漆黒の宇宙に無数の光が軌跡を描き、大小300近い数の艦艇が流星の如き勢いで宇宙を駆ける。
 統合軍第五艦隊。統合軍の中でも最大の戦力を持つ主力中の主力であり、二年にわたる火星の後継者との戦いの中で常に主戦線で戦い続けてきた猛者の集まり。その強大な戦力に裏打ちされた絶対的な自信と闘志を漲らせ、毒々しい目玉模様が不気味な視線を向けてくる木星圏を突き進んでいた。
「カリストまで十万キロ地点に進入、艦隊各艦は減速シークエンスに入ります!」
「減速完了した艦は順次機関部のステータスをチェック、併せて全艦隊は陣形を鶴翼陣に転換、戦闘態勢に入れ!」
「高速航行中に脱落した艦は後から追いついてくればいい! 追いつき次第戦線に加われ、急がないと出番がなくなるぞ!」
 第五艦隊旗艦、双胴戦闘母艦『ダラク・ガバマ』のブリッジでは矢継ぎ早に艦隊の状況を報せる報告が入り、それに対応するべくオペレーターと幕僚たちが慌しく走り回る。
 第五艦隊が火星の後継者と雌雄を決するべく全艦隊を上げて出撃したのは、『草薙の剣』がカリストで消息を絶ち、彼らが最後に送ってきたデータを受け取ってからほんの五時間後。その時点では地球連合安保理の派兵決議も通る前だが、全ては統合軍上層部、そして地球連合の主要な国々の間で予め決められていた事だ。
 火星の後継者との繋がりが最も濃いと思われるカリストへ、敵のマーク対象であろう『草薙の剣』を送り込み、リアクションを引き出した上で即座に軍事介入する。これによって火星の後継者に逃げる隙を与えず、決戦に持ち込んで壊滅させる事ができればよし。仮に空振りだったとしても、最大の隠れ蓑だったカリストを制圧し、地球連合の管理下に置いてしまえば火星の後継者に対する打撃となる。どちらに転んでも損はないというのが、統合軍司令部の本当の狙いだった。
 故に『草薙の剣』がカリストに向かった時点で、第五艦隊に所属する全ての人員が艦内、あるいは基地内に待機し、いつでも出撃可能な態勢を整えていた。そして『草薙の剣』MIAの一報が届いてすぐに出航。派兵決議が通ると同時にターミナルコロニーから木星圏へ進出し、カリストへ急行したのだ。
 安全規定も半ば無視した長距離高速航行によって、全体の一割近い艦がエンジントラブルなどを起こして脱落し、無事に到着した九割の艦艇もエンジンが悲鳴を上げていたが、無茶をした甲斐あって短時間のうちにカリストへと迫る事ができた。
 それは艦隊に所属する全将兵の努力と高い技術――――そしてそれらを束ねる自分の完璧な采配がなければできない事だと、第五艦隊司令官、オーガン・G・ファイアストン中将は内心で拳を握っていた。
 それも束の間、オペレーターの一人が発したその報告を聞いて、ファイアストン中将は別の意味で拳を握る事になった。
「進路上の木連国軍艦隊の中に、宇宙軍の識別信号を発している艦があります。……確認しました、ナデシコCです」

 ダミッツくそが

 間違っても部下たちに聞かれてはならない言葉を、ファイアストン中将は口の中でこっそりと転がした。
 オールバックに整えられた輝く金髪と、透き通るような碧眼を持つ、まもなく五十に達しようとするこの精悍な風貌の将軍は、二度に亘る火星の後継者との戦いでは第五艦隊を率いて常に主戦線で戦い続けてきた、まさに歴戦の勇士だ。そんな彼でも――――いや、むしろ彼だからこそ、ナデシコCには特別な対抗意識がある。
 話がいささか逸れるが、彼の母親は地球連合海軍の巡洋艦艦長、父親は海兵隊将校と、海軍のエリート軍人同士が軍務の中で知り合い、所帯を設けて生まれた一人息子だった。USAの海軍一大拠点と名高いノーフォークの町で少年時代を過ごし、軍艦を眺めながら成長した彼がやがて両親と同じ道を選び、完璧な軍人を志して士官学校の門を叩いたのは自然な流れだったと言えよう。
 幸いな事に、有能かつ完璧な海軍人としての資質は両親からしっかりと受け継いでいた。士官学校を主席で卒業したあとは戦闘機パイロットの道へ進み、飛行教導隊、飛行隊長と順調にキャリアを重ね、パイロットを引退してからはUSA海軍から地球連合海軍に籍を移し、そこで航空母艦の艦長に就任した。
 木連との戦争が勃発したのはその頃だ。宇宙軍が主戦力を勤めたこの戦争で、彼ら海軍が脇役に追いやられた事は四十数年生きてきて初めて味わう挫折だったが、その点は特に気にしていない。彼は終戦まで北アメリカ東海岸の防衛という役目を完璧にやり遂げたのであり、その完璧な功績は戦後になって新設された統合軍に、中将への昇進と艦隊司令官の椅子を持って迎えられるという完璧な形で報われたのだから。
 尊敬する両親をも越える完璧な地位と名声を手に入れ、まさに人生の絶頂を謳歌していた矢先、それに浸る間も無く火星の後継者の反乱が勃発。彼は再び戦いに挑む事になった。
 それが彼、ファイアストン中将が自分を完璧な軍人に育ててくれた両親と共に誇りとする、自ら完璧と自負して止まない経歴。
 だったのだが、最近になってその完璧さに傷がついた。
「……あの艦がいるという事は、既に大勢は決したという事か?」
 盛大に肩透かしを食らったような失望感と脱力感に見舞われながら、ファイアストン中将は確認する。
 毎回これだ。第一次決起の時、ターミナルコロニー『クシナダ』を迅速に奪還した彼ら第五艦隊は、火星の後継者がボソンジャンプによる反転攻勢をかけてきた時も無傷に近く、火星に乗り込んで決戦を挑むに十分な力を残していた。統合軍本部が奇襲を受けて命令が途絶えた時は、自主的に決戦を挑むつもりで火星へ向かっていた。
 しかし結果は、出番もないままナデシコCによって反乱は鎮圧された。それも兵器を用いた決戦ではなく、ハッキングによるシステム掌握という彼にとって理解しがたいやり方でだ。これにはファイアストン中将も憤慨を禁じえなかった。
 続く第二次決起で、出撃命令と同時にナデシコ部隊のホシノ中佐を拘束しろとの命令が来た時は、正直チャンスだと思ってしまった。ナデシコの動きを封じれば今度こそ我々の手で火星の後継者を殲滅できる。既に他界した両親が聞けばきっと怒るだろうと思ったが、前回の雪辱を晴らしたい誘惑に抗えず、艦隊の一部を差し向けた。
 結果は惨敗。後で知ったが、敵は内通者からの情報で第五艦隊の動きを把握しており、奇襲を食らう形になった第五艦隊は手痛い損害を受けた。そして部隊の建て直しに手間取っている間に、またぞろナデシコCによって敵は鎮圧された。
 彼が完璧な勝利を収めようという時に、ナデシコCが横からしゃしゃり出てきて、大将首を掻っ攫っていくこと二回。そして今回が三度目かとファイアストン中将は爪を噛む思いだったが、どうやら今までとは展開が違うようだった。
「ヴァルハラコロニー周辺で砲撃を確認、戦闘は未だ継続中と思われます!」
 その報告を聞いて、ファイアストン中将の目が細められる。
 彼に言わせれば邪道なやり方だが、ナデシコCの力を過小評価はしていないつもりだ。そのナデシコCがいながら直接戦闘が続いているという事は、ハッキングになにかしら問題が起きたという事ではあるまいか。
 ナデシコCと通信して情報共有するべきかと思ったが、やめた。
 ――彼女の事だ。介入をやめろと言ってくるのが関の山か。
 軍務上、ファイアストン中将はユリカと少し面識がある。彼女の思想を考えれば、きっと統合軍の介入を止めようとするだろう。敵前で余計な押し問答をする気はない。
 この介入でカリストに多大な被害が出る懸念は解る。木星人の国民感情も悪化するだろう。だが、ここで火星の後継者を取り逃がす方が予想される被害は遥かに大きい。あのニューヨークのような事態がまた起きれば、何万という地球人が危険に晒される。木星人の反感などそれに比べれば些事に過ぎない。
 火星の後継者が何かしら対抗策を講じ、ナデシコCという地球側の切り札が一つ無力化されたのだとすれば、宇宙軍統合軍関係無しに危機的事態だ。ならなおのこと、この第五艦隊が力を振るうべきだ。
 そのための切り札も用意してある。
「全艦隊、総力戦用意! 此度こそ、火星の後継者を完全に撃滅し、この騒乱に終止符を打つ! 地球圏に平和と秩序を回復し、それをもって理不尽に命を奪われたニューヨーク市民数万への手向けとする! 諸君らの勇戦に期待する、以上だ!」
 ファイアストン中将の呼びかけに、第五艦隊の将兵数万人が宇宙の真空まで震えんばかりの鬨の声で答える。
 ――見ているがいい。火星の後継者を撃滅し、世界に完璧な秩序を取り戻すのは我々だ……!



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第二十四話 塔が崩れる日 後編



 既に警報をかき消すほどに大きく、大気を震わせるような重低音があたりに響き始めている。
 200を超える艦艇の反重力フローターが駆動音の多重奏を響かせ、まどろみから目覚めた火星の後継者主力艦隊が地下ドックから地上へ続々と飛び出してくる。その向かう先、カリストのごく薄い大気層の向こうに見える宇宙空間には無数の、星とは違う光が瞬いていた。
 統合軍の大艦隊が目前に迫り、それに呼応して出撃した火星の後継者艦隊との間で今まさに大開戦が始まろうとする中、和也たちはユキナを人質に取った美雪、烈火の二人と対峙していた。
「これ以上殲鬼先輩に付き合う必要なんかない! 二人とも利用されてるだけなのが解らないのか!?」
「お互い様だと思いますわ。わたくしたちも盾身様や先輩方の敵討ちのために利用させていただいておりますもの」
「だからって……見ろ、二人とも! これは……」
 和也は殲鬼のポーチから、烈火と美雪の戦闘服に仕込まれた爆弾の起爆スイッチを取り出して見せる。結局、この男は二人をいつでも殺せるよう準備していたんだ……と言おうとしたのだが、それを遮って美雪が言葉を投げた。
「わたくしたちの戦闘服に仕掛けられた爆弾のスイッチ……でしょう。気付いていましたわよ、そのくらい」
「おうよ。裏切りの前科者が簡単に信用されるとは思ってねえし、このくらいの担保で仇討ちさせてもらえるなら安いもんだ」
「……美雪さん、烈火さん……あなたたちは、命を握られているのを承知の上で……」
 殲鬼のような異常人格者に進んで命を担保として預ける美雪と烈火の覚悟に、美佳は言うべき事を見失ってしまう。奈々美も妃都美も、もちろん和也もだ。
 なぜそこまでして――――とは言うまい。和也たちも一度は同じ事をしたのだ。考えている事は、解る。
 だからこそ、説得は簡単だと思っていた。殲鬼の首輪さえ外せば、和也たちがそうだったように、解ってもらえると。それなのに――――
「美雪、烈火……こんな事をして、盾身や先輩方が喜ぶと本気で思うのか? こんな事を盾身やみんなが望むと思ってるのかよ!?」
「思ってるからやってんだろうが! 先輩方も仇を討って欲しいに決まってる! 盾身だってそうだ! あの女に何吹き込まれたか知らねえが、みんなの願いを錯誤してんじゃねえ!」
「錯誤してるのはどっちですか! 盾身さんが復讐なんて望むはずないでしょう! 先輩方だって――――!」
 妃都美も一緒になって言い返すが、これではただの感情的な水掛け論だ。
 死んだ人の意思を決めるのは、結局今生きている和也たちだ。烈火と美雪は、盾身や先輩方が復讐を望んでいると決めていて、和也たちの言葉だけでそれを覆すのは容易でない。
 目の前にいるはずの、ずっと一緒にやってきたはずの二人が、地平線のように遠く感じる。
 甘かった、のだろうか。二人の覚悟は想像よりずっと強く、心は硬く閉じていた。
「問答をする気はないと言ったはずですわよ。早く殲鬼先輩から離れなさいな。目玉の一つもくりぬかないと信じられないなら、そうしてあげます?」
 不毛な言い合いにしびれを切らし、ユキナの目に『暗殺者の爪』を突きつけて美雪は言う。
 その声音に本気でユキナの目玉を抉り出しかねない圧力を感じた和也は、歯噛みして殲鬼から離れる。動けないまま片目だけで和也を睨みつけているその身体を烈火が抱え上げた。
「ではさようなら皆様。ああ、白鳥さんは保険として頂いて行きますわね」
「ちょっと二人とも、わたしをどうする気!?」
「心配しないでも危害は加えさせねえよ。……じゃあなお前ら。次に会ったら今後こそ殺し合いだな」
 美雪はユキナに刃を突きつけたまま、殲鬼を担いだ烈火と共に施設の奥へと引いていく。和也たちは後を追おうとしたが、数発の牽制射が飛んできて足を止めざるを得ず、二人の姿は閉じたゲートの向こうへと消えた。
「待て、美雪! 烈火! 白鳥さん! 美佳、ここを開けられないか!?」
「……内側からロックされています。すぐには無理です……」
 美佳がかぶりを振り、和也は「くそっ!」と閉じたゲートに拳を叩き付ける。
「あのわからず屋! 連れ戻す前に絶対ぶん殴ってやるわ!」
 怒りを露わにゲートを蹴飛ばす奈々美。
 説得に失敗した事を嘆く暇はなかった。地鳴りのような音と共にたたらを踏むほどの揺れが和也たちを襲い、状況が逼迫している事を告げた。
「砲撃が近くに落ちた、まずい……!」
 統合軍艦隊と火星の後継者主力が、戦端を開いたのだ。近くに落ちた砲撃が単なる流れ弾なのか、それともここを狙おうとしたのかは判然としないが、どちらにしても統合軍はここを破壊する事を厭わないらしい。
「和也さん……無念ですが、今は脱出を優先しないと巻き込まれます!」
 焦燥の滲む声で妃都美。歯が折れそうなほど強く歯軋りし、和也は「白鳥さん、ごめん……」とすぐに助けてやれない事をユキナに詫びる。
「脱出する! 使える車両を探せ!」



「なんでよあんたたち!? なんでこんな事するの、なんでこうなるの!?」
 地下へと続く通路の中、ユキナは美雪に俵よろしく脇に抱えられ連行されながら手足をばたつかせて暴れ騒いだ。
「みんなの言ってる事がわからないわけ!? あんたたち仲間でしょ!? ずっと友達だったんでしょ!? なのになんで!?」
「……少しお黙りなさいな、あなたこそ自分の状況が解ってらっしゃるの?」
 言われなくても解っているに決まっている。凶悪なテロ集団の捕虜になるなんて絶体絶命の状況もいいところ。まだ嫁入り前なのにどこかの薄い本のヒロインのような目に合わされるのではと想像しただけで恐ろしいに決まっている。
 だが言わなければならないという思いが、今は恐怖に勝っていた。
「みんなが! わたしたちがどんだけあんたたちの事心配してたと思ってんのよ!? このバカ! いやバカ以下のアホ! オタンチン! オタンコナス!」
「がぁーっ! うるせえ! 言われなくても解ってんだよ!」
 堪りかねたように怒鳴り声を上げたのは烈火だ。
 苛ついた様な顔の美雪もそう。心がかき乱されるのは、ユキナの言葉が正しいと二人とも感じているからだろう。烈火の言う通り、『そんな事は解っている』のだ。
 だからこそ余計に頭にくる。
「解ってるなら、なんで――――!」
「心配してるのはこっちも同じだ! あの女ユリカにすっかり洗脳されやがって! どうしたら説得できるんだクソが!」
「それはこっちのセリフだっての! それとユリカさんは洗脳なんかしないから!」
「盾身様を殺した男の妻で、先輩方を相転移砲で吹き飛ばした女ですわよ。どうやってそれを信じろと?」
「だからあんたたちもユリカさんと話し合ってって言ってんでしょうが、このわからず屋……!」
 どれだけ必死に訴えてもユリカへの不信を解こうとしない烈火と美雪の態度に、ユキナのイライラが募る。
 なぜこうも二人は頑ななのか――――解らなくはない。
 敵味方に分かれるとはこういう事だ。敵意を向けてくる連中には敵意で返したくなるし、敵の言葉を信じるのは大変に勇気が要る。敵と味方に分かたれた人間の間には容易に超えられない壁があるのだ。それが例え友達でも――――いや、友達だったからこそ裏切られたという気持ちが余計に敵意を駆り立てるのかもしれない。
 ユキナの兄を殺したのはまさにそれだった。
「このままだと、あんたたちも友達を殺すわよ……! そしてわたしにぶん殴られて、そのあとすっごい後悔を抱えながら死ぬまで生きるのよ!? それでもいいのあんたたち!?」
 もうあんなのは見たくない。友達同士の殺し合いなど真っ平だと夢中で叫ぶ。
「……いでえ」
 だがユキナの必死の訴えは、烈火――――の背中から響いた呻き声に遮られた。
「いでえよう……やりやがったなあの野郎ども、生かして帰さねえぞ……」
 一時的に気絶していたらしい殲鬼が目を覚まし、地獄の底から響くような低い声で呻く。そしてコミュニケに手をかけ、どこかに通信を入れた。
「おい、てめえら機動兵器の用意はどうだ……」
『はっ、一個中隊が即応態勢で待機しています』
「今すぐ出撃しろ、逃げた連中を追え……」
『な……し、しかし主街区はまもなく……』
「まだちっとは余裕がある! 全力で奴らを追撃して殺せ! 逃がしたぼんくらは俺様が殺してやる!」
 重傷を負ってなお呪いに満ちた声で和也たちを殺せと命じる殲鬼の姿は、ユキナの目にも悪鬼そのものだった。




 先刻のそれに数倍する激烈なエネルギーの奔流が交錯し、爆発の炎が無数に花開く。その様はナデシコCのブリッジから肉眼ではっきり見えた。
 統合軍艦隊と火星の後継者主力艦隊の砲撃戦は、カリストの冷え切った地表を焼き尽くさんばかりの勢いだ。巻き込まれるのを避けて後退したのは正解だったろうが、状況はルリたちが想定していた限り最悪の事態へと向かい続けている。
「ヴァルハラコロニー、および警備隊施設の周辺に流れ弾が着弾しています! コロニードームに若干の損傷を確認! 統合軍の人たち、和也ちゃんたちどころか町の人を巻き込むのをまるで気にしてません! なんで――――!?」
 澪が蒼白な顔で叫ぶ。
 統合軍の熾烈な戦いぶりからは、民間への被害を抑える意図がまるで感じられない。積極的に都市を攻撃してはいないにしても、多少の付随被害は構うものかとばかりに攻撃を浴びせている。
「統合軍の第五艦隊は、北アメリカ連合の部隊を中心に編成されてるから……」
「ニューヨーク……」
 ユリカの苦々しげな呟きに、凄惨な記憶を惹起されたか澪も顔を歪める。
 数ヶ月前の、数万の市民を巻き込んだ市街戦はまだ人々の記憶に新しい。それによって人々に伝染した火星の後継者への怒り、そして木星人への不信感は、『草薙の剣』やミスマル家が尽力しても簡単に払拭できるものではない。当事国である北アメリカ連合の国民にとってはなおさらだ。
 彼らはこの戦いを、殺されたニューヨーク市民の弔い合戦と位置づけ、民間人の巻き添えやむなしで火星の後継者を殲滅しようとしているのだろう。彼らにとって木星人は民間人であっても『敵側』の存在で、テロリスト予備軍のような認識しかないだろうから。
 だが怒りには怒りが帰ってくる。この戦闘で今度は木星人から地球人への敵意を買い、更なる対立を呼び込む事を思うと、ルリも統合軍にバカと言ってやりたくなるが、
「復讐……か」
 思い返せば、ルリとて彼らと同じ事をしていたのだ。今あそこで猛り逸る統合軍将兵を非難する資格は、多分ルリにはない。
 そんなルリの懊悩とは無関係に、戦闘はますます激しくなっていく。統合軍艦隊と火星の後継者艦隊は砲撃の応酬を交わしながら徐々に接近し、双方の艦艇から雲霞のごとく機動兵器部隊が発進――――巨大な対艦ミサイルを両腕にぶら下げた重雷撃装備のエステバリスやステルンクーゲルが、護衛機に守られながら火星の後継者艦隊へ肉薄、一斉にミサイルを解き放つ。迎撃を掻い潜ったミサイルがフィールドを突き破り、直撃を受けた数隻の戦艦が轟沈する。
「統合軍攻撃隊の攻撃で、火星の後継者艦隊の損害、大破四隻、中破五隻! 敵左翼の艦隊陣形が崩れます!」
「統合軍艦隊、第三次砲撃開始! 火星の後継者艦隊、陣形の建て直しを図りながら後退し始めました!」
 さすがと言うべきなのか、統合軍艦隊の猛攻を前に火星の後継者艦隊は被害を出しながら後退していく。戦況は明確に統合軍有利と見えたが、ナデシコCではブリッジの誰も安心や高揚を口にできない。一言で言うなら不安が拭えないのだ。
 例の巨大戦艦は今のところドックから出てくる気配がない。出港準備が整わないのか、あるいは別の思惑があるのかは定かでないが、それはまだ切り札が残っているという事でもある。無敵と思っていたナデシコCのハッキングを封殺してのけたほどの相手が、このまま終わるとはとても思えない。
 とはいえ敵の切り札が出てきていない今のうちに叩いておくというのは、戦術としては正しい。だからこそ統合軍も全力を挙げて攻撃を加えている。
「統合軍の陸戦隊も動き出しました! 揚陸艇、および護衛の機動兵器多数、ヴァルハラコロニーに向かいます!」
 火星の後継者艦隊をヴァルハラコロニー直上から追い払ったところで、統合軍陸戦隊の揚陸艦から揚陸艇が発進。排除しきれていなかった砲台が迎撃してくるが、その途端に上空から数倍する規模の艦砲射撃が降り注ぎ、砲台を片端から粉砕していく。
「地表面の砲台、およびコロニー外周部の防塁、破壊されていきます! 揚陸艦隊、降下し始めました!」
「もう止められないね……」
 ハーリーの報告を聞いて、ユリカが爪を噛む。
 艦砲射撃によって道が切り開かれ、そこから陸戦隊二万人を満載した揚陸艦がカリストへ向け高度を下げていく。艦隊戦の決着など待たずにコロニー制圧を始めるようだ。このままいけばヴァルハラ主街区は市街戦で徹底的に破壊される。これだけは回避したかった最悪の状況だが、事ここに至っては止める術がない。
 いや、それ以前に戦闘が激化すれば、港の中で身動きできないでいるこちらの陸戦隊――――サブロウタたちも危険だ。
「……タカスギ少佐。念のため……念のためですけど、今のうちに脱出できますか?」
 横目で不安げな眼差しを送ってくる澪に配慮し、念のため、のくだりを強調してルリはサブロウタに訊ねる。
 サブロウタはウィンドウの中で、首を横に振った。
『俺たちだけならできますが、肝心の揚陸艇は殆どが穴だらけっすね。まだ使える揚陸艇に怪我人優先で収容してますが、全員を脱出させるには迎えの船が要りますぜ』
 そのサブロウタの言葉に、全員の表情が曇る。
 陸戦隊を収容できる輸送力を持っているのは統合軍を除けば木連国軍だけだが、今の状況で彼らは下手に動けないのだ。
『統合軍にしてみれば、我々国軍も火星の後継者側になりうる存在だ。迂闊な動きを見せれば敵と見なされて攻撃されかねん……すまん』
 秋山は沈痛な面持ちで目を伏せ、今は助けられない事を詫びる。
 そんな秋山に、サブロウタは『はっ、お気になさらず『艦長』』と彼の部下だった頃の呼び名で呼び、気丈に笑って見せた。
『俺はまだ帰る気ありませんから。お預かりした連中を死なせて、『草薙の剣』のガキ共もユキナちゃんも助けられないままトンボ帰りなんてご免ですからね』
 すると『そうそう!』とヒカルが通信に割り込んできた。
『マンガ家として、ファンの子たちは絶対大事にするからね! だから澪ちゃん、安心して!』
『大船に乗ったつもりでご安心くださーい……乗ってるわね失礼。ククク……』
「先生たち……ありがとうございます。わたしもできる限りサポートしますね」
 イズミも彼女なりの言い回しで澪に安心しろと呼びかけ、泣きそうだった澪の顔に元気が戻る。
 ――みんな、まだ諦めていない。
 ルリも胸が熱くなる。自分たちも危険に晒されながら人のために強がりを口にするサブロウタたちも、不安を堪えて役目に集中しようとする澪も、この状況下でまだ『草薙の剣』とユキナの救出を諦めている者など一人もいない。
 私もできる事をしないと、とルリも意識を切り替え、今度は通信を格納庫のウリバタケへ繋ぐ。
「ウリバタケさん、作業の進捗どうですか?」
『かんなづきとの接舷作業はさっき終わった! これから荷物の受け渡し作業に入るところだ!』
 ルリが通信ウィンドウを開くと、格納庫のウリバタケが宇宙服姿で応じた。その後ろでは格納庫の大扉が開き、ウリバタケと同様に宇宙服を着込んだ整備班クルーたちがせわしなく行き交っている。
 戦闘の主導権を統合軍に取られ、手が出せない中でルリはナデシコCを秋山のかんなづきに接舷させ、『荷物』の受け渡し作業を始めるよう指示を出した。人間サイズなら連絡通路を接続できるが、『荷物』がそれを通らない大きさの場合は宇宙空間を経由する必要がある。
 ナデシコCもいつまた攻撃されてもおかしくない状況の中、船外活動を行わせるのは小さくない危険を伴う。そのため作業は整備班から志願者を募った上で行われたが、殆ど全員が手を上げてくれた。彼らもこれが『草薙の剣』を助けるために必要と理解し、またそれを望んでくれているのだ。
『こちらもまもなく準備完了する。だがこの後どうする気だ?』
 と、別のウィンドウから秋山がそう訊ねてきた。
『結局は『草薙の剣』と連絡が取れるか、最低でも現在地が確定しなければどうにもならないぞ。そこは何か考えがあるのか』
「いえ、何も」
 正直に即答したルリに、「ええ……?」とその場のほぼ全員がルリに猜疑の目を向けてくる。……覚悟はしていたがこの人数からこの視線は、つらい。
「……ですが状況が動いた時、こっちが準備できていなければ何もできません」
「それはそうですけど……」
「ツユクサ上等兵、今は信じましょう。『草薙の剣』はいままで沢山の危機を乗り越えてきたんです。黙って死ぬような人たちじゃありません」
 自分でも頼りない言葉だと思うが、ルリには『草薙の剣』がまだ諦めずに戦っていると、不思議な確信があった。和也との味覚共有でリンクさせたIFSから、彼らの存在が伝わってくる気がする――――というのは願望だろうか。
「……そう、ですよね。和也ちゃんたちなら絶対負けませんよね」
「ふふ、いいんじゃないかな? ユリカも信じてみるね」
「ぼ、僕も信じます……」
『整備班としちゃ、帰ってくると信じて待つのはいつもの事よ』
『……いやはや、彼らも信頼されているものだな』
『ははっ、ま、一緒に戦った仲間ですからね』
 不安が解消されたわけではない。それでも自然と笑みがこぼれる。信頼できる仲間とは良い物だとルリは思った。
 だが信じて待つと決めたその間にも状況は動いていく。陸戦隊を満載した揚陸艇の群れが続々とコロニーの港湾部に侵入し始め、隔壁を爆破したのかサブロウタのところまで振動が伝わってきた。
『おおっと、おっぱじめやがったか……』
 さすがにサブロウタの顔から笑みが消える。
 いよいよコロニー内部での市街戦が始まろうとしている。今日の事は木連建国以来、初めて本土に戦争が持ち込まれた日として歴史に刻まれるだろう。
 ――どうか、無事で。
 祈るルリの眼前、一隻のカトンボ級が被弾、流血のような火災を起こしながら警備隊施設へ向け墜落していった。



 警備隊施設の地上部にはもう一人の兵も居らず、和也たちが反重力車を奪取するまで邪魔は入らなかった。
 一際大きな爆光が頭上に発したのはその時だ。和也たちが顔を上げると、被弾したのか船体の半分を抉られ炎上するカトンボ級が和也たち目掛けて落下し始めていた。
「まずいわよ、早く出して早く!」
「わかってる!」
 奈々美が叫び、運転席の和也は急いでフローターを始動させる。当然鍵など持っていないから配線をコミュニケに繋いで簡易ハッキングツールで強制始動。車泥棒のやり方だ。
 和也たちを乗せた反重力車が地面を離れた直後、船首からまっ逆さまに落ちて来たカトンボがコロニードームを突き破り、 船体の半ばまで地面に突き刺さる。
 次の瞬間、カトンボが腹に抱えた大量の爆薬とエネルギーが爆発。巨大な爆弾と化したカトンボが火球に変じる寸前で、和也たちは主街区へ通じるチューブ通路に逃げ込んだ。
「なんとか助かった……でも白鳥さんが……」
 後ろで非常用シャッターが閉鎖され、ひとまず命を拾ったが、ユキナを置き去りにして逃げてしまった無念が胸に刺さっていた。連れて行かれたのは地下の『神在月』だろうから爆発に巻き込まれてはいないと思うが、人道的な扱いを期待するには相手が悪すぎる。
「相手はあの殱鬼先輩だ! 烈火と美雪が守るのも限界がある、あそこで殺せていれば……!」
 口惜しさのあまり、思わず歯が折れそうなほど歯噛みする。ユキナの身に何かあれば、ミナトの前でどんな顔をして報告すればいい?
 そんな和也の肩を、奈々美がポンポンと叩いた。
「後悔してる暇があるなら何か行動するべきだと思うわよ。あたしたちもあんたもまだ戦えるんだから」
「同感です、白鳥さんを助ける策を講じましょう!」
「……そのためには態勢を立て直すべきです……ナデシコの皆と合流しましょう……」
 妃都美と美佳も、今は動くべき時だと口を揃えて言う。その言葉で和也も少し頭が冷えた気がした。
「いけないいけない……そうだったね」
 悩んでる場合じゃなかったと思い直し、両手でパンパン! と両の頬を叩く。それが殲鬼に殴られた傷に響いて「いたた……」と顔を顰めながらも気持ちを切り替える事ができた。
 そうして主街区へ飛び出すと、そこでは鳴り止まぬ雷のように爆発音が轟いていた。
「もう地上戦が始まってる……!」
 統合軍の陸戦隊によるコロニー制圧が始まっているのを目にした和也たちは、一様に胸を締めつけられるような痛痒を覚えて歯を食い縛った。
 主街区の各地で火災による黒煙が上がり、その向こうで無数の機動兵器が乱舞している。外に繋がる港湾は軒並み制圧済みなのか各所のゲートは爆破され、そこから装甲車両と歩兵からなる地上部隊が続々と入り込み、激烈な市街戦を展開していた。
 故郷の町が戦場となったその光景を前に戦慄する和也たちのすぐ横で、ビルの壁面が突然展開。偽装されていた多連装ミサイル発射機が露わとなり、無数のミサイルが統合軍の方へ飛翔――――数秒後、その発射点を狙ったカウンターの砲撃がミサイル砲台を粉砕。爆発の余波が和也たちの反重力車を容赦なく翻弄し、和也の鼻先に鉄片が突き刺さって「うわぁ!?」と悲鳴を上げた。
「くっそ、派手にやってくれるよ……!」
 思わず口から出た悪態は、統合軍と火星の後継者、合い争う双方に向けられたものだ。
 市街への付随被害など考慮していない統合軍のなりふり構わぬ攻撃もそうだが、それに対しビルから巨大な砲台が顔を出し、道路に空いた穴からは虫型兵器が群れを成して飛び出し、さらには地上を走るモノレールの線路上には機関砲を積んだ武装モノレールが走り、それら兵器群が統合軍部隊へ砲火を浴びせる。
 火星の後継者は文字通り都市全体を武装化して統合軍の侵攻に抗っている。結果として統合軍の攻撃は都市そのものに向けられ、砲台に改造された建物もそうでない建物も区別なく攻撃を受けて瓦礫の山へと変じ、青空を映すドームの天井も流れ弾で破損して青と黒のモザイク模様を描いている。
 双方共に、都市の破壊を前提に戦っているのだ。和也たちとしてはどちらの行為も許し難く、故郷の都市が蹂躙される様は耐え難い。
 ついでに言えば、それを自分たちが呼び込んでしまったという自責の念もまた胸を締め付ける一因であったが、後悔するより行動しようとついさっき決めたばかりでまた長々と悩む真似はするまい。
 なによりここで止めなければもっと酷い事態が起きるのを、和也たちは知っている。だからこそ銃弾飛び交う戦場と化した主街区の中へ突っ込むのを躊躇いはしない。
「来るわよ、右、三時の方向!」
 後部座席の奈々美が鋭く叫ぶ。和也たちの反重力車を察知した数機のバッタが、ビルの合間から急速に接近してくる。本格的に戦端が開かれた事でルーチンが切り換わったのか、機関銃の銃口は既に開かれ無警告で撃ち落しに来る構えだ。
 速度、小回り共にバッタが有利な上、ここまでの戦闘で和也たちの武器も残り少ない。戦えば前回のように撃墜されるのは必死であり、和也は果たして振り切れるかとハンドルを握り締める。だが、
「大丈夫です、前回の徹は踏みません!」
 妃都美が窓から腕を突き出し、手にしたカードをバッタに向けてかざす。するとカメラアイを光らせたバッタは、一発の銃弾も放たずに和也たちの上を通過していった。
「……本当に単純なシステムなんだな。そんなカード一枚で味方と認識するなんて」
 ユキナと共に主街区を突破してきた妃都美たちは、都市の迎撃システムを構成する砲台や無人兵器が認証カードの類で敵味方を識別している事を把握していた。そこで警備隊施設を脱出する車両を確保する傍ら、倒した敵の遺体からそれらしいカードを抜き取っておいたのだ。
 おかげで前回のように脱出途中で撃墜される展開は回避できたわけだが、しかし同時に疑問も沸く。
「助かったけど、さすがにお粗末過ぎだわね。今時、DNA認証も何もないなんて……」
「……それに、来る時も思いましたが応戦している戦力の中に有人機がいないのも奇妙です……」
 奈々美と美佳も口を揃えて疑問を呈する。火星の後継者がカードにDNA認証のような本人確認のシステムを導入していれば、あるいは今のバッタが有人機であったなら、和也たちは今頃焼け焦げた残骸の一部となっていたはず。
 そうならずに命を拾えた理由を、火星の後継者の間抜けさに求めるのはきっとアホのする事だ。
「火星の後継者め、最初からコロニーを防衛する気なんて無いんだな……むしろその逆なんだ」
 コロニー内部に多数の戦力を配すれば、否応無しに市街戦になる。その結果ヴァルハラコロニーが破壊されれば、他のコロニー、他の行政区に住む木星人の怒りは統合軍、そして地球側に向く。火星の後継者の望むところはそれだ。そのために配置する無人兵器は使い捨て前提の簡素な物で十分……こんなところか。
 無論、そんな安物で統合軍の侵攻を防ぎ得るものではないだろうが、甲院の事だ。きっと他にも罠を張っているに違いない。
「警備隊の連中も巻き込まれるとか話してるのを聞いた。きっとここも危ない、早く――――――ッ!?」
 続く和也の言葉は、横を通ろうとしたビルの外壁が爆ぜた衝撃によって遮られた。
 一瞬流れ弾かと思ったが、「敵機です、四時の方向!」と妃都美が鋭く叫んだ事で間違いだと知れた。
「あれは……六連むづら! まさか有人機か!?」  偏平な逆三角形の胴体と、足を廃した代わりに大出力の大型スラスターで浮遊する奇怪な外見の機動兵器。軍のデータによれば、エース専用機である夜天光の支援機として北辰と共に和也たちの教官であった、六人集の連中が搭乗していた高性能機らしい。
 そんな物が見えるだけで十二機。味方と認証されたはずの和也たちを狙っている時点で中に人が乗っていると解る。そして希少な高性能機に搭乗しているからには、火星の後継者の中でも特別な連中だろう――――つまり、 「『天の群雲』の連中か……殲鬼先輩の差し金だな、くそ!」
「はっ! あの野郎相当頭に来てるわね、何が何でもあたしたちを殺したいみたいよ!」
「同感ですけど笑う余裕はありません、すぐに追い付かれます……!」
 奈々美は殲鬼を追い詰めた事が愉快そうだが、妃都美は銃を握り締めて切迫した声でたしなめる。わざわざ手下を使って殺しにきたのは殲鬼の焦りの表れだろうが、今の和也たちには戦いようのない相手だ。
 とにかくアクセルを一杯に踏み込み全力加速。荒廃した都市の風景が一気にエキサイティングな光景へと変わる。
 前回とは違い、今は統合軍――――言いたい事は山ほどあるにせよ友軍がほんの数キロ先で戦っている。そこまで逃げ切れれば和也たちの勝ちだ。
 と口で言うのは簡単だが、実際にはほんの数キロが絶望的なまでに遠い。
「……敵小隊、前から来ます……!」
「左に曲がる、みんなしっかり掴まって!」
 警告し、左に急ハンドル。妃都美たちは激しく揺れる車内で体をぶつけないよう必死に座席にしがみ付き、林立する高層ビル、あるいはそれに偽装した砲台に激突しそうになりながらも曲がりきる。
 一息付く間もなく、「右っ!」と再び叫んで今度は右に進路転換。直線的に飛んでいたら数秒のうちに叩き落される。進路転換を繰り返し、建物で六連の射線を切りながら飛ぶ。
 単純だが今の状況でできる唯一の抵抗。並みの機動兵器ならあわよくば振り切る事もできたかもしれないが、十二機の六連は通常の機動兵器では考えられない変則機動で追尾し、見る間に距離を縮めてくる。さながら地獄に引きずり込もうと迫る死神の群れだ。
「機動性が他の機種と段違いだ、あれが傀儡舞って奴か……!」
 和也は焦燥に呻く。
 六連と相対するのは和也たちも初めてだが、データから類推する限り、あれは本来特殊作戦向けの機体だ。脚部の大型スラスターと、肩部の可動式ターレットノズルはエステバリスなどには真似できない複雑な三次元機動を可能にしている。北辰と六人集が編み出した傀儡舞という戦闘機動らしいが、それは恐らく破壊工作や暗殺――――特殊作戦軍に求められる任務に対応するため、コロニーの内部、あるいは市街地など狭い空間での戦闘に重きを置いている。
 ビル街での追撃戦は、奴らの得意とするシチュエーションに違いない。対するこちらはただの車だ。最高速度、旋回性、どちらも勝負にならない。
「だったら……これでどうだ!?」
 和也は思い切ってハンドルを切り、反重力車をビル――武装されていない本物の――に全速で突っ込ませる。心中を思い立ったかのような真似に妃都美たちが悲鳴を上げ――――るような事はなく、意図を察した彼女たちは窓やサンルーフから銃を突き出して射撃。弾痕の刻まれたガラス窓を車の体当たりで突き破る。
 この状況で『普通の』オフィスビルに人が残っているわけもなく、和也は遠慮なく机や椅子をなぎ倒してビル内部を突き進む。装甲が施されているわけでもない反重力車がたちまち見るも無残な有様になるが、これで少しでも敵の目を逃れられればありがたい。  だがそんな淡い期待を打ち壊すように、内壁を貫いて機関砲弾が至近に突き刺さり、「うわっ!」と悲鳴を上げる。
「……敵、外から私たちを砲撃してきています、こちらの位置は正確に掴んでいるようです……」
「やはりレーダー型を連れてきていますね……!」
「いよいよ打つ手がなくなってきたわね! どうするの!?」
 どうすると言われても、逃げるのはもう限界だ。このビルから出た途端に十字砲火で粉微塵にされるのが目に見えている。
 無論、ここで白旗を上げる選択肢はない。諦めるのも同様だ。
 なら、残された手は――――

「……三人とも、覚悟を決めて!」


「撃ち方やめ、撃ち方やめ!」
 中隊長の号令がかかり、『天の群雲』六連中隊十二機は、ビルを蜂の巣にする手をぴたりと止めた。
 仕留めて――――はいない。中隊長機のモニターには、中隊の一人であるレーダー型生体兵器からデータリンクで送られてくるレーダー画像が表示され、『草薙の剣』が乗る反重力車がまだビルの中で動いているのが見える。
 レーダーの精度の低さか、あるいはデータリンクにラグがあるのか、ビル内を高速で動き回る連中を正確に射抜くのは難しいようだと悟った中隊長は、しぶとい奴らめと内心で舌打ちしつつも中隊に散開を指示し、ビルを円形に包囲させる。『草薙の剣』がどこから飛び出してきても即撃ち落せる態勢だ。
 ふと戦術マップに目をやると、統合軍は既に主街区の三割近くを制圧している。ここまで前線が到達するのも時間の問題だろう。
 そうなる頃には作戦が次の段階に移行するはずだ。その前に『草薙の剣』を始末して戻らなければ巻き込まれる。こんな時に無茶な命令を出してくれたものだと殲鬼の事を恨めしく思わないでもなかったが、どのみちあの裏切り者連中はここで殺すべきだと思い直す。
「中隊全機、左腕のミサイルを下層階に向け全弾発射。ビルの基部を崩して、連中を生き埋めにしろ!」
 六連の腕部に装備された二十連ミサイルランチャーを一斉発射。計二百四十発のミサイルが下層階で炸裂し、自重を支えきれなくなったビルが大きく痙攣しながら崩れ落ち始める。
『草薙の剣』が飛び出てくる気配はない。観念したかと気を抜きかけたその時、レーダー画像の中で『草薙の剣』の機影が真上に向かって急速に上り始めた。
 ――真上に移動? ……エレベーターシャフトか!
 エレベーターの上下するシャフトを反重力車で駆け上がるという予想外の動きに少し虚を突かれたが、すぐに全機上昇して後を追う。 
 すると、ビルの屋上で爆発。『草薙の剣』が今度はシャフトの天井を爆破し、屋上まで貫通した穴から外に飛び出してきた。そこから降下に転じてまたビル街に逃げ込もうとするかと思いきや、反重力車は飛び出した勢いのままほぼ垂直に近い角度で上昇し続けた。
『――――こちら『草薙の剣』! 現在反重力車で脱出中、敵の追撃を受けています、救援を――――!』
「なんだ、オープン回線? ……馬鹿め、錯乱したか」
 こんな所まで助けに来る友軍などいるはずもなかろうに、助けを呼んで叫ぶとは哀れを通り越して滑稽だ。六連中隊の面々から漏れる嘲笑が通信回線に響き、中隊長も思わず顔に嗤いを浮かべてしまう。
 上昇しつつ右手に保持したハンドガンの照準を反重力車にロック。遮蔽物のない高空だ。急降下で避けようとしても今度こそ外さない。
「死ね」
 中隊長は必殺を確信し、スティックのトリガーに指を掛ける。
 何処かから一発の砲弾――尋常でない高速弾はレールガンのそれだ――が飛来したのはその時だ。六連の一機が逆三角形の胴体を貫かれ、炎を噴きながら市街へと落下していく。
『七番機大破! 三時方向から攻撃、敵機です!』
「敵機だと!? まだ防衛線は破られていないはず……数は!?」
『青色のエステバリス一機、他は見当たりません!』
 単機だと、と中隊長の頭に血が上る。
 青色のエステバリスと聞けば、乗っているのがあの秋山の腰巾着なのは容易に想像が付く。『草薙の剣』と並んで思い知らせてやるべき裏切り者だ。
 そして何より部下を一人落としてくれた、その落とし前はつけねばならない。
「第一、第二小隊はあのエステバリスを集中攻撃する! 七番機の仇を取るぞ! 第三小隊は引き続き連中を追え、エステバリスと分断して仕留めろ!」



 崩壊するビルの中を駆け抜け、エレベーターシャフトの天井を最後の携行ミサイルで破壊し屋上から脱出する。その行動は六連中隊の虚を突き、脱出して即撃墜、というのは免れた。
 無論、再び逃走したところですぐ追い詰められるのは目に見えている。なら思い切って稼ぎ出した数秒の余命を使い、周囲から見えやすい高空に駆け上がってオープン回線で助けを呼ぶ。それを聞いた友軍――――ナデシコのエステバリス隊が助けてくれる可能性に賭けたのだ。
 殆どやぶれかぶれの手。錯乱したと言われても反論できそうにないが、事実ナデシコ部隊はカリストまで来てくれた。生存しているかも定かでない自分たちを、生きていると信じてだ。
 ならこっちも信じてみる事にした。助けはもう、すぐ近くまで来ているはずだと。
『『草薙の剣』、無事かっ!?』
 思いは天に届いたと言うべきだろうか。六連の一機が落とされると同時、待ちわびた声が聞こえてきた。
「……タカスギ少佐!」
『ハッハー! ご都合主義だと笑わば笑えってか!? 相変わらずしぶとい奴らだ、助けに来た甲斐があったぜ!』
 喜色を隠し切れない声と共に、サブロウタのスーパーエステバリスが機体を寄せてくる。
 その姿も声も地獄に下りてきた仏の如くありがたい助けだが、予想外だったのは彼が単機で来たという事だった。
「少佐、まさか独りでここまで!? 他の人たちは!?」
『いやあ俺一人で来たわけじゃないんだが、動ける奴が殆ど居なくてな! ヒカルちゃんとイズミちゃんはこの先で退路を確保してる!』
「なんて無茶を! ボロボロじゃないですか!」
 妃都美は心配が先に立ったのか、感謝より先に怒ってしまう。
 市街戦の混乱を利用したとはいえ、たった三機であの防衛システムを掻い潜ってここまできたのはさすがと言える。だがそんな彼らをしても相当な激戦であったのは傷だらけになったスーパーエステバリスの機体が物語っている。レールガンは今の一発が最後だったのか投棄して予備のラピッドライフルに持ち替え、固定武装のオートキャノンは片方が脱落。ミサイルも使い尽くしているだろう。
『お前らほどじゃねえさ! こいつらは俺が相手するから行け!』
「待ってください、相手は生体兵器部隊です! その機体では……」
『いいから行けって! なーに心配すんな、すぐに片付けて追い付く!』
 和也たちの静止も聞かず、サブロウタのスーパーエステバリスは反転。追ってくる六連に向かっていく。
 程なくして激しい砲撃音が響き始める。サブロウタが簡単にやられるとは思いたくないが、十一対一。おまけに弾も少ない傷付いた機体ではあまりにも形勢不利すぎる。いずれは弾かバッテリー、あるいは両方が尽きる。そこを集中攻撃されれば終わりだ。
「和也さん、このままでは少佐が……!」
「解ってるよ! でも今の戦力じゃどうにもならない、少佐の言う通りにするしかないんだ!」
「ですが……!」
「妃都美、あたしたちだって悔しいのは同じだわよ……!」
 たまらず肩を掴んでくる妃都美の手を、和也は振り払って叫ぶ。心配なのは同じだし、助けられずに歯がゆいのも同じだ。
 ただでさえ助けに来てくれたユキナを連れ去られ、この上サブロウタまで失って、それで生還できたとしても、いったいどの面を下げてユリカにそれを報告すればいい?
 せめてあの機体があれば、と歯噛みする和也に、「……助けを呼びましょう……」と美佳が声をかけた。
「……少佐の言う通りなら、ヒカルさんたちも近くまで来ているはずです……」
「そうか、近くなら繋がるかも……」
 祈るような思いで手首のコミュニケを操作。通信回線を開いて呼びかけると、砂嵐に混じって声が聞こえてきた。
『こち……カル! カズヤくんたちなの!?』
 ――天の川先生!
「はい、『草薙の剣』四名は……無事です! ですが、敵に追われています! 現在タカスギ少佐が単機で応戦中、至急救援を!」
 ユキナが居ない現状を無事と言うのは抵抗があったが、とにかく救援を要請する。これで助かったと一瞬思ったが、
『無事なのはよかったけど……ゴメン、こっちも敵と交戦中!』
『こちらも右に同じく……!』
 ヒカルに次いでそう答えたのは、一瞬誰かと思ったがイズミだ。彼女たちほどのエースパイロットでも冗談を口にする余裕がないほど、二人とも激戦の只中に居る。
「く、それじゃあどうしたら……」
『少し待って、ナデシコに――――』
 そのヒカルの言葉を、最期まで聞いてはいられなかった。
 ゴウッ、とスラスターの噴射音が間近に迫り、はっと顔を上げた和也たちの眼前に一機の六連がビルの陰から飛び出した。逃げ場もなく、戦慄する和也たちに黒光りするハンドガンの砲口が向けられる。
『てめぇ、俺を無視してガキの尻追っかけてんじゃねえよ――――!』
 そこへサブロウタのスーパーエステバリスが割って入った。出力最大で突っ込み、六連のハンドガンを持つ右腕を狙っての横蹴り。砲口を逸らされたハンドガンから放たれた砲弾が和也たちのすぐ横を掠めていった。
 サブロウタは間伐入れず、左手のイミディエット・ナイフを六連の右足に当たるスラスターに突き刺す。スラスターが黒煙を噴いて機能停止し、自重を支えきれなくなって落下し始める六連を蹴り飛ばして遠ざける。やった、と一瞬和也は喜んだが、それは追尾してきた六連に背を向けてしまう、サブロウタにとって致命的な隙だった。
 複数機の六連が手首を高速回転させ、錫杖型の刺突武装を投擲する。そこからの光景は『ブースト』を使ったわけでもないのにひどくスローに思えた。背後からの攻撃に対応が遅れたサブロウタは避けきれず、胴体を錫杖が貫通――――背中の重力波スラスターが火を噴き、サブロウタの声が「ぐあ……!」という声を最後にぶつりと途切れる。
「しっ……少佐ああああああああああっ!」
 凍りつき、あるいは絶叫する『草薙の剣』の眼前で、力を失ったスーパーエステバリスの機体がぐらりと傾ぎ、そのまま地上へと落ちていく。
「少佐、返事をしてください! 少佐……!」
「畜生……! 肝心な時に限ってあたしたちは……!」
 誰もが無力に呻く。墜落したサブロウタをもはや脅威でないと見たか、六連中隊は機体を翻して和也たちに迫ってくる。
 ――ここまでなのか……
 助けに行くどころか自分たちの身すら危うい状況で、ユキナに次いでサブロウタまで失い、足掻く気力すら折れそうになって観念しかけた。
 その時、不意にコミュニケから声が響く。
『ちゃん――――和也ちゃん、聞こえる!? 聞こえたら返事して!?』



『その声は澪!? どうしてナデシコと通信が……』
 澪の呼びかけに、切迫した、しかし確かな和也の声が返ってきて、後ろで聞いていたルリは思わず拳を握っていた。
「ああ、和也ちゃん無事で――――ってそれは後! 今いる所を教えて!」
 澪も和也の声を聞いて泣きそうだったが、無事を喜び合う暇はお互いにない。
 現状、最優先すべきは『草薙の剣』の現在地を把握し、ナデシコCとの通信を回復する事だった。
 ヴァルハラコロニー内は依然強力なジャミングの影響下だが、エステバリスの通信出力ならある程度の通信範囲は確保できる。そこで捜索に出たエステバリス隊は退路の確保を兼ねて途中に残り、エステバリスを中継器とする事で『草薙の剣』との通信を可能にしたのだ。
 問題は、戦闘が激化する中では港の中に残された上陸部隊の護衛にも戦力を割かねばならず、『草薙の剣』捜索には少数のエステバリスしか出せなかった事だ。その結果として和也たちの元へ辿り着けたのはサブロウタ一人となり、彼が撃墜されるという事態を招いてしまった。
 ――もっと戦力を残せていれば……
 ハッキングを封じられた事が返す返すも悔やまれ、ルリは内心で爪を噛む。
 サブロウタの安否を思うと気が気でなかったが、今は後悔している暇はないと思い直し、口を開く。
「ウリバタケさん、秋山少将、そっちは準備どうですか?」
『ちょーど今機体の固定が終わった! 現在システムの立ち上げ中、終わり次第そっちにリンクを繋ぐ!』
『こちらも射出準備完了だ! 座標データが来れば10秒以内に射出する!』
 答える二人の男の声にも、間に合ったという昂ぶりが滲んでいる。
「了解です。コクドウ隊長――――これからそちらの座標近くに、あなたたちの機体を送ります」
『機体を送る?』
「ボソンジャンプによる転送です。現在ウリバタケさんたちが秋山少将のかんなづきに機体を運び込んでいます」
『そうか、次元跳躍ボソン砲……!』
「建造物との干渉を避けて、出現座標は地表から500メートル上空に設定します。その後は私がエステバリス隊経由のリンクで遠隔操作してそちらとランデブーさせますから、空中で飛び移って搭乗、応戦してください」
『さらっと難度高い事言うな……了解!』
 和也が反重力車を上昇させ始め、次いで澪からも「座標データ、かんなづきに送信完了!」と報告が届く。
『データ受信した! これより射出する、ナデシコの整備班は退避しろ!』
『了解了解! こっちも全機システム起動完了、ジェネレーターも熱々だ! いつでもいけるぞ!』
「皆さんの頑張りに感謝します!」
 そう皆を労ったユリカと頷きを交わし、ルリは叫ぶ。
「アルストロメリア・カスタム全機、射出!」
 ルリの号令一下、かんなづきのボソン砲チャンバーから四機の機動兵器が打ち出され、下部の小型チューリップのフィールドへと吸い込まれる。
「アルストロメリア・カスタム、ヴァルハラコロニー内部へのジャンプアウト確認! イズミ機、ヒカル機を経由してデータリンク確立成功! 映像と機体のコントロールを艦長に回します!」
 一瞬後、コロニー内に出現した四機とナデシコとのリンクをハーリーが素早く繋ぎ直し、ルリの眼前に四機からのカメラ映像が多少不鮮明ながらも現れる。ほぼ自由落下に近い状態で降下する四機の視界の中、六連に追われながらも駆け上がってくる和也たちの姿がはっきりと見えた。
「手前五十で逆噴射制動かけて相対速度合わせます、そこで――――」
『ダメ、ここで速度を落としたら狙い撃たれる! 動力降下パワーダイブで一秒でも早くランデブーしないと!』
「ですが、それだと飛び移れませんよ?」
『距離三十で飛び出しますから、マニピュレーターで捕まえてくれればいい! 後はこっちでコクピットに潜り込む!』
「……難度の高い事を言うのはどっちですか、ソレ」
 ルリは思わず顔を顰める。
 四機同時に遠隔操作で機体を操り、落ちる和也たちに追いつき、握り潰さないよう加減して捕まえ、地面に激突する前にコクピットへ導く。それは千手観音ならぬ人間の身には不可能と言っていい繊細なマルチタスクだ。ついでに言えばジャミングで操作精度も落ちている。
 ルリの処理能力なら不可能ではないが、一つ間違えば和也たちの命はない。それはルリをして躊躇させるほどのリスクでありプレッシャーだった。
 しかし和也は、『問題ないです』と事も無げに言ってのけた。
『信じてますよ中佐。僕たちは確信しています』
 和也が言い、後ろの妃都美も、奈々美も、美佳も揃って頷くのを見て、ルリは思わずはっとした。
 そうだった。彼らはナデシコなら万難を配して助けに来ると信じて、ここまで懸命に逃げてきたのだ。いまさら命を預ける事くらいどうという事はない。
 そしてルリたちも、和也たちの生存を信じてここまで来た。ヒカルとイズミもサブロウタも危険を押して捜索に出て、結果ここまで生還の細い糸を繋ぐ事ができたのだ。ここで自分が尻込みしてどうする。
「死んでも文句は聞きませんよコクドウ隊長。……今!」
 ルリの合図に従い、『草薙の剣』の四人が反重力車から空中へと身を躍らせる。直後に追撃してきた六連の投じた錫杖が和也たちのすぐ横を通過し、反重力車を粉々に粉砕した。
 直後にルリは四機のアルストロメリア・カスタムを重力波スラスター全開で動力降下させ、それぞれのパイロットの元へ導く。カメラ映像の中表情さえ鮮明に見える四人は、全員がカメラ越しにルリを見、手を伸ばしていた。
 ――お願い、届いて……!
 一秒が何時間にも引き伸ばされたような感覚の中、ルリもまた四機の腕を――――そして無意識的に、自らの両手を伸ばしていた。



「チッ……! 合流させるな! ここで仕留めろ!」
『草薙の剣』の反重力車がまたぞろ上昇に転じ、直後上空に四機の見慣れない機動兵器がボソンジャンプで現れるのを見た六連中隊の中隊長は、あれと『草薙の剣』が合流すれば厄介と判断し、舌打ちと共に攻撃を命じた。
 中隊長機と数機の六連が錫杖を投擲し、反重力車を粉砕――――しかしその直前に『草薙の剣』は車から飛び出し、それぞれが機動兵器に抱えられるのが見えた。
 四機の奇妙な機体は一瞬のうちに六連中隊とすれ違い、そのまま地表に激突しそうな勢いで急降下を続けていく。
「逃がすな! 全弾叩き込め!」
 六連中隊も逃がすまじと機体を翻し、火器の照準を機動兵器に向ける。反重力車より大きい的、回避機動を取る様子もないそれは狙うに易い。ハンドガン、ミサイル、錫杖、ありったけの火力が叩き込まれ、四機の姿が爆炎に消える。
「まだ油断するな、撃破確認しろ!」
『反撃無し、レーダーにも動力反応ありません』
「仕留めたか……?」
 あの速度で被弾すれば、減速もままならないまま地面に激突しただろう。中隊長は今度こそ仕留めたと安堵しかけた。
 ピピヒピピ、と耳慣れない警告音がコクピットに鳴り響いたのはその時だ。ロックオン警報とも、機体のステータス異常警報とも違うその音が何を意味するか、六連中隊の全員が一瞬思い出せなかった。
 それが未確認のボソンジャンプ反応が近隣で観測された事を示す警報――――敵が至近にジャンプアウトしてきた警告だと思い出した時には、一機が砲撃を受けて爆発四散していた。
「単独ボソンジャンプだ! 散開しろ!」
 中隊を散開させつつ目を向けると、向かってくる敵機が四機。間違いなく先ほどの機体だ。こうしてみるとあれは……
「何だあの機体は……『主役メカ』か!?」



 両手を広げ、落ちる和也たち一人一人を抱きとめるように急降下してくるアルストロメリア・カスタム。その手が和也の身体を捕らえた時は本能的にヒヤッとしたが、ルリは握り潰さない程度の力加減で和也たちをコクピットまで導く離れ技、それを四機同時に行うという神業を見事やってのけた。
 機体の掌を蹴ってコクピットに飛び込み、どうにかシートに身体を固定。ハッチが閉じ、定位置に収まったコントロールユニットのIFSボールを掴む。
『全ての機体にパイロットの搭乗を確認。操縦桿お任せします、ユー・ハヴ・コントロール』
「アイ・ハヴ・コントロール! ……ってうわ、もうぶつかりそう!」
 機体のコントロールをルリから受け取った時には、もう目の前までビル街の地表が迫っていた。ついでに後方から六連中隊の砲撃ももう始まっていて、下手に減速すれば被弾からの墜落が免れない状況だ。
 他の機体であれば。
「全機、緊急跳躍回避!」
 イメージ。六連中隊の背中を数百メートル先から見ている光景。直後機体がボソンの輝きに包まれ、次の瞬間にはイメージした通りの場所に出現している。
 距離や回数に制限こそあれ、単独のボソンジャンプ機能を持つアルストロメリア、そのカスタム機なら緊急跳躍によって窮地を逃れられる。まして木連軍の兵士としてジンタイプを操っての戦闘訓練を積んだ『草薙の剣』ならば、咄嗟に跳躍先のイメージを結びジャンプするのは容易い事だ。
ブレード5ヒトミ、正常にジャンプアウト、機体各部異常ありません』
『……ブレード6ミカ、相転移エンジンの出力良好。機体各部正常に稼動……』
ブレード4ナナミ、コンディション良好、いつでもどうぞ!』
「ブレードリーダー、機体ステータスオールグリーン、戦闘続行可能……!」
 全員が無事と戦闘可能な事を告げ、ルリは内の熱を冷ますように息を吐く。

『『草薙の剣』、改めて交戦を許可します。全兵装使用自由ウェポンズ・フリー、敵をぶっ飛ばしちゃってください!』
「了解。全機戦闘モード、交戦開始エンゲージ!」

 IFSボールに添えた右手に力を込める。呼応して機体各部のモーターが力強い駆動音を響かせ、四機の機体が鎧兜の如き面を上げる。
 反撃の第一矢は和也が放つ。和也機が右手を上げ、さながら騎兵槍ランスのように長い銃身を持った銃を構える。銃口の代わりに突き出した二本の電磁加速レールが紫電を発し、次の瞬間連続して発射された30ミリの弾体が六連を背後から撃ち抜き爆散させた。
 仕留めたと思っていたところへの背後からの奇襲に六連中隊は一瞬狼狽した動きを見せたが、すぐに態勢を立て直し撃ち返してくる。雨霰と放たれる砲弾を、四機は六連にも劣らない高機動力で避け、あるいはフィールドで弾き返して肉薄する。
「いいぞ、反応速度がシミュレーター通り、いやそれ以上!」
 機体が自分の意のままに動く感覚に拳を握る。
 ルリがソフトウェア、ウリバタケがハードウェアをデザインし、パイロットである『草薙の剣』メンバーの特技に合わせた能力を持つ強力なワンオフ機。その機体性能は従来のエステバリスはもちろん、六連や夜天光といった火星の後継者のハイスペック機に対しても大きく優越している。
 それを実現しているのは、ルリが開発した特別なシステムだ。
『アルストロメリア・カスタム各機とナデシコCのリンク良好。通信強度も許容範囲内、動作最適化率78パーセントです。動作最適化プログラム、順調に動作しています』
 火星遺跡の戦闘で和也を援護するため、ルリが即興で構築した機体とナデシコCのオモイカネとをデータリンクで並列化し、動作を最適化するプログラムの改良版が四機には組み込まれ、それによる高い負荷に耐えるため機体剛性も高めてある。
 電子の妖精の加護を受けて機体性能はさらに高まり、間違いなく現時点で世界最高と言っていい超高性能を実現しているのだ。
「これなら……!」
『これならあんな足のないゲテモノに負けるわけがねえ! 俺たちの作ったこの機体は無敵だぜ!』
 いきなり興奮気味な大声が響き、和也はうわ、と驚いた。
「ウリバタケさん……戦闘中なんですけど」
『かてえ事言うなよ俺とネルガルとルリルリ、そしてお前らが協力して仕上げた機体の初陣だぜ!? 見届けてやらねえでどうする!』
 鼻息も荒くウリバタケは叫ぶ。
 アルストロメリア・カスタムの開発過程、それは最新鋭機を思うがままカスタムできる歓喜のあまり暴走し、奇天烈な武器を搭載しようとする彼との戦いでもあった。ウリバタケは人生最高の時間だったと語るが、和也たちにとっては苦労した記憶しかない。
 その力は折り紙つきなのだから、苦労の甲斐はあったと思うべきなのだろうが。
『存分にやれ! ああでもあんまり壊すんじゃねえぞ!? 開発費が戦艦並にかかってんだからな!』
『善処しとくわね! 『ゲルフォルトジャイアント』、突貫するわよ!』
『おい言ってる傍から!』
 ウリバタケの喚き声を無視し、奈々美の乗る真っ赤な――リョーコのエステバリスと比して暗めな赤色の――機体が背中の、ありえないほど巨大なブースターユニットを噴射。大出力による超加速を得て一気に六連中隊へと肉薄する。
 当然、単機で突っ込んできた奈々美機目掛けて六連中隊の一斉射撃が浴びせられる。対する奈々美はそれを機体捌きで回避し――――ない。回避機動はごく最低限に止め、殆ど一直線に六連へ向かう。当然何発か被弾するのだが、奈々美機はそれをディストーションフィールドで、あるいは機体の装甲で弾き、構うものかとばかりに突っ込んでいくのだ。
『おらあ! ぶっとべーっ!』
 気合一発、コクピットの中で奈々美はパンチを繰り出す。それをなぞるように機体もまた、オリジナルのそれより二周りは大型化した腕部での打撃を放つ。
 瞬間、ボバッ! と爆発が生じ、胴体に大穴を穿たれた六連が落ちる。ナックルガードにびっしりと配された爆薬――――成形炸薬式の爆発反応装甲がパンチと同時に炸裂し、六連を貫いたのだ。
 とはいえ撃墜した瞬間は隙がある。その隙を狙って、六連が奈々美機の背後に回っての射撃を狙う。
 そこへ閃光一閃。奈々美機の腰部にマウントされた二基の量子レーザー砲が火ならぬ光を噴き、背後の六連を撃ち抜き撃墜する。
『ったくテメエ、シミュレーターじゃその戦い方で何度撃墜された!? おまけにオニューの機体を早速傷だらけにしやがって!』
『いいじゃない、戦えてるんだから! いい機体だわよこいつは!』
 奈々美の格闘技術を少しでも反映できるよう、腕の動きをトレースして機体動作に反映するシステムを採用する、というカスタマイズは概ねうまくいったのだが、問題はむしろその後だった。ウリバタケが文句を言っているように、敵に突っ込んでの格闘戦を好む奈々美は被弾しやすいどころか、大破撃墜のリスクも高かったのだ。
 そこでウリバタケは被撃墜率を下げるためディストーションフィールド出力の強化と装甲の増設によって防御力を上げ、それで機体が重くなり機動力が下がった分は大型ブースターの搭載による突進力の強化で解決。結果として出来上がったのは被弾覚悟で高速突進し、敵をぶん殴るというイノシシじみた機体だった。
 それがゲルフォルトジャイアント。敵を殴り殺す事に特化した猪武者の機体だ。
「奴らは僕と奈々美で相手する! 妃都美、少佐はどうなってる!?」
『アサルトピットが排出されているのを確認しました、まだ生きてるかもしれません!』
「美佳、少佐のアサルトピットを回収して! それが済み次第離脱を――――うわっ!」
 六連と交戦していたところに横からの砲撃を受け、和也は危うく回避する。
「くそ、都市の迎撃システムがこっちにも向いてきた! さすがに見逃してくれないか!」
『私がやります。『サルビア・ガラニチカ』スナイブトレースシステム良好、射撃します!』
 答える妃都美は、コクピットの中で左目の義眼を取り外し、そこにシートから伸びたコネクタを突き刺していた。そして側面からアームで伸びたライフル形のコントローラーを両手で構えると、それに連動した形で機体がビルの屋上に片膝を付き、射撃の体勢を取る。
 妃都美機はパイロットである妃都美の狙撃能力を生かせる機体に、というコンセプトは当初から決まっていたが、妃都美の両目も両腕の人工筋肉も機動兵器の中から生かすのは難しく、条件的には一般兵と大して変わらなかった。
 そこでルリの発案により左目を取り出し、接続部にコネクターを接続する事で視神経を機体のカメラと直結、コクピットにも照準機と連動したライフル型コントローラーを設置する事で、妃都美の狙撃能力をダイレクトに反映可能な仕様となった。
 そうして出来上がった機体は『サルビア・ガラニチカ』。頭部両側面から大きくレドームが張り出し、機体各部に大型のセンサーとレーダー類を配して高度な索敵と照準の能力を獲得した狙撃用の機体が、銃というにはあまりに巨大なライフルを構える。
『『アメノハバキリ』発射します!』
 轟音。艦砲にも匹敵する衝撃波が周囲のビルを嬲り、割れ飛んだガラスがダイヤモンドダストのように舞い上がる。一瞬後、その射線上にあった兵装ビルに大穴が開き、半ばから折れるように倒壊する。これには撃った妃都美自身も驚いていた。
『す……すごい。砲台化されたビルが一撃で……』
『120ミリ大型レールカノン『アメノハバキリ』! かつて木連軍が拠点防衛に運用し、ナデシコAを中波に追い込んだ重力波レールガン『ナナフシ』の発射機構を元にした大型レールガンだ! マイクロブラックホールの生成機構はダウンサイジングできなかったから発射するのはただのタングステン弾体だが、それでも艦砲並みの威力だ! 間違いなくエステバリスサイズの機動兵器が運用する兵器としちゃ最高のサイズと威力だぜ! さすがに重いから機動性は低下してるがな!』
『高機動戦をする機体ではないですし十分ですよ。美佳さんの機体もありますからね……』
『ふむ、だったらやっぱりプランB採用しねえか? 『アメノハバキリ』二門に増やしてミサイルも追加した移動砲台的なコンセプトの――――』
『それはいりません』
 雑音を受け流しながら妃都美は『アメノハバキリ』の射撃を続ける。一度轟音が響くたびに兵装ビルが叩き壊されていくが、それに比例して機体のバッテリー残量が見る間に減っていく。
『く、バッテリーがもうこんなに……』
『あたしも結構減ってきた!』
「僕も同じく。やっぱりエネルギー消費が大きい……」
 六連中隊と高機動格闘戦を舞いながら、和也は眉根を寄せる。
 アルストロメリア・カスタムは強力な機体に仕上がったが、ウリバタケが稼働時間との兼ね合いなど無視して機体出力を向上させたり、エネルギー消費量が大きい武装を積んだりした結果、重力波ビーム圏外での稼働時間がエステバリスと同等レベルに低下。アルストロメリアの長所だったスタンドアローン能力が死んでいるという共通の欠点がある。
 これはボソンジャンプを利用して敵地へ切り込む運用も想定される以上無視できない欠点だ。現にこのままではナデシコに帰り着く前にエネルギー切れに陥るのは確実。 『だがしかあし! そのための『エレムルス』だ! 頼むぜ美佳ちゃん!』 『……了解。重力波ビーム、各機に照射します』  答えた美佳の機体は、大きくカスタマイズされた四機の中でも一際異彩を放っていた。  機体そのものは、アルストロメリアの頭部に電子戦用のアンテナなどが増設されている他に目立った差異はない。しかしその背中には全長20メートルを超える大型ユニットが背負われているのだ。背負っているというより、ユニットの中央からアルストロメリアの上半身がちょこんと飛び出している、と言ったほうが正しい。  この機体、開発当初はナデシコCのハッキングをサポートし、同時に他の機体に電子戦支援を提供するための電子戦機であり、アルストロメリアへの各種電子戦装備搭載と、重量の増加分を補うための出力増加を図る程度の改装に留まるはずだった。しかし開発途中で他の三機が総じて稼働時間が低下するという壁にぶつかり、ウリバタケの発案で急遽ジンタイプ用の小型相転移エンジンを搭載した大型のユニットを背負わせ、重力波ビームによる補給能力を付与。他の三機に追随可能な機動力を確保するための大型スラスターも装備し、空いたペイロードを利用して予備の武器弾薬を格納できるコンテナも備えた補給母機として完成した。
 重力波ビームの照射を受け、三機のバッテリー残量が一気に回復。しかしそれを見て重要度の高い目標と判断したか、数十機のバッタが美佳機へ殺到する。
『……虫型兵器の接近を感知。近接防御兵装による迎撃を開始します……』
 途端、美佳機の大型ユニット、その後方に格納されていた六つの砲塔が起き上がる。蜘蛛の足の如く屹立した六門のレールカノンがそれぞれバッタの群れを指向し、それらが一斉に紫電を放つ。
 発射された弾体は対空榴弾だ。砲弾内に詰め込まれた高性能爆薬が炸裂し、内部の金属塊が金属噴流となって四散、それを浴びたバッタは穴だらけになって墜落していき、生き残りは一網打尽を避けようと散開しつつミサイルで美佳機を狙う。
 そこへ無数の閃光が乱舞する。バルカン砲、レーザー砲、小型ミサイル――――美佳機のユニット各所に配された無数の迎撃兵装が火を吹き、戦艦のそれもかくやという弾幕を浴びて発射したミサイルもろともバッタが叩き落されていく。
『ワハハハハハハッ! 補給母機を狙ってくるなんざお見通しよ! こんな事もあろうかと、そう、こんな事もあろうかと! 『自衛武装』はたんまり装備してあるからな! その程度の攻撃でこの弾幕は抜けら』
「澪、うるさいから通信を切断して!」
『あ、うん』
 あまりのでかい声に、和也はたまらず通信を切らせる。
 ともあれウリバタケが言う通り、作戦行動の要となる補給母機としての機能が追加された美佳機はその巨大さも相まって敵に狙われ易くなる事は予想できた。そこで武装ユニットには相転移エンジンの潤沢な出力を生かし、主砲のレールカノン六門を初めとする過剰なまでの『自衛武装』が追加された。
 もはや当初のコンセプトと大きくかけ離れた、小型戦艦の如き威容を誇る大型機動兵器、その名も『エレムルス』。
『ようお前ら、カッコいい機体じゃねえか……羨ましいなちくしょう』
「少佐!? ご無事ですか!?」
『大した怪我じゃないと言いたいが……ゲフッゲフッ! ……ちとしんどいなこりゃ。機体も自力じゃ逃げられそうにない』
 答えるサブロウタは苦しそうに咳き込み、口の端から血が垂れていた。バイタルデータを見ても肋骨や背骨を損傷していてもおかしくなかった。
「エレムルスに固定して回収します! もう少しだけ頑張って!」
 エレムルスがサブロウタのアサルトピットに降下していくのを見届け、和也は六連中隊に向き直る。
 ――一秒でも早く、こいつらを片付ける――――!
 和也機は背部スラスター全開で六連――通信アンテナが増設されているのを見ると中隊長機だろう――を狙って突貫。そうはさせまいとバッタの編隊が和也の前に割り込み、さらにビルの砲台も砲撃を浴びせてくる。
「邪魔だ――――!」
 背部スラスターがベクトルを変え、機体を鋭角的に振り回す。六連顔負けの複雑な三次元機動で砲撃を避けつつ右手の銃を連射する。
 フルオートレールガン。30ミリの弾体を毎分800発のレートで連射するアルストロメリア向けの新兵装だ。その威力と制圧力は従来のラピッドライフルに比べ段違いで、バッタのフィールドと装甲を紙のように貫き、砲台を叩き壊していく。
 そして和也が駆るその機体は、通信と索敵の機能を高めた隊長機。頭部に通信アンテナと各種センサーを増設した頭部はさながら羽飾りのついた西洋の騎士鎧のように勇壮な顔つきで、さらに背部には大型の重力波スラスターユニットを装備し、肩部装甲にもスラスターを増設して六連や夜天光に匹敵する高機動力を獲得している。

 機体名は『セントポーリア』。
 鎧に身を包み、翼を持つ戦乙女ヴァルキリーを思わせる白亜の騎士だ。
 邪魔者をあらかた叩き落とし、中隊長機に肉薄。残弾が少なくなったレールガンを格納し、同時に肩部装甲にマウントアームで保持された巨大な剣を右手で掴む。

 長剣型フィールドランサー、『ホノカグツチ』。
 開発当初、標準的なフィールドランサーを使ってみたが、やはり扱い慣れた長剣がいいという和也のリクエストに答えてウリバタケが長剣型に改造……するだけで飽き足りるわけもなく、機体出力の増加に合わせて大剣レベルに大型化し、ディストーションフィールド中和装置もより大型で強力な物に。そのせいで重量バランスは悪くなり、エネルギーもバカ食いする代物になってしまった。これにはプロスペクターも「次期主力兵装の参考にはなりませんな」と呆れていたが、当のウリバタケは「専用機に専用武器はロマン」と気にした様子もなかった。
 威力はあるが一般的な機体ではまず使いこなせないそれを、抜刀の勢いのまま上段から振り下ろす。対する六連は錫杖で迎撃。剣と錫杖がぶつかり合い激しく火花が散る。
 中隊長を任されるだけあってか、六連のパイロットは錬度の高い手だれだった。機体性能で優越していても一撃の下に切り伏せるとはいかなかったが、ここでてこずるようでは本当の強敵とは戦えない。
「負けてられないんだよ……お前らなんかに――――!」
 叫び、ホノカグツチを左から水平に切り払う。しかし大振りな攻撃は六連に錫杖で軽くいなされ、跳ね上げられる。
 セントポーリアのがら空きになった胴体に錫杖の切っ先が向けられた瞬間、六連のパイロットは勝利を確信しただろう。勝ちを焦った未熟者め――――そんな嘲笑が聞こえてくるようだ。
 ――そこだぁっ!
 瞬間、セントポーリアの左腕が巨大なクローに変じ、猛獣の顎の如く六連の右腕へと食らい付く。
 木連式抜刀術、『暗剣』。本来は右手の太刀に相手の注意を引き付け、左手の脇差、あるいは暗器のナイフでの攻撃を狙う技、その応用としてわざと隙を見せ、油断を誘う搦め手によって腕を捕らえたのだ。
 クローに挟まれた六連の腕がギリギリと軋みを上げ、ついには肘から食い千切られる。右腕を失ってのけぞる六連の胴体目掛けて、和也は両手で握ったホノカグツチを突き入れる。
 ガツッ――――! という強い抵抗と共に刃が弾かれる。守りを重要区画に集中した六連のピンポイント・フィールドの強度は高い。並みの攻撃では弾き返されるほどだ。
 ならばと和也は、ホノカグツチのフィールド中和装置を最大出力に上げる。刀身から紫電が散り、セントポーリアのバッテリー残量が一気に減っていく。
 それはバッテリーの三割に当たるエネルギーを一気に吐き出し、ホノカグツチを最大出力で稼動させる切り札。一度使えばホノカグツチの電送系が焼けるため二度の使用は厳禁と言われた一発限りの必殺技――――つまり、
「これで終わりだ……! 熱血斬りぃっ!」
 裂帛の気合と共にホノカグツチを振り下ろす。六連のピンポイント・フィールドはあっさりと突き破られ、胴体を袈裟懸けに切り裂かれたそれが火を吹いて落ちていく。
 中隊長が撃墜され、半数以上の機体を失った六連中隊の残存機が機体を翻して引き上げていく。退けた――――というより、『時間切れ』が近いのかもしれない。
『よくやったお前ら! 最高じゃねえか……!』
「ありがとうございます少佐。けど……まだ安心するには早いです。……ホシノ中佐、陸戦隊の撤退は?」
『負傷者を優先して揚陸艇に収容していますが、それ以外の人たちは船が足りません。なのでエレムルスのコンテナに座席を溶接しました。それでミナトさんたちを収容して離脱してください。あと突貫工事だったので戦闘機動は……』
「了解。収容完了した揚陸艇は順次離脱させてください。全機、直ちに短距離ジャンプで離脱! ヒカルさんたちとも合流して、急いで撤退するよ!」
 ルリの言葉を遮って答えた和也に、ルリは眉根を寄せる。
『……随分焦ってますね。何かあるんですか?』
「多分ね。気付いてると思いますけど、ここで戦ってるのは僕たちを追ってきた六連を除けば、無人の迎撃システムだけ……肝心の兵隊はどこにもいない」
『…………』
「奴らこのコロニーを防衛するつもりなんかない! だとしたら次に仕掛けてくるのは……!」



 火星の後継者地下ドック、『神在月』ブリッジ――――

「『天の群雲』第四機動兵器中隊が帰還しました。残存機は三機です」
「了解した。『神在月』への収容作業急げ」
 簡潔にそう答え、甲院薫はふうと息をついた。勝手に機動兵器中隊を動かして、貴重な精鋭兵と六連を九機も失うとは無益な事だ。
 それだけ敗北が殲鬼のプライドを傷つけたのだろうが――――
 ――あの『剣心』が殲鬼を下すとはな。
 屈辱的な言動や行為に対してろくな報復もできず、黙って耐えるばかりだった子供がよくここまで強くなったものだ。当時の彼らを見ていた立場としては感慨深い。
 何にせよ、今度ばかりは殲鬼にも処分が必要だなと思いつつ、甲院は後ろに目をやる。
「だから離せ、離せって言ってるでしょ!」
「うるせえ今は静かにしてろ! 怒られるだろうが!」
「あんまり暴れると身の安全が保障できませんわよ?」
 この場にそぐわない言い争いでブリッジクルーの注目を集めているのは、『烈火』と『影守』、そして白鳥ユキナの三人だ。わざわざここまで連れて来てからというもの、離せ静かにしろを延々と繰り返している三人に甲院が歩み寄ると『烈火』と『影守』は気をつけの姿勢で静かになり、ユキナは敵意の目で睨みつけてきた。
「白鳥九十九の妹か。兵士ならぬ身で友人を助けに乗り込んでくるとは豪胆な事だが、捕虜になってはむしろ足かせになるな」
「うるさいわよ、あたしを人質にしても無駄だからね! もう外は統合軍だらけだし、もうあんたたちはお終い――――むぐ!」
 気丈に喚きたてるユキナの口を烈火の手が塞ぐ。
「失礼しました総司令代理。この通りですんで、どうか丁重な扱いを……無傷のまま確保しとけばいろいろ使えると思いますから」
 白髪の頭を下げて『烈火』は懇願してくる。
 甲院の計算では、ユキナの身柄の価値はごく限定的だ。特に統合軍にとって火星の後継者を壊滅させるチャンスを逃すほどの価値ある命ではあるまい。兵が慰み者にしようが宇宙に放り出そうが、どうでもいいのだが。
「……、まあ、無用の暴力は好まぬ。我々は『正義の味方』だからな」
「はは、ありがとうございます!」
「ぷは! ……何が正義の味方よ、やってる事は暴力的なテロ集団じゃないの」
『烈火』の手を振り払って、なおもユキナは甲院を睨む。しびれを切らした『影守』が「お黙りなさいな……」と爪を突きつけて黙らせようとしたが、甲院はそれを手で制した。
「まあ否定はすまい。だが本当に暴力的なのは果たして誰かな。ここに我々がいると知った途端に大挙して攻め寄せ、木連の主権も無視して市街戦を強行する連中が暴力的でないとでも?」
「…………」
「ここで我々が倒れれば、今回の件は地球人にとって喜ばしいだけの話として伝わり、戦闘の被害や犠牲は『必要な犠牲』として矮小化されるだろう。かつて我々の祖先を核で消そうとし、その事実さえ闇に葬ってのけたようにな。それに対する木星人の怒りの声は黙殺され、地球人には伝わらず、やがて軍事力による圧力と経済支援という名の飴で黙らせられる。それが狂人の戯言に過ぎないと、自信を持って言えるのであれば、そう言うがいい」
 ユキナは言い返せない。地球連合が木連と木星人をどう扱うかなど、この現状を見れば容易に想像できる。
「もはや対等な形での共存はありえまい。ゆえに我々は地球連合を打倒し、新たなる秩序を打ち立てる。それで初めて木星の主権は確立できる」
「……勝てると思ってんの、この状況で」
「それを今から証明する。そこで見ているがいい。軍事力の優位を失った支配者など、脆い物だと」
 言って甲院は前に向き直り、全軍に向けた通信で呼びかける。

「現時刻を持って、作戦の第三段階への移行を宣言する」



 その瞬間、ヴァルハラコロニーで戦っていた全ての将兵が強烈な地響きじみた振動に襲われた。
 防衛システムを制圧しつつ突き進んでいた統合軍部隊が思わず足を止め、状況を把握しようとした時にはもう手遅れだった。頭上で青空を映していたドームのスクリーンと人工太陽が一斉にブラックアウトし、主街区全体が暗闇に包まれる。
 突然の暗転に一瞬動揺した統合軍陸戦隊は、しかし訓練通りに暗視装置を装着――――緑色に開けた視界の中で、彼らは見た。
 空が歪み、軋み、そして落ちてくる。



「何が起きたの!?」
 ユリカが血相を変えて叫ぶ。
 ナデシコCのブリッジでも、ヴァルハラコロニーで異変が起きたのはすぐに解った。統合軍の混乱を伝える通信だけではない。コロニードームの各所で爆発が起き、歪むように変形しているのが肉眼でも見えるのだ。
「コロニー各所で大規模な爆発と崩落! コロニードームの構造体が爆破された模様! ドームが崩壊していきます!」
 信じられないと言いたげな顔でハーリーは報告する。
 ヴァルハラコロニーは数十万規模の都市だ。それを覆うドームは万が一にも空気が漏れ、中の市民が危機に晒される事がないよう宇宙船と同等の三重気密構造になっており、全体の質量はかなりのものになる。
 その重量を支えているのは網目状に張り巡らされたフレーム構造体。それが爆破されれば数百万トンのコロニードームが崩壊し、都市を押し潰す事になるのだ。
 火星の後継者は無人になった主街区に統合軍部隊を引き込み、コロニーごと爆破して一掃するつもりなのでは――――と和也は言っていたが、悪い予想が完全に的中した形だ。アマテラスの時のように律儀に退避を促すような情け容赦ももはやない。
「澪ちゃん、陸戦隊の退避状況は!?」
「負傷者を収容した揚陸艇は全て離脱済み、ミナトさんたちはエレムルスに乗って離脱開始します!」
「急いで!」
 ユリカが袖を絞った直後、ゲートからエレムルス、そしてヒカルとイズミのエステバリスが飛び出してくる。その数秒後にコロニー崩落が港湾まで及び、彼らの出てきたゲートから火山噴火のように黒煙と炎が噴出してきた。
『あっ……ぶなかった! 原稿落ちる三時間前に上がったくらい危なかったよー!』
『イズミ危機一髪……樽から飛び出さなくて済んだわね』
 ヒカルとイズミは調子こそ普段の軽さが戻っていたが、その顔には冷や汗が浮かび、機体には死闘を物語る傷が刻まれていた。
 エース揃いのエステバリス隊がここまで消耗するほどの激戦をなんとか切り抜けられたのはよかったが、それを喜ぶにはいささか犠牲者が多すぎた。
「陸戦隊の残存部隊は無事です。……ですが、統合軍の人たちは……」
 沈痛な声で言った澪に、その場の全員が目を伏せる。
 あの状況で脱出できたのは、港湾近くにいたほんの一部の部隊だけだろう。都市奥深くまで進出した部隊はほぼ全滅したはずで、仮に生存者が居たとしても救出は絶望的だ。
 犠牲者は確実に万を超えるが、その上空ではなおも統合軍艦隊と火星の後継者艦隊の戦闘が継続している。流血はまだ終わりを示さない。
『……こちらブレード6ミカ、陸戦隊員とタカスギ少佐を収容してナデシコへ向かいます……少佐の負傷レベルは3、救護班を待機させてください』
「こちらナデシコC了解。無事で本当よかっ……てあれ、和也ちゃんたちはどうしたの?」
 何故か隊長の和也ではなく美佳が通信してきて、澪が怪訝そうに聞き返す。
『……和也さんたちはボソンジャンプで地下へ向かいました、ユキナさんが敵に捕まってしまい……その救出と、『神在月』を起動前に破壊するためです。……一刻を争う状況だったため、そちらの指示を待たずに向かわれました。お許しを』
「ユキナちゃんが……それも心配だけど、『神在月』? あの大きな戦艦の事だよね。データが不完全だったんだけど、あれはそんなに危険なの?」
 ユリカは聞き返す。和也たちの行動は独断専行だが、理由なくそんな事をする彼らではない。
 なにより、美佳が『神在月』と呼んだ巨大戦艦がどれだけの脅威なのか知らねばならない。そのために万難を排して『草薙の剣』を助けに来たのだ。
 それについて美佳が答えようとした時、突然警報が鳴った。
「カリストの地下で、強力な重力波反応の発生を検知! データにあるどの戦艦や機動兵器ともパターンが一致しない、桁違いの出力です!」
『……動き出した……』
 ハーリーの報告を聞き、美佳は唇を噛む。その表情からも、状況が深刻な事がありありと窺えた。

『……あれは……現存するどんな兵器よりも、危険です』



『重力波反応が増大しています!』
『やばいわよ、あいつもう動き出してる!』
 火星の後継者地下ドックの中、妃都美と奈々美が焦燥も露わに叫ぶ。
 ヒカルやイズミと合流した和也たちは、港湾内でミナトたちを収容した美佳のエレムルスだけをナデシコへ向かわせ、自分たちは短距離ボソンジャンプでヴァルハラコロニーの外へ跳んだ。
 そして崩壊するコロニーに沿って警備隊基地の方へ向かい、そこから再度ボソンジャンプで地下ドック内に跳んだ。『神在月』が動き出していない今のうちならまだ何とかなると思ったが、既に『神在月』は主エンジンに火を入れ、今にも動き出さんと身じろぎしていた。
「まだ間に合う! ブリッジには甲院もいるはず、あそこを潰せば……うわっ!」
 武器を構えて『神在月』のブリッジを狙おうとした和也たちを、猛烈な砲火の嵐が襲う。機関砲、レールガン、レーザー……『神在月』の艦表面からあらゆる火器が放たれ、和也たちは建造途中の戦艦や構造体の陰に隠れてやり過ごすしかない。
『『神在月』の近接防御兵装はデータ以上の密度です! 射撃の隙がありません!』
『畜生、これじゃ近付く事もできないわ!』
 妃都美と奈々美は悔しげに呻く。せっかく新型機を与えられていながら手も足も出ない。
 ――ボソンジャンプはあと一回が限度……懐に飛び込めば迎撃は避けられるけど、その後がなくなる……
 帰りの手段を失えば、ユキナを助けられても生還は望めない。他に打つ手を思いつけずに和也は爪を噛む。
 だが逡巡している間にも『神在月』は動き出し、状況は悪化する。重力波フローターが始動し、1200メートルの巨体がガントリーから離れて浮き上がり始め、ディストーションフィールドと天井が接触。天井が崩落し始める。
『だめです、ここも崩れます!』
『このままじゃあたしたちも生き埋めだわよ!?』
「くそ、もう目の前なのに……!」
 打つ手がないままカメラだけを出して『神在月』のブリッジを望遠で窺う。和也たちが叩き壊した跡が綺麗に修復された窓越しに、相変わらず感情の読めない鉄面皮が和也たちを見下ろしているのがはっきり見えた。
「甲院……!」
 敵の首魁を目の前にして、一か八か玉砕覚悟で攻撃してみるかと一瞬思ったが、その後ろに立つ影を見てはっとした。
「白鳥さん!?」
「美雪さん……」
「烈火、あの野郎……!」
 甲院の後ろには、烈火と美雪に捕らえられたユキナがいた。彼らがいたのではブリッジを攻撃する事もできず、「くそっ!」とコンソールに拳を叩き付ける。
『見てください、白鳥さんが何か言っています……』
 妃都美が言い、ユキナの顔をズーム。音声までは拾いようがないが、必死に叫ぶその唇の動きだけで何を言っているかは解った。

 ――――に・げ・て!

「く……白鳥さん、ハルカ先生、ごめん……」
 力不足をユキナとミナトに詫び、和也は命じる。
「全機、ジャンプ! 離脱しろっ!」



「はあ……よかった」
 アルストロメリア・カスタムの機体がボソンの光に消え、ユキナは助けが来なかった事に落胆するでもなく安堵した。
「……ふう」
『烈火』もこっそり安堵の息を漏らした。顔には出さないが、『影守』も『剣心』たちが無事に離脱して安堵しているだろう。
 それを聞き逃さずにユキナは噛み付く。
「何よあんた、やっぱり和也ちゃんたちが助かってほっとしてるじゃない。なのになんで……」
「……してねえよ。しつけえんだよ」
「恥じる事などない。『草薙の剣』は強い友情で結ばれている。そう簡単には切れぬ絆でな」
 そう言ったのは甲院だ。まさか敵の首魁が『草薙の剣』の友情を語るとは思っていなかったか、ユキナが奇怪なものを見る目を甲院に向ける。
「……テロ集団のボスが友情とか気持ち悪……あんたがみんなの何を知ってるのよ」
「知っているとも。仲間への強い連帯意識、つまりは友情こそが強い兵と部隊を醸成する。ゲキガンガーを教材として使い、そういう風に教育したのは他でもない私だ。あの北辰は気に入らないと言っていたがね」
 北辰なら、本当に強い兵とは余計な感情や人間性を廃し、機械の如き正確さで任務を遂行する者だ、という風に答えるだろう。それもまた一つの解だ。
 だが甲院が思うに、機械のような兵が必要なら本当に機械の兵を導入すればいい。ただ敵を殺すだけが任務なら無人兵器で事足りる。
『草薙の剣』を含む生体兵器部隊が遂行するべき任務とは、もっと広範で難解な任務になると考えたのだ。
「地球に潜入しての諜報活動、破壊工作……そして戦後に一般社会の一員として世界の復興を牽引する。年若い彼らに求められる任務とはそこまで含まれる。戦争のために感情を削ぎ落とされた兵は往々にしてこの段階に適応できず、戦後の不安定要因として悲惨な最期を迎える。斯様な末路は望むところではない」
「まるで親御さんみたいにみんなの将来まで考えてたって? ……あんた、ホントに何なのよ」
「私の人間性が善性か悪性か、それに対する答えを私は持たぬ。この戦いに勝てば私は功労者として祭り上げられようが、負ければ君の言うように悪逆なテロ集団の首魁でしかなくなる」
 それでも、あえて自分自身を表現するのなら。
「私は私なりに、木星の未来を憂いている……単なる日陰者の凡愚に過ぎないさ」
 これが最善と信じて歩んできた男、甲院は、そう言って前に向き直る。
「第一から第十六までの相転移炉、臨界出力に到達!」
「反重力フローター出力上昇中」
「時空歪曲場の出力最大!」
「艦内各部、および各兵装に異常なし」
 慌しく立ち回るオペレーターたちが準備完了を告げ、まどろみから目覚めた『神在月』が一際大きく産声を上げる。

「『神在月』発進せよ」



「コロニー近郊にボソン反応三つ! 和也ちゃんたちです!」
 ボソンジャンプで出てきた三機の反応を見て、澪は「よかったあ……」と胸を撫で下ろした。
 直後に異変を示す警報が安堵の空気を吹き飛ばし、ハーリーが緊張した声で叫ぶ。
「地下の重力波反応、さらに増大しています! カリストの地表面に亀裂を確認!」
『こちらブレードリーダー! 申し訳ありません、『神在月』の起動阻止に失敗しました……!』
「カズヤくん……みんなが無事だっただけでもよかった。それで……」
『コクドウ君! ユキナは……ユキナはどこ!?』
 ユリカの声を遮って通信に割り込んできたミナトは、この場にいたら掴み掛かりそうな青い顔で和也に訊いた。
『ハルカ先生……ごめんなさい。白鳥さんはまだあそこに……』
 全員の目がカリストの地表面に向けられる。もはや瓦礫の山と化したヴァルハラコロニーの傍で、カリストを構成する石と氷の原野がおよそ一キロに亘って急速に隆起。数万トンの岩塊と氷塊がディストーションフィールドの丸みに沿って雪崩落ち、舞い上がる噴煙の中からそれがゆっくりと浮上してくる。
 木連軍の紫色に塗装された、全長およそ1・2キロメートルの規格外に巨大な船体。ブリッジや格納庫を有するのだろう第一船体の両脇を武装ユニットが固め、艦首に向けて大きく伸びたそれは獰猛な昆虫の顎を思わせる。
 武装ユニットには20世紀の水上戦艦のように縦二列に並んだ二連装砲塔型のグラビティブラストの他、無数の兵装がハリネズミのように全方位を睨んでいる。さらにカタバルトからは百を軽く越えるだろう数の機動兵器が飛び立ち、艦の周囲に防衛ラインを構築していく。
 全身から攻撃性を漲らせるその姿は、あたかも火星の後継者の地球に対する敵意を形にしたようだ。
「あれが、『神在月』……」
「…………」
「凄い戦艦です……」
「本当におっきい……」
『す……すげえな、本当に1000メートル超えの巨大戦艦だぜ……』
『ユキナ、あの中に……』
 初めて目にする『神在月』の異様に、ナデシコの誰もが目を奪われる。
 本来なら、いかに巨大で強力な戦艦があったとて、ただの一隻で圧倒的な戦力差を覆すような戦力にはなりえない。ナデシコCのような一種のゲームチェンジャー的な能力でも持たない限りは。
 それでも皆は『神在月』の姿に圧倒された。
 ただ大きいだけではない、言い知れぬ圧力のようなものがあの艦にはある――――そんな気がしたのだ。
「か……『神在月』、火星の後継者主力艦隊と合流します。……! 呼応して統合軍艦隊にも動きあり、『神在月』に攻撃を仕掛けるようです!」
「そんな、あの中にはユキナちゃんが――――!」
 ハーリーが戦局の変化を告げ、澪が血相を変える。
 しかし和也は『その心配はないよ、澪……』と、言葉とは裏腹に苦虫を噛み潰した顔で言う。

『あの艦は……『神在月』は、絶対に沈められない』



「全長、約1200メートル、幅約400メートル、外見から確認できる武装は――――」
「うろたえるな! うすらでかい艦が一隻増えた程度で、我が軍の完璧な優位が揺らぐ事はない!」
 地下から大地を割って現れた巨艦を目にして『ダラク・ガバマ』のブリッジクルーにざわめきが広がり、ファイアストン中将も一瞬気圧されかけたが、彼は司令官としての自負と統合軍への信仰心でそれを押し込めた。
「あの艦に敵の首魁が乗っているなら、これは戦乱終結のまたとない好機だ! 全艦隊一斉射撃用意、目標敵巨大戦艦!」
「了解。全艦データリンク統制射撃用意。目標、敵巨大戦艦」
 統合軍第五艦隊の戦闘艦艇が陣形を組み替え、数百の砲口が全て『神在月』に向けられる。火星の後継者主力艦隊との戦闘で多少損耗したが、第五艦隊の戦力は未だ健在。その集中砲火を受けて無事でいられる艦など、今の世界に存在するわけがない。
「敵巨大戦艦に照準固定完了。トリガータイミング旗艦と同調。総員対ショック対閃光防御」
 戦死した陸戦隊員の敵討ちという意味でも、今度こそ、これで全てを終わらせる。ファイアストン中将は、硬く握った拳を振り下ろし、命令する。
撃てファイアー!」
 漆黒の宇宙を白く染める閃光。
 第五艦隊300隻の一斉射撃が艦隊とカリストを一繋ぎにし、着弾の瞬間強烈な閃光が火星の後継者艦隊を包み込む。
「全弾命中を確認! 攻撃の余波により光学観測不能、戦果確認まで少しお待ちください!」
「あの攻撃だ。けりはついている」
 ファイアストン中将は確信して言う。
 閃光でホワイトアウトしていた映像がやがてクリアになる。そこに映し出された巨大艦の残骸に、ブリッジクルーたちが勝利の歓声を上げ――――ない。
「……馬鹿な」
 誰かが呆然と呟く。あるいはファイアストン中将が自分で呟いた言葉を他人事のように聞いたのかもしれない。
 そこに映し出されたのは、船体に傷一つない『神在月』と火星の後継者艦隊の姿だったのだ。
「敵巨大艦――――健在です」
「そんな馬鹿な……! 攻撃が外れたのか!?」
「いえ、間違いなく全弾命中を確認しています! ですが光学観測による艦体の損傷、およびフィールド出力の減衰、確認できません!」
「500発以上のグラビティブラストが直撃して、無傷だと……」
 敵艦のフィールド出力は予想を遥かに超えています、とブリッジクルーは呆然と告げたが、実際目にしてもなおファイアストン中将には信じ難かった。
 予想を超えるにもほどがある。そもそもディストーションフィールドの出力がどうのというレベルの問題なのかさえ怪しいと思ったが、今はそれについて考えている暇はない。
「『アーノルド・クランプ』『ビリー・クリンソン』『ジュルジ・ブラッシュ』を前に出せ。相転移砲の一斉射撃により奴を撃沈する」
 ファイアストン中将は敵が相転移砲を使ってきた時の防御策として、あるいは不測の事態に備えた切り札として動員した、北アメリカ連合に属する三隻の相転移砲艦に攻撃命令を下した。『神在月』にも相転移砲がある事は容易に想像できたが、三隻の同時一斉射撃を全て相殺しきる事は絶対に不可能なはず。
 ヴァルハラコロニーを完全破壊して、大量虐殺を引き起こす事はさすがに避けたかったが、コロニーは火星の後継者が爆破したのだ。いまさら文句の余地はあるまいし、何よりもうなりふり構ってはいられない。
「目標、敵艦隊中央! 撃てファイアー!」
 ファイアストン中将の号令一下、三隻の相転移砲艦が一斉に相転移砲を撃ち放つ。
 発射は正常に成功。三条の閃光が火星の後継者艦隊に向けて放たれ、次の瞬間には空間相転移のエネルギーが艦体の只中で炸裂。エネルギーの渦が空間もろとも艦隊を飲み込み、破壊し尽くす――――はずだった。
 しかし相転移砲が炸裂したと思った直後、敵艦隊を飲み込むエネルギーの渦が押さえつけられるように収縮し、拡散し――――
 ぱんっ、と弾けるように消滅した。
「な……」
 何が起きたのか、『ダラク・ガバマ』に理解できる者はいなかった。
 確かなのは、『神在月』と火星の後継者艦隊には依然として傷も付いていないという事だけだった。



「か、火星の後継者艦隊……健在です」
 ナデシコCのブリッジでも、その光景を見た者は誰もが目を疑った。
 統合軍艦隊から三発の相転移砲が放たれた時は、誰もが終わりだと思った。ミナトが『ユキナ――――――!』と悲鳴を上げてしまうほどに。
 しかし閃光が収まった時、そこには無傷の敵艦隊がいた。
「相転移砲のエネルギー……消えました。不発とかそういうんじゃなくて、エネルギーが敵艦隊の中で炸裂したと思った瞬間にこう……パッ、て」
 後ろを振り向き、身振り手振りを交えて懸命に説明しようとするハーリーだが、訳がわからず混乱しているのは明らかだった。
 しかし同じ光景を見ていたルリは、あれが何か解った気がした。
「ルリちゃん、今のって……」
「……はい」
 ユリカも同じ事を考えたらしい。二人の脳裏には五年前の火星で、ユリカが最期に相転移砲を使った時の、忘れようのない光景がフラッシュバックしている。
「あの時と……同じです」



「ミラーリングシステム、想定通りに作動! 『神在月』および友軍艦隊に損害なし!」
「第一から第十六番相転移炉へのフィードバック許容範囲内。ミラーリングシステム、安定稼働しています!」
『神在月』のブリッジクルーが興奮を隠さずに告げ、その瞬間火星の後継者艦隊の全将兵から割れんばかりの歓声が上がった。
「い、今のって……まさか火星遺跡の……」
 床にへたり込んで呆然とユキナは呟く。ちなみにユキナを拘束していた烈火は、統合軍艦隊の一斉砲撃が飛んできた時に「うわー!」と悲鳴を上げ、ユキナを置いて数歩後退し頭を抱えていた。
 おかげでユキナは自由になったが、逃げ出そうなどと考える余裕はもはやない。目の前で三発の相転移砲を無効化したそれは、ユキナにとっても見覚えのあるものだった。
「おめでとう。ヤマサキ博士。これで必要なハードルは全てクリアした」
『はは。ある意味そこのお嬢さん方……ナデシコの方々には感謝するべきですかな。五年前、火星遺跡がナデシコの相転移砲を無効化する記録映像を見ていなければ、我々もこの切り札には辿り着けなかったでしょう』
 甲院の賛辞に、皮肉めいた言葉遣いでヤマサキ・イサオは答える。この切り札にいたるヒントをくれたのはナデシコだと、そう言わんばかりに。
「映像配信の準備完了しました。いつでもどうぞ」
「うむ……全艦隊、『神在月』を先頭に紡錘陣形」
 火星遺跡からシステム中枢の強奪に成功し、『神在月』が完成した事でナデシコCと相転移砲――――地球軍の切り札と言えるものは全て無効化された。
 後はこの力を世界に示せば、今日までの闘争に王手をかけられる。火星の後継者の勝ちだ。

「両舷全速。敵艦隊の中央に向け突撃を開始――――全面攻勢に出ろ」



「敵艦隊、巨大艦を先頭に我が方へ向け急速接近! 攻撃来ます!」
「大将が先陣を切って、しかも相転移砲を使わず突撃だと……!」
 舐められている。ファイアストン中将はそう感じた。相転移砲で一掃する事もできるはずなのに、甲院はあえてそれをしないまま艦隊戦に――――統合軍の得意な土俵で勝負を仕掛けてきた。
 それで十分勝てると見なされている。相転移砲を使わずとも、実力で既に上回っていると。
「ふざけるなよテロ集団め……貴様らが……貴様ら如きが、我々より優位であってたまるかぁ!」
 恥も外聞もなく、ファイアストン中将は青筋立てて叫ぶ。
 統合軍は最強の軍であり、自分の艦隊は完璧だ。それがテロ集団に力で劣るなどあってはならない。
 そんな事になっては――――崩れてしまう。ファイアストン中将が完璧と信じてきた自分も、世界も、既存の秩序も何もかも。
「相転移砲を含む、全ての火力を巨大艦に集中! 他の敵には構うな! なんとしてもあの艦を沈めなければ、地球連合は終わりだ……!」
 その命に従い、第五艦隊の全艦が『神在月』に再度の集中砲火を浴びせる。並みの艦なら残骸さえも残らない規模の砲撃を、しかし『神在月』は尽くを弾き、掻き消して突き進む。
『神在月』の砲塔がゆっくりと首をもたげ、二四門のグラビティブラストが重力波を吐く。その一正射で十数席の戦艦が轟沈、火球と化した。
 そうして開いた統合軍艦隊の傷に向かって『神在月』を先頭にした火星の後継者艦隊が艦列をねじ込み、全方位への砲撃によってさらに傷を広げていく。『神在月』の砲が一度咆哮する都度統合軍の戦艦が火球となって散り、通信回線に悲鳴と怒号が飛び交い、やがてぶつりと途切れていく。
『艦砲射撃ではダメだ。至近からの対艦ミサイルで急所を狙う! 全機、続けーっ!』
 艦船の損害が増していく中、対艦ミサイルを搭載したステルンクーゲルとその直援隊からなる対艦攻撃隊が『神在月』の左右から果敢に攻撃を仕掛ける。それを狙って火星の後継者艦隊から機動兵器が殺到してくる。
『怯むな! あのデカブツさえ落とせば勝機はある! なんとしても攻撃隊を送り届けろ!』
 直援隊は火星の後継者の機動兵器隊と、攻撃隊との間に捨て身で割って入り、手を出させまいと激しい乱戦を展開する。それを尻目に突き進む攻撃隊には艦隊からの激烈な対空射撃が放たれ、一機、また一機とステルンクーゲルが撃墜されていくが、残された機体は仲間の屍を踏み越えて『神在月』目掛け肉薄する。
『これで――――!』
 僚機を全て失いながら、中隊でただ独り生き残ったクーゲルドライバーが、機体の両腕に抱えた四発のミサイルを全弾発射する。同様に迎撃を掻い潜って発射に成功したミサイルが何発も『神在月』に向かい――――その全てがフィールドに阻まれ届かない。
『くっ……そおおおおおおおおおおおおっ!』
 ミサイルを撃ち尽くした機体が反転し、あるいは撃墜されていく中、そのクーゲルドライバーはフィールドランサーを引き抜き、あろう事か『神在月』に向けてなおも突貫する。ここで何もできずに引き返しては仲間に申し訳が立たない――――その思いに背中を押されて。
 がっ――――! と強い衝撃が生じ、機体がフィールドに接触。そのまま推力全開で突破しようとして――――フィールドに突き立てたフィールドランサーが、光と化して消えていく。
『な……なんだこれは!?』
 驚愕に目を見開くクーゲルドライバーの前で、フィールドランサーから機体の腕、そして胴体までが光に侵食され、消失していく。それがコクピット、そして自分の身体とその感覚にまで及び、ギリギリのところで踏みとどまっていたクーゲルドライバーの精神がついに折れる。
『ああ、俺の腕が、身体が消えていく!? 誰か、誰か助けてくれ! 誰か、神よ、あああああああああ――――――――――!』
 クーゲルドライバーの悲鳴と共に、機体の全てが光に飲み込まれ、そして消える。後には最初から何もなかったような空間だけが残った――――その様は『ダラク・ガバマ』のブリッジからも見えていた。
「攻撃隊、八割方撃墜されました! 残存機はミサイルを撃ちつくして離脱、再度の攻撃は不可能です!」
「相転移砲艦『アーノルド・クランプ』『ビリー・クリンソン』、大破!『ジュルジ・ブラッシュ』も機関部に被弾、相転移砲発射不能!」
「戦闘母艦『オケイン』『カウペンス』沈黙! 第148機動兵器大隊、全滅!」
「機動兵器部隊、損耗率70パーセントを超えました!」
 機関銃のように戦況の悪化を告げる報告が飛び、最強と信じていた艦隊がなすすべもなく全滅していく。
 30年近いキャリアの中で終ぞ経験しなかった全艦隊壊滅という悪夢を前に、ファイアストン中将はもはや言葉もなかった。
 なぜこんな事になったのか、解らなかった。一つ解るのは、このままでは自分が守ってきた全てが破壊されるという事だけだ。
 自分に足りなかったのは運か、力か、それとも――――そう思った時、『ダラク・ガバマ』のすぐ横にいた艦が爆沈し、衝撃波が艦を揺らした。
「護衛艦『シャイロー』大破! 敵巨大艦、本艦に向かってきます!」
「緊急回避間に合いません! ああ、提督――――!」
「……ナデシコC、このコードを送る……ミスマル准将、残された部下を、頼む」
 最後の瞬間、せめて一人でも多くの将兵の命を救おうと、ファイアストン中将はプライドを捨てて最期の抵抗を講じた。
 その直後、『ダラク・ガバマ』の横腹に『神在月』が衝突。デンドロビウム級の強固な船体は『神在月』の圧倒的質量の前に屈し、その身を真っ二つに裂かれて爆散した。



「『ダラク・ガバマ』轟沈! 『神在月』に押し潰されました、ひどい……!」
「澪ちゃん、艦隊司令官は!? ファイアストン中将は脱出できたの!?」
「ブリッジパートの切り離しは確認しましたが、直後に砲撃を受けて……」
 澪の沈痛な報告に、ユリカは目を伏せる。
 ほんの数度とはいえ交流のあった、有能な将官だった。彼のような人物を目の前で失ってしまい、歯噛みする思いを禁じえない。
「統合軍艦隊の艦列、左右に分断されました! 左翼は敵艦隊に包囲されつつあり! 『神在月』は単艦で右翼艦隊を掃討しつつ戦線を移動! 進路上の艦が次々撃沈されて――――ダメです、まるで歯が立ちません!」
 刻一刻と悪化する戦況を報告するハーリーの声は震え、顔は泣き出しそうに歪んでいる。
 統合軍最強と謳われた第五艦隊を一方的に蹂躙する、『神在月』の圧倒的な暴威。助けに入ろうにも手の出しようがなく、ナデシコCも木連軍艦隊も指を加えてその殺戮を見ているしかない。
「嫌だよ、もうやめて、こんなの……みんな、みんな死んじゃうよ……!」
 目の前の流血を直視するに忍びず、顔を覆って泣き出す澪。
 そこにピコン、と場違いな電子音が鳴り、澪は涙を拭ってコンソールを操作。すると、
「て……提督、これ見てください!」
「え、これって……統合軍の艦隊司令官用コード!?」
 ユリカは瞠目する。何らかの事情――つまりは戦死など――により艦隊司令官が指揮を取れなくなった時、次席の艦と将官に艦隊の指揮権を引き継ぐためのコードだ。このコードを送られるという事は、艦隊の指揮権を預けられたという事に等しい。
 部下を一人でも助けて欲しい。ファイアストン中将のメッセージは伝わったが、『神在月』の矛先がナデシコCに向けられるリスクはあまりに高い。
 それでも、とユリカは思う。
「……みんな。かなり危険だけど、もう一回戦やれるかな?」
 助けを求める人を見捨てるのは、ナデシコ部隊の矜持に反する。自分が助かるために人を切り捨てて、それで後悔するのは一度きりで沢山だ。
「ハッキングは相変わらず妨害されていますが、ナデシコCは戦闘可能です」
「み、ミサイルは装填済み、グラビティブラストもいつでも発射可能です!」
「通信アンテナの出力を最大に、妨害されても全部の統合軍艦艇に通信を届けます。敵に聞かれるのはこの際気にしない事にします!」
 ルリに次いでハーリー、澪と、ブリッジの全員が頷く。ユリカは「ありがとう」と皆に感謝し、秋山へ向けて言う。
「秋山少将。これよりナデシコCは統合軍艦隊を支援しつつ、地球へ撤退します。そちらは先に撤退しても……」
『見損なうな。友軍を置いていけるわけがないだろう。こちらも可能な限り援護射撃を行う』
「感謝します。……ナデシコC、全速! 友軍を包囲中の敵艦隊を攻撃、脱出路を開きます!」
 ユリカの号令一下、ナデシコCが一方的な殺戮の場となった戦場へ艦首を向け、グラビティブラストの砲口に紫電が走る。
「グラビティブラストで脱出路を啓開、統合軍艦隊の撤退支援しつつ後退! エステバリス隊と『草薙の剣』は脱出路の維持をお願い!」
『ブレードリーダー了解! 兵装の補充完了。再出撃します!』
『一応給料は貰ってたわけだし、最期のご奉公と行こうかしらね!』
『通常艦なら十分戦えます。可能な限り助けましょう!』
『……神よ、我らを守りたまえ……』
『頼もしくなったね。お姉さんもいっくよー!』
『ご静聴、じゃなくて成長、ありがとうございます……ククク』
『草薙の剣』とエステバリス隊の面々が答え、カタパルトから六機の機動兵器が発進。直後にナデシコCと木連軍艦隊の一斉射が開始され、火星の後継者艦隊に穴を穿つ。
「ナデシコCより統合軍艦隊へ! ファイアストン中将より指揮権を受領しました。直ちに全軍撤退を! 思うところはあるでしょうが、今はこちらに従ってください!」
 ユリカの呼びかけに応じて第五艦隊の残存艦が空いた穴に殺到し、それを塞ごうと火星の後継者艦隊も包囲網を狭め始める。
 そこへ『草薙の剣』とエステバリス隊が切り込み、激しいドッグファイトが始まった――――




 ――――五時間後。

「『ギアリング』の中央ブロックに生命反応が残っています。ヒカルさんとイズミさんは回収に向かってください」
『三日連続徹夜並みに疲れた……でも了解ー』
『つが枯れた……疲れた』
 ルリの指示に疲労の色が隠せない声で答え、ヒカルとイズミは指示された損傷艦に向かう。二人とも文句を言ってはいるが、一人でも多くの将兵を助けようと必死だ。
 統合軍艦隊の一部を辛うじて救出したナデシコCは、彼らと共に戦線を離脱。幸いな事に、ある程度離脱したところで追撃は止んだ。火星の後継者も戦果は十分と判断し、負傷者の収容などに専念する事にしたのだろう。
 安全と判断したところで木連軍艦隊とは別れた。負傷者の収容を手伝いたいと秋山は申し出てくれたが、カリストがああなっては他の行政区でも何かの動きがあるかも知れず、一刻も早く戻ったほうがいいとのユリカの判断だ。
 そうして今は統合軍の残存艦から負傷者を運び出し、ナデシコや損傷軽微な艦に収容していた。
 救出できた残存艦は、およそ三十隻。その内何隻かは損傷が酷く、生存者を救出したら放棄せざるを得ない。残存艦も無傷の艦はほぼ皆無で、既にナデシコCは収容した負傷者が廊下まで溢れてなお増え続けている。傷付いた機動兵器や艦の整備を後回しにして整備班まで救護の手伝いをやらせなければ手が回らないほどで、ブリッジクルーは各艦への連絡や作業の振り分けなどに追われていた。
 ブリッジに和也が入室してきたのはその最中だった。
「失礼します。黒道和也軍曹です」
「あれ、カズヤくん? 負傷者の救護をお願いしてたはずだけど……まあいいや。入って」
 呼んでもいない和也がブリッジへ来た事に多少訝しい顔をしながらも、ユリカは入室の許可を出す。
『草薙の剣』は統合軍艦隊を撤退させるため殿として戦い抜き、戦闘が収束してからも負傷者の救助やら手当てやらにずっと飛び回っていた。他の三人の姿がないのは、彼女らがまだ負傷者の救護を手伝っているからだろう。
「和也ちゃん! よかった無事で! ああもう、傷だらけじゃないの!」
「うわっ! 澪……ごめん、心配かけて。僕はもう大丈夫……」
 張り詰めた緊張の糸が切れて感極まった澪に抱き付かれ、その頭をポンポンと叩いて安心させる和也。
 と、その目がルリの方を向き、思わずIFSシートから腰を浮かせていたルリと目が合った。
「コクドウ隊長、その……ご無事で何よりです」
「中佐……なんて言うか、助けに来てくれてありがとう……ございます」
 お互い聞くべき事、報告すべき事は山ほどあったはずなのだが、いざ顔を合わせると途端に全てが吹き飛んでしまった。
 沈黙に焦れたか、ユリカが「ん、ん」と咳払いして口を開く。
「それでカズヤくん……『草薙の剣』のみんなも、よくやってくれたね。それで何かな」
 用件を言うようユリカはやんわりと促す。命じておいた仕事を差し置いて押しかけてくるからには、急を要する用事があるという事なのだろう。
「すみません、母さん。通信できればよかったのですけれど、回線が混雑して繋がらないので押しかけました。……面目ありません。烈火と美雪は説得できず、白鳥さんは連れ攫われて、『神在月』も止められなくて……」
「その事は後。『神在月』のデータを持って帰ってきてくれただけで十分だよ。データさえあれば何か対抗策も取れるかもしれない。地球にはまだまだたくさんの戦力があるんだし、諦めるには早いよ」
 ユリカはそう言って和也を励ますが、和也の顔は晴れない。
「ええ。まだ負けるわけにはいかない。……ただそれなんですが、ちょっと地球のニュースを見れますか」
「? ……ハーリー君。ネットワークニュースを見せて」
「あ、はい」
 ユリカに言われ、ハーリーは一般ネットワークにアクセスする。忙しいんだけどな……と文句を言いながらだ。先ほどの戦闘の顛末は地球連合、宇宙軍、統合軍のお偉方には伝わっているが、こんな大敗をすぐに公表できるはずもない。まだ地球は平穏を保っているはずだった。
 しかしニュースサイトを参照したハーリーの顔から見る見るうちに血の気が引き、次の瞬間大口開けて叫び声を上げた。
「……あ? あああああああああああっ!? なんだよこれぇっ!?」
「どうしたの!?」
「こここ、これ見てください! 地球が、地球が大変な事に!」
 ハーリーがコンソールを操作すると、ニュース映像が大きなウィンドウで表示される。それも一つではない。世界各国のテレビ局やラジオ局、その他もろもろの報道媒体が、一斉に緊急速報を報じているのだ。

『――――繰り返しお伝えします。本日地球標準時刻17時、ユーラシア同盟政府が緊急声明で、地球連合からの離脱を宣言すると発表しました。声明では『地球連合の強権的な独裁体制を打破するための世界的革命闘争を開始する』としており、事実上の地球連合に対する敵対宣言であるとの見方が広がっています。これに対して先ほどEAU議会は緊急の電話首脳会議を開催し、不測の事態に対応するためEAU所属の各国国軍に対し、デフコン2を発令すると発表しました』
『ただいま入った情報によりますと、南米各地の北米企業が運営する受電・発電施設などのインフラ施設が武装集団に占拠されたとのニュースをお伝えしていましたが、先ほど南米連合報道官が声明で、武装集団は南米連合に所属する各国の正規軍であると発表しました。南米連合議会は北アメリカ連合に対しインフラ施設の管理権譲渡と、南米に駐屯する北アメリカ連合軍の24時間以内の国外退去を求める決議案を全会一致で可決。既に各地の北アメリカ連合軍、および地球連合軍の駐屯地が国軍によって包囲されているとの情報も入っています。なお全会一致との発表ですが、反対した一部の政府代表が拘束されたとの未確認情報も――――』
『ご覧ください、統合軍南アフリカ基地より、車両が続々と移動を開始しています。これは地球連合からの離脱と、アフリカ連合に代わる新たな国家連合を構築するとの南アフリカ諸国の呼びかけに応じ、南アフリカ諸国出身の将兵が離脱して国軍と合流しようという動きです。統合軍司令部は基地に留まるよう命令を発していますが、離脱の動きはアフリカのみならず世界各国にも広がっており――――あ、今銃声が聞こえました! 離脱者阻止のため出動してきた統合軍部隊との間で銃撃が起きているようです。ここも危険です、早く逃げましょう!』
『グリーンランドの政府庁舎を占拠した武装集団は、臨時政府の設立と旧政府の解体を宣言しました! 同時にグリーンランドの主権は我々にあり、USEによる統治を拒否するとして、USEおよび地球連合からの分離独立を訴えています! これには一部の政府関係者、および軍部隊も加わっているようで、賛同する人々が各地でデモ行進を行っており、反対する市民との間で乱闘騒ぎも起きています!』
『ウクライナ州、ベラルーシ州、イングーシ州など、USE東部の各州で議会を占拠した暴徒は、USEからの離脱と分離独立を宣言しました。これに対してユーラシア同盟の新ソ連政府が『自由と解放を求める民衆を支持する』と声明を発表しており、200年前の旧ソ連諸国を併合、再統合しようという動きではないかとの懸念が各地で広がっています。未確認ですが、国境付近で大規模な軍の移動が開始されたとの情報もあり、グリーンランドなど各地でも暴動が起きている事から、USE議会は先ほど全土に非常事態を宣言、全軍にデフコン2が発令され――――』
『地球各地で発生している暴動や地球連合離脱の動きに対し、地球連合政府は緊急声明を発表。『一連の動きは地球人類の結束にヒビを入れようと画策する一部勢力の扇動である』とし、世界の人々に対して流言飛語に惑わされず、落ち着いて行動するよう求めました。しかし五時間前に主要な動画サイトにて配信された、統合軍第五艦隊が壊滅したとされる映像に関しては調査中であるとしています。この映像は現在削除されましたが、転載されたと見られる映像は既に世界中に出回り、動揺が広がっています』

「ち、地球連合からの離脱に、クーデターに、統合軍部隊の離反? 何かの間違いじゃ……」
「僕もそう思いましたけど、世界中のニュースメディアが一斉に緊急報道を流してるんです! 今日は4月1日じゃないんですよ!?」
 呆然と呟いた澪に、ハーリーはヒステリックに叫ぶ。
 世界中で、ここまで表立って、地球連合に敵対する動きが噴出するなど、一般的な地球人類である澪やハーリーには信じられないものだ。一瞬受け入れられなかったり、動揺してしまうのも無理はない。
「さっきの戦闘の様子が、ネットで配信された? ……火星の後継者の仕業だね」
「自分たちの力を見せ付けて、地球の反地球連合勢力に一斉蜂起を促した……でも、ここまて大規模な騒ぎを起こせるなんて……」
 ユリカとルリは比較的冷静に分析していたが、声の震えは隠し切れなかった。
 地球連合、地球人類主義、地球の統一――――それらは彼女たちにとって、生まれた時から当たり前のように立っていた地面のようなものだった。それが崩れていくような感覚。
「ちょ、ちょっと、これってまさか……!」
 澪が驚愕を浮かべて一つの映像を指差す。蜂起した南米連合の艦隊が、牽制に乗り出した北アメリカ連合の艦隊と睨み合う様子を映したニュース映像に、ありえないものが映っていたのだ。
「あれは、火星の後継者の相転移砲艦!? なんであれが南米連合軍の中にいるの!?」
「火星の後継者の作戦計画……プラン丙改。その最終段階が始まったんだ……」
 和也は絞り出すような声で言う。予想される最悪の未来図、それが形になりつつある事に手足を震わせながら。
「第一次決起前……まだ火星の後継者の存在が明るみに出る前、奴らはボソンジャンプの研究を進め、それによる奇襲攻撃で地球の要所を制圧するプラン甲を計画していました。だけど甲院は、ボソンジャンプの研究が完全に頓挫してしまう事態も最初の頃に想定していて、そのための予備計画としてプラン丙を用意したんです」
 この時考えられていたプラン丙は、地球連合内の反地球連合勢力と接触し、彼らにテロを起こさせ地球連合を分断、弱体化させる――――そこまでは今まで彼らがやってきた事だ。
「甲院はこれに続きを加えたんです。遺跡ユニットのついでに手に入ったナデシコA、それに搭載された相転移砲の現物。これを元に建造した十数隻の相転移砲艦を反地球連合勢力に給与し、世界一斉武力蜂起を起こすよう促す。そうやって地球連合を崩壊させるのが、今の計画――――プラン丙改の骨子です」
「待って、そんな事したら、後が大変な事になるよ。ポスト地球連合の主導権争いが激化して、火星の後継者にも制御できない世界大戦が始まっちゃう。そんな事彼らだって……」
 そこまで言って、ユリカははっと気付いた顔をした。火星の後継者の描いた戦略、その最期のピースが音を立てて嵌る。
「……そっか。そのための『神在月』なんだね?」
「そうです。ミラーリングシステム……攻撃をボソンに変換して、遠いどこかに飛ばして消し去る、火星遺跡由来の防御システム。相転移砲さえ完全に無力化するあれが完成すれば、火星の後継者は他の勢力に対する絶対的な優位を確立できる」
 その上で火星の後継者は『神在月』によって、統合軍最強の艦隊が一方的に敗北する様を見せ付けた。勝てるかどうかを危ぶんで、武装蜂起に参加する事を決めかねている日和見的な連中に対しての最後の一押しとして――――そして地球連合亡き後に最大の武力を握っているのは火星の後継者だと、全人類に理解させるには十分すぎるインパクトだ。
「後は『神在月』の力で地球を武力制圧して、蜂起した連中を従わせれば、ポスト地球連合の座は火星の後継者が握る事になる。まさに新たな秩序の始まり――――これが甲院の描いた大戦略、グランドデザインの全てです」
 和也の語った、甲院と火星の後継者の壮大な大戦略に誰もが言葉もなかった。

 地球連合という、未だ一つになりきれない人類には早すぎたバベルの塔は無残に崩れ、一気に混迷の度を増していく世界。
 それはかつて、和也たち木星人が望んで止まなかった事の筈だったが――――
 その時の自分が、どんな気持ちで地球連合の滅びを夢見ていたか、今の和也にはもう思い出せなかった。










あとがき

 大・変、お待たせいたしました。シードです。
 言い訳ですがスランプからなかなか抜け出せず、どうにか平成のうち(投稿時点で四月三十日)には間に合わせられましたが、こんなに間が開いてしまいました。不甲斐ない限りです。

 今回は主役ロボと、ラスボス的巨大戦艦のお披露目回でした。本来この二つは一度にやらないほうがいいのかもしれないですが、何分余裕がなかったもので。

 アルストロメリア・カスタムのCGは頑張って作ってみましたが、やはりデザインを考えながら作るのは難しく、和也機のセントポーリアしか完成させられませんでした。他の機体と『神在月』も順次製作予定ですのでお待ちください。

 今回姿を現した火星の後継者の巨大戦艦『神在月』は、TV版二十五話でナデシコの相転移砲を防いだ火星遺跡の防御システムをそのまま搭載しています。DC版で南雲が自分のかんなづきに搭載していたのもこれという設定です。
 ミラーリングシステムというのはアルペジオに似たようなシステムがあったからなんですが、もう少し捻ればよかったかなと今更のように後悔してます。

 それでは、令和の時代もよろしく。
 予断ですが、令和の令が万葉集の『令月』から来ていると聞いて、ナデシコの木連市民船『れいげつ』の元ネタはこれかと思いました。







 ゴールドアームの感想

 こちらこそご無沙汰しています。ゴールドアームです。
 いよいよクライマックス、という感じに盛り上がってくるのがすんなりと浮かびました。
 お目見えした新メカ、ラスボス感漂う敵巨大戦艦、その圧倒的強さをこれでもかと叩き付けてくる様はまさに終盤。
 キャラの動きも、心情も、巧みな描写で読者の心に響いてきます。
 昨今はネット小説の書籍化が花盛りですが、シード様の筆力はそんな方々の域に届いたと私は判断しました。
 書籍化できるような物語には他にオリジナリティと構成力が要りますのでプロになれる、とはいえませんが、目指すことが可能な領域にはいると思います。
 ここまで至るともはや批評批判の言葉は要りません。自分の信じる物語を、たとえ酷評されようが突き進むべきです。
 
 最後は、某有名アニメの台詞で締めさせていただきます。



 『墓穴掘っても掘り抜いて、突き抜けたなら俺の勝ち!』