じゃんぷ、とルリのゴーサインの後、目の前が真っ白になり、眩暈にも似た酩酊感に襲われる。
 そう思った時にはもう、彼らは数十万キロを飛び越えた彼方へと艦ごと移動している。こうしたボソンジャンプの過程をルリはもう何度となく経験しているが、この感覚はなかなか慣れるという事がない。
 もちろん、そんな事に頓着している暇などない。すぐさまボソンジャンプを終えたナデシコCの艦内に異常はないか、そもそもここが本当に目的地なのか確認する。と、ハーリーからの報告の声。
「ターミナルコロニー『ウズメ』より正常にボソンアウトしました。艦内各部、異常ありません」
 その声に、ナデシコCのブリッジにはほっと安堵の息が漏れた。どうやら今回は、一年前のように見当違いのコロニーへ飛ばされる、という事にはなっていないようだ。
「先行している統合軍と宇宙軍の艦隊は、今どうしていますか?」
「現在、衛星フォボスの軌道上です。……聞こえてくる通信を聞く限り、スティックニー・クレーター基地は全滅みたいですね……」
『一足遅かった、って事ですか』
 格納庫にて出撃の準備を整えているサブロウタが、通信で会話に割って入ってきた。
 地球で『イワト』から助けを求める通信を受け取り、艦隊を編成して地球を出発。ターミナルコロニーからのボソンジャンプで火星圏に通達した今、最初の襲撃からは正味40時間以上経過している。昔は通常航行で一ヵ月半かかった道程であるわけだし、艦隊を動員して出撃させる事自体がちょっとした一大事業なのだから、決して遅い時間ではない。
 それでも、その40時間は火星を守っていた統合軍にとって致命的であり、火星の後継者にとっては基地と駐留艦隊を全滅させるに十分な時間だったわけだ。
 そして、それが出来るだけの戦力を敵は持っている。
「こういう時に備えて、それなりの艦隊を配備したはずなのに……火星の後継者は、まだどれだけの力を残してるんでしょう……」
「でも、それだけの大兵力を動かしたなら、逆に大打撃を与えるチャンスでもあります。私たちも早く火星へ向かいましょう」
 火星の後継者にとっても、これは乾坤一擲の大作戦のはずだ。これを挫けば戦局を決定付けられる。このチャンスを逃すつもりは、ルリにはなかった。
「はい。火星到達時刻は、最短ルートで12時間47分後になります。この分だと火星極冠に到着する前に、先行してる艦隊と合流できますが」
「しません」
 突然発せられた言葉に、誰もが「ええ?」と振り向いた。
 それまで黙って聞いているだけだったミスマル・ユリカ准将は、ここに来て意外な決定を下していた。
「ナデシコCは、統合軍艦隊とも、宇宙軍艦隊とも合流せず、独自の行動を取ります」
「で、ですけど、統合軍も宇宙軍も、全速力で『イワト』に向かってますよ。中で抵抗してたり、捕まったりしてる人たちを助けなくていいんですか?」
「もちろん火星には行くし、『イワト』の中の人たちも助けます。でも艦隊には合流しません。意味がないから」
「……艦長……」
 なんとか言ってくださいよ、と言いたげな顔でハーリーがルリを見てくる。
 答えは決まっている。
「提督の決定には従いましょう。きっと考えがあっての事です」
「それはそうですけど……」
 ハーリーはまだ納得できていない。
 ルリは中佐で艦長。そして今ルリの後ろにいるユリカは准将で提督。立場的にユリカのほうが上なのだから、ルリにユリカの決定を却下はできない。
 ルリがナデシコのトップだったはずなのに、今回それをユリカに取られた。ハーリーにはそう思えているらしい。
 遊びではないのだから、ハーリーの子供じみた不満に付き合ってはいられない。とはいえ――――

 ――ユリカさんは、何を考えているのだろう。

 ルリもユリカの真意は測りかねていた。
 彼女らしくもない口数の少なさで何かを黙考しているらしいユリカの面持ちは、ここではないどこかの事を思っているようにルリには見えた。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十七話 裏切りと、裏切りと、裏切りと、そしてまた裏切り 後編



 火星極冠遺跡『イワト』内部――――
 その場で繰り広げられた戦闘の激しさを物語るように弾痕と血痕が生々しく残る通路で、数人の兵士が敬礼を交わした。
 統合軍ではない。ベージュと赤で彩られた制服に、火星と外宇宙への進出を示す『♂』のマークをあしらったそれは、火星の後継者兵のいでたちだ。
「B−6ブロック、異常なし」
「D−3も同じく」
「捕虜の様子はどうだ?」
「今のところは概ねおとなしくしています」
「油断はするな。抵抗するようなら射殺も許可する。残りは引き続き、残敵の警戒に当たれ」
「了解」
 形式ばった会話の後、火星の後継者兵は再び散っていく。敵地らしく緊張した様子は見られるが、その様子は戦闘ではなく警戒のそれだ。

 ――――そんな火星の後継者兵のやり取りを、『草薙の剣』の真矢妃都美は通気ダクトの中から聞いていた。

「聞きましたか、美佳さん」
「……あの敵がやってきたのは、E−8ブロックですね……捕まった人たちは、そこで一纏めに監禁されている、と見るべきでしょうか……」
 そう、神目美佳。
 襲撃から40時間あまり。既に抵抗を試みる兵士たちの銃声も怒号も、悲鳴さえ聞こえない。
 完全に火星の後継者によって制圧された『イワト』の中で、恐らくは『草薙の剣』だけが敵の目を逃れている。
「ようやく捕虜の居場所を突き止めましたね。戻りましょうか」
「……待ってください……あれを」
 美佳が指した先では、また別の敵の一団が廊下を行き交おうとしていた。だが一方が火星の後継者の制服なのに対し、もう一方は妃都美たちと同じ戦闘服姿の四人分隊。その配色と、それを纏った兵士の顔付きは……
「南米連合からの部隊……」
 妃都美が呻くように言う。  南米連合の部隊と火星の後継者の部隊は、すれ違い際に敬礼を交し、そのまま通り過ぎていく。明らかな友軍に対してする態度だ。
「……これで三つ目……確認できただけでも三つの部隊、十二人が敵と内通している……」
 驚きよりも、もはや納得を感じる声で、美佳。
 とにかく見たままを伝えるべく、妃都美と美佳は狭い通気ダクトの中を、音を立てないよう注意しながら張って進む。通信は傍受されて存在を露見してしまう恐れがあるので使えない。今敵に見つかれば、その瞬間全ては終わりだ。


「あなたたち、随分と用意がいいのね?」
 イネス・フレサンジュ博士にそう言われ、露草澪は「はい?」とコミュニケを操作する手を止めた。
 和也たちが通気ダクトの中から敵の動きを探り、直接動けない澪は入手した情報を整理していた、そんな時の事だった。
「こんな隠れ場所を用意していた上、水と非常食、携帯トイレまで運び込んでいたなんて……ルリちゃんの入れ知恵ね?」
 正解だった。通気ダクトを緊急時の潜伏場所として確保しておくのは、ルリの発案によるものだ。和也にとってはあまり思い出したくない話だろうが、そのおかげでこうして命拾いしているのだから感謝せねばなるまい。
「無用になっていればよかったんですけど……ね」
 火星の後継者が大艦隊で攻めてきたあの時……本来ならイネスをつれて脱出するべきだったが、その時はもう中にまで敵に入り込まれていて、和也たちはイネスと共にこの通気ダクトの中へ身を隠すだけで精一杯だった。
 だが和也たちは、事前に『下調べ』――――通気ダクト内を潜伏場所として整備する作業をこっそり行っていた。おかげで澪を含めた『草薙の剣』メンバーとイネスは、敵の手に落ちる事をかろうじて免れている。
「こうなる事が解っていたみたいじゃない。このタイミングであなたたちが来たのも、偶然じゃなさそうね」
「それはその……」
 澪が答えようとした時、「澪さん、戻りましたよ」と偵察に出ていた妃都美と美佳が戻ってきた。
「捕虜の監禁場所が判明しました。E−8ブロックに集められているようです。それと……新たに四人、南米連合の部隊からも裏切った兵士を見つけました」
「やっぱり……心配してた通りになっちゃったね」
 和也たちがここまで入念に準備をしていた理由がこれだ。『イワト』の中には世界各国から兵士が集められている。その中には当然、火星の後継者を支持する勢力が強い国も少なからず含まれている。
 なら、裏切り者が紛れていないわけがない。先日のユーラシア同盟・中華帝国の工作員と和也たちが交戦した事で、もはや『イワト』も安全ではないと統合軍の上は判断したのだろうと、直接そう言われた訳ではないにせよ察しはつく。
 そして結局、その危惧は最悪の形で当たった。スティックニー・クレーター基地が警告も発さないまま陥落したのも、多数の裏切り者が敵襲に呼応して、基地を中から制圧したからに違いない。
「なるほどね。それで地球連合は私の身柄だけでも守ろうと、あなたたちを寄越したわけね……」
 地球人類の結束というのも、存外脆いのね。とイネスはため息を付いていた。
「いや、これもある意味では因果応報か。私も……」
「え?」
「……なんでもないわ、独り言よ」
 イネスが何かを隠すようにそう言った時、ダクトの中を這い進んで和也たちが戻ってきた。



「状況を整理しよう」
 開口一番、和也はそう言い、澪にデータを見せるよう促した。
 澪がコミュニケを操作すると、各々の眼前に現れたウィンドウに情報がテキスト形式で表示された。和也たちが各所で盗み聞いた内容などをテキストに起こしただけだが、澪はきっちりと要点を抑えた上で解りやすく文章化してくれていた。
「まず今、僕たちはこの狭いダクトの中から動けない。『イワト』の中に敵がどれだけいるかは不明。見た感じでは疎らだったけど、そもそもここは広いからね……全体では数百人規模と考えるべきかも」
「それと、敵側に寝返った統合軍の兵士もいますな。確認できたのは十二人のみでありますが、これで全部ではありますまい」
 どのみち戦力差は比べるべくもありませぬが、と言い、楯身は続ける。
「一つ幸いなのは、敵は我々がもう『イワト』から逃げ出したと思っているらしい事ですな。おかげでこうして策を練る時間だけはあるわけでありますが」
 最初のころは火星の後継者もイネスを探せと血眼で捜索していたが、丸一日が経つと妙なほどあっさりと諦めた。きっとイネスはもうボソンジャンプで逃げたと、勝手に判断してくれたのだろう、と和也たちは思っていた。
「それで帰ってくれれば助かったのですけど、さすがに甘くありませんわね。敵は今も下のほうに重機を持ち込んで、何かしているようですわ」
 何をしているのかはガードが固くて探れませんでしたが、と美雪。
 てっきりイネスを連れ去りにきたものと思っていたが、こうもあっさり諦めたところを見るとそれが最重要目的ではなく、本当の目的は別にあるようだ。
「やはり目的は、最下層に安置されている遺跡の中枢――――ボソンジャンプの演算ユニットを持ち去る事、でしょうか」
 妃都美が口にした推論は、恐らく全員が同じ事を考えていただろう。
「……フレサンジュ博士。差し支えない程度に聞きたいんですが、この一年で何か新しい発見とかはあったんですか?」
 イネスがボソンジャンプの制御に関わる何らかの発見をしていれば、それを狙ってくるのも解らないではない――――と思って和也は聞いたのだが、イネスは首を横に振った。
「これと言った発見は何もないわ。解ったような解らないような……ただ、私もそう質問してみたい人が一人だけいるわね。あなたたちもよく知っている人ではないかしら」
 イネスの示唆した人物には、確かに和也たちも心当たりがあった。
「ヤマサキ・イサオ博士……ですか」
「彼は私たちと違って、倫理も人権も無視した強引な実験を繰り返して、無理矢理にボソンジャンプを制御しようとしていた。その成果は一年半前の第一次決起で示された通りよ。かなり上手くいっていたと言わざるを得ないわ。……彼の実験データは身柄と一緒に軍が抑えたけれど、彼の頭の中に私たちも知らない何らかの知識が眠っていても不思議ではないわね」
「で、そのヤマサキのあんちゃ……じゃなかった。博士が、今は向こうに奪い返されちゃってる、と」
「おいおいおいおい、やばくねえ? ほっといたらとんでもない事になるんじゃねえのか」
 割と冷静に言った奈々美に、烈火は対照的に慌てていた。
 ボソンジャンプの演算ユニットを持ち去って、それでどうする気かは判然としないが、あの甲院薫が何の根拠もなく大軍を動かすとも思えない。彼にとってこの作戦は、大きなリスクを犯すだけの価値があるという事は確かだ。
「ででで、でもよ。あの後『イワト』から地球に救援を求める通信が発せられてたよな。ほっときゃそのうち友軍が更なる大艦隊で敵を――――」
 蹴散らしてくれるぜ、と希望を口にした烈火だったが、「あんた、バカ?」と奈々美に一蹴された。
「あの時はあたしらでさえ隠れるだけで精一杯だったのよ。そんな状況で誰が地球に通信を送れたっての。そもそも、内容も明らかに変だったし」
 スティックニー・クレーター基地の艦隊が本当に抵抗しているなら、敵艦隊が降りてくる前に警告が伝わるだろう。ましてや、職員の脱出など完全に事実と反している。
「ま、十中八九あれは罠でしょうね。あれで地球軍を呼び寄せて、待ち伏せ攻撃で一網打尽って寸法ですわ」
 そう、美雪。
「さっき見てきましたけれど、外の艦隊がかなりダミーに摩り替わってますわ。本物はきっとどこかに身を潜めて、もう待ち伏せの準備完了ですわね、きっと」
 淡々と紡がれたその言葉に、皆が黙り込む。
 本来ならここで友軍が助けに来るまで待ち、戦端が開かれたら捕虜を人質として楯にされないよう救出に動く事で後方撹乱に代える――――という作戦を考えていたが、どうやら前提が崩れかけているらしい。
「友軍艦隊が来るまで、あとどのくらいかな……」
 和也の呟きに、澪が答える。
「解らないけど、あれから40時間くらい経つから……通信を信じて大急ぎで向かってるとして、半日くらいかな……」
「つまり半日後、罠とも知らずにノコノコやってきた友軍は、奴らに壊滅させられるわけだ。なんとか伝えたいけど……伝える方法がない」
 コミュニケでは艦隊まで通信が届かない。『イワト』の通信室は当然敵の制圧下だ。
「聞くまでもなさそうだけど……通信室の様子は?」
 訊いた和也に、自分が確認致しました。と楯身。
「入り口には強固なバリケード。通路には虫型兵器が多数配置されておりました。通信室の制圧はまず不可能でありましょう」
 敵もさるもの。通信室が鍵になると知った上で、重点的にガードしている。既に完全制圧しているはずなのに、慢心など微塵も見せずに備えているあたりは実に甲院らしいと和也は思う。
「状況は芳しくありませんわねぇ……白旗でも揚げます?」
 美雪が茶化した。……思わず、ナイスアイディアだと言いたくなる。
 と、そこへ、
「ちょっと。まさか本当に諦めるなんて言わないでしょうね?」
 そう反発したのは、なんと戦闘員でもないイネスだった。
 ――この人は……戦えない人はさっさと逃げてほしいよまったく。
 和也は内心で毒づく。
 A級ジャンパーであるイネスは、CC――チューリップクリスタルが一欠片あれば単独ボソンジャンプが可能だ。実験用CCの保管場所も解っているし、その気になればボソンジャンプで逃げてもらう事はそう難しくはない。この場の全員は無理らしいが、せめて澪と一緒に逃げてくれれば和也たちもやりやすくはなる。
 が、イネス本人にはその気がないようで……
「ここにA級ジャンパーがいるのよ? その気になればこの施設のどこにでも奇襲をかけられる。この状況において、これは大きなアドバンテージになるわよ」
 協力するから私を使って戦え――――イネスはそう促してくる。逃げるどころか、火星の後継者に一泡吹かせる気満々のようだ。
「あのですね。僕たちの最優先任務としてあなたを守れって命令は今も生きてます。そんな危険な真似を――――」
「ふう……どうもあなたたちは、自分を一兵卒という狭い枠に押し込める傾向があるわね。だから肝心な事を見逃しているわ」
 わざとらしいため息まで付いてのけたイネスに、和也は一瞬ムッとなったが、我慢して聞き返した。
「……肝心な事とは?」
「いいわ。説明しましょう。……そもそもなぜ、火星の後継者は嘘の救援要請など出して、地球軍を呼び寄せる真似をしたのか」
「だから、友軍艦隊を罠に嵌めて……」
 さっき話しただろうと思った和也に、「お待ちを隊長」と、楯身が何かに気付いた様子で止めた。
「そもそも友軍を罠にかける理由からして不可解です。火星の後継者の目的がボソンジャンプの演算ユニットであるなら、友軍は来ないほうがいいはず。ましてや火星の後継者は、地球に気付かれる事なくここを制圧できたはずなのです。そのアドバンテージを自ら捨てるというのは……」
 ここで和也たちにも、イネスや楯身の言わんとする事が解ってきた。
「……あえて危険を冒してでも、火星の後継者には明確な意味での『戦果』が必要って事か」
「恐らく火星の後継者も、ワイン片手に『フッフッフ、我々の計画は万事上手くいく』なんてマンガの悪役みたいな余裕はないんだと思うわ。あなたたちが各地で打撃を与えてきたはずだし、ニューヨークでは一頭である湯沢を殺されている、スポンサーである裏切り者の国からすれば、本当に勝てるのかと疑いを持ちたくなるはずよ」
「その疑いを払拭するために、わざわざ地球軍を呼んだ……確かに筋が通りますね」
 案外その辺に、火星の後継者の弱みがあるのだろうか……と考えるそぶりを見せた和也たちへ、イネスはさらに続ける。
「仮に、火星の後継者の待ち伏せが露呈して、戦果を挙げるどころか逆に大損害を受けたとしましょうか。火星の後継者は敗色濃厚と見た裏切り者の国は、自分たちに累が及ぶ前に手を引くはず。そうなればスポンサーを失った火星の後継者は今度こそジリ貧となり、戦局は大きく好転する」
 そして、この状況でそれを成し得るのはあなたたちしかいない――――イネスはそう和也たちへささやく。
「そうなればもうあなたたちはヒーローよ。火星の後継者に決定打を与え、戦乱を収束に向かわせた英雄ともてはやされ、世論は一気にあなたたちへと傾く。それで木星人の未来も安泰……あなたたちが望んでいるのはそれでしょう? こんなチャンス、今を逃したら次はあるのかしらね」
 イネスの言葉は、和也たちにとって蛇の誘惑のように甘く魅力的な未来図だった。
「まあ……確かに、見方によっちゃあ千載一遇のチャンスよね」
「ここで上手くいけば、オレたちゃはれてヒーローだよな……」
「私たちの働き一つで、戦争を終わらせられる……木星人が救われる……」
「……今日で全てが決まる……オオイソに帰れる……?」
 奈々美、烈火、妃都美、美佳と、唐突に目の前に提示されたチャンスを前に、心が大きく揺れていた。
 そして和也も――――正直、ぐらっときた。
 テロに巻き込まれ、オオイソを追われるように去り、地球の戦地を巡りながら、今日のこの日が来ると信じ、待ち望んで戦い続けてきたのだ。心動かされないではいられない。
「ぬう……しかし通信室に手が出せそうにないのは先刻言ったばかりだ。何をどうしたら状況を動かせるというのだ?」
 普段なら無茶はやめろと抑えに回るはずの楯身ですら、どうしたらいい、と活路を求めてきた。それだけこの提案は捨てがたい。
 そう。どうしたら、何をすれば状況を変えられるか。一番の問題はそこなのだが……
「何をどうするかなんて、本当は皆さんもうお解りになってるんじゃありません?」
 今まで黙っていた美雪が一言そう発すると、しん、と場が静まり返った。
 友軍に状況を知らせるという正攻法が使えないなら、残された手段は一つ。それは澪とイネスを除く全員が内心では思っていた事だった。

 敵の総大将――――甲院薫を倒す。

 それは数で劣勢に立たされた側が起死回生を狙って取る策であり、木星では暗殺の訓練を受けた和也たちが得意とするやり方でもある。
「通信を聞く限り、甲院はここの中央管制室から指示を出してる……確かに、手が出せない場所じゃない」
「奴を守る護衛は……そう多くはないでしょうな。自分を守るために兵力をムダに多く裂くのは、奴の最も嫌うやり方。護衛は最低限に留めるはず……」
 和也と楯身はそう言い交わす。少ない戦力でも、『草薙の剣』の戦闘技術とイネスのボソンジャンプがあれば、甲院を倒す事は不可能ではないと思えた。
「あの……わたしもちょっといい? 中央管制室に行くのなら……そこからでも味方に通信を送れると思う。わたしはあそこで働いてたから解るんだけど、船の誘導をしたりするための通信用アンテナは、通信室のそれとは独立してて……出力は低いけど、味方が近くまで来てるなら、なんとか届くかもしれない」
 澪がそう言うと、「好都合ね」とイネスが割って入った。
「総大将を倒して指揮系統を破壊。味方に通信を送って敵主力を壊滅。一挙両得よ」
 ごくり、と誰かが――あるいは全員が――息を呑む音が聞こえた。
 反対の意見は――――出てこない。皆、自分たちの手で戦乱を終わらせ、木星人を救えるチャンスに手を伸ばしたがっている。
 だが……かといって「よし、やろう」と言えるほどには、まだ和也は決意が固まっていなかった。
「……みんな、もう一度冷静になって考えてみて……戦力差は圧倒的。おまけに敵の大将は『あの』甲院なんだよ」
 そう言った和也に、むぐ、と皆が押し黙る。
「あら、怖気づいたの?」
 そこへ投げかけられる、挑発的なイネスの言葉。
 渋っている和也たちを煽るためのセリフなのは解るが、その渋る理由がイネスにはいま一つ伝わっていない。……というか、これは和也たちにしか解らないだろう。
「……チャンスとリスクを冷静に秤にかけたいだけです。それに……作戦を実行して、危険に晒されるのはここにいる僕たちの命だけじゃない」
「あ……わたしもそれが気になってたんだけど」
 澪が言った。
「捕まってる人たちはどうするの? ……まさか、ほっとくわけにもいかないよね」
 一度独走した火星の後継者兵によって殺されかけた澪は、あの時の自分と同じ状況に置かれた職員と兵士たちを心配している。
 今の火星の後継者はとても信用できない。『草薙の剣』が動けば、見せしめに捕虜を殺す事もあるかもしれないし、ましてや追い詰められれば何をしでかすか解らないのが人間だ。
 だが、イネスは冷徹に言い放つ。
「ここは一殺多生を是とすべきよ。例え捕虜がどうなったとしても手を下したのは火星の後継者。ましてや大将首を取ったとなれば、誰もあなたたちを非難したりしないわ」
「見殺しにしろ……って事ですか……!?」
 澪は絶句していたが――――和也の中の冷徹な軍人としての思考は、イネスにも一理あると感じていた。
『イワト』の職員と兵士合わせて数百人の捕虜。多少の犠牲は仕方ないと切って捨てるには多すぎる。だが甲院を逃がせば、いずれその手にかかって死ぬ人はさらに多い数になるだろう。
 大局的に考えるなら、捕虜を見殺してでも甲院を倒すのは最善手だ。だが……
「でも……あの人たち、きっと助けが来るって信じて待ってるんですよ!? それを見殺すだなんて……!」
「澪殿……」
「澪さん……」
 涙交じりで訴える澪の言葉は、『草薙の剣』メンバーたちの苦い記憶を呼び起こす。
 ――見殺しにされるのは……裏切られるのは、悲しいよね……
「……みんな気持ちがふらつくばかりで、話がまとまりそうにないわね」
 さすがに澪を泣かせた事に罪悪感を感じたか、イネスはバツの悪そうな顔で言う。
「ここは、隊長さんに決断してもらうのが一番早そうね」
「隊長……ご決断を」
 皆の視線が、和也に集中する。
 気持ちがふらついているのは和也とて同じだ。だが隊長として、選択しなければならない。
 捕虜を見殺しにしてでも、甲院を倒すか。
 甲院を倒す千載一遇のチャンスを捨てて、捕虜を救うか。
 あるいは、どちらも無理と断じて動かず、ただ待つのか。
 こんな決断などしたくない。誰かに代わってほしい。だが代わってくれる人などいない中、和也は――――

「――――動く。甲院を倒そう……!」

 和也が襲えた声音で、しかし強く宣言したその瞬間、おお、と驚嘆とも落胆とも付かない声が皆の口から漏れた。
 一方で、澪は悲しそうな目で和也を見、イネスは感情の読み取れない微笑を浮かべていた。
「和也ちゃん……」
「決まりね。その選択には敬意を表するわ。まあ成功さえすれば――――」
「いいえ。僕はどちらも選びません」
 言った和也に、さすがに予想外だったか「え?」とイネスは呆けた顔になった。
「甲院を倒して……捕虜になった人たちも助ける。その前提で作戦を考えます」
「……本気なの? それで失敗したら元も子もないのよ」
 そんなの言われるまでもないと思ったが、和也より先に楯身が口を開いた。
「フレサンジュ博士。ここから先は我々の領分であります……隊長が可能だと申しているのです。ここは信じて、お従いください」
 その一言で、全ては決まったようだった。



「……ねえ、和也ちゃん」
 少し作戦を考える時間をくれないかな――――と皆から離れて一人になろうとした和也に、後ろから澪が話しかけてきた。
「何? 今更問題あり?」
「戦うのは、和也ちゃんたちにとって大事な事だろうから、わたしはやめてとかは言わないよ。ただ……博士さんがちょっとね」
「ああ……」
 澪の言いたい事は、和也にもよく解った。
「失礼。それは自分も聞きたいですな」
 楯身が話に割り込んできた。
「フレサンジュ博士……彼女はどうしても我々を戦わせたいようでありますな。甲院を倒し、ここで火星の後継者を壊滅させる……そこまで出来なくとも、せめて一矢報いたいと思っておられるようで」
「そして、自分もボソンジャンプでそれに貢献したがってる。でないと気が済まないんだろうね」
 ただ嵐が過ぎるのを待っているだけでは嫌だ。自分の手で火星の後継者を、今ここで倒したい――――それがイネスの、復讐心の発露なのだろう。そのためにイネスは和也たちの心を見透かした上で、言葉巧みに誘導していた。
「フレサンジュ博士が僕たちに、戦いたくなるようけしかけてるのは解るよ。解ってるけど……僕たちもチャンスを逃したくなくて」
「同感であります。結局我々も彼女のボソンジャンプの力を利用させていただくのですから、フィフティーフィフティーでありましょう」
 イネスが和也たちを利用してくるなら、こっちもイネスを利用させてもらう――――なんとも嫌な理屈を口にする二人に、澪は悲しそうな顔になった。
「……結局、そんな関係にしかなれないのかな。博士さんだって、本当は悪い人じゃなさそうなのに……」
「よしんば、関係を直す余地があるとしても、事態が落ち着いてからでしょうな。……ああ、そう言えば隊長、自分からも確認したい事があるのですがな」
「……言ってみて」
 楯身が何を聞きたいのかは大体想像が付くが、和也は言わせた。
「隊長は……甲院を討てるのですか」
 想像した通りの問い。
 和也は――――それでも一瞬間を置いて、
「当たり前だよ」
 そう答えた。
「ですか。なら、自分からは何も」
 言って、楯身はダクトの奥に引っ込んでいく。と、澪がおずおずと話しかけてきた。
「ねえ、さっき楯身君、どうして今更あんな事訊いたの?」
「……相手は敵の総大将だし、強い護衛がいるかもって話だよ」
 和也はそう言ったが、澪はいま一つ納得できていない顔だった。
「……本当にそれだけ?」
「それだけだよ……それより、澪も準備して。今度ばかりは澪も銃弾が飛び交う中に放り出されるんだからね」
「う……うん」
 少し強い口調になってしまった和也の言葉に、澪は少し怯えた顔をして戻って行った。しまったと思いながらも、今は和也もそれどころではなかった。
 戦闘服の腰アーマーを開き、中の小物入れから錠剤のビンを取り出す。……中身は空だ。この40時間で何度も服用しているうち、あっという間に呑み尽くしてしまった。

「…………くそっ」

 空のビンを投げ捨て、苛立たしげに呟く。
 甲院を討てるか? 当たり前だ――――その言葉に嘘はない。自分でやると決めたのだから、甲院は必ず討つ――――殺してみせる。
 だが、それが本当に出来るのかと言えば――――
「僕で、あの人に……甲院に勝てるのかな……」
 楯身が心配するのも当然だ。内心では不安で仕方がない。
 でも隊長が不安がっていたら、それは全員に伝染してしまう。弱音なんて吐けるわけがない。
「やるしかないんだ……僕たちで……」



『工作隊より報告致します。『遺産』の分離が先ほど完了。睦月への積み込みに取り掛かりました。間もなく作業完了の予定です』
『イワト』、中央管制室――――その室内を見下ろせる高さにある司令官席で、部下からの報告を受けた甲院薫は、その逞しい身体を揺らして「うむ」と頷いた。

「睦月は当初の予定通り、作業完了次第火星から離脱、帰還ルートに付かせろ。絶対に敵に捕捉されるな」
『了解。我々は一足先に失礼いたします』
 工作隊からの通信が切れると、甲院は傍らの部下に訊いた。
「何か動きはないか」
「先ほど統合軍、並びに宇宙軍の艦隊が火星大気圏へ突入を開始したとの報告がありました。敵は今のところ、我々の計略に気付いてはいないようです」
「このまま運べば、予定通り敵艦隊は壊滅する、か」
 余計なリスクは負いたくなかったが、さすがにこれ以上協力国に疑いを持たれるのはまずい。ここへ向かっている敵艦隊は二百隻を超える大艦隊だが、これさえ地球連合軍全体からすれば一部なのだ。協力国を失えばもう戦えまい。
 結果として順調に進んでいるのだから、それはいいのだが……
「イネス・フレサンジュ博士とその護衛部隊は……まだ見つかっていないのだろうな」
「はい。どこからも異常があったという知らせはありませんし、やはりボソンジャンプで逃げたものと……よしんばどこかに潜伏しているとしても、あれから40時間です。飲まず食わずで相当衰弱しているはずと見てよいかと」
 部下は完全に、もはや『イワト』内に脅威はないと見ていた。彼は決して無能ではないが、さすがに40時間もの間、いるかどうかも定かでない敵を警戒し続けるのは限界がある。
 そんな部下に甲院は、「どうかな」と戒めた。
「私はそう簡単に諦めるような、無能な兵士を育てた覚えはない」
「……」
「油断は大過を招く。全てが予定通り進むとは思わない事だ。貴様ならよく知っているだろう」
「は……一年半前、まさにここで受けた屈辱は、今でも鮮明に思い出せます」
 部下は歯軋りまでして、怒りを表現していた。
 一年半前――――第一次決起の最後の最後で、勝利を掴みかけたその瞬間、ボソンジャンプで現れた敵に全てがひっくり返された。捕虜となるであろう部下の命を担保するため、逃げるに逃げられなかった草壁中将を置き去りに、甲院や湯沢、それに南雲は僅かな部下を連れて逃げ延びた。
 同じ轍を踏むわけには行かない。そのためには……と甲院が思考した、その時。
 ずずん、と僅かな振動と共に、爆音が遠くに聞こえ、中央管制室に緊張が走った。
『こちらA−7ブロック!』
 そして聞こえてきた、兵からの緊急連絡。
『爆発です! 重軽傷者多数、爆発元は不明!』
『こちらG−11ブロック、爆発により三人死亡!』
『R−1ブロック、エレベーターホールにて火災発生! 自動消化システムが作動しません、消化の人手を回してください!』
 矢継ぎ早に爆発や火災の発生を告げる兵の怒鳴り声が飛び込んでくる。
「……あらかじめ仕掛けてあった罠による、敵の混乱と兵の分散を狙ったかく乱――――数の多さからして、準備はこの40時間内より前から進めていたか。起き得る最悪の事態を予期していた、その戦略眼は及第点だな」
 まるで生徒のテストを採点する教官のように、甲院は呟く。
「だが動き出すのは思ったより遅い。決断に迷った減点は大きいぞ……」



「自動消火システムの復旧急げ!」
「消火器が足りないぞ! 誰かもっと持って来い!」
「なに通路塞いでんだ!? その台車を退けろ!」
 通信室に程近い通路の一角で起こった火災を前に、5・6人の火星の後継者兵が右往左往している。ある者は沈黙した自動消化システムを復旧させようと熱さに耐えながら壁面のパネルを弄り、あるいは消火器で懸命に消火剤を噴射するなど、必死の消火活動を行っていた。
『草薙の剣』が、『下調べ』と称して行っていたこの時のための備えは、隠れ場所の整備だけではない。その次――――反撃に備えて、施設内に爆弾を仕掛ける事も同時に行っていた。見つかれば和也たちこそが敵の内通者ではと疑われかねない危険な行為だったが、結果的には狙い通りの効果を発揮した。
 さらに爆弾の中のいくつかには、手製の焼夷薬をセットにした火災を起こすタイプのそれも混ぜてある。『イワト』内部の数十箇所でそれが爆発し、当然自動消火システムも壊しておいた中で、火星の後継者は火災への対処に多くの人手を裂く事を強いられた。
 そこへ――――

「よお、大将ッ!」

 烈火は、無防備に背中を向けた火星の後継者兵へ怒声を浴びせた。
 当然、火星の後継者兵ははっと振り向く。その驚いた顔目掛けて、叩き込まれる烈火の豪腕。殴る事より重い武器を支える事に特化されていても、筋力強化された腕力での一撃だ。折れた歯がポップコーンのように飛び散り、顔の穴という穴から血を噴いて倒れる。
「誰だ!?」
「てきしゅ――――!」
 爆発に火災、そして襲撃と、立て続けの事態に動転する火星の後継者兵。
 その声を断ち切る銃声。烈火の背後から現れた楯身と美佳が、それぞれ二人、計四人の火星の後継者兵を射殺した。
「ひいっ!? だ、誰かあっ! 来てくれ――――!」
 最後に残った一人が、戦意喪失して逃げ出す。放っておけば仲間を呼び寄せるだろうその背中に、烈火が大口径マシンピストルの銃口を向ける。――――が、楯身はそれを掴んで下げさせた。
「作戦を忘れるな。奴は逃がせ」
「おっと、つい癖が出ちまったぜ」
「……通路の先から虫型兵器。ジョロです。その後に続いて歩兵八人、……それと後方からも九人、来ます」
 淡々と、しかし緊張した声で美佳が告げる。とても相手に出来る数ではない。
「予定通りだ。一撃の後、退くぞ」
 恐怖を感じる唸り声を上げて、ジョロのダッシュローラー音が急速に迫ってくる。それが曲がり角から姿を現そうとした刹那、烈火は手にしていたリモコンのスイッチを押し込んだ。
 瞬間、ジョロの真下で爆発。ジョロを破壊するには威力が不足していたが、足の片側三本を根元から吹き飛ばして転倒させ、それに続いていた火星の後継者兵も破片によって少なからぬ死傷者を出した。
「よっしゃあ! ナイスタイミングだぜ!」
 烈火は歓声を上げていたが、痛みを感じないジョロは三本の足をもがれても完全には止まらず、残る足ではいずりながら口の銃を向けようとしてくる。そして後ろから九人の敵も迫っている。
「喜んでいる暇はないぞ、自分が殿になる、急げ!」
「……先に行きます」
 潮時と判断し、楯身たちは出てきた通気ダクトの中へ再び潜り込む。最初に美佳、次に烈火。最後に殿として敵を食い止めていた楯身。
 その楯身の後を追うように、後ろからゴロゴロと恐ろしい音が聞こえてきた。振り向くまでもなく、敵が手榴弾を投げ入れてきたと解った。
「早く行け!」
 切迫した声で叫び、匍匐で出せる限りの速さで前へ進む。
 後ろで破裂音――――辛うじて安全な場所へ身を隠す事が出来たが、それでも飛んできた破片が二・三戦闘服に突き刺さり、充満した煙に激しく咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ……! 二人とも止まるな! この先から出てもう一度攻撃するぞ……!」



 ズズン、と遠からぬ場所での爆音と地響きが伝わり、捕虜を集めている部屋の前で見張りに立っていた火星の後継者兵にも動揺が広がった。
「い、今の近くなかったか……?」
「敵はどこに隠れてたんですか!? 何人!? 武装は!?」
「情報はないんですか隊長!? ねえ!?」
「ええい動揺するな、みっともない!」
 滑稽なほどに狼狽している部下三人に、その三人を預かる分隊長らしい男はうんざりした顔で叱責する。
 見た限り、分隊長の他は実戦経験のないシロウトのようですね――――通路の影から様子を窺っていた妃都美はそう判断した。
 後ろで緊張した面持ちをしている澪に、目を閉じているよう手振りで指示する。澪が素直に従ったのを確認し、妃都美はナイフを静かに抜いて手首のスナップで反転。刃の部分を持って、それを投げ放った。
「こそこそ隠れていた臆病者など恐るるに――――」
 足りぬ、という分隊長の言葉は、あやまたず喉へ突き刺さったナイフによって文字通り断ち切られた。
 突然血を吹いて倒れた隊長の姿に、悲鳴を上げる三人。妃都美はすかさずアルザコン31――室内戦では狙撃銃よりこちらのほうがいい――を構え、そのうちの一人目掛けて発砲。正確に眉間を打ち抜く。
「あそこだ!」
「畜生、よくも!」
 さすがに位置が露見し、二人が妃都美へ銃口を向けようとしてくる。だがその瞬間、二人の真上から通気ダクトの蓋が落下――――それと同時に落ちてきた奈々美は、驚いた顔で振り向いた二人のうち、左の敵の眼窩へ凶悪なアタックナイフの刃を叩き込み、同時に空の右手で右の敵の銃を払う。
「わあああ!」
 無我夢中で撃った弾はあらぬ方向へ飛び、そこから奈々美は右手を敵の顎に押し当てつつ、自分の右足で敵の右足をすくい上げる。大内狩りと呼ばれる、木連式柔の基本技だ。ハンドルを回すように火星の後継者兵の体が回転し、あっさりと床に倒れた。
「さよなら」
 言い捨てるや、頚椎を踏み砕いて殺害――――妃都美と澪を手招きする。
「澪ちゃん、打ち合わせ通りお願い」
「う、うん……」
 強烈な死臭に吐き気を堪えながらも、澪は役目を果たそうと傍の端末にコミュニケを接続。その間に妃都美と奈々美は捕虜が囚われた部屋のドア、その両隣に位置取り、突入エントリーの構えに入る。
「電源系統と消火システムにアクセス……部屋の中で消火剤を噴射、直後に照明を一斉OFF……カウントするよ! 3、2、1、今!」
 澪のカウントと同時に、妃都美と奈々美が放たれた矢のように突入――――大勢の所員と兵士、そして消火剤で泡まみれになり、突然照明が落ちて何も見えないであろう敵がざっと十人。思った以上に多いが、データリンクで狙うべき敵を瞬時に把握できた二人は、その十人を三秒以内に全員撃ち倒した。
「敵兵十名、死亡確認!」
「皆さん立って! 脱出します!」
 いまどき時代遅れな縄で拘束されていた所員たちは、拘束を解くと泡に顔をしかめながらも立ち上がる。長時間の拘束で疲れてはいたようだが、一度ならず同じ事態の経験があるためか思った以上に落ち着いていた。
 問題は兵士たちだ。これから所員を守りながら敵の中を突破する事になる都合上、彼らの戦力は当てにせざるを得なかったが、彼らはさすがに頑丈な電子式の手錠で拘束され、解くのは一手間だ。おまけに何人かは火星の後継者兵の憂さ晴らしに使われたか、暴行を受けたらしいあざや傷のある者も多い。
 だが、それより問題なのは――――
「ちょっとこれ……大丈夫なの?」
「まさかこんな……和也さん……」



「E−8ブロック守備班からの通信途絶! 捕虜が脱走した模様!」
「やはりこちらが本命でしたか」
 届いた報告に、傍らの部下が言う。
『イワト』各所での爆発と火災。そして通信室を狙った散発的な攻撃。本当の目標からこちらの目を逸らすための陽動なのは見え透いていた。
 なら本来の目標はどこかと問われれば、それは甲院のいるここか、捕虜、あるいは脱出のための港湾などとある程度絞れる。なので警戒を促してはいたのだが――――結果として、捕虜を解放されてしまった。
「無様だな。斯様な見え透いた陽動に対応できないとは」
「……面目次第もございません。次があれば、その時までに鍛え上げておきましょう」
 部下は深々と頭を下げる。
 所詮間に合わせの部隊だ。兵の数は艦隊の規模に比して少なく、まして『イワト』に残した兵の大半は実戦経験がゼロ。このような突発的な事態には、警戒を促していても対処できるものではない。
「あの連中を連れてきていれば、大分違っていたのでしょうが」
「この場にいない連中を頼っても仕方がない。今は無駄な犠牲を減らす事だ。三人ほど連れて貴様が直接指揮を取れ。その後の行動は戦術ファイルB−07を参照し、それに従え」
「はっ、お任せください! 行くぞ!」
 部下は三人の護衛兵を連れて中央管制室を飛び出していく。
 これで、この中央管制室の中にいるのはコンソールについて情報を集積しているオペレーターと、護衛兵が二人だけになった。
 それを確認した甲院は――――椅子に背中を預け、目を閉じ、両手を組んで、何かを黙考するそぶりを見せた。

 瞬間――――突如銃声が轟いた。

「な――――!」
 背後の護衛兵の驚いた声が悲鳴に変わり、それを連続した銃声が無慈悲に断ち切る。――――そして、響く雷の如き声音。

「甲院――――――――っ!」



 陽動として戦っている楯身たち、そして捕虜を助けに向かった澪たちが敵の目をひきつけている間に、CC保管室を制圧してチューリップクリスタルを手に入れるのは、和也たちにとってそう難しくはなかった。
 行くわよ、とイネスが宣言し、そして襲ってくる一瞬の奇妙な酩酊間。
 和也としては五年ぶりとなる単独ボソンジャンプの感覚が過ぎ去り、開けた視界に中央管制室と、数人の火星の後継者兵――――そして甲院の姿を認識するや、和也は脱兎の如く前に出ながらアルザコン31を発射、護衛兵であろう甲院の両脇に立つ二人を撃ち倒す。

「甲院――――――――っ!」

 叫び、甲院に銃口を向ける――――しかしそれより早く、甲院は弾かれたように席を立ち、司令官席から下のオペレーターたちの階へと身を躍らせた。
 ――速い……!
 残る全弾を連射――――全ての弾が傷さえ負わせられずに終わる。
「ち……!」
 舌打ちし、弾切れになったアルザコン31を手放し、腰の88式木連型リボルバーを抜いて――マガジン交換よりこちらが速い。今は0・1秒でも惜しい――甲院を狙おうとした。だがここでオペレーターも状況が把握できてきたか、席を立って拳銃を撃ってきた。慌てて身を隠し、銃撃から身を守る。
 一気に制圧し損ねた――――最大のチャンスを逃し、歯噛みする和也。
 仕方なく先にそちらへ対処――――反動による銃口の跳ねマズルジャンプを利用した薙ぎ払い撃ちで三人を射殺し、自らも下に飛び降りて甲院の姿を探す。
 驚いた事に、甲院は逃げるどころか向かってきた。和也は咄嗟に左手でナイフを抜き、甲院目掛けて振るう。しかし殺すつもりで放った一撃は、甲院の短刀によって受け止められた。――――そこで、甲院が口を開く。
「やはり貴様か、『剣心』――――大きくなった。貴様の十二の誕生日を祝ったのが熱血クーデターの二ヶ月前だった。して、今は十七……もうすぐ十八か」
 和也をかつての暗号名で呼んだ甲院の言葉は、命を狙ってきた敵兵にというより、まるで数年ぶりに再会した親戚のようなそれだった。
 それに対し、和也は――――
「……ええ。お久しぶりですね、担当官……!」
 甲院薫――――戦前から草壁元中将の下、様々な表に出せない裏の仕事を統轄してきた人間であり、和也たち生体兵器の開発計画を取り仕切っていた立場の人物であり――――戦い方を教えた北辰と並んで、和也たちに知恵を授けた人物でもある。
 今でも、少なからず尊敬の念を持っている相手――――楯身が和也に、『討てるのですか』と聞きたくなった理由の一つがそれだ。
 正面から敵対する事に躊躇が無いと言えば嘘になる。だが、今の和也たちにとって彼は敵の総大将。敵と馴れ合う余地などあるわけがない。
「皮肉だな。我々が手塩にかけて育てた貴様たち『草薙の剣』が敵として立ちはだかるか。よほど地球での暮らしは心地よかったか。それとも……我々が貴様たちを裏切り、見殺しにして逃げた事を恨んでの事か」
 刃で組み合ったまま、甲院は話しかけてくる。
「……どちらも否定はしませんよ。でも、あなたは僕たちにこう教えたはずです」
 和也は答える。
「『木星に仇なすもの、害をなすものは、たとえ同胞であろうとこれを討て』。……そして僕たちは、木星人の立場を危うくする火星の後継者こそが、討つべき敵だと判断しました……」
 そのために、
「あなたを……殺します!」
 宣言し、右手の88式リボルバーを至近距離から発射。それを甲院は右足を軸に身体を回転させて避けた。
 ヴオッ、と音を立てて迫る甲院の左裏拳を腰を屈めて交わし、左手のナイフを一閃。これもバックステップで避けられるも、和也は既に弾切れとなった88式リボルバーを捨てて素手になっていた右手で腰の木連軍刀を掴み、抜刀。ナイフを振るった慣性のままに回転切りを放つ。
「ふっ――――」
 甲院は息を吐き、短刀で和也の軍刀を受けると、それを右から左へと受け流す。和也が剣を振り切ったところで、甲院は和也の首筋目掛けて斬撃を放ってきた。
 返す刀の速さは、和也の長刀より甲院の短刀に分がある。やむなく和也は首を逸らして何とかそれを避け、数歩後退して体勢を立て直す。――――追撃はない。
 ――舐めるな……!
 明らかに本気で殺しにかかってきていない甲院の姿勢に、和也は苛立ちと共に攻撃を繰り出す。

 複雑な足運びによって身体を左右に揺らし、そこから繰り出される見切りの難しい突き技、朧月。
 剣を振るう慣性力と体重移動を最大限に活用し、剣が描く軌道はうねる蛇の如き連続攻撃、蛇蝎。
 剣戟、打撃、足技――――それらを組み合わせた連続技で敵の意識に隙を作り、そこに致命的な一撃を加える搦め手。獄手。
 和也が身につけた、持てる限りの木連式の技術。それらを総動員した攻勢――――なのに、ただの一手として甲院に届かない。
「……鈍い太刀筋だ。心に迷いがあるな、剣心。我々こそが討つべき敵と判断したと言いながら、その判断に確固たる自信を持てないまま戦うから、こうなる。貴様にその剣を預けて逝った奴も嘆いているぞ」
「黙れ……!」
 和也の攻撃を受け、あるいは避けながら、甲院は挑発的な言葉を投げつけてくる。和也は必死なのに、この男は息一つ乱していない……
 かつての木連軍では、上に立つ者はあらゆる技能に秀でた者が選ばれた。戦艦の艦長がエースパイロットを兼ね、高官であるほど木連式を極める。甲院もその例に漏れず、その木連式は達人の域に達していた。一度ならず組み手の相手をしてもらったのだからよく知っている。
 各地の戦地を渡り歩き、実戦経験を積んだ今なら勝てると思っていたが、やはり甘かったか……
 だが、

 ――そもそも、僕一人で相手しようなんて思っちゃいないよ……!

 そもそも、これはルールのある試合ではない、ただの殺し合いだ。勝たねば全てが終わる。
 甲院と一騎打ちで勝つのが難しい事は、最初から予想は付いていたのだ。だからこそ最初の一撃で殺し損ねた時に備え、和也は美雪を伴ってここへボソンジャンプしていた。視線を動かせば間違いなく気取られるので、今どうしているかは解らないが、間違いなく美雪は気配を消して甲院の背後に回り、その喉笛をかき切る隙を窺っている筈だ。
 そして、甲院が和也との戦闘に集中しているであろう今が最大の好機。
 視界の隅で美雪の影が動く。『暗殺者の爪』を閃かせ、彼女が最も得意とする奇襲で背後を付く必勝の態勢。
 ――行ける――――!
 和也が勝利を確信した、その時――――

 ガガガガッ――――! 連続した銃声が届く。

「ぐあっ――――!」
「美雪!?」
 苦悶の声を上げて、美雪が倒れこむ。
「ふむ。『影守』か。相変わらず達者のようだな。ここまで気配を感じさせずに近づくとは。……貴様のような者でも、我々の所業は眼に余ったという事か?」
「……敵と話す舌は持ちませんわ」
 気丈に言い返す美雪だったが、被弾した脇腹から見る間に血が流れ出している。攻撃の気配を察知する事に長けた美雪でも、避け切れないほどの銃弾を浴びたのだ。
 まだ敵が残っていた? ――――その答えはすぐに出た。中央管制室のドアというドアが全て開き、ドカドカと足音も高らかに大勢の兵士が雪崩れ込んできたのだ。その数は、少なく見ても一個小隊、三十人は下らない。これでは少しでも抵抗のそぶりを見せれば、和也と美雪は無数の銃口によって蜂の巣にされるだろう。
「さあ、大人しくなさってください博士」
「く……!」
 動きの取れない和也たちの後ろで、イネスの呻き声。……彼女も身柄を拘束されてしまった。
 だが和也が驚愕したのは、その事ではなかった。
「こ、こいつら……」
「これは、予想以上ですわね……」
「……まさか、ここまで広く根を張っていたとはね……」
 美雪と、イネスさえも、愕然と言葉を漏らした。
 そんな和也たちに、甲院は言う。
「今日のこの事態を予見し、あらかじめ仕掛けておいた爆弾によるかく乱、最重要目標と見なされていた通信室を攻撃しての陽動、そして捕虜の解放。それらを三重の陽動としての断首作戦――――発想としては、悪くはない」
 だが、詰めが甘い――――甲院は、いっそ詰まらなさそうな顔さえして言う。
「貴様たちが勝利のシナリオを描いて作戦を立てている時、敵もまたシナリオを描いている。ゆえに作戦とはその上を行くものでなくてはならない。……そう教えたはずだ。そして、それを左右するのは情報であるともな」
 和也たちに座学の教官として知識を与えていた時、そのままの態度で甲院は言う。
「友軍が危機に瀕していると気付いて慌てて動いたか……あるいは、私を倒せると思って功を焦ったか。いずれにせよ貴様たちの敗因は、情報収集の不足と、それによる彼我の戦力差の読み違いだ」
 甲院の言う通り――――和也は完全に読み違えていた。
 和也の考えた作戦では、他の皆は捕虜を助け出した後、全員で港湾施設まで逃げ、戦艦の中に立てこもる。その間に和也と美雪で甲院を殺し、混乱に乗じて再びイネスのボソンジャンプで楯身たちと合流し、戦艦ごと再度のボソンジャンプで脱出――――イネスに複数回の単独ボソンジャンプという過度の負担を要求する作戦だったが、少なくなったとはいえ外に多数の戦艦がいる中で脱出するにはこれしかない。だが……

『中央管制室、こちらロークサヴァー2。脱走を図った捕虜と、潜伏していた敵残存戦力の制圧を完了した』
「ご苦労、ドラグノフ中尉」

 聞こえてきた無慈悲な、それでいて聞き覚えのある声が、全てが失敗に終わった事を告げた。
『申し訳ありませぬ、隊長……力及びませなんだ……』
 十二機のエステバリスと敵兵に囲まれ、両手を頭の後ろにやって投降の姿勢を取った楯身の声が、絶望的な響きで和也に届く。
 この作戦で最もリスキーだったのは、和也よりむしろ楯身たちの港湾までの突破だ。これは捕まっていた味方の兵を解放すれば何とかなると思った。
 しかし今和也たちと、楯身たちを取り囲んでいる大勢の敵兵。彼らは、甲院の両脇に立った四人を除いて皆、火星の後継者ではなかった。戦闘服の配色やエンブレムで解る――――
「裏切り者の兵士……こんな大勢いるなんて……!」
 南米、あるいはアフリカの民族主義者――――
 ヨーロッパの分離独立派、あるいはそのシンパ――――
 中東の宗教原理主義過激派――――
 そして、ドラグノフ中尉ら、ユーラシア同盟の超国家主義者――――
 地球の各地域から集まった兵士百人近くが、火星の後継者側に付いた裏切り者として和也たちに銃を向けてくる。まさかこれほど多くの兵士が敵側についているなんて……人類融和を演出するため、世界中から兵士を集めたのが最悪の結果になっていた。
 これほど多くの兵士が敵側についていたのなら、当てにしていた味方は思った以上に少なかっただろう。そして港湾には機動兵器を含む大軍が待ち構えている。楯身たちは両手を挙げるしかなかったはずだ。
 訓練時代からそうだった。和也は……この男に知恵比べで勝った事が一度もない。楯身が和也に『討てるのですか』と聞きたくなった理由、そのもう一つがこれだ。
「大勢は決したようだな。武器を捨てて投降しろ。一度は敵対したとはいえ、手塩にかけて育てた兵士を捨てるのは惜しい。ここで我が軍門に下るなら、今までの事は全て不問とし、それなりの地位を約束しよう」
 ――よく言うよ、熱血クーデターでは僕たちを見捨てて逃げたくせに……!
 完敗だ。悔しいが認めるしかない。経験を積んだ今でも、和也たちは甲院に敵わない……
 それでも。
「――――嫌です。あなたたちのやり方では、もう木星人の幸福は守れない――――僕たちは、あくまでも木星人に仇なす者と戦います……!」
『自分も同感であります。甲院殿、我々に知恵を授けてくださった事は今でも感謝しておりますが……道を誤ったあなた方には、付いて行く事はできませぬ……!』
 和也と楯身で、甲院の勧告を跳ねつける。さすがに甲院も、ほんの僅かに眉根を寄せた。
「『鋼楯』……貴様ほど地球を憎んでいた者もいないと思ったのだがな」
『ええ、そうでしたとも。ですが自分は、地球で多くのものを見ました……あなた方に与えられた情報の中には無かったものであります。それは、今の自分にとって命を賭けるに値するものでありますよ……!』
『私もです。実際に地球に来て、あなたたちが教えてくれたのは地球のほんの一面と知りました。あなたと敵対するのは辛いですが、もうそちらには付けません』
『……木星では役立たずの烙印を押された私を、地球人の友人は受け入れてくれました……彼らは裏切れません……』
『あんたにゃ申し訳ないが、オレたちゃもうこっちの暮らしが気に入っちまったんだよなあ……』
『何でもいいじゃない。今は私らとあんたたちは敵同士なのよ』
 盾身に続いて妃都美、美佳、烈火、それに奈々美が、拒絶の言葉を口にする。
「……『真矢』、『神目』、『烈火』、『豪鬼』。……皆、すっかり感化されたか。だがこの状況、どう切り抜けるつもりだ?」
「言ったはずですよ、甲院。『例え負け戦でも、最善を尽くして戦え。そして、生還を諦めるな』……これもあなたの教えだったはずです!」
 言い放ち、隠し持っていた爆弾の起爆スイッチを入れる。
 爆音。そして衝撃――――この時のために爆発させず取っておいた最後の爆弾だ。さすがに中央管制室の中には仕掛けておけなかったが、その衝撃は床を大きく揺らし、通気ダクトから進入した煙が視界を奪う。これで隙は作れたはず――――!
「美雪、フレサンジュ博士、脱出を!」
 叫び、左手のナイフを一挙動で投擲。イネスを拘束していた裏切り者の兵が喉を切り裂かれて倒れ、同時にもう一人も美雪の拳銃によって撃ち倒された。自由になったイネスの元へ、和也と美雪はボソンジャンプで脱出するべく全力で駆け寄る。戦艦の中にボソンジャンプして、機動兵器を奪えばまだ戦いようはある――――!
「『剣心』、お前はまだ一つ、読み違いをしていたようだな――――」
 その、甲院の声が妙に明瞭に聞こえた、その刹那――――背後で銃声が一発、響いた。
 ひゅっ、と空気を切る音を立て、銃弾が和也の脇を通過する。外した? ――――否、最初から和也を狙っていない。

 瞬間――――ばっ、と鮮血が散り、イネスの体が傾ぎ……そのまま、仰向けに倒れる。

「何を―――――!?」
 白衣の胸を赤く染めたイネスの体が倒れる寸前、それを受け止めた和也は信じられない気持ちで叫んだ。
 イネスが撃たれた。非戦闘員である彼女が撃たれるなど、あってはならない事のはずだった。なのに、甲院の脇に控えていた火星の後継者兵は、躊躇無くイネスを撃った。誤射などではない、完全に狙い済ました一弾だった。
「貴様たちがなまじ強くなったせいだ。逃げようとさえしなければ、殺さずに済んだものを」
 ――まさか……逃げられそうになったら殺してしまえと、あらかじめ命令していたのか……!?
「我々は一度ならず、フレサンジュ博士によるボソンジャンプに煮え湯を飲まされた。もう同じ徹を踏むわけには行かない。ましてや……彼女は次元跳躍の時間移動が制御できた暁には、歴史を改変して我々木星人を消す事を目標としているらしい、と彼らから聞き及んでいる。事実かどうかはともかく、彼女のような危険人物は手に入らないなら殺してしまうに越した事はない」
 和也は、徹頭徹尾自分が読み違えていたと知った。
 火星の後継者は、イネスを生きたまま手に入れたがっている。だからこの場に連れ出しても殺されはしないはず――――それを間違いないと思ってしまったのが間違いだった。
 結局甲院は討ちとれず、イネスには瀕死の重傷を負わせ、仲間は捕らえられ、何一つ状況は好転していない。
 万策――――尽きた。

「終わりだ、『剣心』武器を捨てて投降しろ。この上、部下まで無駄に死なせたくはあるまい」
 甲院の再びの勧告は、この絶望的な状況でただ一つの逃げ道に思えた。
『なりませぬ、隊長! ここで奴らに屈しては――――!』
 叫びかけた楯身が、銃床で殴られ床に伏せる。――ああ、もう本当に、どうにもならない――――

「…………とう……」

 投降を、という言葉が、喉まで出かかる。
 その時――――

「上空にボソン反応!」
「なに……?」
 ここで初めて、甲院の顔色が、曇った。



「ナデシコC、正常にボソンアウト! 位置は火星極冠遺跡上空――――敵艦隊の真っ只中です!」
 本日二度目となるボソンジャンプを経てナデシコCが乗り込んだ先は、敵がひしめく遺跡上空――――
 ルリにとっては非常に既視感デジャブを感じる状況。だがその先まで同じとは行かないようだ。
「敵艦隊の中枢システムに、128重のシステムプロテクトを確認。完全解除まではおよそ六時間を要します」
 火星の後継者はナデシコCのシステム掌握によって、二度も敗北を喫している。今回は前回以上の対策をしてあって当然だ。
 勇ましく敵陣へと単騎乗り込んだはいいが、このままではタコ殴りにされる。しかしそんな状況で、ユリカは満足げに笑みを浮かべていた。
「敵艦隊の識別完了……本当に、八割方がダミーです! 宇宙から見た時は解らなかったのに……」
「『イワト』の様子は?」
「『イワト』の各所で黒煙を確認! 中で戦闘が起きている模様!」
『このムッチャクッチャな戦い方……間違いない、『草薙の剣』の奴らだ! やっぱり戦ってやがったか!』
 格納庫で待機中のエステバリスから通信で割り込んできたサブロウタの声にも、喜色が滲み出ている。
「……ユリカさ……提督の読みは当たっていたようですね」
 ルリは呟く。
 数時間前――――火星軌道に辿り付いた時、友軍艦隊と別行動を命じたユリカは、あの助けを求める通信が罠ではないかと疑っていた。そして宇宙から遺跡の様子を偵察した後、ユリカ自身のナビゲートによる単独ボソンジャンプによって、『イワト』に直接殴り込む事を決めたのだ。
 その時は、かなり揉めた。敵主力は『イワト』を離れているはずだと言っても、全てはユリカの感に基づく推測に過ぎなかったし、それが当たっていたとしてもナデシコCと数機のエステバリスでどうするのかと、主にハーリーが強く反対していた。
 しかしユリカは考えを曲げなかった。こういう自信満々の態度をユリカがする時は外れないと思ったので、ルリは強く反対せず、この無謀とも思える作戦は決行された。
 結果として、全てが当たっていたわけだが……
「総員戦闘配置! エステバリス隊は全機発進後、本艦の直援を! VLSには対艦と対空ミサイル、それとデコイを装填! 敵艦隊のど真ん中を突破して、『イワト』内部に突入します!」
「いや、突入って言っても、臨時編成の陸戦隊じゃまともには戦えないですよ!?」
「問題ありません。突入後はあの子たちが何とかしてくれます。それより、これからナデシコCの制御、全部ハーリー君に預けます」
 さらっと言ってのけたユリカに、「えええっ!?」とハーリーは裏返った声を出した。
「戦闘機動を全部ですか!? それは僕より艦長のほうが……」
「ルリちゃんは電子戦、特に中で戦ってる『草薙の剣』と連絡を取るのに専念してもらいます。指揮は私が取るから、ハーリー君は私の指示通りに艦を動かしてくれればいいよ」
「か、艦長……」
 怯えた顔でハーリーは訴えてくる。第二次決起の時はあまり前に出なかった事もあってか、ハーリーはいま一つユリカの手腕を信じ切れていない。
「大丈夫です、ハーリー君。……ユリカさんを信じて」
「ハーリー君。がんばれ」
 ルリに続いて、なんだか妙に懐かしい声がハーリーを励ました。
「これより高機動格闘戦に入ります! 一応重力制御は気をつけますが、各クルーは安全帯で身体を固定、整備班は危険物の固定を再確認! それと部屋の私物は覚悟してください!」
 アーッ! 作りかけのフィギュアがーっ! というこれまた懐かしいオジサンの声が聞こえ、こんな時だというのにルリの頬が知らず緩む。
「ナデシコC、両舷全速! 突撃ーっ!」
 ユリカの号令一下、ナデシコCの相転移エンジンが唸りを上げる。一年間眠り続けていた連合宇宙軍の切り札は、久々の戦場に歓喜するかの如く敵の真っ只中へと身を躍らせた。
 驚いていたのか少しの間沈黙していた敵艦隊から、レーザーやミサイルが雨霰と降り注ぎ始める。八割方がただのダミーと言っても、二十隻以上は本物。単純戦力では圧倒的不利は動かない。三本のブレードが発生させるナデシコCの強固なディストーションフィールドも、たちまち削り取られるように強度を低下させていく。
「進路このまま、速度、落とすな!」
 それでもユリカは怯まない。ルリもそんなユリカを信じて自分の役目に専念し、ハーリーも悲鳴を押し殺しながら懸命にナデシコCを駆っている。
「進路上に、敵リアトリス級一! 回避機動を取らずに艦首をこちらに指向! 重力波反応増大――――グラビティブラスト来るわよ!」
 懐かしい彼女による報告。共倒れを躊躇しないこの戦い方は無人艦だろう。「かっ、回避……!」とハーリーが回避機動を取らせようとする。
「まだっ! 速度を落とせばタコ殴りにされます!」
「いやでも、避けないとぶつかりますよ!? その前にグラビティブラストが!」
「私の合図で左に艦を傾けつつ下げ舵! それまで直進です!」
 レーザーの着弾で雷のように光るフィールドの向こう、もはやブリッジの窓から艦番号まで読み取れそうなほどに接近した敵のリアトリス級戦艦が、瞬く間に迫ってくる。その艦首部周囲の空間が陽炎のように歪んで見えるのは、重力場が縮退臨界に達し、今この瞬間にもグラビティブラストが放たれようとしている証拠だ。さすがのルリも心臓を死神に掴まれるような感覚に襲われる中、ユリカがタイミングを計るようにゆっくりと右手を挙げ――――
「今! 左ロール50! 下げ舵30!」
「うわああああ! 総員何か掴まってくださあい!」
 敵戦艦の眼前で、ナデシコCの姿勢制御スラスターが全力噴射。艦を傾けながら降下するという、殆どダッチロールのような機動で敵艦との衝突コースから逸れる。
 急な姿勢変更によって起こった、重力制御でも相殺しきれないほどの振動と横Gでシートから振り落とされそうになるのを必死で堪えるルリたち。そのブリッジの数十メートル右という際どいところを、目の前の敵戦艦から放たれた重力場の奔流が通過。
「降下角度このまま、姿勢、戻せ! そして前方の敵艦に向けて対艦ミサイル八発!」
「ですが、もう完全に最小射程範囲ミニマム・レンジを割り込んでます!」
「解ってます! 上方に直進射でいいから、とにかくVLS開け!」
「ひっ、開きます!」
 もはや一も二もなくユリカの命に従い、ナデシコCの姿勢を立て直すハーリー。横の傾きが修正され、先程の敵戦艦がちょうど見上げる位置で、殆どぶつかりそうな距離でルリたちの頭上を通り過ぎて行こうとした刹那、ユリカの凛とした声が響く。
「今です! 撃てえ!」
 白煙を上げ、ナデシコCのVLSから八発の対艦ミサイルが誘導もないまま真上へと飛翔。それは直上、ナデシコCを追撃しようと旋回を始めていた敵戦艦に完璧なタイミングで突き刺さり、両舷のエンジンブロックを粉砕。戦艦が制御を失ったところへ、後方から追いかけてきたカトンボ級無人駆逐艦が、避けきれずに横腹へ突っ込んだ。
 二隻の相転移エンジンと弾薬が誘爆を起こし、巨大な火球が現出。後方の敵艦隊は二次被害を避けようとバラバラな方向に回避機動を取り、追撃の手が目に見えて鈍る。
「敵艦隊が混乱している今のうちに、『イワト』の港湾に突入します! エステバリス隊はナデシコについているように! ルリちゃんは中の状況把握を急いで!」



 中央管制室では、外で始まった戦闘の様子が大スクリーンに克明に映し出されていた。
 ナデシコC一艦に翻弄され、統制を乱す友軍艦隊。通信回線からもワー、キャー、ヒー、と形容するしかない混乱した声が垂れ流されている。
「我々の前に立ちはだかるのは、やはりあの艦か……」
 さすがの甲院も、ほんの僅かに眉根を寄せて怒りを見せている。ボソンジャンプで火星遺跡上空に現れたナデシコC……甲院からすれば、一年半前のリフレインだ。
「しかし妙だな。いかなナデシコとて、もう一年半前のように一瞬でのシステム掌握は出来ないと承知しているだろうに、なぜ飛び込んできた?」
「……ナデシコ……ホシノ中佐? 助けに来てくれたっていうのか……?」
 半ば茫然自失の状態で、和也は呟く。誰もがナデシコCの戦いに目を奪われる中、不意に和也、そして美雪の腕を掴む者がいた。イネスだ。撃たれた胸を赤く染め、口からも血を吐きながら、最後の力でボソンジャンプを敢行する。
「む? ……いかん、撃て!」
 ボソンの光に気づいた甲院が射殺を命令。数十の銃口から放たれた暴力の嵐は、しかし届いた時にはもう、和也たちの体はこの空間から消え去っていた。
「仕損じたか……どこまでも我々の邪魔をしてくれる」
 スクリーンの中のナデシコCを忌々しげに見上げ、甲院はふと気づいた。
「なるほど。そういう事か……あの女、秋山が快男児と評しただけの事はある、か……」


 これまでにないほどの強い衝撃が伝わり、両手を挙げる事を余儀なくされた楯身たちにも、何か状況が大きく動いた事は解った。
「おい、何が起きてる? ……敵襲だあ!? 敵艦隊は来ないんじゃなかったのかよ!?」
 楯身たちを取り囲む火星の後継者、その他の敵兵の間にも動揺が広がっていく。
 詳しくは解らないが、こちらに有利な事が起きた――――そう確信できた楯身たちは、全員でアイコンタクトを取る。

 ――反撃に転じる!

 言葉を交わすまでもなく意思は伝わった。楯身は敵の小銃を押し込むように掴んで向けられた銃口を外すと、敵兵の顔面を殴って怯ませる。そして敵が銃を奪われまいとする力を逆利用して、反時計回りに回転しつつ押し倒して銃を奪う。
「うおおおおおおお!」
 吼え、フルオート射撃。殆ど適当に撃った弾は、しかし至近距離で油断していた敵兵を数人まとめて撃ち抜いた。
「こいつら、悪あがきしやがって……!」
「エステバリス! 撃て! 奴らを鎮圧しろ!」
『しかし、まだ生きている味方が! それに捕虜には我が国出身の所員も……!』
 周囲にいる十二機のエステバリス――ユーラシア同盟・新ソ連出身のロークサヴァー中隊――は、この場で絶対優位な立場でありながら攻撃を躊躇している。味方や捕虜に構わず撃てと怒鳴る者、それを止める者――――もともとバラバラな国の出身で、火星の後継者と合流したばかりで指揮系統も統一されていない。多国籍部隊の弱みが、今度は敵に出ていた。
 だが、それもいつまでもは続かない。
「このままじゃ同胞が死ぬぞ! 捕虜なら10人も残ってればいい、撃て! 撃っちまえ!」
『ぐうう……っ! すまない同士! 偉大なる祖国のために死んでくれ!』
 敵のエステバリスが、意を決してラピッドライフルを向けてくる。手当たり次第に撃つつもりか……!
「させぬ……!」
 一か八かエステバリスを止めようと、楯身は手榴弾を手に突撃を試みた。その時――――あらぬ方向から飛んできた砲弾が、エステバリスを背後から穴だらけにした。
『う……わあああああああああああっ!』
 絶叫をスピーカーから垂れ流して向かってくるのは、二機のエステバリスだ。ラピッドライフルを乱射しながら向かってくる、その声は――――
『みんな……無事か!?』
『楯身様、生きてらっしゃいますわね!?』
「隊長……それに美雪! 二人とも生きていたか……!」



 少し前――――

「フレサンジュ博士……も、申し訳……ありません……」
 イネスが最後の力を振り絞って『跳んで』きた先は、和也たちの一応の乗艦だった『フリージア』の艦内だった。そこの廊下で、和也は必死にイネスへ応急処置を施しながら、涙ながらに詫びた。
「まったく……あなたたち、めっぽう強いって聞いてたんだけどね…………」
「ごめんなさい……今の僕たちなら、甲院にも勝てると思った……でもやっぱり、僕たちじゃあの人に及ばないんです……」
「……まあ、あなたたちに戦えって唆したのは私だけどね……さすがにいろいろ想定外だったか……」
「お黙りなさい。体力を消耗しますわよ」
 美雪が苛立ち紛れにそう言ったが、イネスはそれを無視して言葉を継いだ。
「まったくあの男……私が歴史を改変しようとしてるとか、木星人を消すとか……あんな誰が言ったかも解らない噂真に受けて……」
「え? フレサンジュ博士……木星人を恨んでたんじゃ……」
「ええ、憎くて堪らないわよ。今も私をこんな目に合わせて……でも、歴史の改変とか、そんな事考えて、ないわよ……」
 瀕死の身体で、イネスはくつくつと笑う。
「ボソンジャンプを完璧に制御できれば歴史を変えられる。戦争は起きない、全部チャラ……確かに魅力的だったわ。でもね……大切なものまで、一緒に壊しちゃうじゃない……」
「大切なもの……」
「あれから二十数年……天涯孤独の身になって、苦労して、こんなひねくれもののオバサンになって……嫌だ嫌だと思っていても、やっぱり捨てきれないものってあるみたいでね……」
「……ご家族を取り戻せなくても、今が大事だと?」
「そうよ。私がこんな状況でまだボソンジャンプの研究を続けたのも……そのほうが見知らぬ連中に、時間移動を乱用される心配をしなくていいと思ったからだった……」
 イネスが研究をやめたとしても、どうせ他の誰かが続けるだろう。人間の底なしの探究心と欲求は、いつか時間移動の制御も成し遂げる。止めようと思って止められるものではない。そう思った上で、イネスは今ある大事なものを守ろうしていたのだ。
「まあ、ボソンジャンプを制御する事が火星の後継者……そして木星人に対する武器になるって考えもあったから、あながち甲院薫の懸念も、間違ってはいないのだけどね……ある意味、因果応報か……」
「そんな……フレサンジュ博士に、こんな応報を受ける因果なんて何も……悪いのは……全部……」
 木星人のエゴじゃないか――――その言葉が喉まで出かかる和也に、イネスはふっと笑いかけた。
「そう思う気持ちの欠片でもあるなら……行きなさい。まだ戦いは終わっちゃいないわ……」
「でも……フレサンジュ博士を置いては……」
「ここにいても何にもならないわよ……仲間を助けて……火星の後継者を倒して……やり遂げて見せなさい。いい木星人もいるって事を、行動で……私に見せてみなさいよ……!」
 死に瀕しているというのに、それを感じさせない意志の強い目でイネスは促してくる。
 和也は涙を拭って立ち上がる。
「解りました……必ず戻ります。だからそれまで、絶対に死なないでください……!」

 あれだけ木星人を憎んでいたイネスが、和也たちにチャンスをくれたのだ。志ある木星人として、それに答えないといけない。
 イネスをフリージアの通路に置いて、和也と美雪は艦の搭載機であるエステバリスに乗り込んだ。機動兵器の操縦は熱血クーデターの時ダイテツジンで出撃して以来だが、機動兵器を有する敵には機動兵器が必要だ。
「みんな聞こえる!? 所員の人たちを連れて、埠頭のほうに向かって! もうすぐここに友軍が――――ナデシコCが突入してくる!」
『ナデシコC!? あの決戦兵器が来たのですか!?』
「あれに乗ればみんな助かる! フリージアにはまだエステバリスが残ってるから、みんなも早く乗り込め! 防衛線を構築するんだ!」
『了解しました、全員こちらへ! 間もなく助けが参ります!』
 楯身たちが裏切らなかった兵の生き残り、そして所員を連れて走り出す。
「澪はなんとかナデシコCに連絡を取って、僕たちがここにいる事を知らせて! それと敵が友軍を待ち伏せている事を伝えるんだ! それさえ伝えられれば僕たちの勝ちだ!」
『う、うん! やってみる!』
「美雪、楯身たちが出撃してくるまで、僕たちだけで支えるよ!」
『はあ、了解! 今日は過重労働ですわね!』
 美雪も不平を言いつつ応戦する。甲院は倒せなかったが、まだ勝ち目が消えたわけではない。
 途端、けたたましい警告音――――敵機接近警報。
「えっ!? うわああああああっ!」
 強烈な横殴りの衝撃――――敵のエステバリスが、和也の機体にタックルしてきた。そのまま内壁に叩きつけられ、押さえ込まれる。
『隊長!』
 和也を案じる楯身の声。
「だ、大丈夫! こいつは僕が何とかする……! 」
『り、了解! ご無事で……!』
 楯身との通信が切れる。すると入れ替わるように、別の声が通信回線から聞こえてきた。
『何とかするとは大きく出たな、コクドウ君。操縦時間ゼロの君に私を墜とせると?』
「その声は……ドラグノフ中尉! あなたはこうなる前に殺しておきたかった……!」
 咄嗟にイミディエット・ナイフで反撃――――あっさりと避けられる。そのまま互いに砲撃の応酬を交しつつ、手近な艦艇の陰に身を隠す。
『その口ぶり。私が火星の後継者に付いていると気付いていたか?』
「ついこの前、中華帝国の工作員とやりあったばかりなのでね……同じユーラシア同盟である新ソ連出身のあなたたちを疑うのは当然だ。それに……その肩の銃傷。あなたは『高天原』を脱出した後、ナデシコBの中で森口派のメンバーに撃たれていた一人ですね」
 ラピッドライフルの弾倉を交換――――ドラグノフ機の動きをうかがう。
「あの時は特に疑いもしなかったけど、今なら解る……あれは撃たれたと見せかけて彼らを殺させた、自作自演の謀殺。となると……あの事件の本当の黒幕も、あなたたちユーラシア同盟か!」
 火星の後継者を名乗りつつも穏健な路線を取っていた森口派が、演習を妨害しようとメガフロートを爆破する事を、恐らくユーラシア同盟は甲院あたりから知らされていたはずだ。
 そして島が沈まない程度に抑えるはずだった森口派の人間を殺し、被害を増大させて、その上で虫型兵器に襲わせる。烈火と美佳が沈没を食い止めたおかげで被害は抑えられたが、筋書き通りならあの島にいた兵士の大半が死んでいたはずだ。
 最後に捕えられた森口派の三人は、銃を奪って抵抗したと見せかけ殺させる――――これで、森口派が本性を現しテロを実行したという、ユーラシア同盟と火星の後継者の合作によるシナリオの完成だ。
「そうまでして地球と木星の対立を激化させたかったのか! あんたたちのせいで、僕たちがどれだけ追い詰められたか――――!」
『それが君たちの本音か!? 地球連合に平伏し、常に下に見られたまま生きて君たちは満足か!?』
 艦艇の陰から先に飛び出したのはドラグノフ機――――怒声と共に20ミリ砲弾を見舞ってくる。
『かつての我が祖国は、地球の半分を勢力下に納める超大国だった! それが今、非主流派の二等国と見なされている現状は、絶対に我慢ならぬ! 西側の傲慢な論理が支配する地球連合を倒し、引き裂かれた国土を再統合して、偉大なる我が祖国、大ソヴィエト連邦を再建する! そのために必要な協力だ!』
「実に時代錯誤な理想だね! で、それが叶った後はポスト地球連合の椅子を巡って中帝と同盟解消して戦争か!? 実に素晴らしい未来図じゃないか!」
『それも我々が勝てばいいだけの話だ! 地球連合に身売りした快楽主義者に、我々の屈辱など解るまい!』
 ――否定しないよこの人!
 愕然とする和也に向け、ドラグノフ機は牽制射を放ちながら猛然と突進してくる。やむなく和也は射撃が途切れた瞬間に隠れていた艦艇の陰から飛び出し、ラビットライフルをフルオート射撃。が、直角に軌道を変えたドラグノフ機は大回りに円を描きながら和也機の右側に回り込もうとしてくる。
「く……!」
 和也も大きく動いて射撃を裂けつつ、機体を旋回させて応射。だがランダムに速度とベクトルを変えつつ動くドラグノフ機の機動に、照準が追随出来ない。逆に和也機は致命傷こそ避けられているものの、ドラグノフの正確な射撃にガリガリと機体を傷つけられていく。
「だったら……!」
 射撃戦では分が悪いと思った和也は、思い切ってローラーダッシュで肉薄。得意の近接戦に持ち込もうとする。対するドラグノフ機も受けて立つと言わんばかりに向かってきた。
 和也はイミディエット・ナイフを順手に構え、斬撃。ドラグノフ機は機体を横滑りさせてひらりと避け、逆にナイフを繰り出してくる。それを機体を前かがみにさせて避け、機体を半回転させて左のローキック。これは当たった。右足への打撃を受け、ドラグノフ機は体勢を崩す。ドラグノフの意識が下にぶれた刹那、和也は今度こそナイフをコクピットがある胸部に突き入れる。
 ――取った……!
 ガツッ――――! ルナニウムの装甲を貫く重い手ごたえ。やったかと思った。
「な……!?」
 愕然とする。ドラグノフ機は躊躇無く左腕を楯にしてナイフを防いでいた。
 生身の人間なら痛みにひるんでいただろう。だが痛覚のないエステバリスは間伐入れずに反撃してきた。反応が遅れ、蹴り上げをまともに受ける。 
「がはっ!? あ……!」
 強烈な衝撃に一瞬意識が跳びかけ、戦闘服の電気ショックで強制的に覚醒させられる。ブラックアウトしていたスクリーンが回復――――途端、仰向けに転倒した和也機を見下ろす形でドラグノフ機がラピッドライフルを向け、今まさに止めを刺そうとしているところだった。
「くそっ――――!」
 咄嗟に足を振り上げてラピッドライフルを蹴り飛ばす。そして重力波スラスターを全力噴射し、後退しつつ噴射起立起動ジャックナイフで起き上がる。
 ――射撃兵装は奪った……今なら!
 立ち上がると同時にラピッドライフルを照準――――その瞬間、ドラグノフ機が何かを投擲。コンと音を立てて和也機の右腕に引っ付く。
 ――吸着地雷!
 捨てる間もなく、吸着地雷が爆発――――
「うああああああっ!?」
 右腕がラピッドライフルもろとも吹き飛び、また機体が転倒しそうになる。オートバランサーの力を借りて何とか踏みとどまったが、気づいた時にはもうドラグノフ機がイミディエット・ナイフを振りかざして目の前に迫っていた。
「くうっ……!」
 矢継ぎ早に繰り出されるドラグノフの攻撃を、残った左手のナイフ一本で捌きながら、しかし反撃の隙も掴めずじりじりと後退する。
 ――機体の動きが重い……中尉の動きについていけない……!
 ドラグノフは人馬一体、完全に機体を身体の延長として扱っているだろう。和也はIFSが自分の思考を読み取り機体を動作させる、その僅かなラグがどうしても埋められない。
 このままじゃみんなやられる……全滅という最悪の事態がよぎった、その時――――



『くそったれ――――火力が足りねえ! こんな豆鉄砲じゃ物足りねえんだよ畜生!』
『これじゃ、あたしの力も発揮できないじゃない! どうすんのよ!』
 ロークサヴァー中隊に懸命の応戦をしながら、烈火と奈々美がもどかしげに叫んでいる。
 楯身たちが残っていたエステバリスで出撃し、生き残った味方と共に防衛線を構築するところまでは上手くいった。
 しかし、機動兵器同士の戦いとなると操縦経験の差が如実に現れていた。『草薙の剣』は訓練時代には機動兵器の操縦訓練もしたし、熱血クーデターの時は出撃もしているが、それはジンタイプでの事だ。エステバリスとは根本的にインターフェースが異なるし、そもそも機動兵器に乗っていたのでは生体兵器としての能力を発揮できない者も多い。
 対する相手は戦争中からエステバリスに乗っている古参兵揃いの中隊。機体との一体感、連携の取り方、その全てがこちらを上回っている。
 裏切らなかった本職のパイロットが殆ど怪我をしていて、戦力にならないのが痛かった。防戦に徹してなんとか耐えてはいるが、ロークサヴァー中隊の猛攻にじりじりと押し込まれていく。
「く……生身での戦いであれば、自分を楯として突っ込んでもいいのだが……!」
『エステバリスのコクピットの中では、わたくしの脚力も役立たずですわね……』
『私の目も、照準機としての役目を果たしません……! 狙撃が出来れば、和也さんを援護できるのに……!』
『……このままでは、和也さんもやられます……何か手は……』
 慣れない機動兵器戦で誰もが焦燥に駆られるが、打つ手がないまま弾薬を消耗し、確実に追い詰められていく。
 その時、港湾施設のゲートが爆音と共に吹き飛んだ。ナデシコCがミサイルを撃ち込んだのだろうそこから、外の冷たい空気が入り込んでくる。
「まずい! 今ナデシコCが来ては、狙い撃ちにされるぞ!」
 楯身はナデシコCへ危険を知らせようとしたが、突入してきたのはナデシコCではなく、二機のエステバリスだ。

『エステバリス……ハイパワーカスタム! それも二機だあ!?』
『タカスギ少佐じゃない、誰よ!?』
 見覚えのない、オレンジと水色にカラーリングされた二機のエステバリス・カスタムが『草薙の剣』の頭上を通過し、烈火と奈々美が驚きの声を上げる。
 ナデシコCを待ち構えていた、敵エステバリス二機がバズーカを撃ち放つ。ある程度の誘導能力を持つ弾頭は、狭く障害物の多いこの港湾内では回避が難しい。危ないと思った。
 しかしエステバリス・カスタムは、鋭角的かつ最低限の回避機動で難なく砲弾を回避し、逆に水色の機体が左腕の三連ミサイルを発射して一機を爆散させ、逃げようとした一機はオレンジの機体が左肩に装備した二連荷電粒子砲に撃ち抜かれて動きを止めた。
『す……凄い、たった二機であっという間に……!』
『あの二人、タカスギ少佐と同等のエースですわね……』
 驚嘆する妃都美と美雪の前で機体を翻した二機は、見事な連携攻撃でロークサヴァー中隊を追い散らし、撃破していく。散々苦戦していたのが空しくなるような光景だ。
 そこへナデシコCが、後ろをタカスギ機に守られながら港湾内へ進入してくる。そのまま埠頭に接岸し、開いたハッチから数名の武装したクルーが飛び出してくる。
『お待たせしました! 慌てずこちらへ!』
『チームブレード、こちらナデシコC医療班です! フレサンジュ博士を収容にきました、案内をお願いします!』
「了解した! 誰かフレサンジュ博士を迎えに行け! 残りの者は自分と最後に……」
 不意に警告ダイアログが表示される。――どこから忍び寄ったのか、機関銃を装備した火星の後継者兵が、所員のほうへ向かっている!
「しまった! 誰か奴を排除しろ!」
『ダメです! 所員を巻き込んでしまいます!』
 誤射を恐れて動きが取れない楯身たちの前で、火星の後継者兵が機関銃を振り上げる。手当たり次第に撃つ気だ。
『させるかあああぁぁぁぁぁ――――!』
 瞬間、聞き慣れない――――いや聞いた覚えがあるような気がする女の声。
 戦闘服を着た、一人のナデシコCクルーらしい小柄な人間が、まるで弾丸のような速さで、機関銃を持った敵に臆さず向かっていった。そして一瞬のうちに懐へ入り込むと、強烈なハイキックで敵の機関銃を蹴り飛ばした。
 無論、火星の後継者兵も黙ってはいない。即座にナイフを抜いて切りかかってくる。しかし彼女は迫るナイフを持ち手の手首を掴んで止め、捻りあげてナイフを取り落とさせる。そこから――――
「とりゃああああぁぁぁぁぁ――――――!」
 気合と共に放たれる一本背負い投げ。背中から落とされた火星の後継者兵は、あっさりと顎を蹴り上げられて昏倒した。
『ヒューッ! やるじゃねえか!』
『今のは木連式柔ですか!? お見事です!』
 烈火と妃都美が感嘆の声を上げる。と、例の彼女が返事を返してきた。
『まあね。あたしも大したもんでしょ、烈火くん。それにそっちは妃都美ちゃんね』
『え? どうして私たちの名前を……』
『……その声は……そんな』
 何故か、美佳が愕然とした声を漏らした。
『……どうして、あなたがそんなところに……』
『ああ、やっぱり美佳ちゃんには解るか。……あたしよあたし。久しぶりね、みんな』
 彼女がヘルメットを取る。その露わになった素顔を見て――――誰もが悲鳴を上げた。
『ああーっ!?』
『アンタは!?』



 突入してきたエステバリス・カスタムにロークサヴァー中隊が蹴散らされ、ナデシコCへ所員たちが逃げ込んでいく様子は和也からも見えていた。
『なかなかやってくれるな……思えば『高天原』の時から君たちには予定を狂わされっぱなしだ。危険な芽はここで積ませてもらう……!』
 だが、ドラグノフ中尉は和也を生かして返す気はないようだ。戦局が決定的となった今でも、和也へと攻撃を繰り返してくる。
「もう諦めろ、中尉! これ以上戦っても意味は――――っ、うわああああああああっ!」
 ドラグノフ機の回し蹴りを受け、機体が内壁に叩きつけられる。
 ロークサヴァー中隊はもう壊滅寸前で、もう少し耐えればエステバリス・カスタムや皆が助けに来てくれるだろう。が……その“もう少し”が耐えられそうにない。
 あと少しなのに、殺されてたまるか――――額に流れる血をぬぐって、和也が思考を巡らせようとした時――――
『――――コクドウ隊長? 聞こえますか?』
「っ……ホシノ中佐!?」
 通信回線から、凛と響いたルリの声――――敵の妨害を突破したのか。
『ツユクサ上等兵から大体の事は聞きました。すでに友軍には通達済みです』
「澪……やってくれたんだね」
 期待通りの仕事をこなしてくれた澪に、和也は心から感謝した。これで戦略的勝利は確実になった。
『所員の収容は間もなく完了しますから、そちらも早く来てください』
「行きたいのはやまやまなんですが……この人が逃がしてくれそうになくて」
『敵は小隊長クラスですか。戦争中からのベテラン相手に、ルーキーのコクドウ隊長では荷が重いですね』
 さりげなく失礼な事を言い、少し考えたルリは、
『こちらで少し援護してみます。……エステバリスのエミュレーターをオモイカネにロード。これとエステバリスの制御系を並列化して、機体の動きを分散処理・最適化します。IFSのスループットが大幅に上がりますから、反応速度は今の三割増し程度になるはずです』
「……な、なんだか解らないけどお願いします!」
『了解。プロセッサ連結。制御プログラムイニシャライズ、動作最適化開始――――最適化率27パーセント』
 その瞬間、エステバリスの駆動音が明らかに変わった。重かった機体がふわりと軽くなったのを感じる。
 和也のコクピットへ、ドラグノフ機のナイフが突き出される。それを機体を横に滑らせて避け、ドラグノフ機の背中に右のミドルキックを叩き込む―――― 一連の動作が、和也の思い通りのタイミングで実行された。
 ――いける――――!
 お返しに振るわれる左の裏拳を左腕でいなし、ドラグノフ機の頭部に肘打ちを叩き込む。メインカメラが破壊され、サブカメラに切り替わる一瞬の隙に、右腕の間接へナイフを突き込んで破壊する。
「貴様――――っ!」
 頭にきたドラグノフが、死んだ右腕から左手にナイフをもぎ取り、猛然と突進してくる。対し和也は、正面からそれを迎え撃ち、両者の機体が激突する――――と思われた瞬間、和也は左手のナイフを捨て、機体の上半身を沈み込ませた。
「どっせいやああああああああああああ――――――っ!」
 ドラグノフ機の腰に手を回し、突進の勢いを利用してすくい上げるように投げ飛ばす。六メートルの巨体が一瞬宙を舞い、背中から床に叩きつけられた。
「これで終わりです……中尉!」  足の収納スペースから吸着地雷を取り出し、ドラグノフ機の胸部、コクピットの真上に叩きつける。激突の衝撃は中のパイロットにも致命的な怪我を負わせたか、もう地雷を剥ぎ取るような真似は出来なかった。
『おのれ……我が祖国、万歳……!』
 その声を最後に、吸着地雷が爆発。中の人間は金属噴流メタルジェットによって跡形も残らないだろう。
『コクドウ隊長、後はあなただけです。早く』
「今行きま――――ってうわっ!?」
 突然エステバリスの足ががくりと崩れ落ちた。オートバランサーによる補正も追いつかずにそのまま転倒してしまう。
 機体コンディションチェック――――両手両足の間接部に致命的な破損。
『……関節が壊れましたか。さすがにダメージが重なっていたところに、限度を超えた負荷をかけすぎたようですね』
「のんきに解説してる場合じゃないですよ! 機体が歪んでハッチが開かない……!」
 ドラグノフに殴られすぎたか、脱出できずに焦る和也。
 そこへ、がしん、と機体が持ち上げられる感覚――――あのエステバリス・カスタム二機が、和也機の両脇を抱えていた。
『大丈夫? 今回収してあげる。頑張ったねボーヤ』
『小さな火事……それはボヤ。ククク……』
 聞こえてきた年上の女性らしい声と、幽霊のように不気味な囁き声はエステバリス・カスタムのパイロットだろうか。
 ――助かった……みたいだな……
 安堵する。と同時に、ただ助けられるばかりだった自分の不甲斐なさが悔しかった。



「ヒカル機、イズミ機、それとコクドウ機の収容確認。乗り遅れた人はいないみたいです」
「大変結構です! 作戦終了、撤収!」
「了解! ディストーションフィールド再展開、これより敵艦隊を突破――――」
 ハーリーは敵のど真ん中を突っ切るつもりだったが、しかしユリカは「いえ、大丈夫」とそれを制した。ええ? と何度目かの声が上がる。
「甲院薫は有能な用兵家です。彼なら……」
「――っ! 敵艦隊、一斉に反転! 隊列を組み直して離脱――――撤退していきます!」
 ハーリーの意外そうな声。ユリカはそれに答える。
「ここで私たちを追えば、ナデシコCは撃沈できるかもしれないけど……その間にやってきた友軍艦隊によって、彼らも全滅します。本当に有能な人なら私たちに待ち伏せが露見した時点で、目先の戦果よりも戦力を逃がす事を優先してくれるはず。……甲院の有能さに感謝だね」
「……その甲院の旗艦を捕捉。追撃しますか?」
 追撃させて欲しい、と若干の期待含みでルリは訊いたが、ユリカは首を横に振った。
「さすがにそれを許してくれるほど甘くないんじゃないかな。もう十分だよ……戦闘態勢解除。これより友軍との合流を目指します」
 その言葉がユリカの口から発せられた途端、はあああああ、とハーリーは沈み込むようにシートへ身体を預けた。
「しっ、死ぬかと思いました……今度ばかりは本当に死ぬかと思いました……」
 それはユリカの、よく言えば果敢、悪く言えば無謀な戦術指揮に対する抗議とも受け取れるが、ユリカは特に気にした様子もなく、「よく頑張りました」とハーリーを労った。
 しかし、そう言いたい気持ちはルリにも解る。
「提督。成功したのですから文句はないんですが……一つ訊いていいですか」
「ん?」
 ルリは、戦闘開始から気になっていた事を訊いた。



 整備班の手によってエステバリスのハッチがこじ開けられ、和也が外、ナデシコCの格納庫に出ると、あたりは歓喜の渦だった。
『イワト』の所員、そして裏切らずに捕虜となっていた兵士たち。誰もが抱き合って無事を喜んでいる。その中心にいるのは楯身たち『草薙の剣』だ。直接的に助け出したのは確かに自分たちだから、賞賛されるのは悪い気分ではない。
 ――でも、ナデシコCが来てくれなかったら今頃……
 思い出して身震いする。つい先刻、自分は敵の大将に膝をついて、投降する、と言いかけた。自分は敵に屈服したのだ……
 みんなに合わせる顔がない。そう思って皆のところに行けないでいた和也の肩を「よう!」と誰かが叩いた。
「今回も大活躍だったな! 相変わらず無茶なくせに悪運の強い奴らだよ」
「タカスギ少佐……」
 サブロウタも先刻まで、ナデシコCを直援して相当数の敵と戦った後だろうに、疲れた様子を見せていなかった。あのエステバリス・カスタムの二人といい、これがエースの風格という奴か。
 ――僕もこれだけ強ければ……もっと……
「おいとうした、元気ねえな。せっかく助かったんだからみんなみたいに騒げばいいだろ」
「いえ、ちょっと……」
 そこではたと思い出す。助かったといえば――――
「そうだ、博士……フレサンジュ博士は今どこに!? 助かったんですか!?」
「お、落ち着けよ。博士さんは今集中治療室だ……今は会わせてやれないが、ナデシコCの医療班は優秀だ……きっと助かる」
「そう……ですか、僕のせいで……どうか助かって……」
「お前だけが責任を感じる事ない……どうせ博士さんが自分を使えとか言ったんだろ。あの人はそういう人だ……恨んじゃいねえよ」
『そうだよ』
 突然別の声が割り込んできて、和也もサブロウタも、うわ、と驚いた。
『君がコクドウ隊長だね? 始めまして。私はミスマル・ユリカ。このナデシコ部隊の提督をしてます。よろしくね』
「提督? ……は、はい!『草薙の剣』隊長、黒道和也軍曹です!」
 初対面の相手だったが、ユリカの将校服と准将の襟章を見た和也は反射的に敬礼する。
『イネスさんの事は、今は祈るしかないけれど……君たちは最善の行動を取ったと思う。あんなに大勢の人を助けたんだもの。きっと許してくれるよ』
「そうでしょうか……ああ、申し遅れました。救援に感謝します。何とお礼を言えばいいか……ですが、一つ訊いていいですか」
『それって、この作戦、君たちが捕虜を開放して、港湾まで辿り付いている事が前提の作戦じゃないか、って聞きたいのかな』
「はい。僕たちが動かなければ……あるいは普通に捕まっていたら、この作戦は成功しないはずです。ナデシコCは手の打ちようもないまま敵に囲まれ撃沈されていたはずでは」
 他に次善作でもあったのかと思ったが、ユリカはただ『そうだね』とだけ頷いた。
「危険すぎる賭けでは……どうしてそんな無茶な作戦を」
『ルリちゃんやハーリー君にも同じ事を言われたよ。確かに賭けだったけど……信じてたからね。君たちならきっと捕まった人たちを助け出して、港まで来ているって』
「はあ……」
 正直、信じられなかった。会った事もない相手が自分の予想通りに動くと信じるなど、ただの希望的観測ではあるまいか。
「――――っ! 隊長!」
「和也ちゃん!」
 と、そこへ和也の存在に気づいた楯身や澪たちが駆け寄ってきた。
「隊長、よくご無事で……さあ、こちらに参りましょう」
「クルーの人が部屋を用意してくれました。こっちです……さ、早く」
 楯身と妃都美が和也の手を引いて、どこかに連れていこうとするが、和也はそれをやんわりと振りほどいた。
「……みんな……ごめん。結局甲院には勝てなくて……フレサンジュ博士まで……」
「ああ解ってる。話なら聞いてやるから早く行こうぜ」
「そうそう……部屋でゆっくり話しましょ」
 烈火と奈々美が背中を押してくる……が、和也は首を振った。
「でも僕は、もう完全に諦めて、降伏を口にしかけた……みんなに合わせる顔がないよ」
「軽蔑なら後でいくらでもして差し上げますわ。ですから早く行きましょう」
「……失敗は、私たち全員の責任です……皆で懺悔しましょう。ですから、早くこちらに……」
 両脇から美雪と美佳が腕を取ってくる。
「ごめん、今は一人にしてくれないかな……」
「和也ちゃん、今はみんなの言う通りにしたほうがいいよ。……ていうか、ここにいたら本当に危ないよ……」
 戦闘中でさえ怯えを見せなかった澪が、何故かおどおどとした態度で言ってきて、ここでようやく、皆が何かを恐れて和也を連れ出そうとしているのだと解った。
「みんな、何を……」
 刹那――――

「そこにいたかぁ――――――――――――――――――――ッ!」

 突然の掛け声に振り向いた途端、和也の顔面で核爆発が起きた。
 それは戦闘服を着た誰かの跳び蹴りで、まともに食らった和也は「げふっ!?」と派手な声を上げて床に倒された。
「……ああ、遅かったか」
 楯身が頭を抱えている。
 いきなり誰の仕業だ……脳震盪で朦朧とする頭で起きるに起きれないでいると、誰かにそっと助け起こされた。
「ちょっとユキナ! 少しは手加減してあげなさいよ!」
 ……聞き覚えのある声が、聞き覚えのある名を呼んだ。
「このくらいじゃ死にやしないわよ。そうよね、か・ず・や・ちゃん?」
「し……白鳥……さん……!?」
 白鳥ユキナ――――オオイソに置いて来た筈の木星人の学友が、どういうわけか目の前にいる。それも軍正式の戦闘服を着てだ。
 という事は……和也は首を巡らせて、後ろで自分を抱える人物を見る。
「お久しぶりね、黒道くん。……無事でよかった」
「は……ハルカ先生……!?」
 ユキナの保護者にして、第一オオイソ高校の数学教師だったハルカ・ミナト――――彼女までが宇宙軍の制服を着て目の前にいる。おかしな夢でも見ているようだが、ユキナに蹴られた顔の痛みが現実だと教えていた。
「私たちも驚いたんだけど……ユキナちゃんたちは……」
『二人とも、私たち独立ナデシコ部隊の一員なんだよ』
 澪の後で、ユリカ。
「そういうことよ。ぶい」
 してやったりの笑顔で『ぶい』サイン――――もうわけがわからない。
 と、そこへルリが割り込んできた。
『……提督。宇宙軍艦隊より連絡です。友軍は撤退を図る敵主力艦隊を捕捉し、これを攻撃。およそ三割を撃破したとの事です。これより宇宙軍、統合軍の両艦隊は残存する敵の完全な壊滅を図るべく、追撃戦を開始。ナデシコCもそれに加わるよう指令が来ています』
『了解したと伝えて。……聞いての通りだよコクドウ君。君たちが情報をくれたおかげだね。……これより追激戦を開始! ここで敵戦力を壊滅、戦いを終わらせます!』
 和也は疲れと混乱で呆然とする頭の中、体に染み付いた習慣で敬礼を返した。
「……了解!」





第十八話 前編へつづく。






あとがき

 大変お待たせいたしました。17話後編、火星遺跡を巡るもう何度目だかの戦闘と、その顛末でした。

 和也と敵の総大将、甲院薫がついに直接対決。しかし結果は完敗。ナデシコCの助けで結果的な勝ちは手に入れたものの、一時完全に屈服しかけた和也の敗北感はMAXです。

 第二ラウンドはエステバリスに乗っての機動兵器戦です。ベテランパイロット相手に大苦戦した和也ですが、ルリの助けで辛くも勝利しました。
 実はこの小説を最初に考え始めた当時、和也たちはもっと早くに機動兵器に乗るはずだったのですが、話を膨らませるうちに生身での戦いが増え、軍隊格闘なども調べるうち完全にこっち側に傾倒してしまい、今の今まで機動兵器に乗る機会がありませんでした。
 これからは宇宙での追撃戦なので、こういう戦闘も増えると思います。

 第八話であった「こいつら……ユー……」の伏線が七年越しでようやく回収されました。まさかここまで長引くことになるとは……
 やたらと怪我が速く直るっぽいナデシコ世界で、ドラグノフ中尉の半年前に撃たれた跡が残っているか疑問でしたが、まあ跡くらいは残るよねと。
 ユーラシア同盟の思惑や200年前の東アジア戦争の設定もこの頃考えたんですが、当時は「まさかこれはないだろー」と自分も思いつつ書いてたんですが、近年ちとシャレにならなくなってきてるような(汗)。

 で、今回イネスさんが撃たれてしまいました。 
 イネスさんが撃たれる、という展開はだいぶ前から考えてあったのですが、当初の構想とは少し違った物になりました。
 最初は火星の後継者、あるいは木連への復讐のために研究を続けていたイネスさんが撃たれ、意識を失う瞬間に笑っていない母の幻影を見て復讐の空しさを知る、みたいな展開だったのですが、実際に形にする過程でイネスさんの人となりとか考えた結果、こういう形になりました。
 まあ……本質的にはやはり『いい人』だったって事なんでしょうね。
 そして今回思ったのは、つくづくA級ジャンパーという人たちは不憫だって事です。戦争で故郷を追われ、戦争が終わったら今度は拉致され人体実験に使われ、それを免れた人も今なお狙われ続け塀の中……
 イネスさんが研究をやめないのは、こういう状況を終わらせたいってのもあったんでしょうね、きっと。

 今回もまた前回に続き、小説本編よりBlenderのモデル作成に時間がかかってしまいました……
 今回ばかりは敵のボスとの直接対決という節目の回でしたから外せなかったにせよ、次回からはまた挿絵のない話もあるかもしれません。

 そして次回、逃げる火星の後継者を追撃するナデシコC艦内での、『草薙の剣』とナデシコ部隊隊員の出会い。いよいよあの人やあの人も出てきます。

 それでは、また次回。





感想代理人プロフィール

戻る







 ゴールドアームの感想

 ご指名を受けました、ゴールドアームです。

 いや、むっちゃ燃えました。たたみかけるようなアクションとめまぐるしく動く状況。
 そして対峙する師弟。

 今回は、はっきり言って何も言うことがありません。
 余計なことは言わず、ただ楽しむべし。
 それでOKです。



 それでもあえて蛇足を言えば、これですね。

 ――上達しました。

 もはやあれこれ指摘するのがおこがましいところまで行っていると思います。
 堂々と、自信を持って、「俺の書く小説はおもしろい」と誇ってください。
 某中華で一番な料理漫画に、自分の料理を採点するとしたら何点かという問いに対し、主人公とそのライバルはこう答えました。

 満点、それ以外無い。
 自分で満点をつけられない料理を、客に出すことは出来ない、と。
 シード様も、十分その領域に達していると、私は思います。

 これからも、おもしろい物語を期待します。

 

 



※この感想フォームは感想掲示板への直通投稿フォームです。メールフォームではありませんのでご注意下さい。

おなまえ
Eメール
作者名
作品名(話数)
コメント
URL