ファンなら誰もが想像したであろうそこには、アロマランプが柑橘系の良い香りを放っていた。
 部屋の主は綺麗好きなのか、それとも一応の客人を迎え入れるとあって特別念入りに掃除したのか、可愛らしいクッションやぬいぐるみは綺麗に纏められている。
 今をときめくトップアイドル、メグミ・レイナードの住居。25階建てマンションの上層階に位置する3LDKのその部屋は、独りで住むにはかなり広い。以前はメグミと両親の三人で住んでいたらしいが、今は仕事の関係で両親共に父親の故郷であるUSAにいるため、メグミが独りで暮らしている。
 誰もが憧れる神聖な部屋。その中心に神目美佳は立っていた。

 ――ここがメグミさんの部屋……いい匂いがします……

 部屋に招かれた時は、またぞろトイレで密かに泣いてしまうほど嬉しかった。
 とはいえ、そのメグミが後ろから不安げな視線を向けてきている今、あまり浮ついた事は考えていられない、と美佳は手の中にある小ぶりな機械に意識を戻す。
 チッ、チッ、と小刻みに電子音を発するそれを部屋の隅々に向ける事数分。美佳はメグミへと声をかけた。
「……もう無いようです……」
「ありがとう。前に見てもらったばかりなのに、また二つも出てくるなんて……」
 言ってメグミは、手の中の物体に視線を落とす。
 一つは盗撮カメラ。ベッド脇に置かれたウサギのぬいぐるみ、そのガラスアイに仕込んであった。
 もう一つはただの手紙に見えるが、それ自体が盗聴器としての機能を持ったたちの悪い代物だ。ご丁寧にファンレターとして賞賛の言葉がつらつらと書かれている。
 どちらも日本国内では相当前に法規制が敷かれ、一切の製造・販売が禁止されている非合法の品だ。ネットを駆使すれば外国からの裏ルートで手に入れる事は可能かもしれないが……
「……使用されている電波の周波数が、一般の物とは明らかに異なっています。軍用の探知機を使わなければ発見できなかったでしょう……」
 仕掛けたのは、あのセンジョウとかいう女が率いる団体でまず間違いない。
 しかしこんな特殊な盗聴器を使うなんて、いよいよきな臭くなってくる。美佳はその旨を報告すべくコミュニケの通話ボタンを押した。
「……和也さん。私です……メグミさんの部屋を“洗い”終わりました」
 盗聴器の捜索を終えた、という意味の隠語で伝えると、ウィンドウの中の和也は『そう、ご苦労様』と頷いた。どうやら自室でパソコンに向かっているらしい。
「……使われていた盗聴器は、いずれもそう簡単には入手も作成もできないはずの物です……例の団体にはやはり何らかのバックが付いているのは間違いないかと……」
 そちらは何か解りましたか、と美佳は訊いた。
『それなんだけどね……』
 難しい顔で手元のコンソールを叩き、和也はあるデータの表示されたウィンドウを見せた。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十六話 地球連合崩壊の足音 中編



 軽戦闘母艦『フリージア』で和也に宛がわれたのは、楯身と共同での狭苦しい二人部屋だった。
 二段ベッドが一つと、机を兼ねた収納棚が二つ。洗面台は二人で一つ。床は安っぽいカーペットで、以前この部屋を使っていた誰かが零したらしいコーヒーか何かの染みが残されていた。軍艦の生活スペースとはこれで優遇されているほうだと理解はしていても、ナデシコBのゆったりした一人部屋に慣れた身には辛い。
 またすぐに慣れると言い聞かせつつも、和也はこれまでの調査で解った事を美佳へ伝える。
「センジョウ・タカコ。国籍は日本。生まれはカナガワのヨコスカ。戸籍を偽ったり、他人のものを使っていたりする様子も一切ない」
 メグミとホウメイ・ガールズに招かれた稽古場でセンジョウに遭遇し、彼女たちの悪事を暴いてほしいと依頼され、対応に苦慮しながらの帰り道で奈々美が、『戦争中にセンジョウを見た覚えがある』と訳の解らない事を言い出してから、三日経っていた。  奈々美の記憶が確かなら、センジョウは身分を偽って地球に入り込んでいる木星人という事になるが……
「センジョウ・タカコの経歴は調べられる範囲で調べ尽くしたけど、特に怪しいところは無い。いろいろと反地球連合・火星の後継者寄りな言動や活動をしてるけど、ぶっちゃけそれだけ。彼女は正真正銘の地球人だよ」
 そこまで言って、和也はデータに視線を落とす。
「尤も彼女の経歴、シロではあるけれど、真っ赤でもあるねえ……」
 県会議員の父親と、大手自動車メーカーの大株主の母親との間に生まれたセンジョウは、その子供時代は至極真っ当な物だったらしい。小学校から中学校にかけて名門女子校に通っていた彼女は規律を重んじ、生徒会長を勤めていた才女だった。
 しかし高校入学から一年ほど経ったある日、彼女が実は受験に失敗し、親が金を積んで裏口入学させていた事が発覚。これは彼女自身でさえ知らなかったようで、退学は免れたものの居心地の悪さに耐えられなくなったのか半年後に自主退学。
 予断ではあるが、この件は一時政治スキャンダルに発展して父親の県会議員としての地位を危うくしかけたが、どういうわけかマスコミ各社が報道に消極的で、やがて別の事件や事故のニュースに埋もれる形で難を逃れている。この件に関しては母親が株を持つ大手自動車メーカーが、広告料を餌にメディアを操っているとネットでは囁かれている。週刊誌に中傷記事を載せたのも、多分このルートだろう。
 やがて大学受験では志望校だった東大に今度こそ落第。別の大学で教育文化学部に入り、教員資格を取得。ヨコスカ市内の女子中学校教師として勤務し始めた。
「しばらく中学校教諭を勤めた後、所属する教職員組合と繋がりのある左派系の政党から国政選挙に出馬。この組合ってのは父親の支持団体でもあって、多分教師になったのは最初から選挙の地盤を作るためだったんじゃないですかね。でも国旗の掲揚や国歌斉唱に反対するなどたびたび問題を起こしていて評判が悪く、結局落選してます」
 選挙に落ちてからの彼女はいよいよ反国家、反地球連合的な言動が目立ち始める。市民団体に入って活動を開始したのもこの頃のようだ。
「戦争中の活動記録も見つけたんですけど、ナデシコ級一番艦がヨコスカ基地に寄航した時は寄航反対運動なんかもやってます。これってメグミさんたちが乗っていた艦ですよね?」
 和也が尋ねると、メグミは自分が見えるよう美佳に顔を寄せてきた。
『そうだよ。ナデシコA。ルリちゃんやホウメイ・ガールズのみんなも一緒だった』
「ちょうどその日、市内に出現した木連軍のジンタイプ二機と戦闘が……こっちはメグミさんのほうが詳しいですかね」
『……あー、うん、よく覚えてる。その時わたしはちょっと艦長と揉めちゃって、一時は降りようとしたんだけど……まあ、いろいろあったからね……』
 メグミは何か物憂げな顔をして、当時の事を思い出しているようだ。
『……そのジンタイプに搭乗していたのが、白鳥九十九大佐と月臣元一郎中佐……当時は二人とも少佐。この日は、お二人が初めて地球への有人ボソンジャンプに成功した日でもありますね……』
 そう、美佳。
『うん。ヨコスカは迅速な避難のおかげで人的被害は僅少だったらしいけど、戦闘の煽りで市内はメチャクチャだった……』
「実はここが重要でね。この戦闘で家を壊された人が相当な数センジョウの団体に入会してます。当時あの団体は戦災を受けた人の救済要求もやってて、それが当たったみたいで」
 家を失った人は大変な苦労に耐えねばならない。仮設住宅が完成するまでの間はプライバシーの無い避難所での生活を強いられるし、その後も新たに家を建て直すために必要な交付金が足りなかったりする。
 そういった人たちの不満や苛立ちを、センジョウは日本政府、そして地球連合へ向けさせる事で支持を得たわけだ。政府へ要求するだけで自分自身は一円の寄付金も出さないような片手落ちの運動であっても、怒りの矛先を示してやるだけで支持は集まる。
「戦争を利用して仲間を増やしてからというもの、センジョウの団体はますます先鋭化していってる。現在の活動内容は『ヨコスカピースフリート』の名義で反相転移炉運動と軍艦の寄港反対運動、『地球の平和と人権を守る母の連合軍』の名義で地球側の戦争責任の追及。もっと凄いのが、『ピース・ザ・アース』の名義でなんと地球連合軍の廃止を訴えたりしてる。随分と手広くやってるみたいだね」
『このやり方は、200年前にAKBアーカーベーの元になった団体と同じですね……』
 そう、美佳が言った。
 200年前、日本に数多存在したニセ平和団体の中で、最盛期には数千人の会員を得ていた最大級の団体が存在した。
 日本の原子力発電と、USAの核兵器『だけ』を批判し、その廃絶を唱えていた反核団体『アトム・ジェノサイダー』。
 平和憲法を信仰し、その改正を阻止するため国民投票のボイコットを呼びかけたりした平和憲法擁護団体『憲法を守る母の旅団』。
 非武装平和の実現を謳い、自衛隊の解体を主張し、影で自衛官やその家族に嫌がらせを繰り返していたりした反自衛隊団体『武器なき世界の十字軍』。
 主張のジャンルが異なるこれらの団体はまったく関係がないと思われていたが、実は名義が違うだけで中身はほぼ同一。名義を使い分ける事でより多くの人が賛同しているように見せかけていたわけで、実際効果はあったらしい。
 東アジア戦争が始まった頃、とあるネットの住人がその実態を知った。と同時に、これら名義の頭文字が当時大人気のアイドルグループ名と同じになると気が付いた彼は、

<名無し憂国の烈士:この団体の呼び名として、各名義の頭文字からニセ平和主義団体AKBアーカーベーと呼称する。拡散せよ>

 とネットの掲示板に書き込んだ。
 彼は単なる受け狙いだったのだろうが、それを見て面白いと感じた別の誰かが、別の掲示板に書き込んだ。それをまた別の誰かが見て、やがて大手メディアの目に留まり、代表的な団体の呼び名だったそれは、いつしか売国奴の代名詞として使われるまでになってしまった。
『そのアイドルの人たちは凄い迷惑だったろうね。たまたま名前が似てたってだけなのに』
『……彼女たちは、まったくの無関係でしたからね……』
 ウィンドウの中で、メグミと美佳はそう笑い合っていた。
「いつの時代もトップアイドルはっていうか、人気者は辛いね。……話を戻すけどいい?」
 ずれた話題を戻す。
「今の僕たちで調べられたのはここまで。調べれば調べるほど嫌な奴ではあるけど、怪しいところは特にないね……」
『……やはり、奈々美さんの記憶違いという事でしょうか……』
「状況だけ見れば……そうとしか思えないんだけどね」
 しかし、和也にも気になるところはある。
「奈々美の記憶力はバカにできないよ。ああ見えて子供の頃には英才教育を受けていた才女でもあるし……それに、気配だけで僕たちを察知した、センジョウのボディガードらしい男たちも怪しい」
 200年前のニセ平和団体の裏には、日本を内部から弱体化させて戦争を有利に進めようとするユーラシア同盟の存在があった。それと同じで、センジョウにも強力なバックの存在が感じられる。
 とはいえこれ以上踏み込んで調べるには根拠薄弱すぎる。今だって上――――フリージアの艦長あたりに知られたら何を言われるか。
「気に入らないのは確かなんだけどね……あれこそ大沢次郎の同類だよ」
『……まだ敵の言葉を気にしているのですか……なぜそう思うのです?』
 そう、美佳は訊いてきた。
「選挙に落選した直後から活動を始めているからね。大方自分の素晴らしさが解らない愚民に思い知らせてやろう、とでも思ったんじゃないのか」
 大沢次郎も総理大臣に選ばれなかった事を逆恨みして外患誘致に手を出した。センジョウも似たようなものだろうというのが和也の考えだ。
 しかし美佳は『……そうでしょうか……』と思案顔になった。
「どうした、何か思うところでもありか?」
『……彼女は、たぶん……』
 美佳が何かを口にしかけた時、和也のコミュニケから最近の流行歌のイントロが流れた。定時を知らせるアラームだ。
『……ああ、そろそろ例のテストの時間ですか……』
「うん。今日のテスト項目は、R−7まで」
『……遠隔操作からの空中回収をテストするため、パラシュート着用の上で甲板からダイヴでしたね……お気をつけて』
『怪我しないようにね』
 労わってくれる美佳とメグミに礼を言って、通信を切――――ろうとした時、突然部屋の戸がばん! と壊れそうな勢いで開き、血相を変えた澪が飛び込んできた。
「和也ちゃん、大変!」
「澪? 何か――――」
「ニュースを見て!」
 ただごとでない様子の澪に、和也は言われるがままパソコンを操作しニュースサイトにアクセス。するとトピックスの新着記事欄に、大きく書かれた見出しが飛び込んできた。

 木星人男性複数人が、日本人女性を暴行――――

「和也ちゃん……」
 澪は青い顔で、かける言葉も見つからないまま和也を見ていた。
 だが和也は、澪よりもっと青い顔をしていただろう。
 この事件が世論にどんな影響を与えるのか、もはや火を見るより明らかだった。



 ――――数日後。

「なるほど、あの子たちそんな事になってたのね……」
「うん、和也ちゃんたちもみんな大変なんだけど、いつ任務で日本を離れるかもしれないから今のうちに行っておいでって……」

 カナガワ県、オオイソシティ。生まれ故郷に単身帰郷した澪は、半年振りに旧友との再会を果たしていた。
 白鳥ユキナ。和也が在学中一度として勝てたためしのない人物であり、澪にとっては和也を追いかける道を示してくれた恩人。
「それで、こっちはどうなの? 木星人の人たちに嫌がらせとか……ない?」
 澪は躊躇いがちながらも、ずっと懸念していた事を訊ねた。
 ニューヨークの戦闘以来続いていた反木星人的な報道は収まりを見せず、電子書店の時事問題コーナーにはビジネスチャンスとばかりに木星人を非難する参考書や週刊誌が山と並び、ネットの掲示板には『マジ怖えーんだけど木星人』『死んでくんねえかな』『木星人移民は即刻退去! その後の生活? 知るかボケ!』などと罵詈雑言が飛び交う。
 その一方で木星人の側にもいろいろな嫌がらせがされている、というろくに報道されない話を、和也たちは『フリージア』の木星人クルーから身内の実体験として聞かされた。そうなるとオオイソに残してきたユキナたち木星人の友人が気がかりになる。
 和也たちを心配して帰省を先延ばしにしていた澪だったが、その和也たちから早く帰ってオオイソの様子を見てくるよう頼まれては、断る理由があるわけはない。
「あー……今のところは静かよ。テレビでやってるようなデモとかは、主にトウキョウとかの木星人移民がいない所でやってるみたい。こっちの人たちは木星人に理解があるのか、それともトラブルを避けたいだけか……できれば前の方であって欲しいんだけどね」
「そう……まあ今は無事みたいでよかったよ」
 澪は少しだけ安心した。今のところ、懸念していた最悪の事態にはなっていないようだ。
「でも今のままじゃ、それも時間の問題でしょうねぇ。ただでさえ学校占拠テロがあったし、オオイソからデモに参加している人もいるみたいだし……少しづつ空気は悪くなってきてるわね」
「クラスのみんなを見てても、ちょっとギスギスした感じが伝わって来ててね……」
 横から口を挟んだのは、熱い緑茶を淹れてきてくれたハルカ・ミナトだ。
「特にお父さんお母さんたちがね。『木星人のいる学校に通わせて危険はないのか』っていまさらみたいに訊いてくるの。問題は起きてませんって言っても、『これからもないと言い切れるのか』とか……」
 はあ……とミナトは憂鬱そうにため息をつく。
 彼女はオオイソに赴任してきてからずっと、木星人の生徒と地球人の生徒が安心して共学できるよう間を取り持つ努力をしていた。それが台無しにされかかっているのだから、ミナトもまた和也たちと同じ苛立ちを抱えているはずだ。
 そしてユキナもまた、不満そうに頬杖をついて言う。
「カズミはそのせいで転校させられちゃった……それにハルナちゃんも、親に反対されて清二くんと別れたみたいなのよ……」
「あの人たちが!? そんな……あんなに仲が良かったのに……」
 ユキナとよく一緒に遊んでいた地球人のクラスメイトに、学校中の評判だった地球人と木星人初のカップル。どちらも澪のよく知る人物だ。
 和也たちはこうなる事を止めたくて、戦争に飛び込んでいったはずだ。その危惧が現実になり始めている……
「はーまったく、私たちが何したってのよ……ああ、解ってる解ってる。火星の後継者のせいよ。それと……」
 ユキナがそう愚痴ってしまった時、つけっぱなしだったテレビからニュースキャスターの声が聞こえた。

『――――次のニュースです。先日の木星人による婦女暴行事件を受けて、これに抗議する県民大会が**県にて開催されました――――』

「……」
「……」
「……」
 狙ったようなタイミングの嫌なニュースに、三人全員が眉根を寄せた。

『この県民大会は**県内に居留する木星人移民の国外退去を求めるもので、会場には主催者発表で15万人の人が集まりました。またこの県から選出されている衆議院議員の鳥頭氏も会場に駆けつけ、「多くの木星人は格闘術を学んでおり大変危険、最低でも県外、あるいは日本国外への退去を国に対し働きかけていく」とスピーチを行い、会場からは喝采が上がり――――』

 十五万人なんて物理的に収まるか怪しい程度の会場で開かれた大会には、次の選挙で当選が危ぶまれている落ち目な政治家がやってきて、たった数人の起こした犯罪が木星人全てに通じる組織的大犯罪であったかのように騒ぎ立て、それに喝采が上がる――――“衆愚”という言葉を具現化したような光景だ。
「うええええ、やだやだ……私たちは地球人に危害なんか加えてないし、そのつもりもないのに……」
 木星人はみんな犯罪者予備軍だと断言するような論調に、ユキナは心底嫌だというように突っ伏した。
 この犯行に関わったのは三人―――― 一人の女性を三人がかりで乱暴するなんて、澪も女だから許せはしない。だがそれによって十把一絡げで危険視される関係のない数万人の木星人は、こんなにも傷ついている。
 そしてそういう普通の木星人の声を、広く伝えようとするメディアは殆どいない。
 木星人は一言の反論も弁解さえ許されないまま、一方的に報道の暴力を受け続けている。澪の大事な友人を含む木星人が……
「……あー、とにかくこれやめようね」
 沈んだ空気を察し、ミナトはテレビのチャンネルを変える。しかしこの時間はどのチャンネルでもニュースやワイドショーをやっていて、その全てで旬の話題――――つまりニューヨーク戦の続報や、木星人の犯罪についてのニュースばかりだった。
 もう消して――――と澪が言いかけた時、とある番組に目が留まった。
 どうやら討論仕立てのバラエティー番組らしい。議題は、『地球に住む木星人移民との共存について』。どうせまたバッシング目的の番組なのでは思ったが、話を聞くとどうも違うようだ。
『――――ですから、木星人の方々も地球への不満があって犯罪を起こしてしまうという面は否定できないと思うのです。彼らの言い分も聞いてみなければ、事の本質は見えてこないと――――』
 ほう、と三人は聞き入った。地球人にもまだこう言ってくれる人がいるんだ……と一瞬思ったが、
『ですがセンジョウさん。あなたは普段人権擁護を訴えてらっしゃるじゃないですか。ニューヨークでの犠牲者は五万を越えて、この間の事件でも被害者の女性は心と身体に深い傷を負ってるんですよ。それはどうお考えなのですか?』
 ぐしゃっ! と澪は盛大にテーブルへ頭を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっとどうしたの澪ちゃん」
「そ、その……あの人、さっき言ったホウメイ・ガールズを苛めてる人だよ」
 ユキナとミナトは、え? とテレビに映るセンジョウを見る。
『その件については、地球の側も過去に木星の方々の皆殺しを図った歴史があるのですから、そのお詫びという点でも多少我慢は必要かと思います』
『いや、その考えはおかしい。百年も昔の歴史を盾にテロや犯罪が許されていい訳が――――』
 出演者の一人が反論しようとした途端、それを遮るように『えーっ!』『えーっ!』『えーっ!』『えーっ!』とセンジョウの後ろに座る十数人の面々が一斉にブーイングを浴びせた。そして『今言ったの誰!?』『木星人の気持ちも考えなさい!』『人権を守れ!』と言葉の弾幕を張り、怯えた出演者は反論を封じられる。
『集団で圧力をかけないでください! 司会者さんも笑ってないで止めてください、討論になりません!』
 ただ一人、『イシイ・カズコ:主婦』の名札をつけた女性が負けじと声を張り上げていたが、独りの声は集団で浴びせられる罵声の嵐にかき消され、殆ど聞き取れない。
『相手の非を叫ぶだけでは何も解決などしません! 友愛の精神を持ち、武器を捨て、自分の非を認めるところから始めましょう! そうして木星の方々と真の和平を結ぶ事が出来た時、この世界に恒久の平和が――――!』
 高らかに語るセンジョウが一声上げる都度に後ろの数十人――名札には主婦や会社員としか書いていないが、団体のメンバーのようだ――から拍手喝采が上がる。いつしか討論の舞台であったはずの会場は、センジョウ一人の演説会場へとその趣を変えていた。
 ではそろそろお時間ですので、とろくに仕事をしなかった司会者が終了を告げ、最後に討論を聞いていた聴衆から、どちらに賛同するかを問う投票が行われる。
 結果は『木星人の意思を尊重して共存するべき』が全体の九割を占めていた。その結果が出た時、センジョウとその取り巻きから一際大きな拍手が上がったが、聴衆が一様に浮かない表情を浮かべているのを見れば、彼らが本心ではなく圧力によって投票したのは明らかだ。
「……なによ、このインチキ番組は……」
「これじゃあ、悪いイメージが広まるだけね……」
「ぜんぜん、木星の人のためになってないよ……」
 三者三様に肩を落とす。少しだけ期待してしまったのが恥ずかしい。
「ねえ澪ちゃん、澪ちゃんだけは和也ちゃんたちの味方でいてあげるのよ。今はっきりそう言ってあげられるのは、澪ちゃんだけなんだからね」
「うん、解ってる……」
 そうは言っても、わたしには励ましの言葉をかけてあげるくらいしか出来ない……澪もまた、自分の無力さが嫌で仕方なかった。
 和也たちを助けてくれる味方は、一体どこにいるのやら……



 もうすっかり日も落ちた時間、家々の中では暖かい夕食の支度が始まり、家路を急ぐサラリーマンが足早に駅へ向かって歩いている。
 周囲を走る車の列は、川の流れの如く整然と、どこまでも続いてい――――かない。この時代としては珍しい事だが、車の流れがどこかで滞り、局所的な渋滞を引き起こしていた。運悪くそれに巻き込まれた車の運転手や同乗者は、皆イライラした面持ちで流れが進むのを待ち続けている。
 そんな淀んだ流れの中で、一台の黒い車が立ち往生していた。
「うん……そうか。少し安心したよ。こっちも今のところ変わった事はないから、澪もゆっくりしてくるといいよ」
 運転席で窓枠に頬杖をついて、ぼんやりと夜景を眺めながら、和也は携帯で澪と話していた。
 脇見運転プラスながら運転。さらにハンドルには手も置いていない。前世紀なら事故間違い無しの危険行為だが、車の自動運転が当たり前なこの時代では何の問題もない。
「……和也さん、こちらも妃都美さんたちから連絡がありました……ハルミさんたちも、無事自宅へ着いたそうです……」
 和也の通話が終わったタイミングで、助手席から美佳が報告してくる。
「了解。こっちは渋滞に巻き込まれて遅れそうだから、先に帰るよう伝えて。……にしても、いまどき渋滞なんて珍しいね」
「……近くで火事があって、一部道路が通行止めになっているようです……今ニュースでやっています」

『――市内のマンションで発生した火事は現在も燃え続けており、消火作業が続けられています。現場近くは騒然とした状況で、一部に交通の混乱が発生している模様です。またこの火事で火元と見られる部屋に住むイシイ・カズコさんと、息子のマサキくんとの連絡が取れない状況になっていると――――』

 車載テレビに目をやると、確かに火事のニュースが流れていた。分譲マンションの一室から火が出て、かなり激しく燃えているようだった。
「毎日ありがとうね。おかげで私たちも安心できるよ」
 後部座席から身を乗り出して、メグミが声をかけてきた。
 あれから数日、和也たちは軍務の合間を縫ってメグミたちの身辺を警護していた。といっても、せいぜい彼女たちが帰宅する時に事務所の車で自宅へ送り届けるくらいの事しか出来ていないのだが。
 今日メグミを送り届けるのは和也と美佳の二人だ。別に一人でも十分ではあるが、男一人でトップアイドルのメグミと会うのは別な意味で危険を伴うため、常に女を含む二人以上で警護に当たるように決めている。
「いえ、今の僕たちじゃこのくらいしか出来なくて、不甲斐ない限りです」
「でも、このところ変な人も出てきてないし、効果あるんじゃない?」
 メグミの言う通り、この数日間は至って平穏無事な日々だった。盗聴器を除去した事でこちらが対策を講じたとセンジョウたちにも伝わったはずで、表立った嫌がらせは控えているのだろう。
「ミカコちゃんやハルミちゃんも安心してるし、イケダさんもこれならライヴは開催できるだろうって。ただ、君たちも会場警備に参加して欲しいとも言ってたよ」
「ええ? 信頼はありがたいですけど、軍務が空くかな……」
「事務所のほうから、軍にもう話が行ってるみたいだよ。『うちの者が役に立つなら』って快く言ってくれたって」
「誰だよ、快諾した奴は……」
 何か聞かれたりするかな……と和也は少し不安だったが、ひとまず表面上、メグミたちは普段の穏やかな日常を取り戻していた。
 心中穏やかでいられないのは、むしろ和也たちのほうで――――
「……和也さん、オオイソの現状はどうなのですか……?」
 訪ねる機会を探っていたらしい美佳が訊いてきた。
 和也は、オオイソもやはり空気が変わりつつあり、同じ学校の生徒たちの関係にも影響が出始めている事など、澪からの伝聞を伝える。すると美佳はやはりという風に表情を曇らせた。
「……ハルナさんと清二さんが……学校の誰もが祝福していた、お似合いの二人だったのに……」
「いよいよここまで状況が悪化したか……」
 気ばかりが焦り、和也は歯噛みする。
 この状況を何とかしたい。だが政治家でもメディア関係者でもない和也たちに、世論をどうこうするなど臨むべくもない話だった。
「怒るのは解るよ。君たちも無条件で地球人わたしたちの味方してくれてるわけじゃないよね」
 そう、メグミが後ろから言ってきた。
 メグミは自分たちの心情を理解してくれている。そう思って和也は少しだけほっとし――――

「そんなに辛いなら、もう戦うのをやめたら?」

 次の一言で、それを叩き潰された。

「……視聴率の低下、あるいは物語の破綻で番組は打ち切りですか? 最悪の結末ですね」
 和也は憤慨するが、メグミは先ほどまでと打って変わった平坦な声音で、和也の中へ切りつけてくる。
「じゃあ、戦い続けてどうするの? 残った火星の後継者の居場所はどこ? それが解って、火星の後継者を今度こそ壊滅させて……それで、今の世論が180度変わったりすると思う?」
「…………」
「解ってる? 君たちはゲキガンガーみたいに地球の運命を全部背負ったヒーローなんかじゃない……一般の人にとっては名前さえ知らない、ただの兵隊さんなんだよ」
 メグミが言ってくるのは正しい……残酷なほどに正しい、和也たちを取り巻く現実。
 反論の余地など、どこにもありはしなかった。
「君たちがいくら戦っても、理想の世界なんてやってこない。……ううん、君たちに世界を変える力なんてない。これからも戦うのなら、そう割り切らないといけないよ。それが嫌ならもうやめたほうがいいよ」
「く……!」
 和也は奥歯が折れそうなほど強く噛み締める。
 自分が矮小な一平卒に過ぎない事はよく解っている。
 木星人全てを助けるつもりで戦場に飛び込んだものの、和也たちは敵を倒して、自分たちだけが生還して――――いつも、どう頑張ってもそこまでが限界だった。
 中東では戦争を止めて見せると勇んで出撃した挙句、無駄に民間人の被害を拡大させた。
 ニューヨークでは、目の前で死んでいく民間人の一人さえ、ろくに助けられなかった。
 自分たちが大きすぎる戦争のうねりの中でどれだけ無力かは、この半年で嫌というほど思い知った。だが……
「……ですが、今のまま放っておいたら、木星人移民は地球に住めなくなるでしょう……そうなったら私たちも……」
 おずおずと言った美佳に、和也は頷く。
「そう。当然木星人の怒りも爆発。今の政権は倒れ、火星の後継者寄りな過激派が後釜に座り……また戦争のために生活を犠牲にする時代に逆戻り。木星の未来は真っ暗だ」
 オオイソにいた頃なら、仕方ないと片付けて、関係ない顔をしていられたかもしれないが……
「僕たちはもう、地球連合軍の兵士になって火星の後継者と戦っちゃったからね……きっと地球連合に擦り寄ろうとした売国奴として吊るし上げられる。その後は文字通りの吊るし首にでもされるか、次の戦争で鉄砲玉にでもされるか……ろくな未来が待っているとはとても」
 勝つか死ぬか。和也たちの未来は二つに一つしかない。
 ……いや、正確には、もう一つ道はある。
 ただそれは、和也たちが極力口にしないようにしてきた最悪の選択で――――
「裏切り者にされたくないなら……今のうちに火星の後継者に寝返る、って選択肢はないの?」
「それ……最悪の考えですよ」
「今のうちに寝返ってれば、裏切り者にされなくて済むかもしれないよ。君たちだって人生これからなんだし、大人の勝手な戦争で全部台無しにする事ないと思うな」
 まるで別人のように冷徹な考えを口にするメグミに――――
 正直、ぐらっと来た。その選択をまったく考えなかったわけじゃない……このまま戦う道を突っ走って、結局ダメだった時、和也だけならまだ諦めもつくかもしれないが、それで他のメンバーたちまで巻き込む事になるのは耐え難い。
 メグミの言う通り、みんなはまだ人生これからの年頃だし、それをこのままふいにしていいのか……
 和也は――――
「それでも僕は……少なくとも僕個人はやめない。やめられません」
「強情なんだね……これ以上何をしても無駄になる可能性が高いのに、それでも続けるの?」
「僕の両親は軍人らしくて……父も母も、死ぬ可能性が高いと知りながら僕を生体兵器にしたんです。親に捨てられたも同然の自分は『いらない子』なのだとばかり思っていた僕にとって、『木星のために尽くす』のが唯一の存在意義なんです。それを捨てたら、僕は本当に『いらない子』になるから……」
 なんだかんだで和也を育て、生きる方法を教えてくれた木星と軍。和也を育ててくれた『草薙の剣』の仲間たち。草壁に見捨てられ、存在意義を見失ったまま空虚に生きていた自分を立ち直らせてくれた澪やオオイソの友達。それらが今の和也を支えている。裏切るなんて出来るわけがない――――
 そしてもう一人、美佳もゆっくりと口を開く。
「……私は……目が見えない事を理由に、木星では役立たずと疎まれ続けてきました……」
 それは美佳の幼少期。まだ普通の人間だった頃の話だ。
「……戦争のためにはハンデを抱えた人間を切り捨てる、そんな星に生まれたのが悪い……何をしようが世界は変わらないのだと……そう絶望して生きてきました。ですが……私を仲間と認めてくれる皆さんと会えて、そしてオオイソで多くの友人に恵まれて、それから世界が変わって見えました。目が見えなくても、そう感じられました……」
 ですから。
「……私はもう一度オオイソに帰って、残してきた友人と一緒の時を過ごしたい。そのためにも戦わなければ……」
 木星に両親の墓より大切な物を残していない美佳は、オオイソにこそ多くの物を残している。だから、もう一度オオイソに帰る道を諦める事が出来ない。
「ま、そのためにこれからも大勢殺すって事ですけどね。今までだってそう。蓋を開けてみれば心からの悪人なんてそうはいなかったけど、それでも殺した。何の罪もない女の子さえね……」
 以前中東で自分が手にかけた女の子の最後は、今でも和也の瞼に焼きついている。
「ここで投げ出したら、どんな結果でもきっと一生後悔する。罪滅ぼしにもなってないかもしれないけど、そもそもの原因であるこの戦争は終わらせなきゃ……以上、もうお終いでいいでしょう」
 最後和也は棘のある言葉を投げつけ、メグミの反論を封じた。これ以上決心を鈍らされたくない……
 しかしメグミは「ふふっ」と笑ったのだ。
「まあまあいい返事だね。ホントに『もう無理』なんて言い出したらどうしようかと思ったよ」
「な、あんた……!」
「……試したんですか……」
 ここでようやく、和也と美佳はメグミの真意に気付いた。
 覚悟を、試された。無理だと言われても跳ね除けられるかどうかを。
「半分くらいは本気だったよ。……でも、君たちの気持ちはよく解ったよ。最後の殺しちゃった人たちへの罪滅ぼしっての……私たちも、似たような経験があるんだ」
「……メグミさんたちも……?」
「ナデシコAに乗ってすぐの頃にね。置き去りにされた火星の人を助けに行くって地球を飛び出して、確かに見つけられたんだよ。でも助けられたのはたった一人で、あとの何百人かは死んで……しかも半分は私たちが殺したみたいな形で、結局自分たちが助かるだけで精一杯だった……」
「……そんな話、初耳ですが」
 言った和也に、今度はメグミが辛そうに俯く。
「そりゃそうだよ。この話は表向き『なかった事』になってる。この話が公になれば、私たちは民間人数百人を殺した犯罪者として袋叩きに会う……ちょうど今の木星の人たちみたいにね。だから軍とネルガルが手を回して、私たちが火星に行った事実を消したの。だから私たちは今、こうやって何食わぬ顔で暮らしていられるんだよ……」
 戦争で最も犠牲となるのは真実、という言葉がある。
 だが真実を隠しても事実は消えない。メグミたちもあの笑顔の裏で、自分が殺した人々の影に苦しんでいたのだろうか。
「私たちが最後、軍に逆らってまで草壁さんと和平交渉に行ったのは、もう二度とあんな事を起こしたくないっていうのもあったかな。きっと、今の君たちと同じだよ……」
「……その言葉は嬉しく思います……他の地球人の方も、そう言ってくれればよいのですが……」
「確かに。どいつもこいつも一方的な情報に踊らされて、僕たちを理解してない。しようともしていない……」
 不満を吐露した美佳と和也。
 そこへメグミは「そうそれ」と厳しく言う。
「それがいけないんだよ。そんな甘えた事言ってるから、私も本気か試してみたくなったの」
「甘え? どうして」
「こんな話知ってる? 200年前の東アジア戦争の時、アーカーベーの元ネタにされちゃったアイドルグループはどうしたと思う?」
「どうって、どうもしなかったんじゃ?」
 言った和也に「……違います」と美佳。
「本来はまったく無関係なニセ平和団体を指す呼び名でしたが、拡大解釈が広まるにつれて知らない人が彼女たちまでを混同し、誤解が広まっていったと聞きます。……一説には、彼女たちの成功を快く思わない別のアイドルグループやその事務所が、故意に嘘を流したのではないかと言われます……」
「そうそう。でもその人たちは、変なイメージを払拭するために努力したよ。日本軍……ジエイタイって呼んでたんだっけ? の駐屯地で慰問ツアーを展開したり、テレビやネットでその様子を生中継するとかして潔白をアピールしたの。だから人気が続いたんだね」
 何が言いたいのかっていうとね、とメグミは続ける。
「君たちは理解してくれない地球の人たちが悪いみたいに言ってるけど、そういう君たちは一度でも理解してもらおうと努力した事があった?」
「それは……ニューヨークでもほかの戦地でも、身体を張って戦って……」
 自分で言っていて、それは違う、と思った。
 和也たちが戦うのは、傍から見れば『軍とテロリストが交戦』だ。実際に戦った兵士の名前や出自など、誰も知らない。
 さっきメグミにも言われたはずだ。和也たちは一般人にとっては名前さえ知らない、『ただの兵隊さん』なんだと。
「解ってくれない奴が悪い、なんてのは甘えだよ。みんなに本当の事を知ってほしいなら、知ってもらう努力をしなくちゃ。嘘を広めたがってる敵がいるならなおさら、その敵に負けないくらいの強いメッセージを発信する。そこから始めるべきだよ」
「メッセージ……ですか」
 考えても見なかった事だが、言われてみれば大いに頷ける。
 例えばルリは、その容姿と戦果で宇宙軍のアイドル的存在としてもてはやされ、落ち目だった宇宙軍の復権に一役買っている。それに442大隊も火星の後継者と戦う木星人の代表的存在としてメディアに露出し、地球人の対木星人感情を軟化させるのに貢献した。
「確かに、あの人たちと同じくらいの有名人になれば、強力なメッセージを発信できるかも……」
「……ですが……具体的にどうすれば……?」
 美佳が具体案を求めると、メグミもさすがにそこまでは考えていないのか「うーん」と黙り込む。
 和也もいろいろと考えてみて―――― 一つ、思いついた。
 それは軍人の道を半分踏み外す事を意味する、和也たちにとってはタブーと言える手段だったが――――
「……メグミさん、美佳、一つ聞いてくれる……?」



「オイオイオイオイオイ、本気かよ!?」
「そんな事したら、私たちみんな、今度こそ処罰されますよ!?」
「最悪、ファイヤークビにされるわよ!?」
「和也さんだけならともかく、美佳さんまでそんな無茶を言い出すとは想定外ですわね……」
「…………」

 和也と美佳が、軽戦闘母艦フリージアの休憩室でその『作戦』を打ち明けると、返ってきたのは激烈な反対だった。周囲で休憩中だったクルーたちが、何事かと注目してくる。
 ――当然の反応だな……と思う。メグミはいい作戦だと絶賛してくれたが、間違いなく軍規違反――――それもかなりの重罪に値する。
 そもそも一度でも軍人としての自覚を持った事があるか怪しいメグミと、軍への絶対服従を徹底的に刷り込まれた和也たちとでは、軍規という物の重みが違う。まず反発が出るのは当然だった。
「抵抗が強いのは尤もだ。でも今の状況は……解るだろ? 皆だってこのまま無策でいたくはないはずだ」
「……まあ、なんとかしてえのは山々だがよ……」
「もっとこう……軍規の範囲内で出来る事はないんですか?」
 烈火と妃都美は及び腰で訊いた。まあある意味で模範的とも言えるが。
「僕だって軍規違反は怖いよ。でも他に方法は……あるのかもしれないけど、僕には思いつかない」
 他にもっといい考えがあるならぜひ教えてくれ――――そう言った和也に、答える者はない。
 和也は続ける。
「このまま惰性で戦っても、たぶんろくな未来は待ってない。だから僕と美佳は帰り道で話し合って、一か八かやってみるべきだと決めたよ。だからみんなにも協力して欲しいけど……命令はしないよ」
 メグミは、和也たちがどれだけ無理と言われても木星のために動く覚悟があるか試した。ここで一度、皆にもそれを問うておかないといけない……
「確かに軍規違反で、その上部の悪い賭けだ。こんな事しても何の役にも立たないかもしれない。だから不参加してもいいし、もう付き合いきれないと思うなら除隊してもいい。その上でみんな、この戦いを続けるかやめるか、個人としてもう一度考えて欲しい」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 皆、そう簡単に決められる問題ではない。五者五用に俯き、拳を握って自分の意思に問うている。
 美佳は参加して欲しいと言いたいのだろうが、ただ黙って皆を見ていた。それは信頼の現われか……どんな答えが帰ってきても恨むまいと、既に覚悟を決めているからか。
「結論は今すぐじゃなくていい。期限になるホウメイ・ガールズのライヴ当日までまだ数日ある。それまでに考えてくれればいい」
「一つ質問の許可を」
 それまで終始無言だった楯身が、おもむろに口を開いた。
「残って『作戦』を実行する者は軍法会議を覚悟せねばなりますまい。その結果不名誉除隊のような処罰を言い渡された時、どうなさるおつもりで?」
「ああ、その時は……」
 和也は一端言葉を切り、ちら、と周囲を窺う。軍規違反だの軍法会議だのと不穏な話をしている和也たちに、周囲のクルーたちは聞き耳を立てていた。
「その時は、もう統合軍にいる意味もない。今度こそ火星の後継者に再就職でもしてやるさ」
 とんでもない発言を大声でした和也に、楯身たちのみならず周囲のクルーもぎょっとした。中にはそそくさと休憩室を出ていく者もいる。
 ――これで後戻りはできないね……
 それで、この場は解散となった。



「……楯身さん……申し訳ありませんでした」
『草薙の剣』メンバーたちがひそひそと言い交わしながら自室へと戻ろうとした時、美佳は楯身を呼び止めた。
「なぜ謝る?」
「……離脱を促すような話をして、怒っているかと思って……」
 恐々と頭を下げた美佳だったが、楯身はかぶりを振った。
「気にするな、今の状況に例の『作戦』。ここで離脱するようなら、その者は戦う理由を失くしたという事だ」
 これから先、『草薙の剣』は売国奴のレッテルを張られるかもしれない。そんな分の悪い戦いを惰性で続ける事は出来まい、と楯身は言う。
「……楯身さんは……残るのですよね」
「当たり前だ」
 やはり諦めきれない……というか、諦める気などはなからないのか。
 そう美佳が思った時――――
「あらら。迷いなく答えられるのですわね」
 唐突に飛んで来た第三者の声に、美佳はびくっと身体を震わせた。
 いつの間にか、美雪が二人の背後に立っていた。気配を感じさせないままゼロ距離まで近づいた彼女は、あの剣呑な気配を発している。
「お二方ともよほどオオイソが恋しいのですわね」
 寒気を感じさせる笑みを浮かべた美雪に、楯身は言う。
「その理由はお前も重々知っているだろう。そういう美雪、お前はどうするのだ」
「さあ……部屋でゆっくり考えますわ」
 美雪は曖昧に言葉をはぐらかしたが、美佳は美雪も残るだろうと思っていた。絶対にと断言できるほどの自信はないが、美雪にも残る理由がある。
 それでも残ると即答しないところに、美雪の本音が表れているなと美佳は思う。
「……他の皆さんはどうするでしょうか……」
「さてな。こればかりは皆の決断を待つばかりであろう」
「たぶん、離脱者は出ないと思いますわよ」
「…………」
 楯身は予断を持つまいとしたようだったが、美雪に勝手に推論を並べられ、むっと渋面を作った。
「妃都美さんと烈火さんは、誰か一人でも残して自分が去る事をよしとしないでしょう。奈々美さんは負けを認めるような形で軍を去るのはプライドが許さないはずですわ。とはいえ……」
 一呼吸置いて、美雪は言う。

「もう全員があなた方と同じ志と熱意を持っているとは、言い難くなるかも知れませんけどね」



 ……結果として言うなら、美雪の言葉は正しかった。
 だが後に、その意味を思い返すたび美佳は、そして和也もまた、苦い思いを抱く事になる。
『草薙の剣』の七人はいつも心は同じ。そう信じたいがゆえに和也たちは、美雪の言葉の意味から目を逸らしていた。それを解ってさえいれば――――
 彼女たちを失う事には、ならなかったかもしれないのに、と。



 日本武道館。本来は武道館の名の通り武道に関係するイベントの場だったが、その利便性ゆえにライヴ会場としても利用される。
 メインホールの収容人数一万人以上。当初は異論も多かったようだが、現在ではすっかり多目的ホールとして定着し、二十世紀から幾度かの立て替えを経て二十三世紀現在まで存立してきたここは、幾多のアイドルグループがここで光り輝き、彗星のように燃え尽きていった場所でもある。
 そして今日の超人気アイドルグループ、ホウメイ・ガールズのライヴ当日。武道館前には多くの――――という言葉では表現し切れない数のファンが詰め掛けていた。
 とにかく人、人、人。人の間に人間がいて、集まった人間たちはぎゅっと握られた寿司のシャリを連想させる。
 時刻は午後三時を回り、来場者はいよいよピーク。警備員やスタッフは誘導や整理に大忙しだ。そんなファンの財布を狙ってか、武道館前にはヤキソバやハンバーガー、温かい飲み物などの露店が軒を連ねていた。  そんな中――――
「……はい、こちらはたこ焼き二パックですね……今焼き上がりますので少々お待ちください……」
 美佳が接客を担当し、妃都美と烈火がたこ焼きを焼く露店の前には、主に男性で構成される長蛇の列が形成されていた。
 これも一応メグミやホウメイ・ガールズの事務所から依頼された会場警備協力の一環だ。他のメンバー……和也と美雪も売店で売り子に扮し、楯身と奈々美は警備員の格好でその中に紛れている。
「お待たせしました! たこ焼き三パックのお客様、どうぞ!」
「おおーっ!」
 烈火が物凄い勢いでたこ焼きを焼き上げ、ソースと青海苔とマヨネーズを乗せて妃都美が客の元へ運んでいく。するとそのたびに客の間から歓声が上がる。やはりというか、妃都美は嫌でも男性を惹きつけてしまうようだ。
 いつもなら妃都美の機嫌が悪くなるところだが、今妃都美の関心は別のほうに向いていた。
「美佳さん、烈火さん、気が付きましたか? やはり客の中に何人か、あのセンジョウという人の団体の人間が紛れ込んでいますね」
「そうか? オレは忙しくてそれどころじゃねえが……やっぱ、なんかやらかす気かね」
「それは考え難いですけど……一応和也さんたちにも知らせておきますね。少しお店をお願いします」
 さすがにここで軍関係者しか持たないはずのコミュニケを出すのはまずい。妃都美は奥へ引っ込んでいき、代わって新たにたこ焼きを仕上げた烈火が、
「へい、たこ焼き一丁お待ち!」
「ひいっ!?」
 突然現れた強面の巨漢に、客は一斉に後ずさった。



「はい。紫のサイリウム三本ですね。六百円になります」
「ホウメイ・ガールズの特製半纏、ただいまを持って売り切れとなりましたー。お買い上げありがとうございまーす」
 一方和也は、会場内に設けられたグッズ販売のコーナーで美雪と売り子に扮していた。
 この売店の品は表のそれとは趣を異にし、各種サイリウムの他にここでしか手に入らない限定グッズも売っている。まずチケットで入場しないと来れない場所にあるのは転売防止のためだろう。
 買っていくのは皆揃いも揃って熱心なファンなのだろうが、その中に事前に調べておいたセンジョウの団体の会員が数人混じっている事に和也も気付いていた。
 と、和也の腕でコミュニケが振動した。店番を美雪と他の売り子に任せ、和也は人のいない関係者通路へそそくさと入る。
 一般スペースと違って関係者専用スペースは静かだ。ライヴの準備に終われるスタッフが「小道具全部運び終えたか!?」「これで最後です!」とダンボールを手に走り回っているのを見届け、受信ボタンを押す。
『和也ちゃん、表の妃都美ちゃんから連絡。やっぱり例の団体の人が何人も来てるみたい』
 連絡してきたのは澪だった。澪は警備室から和也たちをオペレートしてくれている。
「うん。こっちでも何人か確認してる。顔を覚え切れてない人も何人かいるだろうね」
『やっぱり、ライヴを妨害したりする気なのかな……』
 澪は心配そうだったが、そうはならないという確信が和也にはあった。
「それはないと思うよ。奴らはエリさんを利用して人を増やしたわけだろ? 純粋なファンでもあるあの人たちにライヴを妨害しろなんて命じたら、あの団体はバラバラになる。それでは本末転倒だよ」
 唯一警戒すべきは、センジョウのボディーガードらしい男二人――二人だけとは限らないが――だけだ。得体の知れない連中ではあるが、和也たちが総掛かりすれば叩きだせる自信はある。
「一番効果的なのは、メディアを使って中傷し、ホウメイ・ガールズのアイドル生命を絶つ事だけど、それは僕たちが盗聴器を見つけて根拠を潰したはず。根本的な解決にはなってないけど、当分手は出せないさ」
 まあ爆弾でも使えば別だけどね、と最後は冗談めかして言った。和也たちの発想では、それが一番手っ取り早く『生命を絶つ』方法だ。
『ならいいんだけどね。……にしても、みんな残ってくれてよかったね。『やめたければやめていい』って和也ちゃんが言ったって聞いた時は、どうしようかと思ったけど』
「皆の意思は尊重したかったからね。まあ、皆は残ってくれると信じてたよ」
『かっこつけちゃって。昨夜は不安で寝不足だったんでしょ? だから電車に乗ってる時爆睡しちゃって、危うく乗り過ごすところだったんじゃない』
 図星を突かれ、むぐ、と和也は一瞬押し黙る。
「そ、そういう澪こそ、こんな処罰確実の作戦に無理して付き合う事なかったんだよ? 助かるのは確かだけど、澪に得は何もないのに」
『冷たいなあ。私はいつだって和也ちゃん、……たちの味方なんだから』



 その頃――――USA東海岸、ノーフォーク基地。
 日本標準時間で午後二時の時、USA東海岸では午前零時。昼間はニューヨーク戦で傷ついた艦艇を修理すべくドックをフル稼慟させていた基地も、今は警戒要員を除いて眠りに落ちていた。
 そんな中、修理中のナデシコB艦内はにわかに慌しくなり始めていた。早めに仮眠を取っていたクルーが目覚まし時計に叩き起こされ、夜間作業の担当を除いた全てのクルーが食堂へと集まりだす。
 普段あまり使われない大型テレビがパソコンと接続され、映し出されているのは日本の動画サイト『ニヤニヤ動画』だ。パソコンを操作しているハーリーはそこの有料生放送サイトにアクセス。視聴するのはもちろん、『ホウメイ・ガールズ全国ツアー一日目・トウキョウライヴ』だ。
「ちゃんとニヤニヤポイントはチャージしたかあ? 土壇場で見れなくなったら暴動が起きるぞ」
「そんなミスしませんよ。ニヤポはとっくにチャージして、チケットも購入済。タイムシフト予約もばっちりです」
 念を押して聞いたサブロウタに、ハーリーは答える。
 日本の地方や海外在住のファンは、この手のイベントに縁がない者も多い。せめてネット経由でもリアルタイムでその様子が見たいと思った人間は多いだろうが、それが実現したのはそう昔の事ではない。
 ちなみに視聴のためのネットチケットはリアルの入場券と同額の8000円。これにリアルタイムでは見れない人のためのタイムシフト予約が別料金で6000円付け加わるので、総額14000円也。
 支払うのはルリのポケットマネーだ。そもそも現地時間で午前零時に非番のクルーを集めてライヴを観賞するこの催しは、ニューヨーク戦でクルーの半数を失ったナデシコBの沈鬱な空気を少しでも払拭出来ればと、サブロウタが発案し、ルリが承認したものだ。
「こんな海の彼方で、ホウメイ・ガールズのライヴを皆で見れるなんて……」
「艦長も粋な計らいだよな」
「おれは断然ミカミカだな」
「わいはハルルンのほうが……」
「いやいや、サユリンが一番だろ常考」
 わざわざ取り寄せたサイリウムを手に手に、クルー一同今か今かと開演の時を待ち続ける。同じようにスタンバイしているファンが世界中にいるはずで、生放送の閲覧者数は開演前で既に百万を超えている。
 一方ルリはというと――――上の空だった。
「艦長? もしもーし? どうしたんですかー?」
 ハート型のサイリウムを両手に持ったままボーっとしていたルリに、ハーリーが声をかけてきた。
「ああ、ちょっと考え事を……」
「考え事? ……ひょっとして、コクドウ隊長の事ですか?」
 何故かむっとするハーリー。
 確かに、ルリはそれを考えていた。和也の、というよりは和也たちの事だが。
「元気だといいですね……と言いたいとこですが、多分元気なくしてるでしょうな」
 横からサブロウタが口を挟んできた。
 確かに、今の木星人へのバッシングの酷さ……和也たちが落ち込んだり怒ったりしている様子が容易に想像できる。それはサブロウタも同じ気持ちだろう。
 ルリに言わせれば、そのためにも一刻も早く火星の後継者を殲滅したいのだが。
「今頃、コクドウ隊長たちもこれを見ているでしょうか」
「かもしれないっすね」
 少しは元気出してくれるといいんですが……サブロウタがそう言ったところで、いよいよ開演時間が来た。
 食堂の照明が落とされ、テレビの画面がライヴ会場のカメラに切り替わる。一万人を超える観客の前でステージの幕が上がり、煌びやかなステージ衣装に身を包んだホウメイ・ガールズの五人が姿を見せる。その途端、会場から鯨波の如き歓声が上がった。

『皆さん、本日は私たちのライヴに、ようこそおいでくださいました!』
『たっぷりゆっくり、楽しんでいってくださいね!』

 ――――わああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!

「ホウメイガールズー! ホッ、ホッー! ホアアーッ! ホアーッ!」
「ジュンコちゃーん!」
「エリリーン! 俺だー! 結婚してくれー!」

 周囲のクルーたちからも鼓膜を割らんばかりの歓声が沸き起こる。それを聞きながら、ルリはふと思った。
 もし和也たちが、これほどの歓声を浴びるくらいの名声を手に入れたなら……現状を少しは変えられるだろうかと。



 その場にいれば天地を揺るがすほどの歓声も、会場の外に出れば完璧な防音設備によって一切聞こえてこない。
 たこ焼きを全て売り切り屋台を片付けていた美佳たちは、ライヴの始まりを時計の中でのみ知った。
「……始まった時間ですね」
「早く片付けて中へ行きましょう。私も見た……じゃなくて、作戦の準備をしないと」
 屋台を折りたたみながら、美佳と妃都美とでそう言い交わす。その横では烈火が「すげえ……バイト代で少し貰えねえかな」と数十万の売上金を見て皮算用をしていた。
 とそこへ、「ちょっとあんたたち」と警備員が声をかけてきた。誰かと思ったら奈々美だ。
「あれ見て。今楯身が見張ってるんだけど……烈火は見覚えあるでしょ?」
 奈々美が指した先には、どこかの制服を着た二人組の女の子がいた。二人でなにやらひそひそ言い合っていて挙動不審だ。
「んー? っておいおい、ありゃこないだ、あのセンジョウってオバハンに土下座させられてた中学生じゃねえか」
「片割れはあたしに石をヘッドショットかましてくれた子でもあるわね。客かと思ったけど、もうライヴが始まってるのに中に入ろうとしないし……楯身が警備員の振りして入り口を教えたけど、やっぱりまごまごしてるのよ」
「ちょっと気になりますね……」
 妃都美は目を細める。
 本意でもない謝罪と土下座を強要されながら逆らえないという事は、弱みでも握られているのか……少なくとも、センジョウにライヴの邪魔をしろと命じられたら従いうる立場だと思われた。
「……捕まえて話を聞きましょう。放ってはおけません……」
「了解。和也さんと美雪さんに連絡しますね」
 妃都美がコミュニケに呼びかける。
 この時はまだ、それほど大事だという認識は誰の頭にもなかった。しかし……

『みんな、和也ちゃんが応答しないよ!』

 澪の緊迫した声が飛び込んできた時、初めて美佳たちは危機感が足りていなかった事を知った。



 誰かがぺちぺちと頬を叩いている。霞がかった意識が、刺激によって徐々に覚醒してくる。
 ――僕、何をしてたんだっけ……
 うろんな思考の中で思い出す。朝起きて、集合時間に八人全員揃ったのを見て安心して、ライヴ会場の日本武道館で売り子の振りをしながら不審な観客がいないか見張って……

 そうだ。和也は一足先に売り子の仕事を切り上げ、作戦のために控え室で着替えた。
 そして廊下に出て、緊張に鼓動を早める心臓を宥めていると、別の控え室からホウメイ・ガールズとお揃いのステージ衣装を着たメグミが出てきたのだ。
「ああ、メグミさん、無茶なお願いを聞いてくれて、ありがとうございます」
「どういたしまして。まあ、私たちも地球と木星の和平のためにいろいろ無茶したからね」
 可愛い後輩の頼みならって感じかな、とメグミは朗らかに微笑った。
 メグミはサプライズで乱入する予定のため、もうしばらくは舞台裏で待機だ。当然その演出は一切告知されていないが、和也の売店でメグミのイメージカラーである紫のサイリウムを買っていった人が一人ならずいた事から、勘のいいファンは予感、というか確信があるようだ。
「後輩ね。そういえばメグミさん、その胸のバッジ……」
 和也の視線を引いたのは、メグミの胸に輝くディフォルメされたルリの顔型のバッジだった。
「ああ、これ? ナデシコを降りる時、プロスさんから貰ったの。私たちにはちょっと思い出深い品なんだよ」
「へえ……」
 プロスさん、という名に聞き覚えはなかったが、多分メグミと同じ元ナデシコAクルーだろう。思い出深い品をこんな所まで身に付けて来るあたり、メグミたちはナデシコAに乗艦した時期を戦時中の辛い思い出ではなく、大切に記憶に留めている事が伺えた。
「ちょうどその頃は、和也くんたちもそれを着てたんだよね。さすが木連男児。似合ってるよ」
「四年ぶりですかね、これを着るのは……」
 久しぶりすぎて違和感があるな、と和也が苦笑したのは、旧木連軍の下士官用制服。いわゆる白学ランだ。腰に愛用の軍刀を提げたその姿は往時の木連軍人そのもの。
 和也たちの制服はサイズが合わなくなって捨ててしまったので、統合軍の被服部に頼んでなんとか七着確保した。地球では軍施設内でもこの格好で歩くのは抵抗があるが、今回の作戦では和也たちが木星人である事をはっきり証明する物が必要だったのだ。
「自分で言うのもなんだけど、稚拙というか愚直というか……でも、こんな事しか思いつかなくて」
「……まあ、やれるだけの事はやってみようよ。私もここまで来て地球と木星がケンカ別れなんて嫌だもの。……それじゃあ、あの人たちがあまりにかわいそう」
「え?」
 小さな声でそう呟いたメグミに、和也が何かと聞こうとした時――――大きな段ボール箱を抱えたスタッフらしい男が、二人の横を通り過ぎようとした。
 あれ? と思った。ここから先はもうライヴ会場のアリーナホール、その舞台裏だ。そこにスタッフが行くのは普通だが、和也の記憶にはついさっき漏れ聞いた会話が残っていた。
「ちょっとあんた」
 和也に呼び止められ、男性スタッフは一瞬びくっと震えるそぶりを見せ「はい?」とそ知らぬ顔で振り向いた。
「小道具はさっき全部揃ったと聞いたけど、それは何?」
 一呼吸の間があった。
「……ホウメイ・ガールズの皆サんに、ファンの皆様から差し入レです。ぜひ渡シて欲しいと……」
「差し入れ? これから始まるって時に……中身は確認したの? 開けた形跡はなさそうだけど」
「お菓子か何かジャないかと……」
 怪しい。得体の知れない荷物も怪しいが、それを確認もしないまま本番前に持っていこうとするこの男も怪しい。ついでに日本語のイントネーションも怪しすぎる。
「ちょっと中身を見せてみて。白い粉とか入ってそうだし」
「いや、そんなコト……」
「何さ。見られたらまずい物でも?」
 空気がぴんと張り詰め――――瞬間、男の右手がそっと動き、何故か胸ポケットにかかったボールペンを掴む。
 その動きに殺気を感じた刹那、和也は床を蹴って男の懐へと飛び込んでいた。男の右手に手刀を入れてボールペンを叩き落すと、恐ろしい事にボールペンの形をしたそれが火を噴き、「きゃあ!」とメグミが悲鳴を上げた。
 暗殺用の偽装拳銃――――なぜそんな物を持っているのかなど考える暇もない。間伐いれずに顎へ掌底、そして心臓へ肘打ちをぶち込む。「ガッ!」と呻いた男の手を捻り上げ、膝をつかせて取り押さえる。
 男の手から力が抜け、左腕に抱えていたダンボールがどすん! と重量のある音を立てて床に落ちる。衝撃で歪んだ箱から一部除いた中身は、アンテナのついた無骨な機械。和也には十分見覚えのある品だった。
「リモコン式のC7爆弾……! あのセンジョウって女の差し金か!? それとも……」
 その時、「キャーッ!」とメグミの悲鳴。
 ――しまった、もう一人いた!
 和也が注意を逸らした一瞬に、押さえていた男も動いた。顔を真っ赤にして唸り声を上げ、押さえつけようとした和也の力を逆に利用して転がるように前へ倒れる。その勢いで和也の両足が宙に浮いた。そのまま背負い投げの要領で投げ飛ばされ、仰向けに床へ倒れこむ。
 バカな、と思った。右手を捻り上げられた状態から無理に振りほどこうとすれば手首が折れかねない。普通なら転げまわるほどの激痛が襲っているだろうに、男はそれを意に介さず起き上がり、転がった和也の腹を思い切り踏みつけてきた。
「ゴハッ――――!」
 避けようもなく強烈なストンピングを食らい、昼に食べたコンビニ弁当が喉まで逆流しかける。
 そこへもう一人の男が歩み寄ってきて、和也の口をハンカチで塞いだ。強烈な薬品臭がクロロホルムの類だと気付く間も無く、和也は意識を失ってしまって――――

 そして今、両手両足を手錠で拘束されていた。

 次第に明瞭になってくる視界に映るのは、古びたコンクリートの殺風景な部屋。床に倒れた和也を見下ろす、何人もの人の顔。――――そして、和也の横で同じく手錠を掛けられ意識を失っているメグミの姿。
「――あ、気が付いたみたいですよ」
 頭上から降ってくる聞き慣れない女の声。状況はよく飲み込めなかったが、どうやらお約束と言うべき窮地に立たされているらしい事は解った。
「ここは……日本武道館じゃないな、あんたたち、何者だ……」
 答えは期待していなかったが、和也を取り囲む人々の中、一人の女性が意外なほど友好的な態度で応じた。
「私たちは平和市民運動グループ、『地球の平和と人権を守る母の連合軍』に所属している者です」
「地球の平和と人権……てことは、あんたたちセンジョウ・タカコの手先か……」
 大いに聞き覚えのある団体名に、和也がやはりと思った。
 という事は、まさか……

「あら、私の事を知っているの?」

 聞きたくなかった声に舌打ちする。和也とメグミを取り囲んでいた人垣が割れ、その奥からまるで女王か何かのように轟然と佇立する女が現れた。
「センジョウ・タカコ……やっぱりあんたか。仲間から話は聞いてるよ」
「そう、それは光栄ね」
 センジョウはこの前、稽古場に来た時とは打って変わって柔和な態度だった。――本当に木星人の味方なのか……?
「う……うん……ここどこ……?」
 隣りでメグミが身じろぎする。彼女も目を覚ましたらしい。するとセンジョウは今度こそ稽古場の時と同じ高圧的な声音を発した。
「あなたも目が覚めたみたいね、メグミ・レイナードさん?」
「! センジョウさん……あなたがここにいるって事は……」
「申し訳ありません、そういう事みたいです……」
 直接手は出せまいと油断した結果、メグミを危険に晒してしまった事を詫びる。
 メグミは怯えてしまったのか、手錠で拘束された両足を引きずって和也の後ろに隠れようとしている。和也もまたメグミを守ろうと、その身体を背中に庇う。
 あの男たちの姿は見当たらない……となると、和也とメグミをここに置いた後、今度こそあの爆弾を仕掛けに行ったと見るべきだろう。それを知る者は、ここにいる人間だけだ……
「あらあら怯えて可哀想に。私だって本当はしたくないのよ、こんな事。でもあなたたちの往生際が悪いから仕方ないわ。あれだけ警告したというのに……」
 往生際――――というのは脅迫を無視してライヴを開催した事か。それに警告というのは、恐らく例の嫌がらせの事だろう。
「嫌がらせに盗聴、それに爆弾。平和団体を自称する人たちのやる事とは思えないよ……」
「平和のためよ。平和のために働いている私たちを批判するなんて、戦争を望む醜い心がなければ出来ないはずだわ」
 言外に「あんたたちの仕業か」と尋ねた和也の問いを、センジョウはあっさりと肯定した。
「メグミさんやホウメイ・ガールズが戦争を望んでいると?」
「その通りよ。本当に平和を望む心のかけらでもあるなら、エリさんと同様私たちの正しい主張に共感できるはずだわ! それが出来ないという事は、すなわち戦争を愛する平和の敵!」
 センジョウが高らかに言い放った途端、周囲の団員たちから拍手喝采が沸き起こった。それにさも満足そうにセンジョウは恍惚とした表情を浮かべる。
「そうそう、これこそが正しい人間の心よ。ほら見なさい、あそこで洗脳ソングを歌っているあなたのお友達は、これ一つでこの世から退場するのよ」
 窓の外に見える日本武道館を指差し、高級スーツのポケットから何かのリモコン――おそらくは爆弾の起爆スイッチ――を取り出して見せた。
 和也は舌打ちする。まさかこういう手段に出ると考えなかったわけではないが、たかだかニセ平和団体、それも武器の入手困難な日本のそれと思い、早々に可能性から排除していた。むしろメディアを動かして中傷してくる、和也たちにとって専門外な面からの攻撃を警戒していた。
 いや、それが潰されたから実力行使に切り替えたのか。おまけにその成果が生で見える場所にわざわざ足を運んでいるあたり、センジョウの危険性を過小評価しすぎていたとつくづく思い知った。
 ――ニセ平和主義者が武装を放棄しない事は確認されている、か……
 それは昔、中立政策を取っていた時代のスイスの教えだ。訓練時代の座学で教わった時はさして印象に残らなかったが、なるほど正鵠を獲ていたようだ。
 下手に刺激して暴力を振るわれたらメグミまで危ない上、いつセンジョウが爆弾のスイッチを押すかもしれないので、口に出せないのが悔しい……とその時、和也の後ろで震えていた――と背中でごそごそと動く気配から思っていた――メグミが、そっと和也の耳元に口を寄せ、小声で囁いた。
「和也くん……出来るだけセンジョウさんと喋って、話をさせて」
「……それでどうするんです?」
「考えがあるの。今は言う通りにして」
 言ってメグミは、恐怖に震える――和也に耳打ちした時のそれとは打って変わった――声で、懸命にセンジョウへ食い下がった。
「わっ……私たちを殺してまでやりたい事って何!? あなたは地球をどうするつもり!?」
「ふふ、そうね。私の最終目的は、地球連合亡き後の新たな地球統一政府首班。世界中から軍隊を廃止し、地球人も木星人もない平等な社会を実現して、人類に恒久平和を提供するわ」
 いかにもな理想的平和論だ。これに反論して、話を引き伸ばすのが和也の役目らしい。
「軍隊を廃止、ね。じゃあ聞くけど、それでどうやってテロや大規模犯罪を防止する? どれだけ理想的な社会でも、そこからはみ出したガン細胞的な人間は必ず現れる。そいつらがどこかで武器を密造して政権の乗っ取りを測ったら、武力のない政権は対抗できないよ」
 人間の身体には一日に数千個のガン細胞が生まれ、その端から免疫機構に殺される事で健康を保っていられる。それと同じで、すでに百億を超えた人類が一人の例外もなく清く正しい心を持つなどありえない。
 例え軍隊の全廃された世界が実現しても、ある程度訓練された兵士――――それこそ和也たちなら、武力を持たない政権の中枢に乗り込み、政府要人を人質にとって政権の移譲を強要させるくらいたやすい。
 武器の全廃など無意味だ。武器として使える物、爆弾の材料になる物が普通に店で手に入るこの時代、その気になれば簡単に銃や爆弾を自作できるし、その知識も和也たちは持ち合わせている。
 それになにより……武器は英語で『ARMSアームズ』。二本の腕だけでも十分人は殺せるのだ。
 という事をセンジョウに言った和也は、『私たちの作る社会にそんな危険人物はいません!』とでも応えるだろうと思っていた。
 ところが、センジョウは予想の斜め上を行く反論を返してきた。
「その通りね。犯罪者はいなくならない……そうならないよう子供の頃から思想教育を徹底する必要があるでしょうけど、ゼロにはならないわね。そのためにも国家警察によって犯罪者を厳しく取り締まる必要があるわ。それに個人個人がお互いを監視し、犯罪の芽を早期に摘む制度も作りましょう。危険思想が見られた者は片っ端から投獄すれば、軍隊などなくても体制は磐石よ」
 再び拍手喝采――――その光景に吐き気を覚える。
 センジョウの理論は、言い換えれば秘密警察と密告制度で民衆を監視して、少しでも反体制的な言動が見られたら即投獄――――独裁者の恐怖政治以外の何者でもない。
 しかしそれを言うのはセンジョウを怒らせて危険。代わりに和也は別の事を聞く。
「……で、どうやってそれを実現するんだ? あんたは昔選挙に出馬して落選したと聞いたけど、今度こそ当選の見込みでもあるのか?」
 その問いに、ぴくっ、とセンジョウの眉が跳ね上がる。――しまった、地雷を踏んだか……?
 しかしセンジョウは「ふふん」と笑って続ける。
「火星の後継者が地球連合を倒して、新たな秩序を作ってくれればね。その暁には私に政府高官の地位が約束されているのよ」
「……約束? あんたは火星の後継者と密約を交わしているのか?」
 言った和也に、センジョウは「おっといけない」という風に口元を押さえた。やたらと口の軽い女だが、さすがに核心には簡単に触れさせないようだ。
 政府高官の地位、そんな値段でこの女は地球を売った訳か……そう思った和也の脳裏に、何か引っかかるものがあった。
 それは心の底に沈んでいた昔の記憶。思い起こされるのは、
 ――ヤマサキの兄ちゃん……?
 ヤマサキ・ヨシオ――――火星の後継者ではボソンジャンプ研究のチーフになっていたが、和也たちが木星にいた頃はヒラの研究員として生体兵器開発に関わっていた。
 和也の記憶にある彼は、一言で言うなら面白い兄ちゃんだ。いろいろと面白おかしい話をしては和也たちを喜ばせていた彼が、いずれ関わる事だからと極秘資料をこっそり見せてくれた事があった。それは――――
「思い出した……! あんたは教官たちが地球で確保した協力者コラボレーターだな! 戦争中に木星と手を結んで……今は火星の後継者と繋がりを持っているのか!」
 東アジア戦争の戦訓から敵国内に協力者を作り、有事に際し敵を内側から混乱させる戦法に有用性を見出していた木連軍は、有人ボソンジャンプの完成で地球へ人員を送る事が可能となって間もなく、地球に北辰を初めとする工作隊を送り込み、大はクリムゾングループのような企業体から、小は個人の反政府・反地球連合主義者に到るまで、広範囲に協力者コラボレーターを確保していたと聞いている。
 一度だけ見た事のある協力者リスト。地球人のくせに地球を売った恥知らずだなと笑っていたその中に、センジョウの名前が存在していた事を奈々美が記憶していたのだ。
「教官……へえ、あなたはあの目つきの悪い男の教え子か何かかしら?」
 一瞬驚いた顔になったセンジョウだが、すぐに和也へ友好的な笑みを向けてきた。
「なら私たちに賛同できるのではなくて? 私たちは地球と木連の和平も実現させようとしているのよ」
「そんなの願い下げだよ。あんたたちはそのつもりかもしれないけど、実際は和平どころか余計に木星人のイメージを損ねてるとしか思えない。はっきり言って迷惑だ」
 しかしそう言った和也に、センジョウの取り巻きたちが一斉にいきり立ち「何よその態度は!」「私たちはあんたたちのために働いてるのよ!?」「恩をあだで返すつもりか!」と口々に罵声を浴びせてくる。みこしとして木星人を担ぎ出そうとしたくせに、それが思い通りにならないと見るや罵倒する醜悪さ。
 センジョウは喚きたてる取り巻きたちを手で制し、
「ふん……すっかり地球に洗脳されているようね。なら、これを知ってしまった以上『友愛』してあげるしかなさそうね」
「『友愛』……化石じみたスラングだね。暗殺の隠語だっけ?」
 それはつまり、団体の裏を知った和也とメグミは口封じに殺すという宣告だ。平和と人権を謳うその口で、この女は逆らう者は殺すと言った。
「発想がヤクザかテロリストだな。何が平和団体だよ、自分で言うほどの人権意識も無いニセ平和主義者が……!」
「は! あなたたちがどう思おうが、もう地球連合の崩壊は止められないのよ! その後に建つ地球統一政府のトップには私が相応しい……私こそが!」
 哄笑し、爆弾の起爆スイッチに指をかける。
「――っ! やめろ、押すな!」
「ウェーホッホッホ! 私は地球の平和と人権を守る聖人! 平和を乱す危険分子は死刑! 死刑よー!」
 和也の目の前で――――センジョウは躊躇いなく、起爆スイッチを押した。
 ――――爆音も何も聞こえてこない。ライヴの会場として使われる多目的ホールなのだから、防音は完璧だ。
「ウェヒヒヒヒヒヒ……! 安心なさい。すぐにあなたたちも送ってあげるわ。平和のためですもの、こんなところ見られた以上は仕方ないわよねえ……!」
 センジョウは下品に笑っている。――――と。

「センジョウさん。何でもかんでもあなたの思い通りにはならないよ。……そうでしょ美佳ちゃん」
『……はい。爆弾は解体済みです……』

 唐突に聞こえた美佳の声。「え?」と呆気に取られるセンジョウの前に、七つのウィンドウが表示される。
 無傷の『草薙の剣』メンバーたちが。
『残念でしたわね、こちらには爆弾解体に精通したプロが二人もおりまして。旧式のリモコン爆弾如き、知恵の輪を解くより簡単ですわ』
 美雪が勝ち誇った顔で、解体された爆弾を見せた。センジョウの顔に狼狽の色が浮かぶ。
「い、一体どうして……どうして爆弾を見つけられたの!?」
『それは、彼女たちが何か不穏な企みありと、我々に知らせに来てくれましてな。まあさすがに爆弾テロとは思いませなんだが……』
 楯身が言い、その横に別の人影が映る。それは数日前、センジョウに楯身たちへの土下座を強要されていた中学生の女子二人。
「あなたたちッ……! なんて事をしてくれたのッ! 下手な事を喋ったらあなたたちの進級や受験にも響くと、何度も言っておいたはずでしょうッ!?」
 金切り声で叫ぶセンジョウだが、怒りのあまりとんでもない失言をした事に気付いていない。
 成績を操作して留年、あるいは受験で落第させられたくなかったら従えと、彼女たちは脅されていたのだ。
「あの男たちはどうしたの!? この計画のために高い追加報酬まで払ったのよ!?」
『ああ、あいつらならとっとと逃げたわよ』
 もうあんたを助けに来る事もないでしょうね、と奈々美。
「何ですって……それはどういう事よ!?」
『こういう事ですっ!』
 澪が言い放つと同時に、また幾つものウィンドウが和也たちの周囲に展開する。
 映し出されているのは、ホウメイ・ガールズのライヴ会場。ついさっきまで熱気に包まれていたそこが、奇妙な静寂に包まれていた。
 観客たちも、ホウメイ・ガールズも、皆一様にぽかんとした顔で頭上を見上げていた。理由は簡単――――天井の日章旗近くに、巨大なウィンドウが開いていたからだ。そこに映っていたのは――――センジョウとその取り巻き、そして和也の背中。
「ホント、何から何までペラペラ喋ってくれたよね。全部生放送されてるとも知らないで」
 さっきまで震えていたはずのメグミが、してやったりの顔で笑っていた。

「……おおおっ? ああああアアアキィィィァ嗚呼アアアアアアア!」

 知られてはいけない事が、大勢の目に晒されてしまった事を知り、センジョウはガラスを引っかいたような金切り声で叫んだ。
 それは会場にいる一万人だけに留まらない。このライヴはニヤニヤ生放送で世界中へ生中継され、百万を超える人々が視聴しているのだ。
 この瞬間、センジョウ・タカコとその団体は平和主義の仮面を剥がされ、卑劣な売国奴の本性を暴かれたのだった。



 その映像は、遠く太平洋を越えてナデシコBにも届いていた。
「なんだなんだ?」
「いきなり何の演出だよこれ?」
「あれって『草薙の剣』のコクドウ隊長よね?」
 ライヴもたけなわという時、突然会場内にでかでかとウィンドウが現れたかと思ったら、手錠を掛けられた和也と姿の見えないメグミの二人と、変な女とが言い争っている場面が映し出され、ライヴが中断した。なにやら爆弾がどうとか旧木連軍の協力者とか聞き捨てならない話をしていると思ったら、今度は『草薙の剣』のメンバーたちがウィンドウ越しに爆弾テロを阻止したと宣言して形勢が逆転していた。
「……ええっと、つまりどういう事なんでしょう?」
「俺も混乱してるが……話を聞く限り、あのセンジョーって女が人を使ってホウメイ・ガールズに嫌がらせをした挙句に爆弾テロやらかそうとして、それを黒道たちが阻止したって事らしいな」
「それに、火星の後継者と約束がどうとか……」
 ハーリーとサブロウタ、そしてルリの順で言い交わす。
 あのセンジョウという女の素性は知れなかったが、それはすぐに解った。ニヤニヤ生放送のコメント欄に、センジョウについて次々コメントが書き込まれ始めたからだ。

 ←←←検索したら出てきた。あの女は『ヨコスカピースフリート』って平和団体の代表だ←←←←←←平和団体が爆弾テロかよ←←←←許せん←←←←←←←←←←←←
 ←←←←←こっちは『ピース・ザ・アース』の代表って出てきた。地球連合軍廃止とか言ってる←←←←選挙に出たけど落選した事があるな。臭うぜ←←←←←←←←←
 ←俺のメグたんにいいいい許せんっ!←←←←←地球連合軍の廃止とかwwwありえねえだろwww←←←←←←←←200年前の歴史の繰り返しじゃないですか←←←
 ←←←←←←この女の母親ブリキストンの大株主らしいぞ。それに父親は県会議員だ←←←←←←←←←←結局こいつもニセ平和主義者じゃねーかwww←←←←←←←
 ←←この人の相転移炉脅威論がデタラメすぎてワロタwww←←←←戦争被害者がたくさんいる団体みたいだな、結局全部利用したって事か←←←←悪・即・斬←←←←

 たちまちセンジョウの生まれから経歴までが、雑音交じりでコメント欄に乱舞する。要するに筋金入りの反国家、反地球連合主義者のようだ。さすがネットの住人の情報検索力は高い。
 ――メグミさん、プロスベクターさんにもらったあれを使ったんですね。
 ルリには解った。メグミが胸につけていたルリの顔を模したバッジ。あれは小型のマイクとカメラが仕込まれた特注品で、バッジを捻れば自動で指定されたコミュニケ等に映像と音声が送られる。それはかつて、今はいない元クループロスベクターがネルガルの嘘を暴いた時に用い、メグミに記念として譲られた品だ。緊急時の自衛用として持ち込んでいたそれの映像を受け取った澪が、その場の機転で映像を流したといったところか。
 などと状況を整理しているうちに、澪が会場の様子を見せ、センジョウが『おおおっ? ああああアアアキィィィァ嗚呼アアアアアアア!』と耳障りな叫び声を上げた。
『み、皆さん! 騙されないでください! これは陰謀、そう陰謀なのです! 国家権力が私を陥れようとしている!』
 いまさらのように必死に弁解するセンジョウだがもう遅い。ピーリリー、と演歌のイントロが鳴り、自分の携帯を取り出したセンジョウが顔を引きつらせる。
『なんで、なんで、いまさら私を裏切るというのあなたたち!? 許さないわ、全員友愛するわよ!?』
「……なんでしょう?」
「たぶん、一般会員の人たちから退会希望のメールが届いてるんだと思います。それもたくさん」
 聞いたハーリーにルリは応える。あれだけ独裁者的な恐怖政治の構想や、逆らう者は暗殺する独善的過ぎる様をさらけ出したのだ。彼女の平和論を純粋に信じていた人たちの怒りを買うには十分だろう。現にニヤ生にも『私はあの人の団体に入ってたのに……許せない。退会する』などのコメントがちらほら見えた。
『ああ、なぜっ!? 私は世界を平和にしようとしただけなのに! あんたたちが余計な事をするからあああああッ!』
 自業自得でありながら、まだセンジョウは自分は悪くないと呪詛を吐いていた。その醜悪さにルリが眉をひそめた時――――不意に美佳のウィンドウがセンジョウに近づいた。
『……センジョウさん。あなたがやりたかった事は平和ではなく、この世界への復讐なのでしょう……?』
『はあ? 何をたわけた事を……』
『……失礼ながら、あなたの経歴は概ね調べました……高校の裏口入学問題をきっかけに、あなたを取り巻く世界はあなたの敵になった……すれ違う全ての人があなたを冷たい目で見、蔑んだ……』
『……小娘が、解ったような口を利かないで頂戴!』
 突然内面にまで踏み込んできた美佳に、センジョウは反駁したが……その言い方は、肯定したも同じ。
『……解りますよ。私も木星では弾かれ者でした。目の見えない役立たずは、木星には必要ないと……私を役立たずと切り捨てる木星など滅びればいいと呪った事も一度ならずあります。だから私には、あなたの憎しみが解らないでもありません……』
『…………』
『200年前の日本で外患誘致を犯した人々もそうです。学校で苛めを受けたか、社会で苦しむ中で誰も手を差し伸べなかったか、あるいは日本は侵略国家だと教えられ愛国心を育てられなかったか……何にせよ、彼らは日本国も社会も強く憎んでいたのだろうと私は思っています』
 私がそうならなかったのは私を認め、救ってくれた仲間のおかげですが、あなたにはそうやって助けてくれる友達の一人もいなかったのでしょう、と美佳は言う。
『……同情します……あなたはかわいそうな人です』

『――――キイイィィィィィ! そんな目で私を見るな嗚呼アアア――――――――――――ッ!』

 センジョウはとうとう狂乱の態で髪の毛を掻き毟り、獣じみた動きでメグミへ迫った。そのままメグミに掴みかかり、悲鳴が上がると同時に画面が乱れ、暗転。どうやら澪が観客を不安にさせまいと映像を切ったようだ。
「……オモイカネ。日本の携帯電話基地局にアクセスして、日本武道館周辺の通信電波を検索。周波数は変わっていないはずだから」
「艦長? 何するんですか?」
 突然何かを始めたルリに、ハーリーは怪訝そうな顔をした。
「直接は手が出せませんが、ここからでも手助けは出来るはずです」



 一方、ライヴ会場の美佳は焦っていた。
「おい、客がガヤガヤ言い始めたぞ! そろそろヤベえんじゃねえのか?」
「……解ってはいますが……あれでは……」
 客席の様子を伺っていた烈火が、そろそろ待たせるのも限界だと知らせてくる。しかし美佳にはどうにも出来ない。
 ライヴが中断しているのは、メグミの放送が原因――――ではない。
「嘘、嘘、センジョウさんが私を騙してたなんて……そんな、嘘だよう……」
 信用しきっていたセンジョウが実は自分を騙し、おまけに自分もろともホウメイ・ガールズを爆殺しようとしていた。それを知ったエリは激しく取り乱し、サユリやミカコが必死に宥めるも効果がない。しかもホウメイ・ガールズがみんなそちらにかかりきりになっているせいで、ライヴが再開できない状態だ。
「やむを得なかったとはいえ、信じていた人物に裏切られたのだ。エリリ……ウエムラ女史には酷な仕打ちだったかもしれぬな」
「このままではライヴが続けられませんわ。そのうちお客様も帰っちゃいますわよ?」
「とにかく間を繋がないと……誰かにソロで歌ってもらって、ああでも……」
「ソロの曲はとっくに全部歌っちまったぞ。残ってんのはグループのと、メグ姉の曲だけだ」
「あーもう、プロだったら無理してでも歌いきりなさいよ!」
 楯身、美雪、妃都美、烈火、奈々美と、対策を言い交わすが……悲しいかなこの点に関しては、一同みな門外漢なのだった。
 ――……和也さんが戻るのを待ってばかりはいられない……少しでも時間を稼がないと……
 こうなったら。美佳はマイクを引っつかむと、あろうことかステージに走った。
「待て美佳、何のつもりだ!?」
 静止する楯身を振り切り、ステージの上に躍り出る。観客からすれば、旧木連軍の制服を着た見慣れない少女が、説明もなくステージに上がり込んできた形だ。
 ざわめきとなって上がる戸惑いの声――――目が見えなくても一万人を超す観客に注視されているプレッシャーは想像以上だったが、もう後には引けない。美佳はマイクを口元に当て、腹に力を入れた。

 ――――あなたは今どこにいますか? 
     あなたは今泣いていますか?
     あなたがいつか帰るエデンはここにある
     この歌に乗せて あなたへ伝えよう……

 美佳がアカペラで歌い出したのは『いつか帰るエデン』。メグミが一年と少し前に発表し、ミリオンセラーを記録した名曲。
 去っていった恋人の帰りを待ち続ける女性の心を歌ったこの曲は、カラオケでの美佳の十八番だ。これだけならそらで歌える自信がある。
『音響さん、音を出して!』
『は、はい!?』
『いいから早く!』
 コミュニケから澪の怒鳴り声が聞こえ、美佳の歌に合わせて音楽が始まった。

 ――――あの日走った草原 二人の未来決まってた
     もう会えないと思ったけれど 二人はまた巡り会った
     傷つき疲れた身体で あなたは私に会いに来た
    『愛してない』って言ったあなたは 昔と変わらない照れ屋さんだね
     それは偶然だった けれど運命と思った
     百億の中から見つけた奇跡……

 おお、と観客の間から、それまでとは別種のざわめきが上がる。
 観客席の真上から、ワイヤーで釣り下がった美雪が歌いながらステージへと降りてきたのだ。
「美雪さんが行くなら私も行きます!」
「ヒャア! 今行くぜ美佳っ!」
「えーいこうなりゃやぶれかぶれよ!」
「微力ながら力になろう!」
 他のメンバーまでステージに上がりこんでくる。
 事務所も軍の上も怒るだろう。でも今、美佳は純粋に嬉しかった。

 ――――笑っていて 私の王子様
     痛くても辛くても負けないで
     体が砕けそうな時 心が折れそうな時 私があなたを守るから
     駆け抜けた戦いの日々
     意地っ張りなあなたの いつか帰るエデンを
     私がずっと守ってる 百年でも待ち続ける
     あなたの帰る日まで……



 その歌声は、舞台裏のホウメイ・ガールズにも届いていた。
「ほらエリ、聞こえるでしょ? エリがここにいるから、代わりにあの子たちが歌ってるんだよ」
「で、でもわたし……わたしのせいでみんなを大変な目に……」
 少し時間が経ち、動揺は落ち着いてきていた。
 サユリたちから話を聞いて、センジョウが皆に何をしたのかも知った。つい数分前なら信じられなかっただろうが、あの放送を見て、ミカコに泣きながら説得されては納得するしかなかった。
 代わりに沸いてきたのは、死にたくなるほどの申し訳なさだった。自分が軽率だったばかりに、とんでもないニセ平和団体に加担して、皆に迷惑をかけてしまった。
 エリはただ、もうあんな事を――――幸福の絶頂の中で奈落に落とされたあの夫婦のような犠牲者を、一日でも早く無くしたいと思っただけなのに。
 エリが俯いたまま顔を上げられないでいると――――不意に、連絡用のインカムから、声が聞こえてきた。
『エリちゃんは悪くなんかないよ。私たちがよく知ってる』
 はっと顔を上げる。同時にステージから聞こえてくる割れんばかりの歓声――――

 ――――何も知らないままなら ここまで来れはしなかった
     電子の絆がわたしたちを一つにした
     それが熱血ならば わたしもそれを信じよう
     きっと願いは叶うって 百万回でも言い続けるよ……

 ステージの中空――――見た事のない飛行機械で会場内へ飛び込んできたのは、和也と、和也に抱きかかえられたメグミだった。
 メグミは和也のコミュニケで歌い、和也は飛行機械の高度を下げてステージ上へメグミを下ろす。そして機体を音もなく上昇させると、観客へ手を振りながら会場内でアクロバット飛行を始めた。
 無事だったんだ……ほっと胸を撫で下ろすエリに、
『エリさん。いきなりショックな物を見せてしまって済みませんでした』
 そう、和也が通話してきた。
「わ、わたしのせいで、君たちにまで迷惑かけて……ごめんなさい!」
『まあ……もう少し入る団体を選べくらいには思いましたけどね』
 和也は苦笑気味に言う。
「わたしは……もう誰にも戦争なんてしてほしくなかっただけで……」
『ええ、その心まで間違ってはないと僕も思います。だから誰もエリさんを責めたりしません。むしろ木星と地球の和平を守ろうとしてくれて、お礼を言います』
「……わたし、どうしたらいいのかな……」
『どうしたら、ね。僕もそれが知りたいよ。ただ今は……胸を張って歌ってください』



 ――――絶望に落とされた王子様
     終わらない悲劇の螺旋
     それでも私は 生きてる限り あなたを諦めたくない
     太陽の向こうまで届けよう
     一緒に夢見た希望のエデンを
     いつかあなたへ届くまで……

「メグ姉ー! メッ、メアアーッ! メアアアアアアアアー!」
「ナイス、コークスクリュー!」
「飛び入りの小さい子も頑張れー!」
「後ろの黒髪ロングの子ー! 俺だー! 結婚してくれー!」

 会場の熱気が再び高まってきている。メグミが無事に戻ってきた事で安心が広がり、美佳たちの飛び入りも予定された演出と思ってもらえたようだ。ついでに和也がその場の思いつきで始めたアクロバット飛行も好評だった。
 和也が乗っているのは異形の飛行機械だ。バイクのような胴体の左右に据えられた一対の重力波フローターで飛行し、機種には昆虫じみた照準装置と12・7ミリ口径の機関銃。それらを支えるバッテリーは尾部に大きく張り出し、全体として羽を持つ昆虫に似たシルエットを形作っている。
 これこそ日本に帰ってから今日まで、和也たちがテストを担当していた統合軍の新兵器。バッタを元に開発され、長大な航続距離と速さで特殊部隊の足となる個人用飛行ビークル『スズメバチ』だ。
 ――お。あれは……
 関係者席でこちらを見上げる二つの視線に気が付いた和也は、スズメバチをそちらへ降下させる。目の前に降りてきた和也に、その二人――――センジョウのテロ計画を知らせに来た女子中学生二人は「きゃ」と驚いた声を上げた。
「テロ計画をみんなに知らせてくれたのはあんたたち? おかげで助かったよ」
「いえその……あたしたちも本当はホウメイ・ガールズが大好きですから」
 中学生の片割れ――――女子Aが応えた。見た目からして、たぶん彼女が奈々美に石を投げた子だろう。
「先生が電話で『友愛しなさい』とか言ってたのを聞いて、知らせなきゃって……でも警察に言っても信じてくれそうになくて……」
 会場前に来たはいいが困っていたところを、美雪に拉致されたわけだ。
「あの、それでセンジョウ先生は……?」
 ともう一人――――女子Bが訊ねてきた。
「ああ、あのテロ教師なら……」



 澪が映像を切った直後、センジョウは何を血迷ったかメグミを抱え上げ、部屋から出て行こうとした。
「おい! メグミさんをどこに連れて行く気だよ!」
「殺せ! 殺しなさい! その戦争好きの野蛮な兵隊を殺すのよ!」
「はっ、離して! 離してってば!」
 逃げるセンジョウを止めようとした和也だったが、そこに取り巻きたちが一斉に飛び掛り動きを封じられた。
「おいあんたら、さっきの話聞いてただろ!? あんな奴の言う事を聞く必要がどこにある!」
「私たちを救ってくれるのはセンジョウさんだけだ!」
「センジョウさんだけが戦争のない世界を作ってくれる!」
「センジョウ様こそ地球の救世主!」
 ダメだ。ここにいるのは全員センジョウに依存しきった盲信者だ。戦争被害者の心を利用してこんなにしてしまうなんて、改めて卑劣な女だと思う。
 とはいえ、ここで殺される気はない。
「うおおおぉぉぉぉぉ……!」
 渾身の力で拘束を振りほどき、壁を両足で蹴って人の壁を突き破る。目指すは壁に立てかけられた和也の軍刀だ。
 ――これさえあれば……!
 腕の手錠を捻りつつ、軍刀の鞘を鎖に内側からあてがい、それに両足を突っ張って力を加える。それほど上等な手錠ではなかったらしく、全力で力を入れたら鎖は切れた。自由になった両手で抜刀し、足の手錠も切断する。
「死ねー!」
 センジョウの取り巻きの中でも特に体格のいい男が飛び掛ってくる。その首筋に峰打ちを叩き込んで昏倒させると、残る取り巻きたちへ和也は刃を向ける。
「さあ、かかってこいよ。あんたたちの心無い平和論なんて何の意味もないって教えてやるよ……!」
 ひいい、と怯えて取り巻きたちは後ずさる。もう後ろから襲われる危険はないと判断した和也は、コミュニケを腕に巻き部屋を飛び出す。
「ったく、憐れまれて逆上するってのは悪役キャラとしちゃ下の下だろうに! 澪、聞こえる!?」
『解ってる! カメラからの映像はまだ送られてきてるけど、車で移動してるみたい! 今位置情報を送るね!』
 目の前に新しいウィンドウが展開する。この周辺の地図上を、赤い光点が爆走していく。
「これ、どうやって追ってる? 発信機でも仕掛けてるのか?」
『わたしじゃないよ、たぶんあのカメラの電波を探知してるんだと思う! こんな事が出来て、わたしたちに知らせてくるのは……』
「ホシノ中佐か!」
『きっとそう! 放送を見て助けてくれてるんだよ!』
「重畳! すぐにメグミさんを連れて戻る! それまで会場はお願い!」
『解ってる!』
 通信を切り、遥か海の彼方から手助けしてくれるルリに感謝して、建物の上へ走り出す。階段を駆け上がりながらコミュニケを操作し、先日インストールしたプログラムを起動する。
 ――よし繋がった……動かせる!
 上手くいった事を確認し、屋上に続くドアを蹴り開けるともう一度メグミの位置情報を確認。
 逃がすものか。和也はさび付いた手すりに足をかけ――――そのままビルの屋上から飛んだ。
 瞬間、空の向こうで何かが光り、次の瞬間それは疾風の勢いで和也へ向かって飛翔してきた。落下する和也とそれの飛行コースが交錯する刹那、和也の手はそれの操縦桿を掴んでいた。
「よし、訓練通り……!」
 それ――――スズメバチの座席に跨り、和也は改心の笑みを浮かべる。コミュニケからの遠隔操作と空中での合流は、数日前にテストを成功裏に終わらせてはいたが本番での使用は初めてだ。
 和也の右手甲に輝くIFSの紋章が光り輝き、その意思に従ってスズメバチが空を駆けた。何事かと空を見上げる人々を置き去り、林立する建物の間を縫って飛ぶ。本来ならまだ実戦投入には早かったが、スズメバチは期待通りの運動性能を示してくれた。
「見つけた!」
 追いつくのは容易だった。和也はセンジョウの車を眼下に捕らえ接近すると、前面に折りたたまれていた着陸用の足を展開。車のサンルーフを叩き割った。
「メグミさん!」
「和也くん!」
 メグミは顔に喜びの色を浮かべ、和也へ手を伸ばす。しかしその手は運転席から伸びてきたセンジョウによって押さえつけられた。
「よくも、よくも、よくも、私が今まで築き上げたものを壊してくれたわね!? そうしてあなたはまた地球を戦争に巻き込む気なのでしょう!」
「チッ……! 観念しろ、センジョウ! あんたの悪巧みもこれで終わりだ!」
「彼らは私こそ地球を収めるにふさわしいと言ってくれたわ! それなのになぜ、あの二人は助けに来ないのよ!?」
 現実を認めようとしないセンジョウの狂態に、メグミがかっと目を見開いた。
「何よ、結局は権力目当てじゃない! あなたのような人がいなければ、ルリちゃんは復讐なんかしなくてすんだのに!」
「口を閉じなさいこの戦争好きの小娘ッ!」
「あうっ!」
 センジョウは激昂し、メグミの左頬をしたたかに引っ叩いた。
 しかしメグミも負けてはいない。「やったわね!」と手錠を掛けられたままの両手を突き出し、マニキュアが光る爪を力の限り突き立てて猫のようにガリガリと引っ掻く。
「フギャア!」
 センジョウが悲鳴を上げてのけぞる。途端、その顔からボロボロと何かが剥がれ落ちた。厚く塗られた化粧がメグミの引っかき攻撃で剥がれ、染みと皺だらけの汚い素顔が覗く。それはホラー映画で人間の皮をかぶった怪物が正体を現すシーンに似た恐怖感をもたらした。
「ひゃっ! ば、化け物ーっ!」
 怯えたメグミはセンジョウの胸を突き飛ばした。そのままハンドルに背中からぶつかり、クラクションが大音量で鳴り響く。
『自動運転解除、手動モードに切り替えます』
 聞こえた機械音声に、その場の三人が「あっ」と声を発した。
 どうやらセンジョウの身体が、運転モードの切り替えスイッチに触れたらしい。次の瞬間車の制御が失われ、激しい蛇行運転が始まった。
「わ、わ、きゃ――――っ!」
「ギャ――――!」
 車内に響く二人の悲鳴。メグミは手を縛られ、センジョウはパニックで運転に意識が向いていない。しかも最悪な事に、道の先にはT字路が目の前へ迫っていた。
「メグミさん、手を! 早く!」
 メグミを救い上げようと和也は手を伸ばし、それをメグミが必死で掴む。しかしそこへセンジョウがしがみ付いてきた。
「私も助けなさい! 軍人は市民を守るのが仕事でしょう!?」
 そのセリフに、和也の頭でプツンと音がした。あれだけ戦争凶呼ばわりしておいてよくもヌケヌケと……!
「このっ……ウジ虫――――ッ!」
 叫ぶや、センジョウの顔面を靴底で一撃。「プギャッ!」とつぶれた悲鳴を上げてセンジョウは車内に倒れ、和也はメグミを吊り下げて離脱する。
「うう、よくも……は!」
 血を流す鼻を押さえて身を起こしたセンジョウは、進行方向に建物が迫っているのに気が付いた。慌ててブレーキを踏もうとしたセンジョウだが、何年も自動運転に頼りきりだったセンジョウは、あろうことかブレーキペダルの位置を忘れていた。
「なんで、なんで止まらないのよ!? 車まで私に逆らうというの!?」
 ブレーキではなくアクセルを全力で踏み込みながら、センジョウは絶望に叫ぶ。

「思い通りになりなさ――――――――――――――――い!」

 その言葉を最後に、センジョウは車もろとも正面の建物――――警察署へ突っ込んでいた。


「て感じで、いまごろ警察が面倒見てくれてる。警察の人も放送を見ていたらしいから即逮捕だよ」
 もうセンジョウの顔色を伺って、土下座を強要されたりする事もないだろう。
「あ、ありがとうございます……! でもその格好……あなた木星人、ですよね? なんで木星人が、あの人を捕まえてくれたんですか?」
「なんで、か……逆に聞くけど、あんたたちは木星人ってどんな人たちだと思ってた?」
 質問に質問を返した和也に、女子AとBはう、と言葉に詰まる。
「その……少し前は戦争してたし、今もテロばかりしてるし……」
「私たちに土下座させて喜んでる嫌な人たちだと……嫌ってました」
「やっぱりか……あえて口では訂正しないよ。そういう不届き者がいるのも確かだし……ただ、ここで一つだけ学んでもらおうか」
「え?」
「木星人ってのは、曲がった事が大嫌いな人たちだって事をね」
 言って和也は、『スズメバチ』を上昇させてチャフスモークを展開。本来はミサイルからの防御装備だが、照明で七色に光り輝くアルミ片が煙の中に舞う様はこれ以上ないほどこの場にマッチしていた。
 そして、その煙の向こうからホウメイ・ガールズが姿を現し、いよいよ会場の盛り上がりは最高潮に達する。メグミ、美佳、楯身、妃都美、烈火、奈々美、美雪、そしてホウメイ・ガールズの歌声が会場を震わせる。



 ――――それは偶然だった けれど運命と思った
     百億の中から見つけた奇跡……

     笑っていて 私の王子様
     痛くても辛くても負けないで
     体が砕けそうな時 心が折れそうな時 私があなたを守るから
     駆け抜けた戦いの日々
     意地っ張りなあなたの いつか帰るエデンを
     私がずっと守ってる 百年でも待ち続ける
     あなたの帰る日まで……



 ――――わああああぁぁぁぁぁぁ…………!



 その瞬間、ナデシコBの食堂にも大歓声が沸き起こった。
「ホウメイガールズー! ホッ、ホーッ! ホアアーッ! ホアーッ!」
「メグたーん! メッ、メアアー! メアアアアアアアー!」
「切れてます! 『草薙の剣』のみんな、切れてますっ!」
『いつか帰るエデン』……ルリにとってはいろいろと複雑な気分にさせられる歌が終わり、「ありがとうー!」と観客へ手を振るメグミをウィンドウの中に見ながら、ルリはほっと安堵の息をついた。
 ――メグミさんが無事でよかった……それにライヴも台無しにならずに済んだ。
 しかしどうして和也たちがあそこにいて、美佳たちが飛び入りで歌いだしたりしたのだろう……と思った、その時。
『ここで一つ、皆さんに聞いてもらいたい事があります』
 唐突に、メグミが何事かを話し始めた。
『皆さんもよく知っている通り。いま世界は大変な事になってます。戦争で心や身体に深い傷を負った人もたくさんいるし、火星の後継者のテロも止みません』
「何の話でしょう?」
 いきなり脈絡のない話を始めたメグミに、ハーリーが怪訝な顔をする。
『戦争もテロも……犯罪だって許せない事だし、それをした人は許せない人です。だけど、少しだけ想像してみてください。もしそれが皆さんの親や兄弟、友達や尊敬する人だったとして……そのせいで自分まで犯罪者予備軍呼ばわりされたら、どう思いますか?』
「ちょ、まさか……」
 サブロウタは、メグミの言わんとする事に感づいたようだった。
『辛いですよね? そうして傷ついている人たちが、今大勢いるんです。だから一度だけ聞いてあげてください、私たちのお友達の話を』
 メグミが手を上げ、全ての観客がその指の先に注目する。
 メグミが言ったお友達というのは――――和也だ。
『――地球人の皆さん、始めまして。僕は統合軍JTU、第五小隊『草薙の剣』隊長の黒道和也軍曹です』
 和也が名乗った瞬間、会場からはざわめきが、そしてルリたちの後ろからは絶句の声が聞こえた。
「あのバカ! ただでさえ顔を晒してるのに所属と名前まで……」
「何考えてるんですかコクドウ隊長は! あんな事したら、絶対に処罰されますよ!?」
 サブロウタとハーリーも信じられないという風に声を荒げる。
 特殊部隊が顔と身分を明らかにするなど、少なくとも現役で活動している間は最大のタブーだ。今後の任務に支障をきたすばかりか、常に暗殺の危険に晒される事になる。
 ちょうど今のルリがそうだ。ルリはその多大な戦果で火星の後継者から憎悪の対象にされ、半面顔と名前が知れ渡っているから、護衛無しではナデシコ艦内から出る事もままならない。
『突然お騒がせして申し訳ありません。ですが僕たちは、今どうしても皆さんに聞いてもらいたい事があり、メグミさんやホウメイ・ガールズの皆さんに協力してもらって、この場を借りさせてもらいました』
 全て覚悟した上で、訴えたい事があるという事なのか。それにメグミが共鳴し、世界中から百万の人が見るライヴの場を借りたこの演説が実現した……
『この服と、この刀を見ての通り僕と、そこにいる僕の部隊の隊員は全員が木星人です。僕たちは火星の後継者に賛同せず、地球連合軍の元で彼らと戦う道を選びました。全ての木星人のためを思うなら、そうすべきと思ったからです』
 まず自分たちが火星の後継者に敵対する立場である事を表明――――地球人に敵意はないと示す。
『皆さんは知らないかもしれませんが、戦前の木星は戦争のために人々の生活は犠牲にされ、低所得の人たちは危険な労働で一日を食い繋ぎ、食い扶持のために子供を売らねばならないほどの貧困に喘いでいました。多くの木星人移民が不倶戴天の敵だったはずの地球へやってきたのは、そんな生活から抜け出したいと思ったからです。ですが火星の後継者を野放しにすれば、やがて全ての木星人がテロリストとイコールで語られ、地球で暮らす木星人移民が地球を追われる。そうなったら木星は戦前の貧困に逆戻りしてしまう――――それを恐れたから、僕たちは火星の後継者と敵対する事を決めました』
 わざわざ木星の恥部を口にしたのは、それを知らない地球人へ自分たちの危機感を伝えるためだろう。
 和也たちは、木星を戦前の暗い時代に戻したくないのだと。
『これは決して、僕たちだけの考えではありません。僕たち以外にもまだ火星の後継者とどこかで戦い続けている木星人の兵隊は多くいます。思い出してみてください。一年半前のあの時、火星の後継者の前に立ちはだかった宇宙軍第442大隊を……あの36人の木星人の事を。あの人たちも皆――――』
 第一次決起に際し、ネルガルから新型機動兵器アルストロメリアを受領し、地球へ攻め込んだ火星の後継者を鎮圧した部隊。所属する36人全員が木星人で構成された彼らは、第一次決起を鎮圧した最大の功労者であると同時に、火星の後継者と戦う木星人の代表格だ。
 最大の功労者と言うならルリたち独立ナデシコ部隊もそうだが、極秘任務ゆえにその存在を公に出来なかったナデシコと違い、442大隊は表向きの英雄として大々的に宣伝され、地球人の対木星人感情の軟化に貢献している。
 そんな彼らが地球に残った動機は、きっと和也たちと同じ事を考えたからなのだろう。
「……無茶しやがって」
 そう言って椅子にふんぞり返るサブロウタの横顔は、怒っているようで――――どこかガスの抜けたような顔だった。



 関係者席から和也の演説を見守っていた女子AとBだったが、その言葉を全て受け入れてはいなかった。
「ねえ、あの人信用できると思う?」
「……あまり信用できない。だって木星人だもの……」
 聞いた女子Bに、女子Aは不信の滲む声で答える。
 センジョウから受けた仕打ちは忘れられない。平和教育と称して彼女たちは、黒焦げになったり内臓が飛び出していたり、鼻から上が吹き飛んでいるような、直視に堪えない戦死者の遺体写真を見せられた。あなたたち地球人は木星の人にこんな酷い事をしたのよ、と繰り返し言われ、心を折られた何人かはセンジョウの言いなりになった。
 またある時は木星人の多くいる地区の公園に連れて行かれ、謝罪と土下座を強要された。その屈辱と、頭上から浴びせられる暴力的なまでの言葉の雨は、彼女たちの成熟しきっていない心を深く傷つけた。
 木星人にはそんなイメージしかないから、曲がった事が嫌いだなどと言われても、信用する気にはなれなかった。
『ここで一つ言っておかねばならない事があります。先刻この会場にテロを仕掛けようとしたセンジョウ・タカコ……あの顔と名前に覚えがある人も多いと思います。彼女の団体に所属していた人たちは、おおむね純粋に彼女の平和論を信じ、木星人との和平を望んだのでしょう。その事についてはお礼申し上げます』
 ――そのために関係ないあたしたちが土下座しなきゃいけなかったの……
 やっぱり、と思った。そんな事を求める嫌な人たちと和平なんかしたくない。
『が……そのためにあなたたちは一体何をした? デタラメな情報を撒き散らし、木星人の前で女学生に土下座を強要した』
 女子Aははっとした。それは自分たちの事だ。
『さっきも言いましたが、それでは友好どころか、木星人のイメージを損ねるだけだと断言します。そして――――そんな事をして喜ぶ下劣な木星人を僕たちは軽蔑する。その行為は女学生の心のみならず、多くの木星人の立場と尊厳に泥を塗った!』
 心が動く。――あの人は本当に、あたしたちのために同じ木星人に怒っている……
『この放送を見ているなら聞け。誇りある木星人として言わせてもらう――――恥を知れっ!』
 ――かっこいい……あの人たちは『いい木星人』なんだ。
「あたし、決めたよ」
「え?」
「あたし、卒業したら軍に入る!」



「な、な、な、何やってんのよあの子たちはあああああ!?」
 オオイソシティの自宅で、白鳥ユキナは悲鳴を上げた。彼女もまたネット経由でホウメイ・ガールズのライヴを視聴していた、そのさなかの出来事だった。
『……私は目が見えません。生まれて間もなく、病気で光を失いました……当時の木星は、そんな私を戦争の役に立たないごく潰しだと弾き出すような社会でした。そんな私を地球の……迷惑だと思いますので名前は伏せますが、友達が受け入れてくれました。ですから本当に感謝しています……』
 和也に続いて、美佳も話し始める。
『……皆さん、この放送をご覧になっていますか? ……私はもう一度皆さんと会いたい……ですから、どうか木星人を嫌いにならないでください。私の帰る場所を、壊さないでください、お願いします……』
「神目さん……私たちの事をそんなに大切に……」
 ユキナの後ろで、ミナトは涙ぐんでいた。こう言ってくれる誰かが現れるよう、ミナトがどれだけ心を砕いていたか、ユキナはよく知っている。  そしてステージに立つ彼もまた、同じ気持ちのはずだった。
 ――あたしだってそう。でも一番そうしたかったのは……お兄ちゃんだったんだよね……
 幸せを得られないまま死んだ兄の顔を思い浮かべて、ユキナは思った。
 ――あたしにも、まだ出来る事がある。



 演説は閉めに入り、『草薙の剣』メンバーたちもそれぞれの言葉で地球人へと訴えかける。
『我々が望むのは、全ての木星人が幸せを得られる未来であります。そのためには、ここにいる皆の助けが必要なのです! 地球との協力なくして木星の未来はない――――我々はそう考えております!』
『その代わり私たちは、地球人の盾となり剣となって戦う事をお約束します! 火星の後継者を私たちが倒して、その証明に代えます!』
『おう! だから見ていてくれみんな! テレビの中で軍と火星の後継者が戦う時、そこには常にオレたちやオレたちの仲間がいるんだぜ!』
『ですからご協力をお願いしますわ皆さん』
『あたしたちが火星の後継者をぶっ潰す!』
『……木星と、そして地球の未来のために……』
『僕たちは最後まで戦う!』

 ――――おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ……!

 楯身、妃都美、烈火、美雪、奈々美、美佳、そして最後に和也が力強く自分たちの意思を訴え、会場内にざわめきとも歓声とも取れる声が満ちる。
 そんな和也たちの姿を、澪は祈るような気持ちで舞台裏から密かに見守っていた。
 澪のコミュニケには、既にフリージアの艦長から何をやっているのかというメッセージが矢のように届いている。戻り次第事情を聞かれる事になるだろう。
 そればかりか自分たちの顔と名前を晒し、立場を表明し、木星人への自己批判まで展開した。一つ間違えば和也たちは裏切り者だ。
 それでも……今の世論に一石を投じるには、このくらいしなければダメだろう。大河に小石を投じるような小さい小さい抵抗を、和也は背水の構えで行っていた。
 ――お願い、和也ちゃんたちの話を聞いて。
 和也たちも地球への反感を完全には捨てていない事は、澪も知っている。  それでも、木星人が幸福な暮らしを得るためには地球人の協力が必要だと肌で知っているから、和也は同じ木星人と戦って血を流し、それを知らない地球人へ訴えているのだ。
 ――私も和也ちゃんたちと仲良く暮らしたい。
 だから、少しでも皆に伝わって欲しい。
 コミュニケから声がしたのは、その時だった。
『大丈夫だよ。……澪ちゃんだっけ。和也くんの言葉は、これでたくさんの人の体内に入る』
「メグミさん……」
『知らないからみんな怖がる。知らないから騙される。知らないから利用される。知らないから間違いを起こす……でもこれで、今まで誰も知らなかった木星の人の一面を知ってもらえる。それは、世界を変える小さなきっかけの一つになるかもしれない』
「……メグミさんは、いろいろ考えてるんですね。わたしは誰か何とかしてって思うばかりで……」
 澪は、手立てを何も考え付かなかった自分への自嘲を口にする。
『そうでもないよ。全部人の受け売りだから……それに、自分じゃどうにも出来ない問題で人の力を借りるのは悪い事じゃないよ』
「力を貸してくれる人……いるのかな。センジョウさんも結局悪い人だったし」
『いるよ。和也くんたちと同じ事を考えて、そのために動いてる人たちがいる。その人たちも今、あなたたちの力を必要としてる。一人じゃどうにも出来ない事でも、力を合わせればきっと何とかなるよ』

 だから、とメグミは言う。

 がんばって。



 そして、彼女もまたその言葉を聞いていた。

「――――あ、見てますか? ならこれも特集に追加でお願いします。……そうです、予定通りに。……はい。無理言ってごめんなさいね。じゃあお願いしまーす」
 声の限りに叫ぶ和也の姿をウィンドウの中に見ながら、彼女はそっとどこかへかけていた電話を置いた。その顔は穏やかで、まるで息子の努力を見守る母親のよう。
「軍人として一線越えちゃったか。あの子たちも相当焦ったんだろうね……」
 それでも、和也たちは道を誤らなかった。その事が彼女には純粋に嬉しかった。

「安心して……君たちは孤軍じゃないよ。木星の人たちの幸せな未来、一緒に作ろう」

 彼女――――ミスマル・ユリカ准将は、ウィンドウの向こうの和也たちへ語りかけるように独語し、再び受話器を取る。
 次の一手への布石は、和也たちが作ってくれた。ここからが反撃だ――――










あとがき(なかがき)

 えー、大変お久しぶりで申し訳ありません、第十六話の中編をお送りしました。
 まさか半年近く間が開いてしまうなんて……創作意欲をなくしてフェードアウトしたと思った人もいるかと思いますが、一応まだ続いております。

 世論という和也たちの手に余る流れに一石を投じるため、和也たちはメグミやホウメイ・ガールズの協力を得て捨て身覚悟で訴えました。メグミが言っていたように全ての不幸は無知から始まると思いますので、まずは地球人が知らない、あるいは忘れていた事実を周知するのが目的です。
 軽めの話にするってのはどうしたかって? ……書き始める前はセンジョウの嘘を暴くシーンが念頭にあったから、全体として軽い空気の中でセンジョウを成敗するつもりだったんです。いろいろ膨らんでしまって……(汗)
 で、長い! どうしてこうなった……途中どこかカットしようかと思ったのですが、どうにもカットすべき場所を見いだせなくて……しかも本来ここは起承転結の『転』のはずだったのに、もう『結』みたいな感じだし……

 >イエローカード
 申し訳ありません……あまりに軽率でした。ネットでそういうネタを拾って、つい使ってしまいました。
 フォローとしては前者を使わせて頂きました。創竜伝は未読ですが、90式戦車が川底の石で腹を突き破られるとかの話は聞き及んでおりますので……
 今後はこういう事のないよう気をつけます。

 >もう思考停止した方が
 この話の下敷き的な作品として、戦争の遺恨を描いたある個人製作のゲームがありまして……いま所見でプレイしたなら受け入れられたか解りませんが、当時の私は強く感化されたのですよ。
 で、そういう話を私も作りたいと思ったのがこの小説を書き始めた動機ですので。
 和也も、性格からして諦めるくらいなら自爆でもすると思いますし、『敵を倒したけどその後の世界は(ネタバレに配慮して以下略)』ではなんというか、FF13−2化(汗)してしまいます。
 まあせっかくなので、和也くんがそっちを選んだパラドクスエンディング(笑)を用意してみました。和也たちが恐れていた最悪の未来をご覧下さい。(この後タイガー道場というかユキナ道場でも開いて和也をぶん殴らせたかったですが、尺があれなのでやめました)

 次回、軍規を曲げて木星人の実態を訴えた和也たちに下される統合軍の処分、そしてセンジョウを操っていた謎の男たちの正体は。
 これまで表立った動きを見せなかった彼女が、ついに行動を起こします。

 それでは、次回もがんばって書きますので……





 おまけ
 注意 このおまけは本編のイメージを損なう恐れがあります。了解の上でご覧ください。



 和也は――――

  それでも戦う
 →あきらめる

「そう……ですね。僕たちにはもうどうにも出来ない……」
「……和也さん……」
「そんな顔しても仕方ないだろ。僕たちは所詮、何も出来ない一平卒なんだ……」
 分不相応な目的など持つべきじゃない――――自分たちで戦争を止めようとした結果、ただ被害を拡大させてしまった事もある。現実はゲキガンガーのようにはいかない。
「帰ったらみんなで相談しようか。ここら辺で身の振り方を考えるべきだ……」
「……そう。それがいいだろうね」
 そう言ったメグミの声は、どこか不愉快そうだった。
 もしかしたら、メグミが期待していたのは諦めないという返事だったのかも知れない。
 だが和也には、その言葉をもう、口には出来なかった。



 パラドクスエンディング01 ――諦観の果て――



 水のように薄いスープに、合成タンパクのペーストを溶かしただけの冷たい粗末な食べ物が、トレイの上で揺れていた。
 食事――――というよりもはやエサ。それを機械的な動きでゆっくりと口に運ぶ。生きていければそれでいいと言わんばかりの最低限なそれが、今の彼らの命を支えていた。
「おらおら、飯の時間は五分だぞ! それが終わったら次の奉仕だ! 市民権が欲しけりゃ必死になれウジ虫ども!」
 監督官の罵声に急きたてられる。次の『奉仕』――という名目の無償労働――は、確か下水処理施設の掃除だったか……とどこか他人事のように思いながら、黒道和也は合成タンパクのスープを口に運び続ける。口答えなど許されるはずがない。その場で銃殺されるか、五分の食事時間をさらに短くされて周囲の恨みを買うだけだ。

 ――――あれから、数年が経っていた。

 あの後、結局世界は和也たちの思いとは正反対の方向へ流れていった。地球人の反木星人感情を止める事は誰にも出来ず、ついに木星人移民は地球に住めなくなった。
 これに反発した木星人の間でも反地球感情が燃え上がり、地球との平和共存路線を取っていた前政権は失脚。過激な反地球路線を前面に出した政権が発足し、地球連合からの離脱を即時表明した。
 新政権は火星の後継者を新たな木連正規軍の中核として迎え入れ、地球との緊張は高まり続けている。軍備増強の推進は木星人の生活を困窮させ、また戦前の貧困へ逆戻りしていったのだが、新政権はその不満を地球への敵意に転化する事で支持を得ていた。
 そんな状況下で、和也たちもまた木星に戻らざるを得なかったのだが、新たな木星は和也たちに冷淡だった。地球の側について火星の後継者と戦っていた、親地球派と呼ばれる者たちは裏切り者以外の何者でもなく、和也たちは木星への忠誠を行動で示す必要に迫られた。
 そして今、和也たちは懲罰部隊の一員として次の戦争を待っている。もはや来るべき次の戦争で手柄を立てる以外、和也たちに汚名を挽回する機会はないのだ。となれば、この状況下にあっても断固として木星行きを拒んで地球に残った楯身や美佳、泣いて一緒に行くと懇願するのを振り切って置いて来た澪とも、次に会う時は敵同士になるだろう。
 それはもうどうする事も出来ない運命なのだと、今ではもう諦めている。
 諦観が和也を支配する中、一つだけ残った後悔の念がある。数年前のあの日、メグミに向かって自分たちに世界は変えられないと答えてしまったあの時、今のこの運命は決まった気がするのだ。
 あれからしばらくして、ホシノ・ルリ中佐はミスマル・ユリカ准将と共に暗殺され、彼女たちを欠いたナデシコは宇宙の藻屑になったと聞いた。和也たちがその時そこにいれば、ルリたちを助けられたかもしれないのに……
 ――でももう何もかも手遅れだ。
 胸を抉るような後悔の念から目を背け、和也は席を立つ。今はもう、今日を生きていくだけで精一杯なのだ。

 自分たちは、もう負けたのだから……





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圧縮教授のSS的



・・・おほん。

ようこそ我が研究室へ。

今回も活きのいいトライアングラーSSが入っての、今検分しておるところじゃ。


『奇貨』と言う単語がある。

元々は単に「珍しいブツ」といった意味しか無かったらしい。それが現在の主だった用法になったのは、かの有名な「史記」の一節に登場してからと言われる。

人質時代のボンビーであった子楚(始皇帝の父)を偶然見かけた呂不韋が『奇貨居くべし』と呟いて後見人となり、それを利用して秦の宰相にまで登りつめた。
子楚を王につけるまでの投資は相当なものだったようで、結果が出るまで呂不韋は「分の悪い方に賭けてしまったか・・・?」と事あるごとにぼやいてたトカ何トカ(嘘)

まあとにかく、『奇貨』とは掘り出し物、特に一見価値のないものかえってマイナスになるようなモノだが使いようで利益に変えられる事柄を指すようになった。


さて今シリーズの『奇貨』は、何であったかな?


和也達にとっての『奇貨』、メグミ達にとっての『奇貨』、地球にとっての、木連にとっての、そして人類にとっての『奇貨』。

それぞれの『奇貨』をどう使うのか、そもそも「奇貨とする」ことが出来るのか否か。

答えはいずれ出るじゃろうが、それまで経緯や展開等をあれこれ想像するもまた愉し。

読者諸氏も、このちょっとした思惟の森を散策してみては如何だろうか?



さて。儂はそろそろ次の研究に取り掛からねばならん。この辺で失礼するよ。

儂の話が聞きたくなったら、いつでもおいで。儂はいつでも、ここにおる。

それじゃあ、ごきげんよう。

P.S.呂不韋の『その後』は調べるでないぞ? 絶対であるぞ?(ぉ





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