機動戦艦ナデシコ
- the prince of darkness -

 

 

第二章

 

 

夢を見ていた。
どこか重要な場所に向かうに違いない、方向を表わす矢印に彩られた、飾り気のない、
果てしなく続く白い真っ直ぐな通路を、アキトは延々と歩いていた。
いや、正確には意識が朦朧とした状態で、なんとか前に進もうと努力していた。
夢の中でさえ、ご丁寧にもラピスからのリンクを外された体という設定らしく、
通路らしきものの全体の概観しか把握することが出来ない状態で、歩きつづけるはめになっているようである。

 

更には、いつ負ったのかわからない左手上腕の傷からの出血で、壁についた手を滑らせ、
何度も前に転んでは起き上がるといった、意味が感じられないまでのリアルさを追求した動作を先程から繰り返しているようだ。
馬鹿馬鹿しさに悪態をつきながらも、一応覚悟を決め、のたうつような動きではあったが、ただひたすら前方を目指して進んでいく。

 

夢の中でも、状況の進展という物が必要とされるのだろうか?

 

どれ位の時間が経過したのか、いつしかアキトは無限に続いていたはずの、廊下の突き当たりにある扉に体を持たれ掛けていた。
扉の向こうに秘密の部屋があること、そこに辿りつきさえすれば、
願いが叶えられるという無意味なまでに強固な確信が、何故か意識下で形成されている。
半分以上意識を無くし扉から体をすり落ちされながら、アキトは考えている --
(そう、後は扉の横にある開閉ボタンを押すだけだ。そうすれば、俺の大切な・・。)

 

最期の気力を振り絞り、夢の中で扉の開閉ボタンを押したアキトの心は、更なる闇の中へと落ちていく。
最期に、誰かが自分の名前を呼んだかのようにも思われたが、それもまた、夢の中の出来事に違いなかった・・。

 

 

 **

 

意識が戻った時にアキトが最初に感じたものは、どうしようもない違和感だった。
といっても異常なり緊急事態を感じさせるような感覚ではなく、
むしろそれが失って久しいはずの日常の穏やかさを感じさせるものだったことが逆にアキトを混乱させていた。

 

体をばらばらに引き裂くように感じられていた、怪我による痛みはどこかに消え去っており、
日常的に悩ませられていたナノマシンの不適合による頭痛もまるで感じられない。
心地良い温度に設定された部屋の、クッションの効いたベットで今まで眠りについていたようだ。

 

そして、睡眠用に輝度の落とされたベット脇の照明が映し出しているものは、なんと眠りに就いている女性の姿だった。

 

アキトは横顔をこちらに向け、両手を差し伸べたような姿で眠っている女性を眺めながら、自分が起き出した時の感覚を反芻する。

 

俺は、この女性に抱かれて眠っていた?半ば以上の確信を持って、そうだろうと思う。
頭に回されていた手を外して、体を起こした事が思い起こされる。

 

年の頃は二十歳過ぎくらいだろうか?
細面の繊細そうな感じの顔立ちに、伏せられた瞳を被う長いまつげ、そして僅かに開かれた唇が、
人々を惹きつけて止まないであろう悩ましさを醸し出している。
眠れる森の美女という半ば使い古されてしまった形容でさえも、陳腐とは言われないに違いない。

 

自らの口付けで、この美女を目覚めさせるという誘惑に駆られない男はいないのではないかと思われる、
可憐な寝姿を目の前にして、覚醒したばかりのアキトの心は混乱する。
と、アキトの心を見透かしたかのように、眠っていた女性の瞼が2,3度動いたかと思うと、その瞳が見開かれた。
寝起きが弱いのか、意識が完全には目覚めていないようで、片手で目をごしごしと何度かこする。

 

その様子を見つめていたアキトの視線と、女性の視線とがいつしか交錯する。

 

次の瞬間、アキトの視界には、吐息がかかる位に近づいた女性の顔が大写しになっていた。
アキトが起きていることに気付いた女性が瞬時に覚醒し、アキトに近付いたかと思うと、
その顔を両手で挟み込んだというのが事の顛末なのだが、
突然の美女の行動にアキトの意識が追いつく為には少しの時間が必要だった。

 

何事も見逃すまいとするかのように、少しだけ険しい感じを与える理知的な表情で自分を真剣に見つめ続ける女性に気押されて、
アキトは思わず視線を外してしまいそうになる。
だが、少し下にずらされたアキトの視線の捕らえたものは、
一番上のボタンを外したチェックのパジャマから覗く胸元の谷間の優美な曲線であったため、
慌てて再度女性の顔を見つめ返すはめになってしまう。

 

そのようなアキトの小さな葛藤に気付く事もなく、ただアキトを見つめ続ける女性。
最初に発した質問は、完全にアキトの意表を衝くものだった。

 

「アキトさん、ちゃんと私の姿見えてますか?」

 

アキトの感じていた違和感の正体、それは体の異常を表す痛みが無くなっていたことなどではなく、
失ったはずの五感が完全に問題無く働いていると感じられる感覚であった。
あれ程のラピスの献身によっても成されなかった、五感の回復が何故今の自分に・・。
思考の迷路に陥りかけ、視線を宙にさ迷わせていたアキトの意識を、悲しみに満ちた女性の声が呼び戻す。

 

「全然、見えていないのですか?
 もしかして、私の声も聞こえていないのですか?
 アキトさんに触れている、私の手も感じられないのですか?」

 

その声の余りの悲痛さにアキトは、慌てて返事を返す。

 

「ごめん、突然五感が戻っていることに気付いたせいで、びっくりしていた。
 ちゃんと目も見えてるし、耳も聞こえている。君の手の温もりも感じられる・・。」

 

「本当ですね、アキトさん。私を安心させるための嘘とかではないですよね。」

 

「ああ、本当だ。」

 

「良かった、本当に・・。」

 

女性は、両手をアキトの背に回して、体を強く抱きしめる。
アキトは、成熟した女性の体の柔らかな感触に戸惑い、離れた方が良いのでは等と思い腕に力をかけようとする。
しかし次の瞬間、自分を抱きしめている女性の体が震えていること、そして、それは恐らく女性が泣いている、
それも自分の為にであろう事を感じて、なすがままにされようと心を決める。

 

先程から自分を親しげに名前で呼び、心底、自分の身を案じて五感が戻った事を喜んでいるように見える、
見知らぬ女性の行動に感謝しつつも、事態が全く見えない事にアキトの困惑は深まっていく。

 

見覚えのない場所、親しい振るまいを見せる会った事などないはずの女性、五感が戻った自分、
未だに払拭される事のない違和感。
自分が何かとても大切な事を忘れてしまっているかのような危うい予感がアキトを包んでいる。

 

「すいません、取り乱してしまって。」

 

かなりの時間の抱擁を終え、涙を拭いて落ちついたかのように見える女性が、口を開いた。

 

「多分、色々説明した方が良いでしょうから、一旦起きましょうか?
 照明を通常の状態に戻しますね。」

 

言葉と共に、部屋はかなりの明るさに包まれ、アキトは目の前に手をかざした。
久しぶりに完全に戻った視覚には、室内用の光量でさえ、少し眩しく感じられた。

 

「眩しいようでしたら、少し照明を落としましょうか?」

 

心配げな様子で女性が問い掛ける。

 

「いや、心配ない。大丈夫・・。」

 

いいかけた、アキトの言葉が途中で止まる。
アキトの様子に違和感を感じた女性が振り返る。

 

「アキトさん・・?」

 

アキトは女性を凝視している。大人の女性としての美しさを醸し出している、その立ち姿を。
照明の元で輝く僅かにはためく絹糸のような銀色の髪を。そして、心配そうに自分を見つめる金色の瞳を・・。

 

自分を見つめる女性の総てが、アキトの中で一人の少女を想起させる。

 

失われてしまった人生の一番幸せな日々を共に過ごした、一人の少女。
感情表現が下手で、自分からはなかなか人に近づけなくて、それでも誰よりも純粋だった寂しがりの少女。
こんな自分を誰よりも慕ってくれていたのに、失意の日々の中で、差し伸べられた手を振り解く事で、深く傷つけてしまった少女。
願いが適うならば、もう一度だけでも会うことができるならと思い続けた少女。

 

「君はルリちゃんなのかい・・?」

 

問い掛ける声が震えているのが自分でもわかる。
すがるような視線を受け止めた女性は、一度瞳を閉じ、そしてゆっくりと開いた。

 

「はい、アキトさん。」

 

小さな、しかしはっきりとした声で答えると、女性はベットの横に腰掛けるアキトの前にかがんで立ち、視線の高さを合わせた。
そして、両手でアキトの顔を抱くと、その唇をアキトの唇に重ねていく。
それは、恋人通しの間で交わされる、長く情熱的なキスだった・・。

 

「これは、私を6年間も待ちぼうけさせたお仕置きです。
 私、もう少女ではありません。
 貴方のルリは、もう22才の大人の女になりました。」

 

自分でも少し恥ずかしかったのか、キスの余韻が残る少し上気した頬をアキトに見せたまま、
その女性、ホシノ・ルリはいたずらっぽく囁いた。

 

事態の急変に意識がついていっていないアキトに微笑みながら、ルリは話しかける。

 

「そうですね。まずは何からお話ししましょうか。」

 

ルリの手が寝室のコントロールパネルに触れる。偏光の具合を変化させたのだろうか、
寝室の壁面の一面の透明度が上がって行き、外部の景色が映し出されていく。

 

「これは・・・。」

 

何かを言おうとしていた、アキトの言葉がつまる。
その視線は、壁面を斜めに横切る、無数の帯状に分布するアステロイドから形成されているであろう縞状の円環と、
壁面の下部を被い尽くして黄金色に輝く、巨大な天体の姿に吸い寄せられている。

 

「そう、あれは土星です。ここは、危険過ぎる力の為に、人々の住む世界に場所を与えれられなかった私に残された最後の住処、
 地球圏のネットワークから隔離された最果ての宙域です。」

 

「でも、私は今自分の運命を許せる気持ちがします。
 こんなに遠くまで、アキトさんは私を迎えに来てくれたのですから。
 6年もの時間と10億キロに及ぶ距離を越えてまで・・。
 もうアキトさんと私は離れることはありません。私がそう望みました。
 これからは、アキトさんの目に見る総てのものが、私の目に映り、
 アキトさんの心に感じる総てのものが、私の心にも感じられます・・。」

 

言葉と共に、アキトの心の中にルリの感じているであろう想いが満ちてくる。
未成熟でたどたどしかったラピスの心とは、色合いを異にする、ルリの心が。
その感情の総てで、アキトを大切に想い、アキトと共にいる事を願い、そしてアキトを求めていることがはっきりと理解できる。

 

アキトの為に自らの総てを捧げることで、二人で感覚を共有出来ることを、心から幸せに感じていることを、それは伝えていた。

 

ルリの想いは眩暈を感じる程の強さで、アキトの心を揺さぶった。
明かされた真実、そして伝えられた想い。
その総てはアキトにとり衝撃的なものだった。だが、ルリの表情はしごく明るい。
それは、総てを許した者に共通する、安らぎの表情とでもいうべきものだった。

 

今や心を被っていた霧は取り払われ、アキトは総てを理解する。

 

自分が死の間際でルリを求め、ジャンプを行ったことを。
遥かな空間と時間を超え、この施設内にジャンプアウトしした後、
瀕死の体を引きずりながら、ルリを探したのは、夢などではなかったことを・・。

 

アキトを見つけたルリが懸命に手当てをしたのだろうことを。
ルリがそれこそ命をかけて、ラピスが行った以上のアキトとの感覚の接続手術を行い、五感を蘇らせたことを。

 

そして、ルリが望んでいることは、自分がずっと傍にいること、ただそれだけであることを。

 

「だから、アキトさん。幼かった私にしてくれた誓いをもう一度してください。
 ずっと私の傍にいて、そして私を守ると・・。そう、時の終わるまで・・。」

 

ルリが言葉を紡ぐ。
輝きを放つ瞳で、アキトの答えを待ちうける。

 

答えは決まっていた。考えるまでも無く明白なことであった。
だから、この会話は多分、二人の間で交わされる儀式とでも呼ぶべきものであっただろう。

 

「ああ、これからは、いつも君の傍にいる。君を守り続ける。
 決してもう離れたりはしない。
 命の総てを掛けて、ここに誓うよ・・。」

 

アキトが言葉を返す。優しい瞳でルリを見つめる。

 

言葉を受けたルリが、心からの喜びを表す満面の笑みでアキトを見返す。
それは、神聖な誓い。運命に翻弄されながらも、ようやくお互いを見出すことの出来た二人の大切な想い。

 

「では、アキトさんがいなかった間の長い長いお話しをしましょうか。
 本当にとっても長い話しになりますから、覚悟してください。
 でも、大丈夫ですよね。私達には時間がいくらでもあるのですから・・。」

 

寄り添い合う二人の影を、衛星の自転による視野角の移動に伴い、今やスクリーンの全面にまで広がろうとしている、
土星からの光が浮かび上がらせている。
それは、やがて一つに重なり、時間の経過と共に土星がその姿を隠そうとする時でさえ、決して離れようとはしなかった。

 

**

 

自らの死の直前に、果たす事の出来なかった願いを心に描いたアキトの意志を受け、
先史文明の遺跡は、己の判断によりその肉体を未来のルリのもとへと送り届けた。
再び巡り合い、動き始めた二人の人生は、時の流れのなかで、新たな運命の曲を奏で始めようとしている。

 

時に西暦2207年9月。土星宙域内のラグランジェポイントに浮かぶ深宇宙探査衛星タカマガハラ内で、
6年の時を超えて再会した、傷ついた流浪の黒騎士と楽園を追われた妖精との間に結ばれた新たな誓いが、
人類の未来史を揺るがしていくこととなる、幾つかの事象の始まりとなる物であった事に人々はまだ気付いていない。

 

地球圏は未だ、汎木星戦役後の、地球、木連双方の施政者達の勝手な思惑の結果として与えられた偽りの平和の中で、
戦禍の傷を癒す為の束の間のまどろみにその身を委ねていた・・。

 

 

 

 

第ニ章	「 土星 − 前編 − 」	了

 

 

 

 

 

管理人の感想

 

 

しんくさんから連載投稿です!!

なんとも、稀に見るルリ×アキトの完全ラブラブSSです。

このページでは、必ず邪魔者が現れるんですけどね〜(苦笑)

しかし、「貴方のルリ」って・・・既に逃げ場は無かったんだなアキトよ(爆)

その上、リンクで繋がってるし場所は土星だし(核爆)

ま、諦めるしかないわな。

でも、まだまだ波乱がありそうですね〜

 

それでは、しんくさん投稿有難うございました!!

 

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