中東、バビロニア共和国東部の山中にそれはあった。
 遠い昔、時の権力者が敵対勢力と戦うため、この地に多くの人と資材を動員して城砦を築いた。何故このような険しい山中に城を建てたのかは定かでないが、垂直に切り立った崖の上に鎮座し、前には守りに適した岩場が広がるそこは、当時は非常に守りやすく、攻めにくい難攻不落の城塞として機能したのだろうと思われた。
 四方を高い城壁で囲った中に聳える城の構造物には大きな礼拝堂が据えられ、かつて多くの兵士たちがここで神への祈りを心の支えにして籠城戦を戦ったのだろう。
 それから長い年月が過ぎ、立ち寄る人間もいなくなり、その城は長らく人々の記憶から消え去っていた。このような大昔の異物が歴史を伝える貴重な観光資源として大事に保護されるようになった近代でも、その不便な土地柄ゆえに観光地として整備される事も無く、砂漠の砂に帰するのを待つばかりの筈だった。
 しかし、今はいる。武力闘争を神の意志と信じ、暴力を持って自らが理想とする国を作ろうとする武装集団が、この城を巨大な武器庫として巣食っていた。人々に忘れられ、なおかつ神の加護を受けるこの城なら、敵に見つかる事はありえないと考えての事だった。
 事実ここが敵――――地球連合軍に目を付けられた事は一度も無く、守りに当たるテロリストたちの間にも少し緩んだ空気が蔓延していた。
「ふあ……暇だなあ。それに腹減った……」
 地面を刳り抜き、機関銃などの武器を据えた上に簡素なカモフラージュを施した前時代的なタコツボ型塹壕で、城の守りを担当していたテロリストの腹がグウと鳴った。
「太陽が昇ったら交代だから我慢しろ。城に戻ればうちの母ちゃんがカプサを作って待っているからよ」
「ああ。あんたの奥さんのカプサは絶品だよな……あー、早く城に入りてぇ。服の中が砂だらけだ……」
「まあ……な。ここは空気も薄いし、早く家に帰りてえな……息子に会いたい」
「息子さん。今年でいくつだっけか?」
「来月で六つだよ。誕生日祝いももう買ってある。前から欲しがってた日本製のゲーム機だ……ん?」
 他愛の無い会話の中、ふと遠くに何かが見えた。
「どうした?」
「今、何か向こうで光ったような……」
「蜃気楼じゃねえの……」
 か、とそのテロリストの男が言いかけた時、不意にひゅるるる……という鋭い音が聞こえてきた。
 その音が、砲弾が空気を切り裂いて演奏する『死神の笛の音』だと思い至った次の瞬間、周囲の岩と砂が突然爆ぜた。もの凄い轟音と衝撃に体が嬲られ、堪らずタコツボの中に倒れ込む。
「な、何だあ!? おい……」  頭から血を流しながらも起き上がり、隣の仲間に大丈夫か、と聞こうとして、息を飲んだ。
 ……頭が半分、無くなっていた。つい数秒前まで家族の事を楽しげに話していたその男は、頭の左半分を砲弾の破片に抉り取られていた。素人でも解る、即死だ。
『こちら本部! 第71防御陣地! 何があった!? 状況を報告しろ!』
 通信機から聞こえる切迫した声も、彼の耳には届かなかった。
「あ、ああ……!」
 呆然と立ち尽くす彼の視界には、砂煙を上げて迫り来る地球連合軍の陸戦部隊が映っていた。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十二話 誰がために、何のために 後編



連装迫撃砲システムAMOS部隊、第二射発射」
『山麓から敵の陸戦部隊が接近! 機動兵器も随伴、凄い数だ!』
「弾着、今!」
『凄い数ってのは何機だ! もっと正確に報告しろ!』
「オーガニクス第一、第二小隊、接敵! 機械化歩兵部隊も続きます!」
『空を見ろ! 戦艦もいやがるぞ!』
 ナデシコBのブリッジには、敵と味方、両方の声がいくつも重なり合って響いてくる。統制の取れたこちらのオペレーターに比べて、敵の何と無秩序な事か。おまけに暗号化さえしておらず、相当に混乱しているのが解る。
 それら戦況に関する情報が、奔流となって流れ込むウィンドウボールの中で、ルリの口から自然と言葉が漏れる。

「天空を吹きすさぶ神々が、今こそその敵を見出されんことを。……震え上がるがいい。秘密の罪を犯しながら義の鞭を逃れる卑劣漢、その手を血に汚しし者、偽りの誓いを立てし者、有徳を装いつつ邪淫にふける者。……卑怯者、ばらばらに吹き飛ばされてしまえ。上邊うわべはもっともらしく見せかけながら、影では密かに人の命を狙う奴輩やつばら……」

 それは昔、ある劇作家が描いた全てを失った王の物語。
 雷鳴轟く嵐の中で、王が叫んだ怒りの言葉。

「そのひた隠しに隠してきた罪業を、今こそ洗いざらいぶちまけて――――」
『この天の恐るべき呼び出しに慈悲を乞うがよいっ!』
「…………」
 最後の決めゼリフを横から持っていかれて、ルリは少しだけ眉根を寄せた。
『……何だ、そりゃあ?』
『シェイクスピアですよ。『リア王』』
 ルリの左に展開するウィンドウの中で、小首を傾げた烈火に妃都美が注釈した。
 ウィンドウに映る『草薙の剣』の姿は、すでに戦闘服に身を包んだ臨戦態勢だ。皆一様に顔を紅潮させて、戦場の空気を味わっている。
『こーんな時にシェイクスピアだなんて、ホシノ中佐もなかなかに学がある人みたいね』
『ただ、リア王は城を追われてただ怒りの言葉を叫ぶだけだったけど、僕たちはこれから軍勢を率いて城攻めに行くのだ、と』
 最後の一節を持っていった犯人、奈々美の言葉を受けて和也が揶揄する。
『盛り上がっていいわね。で、あたし達の出番はいつかしら?』
「もうちょっと待ってください」
 血気に逸る奈々美に、ルリは至極冷静な態度で言う。
「作戦はまだ第二段階が始まったばかりです。突入のタイミングはこちらで指示しますから、別名あるまで待機していてください」
『友軍さんが派手にやってんのにあたしたちは待ってるってのも、じれったいわねえ』
「あなた達の任務は、あそこで戦っている陸戦部隊よりも遙かに重要なんですよ。作戦の成否はあなた達に掛かっていると言っても大袈裟じゃありません」
『承知していますよ』
 そう、和也。
『僕たち突入部隊が敵のボスを捕らえるか殺すか出来れば、中東で最大のテロ組織を壊滅させられる。でも逃がしてしまえば組織はまた再建される。つまり……』
「そう。ここが転換点ターニングポイントです」



 強襲揚陸艦サンスベリアから山地へ降り立った宇宙軍陸戦隊は、夜明けと共に一気呵成に敵陣へ雪崩れ込んだ。
 オーガニクス機動中隊の第一、第二小隊に所属するエステバリス陸戦フレーム八機がダッシュローラーを唸らせ、砂埃を巻き上げて先陣を切る。それの後ろには歩兵を満載したフォックスハウンド装甲車と、88ミリ電熱化学砲を備えたブルックス機動戦闘車からなる機械化歩兵部隊が続く。
 上空にはナデシコBから遠隔操作されるバッタが数機上空援護に付き、そのさらに上にはナデシコBとサンスベリアの二艦が、サブロウタの指揮するオーガニクス第三小隊のエステバリス空戦フレーム四機に護衛されて浮かんでいる。その威容は、テロリストたちの心に大きな絶望感を伴ってのしかかった。
「くたばれ、大悪魔の兵隊め!」
 抵抗しようとする気力を無くさなかったテロリストが、岩に偽装したトーチカから機関銃を撃ち放つ。
 しかし人間なら一発で粉砕するだけの威力がある12・7ミリ口径の弾も、エステバリス陸戦フレームの複合ルナニウム装甲には歯が立たない。それどころか、逆に発砲炎で居場所を教えるだけの結果になった。
 複合センサーが攻撃元をはっきりと捉え、エステバリスがラピッドライフルを向ける。タタタタッ――――という軽快な発射音と共に、20ミリ砲弾がトーチカを中の人間ごと粉々に粉砕した。
「くそったれ! ロケット砲はどこだ! 誰か早く持ってこい!」
 怒声が飛び交い、数人のテロリストが対装甲車ロケットを重たげに担いでタコツボから身を乗り出し、いくつものロケット弾が白煙を引いてエステバリスへ飛翔する。弾頭はエステバリスでも大破させられる整形炸薬HEATだ。
 しかしそれは直撃すればの話。ロケットの発射を感知した瞬間、エステバリスの太腿部の装備から防御用散弾が発射され、ロケットの尽くを空中で撃ち落とす。対ロケット・ミサイル用に装備されたアクティヴ防御システムだ。
「どうなってるんだ!? 銃火器が全く効かない! おまけにロケットが掠りもしない!」
「本部! 本部! 早く増援をよこしてくれ! 皆殺しにされちまう!」
「弾切れだ! 誰か、誰か弾をくれ! 早く! わあーっ!」
 片や、所詮貧弱な武器しか持たず、突然の敵襲に混乱するばかりのテロリスト。それを相手に、最新兵器で武装しデータリンクで完璧に統制が取れた連合宇宙軍陸戦隊が圧倒的な力を振るう。
 勝敗など、最初から見えていた。



「オーガニクス第一、第二小隊。並びに機械化歩兵部隊は敵陣内へ突入。敵を撃破しつつ、城塞へ肉薄していきます!」
 報告するハーリーの目の前には、戦域全体の図が3D映像となって浮かんでいた。その中では味方を現す青い光点が隊列を組んで突き進み、それに立ちはだかる赤い光点が次々に消えていく様が映っていた。
「弱いですね……いままであんなに苦労してきたのに……」
「テロリストというのは、一般人の中に紛れているから厄介なんです」
 敵のあまりの脆さに思わず呟いたハーリーに、ルリは答える。
「ここには、誤射したらいけない民間人も、助けるべき人質もいません。ならここは私たちの土俵で、勝つのはあたりまえです」
「そう……ですね」
「でも油断は禁物ですよハーリー君。ここは『山の老翁』が火星の後継者から給与された兵器を隠しておく場所です。まだかなりの数の兵器が残っていると思った方がいいでしょう」
「あ! 本当だ。城塞内部から敵の増援を確認! 武装車両群と、バッタ、ジョロの虫型兵器です! 数はおよそ50!」
 城の正面手前の砂地が突然口を開き、砂で隠されていたゲートが現れる。随分と大々的な工事をして、地下に格納庫を作ったらしい。
 その中から飛び出してきたのはジョロと、ピックアップトラックや観光バスを改造した武装車両。さらに城の中庭からもバッタが飛び立ち、敵もようやく体勢を立て直して反撃に出てきた。
『タカスギより第三小隊各機! 幸い虫型兵器ザコばかりだが、思ったよりも数が多い! フォーメーションを崩さず対処しろ!』
 了解! と四つの声が唱和し、サブロウタのスーパーエステバリスを先頭に五機のエステバリスが迎撃に移る。機銃弾の応酬を交わしつつ両群が交差し、数機のバッタが火を噴いて落ちるのが見えた。
『山の老翁』の反撃は悪あがきと言っていい程度のものだが、多数の虫型兵器が含まれていては油断もできない。地上の装甲車から歩兵部隊が展開し、エステバリス隊も前進を止めて敵を迎え撃つ姿勢に入る。宇宙軍の足が止まった――――テロリストは、そう思っただろう。
 ――そろそろ来ますね。
「10時の方向から飛翔体が接近! 対艦ミサイルです! 数は8発! 予想される目標はサンスベリア!」
 ハーリーの緊張した声。予想通りだ。地上部隊の足を止めた――と思った――『山の老翁』は、城への突入部隊を満載しているであろうサンスベリアを次の目標と定めたのだ。
「ハード・キルで対応。対空ミサイル『ジャベリン』発射用意。発射弾数は16」
「了解。VLS1番から4番まで装填。近接信管で起爆します」
「発射」
 ルリの命令に応じ、ナデシコBのVLSが連続して火を噴く。放たれた16発のミサイルが、白煙を引いて目標へと飛んでいく――――
「『ジャベリン』、全弾飛翔。着弾インターセプト5秒前!」
 レーダー図の中で、ミサイルを示す矢印が急速に接近していく。
「4、3、2……1! 着弾しますワーク・インターセプトっ!」
 矢印が重なり、同時に左手の空で爆発が起こるのが肉眼でも見えた。
 しかし、レーダー図にはまだ二つの矢印が残っている。
「二発撃ち漏らしました!」
「ナデシコB、全速。サンスベリアの左舷に回ります。同時にディストーションフィールドの出力を最大に」
 え? とルリの意図を悟ったハーリーが、ルリの方を仰ぎ見た。
「あの、それはちょっと無茶じゃないかと……」
「対艦ミサイル二発程度なら、ナデシコBのフィールドはまず破れません。いいから早く」
「りょ、了解……」
 少し尻込みするハーリーをよそに、ナデシコBはミサイルの進路へ割り込んでいく。
「艦を少し左へ傾けます。そうすればフィールドの“丸み”で一発は受け流せます」
「後の一発は……?」
「……総員、衝撃に備えてください」
「ちゃ、着弾しますっ!」
 ナデシコBの左舷にミサイルが命中する――――かと思われたその時、突然直撃コースに乗っていた一発が空中で爆発した。もう一発はルリの狙い通り、フィールドの“丸み”によって起爆に必要な圧を得られず、そのまま流れ飛んでいく。
「ひ、被害無しです! 今のは……?」
『俺だよ俺。ちょいと無茶しすぎじゃないですかい、艦長?』
 苦笑気味な顔をしたサブロウタのウィンドウが現れる。
「戦闘の最中にナデシコに向かっていたミサイルを撃墜、なんて離れ技をやってのける方が無茶だと思いますよ」
『へへ。そう褒めないでください……よっと!』
 笑って、大型レールガン『ジャッカル』を撃ち放つサブロウタ。虫型兵器の飛び方を知り尽くした射撃は、二発の弾丸で二機のバッタを粉砕した。
『いいぞ。敵の注意がこっちに向いてきた……艦長!』
 頃合いだ。と促すサブロウタに、ルリはこくりと頷く。
「現時刻を持って、本作戦の第三段階への移行を宣言します」



『全部隊に通達します! 作戦は第三段階へ移行! 繰り返します。作戦は第三段階へ移行!』
 じっと我慢していた和也たちの元へ、ハーリーの声でついに待ちに待った知らせがやってきた。
『待機中の全部隊は、敵城塞への突入を開始してください!』
「ブレードリーダー、了解!」
 おお、という鬨の声を合図に、戦場から離れた谷間でじっと身を潜めていたヘリ部隊が空へ舞い上がった。
 汎用ティルトローター、『オーセージ』四機と、大型輸送ヘリ『ブラックフット』が一機。そして精密攻撃ヘリ『スー・シャイアン』が四機と、それらを護衛するエステバリス空戦フレームが一個小隊四機。それらの部隊がエンジンを高らかに響かせ、戦場へ向けて飛ぶ。
 これがルリの立案した作戦だった。正面からの派手な総攻撃を陽動とし、敵の注意が前に集中したところで空中待機していたヘリ部隊が一気に城の内部へ本命の突入部隊を送り込む。そのためにわざわざ空っぽの揚陸艦をこれ見よがしに見せつけ、それをナデシコBが身を挺して助ける事でリアリティを演出したのだ。
「崖下から接近して一気に上昇――――垂直ロープファストロープ降下で城壁の上に降り立って内部へ突入! 敵を掃討しながら敵主犯格の捕縛を目指す! 到着予定時刻ETA二分前! 烈火と妃都美は射撃用意!」
「おう!」
「了解!」
「行くよみんな!! 一瞬にして人をめしひと化する僕たちの銃火マズルフラッシュを、奴らの奢れる目の中にぶち込んでやれ!」
 ルリを真似て、少しアレンジをしたリア王の一節を引いた和也の号令に、全員の士気は最高潮に達する。
 ヘリは崖に沿う形で急上昇。瞬く間に崖を昇り、古城の真上に踊り出る。崖の下からいきなり飛び出してきたヘリを見て、城壁の上にいるテロリストが驚いて目を丸くしているのがはっきり見えた。
「撃ちまくれ、烈火あっ!」
「イイヤッハァ――――――――!」
 歓声を上げ、烈火が側面ドアに据えられた六連装ガトリング砲を乱射する。ヴヴヴヴ――――と牛の鳴き声のような発射音と共に放たれる弾丸は、まさに嵐のよう。他のヘリからも機銃掃射が始まり、城壁の上にいたテロリストがバタバタと薙ぎ倒される。
「いいよ烈火! 逃げる奴はテロリスト! 逃げない奴は少し訓練されてるテロリスト! 撃っちゃいけない民間人はいない!」
「ホント戦場は地獄だぜ! うははははっはっは――――――っ!」
 湧き上がる歓声。サディスティックな高揚感と快感。戦場の空気がアドレナリンを大量に分泌させ、和也たちを血と硝煙に酔わせていく。
 だがそれを止める気は無い。この空気を味わうように楽しめる者だけが――――無用な罪悪感を抱かないでいられる者だけが、戦って、そして生きて帰る事が出来るのだ。
「正射必中。頂きます」
 妃都美がアカツキ狙撃銃を撃ち放ち、ロケット砲でヘリを狙おうとしていたテロリストが額を撃ち抜かれて倒れる。その痙攣でロケットが真上に発射され、横にいたテロリストが不運にもバックブラストを浴び、火傷を負ってのたうつ。
 スコープの中の痛々しい光景に、しかし浮かぶ笑み。妃都美さえもアドレナリンに酔い始めている。
「先に行く! 全員降下! 降下!」
 数秒の内にあらかたの敵が機銃掃射に倒れ、ヘリからロープが下ろされる。それを伝って和也は城壁の上へ降り立つ。
「わあ――――!」
 物陰に隠れて機銃掃射を逃れたテロリストが、目の前に飛び出してきた。その手には自動小銃が握られていて、今まさに和也目掛けて引き金を引こうとしている。
「っ!」
 咄嗟に自分のアルザコン31を銃剣術の要領で繰り出し、相手の銃を弾いて銃口を逸らす。木連式近接戦闘術CQBの基本だ。
 そのまま額を銃床で一撃し、続けざまに鋭い回し蹴りを放つ。テロリストの身体は城壁から叩き出され、絶叫の尾を引いて崖下へ消えていく。
 ふう、と息をつき、振り向くと残った『草薙の剣』メンバーと、他の部隊が降下してくるのが見えた。特に目を引くのが中央、中庭の真上に陣取った『ブラックフット』だ。機体の側面ドアから六対一二本のガイドレールが飛び出したかと思うと、そこから砂漠迷彩色の装甲に身を包んだパワードスーツが左右三機づつ、計六機現れる。
 中庭へワイヤーで下ろされたパワードスーツ隊は、集まってきたテロリストや虫型兵器とたちまち派手な撃ち合いを始める。それを見て、烈火は嬉々とした調子で、和也は肩をすくめて言葉を漏らす。
「おー、派手だなこりゃ」
「向こうが敵を引きつけてくれれば、こっちは楽なんだけどね……」
 和也たちは内部へ続くドアの前に集まり、全員を振り返る。
 ここからは屋内での戦闘になる。和也は自分の両目を指し、互いを目で意識するよう指示を出す。
「僕と楯身が先頭で行く。奈々美、美佳、美雪は中衛で。妃都美と烈火は後方警戒と火力支援だ。くれぐれもはぐれたりしないようにね」
「了解!」
「了解っ!」
「…………」
 全員が唱和する中、一人だけ反応が無い。
「楯身!? どうした!」
「は、了解しました!」
 ――なんか、作戦前から様子がおかしいんだよな、楯身の奴……
「……ここからは時間との勝負だ。絶対に敵のボスを逃がすなよ。あと、出来れば他の部隊に先を越されないように」
 気にはなったが、今は作戦を優先させないといけない。この作戦を成功させて、『山の老翁』を壊滅させれば、きっと中東の平和に繋がるに違いないのだから……
 和也は左手を振り、号令を下す。
行けムーブ!」



 銃声が鼓膜を破らんほどに鳴り響き、銃弾が絶え間なく飛び交い、銃火マズルフラッシュが視界を焼く。
 古城内部へ突入した『草薙の剣』は、襲い掛かるテロリストを薙ぎ倒して先へ進んだ。
 さすがに最重要拠点だけあってか、思った以上に敵の数が多い。『山の老翁』のテロリストたちは相変わらず旺盛な戦意で立ち向かってくるが、最新装備に身を固め近接戦闘術を体得した『草薙の剣』の敵ではない。自分たちで築いたテロリストの死山血河を踏み越えて、和也たちは奥へ進んだ。
 そして作戦開始から数分。城の奥深くまで侵入した『草薙の剣』の周囲では、しーん、と奇妙な静寂が出来上がっていた。
 遠くからはまだ銃声が聞こえ、『山の老翁』がまだ抵抗を続けている事が解る。時折ずずん、と爆音が城を揺らし、天井からぱらぱらと埃が落ちる。
「……静かになったわね」
 奈々美がぽつりと呟いた。本当なら敵の只中で声を出すのは褒められない事だが、まあ敵の気配も無いし大目に見よう。
「オレたちにビビって逃げやがったか?」
「いや、逃げられたらマズイでしょ……」
 へへっと笑った烈火に、奈々美。
「自分としては……このまま抵抗をやめてほしいところでありますが」
 そう、和也の横で言ったのは楯身だ。あまりにも甘い発言に、和也は僅かに眉根を寄せる。
「そんな簡単に白旗上げてくれる奴らじゃないよ。それはこの三週間で十分解ってる筈だろ」
「――はっ。承知しております」
 どうにも承知しきれていなさそうな面持ちで答える楯身。
「なあたて……おっと、ブレード2。さっきから何に……」
「……隊長。人影を見つけました……」
 美佳がそっと耳打ちで報告してきて、和也は楯身を問いただしそびれた。
「……右手前方10メートルの部屋に二人……物陰で待ち伏せています。……しかし何でしょう、この部屋は……」
「何かあるのか?」
「……よく解りませんが……見た事の無い道具が部屋中に。何かの倉庫でしょうか……」
「……? まあ入ってみれば解るか」
 口の前で人差し指を立てて、『喋るな』と合図。そして部屋の手前で、『三人で突入。後の四人は待機』と手信号ハンドシグナルで指示する。
 ドアを少し開け、すかさず中に閃光音響手榴弾スタン・グレネードを投げ入れる。ドアの向こうで聴覚を麻痺させる大音響と目を眩ませる閃光が炸裂したのを合図に、ドアを蹴り開けて一気に突入――――
「う……!?」
 その部屋の空気をほんの僅か吸い込んだ途端、和也と後に続いた楯身、奈々美の三人は強烈な不快感に襲われ口元を押さえた。
 それは吐き気を催させる臭い。炎に炙られた肉が焦げる臭い。大量に流れ出した血が放つ鉄の臭い。
 胃の腑まで入り込んでくるおぞましい臭い。和也たちが何度も嗅いだ、しかしこれほどの物を嗅いだ事は無い臭い。それら全てが連想させる恐ろしいイメージ。

 ――――濃縮された死の臭い。

「……何よ、この部屋……」
 あの奈々美が顔を真っ青にしている。
 無理もない……このおぞましい臭いと、部屋を埋め尽くす“物”の数々は、見る者に嫌悪感を催させずにはおかない。
 部屋の真ん中で、閃光に目を射抜かれのびていたテロリスト二人に手錠を掛け、部屋を見渡すと、その全容が目に入る。
 真っ赤に汚れたギロチン台、天井から垂れさがった首輪付きの鎖、今にも中から何かが出てきそうなアイアンメイデン……
 水槽の上に吊り下げられた人間大の籠、ベルトコンベヤーのような物が付いた竈、焦げ臭い臭いを放つ電気椅子、机の上に並べられたぬらりと光沢を放つ鉤やその他の小さな道具……和洋折衷、その用途を想像する事さえ憚られる禍々しい拷問具が、部屋中に所狭しと並べられていたのだ。
「……何なのですか、これは? 私はどれも見た事が無いのですが……」
「拷問に使う、道具だよ……」
 言った和也に、美佳は黙り込む。
 そういう物が存在する事は本か何かで知識として知ってはいても、盲目で写真を見れない美佳は、レーダーに映ったこれら拷問器具をそれと認識できなかったのだ。……こんな物の実物になど、お目にかかった事は無かったから。
「……悪趣味もいいとこだな。こりゃ、飾りもんか?」
「違うようだ……」
 気が楽な方に考えようとした烈火に、楯身が言った。
 ギロチンの刃に指を這わせる。……どす黒くこびりついた血と、肉片。……そして、人間の油。
 明らかにそれはレプリカではなく、使用された形跡があった。
 くっ、と和也は呻く。
「イカレてる……見て。そこに椅子が並んでる。きっと奴らに捕まった宇宙軍や統合軍の兵士がここに連れて来られて、ここで拷問ショーをやっていたんだ……」
 行方不明になったきり、見つかっていない兵士の噂は聞いていた。きっと城のどこかに、人としての尊厳をこれ以上無いほどに踏みにじられた彼らの遺体があるはずだ。脳裏に浮かぶ恐ろしい想像に、今朝食べたお茶漬けを吐きそうになる。
「あの方を思い出しますわね」
 美雪が口にしたあの方、というのがどの方なのか、和也が思い出すまでそう時間は要らなかった。
「あの男か……確かに、こういうのが大好きな人だったよね」
「『地球軍の兵を捕らえたら、俺の手で拷問にかけてやる』……常々そう言っておりましたな。尤も、それが叶う事は永遠にありますまいが」
 楯身もまた、『草薙の剣』メンバーの記憶にある、拷問に尋常でない興味を持っていた男を思い出している。
 もうこの世に居ない男に拷問は出来まいが、もし生きていたら……と想像してみる。きっと火星の後継者に入って、あの椅子の上で拷問ショーを鑑賞していた事だろう。あの爬虫類じみた顔を悦びに歪めて、下品な歓声を上げる姿が目に浮かぶようだ――――
 和也が腹の底から湧きあがる嫌悪感を堪えていると、奈々美が美雪をからかった。
「あいつもそうだったけどさ、美雪もこういうの大好きじゃない?」
「わたくしは自分の爪で、必要と判断した時のみやりますの。このような無粋な道具は好きませんわ」
「じゃあさっき袖口に忍ばせたもんは何?」
 む、と小さく唸った美雪の袖口から、拷問用の鉤が出てくる。
「わたくしの暗機術も錆び付きましたかしら……せっかくなので、戦利品として持ち帰ろうかと」
「バカ。証拠品でしょ」
 ……そんな奈々美と美雪のやり取りを見て、ふと和也は思った。

 ――仮に、『草薙の剣』が火星の後継者に入っていたとしたら……僕たちも、ここで拷問ショーを鑑賞したか……?

 和也たちが今ここにいるのは、元を糺せば熱血クーデターの時に撃墜されて秋山側に拾われたからで……そうされていなければ、火星の後継者に入っていたかもしれない。
 そうなっていたら、自分たちはどうしただろう?
 あの時はみんな、地球軍の兵士を拷問にかけてやるというあの男の言葉に頷いていた……なら、自分たちも目の前で憎い地球軍の兵士が体を砕かれ焼かれ切り刻まれて絶叫する様を飲み物片手に鑑賞して、やはり喝采を上げたのではないか?
 あの時の和也たちの胸にあった物と、今ここのテロリストたちを突き動かしている物は――同じ――?
 ――ううっ! 何を考えてるんだ僕は……!
 自分の想像に怖気おぞけを感じ、頭を振って嫌な思考を追い出す。今は変な事を考えるべきじゃない、そう自分に言い聞かせて――――

「危ないっ!」

「え?」
 突然楯身の声が響き、和也ははっと我に返った。
 拘束していたはずのテロリストが、どうやったのか手錠を外し、拷問具を手に突進してきたのだ。咄嗟の事に、和也は反応できず――――誰かに横から突き飛ばされて床に転がった。
「くっ!」
 和也とテロリストの間に割って入った楯身は、繰り出された拷問具での一撃を自分の腕で受ける。
 楯身の全身の皮膚にはカーボンナノチューブで作られた防弾繊維が幾重にも織り込まれていて、銃弾や刃物を受け止める。彼が自分を『身』を持って仲間の『楯』と成す『楯身』と名乗る所以ゆえんだ。
 しかし突進の勢いまでは受け止めきれない。取っ組みあったまま押されて後退し、そのまま壁際へ追い詰められ――――
「なっ!? うおおおお――――――!」
 叫び声が尾を引いて、楯身の姿がテロリストもろとも消えた。
「ブレード2! くそっ、死体を捨てるダストシュートか!」
「追いかけますわ」
 楯身の跡を追ってダストシュートに飛び込もうとする美雪を、しかし和也は止めた。
「よせ! どんなとこに繋がってるか解らない。焼却炉直行だったりしたら大変だろう!」
「でしたら、こっちに聞く方が早そうですわね……」
 底冷えする目つきと声で言い、美雪はツカツカともう一人のテロリストに歩み寄る。
 確かにこいつならダストシュートの出口を知っているだろう。幸いな事に、自白を得るための道具はここにいくらでもある……その意図を悟ったテロリストの顔が、恐怖にひきつる。
「ふふふ……素直に吐けば優しくして差し上げますわ。早く……」
 その時、美佳の鋭い声が飛んだ。
「……警戒!」
「!」
 ギンッ――――! 金属音が響く。
 持ち前の勘で危険を察し、瞬時に横へ飛び退いた美雪。その心臓があった場所を何かが風を切って擦過し、その先のギロチンに当たって跳ね返った。
 金属同士の衝突で火花が散り、それに照らされて一瞬見えたのは黒く塗られた凶悪な外見の短剣だ。あれはついこの間見た事がある……
「『怪人クモ男』か! また嫌な時に出てきて……っ!」
 ひゅっ――――と咄嗟に身を屈めた和也の脇を、やはり黒塗りの短剣が切り裂く。
 ――二人!? いや……
「和也さん……!」
 動揺した妃都美の声。
 言われなくても解る。いつのまにか、部屋中に殺気が満ちている。三人……四人……いや、暗闇に身を溶かしてそれ以上の数が……和也たちに殺気を向けている。
「……少なくとも、十人はいるようです。ですが……『神の目』でもはっきりと姿が捉えられず、正確な数が判然としません……」
「おいおいおいおい、そんな大勢いやがるなんて、聞いてねえぞ……」
 呻くように言う、美佳と烈火。
 考えてみれば、クモ男が一人しかいない保証はどこにも無かった。迂闊だったと、和也は歯噛みする。
「楯身……!」



「眠れ!」
 ご、と取っ組み合いの末に顎を殴りつけ、何とかテロリストを無力化した楯身は、ふっと息をついた。
「まったく……戦意だけは見上げたものだな。そんなに我々が憎いのか……」
 苦い顔で言う。このテロリストの男……左手首の関節を無理やり外して手錠を抜けたのだ。
 そいつに突進されて落ちたダストシュートの先は、ゴミ処理用のパケットの中だった。拷問の末に死んだ人間の遺体はこの中に落ち、それを車で外に運んでどこかに捨ててくるのだろう。
「ダストシュートは登れぬな。何とか隊長たちと合流せねば……」
 パケットの縁に手を掛け、油断なく銃を周囲に向けながらよじ登る。幸いにして、敵の気配は無いようだ。
 そこは見渡すと相当に広い空間だった。奥には大きなコンテナが積み上げられていて、よく見れば内装も近代的。外での戦闘でジョロや武装車両が出撃してきた地下格納庫が、どうやらここらしい。正確なスケールは解らないが、エステバリスクラスの機動兵器なら、ここに一個大隊分は格納できそうだ……
 外に通じるドアを見つけるのにさして手間はいらなかったが、押しても引いてもびくともしない。ロックされているようだ。
 やむを得ずコミュニケで和也たちと通信を試みる。傍受の懸念はあるが、仕方がない。
「隊長。こちらブレード2。聞こえまするか?」
 コミュニケに呼びかけると、すぐさま逼迫した声が返ってきた。
『――ブレード2!? 無事なのか!?』
 和也の声の後ろから聞こえる激しい銃声と怒声に、楯身は和也たちが何者かに襲われていると察した。
「こちらは無事であります。そちらは交戦中でありますか?」
『クモ男軍団と交戦中! 悪いけど迎えに行くのは遅くなりそう!』
「了解しました。幸いここに敵はいないようで……」
 言った途端、けたたましい打撃音が楯身の耳朶を打った。
 コンテナの一つを中から突き破って、巨大な影が顔を出す。それを見て、楯身は全身の皮膚の下を虫が這い回るような感覚に襲われた。
「隊長……前言は撤回致します。かなり危険な状況のようであります……」
『何!? 何かあったのか!?』
「積尸気であります。火星の後継者の機動兵器が……」
 白い配色をした簡素なデザインの胴体に、可動式ターレットノズルを備えた全高6メートルの機体。火星の後継者がクリムゾングループの技術提供を受けて開発した、人型機動兵器『積尸気』。外でテロリスト相手に猛威を振るっているエステバリスと同等の機動兵器が、その魚類に似た形状のカメラアイで楯身を睨んでいた。
「……申し訳ありませぬ。自分はここまでのようで……」
『ああ!? 何言ってる!』
 助かる見込みなどあるわけがない。
 楯身が持っている武器に、積尸気へ有効な武器は無い。対して奴は、素手でも十分に楯身を肉片に変えてしまえる。
 打つ手が何も無い。楯身の脳裏には、自分が虫けらのように捻り潰される数分、あるいは数秒後の場景が映っていた。
 ――奴らの仲間を殺し過ぎたこの状況では、投降しても許しては貰えまい、な。これが因果応報か……
『諦めるな楯身! 何を弱気になってる! そのくらいの窮地、今まで何度も乗り越えてきたはずだろうっ!』
 戦場ではコールサインで呼ぶ原則も忘れて呼びかける和也の声が、ひどく空しく響く。
「しかし、機動兵器相手には打つ手がありませぬ。助かる見込みは……」
『諦めるな! 必ず助けに行ってやる! だからそれまで……く!』



 和也の首筋目掛けて斬りかかって来るクモ男。的確に死角から迫るその一撃を美佳の警告で察知し、軍刀の鞘で受けてそのまま組み会う。
 十人以上の集団で現れたクモ男は、やはり容易ならざる相手だった。照明を破壊して作り出した暗闇に紛れ、死角を突いて襲ってくる。美佳のレーダーと暗視装置で今は何とか持ち堪えているが、楯身を助けにいくどころか自分の身さえ守りきれるか解らなかった。
 しかし、その窮地にあっても和也は楯身への呼びかけをやめなかった。
「皆で火星の後継者を壊滅させて、木星人がテロリストじゃないって証明したら、オオイソへ帰るんじゃなかったのか! 全部投げ出して、こんな所で死ぬのか!」
 楯身は生存を諦めようとしている――――和也はその気配を感じ取っていた。だから自分もまた窮地にある事も忘れて叫んでいた。
『それは……』
 組み合った体制のまま蹴りを叩きこみ、クモ男を後退させる。
 楯身が何を思ったのかは知らない。ただ、今の楯身はあの時―――熱血クーデターの時の和也と同じ心境だという事は何となく解る。
 あの時、草壁に見捨てられた事実に絶望し、自分の生存も何もかもを諦めていた和也を撃墜して、同時に助けたあのデンジンのパイロットは、和也をぶん殴って、こう言った。
「甘ったれるな楯身! お前も軍人なら……」
 そう、お前も軍人なら――――

「お前も軍人なら、最後まで最大限生き残る努力をしてから死ねっ!」

『…………!』
「途中で諦める事は許さない! 命令だ楯身っ! 復唱しろっ!」
 楯身の息使い。そして、
『了解しました……最後まで最大限生き残る努力を致します』
 ほう、と状況にそぐわない安堵の息が漏れる。
「よし……すぐに僕たちも行ってやる。それまで死ぬなよ!」
『はっ。なるべく早くお願い致します』
 通信が切れると、戦い続ける五人の顔に闘志を現して笑みが浮かぶ。
「いい大演説だったわよ隊長さん! 言ってくれるじゃないの!」
「戦いがいがあっていいじゃねえか……弱い者いじめにゃうんざりしてたところだ!」
「……そうです。私たちは、決して仲間に死ぬ事など許可しません……」
「そして、仲間を見捨てる事も、もう絶対にしない!」
「それが、わたくし達の矜持ってものでしたわね」
 そう――――草壁に見捨てられ、生きる事を一度は放棄しかけた和也たちが再び戦場に戻ると決めた時、誓った事が一つある。
 戦場では青臭い理想論かもしれない。しかしこれを手放したら、きっと和也たちは二度と戦えない。
 和也は目の前の敵をはっきりと見据え、他のメンバーたちに向けて叫ぶ。

「こいつらを片付けて、楯身を助けにいく――――『草薙の剣』は二度と仲間を見捨てない! 僕たちは絶対に、全員で生き抜く事を諦めないっ!」

 五つの声が唱和する――――『我らの戦いに木星の加護を!』
 意気上がる『草薙の剣』の猛攻に、クモ男たちにも焦りの色が見え始める。彼らはこれまで常に先手を取り、人間離れした機動力で相手を翻弄して勝ってきたに違いない。  しかし『草薙の剣』は十人がかりでもまったく崩れない。相互の連携で隙を見せず、特に美雪は彼らに伍する機動力で反撃を加えてくる。
「チッ――――!」
 焦ったクモ男の一人が、暗闇に紛れて和也の背後に回ろうとする。音を全く立てず、気配も感じさせない素早い動き。
 和也だけなら、先日と同じように気が付かないまま首をかき切られていたかもしれない。しかしそれを、妃都美の『猫の右目』は正確に捉えていた。
「隊長!」
「そう何度も同じ手を――――!」
 アルザコン31を捨て、左手でバヨネットを抜いて繰り出される右の突きを弾く。さらに左からの切り払いを、右手に握った88型木連式リボルバーで受け流す。
 数秒の間に交わされる、十回を超える斬激の応酬。体勢を崩さない和也にクモ男が焦りを見せた一瞬を突いて、和也はがら空きになった脇腹へ強烈な肘打ちを見舞った。
「ガハッ――――!?」
 クモ男が呻き声を上げて倒れ、すかさず和也は体を捻りながら飛び付き、クモ男の首を左足で、さらに右腕を右足で押さえつけて動きと反撃を封じる。
 そこへ仲間を助けようとしたか、さらに一人のクモ男が飛び込んでくる。だが直線的な動き――――真正面から和也が撃ち放った88型のダブル・タップは、2発とも髑髏の仮面を穿ち、額を貫いた。
 動きを封じた方のクモ男の首にぐっと体重を掛け、頸動脈を閉めて落とす。立て続けに二人が倒され、残ったクモ男たちが入口の方へ一斉に飛び退く。
 一旦引いて体勢を立て直すつもりなのだろうが、奴らが一か所に集まるまさにこの瞬間を和也は待っていた。
「今だ!」
 和也の号令一下、『草薙の剣』六人が一斉に野球の球に似た丸いボールを手にし、スイッチを押して投げ放つ。この時のために用意した、対クモ男用の秘密兵器――――
 ――3、2、1、ゼロ!
 空中のボールから、弾けるように白い繊維状の物体が全方位に放たれる。それはクモ男たちの体に絡みつき、まるでクモの糸が獲物を絡め捕るように動きを封じた。
「なっ、何だこいつは!」
「動けない! だ、誰かこいつを何とかしてくれ!」
 身動きを完全に封じられてクモ男たちがもがく。クモ男がクモの糸に絡め捕られるという皮肉な光景に、烈火が哄笑を上げる。
「わははは、見たか! 対クモ男用秘密兵器、ウリバタケ印のクモの巣爆弾だ!」
「大悪魔が、姑息な手を……!」
 髑髏の仮面越しでもそれと解る憎々しげな目で、クモ男の一人が睨みつけてくる。その声には、なんとなく聞き覚えがある……と和也が思った時、一瞬にして美雪がそいつに掴みかかっていた。
「その声……あなたがあの時の使用人さんですわね。会いたかったですわよ……」
 凍りつくような殺意を孕んだ美雪の声に、クモ男――――使用人Aの目が恐怖に見開かれる。先日、美雪を嬲り殺しにしかけたこの男は、それを倍にして返される事になるだろう……
「悪いけど、捕虜にしてる暇は無いんでね……恨み事なら、いつかあの世で聞いてやるよ!」
 抵抗できないクモ男たちに、和也たちは躊躇なく引き金を引く。乱舞する銃火が、吹き上がる血煙が、赤に彩られた拷問部屋を一際赤く、朱く染め上げた――――



 楯身の眼前に佇立する積尸気が、重さを忘れたようにふわりと浮き上がる。それを攻撃の前兆と感じ取った楯身は、即座に全力で走って逃げた。
「くうっ……!」
 身の丈6メートルの巨体からは想像もできない身軽さで、地表を滑るように突進してきた積尸気の蹴りが、楯身のすぐ傍の壁に深々と突き刺さる。その余波で倒れ込んだ楯身はすぐに起きあがって体勢を立て直すが、そこへ物理的な圧力さえ伴うほどの突風が吹く。
「うおおおおおおっ!?」
 積尸気は最近の機動兵器には珍しく、水素燃料を用いた概念的には旧式のスラスターで機動する。反重力で自重を相殺しているとはいえ、あの巨体を自在に振り回すその力は凄まじい。方向を変えようとした際の余波だけで、楯身の身体は木の葉のように翻弄され、吹き飛ばされて、壁にしたたか全身を打ちつける。
 強化された皮膚を通して内臓にまで衝撃が伝わり、がはっ、と肺の中の空気が飛び出す。そこへ再度突進してくる積尸気。無様に床を転がって何とか避ける。
 ――せめて、動きだけでも止められれば……!
 手にしたアルザコン31のグレネードランチャーに榴弾を装填。防御の厚いコクピットではなく、積尸気の機動力を支える背部ターレットノズルを狙って撃つ。……瞬間、積尸気の太腿部から射出された迎撃用散弾が、それを空中で撃ち落とす。
「く! やはりアクティヴ防御システムは装備しているか……!」
 歯が立たない。最初から解りきっていた事だったが、その事実を改めて見せつけられると楯身の心に容赦無く絶望が這い寄ってくる。
『タテザキ上等兵――――コクドウ隊長たちが、クモ男軍団を撃破しました! 外の敵ももうすぐ片付いて、タカスギ少佐たちがそこに行けるはずですから……もう少し頑張ってください!』
 ハーリーの言う『もう少し』が途方も無く長い。
 もはや珍しくもなんともない種類の兵器と思っていたが、こうして生身で相対してみるとその威力が嫌でも再認識できる。こいつは銃の一つも持っていないのに、まるで楯身を弄んでいるかのように追い詰めているのだ。これはもう戦いと呼べるものではない。一方的な嬲り殺し…………
 ――いや、今の今まで彼ら相手にそれをやっていたのは、他でもない我々か……
 ああ、そうだ。地球連合は中東に不平等な関係を強いていて、それを変えようとする人間をこのような圧倒的な武力で抑圧し、自分はいつのまにかそれに加担していた。
 ベイルートでその一端を目の当たりにした時、楯身の胸に浮かんだのは――――そう。中東の人々への同情と共感だ。個人的に言えば、彼らの心情は理解できる。
 楯身もまた木星で生まれ育ち、苦難を乗り越えて木連を建国した先人たちを尊敬し、その末裔である事に誇りを持つ木星人だ。その木連がもし今後、あんな不平等な関係を強いられたら――――きっと、楯身は我慢がならない。それが必要とあれば、独立戦争でも何でもするだろう。
 だから楯身は彼らに銃を向ける事を躊躇う。サブロウタに言われたように、こんな事を一兵卒の分際で考える事自体おこがましいが、心に生まれた迷いはそう簡単には消えなかった……
「――聞こえるか、積尸気のパイロット!」
 だから、無駄だろうと思いつつも楯身は言葉を発していた。
「もう大勢は決した――――ここへも間もなく味方の機動兵器が雪崩れ込んでくる! これ以上の流血に意味は無い、投降しろ!」
 返答は巨体の突進。何度目かの蹴りを楯身は飛び退いて避け、さらに問いかける。
「聞け、自分は木星人だ! 今は故あって地球軍に身を置いているが、お前たちの心情は理解できる――――お前たちがこの国のためを思って行動している事もだ!」
 さすがに興味を持ったのか、積尸気の動きが止まる。
「だからこの場は武器を置くのだ! これ以上無駄な血を流させたくはない――――投降してくれ!」
 ――沈黙。
 数秒の、耳が痛くなるような静寂の後、積尸気の外部スピーカーから声が響いた。
『貴様も木星人なら……』
 以外にも、外部スピーカーで返答が返ってきた。若い男の声――――と言っても、20は超えていそうだが。
『貴様も木星人なら……何故、火星の後継者に付かなかった?』
 対話に応じてくれた――――楯身は目の前のテロリストにほんの少し感謝の念を抱き、また彼らが火星の後継者、ひいては木星人に相当な信頼を置いている事を悟った。
「火星の後継者のやり方は間違っていると思ったからだ。だがお前たちとの争いは望まない」
『火星の後継者が間違っているだと? バカを言え。彼らは我々の理想の国を実現してくれると言った――――彼らだけが我々を理解し、思いやってくれた!』
「……お前たちが言う理想の国とは、何だ?」
『決まっているだろう。我が国を食い物にする外資を排斥して、自立した経済の下、国民の誰もが幸福を実感できる国だ!』
 ……なるほど、もっともらしく聞こえる理想の国家像だ。
 だが、そこにある大きな落とし穴に、彼らは気が付いていない……
「では聞く……外資を排斥した自立した経済云々と言ったが、その後どうやって国を成り立たせる?」
『それは……』
「石油が価値を持たない今、この国の基幹産業は観光産業だが――――それだけで国民全ては養えぬ。ましてやテロで外資を追い出したような恐ろしい国に、どれだけの観光客が来てくれる?」
『…………黙れ』
「それでは国民全てが幸福を実感できるどころか、経済は破綻し、最貧国に落ちるだけではないか? 火星の後継者の言う事は結局……」
『黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ! やはり貴様は地球軍の人間だ! 我々を差別し、抑圧する大悪魔の手先だ!』
 積尸気が、再び楯身へ殺気を向けてくる。
「待ってくれ! 自分の話を……」
『貴様らさえいなくなれば、この国は豊かで幸福になる――――火星の後継者はそう言ったのだ! 大悪魔の戯言など、聞く耳は持たない!』
 積尸気の剛腕が唸りを上げて振り下ろされ、楯身は後ろに飛び退いて辛うじて避ける。
 しかし飛び散った強化コンクリートの破片が楯身の頭部を直撃した。ヘルメットが外れて落ち、楯身の身体もまた衝撃の余波で数メートル転がった。
「ぐう……」
 左目に痛みが走る。額からの出血が目に入ったらしい。
 駄目だ、と思った。彼らは火星の後継者が語る、実現するはずも無い理想の未来図を信じ込まされて――――いや、信じたがっている。そうさせたのは地球連合、あるいは主流国の傲慢な振る舞いかもしれないが、何より弱肉強食の構図に苦しみ、理不尽に憤る彼らの心に、火星の後継者は言葉巧みに入り込み、まんまと欺いたのだ。
 それに思い至った瞬間、楯身の胸にふつふつと怒りが湧いた。ふらつきながらも立ち上がり、迫る積尸気を睨みつける。
「愚かな……! 暴力で変革し、他国との繋がりを絶った国に未来があると思うのか!? 火星の後継者の独善に踊らされ、歴史あるこの国を不毛の地にするつもりか!」
『解ったような口を! 二度と戯言が利けないよう、炎熱地獄に叩き落としてやる!』
「このわからず屋め! だがおかげで迷いが消えた……!」
 ベイルートでの一件以来、楯身の戦う理由は揺らいでいた。だが――――今ははっきりとそれが見える。
「自分がするべき事……中東に平和を取り戻す事! そのために非力な一兵卒たる自分が出来る事は、お前たちを欺き惑わす火星の後継者を倒す事だ!」
『まこと神は偉大なり……! 神よ、私に悪魔を倒す力を!』
 積尸気がコンテナの一つを叩き壊し、中から30ミリハンドガンを掴み出す。なかなか楯身を仕留められないパイロットは、ついに業を煮やして重火器を持ち出してきた。
 いや、そもそも今まで楯身が生きている事の方がむしろ奇蹟なのだ。どうしてこの積尸気は、楯身を寸での所で仕留められないのか……パイロットが不慣れなせいかとも思ったが、同様の兵器を何度も見てきた楯身には違う気がした。
 ――こ奴……もしや。
 ぐっ、と最後の切り札を左手に握り込む。少し前から考えていた最後の手段。
 こうなれば一か八かだ。しかし問題は、それを実行する隙が無い事。このためには積尸気に接近する必要があるが、今そんな事をすればどうなるのかは想像するまでも無い。
 一瞬でいい。奴の注意を逸らせれば……楯身が思考を巡らせようとしたその時、ズズーン……と遠くに爆音が響いた。
『……!? そ、そんな! まさか……』
 積尸気のパイロットに動揺が走る。何があったのかは知らないが……
 ――仕掛けるには今しかない!
「うおおおおおおおおおっ!」
 叫び、積尸気へ向けて走る。はっ、とパイロットの注意が一瞬遅れて楯身に向く。
 右手のアルザコン31を連射しながら、鉄の巨人へ挑みかかる。その楯身の姿は、コミュニケ越しに状況をモニターしているルリやハーリーには自殺行為と見えたに違いない。神話の英雄ダビデと巨人ゴリアテの決闘でさえ、ここまでの体格差があったかどうか。おまけにこの巨人は強力な銃火器を手にし、分厚い鎧に身を包んでさえいるのだ。
 フルオートで放たれる弾丸も、しかし積尸気の装甲には雨粒のよう。平然とした動作で黒光りするハンドガンの砲口が楯身に向けられ、それが火を吹かんとする刹那、楯身は左手に隠し持っていた最後の切り札を積尸気に向けて放っていた。
 しゅっ――――と風を切って投げ放たれたのは、クモ男のために用意しておいたクモの巣爆弾だ。それは放物線を描いて飛び、積尸気の左足――――装甲の隙間、関節部の中に入り込む。
 瞬間、獰猛な咆哮を上げるハンドガン。
 楯身は避けない。例え横へ飛び退き回避を試みた所で、積尸気のFCSは正確にそれを捉えて攻撃してくる。それを承知している楯身の取った行動は――――“前進”。あえて勢いを保ったまま前進し、積尸気の足の間をくぐり抜ける事で攻撃範囲キルゾーンから逃れる。楯身の狙いはそれだった。
 楯身のすぐ後ろの床を抉る30ミリ砲弾。死神がすぐ後ろに迫る中、楯身は目前に迫る積尸気の足へ向けて飛び込んだ。
「ぐあ!」
 右足に走る、燃えるような激痛。
 確かに命は何とか拾えた。しかし積尸気の砲弾は、楯身の右ふくらはぎの肉をごっそりと削ぎ取って行ったのだ。
『ちょろちょろとネズミのような奴だ。だがこれで――――』
 積尸気がゆっくりと振り向く。動けない楯身など、今度こそ苦も無く捻り潰してしまえるだろう。
 だがその“振り向く”という何気ない動作が、楯身の狙い通り。
「2……1……ゼロ」

 途端、積尸気の左足から耳障りな異音が響き、その巨体ががくりと傾ぐ。

『何――――!?』
 そのままバランスを保てず倒れ込む。圧倒的な力を振るっていた鋼鉄の巨人が、この瞬間地に伏した。
「狙い通り……だな」
 はあはあと荒い息をつきながら、楯身は言う。
 楯身が投げ込んだクモの巣爆弾は、強度と靱性に優れた特殊繊維を放出して、クモ男の動きを止めるために用意した物だ。それを機動兵器の関節部に放り込めば、当然駆動系の動きを阻害する事が出来る。
 しかし本来なら、その程度の事は機動兵器のコンピューターが自動的に補正してしまう。転倒するなどあり得ないはずだ。
「分の悪い賭けだったが……正解だったな。その機体は粗悪品だ。関節部に精度の悪いパーツが使われている。火星の後継者は最初から、お前たちに粗悪な兵器を渡していたのだろう」
『う、嘘だっ! 何をしやがった、地球軍の秘密兵器か!?』
「いい加減にしろ! 火星の後継者は、お前たちの事を仲間だなどとは思っていない! 甘言を弄してお前たちを惑わし、粗悪な兵器を与えて戦意を煽り、戦場に送られ使い捨てられる! あの拷問部屋の事もそう……お前たちの心情には共感するが、それを実行する方法をお前たちは間違えたのだ!」
『殺す……絶対に殺してやる……!』
 必死に這いずるような動作で、積尸気がハンドガンを楯身に向けてくる。緩慢な動きだが、足を怪我していてはどうにもならない。
「まだ解らないのか! こんな無駄な――――」

『――――伏せろ楯崎――――ッ!』

 突然コミュニケから響いた怒声に、楯身は反射的に身を伏せる。
 瞬間、積尸気のハンドガンが真っ二つに折れ飛んだ――――ように見え、一拍遅れて衝撃波が楯身を襲った。
 音速を遙かに超えた砲弾の直撃。レールガンの砲撃だった。
『無事か、楯崎!? 返事しろ!』
「く……なんとか無事であります。しかしいささか荒っぽい助け方ではありましたな……」
 格納庫の正面、ゲートの方に目をやる。ほんの僅かに開いたゲートから朝の太陽光が差し込んでいて、そこからサブロウタのスーパーエステバリスが大型レールガンを突き入れた状態でこちらを見ていた。
 さらに、「そこまでだ!」と閉鎖されていたドアを爆破して和也たち――――『草薙の剣』六人が格納庫に侵入してきた。この瞬間、形勢は完全に逆転したわけだ。
「感謝いたします隊長……出来ればもう少し早く来てくれると助かったのでありますが」
「ごめん。途中で通せんぼしてる奴らがいてね」
 互いに笑顔で軽口を叩きあい、お互いに無事だった事を喜び合う。
「もう終わりだ、積尸気のパイロット! 機体から降りて投降しろ!」
『これ以上の抵抗は無駄だ。今投降すれば悪いようにはしないぜ』
 倒れた積尸気を『草薙の剣』七人で包囲し、優位の上で投降を呼びかける和也とサブロウタ。
 それに答えたのか、積尸気のコクピットハッチが開き、パイロットの姿が露わになる。……やはり、まだ若い男だ。しかし妙にやせ細った、生気の無い顔をしている。
「武器を捨てて、両手を頭の後ろで組め! くれぐれも変な気は起こすなよ……!」
 まだ警戒を解かずに和也が叫ぶ。パイロットがコクピットから出てきたはいいが、その手にはまだ小型のサブマシンガン――――いわゆるPDWパーソナル・ディフェンス・ウェポンがぶら下がっているのだ。
「貴様ら……残った奴らをどうした!? まさか皆殺しにしたのか……!?」
「何? 何を言って……」
 いきなり妙な事を言い出したパイロットを訝しむ楯身に、和也がそっと耳打ちする。
「……残念だけど、半分本当。生き残っていた奴らは途中の部屋に立てこもって抵抗していたけれど、もう駄目と見たのか全員自爆してしまったよ……」
「な……!」
 まさかそんな事になっていたとは……先ほど積尸気のパイロットが爆音を聞いて動揺していたのはそれだったのだ。
「――――ううああああああああああああああああああああああああああっ!」
 絶叫し、パイロットがPDWを和也へと向ける。全員が撃とうとする刹那、楯身は「撃つな!」と叫び、和也を突き飛ばしていた。
「大悪魔っ、侵略者がっ! 仲間を返せ、俺たちの国を返せえっ! おおおおおおおおっ、があああああああっ!」
 セミオートで連射される弾丸が、楯身の身体を繰り返し殴打する。それは楯身の強化された皮膚を貫く威力は無いが、痛みは確かに感じる。
「……許せないか。許せまいな。もはや許せなどとは言うまい」
 その痛みを黙って味わってやる事が、楯身のせめてもの詫びの気持ちなのか。やがて弾が付き、カチカチと空しい金属音だけが響く。
 楯身は拳銃を抜き、ゆっくりとパイロットの眉間に照準する。
「――すまぬ」



 結論から言えば、この作戦は概ね成功裏に終わった。
『山の老翁』の死傷者は248名。城内には誰かが逃走した形跡は発見されず、主だった幹部は皆、抵抗の挙句に射殺された。
 宇宙軍の死傷者は23名。内戦死者は6名。戦死者の家族にとってはそれが全部とはいえ、軍事的に見れば一方的勝利と言えた。
 勝利の余韻に浸る宇宙軍の兵士たちは、手錠をされ捕虜になったテロリストたちのしょんぼりとした顔とは対照的だった。
 そして今、周辺ではナデシコB、サンスベリアへの怪我人の搬送が進められている。衛生兵が怪我の程度に応じて負傷者をランク付けするトリアージを行い、重症者から順に艦のメディカルルームに搬送して治療する。その手続きに敵味方は問わない。
 そんな戦闘後の後始末が進む古城のゲート前で、和也はナデシコBと通話していた。

「……あのパイロットが、『山の老翁』のリーダー?」

 和也は本当に? と聞き返した。それにウィンドウの中で頷いたのはルリだ。
『はい。押さえたデータベースと照合しました。捕虜の人にも確認させましたから、まず間違いないと思います』
「組織のリーダーが機動兵器に乗って出陣か。優人部隊じゃないけど、あっぱれな戦意と言うべきか……」
「彼らはこの武力闘争で理想の国を作るという、火星の後継者の甘言を信じ切っておりました。正直、哀れでなりませぬ」
 担架の上に横たわった楯身が、苦々しい面持ちで言う。楯身は直ちに命に係わるほどの怪我ではなかったので、応急処置を済ませた今は順番待ちの段階だ。
「理想の国か……ま、解らなくは無いけどね。何にせよこれで終わり――――」
「でもないみたいだぜ」
 格納庫の奥から、サブロウタが駆け寄ってきた。
 サブロウタは他のメンバーと一緒に奥で調べ物をしていたはずだが、妙に緊張した面持ちで言った。
「今他の奴らが、格納庫の奥を調べているんだが……どうも残された機材の量からして、ここには積尸気型の機動兵器が十数機はあった形跡があるな」
「十数機? 一個中隊は編成できる数ですね……で、そいつらはどこに?」
「解んねえが、床にタイヤの跡がいくつも残っている。多分俺たちと入れ違いに、トレーラーでどこかに運び出したんだろう」
「ち……まだ何か企んでいるのか……」
『みたいですね。ハーリー君。すぐに周辺を封鎖するよう手配して』
『了解』
 和也はふっと息をつく。
「もう一仕事待ってそうだね……」
『ジャザンの警察署長逮捕もまだ残ってますよ、コクドウ隊長』
「ですな。しかしそれが終われば、中東における火星の後継者の活動に大きな打撃となるはずでありましょう」
 一刻も早く、本丸に辿り着きたいものです――――と双眸に闘志を燃やして言う楯身を、和也は少し意外そうに見つめる。
「……何でありますか」
「いや……なんか急にやる気出たね。積尸気に追い詰められた時は、何だか全部諦めたような感じだったけど」
「隊長が言ったのではありませぬか。軍人なら最後まで諦めるなと」
 言った楯身に、そうだな、とサブロウタが同意した。
「どんな絶望的な状況に陥ったとしても、軍人たるべき者、最後まで最大限生き残る努力をしてから死なねえとな」
 え? と和也はサブロウタを仰ぎ見た。
 そう言えば、と戦争中サブロウタがデンジンに乗っていた事を思い出す。もしやと思った和也だが、それは続く楯身の言葉に遮られた。
「少佐の言ったとおりでありました。自分はもう迷いはしませぬ。ああして自分を叱咤してくれる仲間がいて、何より目標がある以上、死ぬわけにはいきませぬからな」
「そりゃ結構……だがな楯崎。お前はお前の気持ちを大事にしてくれ。……あの時は俺も言い過ぎた。許せ」
「そのつもりであります」
「……?」
『……?』
 ルリと和也は顔を見合わせ、何の事やらと首をかしげる。
 何やら楯身とサブロウタの間では、二人だけに通じる意思疎通が図られているようだ。
「……何の話だ?」
「我々の今後についての話し合いであります」
「はあ……」
「今回の件で改めて思いました。中東の人々を欺きテロリストに仕立てる火星の後継者のやり方は許せませぬ。それを止めるためにも、我々が戦わねば」
 それは和也にも理解できた。
「そうだね……早く終わりにしてやろう。これ以上、中東を戦場にしたくはないからね……」
『…………』
 ルリは何か言葉を探すように、視線を宙に彷徨わせる。
 しかし結局、何も言う事は出来なかった。



 同時刻――――

「ククク……ハラショーハラショー。いい戦争だったぜ」

 ぱち、ぱち、ぱち、と乾いた拍手の音が、薄暗い部屋の中に響く。
 彼の目の前一杯にはいくつものウィンドウが展開し、少し離れた場所にある古城での戦闘の一部始終を映し出していた。
 大型トラックの荷台を改造した偽装コントロール車両。古城の周辺と内部にこっそり設置しておいた隠しカメラからの映像が全てここに集められている。もちろんこれは、『山の老翁』の誰も知らない事だ。
「傍から見ている戦争ほど楽しいもんはねえな……おい。録画はできたか?」
 火星の後継者の制服をアクセサリーで飾り立てた“彼”は、その爬虫類じみた顔に喜悦の色を浮かべ、横の部下に横柄な態度で言った。それを聞いた部下が、びくりと肩を竦ませる。
「は、はい。バッチリです。……ですが、こんな事をする必要は、あ、あったの、でしょうか」
「しょーがねえだろ。気がついた時には手遅れだったんだ。ならば状況を最大限利用すんのが当然ってもんだろ」
 あの拷問ショーが見られなくなるのは少し残念だが、まあしばらくの我慢だ――――と彼は言う。
 そこへ、突然別の席に座っていた一人ががたっ、と弾かれたように立ち上がった。中東の出身者で、通訳として連れてきた奴だ。
「どういう事ですか!? 知っていたのなら、なぜ増援を出さなかったのです!」
「…………あらら、やべー」
 ぽつりと呟く。
「これは裏切り行為だ! 今回の事は上に報告させて――――」
「いやいや。違う違う。増援は送った。しかし敵の戦力は予想した以上に多く、増援部隊は奮戦空しく『山の老翁』の方々もろとも玉砕したんだ」
「……なんだと?」
「だから、増援は行ったんだよ……お前を含めてな」
 言うが速いか、彼は腰の拳銃を通訳に向ける。はっと通訳が目を見開いた瞬間、彼は躊躇なく引き金を引いていた。
 銃声の後、どさり、と通訳の身体が重い音を立てて倒れ、その場にいた全員が凍りつく。
「そういう事だ。上にはそう報告しとけ……はい。リピートアフタミー!」
「は、はい! 上には増援を送ったと報告します……」
 怯えた表情で部下たちは作業に戻る。逆らえばどうなるか想像するだに恐ろしくて、黙って従うしかなかった。
「さて、いいブツも手に入れたし、そろそろこの砂だらけの国での仕事も総仕上げだ」
 言って、両手を翼のように広げ、天井を、いや、その先の天上を仰ぎ見る。
「この国の神とやらに頼む、今日まで腹の中に溜めに溜めてきた在る限りの復讐を、卑劣な地球の干物どもの頭上にぶちまけてくれや! 臓物を腐らせる瘴気、奴らの体内にまで沁み込み、怒りの炎となって燃え上がれ!」
 その怒りはこの国中に燃え広がり、やがて地球を焼き尽くす大火となるだろう! と彼はリア王の一節をアレンジした言葉を叫ぶ。
「もっと怒っていいんだ! 怒りは怒りを産む! 怒れ! 怒れ! くははははっはっはっ、ひゃーっはははは――――――!」
 彼の哄笑が、狭い車内に響く。
 部下たちは恐怖に慄きながら、その狂気じみた声を聞いていた―――――










あとがき

 中東での一大作戦終了。今回は『草薙の剣』の参謀長、楯身のお話でした。
 楯身の葛藤は、初めて交わしたテロリストとの話によって結局落ち着くところに落ち着きました。しかし結局両者の主張は平行線で、また一つ血が流れる結果となりました。……楯身は交渉人ネゴシエーターには向いてませんね。(苦笑)
 しかし戦闘が終わった後、最有力な協力者を失ったにも拘らず哄笑を上げる男が一人。“彼”と火星の後継者は、まだ何かを企んでいるようで……

 今回の話はわりと以前から考えていた話なので、書いている間はテンション上がりまくりでした。序盤のエステバリス隊無双のシーンでは、ぜひMSイグルーの『ターニングポイント』を聴きながらご覧ください。

 少し前、某所で原稿が完成した後一日寝かせた後で最後の修正をする、というテクを聞いたので、今回それを実践してみました。効果のほどは自分では何とも言えませんが……

 テロリストを打つ立場ながらもどこかそれに共感し、中東の平和を願う和也たち。そして中東の幸福を実現するためにテロという暴挙に走るテロリストたち。すれ違う両者の思いはどこへ向かうのか。そして、テロリストたちを甘い言葉で扇動する火星の後継者の思惑とは?
 次回、作者の意に反して伸びに伸びた中東編も、いよいよ最終話です。どうぞご期待を……

 それでは。




 





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ゴールドアームの感想。

 まず最初に私信を一言。遅くなって申し訳ありませんでした。
 (受け取り10/19、返送10/28)
 
 それはさておき、燃えさせていただきました。
 時間がなかったのでこの章だけ単独でまず読んだのですが、前後を読んでいないのに実に面白く読めてしまいました。結の章であったため途中経過無しでもある程度事情が読み取れたというのもありますが、同時に連載作品としてこの物語が進化してきたという証でもあると思います。
 以前にも何度かこうして感想を書かせていただいていますが、以前よりよりはっきりとキャラ達の立ち位置や主張が読み取りやすくなっているのも大きいと思います。
 それだけキャラが確立したといえるのでしょう。
 それに加えて戦闘シーンの盛り上げも実に心憎いです。用いられている戦略・戦術に関しては門外漢なこともあるので口を挟めませんが、それを『見せる』ための演出が実に見事でした。
 軍事音痴な私でも情景が想像できてわくわく出来たというのは明確な技術向上の証だと思います。『見せる』が『魅せる』に進化しているともいえるかと。
 飛び飛びで作品を見ていると、こういう『向上の証』がはっきりと感じられるのは読者としてうれしく思います。これからも頑張って面白い物語を紡いでください。



ゴールドアームでした。

 


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