――話は少し、遡る。

 地球、某国――――今となっては貴重なものとなった手付かずの自然が多く残るその国は、国土の少なからぬ面積が開発制限区域となっている。
 そんな人がいないはずの場所こそが、テロリストと呼び習わされる連中の隠れ蓑になるわけで、本来人の手が入っていないはずの森の中にひっそりと、その施設はあった。
 立ち並ぶプレハブ小屋や倉庫、格納庫の類らしい建物の屋根に草木を被せ、上空から発見されないようにしたテロ組織の秘密施設。重力波やサーマルのセンサーが発達した今日び、原始的なカモフラージュが役に立つのか疑問だが、今日まで発見を免れてきたのだからそれなりに効果はあったというべきか。
 そうして数ヶ月間に渡りこの国の政府と地球連合にチクチクと損害を与えてきたそのテロ組織であったが、日の出と共に轟いた迫撃砲弾の轟音が、ついに組織の最後を告げる狼煙となった。
 爆音を響かせて飛来したヘリから、武装した兵士たちが続々と降り立ち、容赦のない弾丸の雨を叩きつける。寝起きで満足に覚醒さえしていなかったテロリストたちは完全に不意を突かれた形となり、将棋倒しのように打ち倒され、その一方的な様に戦意を失った者が次々と武器を捨て、両手を挙げて投降してくる。
 戦闘は数分で終わり、森の中に静寂が戻った。
「こちらブレードリーダー、敵施設の制圧を完了。二重確認ダブルチェックよろしく」 『こちらナデシコB。目立った敵勢力はもういないみたい。虫型兵器その他の兵器も全て沈黙。ご苦労様、任務完了だよ』
 黒道和也と露草澪のやり取りがオープン回線に交錯し、それを聞いてどこからともなく歓声が上がった。
 2201年、某月某日。ナデシコBと『草薙の剣』はまた一つ、火星の後継者シンパのテロ組織を壊滅させた。
 国軍の一部が武器を横流ししていたらしいその組織はそれなりの武装と勢力を持っていたが、国軍の内通者を捕まえて締め上げ、情報を得られた事が功を奏し、夜明けの奇襲によってこれといった被害もなく制圧に成功。施設の所々から黒煙が上がり、しょんぼりとした顔のテロリストたちが連行されていく。
 そんな事後処理が進む中――――
「ん……?」
 その様子を遠巻きに見守っていた田村奈々美は、ふと視界の隅で何かが動いたような気がした。
 奈々美は手にしたライアットガンの残弾を確認する。制圧は完了したが、まだ残党が一人二人残っていても不思議ではない。
「誰かいるの? コソコソ隠れてたら敵対行為とみなしてぶっ殺すわよ」
 油断なく銃を向け、小屋の中へ踏み込む。
 その中にいたのは――――



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十四・五話 ナデシコの怪談


「……ふあ……疲れたなあ……早くお風呂入って寝たい……」

 ナデシコBの艦内通路で、和也は大きく欠伸をして、眠い目を擦りながら歩いていた。
 某国のテロ組織を壊滅させてから、数日が経っていた。
 部隊長である和也は報告書などの書類仕事をこなさねばならないが、荒事に比べてそちら方面のスキルが高くない和也は夜中までかかってようやく書類を片付け終える事がしばしばだった。
 今日も和也が雑務を片付けた時、時刻は午前二時を回っていた。とりあえず風呂に入ってから寝ようかなと、眠い目を擦りながら大浴場へ向かっていた。
「それでね……」
「うわ、マジやばーい……」
 消灯時間を過ぎたナデシコB艦内は真っ暗だが、それでも疎らにクルーが行き来している。
 午前二時。草木も眠る丑三つ時、と言うが、草木が眠ってもナデシコは眠らない。特に今は次の目的地に向けて海上を航行している最中で、ブリッジを機能させているルリたちや数人のオペレーターの他、数十人の夜班のクルーが抜かりなくナデシコを機能させている。

 ――未だに夜班の人たちって、顔と名前が覚えられないんだよな。

 基本、朝七時には起床し、日付が変わる頃には寝るという生活サイクルの和也は、昼間ずっと寝ている夜班の人たちと顔を合わせる機会が少ない。
 300人はいるクルーの全てを把握するのはどだい無理としても、ことに夜班のクルーは顔を見ても名前の解らない人が多かった。
「あれ、奈々美……?」
 そんな見慣れない顔の中に、ふと見慣れたそれを見つけた。奈々美だ。きょろきょろと落ちつかなげに首を廻らせていて、和也に気がつくと何故か「げ」と言わんばかりの顔になった。
「な、何してんのよ、こんな夜遅く」
「そりゃこっちのセリフだよ。僕は風呂に入るところだけど、奈々美は? 何か探してるみたいだけど」
「え、ええ……ちょっと落し物をね」
 そう言う奈々美は、和也と視線を合わせない。というか、話している間もせわしなく何かを探している。
「何かよっぽど大切な物でも失くしたの? 手伝おうか」
「けけ、結構よ、そんな大したもんじゃないし」
 それにしては妙にそわそわしているのだが……と思った和也の横を、数人の夜班クルーが何事かを言い交わしながら通り過ぎた。
「また出たんだってよ……」
「俺もまた妙な音を聞いて、怖くて寝れなかったよ……」
「あたしも見たよ。ぬーっ、とあらわれ、うらめし……きゃははは!」
 その夜班クルーたちは、口々に今流行のある事を話している。

 ――――ここ数日、ナデシコBは艦内に幽霊、オバケの類がいるのではないかという話で持ちきりだった。

 例えばこんな噂がある。厨房長が片付けと翌朝の仕込みを終えて部屋に戻ろうとすると、ついさっき明かりを消した厨房から物音がして、気が付くと食材が食い荒らされていた。

 こんな噂もある。最近、ベッドの下に何かがいる気配がして、恐る恐る覗き込んだ途端、青白く光る不気味な目玉と目が合った。悲鳴を上げて飛び退いた後、もう一度確かめてもそこには何もいなかった。

 こんな噂もある。最近、夜中に壁の裏側で子供が走り回るような音がする。

 こんな噂もある。最近……

「またオバケの噂話か……くうだらない。この科学万能の世の中に、オバケなんているわけないよ」
 和也は切って捨てる。
「人間死ねばそれで終わり……骨と、遺族の悲しみが残れば上等」
 それさえ残さず消滅してしまう人も少なくない――――そういう死に方をした人を何人も見ていると、死の捉えかたがドライになってくる。
「ましてや幽霊なんて残せるわけないよ。そう思わない? 奈々美」
「へ? ええ……そうね。幽霊やオバケなんていないわね」
 半分以上聞いていなかったらしい奈々美は、上の空でそう返事をした。
 ――――と、その時。

「フフフ」

 ぞくっ――――と背筋に寒気を感じさせるような笑い声。
 驚いて振り向くと、いつのまにか和也と奈々美のすぐ横に整備班の青いつなぎを着た、四角い眼鏡の男が立っていた。

「オバケも幽霊も本当にいますよ? お二人さん」
 その男は特徴的なタラコ唇から、妙に低い声で断定的にそう言った。
「や、藪から棒に、なんですかあんたは……」
「おっと失礼。ぼくはナデシコの整備班に所属していて、『ナデシコ心霊研究会』というサークルの主催もしていました、カキノキ・レオと申します」
 微妙に日本語のおかしい言い回しで名乗ったレオという整備兵に、和也は覚えがなかった。
 まあこんな時間に起きている事からして夜班だろうから、別に不思議ではないのだが。
「心霊研究会なんてあるんですか……知りませんでした」
「それはそうでしょう。ぼくがワンマンで取り仕切っていますから」
 つまり誰も付き合ってくれる人がいないって事じゃないかと思ったが、慈悲を込めて言わないでおいた。
「話は聞かせてもらいましたが、オバケは存在すると思います、いや、存在します」
「はあ……」
「幽霊となって現世をさ迷う、いわゆる不浄霊と言われる類のオバケは、たいてい不慮の死を遂げたりして現世に未練を持った人です。心残りがあるままだから、いつまでも成仏できずにさ迷っているんでしょう」
 皆が言うような悪さをするかは別ですが、とレオ。
 この人はそういう話をしていて楽しいのだろうが、オカルト趣味のない和也には胡散臭いだけだ。
「……なるほど。いつか迷わず成仏できるようお祈りしますね」
「あたし探し物があるからおいとまするわよ?」
 二人して会話を切り上げるためのセリフを口にする。
 するとレオはふむ、とずれた眼鏡を指で上げる動作をし、
「なら、貨物室に行ってみるといいと思いますよ。ではまた」
 そう言って、すぅ、と闇へ消えるように歩き去った。
 残された和也と奈々美は、顔を見合わせる。
「……なんだったんだ? あの人」
「さあ?」



 それから三十分ほど後――――

 風呂から上がった和也は、なんとなく貨物室の前に来てしまっていた。
「なんか気になって来ちゃったけど……何もあるわけないよね」
 そもそも、宇宙戦艦にとって貨物室は食料その他の必要物資を貯蔵する重要施設。何かあればクルー全員の命にも関わりかねないので、セキュリティはそれなりに厳重だ。クルーであっても出入りには管理部署の許可なしには立ち入れないし、入り口には常時ロックがかかっている。
 あのカキノキ・レオとかいう整備兵が中で何か、いたずらの罠でも仕掛けて待ち構えているかと思ったが、そんな事が許されるほど甘い施設ではない。
 幽霊なら関係ないだろうが……そう思って、いやいやと思い直す。
「とにかく異常はないよね。……ん?」
 ふと、気がついた。
 貨物室のドア横にあるランプが、緑色に点灯しているのだ。普段ここには、施錠を示す赤いランプがついているはずなのに。
「鍵が開いてる? 中に誰かいるのか……?」
 開閉ボタンを押すと、しゃっ、と自動ドアが開いた。その先に広がる貨物室は真っ暗だ。
「…………」
 入るべきか否か少し逡巡し、結局中へ踏み込む。どうせレオだと思うが、重要施設への不法侵入を黙って見過ごすわけにも行かない。
「誰かいるんですか?」
 誰かいるんですか? 誰かいるんですか? 誰かいるんですか? ……和也の声は反響して消えていった。
 返事は返ってこない。
 ――仕方ないな……まったく……
 内心でぶつくさ文句を言いながら、奥へと入っていく。
 ナデシコBの貨物室――――数百人のクルーを養う食料その他の物資を貯蔵しているだけあって、その体積は機動兵器などの格納庫に次いで広い。その広いスペース一杯に巨大なコンテナが無駄なく、文字通り天井に届くほど積み上げられている。それが真っ暗な中に幾つも並んでいる様は迷路じみていて、中から何か飛び出してきそうな想像を働かせた。
 そこに踏み込んでいくのは、和也とていささか勇気を必要とする行為だった。
「……こ、怖くなんかないぞ。オバケが怖くて戦争が出来るわけないだろ……」
 口ではそう言っていたが――――
 実のところ、和也は内心でかなり恐々としていた。普段ならオバケの噂など一笑に付す和也だが、先日某国でテロ組織を壊滅させた矢先から噂が立ち始めた事が引っかかっていたのだ。つまり、

 ――僕たちがぶっ殺したテロリストが、祟りに来たんじゃないだろうな……

 そんな妙に日本人的な考えが頭に浮かんでしまうのは、やはり遺伝子のせいか。
 ともかく、祟りという銃でも剣でもどうにもならない敵に襲われる事を、和也は馬鹿馬鹿しいと思いつつも気にしていたのだ。
「……オバケなんていない、オバケなんていない、オバケなんていない……」
 へっぴり腰で貨物室を見て回る。……人の姿も気配もない。
 ――やっぱり何もないよね……
 ほっと息をつき、鍵が開いていた事はホシノ中佐に報告の必要があるかな、と和也はようやくいつもの調子で考え始めた。……その時、

 ――――ガタガタガタガタ

「ひっ……!?」
 気を抜いたタイミングを計ったような不意打ちで、傍の棚が不気味な音を発した。思わずびくっと震えた和也の前で、触れてもいないダンボール箱がどさっ、と棚から落ち、中身が床にぶちまけられた。
 ――ポ、ポルターガイスト現象……?
 騒ぐ霊、と形容される、物が勝手に動き出したり、宙を舞ったりする超常現象。それは霊が怒りの感情を表現しているのだと、前に和也は漫画か何かで読んだ。それを思い出して、
「そそ、そんなわけないだろ。大体これ、担当の人が倒れやすいってぼやいてた棚じゃないか……」
 特に重要でも壊れ物でもない品を置いておくための棚なのだが、足の作りが甘いのか不安定で、前を歩いただけでガタガタ音がする。そんな棚ならこういう事もある。……そう無理やり納得して、落ちたダンボール箱を拾おうと腰を屈める。 

 途端、和也の背中にずしっと重い何かが圧し掛かってきた。

「――――ッ!?」

 今度こそ心臓が飛び出そうなほど驚き、背中の何かを振りほどこうと遮二無二暴れる。だがそれは和也の背中を掴んで放さない。
「うっ、うわ――――――っ! うわっ、わっ、わっ―――――!」
 和也は半狂乱で走り回った。足がもつれ、転倒しかかった身体を支えた棚を勢いあまって引き倒し、上のものをぶちまけてしまう。
 そこへがりっ、と左頬に鋭い痛み――――何か鋭い者で引っかかれた。得体の知れない悪意を感じ、ついに和也は悲鳴を上げた。
「ぎにゃ――――――――ッ! 出たあああああああああああああああああああああああっ!」
 つんのめる様に貨物室から飛び出す。そのまま自分でも何を叫んでいるのか解らない喚き声を撒き散らしながら、そこら中を走り回った。



 数分後、叫び声を聞きつけて何事かと集まってきたクルーたちの輪の中心で、和也は腰を抜かした情けない事この上ない格好で事態のあらましを伝えていた。
「ほほほ、本当に何かいたんですよう……」
「夢でも見たんじゃないのか……って、なんか既視感デジャビュを感じるな」
 タカスギ・サブロウタ少佐は、何故か横にニヤ付いた目を向け、
「! ……何かの勘違いですよ。どうせ……」
 目を向けられたマキビ・ハリ中尉は、一瞬顔を紅潮させた後憤然とした顔になった。
 和也はすぐさま反論する。
「か、勘違いじゃありません! いきなり僕の背中に、毛むくじゃらの何かが圧し掛かってきて、僕の顔を引っ掻いて――――」
 オバケ――――かどうかは今思うと怪しい。質量があった。だがそれは、確かに『何か』が貨物室にいたという事。
 だが誰も信じてくれない。ハーリーも、サブロウタも、駆けつけてきた『草薙の剣』メンバーたちも、「この人大丈夫?」的な眼差しを送ってきている。
「近頃噂になっている、光る目のオバケか?」
「毛むくじゃらのオバケってのもイメージが沸かねえな……」
「オバケではなくて、冥王星からの物体XXXかも知れませんわよ」
「ああ、あのブタの顔が八つに裂ける映画ですか」
「……ブタに圧し掛かられれば、和也さんでも圧死すると思いますが……」
「いやいや、それ以前にブタが歩き回ってたら大騒ぎでしょ……」
 楯身、烈火、美雪、妃都美、美佳、それに澪と、口々に好き勝手な事を言っている。誰も本気にしてはいないらしい。先ほど別れた奈々美もいるが、一歩退いたところで黙っている。薄情な連中だ。
 珍しい事に、特に懐疑的な目を和也に向けてくるのはハーリーだ。今もブリッジで操鑑に専念しているであろうルリは和也たちにこういう目を向けてくる事が多いが、それよりも露骨というか、不機嫌そうだ。
「そもそも、なんでコクドウ隊長が貨物室に入れたんですか? あそこは無断進入厳禁のはずですよ」
「それはカキノキ――――そうだ。整備班のカキノキって人が僕をあそこに誘ったんです。幽霊がいるのは本当だから見に行ってみろって。きっと僕を驚かそうとして何かを……あの人、カキノキ・レオはどこですか!? 整備班なら格納庫あたりに――――」
 僕にいたずらを仕掛けるとはいい度胸だ。歯の一本はへし折ってやる――――などと物騒な事を考えた和也だったが、ハーリーは「カキノキ?」と首をかしげた。
「……そんな人、ナデシコにいませんよ」
「ええ!? そんなはずは……」
 どうやらカキノキという名前も嘘だったらしい。返答に窮した和也へ、さすがに奈々美が助け舟を出した。
「その時はあたしも一緒にいたわよ。アホらしかったから貨物室には行ってないけど……タラコ唇でダサい眼鏡の小男だったわ」
「なんだそりゃ。艦内で見た覚えがないな……まあ検索しとくか」
 サブロウタは一応、不審人物に気をつけてくれるようだ。自分の主張を一つでも聞いてもらえた事に、和也は少しだけ安堵した。
 しかしそれをぶち壊すように、ハーリーが口を開く。
「じゃあそれでいいですね。以上、解散」
「え、ちょっと、調査とかは……」
「そんなのしません、意味がないですから」
「いや、でも僕は現にポルターガイストとかを体験して……それにこの引っかき傷も……」
「ポルターガイストもポッキーアーモンドもありません!」
 取り付く島がない。
「と・に・か・く! 幽霊なんて存在しませんっ! 馬鹿馬鹿しいですっ!」
 ぴしゃりと言い捨てて、ハーリーはブリッジのほうへ歩いて行ってしまった。
 なんだよもう。信じられないのは仕方ないけれど、あんな言い方はないだろう――――憤慨する和也に、サブロウタがやんわりと言う。
「悪い悪い。この手の話はハーリーの古傷に触れるんだ。勘弁してやってくれ」
 その“古傷”というのは一年前のしょうもない事件の事なのだが、それを和也たちが知るのはもう少し後になる。とにかく……
「ま、とりあえず艦長に報告はしといてやるよ。誰かが貨物室を勝手に開けたのは確かみたいだからな」
 言って、サブロウタもその場を立ち去ってしまう。
 サブロウタはハーリーよりフレンドリーな対応だが、和也を襲った『何か』は信じていないようだ。
 どいつもこいつも、子供のたわ言を聞くみたいな顔をしやがって……イラッときた和也は、
「こうなったら、僕たちであれの正体を突き止めるよ!」
「僕『たち』という事は、我々もでありますか?」
「僕が嘘つきのガキだみたいな事言われて黙ってるのか!? 悔しいじゃないか!」
「それは和也さんの個人的な心情で、わたくしたちとは無関係ですわよね?」
 そう言った美雪に、うぐ、と和也は一瞬言葉を詰まらせ、
「……解った。強制や命令はしない。その上で僕を助けてくれる奴は一緒に来てくれ!」
 隊長の顔で言う。
 そんな和也に『草薙の剣』メンバーたちは――――

「……では、自分は失礼いたします」
 楯身は敬礼して去った。

「ではお休みなさいませ、良い夢を」
 美雪はひらひらと手を振って去った。

「んじゃあオレもおっかな……眠いんで失礼するわ」
 烈火はそそくさと帰った。

「…………」
 奈々美は無言で消えた。

「それじゃあ、頑張ってください」
 妃都美はそっけなく踵を返した。

「……和也さんに神のご加護を……アーメン」
 美佳は最後の慈悲とばかりに祈りを捧げ、立ち去った。

「和也ちゃんも早く寝たほうがいいよ?」
 澪は柔和に微笑って、部屋に戻っていった。

「…………あっ、あ、あ……」
 一人ぼっちで残された和也は、去っていく仲間たちの背中に空しく手を伸ばすも、何も掴む事はなかった。
 変に格好つけずに、お願いだから手伝ってくれと頼めば良かったのだろうか。
 しかしもはや後の祭り。

 ――――ひゅうううぅぅぅぅぅぅ……

 最近調子の悪い空調が冷たい風を吐き出す。
 ……なんだか、寒さが骨身に染みた。



「――――ええいくそ! 僕一人になったって負けないぞ!」
 気を取り直した――意地になった、というほうがより正確であった――和也は、再び貨物室へと入った。
 今回は恐々とではない。中で騒ぎが起きた事で、貨物室担当のクルーが中を調べにやってきて、一度消された照明が点灯している。明るい場所にオバケは出ない。
 映画などでは突然ぶつっ、と電気が消えるパターンもあるが、それはさておき。
 和也が『何か』に襲われた場所では、貨物室担当のクルーが床に落ちたダンボールを片付けていた。就寝中のところを叩き起こされたせいか不機嫌そうな目を向けてくるクルーには声をかけ辛かったが、意を決して和也は尋ねる。
「お、お騒がせしてます……ところで、そのダンボールって……」
 先刻は室内が真っ暗だったためにダンボールの中身までは解らなかったが、改めて明るい中で見るとその中身は……
「……かつお節?」
「厨房で味噌汁の出汁をとったりするのに使うかつお節だよ。いつも食べてるだろ」
 倉庫係のクルーはそっけなく答える。
 かつお出汁汁をベースに赤味噌と白味噌を半々で入れるのがナデシコに伝わる伝統的な味噌汁の作り方らしいのだが、そのためにかつお節はわざわざ産地を指定したこだわりの一品を使っているらしい。味覚の失われた和也には関係ないが。
 戦艦のクルーにとってある意味一番の楽しみと言える食事を支えるこだわりの一品が、無残にも床にぶちまけられていた。それはただ箱が床に落ちたから、というだけではなさそうだ。
「袋が破れてる……切ったっていうより引き千切ったのかな」
 業務用なのか500グラムは入っていそうなビニールの袋には、引きちぎった後に特有のささくれた破れ目があった。袋にはチャック付きの開け口があるのに、そんなものは目に入らないと言わんばかりの破り方だ。
 これがオバケの仕業なら、かつお節を前に理性が吹き飛ぶほど好きなのだろうなと思いつつ、他に何か変わったところはないかと貨物室内を見て回る。
 オバケも怪生物も見当たらなかったが、代わりにこの場にいるはずのない人物が目に入った。
「奈々美? 寝たんじゃなかったの?」
 声をかけると、奈々美はびくっと震えて和也を振り仰いだ。
 ……まずいところを見られた。
 顔にそう書いてあった。
「……あ、あんたと同じ用件よ……あたしもカキノキって奴には会ってるし、気になって寝られなかったのよ」
 奈々美は、何故か明後日のほうを見ながらそう言った。
 その途端――――

 和也の目から、だーっと涙が溢れた。

「ちょ、あたし何か悪い事言った?」
「違うよ、感動したんだ。味方がいてくれたから……」
 奈々美の手を両手で握って感謝の意を示す。
 手を握られた奈々美は、思いっきり腰を引いていたが。
「そ、それはそれとしてさ。ここの通気ダクトの蓋が外れてたんだけど、これがちょっと気になってたのよね」
「ん、どれ……」
 ポケットのちり紙で鼻をかみ、気を取り直して奈々美の指した通気ダクトを覗き込む。
 奈々美が言う通り、艦内に空気を循環させる通気ダクトの蓋が外れていた。四隅をボルトで固定されたこれが外れているなど普通はありえないのだが、ナデシコBでは少々事情が異なる。
「ナデシコBの通気ダクトって、固定してるように見せかけて実は外れるようになってるんだよね」
「そうね。ホシノ中佐さんの意向らしいわ」
 この蓋、四隅のボルトはダミーで、スライドさせるだけで簡単に外せる。これはナデシコBが訓練艦から戦艦へ改修される時に、ルリの強い希望によって設置されたものだ。曰く、『万が一ナデシコBが敵に占拠された時、潜伏して反撃の機会を窺うため』らしい。
 和也たちでも首を傾げるような話だが、実際それで助かった事があるとルリは大真面目のようだった。
「普段は閉じてあるはずだし……ひょっとして、あいつここから逃げたのかな」
 あいつ、とは和也に襲いかかってきた『何か』の事だ。
 オバケなら壁を透過できるというのは偏見かもしれないが、わざわざダクトから逃げたという事はやはり実体のある生物の可能性が高い。
「……よし、追っかけてみるか」
 言って、ダクトに潜り込もうとする和也に、「え、ちょっと……」と奈々美が戸惑い気味に声をかけてくる。
「行くの? ……危なくない?」
 奈々美らしくない物言いだった。こういう時奈々美なら「幽霊だろうがケンカ上等!」と息巻くところではないだろうか。
「つっかえて動けなくなるほど狭くないよ」
「そ、そう? ……じゃあ行ってらっしゃい」
 最後に「なんか変わった物見つけたら、コミュニケであたしにも教えてね」と念押しするように奈々美は言った。



 ダクトの中に潜り込んでみると、確かに頑張ればどこまでも這って進めた。
『どう? 穴倉の中は』
 不意にウィンドウが現れ、奈々美が話しかけてきた。
「確かに艦が占拠された時隠れるにはよさそうだね。それに構造上どこでもって訳には行かないけど、艦内を気付かれないで自由に行き来できる」
『ふうん、中佐さんが言うだけあるって事かしらね。問題は水と食料、後は排泄?』
「それなんだけど、なんとダクトの中に乾パンと水と携帯トイレの入ったボックスが設置されてる……ホシノ中佐、本気で艦の占拠に備えてるんだね」
『こんな狭い中で何日も我慢するなんて死んでもやりたくないけど……やらずに死にたかないしね』
 軍人らしい会話を交しつつ、匍匐前進の要領で先へと進む。
「案外快適かもよ。わりとあったかいし……ひゃっ!」
『あ!? なんかあったの!?』
 突然声を上げた和也に、奈々美は切羽詰った声を上げる。
「な、なんだか水溜りみたいなのに突っ込んだ……」
『……水?』
「水漏れでもしてるのか? 生暖かいし、変な臭いもするし……」
『……………』
 何故か奈々美が、少し黙り込んだ。
『……あー、和也、寝る前にその服洗濯して、もう一度風呂に入ったほうがいいわよ』
「はあ? 言われなくてもそうするけど……どうして」
『気にしたら負け。世の中キレイゴトですまない事もあるわ』
「奈々美。さっきから何か……」
 と言いかけた時――――何かが前で動いた気配がした。
「あ……」
 光る目が。
 噂通り――――ベッドの下に出没するという青白く光る不気味な目が、暗闇の中でそこだけはっきりと浮かんでいた。
 それは明らかな意思のある目で和也を睨みつけると、そのまま音もなく暗闇の中へと消えた。状況を認識した和也が声を上げる。
「見つけぐえっ!? 痛……っ」
 声と一緒に頭も上げてしまい、ゴツンとしたたか頭を打った。
「やっちゃったよもう……奈々美、見つけた……やっぱりここにいた」
『ホントに!? 早く追っかけて! 捕まえんのよ!』
「いや、追っかけたいのはやまやまなんだけど……」
 あの『何か』はダクトの中を素早く移動できるようだった。和也でもさすがに匍匐前進では追いつけず、そもそも無数に枝分かれしているダクトの中でどうやって見失わずにいられるのか。
「ごめん、逃げられた……」
『チッ……使えないわね』
 盛大に舌打ちを返してくる。――上官侮辱罪でぶち込んでやろうかと本気で思った。
 つぅ、と額を何かか伝う感触。さっきぶつけた頭から、少し出血していた。今日はつくづくツイてない……
 不幸中の幸いと言うべきか、すぐ近くに出口があった。吸排気口だ。蓋をスライドさせ、外へと這い出る。――――と、
「嫌あ――――ッ! オバケ――――――――ッ!」
 突然女性の悲鳴が響き渡った。
 なに、どこだ!? と和也は足をダクトから引き抜こうとして――――

 次の瞬間、和也が目にしたのは下着姿の女性クルーが踵を振り下ろしてくる光景だった。

 迂闊にも、外がどこなのか確認もしないまま這い出した和也は、とある女性クルーの個室のベッドの下に出てしまったらしい。次の瞬間どすっ、と和也の額に、叫んだ女性クルーのヒールの踵が突き刺さった。
「あがあっ!?」
 増えた傷から血と、口から悲鳴が噴き出る。この攻撃で和也は、女性クルーが悲鳴を上げたオバケが自分の事と察した。
 頭から血を流した男がベッドの下から這い出してきたのだ。オバケと勘違いされても仕方なかった。
「悪霊退散! 悪霊退散! 成仏してーッ!」
「ちょ、待っ……! 僕はまだ生きて……ひいいいいいいっ!」
 女性クルーはパニックに陥ったのか、和也の声にも耳を貸さずに何度も何度も踏みつけてくる。連合宇宙軍制服の女性用シューズはハイヒール型で、その踵は凶悪な槍の穂先のようにごり、と和也の眉間に突き刺さった。



 数分後。
「どうしたのそれ? また傷が増えてるわよ」
「……聞かないで」
 先刻の引っかき傷に加えてタンコブと青痣を新たにこしらえた和也が貨物室に戻ると、奈々美は律儀に、と言うべきかまだそこで待っていた。
「とにかく、艦内に何か潜んでいるとしたらダクトの中だ。可能性としては一番高い」
「まあ、確かにここしかないわよね。でも艦全体のダクトを探してみるのは大変よ?」
「抜かりないよ。清掃課の人に無理言って、掃除ロボット百台全部動員した……こいつらをダクトの中に送り込んで、中の『何か』をここまで追い込む」
 その後はモップの柄で殴り殺す。何かいたのを証明するには屍骸があれば十分だと、和也は物騒極まりない考えを巡らせていた。自分をこんな目に合わせた――客観的に見ればほぼ自業自得なのだが――『何か』に、和也はもはや殺意を燃やしていたのだ。
 そんな和也に、奈々美は少し言い辛そうに、
「あー、作戦は解ったわ。そっちはあたしに任せてあんたは傷の手当てしてきたら? かわいい顔が台無しだわよ」
「うっさい。顔なんてどうでもいいよ」
 和也は自分の顔が好きではない。軍人ならもっと敵を威圧できる、それこそ烈火のような怖い顔のほうが都合がいいものを、どうしてたまに女の子と間違えられる丸っこい顔にしてしまったのか。何の記憶もない両親を恨んでいる理由のひとつだ。
 奈々美もその辺は承知しているはずだ。なので和也は奈々美の言葉を善意ではなくからかいと受け取り、撥ねつけた。
「いやでもほら、ほっとくと化膿するかもしれないわよ? それに破傷風とかも怖くない? ねえ」
 それでも奈々美はしつこくコミュニケをよこせとせっついてくる。
 ――と、そこへ。
「おや。やはりまだここに居られたようですな」
「もう夜中の三時ですわよ? 飽きもせずよく続きますわね」
「よう和也。オバケはいたか……ってひーっ! オバケだーっ!」
「どうしたんですか和也さん……和也さんのほうがオバケみたいな顔になってますよ」
「……様子を見に来て正解だったようですね……」
「和也ちゃん、オバケと白兵戦でもしたの……?」
 楯身、美雪、烈火、妃都美、美佳、それに澪――――『草薙の剣』メンバーがぞろぞろとやってきた。奈々美が「うげ……」と何故かバツの悪そうな顔になる。
「ちょうどいいところにきたね。今からオバケっていうか、その正体を暴くところだよ。……さあ、行くがいい!」
 和也はコミュニケで命令を発し、それに従い百台の掃除ロボットがナデシコ中で動き始める。何か異物を検地すれば、すぐに知らせが入るはずだ。
 その知らせはすぐに来た。貨物室から少し離れた場所で、掃除ロボットの一台が異物を感知して停止。その後すぐに動き始め、『何か』が掃除ロボットに驚いて反対方向に逃げたと解る。
「逃がすか……退路を限定してやる」
『何か』が脇道に入るのに先んじて、掃除ロボットで道を塞ぐ。『何か』は掃除ロボットを避けて貨物室ここへ来るしかない。
「……確かに、ダクトの中を何かが走ってきますね……」
「ま、まさか本当に宇宙怪獣か? 人類に敵対的な異星起源種か?」
 レーダーで『何か』を探知したらしい美佳の言葉に、烈火がたじろぐ。ようやく自分の話が本当だと認められつつある気配に、和也は口の端を吊り上げた。
「何かが潜んでいたのは本当だったようでありますな……して、奈々美。さっきから何を挙動不審にしているのだ」
「えっ? いやその、オバケだかなんだかが出てきたら捕まえてやろうと思って……」
「奈々美、そこを退いて。捕まえるまでもない、僕がこの手でぶっ殺してやる!」
 この傷の痛み、百倍にして返してやる――――復讐に燃える目を閃かせ、和也は今まさに『何か』が飛び出ようとしているダクトの通気口に向けモップの柄を振りかぶる。
「死ねーっ!」
 刹那――――

「ダメーッ!」
「へっ?」

 轟、と空気を裂いて迫る殺気。
 反射的に和也はモップを捨てて攻撃から身を守る体勢を取ったが、ガードした両腕を貫通するように拳が和也の鳩尾に突き刺さった。
「げぼっ!?」
 和也は肺の中の空気を一度に吐き出し、派手に吹っ飛ばされる。
 その瞬間、ボキボキッ――――! と鈍い音がした。ガードに使った両腕の骨が真っ二つに折れ、それでも奈々美の鉄拳の威力を殺しきれずに肋骨までが数本へし折れた。
 さらに悲劇は重なるもので、和也の体はそのまま数メートル吹き飛び、まともに受身も取れないまま詰まれたコンテナに足から突っ込んだ。――――ぐき、と嫌な音がして、左足首がありえない方向に曲がる。
 そして、襲ってくる業火の如き激痛。



「――――――んぎゃべえええええええええええええ―――――――――――――――――!」



「……?」
「なんだ?」
「ひっ……!?」
 和也の絶叫はナデシコ中にまで響き渡り、ルリたちブリッジクルーの耳にも届いたという。



「ひぎいいいいいいぃぃぃぃぃ……」
 両腕が火で炙られている。腹に千本の針を突っ込まれかき回されている。左足が万力で押しつぶされている――――そう思うほどの筆舌に尽くしがたい激痛。もはや笑い話で済まされない怪我を負い、和也は焼けたコンクリートの上でのたうつミミズのように悶絶する。
「うわ、うわああああ!? 和也ちゃんが大変、シャレになってないって!」
「しっかりなさってください隊長! 傷は深いですぞ!」
「いいい医療班に連絡を! 担架持ってきてください、担架です!」
「あらま大変ですわ。イチイチキュー、イチイチキュー、ピーポーピーポーですわ」
 澪たちが大慌てで医療班を呼ぶ。前世紀なら全治数ヶ月、下手すれば死ぬ一歩手前の重傷だ。
 何を血迷ってか、それほどの大怪我を和也に追わせた奈々美は、
「ちょっとあんた、大丈夫!? 怪我してないわよね!?」
 和也ではなく、ダクトから飛び出してきた『何か』のほうを案じていた。奈々美の腕に抱きかかえられた、思っていた以上に小さく弱弱しいそれは――――
「く……黒ネコ……?」
 全身骨折で霞む意識の中、和也はそれだけを辛うじて認識した。



「つまり、ここ数日のオバケ騒ぎの原因はそのネコだというわけだな?」
 大怪我をした和也を医療班の手を借りて医務室へ運び込み、治療を終えてようやく落ち着いた後、楯身は奈々美から事の真相を聞いた。
「あー……うん、そう。いつの間にか逃げ出しちゃってね……捕まえようとはしてたんだけど」
 奈々美はぽつぽつと語る。騒ぎの現況である黒ネコは奈々美の腕に抱かれて、そ知らぬ顔でにゃぁお、と鳴いていた。
 曰く、この黒ネコは奈々美が、数日前に壊滅させたテロ組織のアジトの中で怪我をしていたところを見つけて連れてきたらしかった。テロリストが飼っていたのか、それとも迷い込んだのかは定かでないが、戦闘の呷りを受けてか軽い怪我をしていたので、奈々美はこっそりとナデシコBへ連れ込み、世話をしていた。
 ネコは野生動物ならではの治癒力で元気になったが、怪我が治るや否や奈々美が目を離した隙に逃げ出した。そしてダクトの中を通って艦内に出没し、人を脅かしたり食料を食い荒らしたりしていたのだ。
「うはははは! 正体が解ればかわいいもんだな」
「だから言ったでしょ。オバケなんているわけないって……」
「…………」
 騒ぎを聞いてブリッジから駆けつけたサブロウタは鷹揚に笑い、ハーリーはそれ見たことかと唇を尖らせていた。ついでに無言でたたずむルリの冷たい視線に、さすがの奈々美も恐縮していた。
「しかしよ奈々美、なんでネコ拾ったの隠してたんだ? 正直に話せばオバケ騒ぎなんて起こんなかったろうによ」
「それは……」
 何気なく訊ねた烈火に、奈々美は目を逸らして言いよどむ。
 するとサブロウタが、チッチッチッチ、と烈火の目の前で人差し指を振った。
「そこを聞くのは野暮ってもんだぜ坊主。素手で人を殴り殺せる改造人間とはいえ、女の子は繊細に扱わないとな」
「はあ……?」
 烈火はわけが解らないという顔をするが、和也はなんとなく察した。
 いまさら奈々美を女の子として意識するのは和也たちには難しいが、それゆえ奈々美の性格はよく解る。弱っていたネコが可哀想だったから、拾って面倒を見てやった――――何も悪い事ではないが、自分が強い生体兵器である事を強調したい奈々美は、こういう女の子らしい一面を隠しておきたいのだろう。要するに恥ずかしかったのだ。
 しかしである。
「まあ、オバケの正体も解った事だし、これにてめでたしめでた――――」
「めでたいわけないでしょうが!」
 ベッドの上で和也は怒鳴る。両腕をギプスで固定し、左足も三角巾で吊り、頭にも包帯を巻いた和也はもうミイラ男のような有様だ。
「両腕骨折、肋骨三本骨折、おまけに足首脱臼! 手加減って物を知らないのかお前は! ガードが間に合わなかったら内臓破裂で即死だったぞ!」
「いやー……ついうっかり」
「うっかりで殺されかけたのか僕はあっ!? 奈々美は僕が直るまで営倉入りプラス、三ヶ月午後三時のおやつ禁止だ!」
「うえええええええっ!? 三ヶ月なんて死んじまうわよ!」
「……とりあえず、それだけ元気があれば大丈夫ですね」
 ルリの静かな声が、不毛な言い争いに突入しかけた和也と奈々美を黙らせた。
「コクドウ隊長の怪我は一週間もあれば完治するとして、そのネコは次の寄港地で里親を探しましょう。さすがに艦内で飼い続けるわけにもいきません。いいですね」
「あー、はい。元からそのつもりだったわ……つーわけで、新しい飼い主に可愛がってもらうのよ、カーヤ」
 既に名前まで決めていたらしい奈々美は、名残惜しそうにしていた。
「まったく、引っかかれ、蹴られ、おまけに殴られて大怪我とか……厄日だよ今日は。おまけにダクトの中でなんか水に濡れたと思ったら、あれはネコのおしっこじゃないか……」
「げげ、どおりでさっきからアンモニア臭いわけだ……ああそうだ。さっきお前らが言ってたカキノキとか言うクルーなんだが……」
 そう、サブロウタ。
「まったく該当するクルーがいないんだよな。身体的特徴でも似てる奴はいないし……こりゃ変装でもしてやがったな」
「そうですか……くそ、手の込んだイタズラを……今に見てろよ……」
 どうせネコのカーヤがかつお節目当てに貨物室へよく来ると知って、イタズラを仕掛けたのだろうと思った和也は、あのレオと名乗ったクルーにどう仕返しするかを考え始めた。
 そんな和也に、「……カキノキ?」と何故かルリが反応した。
「そうなんですよ。その男がオバケが見たいなら貨物室に行ってみろみたいな事を言うから……わざわざ変装までして、悪質ですよ」
 憤懣を込めてそう言った和也に、ルリは口元に手をやって何か考えるしぐさをする。
 そして和也に、こう尋ねた。
「その人は、タラコ唇で四角い眼鏡をかけた、小柄な男性でしたか?」
「え? ……はい。ちょうどそんな感じでした」
「艦長、何か心当たりあるんですか?」
 横から聞いたハーリーに、ルリは目を細めて言う。
「思い当たる人が、私の記憶にある限り一人……整備班所属の男性で、『ナデシコ心霊研究会』というサークルを一人で主催していた、大の心霊マニアでした」
「それ、一致するわね……」
 奈々美が言う。確かにルリの口にしている事柄は、先刻レオ本人から聞いた事と一致する。
「それです! その人は今どこに!?」
 語気を強めて聞いた和也だったが――――
 ルリはその時、妙に神妙な面持ちで言ったのだ。
「カキノキ・レオという人は戦争中にネルガルにスカウトされて、ナデシコAに乗り込んだクルーです」
 ……戦争中?
「戦争の中期、ナデシコが地球各地を転戦して回っていた頃の戦闘でダメージコントロールに当たっていた最中、被弾による爆発に巻き込まれ、戦死しています」



 ――――その瞬間、場が凍りついた。



 ……今、中佐はなんて言った?

 ――――戦死しています。

 戦死? 死んでる? もうこの世にいない? そんなバカな。じゃあ僕たちが会って話したあの人は誰なんだ。
「……冗談ですよね? ホシノ中佐」
 しかしルリは、何も言い返さなかった。

 ――――戦死しています。

 そんな事あるわけないよ、バカバカしいよ、そう何度も反芻するが、同時に和也の頭には別の事が浮かんでいた。

「……ねえ和也、そういやあの男……整備班に『所属していました』とか、サークルを『主催してました』とか、過去形で話してなかった?」
 そして奈々美が、同じ考えを口にした。

「――フフフ」
 耳元で、誰かがさも愉快そうに笑ったような気配がしたのは、はたして気のせいだったのだろうか。


 ――あの男は、

 ――――戦死して



「――――――――うわあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」



 その日、ナデシコBに、再び絶叫が木霊した。










あとがき

 大変お待たせしました。十七……ではなく十四・五話をお送りしました。話数の通り、十四話で澪と合流してから十五話でニューヨークに行くまでの半年間に起きた、ちょっとした騒動の話です。
 ここ最近重苦しい雰囲気の話が続いていたので箸休め的なギャグメインの話を入れようとしたのですが、次を考えるとなかなかそういう方向には持っていけそうになくて、仕方なく時間を遡って、本来ならボツにした話を使う事にしました。

 今回登場したカキノキ(柿ノ木)レオと黒猫のカーヤというのは、アニメ『学校の怪談』からご登場頂いたゲストキャラです。
 これは2000年から2001年にかけて放送していたアニメで、一クール半という中途半端なところで打ち切られた作品ですが、今でも一部に強いファンがついている良作です。
 私が初めて二次創作小説を書いて投稿した思い入れのある作品なので、興味のある人はぜひご覧になってみてください……と、宣伝になってしまってすみません。(汗)

 で、今回私が去年から密かに進めていた事がようやく形になりました。
 去年あたりに、Blenderというフリー(ここ重要)の3DCG製作ソフトの存在を知りまして、ちょっと興味が沸いたのでDLして練習し始めたのです。で、一年かかってようやくこの程度のCGを製作できるようになって、今回ついに念願の押絵が付き、イメージの中にしかなかった和也たちの姿が形になりました。
 まだまだ技術的につたなく、いろいろおかしいところ(肩のプロテクター(?) とか影とか)もありますが、これからはこれで押絵の製作もやってみたいと思います。

 それでは、また来年お会いしましょう。











感想代理人プロフィール

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代理人の感想

wwwwwwwwww

ベタですが楽しませて頂きましたw

しかしガードして両腕折られた上に肋骨へし折られるとか、和也って実は弱いのか(ぉ
それとも菜々美がパワーファイターなのか?w



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