機動戦艦ナデシコ
- the prince of darkness -

 

 

 

第四章

 

「・・大佐。タカスギ大佐」

 

気が付けば、控え室に居たはずの彼の副官が、少し心配げな様子で名前を呼びながら顔を覗き込んでいた。
セミロングの綺麗に揃えられた黒髪と少しきつめの雰囲気をたたえる黒色の瞳が印象的な、美しい顔立ちの若い女性士官である。
紅茶のカップを乗せたトレーを手にしているところを見ると、居室に篭ったままの彼の気分転換のために、
わざわざ用意してくれたことは疑いないようだった。

 

「ああ、すまない。少し考え事をしていた」

 

名前を呼ばれた男、タカスギ・サブロウタは答えを返す。だが、その心が実際にはこの場に留まっていないであろう事は、
この三年来彼の副官を務めてきてサブロウタの癖を良く理解している、この女性士官には手にとるようにわかった。
困難な問題点に思いを巡らせていた事は間違いないだろう。
艦隊司令部航路部長の要職にある、サブロウタの立場が微妙なものであることを彼女は理解している。

 

「次期防会議で何かあったのですか?」

 

「そう、見えるかい」

 

「お顔が険しいです」

 

「ちょっと、アンザイ少将とね。やってしまったよ・・」

 

椅子に背をもたれかけさせながら、サブロウタはやれやれといった感じでぼやく。
その軽そうな口調と裏腹に、事態がかなり深刻なものであるに違いないことを彼女はすぐさま理解する。
それは、多分サブロウタの軍主流派との対立と、結果としての更迭を意味しているはずだった。
そして、サブロウタにそのような無茶な行動を起こさせる存在に、彼女は一人だけ心辺りがあった。

 

「ホシノ博士のため・・だったのですか?」

 

サブロウタは答えない。だが、耳障りな音を立てて置かれた紅茶のカップは、彼の心を充分に代弁していた。
躊躇いながら彼に尋ねた副官の声が、少しだけ震えていたこと気付くにはサブロウタの心は荒れ過ぎていた。

 

「すいません、出すぎたことを申しました」

 

謝りながら、うつむき加減に部屋を辞していく副官の姿をサブロウタは歯がゆい思いで見送った。
普通の女性よりは少し大柄なはずの彼女の背中がいつもより小さく感じられる。何もかも思い通りに進まない。
まるで、今の自分の状況そのままだとサブロウタは思った。

 

先程迄行われていた、会議上でのやりとりが心の中に思い出される。

 

外惑星系軍次期防衛計画大綱検討会議。

 

木星宙域に点在する、複数の衛星国家、及び遺跡プラント都市から形成されている、木星連合。
今後五年間の中期防衛計画の方針を決定付ける重要な定例会議は、外惑星系軍の首脳を召集する形で、
ここ、木星連合の首星ガニメデに存在する、外惑星系軍総司令部の地下深くに位置する会議室内で昨日より開催されていた。

 

艦隊司令部に席を置くサブロウタと、軍主流派首脳の一人であるアンザイ少将とが対立したのは、この席上のことであった。

 

後方勤務本部次長アンザイ・テツヤ。現時点で木星連合軍事特別顧問の肩書きを持つ草壁春樹の意を受け、
それを外惑星系軍に浸透させることを自らの勤めと認じている草壁の側近である。
火星極冠遺跡の戦闘以後頭角を現し、軍中枢に地歩を固めたその経歴は、艦隊司令部の提督達に憎しみを持って語りつがれている。

 

その大半が旧木星軍から移管された艦隊戦力で構成されていることから、反地球連合色が強い外惑星系軍のなかで、
数少ない親地球派の幹部の一人として知られているサブロウタとは対極に立つ人物であると言えるだろう。

 

外惑星系軍に存在する二大派閥。各々の俊英と見なされている男達の会話は、いつのまにかその主旨を大きく逸脱していた。

 

「自分は、先程から申し上げている通り、地球圏財閥への作業発注とその政治的な見返りを主眼として提案されている
 内惑星系への航路整備などに、貴重な木連の資源と人材を投入するよりも、木連の明日のために、
 辺境領域の探査と資源開発をこそ優先すべきだと確信するものであります」

 

サブロウタは軍高官達を前にして持論を展開していた。
しかし、その理路整然とした主張は、あからさまな嘲笑によって報われた。

 

「そして、その予算の一部が国際科学財団経由で土星にいるホシノ博士の元へと届けられるわけだ。
 全く結構な公私混同というべきものではないのかね。タカスギ大佐。
 君が旧宇宙軍時代以来、一貫してホシノ博士びいきで、個人的にも親しいというのは誰もが知っていることなのだがね」

 

侮蔑の表情を隠そうともしないままアンザイは言い放つ。

 

「確かに自分は、能力的にも人間的にもホシノ博士を大変尊敬しています。
 しかし、木連の明日を考えるための今回の会議と、それが一切関係するはずがないことはいうまでも無いことです」

 

心にやましさを全く感じていないサブロウタは、自分の気持ちをそのまま表現する。

 

「弁解すらしないとは良い度胸だ。そんなことだから君とホシノ博士が情人の関係にあるなどという困った噂を、
 まことしやかに囁く者が後を立たない等ということになるとは思わないのか?」

 

アンザイが口の端を歪めて言ってのける。

 

「それが、事実無根であることは貴方自身が一番ご存知なのではないですか。アンザイ少将。
 わざわざ一個小隊を科学財団の木星支部に送り込んで、24時間ホシノ博士を監視させている方の言葉とも思えません」

 

先日見せられた、ルリの監視映像の様子が思い出される。ルリに同情的な兵士が個人的にサブロウタの元に直接持ち込んだものだ。
頭の中に浮かんだ、肩を震わせて泣き続けるルリのイメージはもはや消せそうになかった。

 

「あの魔女を野放しになどできるものか。だいたい、あれはあの「黒い悪魔」と恋仲だったというじゃないか。
 私は、本当ならば、あの女を生かし続けることにすら反対したい気分なんだ」

 

サブロウタの眉があがる。
口をついて出た言葉は会議室の全員の表情を蒼白にさせた。

 

「確かにアンザイ少将、貴方ならそう考えるでしょう。
 人としての心を貴方に求めようとするとは、私の方が完全に間違っていました。
 「黒い悪魔」一人を殺すために、木連雷撃部隊の半数に及ぶ、三千人もの将兵をためらわず特攻させた貴方に、
 もはや人として守るものがあるはずなどありませんでした」

 

「自分が何を言っているのか、承知しているのだな。タカスギ大佐。
  軍の総意として行われた作戦を愚弄するかのごとき態度を続ける、貴官の言動を看過するわけにはいかない。
 いいだろう、期待して待っているがいい」

 

アンザイの口調に室内の温度は急降下したようであった。
もはや、次回の定例人事でサブロウタが司令部に席を持たないだろう事を、総ての出席者が理解していた。

 

「楽しみにしています」

 

サブロウタは倣岸とも見える表情で言い切った。

 

後悔などはない。間違っているとも思わない。
しかし、全く意味のない行動でしかないことは誰よりも自分自身が理解していた。

 

行き場を無くした会議を無理やり終わらせようとする言葉を誰かが喋っているようだった。
それは、春に開催された木星連合年次総会で議決された軍政改革の結果として、今や統合幕僚会議議長にまで上り詰めた、
草壁の右腕とも呼ばれるシンジョウ・アリトモ中将だったのだが、サブロウタにはもはや興味はなかった・・

 

回想を打ち切ったサブロウタは、控え室に繋がる直通回線に手を伸ばす。
先程、邪険な扱いをしてしまった副官を夕食に誘うためである。

 

自分の身を気遣ってくれる部下のために、この程度のことしか出来ない。
手助けをしたいと願っている大切な女性の為には、何一つすることが出来ない。

 

サブロウタの表情は、自嘲に満ちていると表現するのが正しいに違いないものだった。
無力感が彼を苛んでいた。

 

 **

 

「いやー、これは、ドクター。久しぶりだねぇ」

 

「ええ、久しぶりね」

 

月面アルキメデス・クレーター内に位置する工業都市フォン・ブラウン市。
その外縁部に隣接して建造された巨大施設、ネルガル重工第一月面工廠の貴賓室内で極秘理に会見が行われている。

 

ネルガル重工会長アカツキ・ナガレ。地球圏有数の企業財閥ネルガルの若き支配者である。
飄々とした雰囲気の中にも、時折刃を感じさせる視線を持つ、この男の前に座る人物は、学会講演を目的として、
地球圏を来訪していたイネス・フレサンジュ博士であった。

 

「で、久しぶりで悪いんだけど、僕は結構怒っているんだ。理由はわかるよね」

 

「そうね、わかると思うわ」

 

二人が話題にしているのは、火星極冠遺跡の調査データ漏洩の件であった。
アカツキは木連内の研究所に忍び込ませてある情報員から、今回の一件を事後的に知る形となっていた。

 

「どういうことか説明してくれないかな。
 場合によっては、ドクターといえども、ちょっと許せないかもよ」

 

「まず、だまってやってしまったことは謝るわね。
 でも、どうしても必要だったの。今度の件では、私もホシノ・ルリもとても貴方に感謝しているわ」

 

「なんか、ちっとも後悔してないみたいなんだけど。
 聞いた話だと、単に監視付きのルリ君のところに一週間行ってきただけじゃないのかい。
  ネルガルが二代に渡って守って来た秘密を、何と取替えてきたんだい」

 

「そうね。私の未来。ホシノ・ルリの未来。
 そして、人類の未来って奴かしらね」

 

「それは、とっても結構な話みたいだけど、僕になんかメリットはあるのかい。
 話が抽象的過ぎて、まだ僕には良くわからないんだけど」

 

「それを、今日は説明しに来たに決まっているじゃない。
 アカツキ君、あなた歴史に名を残せるわよ」

 

「どういう意味なんだい」

 

 アカツキは、イネスの論理の飛躍に付いていけずに怪訝そうな表情をしている。

 

「それは、聞いてからのお楽しみね」

 

イネスは微笑すると、ルリと話し合って決めた計画の概要の説明を開始する。
最初は単なる宇宙物理学に関する講義としか思えなかったその説明は、15分も立たないうちに、会長秘書のエリナに対し、
当日予定されていた総ての約束の取り消しをアカツキが命じる程に重要なものへと変化していた。

 

ネルガル月面工廠内で、それまで時間単位で進捗が厳密に管理されていた作業スケジュールが完全に破棄され、
最高の優先度を持つ複数の新規プロジェクトが開始されることが、少数の内部関係者に発表されたのは会談の翌日のことであった。

 

工廠内の予定変更と呼応するかのように、同日、登録を既に抹消されているはずの航宙艦が一隻月面を離れている。
その艦は、暗黙理に設定されている火星軌道の軍事境界線を密かに越えて、土星宙域へと向かうべく指令を受けていた。

 

 **

 

外惑星系軍警備艦隊に所属する高速巡航艦リンドウが、噂の敵性航宙艦と遭遇したのは、当時、外惑星系軍に所属する軍関係者で、
何が起きたかを、知らぬ者はいないとまで言われるまでに広まってしまった、次期防会議の舌戦から約九ヶ月後のことであった。

 

艦長職にあるサブロウタは、略奪行為などを行う不正規航宙艦取締りを主目的とした、
長期間の艦上生活を余儀なくされる予定が組まれた、航路警備の航行の途上にあった。
小惑星帯を航行していたのは、周辺宙域で略奪被害に遭遇した艦船の報告が相次いでいたためである。

 

今回報告されている海賊被害の特徴としては、天文衛星に使用されるような高額な観測機材から、食用プラント用の設備部品まで、
見境なくいろいろなものが強奪されてしまう点にあり、その無節操さは警備部内で色々な憶測を呼んでいた。
救いといえば、宇宙植民者の最低のマナーと考えているのか、人命と生命維持関連の装置には決して手を出さない点だっただろうか。

 

前方五光分に出現した未確認航宙艦の艦影が、前回の被害報告で得られていた敵性航宙艦と照合され一致を見たことで、
リンドウは戦闘態勢へと移行していく。

 

それは、敵の戦闘力を奪い降伏させるだけの簡単な戦闘行動になるはずだった。

 

敵性航宙艦自身には大した兵装は認められず、また艦の形状から予想される、艦載の機動兵器は一機だけのはずで、
予想通り単機で、それも機動性が少しは改良されている雰囲気ではあるが、5年も前の型式の黒に塗装された
02式エステバリス・カスタム改が出撃してきた事がわかった時には、ブリッジでは失笑が漏れたものである。

 

リンドウには、今年度に正式採用されたクリムゾン・インダストリ製の新型機動兵器が一小隊五機配備されている。
防御力、火器管制システムが大幅に改良されてなおかつ操縦性に優れた非常に評判のいい機体である。
機動兵器開発の黎明期に量産されたネルガル製の旧式エステバリスとでは勝負にもなるはずはなかった。

 

それでも、戦闘班長のカワグチ大尉は相手を侮ることなく、バックアップを一機残して正四面体の頂点を形成するような形で、
敵機動兵器を包囲していく。木連士官学校での機動兵器実習の教官や新機種選定のテストパイロットを務めた事もある、
カワグチ大尉の戦闘技術は外惑星系軍内でも指折りのものとして認識されている。

 

戦闘班長の慎重さをサブロウタは頼もしく思う。
包囲が狭まり攻撃が開始される。教本通りの完璧な包囲殲滅攻撃である。

 

そして、攻撃が始まった2分後には、リンドウの機動兵器小隊は旧式のエステバリス一機により、完全に殲滅させられていた。

 

カワグチ大尉にとっては悪夢を見ているようだった。
包囲下での集中攻撃。それが、全く相手にダメージを与えられない。

 

標的を定めロックする。攻撃をする。着弾寸前に絶妙のタイミングで相手がかわす。
再度ロックする。攻撃を行う。敵はやはり寸前で回避してしまう。

 

狙撃をかわすエステバリス。

 

冷や汗が背中を流れる。部下の機動兵器が被弾する。敵は悠々と包囲を抜け出ていく。
攻撃する。当たらない。また一機、部下の機動兵器が墜とされる。

 

バックアップ用に待機していた部下の機動兵器などは、敵の旋回中に無造作に放たれたとしか思えない一弾により、
急所である回路中枢を撃ち抜かれ制御不能になってしまっている。

 

気がつけば、最後に残った自分の機体も推進部を撃ち抜かれ行動不能に陥っていた。
カワグチ大尉は、自分達を殺す必要すら認めなかったらしい、敵の底知れぬ技量に戦慄していた。

 

リンドウのブリッジは予想外の事態の推移に騒然としていた。
弾幕をかいくぐってリンドウのブリッジ直上に出現した黒いエステバリスは、
直後には砲撃の照準をブリッジへと固定していた。ブリッジ要員は身動き一つとることが出来ない。
サブロウタも艦長席で拳を握り締めたままである。

 

敵機動兵器から通信が入る。

 

「ここで船ごと沈められて全滅するか、
 一部の士官をブレイン・アナライザにかけることで、残りの乗員の命を助けるか選ぶといい。
 五人だ。他に選択肢は与えない。良く考えてさっさと決めることだ」

 

顔面を一切被っている黒の強化スーツを着た男がスクリーンに映っている。
酷く楽しそうな口調で、全滅か外惑星軍の情報提供を意味する士官の生贄かの逃れられない二者択一をブリッジ要員に迫ってくる。

 

男の意図は明確であるかのようにサブロウタには思われた。外惑星系軍の正規軍に対してさえ、或る種の温情をかけようとするとは、
大した胆力である。この状況下では、自分にとっても相手にとっても悪い取引きであるとは思わないが、
さすがに部下を巻き添えにするのは躊躇われた。

 

「俺がアナライザにかけられる。他の者は許して欲しい」

 

「ほう、タカスギ大佐は切れ者と聞いていたが簡単な足し算も出来ないらしい。
 例外は認めない。五人の士官を選抜しろ。五分後にまた連絡する」

 

一方的に言い渡すと男は通信を途絶させてしまう。

 

ブリッジ内に沈黙が降りる。
しかし、次の瞬間には決意を固めた男達が次々と志願を希望していた。
ふと気付くと、副官の女性士官までが挙手している。

 

またブリッジのスクリーンにウインドウが開く。
戦闘班長のカワグチ大尉の顔が映っている。どうやら敵艦に拿捕されてしまったようだ。

 

「というところで大佐。これは、大佐との付き合いの長い順で決めるのが筋という奴じゃないですか?」

 

言いながら、自分とサブロウタを含めた五人の名前を上げる。
呼ばれた男達は満足そうに、頷きを返す。

 

「大佐とご一緒した時間ということであれば、私にも権利があるはずですが・・」

 

「悪いな、中尉。これは男だけの楽しい遠足ということになっているんだ」

 

副官の女性の言葉はあっさり否決されてしまう。

 

「まあ、そういうことだ。今回は勘弁してくれ」

 

サブロウタも彼女を連れていく気は全くないようであった。

 

敵航宙艦が接舷してくる。
武装した一団が乗り込んできて、ブリッジ要員を一箇所に固めるように追いたてていく。
他の乗務員も食堂に集められ、武装解除させられてしまったようである。

 

制圧を確認したのであろう。いつのまにか敵機動兵器は居なくなっている。
代りにリンドウ艦内に先程の黒尽くめの男が乗り込んで来ていた。

 

サブロウタを先頭に、殺されるためだけに選抜された士官達は敵航宙艦へと連れ去られていく。
その様子は逐一ブリッジのメインスクリーンに映る、コミュニケのウィンドウ中に表示されていた。
副官である彼女を含めたブリッジ要員はかたずを飲んで事態の進展を見守っている。

 

いつしか場面は変わり画面は捕虜の取調室らしい陰惨な雰囲気の部屋を映し出している。
ウィンドウの中では武装グループの兵士が、アナライザを前にしたサブロウタに思い残すことがないかと尋ねている。

 

ホシノ博士のことに触れるのではないかという彼女の心配をよそに、サブロウタは特に何もないと言って、
アナライザの椅子に静かに腰掛ける。
思わす彼女は安堵のため息を漏らす。

 

サブロウタの頭に測定装置が被さられる。スイッチが入る。サブロウタがくぐもった悲鳴を上げる。
装置が外される。サブロウタは頭を垂れている。耳と鼻と口からは止めど無く血が流れている。
確認するまでもない。即死であろう。あっという間の出来事だった。

 

大佐が死んだ。
自分が、馬鹿なことを考えている間に大佐は命を失ってしまった。
大佐はもう死んでしまった・・

 

心の中で何かが切れる音がした。

 

叫び声が聞こえる。自分の声だ。

 

自分に銃を向けていた兵士の鳩尾に掌底を打ち込む。兵士が苦悶の表情で崩れ落ちる。
近付いてくる別の兵士の脇腹に回し蹴りを叩き込む。肋骨を砕いた感触がある

 

敵のリーダーである黒尽くめの男の姿が至近に確認できる。
状況が掴めていないせいか、まだ全く構えを取っていない。

 

強化スーツから顕わに見えている頚動脈に向けて右の貫手を放つ。
このタイミングではかわす事は不可能だ。間違い無く当たる。彼女は個人的な復讐劇の成就を確信する

 

しかし、次の瞬間、目の前で男の姿がぶれたかと思うと、彼女は壁にたたきつけられていた。

 

一瞬の攻防で右腕を折られてしまったようであった。
この男の戦闘力を見誤っていたようだ。木連式武術の使い手である彼女には男の尋常でない力量が理解できる。
完全に常人の域を越えているとしか考えられない。

 

右腕に酷い痛みがある。しかし、せめて一矢報いるまでは諦めるつもりはない。
左手で手刀を作る。怪我のせいでバランスが悪いが、渾身の力を込めて男の喉笛を狙い再度攻撃を試みる。

 

横から男の手が伸びてくる。
左手首が握り潰される感触が伝わって来た。

 

気がつけば、両脇から武装した兵士に肩を押さえられていた。
黒尽くめの男が自分を見下ろしている。その姿が霞んで見えるのは、知らぬ間に自分が涙を流していたためのようだった。

 

「お前はタカスギ大佐の恋人というわけか?」

 

感情の読み取れない声で男が尋ねる。

 

「・・違う。」

 

その通りだと答えることのできない自分が悲しかった。自嘲の思いが胸をよぎる。
躊躇ってばかりいて想いを伝えようとしなかったせいだ。自分の今までの行動は完全に間違っていたと彼女は思う。
だが、間違いは正せば済むだけの話だ。

 

「大佐は、まだ何もご存知ではない。
 私の気持ちは今からお会いして直接伝える」

 

彼女は言い放つ。
涙に濡れたその瞳は、それでも強烈な意志の光を放っていた。

 

「舌を噛ませるな!」

 

気付いた男が叫ぶが間に合わない。彼女の口元からは、真紅の糸が流れ外惑星系軍の純白の士官制服を赤く染め上げていく。

 

自分の最期が、両親や友人達が映像を見ても、せめて無様と感じられるものでありませんように・・というのが、
意識が途切れる前に彼女が感じた最後の形ある思いだった。

 

黒尽くめの男は、多量の出血で意識を失ってしまった、女性士官を抱えて平然とブリッジを出ていく。
バイザーに隠れて表情は一切伺えないものの、捨て台詞は男の苛立ちを表しているかのようだった。

 

「周りにいる男共の力が無いばかりに女が命を落とす。
 いつもそうだ・・」

 

その言葉は、ブリッジに残された者達の胸に刺さった。
男はもう戻らなかった。

 

 **

 

小惑星帯宙域で、機関部と通信ユニットを完全に破壊され漂流していたリンドウを、
隣接航路警備を中断して掛け付けた同型艦サザンカが発見したのは、リンドウの定時通信度絶後、
20時間が経過した後であった。

 

助け出された兵士達は、敵性航宙艦との遭遇からリンドウの漂流に到る事態の経過を克明に述べた。
武装グループのリーダ格の男が、外惑星系軍に対して抱いている恨みの念から物資を奪うだけでは飽き足らず、
タカスギ大佐と腹心の部下達から構成されていた、士官五人を自分達の航宙艦内に拉致した後に、情報を取る目的で、
本来死者に対して以外では決して用いられる事のない、大脳皮質解析器にかけ惨殺してしまった経緯は、
事情を聴取した担当士官に戦慄を覚えさせる程のものだった。

 

見せしめのため、兵士達は最初から最後までリンドウからコミュニケで、その様子を確認させられていた。
コミュニケの記録映像は、兵士達の証言を完全に裏付けるものだった。

 

タカスギ大佐を慕っていたらしい副官の女性士官の抵抗とその悲劇的な結末も、彼らの心に衝撃を与えていたようだった。
敵艦へと運ばれた彼女は、最期の瞬間に意識を取り戻し、死化粧を施されたタカスギ大佐の胸に身体を預けると、
満足そうに微笑んで息を引き取っていた。
海賊達は彼女の最後の願いを聞き届けたのか、二人を同一のカプセルに弔い宇宙へと放った。
その映像は彼女の両親や友人達の涙を誘った。

 

犠牲者はそれだけに留まらなかった。
エウロパ大学客員教授のイネス・フレサンジュ博士が、外惑星系軍科学局主催の物理兵器ワークショップにパネル参加する目的で、
次の寄港地までという予定でリンドウに乗船していた。

 

接触時の応対の不遜さが武装集団の不興を買い、結局、タカスギ大佐達と運命を共にすることになってしまったのは、
エウロパ大学に留まらず、科学界にとり大きな損失であったとして、広く一般に報道された。

 

軍の威信をかけた懸命の捜索にも関わらず、敵性航宙艦の行方は掴めなかった。

 

事件発生から数えて六週間後、外惑星系軍司令部の敷地内の一角で,タカスギ大佐を始めとする、
事件に関係した殉職者のための合同慰霊祭が行われた。

 

軍を代表して、外惑星系軍に対するタカスギ大佐の貢献とその篤実な人柄を哀悼する演説を行ったのはアンザイ少将であった。
軍は身を呈して、兵士達の命を救った犠牲者士官全員にニ階級の特進をもってその栄誉を称えた。

 

出席者の最前列で、近付くのが憚られる程殺意の篭った視線をアンザイ少将に向けているのは、旧木連軍優人部隊で、
タカスギ大佐を副官としてナデシコAとの死闘を繰り広げた、現外惑星系軍第三艦隊司令アキヤマ・ゲンパチロウ中将である。
彼は今回の事件が草壁派の謀略である可能性をすら考えていた。

 

偶然の要素が加味されたとはいえ、タカスギ大佐を排除することに成功した、外惑星系軍内に勢力を広げつつある、
草壁派閥の次の標的が、このアキヤマ中将か、或いは参謀本部のアララギ少将であるだろうことは、
司令部内において、決して口にはされる事のない、しかし暗黙の了解事項であると見なされていた。

 

外惑星系軍内で吹き荒れる嵐は強さを増していくばかりだった。

 

 **

 

同時刻、内惑星系の主要航路を完全に離れた、地球-火星軌道間の漆黒の宇宙空間中で、
幾つもの微かな光の輝きが断続的に生まれては消えていた。

 

知識を持つ者が見れば、輝きが照らし出している物体のシルエットは、少し奇妙な形状をしてはいるが
建造中の航宙艦であることをすぐに理解できた事であろう。

 

船体に取り付いているかのように見える、ドック艦との比較から想定されるその全長は、優に4km を超えるだろう。
船体後部に円環状に配置された12基の規格外の大きさを持つ相転移エンジン、及び、船体から大きく張り出されるような形で、
展開されている無骨な超空間通信ユニット、そして艦体中央部に多数連結された資材が満載されていると予想されるコンテナ群。
そのいずれもが、この巨大な航宙艦が特殊な目的を持って建造されている事を意味していた。

 

ドック船団の司令船のブリッジで作業の指揮を取っているのは、未来に向けて新たな改造屋の道を模索するとの一言で
半年程前にネルガル重工を離れて、以後消息を絶っていた、元ネルガル月面工廠特別主幹技師のウリバタケ・セイヤだった。

 

司令船のメインスクリーンには新造艦のブリッジの様子が映し出されている。

 

映像を詳細に分析した者がいたとすれば、先日の通称「リンドウ事件」で敵性航宙艦との遭遇により命を落したはずの男、
元外惑星系軍大佐タカスギ・サブロウタが副官と思われる女性士官を前にして、矢継ぎ早に艦長席から指示を与えている姿を、
そして、ブリッジの奥に位置する機関部制御用の専用コンソールでは、イネス・フレサンジュ博士が、複数の相転移エンジンの
協調動作のシーケンス作成に格闘している姿を同時に確認することが出来たであろう。

 

開発作業の存在自体を隠匿するため、作業の総ては、ネルガルの月面工廠において突貫スケジュールを経て、
新規に建造された各部ユニットを、極秘裏に地球連合、木連双方の監視下にないこの宙域に、複数のドック艦を集結させ
最終的な組み上げを行うことで進められている。
一見しただけでも、ネルガル重工の社運を賭けたプロジェクトであることは疑う余地もないようであった。

 

最終的には、総ては時間との戦いになるであろうことを、作業に携わる者たちは皆理解している。
一般の人々はまだ気付いていないかも知れないが、各種の情報機関を経由して集められる情報を総合すると、
事態は着実に危険な水準へと近付きつつある。

 

人類社会に迫りつつある新たなる危機の予感。
震源地は間違い無く木星になるだろう。

 

その中心には草壁春樹の存在がある。

 

 

第四章 「 木星 」 了

 

 

 

管理人の感想

 

 

しんくさんから投稿です!!

何やら大掛かりな事になってきました!!

う〜ん、これは今後どんな展開をみせうrのでしょうか?

しかし、しんくさんは物語の構成が上手いですね〜

次々に引き込まれる内容です。

でも、今回はルリちゃん名前しか出て来なかったね(苦笑)

二つ名でも呼ばれていたけど(笑)

 

それでは、しんくさん投稿有難うございました!!

 

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