嵐が過ぎ去った後には、嘘のように穏やかな風が吹く。
 抜けるように青い空の下、海鳥の群れが気持ちよさそうに飛んでいく。燦々と輝く太陽の光を背に受けて飛翔するその姿は、つい先日地上で繰り広げられた惨たらしい殺し合いがバカらしく思えるほどに優雅だ。
 その下を、ナデシコBは傷ついた艦体を引きずるようにしてゆっくりと航行していた。白鳥のよう、と誰かか評したことがある白く美しいフォルムの艦体も、未だ所々に焼け焦げた傷口が覗き、先日の戦闘の激しさを生々しく物語っている。

「……ふう」

 そんなナデシコBのブリッジで、ホシノ・ルリ中佐は重苦しいため息とともに艦長席へ背を預けた。
 ニューヨークでの短くも長かった戦闘から、一週間が経っていた。
 あの後、傷ついたナデシコBは同じく傷ついたサンディフック基地のドックに入錨し、艦の修理を始めた。
 と言っても、基地施設の大半が被害を受けて稼働率が三割を切った基地では本格的な修理は望みようもなく、最低限問題なく航行できるだけの簡易修理を施すのがせいぜいだった。現在はノーフォークのドックに移り、改めて本格的な修理を行うべく移動中だ。
 艦だけでなく、クルーの犠牲も大きかった。休暇で半舷上陸していたクルーの多くが市内の戦闘に巻き込まれて死亡、ないしは行方不明になっており、残っていたクルーも激戦の中で相当数の重軽傷者が出ている。
「ハーリー君。修理完了までの見通しはどのくらいですか?」
 ふと首を向けてそう聞いたルリに、マキビ・ハリ中尉は「そうですね……」と覇気のない声で答える。ハーリーもまた、先日の戦闘で気力を使い果たしたらしい。
「あっちこっち被弾しましたからね……ナデシコBはワンオフで他の艦と互換性のないモジュールも多いですし、クルーを補充するにしても、最練成とかを考えると……数ヶ月はかかると思います」
「現状、ナデシコ部隊が実戦稼動状態にない事は確かですね……」
 ――湯沢翔太が死んで、火星の後継者の一角は倒れたとはいえ……
 もう一角、甲院派は未だ不気味に息を潜めたままだ。まだ全てが終わったわけではない。にも拘らず身動き取れない状況になってしまった事は、ルリにとっては焦りを感じずにはいられない。
 ――今何か事が起こったら、あの人たちにまた頼ることになるかもしれないですね……
 ルリが声に出さずにそう考えていると、横からタカスギ・サブロウタ少佐が声を発した。
「まあ、なんにしてもこのタイミングで黒道たちがナデシコを降りたのはちょうどよかったですね。あいつらもここで遊んでいるよりは動きたいでしょうし」
「そう……ですね。コクドウ隊長たちには、これからも活躍して貰わないと」
 ルリは適当に相槌を打つ。
『草薙の剣』は宇宙軍への出向期間を終え、つい二日ほど前に迎えに来た統合軍の艦に乗ってナデシコを離れた。その後についてはもうルリも知りえる立場ではなくなってしまったが、どうやら日本へ一時帰ったらしい。
 初めて会った時は火星の後継者に寝返るのではないかと思った――今でも100%懸念がなくなったわけではないが――けれど、最後はそれなりに上手く行っていたと思うし、何より彼らがいなければ草壁春樹元中将は敵に奪われ、今こうしてゆっくりと艦を修理する事も出来なかっただろう。
 その点はルリも大いに感謝しているし評価もしている。これからも火星の後継者と戦い続けてくれることを願うばかりだ。
 しかし、これからは和也たちにとって、少々辛い時期になるかもしれない……そう思って、ルリはこの近辺で受信できるチャンネルからCNNを受信した。
 現れたウィンドウに映っていたのは、この一週間ずっとテレビの放送枠を占領しているニューヨーク関連のニュースだ。
『ニューヨークにて突如大規模な市街戦が繰り広げられるという前代未聞の惨事から、今日で一週間が経ちました。私は今、ニューヨークのタイムズ・スクウェアに来ています』
 金髪碧眼の女性ニュースキャスターの背後に映っているのは、つい一週間前にルリが和也たちとショッピングや食事を楽しんだタイムズ・スクウェアだ。あの煌びやかだった繁華街も、聳え立っていたビルは焼け落ち、商店や飲食店は瓦礫に埋もれ、もはやあの日の賑わいは見る影もない。
 笑顔を見せていた道行く人々が消え失せたそこでは、必死の表情を浮かべた男たちが懸命に瓦礫を掘り返していた。一様に迷彩服を纏った彼らは、USA州軍の兵士だ。ブルドーザーやショベルカーといった重機だけでなく、エステバリスやパワードスーツのような兵器まで総動員して瓦礫を片付けている。生き埋めになった人を探しているのだろうが、奇妙なほど慎重でじれったい。
『ご覧になっています通り、ニューヨーク市内では現在でも瓦礫の撤去作業と行方不明者の捜索が続いています。市内一帯では戦闘により崩落したビル、ないし地下鉄路線や地下街にて相当数の人々が生き埋めになっていると見られていますが……』
 ニュースキャスターが言葉を継ごうとした時、作業をしていた人々が逃げ散り始め、次の瞬間大きな破裂音と共に火花が散った。爆発の規模からして、火星の後継者がばら撒いたクラスターミサイルの子爆弾だろう。
『あのように、周辺には現在も多数の不発弾が残されており、不発弾の全撤去が確認されていない地域にはこうして立ち入り禁止KEEP OFFのテープが張られ、一般人はたとえ瓦礫撤去の能力を持つ業者であっても立ち入れない事も、救助活動が進まない要因となっています。戦闘からすでに一週間が経過し、生き埋めになった人の生存限界とされる72時間を大幅に超えていることから、残された人の生存は絶望的であるとの見方が大半です。確認された犠牲者は今日の時点で五万人を越え、さらに増えると見られています』
 自国民であれば怒りを覚えずにはいられない惨状だろう。ニュースキャスターも興奮気味に語っている。
『メアリーさん。一般人は立ち入り禁止との事ですが、市民の方々の帰還はどうなっているのでしょうか?』
『はい。先程も言ったように、不発弾によりインフラの復旧も、瓦礫や損壊した建物の撤去も遅々として進まず、大半の市民は未だ郊外の避難所か、軍のテント、あるいはシェルターハウスでの生活を強いられています。郊外では仮設住宅の建設も始まっていますが、この状態は今後数週間から数ヶ月は続くと見られ、不自由な避難所生活の長期化により、市民の間では火星の後継者、ひいては木星人への怒りの声が高まっています』
 ニュース映像が切り替わり、『木星人のテロ反対ノー・モア・テロル・ジュピター!』『木星人移民は帰れ!ジュピトリアン・ゴー・ホーム』とシュプレヒコールを上げるデモの様子が流れ始める。
 これでは、あまりに和也たちの努力が報われない。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十六話 地球連合崩壊の足音 前編



「はーい、ぶっかけの熱いやつ。こっちは大盛りね」
「あ、どうも」
 人の良さそうなおばさんの店員が両手にお盆を持ってきて、待ちきれないとばかりにそれを受け取った。
 大きな丼の中に入っているのはぶっかけそば。湯気を立てる熱々のそばの上に金糸卵、うずらの卵、ゼンマイなどの山菜、揚げ玉やきざみ海苔といった具材が彩りを添えている。そば系としてはざるそばと並ぶ定番メニューだ。
 ぱきっと割り箸を割り、「いただきます」と合掌。薬味のネギを入れてかき混ぜ、熱い麺にふーふーと息を吹き掛け、ズズズッとすする。音を立てるのを気にせずすするのが、味と風味を最大限楽しめる日本流の食べ方である。
 続いてつゆをひとくち、ふたくち。熱さに舌を火傷しそうになるも、あっさりとしためんつゆの爽やかな風味が口の中一杯に広が――――らない。
「……はあ。やっぱり何も感じないな……」
 解ってはいたがやはり寂しいな、と黒道和也はルリの味覚共有プログラムに未練を持った。使ったのはたった一日なのに、大層大事な物を喪失したような気がする。
 ここは日本のそば屋の全国チェーン、『そば二』のヨコスカ支店だ。統合軍ヨコスカ基地にそこそこ近いここは、昼時になると兵士がちらほら顔を見せる。
 宇宙軍への出向期間を終えた和也たちが、統合軍の軽戦闘母艦『フリージア』で日本へ帰ったのは昨日の事だ。
 これからナデシコに変わって『草薙の剣』の足となるフリージアは、現在ヨコスカ基地のドックに錨を下ろし、次の命令を待っている。その間和也たちには休暇が与えられ、こうしてそば屋に足を運ぶ余裕も出来た、というわけだ。
 今ここでそばを食べているのは、和也の他に露草澪、山口烈火、真矢妃都美、そして神目美佳の五人。
 他の三人はここにはいない。あと二時間は自由行動を許しているから、今頃はどこか別の店で昼食を摂っているのだろう。
「あー、やっと帰ってこれたって実感するなあ。やっぱり母国はいいや……」
 ざるそばの麺をつゆに付けながら、この中で唯一の日本人である澪はそう言った。
 澪は半年ぶりに母国の土を踏んで感慨もひとしお、といったところだろうが、和也も似たような気分だった。最初店に入った時、出されたお冷に「頼んでいない」と言ってしまいそうになり、一杯の水がジュースより高い事もある外国にすっかり慣れていたと実感した。
 木星人は木星人であって日本人のつもりは無いが、こうして無料のお冷を飲み、和食を食べているとなんとなく落ち着く。
 これはやはり、遺伝子の繋がりのせいかな、と思う。
「そんで、次の任務っていつ来るのかね? このままここで干される、なんてマジ勘弁だぜ」
「いずれ、統合軍の上から命令が来るはずです。それまで英気を養うのも私たちの役目と思いましょう」
 ぶっかけそばとカツ丼のどんどんセットを交互に食しながら言った烈火に、冷たいぶっかけそばをすする手を止めて、妃都美。
「ニューヨークでは、休暇が吹き飛んで、ずっと働きづめでしたからね……疲れましたよ。肉体的にも、精神的にも……」
「…………」
 妃都美の言葉に、一同の顔に影が差す。
 ニューヨークでの戦闘が収束してから、フリージアに乗って帰途に着くまでの五日間、和也たちは自ら志願してニューヨーク市内での救援活動に奔走した。
 不発弾に怯えながら瓦礫を掘り返し、避難所での配給を手伝い、略奪を防止するため銃を持って無人の市内を見回りもした。
 瓦礫の中から助け出せた人はほんの少しで、次第に救出は遺体の捜索へと変わっていった。生きて助け出せたと思った男の子がクラッシュ症候群を発症して、目の前で死んだ時は自分が死にたくなった。
 死に物狂いで戦って、寝る間も惜しんで働いて……それで少しでも和也たちの望んだ方向へ世界が向いてくれれば、多少は報われたかもしれなかったが……
木星人のテロ反対ノー・モア・テロル・ジュピター!』
木星人移民は帰れ!ジュピトリアン・ゴー・ホーム
 不意に聞こえてきたシュプレヒコールに、和也たちと、店にいた客たちがそちらへ注目する。
 店の一角に備わった小さいテレビに、お昼のワイドショーが映っていた。CNNのニュース映像を流しているようで、木星人移民の排斥を訴えるデモの様子がテロップ付きで放送されていた。
『緊急の世論調査によると、木星人移民の存在に不安を感じると答えた人は、USA国内で84パーセント、北アメリカ連合全体でも77パーセントに上っています。木星人移民を木星に送り返すか、他の候補地に移住させるべきと答えた人も69パーセントと、今回の事件を機に木星人移民に対する警戒感が高まっていることが伺えます。またUSEなど他の――――』
 現実はこれだ。一同から重いため息が漏れる。
 和也の立場でこんな事を考えるのも問題があるが……ニューヨークでは、戦闘に参加していた火星の後継者兵の末路も悲惨なものだった。現場で直接指揮を取っていたのだろう湯沢が死んだ事で、市内に展開していた火星の後継者部隊の指揮系統は瓦解し、地球軍側の増援を前にして彼らは逃げる機会を逸したのだ。
 あくまでも暴れ回って軍の注意を引くことを目的としていた彼らは、長期戦など考えていなかったのだろう。武器を使い果たし、戦闘力を喪失した火星の後継者部隊は各地で追い詰められ、八割以上が殺されるか捕虜になった。
 中でも悲惨な出来事として和也たちの記憶に残っているのが、怒り狂ったニューヨーク市民による報復だった。形勢が逆転した後の市民の怒りは凄まじいもので、各地で火星の後継者兵が集団リンチにかけられ、数百人が命を落とした。その矛先は危うくニューヨークの木星人移民にも向けられかけ、和也たちは銃を持って間に割って入り、ギリギリの所でそれを止めた。
 今は沈静化こそしたが、もはやニューヨーク市民の不信感を解く方法は現時点では無いだろう。遠からず、ニューヨークの木星人移民は他所へ集団移転を余儀なくされるはずだ。
「……鳥の死を悲しめど、魚の死を悲しまず……言葉ある者は幸いなりとありますが、私たちの小さな声のなんと無力なことでしょう……」
 消え入りそうな声で美佳は言う。手元のなめこそばはだいぶ湯気が薄くなっていたが、食は進まないようだった。
 和也たちの働きが、本当に木星人を守ることに繋がったのか……今となっては自信が持てない。残ったのは徒労感だけ。妃都美が『疲れた』と漏らすのも、美佳が嘆くのもよく解る。

 ――白鳥さんたちはどうしてるかな。

 オオイソに残してきた木星人の友人たちの顔が頭に浮かぶ。
 木星人移民への風当たりが強くなっているのは日本も同じだろう。ユキナたちが嫌がらせを受けていたりしないか、目下の心配事はそれだった。
『最新の情報では、ニューヨークの犠牲者は五万人を超えたらしいということですが』
『恐ろしいですねえ。ついにもくせ……火星の後継者もここまでやるようになったと』
『彼らはゲキガンガーに影響されて自分たちこそ絶対正義と思っていますからね。民間人の大量虐殺も彼らに言わせれば正義。実に短絡的で身勝手な言い分です』
『今回のような襲撃が万が一トウキョウで起こった場合、命を守るために私たちはどう行動するべきか、スタジオには軍事評論家のカミ――――』
 コメンテーターたちは放送コードを守り、放送禁止用語を使わず、火星の後継者=木星人としか取れない言い方で、無責任にその脅威を語っている。
「おっかないよなあ……日本でも、またでかいテロとか、ないだろうな」
「ちょっと……ここにも木星人がいるかもしれないんだから、下手なこと言わないほうがいいわよ……」
「聞かれたら殴られるぞ。いや、殺されるかも……」
 放送を見た他の客も、口々に不安と警戒感を口にする。直接被害を受けたわけではない日本人でさえ、これだ。
「チッ……好き勝手言ってくれんじゃねえか」
「何も知らないのに、解ったような顔で私たちを語ってほしくないですね……」
「…………」
 その無自覚な悪意の言葉に、烈火と妃都美は反感を口にし、美佳も顔を怒らせる。
「……言うまでもないけど、間違っても揉め事は起こすなよ」
 和也がそう言いこそしたが、それは隊長の立場があったからこそだ。奥歯を噛んで怒りを堪えているのは和也も同じだった。
「木星人って短気ですぐ怒るし、近づきたくないよねー」
「なんも考えてないからなアイツら」
 ああいう何も考えていない連中の言葉を聞いていると、即座にあれがミサイルで粉々になればいいと思う。
 奴らを人気のない路地裏に誘い出し、串刺しにしてしまいたい。指を一本づつ切り落として、金輪際木星人に逆らいませんと誓わせてやりたい。
 それが火星の後継者と大差ない、愚かな考えだという事も、同時に理解はしている。
 だがそれでも、和也たちの声を無視して最悪の方向へ流れていくばかりの地球人に対して、もどかしさと、そして怒りを抑えられない。
 そうやって木星人を理解しないで厄介者扱いしていたら、木星人の側も反発しないではいられない。結局お互いの対立が深まるばかりだ。
 そうなれば喜ぶのは誰だ? 火星の後継者だろう。ちょっと考えれば解る事なのに、一般人はそんな簡単な事さえ考える気がない。大衆とは実に近視眼的で、そして容赦がない。
 あんなバカな奴らを守るために、僕たちは戦ったんじゃないんだ。
「やっぱり木星人移民なんて受け入れたのが間違いだよ。ネットで見たんだけど、ニューヨークのテロは移民が手引きしたって……」
 ――っ!
 激情を堪えるのが限界に達し、思わずテーブルを殴りつけようと拳を握る。
 その手を、柔らかな掌が包み込んだ。
「……和也ちゃん……怒らないで。私は和也ちゃんたちの味方だから。和也ちゃんたちが地球人わたしたちのために命がけで戦ってくれたこと、ちゃんと知ってるから……」
 全てを理解してくれる、たった一人の友達。
 澪の言葉は、和也だけでなく皆にとって、大きな救いであったろう。



 和也たちに出されている命令は、今のところ『待機』。
 かといって、暇を持て余して遊んでいるわけではない。非常呼集がかかれば30分以内に駆けつけられるよう常に気を付けねばならないし、何より一日の多くは訓練に費やされる。
 加えて、今の和也たちには軍の任務とは直接関係ない『約束』があった。
「……そろそろ約束の時間です。早く行きましょう」
 妙に急いた様子で、美佳は和也たちを促す。
 人と会う約束だ、と言っても別に遅刻しそうなわけではない。
 それでも美佳が和也たちを急がせるのは、先方が美佳にとっていささか特別な人物であるからだ。結果として、和也たちは予定より少し早く待ち合わせ場所へと着いてしまった。

「おや君、いい体してるね! 陸軍に興味ないかい?」

 早速やってきた日本陸軍の勧誘に、統合軍の身分証――JTU部隊である事は明かせないので、嘘の部隊名が書いてある――を見せる。すると「しっ、失礼致しました!」と敬礼してそそくさと立ち去っていった。
 ここは日本陸軍アサカ駐屯地内にある日本陸軍広報館、通称『りっさんランド』。
 日本軍が自衛隊と呼ばれていた大昔からここにあるこの施設は、開設から幾度かの立て替えを経て、今は新館と旧館の二つに分かれている。新館がエステバリスにパワードスーツ、装甲車両にヘリと、日本陸軍が運用している、あるいはしていた兵器や道具の実物が展示された、軍の活動内容を周知し志願者を得るための広報施設となっていて、ノルマに追われる勧誘係が必死の笑顔で走り回っているのはご愛嬌。
 そして旧館が、戦車のような旧世代兵器と共に過去の戦争の歴史を学ぶことも出来る歴史資料館。烈火などにはご垂涎の場所で、オオイソ時代に何度か足を運んだことがある。ちなみに入館は無料。
 ヨコスカからここまではかなり離れているが、公共交通機関の大半がリニアモーターへと移行が完了した現在、移動に要する時間は30分もない。
「どうして、こんなところで待ち合わせなのでしょう?」
「さあね。一番イメージにそぐわない場所を選んだって事じゃないのかな」
「有名人だものね」
 妃都美、和也、澪と言い交わす前では、美佳がそわそわと落ち着かない様子だ。美佳の中はもう期待と緊張ではち切れそうなのだろう。
「にしても、わざわざ澪まで同行することなかったのに……せっかく日本に帰ってきたんだから、お母さんに顔見せてもよかったんだよ」
「家に帰るのは明日でもいいし……それに私も、ほら、あの人たちに会ってみたいし」
 澪はそう言っているが、ヨコスカからオオイソまでは目と鼻の先だ。一時帰宅ならいくらでも出来る。
 聞いた話では、澪が軍に行くと話した時、母親は猛烈に反対したらしい。父親の一件がある以上、それはあまりに当然の反応だ。
 結局最後まで完全には納得してくれなかった母親を半ば振り切る形で、澪は家出同然に和也たちを追ってきたのだ。それからも何度となくメールのやり取りを重ねて、次に帰国できたら改めて話し合おうというところまで来ているらしかった。
 本当は一刻も早く帰りたいだろうが、それを後回しにしてまで和也たちに同行するのは、それだけ和也たちから目が離せなかったということなのだろう。
 確かに、その通りだと思う。今木星人は針の筵で、黙っていれば日本人にしか見えないと解っていても周囲の視線を気にしてしまう。
 今の和也と皆は、澪がいる事で安心している。
 だったら、その恩には報いねばならないだろう。
「じゃあ、先方が来るまで時間があるし、少し中を見て回ろうか」
「それってデートのお誘い?」
「好きに解釈してもらって結構だよ。ああ、みんなは……」
 一緒に来るか、と聞こうとした時、「あ、来たみたいですよ」と妃都美が言った。
 正面ゲートの方向、展示されているエステバリスや装甲車の間から歩いてくる、盾崎楯身を初めとする三人。向こうも向こうで、予定より少々早いご到着だ。
「よう! こっちだこっち!」
 と烈火が大きく手を振ると、楯身は和也たちの前に来て、
「……ただいま戻りました、隊長」
 地獄の底から響くような低い声で、敬礼も無しにそう言った。
 何かあったな、と悟るのに、それほど時間は要らなかった。



 ―――― 一時間ほど前。

「さー、次はどこ回ろうかしら? あっちのカレー屋もいいし、クレープも食べたいし……居酒屋ってのもいいわねえ」
「奈々美、貴様の年で酒はいかんと常々……」
「あいかわらずカタブツねえアンタは。女が寄り付かないわよ?」
「……無用の懸念だ」

 そんなやり取りを交わしながら、楯身と田村奈々美はヨコスカ市内の飲食店をハシゴしていた。
 なぜ楯身が奈々美と行動を共にしているのかというと……一言で言うなら、自制の利かない奈々美の抑え役だ。
 ヨコスカに上陸したとき、和也たちはまずヨコスカ軍艦公園をゆっくり散策しようとした。しかし奈々美はそれに飽き足らず、一人で早々と市内に繰り出そうとしたのだ。
 正直、まずいと思った。今までになく木星人への風当たりが強いこの時期、もし奈々美が何かトラブルにでも遭えば確実に暴力沙汰に発展するであろう事は容易に想像できたからだ。それを危惧した楯身は奈々美に同行し、
「わたくしはもう腹一杯ですわよ……うっぷ」
 美雪も自主的に付いてきて、この三人での行動となったわけだ。
 楯身も美雪もいい加減食べ歩きには辟易していたが、幸いにしてこれといったトラブルや揉め事に遭うことはなかった……が、同時に普段と様子が違うことも、なんとなく楯身は察していた。
 美雪も同様なのだろう。ひそひそ……と小声で耳打ちしてきた。
「今日の奈々美さんは、いつにもまして食欲旺盛ですわね……」
「嫌な気分を暴食でごまかそうとしているのであろう。やはり現状、奴なりに思うところがあるらしい……」
 当然といえば当然か。身体を張って戦ったのに、世間にはまったくそれが伝わっていないのだから。
 きっと何もしないでいたら、誰でもいいから地球人を殴ってしまいそうなほど苛立ちが膨れ上がっているのだ。それを穏便に発散するため暴食に走るあたり、奈々美も和也や楯身たちが現状に苛立ちつつも我慢している空気に合わせているのだろう。
 とはいえ、このままでいいわけがない。
 ――何とかせねば……しかしいったいどうすれば。
「何とかせねば、とか考えていらっしゃいます?」
 横から覗き込むように、美雪。
「む……当然だ。現状を放置しておいたら、我々の立場は悪化する一方だ。それは我々の最も危惧するところであろう」
「ふうん……楯身様はそんなに……」
 美雪がさらに――若干不愉快そうに眉根を寄せて――何かを言おうとした時、「ちょっと、何あれ?」と先を歩いていた奈々美が声を発した。
 前方、叫び声を上げながら楯身たちのほうへ行進してくるのは色とりどりのウィンドウ――昔は手作りのプラカードや横断幕を使っていたらしいが、今や完全にウィンドウへ変わっている――に囲まれ、何かのシュプレヒコールを叫びながら行進してくる、百人――――あるいはそれ以上の一団だ。主に四十台過ぎと思われる中年の男女が目立つが、先頭には十数人の中学生らしい少女たちの姿が見える。同じ制服を着ているところを見ると、同じ学校の生徒のようだ。
 つまりはデモ行進。ここ数日、連日テレビを賑わせている光景だ。
「……むう、こちらでも木星人移民排斥のデモか?」
 連想が働き、足が自然と迂回路のほうへ向く。
 しかし奈々美が、「違うみたいよ」と目を細めた。

「相転移炉の使用反対――――!」
「反対――――!」
「相転移エンジン搭載艦の寄航反対――――!」
「反対――――!」
「全ての相転移炉を解体せよ――――!」
「解体せよ――――!」

 ……なんだあれは、と複数の口が発音した。

 乱舞するウィンドウにどぎつい配色で掲げられているスローガンは、『相転移エンジンの即時廃止』『低軌道型相転移エネルギープラントの建設中止』などだ。要するに相転移炉や相転移エンジンの類に反対しているらしいのだが、反対する必要性が楯身たちには思いつかなかった。
 困惑顔で見ていると、デモ隊の中から一人の女性が楯身たちのほうへ走りよってきた。
「署名活動にご協力お願いしまーす」
「……失礼、これは何の反対運動なのですかな?」
 署名用紙の束を手に――このあたりは捏造が難しい紙媒体が生き残っている――呼びかけて来た女性に、楯身が訊ねた。
「人々の安全と平和を脅かす、危険な相転移炉を廃止するための運動です」
「なぜ相転移炉に反対する必要が? あれはそうそう事故など起こす物ではありませぬし、公害や環境汚染の危険もないはずですがな」
 少なくとも人類が手にした――発明したのではないけれど――エネルギーを得る手段としては、最高の物であるはずだと楯身は言う。
 生活の全てを相転移炉のエネルギーで賄っている木星では、学校でもその仕組みについて教えられる。まして楯身たちは軍人として、相当に長い時間を相転移炉、あるいはエンジンの隣で過ごしてきたのだ。ある程度の知識はある。
 しかし女性は、「それは地球連合政府の嘘なのです」と真剣な面持ちで言う。
「相転移炉の生み出すエネルギーは巨大すぎます。相転移炉内部は常に不安定な状態にあって、いつ何の弾みで暴走を起こすかもしれないのよ。そうなったら最後、相転移炉は周囲の空間までも相転移させて、都市が消滅するほどの被害をもたらすとか。そんな物を大量の爆弾と一緒に積んだ軍艦がヨコスカに入港したり、地球からごく近い低軌道にエネルギープラントとして建設する計画まであるのだから……ああ恐ろしい!」
 聞いていてバカらしくなってきた。
 顔を見るだに彼女自身は到って真面目に話しているようだが、相転移炉についてある程度学んだ楯身たちからすれば眉唾物の理屈だ。
「失礼ながら、その理論にはいささか無理が見受けられますな……」
 これまた真面目な顔で、楯身が反証を述べる。
「相転移炉が周囲の空間まで相転移させるなど聞いた事もありませぬ。相転移炉の爆発事故は木星においては過去に例がありますが、被害規模はプラントの外にまで拡大するほどの物ではありませぬ。そもそも、相転移炉の爆発とは何らかの原因で構造強度を越えたエネルギーの過負荷が掛かる事で引き起こされる物であり、その現象はあくまで内部に蓄積したエネルギーの噴出に過ぎないのです。そもそも炉心構造の破損と同時に、相転移反応は消えてしまうのですから」
 相転移エンジンを搭載した軍艦が被弾し、爆発する現場なら一度ならず目にした。しかし都市が消滅する規模の爆発など一度として起きていない。本当に彼女の言うような相転移炉の暴走が起こりえるなら、ニューヨークに『赤椿』が墜落したあの時に楯身たちも消滅しているはずだ。……とまでは言わなかった。さすがに素性を明らかにするのは具合が悪かったからだ。
「もう一つ……低軌道型相転移エネルギープラントの建設にも反対しておられるようですが、よしんば都市を消滅させる規模の爆発事故が起こりえるとしても、地表に被害が及ぶとは考え難いのですがな」
「だって、低軌道といえば地球からすぐ近くでしょう? 被害が及びかねないじゃないですか」
「……ちょっと聞いた? すぐ近くだって。500から600キロは離れた宇宙空間なのに」
「物を知らないにも、程がありますわね……」
 プッ、クスクス……と後ろのほうで、奈々美と美雪が隠れ笑いをしている。
 多少でも知識があればすぐにインチキと解るような話でも、彼女のような一般人には差し迫った脅威と聞こえるらしい。ここはちゃんとした事実を教えてやるべきだろうと考えた楯身は、相転移炉が爆発した時の被害半径と、プラントが建設される低軌道と地表の距離から、被害が地表に及ぶことはまず考えられないと懇切丁寧に説明した。
 しかし本人は、「それは政府の情報操作なのです」とさらに反論を重ねてくる。
「相転移砲という兵器はご存知?」
「…………」
「…………」
「…………」
 女性がその問いを口にした時――――三人の顔色が、翳った。
 楯身は表情を曇らせ、奈々美は苦虫を噛み潰したように顔を顰め、美雪さえもが不愉快そうに目を細めた。
 それを「知らない」の意思表示と取ったのか、女性は語気を強めて続ける。
「相転移反応を利用した大量破壊兵器で、相転移炉の内部と同じ状況を外部に作り出す兵器なの。そんな物があるという事が相転移炉の危険性を表しているのに、地球連合政府はその危険性を隠蔽し、全人類を騙しているの! 陰謀だわ!」
「……やれやれ。『政府が隠している』というのもある意味便利な言葉ですな。相転移砲というのは確かに強力極まる兵器ではありますが……」
 辟易しつつも相転移砲について説明しようとした楯身だったが、そこで言い辛そうに言葉を切り、後ろの二人へ視線を向けた。
「……別に、気にしないで言っちゃえば」
「今更ですもの。変に気を使う必要ありませんわ」
「うむ……相転移砲とは確かに外部空間に相転移反応を引き起こす兵器であります。しかし先程も申し上げたとおり、相転移反応を維持するためには相転移炉が機能を保っている事が絶対条件なのです。相転移砲とはあくまでそれ専用の機材を用いた上で、完全に制御された相転移炉を最低三つ以上は連結して初めて……」
「つまり危険ということでしょ?」
「…………」
 とうとう言葉に詰まった。
 誰かに吹き込まれたインチキ極まる相転移炉脅威論は、彼女にとってはもう絶対の判断基準と化している。おまけに肝心の相転移炉について知識ゼロのこの女性は、どれだけ丁寧に説明してやったところでそれを一ミリとして理解できない……というかそれ以前に、理解する気がない。
 まともに相手するだけ時間の無駄ではと思い始めた、その時。
「何をしているの?」
 とデモ隊の中からまた別の女性が近づいてきた。
 人の良さそうな女性だな、と最初に楯身は思った。
 年の頃は多分五十代前後。白のスーツに身を包み、オールバックにした髪と少しばかり化粧の濃い顔。いささかケバケバしいという感じだが、柔和な笑みを浮かべている。
「ああ、センジョウさん。実はこの人たちが、私たちの主張を理解できないみたいでどうしようかと……」
 理解できないのはあんただろ。と内心でツッコむ楯身たちに、センジョウと呼ばれた中年女性は笑顔で近寄り、名刺を差し出してきた。
「はじめまして。私『ヨコスカピースフリート』の代表をしております、センジョウ・タカコと申します」
「……センジョウ?」
 後ろで、何故か奈々美が目を細めた。
 名刺を受け取った楯身は、律儀に自分も名乗る。
「盾崎楯身と申しまする。……彼女の話を聞いておりましたが、いささか根拠に乏しい相転移炉脅威論を元に反対運動を展開しておられるようですが……」
「根拠に乏しいだなんてとんでもない。相転移炉の危険性については地球連合政府によって隠蔽されているので知らないのも無理はありませんが、私たちの会には多くの著名人がアドバイザーとして名を連ねているの。皆さん大学教授やエンジニアなど、相転移炉に精通した方々ばかり。彼らが相転移炉は危険と言っているのだから間違いないの」
 言って、センジョウは人数分のビラを差し出してくる。センジョウの言う通り、大学教授やエンジニアといった顔ぶれが、写真付きで相転移炉の危険性についてコメントを載せている。……が、
「……この大学教授っての、よく見ると教育文化学部教授ってちっちゃく書いてあるわよ」
「元エンジニアというのも、電子部門って事はアビオニクス関係ですわね……」
「皆、畑違いの人間ばかりではないか……」
 三人は手元に残ったビラに目を通しつつ、言い交わす。
 この論客たちは相転移炉に直接関わっていない人間ばかりだ。本気で相転移炉脅威論を唱えているのか、それともギャラで動いているのかは定かでないが、少なくともセンジョウの言うような『相転移炉に精通した方々』には見えない。
 肩書きで何も知らない人を信用させようとしているのなら、あまりに人をバカにしたやり方だ。しかもその中には、信じがたい事に木星人らしい名前もあった。
「こいつ、何を考えて名前を載せたのよ……生まれた時から相転移炉に命を支えられてきたくせに」
「同郷の者としては、いささか疑問を感じざるを得んな……」
 大気の希薄な木星の衛星では、都市は全て閉鎖型のドーム都市だ。ドーム内の生命維持システムを支えているのは、当然のように相転移炉。仮に全ての相転移炉が停止する事態になれば、生活どころか命に関わる一大事になる。
 木星人にとって、相転移炉は水や空気と同じ、文字通りの生命線ライフラインなのだ。にも拘らずそれを貶める彼の行為は、親の恩を踏みにじるが如きバチ当たりな行為ではないか……などとビラの中の木星人に憤っていた楯身たちは、自分たちの失言に気が付かなかった。
「同郷の者ということは……あなた方、ひょっとして木星人かしら?」
「!」
 しまった! 楯身はミスを悟る。
 こんな道ばたで、しかも興奮気味なデモ隊の前で自分たちの素性が知れれば、何をされるか解らない……テレビで見た木星人移民の排斥を訴えるデモ行進の様子と、目の前のデモ隊との相似はそう危機感を抱かせるに十分だった。
 ここは駆け足で逃げるか……と合図を送ろうとした楯身だったが、センジョウは「ああー、なるほど!」と拍手を打った。
「木星人の方だったのですね。どうりで相転移炉にお詳しいと思いました」
「はあ、それは……」
「ご心配なく。私たちは木星と地球との和平を心より望んでおりますから。……ちょっと! あなたたち、こちらへいらっしゃい!」
 言ってセンジョウは、デモ隊の先頭にいた中学生たちを手招きする。
「彼女たちは私が教師を勤めている女子校の生徒たちです。……ほら、ご挨拶なさい」
「……こんにちは、木星人の皆さん。私たちは木星と地球の架け橋となるために、木星の歴史教科書を使って勉強をしています。いつか木星と地球が仲良くなれるよう、私たちも頑張ります」
 女子中学生たちの代表なのだろう女の子が、一歩踏み出して言う。
 友好の言葉……だが、いまいち本心からの言葉という感じがしない。女の子の目は明らかに楯身たちを見ていないし、滑舌も台本を読んでいるような棒読みだ。
 それに気付いているのかいないのか、センジョウはさらに言葉を繋ぐ。
「ご覧の通り、私の学校では木星の歴史教科書を使って平和の精神を養う教育を行っています。ゆくゆくは日本全国、そして地球全土の学校でもこの教科書を使うようにしたいと思っているわ。あなたたちもそう思うわよね?」
「まあ、確かに……」
 一理あるかも――――と言いかけたが、センジョウの持っている教科書を見てその言葉を飲み込んだ。
 これは、今現在木星の学校で使われている教科書ではない。
 大戦前に使われていた教科書だ。当然のように中は過激な反地球のプロパガンダがてんこ盛りで、熱血クーデターによって今の政権が発足してからは反地球的な記述を減らした改訂版が発行されているはずの。
「今は絶版となったこれをどうやって……いや、それよりもこれを地球人の学生に見せるという事は……」
「はい。木星人の方々がおっしゃる過去の歴史について、私たちのような先進的知識人としては然るべき清算を行う事が必要と思っております。あなた方のお爺様や曾お爺様たちの皆殺しを謀った挙句、百年もその事実を隠していたのですからね。ですから……ほら」
 センジョウはまた生徒たちに何かを促す。……が、生徒たちは何かを躊躇っているように、俯いたまま動かない。
「やりなさい」
 苛立ったように語気を強める。
「……私たち地球人は……皆様に大変……」
「声が小さい!」
 この瞬間、楯身はセンジョウという女性に抱いた第一印象が、完全に間違っていたと思い知った。
 有無を言わさぬ命令に生徒たちは固いアスファルトの地面に膝を落とし――――両手をついて――――頭を地面に擦り付けんばかりに下げ――――

「……木星人の皆様、私たち地球人はあなたたちに大変酷い事をしました! どうかお許しください!」

 土下座して、謝罪の言葉を叫んだ。



「……という事がありまして。それ以上町中を歩く気になれず、早くにこちらへ向かった次第であります」

 そこまでのいきさつを聞いて、楯身の機嫌が悪い理由を和也は理解した。
「そんな事があったのか……それは面白くない話だね」
「面白くねえどころじゃねえだろ。とんでもねえ奴らだ……」
 楯身の話を聞いた烈火は歯軋りしていた。その恐ろしい形相に、周囲の客たちが烈火を大きく避けて歩いていく。
 烈火は子供への蛮行に強く怒りを見せる。多分烈火自身がそういう身の上だったからだろうが、中学生に土下座を強制するというセンジョウの行為はその逆鱗に触れたらしかった。
「しかし、皆様もそうやって地球人に謝罪をさせたかったのではありませんの?」
 無遠慮にそう聞いた美雪に、「見損なわないでください」と妃都美は顔を怒らせた。
「火星の後継者ならいざ知らず、私たちはそこまで腐ってはいません。木星人には敵であろうと罪の無い人を害しない矜持があるはずです」
「妃都美が正しい。土下座させてやりたいのは地球連合政府のお偉方とか、それと通じてたネルガルの会長とか……そういう奴らだよ」
 言った和也に、横で聞いていた澪はほっとした顔をしていた。
「その通りですな。斯様かような女学生らに謝罪を強いたとて無益な事です。あれではむしろ……」
「こうなるってんでしょ? ……あいたたた」
 楯身の言葉に答えた奈々美は、なぜか頭にタンコブをこしらえていた。
「どうしたんだ、その頭?」
 実は、と楯身は言う。
 デモ隊が去った後――――楯身たちも反対方向へそそくさと立ち去ろうとした。まるで自分たちが中学生に土下座を強要したような状況は多数の通行人に目撃されていて、一刻も早くその場から立ち去りたかった。
 そこへどこからともなく飛んできた石ころが、奈々美の頭を直撃した。「痛っ!?」と叫んで振り向いた先には、先程の女子中学生の一人が立っていて、怒りを孕んだ顔でこう叫んだのだ。

『木星人なんて、大嫌い!』

「まあ、そうなるよね……」
「そうなるよなあ……」
 何人かがため息をつく。
 強いられて行う謝罪などそんなものだ。その女子中学生は一生木星人に心を許さないだろう。
「こういう人たちって、歴史の授業にも出てきたよね。確か……」
「……AKBアーカーベー……ですね」
 そうポツリと呟いて、美佳は傍らの歴史資料館を仰ぎ見る。
 ちょうどおあつらえ向きに、ここはそういう団体の資料が山ほどある場所だ。



 今から二百年前、21世紀初頭――――その後の世界史に大きな影響を与えたとされる、大きな戦争があった。
 その始まりがどこかは諸説あるが、当時世界に吹き荒れていた大規模テロとの戦いに明け暮れていたUSAで、初の女性大統領を筆頭とする政権が誕生した年がその始まりとする見方が大勢だ。女性大統領は武力に依らない世界秩序と疲弊した経済の建て直しを公約として掲げ、そのための大規模な軍備縮小政策を打ち出した。
 一部メディアはこれを、USAが覇権国家から博愛国家へ転換する第一歩だなどと絶賛したが、現実はそう甘いものではなかった。USAの軍事プレゼンスが低下した事で、世界各地にくすぶりながらも抑えられていた火種がにわかに燃え上がり始めたのである。
 中東においては、USAの力が弱まった事でイスラエルと周辺諸国との対立の箍が外れ、第五次中東“非核”戦争が勃発。これは後に第六次中東“核”戦争にまで繋がっていく。
 東南アジアにおいてもUSAの大軍縮と在外米軍の廃止により、各地で在外米軍によって抑えられていた共産系武装組織の動きが活発化。インドネシア・フィリピンなどでは内戦が起こった。
 とりわけ極東アジア地域においては、対USAの軍事同盟として結成された『ユーラシア同盟』の軍事活動が活発化していった。この同盟は経済的な行き詰まりによって衰えた政府の求心力を回復するため、かつて途絶えた皇帝家の血筋をでっち上げ、中国から名を変えた『中華帝国』。その中帝に飲み込まれる形で南北統一を果たした朝鮮半島統一国家、高麗民主連邦共和国、略して『高麗共和国』。そして近年の経済発展を背景に過激な大国主義が台頭しつつあったロシアが、その影響力を強く受ける東欧諸国を取り込んで発足させた『新ソ連』からなる軍事同盟だ。
 経済の停滞と大軍縮により力の衰えたUSA。その隙を突くように世界の覇権へ野心を見せ始めたユーラシア同盟に、周辺国は戦々恐々としていた。特に先年独立を宣言していた台湾との間では、台湾海峡における領空侵犯、軍艦の領海侵犯などが頻発化し、緊張が高まりつつあった。  そしてその年、中帝海軍の駆逐艦が台湾からの攻撃で沈没する『台湾海峡事変』をきっかけに、ついにユーラシア同盟は戦争を始めた。最初のターゲットとなった台湾があっけなく陥落し、脱出した台湾総統を受け入れた事を理由に日本にまで戦火か及ぶ事態となった。これが今で言う『東アジア戦争』の始まりである。
 いかな大国の同盟軍が相手とはいえ、日本にはそれなりに戦う力はあったはずだった。にもかかわらず開戦からほんの数週間のうちに九州、沖縄、そして北海道を占領されてしまった裏には、在日米軍が廃止された事もそうだが、当時日本が抱えていた内憂の存在があったとされる。



「それが、『AKB』……平和の二文字を隠れミノにした敵のシンパってわけだ」
 歴史資料館の中を歩きながら、和也。
 21世紀当時の戦車や戦闘ヘリが展示された正面入り口から少し奥まった所に、東アジア戦争の歴史を伝えるパネルスペースがある。通路の両側には写真付きのパネルや当時の遺品などが展示され、順路を進むごとに見学者は戦争の歴史を順を追って学ぶことが出来る。
 まず目に入るのが、犠牲者40万人、難民500万人、被占領者1500万人という数字だ。その横には日本地図が描かれているが、九州以南、北海道以北が赤く色分けされている。これは戦争中に占領を受けた地域だ。このように日本の国土が占領を受けるのは第二次大戦以来……というか、上陸を許したという点では歴史上初めてとなる。
 この戦争でここまで被害を拡大させる要因となったのが、当時日本に数多存在した平和団体だ。平和憲法を守れ、人権を守れと訴え、他国を信頼し軍事力を捨てようとさえ唱えてきた彼らが、その平和と人権が他国によって脅かされた時何をしたのか、歴史にははっきりと刻まれている。
 突然牙を剥いた戦争という現実に沈黙し、何もしなかっただけならまだよかった。しかしいくつかの平和団体は平和の旗を掲げて自衛隊の道を塞ぎ、デマを撒き散らして日本の足を引っ張った。中には侵略軍であるユーラシア同盟軍をもろ手を挙げて歓迎する者さえいたという。
 平和を叫んでいたはずの彼らは、日本の平和を守らなかった。
 彼らを罵る蔑称は枚挙に暇がないが、やがて当時大人気だったアイドルグループの名前になぞらえたブラックユーモア的な呼び名である『AKB』が定着した。AKB、『アカでカスな売国奴』の略で、『エーケービー』ではなく『アーカーべー』と発音する。
「……AKBの呼び名が定着するのと時を同じくして……」
 不意に、美佳が口を開いた。
「……日本全国で、狂騒的なAKBの排斥が起きました。以前から反国家・反権力的な言動のあった人間や団体が片端からAKB認定され、無実の人までが密告されて職を追われたりしました……」
「当時のミスマル・セイジュウロウ総理大臣は、日本中を根を張っていたAKBの追放パージを強力に推し進めたからね」
 その政策は、評価としては功罪あるとされている。しかしAKB=敵という構図を作る事で戦争遂行の挙国一致体制が確立でき、彼の後を継いだ娘、日本史上初の天才美女総理大臣にして鉄の女、ミスマル・サツキが戦争を勝利に導く大きな力になったのも確かだ。
 その点において、和也はミスマル総理の政策を評価している。だが、美佳はまた違った考えであるらしい。
「……AKBの人たちがやった事は許されません……ですが、一括りに悪と決め付けることも出来ない気がします……」
「そう言えば、美佳はそういう人だったね」
 和也は苦笑する。
 オオイソにいた最後の夏、美佳の学年でAKBがなぜ外患援助に走ったか、その考察をレポートに纏めろとの課題が出た事があった。美佳の提出したそれをざっと流し読みした時、担任の教師は顔を引きつらせながら「……独特な考えを持っているようね」と評した。和也も少し呼んでみたが、AKBと呼ばれた人間の内面にまで踏み込んだ内容のそれは、見方によっては同情的と見えなくもなかった。
 点数については帰ってくる前にオオイソを離れたので知らないが、多分悪い点を付けるつもりだったはずだと思う。
「……あのレポートを同情的と言うなら、否定はしません……ですが彼らは……」
 そこで美佳は言い辛さを覚えたか、「……いえ、いいんです……」と言葉を切った。
「……まあ、同情の余地の欠片もない人間もいます、AKBの筆頭、当時の日本最大野党の党首だった男……」
 和也たちは通路の一角で立ち止まる。
 そこには丸々と太った、肥大した権力欲が贅肉となって浮き出ているような憎たらしい風貌の男の写真が飾られていた。
「大沢次郎……十分国の重鎮と言っていい影響力を持った人間でありながら、祖国に侵略軍を呼び込んだ売国奴……」
「より大きな権力を得るために国を売り渡そうとした大罪人でありますな。もはや歴史上の人物とはいえ、許し難いものがあります……」
 侮蔑を露わにする、妃都美と楯身。
 彼は長年総理大臣の椅子を望んでいたが、金に汚く、権力欲だけで動いているような政治家にそこまでの支持は無かった。しかしそれを自分を理解できない愚かな国民のせいと逆恨みした大沢は、本来のやり方からかけ離れた――――いや、政治家として考えられうる最低最悪のやり方で権力奪取を目論んだ。
 日本に侵略軍を呼び込んで占領させ、傀儡政権首班の座を得るという形で権力を握る。そのために前々からユーラシア同盟と密約を結び、AKB団体を手懐け、台湾総統を保護するよう国会に働きかけてユーラシア同盟軍の日本攻撃の根拠とさせる。全ては予定通りだった。
 内と外の両面から攻撃を受けた日本は、自衛隊の奮戦空しく九州、沖縄、北海道を占領された。その後十年余りの膠着期間を経て、日本とその周辺国が結成した環東アジア軍事同盟――今の東アジア連合EAUの前身――による反撃でユーラシア同盟が大陸へ押し返され、旗色悪しと見た高麗共和国の寝返りが決定打となり、戦争は終わる。当然大沢やAKB団体は捕らえられ、卑劣な行為にふさわしい報いを受けた。
 その後占領地には故郷を追われた人々が戻っていったわけだが、戦争の傷跡は戦禍を受けた地域とそうでない地域の間に大きな経済格差をもたらし、長く尾を引く社会問題を生んだ。
 やがて貧困層の人々は月への移民に希望を見出し、多くの日系人が月へ旅立ち、やがて木星人の先人となった。月の住人や木星人の多くが日系、あるいは高麗系などのアジア系なのはこういった事情がある。
 そんな歴史が今でも語り伝えられているから、大概の木星人は仲間を売り渡すような裏切り行為を最大級の恥ずべき行為としている。

 ――――大沢次郎の同類め! 木連軍人の誇りも矜持も、金で売り渡したか!

 あの時、サンディフック基地で和也と刃を交えた火星の後継者兵が言いたかったのはそういうことだ。
 地球に味方する和也たちは、私利私欲のために木星を裏切った売国奴だと。

 ――でも僕は、僕たちは違うよ……僕たちはいつでも、木星人のために戦ってきた……はずだ……
 火星の後継者は、今でも和也たちにとって敵だ。  しかしニューヨークでの一件以来、それと戦うことが本当に木星人のためになるのか、和也たちには解らなくなりつつある。

 ――――木星人って短気ですぐ怒るし、近づきたくないよねー。
 ――――なんも考えてないからなアイツら。
 ――――やっぱり木星人移民なんて受け入れたのが間違いだよ。ネットで見たんだけど、ニューヨークのテロは移民が手引きしたって……

 火星の後継者が一件テロを起こすたびに、真綿で首を絞められるように木星人は追い詰められていき、和也たちがいくら戦ってもそれを止められない。
 和也たちだけじゃない。サブロウタ、秋山源八郎、宇宙軍の第442機動大隊。地球の側に立って戦う木星人は大勢いる。
 なのに地球人はそれを見てくれない。ただメディアが垂れ流す衝撃的な情報に踊らされ、木星人を警戒し攻撃してくる。彼らにあともう少し懸命な判断力があればと、大衆の無知を呪わずにはいられない。
 やはり木星人にとって、最大の敵は地球人そのものではないかと時折邪念が脳裏をよぎる。不本意極まりないが、ニューヨークで民間人にまで銃を向けた火星の後継者兵の怒りの一端が、少し理解できてしまった気がした。
 そのたびに横にいる澪の存在が冷水を浴びせるのだが、この胸のむかつきはそう簡単には収まりそうにない。
 これでは本当に、和也たちは大沢次郎やAKB団体の同類になってしまう。奴らのように怨嗟の声と共に歴史に刻まれるのが、火星の後継者ではなく自分たちになるなど耐えられない。
 木星人のために戦ってきたつもりが、その木星人から石を投げられるような結末になるなど、絶対に受け入れられない。

 ――僕たち……間違ってないよね……?

 いったい誰が、その問いに答えてくれるだろうか……そう思った、その時。
「……あっ、いたいた。すいませーん、『お土産やさんでは何を買いますか?』」
 その声に和也たちは少し驚き、美佳が「……ほあっ……」と声を漏らした。
 待ち合わせの相手と決めておいた合言葉だ。という事は、この人が……
「『あなたの曲をお願いします』……はじめまして。僕が隊長の黒道和也です」
 合言葉の答えを聞いて、帽子と眼鏡とマスクで顔を隠したその女性が素顔を見せる。

「メグミ・レイナードです。本職は声優ですけど最近はアイドルみたいなことも……知ってる? ですよね。とにかくよろしくお願いします!」



「そうですかあ……ルリちゃんは元気でしたか?」
「まあ元気……というか、特に病気とかはしてません。ニューヨークでの戦闘を終えた時は、さすがに疲れていましたけれど……」
 メグミに連れられて移動する道すがら、メグミと言葉を交わす。それだけでも信じられない体験だった。
 なにしろあの『メグ姉』あるいは『メグたん』ことメグミ・レイナード。声優から戦争中の軍隊勤務という数奇な運命の中でチャンスを掴み、今まさにスターへの道を駆け上がっている宇宙的トップアイドル。人々を魅了して止まないその美声と、愛らしい笑顔が、自分たちだけに向けられている……
 メグミ・レイナードが和也たちに会いたがっている……そうサブロウタから聞いたのは、日本へ戻る事になった旨を伝えて間もなくのことだった。
 なんでも、頼みたい事があるらしい。最初和也たちはそれを、ニューヨークでの戦闘と木星人への風当たりで疲弊した和也たちのガス抜きを図っての事だと、そう解釈していた。
「しかし、メグ……レイナード女史が戦争中軍に在籍していた事は周知の事実でありますが、それが先代のナデシコとは……ナデシコBにコンタクトできたのも、これで得心がいったと言うべきですかな」
 そう言った楯身に、「そんなところかな」とメグミ。
「ユリ……今も宇宙軍にいる知り合いのコネでね。ちなみにナデシコじゃあ通信士をやってて、エステバリス隊のオペレートみたいな事もしてたんだよ」
「あっ、じゃあ私の先輩ですね! よかったらいろいろ話してくれると嬉しいです!」
「世の中狭いもんねえ、あっはっは」
 澪も奈々美も、本物のメグたんに会えて大喜びだ。他のメンバーも何とか会話に入り込もうと必死にきっかけを探っている。
「あなたたちの事は、ルリちゃんからメールを貰ってる。大活躍みたいだね。頼りにしてるよ」
「恐縮です。それで、僕たちに頼みたい事っていうのは……」
「それについては、みんなと一緒に話すね」
 みんな、というメグミの言葉に、「……本当に……」と顔をリンゴのように赤くした美佳が呟いた。美佳はメグミに会ってからというもの興奮と緊張で口も聞けない状態で、言いたい事は山ほどあるはずなのにずっともじもじしている。
 しかし――――と和也は思った。『草薙の剣』の戦歴を頼りにするという事は、荒事が絡むような話なのか?
 やがて一同は、少々年季の入った稽古場へと案内された。アイドルが歌や振り付けを練習する場所――――それだけでも夢のような空間だ。
 だがそれを見た和也の第一印象は、「汚い建物だな」だった。
 塗装の剥げかかった三階建ての建物で、メグミのようなトップアイドルは事務所がもっと綺麗な場所を持っているのではないか――――などと思っていたら、案の定期間限定のレンタル稽古場の看板が出ていた。
 これが芸能界の舞台裏なのかと、びっくりとがっかりが半々の感想を抱く。
 その中では――――

「『草薙の剣』の皆さん、お待ちしてましたっ!」

 おおっ、と思わず声が漏れる。

「私たち、ホウメイ・ガールズでーす! ゆっくりしていってくださいね!」

 うおおおおおっ! と一際大きな歓声が自然に上がる。
「ほ、本物のホウメイ・ガールズ……」
「ホウメイガールズー! ホッ、ホーッ! ホアアーッ! ホアーッ!」
 妃都美は口元を押さえて感動し、烈火はファンがホウメイ・ガールズを応援する時の奇声にも似た掛け声を叫ぶ。
 ホウメイ・ガールズ。メグミとしばしば共演し、ヒサゴプランのキャンペーンなどで知名度を高め、年々人気を上昇させている、現在地球で最も上がり目なアイドルグループ。
 和也にとっても少し意外な事だったが、メグミとホウメイ・ガールズは『草薙の剣』メンバーの間で予想以上に人気を得ていたらしい。
 その中でも一番の先駆者、かつ最大のファンであるはずの美佳はというと――――
「……はうう……」
 感動のあまり言葉も出ないのか、恥ずかしいのか、すっかり小さくなって和也の後ろに隠れてしまっていた。
「ほら美佳。ずっと好きだったホウメイ・ガールズだよ? 前に出なって」
「そうですわ。こんなチャンス二度とありませんわよ?」
 和也が引っ張り、美雪が背中から押す。「……ちょ、ちょっと……」と美佳は僅かに抵抗したが、あっさりとホウメイ・ガールズ五人の前に突き出される。
「はじめまして。ミカさん……でいいのかな?」
 腰を屈めて美佳に視線を合わせてきたのは、メンバーのウエムラ・エリだ。「……はっ、はいっ」と解けて消えそうな声で美佳は頷く。
「……わ、私……地球に来て間もなくのころから、ずっと皆さんの歌が好きです……新曲は全て手に入れて、軍にも持ってきています……」
 そう言って美佳は、ホウメイ・ガールズのファーストアルバム『恋のレシピ』が収録された光ディスクを差し出して、
「……さ、サイン、ください……」
「はい、お安いご用だよ!」
「応援ありがとう!」
「これからもよろしくね!」
「私たちも応援してるから、頑張ってね!」
「私たちも頑張って歌うからね!」
 エリの他、テラサキ・サユリ、ミズハラ・ジュンコ、サトウ・ミカコ、タナカ・ハルミと、次々に美佳の光ディスクを受け取ってはサインを寄せ書きしていく。「じゃあ私も」とメグミもそれに加わり、たちまち美佳のディスクはこの世に二つとないホウメイ・ガールズとメグミ・レイナードの寄せ書き入りディスクというお宝に変わった。
「……ほああ……大事にします……」
 サインの寄せ書きをされたディスクを大事そうに胸に抱え、小走りに美佳が戻ってくる。
「よかったね、美佳ちゃん」
「……は、はい……あの、少しお花を摘みに行きたいのですが……」
 用を足してくる意味の隠語を口にし、メグミからトイレの場所を聞いて美佳は部屋から出て行った。
「こりゃいいもんを見たなあ。あの美佳が顔を真っ赤にしてやがる」
 足音が聞こえなくなると、烈火が「ヒュー」と口笛を吹いた。
「本当に美佳ちゃんはホウメイ・ガールズが好きなんだね。あっ、できれば私にもサインお願いします!」
「おお、オレにもくれ! じゃなくてください! 額縁に入れて飾っときます!」
「私にもください! 友達と一緒にファンでした!」
「わたくしにもサインお願いしますわ。……ふふ、オークションに出せばいくらで売れるかしら……」
「聞こえているぞ美雪。……自分にもサインお願い致す」
「カタブツのくせにあんたも好きねえ……ああ、あたしにもちょーだい」
「みんなここに来た目的忘れてないか?」
 澪、烈火、妃都美、美雪、楯身、奈々美と、手に手に音楽ディスクやサイン色紙を持ってサインをねだる。そんなメンバーたちに、和也は呆れた声を漏らしていた。
 尤も、その和也も結局は「……とりあえず、僕にもサインお願いします」とサイン色紙を持参していたのだが。



 ばたばた……
 部屋の中にいる和也たち、そしてメグミとホウメイ・ガールズの面々に聞こえない所で小走りになった美佳は、ほとんど駆け込むような勢いで稽古場のトイレに入った。
 個室に入ってドアを閉め、用を足すでもなく立ち尽くすこと少し。激しい動悸と呼吸を何とか落ち着かせると、美佳は胸に抱えたままのサイン入り音楽ディスクをまじまじと見つめ――――ようとした。
 自分が盲目であることが不自由だと感じたのは、何年ぶりだろうか。光を感じる両の目が無い美佳には、音楽ディスクのパッケージに寄せ書きされたメグミとホウメイ・ガールズのサインを見ることが出来ない。
 しかし見ることが出来なくても、今そのディスクは美佳の手の中で特別な熱を発していた。
「……さ、サインを貰って……話まで、しちゃいました……」
 もう堪えきれない。
 口元を押さえてうずくまる。今はソリトン・レーダーの発信機しかない両の眼窩が熱くなり、ぽろぽろ、と透明な雫が零れ落ちてくる。
 しばらく声を殺して涙を流した後…………
 そろそろ戻らなければ、と思い至って、洗面台で顔を洗い、トイレから出ようとした。
「……え?」
 その時、ソリトン・レーダーに異変を感じた。
 なにやら大勢の人間が、この稽古場の前に集まっている……



「それじゃあ次は私ことウエムラ・エリのソロナンバー一番! 『ハッピーミステリー』歌いまーす!」
「待ってましたーっ!」
「ほあああああー! ほっほっほああああああー!」

 一方そのころ、稽古場ではホウメイ・ガールズのミニライヴが始まっていた。
 五人揃って一曲歌い、今はエリが「ほーらほらね、そこにも、ここにもー♪ ハッピーハッピー、ミステリー♪」とアニメの主題歌をソロで歌っている。その歌声は、観客である『草薙の剣』の面々にも笑顔を誘わずにはおかない。
 こんなに楽しいと思ったのは久しぶりだった。
「その……ありがとうございます、レイナードさん。おかげでみんな元気になったみたいです」
 そっとお礼を言った和也に、メグミは「メグミでいいよう」と笑った。
「私たちもファンの人たちは大事だし、それにあなたたちが来たら思いっきり楽しませてあげてって、タカスギ少佐さんから言われてるから」
「はは、お心遣い痛み入りますね……」
 ありがたい事ではあったが、つまりはそれだけ和也たちが落ち込んで見えたということで。
 嬉しいような情けないような、複雑な気持ちの和也だった。
「でも、そのためだけに僕たちをここに呼んだわけじゃないですよね」
「……うん、そうなの」
 メグミは本題を切り出そうと言葉を選ぶ顔になった。……が、そこでエリが歌い終わった。
「メグミさーん! 次はメグミさんが歌いませんかー?」
「次は『いつか帰るエデン』お願いしまーす!」
「歌ってくださいませー!」
「メグ姉ー! メッ、メアアーッ! メアアアアアアアアーッ!」
 空気を読まずに言ったエリに、『草薙の剣』メンバーたちも盛り上がる。和也はおいおいと思ったが、当のメグミは「後でね」と和也に告げてマイクを受け取った。
 その時、稽古場の扉が開き、美佳が戻ってきた。
「おお、美佳。これからメグ姉が『いつか帰るエデン』歌うぜ。美佳がカラオケで大得意な曲だろ。ここは一つデュエットしねえか?」
「……メグミさん。表に大勢人が集まっているのですが……何かあるのですか……?」
 烈火の誘いを無視して、美佳。
「表に大勢? そんな気配はしないけど……」
「いえ、ここは稽古場であります。大声で歌ったり踊ったりする施設の性格上、古しい建物とて防音は完璧のはず」
 まったく気付いていなかった和也に、楯身は言った。
 それを聞いたメグミと、ホウメイ・ガールズの面々が「まさか」と――なぜかエリだけが頭の上に『?』マークを浮かべていたが――表情を強張らせた。
 やがて誰かの近づいてくる気配が防音壁の向こうからでも解るほど近づき、コンコンと部屋のドアがノックされた。ホウメイ・ガールズのミカコとハルミがひぃ、と抱き合って怯えた声を漏らす。
「みんな、そこに隠れてて!」
 メグミは切迫した顔つきで和也たちへ向き直ると、部屋を仕切るついたてを引き出した。訳が解らないまま、「喋らないでじっとしててね」とのメグミの言葉に従い、息を殺して身を潜める。
「……どうぞ」
 和也たちが隠れたのを確認し、ジュンコが外の誰かを部屋へ招き入れる。
「ごきげんよう。こんな狭い所でも練習頑張っていらっしゃるようね」
 稽古場の中へと入ってきた誰かは女性の声で、一見丁寧に、その実慇懃無礼な態度でそう言った。
 途端、二つの口が同時に言葉を発した。
「あ、センジョウさん!」
「センジョウ……!?」
 前者は喜んだ様子のエリ。後者は驚きと疑問が半々になった奈々美の声だ。
 和也はセンジョウに聞こえないよう、そっと奈々美に耳打ちする。
「奈々美、知ってるのか?」
「間違いないわ、センジョウ・タカコ……さっきのAKB団体のボスよ」
「女子中学生に土下座させてやがったくそ女ってのはあいつか……」
「なんでそんな奴がここに……」
 そっとついたての裏から覗き見る。白いスーツ姿の女……あれがセンジョウか。その両脇には体格のいい男が二人、センジョウの両脇を守るようにして立っている。ボディガードのつもりなのかもしれないが、どちらかといえばヤクザに近い。その目で一睨みされただけで、ホウメイ・ガールズの面々は竦み上がっている。
 その中で唯一平然としているのがエリだった。
「今回はごめんなさーい、もうすぐライヴだから、練習抜けられなくて……」
「いいのよ。あなたのおかげでうちの会員も増えてるし。次の集会の時は――――」
「今回というのは、先刻の相転移炉反対デモの事か……? いや、それよりもエリリ……ウエムラ女史が親しげに話しているということは……」
「おいおい、まさかエリリンがAKB団体に所属してるってのか? いくらなんでもショックだぜ……」
 楯身と烈火が驚愕に呻く。
 何か聞いてはならないものを聞いてしまった気がするが、今はどうでもいい。
「外にみんなも来ているわよ。会ってくるといいわ」
「あ、はーい。ちょっとごめんね」
 メグミたちに一言言って、エリは外へ飛び出していく。ドアが閉まる直前、外から歓声らしい声が聞こえた。あの様子だと、エリはセンジョウの団体の看板娘的な存在のようだ……
 そしてエリがいなくなった途端、センジョウの笑みが、変質した。
 人の良さそうな笑い顔から、悪意に満ちた嗤い顔へと。
「聞いての通り……あの子はうちにとっても大事なメンバーだから、少しくらい時間を貸してくれてもいいのではないかしら? あの子もそうしたがっているわよ」
「何度来ても答えは同じです」
 ホウメイ・ガールズ最年長のサユリが、皆を庇うように前に出た。
「もうエリに余計な事を吹き込まないでください。あなたたちがどれだけ嫌がらせをしても、エリをAKBにはさせません」
「嫌がらせ? AKB? 何の証拠があってそんな事を言うのかしら。私はただあの子と今後も仲良くしたいとお願いしに来ているだけなのに……」
 そこでセンジョウは、コツコツとヒールの足音を響かせてサユリに歩み寄ってくる。歩きながら窓枠――あまり掃除が行き届いていないのか、薄く埃が積もっている――に指を這わせ、その指に付着した埃をサユリに向かってふっと吹き掛けた。
「……!」
 その明らかな挑発に、美佳がはっと息を呑む。
「……和也さん……もう黙っていられません……」
「そうだね……」
 追い出してやるか、と和也と美佳は、ついたてに手をかけようとした。

 だがその瞬間、センジョウの両脇に控えたボディガードの男二人が威嚇的な目線を向けてきた。

「……!」
 美佳の体がびくりと震え、その動きを止める。
 明らかに気付かれている。気配を消していた和也たちのそれを察知するなんて、素人ではありえない。
 何者だと思ったが、それよりも今出て行ったら、穏便には済みそうにない――――そう思った和也たちは、飛び出したいのを堪えてぐっと息を殺す。
「そっちがその気なら、こちらも相応のお返しはするわよ……」
 悪意に歪んだ笑みを浮かべて、センジョウは、サユリの耳元で何かを囁く。
 読唇術で読んだその言葉は、『二度と歌えなくなるくらいは覚悟するのね――――』だ。



「……なんなのですか、あの人たちは……」
 センジョウたちが去った後、開口一番美佳はそう言った。
 センジョウはホウメイ・ガールズとメグミにたっぷりと脅し文句を吐いて帰って行った。ホウメイ・ガールズの皆は怯えきっていて、ミカコやハルミは泣きべそをかき、サユリやジュンコも青い顔で肩を震わせていた。
「……まるで、皆さんに恨みでもあるような態度……何があるというのですか?」
 その問いに、「私から説明するよ」とホウメイ・ガールズのジュンコ。
「どこから話せばいいかな……あの人はセンジョウ・タカコっていう、このあたりで活動してる反戦団体の代表で……」
「存じております。ここに来る前一度会いました故」
 そう、楯身。
「そうなんだ。じゃあもう解ると思うけど、エリ……あの子は今、センジョウさんが主催してる『地球の平和と人権を守る母の連合軍』に入ってるの」
「『地球の平和と人権を守る母の連合軍』? 『ヨコスカピースフリート』ではないので?」
「ああ……それはあの人たちが相転移エンジンを積んだ戦艦の寄港に反対する時や、相転移炉廃止運動の時に使う名前だよ」
「……活動によって名義を使い分けているのですね……どうして、そんなAKB団体にエリさんが……?」
 訊いた美佳に、ジュンコは少し俯いた。
「私たちがみんな、戦争中はルリルリと一緒にナデシコのクルーだったのは聞いたよね」
 ――ルリルリ? ……ホシノ・ルリ中佐か。
「私たちは厨房でご飯作ってただけなんだけど……エリは、もともと戦争なんて出来る子じゃなかったのよ」
「確かに、虫も殺せそうにない顔をしてらっしゃいますものね」
 茶化すように言った美雪に、ジュンコは頷く。
「木星蜥蜴が宇宙人の無人兵器だって思い込んでた頃はよかったけど、途中から同じ人間だって解ったからね……そこに戦後もアキ――――」
「ジュンコちゃん!」
 突然ジュンコの言葉を遮って、メグミが鋭く言った。何か言ってはいけない事を言いそうになったらしく、「……ごめんなさい」とジュンコは謝った。
「……その、辛い事があって、今はもう完全に反戦思想家になっちゃったの。まあ、それは別に悪い事じゃないんだけど……」
「そこをあのセンジョウの団体に勧誘されて、偏狭な反戦活動にのめりこんでいるわけですね」
『辛い事』については聞いてはいけないんだろうなと思いつつ、和也。
「そうなの。あの団体っていろいろよくない噂も聞くし、あのセンジョウって人も昔から反地球連合的な言動で問題起こしたりしてるって言うから、関わらないほうがいいよって私たちも言ったんだけど……」
 そこへ、バタン! と勢いよくドアが開け放たれ、そこからエリが顔を出した。
「すいませーん! ちょっとセンジョウさんたちと一緒に出かけてきますね! 夕方の練習には戻りますから!」
「……いいけど、ライヴが近いんだから、ちゃんと練習は欠かさないでね?」
「モチのロンです! どっこいしょー!」
 元気よく言って、エリは出て行ってしまった。はあ……とため息が漏れ聞こえる。
「あの様子だと、完全に信じきってるみたいですね……」
「エリはあのオバサンに騙されてるのっ!」
 突然ミカコが大声で叫び、和也たちは軽く驚いた。
「あたしたち、一度こっそりエリの後をつけて、あの人たちの活動を見に行ったんです! そしたらあの人たち、中学生の子たちを連れてカナガワにある木星の人たちが多く住んでる所に行って……」
「……まさか……」
 嫌な予感がした。
「公園で、たくさんの木星の人がいる前で、土下座してたんです! 木星の人たちは怒ったり笑ったりしてて、中学生の子たちは泣いてて、エリがそんな事させられてるなんて、あたし、もう……」
 話している間にもミカコの声は涙ぐみ、やがて泣き出してしまった。
 想像しただけで胸の悪くなる思いだった。エリと、中学生の女の子たちが木星人の団体に向かって地面に頭をこすり付けて土下座をし、それを見下ろす木星人たちは上から罵声を浴びせたり、笑ったりして留飲を下げている。しかもカナガワという事はオオイソ、もしくはそれが近いわけで、和也たちの顔見知りまでが加わっている可能性さえある……
「……君たちには、嫌な話してごめんね」
 顔を歪めている和也たちを気遣って、メグミが声をかけてきた。
「いえ……事実みたいですから」
 とは言ったものの、声が震えるのは抑え切れなかった。
 木星人とはもっと誇り高い人々だと、ずっと信じていたのに……
「正直、信じたくないですが……腹立たしいです……」
「そいつら……見つけたら、五万発殴る!」
 妃都美と烈火も怒りを表していたが、いったい誰にその怒りを向ければいいのやら。
「とにかく、話の続きをお願い致します」
 楯身が話の先を促し、メグミが話し出す。
「もうそんな団体にエリちゃんを置いておけないじゃない? でもエリちゃんは全然本気にしてくれなくて……だから直接センジョウさんに会って、あの子に変な事を吹き込まないでって話し合いをしたの」
 しかし、それでエリを手放してくれるような相手ではなかった。それどころか、逆に目を付けられたようで……
 これを見て、とメグミが水着女性の表紙が描かれた週刊誌らしい本を差し出してきた。その開かれたページに目を走らせて……
「やだ……何これ……」
「……なんと書いてあるのですか?」
 澪は絶句していたが、美佳は本の内容が読み取れない。和也が変わって読み上げてやる。
「……『メグたんの戦争中から続く男とのただれた関係』『サユリンは元戦艦乗りの遊女』『ミカミカと男性との通話全記録』……なんだよこの中傷記事は!?」
 見出しからしておぞましい、人格や名誉をこれ以上ないほど傷つける中傷記事。内容に至っては読む気もしない。
「ここのところ、頻繁にそういう悪い記事を書く人たちが来るようになって……他にも夜道で車からハイビームを浴びせられたり、家の前で大声で騒ぎ立てられたり……家や事務所の中から、盗聴器まで見つかったんだよ。多分全部センジョウさんの差し金だと思う。証拠はないけど……」
 それで納得がいった。だからホウメイ・ガールズはセンジョウが来た事であんなにも怯え、こんなオンボロな稽古場で隠れるように練習しているのだ。
「ひょっとして、僕たちをここに呼んだ理由というのは……」
「うん、正解。ホウメイ・ガールズのみんながもうすぐ、全国ツアーを始めるのは知ってるよね」
「……確か、最初のトウキョウライヴがもうすぐでしたね……」
 私は行けそうにないので、ニヤニヤ動画の有料生放送で見るつもりでしたが、と美佳。
「私もサプライズで出る予定なんだけど……そこでもあの人たちは何かするみたいな事を言ってるの。さっきも……」
「『二度と歌えなくなるくらいは覚悟するのね』って言ったんでしょ」
 メグミの言葉からして、今まで直接物理的な危害を加えられた事はないようだが、このセリフはそれを示唆するものだ。単なる脅かしの可能性もあるが、彼女たちの安全を考えれば無視は出来ない。
「ミカコちゃんやハルミちゃんは、何かされるかもって怯えきってて……マネージャーさんもこのままだとライヴの成功どころか、開催も考えなきゃいけないだろうって」
「で、でも、ここで脅かしに負けてライヴを中止したらずっとこのままだよ! だから私たちは、絶対にライヴを成功させたいの!」
 怖いのを必死に堪えている様子でハルミは強く叫び、その言葉に他のホウメイ・ガールズの面々もうんうんと頷く。
 身の危険を感じて相当不安だろうに、それでもライヴを成功させたいと思うその姿は紛う事なきプロの姿勢だ。和也たちもこれには感銘を覚える。
 しかしそうなると……
「危害を加えられそうな時に助けるくらいなら出来ると思いますけど……失礼ながら、民間のガードマンを雇えば済む話では?」
 訊いた和也に、もちろん雇ってるよ、とメグミ。
「でもガードマンの人だと、事が起きてから取り押さえるくらいしかできないから、騒ぎを起こされたらライヴは中止になっちゃうの。だからユリ……軍の知り合いに助けを求めたんだよ。出来れば、センジョウさんたちの犯罪行為の証拠を掴んで、私たちに手出しできないようにして欲しいの」



 ――――少し考える時間をください。持ち帰って検討します。
 メグミとホウメイ・ガールズの要請に、和也はそう応えてひとまず帰途に付いた。
 そろそろ外出期限も近く、和也たちは足早に駅へと向かい、今は帰りのリニアモーターの中だ。大した揺れもなく滑るように走る車内で、和也たちはどうしたものかと言い交わしていた。
「力になりたいのは山々だけど……どこまで協力できるかな」
「これは正式な軍の任務じゃないからね。今は待機中だけど、外出を許される時間にも限りがあるし……」
「例の新兵器のテストなど、仕事がまったくないわけでもありませぬしな」
「調査は得意ですけれど、そもそもこれって私たちの仕事ですかしら?」
 和也、澪、楯身、美雪と、難しい顔で言い合う。『草薙の剣』は地球連合軍の特殊部隊。決して便利屋ではない以上、任務の外ではそう大した協力は出来ないのだ。こういう時命令に縛られる軍人の立場は、辛い。
「……ですが、あのセンジョウという女性の行為は、あまりに目に余ります……警察も証拠無しでは動けないでしょうし、証拠を掴めるのは私たちくらいしか……」
「おうよ。あの厚化粧ババア、子供に土下座を強いて、エリリンをたぶらかして、おまけにホウメイ・ガールズとメグ姉に嫌がらせを……許せねえ」
 美佳と烈火にはなんとかしたいという思いがあるようだが、それを妃都美がたしなめる。
「ですが、安保理決議14869号で私たちに与えられた捜査・逮捕権は限定的です。やっていることは許せませんが、上の許可が下りるかどうか……」
 警察に任せるべきと判断されればお終いか……手詰まり感が漂う。
 ――――と、そこへ。

「あ――――――――っ! 思い出したっ!」

 きーん……と耳鳴りがしたほどの大音響で奈々美が叫び、思わず和也は耳を塞いだ。
「いきなり大声出すなよ、迷惑だろ!」
「あー、ごめんごめん、でも聞いてよ」
 奈々美は全員を見渡して言う。
「最初に見た時から気になってたんだけど、あのセンジョウって女、見覚えない?」
「はあ? 見覚えも何も、僕たちはオオイソ時代にいかがわしい集会なんて参加した事ないだろ」
 と和也は言ったが、奈々美は「違う違う」と首を横に振る。
 その次に飛び出した言葉は――――
「オオイソにいた頃じゃなくて、もっと前。戦争中にあいつを見たことがあるわ、あたし」
「……なんだって?」










あとがき(なかがき)

 お久しぶりで申し訳ありません……今年に入ってからどうも筆が進まなくて。

 ニューヨークでの戦いを終え日本へ戻ってきた和也たち。しかしその努力とは無関係に不利な立場へと追い詰められていく木星人。地球人への苛立ちを抑えきれない和也たちの前に……な話でした。美佳かわいいよ美佳。
 今回はいろいろ微妙なネタを取り扱っているので反発もあるかもしれませんが、夏見正隆氏の『僕はイーグル』的な話を一度書いてみたかったもので、ついやってしまいました。
 それでもあの辛さに並んではいません。まだまだ未熟です。

 以前からちょくちょく歴史としてその名が出ていた『東アジア戦争』が今回ようやく表に出ました。この物語ではあくまでバックボーンなので枝葉の説明を省いていますが、開戦前に一度憲法改正が発議されるも否決され、十数年の膠着期間中に憲法改正が実現して自衛隊が自衛軍と名を変えていたり、結構詳細な戦史が考えてあったりします。
 他にも九州に取り残された幼馴染の女の子を助け出そうとする普通化隊員や、姉の敵を討とうと中帝空軍のエースパイロットに挑む女イーグルドライバーのエピソードなど、ストーリーもいろいろ考えてあります。今はまだ私の脳内に存在するだけですが、機会があればいつかこの戦争を舞台にナデシコキャラのご先祖様たちが活躍する仮想(火葬)戦記を書いてみたいですね。

 今回は起承転結の『承』の始まりまでですかね。次の中篇で『転』、後編で『結』に至るかと。

 さて次回、合法的にメグミとホウメイ・ガールズを追い詰めるセンジョウに、何も手出しできないと思われた和也たち。奈々美のおぼろげな記憶が、その突破口を開くのか?
 そして進むべき道を見失いかけた和也たちに、メグミの口からあることが語られる。それを聞いた和也は、とんでもない行動に出る!

 最後に……川上とも子さんへ。あなたが宮ノ下さつきを演じた学校の怪談があって、今の私があります。本当にありがとうございました。

 それでは。次回も必ず投稿しますので、どうかよろしくお願いします。



感想代理人プロフィール

戻る

 

圧縮教授のSS的



・・・おほん。

ようこそ我が研究室へ。

今回も活きのいい不治TVSSが入っての、今検分しておるところじゃ。


さて、戦えど戦えど(ry な和也達であるが。

もう事ここに至っては「俺達の知ったこっちゃない」で思考停止するのが正解のような気がするのぅ。
事実、彼らは世界を変えうる立場にないのだし。

それではモチベーションが保てぬのならば、別の理由を探すしかあるまいて。
さもなくば「引退」じゃ。

多かれ少なかれ、割り切ることを求められる。それが軍人という因果な職であろう。


閑話休題。

今回の話、久々にイエローカードを出させて貰おう。

ギリギリアウトなネタで関係各所から苦情が来そうだから・・・・・・ではないぞ?

儂が問題視しているのは、牽強付会で『すら』ない蔑称が一般に定着したとするところじゃ。

かの国家社会主義ドイツ労働者党の蔑称も、元のNationalsozialistische(ナツィオナールゾツィアリスティシェ)をもじったものであり、何の脈絡もなく出てきたものではない

これで関係者等の間でのみ通じる隠語であるならば、何ら問題はないのだが・・・・・・

今回のように限りなく一般人に近いであろうサユリが「一般用語」として使うなど有り得んよ。断言しよう。

もし「この世界」のアイドルグループAKBが"そのような団体"であったのならばそれを明示すべきであり、それもせずにリアルAKBとかけ離れたイメージと結びつけようとしても誰も納得などせん

故に、次回で「代表的組織の略称がAKBまたはそれに類する発音のもの」であったか、「ここのアイドルグループAKBはアカ団体」だったと本編中に明記することを強く勧める。

今のまま突き進めば待っているのは創竜伝化じゃ。心せよ。



さて。儂はそろそろ次の研究に取り掛からねばならん。この辺で失礼するよ。

儂の話が聞きたくなったら、いつでもおいで。儂はいつでも、ここにおる。

それじゃあ、ごきげんよう。

P.S.しかし澪がどんどん牧村美樹フラグ蓄積して逝ってるような・・・・・・気の所為かの?(爆)

 

 


※この感想フォームは感想掲示板への直通投稿フォームです。メールフォームではありませんのでご注意下さい。

おなまえ
Eメール
作者名
作品名(話数)
コメント
URL