「先ほど部下から連絡が入りました」
どこか感情を押し殺したような女の声が薄暗い部屋に響く。薄暗いとは言っても、女が報告書を手に持っていることが判別できる程度の暗さだが。
「それで?」
それは短い言葉。相手に続きを促すだけの言葉。そして、ある特定の人間が発すると途端に世界が変わる言葉。
事実その一言が机に座っている男の口から漏れた瞬間、二人だけしかいない部屋にとてつもない重圧がのしかかる。それは、その男が特定の人間であることの象徴だった。
だが女の様子に変化は無い。報告書を持った手も震えることはなく、直立不動の体勢で男を見据えている。
女の持つ報告書には一文しか書かれていなかった。右上がりで文字の間を詰めたその文はぱっと見ただけでは何が書いてあるかわからない。
『あいつは普段から暗号を使っている』
女を快く思わないものが好んで使う彼女専用の陰口は、しかし本人が自覚していてなおかつ女がそれを誇りにしているとなれば全くの無意味であろう。
また、女をよく知るものにとってその文の解読は『ちょっとした頭の体操になる』という。
その表現がどこまで冗談なのかはわからないが、文章なのか暗号なのか判断のつかない物が書かれている報告書には、大訳すると以下のようなことが書かれていた。
『第一段階成功。第二段階への移行準備開始』
第一段階とは敵の間合いへ飛び込むこと、つまりナデシコへの潜入を指している。
そして第二段階は敵の懐深く侵入すること、つまり・・・
「ナデシコへの潜入に成功、続いてナデシコ内部の組織に潜入を試みるとの事です」


機動戦艦ナデシコ
〜遥かなる思惑の中で〜


第二幕


「何だよ、これ・・・」
セイヤさんの案内で扉を抜けた俺は、眼前に広がる光景に開いた口がふさがらなかった。
どうやら格納庫らしいそこに、何体ものエステバリスがあったのだ。赤や黄色に塗装されたそれらの機体には、とてつもない存在感と威圧感を感じる。
新型のエステが合計7機。どれも激戦を潜り抜けてきたとは思えないほど磨きあげられていた。整備が行き届いている証拠だ。
書類にはあったが、これほどとはな・・・ナデシコが最強と呼ばれる所以か。
その中でも特に俺の注意を引いたのが漆黒のエステ。闇そのものではないかと思わせるその機体は、7機あるエステの中でも一回り大きい。
いや、大きいだけじゃなく形もほかのエステとはかなり違っていた。より重量感が増したというか、異質度が上がったというか・・・
『入ってくるなり、いい度胸ですね・・・』
漆黒のエステを眺めながらそんな事を考えていると、頭の中に小さな、しかしはっきりとした女の子の声が響いてきた。その声を聞いた瞬間、俺の背中を言いようのない悪寒が走りぬける。
「誰だ!」
突然聞こえた声に驚いて周りを見回してもセイヤさんの他には誰もいない。カラフルな塗装のエステが目に映るだけだ。
「どうした?」
「いえ・・・何でもないです」
何だ今の・・・・・・空耳か?
「それよりこの機体・・・一体何ですか?他のエステとはまるで違う!」
俺の目の前にある漆黒の機体を指差しながらセイヤさんに質問する。声が震えているのは自分でも情けないとは思ったが、このエステを見ていると何か恐ろしいものを感じるのだ。
「ああ〜、そいつか・・・そいつはだな・・・」
なぜか歯切れの悪い声で頭を掻きながら言うセイヤさん。何か言いづらいことでもあるんだろうか?
「正直言って俺にも判らないことだらけの機体なんだ、そのブラックサレナは。只、ナデシコにある戦力の中で最強なのは間違いねえな」
ブラックサレナ・・・それがこの機体の名前か。見れば見るほど闇色だな。何を考えてこんな色にしたんだ、このパイロットは・・・
そんなことを考えつつ『黒百合』の名がつけられた漆黒の機体を眺めていると、どこからともなく足音が聞こえてくる。それもカツンカツンという音ではなくダダダダダという、短距離走をしている感じの音だ。
何だろうかと思いきょろきょろと辺りを見回していたら、格納庫の入り口からドレスを着た人影が走ってくるのが目に入った。ふわりとしたレースをなびかせながら全力疾走しているその姿に、俺は呆然としてしまった。
この船、戦艦だよな・・・それなのに、なんでドレス着た人がいて、しかも徒競走なんてやってるんだ・・・?
そんな疑問が俺の頭の中をぐるぐると回っている間にも、その人影は軽やかなステップで格納庫を走り回っている。どうも何かを探しているようだが・・・何を探してんだ?
結局その人影は近くに積んであったコンテナの内側に身を潜める。そして格納庫に静寂が訪れた。
「セイヤさん、今のは一体・・・ってあれ?」
気が付くといつのまにかセイヤさんが格納庫からいなくなっていた。その代わりに、入り口から帽子を被った女性が入ってくる。
あれは・・・確かナデシコの艦長だ。ナデシコのクルー名簿の一番上にあったから覚えている。名前は・・・何だっけな?
「あの〜・・・」
必死に名前を思い出そうとしていると、艦長が声を掛けてきた。写真で見るのと間近で見るのとはかなり違うことを思い知らされた気分だ。
すごく可愛い・・・あの女とは雲泥の差だな。ま、年齢からして違うか。
「この辺でアキト見ませんでした?」
「え?アキトって言うと・・・あのテンカワアキトのことですよね。俺は見てないですけど、それはそうと貴方は?」
とりあえず相手の名前を聞いておく。こっちが相手を知っていて相手がこっちを知らないんじゃ、いつぼろが出るかわからんからな。俺がナデシコの情報を知っていることは極力隠さねえと・・・
「私はこのナデシコの艦長の、ミスマルユリカです!・・・ってそれより本当にアキト見ませんでしたか!?」
「ええ。ところでテンカワアキトってのはどんなやつなんです?噂でしか聞いたこと無いんで・・・」
どこか急ぎの用事かなにかがある様子で慌てている艦長に何気なくその質問をしたところ・・・
「アキトは私の王子様なの!私がピンチになると、必ず飛んで助けにきてくれるんだよ!つい最近だってチューリップに囲まれてこの私が危なかった時にも、颯爽と現れては助けてくれたの!そもそも私とアキトは運命の赤い糸で結ばれていて、それはいつの頃からかというとまだ私がいたいけな少女だった頃、火星で私の家の隣に住んでいたアキトが・・・」
・・・聞くんじゃなかった。
顔をほんのり赤く染めて両手を前で組み合わせ、大きな瞳を潤ませながら延々と惚気話を語る艦長をうんざりと眺めながら、俺は心底そう思った。
『艦長にアキトの話を振るのはタブー』
今回の教訓はこれで決まりだな・・・
「・・・それでそれで、子供はそんなに多くなくていいんだけど、男の子と女の子が一人づつは欲しいのよね。小高い丘の上に私たちと子供のスイートホーム・・・アキトはコックの仕事で忙しいんだけど、その帰りを待つ私は・・・ぶめぎゃ!」
惚気話が『幸せな将来について』の部分に入ってから5分ほどしたところで、なにやらすごい音と共に艦長が床に沈んだ。
出会い話に続けて火星でのテンカワとの生活、テンカワと一度別れた後も忘れなかったこと、再会した時の喜び・・・少なくとも30分は聞かされたぞ。それを聞いてる俺も俺か・・・
そう思ったところでふと前を見ると、さっきまで艦長が惚気話を語っていた位置にハリセンを持った三つ編みの女の子がいた。眼の下にちょっとしたぼつぼつがあるものの、ちょっと子供っぽさの残る可愛らしい子だ。
「ほら艦長、こんなところで何サボってるんですか!アキトさんを探すんでしょ!?」
この子もテンカワを探してるのか・・・けどテンカワってどんな顔してたっけ?確か書類に載ってたと思ったが、覚えてないんだよなあ・・・
「あのさ、今すごい音しなかったか?」
気絶しているらしく、幸せそうな表情で固まっている艦長の後襟を掴んで引きずろうとしているその子に、とりあえず声を掛けてみる。 話が長すぎて頭がぼうっとしてたせいか、今になってようやく事の重大さに気付いた。そしてその女の子が持っているハリセンをじっと見る。
あの大きさであの音・・・かなり固めの金属を使ってる証拠だ。それでいて手軽に振るえる重さときてる。リーチが短いのが難点だがそれ以外は鈍器として優秀だな・・・軽鈍器という奴か。
「あの・・・どちら様ですか?」
額に冷や汗を浮かべながらそう質問する俺に、その子は不安げな表情をこちらに向けて質問を返してくる。
そういえば自己紹介がまだだったか。警戒するのも当然だな・・・
そんなことを思いつつ、彼女が右手に引きずっているぴくりとも動かない艦長と、左手に持っているハリセンを交互に見ながら、俺は心の底で呟いた。
突っ込みには向かないな、このハリセン・・・
「ああ、俺は今日からここに配属された整備班だ。よろしく頼むよ」
「私は通信士のメグミ・レイナードといいます。ところで、肩にあるそれは一体何ですか・・・?」
怯えの表情から一転安心したように営業スマイルを浮かべ、今度は不思議そうに俺の背中にあるトールハンマーをじっと見つめるメグミちゃん。その純真な眼は、どこか輝いているようにも見えた。
好奇心旺盛な子だな。こっちも質問してたんだが・・・まあいいか。
「こいつは俺の大切な相棒だよ。『雷神の槌(トールハンマー)』・・・体の一部といってもいいぐらいだ。ところでセイヤさん知らないかな?」
さっきからセイヤさんの姿が見えないのでとりあえず聞いてみる。ナデシコの中を案内してもらおうかと思っていたが、格納庫から出て行ったようなのだ。
「・・・え?セイヤさんですか?確か食堂のほうに行ったと思いますけど・・・」
「そうか、ありがとう。ところで今の間は一体なんだい?」
俺の質問からメグミちゃんが答えるまでに、少々の間があった。なにやらぶつぶつ言っていたようだが・・・
「あ、えっと、何でもないです。それじゃあ、私はアキトさんを探しに行きますので!」
しかし、メグミちゃんはかなり慌てた様子でそう言うと急ぎ足で格納庫から出て行ってしまった。とうとう目覚めることの無かった艦長を後ろ手に引きずりつつ、その原因を作ったハリセンをぶんぶん振り回して。
俺の聞き間違いじゃなければ、さっきメグミちゃんは『ナデシコっぽい人ね・・・』とか何とか言ってたな。
・・・ナデシコっぽいって何だよ?
格納庫に取り残された俺は、既にいないメグミちゃんに向かってとりあえず突っ込みを入れてみた。だが反応する相手はなく、静寂すら何も言ってはくれない。7機のエステが鎮座する人っ子一人いない格納庫に、空っ風が吹いたのは気のせいではないだろう。
「はあ・・・・・・・・・虚しい」
「あ、ちょっとそこの貴方!」
突っ込みはボケ役がいてこそ引き立つものだということを再確認し、一人突っ込みの寂しさ、虚しさを両肩を落とす事によって体全体で表現していたところへ、活発な女の声が聞こえてきた。
その方向を見ると、メグミちゃんが出て行ったところとは別の入り口に、黒髪でセミロングの作業着を着た女の人が立っている。
二十歳前ぐらいの、しかしどこか大人っぽい雰囲気を醸し出しているその女の子は、俺と目が合うとこちらに小走りで寄ってきた。
「見かけない顔ね・・・新入り?」
「ええ、今日付けでナデシコの整備班に配属された者です。あなたも整備班ですよね、これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく・・・って言っても、私もここに来たのはついさっきだけどね。名前はレイナ・・・レイナ・キンジョウ・ウォンよ」
しかしこの船、可愛い子が多いな。艦長からして美人だったし・・・
こちらによってきたレイナさんの自己紹介を受け、俺は心の底で幸せな気分になってしまった。と同時に、レイナさんが背中に背負っているものを見て目を顰める。
銀色のスパナか・・・相当使い込まれてるな。かなりやり手の整備士だ、この人・・・
無数の細かい傷と、油の汚れが染み付いたスパナは、この人が並の整備士ではないことを俺に教えていた。 俺の持つトールハンマーにだって無数の傷がついている。この傷は整備の時についたもの、こっちのはあいつらが襲ってきた時についたもの・・・と、一つ一つの傷に思い入れがあるのだ。
多分このスパナにも、そんな思い出がたくさんあるだろう。そのスパナを持つこの人が、ただの整備士であるわけが無い。恐らくセイヤさんと同程度、いや、それ以上・・・!
「目標が増えたな・・・」
「え、なに?」
不思議そうな表情でこちらを見ているレイナさんに、俺は慌てて口を閉ざす。
おっと、口に出てたか。どうも俺は考えてることが言葉に出るようだ、気をつけないとな・・・
「そういえばアキト君知らない?さっきから探してるんだけど見当たらないのよね・・・」
「ついさっきも同じ質問を二人にされましたよ。俺は特に見てないですね」
やれやれ、この人もテンカワ探しか・・・かくれんぼでもしてるのか?まさかなあ・・・
ため息を付いて落胆した様子のレイナさんの顔を見ながらそんなことを考えていると、突然ピッという機械的な音と共に、俺とレイナさんの間に人の頭が出現した。
『レイナさん、アキトさんの居場所がわかりましたよ』
瑠璃色の髪をしたその後頭部から、少女の、しかし特に感情を交えない声が聞こえてきた。いや、よく聞くとわずかながら焦りと怒りのようなものを感じる。
これがコミュニケか。それはともかくこの髪型・・・オペレーターのホシノルリだな。
書類に載っていたホシノルリの髪型は、後ろからでも判別できるからはっきりとわかった。
「えっ!?アキト君どこにいるの?」
『そこのコンテナの陰です』
レイナさんの嬉しそうな声に続いてホシノルリが淡白に言うと同時にコミュニケの画面が反転、ホシノルリの顔が俺のほうを向く。その表情は・・・
『絶対零度の微笑』
そんな陳腐な比喩すら生ぬるいほどの、言葉では表現しがたいものだった。だが俺の感覚はその表情の意味を的確に感じ取る。
肌に冷たい波が走り、全身を駆け抜ける。
心臓は定期的に、かつ無慈悲にその鼓動を刻む。
『絶対恐怖』・・・そんな言葉が不意に思い出され、俺は指一本、毛筋の一筋まで動かすことはかなわなかった。
コンテナの陰・・・?確かそこにはドレスの女しかいなかったはずだが・・・まさかあれがテンカワだとでもいうのか!?
ドレスを着た人間と、かの『漆黒の戦神』を結びつけることは不可能だろ、いくらなんでも!!
「ちょっと待て!あれがテンカワアキトだなんて判るはずないだろ!!」
俺はそう叫ぶが、ホシノルリの氷の仮面が崩れる様子は無い。むしろ更に温度が下がったようだ。
「貴方の意志がどうであれ、私たちを騙したことは事実です。・・・レイナさん」
「覚悟は、いい・・・?」
レイナさんの短い、しかし恐ろしいほどの迫力に満ちた言葉と同時に、俺は全気力を振り絞って戒めから逃れ、右に跳んだ。そのすぐ脇を銀の残影が走り抜ける!
体勢を立て直してレイナさんのほうを向くと、スパナを床に叩きつけた状態で俺を凝視していた。
「あの距離からの抜き打ちの一撃・・・よくかわしたものね」
「鈍器の扱いには慣れてるんでね」
しかしさっきのはマジで危なかった。剣術で言う居合に似たような技か・・・それも相当に速い。要注意だな・・・
内心ドキドキしながら言い返して背中のトールハンマーを抜き、『水の型』に構える。
左手を柄の中央辺りに、右手はハンマーを押さえ込むように槌の上部へ置くこの構えは、4つの型の中で最も防御に適したものだ。この構えから他の型に移行するのは難しいが、とりあえずはまあいいだろ・・・
そう思っていた途端、レイナさんが身を翻して突っ込んできた。スパナを振りかぶった状態で、一気に間合いを詰めてくる。
信じられない速度で左斜め上から打ち込まれるスパナをトールハンマーで受け止めた俺は、そのまま防戦一方となった。
押さえ込んでくるスパナを押し返し、間合いを取ろうと一歩下がるがそれより早くレイナさんが切り込んでくる。左側からの横薙ぎ気味の斬撃に続いて、一歩踏み込んでの右斜め下からの切り上げ。鈍器術では滅多に使われない連続技を何とかかわし、必死に距離を取った。
「大したこと無いわね・・・そのでかいのはただの飾りかしら?」
嘲笑を浮かべてそう言うレイナさんもまた距離を取り、スパナを背中に回した状態で俺を見つめる。その呼吸は全くといっていいほど乱れてなく、腰を低く構えた体勢でいつ攻撃を仕掛けられてもおかしくは無かった。
やはり俺はまだまだということか・・・
少々息を荒げながら、その悔しい現実を受け止める。こっちは大金槌、あっちはスパナ・・・重量級と軽量級・・・その間にどれほどの隔たりがあろうか。
単純に力の差だ。向こうには『速さ』も『技』もあるが、俺には『力』しかない。総合で俺がレイナさんを下回っているのはどうしようもない事実・・・
だが!俺はこんなところで負けるわけには行かない!柊流の名を汚さないために、そして何より俺自身が強くなるために・・・勝たなければいけないんだ!
居合の体勢で3メートルほど間合いを開けたレイナさんは、油断なく俺の挙動を観察している。膝を軽く曲げ、重心を下半身に置いた構えはわずかの隙も見出せなかった。
それを確認した俺はふっと笑みを浮かべ、『水の型』から『風の型』に持ちかえる。左の逆手で柄の先を持ち、右手は柄と槌の付け根部分を持つこの『風の型』は最も速さに特化した構えだ。その分間合いは短くなるが、鈍器同士の戦いではまず先手が取れる。
「やっとやる気になったわね・・・それでも私には勝てない」
「どうかな・・・?勝負はやってみなきゃわからないだろ」
自信に満ちた表情で勝利宣言をするレイナさんに、俺は精一杯の虚勢を張る。だがはっきり言って分がいいとは言えない。
いくら『速さ』に特化した構えとはいえ、それは重鈍器の中での話だ。あのスパナは明らかに軽鈍器、しかも居合を使うことで斬撃のスピードを数倍にまで引き上げている。
要するに『速さ』では勝ち目はない。『タイミング』が勝負の分かれ目だった。タイミングさえ合えば重さはこちらのほうが遥かに上、ぶつかり合いは俺のほうが有利なのは向こうもわかっているはずだ。
「そのスパナ・・・銘はあるのか?」
闘気がぶつかり合い、重苦しい雰囲気が格納庫全体を包み込む。お互いにお互いの姿しか見えないほどに集中した状況の中、俺はふとそんなことを口に出していた。
「俺の大金槌にはトールハンマーという銘がある。雷神の槌という意味だが・・・今ひとつ名前負けだな」
特に考えて言ったわけではない。俺にも何故、この状況の中こんなことを口にしたかわからないのだ。
「銘とかそういうのは無いけど・・・」
と、唐突にレイナさんが喋りだした。その表情には、どこか嬉しそうなものが見え隠れしている。
返事を期待してはいなかった。むしろ話し掛けた隙をつかれるのではないか、と後悔していたぐらいだ。しかしレイナさんは語りだした。いや、独り言と表現するのが最も適切か。
「私はここに来る前、西欧の最前線でエステの整備士をしてた。それもアキト君のエステ専門のね」
過去を懐かしそうに話すレイナさんだが居合の構えをとくことは無く、切り込む隙もなければ気を抜く隙も作らせてはくれなかった。もっとも、不意打ちなんて卑怯な真似は絶対にしたくはないが。
テンカワのエステ・・・ブラックサレナか?
「だけどアキト君のエステには、整備なんてほとんど必要なかった。何しろ攻撃を受けないんだもの、商売上がったりだったわ」
攻撃を受けない、か・・・実際にエステの戦闘を見たことはないけど、今ひとつ実感がわかないな。
「そんな状況をうらやむ人が同僚の中にいてね。一度私に突っかかって来たことがあるのよ」
その時のことを思い出したのか、少し顔をゆがめる。嫌なことや辛いことを話す時、総じてこんな顔になるものだが・・・これはむしろ思い出したくないことを話すときのものだ。
「そいつ、腕は確かなんだけど嫌な奴でね、ねちねちと嫌味ばっか言ってきたの。しばらくは私も我慢して聞いてたんだけど・・・」
そう言うレイナさんの表情が怒りに染まっていく。よほどのことがあったのだろう、放たれる殺気の量は並じゃなかった。
「『あの野郎、木星蜥蜴の仲間なんじゃないか?あれだけの攻撃の中、全くの無傷ってのはおかしいぜ』なんて言うんだもん、さすがの私も黙っちゃいられないわよ。カッとなって背中のスパナをお見舞いしてやったわ」
あの野郎、ってのはテンカワのことだな。同じ戦場にいてテンカワの戦いを見ていたにも関わらず、そう言わしめるほどの戦闘能力・・・信じられない、いや、信じたくないっていう気持ちが強くなりすぎたんだろう。気の毒な奴だ、いろんな意味で・・・
そんなことを思っていると、相変わらず隙のないレイナさんがふっとため息をついた。何かを後悔しているような、それでいてその何かを微笑ましく思っているような、そんなため息だ。
「それで結局、そいつは病院送りになったんだけどね、一部始終を見てた奴が基地中にあることないこと話しまくったのよ。そういえばその頃だったっけ、アキト君が私を見るたびに怯えるようになったのは」
「怯える!?ホントですか、それ・・・」
「なんかアキト君、女の子に対してトラウマがあるみたいなのよ。まあとにかくそれからね、基地中の私を見る目が変わったのは」
なぜか誇らしげに話すレイナさんを見ながら、俺は体が強張っていくのを感じた。
空気がピリピリと張り詰めて肌を刺し、力強く締め付ける。
冷や汗が頬を伝い、決して澄み切っているとはいえない音を立てながら格納庫の床を濡らしていく。
静寂は静寂であり続けながら、俺の心臓を握りつぶそうと見えない手を伸ばす。
この重苦しい雰囲気は、いつ爆発してもおかしくは無かった。そしてそのきっかけはわずかなものでいいのだ。
「誰が最初に呼んだかは知らない。でも基地の皆は恐怖の対象としてこのスパナをこう呼んだわ・・・『銀の牙(シルバーファング)』と!」
引き金が引かれた。
レイナさんがシルバーファングを一閃させると同時に俺もトールハンマーを繰り出し・・・
『柊流鈍器術『風舞い(かざまい)』!!』
踏み込んだ左足を軸にし、腰の回転で右下から振り上げてシルバーファングを格納庫の天井高く弾いた俺が見たものはレイナさんの驚愕の表情ではなく、左手に握られたもう一本の銀色のスパナだった。その直後、衝撃が後頭部を襲う。
「私の牙は二段構えなの。言わなかったかしら?」
薄れゆく意識の中、余裕たっぷりのレイナさんの声を聞きながらふと妙な考えが頭の中をよぎった。
いくらなんでもシルバーファングはそのまんますぎるだろ・・・
そして全てが闇に包まれた。

「あ〜あ、やられちゃったよ・・・」
格納庫の一角から顔を覗かせたヤノが、ため息混じりにそう呟いた。そして懐から何かを取り出す。
「それにしてもあの女整備士、相当な使い手ですね・・・あの状況で獲物を手放すとは」
そう、あの瞬間レイナ・ウォンは振り下ろしたシルバーファングを手放し、腰を落としてトールハンマーの一撃をかわし、体の左下に出ていたもう一本のシルバーファングを左の逆手で掴んで叩きつけたのだ。
一般的に言って、戦闘中に持っている武器を手放すことのできる者は少ない。
「要注意人物ですね・・・書類には載ってはなかったが、チェックを入れておかなくてはならないようだ・・・」
懐から取り出した手帳のようなものを操作したヤノは、それを懐に戻してため息をつく。
ヤノに課せられた使命は新入り整備士の監視・・・つい先ほど自分が送迎したハンマー使いを見張ることだ。
その監視対象が今、目の前で女に叩きのめされた。その心境はいかほどであろうか・・・ヤノの表情からは何も読み取れない。
格納庫の空気は、熱くて重苦しい・・・

ー続くー


=あとがき=
どうも、早くも当初の予定が狂ってしまい、途方に暮れているソルです。
いや、展開としてはある意味予想通りなのですが、主人公の強さに疑問を持ったりしてます・・・
そういえば名前がまだ出てきてませんね・・・
一応ネタには組み込んであるんですが、いつ出てくることやら・・・(汗)
そして大分遅れてしまいました。
こんな調子で書いていていいのか、と他の作家さんたちを見ていて思う今日この頃・・・
文才の無さにあきれ返っております。では、また次回・・・


ちなみに最後の彼の思いは私の心の叫びでもあります
いくらなんでもそのまま過ぎましたね・・・

 

 

代理人の感想

つまり、これから「銀」の称号はアリサからスパナに移動すると。

ただでさえ影が薄いのに、二つ名まで奪われたか、

アリサ=ファー=ハーテッド(核爆)。