のマーキングが施されたカトンボ級無人駆逐艦。地上にくっきりと大きな影を落として、下から見上げてくる人間たちを睥睨するように悠然と、地上数百メートル程度の超低空を航行している。
「あれは……市街地の上空を無人艦に巡回させてるのか? しかもあんな低空で……」
『艦の両舷から棒みたいなのが付き出してんの、見えるか? ありゃ120ミリクラスのカノン砲だ。艦底部のリニアキャノンも取っ払われて、空いたスペースに20ミリクラスのバルカン砲や機関砲をハリネズミみたいに搭載してやがる。艦首に搭載してあるのもインパクトレーザー砲じゃなくてレドームだ。多分中には射撃統制レーダーに地上探査用のセンサーがぎっしりだな』
 兵器オタクらしい烈火の解説。要するに、あれは地上の目標を大火力で制圧するための武装を満載した、ガンシップ・タイプの無人艦というわけだ。
『相転移エンジン搭載で、無人のカトンボ級なら一日中でも巡回できるし、その分地上でパトロールにあたる人間を減らせる。何かあればすぐ飛んで行けるし、何よりあんなもんが飛んでちゃテロリストの奴らも気が気じゃねえだろう。テロを警戒するんならいいもんだと思うぜ』
 烈火の言う通り、地上目標への攻撃に向いたガンシップ・タイプの無人艦は即応力のある戦力としても、抑止力としても使える。テロ対策として見るなら上策だろう。
 だが、そこには決定的な物が欠けている……
『烈火の言う通り、有効な手ではあります。しかし市街地上空を巡回させるというのは……あまり感心出来る運用ではありませぬな』
「ああ。あれは絶対に、この国の人間から反感を買うよ」
 元々地球連合に好意的でない地域なのに、ああもこれ見よがしに武力を見せつけるなど、この国の国民からすれば相当不愉快な事だろう。少し考えを巡らせれば解る事なのに、地球軍の連中には現地人の感情に対する配慮が無いのだ。
『火星の後継者に協力しようなんて奴は、誰であろうとこいつで叩き潰すぞって、そう言わんばかりだわね』
『ああ、怖い怖い……これが地球軍流の治安維持活動なのですね』
 ウィンドウの向こうから、好き勝手な事を言う田村奈々美と影守美雪の声が漏れ聞こえてくる。――――さすがに、サブロウタやハーリーが聞いている前でその言い草は問題ではなかろうか。
「奈々美さんに美雪さん。そういう発言は問題ですよ。私たちも今は地球軍の――――」
 一員なんですから、と窘めようとした妃都美だったが、それをサブロウタがやんわりと遮ってきた。
「別に、俺たちに気を使わなくてもいいぞ。その子たちの言う事も間違っちゃいない」
「はあ……」
 ひょっとして――――と妃都美は思った。タカスギ少佐はこれを見せるために、私たちを連れ出したのかしら。
「地球軍――――特に統合軍のUSEとか北アメリカ連合とか、主流国の連中は中東地域を軽視してる節があるから、ああいう解り易いやり方に傾斜しやすいんだよ。地球連合の一員と言っても、その実態は発言力も弱く扱いも軽い。主流国と比べりゃ天と地の差だな。一方主流国の側から見れば、中東は自分たちのご威光が届かない、反抗的な化外の地ってわけだ」
 普段通りの飄々とした感じで言うサブロウタの声音からは、その裏にどんな感情かあるのかは窺い知れなかった。だがこんな話を自分から持ち出すあたり、彼にも地球連合の、そして地球軍のやり方に憤るところがあるのは確かだろう。
 地球連合の主流国と非主流国の間に差があるのは知っていた。だがここまで大きな差があるなんて……
「特に統合軍の、と言いましたけど、その点宇宙軍はどうなんですか?」
 そう、和也。
「宇宙軍は……まあ、総司令の方針が優しいからな。少しはましかもしれないが、現場レベルでは似たような奴も少なくないな」
 さすがに渋い顔をしてサブロウタは答えた。具体的に誰の事だとは言わなかったが、きっとそれはホシノ中佐の事だろう。
「……心なしか、町の人たちの雰囲気も変わった気がするね」
「居心地悪いですね……」
 あの無人艦に、胸の内に秘めていた反感を喚起されたのか、街ゆく人々の視線も変わった気がした。ある男性は横目に視線を送り、ある老人はさりげなく目を逸らし、ある女性は何故か深々と礼をした。
「私たちって、この国を守ってあげてる駐留軍というより……進駐軍とか、そんな風に思われているのでしょうか」
 あるいは占領軍か……とも妃都美は思ったが、それはさすがに言わないでおいた。
 気まずい雰囲気が車内に流れる。そんな中「あのー……」と、それまで黙っていたハーリーが口を開いた。年少な彼にも何か、この国の状況に対して言いたい事があるのかと思ったが、彼が口にしたのはこれまでの話題とは脈絡の無い質問だった。
「皆さんって、みんな木星人でしたよね」
「ええ。それが何か?」
「その……失礼かもしれないんですけど、あの、怒らないでほしいんですが」
 じれったい。言いたい事があるならさっさと言ってほしい。
「火星の後継者と……同じ木星人と戦わなきゃいけないのに、どうして地球軍に来たんですか? やっぱり恨みとか……あるんですか?」
 痛い事を聞いてくる。それはハーリーの隣りにいるサブロウタにも通じる事だと思ったが、彼は我関せずといった顔でハンドルを握っていた。
 ――お前たちの考えを言えって事ですね。
「恨みと言いますか……まあ、戦う理由は十分あるつもりです」
「火星の後継者のやり方は木星人のためにならない事です。木星人にとっても奴らは倒すべき敵と、僕たちはそう思っていますが」
「それでも同じ……同朋の人たちでしょう。昔は皆さんも一緒に、草壁中将の下で――――」

「――――関係ありませんよ」

 出た声は、意図せず険を帯びていた。びくり、とハーリーが怯えたように肩を震わせ、「妃都美」と和也が咎める視線を送ってくる。しまったと思った。
「あ……ごめんなさい」
「い、いえ、こちらこそ……」
 恐縮した様子のハーリーを見ていると、申し訳ない気分になってくる。
 そんなつもりはなかったのだけど――――草壁の名を聞いて、つい気分が逆立ってしまったのだ。
 今もなお、支持するに値する理想の持ち主であると同時に、……自分たちを見殺しにして逃げた、あの男の名を……
 何か言おうとした妃都美だったが、その時通信が繋がったまま文字通り宙に浮いていたウィンドウが動き、神目美佳の顔がアップになった。
『……和也さん。妃都美さん』
「どうした?」
『……今気付いたのですが……どうやら、私たちは尾行されているようです……』
 言って、美佳は車の後ろを指す。左目の眼帯を外して見てみると、確かに楯身が運転する二号車の後ろに一台の乗用車がぴったりついてきていた。和也が「あの青い車?」と言ったので色は青なのだろう。フロント部分に日本の四つ菱自動車の製品である事を示すエンブレムがあるのはご愛嬌か。
「美佳、人数とかは解るか?」
『……確認できるのは、三名です。全員がサブマシンガン、もしくはアサルトライフルで武装しているのが確認できます……』
「ほー。便利な能力だな」
 そう、サブロウタ。
「軍用車で出歩いてたらすぐこれか……どうする? 少佐が要らないって言うから、僕たち丸腰で来ちゃったけど」
「抜かりないぜ」
 サブロウタがダッシュボードを開けると、中には人数分の拳銃と、ご丁寧にバラクラバ帽まで入っていた。迂闊に顔を人前に晒したくない特殊部隊員の身としてはこれは有難い。というか、
「随分と用意がいいんですね。まるでこの事態を予期していたみたいに」
「き、危険が予想される地域で活動するんだ。このくらい当然だろう。……ほれ、お前はこれでどうだ?」
 妃都美の何気ない一言に、サブロウタは妙に強い調子で答えて銃を手渡す。それを見た和也があ、と声を上げた。
「88型? どうしてこんな物を?」
 88型木連式リボルバー。その名の通り2188年に生産が始まった木連軍の正式軍用拳銃だ。レーザー銃を模したオモチャのような外観から、地球人から『銀玉鉄砲』や『トイガン』などと嘲笑されるが、単純な構造ゆえに信頼性は極めて高い。元木連軍兵士の中には、地球軍に籍を移してからも好んで使う者は多い。
「たまたま手に入ったから持ってきたんだが、地球のオートマチックもあるぞ。そっちがいいか?」
「いいえ。やはり使い慣れた奴を」
 和也は迷わず88型リボルバーを受け取る。妃都美も拳銃を受け取ったが、宇宙軍正式のNH91拳銃――――ネルガル製の拳銃だった。ネルガルは気に食わないが、性能は決して悪くないし、今は銃の選り好みをしている場合ではないと割り切った。
 その代わり、妃都美は目の前の懸念を口にした。
「戦うのはいいですけれど……ここでは民間人を巻き込みますよ」
「ああ。解ってる……さ!」
 答えるや否や、サブロウタは急ハンドルを切って横道に滑り込んだ。驚いたハーリーと和也の「うわあ!」という声が重なる。
『しょ、少佐、どちらへ!?』
 楯身の狼狽した声。彼はサブロウタの突然の進路変更に反応できず、そのまま通り過ぎてしまったのだ。不審車両もそれを追っていく。
 サブロウタは冷静さを崩さずに言う。
「慌てなさんな。お前らはそのまま不審車両を人気の無い所まで誘導していってくれればいい」
『しかし、我々は土地勘が……』
「道案内は僕が行います。そちらは僕の指示通りの道を行ってくれれば大丈夫です」
「そこで俺たちが後ろに回れば、そいつを挟み打ちに出来る」
「そこからは皆さんの仕事です。気をつけてください」
「りょ、了解!」
 交互に的確な指示を出すサブロウタとハーリーを前に、妃都美と和也はそれしか言えなかった。
 マキビ・ハリ中尉。年少だと思って甘く見ていたが、やはり認識を改めざるを得ないか……と妃都美は思った。
「いくぜぇっ!」
 叫び、サブロウタは思い切りアクセルを踏み込んだ。モーターの回転数が上昇し、軽装甲高機動車が加速。それに驚いた車が急ブレーキをかけて、たちまち大混乱に陥った様子が後方に遠ざかっていく。その様子を見た和也があちゃあ、と呟いた。
「ったく、これじゃますます民間人に嫌われちゃうね……!」
「その心配は後にしましょう、和也さん」
「そうですね。二号車もスピードを上げました! 同時に不審車両も加速。二号車を追いかけていきます!」
「疑惑確定ってところだな……おっと!」
 急ハンドルで目前に迫った大型トラックを避ける。彼は機動兵器の操縦だけでなく車の運転も達者なようで、行く手に立ち塞がる車両を軽々と避けていく。
 そしてハーリーも、ポケットサイズのIFS対応型ノートパソコンの地図を頼りに、楯身たちの乗る二号車を正確に導いていた。
「その先百メートルの交差点を右に。後は速度を上げてずっと直進してください。発砲してきたら当然回避を!」
「あいつら……どうして追いかけてくるだけで何もしてこないんだ?」
 浮いたままのウィンドウを見て、和也が言った。確かに、不審車両から発砲してくる気配は今のところ無い。
 それを聞いて、サブロウタが言う。
「多分、火星の後継者寄りの現地人テロリストなんだろ。同国人を巻き込む事はあいつらもしたくないんじゃないか」
「そうかな……」
「余計なおしゃべりしてる暇はないぜ。出るぞ!」
 再び急ハンドル。行く先に楯身たちの二号車と、それを追う不審車両の背が見えた。作戦通りの見事な挟撃。ここは片側一車線の広くない道路で、両側は建物の壁。不審車両に逃げ場はない。旗色が悪いと悟ったかついに不審車両が窓を開き、男が二人、ライフルの銃口を突き出してきた。
「あれが現地人テロリスト……!」
「撃たれる前に撃ちます!」
 もう距離は数十メートルを切っている。拳銃でも命中させる自信はある……! 妃都美は『鷹の左目』を覆う眼帯をはぎ取り、ルーフトップの銃座から身を乗り出して射撃の体勢に入る。妃都美へ銃口を向ける、テロリストのいかついヒゲ面までもはっきりと見えた。

 そう、テロリストの銃が――――妃都美を狙っている。

「ひ…………っ!」  黒々とした深遠を覗かせる銃口――――それに何故か、妃都美は自分が吸い込まれるような気がした。
“外せば、殺される”そんなとうの昔に克服したと思っていた恐怖に全身が凍りつき、妃都美は撃たなければいけないと解っているのに撃てなかった。
「待て、まだ撃つな!」
 制止するサブロウタの声。普段なら「何故?」と誰何しただろう。しかし口は動かず、体が勝手に車の中へ引っ込んだ。
「まだ撃つなよ。もっと近づいてから――――」
 動揺のせいか、サブロウタの声がひどく遠くに聞こえる。どうして、いまさら撃たれるのが怖いなんて思って、体が動かなくなったのか。
 どうして――――あのテロリストの顔が、妃都美が戦って負けたあの男――――オールウェイズ中佐の顔に、一瞬見えたのか。
 様子がおかしいのを察したか、「……妃都美?」と和也が妃都美に視線を向けた時――――楯身たちの二号車が、右へ、不自然にハンドルを切った。

 瞬間、二号車の姿が、炎と煙の中にかき消えた。

「――――っ! みんな!」
「楯身さんたちっ!」
 不審車両の事も忘れて思わず叫ぶ。
 二号車は爆発で一瞬浮き上がり、そのままグルグルと激しくスピンしながら道路脇の建物に激突して止まった。これにはハーリーも言葉を失い、サブロウタさえもさすがに狼狽した声を出す。
「あ、IEDだと!? 何であんなもんが仕掛けてあるんだ!」
「何でって、奴らの仕業に決まってるでしょう!」
 何をとぼけた事を――――! 妃都美は思わず発しかけた罵倒を飲み込み、早く車を止めてとサブロウタを急かす。
 IED――――即席の仕掛け爆弾。あまりに古典的な攻撃手段だが、探知技術の発展と共に欺瞞技術も発展し、上手く偽装すれば現代でも効果は絶大だ。
「楯身! 応答しろ楯身! 美佳……美雪! 誰でもいいから返事をしてくれっ!」
「奈々美さん、烈火さん! ……く、返事が無い……!」
 最悪だった。返事が無いという事は全員が気を失ったか、返事もできないほどの怪我をしたという事だ。
 一刻も早く楯身たちを助けないといけない。不審車両は煙と炎に包まれる二号車の横をすり抜け、このままでは逃げてしまうが、
 ――それより今は、皆さんの命が優先です……!
 二号車から十数メートルの地点で停車。この手のトラップは助けに来る奴を狙って二重三重に罠を張っている可能性もあり、車では危なくて近寄れない。妃都美と和也が降車し、サブロウタとハーリーが残って車を守る。
 罠や狙撃を警戒しながら慎重に二号車へ近づく。ほんの数メートルの距離が何キロにも感じられた。ともすれば危険を無視して走り出したくなる。二号車は未だに炎に焼かれ、中から人が出て来る気配も無い。
 まさかもう全員……嫌な想像がまとわりついてくる。焦りと焦燥に知らず足が速まりかけた、その時だった。
「ちょっと妃都美、あれ!」
 和也が前を指して叫ぶ。
 現地語で『バビロニア航空』と書かれた観光バスが、道路の向こう側から走ってくるのが見えた。それも明らかに規定速度を無視した速さで、通りかかった車と衝突を繰り返しながら突っ込んでくる。
 ――不審な車に爆弾、今度は何ですか……!
 観光バスは急ハンドルを切り、あろう事か道路を塞ぐ形で急停車。その窓からドアから、大勢の集団がわらわらと湧いて出てくるのを見て妃都美と和也はぎょっとした。全員が銃や三日月刀シャムシールなど不揃いの武器を振りかざし、凄まじい憤怒の形相でこちらを睨んでいる。
 ――テロリストの新手……! しかもあんなに大勢!



 バスの中から武装したテロリストが集団で現れる。それはサブロウタからも見えていた。
「おいおいおい、しゃれになってねえぞこりゃ……!」
 軽装甲高機動車の中、サブロウタは毒づく。
 歴戦の勇士らしく、パニックに陥る事なく戦闘の態勢に入ってはいるが、……想定外の事態に対し、狼狽の色があるのは隠せなかった。
「大ピンチじゃねえか……まさか騙されたってのか?」
「サブロウタさん……!」
 青い顔をしたハーリーが、なにやらウィンドウを指で示す。サブロウタはそれに目を走らせて……驚愕に目を見開いた。
「ぬ、ぬぁんだとっ!?」



「神は偉大なり!」
「神は偉大なり!」
「神は偉大なり!」
 テロリストたちが口々に叫ぶのは、この地域に古くから伝わる戦いの言葉。それに背中を押されたように、二十人は確実に超えている集団が襲いかかってきた。
「く……! 撃てっ! とにかく撃てっ!」
 和也の号令一過、後退しながら拳銃を発砲。愚直に突進してくるだけの奴を撃つのは容易く、先頭を走る数人を打ち倒した。
 だがテロリストたちは怯む気配も無い。倒れて苦痛に呻く仲間を踏み越え、シャムシールや鉄パイプを持った男が三人、切り込んでくる。
「俺たちの国から出ていけえっ――――――!」
 テロリストの一人が叫び、妃都美にシャムシールを振り下ろしてくる。素人の繰り出す単純な攻撃だ。横ステップで難なく避ける。
「あなたたちの言いたいことも解ります。ですが、その行為は捨て置けません!」
 こいつらは敵だ。敵の事情など忘れてしまえば良い! 刀を持つ手首を掴み、男が「あっ!?」という間に顔面へ裏拳、そして鋭い肘打ちを叩きこむ!
「和也さん!」
 昏倒した男が持っていたシャムシールを拾い、和也へ向かって放り投げる。二人を相手に立ちまわっていた和也はそれを受け取ると同時に一人の胴を横薙ぎに切り裂き、返す刀でもう一人を斜交いに切り上げた。
 吹き上がる鮮血。その残酷な光景を見たハーリーがうっ! と呻いて顔を伏せる。逆に怒りを燃え上がらせたらしい他のテロリストたちが一斉に銃を乱射し始め、妃都美と和也は堪らず軽装甲高機動車の影に隠れた。
「く……これじゃ、楯身たちを助けるどころか、近づけもしない!」
「ああ、敵の数が多すぎるな……!」
 装甲ドアの陰から応戦しつつ、和也とサブロウタが言い交わす。十人以上がアサルトライフルや機関銃を撃ちまくる、その弾幕は濃密だ。射撃の切れ間に牽制の弾丸を放つ他は全く動けない。
「他にもっと強い武器とかないんですか!?」
「この車はパトロール用だから、トランクにまだ武器が入ってる! 誰か取って来てくれ!」
「わ、私が行きます!」
 妃都美は弾に当たらないよう腰を曲げた体制で、素早く軽装甲高機動車の後ろに回った。
 トランクを開ける。……やった。サブマシンガンや狙撃銃などの武器がいくつも入っていた。その内の一つ、アルザコン31短機関銃を手に取り、和也へ投げ渡そうと顔を上げて……はっと息を飲んだ。
 テロリストたちが乗ってきた観光バス。壁のように道路を塞いだそれの上に、長い円筒形の物を担いだ人影が見えた。
 ――あれは……対装甲車ロケット砲!
 いけない。あれを狙撃しないと! 妃都美はアカツキN10狙撃銃に手を伸ばして――――また、恐怖に心臓を絞られた。

“外せば、全員殺される”――――

「――ロケット砲です! 私たちを狙っています、逃げて!」
 気が付いた時には叫んでいた。なんて馬鹿をと自分を罵りたくなったが、体は勝手に逃げ出していた。
 全員が車を捨て、近くの建物の陰へ避難。直後にロケット砲が撃ち込まれ、軽装甲高機動車が紙細工のように浮き上がり、爆発した。……中の武器もろとも。
「しまった……! 妃都美、持ってこられた武器は?」
「ごめんなさい。これ一つしか……」
 持ち出せたのはアルザコン31が一丁だけ。予備の弾も無い。くそっ! と和也が毒づく。
 ――また撃てなかった……狙撃銃を握れさえしなかった。時間は十分にあったはずなのに!
 そのせいで、余計に状況を悪化させた。間違いなく私の失態だ――――妃都美の胸に強烈な自己嫌悪が湧いた。
「僕たちだけでは、もう手に負えないか……マキビ中尉、応援の要請は!?」
「もうとっくに出しましたよ! もう向かってると思いますけど……」
 いつ来るかは解らない。好転の兆しが見えない状況の中、追い打ちをかけるようにサブロウタが叫んだ。
「おいっ! 二号車が……やべえぞっ!?」
 こちらへ銃を乱射する連中の後ろ、銃を持たない連中が矛先を変え、楯身たちの乗る二号車に襲い掛かった。車体を蹴り飛ばし、簡易防弾ガラスを鉄パイプで殴打し、車体の上によじ登ってシャムシールを叩きつける。
「楯身さんたちが……!」
 最悪だ。軽装甲高機動車は何とか耐えているが、あの状況ではそう長くは持ちそうにない。
 ガラスが一枚でも叩き割られ、中の人間が車外へ引きずり出されればお終いだ。
 鉄パイプで殴殺されるか、シャムシールで惨殺されるか、あるいは銃で射殺されるか。いずれにしても嬲り殺しだ。恐ろしい予感に、妃都美は戦慄する。
「くそっ……! 仲間を殺されるくらいなら!」
「おいこら、馬鹿な気起こすなよ!? 隊長が率先して自殺するつもりか!?」
「しかし!」
 無茶は承知で突っ込もうとする和也と、それを止めるサブロウタとの無意味な言い争い。それが余計に絶望をねじ込んでくる。
 ――誰か……! 誰でもいいです。
「助けて……」
 ――私たちを、皆さんを、
「助けてっ……!」
 思わず妃都美が口走った。……刹那。

 大気を切り裂いて飛来した砲弾が、テロリストの一団を吹き飛ばした。

「助けが!?」
「来たかっ!」
 現れたのは、つい先ほど上空を巡回していたカトンボだった。その巨体で頭上を覆ったそれは、つい先ほどまで妃都美たちを数で圧倒していたテロリストたちへ、さらに圧倒的な暴力を叩きつけた。
 船体下部の20ミリバルカン砲が吠え、毎分数千発の勢いで銃弾が降り注ぐ。テロリストたちの銃撃が嵐なら、それはさながら瀑布だった。
 苦し紛れの銃撃も、対装甲車ロケット砲の攻撃も、ディストーションフィールドで守られた駆逐艦には蚊の一刺しにも劣る。たちまちテロリストたちはバラバラに逃げ散り始める。
「いいぞ! やってくれ!」
「頼りになるじゃねえか、あいつらも!」
 和也とサブロウタが歓声を上げる。つい先ほどはその使い道に嫌な印象を持ったカトンボが、今は文字通り天よりの助けだ。
 これで助かった……! 妃都美もまたそう思ったのだが、
「ちょっと……どういう事ですか……」
「何か?」
 動揺したハーリーの声に妃都美は振り向く。ハーリーは青い顔をして、ノートパソコンの画面を向けてきた。
 これは……カトンボから見た地上の様子か。逃げ回るテロリストたちが赤く、友軍である妃都美たちが青く、その他の民間人が黄色く色分けされて表示されている。逃げ回るテロリストたちが見ていて気持ちいい。……などと最初に思った妃都美だったが、すぐに気が付いた。
 あるべき物が、表示されていない……
「楯身さんたちが、友軍として……いえ、存在自体が認識されていない!? どうして!?」
「データリンクやIFFは正常です。……多分、皆さんがまだ車の中にいて、その近くで火が燃えてるせいで、生体センサーが探知できないんじゃ……」
 センサーが探知できないものは、機械にとっては存在しないのと同議……無人兵器の克服しがたい欠点だ。そして、そのすぐ傍には敵がまだいる。

 ――このままじゃ、楯身さんたちもろとも……攻撃される!

 思い至った時には、もう妃都美は飛び出していた。無人艦に届くわけもない。それでも妃都美は声の限りに叫んだ。

「待って――――――!」










あとがき(なかがき)

 サブロウタ先生の中東情勢説明と、またしても大ピンチな『草薙の剣』でした。

 またしても時間をかけて中編ですみません。最初はこのまま最後まで行く予定でしたが、なんだかキリがいいなと思い分割しました。今回が『承』から『転』なので次回で『結』に至ります。

 >代理人氏
 >(ルリは)ひょっとして士官教育受けてないのかな。
 私もそうだと思います。手元にあるムック本によると、ルリが宇宙軍に戻ってからナデシコBに乗り込むまでたったの四ヶ月ですし、受けたとしてもごく短い期間だったと思われます。ナデシコBは本来実験艦で、ぶっちゃけ艦長としての素質は二の次と考えられていたのではないかと。(ごめんなさい……)

 それでは。次回はそれなりに早く投稿できると思います。……たぶん。










感想代理人プロフィール

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代理人の感想
ガンダムツーアウト(OO)でも中東はそんな感じでしたねぇ(第二期は見てませんが)。
金持ちは資産運用だけで生きて行けそうな気もするのですが、今のバブルがはじけたらそれもどうなる事やら。
実際の所、石油が無くなったり代替物が完備されたりしたらどうする気なんでしょ。ねぇ。

・・しかし、光線銃を模したリボルバーってどんなんだろう。ゲキガンガーで使ってた様な奴ならどう考えてもオートマチックになると思うのだけれども、それが作れるほど技術的・物的な余裕がなかったのかしらん。w


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