平和な街中に、突如として銃声が鳴り響いた。
『助けてー!』
 転倒して動けなくなったらしい女性が叫ぶ。迫ってくる、多数の武装した火星の後継者兵。逃げ惑う民間人に銃を乱射し、凶悪な面構えで人々を殺戮していく。
 そこへ颯爽と現れるヘリ。その上から、勇ましい音楽と共に戦闘服姿の兵士たちが降下してくる。
 先頭は、『草薙の剣』隊長の黒道和也だ。こんな敵の眼前にヘリボーンしたら空中で蜂の巣にされそうなのはさておき、隊伍を組んだ『草薙の剣』は敵に向かって突撃。和也は意味不明なスライディングから、寝そべった体制で撃つ、撃つ、撃つ。大げさなリアクションで敵が倒れていく。――――ここでナレーション。

『地球人類を襲う、極悪非道なテロの脅威! しかし皆さんの生活にただちに影響はありません! 我ら地球連合統合平和維持軍が、地球の陸海空、そして宇宙を守っています!』

 ここで何故か背後で爆発。それを背中に『草薙の剣』はさらに突き進む。

『人類を守る心、仲間を信じる意思、そして勇気が――――いかなる悪をも打ち砕く!』

 ここでカメラが、『草薙の剣』の周囲を回るように移動。足を止めた和也たちがめいめいに武器を構え、決めポーズ。――――若干顔が引きつっているが。

『来たれ世界の若者よ! 統合軍は、君の入隊を持っている! ――――政府広報です』



 先日から放送が始まった統合軍の新兵勧誘TVコマーシャルが流れると、ナデシコBの艦内食堂には微妙な空気が満ちた。
「大変ですねぇ、あの人たちも」
 むぐむぐとオムライスを咀嚼しながら、マキビ・ハリ中尉がそう言った。
 和也たちがホウメイ・ガールズのコンサートで演説をぶってから一月ほど経つが、その間にこういったCMやワイドショーで和也たちの姿をたびたび見かけるようになった。特殊部隊である和也たちの大まかな経歴を惜しげもなくメディアに流している様子から、統合軍は和也たちを宣伝媒体に利用する気だと知れた。
 和也たちにとっては屈辱だろうが、おかげで442大隊やサブロウタのような、同じく地球連合軍に残る木星人の姿もクローズアップされてきた。ムダではなかったのだろうとホシノ・ルリ中佐は思った。
 しかし、これはこれで誰かの作為が働いている気がするのだが……
「ふん、あれだけの軍規違反やらかしたんだ。これも罰だと思えば軽い軽い」
 タカスギ・サブロウタ少佐は、パエリアをがっつきながら突き放すように言った。
 口ではああ言っているが、実は彼も『草薙の剣』の減刑を求める署名活動が行われた時、ネット経由でこっそり書名を送っていた事をルリは知っている。
 まあサブロウタにも仕官として立場があるわけだから黙っておいてあげようと、ルリは無言で東京風しょうゆラーメンをすすった。
「しかしま、よくファイヤークビにならなかったもんだ。あいつらも悪運が強いっつうか……」
「ファイヤーにしたら木星の人たちは怒るでしょう。それに……偶然でしょうけど、いろいろ秘密も抱えてしまいましたし」
 ラーメンスープの一滴まで飲み干して、ルリは口を開いた。
 先日、ミスマル・ユリカ准将から軍用ネット経由で聞いた話……少し前に日本の山中に逃げ込んだ火星の後継者シンパのテロ組織と統合軍が交戦し、テロリストが全員死亡した事件。別に珍しくもないニュースだったが、ユリカによるとあれはただのテロリストではなく、ユーラシア同盟が日本に送り込んだ工作員で、統合軍は事実を隠しているというのだ。
 その事実を交戦という形で知ってしまった『草薙の剣』を、これといった理由もなくクビにはしないだろうとユリカは言っていた。どこでそれを知りえたのかは、教えてもらえなかったが……
「正直、信じられないですよ……同じ地球の国なのに、直接内部から混乱させたり、武器を運び込んだりだなんて……」
 ハーリーは不安そうな顔で言う。
 今までは、火星の後継者に味方したがっている国でも、間に一つ緩衝材を挟む形で、政府の直接関与は常に避けられてきた。それは軍隊の一部や国内の過激派テロ組織、そして……クリムゾングループであったりした。
 一年前の第二次決起の時、遅まきながら鎮圧に乗り出した統合軍艦隊は、待ち伏せ攻撃によって思わぬ損害を受けた。あの完璧すぎる待ち伏せは、統合軍艦隊の進軍するルートと時刻を事前に知っていなければ成立しないはずだ。
 火星の後継者に手を貸していたクリムゾングループの仕業……ではないだろう。どれだけ軍に影響力を持つ一大軍需企業であっても、軍の作戦計画など盗み出せるわけがない。どこかの国――――どこかの政府が関与していなければありえない。
 それがどこかは解らない。シャロン・ウィードリンは完全に口を閉ざしているし、疑わしい国が、今となっては多すぎる。くだらない事に、地球連合としてもそちらのほうが都合がいい一面があるので、あえてそこは追求の手を抜いてきた。
 だが、今回は事情が違う。ついに自ら牙を剥いてくる国が現れた。それも相当以前から準備が進められていたようだ。世界は地球連合の元に一つというお題目に拘った結果がこれだ。
「なんだか、せっかく湯沢を倒したのに、事態はどんどん悪いほうに向かってる気がします。……本当に大丈夫なんでしょうか」
「なんとかなりますよ」
 信じていた物が崩れかかっている不安を訴えるハーリーに、ルリ。
「火星の後継者さえ壊滅させれば、もう怖いものはありません。それに尻尾を振ってる国も、火星の後継者が消えれば諦めます。それで全部元通りですよ」
 そう、それで全部元通りになる。世界も……そして、ルリの家族も。
「ホントにそうでしょうか……」
 しかし、ハーリーは納得していないようだった。
「……あいつらも、今頃こんな風に深刻な顔しながらメシ食ってんのかね」
 サブロウタはそう、今は地球にいないらしい『草薙の剣』を案じていた。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十七話 裏切りと、裏切りと、裏切りと、そしてまた裏切り 前編



 ぶえーくしょん。

 と和也が盛大にくしゃみを炸裂させたのは、昼食を終えて廊下を歩いていた、その時の事だった。
「風邪ですかな、隊長?」
「んー……誰かに噂されてたような」
「今のところ何事も起こっておりませぬが、重要な任務です。くれぐれも体調管理は怠りなきよう」


 気をつけるよ、と和也は、気遣わしげな楯崎楯身に微笑みかけた。
 そう。今は重要な任務の真っ最中だ、と和也は壁一面ガラス張り――のように見えるが、実際は外のカメラ映像を映しているスクリーン――になった廊下から、外の風景を横目で見やる。
 地平線まで何もない白一色の世界だ。人工の建造物など見える範囲では何一つ見当たらないが、実はそこかしこに点在する小高い雪の丘が、かつてこの地で散華した戦艦の残骸に雪が降り積もった物かもしれない。
 南極大陸――――ではない。北極はそもそも今の地球に陸地となる氷が殆どない。ましてや、ここは地球ですらない。
 火星極冠、セントラルポイント『イワト』――――火星極冠遺跡の内部に建造された、巨大なヒサゴプランの中心施設。太陽系内の物流になくてはならないインフラとなったヒサゴプランネットワークの管理施設として、ボソンジャンプ研究を一手に担う研究施設として、そして、恐らく世界で最も重要な戦略上の要所として、一度ならず激しい戦闘が繰り広げられた嵐の中心。
 今でも常に火星の後継者に狙われているであろう重要な拠点であるのだが、訳の解らない事に最近までまともな駐留艦隊も配備されていなかった無防備な場所でもあり、そのせいで二度も三度も火星の後継者に占拠されているという笑えない経緯がある。これはボソンジャンプの制御システムを特定の国や勢力に預けるのは危険と見る意志が働いていたのでは、と和也たちは解釈していた。
 さすがに懲りたのか、第二次蜂起の直後から衛星フォボスのスティックニー・クレーターに艦隊付きの基地が建設され、『イワト』の中にも兵士が配備されて、今この瞬間に起こるかもしれない火星の後継者の襲撃に備えている。
 そんな微妙なパワーバランスの中心地に、和也たちはいた。
「烈火、奈々美、お待たせ」
 定位置てある第八研究室の前へ戻ってきた和也と楯身は、退屈そうに立っていた山口烈火と田村奈々美に交代を告げた。ここからは離れられないので、食事、睡眠などは全てローテーションだ。
「あー、待ちくたびれたわよ。もう退屈とハラヘリのダブルパンチで死にそう」
「んじゃあ、オレたちはメシ食ってくるぜ」
 何もせずにただじっとしているこの手の任務が苦手な二人は、いそいそと食堂に向かおうとする。そこへ楯身が訊ねた。
「妃都美たちはどうしている?」
「美佳と妃都美なら、『下調べ』に行ってるぜ」
「美雪はまだ寝てるんじゃないの」
 そうか、と頷いた楯身。話が終わったと見るや、烈火と奈々美は足早にこの場を去っていく。それは単に空腹を我慢していたから、というだけではないだろう。
 ここでの和也たちの任務は、有事の際の『イワト』防衛と、それが不可能となった時に研究者を連れて脱出する事だ。敵のアジトを見つけて殲滅していた今までとは逆の受け身な任務だが、課せられた役割と責任は、攻めの任務よりずっと重要で重大だ。
 それはいいのだが、いささか厄介な問題が一つ……
 和也も気が重くなってきた時、計ったようなタイミングでシュッ、と背後の扉が開いた。
 ――げ。
 和也も楯身も、顔が歪みそうになるのを全力で堪え、可能な限りの真面目な表情で敬礼。中から出てきた人物は二人を一瞥しただけで、何も言わないまま歩いていく。和也たちは非常に……本当に凄く気が進まないのだが、彼女の一番近くにいるべくその後ろを少し離れてついて歩く。
 この人はいつもこんな感じだ。正直守ってやってるんだからもう少し愛想よくしやがれと思ってしまうが、彼女は最優先で保護すべき人物。加えて刺々しい態度の原因を作ったのは主にこちらなので、和也たちとしては黙って圧力に耐えるしかない。

 ――イネス・フレサンジュ博士……重要人物なのはよく解ってるけど、難物だよねホント……

 これが和也たちの居心地を悪くしている最大の原因なのだった。和也たちは彼女の近くを離れず、24時間体制で身辺を警護しろと命じられているのだが、一言で言うなら関係は良くない。最悪と言っていい。その険悪さたるや、ナデシコBに出向して間もなくの頃のルリより悪い。
 それは数日前、和也たちが『イワト』に着任した当日の事に起因していた――――



「統合軍JTU第五小隊隊長、黒道和也軍曹他七名、イネス・フレサンジュ博士の警護任務に着任しました。以後お見知りおきを」
 初めて顔を合わせた時、型にはまった敬礼で自己紹介した和也たちに、イネスは開口一番こう言った。
「新しい警護部隊が来るというからどんな人たちかと思ったけれど、よりにもよって木星人の部隊とはね……」
 初っ端から失礼極まりないセリフ。
 しかしこれは想定内だ。和也は敬礼も表情も崩さず、イネスの襟に輝くジャンプライセンスバッジを見た。
 和也たちの白いそれとは違う、赤いライセンスバッジ。和也たちも初めて見るボソンジャンプの完全適合者、いわゆるA級ジャンパーの証だ。
 触媒となるチューリップクリスタルさえあれば、この火星から地球まで身一つで、一瞬にして“跳ぶ”事も可能な能力者。それは彼女自身が昔の核兵器をも上回るほどの戦略的価値を有する存在であるという事だ。今どこの国でもA級ジャンパーは希少かつ重要な存在で、一人の例外もなく国家や軍、企業によって保護――隔離、囲い込みと言った方が正しいか――されているという。
 目の前の彼女も例外ではない。むしろボソンジャンプ研究の第一人者という立場が余計に重要さを際立たせる結果となっていて、今でも厳重に警備された施設の中でのみ生きる事を許されている。
 なぜ彼女たちがこんな不自由な生活を強いられているのかというと、火星の後継者に狙われているから――――もっと穿てば、木連がボソンジャンプの戦争における有用性を示してしまったからなわけだ。
 もう一つおまけに、彼女が生粋の火星人であり、戦争で故郷を追われた戦災難民という事情もある。それも全滅したコロニーからただ一人生還した生き残りという極めつけの悲惨な境遇だ。
 木星人に対して反感がないわけがない――――と、和也たちは事前に聞かされていた。だから和也は、何か言われても絶対に短気は起こすな、と皆に言い含めておいた。
「まあ、前の人たちもあまり信用の出来ない人たちだったけど……せいぜい、警護と称してプライベートにまで踏み込んでくる真似はしないで欲しいわね」
「はっ、善処します」
 必要以上に近寄るな、という意味だ。やはりというか、イネスは木星人の部隊に警護される事が不愉快で、それを隠そうともしていない。
「…………」
「…………」
「……ぐぬぬ……」
 後ろから低い唸り声が聞こえる。多分奈々美だろう。言われた通り我慢しているようだが、この様子では奈々美と烈火あたりの短気な奴は暴発しないとも限らない。
 ――ボロが出ないうちに切り上げたほうがいいな。
「確認します。僕たちは24時間体制、三交代でフレサンジュ博士の警護に当たります。プライバシーにはこちらも極力配慮いたしますが、個室や研究室の前などで常時二・三人が待機しますので、その点はご理解ください。それと何かあった時すぐ駆けつけられるよう――――」
「つまり今まで通りという事ね。そんな事より――――」
 留意事項を確認する和也を遮って、イネスは訊いてくる。
「あなたたち、本当に私を守ってくれるんでしょうね」
 ――やっぱりそう言われるか、と和也は思った。
 イネスが懸念しているのは、初対面の頃のルリと同じだ。和也たちが裏切り者になるのではないかと。
「これもまた予想通りの反応ですけど……こうも行く先々で裏切り者ではと疑われるのは面白くないですね……」
「……仕方ありません。私たちが木星人である事実は消せませんし……友軍さえ疑わないといけないのは、私たちも同じです……」
 後ろの方で、真矢妃都美と神目美佳がひそひそと言い交わしている。――内緒話は後にしてよ、気取られる。
 イネスに聞かれないよう、和也は声を高くして言う。
「えー、口で言うより見てもらったほうが早いと思います。軍のデータベースにアクセスして僕たちの戦歴を見てもらえれば、火星の後継者と戦う意思を汲み取っていただけるかと」
「それはもう見たわよ……ついでに、あなたたちがホウメイ・ガールズの子たちと組んでやらかした演説もね」
 ――知ってて訊いてきたのか……食えないオバサンだよ。
「正直、無駄な努力をしてるわね。あなたたちが頑張って戦えば木星人と地球人が仲良く暮らせる日が来るの? 私にはそうは思えないけど」
 全てに否定形の答えを返してくる。まるで圧迫面接だ。
 しかし同じ事をメグミにも言われた後だ。もう心を乱したりするものか。やんわりと受け流す言葉を返そうとした――――その時。
「……聞き捨てなりませんな今の言葉!」
「おい、れっ――――!?」
 烈火、と怒鳴りかけて、あれ? と思った。
 男の声だったから反射的に烈火だと思ったが、声音も口調も違った。暴発したのは――――
「たたた、楯身い!?」


「我々は同胞たる木星人を守る最善策と信じて、同胞に刃を向ける決心をしたのであります!」

 ――ぎゃあああああああああああああああああああっ!?

 いつになく感情的になってイネスへ噛み付いた楯身に、和也は心の中で悲鳴を上げた。
 皆、ハトが豆鉄砲を食らったような顔で見つめる中、楯身はさらにまくし立てる。
「何故かと言えば、地球との結びつきこそが木星にとって最善と今は確信しているからであり、かつての暗黒時代に立ち返らないための唯一の方法であると心得ているからであります!」

 ――ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!

「おおお、おいバカやめろ。楯身お前何やってるか解ってるのか?」
「止めないでください隊長! その他大勢の木星人移民も我々と同じ考えのはずであります! 度重なるバッシングにもじっと耐え忍んでいるのがその証拠! これでもまだ我々の努力に唾を吐くのならば――――」

 ――ふわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 和也の生死も聞かず、さらに楯身は反論を並べ立てようとする。もう限界だ。
「あーもう! 奈々美! 烈火! このバカを摘み出せーっ!」
「い、イエッサー!」
「イエッサー!」
 和也の命令にはっ、と我に返った烈火と奈々美は、即座に楯身の両腕を掴んで部屋から引きずり出す。
「ぬおお、何をする! 隊長、フレサンジュ博士、自分は百万回無理と言われても諦めはしま――――」
 ぴしゃり、と部屋のドアが閉まり、楯身の声が聞こえなくなってようやく、はああああ、と和也は重い息をついた。
 恐る恐るイネスのほうに視線を戻す。……案の定、絶対零度の視線で射竦められ、びくっと震えて小さくなった。
「部下のしつけがなっていないわね」
「大変失礼を致しました……」
 情けなや。



 お互いにとって第一印象が最悪な出会いとなってしまった和也たちとイネスの関係は、それきり冷え込んだまま、現在に至る。
 翌日になってさすがに頭が冷えた楯身は、「……大変申し訳ありませぬ。つい……短気を起こしまして」と素直に謝罪した。だが一度こじれた関係は簡単には直せない。
 イネスが研究室にこもって研究に没頭している間、部屋の前に立っているのはまだいい。だが食事のために出歩く時など、傍についていなければならない時は本当に胃が痛い。
 今日も今日とて数メートルの距離を置いて後ろからついて歩いていたところ、和也のコミュニケから電子音が鳴った。
『こちら澪。和也ちゃん、美雪ちゃんが起きたからそっちに行くって』
 この状況で、露草澪の顔と声は多少なりとも和也の心を癒してくれた事だろう。そして影守美雪と入れ替わりに、和也はトイレに行くと言ってその場から去ったのだった。
「逃げましたわね、和也さん」
 イネスが主に研究者の利用する食堂――警備兵用の食堂を含む居住ブロックは最近になって増設されたので、職員や研究者とは完全に分けられている――へ入っていくと、楯身と美雪はイネスとの暗黙のルールに従って食堂の前に立つ。
 そうすると、自然と立ち話が口をついて出た。
「まあ、逃げ出したくなるのも無理はあるまい……フレサンジュ博士が我々に対して向ける敵意は尋常ではないからな。特に隊長は、最近何かと心労を抱えておいでだ」
「天涯孤独の戦災難民で、常に身柄を狙われる重要人物……まあ、健全ではいられないでしょうね」
 誰かを憎まずにはいられない――――話を聞いただけでも解るほど、イネスの置かれた環境は不遇だ。楯身たちもその原因を作った木連軍の一員だったから、あながち八つ当たりとも言えないのが辛いところだ。
 ――下手に反論できる立場でもなかったか……しかし自分はどうしても……
「ところで聞きまして? フレサンジュ博士が、今でもボソンジャンプの研究に拘り続ける理由……」
 美雪が意地の悪い顔で振ってきた話題に、楯身はむ、と僅かに顔を顰めた。
「……その話なら自分も聞いた」
 本来なら、イネスはボソンジャンプの研究より封印を主張していいはずだ。彼女の人生を狂わせている、ある意味一番の元凶であるわけだし、ボソンジャンプ、あるいはその核である遺跡ユニットだけでも封印してしまえば、イネスは自由になれるはず。
 それが、今でも狙われているであろうここに足を運ぶリスクを冒してまで、研究を続ける理由……
「未だ制御の及ばないボソンジャンプの時間移動を制御する事で、歴史を改竄し、自分の境遇を根本から変える……だがそもそも、時間移動など本当に可能なのであろうか。噂には何度も聞くが、尾ひれのついた風説の類ではないのか?」
「それが、あながちデタラメでもなさそうですわ。ここの研究員の方々の話を漏れ聞いていると、そう感じますの」
「……だとすれば、フレサンジュ博士は木連を消すつもりなのであろうな……」
 どうする気かは知らない。だが例えば木星人の先人――――月を追われた独立派の末裔を、木星に辿りつく前に消す。そうすれば、少なくとも戦争は起きない。イネスは戦災難民となる事もなく、ボソンジャンプの研究とも無縁な人生を歩めるかもしれない。そうなると木星の先人を消した張本人がそもそもいなくなるという、いわゆる親殺しのパラドクスが起きる事になるが、それはこの際どうでもいい。
「これ、放っておいていい事なのかしら。わたくしたちにとっては死活問題ではありません?」
「……所詮はただの噂話に過ぎまい」
 楯身はそう言ったが、内心では確かに不安だった。
 もしイネスが、歴史の改竄を実現できるとして……許容できるわけがない。殺されるのと同じだ。
 ではどうする? あのイネスが、自分たちが懇願したとして受け入れるか? その芽も無いだろう。
 だったら……殺される前に、殺すべきなのか?



「まったく……限界だなあ……」
 トイレの洗面台に手を突いて、和也は不平を漏らす。
 今は自分たちの事だけで手一杯なのだ。この上イネスという厄介事まで抱え込めるわけがない。ストレスは溜まる一方だ。
 くそっ、と悪態を付き、和也は戦闘服の物入れから錠剤の入ったビンを取り出す。皆には黙っていたが、ここに来てからいよいよこれが手放せなくなってしまった。
「とうとう僕も、こんな物に頼らないといけなくなったか……」
 ビンから数錠を掌に取り、洗面台の水で飲み下す。我ながら立派な中間管理職の姿だ。
 と、そこへトイレの個室が開く音がし、「おや、コクドウ君か」と声がかけられた。和也は咄嗟に錠剤をしまいこむ。
「ドラグノフ中尉……ズドラーズドヴィチェこんにちわ
「ああ、こんにちわ。……ずいぶんと辛そうな顔だな。日に日に元気がなくなっているぞ」
 トイレから出て来た白人系の男は、和也を見るなり人懐っこく話しかけてきた。
 ドラグノフ中尉――――ここに来てから知り合った、『イワト』駐留の機動兵器中隊『ロークサヴァー』の小隊長だ。戦争中から戦闘機パイロット、後にエステバリスライダーへ転向しながら活躍しているベテランで、以前シャワー室で一緒になった時見たのだが、彼の身体には戦歴を物語るような傷が幾つもあった。その中で、何故かパイロットらしからぬ撃たれた傷があったのが気になったが。
 和也たちが『イワト』に赴任した翌日あたりに、随分となれなれしく話しかけてきた時は何だこの人と思ったが、話を聞くとどうもこの中尉、和也たちと同じJTU候補としてあの『高天原』の演習に参加していたらしい。
 彼と彼の部隊はJTUに入り損ねたようだが、戦争を生き抜いた歴戦の勇士としてのキャリアは高く、こうして重要施設の警備を任されている。
 この『イワト』には彼のように世界各国から選りすぐられた兵士が数百人赴任していて、全ての星と国の軍人が一同に介していると言われる。それは表向きには世界が一致団結している事を示すためだが、前述したようにボソンジャンプを独占されまいと互いに牽制しあう意味もあるのだろう。
 テーブルの下で向こう脛を蹴りあっているくせに、既得権益は守りたいのか地球は一つという形骸化しかけたお題目は必死で守ろうとする。つくづく地球連合というのは自縄自縛に陥っているなと思う。
 トイレで立ち話もなんだと、二人は一緒に廊下を歩きながら話す。……楯身たちには悪いが、これで少し戻るのを遅らせる口実になる。
「その様子だと、相変わらずフレサンジュ博士とはうまくいっていないようだな」
「……ええ、取り付く島がないというのはこういう事なんでしょうね。守ってもらってるって自覚はあるんでしょうかねえ……」
「まあ、そう愚痴りたくなるのは仕方がないが、彼女を守る事の重要性は忘れるなよ」
「勿論承知しています。特に今、火星の後継者にフレサンジュ博士を拉致されでもしたら大変な事になりますからね」
 そう、和也は言う。
 しばらく身の回りの事にかまけて、気にしていられなかったが……あのニューヨークでの戦闘の時、数名の重要人物が火星の後継者によって連れ戻されていた。和也たちは草壁を守りきるのに必死で、それ以外の連中に関してはどうにもならなかった。
 連れ戻されたのは、重要人物といってもそう大したポストについていた連中ではなく、連れ戻されたからと言ってただちに敵の勢力が増すような事もない。それゆえガードも緩かったのだが……そのうちの一人が、無視できない立場の人間だった。
「ヤマサキ・イサオ……第一次決起で、ほぼ完全にボソンジャンプを制御していた技術を今でも頭の中に収めてる、他とはまた違った危険性のある人ですからね……フレサンジュ博士が拉致されたら、またあの時と同じ事をやられかねない。そうなれば一大事ですものね」
 和也に――――いや、『草薙の剣』にとっても馴染み深い人物だ。訓練時代の和也たちにとって、当時まだヒラの研究員だったヤマサキはいろいろと面白い話を聞かせてくれる、いい遊び相手と言える相手だった。
 しかし今にして思えば、和也たちをああも普通の子供として扱いながら、同時に死ぬ確率の高い無茶な強化改造を行っていた、その二つを平気で両立させてしまえるメンタルがいかに異常であったか。今更ながらに怖い人だとも思う。
 あの人なら、フレサンジュ博士の身体を切り刻んででもボソンジャンプを制御しようとするだろう……などと想像して、自然と表情がこわばっていた和也に、ドラグノフ中尉は破顔一笑した。
「そんな怖い顔をするな。二度も三度も占拠を経験して、大幅に増強されたここの守りは磐石だ。火星の後継者に残された乏しい戦力などに負けはしない。諦めて去る事だろうよ」
「そう……ですよね」
 和也はそう、苦笑を装って見せたが――――
 それは絶対にありえないという確信が和也にはあった。甲院薫は……あの人は、そんな人じゃない。
 とそこへ、和也のコミュニケから呼び出し音が鳴り響いた。そろそろ楯身たちがしびれを切らしたらしい。
「じゃあ、そろそろみんなが待ちかねているので……ダスビダーニャさよなら
「武運を祈っているよ」
 そう言って、和也とドラグノフ中尉は別々の道へ。コミュニケを押すと、『何をしてらしたので?』とさすがに苛ついた楯身の声が聞こえてきた。
「…………」
 和也はふと、去っていくドラグノフ中尉の後ろ姿に目をやる。
 攻撃されるとは思っていない、無防備な背中だ。……今のうちなら殺せるだろうか。



 デスクにコンピューター、椅子、本棚、寝台――――その部屋に置いてある物はそれが全部と言っていい。
 本当に必要な物だけを取り揃え、無駄な物は一切ない。部屋の主の性格を体現したと言えるそこで、甲院薫――――火星の後継者、甲院派の首班はある人物と通信越しに対談していた。
『――――というわけで、彼の改造は順調。他の兵隊たちはもう訓練を始めております。特に拒絶反応もないので、みんな数日中には使えるようになるかと』
「ご苦労。これで我々の戦力も強化されるな。多大な犠牲を払ってあなたたちを救い出した甲斐があったと言えるか、ヤマサキ博士」
 死んだ湯沢も少しは浮かばれるか、と――彼にしては珍しい事だったが――感傷的に言った甲院に、それは光栄の極み、とヤマサキ・イサオは頭を下げた。
『まったく、地球のナノマシン技術は素晴らしいですな。この技術が以前の我々にあったなら、あの時の開発もまったく違ったものに、なっていたでしょうな』
「過ぎた事を論じても意味はあるまい。ところでミラーリングシステムはどうだ」
『ああ……あれの複製は、やはり現代の技術では無理のようですな。そもそも中枢システムからしてあの遺跡と同等のブラックボックス。複製が可能になるまでには、希望込みでもざっと120年はかかるでしょうなあ』
「となると、やはりオリジナルをもう一つ手に入れる必要があるか。まあ、どちらにしても予定通りだが」
『いやはや、私が牢屋に入っている間に、南雲氏も随分と思い切った事をしたものですな。アレはろくに調査もしていない未知の代物で、何が起きるか解らないと言ったはずなのですがね』
「奴は事を急ぎすぎた。その結果、貴重な戦力とプラント、そして協力者たるクリムゾングループを失った。多大な損害を受けたのは確かだが、まったくの無駄でもなかったな。おかげで我々も切り札を用意する事ができる」
 次の作戦はそのためでもある。時間をかけて下準備もしてきた。
 手詰まりになる事を防ぐためにも、いよいよ自分も動く必要がある。



 和也たちにとって胃の痛い『イワト』での日々は、それからさらに数日続いた。
 イネスの態度が軟化する事も、和也たちの側から緊張緩和の策が見出される事もまったくないまま、お互い毎日の職務に専念する事で、お互いの事を意識から締め出そうとするような日々が続き、さすがに和也たちも、もしかしたらイネスもうんざりし始めていた。
 その日も、そうして過ぎるかと思われた。



「和也ちゃん、お疲れ」
「澪? ……ありがと」
『イワト』の職員用休憩室で、澪が差し出した火星ソーダを受け取る和也の顔には、どうにも覇気が感じられなかった。
 以前からいろいろと心労が重なっていたところに、この胃の痛い任務だ。精神的にかなり堪えているという事か。
「そっちは休み?」
「うん。ここだと私、定時連絡くらいしか仕事ないから……」
 イネスの警護に、『下調べ』。寝る時以外は常に何かしらやっている和也たちとは裏腹に、ここでの澪の仕事は少ない。暇を持て余しているのも申し訳ないので、港湾に出入りする船の管制を手伝ったりしている。
「ところで、和也ちゃん一人しかいないの?」
「さっきまで美雪が一緒だったんだけど、花を積みトイレに行ったきり戻ってこない。引き伸ばしてるねきっと」
 やはり皆、イネスには極力近づきたくないようだ。
 地球人である澪から見ても、イネスの態度は度を越している。いろいろ事情があるのは聞いているが、あれではお互いのためにならないだろうに…… 
「ねえ、フレサンジュ博士さん、どこ?」
 ん、と和也は一方向を指す。少し離れたベンチで、窓から見える雪景色を見ながら飲み物を飲んでいるイネスの姿があった。寝る間も惜しんで研究に没頭していると聞く彼女だが、たまには落ち着いた時間を持ちたい時もあるようだった。
 よし、と澪はイネスに向かって歩く。「え、ちょっと、澪?」と和也は困惑していたが、それに構わず歩み寄っていくと、気配を察したのかイネスのほうから振り向いた。
「あのう……フレサンジュ博士、さん?」
「あなたは……あの木星人の子たちと一緒にいたオペレーターだったわね」
 確かあなただけ地球人だったかしら、とイネス。さすが博士と言われるだけあって頭がいい。嫌いな連中の事もしっかり頭に入っている。
「一度お話したいと思って……隣いいですか?」
「好きにしなさい。……先に言っておくけれど、私にあの子達への態度を直せと言いたいなら、お断りよ」
 先回りして撥ね付けてくる。これでは和也たちも近づきたがらないわけだ。
「……和也ちゃんたちが木星の人だから……ですか。木星の人がそんなに嫌いなんですか?」
「ええ」
 即答。
「でも、木星の人にもいい人はいますよ。和也ちゃんたちみたいに、火星の後継者のやり方が許せないから地球の側について戦ってくれてる軍人さんも沢山いるのに、十把一絡げにしちゃうのはおかしいと思います」
 そう言った澪に、和也は恐々とした視線を送っていたが、対照的にイネスは涼しい顔を崩さず、「知ってるわ」と少し意外な答えを返してきた。
「私も木星人の知り合いが何人かいてね。みんな、ちょうどあの子たちと同じような事を言って、火星の後継者と戦う道を選んだ人ばかりだったわ」
「そこまで知ってるなら……」
「でも私は、木星人を許す気にはならないわ。仇だから」
 ずっと彫刻のように微動だにしなかったイネスの表情が、そこで初めて僅かに歪んだ気がした。
「私が生まれ育ったのは、この火星、ユートピアコロニー。話くらいは聞いているでしょう?」
「確か……最初の開戦で、チューリップが墜落して真っ先に壊滅したコロニー……でしたっけ」
「地上にいた何十万の人たちが、避難する間もなく一瞬で死んだわ。その時私と母は、たまたま地下施設にいたおかげで助かって、シェルターに避難できた。でも木星の無人兵器は、そこに避難していた私たち民間人にまで容赦なく攻撃をかけてきたわ……」
 火星への無差別攻撃……木星人が月にも火星にも移り住めず、結局地球にしか移民を送り出せなかった理由がそれだ。和解の申し出を握り潰された怒り、かつて自分たちの先祖が安住の地にしようとしながら、核兵器で追い出された地に住んでいた火星人への憤り、強力な軍事力を誇示する事で戦争の早期終結を図った思惑――――理由はいろいろ言われるが、確かなのは国が一つ消えるほどの人間が死んだという事だ。
 木連軍が民間人を狙った攻撃を行ったのは、後にも先にもこの一度だけで、一部の穏健な木星人からは後悔の声も聞かれる……が、さすがにそれは少数派だ。大抵の木星人は、戦争だから仕方なかった、悪いのは地球だと、攻撃を正当化している。
「私の家は、父が早くに亡くなって母子家庭でね。母は女手一つで私を育ててくれた。そんな何の罪も無い母を、木星は関係のない理由で、血の通わない無人兵器を使って、私の目の前で爆殺した。木星人は今でもそれを正当化したがっている。許せるわけがないでしょう」
 淡々とした語り口調で、しかし抑えきれない怒りを覗かせるイネスの言葉――――それは戦争に何もかもを奪われた戦災難民の経験談。
「遠からず、木星の秋山政権は選挙に負けるわ。その次の政権は、中途半端に終わった戦争にけりをつけるための戦争を始めるでしょうね。全て木星人が望んだ事よ。独りよがりな正義を信じて、何億人殺そうが歯牙にもかけない連中と、和解の余地なんてないわ」
 和也たちが近づこうとしないわけだ。和也たちにも攻撃を正当化したい気持ちがあるのは確かだ。非を認めて謝罪するのも簡単ではないだろう。木星人としての誇りを投げ捨てるに等しい事だ。
 イネスの言う事は、おおむね正しい。きっとイネスの知り合いという木星人たちも、あまり強くは反論できなかったに違いない。
 だが、それでも……
「……それは違います」
「へえ?」
 真っ向から反論した澪に、イネスは不愉快そうな、面白そうな目で正面から澪を見た。
「和也ちゃんたちだって、本当は地球人に歩み寄りたいはずです。博士さんが言うようにその気がないのなら……私は和也ちゃんたちと友達にはなれなかったはずです」
「……それは、結局個人の関係だからじゃないの? 私にも木星人の知り合いがいるのは話したわよね」
「和也ちゃんたちの中に、博士さんが言ったような考えがあるのはそうだと思います。でも、やっぱり地球と仲良くしたほうが木星の人も幸せになれるとも思ってて、そんな気持ちの間で、みんながどんなに苦しんできたか……私は傍で見てきたからよく知ってます。そんな和也ちゃんたちを……私の友達を、火星の後継者なんかと同じに言うのは、やっぱり許せません」
「……持てる者の傲慢って知ってるかしら? 大切な家族を理不尽に殺された事のない人なら、いくらでも綺麗事が言えるわ」
 ここに来て、イネスは究極の論法を持ち出してきた。大切な家族を殺された事のない者に、被害者の気持ちなど解らないから何を言う資格もないと断じる、ある種卑怯な論法。
 だがそれは、澪には通用しない。
「そんな事ないです。博士さんの気持ち、私にもよく解ります。私もお父さんを殺されましたから。……シラヒメです」
 澪がその告白を口にした途端――――ぴくっ、とイネスの眉が動揺を示して動いたのに、澪は気がつかなかった。
「私も……大好きだったお父さんを殺した、プリンス・オブ・ダークネスっていうテロリストは許せません。出来れば謝って欲しいし、償わせたい……と思ってます。私にはまだお母さんが生きてますけど、博士さんの気持ちならだいたい解ると思いますよ」 「……そのテロリスト、殺してやりたい……とは思わないの?」
 そう、イネスは訊いてきた。
「思わないわけないです。でも、そもそも私ってはその人の事を何を知らないんです。同じテロリストって言われてますけど、火星の後継者との一味じゃないみたいで、それどころか互いに敵対しているっていうし、テロを働いた理由も何も解らないじゃないですか。だから……まずは話を聞いて見たい、と思います。聞いてどうするのかは、解らないですけれど……」
 澪の記憶の中の父は、ただ優しくて、パイロットになったのも戦後になってからだから、誰かを殺した事もない。そんな父がなぜ殺されなければならなかったのか……澪はまず始めに、それが知りたい。
 それを知らずには、許すも裁くも決められないし、決めていい事ではない、と思う。
 そんな澪に、イネスは少しの間、言葉を捜すように沈黙した。
「……私も、もう木星人の事はあまり言えない、か……」
「え?」
「いえ、独り言よ。……その事は、きっといずれ明らかになるわ」
「はあ……」
「それと……あなたの事情も知らずに、少々酷い事を言ってしまったわね。その点は、素直に非を認めるわ。……ごめんなさいね」
 突然のイネスの謝罪に、澪は多少面食らった。
「あ、いえ、こっちこそ生意気な事言っちゃいました」
「あなたが言うように、もうちょっとましな未来が来るといいわね、私には、とても期待が持てないけれど」
 イネスの憎まれ口は相変わらずだが、その言葉からは先ほどのような棘は感じられなかった。
 もしかしたらこれが、イネスなりの歩み寄りなのかもしれないと澪は思い、少し嬉しい気分になった。
 そこへ――――

 突然、ズズン、と地響きのような音と、微震を感じた。

「えっ、地震……?」
「爆発?」
 住んでいた環境の違いからか、微震に異なる解釈をした澪とイネス。そして鳴り響く、緊急事態を知らせるサイレン。
「二人とも!」
 和也が駆け寄ってくる。アルザコン31を両手で保持し、既に臨戦態勢に入っていた。
「和也ちゃん、何かあったの!?」
「解らない。念のため二人とも退避スペースに……」
 和也が避難を促した時、『隊長ッ!』とウィンドウが開き、血相を変えた楯身の姿が映し出された。
「楯身か!? 今の音は何!?」
『不明ですが、明らかに爆発です! いや、それよりもただちに博士と露草殿を連れて脱出を!』
「脱出? でもそれは最後の手段で、可能な限りはここを守れって――――」
『この状況が解らねえのか!?』
 突然、烈火が通信に割り込んできた。
『空を見てみろ! もう肉眼で見える所まで来てやがる!』
「空? いったい何が……」
 聞き返した和也より一足早く、澪は休憩室の大スクリーンに映る空を見上げて――――その先に見えた物に、悲鳴を上げた。
「あああっ!? 和也ちゃん、あれって……」
「そんな、まさか……艦隊!?」
 信じられない光景だった。カトンボ級無人駆逐艦、ヤンマ級無人戦艦といった木連式の無人艦に混じって、リアトリス級戦艦、サクラ級駆逐艦などの地球型艦船も見える。
 スティックニー・クレーター基地の友軍……ではないだろう。構成が明らかに違うし、艦隊総出で降下する理由など考えられない。ましてや輪形陣を組んだ戦闘態勢で向かってくる艦隊は、見えるだけでも百隻は超えている。数だけなら統合軍の丸々一個艦隊に匹敵する戦力だ。
「火星の後継者の艦隊……!? スティックニー・クレーター基地の艦隊は何をやっていたんだよ!? 何でここまで接近されるまで、警報の一つも出なかったんだ!?」
『不明であります! ただ先刻漏れ聞いた話では、スティックニー・クレーター基地とは連絡が取れないと!』
「まさか、やられたっていうのか……? 警報を発する暇もなく? そんなバカな……」
 和也は絶句していた。下を見ても30隻規模の艦隊が駐留していた、フォボスのスティックニー・クレーター基地が声を上げる間もなく全滅するなど、どう考えてもありえない事だ。
「……どうやら、火星の後継者の戦力というのは思っていたよりずっと強大だったようね。今までだって相当痛手を与えてきたはずなのに、まだあんな戦力を残して……」
 イネスは冷静を装っていたが、表情が強張るのまでは隠しきれていない。
 ニューヨークの時も信じられない大軍だと思ったが、あの艦隊が体内に抱えている戦力はあの時のさらに数倍あるのではなかろうか。火星の後継者の底知れない力を前に、澪の体も震えだしていた。
「確かにもうダメだ……楯身、今すぐ合流、プランDだ! 予定通り――――」
 叫んだ和也の声を掻き消すように、再びの爆音――――さらに、鳴り響く銃声と悲鳴、そして怒号。そのどれもが、そう遠くない所から聞こえてきた。
「くそっ! やっぱりもう内部にも敵が!?」
 そこへ更なる異変――――けたたましく鳴り響いていたサイレンが突然止まり、やがてノイズ交じりに誰かの声が流れ出してきた。
『――――『イワト』の職員、並びに駐留する地球軍の諸君に通達する。無駄な抵抗はやめ、ただちに降伏せよ。彼我の戦力差は見ての通りであり、抵抗は無益である』
『た、隊長! この声はまさか――――!』
「……甲院……薫……!?」
 和也が呆然と呟いた名前は、澪でも知っている――――火星の後継者に残された、もう一人の首班の名前。
 まさか、敵の総大将が自ら乗り込んできたというのか。
 敵の大艦隊は瞬く間に『イワト』上空へ達し、陽光を遮る。その威容を前に、和也は震える声で言った。

「なんて事だよ……こんなのもうテロじゃない……戦争だ……!」




 それから程なくして、地球へも凶報がもたらされた。

『火星極冠セントラルポイント『イワト』より統合軍本部! 現在我が方は、火星の後継者と思われる艦隊の攻撃を受けている! 敵は無人兵器が大半ではあるが、その戦力は大きく、スティックニー・クレーター基地の艦隊も長くは持たないと思われる! なお、敵艦隊は甲院薫が自ら指揮を取っている模様! 職員は既に大半が脱出し、ポイントαに向かった! 我々もこれから――――』

「……送られてきた通信は、ここで途切れてます」
 ナデシコB、ミーティングルーム。火星から超高速通信で送られてきた通信の記録を再生し終わり、サブロウタは緊張した面持ちで言った。
 信じられない、という風にハーリーが口を開く。
「そんな……あそこにはイネスさんと『草薙の剣』の皆さんがいたはずで……戦力だって増強されてたのに……」
「甲院薫が戦艦を強奪したりして戦力の増強に努めていたのは知っていましたけれど、明らかに勘定が合わないですね……」
 やはり強力なスポンサーの存在があると見るべきか、とルリは思ったが、今はそれどころではない。ルリはサブロウタに訊く。
「タカスギ少佐。軍の対応は今どうなっていますか?」
「統合軍は大慌てで艦隊を編成してますよ。編成が終わり次第、全速力で火星に向かうはずです。宇宙軍も歩調を合わせるっていうか、置いていかれまいとして艦隊を派遣するはずなんですが……」
「……私たちに、声はかかっていない……と」
 この状況で、手をこまねいて見ているだけなんて……苛立ちを露わにするルリに、ハーリーが恐る恐る声をかけてくる。
「いや、でも仕方ないじゃないですか。ナデシコBはこの通りまだ修理中ですし、クルーだって足りないんですよ」
「でも、敵がイネスさんをそう簡単に諦めるとは思えません。『草薙の剣』の人たちだってまだ戦ってるはずです。それに……これは千載一遇のチャンスです」
 甲院薫が自ら出てきている……この機に奴を倒せばここで全てが終わる。ましてこのチャンス、あのアキトが見逃すとも思えない。
「何か方法が……他の戦艦に乗せてもらうだけでも……アマリリスならあるいは……」
「そんな事言ったってアオイ中佐が困るだけでしょ! ちょっと、サブロウタさんも何か言ってくだ……」

『うろたえるなっ!』

 がたーん! と椅子がひっくり返り、派手な音が響き渡った。
 突然、目の前一杯に巨大なウィンドウが現れ、驚いたハーリーが転倒したのだった。ルリもサブロウタも、ハーリーのようにひっくり返りはしないまでも、その人物がいきなり通信を入れたきた事にかなり驚いていた。
「テン……ミスマル准将さん、っすよね?」
「ユリカさん……急にどうして?」
 その人物――――ミスマル・ユリカ准将はその場の三人を見渡すと、昔と変わらないよく通る声で言った。
『お父様……ミスマル総司令たちと、話をつけてきたの。今動けないナデシコBの代わりに、ナデシコCを動かす事が上のほうで認められたよ。超音速機をもう手配したから、みんなは今すぐヨコスカ基地に来て、ナデシコCに乗り込んで頂戴』
「本当ですか。でもクルーは……」
『それも大丈夫。さっき私の名前で、独立ナデシコ部隊のみんなに招集をかけた。みんな続々と集まってきてるよ』
「おお、あの人たちが来てくれるか! こいつは心強いな」
 サブロウタが喜色を露わにしている。確かに皆とナデシコCの力があれば、十分この事態にも介入できる。
『出撃準備が完了するのは、明朝0800マルハチマルマル。他の艦隊とは一足遅れる事になるけど、それまでにはみんなも準備を終えておいてね。じゃあ、ナデシコCで会おうね』
「……会う?」
 ルリは目を細める。それはまさか……と言いたげなルリに、ユリカはその通りだと言わんばかりの笑顔を浮かべて、

『独立ナデシコ部隊は、これから私の指揮下に入ってもらいます! 私が提督ですっ! ぶいっ!』

 お得意の『ぶい』サインで、そう宣言したのだった。










あとがき(なかがき)

 今日も今日とてストレスに苦しむ『草薙の剣』ご一行と、戦局の新たな動きでした。いよいよユリカとナデシコ部隊が本格参戦です。

 なんだかイネスさんが敵意剥き出しですが、これは平(へー)さんの『The Prince of Darkness episode Akito』から設定をお借りしたものである旨をここに申し添えておきます。あれを読んで本作のイネスさんのエピソードを思いついたもので。
 事前に承諾を取りたかったのですが、連絡が取れないので申し訳ありませんが掲載を優先させていただきました。平(へー)さん、もしこれを見たらご一報いただけると幸いです。それといいネタをありがとうございます。

 今回の話にはDC版ゲームの要素がいくつか入っているので、未プレイの方のために一応補足しておきますと、DC版にはTV版に搭乗したアクア・クリムゾンの腹違いの姉である、シャロン・ウィードリンが黒幕として搭乗しますが、序盤でどこかの国の政府関係者らしい男と通信で「あなた方の国の関与が公になる事はありません」的なやり取りがあり、またラストでアカツキも「今回の件には某国の陰謀が絡んでいたって話もあるけど、今じゃ全ては闇の中だよね」とどこかの国が黒幕である事を示唆していますが、結局ゲーム内で複線が回収される事はありませんでした。
 多分続編への伏線として残したのでしょうが、結局未回収のまま現在に至るので、こうして使わせてもらいました。最近佐藤龍雄監督がナデシコの続編製作を仄めかしたと聞きますが、実現したら回収されるのでしょうか。

 今回本編はわりと早くに完成したのですが、Blenderのモデル作成、特に和也と楯身の戦闘服回りの作成に大きく時間をとられてしまいました……これだけはどうしても外したくなかったもので。

 次回、敵の総大将を前に、和也たちはどうしたのか? そして、動き出すユリカとナデシコC!

 それでは、またお会いしましょう。



後編へ続く。







感想代理人プロフィール

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 ゴールドアームの感想



 お久しぶりです。最新作、読ませていただきました。
 イネスさんの態度と葛藤がいろいろ来ました。
 イネスさんに対していろいろあるでしょうが、私はいいと思いました。
 最初はかたくなで、でもアキトのことが出て思わず自分のことに気がついて。
 
 ……まあ、イネスさんも実のところ、額面通りに憎しみがあったわけじゃなくて、理性と感情の乖離を納得させられる理由を見失っていただけなんでしょうけど。
 
 そして始まる戦い。先が期待出来る引き。読者を思わず納得させてしまう語り。
 続きが楽しみです。この期に一度読み直してみようかな。
 
 
 ただ、最近出先で携帯から読むことが多いと、Actionのフォーマットは古いので読みづらいんですよね。これは仕方ないことですけど。
 
 今度せめてPCサイトビューワーで読めるフォーマット研究してみようか。
 私の作品なんか1ファイルが大きすぎて読めないなんて事も。
 
 本気で時代を感じます。そんな中、貴重になってしまった連載維持作品。期待しています。
 
 
 
 私の作品も、まだ書き続けてはいるんですけど、本気で時間が。一日16時間労働しているとマジ時間無いです。
 
 







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