美しい刺繍の成された絨毯が布かれ、中央にアンティーク調のテーブルが鎮座し、高級な茶葉を備えたティーセットと酒類が来客をもてなす。
 この部屋に足を踏み入れた事は、彼にとってはまだ数回。しかし隅々にまで贅の限りを尽くした、権力の腐臭漂うこの部屋を見るたび、彼はここを爆弾で吹き飛ばしてやりたい気分に駆られるのだ。
 そんな無駄に豪勢な部屋の中、ソファーに頬杖を突いて座っている男が一人。白い学ランのような服装はかつての木連軍の制服だ。地球連合軍に編入されてからは廃止されたが、今でも好んで着用する者は多い。少々顎の突き出した風貌はいかにも軍人然としており、鋭い目つきがその雰囲気を助長している。
 男は彼が入ってきた事に気が付くと、ちらりと彼を一瞥して素っ気ない口調で言う。

「……来たか、座れ」

 促され、ソファーに腰を下ろすと本物の牛革張りの感触が彼の身体を温かく包みこむ。“彼”は三十歳前後の、やはり木連軍の制服を着た男だ。細身ながらもその肉体には鍛え上げた筋肉の存在が感じられ、両眼には確かな覇気がある。だが何処か斜に構えた顔つきが、質実剛健な軍人のイメージとは違う雰囲気を醸し出している。
 待っていた男が軍人ならば、この男は参謀といった所だろうか。それは一見するなら、ただの軍幹部同士の会合の様子に見えた。
 片や、後から来たこの男が、現在太陽系の各地で苛烈なテロ活動を行っている火星の後継者・湯沢派の指揮官、湯沢翔太で、
 待っていた男が、その裏で軍備拡張を推し進めるもう一つの勢力、甲院派の指揮官、甲院薫でなければ…………



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十三話 戦い済んで……



『――――ご覧の映像は、先日バビロニア共和国内で行われた、宇宙軍によるテログループ掃討作戦の様子です。映像でも多数の武装した人間が陸戦隊に抵抗しているのが確認できます。この古城はバビロニア共和国政府の管理下にあったもので、同国政府、もしくは軍内部に組織だってテログループを匿っていた勢力が存在するのではないかと、国際社会からの非難が高まっています。現在地球連合安全保障理事会では臨時会合が開かれ――――』

「これは決定的だな」
 壁面に設置された大型テレビのニュース映像を見て、湯沢は面白くなさそうに言った。
 ニュースでは、機動兵器を擁する宇宙軍の陸戦部隊が、大規模テログループ『山の老翁』の立てこもる古城を攻撃する様子が朝からひっきりなしに流れている。多数の死傷者を出しただけでなく、バビロニア共和国政府ないし軍の組織的な関与を窺わせる事件として、地球連合安保理の臨時総会が開かれるなど大きな騒ぎになっている。
 対する甲院は「ああ」と感情の窺えない態度で相槌を打つ。それで湯沢が機嫌を損ねたりはしない。この男は昔からこうなのだ。
「この件について、“奴”から報告が来た。『山の老翁』を助けるために向かわせた増援部隊は彼らもろとも玉砕したらしい」
 そう、湯沢。
「増援か。そんな無駄な犠牲をお前は許したのか?」
「バカを言え。寝耳に水だ。……奴曰く、『中東出身者の強い要望を押さえられなかった』らしいが」  見え透いた嘘だな、と甲院。湯沢も特に異論は無い。
 二人が言う“奴”が協力者のために無駄な犠牲を出すほど義理堅い人間でない事は周知の事実だ。大方、攻撃を察知していながらあえて見逃し、それを知って怒った中東出身者を口封じに殺した――――というのが本当のところだろう。
「いささか暴走気味だな奴は。計画は順調のようだから文句は無いが」
 あの凶犬は少し首輪を締めておく必要がありそうだ、と湯沢は甲院に言う。
 甲院が静かに頷いた時、自動ドアが音もなく開いた。
 入ってきたのはアジア系と思しき男。いかにも高級そうなスーツに身を包み、袖からは趣味の悪い金時計が覗いている、狐を思わせる人相の男だ。
「いかがでしたかな?」
 慇懃いんぎんな態度で甲院が訊くと、男は吐き捨てるように口を開いた。
「中東の野蛮人どもめ、とんだやぶ蛇だ。『こちら側』からも賛成に回る動きが出始めている。採決は避けられないだろうな」
「もはや切り捨てるより仕方が無い、ですな。我々は友好国を一つ失う事になりますか」
「ふん。元より当てにはしていない。……私はこれから関係各国の代表と話し合いがあるので、そちらとの話はそれからにしてくれ」
 一方的に言い放ち、男は部屋を出ていく。
 残された湯沢と甲院は、黙って視線を交わし合う。……思っている事は同じだろうが、口に出す事はしない。どうせ盗聴されているに決まっているからだ。
 あのような理念の無い連中と、それも地球人と協力するのは気が進まない。そして彼らもまた、火星の後継者と組む事に好意的な意見ばかりではないはずだ。
 協力し合ってはいるが、間違っても信頼し合ってはいない……が、残された火星の後継者の力だけで地球連合には勝てない以上、彼らの力は必要だ。その逆も然り。火星の後継者と彼らとは、そんな互いに利用し利用される関係だ。
 いずれは出し抜いてやるさ……そう思いつつも、湯沢の心中には一つの懸念があった。

 ――今の我々のやり方を、草壁閣下はお許しになるかな。

 今も獄中にある彼に、裁可を頂く事は出来ない。しかし地球の国の力を借り、テロという汚い手段を用いるやり方を、草壁中将はどう思っているだろうか……
 どうにも息が詰まり、湯沢は窓際に立つ。すると風にはためく沢山の国旗の中に混じって、ゲキガンガーをモチーフにした木連の国旗が翻っているのが目に入り、むっと顔を顰める。
 近いうち、あの国旗を全部燃やして木連の旗だけを立ててやる……この地球連合本部ビル内にある某国代表の控室からこれを見るたび、湯沢はそう思わずにはいられないのだった。



 建物の壁に弾痕が刻まれ、二階部分を吹き飛ばされた民家が修理もされずに傷跡を晒している。
 ジャザン。昔から過激派の巣窟として知られ、つい先日この町に潜入していた宇宙軍の部隊と現地人テロリストの間で激しい戦いがあった街。
 その戦いの傷跡未だ生々しい町中を、数台の軽装甲高機動車が駆け抜けていく。銃座に据えられた軽機関銃で周囲を威嚇しながら走るその車両には『JA』のマークが刻まれ、彼らが統合軍陸戦隊の所属である事を示していた。
 向かった先は、ジャザン中央警察署。停車した車両の中からは武装した兵士たちが続々と現れる。その数およそ一個小隊三十人。
 十人ほどが車を守り、残る二十人が蹴破らんばかりの勢いでドアを開け中へ踏み込む。その行動は明らかに友好的な訪問ではなく、敵地へ突入する時のそれだ。
「全員動くな! 統合軍だ!」
「武器を床に置け! 両手を見えるように上げろ!」
「抵抗や逃走のそぶりを見せるようなら、無警告で射殺する!」
 中の署員に銃を向け、殺気立った声で威嚇する。
「先刻、ここの警察署長、マフメド・ムハドハーンの逮捕状が出た! 容疑はテロへの共謀、並びに武器の横流しだ!」
 どかどかと軍靴の足音も高らかに、統合軍部隊は奥へ入り込もうとする。そこへ響く、「神は偉大なり!」の掛け声。そして銃声。
 一室から銃を持って飛び出してきた署員が、素早く反応した兵士に撃ち倒される。それを合図とするように大勢の武装した署員が「神は偉大なり!」を叫びながら統合軍部隊へ襲いかかる。
 激しい銃撃戦になった。一秒ごとに何十もの銃声が重なり合って聴覚を圧し、乱舞する銃弾が署内をたちまち穴だらけにし、何人もの人間が血煙を噴いて倒れ伏す。
 当然ながら、統合軍部隊の方が装備も戦闘技術も上で、的確な射撃が向かってくる署員を次々に撃ち倒していく。しかしもともとこの事態を見越して待ち伏せていたのか、明らかに署員でない一般人の服を着たテロリストまでが倒れた仲間を踏み越えて向かってくる。
「チッ……! 後退だ、いったん外へ後退しろっ!」
 襲い来る敵の数に数人の兵が倒され、部隊長はやむなく外への後退を命じる。
 逃げるつもりは勿論無い。外の車両隊と合流して体勢を立て直し、必要とあらば上空に待機させてある攻撃ヘリ部隊に支援を要請すれば、この程度制圧できるというのが彼の考えだった。
 それは的確な判断であったろう。……敵の戦力が想定通りであったなら。
「…………!」
 そして部隊長は、炎上する車両隊と倒れ伏す部下、その向こうで自分たちを睥睨する積尸気部隊を目にした時、自分の判断が甘かった事を知った。
 それが、彼の最後の思考だった。



『――――繰り返しお伝えします。本日早朝、ジャザン市警察本部にて、統合軍陸戦隊の部隊が警察と銃撃戦になり、双方に多数の死傷者が出た模様です。詳細は不明ですが、この戦闘に機動兵器を保有する武装集団が介入し、統合軍部隊は全滅したとの情報もあります。先程ウェブサイトに掲載された映像には、殺害された統合軍の兵士が市内を引きずり回され、遺体が木に吊るされている様子が映し出されています。一部生々しい映像がありますので、了解の上でご覧ください――――』

 ナデシコBブリッジには、鉛のように重苦しい空気が漂っていた。
 空中に浮かぶウィンドウは、先程から中東で有名なテレビ局の臨時ニュースを映している。
 数時間前にジャザンであった、統合軍と警察・テロリストとの戦闘。そして統合軍部隊の全滅。

「なんて早まった真似を……!」

 がり、と黒道和也は爪を噛んだ。
 古城での戦闘からおよそ丸一日が経過した先刻、かねてより狙っていたジャザン警察署長の逮捕状が、ようやく連合警察から出た。
 その報を受けた和也たちがヘリでジャザンへ向かった矢先、統合軍が抜け駆けする形でジャザン近くに待機させていた部隊を突入させたのだ。『山の老翁』の制圧作戦が宇宙軍単独で実行された事で、統合軍は手柄を一つも挙げられなかった。それを面白くないと思った高官が先走ったに違いない。
 その愚行の結果は見ての通り。警察署長を逮捕しようとした統合軍陸戦隊は、ジャザンに運び込まれていた積尸気に襲われ全滅。和也たちは途中でナデシコからの連絡を受けて呼び戻され、事の顛末を知った。
 警察署長は現地のテロリストと共に姿を消し、テロリストは撮影した映像を光ネットを通じて流し、マスコミも事件を報道し始めた。
 修正を加えながらも流される、殺された統合軍兵士たちの遺体が車で引き回され、木に吊るされる生々しい映像。それを見たマキビ・ハリ中尉の他、何人かがうっと口元を押さえて目を逸らした。
「オレたちの仕事を台無しにした挙句に自滅しやがって! バカじゃねえのか統合軍は!」
 山口烈火が地団駄を踏んで統合軍を罵る。苛立ちがつい表に出たのだろうが、そこへ田村奈々美のツッコミが入る。
「確かにバカね。……けれど不穏当よ烈火。あたしたちもホントは統合軍なんだから」
 あ、と烈火は間の抜けた声を漏らす。最近忘れがちになるが、『草薙の剣』も元々は統合軍の所属で、今は宇宙軍に『出向』している身なのだった。
「統合軍に文句を言うのはいつでも出来ます。それより、警察署長は見つからないんですか?」
 理性的な態度で、真矢妃都美はそう訊いた。
 それにハーリーが、「見つかっていません」と答える。
「統合軍も道路に検問を設置したり、空港や港を封鎖したり手は尽くしてるみたいですが、予想外の事態に部隊の出動が遅れて、人手が足りていません。元々地上の治安維持はその国の国軍が主体となって行う事になっていましたから。でも今回、警察も軍も敵のシンパかもしれないと思うと迂闊に応援は頼めませんし」
「じゃあ、宇宙軍はどうしているんです?」
 そう、和也。
「少し前から陸戦隊が出動してますが、やってる事は道路封鎖とか……統合軍と変わらないですね。何も情報が無いんじゃ、こっちも手の打ちようがありません」
 何もかも後手に回っている……誰もが歯ぎしりせずにはいられない。
「どうするの? このままじっとしてるわけにもいかないんじゃない?」
「確かにそうだけど……この状況で僕たちに何が出来るか」
 今動いても、せいぜい道路封鎖の手伝いくらいしかできない……そう言い交わす和也と奈々美に、ぽつりとルリが呟く。
「私たちだけで……何が……」
 結局、和也たちは動くに動けない状況のまま、悶々とした待機時間を過ごす事になった。



 四方に設置された光学ディスプレイが光源となる、木連艦標準の薄暗いブリッジ。
 しんと静まり返ったブリッジには、機器類の放つノイズが満ちている。数人のブリッジクルーが誰も一言も言葉を発しないのは、この艦が現在隠密行動中であるから――――というだけではないだろう。
 澱のように重苦しい緊張感が沈殿する中、ぷしゅっ、とドアが開き、奇妙に陽気な声が入って来た。
「ご無事で何より。これから救出に向かいますんで、予定通り例の場所に向かってくださいな。……ええ。近くだと敵に見つかる可能性がありますのでね」
 この重苦しい空気の元凶でありながら毛ほども気にしていない、火星の後継者の制服を着た“彼”は余裕綽々な態度でSOUND ONLYと表示されたウィンドウへ語りかける。
 通話の相手は、現在統合軍が血眼になって捜しているマフメド・ムハドハーン警察署長。“彼”の通報のおかげで逮捕にやってきた統合軍を全滅させる事ができたこの男は、現在護衛のテロリストを従えて逃げ続けている。
 統合軍を煙に巻いていると言っていい状況なのだが、当の本人はいつ捕まるのかと相当に怯えていて、彼は必死にこの男を宥めなければいけなかった。
「そう心配しなさんな。必ず助けに行きますから。……はい。そんじゃあ、幸運を祈ります」
 通信が切れ、彼はふうっと息をついた。全く手間をかけさせてくれる。
「そのチャンスがあればいいがね……おい。統合軍はどうだ?」
 声をかけられ、部下の一人がびくりと肩を震わせて振り向いた。
「は、はい。いままで緊急即応可能な軽歩兵隊のみが動いていましたが、いよいよ中東機動師団全軍が即応態勢に入りました。すでに二個連隊が出撃態勢に入っています」
「結構。警察署長たちがおっぱじめた頃合いを見て、こっちもこのブツをネットに流せ」
 部下へ命じる彼の手の中には、このブツ――――昨日の戦闘中に撮影された、映像データの入ったディスクがあった。
 戦闘の前日にクモ男から摘出された弾丸を見た時、彼はそれが発信機である事に気付いた。でもそれを教えた所で全員を逃がせるわけでもないし、戦って勝てるとも思えない。なら最大限に利用させてもらうのが上策だと、彼は判断したのだ。
 その結果として得られた映像が、このディスクに入っている。これは地球連合に大きな打撃を与える爆弾になってくれるだろう。
「ククク……せいぜい地球人同士、仲良くいがみ合って、潰し合ってくれや……」
 想定外のトラブルもあったが、概ね作戦は成功裏に進んでいる。その事に彼は会心の笑みを堪え切れなかった。
 しかし、と気にかかる事もある。
「このまま行けば俺としては万々歳なんだが……あいつらはどう動くかね? 我が弟たちよ……」



「……ねえー。あたしたちはいつまで待機してればいいわけ?」
「同感。背中がムズムズして仕方がねえぜオレは」
 ナデシコBのミーティングルームで、うんざりした顔をして奈々美と烈火が言った。
 警察署長が逃げて数時間。既に時刻は昼過ぎ。
 和也たちは事態が動いた時に備えて、戦闘服を着たまま即応待機――――と言えば聞こえはいいが、打つ手が無いまま無為に過ごしていると言った方が適当だろう。
 昼食も喉を通らなかったし、皆一様に口数も少ない。誰かがコツコツと指で机を叩く苛立たしげな音が、ぴんと張り詰めた空気を震わせている。そんな重苦しい雰囲気の中で出たセリフだった。
「動きたいのはやまやまなんだけど……情報が無い。打つ手も無い。今はどうしようもないよ……」
 辛抱して答えた和也に、影守美雪が軽口を叩いてくる。
「和也さんも我慢強いですわね。これで何度目かしら? そのやり取り」
「……同じようなやり取りが、午前中からもう14回、繰り返されています……」
 そう言ったのは神目美佳だ。皆と同じく手持ちぶさただったのだろう彼女を、「アンタもヒマねえ……」と奈々美がからかった。
「ヒマしてるのもイライラしてるのもみんな一緒だよ。だけどみんな我慢してるんだ。……楯身を見なよ。さっきから文句一つ言わずにじーっと我慢してるよ」
 和也に言われ、それまで目を閉じて何やら黙考していた楯崎楯身が、ん、と顔を上げた。
「いえ、自分も動きたいのは同じであります。……ただ、少し考え事を」
「考え事?」
「火星の後継者の思惑について、少し思う所がありまして」
「へえ……どんな?」
 皆が楯身の言葉に注目する。
「隊長たちも既に考えているでしょうが、我々はこの国で一度も火星の後継者の人間に遭遇しておりませぬ。それは奴らが実際の攻撃を全て現地人テロリストに任せ、自分たちは戦闘指導と武器の給与に徹しているからでありましょう」
「そりゃあね」
「しかし、いくら武器を与えて扇動したとて、市居の民間人をテロリストに仕立てるには、それなりの下地が必要でしょう。彼らに地球連合に対する強い不満を植えつけるに足る――――」
 そこまで言ったところで「待った楯身」と和也は止めた。
「あまりナデシコ艦内でそういう事言わない方がいいよ。ホシノ中佐とか……盗み聞きされてないとも限らないし」
「しかし、これは火星の後継者の思惑にも通じる話。避けて通れる話ではないの思うのですがな。……違いますかなホシノ中佐。それにタカスギ少佐とマキビ中尉も」
『最初から気付いてたのか?』
 がたーん! と和也は椅子から転げ落ちそうなほどのけぞった。楯身が虚空へ向けて呼びかけた途端、和也の目の前にルリ、ハーリー、サブロウタの三人のウィンドウが現れたのだ。
「あそこのカメラが動いておりましたからな。不穏当な発言である事は承知の上でありますが、ここは皆で話し合うべきでありましょう」
 ある種不遜な態度で、堂々と楯身は言ってのける。これはさすがに怒りを買うのではと和也は心配になったが、サブロウタは愉快そうに苦笑した。
『ふん、いいだろ。言いたい事があるなら遠慮なく言え』
「タカスギ少佐、それは……」
『お前も言いたい事があるんじゃないのか黒道? 俺が許してやるから好きな事言っていいぜ』
「…………」
 タカスギ少佐に許してもらってもこの人がな……と和也は横目でルリの顔色を窺った。するとルリも和也をちらりと一瞥して、感情の窺えない声音で言う。
『……能力的に優秀なら多少人格に問題があっても構わないというのは、ナデシコの伝統みたいなものです。それに……』
 タテザキ上等兵の言いたい事なら解ります、とルリは目を閉じる。
『テロリストたちがテロに走る理由、それは主流国によって搾取されているも同然の経済の構図。主流国の人間がこの国で犯罪を犯しても、国内では裁けない協定などなど……これが言いたかったのでしょう?』
「その通りであります。まるで二等国か、経済植民地のような扱いで、テロリストたちは皆それに対する強い反発を持って動いていると感じました」
「主流国の干渉を排して、自分たちだけの理想の国を作りたい……という事ですね。手段はともかく、私たちとしては愛国心を否定はできません」
 そう、妃都美。
『そう言えば、カゲモリ上等兵……あの人も同じ事言ってましたよね』
 ハーリーのウィンドウが美雪に寄っていく。
「えー……どなたの事かしら?」
『タジルハッド・アルバスですよ。警察署長の甥っ子で、テロリストにお金を流してて、僕とカゲモリ上等兵と二人で潜入捜査したじゃないですか』
「……ああ。そういえばそんな事を言ってましたかしら。でもあの男はあまりにも小物で俗物で……」
『確かに悪者でしたよあの人は。でも、あの人の言ってる事に付いてきた人も大勢いましたし。あのテロリストたちにとってはかなり説得力あったんじゃないか……って僕は思うんですよ』
 ハーリーにも、彼なりに思うところがあるらしい。それを見た和也も以前から考えていた事をぶちまけてしまいたくなった。
「確かに……この国は主流国から格下扱いされていると、僕も感じたこと、ありますよ」
 和也の頭の中には、以前ベイルートへ観光に行った時、売り物のパンを台無しにされて何も言えなかったパン屋の姿が映っていた。
「僕たちは命令に従うべき軍人ですし、火星の後継者に協力するテロリストと戦う事はやぶさかじゃありませんけど……こんなろくでもない構図を維持するために命を張るのはお断りです」
 その言葉に、他のメンバーたちも同意の意を込めて頷く。
 彼らが命がけで戦うのは地球連合に奉仕するためなどではない。木星のためなのだ。地球連合の権力維持に利用されるなんて、プライドが許さない。
『何だか……話してると僕たちが悪物で、テロリストと火星の後継者が正しいみたいに思えてきちゃいますね』
 率直に印象を述べたハーリーに、いや、それはないでしょう。と和也は言った。
「確かにテロリストたちの動機には同情する所もありますが、火星の後継者が本気で彼らを助けようとしているとは思えない」
『それはそうです。地球人同士で互いに争わせ、内部対立を作り出して地球連合を弱体化させる事……火星の後継者の狙いはそれでしょう』
 言ったルリに、楯身はほう、と感心した声を出した。
「ずっとナデシコの中にいながらそこまで考えておいででしたか。感服いたします」
『……私が考えたわけじゃありません。ユリカさ……ミスマル・ユリカ准将の受け売りです』
 目を逸らしたルリ。照れているように見えるのはきっと和也の気のせいだろう。
『なんにせよ、火星の後継者が中東での争いが激化する事を望んでいるのは間違いないはずです』
「その通りです。そのために武器を与え、甘い言葉でテロへ駆り立てる。……同じ木星人として、この卑劣な手口には許し難いものがあります」
 冷徹に本質を突くルリと、憤りを露わにする楯身。対照的な反応を見せる二人に、和也も考え込む。
 本来関係の無い他人を戦わせて、自分の手を汚さずして敵に打撃を与えるやり方。和也たちに言わせれば木連軍人の精神に反する卑怯なやり方だが、そういう感情を差し挟まないなら賢い戦略とも言える。恐らく今、火星の後継者に残された人材はそう多くないはずだから。
 しかし、この発想は――――
「ねえ楯身。この戦略を考えたのって湯沢……じゃないよね」
 聞いた和也に、楯身は頷く。
「テロ云々というやり方、戦術面においては湯沢の臭いが致します。恐らく実行部隊として動いているのは湯沢派でありましょう。しかし……そのために現地人をテロリストに仕立て、内部対立を作り出すという戦略面の発想は、湯沢の物ではない気が致します」
 あくまで何となくですが、と楯身は言い添えたが、その場にいる全員は既に一つの確信を抱いていた。
「甲院が、湯沢に知恵を貸してる……か」
 湯沢派と甲院派。二人が異なる派閥に分かれたのは方法論や思想に齟齬があったからと見られているが、一応横の協力はしているという事か。
 まったく、敵は多少考え方に違いがあっても協力して向かってきているのに、地球の連中はそれが全く出来てない。だから付け込まれるのに、と和也は歯がゆい思いを噛み締めたが、言ってどうなる物でもないと思い口には出さなかった。
「……で? 敵さんの狙いは大体解ったとして、あたしたちはどうすんのよ」
 もう戦いません、なんてのは無しにしてよね、と奈々美。
「あたしたち兵士は戦うのがお仕事なわけだし? ぶっちゃけ、それ取られたらもう何も残らないじゃない。経済だの協定だの、そんなのは政治家の仕事でしょ」
 投げやりなようで、正鵠を得た奈々美の言葉に一同は押し黙る。
 所詮一兵卒に過ぎない和也たちにできる事は戦う以外無い。しかし、敵の思うつぼにはまる事だけは絶対に避けたい……思考の堂々巡りに陥る和也たちの耳朶を、耳障りな電子音が打った。
『今、報告が入りました。……警察署長とテロリスト群が、姿を現したそうです』
 動いた! 色めき立つ和也たちへ、ルリは深刻そうに眉根を寄せて新しいウィンドウを前に表示させる。映ったのは、バビロニア共和国西部の地図らしい。
 地図の上に印が付く。それを見た『草薙の剣』メンバーたちから、大きなどよめきが上がった。
『北部の都市、ベイルートです』
「ど、どうしてそんな所に……状況は!?」
『警察署長とテロリストたちは港を占拠して、それきりこれといった行動は起こしていません。外国人居住区では避難が始まっているようですが、今のところ町中で戦闘が起こるような事にはなっていないようです』
 ほっ、とひとまず安堵の息が漏れる。つい二日前に観光に行き、その美しさに感銘を受けた都市。あそこが戦場になるなんて想像もしたくない。
『ですが、状況は予断を許しません。統合軍は頭から火を噴いて警察署長を狙っています……ハーリー君』
『はい。もうベイルートの周りは統合軍に完全封鎖され、攻撃に備えて陸戦隊が集結を始めてます。統合軍は警察署長を逮捕するだけじゃなく、テロリストを纏めて一掃する気でいるみたいです。……市内が戦場になる可能性も十分あるでしょう』
 説明するハーリーの声に合わせて、地図の上にひしひしとベイルートを取り巻く統合軍部隊の印が映し出されていく。
 そこへ、ルリは追い打ちをかけるように口を開く。
『しかも、まだ終わりじゃありません』
「まだあるんですか!?」
『……バビロニア共和国の国軍が動き出しています。一個連隊がベイルートに向かってるそうです』
「まさか、その部隊は火星の後継者のシンパで、テロリストに加勢をするつもり……?」
『そこまでは解りませんが……否定は出来ません』
 もしそうなったら、ベイルートを舞台に大規模な市街戦が展開される事になる。巻き込まれる民間人の数や被害は……想像もしたくない。
「最悪だ……僕たちはどう動けばいいんだ?」
「どう動くって言われましても、何もできはしませんわ。わたくしたちの力では」
 いっそ統合軍にお任せした方がよろしいのでは? と美雪は冷たく言い放つ。
「……確かに、統合軍の戦力を持ってすれば事態を収拾する事は可能でしょう……予想される被害に目をつぶれば、ですが……」
 そう言い辛そうに言ったのは美佳だ。
 実際問題、ここまで事態が進行した今、所詮実戦部隊に過ぎないナデシコBと『草薙の剣』に何ができるのか、という話になる。統合軍を止める権限はここにいる誰にも無いし、下手にナデシコが動けばそれが逆に戦闘の引き金になりかねない。
 しかし楯身は「それでは駄目だ!」と声高に呼びかけた。
「ベイルートで市街戦が起これば、中東の人々の地球連合に対する反感は取り返しのつかないレベルに達する。火星の後継者の狙いはそれに違いない」
 ならば我々はそれを阻止するべきであろう、と楯身は訴える。
「まだ諦めるのは早い。警察署長を捕らえればいいのだ。我々の手で、統合軍の攻撃が始まる前に!」
『き、危険すぎますよ! 敵は大勢いるし、何より積尸気もまだ残ってます。皆さんだけでどうにかできるわけ――――』
「リスク云々の問題ではありませぬマキビ中尉。今恐れるべきは、事態が火星の後継者の思惑通りに運ぶ事――――絶対に阻止するべきです!」
 当然の懸念を口にしたハーリーに、楯身は断言する。
 ああ、そうだ。と和也は思う。自分たちは所詮、大した力も持たない一兵卒で――――敢えて危険に飛び込んでいく事だけが今、自分たちにできる事だ。
「――ホシノ中佐。僕からもお願いします。ここは、僕たちが動くべきです」
『やれやれ。お前もか黒道。……危険な作戦だぞ。積尸気は俺が相手するはずだったが、こっそり忍び込むとなれば俺は付いていけない。孤立無援の作戦になるが……やれるのか?』
 覚悟を確かめるように、サブロウタ。
「勿論です。危険は承知ですが、やってみせます」
 胸に手を当てて答えた和也に、他のメンバーたちも席から立ち上がる。
「侮らないでください少佐。今さら危険を厭うようなら、私たちは今ここにいません」
「おう! 不良品の積尸気なんざ、オレがぶっとばしてやるぜ!」
「今さらすぎるわよ少佐さん。危険なんて怖くない。あたしは強いんだからね」
「……私も……目の前で悲劇が起こるのを、座して静観したくはありません……」
「ま、ここまで体を張って来たのに、最後の最後で敵の思い通りにされるというのも、面白くありませんしね」
 妃都美も、烈火も、奈々美も、美佳も、美雪さえも、それぞれの覚悟を持ってここにいる。今さら危険度の高い作戦を前に怖気づいたりはしない。

「火星の後継者の企みは、僕たちが必ず阻止します――――そのための『草薙の剣』なのだから!」

 言いきった和也に、ルリは半秒ほど目を閉じる。そして、
『……どのみち私が命令するつもりでした。……コクドウ隊長、ベイルートへ隠密裏に潜入し、ムハドハーン警察署長の身柄を確保してください』
 命じたその言葉に、「了解!」と七つの声が唱和した。



『草薙の剣』単独での警察署長捕縛作戦が実行されたのは、約二時間後の事だった。
 ナデシコからベイルート近くまでヘリで向かい、そこから下水道を通ってベイルートへ潜入するまでは比較的容易だった。統合軍も一応味方で、通信を聞いていればまだ封鎖されていない下水道がある事はすぐに知れた。
 しかしそこからは完全な単独行動スタンドアローン。サブロウタのスーパーエステバリスは当然、下水道のサイズから虫型兵器も随伴できない。統合軍に察知されて攻撃が早まるリスクを避けるため、ナデシコとの通信も完全封鎖。状況がどう変化するか解らないので、潜入してからの判断は和也に一任。正しく孤立無援の状況下で、自分たちの判断だけで作戦を成功させないといけないのだ。
 最大の難関である積尸気は、古城での痕跡と統合軍が抑えた数から逆算して、最大で四機が残っていると見積もられている。
 対機動兵器ミサイルやロケットは重すぎる上、積尸気がアクティヴ防御システムを装備している可能性が高い事から持ってきていない。代わりに、積尸気と同じ数の対物ライフルを和也、奈々美、妃都美、烈火がそれぞれ携行する。分の悪い賭けだが、関節に撃ち込めば、破壊は出来ないまでも無力化は可能のはず。四機を一度に無力化出来れば、後の烏合の衆はどうとでもなる。
 警察署長の身柄を確保出来たら、外周の統合軍部隊の元へ脱出する。警察署長を確保できたと知れば、統合軍も攻撃を中止してくれるはずだ。
 本当の敵である火星の後継者の思惑を阻止するための、薄氷を踏むような作戦は実行され、そして――――



異常なしクリア
「よし。前進」
 先頭を行く楯身の合図に、全員が静まり返った町中を往く。
「……静かだな。まるで来る町を間違えたみてえだ」
 周囲に怪物マシンピストルを向け、油断なく警戒しながら、烈火。
 潜入したベイルート市内は、つい二日前に来た時とは打って変わった静寂に包まれていた。あれだけあちこちにたむろしていた観光客も、笑顔で接客をしていた店主も影一つ見えない。
 道路にはあちこちに乗り捨てられた車や荷物が散らばっていて、以前演習で行った廃墟のメガフロートを思い起こさせる。
 あれは嵐が過ぎ去った後の、空虚な静けさだったが、
 今ベイルートを包んでいるそれは、嵐の前の、緊張に張りつめた静寂だ。
 ふと遠く聞こえてきたヘリのローター音に目を向けると、大型輸送ヘリ『ブラックフット』の三機編隊が南西の空に見え、東へ向かって飛んでいく。大仰にもステルンクーゲルの一個小隊が護衛に付いていて、中に乗っているのが兵士ではなく、避難する民間人であろうと知れた。
「『高天原』の町は、戦争で全ての住人が退去したらしいけど……」
「……そのような暇は、さすがにありますまい」
 和也と楯身はそっと言い交わす。ルリも『外国人居住区では避難が始まっている』と言っていた。ヘリが飛び立ったのが南西――――外国人居住区の方角である事からも、あれに乗る事ができるのは一部の金持ちだけなのだろう事は明らかだ。
 その証拠にふと顔を上げれば、建物の窓からこちらを見下ろしていた住人と目が合い、はっと怯えたように引っ込んでいく。
 ベイルートの住人である彼らは、逃げようにもテロリストを逃がすまいとしている統合軍がそう簡単には通さない。今頃外周では、検問での検査を待つ車が長蛇の列を作っているはずで、彼らは逃げたくても逃げられない。
 それ以前に、この町に愛着を持つ住人の中には、危険を承知で留まろうとする人もいるだろう……
「あの人たちのためにも、戦闘は未然に防がなくちゃ……」
 和也がそう、決意を込めて呟いたその時、すぐ傍の家の戸がばん! と開け放たれた。
「――ッ! 待って、撃っては駄目!」
 反射的にそちらへ銃口を向けたメンバーたちを、和也は大声で制止する。出て来たのは何の変哲も無い四十代くらいの男性で、右手には拳銃が握られていたが、別に一般人でも拳銃くらい持っていても不思議ではない。テロリストなのかベイルートの一般人なのか、すぐに判断できなかったためだ。
『敵かどうかはっきりするまで撃つな』と厳命しておいた事が功を奏したか、幸い発砲した者はいなかった。和也はなるべく男を刺激しないように話しかける。
「……ベイルートの人……ですよね? 落ち着いて。僕たちはこれから港のテロリストたちを捕まえに行きます……そうすれば、外の軍も攻撃してきませんから……」
 その言葉が通じたか、男は警戒しながらも拳銃を下ろす。ほう……と誰からともなく安堵の息が漏れる。
 途端、頭上でガラスの割れる音がした。

「――神は偉大なり――――っ!」

 もう耳にタコが出来るほど聞いた、戦いの始まりを告げる号令。民家の二階から若い男が窓越しに銃を突き出し、今まさに引き金に掛かった指を引き絞ろうとしていた。
「やめっ――――!」
「危ないっ!」
 刹那、楯身が和也を庇って前に出る。乾いた音と共に数度放たれた弾丸が楯身を撃ちすえ、「ぐっ!」と苦悶の声が漏れる。
 そこへ別の銃声が響く。倒れたのは――――二階から銃を突き出した男。額から血を噴き出して倒れた彼は、間違いなく即死しただろう。
「誰!? 誰が撃った!?」
 蒼白に転じた顔色で誰何すいかする和也。振り向くと硝煙の残滓が揺らめく愛用の拳銃を掲げ、美雪が呆然とした顔で天を仰いでいた。
 楯身が撃たれたのだ。楯身の身体なら防げると解っていても動揺する。まして攻撃の気配に敏感すぎる美雪は、ついに体に染みついた反射行動を止めきれなかったのだ。
 破局の、それが始まりだった。若い男――もしかしたら息子だったのだろうか――を殺され、激昂した玄関の男が「神は偉大なり!」を叫んで和也たちへ再び銃を向ける。
 ―― 一番起動――――!
 和也は咄嗟に『ブースト』を起動する。
 和也の能力である『ブースト』……それは和也の身体の中にある二つの補助脳を使って脳の働きをオーバークロックし、全てをスローに見せる能力だ。負担も大きく多用はできないが、それは戦闘において大きなアドバンテージになりうる。
 スローの世界の中、男の拳銃を奪い取り、肘鉄を鳩尾に叩き込んで昏倒させる。
 ――ごめんなさい……!
 和也は内心で男に詫びたが、口に出す暇は無かった。美雪の放った銃声を皮切りに、そこら中の家という家から銃が突き出され、あるいは武装した住人が飛び出して来て、和也たちはすぐにその場から逃げざるを得なかったせいだ。
「……武装した人たちが……周辺一帯に……!」
「どうするんですか和也さん!? このままじゃあ!」
 動揺した美佳と妃都美の声。
 逃げる和也たちの後を追うように続いてくる大勢の足音と怒声。そして容赦なく四方八方から浴びせられる銃弾が彼らの周囲で爆ぜる。先程の静けさから一転した戦場音楽が、平和だったベイルートの町中に轟き渡る。
 和也は己の失策を悟った。今まさにここが戦場になるかも知れない事態を前にして、ベイルートの人々の間には恐怖と緊張が破裂寸前の水風船の如く張り詰めていた。そこに美雪が――――和也たちが針を刺して、今、割ってしまった。
 あの美しかったベイルートの町全体が、剥き出しの敵意を持って和也たちに迫ってくる。このままでは、テロリストと戦う前に全員殺される。
 ――今は……みんなを守って、任務を果たさなきゃ……!
「くそ……っ! 攻撃してくる人間をテロリストと認定し、危害射撃を許可する! みんな、応戦して!」

「結局こうなるのかよ、ちっくしょう――――――――っ!」
 叫び、烈火のマシンピストルが凶暴な唸りを上げる。
 和也たち、他のメンバーも応戦を初め、たちまち凄絶な銃撃戦になった。『草薙の剣』の正確な射撃が群がる武装した住人を薙ぎ倒していく。
「はあっ……! お願いだから、向かってこないでください……私たちは、あなたたちを助けようとして……!」
「向こうはもう、そう思ってはくれないよ……完全に、この町を攻撃に来たと思われたな……」
 物陰で銃の弾倉を取り変えながら、妃都美と和也は言い交わす。
「……どうも、それだけじゃないみたいよ……」
 窓から家の中を覗きこんで、中に敵がいないか警戒していた奈々美がコミュニケを操作し、ウィンドウを開いて見せる。
 そこに映された物を見て――――和也たちは、言葉を失った。
 埃っぽい地下室の中、怯える女たちを守ろうと懸命に戦う男たちと、そこへ突進してくるパワードスーツ、――そして、爆発の中に消える男たちと女たち。
 地球連合軍が、非武装の女たちもろともにテロリストを爆殺した―――― 一見した限りではそうとしか見えない映像が、ニュースサイトに流れていたのだ。
「何だよこれ……昨日の戦闘?」
「今この家の中を覗いてみたら、テレビにこれが映ってたのよ。パワードスーツの後ろにあたしたちらしいのが映ってるし、作り物じゃなさそうね……」
 奈々美の言う通り、パワードスーツに続いて突撃してくる歩兵の中には和也たちらしい人影がある。
「これは……いったいどういう事でありますか隊長! なぜあそこに非戦闘員が……どうして攻撃など!」
 自分が部隊から離されている間に何が、と楯身が詰め寄ってくる。
「し、知らないよ! ……けど、この状況は思い当たる。楯身を助けに行く途中、立てこもっていた残党が自爆した……多分、あの時の映像だと思う」
 あの時、一室に立てこもって頑強に抵抗していた残党を一掃するためにパワードスーツが突入し、積尸気に襲われていた楯身を助けにいく途中だった和也たちもそれに続いた。残党は勝ち目が無いと思い、道連れを図って自爆したのだと、和也たちは思っていたのだ。
 しかし、それはどうやら違うらしかった。
「僕たちも他の人も、誓って攻撃なんかしてない。ましてや非戦闘員がいるなんて思いもしなかった。カメラを仕掛けたのも部屋を爆破したのも、全部別の誰か――――火星の後継者の仕業としか考えられないよ」
 映像の最後には、『大悪魔の蛮行を許すな、戦士たちよ、武器を取りベイルートを守れ』とご丁寧なテロップ付きで結ばれている。なるほど効果覿面だろう。ベイルートの人々の不安と不信感を煽り、武器を取って立ち上がらせるには。
「しかし……それを策として成立させるには……」
 楯身の呈した疑問に、和也は頷く。
「多分そうだと思う……火星の後継者は、攻撃を事前に察知していたんだ。なのに『山の老翁』はそれを知らなかった……」
 たとえ『山の老翁』を切り捨てても、これだけの威力がある爆弾を手に入れられるなら、投資としては割に合う、と火星の後継者は思ったわけだ。
「またいやらしい手を……! いったい誰がこんなやり方を思いつくんだ!?」
 湯沢、甲院、和也が知るどちらの人物像にも、この陰険なやり口は当てはまらない。強いて言うなら一人だけ思い当たるが、もうこの世にいない人物に策謀は練れないはずだ。
 まさか、あの男は生きてやしないよね……と考えた和也の聴覚を、耳障りなタイヤのスリップ音が刺激した。
 道向こうから、一台の普通乗用車が猛スピードで突っ込んで来た。乗り捨てられた車に衝突しながらも狂った牛の如く突進してくるその赤い車体は、ベイルートの人々の怒りと敵意を体現しているかのようだ。
「妃都美! あれのエンジンを撃て!」
「はい!」
 運転手を射殺しろという意味の『止めろ』ではなく『エンジンを撃て』と命じた和也の意図を、妃都美は理解してくれた。それは彼らが背負っていた対物ライフルの尤も原初的で、人道的な用途。
 対物ライフルを肩に構え、引き金を引き絞――――ろうとした瞬間、妃都美の指が止まる。はっと息を呑み、目が見開かれる。
「そんな……!」
「どうしたの、撃って、早く!」
 妃都美が何を見たのかは知らないが、車が危険な距離まで迫ってくるのを見た和也はとにかく妃都美を叱咤する。その声に成すべき事を思い出したか、妃都美はすぐに狙いをつけ直し、引き金を引き絞る。
 バズンッ――――! とマズルブレーキから噴射炎が上がり、放たれた12・7ミリ徹甲弾がボンネットに穴を穿つ。続いて放たれた二弾目が左前輪を吹き飛ばし、制御不能になった車は「うわっ!」と飛び退いた和也たちの目の前を通過して、建物に激突して止まる。
「ふう。エアバッグが膨らんだし生きてるね……みんな、先を――――」
 急ごう、と和也が促そうとした時、車のドアが開け放たれた。反射的に銃を向けた和也は「な……!」と妃都美同様に目を向いた。
「と、床屋さん!? そんな……!」
 見覚えのある顔。二日前に和也と妃都美が散髪に行った床屋の主人だった。ベイルートを褒めた和也と妃都美に気をよくして散髪代をサービスしてくれた人の良さそうなおじさんが、車で突撃してきた挙句に銃を持って和也たちを睨んでいた。
「大悪魔の兵隊め……この町から出て行けぇ――――っ!」
 ライフル銃を下手くそな構えで向けてくる床屋さんに、和也は条件反射的に蹴りを繰り出し銃を払っていた。それで体勢を崩した床屋さんの後頭部を88型木連式リボルバーの台尻で殴りつける。
「ごめんなさい!」
 がっ、と重い手ごたえが伝わり、頭を強打された床屋さんが昏倒して倒れる。はあ、と和也は荒い息をついた。
 あんなに優しかった人まで、武器を持って襲ってくるなんて……ショックを受ける和也たちに、再び多くの怒号が迫ってくる。武装したベイルートの住人の群れ。それを見たメンバーの多くが、ああ、と声を漏らした。
「あの人、レストランであたしに飲み物サービスしてくれた店員じゃないの……?」
「海辺の、パン屋さん……」
「あそこでマシンガン持ってるのって、美佳の隣でお祈りしてた人だろ……?」
「……あんなに優しい声をしていた人たちが……皆さん、武器を持って……」
 向けられる敵意。つい昨日まであんなに穏やかな顔をしていた人たちが武器を手に手に、和也たちへ迫ってくる。そのプレッシャーと威圧感は、これまでに戦ってきたどの敵より強烈で、恐ろしかった。
 気押され、じりじりと後ずさるしかできない和也たち。そこへひゅっ、と風を薙いで円筒形の物体が住人たちへ投げつけられる。
 美雪の投げた煙幕弾が白い煙を吐き出し、住人たちとその声が白煙の向こうに消える。その瞬間、美雪が叫んだ。
「今のうちですわ!」
「み、みんな行って……逃げろっ!」
 和也たちは逃げた。銃を向けるべからざる人々から向けられる敵意の大きさに耐えきれず、怯え、背を向け、逃げ出した。
 こんなに戦う事を嫌と感じたのは……初めてだった。



 追ってくる人々を何とか振り切った和也たちは、狭い路地に身を隠して小休止を取った。
 一刻を争う状況なのは解っていたが、メンバーたちは皆相当に疲弊していた。……肉体よりも、むしろ精神的に。
「どうなってんのよ……ここって、治安が良いんじゃなかったの……?」
 はあはあと呼吸を乱しながら、奈々美。
 住人からの攻撃を、全く予想していなかったわけではないけれど……ここまで酷い事になるとは思わなかった。
 油断があったのだろうか。経済的に豊かなら、多少不満があっても攻撃はしないだろうと無意識に思い込んでいたのかもしれない……
「そんなに、地球連合が憎いのか……ああくそ、その気持ちはよく解るけど……!」
 やむを得ない措置だった。武器を取って攻撃してきた以上、応戦する権利はあり、正当防衛に当たる。
 とはいえ、自分たちは助けに来たはずだ。なのに実際は助けるどころか、危害を加えてしまった……悔しさと罪悪感が胸を焼き、爪を噛む。
「……隊長、まだ終わりではありませぬ。我々がしてしまった事は取り消せませぬが……ならばなおの事、最悪の事態だけは未然に防がねば」
「そうだね……」
 肩に手を置いて励まそうとしてくれる楯身に、和也は頷く。
 その時、遠くに遠雷のような砲声が木霊した。
「この音……まさか、もう統合軍の攻撃が!?」
「あるいは例のバビロニア共和国軍か……隊長、事態は一刻を争います」
 解ってる、と和也は頷き、全員を先へ進ませようとし――――いきなり立ち止まった烈火の背中にぶつかった。
「おい烈火! 早く行けと……」
「和也……あれ」
 烈火が前を指差す。路地の先――――和也たちから数十メートル向こうに、小さな人影がぽつん、と立っていた。あどけない表情でこちらを見つめるその顔に、和也たちは見覚えがあった。
「モーラ……?」
「うー、高いお兄ちゃんたち……?」
 二日前にベイルートに来た時、母親を探してあげた女の子――――モーラがきょとん、と和也たちを見ていた。
「モーラちゃん……まだベイルートに滞在していたのね。お母さんはどこに行ったの?」
 ここは危ないわよ、とモーラの一番懐いていた妃都美が一歩踏み出し、モーラが嬉しそうに駆け寄ってくる。しかしその歩みは、何故だか重たい物でも担いでいるように緩慢で。
 目を凝らす。モーラの身体が妙に大きい。というか、服がはち切れそうなほど下に何かを隠している。
「まさかそんな……美佳!」
「……確認しました……彼女の服の下に、爆薬が……!」
 全身の毛が総毛立つ。
 ――モーラが、人間爆弾にされてこっちに来る!?

「高いお兄ちゃん、高いお姉ちゃん、うー……重たい……」
「駄目よモーラちゃん、こっちに来たら駄目っ!」
「美雪! 近くにリモコンを持った奴がいるはずだ、探せ!」
 了解ですわ、と美雪が飛ぶ。リモコンで起爆するからには、ここが見える位置に必ずいる。探すのにそれほど手間はかからないはずだ。
 しかしその間にも、モーラは和也たちへ懸命に駆け寄ってくる。
「駄目、お願いだからこっちに来ないでっ!」
「来ないでって言ってるでしょ!」
「馬鹿者! 彼女に銃を向けるな!」
 近付いてくるモーラ。それは和也たちに向け迫ってくる凶器で、和也たちは撃つ事もできずに後ずさりしながらそれを見つめ続けるしかない。
 恐怖。抵抗も出来ずに殺される、これまで味わった事の無い恐ろしさが和也を襲う。ともすれば目の前のモーラを撃ってしまいそうな恐慌の中、和也も、他のメンバーたちも、美雪がモーラを人間爆弾にした卑劣な誰かを見つけてくれる事を祈り、永劫にも思える刹那を待ち続けた。
 そして――――
『こちらブレード7! リモコンを持っていた人間を発見、射殺しましたわ!』
 ほうっ……と安堵の息が一同から漏れる。
「待っててモーラ。今、その危ないのを外してあげるから……」
 爆薬を取り除いてやろうと、和也たちがモーラへ駆け寄ろうとした、その時だった。
『お待ちを! ――そこの方、携帯電話から手を離しなさい!』
「な……!?」
 切迫した美雪の声。振り向くと、道路の向こう側に携帯電話を持った誰かがいる。リモコン係は周到にも二人いたのだ。
 その時、すでにモーラは危険な距離まで近付いていて……リモコン係は、今まさに起爆スイッチを押そうとしている。もはや美雪が止めるのは間に合わない。その前にリモコン係はモーラの身体に巻き付けた爆薬を起爆させられる。
 ――殺される――――! 和也の恐怖が臨界を振り切り、頭が一瞬ホワイトアウトを起こし――――

 銃声。

 モーラの左足から血煙が上がり、その体が前のめりに倒れ込む。
 誰だ? と一瞬思った。しかし自分の88式リボルバーから硝煙が上がるのを見て、自分が撃ったのだという事を和也は信じられない思いと共に自覚した。

 刹那――――モーラの小さな身体が、大きく膨れ上がった爆炎に飲み込まれた。

 その瞬間を、その時見た物を、和也は一生涯忘れる事が出来ないだろう。
 危険を感知した和也は、咄嗟に『ブースト』を起動させていた。それにより全てをゆっくりと知覚する和也の目は――――倒れたモーラが一瞬泣きそうな目で和也を見て、次の瞬間起こった爆発に四肢を吹き飛ばされる様を、鮮明に見てしまった。
 楯身が盾になろうと前に出てくる。爆弾に仕込まれていたのだろう釘や鉄片が凶器と化して飛来し、和也たちへと容赦なく降り注ぐ。「ぐあっ!」「きゃああ!」と鉄片を受けた仲間たちの悲鳴が上がり、和也の顔に熱い血――モーラの血だろうか――がかかり、次いで自分も殴られたような強い衝撃を感じて倒れた。
「隊長……隊長!」
 和也の身体を、自分も体のあちこちから血を流しながら楯身が助け起こしてくる。
 しかし、和也は指一本動かせず、その視線は目の前の一点から離せない。
「あ……ああ……」
 ついさっきまでモーラがいた所には、焼け焦げた小さなクレーターが出来ていて……その周囲一面には、“モーラだったもの”が飛び散り、凄惨な斑模様を形作っていた。
 石のように硬直したままの右手には、モーラを撃った感触が確かに残っていた。
 握りしめたままの、使い慣れたはずの88式リボルバーが酷くおぞましいモノに感じられ、強烈な不快感が胃の腑から湧き上がる。
「うっ……! うげえ……!」
 吐いた。
 突き上げてくる嘔吐感に吐いて、吐いて、胃液も無くなるほど吐いても不快感は消えなかった。
「違う、違うんだ……! 僕は、そんなつもりじゃあ……」
「くっ! ……隊長、御免!」
 突然左頬に強い衝撃。楯身に殴られ、それでほんの少し判断力が戻ってくる。
「申し訳ありませぬ……ですが隊長、いまは非常時です。後悔も反省も、全てが終わってからなさってください!」
「楯身……」
 そうだ、僕は隊長で……任務を、果たさないと……
 他のメンバーたちを確認すると、爆発と飛び散った破片でほぼ全員が負傷しているが、致命傷を負った者はいないようだ。モーラの小さい体に巻き付けられた爆薬は思いのほか少なく、殆どの破片を戦闘服と楯身が防いでくれたおかげらしい。
 そしてその先……道路の向こう側では、モーラの爆弾を起爆させたリモコン係が美雪に倒され、今まさに止めを刺されようとしている。それを見た和也の鉛を入れられたような腹の奥に、かっと熱い炎が燃え上がった。
「待て美雪! まだ殺すな!」
 言って、和也は鬼の形相でリモコン係へ近づく。自分自身の手で殺してやるつもりだったが、そのリモコン係の顔を見た途端に、はっと息を呑んだ。
「あんたは……モーラのお母さん……」
 声を漏らした和也に、美雪が本当なのかと言いたげな視線を送ってくる。
 見間違える訳がない。
 確かに二日前、言葉を交わしたはずの人なのだ。そう思った途端、和也の胸中にまた別種の怒りが沸き起こり、母親の胸倉を掴んで引き起こしていた。
「何で……どうしてあんたは自分の娘さんを鉄砲玉になんか使ったんだ! それでも親なのかよ!?」
「大悪魔の手先……あの人の、夫の仇……!」
 二日前の、娘を案じていた母親とは思えない恐ろしい形相で、母親は和也を睨み返してくる。
「夫は過労で死んだ……努めていた外資系企業に奴隷のように使われた挙句に! なのに労災認定は通らない、裁判に持ち込んでもどうせ勝てないからと弁護士も付かない! 弁護士を探し回るうちに貯金も尽きて、私も体調を崩して働けなくなって……」
 だからこうするしか、と母親は怒り泣きの表情で訴える。
 生活苦による娘との心中……それも最後に憎い連中に一矢報いてからという、最悪の無理心中。二日前に言っていた『最後の思い出に』とはこういう意味だったのだ。
「ふざけるなっ! 死にたいならあんた一人で死ねばいい……娘を巻き込むなよ!」
「殺しなさい……私が死んでも他の戦士たちがあなたたちを皆殺しにする! 火星の後継者が必ず、私たちの理想の国を作ってくれる!」
「……っ!」
 駄目だ。この人はもう……見ていられなくなった和也は母親を突き飛ばし、踵を返す。楯身が、気づかわしげに話しかけてくる。
「隊長……」
「構ってる暇は無い……先を急ごう」
 とにかく、一刻も早くここから離れたかった。
 大義、理想、現実、目的……これ以上ここにいたら、寄って立つ物が解らなくなる……
 しかし、その背中に母親の絶叫にも似た叫び声が浴びせかけられる。
「神は偉大な――――!」
 その掛け声と共に母親が拳銃を取り出した刹那、和也は腰に帯びた軍刀の鯉口を切り、紫電の勢いで抜刀していた。

 斬。

 木連式抜刀術、『半月』。鞘走りと足運び、そして体の捻りを使って振り向きざまに背後の敵を切り裂く技。
 放たれた軍刀は、一斬で母親の首を飛ばした。
「っ……どいつもこいつも……!」
 殺気立った声が重なり合って響いてくる。爆音を聞きつけ、また大勢の武装した人々が殺到してくる。

「うううわああああああああああっ!」

 和也は絶叫した。
 腹の奥で、強い憤怒が灼熱していた。この事態を仕組んだ火星の後継者も、ここまで人々を追い詰めた地球連合とその軍も、それを知りながら結局血を流すしかできない自分たちの無力さも、何もかもが腹立たしかった。

「正義ってのは! 理想って奴は! どれだけ血を啜れば気が済むんだあああああああっ!」

 叫び、走る。制御できない激情に振り回されながら、それでも任務だけは忘れられずに目的地へ向かう。今唯一自分にできる事に、すがりつくように――――



『草薙の剣』は前へ進んだ。
 守ろうとしていた人々に加え、ベイルートに警察署長と共に入り込んだテロリストとも戦い、傷つきながらも足だけは止めなかった。任務を果たして最悪の事態を止める、その思いが彼らを突き動かした。
 抵抗は熾烈だったが、しかし不思議な事に港へ近づくに従い、襲ってくる敵の数が目に見えて減り始めた。

 ――――その理由が知れたのは、和也たちが港へ辿り着き、既に鎮圧されたテロリストたちと破壊された積尸気、そして拘束された警察署長の姿を見た時だった。

「これは……一体?」
「統合軍がやったのか? ……こんなあっという間に?」
 茫然と目の前の光景を眺める和也たち。
 先刻まで聞こえていた、あの砲声ももう聞こえない。ただ戦闘が終わった後に特有の、鉄と硝煙の臭いが漂う静寂があるだけだ。
 と、そんな和也たちに気が付いたのか、一人の兵士が駆け寄ってきた。
「失礼。統合軍の方ですか?」
「あ、いえ、僕たちは……」
 宇宙軍か、統合軍なのか説明しかねる和也たちに、その兵士は恭しく敬礼して、
「ご安心ください。テロリストの鎮圧は完了いたしました!」
 誇らしげに胸を張るその兵士の襟章に目をやる。統合軍の物とも、宇宙軍の物とも違う。そもそもこの砂漠迷彩色の服は――――

「バビロニア……共和国軍……」


『――――先ほど、地球連合臨時総会において、バビロニア共和国政府への非難決議が全会一致で採択されました。繰り返します。全会一致です。これはバビロニア共和国が自国内でのテロを黙認していた疑惑に対する物で――――はい。それでは、各国代表のコメントをご覧ください』
<USA代表>『バビロニア共和国政府は我らと同じ新地球連合の一員でありながら、それに敵対するテロ組織に黙認を与えていた! 何故!? 何のために!? これは断じて許されないっ!』
<日本代表>『今回のバビロニア共和国政府への疑いは誠に遺憾であり、国際社会、地球連合の一員として今後責任ある対応を、望むものであります』
<高麗共和国代表>『その通りですとも。ええ、その通りですとも。――今回のバビロニア共和国の背信行為に対しては当然、厳しく追及されるべきでありますな! まずは本件の真相を明らかにした上で、然るべき謝罪と賠償を――――!』

「もういいです……切ってください」
『はい』

 和也が言い、ハーリーはニュース映像を映していたウィンドウを消した。  港を占拠していたテロリストが鎮圧され、警察署長が逮捕されているのを見届けた後、和也たちはずっと封鎖していた通信を解いてナデシコBへ連絡を取った。
 開口一番、ようやく通じた、といった反応をしたルリたちに和也は、無線封鎖している間に何があったのか問いただした。ルリ曰く――――和也たちが『山の老翁』のアジトを突き止め、それによって今朝から開かれていた地球連合の臨時総会で、バビロニア共和国に対する非難決議が全会一致でスピード採決されたのだという。
 全会一致。それは何も知らない一般市民からすれば当然かもしれなかったが、裏の事情を知っている和也たち軍人にとってはある一つの事実を示していた。
「全会一致って事は……バビロニア共和国にとって『味方』だったはずの非主流国まで、賛成に回ったって事ですよね」
『そうなりますね。もう庇いきれないと判断して、昨日までの味方を切り捨てたんでしょう』
 和也の問いに、ルリが答えた。
『これによって、地球連合内でのバビロニア共和国の立場は非常に危ういものとなりました。こうなっては地球連合に恭順きょうじゅんの意を示す以外道はありません。ベイルートに向かった国軍部隊は、そのために派遣されたわけですね』
 つまりはこうだ。
 火星の後継者の勝利を望む非主流派の国々は、昨日までの『味方』だったバビロニア共和国を旗色悪しと見るやあっさり見捨て、
 見捨てられたバビロニア共和国は、保身のために昨日まで黙認してきた自国民のテロリストを切り捨てた。
「昨日まで助けてたくせに、具合が悪くなるや『はい、あんたたちは悪物ですよ』って? うあー、政治の世界は汚いわねえ……」
「まったくだ。吐き気がするぜ……」
 奈々美と烈火は嫌悪感を露わにしている。
「利用されるだけ利用されて、最後には捨てられるなんて……『山の老翁』もそうでしたけど、さすがに哀れを感じますね……」
「……神よ、彼らにどうか御慈悲を……」
 妃都美と美佳は、やりきれない思いを吐露した。
「いえ、動機がどうあれ、これがテロという手段に手を染めた者の末路なのでは?」
「それは……そうかもしれぬな。志はともかく、そのすべは外道……か」
 美雪と楯身は、静かに現実を見ようとしていた。
『すみません。コクドウ隊長たちが行ってすぐにこの知らせが入ったんですけど、その時はもう無線が封鎖されてて……』
「……いえ、それは仕方ありません」
 肝心の情報を伝えられなかった事を詫びるハーリーに、和也はかぶりを振った。そもそもバビロニア共和国軍が動いた目的が解らなかったのは、彼らが不意打ちを食らわせるつもりで意図的に目的を明らかにしなかったからだろう。
 そのおかげで、テロリストはバビロニア共和国軍が自分たちを助けに来たものと油断し、そこを背中から撃たれる形になって短時間で鎮圧された。結果として市内への被害は『限定的』な物に留まった。
 結局、和也たちは先走った挙句に無駄な衝突を引き起こしただけだった。
「ホシノ中佐、僕たちはどうなるんでしょう? 住人と衝突して、何人も殺傷してしまいましたが……」
『微妙ですけれど、武器を持って襲いかかってきた時点で彼らはテロリストと同義です。任務遂行中の事故……正当防衛という事で、私から上には説明しておきます。同様の事案は他にもあったようですし、あなたたちだけが責任を問われるような事にはならないでしょう』
 任務は完了です、帰還してくださいと言って、ルリは通信を切った。
 ――任務完了? 何を完了できたって言うんだ……無駄に傷ついて、無駄に傷つけただけだ……
 確かに、最悪の事態は回避できたかもしれない。しかし……
 目線を上げる。そこは二日前に行ったばかりのチューリップ園だ。地中海原産の美しい花々が咲き乱れていたそこが……燃えていた。
 戦闘による流れ弾のせいだろう。炎は今もちりちりと燻り、チューリップの鮮やかな花びらを痛々しく焦がしていた。
 足元にあるしおれたチューリップを立たせてやる。しかしもう立つだけの力が無いのか、すぐにへたってしまう。その無力な姿がまるで自分たちのように見え、和也は肩を落とした。
「また……燃やしちゃったか」



『よくやってくれた、諸君。君たちの働きによって、中東、少なくともバビロニア共和国における火星の後継者の活動基盤は、ほぼ壊滅したと言っていいだろう』
 数時間後、ナデシコBに帰還した和也たちはシャワーで汗と砂を洗い流す時間もそこそこにブリッジへ呼び出された。そこで待っていたのは、宇宙軍総司令官、ミスマル・コウイチロウからの“お褒めの言葉”だった。
『君たちが『山の老翁』のアジトを見つけ出し、そこを管理していた政府がテロを黙認していた動かぬ証拠を手に入れた。今回の非難決議にこぎつける事が出来たのはそのおかげだ。みんな喜んどるぞ。そこの統合軍から出向してきた対テロ部隊の諸君にも、心から礼を言う』
「……ありがとうございます」
 お褒めの言葉に、『草薙の剣』は敬礼で答える。
『今回の件によってバビロニア共和国の政府・軍内部では火星の後継者シンパの洗い出しが始まるはずだ。中東共同体の盟主たるこの国がそっち側に舵を切った事は、他の中東諸国も無視できまい。もはや火星の後継者が中東で活動する事はできないだろう。やったな諸君。おめでとう!』
「私たちは当然の仕事をしたまでです。それより総司令。この人たちの事ですが……」
 敬礼しながら訊いたルリに、コウイチロウは頷いた。
『話は聞いた。住人との衝突が起こってしまった事は残念だが……コミュニケのログを見る限り、私も今回の件は事故と判断する。損害賠償などの件はこちらで処理するから、諸君は何も心配しなくていい』
「そうですか。それは何よりです」
 ルリは安心したように小さく息をつく。……彼女が安心したのは、単に使える戦力を失いたくない、という事なのだろうが。
『それでは、ナデシコは中東を発つ準備をしてくれたまえ。新たな任務と赴任地は追って指示する。――今後とも、一層の活躍を期待しているよ』
 ルリ、ハーリー、サブロウタ、『草薙の剣』その他のブリッジクルー全員が敬礼し、コウイチロウが答礼を返す。
 通信が切れると、しん、と沈黙が満ちる。それを嫌ってか、サブロウタが努めて明るい声で和也たちへと呼びかけた。
「さ、さあお前たち。中東での任務完了を祝って、ここは一つパーっと……」
「……すみません。今はそういう気分じゃないんです」
「そ、そうか……そうだよな」
 サブロウタが励まそうとしてくれているのは、和也にも解っていた。
 それでも、今それを受け取る気分にはなれなかった。
 ――おめでとう、ね。確かに任務は果たしたけど……本当に勝てたのか? 僕たちは……
「……タカスギ少佐。この国はこれから平和になると思います?」
「ん……そうだな。最大のテログループが壊滅して、火星の後継者も出て行って、残るちっぽけなテログループは政府が本格的に取締りに乗り出した。テロの件数は確かに減るだろうが……」
「それでも、火星の後継者を支持する人間がいなくなったわけじゃありません」
 サブロウタの言葉を遮って、ルリが口を挟む。
「彼らはきっと、政府に裏切られて今まで以上に怒っているでしょう。今後は同じバビロニア共和国の人間同士が対立する新たな政情不安に陥るかも知れません。その先どうなるかは……この国の人たち次第ですね」
 果たしてこれで、火星の後継者の思惑を外す事ができたのかは解らない。最悪の結果だけは免れたかもしれないが、確実に地球連合に対するこの国の国民の反感は高まったはずだ。
 結局最後まで尻尾さえ掴めなかった火星の後継者は、今頃中東を脱出してどこかでほくそ笑んでいるのだろうか。

 ――まったく、任務完了を喜ぶ気にはなれないよ……

 和也の脳裏には、自分が傷つけ、母親に殺された女の子の姿が、いつまでも焼き付いて消えなかった。



 クウェート基地を望む事のできる建物の屋上で、一人の少年が基地を見つめていた。
 両手の拳を固く握りしめ、歯を食いしばりながら。
 怨嗟の視線を、じっと送り続けていた。










あとがき

 またぞろ統合軍と宇宙軍の不和によって引き起こされた最悪の事態。『草薙の剣』は戦争を止めようと勇ましく出撃するが……な回でした。

 中東編のラストを纏める話なので、テレビを見たり話し合ったりしている場面が主でした。そして欝です。
 書いた自分が言うのもなんですが欝です。でもこれは中東編を書き始めた時から決まっていた事なので。戦争の後に残るのは達成感などではないでしょう……

 和也たちの処分についてはあれでいいのかって気がしますが、ここで軍法会議とかなったら話が進みませんし……こういう甘い処分がますます現地の人たちを怒らせるんだろうなあ。(汗)

 次回、ナデシコと和也たちに新たな命令が下されるも、中東の一件を引きずったままの和也。そこにやってきた『ある人物』は……
 今までずっと『暫定』だった対テロ部隊にもそろそろ正式な名前が与えられます。

 それでは、2011年もよろしく……



 







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代理人の感想
ヘヴィですねぇ・・・ロシアの空港で爆弾テロがあったばかりなので余計に実感を持って感じます。
テロリズム自体は無論アレな行動なんですが、それを生む土壌が色々あるのも否定できない事実ですしね。

とにもかくにも、無力を痛感した回でした。

>然るべき謝罪と賠償を
不覚にも盛大に吹いたw
いや、笑いどころ少なかったしねぇ・・・。






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