「……盾身は、偉いよね」
「どうなされたのですか、藪から棒に」
 少し前、不意にそう言った黒道和也に、楯崎盾身は首をかしげた。
「僕は……みんなも大なり小なり同じだと思うんだけど、まだ心がぐらついてるところもあるよね? 今選んだ方向に自信が持てないって言うか……」
「それは、あくまで火星の後継者と戦うと決めた現状について、という事でありますか」
「火星の後継者は許せないし、地球を追い出されるのも嫌だけど……やっぱり、地球連合も許せないし、個人じゃなく集団としての地球人にもやっぱり言いたい事が……ねえ」
 この目的と感情の乖離に、和也たちは未だはっきりと折り合いを付けられないでいる。和也が甲院薫と切り結んだ時も、そこを突かれて何も言い返せなかった。
「だけど、盾身は一度も意思がぶれてないって言うか……迷ってない感じに見えるよ」
 いったいどうしたら、こうもまっすぐでいられるのだろう。そう言った和也に、盾身は「そうでしょうかな」とむず痒そうに苦笑した。
「自分もまた木星人です。隊長と同じ感情は当然自分にも存在します。しかし……こう思いませぬか。この感情は所詮自分のものではない、作り物に過ぎない。そんなものに振り回されるのは空しい事だと……」
「作り物……確かに月を追われたのも、火星で核をぶち込まれたのも僕たち自身の体験じゃないけどさ。尊敬するご先祖様の受けた迫害を我が身の事と思って怒るのも、僕たちが代わりに償わせたいと思うのも自然な事じゃ?」
 訓練時代は誰より過激なほどに地球を憎んでいた盾身だからこそ、本当の地球をこの目で見て、今までの教育とのギャップに衝撃を受けたのかもしれないが……
 ――みんなが盾身と同じような考え方が出来るなら、この世界はとっくの昔に楽園だよね。
「それはそれ、と言いますか……強いて言うのなら、目的かと」
「目的?」
「目標と言ってもよいかもしれませぬ。自分には地球でなければ果たせない目標がある。それを捨てても過去に固執するか、多少苦しくとも過去を切り捨て今を大事にするか、どちらかを選べと言われれば自分は後者を選ぶでしょうな」
 ――ああ、またか。
 盾身の言葉は微妙に目的語が抜けていた。この手の話をすると盾身は大抵このようなぼかした話し方をする。
 そこを問い質すと決まってはぐらかされるのだ。いつもの事なので最近は諦めている。
 代わりに和也は、ふと思った事を口にした。 「過去より今が大事か……そういえばフレサンジュ博士も、今わの際に似たような事を言ってたっけ」
「隊長、博士はまだ死んでおりませぬ……確かに、今の自分になら彼女の気持ちが解る気が致します。……隊長も澪殿のためならば、などと思われませぬか?」
「なんでそこで澪が出るんだよ?」
「いや、解らないのでしたら結構……いずれ隊長も、目標を見つけられる事を願っております」
 くっくっ、と笑いをかみ殺して盾身は言う。
 目標――――木星人のよりよい未来。それだけじゃダメなのか? とその時は思った。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第二十話 離反 前編



 目が覚めると、ベッドの上だった。
 この天井を見上げるのも、何度目だろうか。
 既に嗅ぎ慣れた感さえある、鼻腔を刺激する消毒液の臭いと、それでも消しきれない血の臭い。ナデシコCとBとでレイアウトのほぼ同じこの医務室は、戦闘要員にとっては訓練で怪我をするたび、戦闘で負傷するたび、お世話になる部屋だ。
 中でも黒道和也は、医務室の常連としてメディックの間では専らの評判だ。戦闘以外の時に戦闘より重い怪我をして担ぎ込まれる事が何度もあったというのは不本意極まりないが。
 太陽ライトの光が、ずっと薬で眠っていた目に眩しい。何気なく右手で目の前に傘を作ろうとして、
「……ああ」
 落胆の声。
 見えたのは見慣れた自分の右手ではなかった。ジンタイプの機動兵器に似た、三本指の簡素な義手が右手首から先に繋がっている。  無事な左手で、義手に触れてみる。左手に伝わる、滑り止めのゴムの感触。――――そして右手の義手から伝わる、まるで手袋を二つも三つも重ねた上から触れているような、希薄で鈍い感覚。
 ナノマシンが機械と神経を接合させ、自分の身体の延長として動かせ、感覚もある、昔とは比較にならないほど高性能な義手とはいっても所詮機械、それも安物ならこんなものか。
 慣れないといけないんだろうな、とまだ麻酔が残ってぼんやりする頭で思い、視線を落として、そこで和也は自分の左側に人がいる事に気付いた。
「澪……」
 露草澪が、和也のベッドに突っ伏すようにして眠っていた。身じろぎした和也の気配を感じたか、「ん……」と呻いて顔を上げる。
「あ……か、和也ちゃん! よかったあ……」
「心配……かけたみたいだね」
「そりゃもう……見た事もないくらいの大怪我して、丸一日も目が覚めなかったんだよ」
 丸一日――――そんなに時間が経っていたのか。
 その間、澪はずっと傍にいて和也の身を案じていたのだろう。
「……目が覚めましたか、コクドウ隊長」
 右上から降ってくる、抑揚のない声。
 目を向けるが、声の主が見えない。首を右へ傾けてようやく自分を見下ろすホシノ・ルリ中佐の姿が見えて――――そこでようやく、右目の違和感に気が付いた。
 ――右目が見えてない……
「右眼球と、右手首が欠損。お腹にはナイフが突き刺さり、背中などには打撲。一時は命も危ないほどの重体でした。一応義眼と義手は取り付けましたが、間に合わせの安物なのは我慢してください」
 淡々とした口調で話すルリ。
 自分を治療してくれたメディックに感謝すると共に、もっといい義手や義眼を買おうとした場合にかかる費用の事を思うと気が重くなるが、それよりも和也は気になっていた事を訊ねる。
「みんなは?」
 すると、ルリも、澪も――――言葉を出し渋るように唇を引き結んだ。
「他の五人の人たちは……あなたより軽傷です。みんなもう、治療を終えています」
 そうか、よかった……と安堵の息を吐きかけ、ルリの言葉の間違いに気付く。
「中佐……五人じゃなくて、六人でしょ」
 こんな間違い、中佐らしくもない――――そう苦笑する和也だが、澪とルリは俯く。
「和也ちゃん……」
「タテザキ“曹長”は……」
 おかしな事を言う。楯崎盾身は伍長のはずだ。曹長では二階級上がって、軍曹の和也を追い越す事に――――
 ――二階級特進は、戦死者に与えられる物……
 そこに思い至って、ようやく意識が鮮明になってきた。霞がかっていた記憶も徐々に晴れ、何があったのかを思い出す。
「盾身は……死んだんですか……」
「目を撃たれて……即死でした」
 盾身の全身を覆う、特殊繊維と一体化した皮膚。それに守られていない隙間が目であると奴――――テンカワ・アキトが知っていたはずもない。ほんの少し狙いがずれていれば助かったはずだ。
 いや、運が悪かったとかそれ以前に――――
「コクドウ隊長、私は余計な交戦は避けろと命令したはずです。なぜ勝手に交戦をしたのですか」
 感情の一切窺えない声音で、ルリは問い詰めてくる。
「……通信は不能な状態で、判断を仰ぐ事は出来ない状態でしたから……統合軍交戦規則の特例103条に基づき、奴と交戦しました……」
「私の命令より、統合軍交戦規則を優先したのですか?」
「……はい」
 沈黙。
「……正式な出向でない以上、そっちを優先するのは仕方ないかもしれません。ですが結果として、あなたを含めた皆が傷を負い、タテザキ曹長が失われました。……貴重な戦力を、無駄に損なった責任は重大ですよ」
 無駄――――その言葉が、和也の心に棘となって刺さる。
「艦長…………」
 あまり和也を責めないで欲しい、と言いたげな目で澪はルリを見たが、この場においては責められて当然だった。
 盾身を亡くし、皆を傷つけて、自分も右手と右目を失い――――それで何かを得られたのならまだ救いはある。
 だが実際はどうだ。奴はデータを消そうなどとはしなかったし、本当に必要のない戦闘だった。和也が私情に走り、皆を巻き込んだ結果がこれだ。
「別名あるまで謹慎を命じます。……とはいえ、今はまだここから動かせませんし、決戦がもう間近です。今は体を直す事に専念してください」
 以上です、とルリは言い残し、医務室から出て行く。
 事実上のお咎めなし――――決戦を控えている今だからこその対応だろうが、ある意味、最も精神的に堪える処分だ。
 和也は、罰して欲しかったのだ。
「和也ちゃん、その……」
「ごめん、今は一人にして……」
 慰めか励ましの言葉を捜す澪をやんわりと追い出し、和也はきつく目を閉じる。
 涙と共に浮かぶのは、志半ばで無駄死にさせた、仲間への侘びの言葉。

 ――盾身……ごめん、僕は……隊長失格だよ……



 ――――和也たち三人は気付いていなかったが、そのやり取りはカメラを通じて中継されていた。
 中継先はブリッジ。映像を見ているのは三人だ。
「……艦長にしては、なんか甘い処分ですね」
 実質的な罰を何も科さなかったルリを見て、マキビ・ハリ中尉はそうぽつりと口にした。
 すると、「そうじゃないよ」とハルカ・ミナトは首を横に振った。
「決戦が近いのもあるだろうけど……それより、やっぱり申し訳ないんだよ」
 なにせ盾身を殺したのはアキト。ルリの『家族』――――
 申し訳ない気持ちは、ミナトの中にもある。和也たちがアキトを攻撃したのは、友達である澪の父の仇を討つため――――ミナトたちはアキトの事情を全て知っていながら、一年半も黙っていた。
 事の真相は機密扱いで、ミナトたちにも守秘義務が課せられているなどの事情はあったが、こうなる前に話しておけば状況は変わっていたかもしれない――――そんな風に後悔してしまうのだ。
「やっぱり、話したほうがいいのかな。アキトの事……」
 そうぽつりと漏らしたミスマル・ユリカ准将に、「えっ?」とハーリーは振り向く。
「あの子たち、澪ちゃんのお父さんの事を怒ってアキトと戦ったんでしょ? ……こんな事にもなっちゃったし、本当の事を教えてあげたほうが……」
「いいい、いやいやいや。ちょっと待ってください!」
「どうしたのハーリーくん……なんかあるの?」
 咄嗟に強く反対したハーリーに、その場の二人が怪訝な顔をする。
「ああ、いや、その……け、決戦が間近ですし、全部終わってから話し合うほうがいいんじゃないかなー、と……」
 しどろもどろになりながらも適当な理由をつける。
 それを聞いたミナトは、顎に手を当てて少し考え、「……そうかもね」と頷いた。
「……今これ以上、あの子たちを動揺させる事もないよね……落ち着いてから話し合ったほうがいいか。どうせもうすぐ終わるんだしね……」
「そう……だね」
 ユリカも頷いてくれて、ハーリーは気付かれないようゆっくり、はぁぁぁぁぁ、と安堵の息を吐く。
 言える訳がなかった。アキトがユリカの夫だなんて。
 アキトがターミナルコロニーを襲ったのも、澪の父を殺したのも、ユリカを助けるためだったなんて、いまさら聞かせたところで何を納得させられるのか。ましてやその流れで、和也たちの先輩方を全滅させた相転移砲を、ナデシコとユリカが撃った事まで知られたら?
 考えるだに恐ろしかった。取り返しの付かない事になったら目も当てられない。
 だから、せめて大事な決戦を控えた今は、全て自分の胸の内にしまっておくのだ。全てが終わって、落ち着いた時、ゆっくり話し合えばいいはずだから。
 ――それが一番いい……はずだよね……?



 バーチャルルーム――――本来は長期間の航海におけるクルーの精神的ストレスを緩和するための施設だが、娯楽の他にも用途は多岐に亘る。
 普段は非番のクルーで常に満員のここも、今は状況が状況なだけに閑散としていたが、その一角を占有している一団の姿を認めると、白鳥ユキナは盛大にため息を吐いた。
 山口烈火と田村奈々美。つい昨日酷い怪我を負っていた『草薙の剣』メンバーだ。二人はごてごてしたヘルメット型の機械をかぶって直立不動の姿勢をとっているが、体は動かなくとも彼らは仮想空間に没入しているはずだ。
 コンソールを見てみると、表示されているのは『仮想戦闘訓練』だ。銃器を用いた近接戦闘、ナイフ格闘、果てはエステバリスでの機動兵器戦まで、ありとあらゆる戦闘訓練をかれこれ数時間ぶっ続けで行っているようだった。
 大怪我をした彼らを心配して、ユキナが部屋に様子を見に行ってみたら誰もいなかった。もしやと思ってここに来てみたら案の定だ。
 ユキナはコンソールを操作し、仮想訓練プログラムを強制終了させる。いきなり意識がリアルに引き戻され、「あっ!?」と驚きの声を上げて二人がヘルメットを取り去る。
「誰だコラ!? ……ああ、白鳥か」
「なんか用なの? 今は邪魔しないでほしいんだけど」
 一旦は怒気を見せるもユキナを見て矛を収めた烈火に対し、奈々美は露骨に剣呑な態度で威嚇してきた。
「あのねぇ、二人とも怪我人なのよ? みんな今は体を直す事に専念しろって、メディックの人にも言われたでしょ?」
 そう言われるのが嫌だったから、二人ともコミュニケも持たずに部屋を抜け出したのだろう。
 おかげでユキナはわざわざ探し回るはめになったのだ。二人ともバツの悪い顔になる。
「ナノマシンで傷は塞いだし、毒も中和したぜ。決戦前夜って時に寝てられねえよ」
 烈火は元気をアピールするように体を動かしたが、まだ塞がりきっていない傷の痛みに一瞬顔をしかめたのを、ユキナは見逃さなかった。
 それに、ユキナはその件について伝達事項があるのだ。
「言いにくいけど……次の作戦で、『草薙の剣』は艦内待機しろって命令されたから」
 その言葉に、「なっ!」と二人とも目を見開く。
「おいおいおい、最終決戦でそりゃねえだろう!? エステバリスの操縦なら問題――――」
「ありってユリカさんが判断したのよ」
 無理をして、これ以上友達が死ぬのはあたしも嫌だ――――とユキナが言いかけたところで、それは足音高く歩み寄ってきた奈々美に中断させられた。
「あたしたちが戦力外って事!? 冗談じゃないわ、提督に直接文句言ってやる! コミュニケを貸しなさい!」
「お、おい!」
 さすがに狼狽する烈火の前で、奈々美はユキナのコミュニケを奪い取ろうと手を伸ばす。
 刹那、ユキナは右足を後退させ、体を半回転させる動きで奈々美の手を避ける。すかさず奈々美の伸びた右手を掴み、遠心力も使って引き倒す。次の瞬間には奈々美の体は床に倒されていた。
 木星では兄を追ってエリート街道を爆走していた身だ。木連式にも覚えがある。――――とはいえ、本職の特殊部隊員である奈々美には逆立ちしても敵わないはずなのだが、
「ほら。あたしなんかに倒されちゃうくらい本調子でないじゃない。悪い事言わないから休んでて、ね!」
「畜生……!」
 プライドをズタズタにされた顔で、奈々美はバーチャルルームを出て行く。
 後には、やるせない表情のユキナと烈火が残った。
「なんつーか……面目ねえな」
 アキトに負けてこのような結果になった事と、奈々美の態度とを烈火は詫びた。
「まあ、無理もないんだけどね……烈火くんは、大丈夫なわけ?」
「大丈夫……じゃねえよ。悔しくて死にそうだ……」
 奈々美よりはよほど冷静に見えた烈火だが、やはり胸の内では激情が燃えているようだ。
「仲間を死なせないために強くなるって決めたのに、情けねえよ……あの野郎、今度会ったら……」
 仲間の事を人一倍思いやっているが故の怒り。それが向けられている相手の事もユキナはよく知っているだけに、辛かった。



 ピンポン、とタカスギ・サブロウタ少佐が部屋のインターホンを押しておとないをいれると、「……どうぞ?」と覇気の欠けた声が返ってきた。
 邪魔するぜ、と入室すると、真っ暗な部屋の中に座っている真矢妃都美と、妃都美のベッドの上で上体を起こした神目美佳の姿があった。
「やっぱり二人ともいたか」
「……一人は……不安になりますので」
「というか、女子の部屋に入ってくるなんて、配慮が足りませんね」
「通信を入れても出ないからしょうがねえだろ? ……提督からの伝達事項がある」
 サブロウタは表情を消し、務めて事務的に『草薙の剣』へ待機の命令が出た事を告げた。
「……そうですか。私たちは戦力外なのですね……」
「了解、しました。どのみちこの体では、満足に戦えませんからね……」
 二人の反応は冷静だったが、その顔には明らかな落胆の色が見て取れた。
「一応武装して、即応態勢で待機だ。……場合によっちゃ、怪我を押して出撃もないとは言えないから、準備だけはしといてくれ」
 そう念を押したサブロウタに、二人ははい、と頷く。
 必要な事は伝え終わり、これ以上何を話せばよいかも思いつかないまま退室しようとしたサブロウタだったが、そこへ妃都美が口を開く。
「少佐……私からも一つ、いいですか」
「何だ」
「私たちは……バカな事をしたのでしょうか」
 あいつの事か、とサブロウタは目を伏せる。
「……統合軍交戦規則の点を除けばだが、何の意味も必要性もない戦闘を仕掛けて、結果盾崎を無駄に死なせちまった」
 バカな事をしたって言えばそうだろうな、とサブロウタは容赦のないセリフを吐く。
 この場にハーリーあたりがいれば止めただろうが、きっと今彼らが欲しているのは慰めの言葉ではない。
 澪に代わって仇を打とうとした彼らの友達思いなところは大事にしたいが、今それを言うのは彼らのためにならないだろう……
「盾身さんは反対していました……なのに私たちは、一時の感情に流されて……」
「……お詫びのしようもありません。盾身さんはまだ……何も果たしていなかったのに……」
 あの時思いとどまっていれば。もう無意味な事だと解っていてもそう思わないではいられない気持ちが、二人に後悔の言葉を口にさせる。
 後悔の念があるのはサブロウタも同じだ。
 ――こんな事になるなら、あの時無理にでも捕まえとくんだったか……
 一年半前、第一次決起を制圧した時――――救出されたユリカに会う事なく去ったアキトを、サブロウタたちは黙って見送った。このままいたら間違いなくアキトも捕まるだろうし、何よりアキトはユリカに今の自分を見られる事を恐れていた。サブロウタたちもその気持ちを酌み、引き止めようとはしなかった。
 火星の後継者がその後もしぶとく存続し、戦いが泥沼化するなんて、あの時は思いもしなかった。そのせいかアキトも戦いをやめず――――結果盾身が死んだ。あの時ああしていればと、そう思わずにはいられない。
 だが、後悔を重ねる事に意味はない。
「……いくら後悔したって、過去は変わらねえよ」
「…………」
「俺たちが変えられるのは、今だけなんだ。死んだ奴にしてやれる事は、これからでも報いてやる事だけなんだよ」
「……盾身さんに報いる……どうすれば?」
「そりゃお前らで考えな。俺よりよっぽど付き合いの長いお前らだ。あいつの喜ぶ事くらい、解るんじゃねえの?」
「…………」
「…………」
 それきり顔を見合わせて黙った二人に、「大事にな」と声をかけて、今度こそサブロウタは退室する。
 後ろでドアが閉まると、不意に昔の思い出が、胸の痛みと共に浮かんできた。
 ――死んだ奴に報いる……か。偉そうに言っちまったけど、俺はちゃんと報いる事ができてるのかね。
 かつて、サブロウタがずっと背中を追い続けた、一度として勝てたためしのない男がいた。彼の死の真相と、最後に望んでいた事を知った時、サブロウタは何も知らず、何も考えず、ただ草壁たち戦争指導者に言われるがまま踊っていたバカな自分を悔やんだ。そして、悔やむ暇があるのなら奴に報いる事をしろと秋山に諭され――――今までの価値観も積み上げてきた物も全部捨てる覚悟で、あの熱血クーデターに加わった。
 ある意味で自分の運命を決めたと言える憧憬の男に、自分は少しでも報いる事ができただろうか。死人に口がない以上、その答えは永遠に得られない。
 それを決めるのも、結局は自分自身なのだろう。


 ――和也ちゃんたちを、止めておけばよかった。
 医務室前の廊下に膝を抱えて座り込み、通草澪はもう何度も繰り返し繰り返し、鬱々とした後悔の念に捕らわれていた。
 和也は澪の父の事を我が事のように怒り、仇討ちの機会を待っている――――つい先日、ルリから聞いた事だ。
 ルリは和也たちに余計な事をするなと説得するよう要請したが、澪は特に何も言わなかった。仇討ちを求める感情がまったく無いと言えば嘘になるし、なにより、それから半日も経たないうちにその仇が目の前に現れるなんて、想像もしていなかったから。
 ルリに言われた通りにしていれば、盾身は死なずに済んだかもしれない……そう思うと、まるで盾身の死の責任が自分にあるような気がして、後悔が自責の念に変わり、澪の胸中をかき回すのだった。
 もちろん、同じ責任を和也も感じている事は解っていた。
 何か言うべきかと思ったが、かける言葉も見つからず、そうこうしているうちに追い出され、今に至る。
 どうしてこんな事になったのか、解らなかった。
 どうして盾身のようないい人が殺されなければいけなかったのか、解らなかった。
 どうしてあの人は――――テンカワ・アキトという男は、澪の大切な人を二人も殺したのか、解らなかった。
 澪を狙ったわけじゃない。お父さんも盾身も狙われたわけじゃない。二人とも立場上仕方なく、彼の前に敵として立ちはだかった。だから殺された。
 それは解る――――解ってしまう。澪も和也たちも、立場として敵対したさして憎くもない敵と戦ってきた。彼らにも家族や友達がいて、澪と同じ目にあわせたのかもしれない。
 いまさら非難する資格はないのかもしれない。それでも問い質したいのだ。
 どうして、敵になったのかと。
 どうして、どうして、どうして――――答えてくれる人のいない中、疑問符だけを浮かべていると、不意に医務室のドアが開いた。
「え……和也ちゃん!? ダメだよまだ寝てないと!」
 まだ足元がおぼつかないにも拘らず、医務室を抜け出してきた和也に澪は慌てて駆け寄る。
「他のみんなも傷付いてるんだ……そんな時に、僕一人が寝てるなんてできないよ」
 せめてみんなの様子を見に行かなきゃ、と澪の静止も聞かずに和也は歩き始める。仕方なく澪もそれに付き添った。
「和也ちゃん……調子はどうなの? まだ痛い?」
「麻酔がまだ効いてるせいで少しふらつくけど、地球のナノマシン医療は大したものだよ。傷も大体塞がってるし、痛みもだいぶ消えたよ」
 欠けた部品は、どうにもならないみたいだけどね、と和也。
「右目が無くなって、遠近感が狂ってる。これじゃあ銃を撃つのも難儀だろうね……」
「そんな体でまだ戦うの……? もう終わるんだよ? 他の人に任せておけばいいよ……」
「義手でも剣は振れるし、義眼を付ければ銃も撃てる。まだやれるよ……それに、終わるって決まったわけじゃないんだ」
 和也はこの期に及んで、まだ火星の後継者が何か仕掛けてくるのを警戒しているようだった。
「それって、やっぱり甲院薫って人も和也ちゃんたちの先生だったから――――」
 と、澪が言いかけた時、まだ居住ブロックは先にもかかわらず、和也は足を止めた。
「トレーニングルーム? 今は誰もいないよ?」
「ううん、烈火や奈々美あたりはここにいると思う……あいつらはきっと、部屋でじっとしてやしないよ」
 長い付き合いゆえの経験則でそう言った和也が馴染みの施設に入室すると、戦闘配置で利用者などいないはずのそこには確かに人がいた。
 だがそれは、和也が予想していた人物ではなかった。
「美雪……」
 和也も意外そうな顔をする。  予想していた烈火や奈々美の姿は、影も形もない。代わってそこにいたのは影守美雪一人。
 理由はすぐに知れた。美雪は恐ろしい怒りの形相を浮かべ、『暗殺者の爪』でサンドバッグをズタズタに切り裂いていたのだ。
 その鬼気迫る様子に声をかける事も出来ずに立ち尽くしていた和也と澪だったが、美雪は二人に気が付くと手を止め、目の笑っていない笑みを浮かべた。
「あらあら……のんびりしたお目覚めですわね。いいご身分ですこと」
 開口一番、言葉の刃を投げ付けられる。それは抑えきれない怒りの発露だ。ここまで感情を暴走させた美雪を、澪は――きっと和也も――今までに見た事がなかった。
 こんな状態の美雪とは、さすがの奈々美や烈火でも同室できないだろう。きっとそれで、二人は逃げてしまったのだ。
「満足ですかしら? ずっと殺してやりたいと思っていた相手とやりあえて」
 美雪の吐く言葉は刺々しく、その一語一句が鋭く和也の胸に突き刺さる。
「今、どんな気分なのかしら? 私怨に皆を巻き込んで、そのせいでこんな結果になって」
「…………」
 和也は黙ってそれを聞いている。自分が私怨に任せてバカな判断をしたのは、覆しようがない事実だ。言い返す余地などあるわけもなく、ただ受け止めるしかない。
「やめておいたほうがいい、わたくしはそうお伝えしたはずですわよね? それを押し切った結果がこれですわ。何か仰る事はありませんの?」
「……ごめん」
「は、情けない隊長さんですこと。盾身様よりあなたが――――」
「もうやめてよ美雪ちゃん!」
 たまりかねて澪は叫んだ。
「盾身くんが死んじゃって、悲しいのはわたしもよく解るよ? だからって和也ちゃんをなじってどうするの、悲しいのはみんな一緒なんだよ!」
 和也にとっても盾身はかけがえのない友達だった。それを失って悲しくないはずがない。この上さらに傷口を広げて欲しくなかった。
 だが、美雪は目に暗い光を宿して澪を見やる。
「……相変わらずの良い子ちゃんですわね。同じであってたまるものですか……」
「え……?」
「和也さんがあの男に手を出したのは、そもそもあなたのお父様の――――」
「やめろ美雪!」
 攻撃の矛先を澪にも向けようとした美雪を、和也が声を強くして止めに入る。
「澪が僕たちに一度でも仇討ちを依頼した事があったか? あれは僕が勝手にした事だ、謗るなら僕を謗れ!」
「は! お聞きになりました澪さん!? 大事にされてて羨ましい限りですわ! そんなにお互い大事なら、ベッドに戻って慰め合っていればよろしいでしょう!」
「美雪……」
「美雪ちゃん……」
 もう完全に感情の落とし所を見失っている美雪に、もう何を言えばいいのかも解らなかった。
「ああ、可哀想な人を見る目ですわねえ……でしたら、わたくしを慰めていただけますか!?」
「なっ、おい!?」
 美雪は逆上し、和也を押し倒そうと手を伸ばしてきて――――
 ペロン、とその場の雰囲気に合わない間の抜けたウクレレの音が、全員の思考を一瞬停止させた。
「透明な麺料理……そりゃ、はるさめ……ククク」
 奇妙なダジャレと共に、マキ・イズミがぬうっと入室して来た。元々幽霊じみた風貌の人が唐突に現れ、澪も和也も美雪も一時あっけに取られる。
「……何かご用ですの、イズミさん? パイロットは格納庫待機でしょう」
 少し遅れて口を開いた美雪の声音は、刺々しさはそのままに少しだけ落ち着いていた。それで澪は、先ほどのウクレレとダジャレが場を落ち着かせるための猫だましだったと気付いた。
「わたしがここに来た理由とかけて、リンゴ、ブドウ、栗ととく。そのこころは……」
「きになる……ですか。見ての通りですわよ……他に用がないのでしたら、失礼しますわ」
 ペースを乱されるのを嫌ったか、美雪はイズミの横をすり抜けて出て行こうとする。
 ――――と、不意にイズミの顔から笑みが消えた。
「……カゲモリ、あんたさ」
 それがイズミの発した言葉だと理解するのに、澪と和也は一瞬の間を要した。
 イズミが普通に喋った事も驚きだったが、その後に飛び出した言葉はさらに驚きだった。
「あのタテザキって奴の事、好きだったんだろ?」
「えっ」
「え……」
 予想もしなかった言葉。
 思わず美雪を見やると、美雪もまた思わず足を止めていた。その反応が、イズミの言葉はでまかせではないと語ってしまっていて。
 それに気付いた美雪がはっとし、唇を噛んで震えだす。……そんな美雪を見るのも、初めてだった。
「美雪、お前……」
「…………ッ!」
 何か言いかけた和也を睨みつけ、美雪は今度こそどこかへ走っていってしまった。
 残された澪たちは、後を追う事も出来ないまま立ち尽くす。
 あまりに予想外の事が多すぎて、理解が追いつかないでいると、ペロン、とまたウクレレの音が響いた。
「……とかーく、この世ーは、ままなーらーぬー……、メンタルケアは、あんたの仕事だろ?」
 イズミは遠まわしな言い方で、もう一度話し合ってやれと促してきた。それに気付いた和也がトレーニングルームを飛び出――――そうとした時、スピーカーからハーリーの切迫した声が流れてきた。
『艦内各位に伝達します! つい先ほど統合軍先遣艦隊が予定ポイントにて敵と接触、戦闘状態に入りました!』
 決戦の始まりを告げる知らせ。三人共に体を緊張させる。
『これを受けて宇宙軍本部より、本艦も決戦に加わるよう通達されました! これより全速にて予定ポイント、旧木連軍補給基地に向かい、決戦に参加します! 艦内は警戒態勢パターンAを維持、戦闘要員はいつでも出撃できるよう待機してください! それと持ち場を離れているブリッジクルーは直ちに戻ってください!』
「わ、わたし戻らなきゃ……和也ちゃんは……」
「……僕も武装して待機するよ。出撃させてもらえないのは解ってるけど、部屋で寝てなんかいられない」
 そう言った和也は、少し逡巡を見せて、
「美雪は……後にするしかないか。行きましょう、中尉相等官」
「…………」
 イズミも少し迷ったようだが、結局何も言わずに和也と格納庫へ向かっていった。
 そして澪も、二人と別れてブリッジへ走った。美雪の事は気がかりだったが、多分美雪も格納庫へ向かうだろうし、この決戦に勝てばどのみち戦いは終わる。テンカワ・アキトの事は解らないが、話し合う時間は十分あるはずだ、と――――
 この時は思っていた。



 旧木連軍補給基地――――戦争中期に構築されたここは、本来は資源採掘のためにくりぬいた火星近くの小惑星だ。宇宙軍によって月が奪還され、火星まで戦線が後退する事を見越した木連軍は、ここを五十隻規模の艦隊と、それを稼動させるに必要な物資を備蓄可能な補給基地とした。
 休戦後は特に使い道もないために放棄されていたそこに、一度は火星から散り散りに逃走した火星の後継者艦隊が集結していた。恐らくは最初からそういう手はずで、ここで態勢を立て直してから反撃なり包囲網の突破なり、次の手を打つはずだったのだろう。
 そこへ包囲網を一気に狭めた統合軍と宇宙軍艦隊が襲い掛かった。ナデシコCが戦場に到着した時、既に火星の後継者艦隊は亀のように密集陣形を作り、全方位から浴びせられる砲火になすすべもなく沈められていく状態だった。
「友軍は既に、敵艦隊を包囲しています! 後続の友軍も、続々到着しつつあります!」
「統合軍艦隊、第三次砲撃開始! 敵艦隊、撃沈されていきます! 宇宙軍艦隊も前進、戦況はこちらが圧倒的有利です!」
 ハーリーと澪の報告に、ルリは密かに拳を握り締める。
 これで終わる……今度こそ終わる。また『家族』三人で暮らす日々が戻ってくる。ルリとしては目頭が熱くなる思いだったが、それを見透かしたようにユリカが口を開いた。
「ルリちゃん。まだ何も終わってないよ。システム掌握はどう?」
「……はい、提督。プロテクトの突破には、やっぱり時間がかかっちゃいますが……」
 もうプロテクトを突破するより敵が全滅する方が早いように思えたが、ユリカは何か懸念があるかのように口元に手を当てた。
「うーん……プロテクト外しはそのまま継続。やれる事は全部やっときましょう。エステバリス隊は直ちに発信、制宙戦に参加してください。澪ちゃん、『草薙の剣』のみんなは?」
「完全武装の上、格納庫で待機しています。一応戦闘配置だからって……」
「まああの子たちらしいよね……ちょっと話したい事があるから、回線繋いでくれる?」



 レーザー、グラビティブラスト、破壊的なエネルギーが乱舞し、一発でも高級車を買ってお釣りが来る単価のミサイルが景気良く使い捨てられ、宇宙空間に爆発の花が咲く。
 無音の雷が飛び交う戦場を、三機のエステバリスが駆ける。サブロウタの青いスーパーエステバリスを先頭にアマノ・ヒカルとイズミのエステバリス・カスタムが続く三角陣形を組んで、破壊と敵意が交錯する戦場へ飛び込んでいく。
 一時方向から接近する機影。敵のステルンクーゲルが五機――――
「お出ましだぜお二方! ここにいないガキ共の分まで歓迎してやろうぜ!」
「私この作戦が終わったら……みんなとマンガ書くんだ」
「…………」
 余裕の態度で言い交わし、散開ブレイク。レーダーを照射してロックオンすると、敵機はお手本のような回避機動をしつつレールガンを撃ってきた。この単調な戦い方は無人機か。
「照準が甘い、狙いはこうつけるのだってな!」
 飛来するレールガンの弾体を最小限の回避機動で避け、機体を加速させつつ手にした大型レールガンを撃――――たない。ロックオンだけしてわざと回避させ、敵機が避けた先に撃つ。単純な戦法だが無人機には効果的で、瞬く間に二機が火球へと変じる。
 見るとヒカルは既に二機、イズミも一機を撃墜していた。歴戦の風格を感じさせる鮮やかな手際だったが、勝ち誇る間もなく次の敵機が飛来する。バッタとジョロからなる虫型兵器が約三十――――敵の機動兵器は相当数撃墜されたはずだが、その穴を埋めるように虫型兵器が前に出ている。
 一機に照準を定め、即座に撃とうとしたサブロウタだが、そこへ横合いから砲弾が雨霰と降り注ぎ、多数の虫型兵器を蜂の巣にした。
『ようサブ! 落としてるか!?』
「スバル中尉! まあボチボチっすね!」
 サブロウタの顔に喜色が浮かぶ。
 エステバリス・カスタムで飛んできたのは統合軍のスバル・リョーコ中尉だ。その周囲には彼女が率いるライオンズシックル中隊、十一機のエステバリスが続き、サブロウタたちへオープン回線で呼びかけてきた。
『ナデシコ部隊の方々ですね? 姉御――――うちの隊長から話は窺っております! 我らライオンズシックル中隊一同、皆様のようなエースを目標にしておりました!』
「うむ、さすが中尉の教え子だ、元気があってよろしい! ただ先走って戦死するのは簡便な!」
『いやあエースだなんて、そんな事あるけどー』
『…………』
 後輩のエステバリスライダーから尊敬の念を受けて、サブロウタもヒカルも悪い気はしなかった。そんな中で、イズミの反応が妙に鈍い。
 様子のおかしさに気付いたか、リョーコがイズミに機体を寄せる。
『おいイズミ、久々の再会なんだぞ? ウンとかスンとか言えよ』
『……ああ、久しぶりね』
『おいおい……イズミがマジ言ってるぞ。腹でも痛いのかよ?』
『……問題。インドで主食とされるパン、政治的な主張を行進などで訴える行為、NOを意味するドイツ語は、なーんだ?』
『ナン、デモ、ナイ? ならいいんだけどよ』
 そう言いつつも、リョーコは少し心配そうな目を向けていた。
 ――あいつら絡みかね。
 ――そうだね、みんな落ち込んでたから……
 サブロウタはウィンドウ越しに、ヒカルとアイコンタクトで頷きあう。
『草薙の剣』の事を気にかけているのはサブロウタもヒカルも同じだが、イズミは特別何か思うところがあるようだった。
『タカスギ少佐……よろしいですか、ナデシコCに『草薙の剣』が乗っていると窺ったのですが』
 と、一人のライオンズシックル隊員が話しかけてきた。
「ああ、今はちょっと訳ありで、艦内待機だけどな。どうかしたか?」
『自分は木星出身の羽山と申します。実は……』
『おい羽山。つもる話は後にしとけよ。今は決戦の真っ最中だぜ」
『……了解です、姉御』
 リョーコに言われ、何かを聞きたがっていた羽山は渋々従った。
『野郎ども、ここが最後の大一番だ、ここで撃墜されるようなアホは死んでもあの世まで殴りに行ってやるから、気合入れていけよ!』
『イエス、マム! 我らがビッグ・マム!』
 懸念をひとまず脇に置き、十五機のエステバリスが隊伍を組んで、戦場へと切り込んでいった。



『敵戦力、役三十パーセント減少! 組織的な抵抗は終わりつつあります!』
『敵リアトリス級、撃沈! 敵左翼の単横陣、崩れます!』
『敵機動兵器四割を撃墜! 我が方の損耗率は極めて軽微!』

 ナデシコC格納庫の壁面には、敵に向けて容赦ない砲火を浴びせる友軍艦隊と、爆沈していく敵艦隊のライブ映像が巨大なウィンドウで流されていた。地球側の有利を知らせる戦況報告が続々届き、格納庫の整備班から割れるような歓声が上がる。
 一方で、『草薙の剣』の面々は一様に複雑な面持ちでウィンドウを見上げていた。
「くあーっ! 派手にやってやがる!」
「口惜しいものですね。私たちだけ参加できないのは……」
 烈火と妃都美が、悔しそうにウィンドウ越しの戦場を睨んでいる。目の前の、最後であろう戦いに飛び込んでいけない事に臍を噛む思いをしているのは、全員同じだ。
「チッ……これじゃあ汚名挽回の機会もありゃしないわ……」
「……奈々美さん、和也さんを責める資格はあなたにはありませんよ……」
 和也に非難げな視線を送ってきた奈々美を、美佳は奈々美もアキトへの攻撃に賛成だった事を引き合いにたしなめる。「解ってるわよ……」と奈々美も自制はしたが、気が立っているようだ。
 最後の最後でこのような結果になり、和也も申し訳なさと羞恥で胃が痛い思いだった。
 ――でももうすぐこの戦いも終わる……終わる、はずだよね……?
 戦力で圧倒的に上回り、敵を完全な包囲下に置いた必勝の態勢、目の前に見えてきた勝利と戦いの終わりに兵士の士気も高揚。どう考えても負けるはずのない戦いだ。
 だが、それでも――――それこそが、和也には信じられなかった。

 ――甲院……あなたほどの人が、本当に万策尽きたのか?
 ――本当に、打つ手もないまま空しく抵抗しているだけなのか?

 師事した立場ゆえの贔屓目かもしれなかったが、甲院が一方的にただ負けるという状況は、和也たちとしては信じられない事だった。現に彼は草壁が捕らえられ、組織が分裂してなお戦い続けた男なのに。
 本当に終わるのかという不安が渦を巻き、同時に終わりが近いという期待が膨らんでいく中、不意にコミュニケの呼び出し音が鳴った。
『みんな、ちょっといい? ……あれ、ミユキちゃんだけいないね』
 ユリカのウィンドウが現れ、全員の顔を見渡して怪訝な顔をする。
「最初、僕たちが武器を受け取りにきた時はいたんですけど……その後すぐ、どこかへ行ってしまって」
 盾身の事について話し合いたかったが、声をかける間もなかった。
『そう……盾身くんの事も含めてなんだけど、この作戦が終わったら、みんなで一度話し合いたいの。一度じっくり、話しておいたほうがいいと思うから……』
「ええ。同感です。僕も……」
 その時、艦内放送からハーリーの声が響いた。

『統合軍総旗艦ゴールデンバウムより、全艦隊に向け通達! 作戦は第二段階へ移行――――繰り返します、作戦は第二段階へ移行!』

 外の映像に目を戻す。火星の後継者艦隊の防御陣、その一角がついに崩され、そこへ機動兵器に直援された統合軍の強襲揚陸艦が列を作って突入していく光景が映っていた。
 あれが補給基地に到達すれば、腹に抱えた数千人の陸戦隊が甲院を捕えるか殺すだろう。まさにこれが最後の一撃になる。
「……終わるんですね、やっと」
 妃都美が、落胆したような、安堵したような声音で言った。
「つまんないもんね、案外」
 奈々美は、相変わらず憤慨した面持ちで呟く。
「……ですが、これで帰る事が出来ます……オオイソに戻れます……」
 美佳は少しだけ、喜色を浮かべていた。
「ああ、終わった終わった。これでエンディングってか」
 烈火は脱力したように胡坐をかいて座り込んだ。
 ――終わりなのか、これで……
 終わる、終わる、終わる――――目の前の光景に、誰もが戦いの終わりを想像した。
 瞬間、その雰囲気に水を差すように、ユキナの緊張した声が耳朶を打った。
『十一時方向に艦影多数! IFF反応なし、敵の増援艦隊です! 数およそ三十!』
 この状況で増援!? 一時動揺が走ったが、ユリカの動じない声が和也たちを平静に戻した。
『大丈夫大丈夫。このくらいは十分想定内だから。統合軍もこのくらい織り込み済みだよ』
 ユリカの言った通り――――統合軍艦隊は特に動揺をきたすでもなく兵力を分割し、敵増援の前にもう一枚の分厚い壁を構築した。これなら包囲網を崩される心配もないだろう。
『敵が亀さんみたいに防御を固めてる時点で、もう援軍待ちなのはなんとなく想像できてたからね。どこから敵がやってきてもすぐ対応できるように――――』
 安心させるように説明するユリカ。
 それを『あれ、これって何だろう……?』と漏らしたハーリーの声が遮った。
『ん、どうしたのハーリー君』
『敵増援艦隊の中に一隻、識別不能の艦があります。データベースにも該当艦無し、質量推定では約二百メートルの巡洋艦クラスなんですが……』
『新型艦かな? その艦の映像出せる?』
『統合軍がデータリンクを最低限しか送ってくれないんですよ……最寄の宇宙軍所属艦が撮影した、望遠映像なら』
「オレたちも見せてもらっていいすか?」
 こんな時でも兵器オタクの好奇心が騒ぐのか、烈火が後ろから割り込んできた。
『いいよ。見せてあげて』
『了解。モニターに出します』
 ブリッジのユリカたちと、格納庫の和也たちの眼前に表示されたウィンドウには、不鮮明ながらも見覚えのない形の艦が映っていた。全体的に凹凸の少ない単胴艦で、艦首部分が妙に膨らんで見える。
「妙な形だね。グラビティブラストを装備してないようだけど、母艦か揚陸艦の類かな?」
「にしちゃあカタパルトが見あたらねえな。それにエンジンブロックが妙にでかい。あれだと相転移エンジンを四機は載せてるはずだぜ」
 大出力の機関を持ちながら、それと明らかに吊り合わない小型軽武装の艦。和也たちが首をかしげていると、不意にルリが口を開いた。
『ユリカさん。この形……』
『……ッ!』
 途端、ユリカが今までにないほど切迫した声で叫ぶ。
『ユキナちゃん、統合軍艦隊に連絡! 敵増援の前にいる艦隊を、今すぐ散開させて!』
『え!? で、でも統合軍とは通信チャンネルが……』
『だったらオープン回線でも何でもいいよ! 敵に聞かれても構わないから早く――――!』
『敵未確認艦に動きあり! エネルギー反応急速に増大、こ、この波形ってまさか……!』
『ダメええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!』
 ユリカが声の限りに叫ぶ。

 その叫びを、光が打ち消した。

 統合軍艦隊の中心で何かが光ったと思った次の瞬間、光が爆発的に広がり、辺りにいた戦艦や機動兵器を一瞬にして飲み込む。
 通信回線を悲鳴と怒号が埋め尽くし、ぶつりとナイフで断ち切ったように聞こえなくなっていく。今まさに数百、数千の命が、あの光の中で消えていっている。
『せ、戦艦コチョウラン、通信途絶! 戦闘母艦グラジオラス、反応消失――――!』
『敵増援の前にいた艦隊の反応、七割方消失! 健在の艦も余波で被害甚大、包囲網を敷いていた艦隊にも被害が及んでいます!』
 悲鳴じみた澪とハーリーの報告。
 空間そのものが崩れ、溶け、壊れていくかのようなエネルギーの奔流。ここにいるほぼ全員が、あれに見覚えがあった。
 和也たちにとっては、過去のトラウマそのもの。先輩方の命を一瞬にして消し去った、なにより忌まわしい兵器。

「相転移砲……!」



 統合軍艦隊の一角を一撃で消滅させた恐ろしい光の渦は、前線で戦っていたサブロウタたちにもはっきりと視認できた。
「相転移砲だと!? 奴ら、あんな物を建造してやがったのか……!」
『……そういや、あいつらはあたしらが跳ばしたナデシコAと一緒に、遺跡を回収したんだっけな……』
 リョーコが苦い顔で唸る。かつてリョーコたちの乗艦だったナデシコA……一度はボソンジャンプの演算ユニットと共に宇宙の果てへ葬ったと思っていたそれは、火星の後継者の手により回収され、アマテラスで今度こそ消え去った。
 あの時すでに、火星の後継者は相転移砲の現物からデータを手に入れていたに違いない。それを元に、あの相転移砲艦を建造してきたのだ。
『じょ、冗談じゃない、あんな物で攻撃されたらひとたまりもないぞ!』
『て、撤退しますか!?』
『バカタレ! ここまで来て逃げられるか、あいつを沈めるんだよ!』
『あ、姉御、指示を……!』
 相転移砲の威力を初めて目の当たりにし、ライオンズシックルの隊員たちに動揺が走る。
『お前らしっかりしやがれ! 相転移砲なんざ五年も前にできた旧式のポンコツ兵器だ! いまさらあんなもん目じゃねえっ!』
 リョーコが精一杯の叱咤を叫ぶ。
 決して虚勢ではない。確かに相転移砲は強力極まる大量破壊兵器だが、強力すぎるがゆえに対策も確立されている。
 艦隊後方で、統合軍総旗艦、ゴールデンバウムがその巨大な体躯を転回させ、艦首に備わった相転移砲の砲口を開く。相転移砲は、同威力の相転移砲によって相殺する事が可能だ。この場にゴールデンバウムが出張っていた事が、兵士たちにとってはこの上ない僥倖と言えた。あれが健在である限り、二度目の攻撃を受ける事はない。同じ理由で、こちらも相転移砲で敵を一網打尽というわけには行かないが。
 とはいえ、不意打ちで受けた一発は艦隊への被害も甚大ながら、兵士たちの心へも大きなダメージを与えていた。ライオンズシックルだけではない――――この場にいる殆ど全ての部隊が浮き足立ち、隊列を乱している。
 中には密集していたら狙われると思ってか、勝手に艦列を離れる艦もいる始末だ。それを止めようと通信回線に怒号や金切り声が錯綜し、余計にパニックを助長する。
 ――マジでやばい。包囲網を立て直せそうにねえぞ……!
 さすがのサブロウタも冷たい汗をかく。こんな致命的な隙を、敵が見逃してくれるはずがない。
『見て! 補給基地の中から船が出てくる!』
 ヒカルが補給基地を指して叫ぶ。港湾から艦隊が一斉に出航し、盾として戦っていた無人艦もそれに続いて移動し始める。向かう先は当然、相転移砲の攻撃で空いた包囲網の穴だ。
 戦いを終わらせる最大のチャンスが、逃げようとしている。焦燥にかられるサブロウタに、ルリからの通信が届く。
『ナデシコCより、エステバリス隊全機。敵艦隊を追撃して少しでも足を止めてください』
「簡単に言ってくれるっすね……ナデシコの防衛はいいんですか?」
『ナデシコの周辺に、相転移砲の被害は及んでいません。ナデシコの防衛は友軍に任せて、そちらは敵の足止めをしてください。その間にシステム掌握を試みます』
『聞いたかお前ら!? 奴らを逃がさなけりゃナデシコが奴らをハッキングしてくれる! それで最後はオレたちの勝ちだ!』
 野郎ども、オレに続け! と率先してリョーコが突撃し、ライオンズシックル隊が後に続く。
「やるしかないな……俺たちも行くぜ!」
『了解っー!』
『了解……!』
 頷きあい、サブロウタたちも逃げる敵艦隊を追って飛ぶ。
 他の艦隊や機動兵器隊の中にも、徐々に態勢を立て直して追撃を始めるものが出てきた。それに対し、増援艦隊から追撃を阻止しようと多数の機動兵器が展開――――サブロウタたちにも中隊規模の積尸気が向かってくる。
「邪魔なんだよっ……!」
 大型レールガンを構え、照準ロック、発射。斜線上の積尸気が爆散し――――ない。
 ――外した……いや、避けられた!?
 確実に当てるつもりの一発を避けられ、驚愕するサブロウタの眼前で十数機の積尸気と、十五機のエステバリスが砲火を交わしつつ激突、そのまま乱戦になった。
『被弾した! 脱出できな――――うわああああああっ!』
 通信回線に悲鳴が響く。ライオンズシックルの一機が敵の火線に捕らえられ、爆発四散――――パイロットの脱出は確認できない。
『ライオンズシックル8ロスト! コバヤシがやられた! 畜生ッ!』
『よくもオレの生徒を殺りやがったな! 人殺し共め!』
 ライオンズシックル隊とリョーコが悲痛な声を上げ、怒りに燃えて挑みかかる。こちらも数機を撃墜はしたが、その撃墜効率とキルレシオは今までのように高くない。
『この人たち、今までの人たちより強いよ!』
『統率も取れてる。手ごわいわよ……!』
 ヒカルとイズミが、もはやおどける余裕もない。
 ――このタイミングまで精鋭を温存してたってのか? でもこいつら、何かおかしいぞ……
 サブロウタは敵の射撃を紙一重で避け、先ほどの無人機と同じ、レールガンを向けつつロックオンだけするフェイントを仕掛ける。相手が経験豊富なパイロットならこんな手に引っかからないはずだが、敵は狙ったとおりに回避機動。これなら当たると思って放った一撃は、しかし避けられる。
 ――先読みじゃないな、見てから避けてやがる。
 思考ルーチンを改良した無人機――――ではない。人が乗っているのは動き方で解る。攻撃に対する反応が非常に早く、射撃もそれなりに正確。そのくせ動きが単調で経験の浅さを感じる。
 戦闘能力と経験が吊り合っていない奇妙な兵士――――こういう連中に覚えがある。
「こいつら、まさか……」
『くそったれ! これじゃあ奴らに逃げられちまう!』
 サブロウタの思考を、焦燥の滲んだリョーコの声が中断させる。サブロウタたちナデシコのエステバリス隊とライオンズシックル隊は、共に積尸気隊によって釘付けにされ、逃げる甲院の艦隊を追うどころではない。
 そこへさらなる追い討ち――――増援艦隊から多数の虫型兵器がばら撒かれ、一塊の編隊を組んで突撃してくる。
「バッタか!? いや、あの速さと大きさ……カナブンだ! まずい、なんつう数!」  カナブン――――旧木連軍では虫型戦闘機飛式と呼ばれていた高機動兵器。バッタを一回り大型化した胴体に高出力のジェネレーターとスラスターを備え、バッタを遥かに超える機動力を持つ。それが百機を超える大軍で向かってくるのだ。積尸気と交戦中の今あれに襲い掛かられれば、サブロウタたちでも無事では済まないだろう。
 それでもやるしかない。腹をくくって迎撃の構えを取ったサブロウタたちだが、あろう事かカナブンの編隊はその横をすり抜けていく。まるで興味がないと言わんばかりの行動に、ヒカルが思わず憤慨したような声を上げる。
『なにあれ、華麗にスルー!?』
『……違う! あの方向は……!』
 イズミが切迫した表情で唸る。それを聞き、サブロウタも敵の狙いに気付く。
「しまった! 奴ら狙いはナデシコだ! くそっ!」
 ナデシコCと分断させられ、見事に甲院の術中に嵌められた事を悟って思わず悪態をつく。
 この状況では、ナデシコCを助けに行く事もままならない。無事を信じて戦うしかなかった。



 他には目もくれず一直線にナデシコへと向かってくるカナブンの群れは、ナデシコCのレーダーにも捉えられていた。
 ハーリーが緊張をはらんだ声で叫ぶ。
「虫型兵器多数、急速接近してきます! 有効射程距離まで後百七十秒!」
「やってくれるなあ……エステバリス隊と分断した上で直接ナデシコを狙ってくるなんて……」
 さすがのユリカも、甲院の戦術に舌を巻いていた。
 相転移砲をお互いに封じた今、敵にとって最大の脅威はシステム掌握能力を持つナデシコCだ。そこを狙うのは理に適っている。だが追い詰められた不利な状況をひっくり返すばかりか、それを逆に利用してくるとは。
「かなり危険な状況だと思います。提督、私がナデシコをワンマンオペレーションしたほうが……」
「ダメ。ルリちゃんは敵システムの掌握に専念して。ナデシコはユリカとハーリー君で何とかするから」
 ナデシコCの防衛を優先したルリの提案を、ユリカは蹴る。
 ユリカはまだ勝ちを捨ててはいないのだ。それが伝わったかハーリーも「が、頑張ります……!」と精一杯背伸びして頷いた。
「ユキナちゃんは周囲の友軍艦に鶴翼陣形を取るよう伝えて。ハーリー君、艦の操舵をミナトさんに預けて、火気管制に集中して。全てのVLSにはジャベリン対空ミサイルを装填、グラビティブラストの発射用意も忘れないで!」
「はい!」
「りょーかい!」
「了解!」
 ユキナ、ミナト、ハーリーの三人が頷き、ナデシコCのグラビティブラスト発射口がその顎を開く。周囲の宇宙軍艦隊もナデシコCの左右両翼に広がり、迫るカナブンの編隊を迎え撃つ態勢を取る。
「グラビティブラスト、広域拡散射撃! 目標前方の敵全部! 撃てーっ!」
 ユリカの号令一下、ナデシコCと宇宙軍艦隊が一斉にグラビティブラストを放つ。
 閃光。多数のカナブンが重力波の本流に飲まれ、その身を引きちぎられて爆散していく。――――だが、レーダー上のカナブンはさして減っているように見えない。
「グラビティブラスト着弾確認! 撃墜数は約二割――――直前に密集隊形を解いて、散開して回避したようです!」
「敵編隊から熱源! ミサイル多数!」
 ――賢い。ただの無人機じゃない!
「迎撃対象をミサイルにも拡大! 全艦データリンク一斉射撃! 撃て!」
 再びユリカが叫び、ナデシコCから白煙を引いてミサイルが飛翔。呼応するように周辺の宇宙軍艦隊もミサイルや対空レーザーを打ち上げ始め、漆黒の宇宙が一瞬にして真っ赤に染まる。
「敵ミサイル撃墜率七十四パーセント! かなり落としてますが……多すぎます! 敵ミサイル、左舷フィールド有効範囲に着弾します!」
 弾幕を掻い潜ったミサイルが、ナデシコCのディストーションフィールドに接触し、目の前に爆発の花を咲かせる。
 ナデシコCは自慢のフィールド強度でミサイルの直撃を凌いだが、他の艦はそうもいかなかった。フィールドを突破され被弾する艦が出始め、ミサイルを避け損ねたエステバリスが爆散し、櫛の歯を欠くように弾幕が薄くなっていく。
「フィールド有効範囲に着弾! 本艦の損害は軽微!」
「駆逐艦ボビー、ヒナソウ、被弾! オリオン中隊損耗! 防空システム稼働率三十パーセント低下!」
「虫型兵器、さらに増速して接近! ルート変わらず、このままだと――――ぶつかります!」  ――自爆攻撃!?
 こういう状況になると、直接的な防空兵器に乏しいナデシコCに取れる手は多くない。電子戦に特化したゆえの弱みが露呈した形だった。
 傷付き、若干薄くなった友軍の弾幕を突破してカナブンが肉薄してくる。既に三分の一程度にまで数を減らしたが、それでも機械は一切の躊躇を見せない。
「虫型兵器、ミサイルの最小射程範囲ミニマム・レンジ内に進入! フィールド、突破されます!」
「……っ! 総員、衝撃に備えてください!」
 ついにカナブンがナデシコのフィールドに接触。数機が激突の衝撃で自壊しながらも、一機がこれまでの攻撃で薄くなった部分を力づくで突き破り、その内側へ飛び込む。
 次に襲い来るであろう衝撃に耐えようと、全員が身を堅くした。



 外の迎撃戦の様子は、通信回線を開きっぱなしにしていた和也たちにも見えていた。
 ナデシコCのフィールドが突破されようとし、和也も皆に対ショック姿勢をとらせて自爆攻撃の衝撃に備えたが、その時映像を見た烈火が「おい!」と叫んだ。
「あの装備……やべえぞ!?」
 烈火に言われて、和也も気が付いた。
 カナブンが大事そうに抱えている、カプセル状の物体――――訓練時代に見た事がある。
 しまったと思った時にはもう遅かった。全速で衝突すると思われたカナブンはフィールドの内側に飛び込むなり減速し、四本の足を広げてナデシコCの外殻に張り付く。
『外殻に異常な発熱! B−51ブロックの気圧が急速低下、隔壁閉鎖します!』
『何が起きてるの!?』
 聞いたユリカに、現在確認中です、とハーリー。予想外の事態にブリッジの判断が追いついていない。
 和也はユリカへ叫ぶ。
「提督! あのカナブンは輸送用カプセルと、プラズマトーチを装備してました! 奴は装甲に穴を開けて、中に戦力を送り込んでくる気です!」
 旧木連軍で大戦前から検討されていた戦術だ。地球の戦艦内に小型の虫型兵器、あるいは兵士を直接侵入させて白兵戦で制圧する、百年前からの流れを汲むやり方。有人ボソンジャンプの実用化に手間取り、優人部隊の投入が遅れている間に地球側がディストーションフィールドとエステバリスを実用化した事で成功の見込みが低くなったとしてお蔵入りになったが、甲院は今になってそれを復活させてきた。
 進入してきたのは多分コバッタのような小型の虫型兵器で人間ではないだろうが、それでも機関銃を装備したそれは十分な脅威だし、ハッキング機能を持つヤドカリがいれば艦を乗っ取られる恐れすらある。
『隔壁閉鎖! 全てのクルーは武装の上で持ち場を守るよう伝えて!』
 情報を得たユリカの判断は早いが、後手に回っているのは否めない。
『エネルギー系統に異常を感知! 敵がフィールドジェネレーターへのエネルギー供給ラインを切断しています!』
『フィールドのエネルギー供給をバイパスに切り替えて、少しでも出力を維持して! 時間稼ぎだけど、フィールドが弱まればもっと敵がナデシコに入り込んできます! ユキナちゃん、友軍艦に陸戦隊の救援を頼めない?』
『ダメです! 他の艦にもどんどん敵が入り込んでます! 機動兵器隊も虫型兵器と交戦中、近くに助けに来れそうな人たちはいません!』
『タカスギ少佐たち、エステバリス隊は!?』
『まだ敵機動兵器隊に足止めされている模様です!』
 ユリカは爪を噛む。今は民間人であるクルーたちに白兵戦を命じる事は、彼らの能力的にもユリカの心情的にも避けたいのだろう。
 和也はこの場にいる四人の顔を見渡す。今この状況でナデシコを守れるのは『草薙の剣』の他にいない。万全でない状態でも戦うしかない。全員が認識を共有し、頷く。
「提督! 僕たちが行きます! 許可を!』
『それは……』
『フィールド出力低下。カナブンがさらにナデシコの外郭に取り付いています。……ユリカさん、この状況では他に手はありません』
 逡巡を見せたユリカも、ルリに後押しされて決断した。
『……解りました、許可します! チームブレードは艦内に侵入した敵兵器を全て破壊して! チームブレードが通過した所から隔壁を順次閉鎖、保安班と整備班はマニュアルに従って通路にバリケードを設置、エンジンブロックとブリッジへの敵侵入を阻止してください!』
「了解! 澪、美雪とは連絡取れる?」
『さっきからやってるんだけど……繋がらないの』
「あのバカ、こんな時まで何を……仕方ない、澪は美雪の所在が掴め次第合流するよう伝えて! 行くよ!」
「はいよ!」
「おう!」
「了解!」
「……解りました」



 先に突入したコバッタがフィールドを弱らせたおかげで、進入は比較的容易だった。
 まだ冷却材の煙が残る進入口から、彼はよっこいせ、と窮屈そうに這い出す。何より憎たらしい艦への進入を果たして、本来の目的そっちのけで暴れまわりたい衝動が突き上げてくるが、
「がまんがまん……お楽しみは後でってな。ヒヒヒ……」
 マスクの下で口元を三日月形に歪め、一歩踏み出す。と、行く先の通路から人が走ってくるのがレーダーに映った。
「……ッ! 誰だ!?」
「俺様だ」
 答えると同時に銃を構える。いや、銃と言うには、それは過大に過ぎた。M245多銃身機関銃――――本来地面に固定、あるいは車やヘリに搭載して運用される、人間が持ち運ぶ事は想定されていない類の大型銃だ。
 弾丸の詰まったドラムマガジンと本体を合わせれば五十キロは軽く越える重さのそれを、彼は片手で構え引き金を引く。
 連続した銃声は一つの音として一瞬だけ響き、その一瞬で放たれた数十の弾丸は痛みも悲鳴を上げる暇もなく、クルーの体を粉々にした。
「クハハッ……! こりゃあいいや」
 満足げに笑う。するとまた別の人影がレーダーに映り、「お?」と彼は声を上げた。
 瞬間、無警告で銃弾が飛んできた。それを片腕を前に翳しただけで防いだ彼に、刃を閃かせた小柄な人影が猛スピードで迫り、激突。鋭い爪と戦闘服のプロテクターが硬質な音を立てる。
「おおう、『暗殺者の爪』かよ。懐かしいねぇ。お前『影守』だな?」
 今の苗字であり、かつてのコードネームで呼ばれた美雪は、一瞬だけピクリと反応を見せ、後ろへ飛び退いて距離をとった。
「誰ですの? 火星の後継者に知り合いは……一人おりますけれど、あなたのような方は存じ上げませんわ」
「おいおいご挨拶だな。俺様を忘れたか? 俺様とお前の仲じゃねえか」
「……殺しますわよ」
「珍しく機嫌が悪りいな。でもこの顔を見りゃあ思い出すだろ?」
 言って、彼は顔を覆っていたマスクとゴーグルを取る。露わになった素顔を目にして、美雪がはっと目を見開く。
「あ、あなたは……!」
「感動の再会だなあ。しかしよ……なんでお前、よりによってこの艦に乗ってんだ?」