機動戦艦ナデシコ

劇場版 続編 「 約束 」



   第三話


「ルリちゃん、もしかしてユリカのこと避けてたりしない?」

 突然のユリカの一言に心臓が止まりそうになった。

 コーヒーのカップに手を伸ばしている時でなくて、本当に良かったと思ってしまう。
 染み一つ無いテーブルクロスに、間違い無く酷く中身をこぼしてしまっていたに違いないから。

「何で突然そんなこと言い出すんですか、ユリカさん?
 おかしいですよ」

 総ての演技力を使って平然とした表情を保ちながら、ぎくしゃくした手つきでコーヒースプーンを手に取り 砂糖をかき混ぜるふりをすることにする。

 自分で聞く限り声はなんとか大丈夫なようだ。
 とりあえず一応、なんの気無しに応えを返した感じにはなっているだろう。

「だってルリちゃん、ビデオメッセージでナデシコCが今日トウキョウ・シティに入港することになりましたって言うだけで、ゲート番号も到着予定時間も教えてくれないし、今だって司令部に来てるのに一言も声をかけてくれないんだもん。
 廊下で女の子たちがルリちゃんを見かけたって騒いでなかったら、危うく気付かない所だったんだから。
 ユリカ、プンプンだよ!」

 頬を膨らましながら、ユリカが言葉を続けていく。

 視線をコーヒーカップに落としたままで、ユリカをごまかすためには質問にどう答えるべきなのか、ルリは気忙しく思考を巡らせている。

 しかしその一方で、もう完全に元気そうなユリカの姿を見て、喜びを抑えきれない自分がいることも また同時に頭の片隅で感じていた。

 これは勿論、ルリの偽らざる気持ちだった。ユリカに会いたくないとは思っていたのは、アキトと幸せに 暮らしているユリカが羨ましく、それを素直に認めることが出来ない、酷く不安定で何かをしでかして しまいそうな自分の心が後ろめたいだけで、ルリはユリカのことを本当に心から慕っている。

 二人が今いるのは、極東方面軍司令部の本館最上階に位置する高級士官専用食堂の一画である。
 ルリが軍令部に来ていることを聞きつけたユリカが仕事そっちのけでルリを探しに来て、その姿を見かけた途端に 拉致して食堂に連れ込んでしまった……というのが、これまでの顛末だった。


 現在、ユリカは司令部の対外惑星系戦略課という部署で、作戦参謀という肩書きを持ち、戦略シミュレーション等を利用した、主として旧木連系の急進派勢力を仮想敵とみなした防衛計画立案などの仕事に携わっている。

 昨年の夏に「火星の後継者」の勢力から解放された時には、長期間の遺跡とのリンクのせいで、心身ともかなりの衰弱状態であったのだが、軍施設内の病院での手厚い治療や、ルリの献身的な看護により 半年程度の時間を経た頃には、殆ど以前と変わりない健康状態を取り戻していた。

 ユリカの目覚しい回復の影には、反乱鎮圧時に「火星の後継者」関連の研究所を電子的に制圧し、証拠が隠滅されてしまう前に、総ての人体実験のデータを押収する事を可能としたルリの活躍があった事は言うまでもない。

 宇宙軍に復帰したのは4ヶ月程前のことになる。
 職務復帰の時点で失踪時より一階級の昇進を経ているため、現在の階級は中佐である。

 ちなみに、この時押収したデータにより、ユリカ以上に大量の薬物を投与されていて完全な回復は当初絶望視されていたアキトの健康状態も、イネスの手による新たな治療法の導入により格段の改善を見せ、現時点では、一切の電子的な補助装置を用いずともほぼ問題無く日常生活を送れるようになっている。

 ルリに関しては、ユリカの健康状態が回復するまでは、頑として地球を離れることを承諾しなかったのだが、ユリカの職務復帰後は、遅れていたナデシコCの機能試験等に率先して取り組みを行う日々を過ごし、現在に到っていた。

 ルリにとり3ヶ月ぶりに再会したユリカは、最後に見たときよりも更に健康そうで、何より幸せに包まれている という感じに見受けられた。

「それはですね……」

 ユリカの顔を見ながら、ルリは思い付いた説明を口にしていく。

「ユリカさんに予定を知らせておくと、すぐにやって来て適当にミーティングとか言って時間を取ってこうやって二人で遊んでしまうせいで、ちっとも仕事が進まないからじゃないですか……」

 溜息をつきながら、ちょっと芝居がかった手つきで、目の前に置かれたショートケーキにフォークを突き刺す。

 今、ユリカとルリが話しているこの時間は、ユリカが勝手にルリの予定を上書きしたせいで、一応戦略課と 試験戦艦艦長との間の、新型機動兵器の有効性検証に関する緊急ミーティングということにはなっている。

 しかし、ユリカとミーティングと言った所で誰も信用してくれないのは当然で、ルリにとっては 単に仕事が片付かないまま積み上がっていくだけの話なのである。

 これがまた困ったことに、何故かユリカの方はいくら遊んでいても全然仕事が溜まらないように思われるのだ。
 正しくルリから見ても、ユリカは全く侮れない存在だった。

 その意味では、苦し紛れに考え出した、ルリのこの言い訳は、即興にしてはなかなか良い出来と 呼んでも構わない物に違いなかった。
 ルリの溜息が、言い訳を思い付いた安堵感から来ていたことは、流石のユリカにとっても解からないはずである。

「だって、ルリちゃん仕事ばっかりしてるんだもん。
 ユリカつまんないよ」

「ユリカさん、ここは遊びに来る場所じゃないんですけれど……」

 一応、話題を逸らせた事にほっとしながら、ルリは言葉を返していく。

「そうだ、ルリちゃん、今日家に遊びにおいでよ。
 アキトも待ってるよ。仕事なんていつでも出来るって!」

 ユリカの方は本当に全然ルリの葛藤に気付かなかったようだ。
 アキトの名前を出せば、ルリが折れてくれるとでも思っているのか、いきなりの招待の言葉をルリに向ける。

「今日いきなりは用事があって駄目ですけど、今回の寄港中に必ず伺わせて頂きますね。
 そう言えば、アキトさんのご様子はいかがですか?」

 ユリカの申し出をやんわりと拒絶しながら、ルリは折角の機会と思い、さり気無くアキトのことを 尋ねてみることにする。

 勿論、本当は行きたいに決まっている。

 目の前にいるユリカに申し訳無く感じてしまう程に、アキトに会いたい。
 自分の名前を呼んでくれるアキトの声がとても聞きたい。
 そして、優しい微笑みを自分に向けて貰いたい……

 そのような身勝手な想いを別にしてでさえ、アキトの作ってくれる料理を食べながら、テーブルを囲んでユリカと 3人で会話をするのは、他のどんな予定とも引き換えにしても構わないと感じる位、ルリの心の中では大切なもの として認識されている。

 ただ、今日はまだ駄目だ。
 ルリは今回の寄港時には、月面ドックへの出航の前日の夜に二人に会いに出かけようと最初から心に決めている。
 その時に、次回の長期任務の話をして、いきなり別れの挨拶を交わすつもりだった。

 それ以外のタイミングで訪ねてしまっては、話をすれば間違い無く引き止められるだろうし、かといって、機会があったにも関わらず、二人に意図的に言わなかった事になってしまうのも避けたかった。

「もう、ルリちゃんは真面目人間なんだから……」

 ルリの心の内を知るはずも無いユリカは簡単に答えを返す。

「まあ、今度だけは許してあげようかな。
 これで、後はナデシコCをネルガルの月面ドックに置いてきたら、
 ルリちゃんも司令部勤務なんだから、これからはユリカとずっと一緒だもんね」

 父であるコウイチロウにおねだり済みということで、てっきりルリは司令部勤めになるものと、ユリカは決めてかかっている。
 ルリはユリカの言葉に肯定の返事を返すことも出来ず、ただ下を向いたままでいる。

「ルリちゃん、どうかした?」

 返事がないルリに対してユリカが訝しげに問い掛ける。

「いえ、それでアキトさんのことは……」

 出来るだけ、物欲しそうな顔をしてアキトのことに話題を振る。
 これは、演技ではなくて本当の気持ちなので、苦も無く表情が作れてしまう。

 ユリカがこの話題に飛び付いてくる事は予想済みだ。

「そうそう、やっぱりルリちゃんも、ユリカとアキトのラブラブな生活が
 聞きたくて仕方がないんだね。うーん、ルリちゃんお年頃。
 よしよし、ルリちゃんには特別に、ユリカの知るアキトの秘密を一杯教えてあげるね」

 今までの話しを一切忘れてしまったかに見えるユリカは、そう宣言すると、近頃のアキトとの日常生活を 微に入り細に入り逐一、ルリに解説していく。

 曰く、アキトとどこに出かけたのか、アキトが自分に何を買ってくれたのか、アキトがどんなに美味しい 料理を作ってくれたのか、アキトがどんな優しいことをしてくれたのか、アキトが……、アキトが……

 それは、ルリが本当は心から願い、夢に見てしまう理想の生活の姿だった。

 うっとりとした表情でアキトとの暮らしを語り続けるユリカ。
 自分を見つめるルリの表情が、いつしか切なげなものに変わっていっていることに気付いていない。

 どこからこれだけの話が……と思えるほどに、延々と言葉を紡いでいく。

「ユリカさん、今幸せですか?」

 途中から相槌をやめて、ただ静かにユリカの話に聞き入っていたルリが、突然、ぽつりとユリカに言葉を向けた。

「うん、アキトの大きな愛に包まれて、ユリカもう幸せ一杯だよ!」

 いきなりのルリの言葉に一瞬戸惑いながらも、次の瞬間には満面の笑顔で応えるユリカ。

「本当、眩しいくらいに幸せそうに見えますよ。
 ユリカさん……私、羨ましい……」

 ルリも微笑んで同意の言葉を返す。

「ルリちゃん……?」

 ルリの言葉にどこか引っかかりを覚えたユリカが、訝しげに名前を呼ぶ。
 自分に向けられたルリの微笑が、確かに一瞬、強い悲しみの色合いを帯びていた事を、ユリカは何故か感じていた。

 ”いけない、私、何を馬鹿なことを……”

「……私、流石にそろそろナデシコCに帰らないと」

 ユリカの態度に自分のミスを悟ったルリは、話を強引に変えようとする。

「では、明後日の夜にお邪魔しますから、アキトさんにも宜しく伝えておいて下さい。
 勿論、ここは、ユリカさんのおごりですよね?」

 努めて明るく振舞いながら、ユリカとの会話を手早く切り上げ、ルリは足早に士官食堂を出ていく。

 ユリカは、困惑しているかのように見える少し複雑な表情で、ルリの後ろ姿を見送っている。
 会話の最後にルリが見せた悲しい微笑みが、ユリカの心を捉えて離さなかった。

 戦略課に戻ったユリカは、何故か彼女独特の説明不能な感性に動かされ、現時点で進行中の総ての 軍関係の任務でルリに関連する案件を検索し、端から内容を検討してみた。

 所属部局の関係で、ユリカ自身がかなり広範囲にわたる関連部署の情報閲覧権限を有している事により 実行可能となっていた特殊な調査手法を使用しての事である。

 通常軍務の行動予定に一切の問題点を発見することの出来なかったユリカが、検索の最後尾に該当していた 産軍共同プロジェクト関連の部局で回覧されていた内部文書中に、留保付きの形でルリの名前を見つけ出したのは 約一時間半程たった後のことだった。

 荷物をまとめると、一目散に司令部を退出し足早に自宅へと向かうユリカ。
 その表情は、いつもの彼女に似ず酷く思い詰めた感じの物になっていた……



 「 約束 」 第三話 了
 

 

 

代理人の感想

・・・・ほら、こういう人なんだから(苦笑)。