日本、新東京臨海国際空港。200年前の東アジア戦争で羽田、成田といった主要な空港がミサイル攻撃で使えなくなった時、東京湾上に急遽建設されたメガフロート式の臨時空港をその始まりとし、現在は宇宙船用滑走路も備える日本有数の空港。
 長大な滑走路では多くの旅客機や輸送機がひっきりなしに離着陸を繰り返し、人と物を運ぶ大動脈としての役割を今日も果たしている。
 何かと世界の情勢がキナ臭い昨今、外国へ行く際の懸念材料には事欠かない。特につい一週間ほど前にあった中東・バビロニア共和国でのテロリスト集団と地球連合軍の大規模な戦闘と、それによるバビロニア共和国への非難決議採択のニュースは記憶に新しいところだ。
 海外出張へ行くのだろうサラリーマンや、旅行へ行くと思しき家族連れで混雑する国際線ロビーでは、多くの人々が携帯電話やノートパソコンを使って行き先の治安状況を把握しようとする姿が見られる。予断ではあるが最近日本で人気を博している海外旅行先は、お隣の高麗共和国や台湾、フィリピンやマレーシアといった日本と同じ東アジア連合EAUに属する国がもっぱら上位を占めるらしい。
 そんな不安と日常が交錯する中で、彼女は当分聞けなくなるだろう友人の声を聞いていた。
『……うん、大丈夫。話はついたって言ってたから。向こうに行ったらそう簡単には連絡も出来なくなると思うから、今の内に言っとくわね、……いろいろあると思うけど、元気でね』
「何から何までありがと。そっちも元気でね」
 短い会話を交わし、携帯を切る。この二ヶ月の間に言いたい事は大体言い尽くした。
 予定の時刻が近付き、これから乗る予定の飛行機の搭乗ゲートが開く。彼女を置いて行ってしまった人が、その向かう先にいるはずだった。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十四話 守りたいもの



 まだ九月だというのに、その日の地中海の風は妙に冷たかった。
 風向きは偶然にも東風。それを自覚すると、風に乗って焦げ臭い臭いが漂ってくるような錯覚に囚われ、黒道和也は、はあっ、と重い息をつく。
「隊長、そろそろ飛行機の到着する時間であります。行きませんと」
 ついさっきまで和也を気遣って何も言わないでいた楯崎楯身が、背中から声をかけてくる。「解った、すぐに行く」と短く答え、和也は踵を返して歩き出す。
「隊長……」
「僕は大丈夫。それより、狙撃可能地点の割り出しは終わった?」
「……は、何分周辺にあまり高い建物の無い街ですので、ファザード前を見下ろせる地点は限られます。めぼしい地点には既に警官隊を配置するよう要請済みであります」
「対物ライフルや機関砲の類で聖堂そのものを狙ってくる可能性もある。監視の網はそれこそ街中に張り巡らせる必要があるよ。何せ……」
 歩く足を止め、西側を振り仰ぐ。
 和也の目線の先にあるのは、18本の尖塔を頂く巨大な聖堂が周辺の建物を圧して聳え立ち、見る者を圧倒する壮麗な光景だった。
「あれをほんの少し壊しただけで完成式典は台無しになる。それだけでもグリーンランド共和軍の奴らにとっては大成功のはずだ」
 サグラダ・ファミリア大聖堂。聖家族贖罪教会とも呼ばれ、およそ300年の年月を費やしていよいよ数日後に完成する歴史的建築物であり、世界遺産。
 そして今回、和也たちが守るべき物でもある。



 バルセロナ――――USEヨーロッパ合衆国・スペイン州の州都であるマドリードに次ぐ第二の都市であり、地中海西部に面する港湾都市。
 14世紀に建設された城塞を起源とする旧市街と、碁盤の目のように正方形の街区が並ぶ新市街からなる。旧市街から新市街を見て回れば古代の遺跡から中世ヨーロッパ風の町並み、そして近代都市へと風景が移り変わり、ちょっとしたタイムトラベル気分を味わえる。
 和也たちとナデシコBがUSEに滞在して、もう一週間になる。
 地球連合の主流派、その中でも北アメリカ連合、東アジア連合EAUと並び三大勢力と数えられるUSEではあるが、ここにも火星の後継者に同調するテログループがいくつか点在している。
 サグラダ・ファミリア完成式典を数日後に控えてUSEはお祭りムードに包まれているが、USE大統領のほか、各国大使も出席するこの一大イベントをテロリストが狙わないわけがなく、ある意味当然のように襲撃を示唆する内容の犯行予告が送りつけられていた。
 テロリストの脅迫に屈する事は許されない。それがこの世界の大原則であり、USE政府は予定通りの開催を返答に代えて応じた。
 そのためにはほぼ間違いなく起きるであろう完成式典を狙ったテロを未然に、あるいは水際で阻止しなければならない。そこで中東を離れて間もないナデシコBにも、警護の応援が命じられたわけだ。
 和也たちはナデシコBで寝起きしながらバルセロナへ足げく通い、式典会場を狙撃出来る地点の見落としはないか、爆弾を仕掛けられそうな場所はないか入念に下調べをしつつその日を待ち続けている。
 補充人員を寄越す旨の知らせが舞い込んできたのは、そんな中での事だった。



『――補充人員? 別に人手は足りていると思いますけど』
 ナデシコBのブリッジでその話を聞いた時、和也は最初そう言った。
 今まで何度も任務をこなしてきたが、人員が足りていないと感じた事は特になかった。それに対し、マキビ・ハリ中尉が答える。
『ほら。皆さんの専属オペレーターが『高天原』の事件で怪我して、そのまま部隊を離れちゃったじゃないですか』
 それを聞いて合点がいった。
 思えば、あれからまだ一カ月程度しか経っていないのに随分と昔の事のように感じる。あまりにいろいろな事がありすぎたから……
『代わりの人が来るまで僕や艦長が代わりを務めてましたけど、やっぱり最近は僕たちも自分の仕事だけで手一杯で……』
『ああ、それは気が付きませんでした。すみません、負担をかけてたんですね』
『いえ、別に気にしなくても……それで、やっと統合軍から代わりの人が来る事になってて、今日の午後の便で空港に付くそうです。現場の下見が終わったら迎えに行ってください』
『了解。で、その人の容姿と名前は?』
『それは……』
 なぜか言葉尻を濁し、ハーリーは傍らのホシノ・ルリ中佐に顔を向ける。
 ルリは艦長席に座り、和也たちに背中を向けたままで、
『顔と名前は教えてもらってません。ただ『来れば解る』そうです』



 そういうやり取りがあって、サグラダ・ファミリア周辺の下見を終えた和也たち『草薙の剣』メンバー七人は、空港の入国ロビーにて顔も名前も解らない補充人員を待っていた。
 バルセロナから最寄りの空港であるここは、正しくはバルセロナ・エル・プラット空港と言う。二つあるターミナルは往時の芸術家が描いた壁画で装飾されていて、どこか博物館めいた明るい雰囲気を醸し出している。
 ただし二つのターミナルは移動にシャトルバスを要する距離で、おまけにいくつかのエリアに分かれているため場所を間違えやすい。和也の横では、楯身が待ち合わせ場所を書いたメモを見ながら、場所はここで合っているか確認するのに余念がない。
「顔も名前も知らないのに、どうやって私たちと合流するんでしょう? 軍服も着てませんし……」
「さあ? 来れば解るって言ってるんだから何とかなるんじゃない?」
 真矢妃都美と田村奈々美がそう言い交わす。
 あまり目立つ事は好ましくない特殊部隊の任務上、街中で軍の制服を着る訳に行かない和也たちは全員が私服姿だ。傍目には観光客か留学生の一団にしか見えないだろう。
「でもよ、どんな奴が来るんだろうな」
 オペレーターってくらいだから、やっぱり綺麗なねーちゃんがいいよな、と楽天的な事を言う山口烈火。
「……私は……むしろ性格の悪い男性の方が好ましいと思います……」
「ふふ、また怪我して離れたり、死んだりするかもしれない人だから?」
 神目美佳は会う前からお別れの事を考えていて、それに影守美雪がくすりと笑った。
 そんな二人のやり取りを聞いた和也は「そうかもね」と一言、口にしていた。
「嫌な奴の方がいいよ。戦って死ぬかもしれないような奴がね……」
 言った和也に、全員がしん、と押し黙る。
「……相変わらず元気ねえな、和也の奴……」
「……ベイルートの一件は、別に和也さんだけの責任じゃないのに……」
「……仕方あるまい……自分の命令で多くの民間人を殺傷してしまった、これは隊長にしか解らない苦悩であろう……」
 ひそひそと囁き交わす声。
 失敗したな……と和也は自分の失策を悟った。
 一週間前のベイルートで、和也は火星の後継者の思惑を阻止して民間人を救うつもりで、勇んでベイルートに潜入した。しかし結局事態を収拾したのはバビロニア共和国の国軍で、和也たちは民間人と衝突を引き起こして何人も殺傷し、小さな女の子まで手にかけた。
 今でも、後悔が鉛の塊を飲み込んだように胸の奥に残っている。
 出来るだけ任務の支障にならないよう心掛けてきたつもりだが、やはりふとした事で態度や顔に出てしまう。かといって如才なく取り繕うやり方も思い浮かばず、聞こえていない振りをして入国ゲートから流れ始めた人の波を観察する。
 ――ん?
 和也は目を細める。入国してきた人の中に、何か見覚えのある顔を見つけたような気がしたのだ。
 ――そんなバカな。
 すぐにそんなはずはないと思い直す。こんな所に彼女がいるわけがない。やっぱり精神的に参っているのかな、と思い、一つ大きくため息をつく。
 だが次の瞬間、和也はそれが間違いだったと知った。

「――――和也ちゃん!」

 だしぬけに自分を呼ぶ声が聞こえ、和也ははっと目を見開いた。
 耳慣れているはずなのに、ひどく懐かしく感じる声。
 自分の事を和也ちゃんと呼ぶ声。泣きそうな、それ以上に嬉しそうなその声。それら全てが連想させる声の主の姿。

 ――地球人で最初の、そして一番の友達の声。

「……澪?」
 自分がそう口にした事さえ信じられない。一瞬たちの悪い夢でも見ているのではと思い、傍らに立つ仲間たちを振り仰ぐ。
「露草殿?」
「澪さん?」
「露草?」
「澪ちゃん?」
「……露草先輩……?」
「露草さん……ですわよね」
 しかし皆一様に――たぶん今の和也がそうであるように――目を見開いて、同じ言葉を、同じ人の名前を呼んでいる。

「和也ちゃん! みんな――――!」

 泣き笑いのような表情で、大きく手を振って。
 露草澪が、そこに立っていた。



「――本日付けをもちまして、統合軍より出向、対テロ暫定チーム5へ配属になりました、露草澪一等兵です。よろしくお願いします!」
「宇宙軍第四艦隊所属、戦艦ナデシコB艦長のホシノ・ルリ中佐です。あなたの出向を歓迎します」
「同じく副長、タカスギ・サブロウタ少佐。ヨ・ロ・シ・ク」
「同じく副長補佐の、マキビ・ハリ中尉です。こちらこそよろしく」
 澪を伴ってナデシコBへ戻った和也たちは、すぐにブリッジへと呼び出され、そこで澪とナデシコBの三頭が顔を合わせた。
 敬礼と答礼を交わして型通りに挨拶を終えると、澪はルリに顔見知りに対してする態度で話しかけた。
「えっと、お久しぶりです。ホシノさん。私の事覚えてますよね?」
「ええ。中学の頃にミナトさ……ハルカ先生の家で何度か会っていますね」
 その節はどうも、とルリは言う。
「それとここでは私は上官なので『艦長』とか『ホシノ中佐』とか呼ぶようにしてください」
「解り……いえ、了解しました艦長。……えっと、タカスギ少佐でしたっけ。そちらもどこかでお会いしたような気が……」
 澪に言われ、サブロウタは僅かながらギクッとした様子を見せた。
「ほら、前に和也さんと遊びに行った時にナンパしてきた人ですよ」
 そう澪に耳打ちしたのは妃都美だ。その後でしっかりと「あの人には気を付けてください」と念を押してもいる。
「ま、まあそんな昔の事はどうでもいいだろ。今は新しい仲間の到着を祝おうじゃないか、諸君」
「サブロウタさんが諸君とか言うときは一番怪しいんだよなあ……」
「なんか言ったかハーリー?」
「あ、いえ! ツユクサ一等兵の着任を歓迎します!」
「ありがとうございます。いろいろ解らない事は多いですけど、頑張って働きます!」

 ……そんな和気藹々としたやり取りに、和也は眩暈がしそうなほどの混乱を味わっていた。

 何で澪がこんな所に来るんだ?
 どうして澪がオペレーターとして配属になって、歓迎するなんて話になるんだ?

「今日からよろしくね、みんな。これでまた一緒に……」
「……何が、『今日からよろしくね』だよ」
 搾り出すように言った和也の言葉に、澪が「え?」と目を見開く。
「どうして軍隊なんかに来たんだ? 澪は戦争も軍隊も嫌いのはずだろう?」
「う……うん。でも私、和也ちゃん……たちと一緒に、その……」
「――っ! ホシノ中佐!」
 要領を得ない澪の答えに、和也はルリへ質問の矛先を変える。
「新しいオペレーターが澪だなんて聞いていません。一体これは……」
「私も聞いていません。ですが彼女はれっきとした統合軍所属のオペレーターとなっていますし、問題はないはずですけど」
「問題あります! 澪は……!」
「澪は、何ですか? 問題があるならはっきり言ってください」
 まっすぐに言い返してくるルリに、和也は反論の言葉がすぐには思い付かない。
 澪はこんな所にいるべきじゃない。澪はこんな世界の汚い裏側を覗くべきではないというのが和也の考えだ。澪には綺麗な手のままでいて欲しかった。
 しかしそんな事を口にしたところでルリたちを納得させる事など出来そうにない。そもそも澪の配属に反対する理由になっていない。
 だから和也は、思いつく限りのもっともらしい理由――――心にもない最低の嘘を、口にした。
「澪に……彼女に実戦でのオペレートを担当するだけの能力があるとは思えません。素人に命を預けるみたいな真似をして、隊を危険に晒す事は隊長として看過できません」
「そんな、和也ちゃん!」
「ごめん、澪は黙ってて」
 澪が傷ついた顔をする。強烈な自己嫌悪に腹を裂きたくなるが、それを無視やり押し殺して続ける。
「オペレーターの変更を要請します! もっと経験豊富な人だっているはずでしょう!?」
「そんな事を言われても、統合軍の人事に口出しする権限は私にはありません」
 だったら……とさらに食い下がろうとしたところで、サブロウタに一括された。
「いい加減にしろ黒道ッ!」
「っ!」
「オペレーターとしての彼女の能力に問題はない。少なくとも統合軍から渡されたデータの限りじゃな。これから訓練もやってお前たちと一緒に経験も積んでいく。それは誰が来たって同じだろうが」
「し、しかし……」
「それともまさか、任務に私情を挟む気じゃないだろうな。そっちの方がよっぽど問題だと俺は思うぞ」
 あっさり見破られ、和也は唇を噛んだ。
 反論の余地なんてあるわけがない。サブロウタの言う事が全面的に正しい。
「少し頭冷やしてこい。話はそれから聞いてやる」
「了解……しました。失礼します……」
 逃げるようにブリッジを後にする。怒られただけでなく、皆の気遣わしげな視線が痛かった。

「――――くそっ!」

 だん! と感情任せに壁を殴りつける。
 僕は何をやっているんだと思った。みんなの見ている前で隊長としての節を曲げて、澪を傷つけるような事まで言って……
「ごめん……だけど……」
 二ヶ月前、澪を手にかけようとした火星の後継者を切り殺した時の事がフラッシュバックする。帰り血に濡れた和也の事を、やはり帰り血に濡れた澪は怯えた目で見つめていた。
 あの時、自分は澪のまえでしてならない事をしてしまったのだと思った。
「またあんな事をやれって言うのか……澪が見てる前で人を殺すかもしれないのに……!」



 和也がいなくなったブリッジには、微妙な空気が漂っていた。
 言い争った後に特有の、胸に澱が溜まったような後味の悪い感覚に誰もが表情を曇らせている。それは表面上無表情を保っているルリも同じだった。
「……私、来ちゃいけなかったのかな」
 消沈した澪の声。
 彼女とて久しぶりの再会を笑顔で祝ってくれる事を期待していたわけではあるまいが、ああまで言われては落ち込みもするだろう。
 まったく雰囲気を悪くしてくれたものだとルリは思う。部下の命を預かる隊長が、任務に私情を挟んだ挙句に部下の士気を下げるような真似をするべきではない。
 ――いえ、考えてみたら私も両方やっちゃってますね……
 人の事は言えないか、とルリは内心で自嘲する。
「……手放しでようこそ、と言えるような所じゃないのは確かですね。血を見る覚悟もなしに遊び気分でここへ来たのなら、コクドウ隊長の言う通り別の人に変わってもらうべきでしょう」
「か、艦長……それはちょっとひどいんじゃあ……」
韜晦とうかいしても仕方ないでしょうハーリー君。ここは軍隊で……私たちは戦争してるんです」
 確かに、とサブロウタが同意した。
「黒道の言い分はただの公私混同だが、気持ちは解らないでもない。ここは戦場だからな」
「……私は……遊びで来たんじゃありません」
「いや、それは解ってる。今は九月だからな。学校中退してまで来たんだから、それなりの覚悟はあると……」
「いいえ。学校は卒業しました。単位を取得して早く卒業出来る制度を使って」
 予想の斜め上を行く返答に、ええっ、と驚きの声が上がる。
「ちょ、ちょっと澪ちゃんって、こんな早く卒業出来るほど単位あったっけ?」
 そう、奈々美。
「あったけど、少しだけ。だから強化課目受けたり家で自習したりして、早く卒業出来るよう頑張ったよ」
「そ、そりゃ結構……」
 さすがのサブロウタも舌を巻いている。
「そこまで努力出来るのなら、私からは何も言う事はありません。……皆さん、ツユクサ一等兵を案内してあげてください」
「了解しました。……露草殿、こちらへ。露草殿は我々と同じく統合軍の所属ですので、艦内の移動には制限が……」
 澪は一礼し、楯身たち『草薙の剣』メンバーに付き添われてブリッジを退出する。敬礼すべきところでお辞儀してしまうあたり、まだ彼女は軍人になりきれていないのが窺えた。
「……しっかし、あの黒道が隊長としての筋を曲げてまで個人的感情を優先させるとは……正直以外だな」
「僕もそう思いました。コクドウ隊長って、いつも自分は隊長だからって肩肘張ってる感じだったのに……」
 三人だけになったブリッジで、サブロウタとハーリーが言い交わす。
 それはルリも思っていた事だった。和也が個人的感情を持ち出して任務を曲げるなど、ルリの知る限りはなかった事だった。
 しかし事情を少しだけ知るルリには、和也の考えが解らないでもなかった。
「彼女の事がそれだけ大切……というか、恩義を感じているんでしょう。彼女のおかげで学校に溶け込む事が出来た木星人移民の学生は多いですし」
 それは白鳥ユキナから聞いた事だ。ユキナ自身も最初は地球人への反感から周りに壁を作っているところがあったが、それを取り払うきっかけになったのが澪だと言っていた。きっと和也も、他のメンバーたちもそうなのだろう。
「居場所をくれた初めての友達ってわけですか。なるほど、そりゃ大切だろうな」
「ええ、それがきっと半分……」
「あとの半分は?」
 訊いたサブロウタに、ルリは目を閉じる。
 これは、ルリに通じる理由でもある……

「もう一つの理由は、きっと一年前に死んだ彼女のお父さんの事でしょう……」



 ――翌日。

「うわ、すごーい! 私、こんなの初めて見た!」

 澪の上げた弾んだ声が、反響する事もなく広大な空間に吸い込まれていく。
 澪をひとまずはオペレーターとして迎え入れた和也たちは、来たばかりで何も知らない澪に今回の任務を説明するため、警備の対象であるサグラダ・ファミリアを訪れていた。当然一般人に扮し、観光客に混ざってだ。
 完成式典が目前に迫っているからか、周囲にはいろいろな人種の観光客がカメラを片手に感嘆の声を上げ、あるいは胸の前で手を合わせている。そんな彼らの放つざわめきも、カメラのフラッシュも、全てを飲み込んでしまう雄大さがこのサグラダ・ファミリア大聖堂にはあった。
 数千人を収容できる広大な聖堂には天空まで届かんばかりの巨大な柱がいくつも林立し、遥か頭上の天井近くで樹木のように枝分かれしている。天井には大小さまざまな天窓が口を開け、そこから太陽光が差し込む様は木漏れ日を思わせる。
 さながら巨大な森林の中にいるような感覚。それに加えそこかしこに施された華美な装飾と四方のステンドグラスが木漏れ日を受けて幻想的に輝いている様は、この世の空間とは思えないほど神秘的だ。

 ――何度見ても……凄い。これだけの物を機械も使わず人の手だけで、300年もかけて作ってきたのが信じられない。

 木星人の、信仰する神を持たない和也でも、この空間に多くのものを感じずにはいられない。
 この壮大な聖堂を設計・建築したのは、バルセロナの各地にその作品を遺す建築家、アンソニ・ガウディだ。34歳から建築を始め、74歳で電車に惹かれて死ぬまでの40年間、ほぼ半生をサグラダ・ファミリア建築に捧げ、彼の死後もこの事業は弟子たちからその子孫へと受け継がれてきたという、建築過程そのものが壮大な歴史ロマンとなっている。
 もっとも、最初にここの建築を依頼され引き受けたのはガウディではなくその師匠で、途中で施主とのケンカを理由に放り投げた師匠の仕事の後始末を引き受けた、という事の始まりを知れば、少しがっかりするかもしれないが。
 ともかく――――親から子へ、子から孫へと受け継がれながら少しづつ完成に近づいていったサグラダ・ファミリアだが、その過程は決して平坦なものではなかった。まず第一に、建設資金は人々の浄財、つまりは寄付や入場料だけで賄われてきたため資金が潤沢であったためしが殆どなく、たびたび工事が中断している。完成に300年を要した理由の一つがこれだ。
 そして、ガウディは子細な設計図を遺していない。代わりとなる模型は20世紀に戦火で破壊され、弟子たちが残した資料も焼失してしまった今となっては、本当の意味での完成予想図はどこにも存在しない。
 こうして完成したサグラダ・ファミリアは残された僅かな資料と伝承を元に完成図を推測し、足りない部分はその時々の作り手たちが創意工夫を凝らして造り上げた。だからこれはガウディ一人の作品ではなく、多くの作り手による合作と言える。
 最初にこの話を聞いた時、和也はどうしてそこまでして造らなければならなかったのか疑問に思ったものだ。数千人が居住可能な宇宙ステーションを十年かからずに建設出来るこの時代に、300年を費やして、もはや最初のイメージ通りに造れない物を造る事はあまりに遅々として非合理的に思えた。
 しかしこうして間近で見れば、また違った感想も出てくる。
「なんか……細かいって言うか、芸術的だね。これ全部手作業で造ったんでしょ?」
「……はい。これらの彫刻は、全て人の手で造られ、機械などは一切使われていません……一つ作るだけで数年を費やす気の遠くなるような作業だったでしょうが……そこにこそ意味があると思います……」
 サグラダ・ファミリアに三つある正面玄関の一つ、東側の生誕のファザード前に出ると、澪が門の前で美佳から彫刻についての説明を受けていた。
 二人の頭上には青を基調としたステンドグラスと一体化して、赤子を抱いた母親と、それを祝福する天使の姿が精緻を極める彫刻として描かれていた。聖書の物語についてさして知識のない和也でも、それがかの有名な聖人の生誕のシーンである事はなんとなく解る。
 美佳は自分と同じ宗教の協会とあって、来る前からサグラダ・ファミリアに興味津々でパンフレットなどを読み漁っていた。だから彼女はメンバーの中で一番ここについて博識だ。今も澪に対して――数日前、和也たちに対してそうだったように――彼女にしては珍しく、饒舌に説明を続けている。
「……昔、聖書を読み、神の教えを知ることが出来るのは一握りの神官たちだけでした……一般の信者たちは、こうして協会入り口に掘られた彫刻、そして中のステンドグラスや壁画によって聖書の物語を知ります。……なので、往古の建築家たちは彫刻に特に力を入れて造ったのです……より多くの人に、神の教えが伝わるようにと」
「なるほどー……そのために一生かけて造ったわけかあ……」
 澪はうんうんと頷いてみせる。
 そう説明されると、300年を費やす事にも納得出来るような気がするのだった。うまく言い表せないが、人の手だけで造られた物だからこそそういった作り手の『想い』のようなものが伝わる気がする。
 しかし、そうまでして作り手たちが伝えたかった事というのは――――
「……現世の罪を償う事――――私たち人間がすべからく背負う罪を償うため、このサグラダ・ファミリアは聖家族に捧げられて建てられました……ここが贖罪教会と呼ばれるのは、そういうわけなのです……」
 ――贖罪、ね。
 聖書の人生観に興味はないが、その言葉は和也の耳に引っかかった。
 人が罪を償うために生きているなら……自分たちは地獄行き確定だろうか。
 ――たくさん、殺しちゃったからな。テロリストも……そうでない人も。
「うーん……私は聖書とか読むわけじゃないけど、これを作った人たちの信仰心とかが凄いのはなんとなく解るかな……」
「……まあ、同じ信仰を持たない人に全てを理解しろと言うのは酷でしょうね……」
「ごめんね。あ、ねえねえ、あっちは何があるの?」
「……あちらは、三つのファザードの中で最も後期に造られた、栄光のファザードと言って……」
 美佳に連れられて歩いていく澪。それを見て、和也は表情を曇らせ、はあ、と一つため息をついた。
 と、そこへ誰かが横へ並んできた。楯身だ。
「露草殿は、すっかり物見遊山的な気分のようでありますな」
「ん……そうだね」
 これも一応任務の一環なのだが、澪はいまいちその実感が持てていないように見えた。
 だがまあ、観光地以外の何物でもないここで入隊したての澪に危機感を持てと言う方が無理かもしれない。和也自身、次の行き先はバルセロナですと聞いた時は休暇をくれるのかと思ってしまったくらいだから。
「どうして……澪はこんなところに来たんだろうね。戦争もテロもあんなに嫌っていたはずなのに」
「追いかけてきてしまった、のでしょうな。たい……我々を」
 楯身が『隊長を』と言いかけ、慌てて言い直したのを和也は聞き逃さなかった。
 そう言えば余計和也が気に病むと、慮っての事だろう。部下に気を使われてるようじゃ隊長失格だよな……と自戒じみた事を思いつつも、常に自分の一番近くで補佐してくれる楯身になら多少の本音は漏らしてもいいかと思った。
「僕たちの事を大切に思ってくれる、その気持ちは嬉しいよ……だけど僕たちに付いてきたら、絶対にろくでもない戦いをさせられる……この人たちみたいに」
 和也と楯身は、生誕のファザード、その左門に刻まれた彫刻を振り仰ぐ。
 そこに描かれているのは、聖書の一シーン。古代の兵士たちが、まだ生まれて間もない嬰児みどりごを虐殺する姿だ。
 やがて生まれる救世主が自分の権力を奪う――――そんな予言を聞いた時の王が、救世主が生まれないよう二歳以下の子供を皆殺しにしろと殆ど気が狂ったとしか思えない命を発し、その通りにした兵士たち。
 似ている、と和也には見えた。ベイルートで本当なら関係の無い民間人と銃火を交え、大勢殺してしまった自分たちと。
 こればかりは想像するしかないが、兵士たちに命令の拒否権は無かったはずだ。権力可愛さに子供を殺させるような王なら、命令を拒否した兵士にも残酷な死が待っていただろう事は想像に難くない。
 死にたくない一心で、子供を虐殺した古代の兵士たち。
 死の恐怖に耐え切れなくて、女の子を撃った和也。
 その時胸の中にあった気持ちは、きっと同じだったと思う。
「この大昔の兵隊たちだって、子供の虐殺こんなことをやるために軍に入ったわけじゃないはずなのに……気の狂った王様の命令一つで、恐ろしい事をさせられた」
 戦争のために軍に入る兵隊などいない。人殺しがしたくてやっている軍人なんているはずがない。
 兵士もまた親も人生もある人間で、軍に入った理由も生きる糧を得るためだったり、純粋に国を守りたい気持ちであったり、家族との生活のためであったりするはずだ。
 その気持ちをいつの間にか誰かに利用されて、気がつけば守ろうとした人々をその手にかけていた。
「どうして、こうなっちゃうんだろうね。ゲキガンガーみたいに純粋に、守るために戦うなんて、結局アニメでしか出来ないのかな……」
「……隊長」
「だから澪には……こんな事には係わって欲しくない。もう人殺しの現場なんて見せたくないし、その片棒も担がせたくない」
 そのためにどうすればいいかと一晩必死に考えたが、結局何一つ思い浮かばなかった。
 本当に、願いってのは叶わない。



「……ふあ……退屈ですわ」
 露草さん、まだ終わらないのかしら、と美雪はぼやいた。
 サグラダ・ファミリアを最初に見た時はさしもの美雪も圧倒されたものだが、一週間毎日見ていればさすがに見飽きる。
 完成式典当日の段取りはほぼ決まっているのだし、早く切り上げてポルト・ベルランブラス通りのカフェテリアにでも行きたいなどと思いながら、すぐ前の露天で買ったコーラを口に運ぶ。
 そうしてぼんやりと時が経つのを待っていた美雪の横を、ふと一人の男が通り過ぎた。
「…………?」
 背中に小型のボストンバッグ。服装は白のTシャツに青のジーパン。一見するとただの観光客だが、どうにもあの男だけ空気が違うと美雪の第六感的な嗅覚は感じていた。
 少し歩いてきたのだろう汗の臭いと、昨夜にでも洗ったらしいシャンプーの臭い。――そして、かすかに漂う可燃物の臭い。
 ――ふふ。カモがネギ背負って来ましたわね。
「あのー、すいません」
 さりげない風を装って声をかける。男は少し警戒した顔で振り向いたが、笑顔の美雪を見るとすぐにデレっと表情を崩した。
「僕に何か用かい?」
 ちょろい物だ、と美雪は内心で嘲弄わらった。



 数分後、サグラダ・ファミリア隣の公園に情けない姿でのびた男と、それを囲む『草薙の剣』の姿があった。

「クンクン……何だこりゃ。ペットボトルの中に液体燃料が入ってやがる。火炎瓶のつもりか?」

 男が背負っていたボストンバッグの中身を検分していた烈火が、ペットボトルの臭いを嗅いで失笑した。
 いまどき貴重な液体燃料を、こんな事に使うとは勿体ないにもほどがある。おまけにペットボトルは衝撃に強いから、火をつけて投げたとしても燃え広がらないのに。
「とんだ素人さんみたいですね。でも間違いなくグリーンランド共和軍か、それに近い過激派の人間。警察を呼びますね」
 妃都美が携帯電話を開き、警察に通報する。
 完成式典を目前に控えて警戒が強化されているため、通報してから警察車両が来るまで三分とかからなかった。ご苦労様でした、と敬礼を交わし、男が連行されるのを見送ると、澪が美雪に話しかけた。
「ねえねえ美雪ちゃん。あの人がテロリストだって、どうして気付いたの?」
「すれ違ったとき、なんとなく液体燃料の臭いがしたような気がしまして。まあ臭いというなら、よからぬ事を企んでいる人間の臭いですわね」
「つまり、感? 凄いんだね美雪ちゃんって」
「観察眼には自信がありまして……ああそうそう。あの男をちょっと脅しつけてみたのですけれど、仲間の居所を吐いてくれましたわ」
 今からとっ捕まえに行きません? と次の観光スポットに行くような調子で提案した美雪に、和也は、
「ふん。警察に任せてたら情報が得られないからねえ……きゅっと情報搾り出してくるか。みんな拳銃くらい持ってるよね?」
 問題なし、と一人を除いた全員が唱和する。
「よし。じゃあみんな車に乗って。……今日はもうバルセロナは見られなくなるけど、澪もいいよね?」
「うん。仕事だものね」
 緊張気味な面持ちで、澪。
 本物のテロリストが目の前で捕まって、先ほどまでの物見遊山的な気分が取れてきたようだった。それを喜ぶべきかすまないと思うべきか。
「ただ……私まだ、テロリストとか敵とかよく解らないんだけど。火星の後継者とは違うんだよね?」
 そう言えば、まだ澪にはそこのところを教えていなかった。歩きながら教えるよ、と和也は車を止めてある駐車場へいく道すがら、澪に今回相手取る『敵』の詳細を説明する。 
「USEで昔からある、グリーンランド独立運動は知ってるよね?」
「知ってる。テレビとかでたまに見てるからね。USEのグリーンランド州の人たちがやってる、USEから分離独立したいって運動でしょ?」
「そう。事の発端は今から150年ほど前。USEがまだEUヨーロッパ連合で、地球連合を作るために世界中があれこれ試行錯誤していた時代……」
 21世紀も半ばに差し掛かった頃、化石燃料に代わるエネルギーの確保はようやく実を結びつつあったが、その一方で人口増加によりエネルギー需要は急増し、世界は歯止めのかからない地球温暖化による気候変動に苦しんでいた。
 そんな中で、思わぬ恩恵を受けた所もあった。それまで分厚い氷河に閉ざされていた天然資源が、温暖化で氷河が溶けた事によって手が届くようになった地域――――グリーンランド。
 氷河の下から採掘されるようになった天然資源とその利益は、グリーンランドとヨーロッパ各国に大きな恩恵をもたらした。しかしそれを背景に堅調な成長を遂げ、独立した経済基盤を築きつつあったグリーンランドでは独立の機運が高まっていった。
 折しもUSEの結成が目の前に来ていた欧州各国、特にグリーンランドの統治国であるデンマークは天然資源の利益を失う事も相まって激しく反発。ついには戦争に発展した。これが現代で言うグリーンランド独立戦争である。
 政治的に成熟していたはずのヨーロッパで天然資源の利益をめぐる戦争という、ある意味前時代的な戦争が起こった事に世界は驚いた。この裏にはグリーンランド独立を後押しして、天然資源の利益を独占しようと目論む某国の扇動があったのではと陰謀論じみた説も囁かれているが、それはさておき。
 結果として、グリーンランド独立派は戦争に負けた。その後EUがUSEとなった今、グリーンランドは住民の感情に配慮した措置としてデンマーク州から分離され、同等の一州としてある程度の権限を与えられている。
「と、ここまでは歴史の教科書にも載ってる話だから、澪も知ってるよね」
「うん。大体は。でもそれで終わりじゃないんだよね……」
 澪の言う通り、独立戦争から今に至るまでの百数十年、グリーンランド独立を掲げる運動は繰り返し行われてきた。
 尤もそれは闘争とも呼べない若者たちの起こすデモや騒動の域を出るものではなく、いつものように警察による取り締まりでどうとでもなる事案……のはずだった。
「どっかの誰かさんが、彼らに武器を与えるまではね。今じゃあ軍事基地に迫撃砲が撃ち込まれたり、警察署が襲撃されるなんて事も何度か起きてる。その犯人グループ……『グリーンランド共和軍』って名乗ってる連中が、サグラダ・ファミリア完成式典への襲撃予告を出したんだ。『恥をかかされたくないなら、独立を承認しろ』ってね」
「酷いね。そんな事したって誰も独立を応援なんかしてくれないのに……ていうか、そこまでして独立したいっていうのがよく解らない。私たちはみんな、同じ『地球人類』のはずなのに……」
「…………」
 甘い――――と和也は思う。
 澪の言っている事は、地球人、いや、EAUや北アメリカ連合、そしてUSEといった、主流国の人間で一般的な考え方だ。
 地球連合が発足し、全ての地球人は同じ星で生きる『地球人類』であるとした地球人類宣言が為されて以降、『国』という概念は『星』に取って代わられた。
 だから澪のような生粋の『地球人類』にとって、同じ地球の住人でありながら分離独立し、旧態依然とした目に見えない国境線を引きたがる連中の考え方は理解し難い。
 木星人である和也たちでさえ――――いや、木星人だからこそ、地球に住む人間は地球人と一括りで考えていた。その点では木星人の意識は『地球人類』に近いのかもしれない。
 しかし、ほんの少し地球を回ってみると、『地球人類』になりきれない地球人のなんと多いことか。
 そういう地球人にとっては、未だに目に見えない国境線で区切られた『国』や、これまた古い共同体意識である『民族』が誇りやプライドの源泉であり、自分の存在の軸となる『立脚点』のままだ。『愛国心』と言い換えてもいい。
 そして地球人類主義を信仰する『地球人類』たちは、彼らにもまた『地球人類』になる事を要求して憚らない。それがどんな軋轢を生んでいるのか知らないままで。
「こんな事が起きてるなんて知らなかったよ……日本にいたら何も……」
「……僕もだよ。ナデシコに乗って海を越えるまで、何も知らなかったさ」
 このまま軍にいれば、嫌でもいろいろな物を目にする事になるだろう。日本にいれば一生知らなくてよかった残酷な現実を。
 それを見た時、『地球人類』の澪はどう思うだろう。そう思うと、和也の心は不安でかき乱される。
 この危惧が現実となるには、たぶんそう時間はかからないだろう……



 ナデシコのルリに連絡を取り、テロリストの隠れ家を潰しに行く許可を貰ってから車で数分。
 その隠れ家らしい年季の入ったアパートメントの前に車を止め、和也たちはめいめいに拳銃を取り出して戦う準備を始める。『あの時』を思い起こさせる光景に緊張する澪へ和也は、
「澪はここで待ってて」
 と言い添え、他のメンバーたちとアパートメントへ踏み込んでいった。その有無を言わせない態度がなんだか、
『僕たちに関わらないで』
 と言われているような気がして、澪は面白くない気分だった。
 ――そりゃまあ、私が銃なんか撃っても当たらないのはよく解ってるけどさ……そこまで邪険にしなくてもいいじゃない。
 私だってれっきとしたチームの一員なのに……そう思って、ふと思いついた。
 腕に巻いたコミュニケを使い、和也の持っていた携帯電話にアクセス。密かに送受信モードに設定する。
 和也は自分の携帯がポケットの中で勝手に繋がった事に気付いてもいまい。軍事用のコミュニケならこうはいかないが、一般向けの携帯電話なら容易いものだ。
 程なくして、ポケットの中に納まっているせいか少しくぐもった音質ながら、和也たちの声が聞こえ始める。

『――――ねえ和也。澪ちゃんの事だけどさ……』

 カンカンと階段を上る靴音。それと共に聞こえてきたのは奈々美の声だ。そして『なに?』と答える和也の声。
『もうちょっと様子見てあげてもよくない? 澪ちゃん、ここに来るために相当頑張って単位取ったみたいよ』
『だよなあ。統合軍も露草は使えると思ったからオレたちの所に寄越したんだろうし、ダメだったらその時考えればいいんじゃねえか』
『今からオペレーターを変えろというのでは、マキビ中尉やホシノ中佐にもご迷惑でしょうしね』
 奈々美に続いて烈火、美雪と、概ね澪の起用に賛成のようだ。不利な立場に立たされた和也の呻き声らしい声も聞こえ、どーだザマミロ、と澪は愉快な気分になる。
 しかし、『お前たちは隊長のお気持ちが解らないのか?』と反論する楯身の声が聞こえると、その気持ちも冷めた。
『……私たちと同じ罪を、露草先輩にまで被って欲しくはないという事ですね……理解出来ます……』
『そうですね。澪さんの気持ちを無下にはしたくありませんが……澪さんには、綺麗な手のままでいて欲しい。彼女のお父さんもきっとそう思っていますよね……』
 美佳と妃都美が追従して、ようやく澪にも和也の頑なな態度の理由が解った。

 ――そっか、和也ちゃん、私を戦争に巻き込みたくなくて……

 これは私にも反省の余地があるかなと、軽く自戒する。和也は自分の気持ちを解っていないと思っていたが、澪も和也の気持ちを解っていなかったかもしれない。
 そうこうしている間に目的の部屋についたのか、ぴたりと音がやんだ。
『美雪はそっちからベランダに回って。僕たちが突入したら、窓から飛び込んで驚かして』
『了解ですわ』
『美佳。中の人数と武器は?』
『……五人……いえ、六人。重火器らしいものは見当たりませんが、拳銃くらいは持っているようです……』
『所詮チンピラだしね。軽く片付けてやろう』
 了解、と五者五様の返事。そしてピンポーン、というチャイムの音がして、和也がスペイン語らしい言語でおとないを入れた。
『すいませーん。新聞とってもらえませんかー』
『いらねーよ』
『今ならカンプノウ・スタジアムの無料入場券が……』
『いらねーってんだろ』
 ぷつっ、とインターホンが切れる。すると和也はピンポンピンポンピンポンと執拗にチャイムを鳴らし始めた。頭に来た中のテロリストが、ガチャっと鍵を外す気配。
『てめえ、いい加減にしねえと痛い目に……!』
『せーのっ!』
 破壊的な音と共にギャッとテロリストの悲鳴が聞こえたかと思った途端、コミュニケからいくつもの音が堰を切ったように溢れ出した。バタバタと和也たちが走り回る音、テロリストたちと思しき怒鳴り声。そしてガラスの割れる音。
『全員動くなっ! お前たちの行動は完全に掌握されている! 抵抗はやめろっ!』
『武器を床に捨てて、両手を見えるように挙げるんだ!』
『そこっ! 動くなって言ってんでしょうが!』
 澪が聞いた事もない和也たちの激しい怒声と、鳴り止まない争う音。
 あの中でいったい何が起こっているんだと思った瞬間、バンバン! とついに銃声が二発響き、澪はびくりと身を竦ませた。映画やテレビで聞くのとはまったく違う、体に突き刺さってくるような圧力を持った本物の銃声。
 そしてそれきり、コミュニケが死んだように沈黙した。
 ――え? まさか、和也ちゃん……?
 何かあったのだろうか。急速に膨れ上がる不安に耐え切れなくなって、澪は車から出てアパートメントへ駆け込んだ。
 息を切らせて階段を駆け上がっていくと、現場はすぐに知れた。ドアの下敷きになったテロリストが玄関で気絶していたからだ。踏んだら目を覚ましそうだったので踏まないよう気をつけながら、澪は恐る恐る中へ入る。

「まったく。携帯電話が壊れたぞ。どうしてくれる?」
「ほら。とっととゲロッちまえよ。お前らがどこぞのテログループと通じてんのは割れてんだぜ」
「生爪の一枚も剥がせば口の回りがよくなりますかしら?」

 ――――その光景を見て、澪は言葉を失った。

「早く喋りなよ。言っておくけど僕の引き金は軽いよ? テロリスト相手なら特にね」

 暴力的な言葉を浴びせ、テロリストたちを足蹴にして、銃を突き付け自白を迫る和也たち。
 もちろん、これがサグラダ・ファミリアを守るために必要な、情報を得る行為だという事は解る。だが澪は一歩足を引いて、声を漏らした。
「ああ……」
 その声に、和也たちがはっと澪のほうを向いた。
「澪!? ……どうしてここに来たんだよ! 待ってろって言っただろ!」
 くっ、と苦虫を噛み潰したような顔をする和也。
 今の和也たちは泥塗れだった。
 澪が何より忌避してやまない、暴力やテロ、戦争という名の血なまぐさい泥だ。
 和也はそんな自分たちの姿を見せたくなかったから、澪を遠ざけたがっていたのだと、いまさらのように解った。
「…………」
 今の澪は、きっと和也が一番見たくなかった顔をしていたと思う。
 やがて、警察車両のサイレンが聞こえ始めた。



 白磁のように白い裸身を、温かな湯が滴り落ちていく。
 すっかり日も落ちた頃、今日一日の雑務を片付けたルリは溜まった疲れを洗い流すように部屋でシャワーを浴びていた。ナデシコ自慢の大浴場を使うのも好きだが、まあ気分による。
 伸ばしっぱなしの髪をシャンプーで洗いながら、シャワー室に備え付けのテレビを見ていると、昼ごろに『草薙の剣』がテロリスト……というかチンピラのたまり場を襲撃した時の事がニュースで流れていた。
 曰く、『グリーンランド共和軍の一派に属する過激派のアジトを警察が検挙』した事になっているらしい。だがそれは真実ではなく、実際に捕まえたチンピラたちはグリーンランド共和軍とは特につながりの無い、バルセロナ近辺の学生グループだった事を、ルリは和也たちからの報告で知っていた。
 サグラダ・ファミリア完成式典への襲撃など思いもよらない泡沫のグループ。特にこれといった収穫も得られなかった。むしろ彼らがグリーンランド人でない事の方が特筆すべき点だろう。USEからの分離独立を望むのは、なにもグリーンランドに限らない事をこの件は示唆している。
 しかし報道では彼らもグリーンランド独立派の一派という事にされている。国内に独立を望む動きなど極少数なのだとUSEは言いたいわけで、その意向により全ては矮小化されて伝えられる。
 この世界では、事実というのは人の手で作られる。そして一般の人々はそれが真実であるかなどどうでもよくて、ただ犯人が処罰されればそれで満足する。
 まったく反吐が出る話だ。
 と、そこで来客を告げるチャイムが鳴り、ルリはシャワーを止めた。そして手早くバスタオルを体に巻いて、外に出る。
「誰ですか?」
『黒道です。お休みのところすいませ――――ってうわっ!』
 インターホンのウィンドウに映った和也が、顔を真っ赤にしてのけぞった。そういえば向こうにも見えるのを失念していた。別に気にするほどの事でもないけれど……
「用件は? 私が風邪を引く前に手早くお願いします」
『え、あ、その……表だとちょっと言いにくい話なので、出来れば中で話したいのですが……』
 チラチラと視線を動かしながら言う和也の態度で、大体の用件は察しがついた。「じゃあ少し待っててください」と和也を待たせてインターホンを切る。
 今日はもう寝る前に読書程度の予定しかなかったので、洗面所には寝間着のネグリジェが置いてあった。これはさすがに拙いだろうと思い、バスタオルを放り投げて浴衣に着替え、和也を呼んだ。
「黒道和也伍長、入ります」
 入室して来た和也は、湯上り姿で髪も乾かしていないルリを見てまた一瞬ドキッとした様子を見せた。そしてわざとらしく咳払いをして、口を開く。
「実は、一つお話が……」
「想像付きますよ。ツユクサ一等兵……ツユクサさんの事でしょう」
 言ってルリは、奥から持ってきたフルーツ牛乳のビンを二つ机に置き、飲みますか、と和也へ一つ放った。
「彼女、その後どんな様子ですか?」
「さあ、あれきり話をしていませんから……やっぱりショックだったみたいで」
 ――でしょうね、とルリは内心で思った。
 和也たちが帰ってきた時、バツの悪そうな和也たちと沈痛な表情の澪を見て、早速やってしまったなというのがルリの素直な感想だった。
「彼女は……幸せに育ちすぎていますね。日本という恵まれた環境で『地球人類』として育ち、ご両親から愛され、沢山の友人に囲まれて育った。人間の悪い面なんて、何一つ知らずに育ってきた……」
「そうです。僕たちとしては、いろいろ助けられたわけですけど……澪は人間と世の中を良い物だと信じ込んでいる」
 戦争慣れした兵士は、人間の臓物目掛けて発砲しては快感を覚える。
 爆弾テロを企むテロリストは、爆発に巻き込む人間を一人でも多くしようと人間ご自慢の知恵を絞る。
 もっと極端な例を挙げれば、戦争で勝つために人体実験を繰り返し、何百という屍の上で研究の成就に喝采を上げるマッドサイエンティストもいる。
 その気になった人間は、時に想像を絶するような恐ろしい事を平気でやってのける。ルリも和也も、そんな連中を嫌というほど見てきた。
 もちろん、世の中こんな奴らばかりでもないけれど、善人ばかりでもありえない。だから今でも世界には銃と暴力が氾濫し、流血を覚悟せずには問題を解決出来ない。
「こんな世界の汚い面なんて、澪が知らないなら知らないままでいて欲しかった。知ればショックを受けるのは解り切っていましたから……」
「それで、ツユクサさんをナデシコから降ろせないか、って言いに来たわけですね」
「私情抜きで見ても、澪が兵士としてメンタル面に問題を抱えるのは確か……いやもう、昨日と同じ公私混同なのは承知の上です。その上でお願いします。澪を後方勤務に回す事は出来ないでしょうか……この通りです」
 言って、和也は深々と頭を下げた。
 これもまた、ルリが見た事のない和也の姿だ。そんなに彼女が大事なのかと思うと同時に、ルリの胸にも複雑な思いが去来する。
「……メンタル面に問題があると言うなら、それを理由に統合軍へかけあう事は出来ます。そこから先は統合軍の判断次第なので、私ではどうにも出来ませんが」
「はい! ありがとうございます……!」
 さらに深く頭を下げる和也に、ルリの胸がちくりと痛んだ。
 和也の懇願は、本当なら突っぱねるべきなのだろうけど……澪を戦いに関わらせたくない、和也の気持ちはルリにも解る。
「私も……ツユクサさんの事情は知っていますから。彼女……一年前にお父さんを亡くしているんでしょう」
「ええ……シラヒメです」
 一年前、火星の後継者第一次決起に先駆けて起きた、ヒサゴプランのターミナルコロニー連続襲撃事件。その四番目となった『シラヒメ』では死者・行方不明者合わせて105名、負傷者は527名にも及んだ。その多くは襲撃してきた敵を迎撃に出た防衛艦隊の兵士で、澪の父親もその中にいた。
 澪は決して癒えない傷を負っている。だからこれ以上傷つけたくないというのが和也の気持ちで――――ルリにも同じ気持ちがある。
 ただ、その気持ちの源泉が、和也の場合は恩義と友情なのに対して、ルリのそれは負い目だ。
 澪の父を殺した、その敵というのは――――
「プリンス・オブ・ダークネスとかいう、カッコつけた呼び名の奴でしたよね、その犯人っての」
 心なしか、和也の声の温度が下がった気がした。
「今もどこかで、勝手に火星の後継者と戦っているらしいですけど、もしどこかで会えたなら……」
 きしっ、と和也の手に握り締められたフルーツ牛乳のビンが軋る。

「その時は、僕がこの手で殺す……!」



「……ツユクサ一等兵の事は、今回の任務が終わった頃に検討します。サグラダ・ファミリア完成式典までもうすぐなので、今は任務に集中してください」
 そう言って和也を帰した後、ルリは空になったフルーツ牛乳のビンを憂鬱そうに手で弄んだ。
 もし会えたなら、この手で殺す――――怒りと殺意に満ちた言葉を吐いた和也は、何も知らない。
 そのテロリストプリンス・オブ・ダークネスのテンカワ・アキトという本名も、彼が戦っていた理由も、――彼がルリの、誰より大切な家族だという事実も。
 ルリが澪に申し訳ない気持ちを抱くのはそういうわけだ。だから澪を傷つけたくない和也の心境もよく解る。
 と同時に、また昔のようにアキトと一緒に暮らせる幸せな時間を取り戻したいルリにとって、和也のような彼を憎む人間は、何よりの障害でもある。
 今は軍上層部……そして地球連合政府の意向で秘匿されている事実を知らしめれば、きっと皆解ってくれるとルリは思っているが、その上でなお和也がアキトの死を望むなら……
 ――絶対に、止める。
 申し訳ないとは思っているが、これだけは絶対に譲れない事だった。



 数日後……完成式典、当日。

『こちら24班、配置に付きました』
短距離ロケット迎撃システムアイアン・ハンマー、正常に稼働中』
『ソリトン・レーダー感度良好』
『大統領、会場に入られます』

 あと少しだな、と和也は、コミュニケの時計に視線を落とした。
 時刻はUSE西部時間で午後八時五分前。完成式典が始まるのは八時ちょうど。空はすっかり夕闇に染まり、雲一つ無い晴天に星が輝く空模様は絶好の祝福ムード、といったところか。
 減音機サイレンサー付きのアルザコン31短機関銃を小脇に抱えて沿道に立つ和也の前には、完成式典を一目見ようと世界中から集まってきた見物人が車道を埋め尽くさんばかりに詰め掛け、今か今かとその時を待っている。
 今和也がいるのは、バルセロナ新市街を縦横に走る通りの一つ、サルデニャ通りと呼ばれる道路だ。南西から北東へまっすぐに伸びた道路は途中サグラダ・ファミリアの正面・栄光のファザード前を通過しており、現在は封鎖されたそこには報道陣と一部の招待客だけが入る事を許され、それ以外の見物人は少し離れた場所から完成式典を見る事になる。
 和也の前の車道も、たちまち人で一杯になった。だがここなどはまだいい方で、サグラダ・ファミリアの東西にある公園などは今頃すし詰め状態のはずで、警備に当たる警官たちの苦労が思いやられた。
 見物人たちにとっては、テロの脅威など別世界の事であるらしい。であるならそのままでいさせてやる事が僕たちの役目なわけだ、と少し斜に構えた事を思う。
 ここからでは見えないが、他のメンバーたちもこの近くの空き家や路上で警備に当たっているはずだ。それ以外にも周辺には何人もの武装した警官の姿が見え、不審な人間がいないか目を光らせている。
 完成式典の警備に動員された人数は、警察だけで数千人に上る。それだけでも大層な警備態勢だが、少し離れた所では対空ミサイルが空を睨み、上空ではナデシコBを含めた戦艦数隻と機動兵器が遊弋ゆうよくしている。これは航空機やロケット砲などを使った攻撃に対する措置だ。
 大通りでこれ見よがしに銃をちらつかせる警官たちが、存在を誇示してテロリストを追い払う抑止力なら――――
 和也たち軍は、人知れずテロリストを排除する剣だ。
「この警備だし、何事も無く終わってくれればいいんだけど……」
 つい口にしてしまってから、和也は自分がコミュニケを常時オープンにしている事を思い出した。つまり今の独り言は他のメンバーにも聞こえたわけだ。
「……そうならなかった時のために僕たちがいる。各員はくれぐれも油断しないようにして」
 自然を装った命令に、了解、と八つの声の唱和。内二つは澪とハーリーだ。澪は近くに停めてある指揮車からオペレートしてくれているが、さすがに今回は最初の任務という事でハーリーが補佐についてくれている。
「澪。初めての任務だから緊張してると思うけど、気張り過ぎないようにね。澪は何か変わった事があった時、僕たちに正確にそれを伝えてくれればいいんだ」
『うん。解ってる』
 二つ返事で答える澪の声は、まだ少し硬い。
 数日の冷却期間があったのが幸いして、今日までに澪はだいぶ元の調子を取り戻してきたように見えたが、やはりまだ引きずっているのかもしれなかった。
 だがまあ、気にする事はない。今回は澪にとって最初の――――そして最後の任務。これが終われば澪はナデシコを降ろされ、日本に帰る事になるはずだ。
 自分のわがままを聞いてくれたルリには、本当に感謝している。
『草薙の剣』は八人目のメンバーをまた失う事になるが、みんなはきっと喜んでくれるだろう……
『大丈夫ですよ。今回は僕もサポートしますし、USEからソリトン・レーダーと、それに連動した自動武器探知システムっていう便利な物も提供されてますからね』
 そう言ったのはハーリーだ。
 ソリトン・レーダーは美佳が使っている物と同じレーダーだ。今回はより規模の大きい物を数台持ち込み、それを使って見物人の中に武器を隠し持ったテロリストがいないかを確認している。
 しかしあの大群衆の中から武器を持った人間を見つけるのは容易ではないため、レーダーの得たデータから自動で武器・危険物の類を探知するシステムを投入し、その情報はデータリンクでこの場に展開する全ての兵、警官にリアルタイムで送信されている。
 これがある限り完成式典の妨害テロなど成功させはしないという自信があるからこそ、こうして多くの見物人を招き入れているわけだ。
『うーん……ねえ、マキビ中尉、その自動武器探知システムのホストコンピュータって、どこにあるんですか?』
 と、澪がハーリーに訊ねた。
『バルセロナの警察署ですけど……何か?』
『うん。そんな重要なシステムなら、敵も狙ってくるんじゃないかって……』
 澪の口から『敵』という言葉が普通に出てくるのが嫌だ。
『確かに、そういう可能性もありますけど……まあ警察署ですし。守りはきちっとしてますよ、きっと』
 ハーリーが口にした楽観論に、澪もそうですねと納得した。
 和也はコミュニケを操作し、件のシステムを呼び出す。現れたウィンドウには群集の姿がワイヤーフレームで描かれた、ソリトン・レーダーの概念図が映し出された。この記号的な光景が普段美佳の見ている世界であり、この中に武器を持った不審者がいれば即座に警告が表示される。概念的には古くからあるシステムだが、もし群衆の中にテロリストが紛れ込んでもすぐ見つけられるというのは大きい。
『……ねえ、和也ちゃん』
 不意に澪が話しかけてきた。
「通信では出来るだけ隊長とか、ブレードリーダーって呼んでと言っただろ。……で、何かあったの?」
『そういうわけじゃないよ。……ただ、やっぱり怒ってるのかなって』
「怒ってるって、澪がこんな所まで来た事? それとも命令無視してチンピラのたまり場に来た事?」
『違うよ。和也ちゃんが怒ってるのは、和也ちゃん自身にじゃないの?』
「え……」
 思ってもいなかったことを言われ、またもコールナンバーで呼ばなかった無作法を咎めるのも忘れて、和也は聞き入った。
『和也ちゃんって、責任感強いじゃない? 自分の失敗は絶対人のせいにしたりしないよね』
「まあ……ね。僕は訓練兵の頃からずっと隊長だったから。隊長ってのは責任感の強くない奴には任せられない仕事だよ」
『うん。だから、何かミスがあったりした時、和也ちゃんってずっと自分に怒るよね。今の和也ちゃん、ずっとそんな顔してるよ』
「…………」
 見事なまでに正鵠を射た澪の言葉に、和也は返す言葉がなくなる。
『やっぱり、何か嫌な事でもあったんだ』
「……うん。あったよ」
 白状する。どうせ皆知っている事だ。
「少し前、中東のベイルートであったテロリストの掃討作戦は知ってるだろ? ……あの時、僕たちもあそこにいたんだよ」
『……そうなんだ』
 沈痛な澪の声。
 ベイルートでの戦闘で民間人が多数巻き込まれた事は、世界中に報道されている事実だ。和也たちがそこで何をしてしまったのか、澪なら容易に想像出来るだろう。
「澪。僕たちの事を心配して、力になりたいと思って来てくれた事は感謝してる」
『…………』
「でもここにいたら、もっと酷い物をたくさん見る事になる。火星の後継者だけじゃない……地球人のテロリストとも戦って、殺す事もあるし、その時また民間人を巻き込むかもしれない。アニメのようなキレイゴトなんて、現実には無いんだよ」
 だから澪は日本に帰るんだ、と意を決して口にしようとした言葉は、突然響いた爆音に塞がれた。
 びくっと震えて音の方を見やると、夜空に真っ赤な炎の花が咲いていた。なんだ花火か、とほっと胸を撫で下ろす。

『――私は、今日ほどこの時代に生まれた事を感謝した日はありません。今という歴史的瞬間を、皆様と共に迎えられる事は大変な名誉であり――――』

 サグラダ・ファミリアから、演説するUSE大統領の声がスピーカー越しに聞こえてくる。それに呼応して見物人の盛り上がりも過熱し、いよいよ完成式典が始まった事を告げる。
『式典が始まりました。すみませんが皆さん、お喋りは中止して任務に集中してください』
『了解。式典終了まで一時間……それまで気を抜かないで』
 ルリに答えて、和也は再び隊長の顔に戻る。
 澪に言いたい事は言えずじまいだったが、ここからが大事な時間である以上は仕方が無い。
 今は隊長らしく偉そうにしていよう。自分の存在意義が解らなくても、僕は結局軍人で、隊長なんだから……
 目を閉じ、ふうっと小さく嘆息する。今度こそ意識を切り替えようと、目の前のウィンドウに目を落とす。

 途端、ウィンドウが突然ブラックアウトした。

『え、何これ……マキビ中尉?』
『こっちも同じです! 何でこんな……』
 聞こえてきた澪とハーリーの狼狽した声。「どうしたんだ?」「何かあったのか?」と近くの警官たちにも混乱の様子が現れ始め、開始早々攻撃が始まったと悟るまでに時間は要らなかった。
 知らず、銃のグリップを握り締めていた。思考がかちりと音を立てて戦闘モードに切り替わる。
「二人とも落ち着いて。状況は?」
『自動武器探知システム……ダウンしました!』
「見れば解りますよ。原因は? レーダーが妨害されたとか?」
『……いいえ、私のレーダーは正常に作動しています』
 恐らくはシステムのホスト側の異常かと、と美佳。
『ナデシコBよりチーム・ブレード各員、そのまま聞いてください。つい先ほど、警察署との連絡が途絶えました。詳細は不明ですが、警察署周辺で明かりが消えているのが確認できます』
 ――明かり……そうか、奴ら電源を落としたんだ。どんなシステムでも、電源がなければただの箱だから……
「復旧は? 普通予備電源とかあるはずでしょう?」
『そのはずですが……もう復旧していいはずなのに復旧しないところを見ると、たぶん……』
 ルリは曖昧に言葉を濁したが、これはもう予備も含めて完全にやられたと見ていいだろう。となるとシステムの復旧は望めそうにない。
「予備のシステムとかないんですか!? 何の情報もないこの状況で、あの人混みの中から敵を見つけるのは無理ですよ!」
『あるのかもしれませんけど……向こうからは何も言ってこないんです! コクドウ隊長も知ってるはずですけど、USEの警察と宇宙軍うちの間にはちゃんとした情報共有のチャンネルがないんですよ!』
 焦燥の滲むハーリーの声。チッ……! と和也は舌打ちする。味方同士のくせにまったく意思疎通が出来てない。なんて片手落ちなお役所仕事だ……!
『こちらブレード7。手榴弾と機関拳銃を持った男を捕縛しましたわ。きっと他にもいらっしゃいますわよ』
 そうこうしている間に美雪から知らせが入り、和也の背中にぞっと怖気が走った。もう敵は近くまで来ている。なのにこっちは、完全に目を潰された状態だ。
 このままでは、テロリストたちは群衆の中で銃を乱射するだろう、そうなれば誰かが応戦し始める。そうなればどうなるかは考えるのも恐ろしい。

 ――また……ベイルートと同じ事になる!

「ホシノ中佐、こうなったら式典の中止要請を! このままじゃ、また大勢の人が……!」
『待って和也ちゃん!』
 和也がなりふり構わない事を言い出した時、澪の声がそれを止めた。
『警察署がやられたって事は、レーダーはまだ生きてるって事だよね? それをナデシコBとバイパスで繋いで、ナデシコのコンピュータに代わりをしてもらえない?』
『繋ぐ事は出来ますけど……オモイカネにそんなシステムは入ってませんよ』
 言ったハーリーの声を遮って、『いえ、出来ます』とルリが答えた。
『即興の品ですが、私がシステムを構築します。探知用のデータはUSE中央捜査局のデータベースから拝借するので、警察の自動武器探知システムと同じ働きが出来るはずです』
 それはハッキングだろうと和也は思ったが、今は非常時なわけだから特例が申請出来るかと思い直す。
『USE中央捜査局のシステムアクセスコード受領。ソリトン・レーダーからナデシコBへのバイパス確保』
『システム構築完了。軍、ならびに警察の各員へデータリンク開始』
『データリンク復旧します!』
 澪、ルリ、そしてハーリーの流れるような作業。ブラックアウトしていたウィンドウに再び光が点る。電子の妖精もさすがだが、澪もいい仕事をする……と感嘆する暇もなく、赤い警告メッセージが瞬いた。
『探知システムに感あり! チームブレードの受け持ち地域に三……いえ四! 座標は――――!』
 澪に誘導され、和也は弓から放たれた矢のように走り出す。
『かず……ブレードリーダー! 目標は青のTシャツに緑色の帽子を被った男の人! 左側にいる!』
「了解……!」
 今まさにウェストポーチへ手を突っ込み、手榴弾か何かを取り出そうとしているテロリストに後ろから掴みかかり、片手で口を塞ぐともう片方の手で男の首筋へ無針注射器を押し付ける。プシッ、とサイレンサー付きの発砲音にも似た音を立てて注入されるのは、ゾウでも倒れる威力の即効性麻酔薬。
「ブレードリーダー、一名捕縛……!」
 声を上げる暇もなく昏倒したテロリストを警官へ引き渡し、間伐入れずに次の目標へ走る。
『こちらブレード2タテミ。一名確保』
『こちらブレード5ヒトミ。建物の屋上に狙撃銃を持った敵を発見。処理しました』
『こちらブレード4ナナミ! こっちも一人捕まえたわよ!』
 周囲のメンバーからは続々と敵を確保したとの知らせが入ってくる。矢継ぎ早に目標の背格好と位置情報を教える澪のオペレートは正確で、和也たちは労せずしてテロリストを見つける事が出来た。
『また一名発見! 座標E−38、Y−44! 人混みの真ん中に!』
 悲鳴に近い声。群衆のど真ん中でゆっくりと二本の手が持ち上がり、その手に手榴弾が握られているのが見えた。サグラダ・ファミリア目掛けて投げるつもりなのだろうが、人が多すぎて撃つ事も近づく事も出来ない。
ブレード7ミユキ! あいつを止めろ!」
『お任せくださいな』
 和也が命じた直後、ひゅっ――――! と一陣の風が群集の頭上を通り抜ける。一拍間を置いて、人混みの中から声が上がった。
「敵一名、無力化しましたわ」
 和也のすぐそばに降り立った美雪の手には、ピンの抜けかかった手榴弾が握られていた。先の一瞬、美雪は群集の頭上を宙返りしながら飛び越え、テロリストから手榴弾をひったくると同時に麻酔薬を打ち込む離れ業をやってのけたのだ。
 昏倒したテロリストは周囲の何も知らない見物人により助け起こされ、警察に引き渡される。その一部始終を目にした澪が感嘆の声を漏らす。
『す……凄いねみゆ……っと、ブレード7。まるで映画の超人みたいだよ……』
『お褒めに預かり光栄ですわ。しかし今は感心してる暇があったら任務に集中すべきではなくて?』
『あ、ごめん。残ってるのは座標E−56、Y−71に一人。レッカが捕まえに……』
『こちらブレード3! すまねえ、ちょっとしくじった!』
 走っているのか少し乱れた烈火の声。「どうした!?」と和也は聞き返す。
『捕まえようと近づいたら逃げちまった! 今追いかけてる!』
『……こちらブレード6ミカ。確認しました。目標はサルデニャ通りを西に向かって逃走中……このまま行けば、ブレードリーダーと接触します』
「了解! ブレード3、挟み撃ちだ!」
『おう!』
 烈火に指示を出し、和也は三度走り出す。
 程なくして、カメラバッグを重たそうに提げた男が一人、烈火に追われながら必死の形相で走ってきた。
 恐ろしい事に、手榴弾を左ポケットから掴み出している。銃で撃ち落そうかと一瞬思い、流れ弾が見物人へ当たる危険から躊躇した和也は、腰に帯びた軍刀を鞘ごと引き抜き、槍投げの要領で構える。

 ――木連式抜刀術、『飛竜』――――!

 一閃。ミサイルのように飛んだ軍刀は正確に男の左腕を打ち据え、ギャッと悲鳴を上げた男の手から手榴弾が零れ落ちる。
 本来は一秒以内の抜刀と投擲で敵を串刺す技だ。しかし大勢の見物人がいる前で派手に殺すわけにもいかなかった和也は、即興で技を変形させたのだ。
 骨にヒビくらいは入っているはずだが、意思は挫けていないのか男は「ちくしょお!」と叫んでカメラバッグに手を突っ込む。途端耳に飛び込んでくる、澪の切迫した声。
『いけない! その人銃も持ってる、手当たり次第に撃つつもり!』
「させるかあ!」
 考えるより先に体が動いていた。カメラバッグから短機関銃を抜き出す男に向かい、臆する事無く、疾風の勢いで突進する。
 その手が男の銃に伸びるのと、銃の引き金に指がかかるのはほぼ同時。そして――――

 ドンッ――――! と爆音が辺りに響き渡る。そして群集から漏れる、わあっ、という声。

「うっ……く……」
 花火の余韻が過ぎ去った時、和也は歯を食いしばって苦悶の息を漏らしていた。
『和也ちゃん、撃たれたの!? 大丈夫!?』
「……このくらい……ほんのかすり傷だよ……」
 男が短機関銃の引き金を引いた刹那、和也は男の銃口を掴んで逸らしていた。銃から三連バーストで放たれた三発の弾丸は、和也の左足の肉を抉って地面にめり込んだが、同時に響いた花火によって周囲の群衆は誰一人、その攻防戦に気が付いていない。
「和也! この野郎!」
「待って! 烈火は手を出さないで……!」
 顔に脂汗を流し、左足の傷から血を流しながらも、和也は毅然とした目で自分を撃ったテロリストの男を睨みつける。
 銃をがっちりとホールドされ、反撃を封じられた男は怯えた様子だった。……こうやっていれば、本当にただの人なのに……
「おい……あんた、家族とか恋人とかいるか……?」
「ああ……?」
「どうなんだ?」
「い……いる」
「だったら……! こんな物振り回してるんじゃない!」
 一喝し、短機関銃に掌底を叩き込む。バキッと派手な破砕音がして、衝撃で和也と男が離れる。
 男は自由になった銃を和也に向け、それが銃身の部分でへし折られているのを見て愕然とする。そこへ和也はホルスターから88型木連式リボルバーを引き抜き、男の口の中へとねじ込んだ。

「殺されたいのか大バカ野郎! あんたたちとは積み上げてきた死体の数が違うんだよっ!」

 涙を流して命乞いの言葉を吐こうとする男に、もう抵抗の意思は残されていなかった。



 クレーンによって一番高い尖塔の天辺に最後の十字架が取り付けられ、USE大統領がサグラダ・ファミリアの完成を宣言すると、周辺の群集からは一層大きな歓声が沸き起こった。
 最後にレーザー光線が乱舞し、無数の花火が夜空を彩る最後の催しが終わって、完成式典は“無事”終了した。
 かくして見物人たちは帰路に着き始め、和也たちも緊張を解く事が出来た。
「……和也ちゃん、怪我の具合はどう?」
 指揮車両の前で撤収の準備をしていると、澪が気遣わしげに話しかけてきた。
「平気。ナノスプレーで傷は塞いだし……このくらいはいつもの事だから」
「やっぱり……怪我するような事してるんだ。今回も怪我してるのに、まだ式典が終わってないからって持ち場に戻っちゃって……」
「……仕方ないよ。これが僕たちの仕事なんだ。澪には……」
 と、そこでルリのウィンドウが開き、『お疲れ様でした、皆さん』と労いの言葉がかけられた。
『皆さんの働きで、完成式典は無事終了です。特に……ツユクサ一等兵は、よくやってくれました』
「ホントですよ。頭の回転速いですよね。オペレートも正確でしたよ」
「あ……ありがとうございます……」
 ルリとハーリーから褒められ、澪はまんざらでもない様子だ。
 しかし和也は、それを素直に喜ぶ気にはなれなかった。
「……澪。初任務の感想はどう?」
「うん……成功したのは嬉しいよ。でも、私の指示で和也ちゃんたちが怪我したり、敵の人を傷つけたりするのは……」
「やっぱり嫌、だろ? それでいいよ……澪は殺し合いなんかに関わるべきじゃないよ。だから……」
 今度こそ日本に帰れ、と言おうとした和也を、「ねえ和也ちゃん」と澪は遮った。
「見て。あの人たち、みんな嬉しそうだね」
 澪は笑顔で帰路に着く見物人たちを指して、そう言った。
「テロリストの人が銃を撃ったりしていたら、あの人たちはあんなふうに笑ってられなかったと思う。完成式典も、あの人たちも、みんな和也ちゃんたちが守ったんだよ」
「…………」
「お父さんも、きっとこういう仕事がしたかったんだと思うんだ。私やみんなの事を守るために、率先して汚れ役を引き受けるような仕事……」
 兵隊さんって立派なお仕事だよね、そう言って微笑った澪に、和也は何も言えずにただ立ち尽くし、他のメンバーも作業の手を止めて澪の言葉に聞き入っていた。
「和也ちゃん……それに艦長。私を日本に返す相談とかしてるでしょ?」
「う、そ、それは……」
『…………』
 図星を突かれて、和也とルリはギクリとする。
「和也ちゃん言ったよね? 死んじゃったお父さんの代わりに、私を守るって」
「……うん。でも約束を破って、僕はこんな所に来ちゃって……」
「約束は守ってくれたよ」
 澪は言う。
「火星の後継者の人に襲われてた私を、学校のみんなを助けてくれた。私もみんなも感謝してるよ。あの時は言えなかったけど……守ってくれて、ありがとう」
 ありがとう――――感謝の言葉。
 ベイルートでの一件以来、そんな言葉を頂く資格など自分たちにはないと思っていた言葉だ。
「自信持とうよ。和也ちゃんたちにも、人に褒められる働きって出来ると思う。もちろん殺し合うのは嫌だけど、和也ちゃんたちが傷ついたり死んだりするほうがずっと嫌だよ」
 だから、私も和也ちゃんやみんなを守ってあげたい。
「銃は使えないけど、オペレートが出来るのはもう見せたよね?」
『確かに、能力面では文句のつけようがありませんね。……どうしますかコクドウ隊長』
「…………」
 ルリに話を振られ、和也は返答に窮する。
「……ここにいたら、これからもっと酷い物を沢山見る事になる。澪は……それでもいいの?」
「酷い物なら、あの時もう見たと思う。ううん。もっと酷い物を見る事になっても……和也ちゃんたちを守れるなら、後悔なんかしないよ」
 まっすぐに和也の目を見て言ってくる。そんな澪の姿を見た瞬間、それまで用意していた澪を説得するための口上が全て宇宙の果てへ吹き飛んだ。
 和也が思っているよりずっと、澪は固く心を決めた上でここに来たのだ。
「解った……僕の負けだよ」
「え、それじゃあ……」
「ただ一つだけ約束して欲しい。澪は絶対、銃を取って戦ったりしないで。それは僕たちの役目だからね……」
『勝負あり、ですね。ツユクサ一等兵、改めてあなたの着任を歓迎します』
 そう、ルリが宣言する。それをもって和也の負けは確定し、呼応するように他のメンバーたちが澪へ駆け寄ってくる。
「隊長が根負けしたのでは、自分の出る幕はありますまいな。……以後、よろしくお願い致す」
「これで露草も『草薙の剣』のメンバーってわけだ。ま、よろしく頼むわ!」
「まーさか澪ちゃんが仲間になるなんてねー、特別扱いしないわよ?」
「おかげで私も目が覚めました……一緒に火星の後継者を倒しましょう!」
「……露草さんの友情、しかと受け取りました……あなたに、神のご加護があらんことを……」
「まあ、気心の知れた露草さんならやりやすいのは確かですわね。よろしくお付き合いくださいな」
 楯身、烈火、奈々美、妃都美、美佳、美雪……口々に歓迎の言葉をかけ、澪に敬礼する。
 なんだか、初めて会った時を思い出す。和也がどんなに遠ざけても、澪はずけずけと和也たちの中へ入り込んできた。硬く閉じていた心の扉を無遠慮に開け放って……そんな澪に、和也は大いに救われた。
 そして今回も、自分たちはただ殺し合うしか出来ないのだと思っていた和也たちにとって、澪の言葉は貧困の中で恵まれたパンのように心に染みた。
 ――軍人のやり方でも、守れるものもある……僕たちにも出来る事がある。そう思って……いいんだよね。
 ありがとう、という言葉を口の端に乗せ、和也は踵を鳴らして澪に敬礼する。

「露草澪一等兵。貴官の着任を歓迎する。今後もチームの一員として、一層の活躍を期待している」

 対して澪もまた、満面の笑みと答礼でそれに答えた。

「はい! よろしくお願いします、隊長殿!」



 それからまもなくして、一つの動きがあった。

『――――世界平和は守られねばなりません! 今こそ我々は新たに組織化された対テロ特殊部隊を持って、火星の後継者を今度こそ根絶する時が来たのです! その部隊の名は、地球連合軍JTU! この部隊はテロリズムという悪魔の所業から人々を守る楯となり、テロリストを打つ剣となるでしょう!』

 統合軍総司令官、ジェイムス・ジャクソンの熱っぽい演説を、和也たちはナデシコBのブリッジに集まって見ていた。
 今まで『暫定』だった和也たち対テロ特殊部隊の編成完結式が執り行われ、ついに正式な権限と共に部隊名が与えられたのだ。
 JTU……ジャスティス・トルーパー・ユニット。正義の戦士という意味だ。いかにも地球連合の『正義は我にあり』的な姿勢が見える部隊名に、和也たちとしては失笑を禁じえない。
「は、ご大層なネーミングだな……どう思う? 黒道」
 苦笑気味に訊いてきたサブロウタに、どうでもいいですよ、と和也は答える。

「地球連合の正義なんて関係ありません。僕たちは火星の後継者を倒して……僕たちの守りたいものを守る。そのための戦いをするだけです」

 ベイルートでの記憶は未だ生々しい。どんな御託を並べても、和也たちがしてしまった事実は消えない。
 それでも、もう迷わない。和也たちには木星という、誇りとプライドの源泉がある。そして、地球で手に入れた友達がいる。
 だから戦える。倒すべき敵がいる限り。
 守りたいものが、ある限り……










あとがき

 この物語は200年後を舞台にしたフィクションであり、実在の国、団体、個人とは一切関係なく、その何れを貶める意図もありません……と、実在の国名や地域名がいくつか出ているので一応申し添えておきます。

 今回は実在の都市、バルセロナを舞台に、オオイソから追いかけてきた澪ちゃんが合流するお話でした。
 ベイルート以来落ち込みまくりで、戦う意味を見失いかけていた和也と仲間たちですが、澪との再開でそれを思い出せたようです。きっと彼らはこれからも、こんな風に苦しみながらも戦っていくのでしょう。

 今回かの有名なサグラダ・ファミリアの完成式典という事で、和也たちは300年もかけて作ったのかー、凄いなーとやたら感動してましたが、どうやらリアルにおいては300年どころか、あと15年もすれば完成しそうな感じだそうで(2011年現在)。せっかくだからという事でそのまま入れたのですが、もしリアルのサグラダ・ファミリアが完成した時はここで和也たちが戦った事を思い出して頂けたらと。

 それと今回オリキャラたちが概ね出尽くしたので、非常にいまさらではありますが人物紹介を追加しました。

 次回、澪を部隊に迎えた『草薙の剣』は世界を舞台に転戦する……のですが、やりたい事は概ねやり尽くしたと思うので少し時間を飛ばします。

 それでは。



 

感想代理人プロフィール

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圧縮教授のSS的



・・・おほん。

ようこそ我が研究室へ。

今回も活きのいいシオニストSSが入っての、今検分しておるところじゃ。


朋有り遠方より来たる また楽しからずや

大昔にCMにも使われたこのフレーズ、諸氏も聞覚えがあろう?

じゃが、由来をご存じの方はそう多くないと思われる。よって、簡単に解説しておこうかの。

学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや。
朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや。
人知らずして(うら)みず、亦君子ならずや。

これはかの有名な「論語」の一、学而篇冒頭の一篇じゃ。

繰り返して学び、己が血肉になっていく様はなんと嬉しいことか。
同じ志を持つ友人が遠くから訪ねてきて語り合う、なんと楽しいことか。
己の価値が誰にも理解されなかったとしても恨みに思わない、それこそが徳の高い人ではないか。

・・・儂の主観入りまくりなのはさておいて、そう間違った解釈ではない・・・と思う。

儂個人としては孔子及び儒教には思う所ありまくりではあるが(ぉ 理論そのものに罪はない。

故に今回の感想に代えて、この言葉を贈ろう。


朋有り遠方より来たる また楽しからずや



さて。儂はそろそろ次の研究に取り掛からねばならん。この辺で失礼するよ。

儂の話が聞きたくなったら、いつでもおいで。儂はいつでも、ここにおる。

それじゃあ、ごきげんよう。

 


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