第五話 敵(?)現る






「失礼します。」



 男は静かに部屋に入ってきた。



「おお、ご苦労。
 そっちの椅子に座りたまえ。」



 部屋にいた老人は、机の上の書類から目も離さずに、そう、入ってきた男に座る事を勧めた。



「今日来てもらったのは、ちょっと確認事項があったからなんじゃよ。」



 老人はやっと書類から目を離し、鋭い眼差しで男を見据えながら言葉を発する。
 対して男は、普通の人ならば震え上がって立っていることすら出来なくなってしまうような視線にも、
 何の思いも持たなかったらしい。

 ただ、春風を受けたかのように、気持ち良さそうに椅子に座っている。



「君のガード採用試験の成績を改めて見させて貰ったよ。
 また、その時の教官達にも意見を求めてみた。
 その結果は、全ての教官がオールÅ以上の成績を君に与えている。
 …ただし、人間的にはやや問題がある、との事だった。」



 人間的に問題がある……目の前ではっきりそう言われたにも拘らず、男は微動だにしない。
 しかし、それに続いて老人が言った言葉には、少なからず驚かされたようだ。



「しかしそれだけでは君の事が良く分からないので、君の前歴を調べてみる事にした。」



 一瞬男の眉毛がピクリと動いたものの、直ぐに平静を装う。



「軍の諜報部隊が実際に動いたにも拘らず、分かった事は、君が以前クリムゾンのシークレットサービスにいたという事だけ。
 それ以前の君のことは丸っきり分からなかったよ、ヤガミ・ナオ君。」



「よく分かりましたね、上手くカモフラージュしたつもりだったんですが…」



「軍をそれ程舐めない方がいいぞ。
 確かに使えない人間でも大勢いられる場所でもあるが、有能な人間が集まる場所でもあるんだからな。
 ま、今迄気付かなかった諜報部もどうかとは思うが…」



 確かに本来は軍隊というものはエリート集団である筈である。
 その中でも、エリート中のエリートでなければならない諜報機関がそんな様では、現在の軍のレベルは押して知るべしだな。


「で、それを御承知の上で俺を呼び出した理由はなんですか?
 いきなり首ってことなんですか、中将?」



「いや、そんな事をするつもりはないし、しても意味がなかろう。
 それに折角入った優秀な軍人の首を何故切らねばならぬ。」



 グラシスは如何にも心外だという顔で言う。
 優秀な人材の確保が、組織の要であるからな。



「そんな事をするよりも、鈴さえつけておけばいい事ではないか?」



 あっさりと怖い事を言う。
 実は、人権だとかを考えていないだろう、お前。



「で、君を呼び出した本当の理由に行く前に、一つ聞いておきたい事があるんだよ。」



 ここでグラシスは眼光を一層強める。
 それはさすがに戦乱の時代を生き抜いてきた人間が持ちうる眼差しだった。

 その眼光の鋭さには、さしものナオでさえ、一歩引いてしまいそうになる。



「君は彼と戦った事があるそうだが、今彼と格闘戦において、勝てるという自信はあるかね?」



 いきなり三人称では分からないと思うぞ、爺さん。



「ちょっと勘弁してくださいよ〜〜(涙)
 あいつと戦って勝てそうな人間を、俺は知りません。
 って言うか、あいつに格闘戦で勝てたら、そいつは人間じゃないっすよ。」



 充分通じているようだ。
 これくらい出来ないと、組織の中では上に上がっていけないのだろうか?


 半分涙目になりながら、ナオはそんな事を言う。
 冗談にしても、もうアキトとは戦いたくないらしい。

 ま、アキトと戦う事がないだろうからと、軍を再就職先に選んだナオにとっては、
 アキトの前にもう一度立つなんてことは何があっても遠慮したい所だろう。



「ふむ、格闘戦において成績が特S級の君がそう言うのならば、彼を力で押さえきる事は不可能なんだろうな。」



「当然っすよ。
 あいつはバケモンですから。」



 しみじみとナオは言う。



「しかし彼は有名人になった、なってしまった。
 東洋ではTV等でも特集され、一般人でさえ知っておる。
 当然裏社会、裏社会に繋がりのある人間達は、彼を何としてでもと欲しがるだろう。」



「だから、あいつに力ずくで言う事聞かすのは無理っすよ〜。
 人間が人外のものに手を出しても、失敗するのが落ちですって。」



「それもそうだろうな…
 だが、それで彼らは納得するのか?
 勿論納得するはずがない。
 では、そうなった時に彼らが取ろうとする行動は………」



「………」



 張り詰めた空気が部屋中にいきわたる。
 緊張感があるというよりも、緊迫感があると言った方が正しいだろう。



「現在彼を雇っているネルガルと身柄を確保している軍は下手な事をして彼を怒らせるような事をするとは考えられない。
 あの明日香インダストリーも、その平和主義からそんな事はしまい。
 ……しかし、君が昔いたクリムゾンは、会長・ロバートの性格とネルガルへの対抗心から、
 それになにより実行する事に何の躊躇いもしない特殊部隊が存在する。」



「………俺が呼ばれた理由が分かり始めた気がしますよ…」



「私の孫娘は幸いな事に軍属でもあるし、彼の本当に近くにいる。
 従って取り敢えずは安心だとは思う。
 だが、最近は軍の中にも手引きをする人間がいるかも知れんし、彼のその功績等を妬んで嫌っている人間もいるかも知れん。
 それに、軍の外にだって彼の親しい人は大勢いるだろう。
 そこで、君の任務は……」





「分かりました。
 しかしこれは問題の根本的解決ではないですね。」



「仕方あるまい。
 出来る事はしておかないと、寝覚めが良くないしな。」



 グラシスは、写真を見ながら少し寂しそうにポツリと呟いた。





◇       ◇





 俺は今日もサラちゃんとアリサちゃんの二人に挟まれた状態で目が覚めた。
 流石に、こうも毎日だと何も言う気力もなくなってしまう。

 しかしレイナちゃんもこの基地の所属になった事だし、何時までも二人だけに特権を与えておく訳にもなるまい。
 その辺の所を上手く説明しないとな。

 そんな事を考えている内に二人とも起きたようだ。



「おはよう、サラちゃん、アリサちゃん。」



「「おはよう(ございます)、アキト(さん)」」



 毎日この二人の笑顔で一日が始まるというのはとても魅力的なんだが、背に腹は変えられない。
 今日限りでこの生活ともオサラバしないといけないな。
 レイナちゃんに今ばれたら、元の木阿弥になってしまうし。



「サラちゃん、アリサちゃん。
 俺はこれから毎日朝錬を積もうと思うんだ。
 そうなると当然の事ながら朝起きる時間が今迄よりもずっと早くなってしまう。
 今も起きる時間を合わせて貰ってるのに、これ以上早く起きてくれとはいえない。
 だから、これからは二人とも自分の部屋で寝てくれる?」



 最近の二人は俺の起床時間に合わせる為、結構早起きなのだがそれが無理をしていることだという事位、
 二人の生活を見ていれば分かる。

 大体朝食を作る時なんて、本来なら少なくても後一時間は寝ていられる筈なのに、
 俺と一緒に起きてるもんな。

 流石にそれは二人にとっても、辛いことだったらしい。
 時々信じられない様なミスをするようになったと、誰かが言っていたぞ。



「そうですね……
 流石にこれ以上早く起きる事は、私には無理そうです。」



「うん、私も。」



 二人とも注意力不足になっている事は自覚していた事もあり、俺の部屋で寝る事は諦めたようだ。
 これで、レイナちゃんがこの部屋に来ても大丈夫だな。


 …ついでに部屋の鍵も変えておくか。

 この二人なら俺がいない間も、ベッドを占領していそうだからな。





 さて、そろそろお勤めのお時間だ。
 食堂に行かなければならないな。



「じゃ、行って来るよ、サラちゃん、アリサちゃん。」



 そう二人に笑いかけながら、顔を近づけ頬にキスをする。
 行ってらっしゃいのキスもこれが最後か〜〜

 そんな事を考えると結構感慨深いものがあるな。








 食堂へ通じる通路を歩いていると、前の方から男が歩いてくる。
 こんなに朝早い時間から誰かとすれ違うなんてどれ位ぶりだろう、
 そんな事を考えながら、普通に歩いていると、向うから声をかけてきた。



「よお、一瞥以来だな。」



 確かナオとかいう奴だった。
 長身痩躯の体でありながら、格闘術だけで言うと今迄闘った相手の中では一、二を争う人間だ。



「……ここに何しに来た。」



 軍のガードが、VIPも護らずこんな所で何を油を売っているのやら。
 それがナオを見た時の正直な感想だ。



「おっと、アンタと戦うつもりは丸っきりないぜ。
 今日は、まあ、ご挨拶をしに来たって所だ。」



「ご挨拶?
 お前はグラシス中将のガードだったんじゃないのか?」



「まあそうだったんだが、そのグラシス中将から頼まれてね。
 この基地でガードの仕事をすることになったんでね。」



 意味深な眼で俺を見詰める。
 言葉にしないでも分かっているんだろうと、目は口ほどにものを言うのである。



「で、改めて自己紹介。
 俺の名前はヤガミ・ナオ 28歳。
 趣味は釣りと日曜大工、こんなもんかな。
 他に聞きたい事はないか?」



 そんな事を言われても、男には興味はないぞ俺は。
 実際に、この基地にいる男どもの中で、名前も顔も性格も一致しているのは、
 シュン隊長とその副官のカズシさんぐらいなものだ。
 司令の顔だって覚えていないんだからな。



「別に何もない。
 ただ、俺の邪魔さえしなければ好きにすればいい。」









「なあ、アキト。
 なんでお前がこんなに料理が上手いんだ?
 今直ぐお嫁に来れるぞ。」



 自分の方が年上だと分かった瞬間、馴れ馴れしい口調で話すようになってきた。
 非常に、人間的な奴だ、そういう奴は嫌いじゃないぞ。



「別にヤガミさんに嫁に貰ってもらう事はないから気にしないでいいよ。」



 俺は嫁に行くんじゃなくて、嫁を貰うんだよな。
 それも、美女が大勢俺の事を待っていてくれている筈。
 今の所何人の予定なんだろう…………重婚OKな国でも、何人までとか規制あるのかな?



「う〜ん、残念。
 こんな上手い飯を作れる嫁さんは中々いないだろうから、掘り出しもんだと思ったのに…」



 まさか本気でさっきの言葉を言ったのか?



「ま、俺も男の嫁さんには興味がないからどうでもいいが……。
 さて、おかわりをくれ、アキト。」



 今一読めない男だ、ヤガミ・ナオ。
 流石に裏の社会で名前を売っただけの事はある。

 こんな男は何を言ったって正直に話す訳がないのだから好き勝手にやって貰うのが一番いい。
 俺はナオさんにおかわりを作りながら、ナオさんの事をこれからは余り気にしないようにする事に決めた。




◆       ◆





(さてと、そろそろ行動を取りますか。)



 ナオはお昼ご飯を三回もおかわりしてから、おもむろに立ち上がった。
 一番最初は情報収集をするかと思いきや、アキトに問いかけている。



「アキト、今日はずっと食堂か?」



「いや、もう直ぐ上がりの時間だからその後はフリーですけど?」



「そうか、それは好都合だ。
 俺にこの基地を案内してくれ。」



(俺の最初の任務は、この基地内にアキトに恨みを持っている奴がいるかどうかからだからな。
 一緒に歩いていれば、アキトを見る目でそれぐらいはわかるだろうさ。)



「あ、それとこれはグラシス中将から、アキトにって。
 直接手渡してくれって言われてたんで、俺は渡したからな。」



 ナオが手渡した袋には、一枚のディスクだけが入っていた。
 アキトが不思議に思って、再生してみると……。

『化け物』『人外のもの』等と言った発言が聞こえてきた。
 アキトが振り返ると、ナオが出口へ向かおうとする所だった。



「ナオさん、ゆっくり案内してあげますよ。」



 アキトは穏かに、あくまでも穏かに微笑みながらナオの襟を掴み、引き摺りながら食堂を出て行く。








「で、こっちが基地の正面玄関。
 ナオさんが入ってきた方は、東門からだったみたいだからこっちは初めてでしょう。」



 アキトが本当に案内をしている…
 相変わらず、ナオは引き摺られたままであるが…何故か色んな場所を怪我しているらしい
 気のせいか、外からの進入経路(=内からの逃げ道)を重点的に案内しているが。

 しかも現状での突破の仕方なんかも話している。
 ただし、話している最中も変なプレッシャーをナオにかけているが…


 これがグラシスが言っていた『鈴』の正体か。

 確かにアキトの傍ならばナオといえど逃げられないし、
 重要な情報は一般人のアキトには知らされない。

 もしもナオがクリムゾンと何らかの繋がりを持っていたとしても、
 得た情報を流す事を躊躇わせることと、出し抜こうとする気持ちを封じ込める事が出来るだろう。

 伊達に中将にまで上り詰めていないな、グラシス。



 ナオはそんなアキトのプレッシャーもグラシスの配置の妙も理解できていた。


(これが新参者の辛い所だよな。
 俺の古巣がクリムゾンだったってのも良くないが……さっさと信任を得ないとストレスで胃潰瘍になっちまう。)


 そんな事を考えながらも、実は余裕がなくなり始めていた。
 それと言うのもここに来るまでに擦れ違った軍人達の姿勢にあった。

 ナオとしては、グラシスが言ったようにアキトを妬んだりしている奴が大勢いるだろうと思っていたのだが、
 予想とは全然違い、アキトに好意的な目しか見れなかったのである。

 この事実はナオを少なからず衝撃を与えた。
 今迄人を見極める目には多少の自尊心を持っていたのだが、
 出会う人の内、誰もアキトを妬んでいないという事が信じられなかったからである。

 当然ナオは、全員がアキトに好意を持っているとは考えずに、自分の眼力が衰えたのかとさえ考えた。


(嘘だ。
 今迄に出会った人間男157人、女61人。
 その内アキトに反感を抱いている人間は、男女とも0…
 そんな事はありえない筈なのに。)


(これは徹底的に調べる必要があるな。)





「俺がアイツを気に入っている理由?
 んなもん色々あるが、一番大きいのはやっぱ最近に起こったあれだな。」

「おお、お前もか。
 俺もアレの前はあんまり好きじゃなかったぞ。」

「俺も」「ああ、その通り。」「そうだな。」「良いこと言うな、お前。」



 次々と賛同の声がする。
 アレ?アレとはなんだ?



「?じゃあ、何故気に入るようになったんだ?」



 最もな質問をナオがする。



「おや?あの事件を知らないのか?
 しょうがね〜な〜、特別に教えてやるよ。
 ………
 ……
 …
 つい最近の飛蝗どもの襲撃の時だったんだが、あの時にはアイツはこの基地にはいなかったんだ。
 なんでも、基地司令がパリに出張するのに、護衛として同行させたとか言う噂だけどな。」

「俺は基地司令は遊びに行ったって聞いたぞ。」
「俺はアイツを他の基地の司令に自慢する為だって。」
「いや、俺が聞いた所によるとアイツ自身がパリに遊びに……」

「ああ、まあ理由はともかく、アイツがいない時に飛蝗がきやがってな。
 俺達だってずっとここで戦ってたんだし、最近は勝ち続けていたから迎撃する為に戦闘配置に勇んで就いたんだが、
 結果はボロボロ。
 もしもシュン隊長の的確な指示と白銀の戦乙女がいなかったら俺達は今頃あの世にいたんじゃないかってぐらい完敗だったな。
 その後シュン隊長が全面的に作戦の指揮を取ったんだが、その作戦目的は時間を一分でも稼ぐ事。
 要するに、アイツが来るまでの時間稼ぎさ。」



「だけど、シュン隊長だってアイツがどれ位の時間で帰って来れるかなんて知らなかったし、
 飛蝗どもにどれだけ時間を稼げるかもわからなかったって、後で言ってたな…
 で、結局アイツは間に合ったんだが、アイツは司令の命令を無視して基地に帰ってきたんだってよ。
 司令が今から帰ったって間に合いっこないから、傍でガードしろって言ったのに、
 『俺はあそこをなんとしても守ってみせる』っていってよ。
 それを聞いた時に、アイツの事を誤解してたなってな。」

「そうそう、アイツなら美女達にモテルのも仕方ないってね。」
「元々高嶺の花だしな。」



「それに、その時アイツは電車も何もかもが非常事態で止まってしまったから走って帰ってきたって、」
「いや、自転車だろ?」
「トラックの姉ちゃんに送ってもらったんじゃなかったか?」
「だけど、息を切らしてたって言うからトラックはないだろう?」
「そういや、そうか。」



 ………。



「ま、どんな手段でかは分からないが、帰って来るなりエステバリスに乗り込んで出撃したって言う話だ。
 流石にその時はいくらアイツでも疲れていたのか、他のエステを助ける為だったのか、自機に被弾したって聞いたぞ。」

「ああ、整備士が今まで仕事が無かったから、やっと働けるって喜んだとか。」
「今度来た整備士だろ?アイツ専用の整備士だってな。」
「アイツの機体だと当然専用の整備士が必要だよな。」






 ナオが話を聞いた連中は、似たり寄ったりの答えを示した。


(基地内にはアキトを妬んだりしてる奴はいないのか?
 う〜〜ん、最後に向うから歩いてくる奴に聞いて調査終了にするか…)



「よお、ちょっといいか?」



「なんだよ?」



「いや、アキトについてなんだが、」



 男の目に暗いものが一瞬差したのをナオは見逃さなかた。


(おっ!
 もしかして、当たりを引いたのか!)



「ちょっと、こっちでゆっくり話そうや。」



 ナオは誰もいない部屋に男を引きずり込んだ。







 男の名前はサイトウ・タダシ。
 職業はこの基地のメカニック、年はアキトよりも一つ上で彼女持ち。
 取り立てて語る事の無いような平凡な生活をしているようだった。

 アキトに対して邪な気持ちというのも、
 この頃彼女がアキトについての話ししかしない上、自分といる時よりも非常に嬉しそうにアキトの話題をする、というだけだった。

 ナオとしてもこの程度では問題とも思わないし、むしろ当然の事のようにも思えたが、何かが引っかかった。
 ナオ自身にもハッキリとは言えない何かが。





◇       ◇






「またですか?
 ナオさん、この頃食堂に入り浸りすぎじゃないですか?」



 ナオさんは、始めて来た日以外殆んど毎日のように俺が食堂に入る時間を選んでやって来るようになった。
 確かに俺以外の人間が食事を作っている時は、美味しくないからしょうがないんだけど。
 それにしたって、仕事の都合が良くもつくもんだ。



「ま、アキトの料理の腕がいいって事だから。
 今日は何がお勧めだ?」



 俺の言う事なんて馬耳東風、てんで聞く気が無い。



「あ〜、丁度今、食材が切れてしまったんで、また後で来てください。
 多分もう直ぐ届きますから。」



 後十分程で、いつものおじさんが到着する時間だろう。
 あそこの家の娘さんも綺麗なんだよな。
 未だ、時々しか会っていないから口説けていないけど。



「あ〜、折角急いできたのに〜。
 俺って不幸の星の下に生まれてきてるのか〜。」



 たかが昼食を取りはぐれたぐらいで何を大げさな。
 それに、急いで二時過ぎに来られても困るんだが…
 この時間になると、フレックスタイムか午後から休みの人達しかいなくなるんだが。

 俺の前にはサラちゃんとレイナちゃんがここで働いて(?)るけど……
 一応、二人とも今日は休みじゃないんだから働いているんだろう…



 そうそう、レイナちゃんもアレ以来俺の虜らしい。
 俺はあの時のことを思い出していた。





     「ご免、結構被弾しちゃった。
      修理大変かもしれないけど、お願い。」


     「ううん、気にしないで下さいアキト君。
      万全なものに仕上げてみせますから。」


      レイナちゃんは何でもないように笑って俺の頼みを受け容れてくれたけど、俺は知っていた。
      ネルガル特注の俺のエステバリスは、普通の整備士では手に負えないことを。
      従って、全ての作業をレイナちゃんが一人でしなければならない事を。

      俺としては、レイナちゃんに無理はして貰いたくなかったし、手伝える事はしようと思ったが、
      如何せん、エステバリスの修理などした事も無かったので、何も出来なかった。
      俺が出来たのは、レイナちゃんとお喋りだけだった。

      勿論、最大限に利用したが。



     「ねえ、アキト君。
      今日は、司令の護衛の為出かけてたって本当?」


     「情報が伝わるのって、本当に早いよね。」


      俺はそれだけしか言わなかった。
      本当は、司令に頼まれもしたが、この間行けなかったパリに美女を探しに行くいいチャンスだと思って付いて行ったんだが。
      嘘は吐いてないし、脚色もつけてない。


     「じゃあ、司令に逆らってまで帰ってきたって言うのは?」


     「そんな事まで既に流れてるんだ。
      俺はレイナちゃんが危ないと思ったら、矢も楯もいられなかったからね。」


      そう、俺の折角の美女達が死んでしまうかも知れないなんて、許される事ではないからな。


     「じゃあ、走ってきたって言うのは?」


     「流石に、走っては来れないよ。
      運良く、トラックの運転手に拾われてね。」


      あの、トラックの運転手も綺麗だったな。
      もう少しゆっくり出来たら良かったんだけど、あれ以上遅くなったら間に合わなかったから仕方ないよな。


     「でも、息を切らしてたって。」


     「気が気でなかったからね。
      もしも間に合わなかったらって。
      気が急いてたせいで、被弾しちゃったんだけどね。」


      被弾した理由は………多くは語るまい。
      俺がちょっと疲れすぎていただけである。


     「ふ〜ん、でもアキト君が来てくれなかったら、私達全滅だったよ。
      ありがとう、アキト君。」


      この感謝と尊敬の眼差し。
      この為に、この基地に帰ってきたんだよな。
      パリになんて何時でもいけるし。


     「気にしないで、レイナちゃん。
      俺にとっては、レイナちゃん達が無事だったってだけで、これ以上ない喜びなんだから。」


      そんな言葉を交わしながらも、レイナちゃんは的確に仕事を進めていく。


     「そうだ、レイナちゃんもお腹空いたでしょう?
      俺が何か夜食を作ってくるけど、何がいい?」


     「えっ、アキト君が作ってくれるの!
      アキト君が作ってくれるんだったら、何でもいいよ!!」


      俺としては、リクエストがあった方が簡単に作れるんだが、仕方ない。
      簡単に作れて、二人で摘みながら……

      レイナちゃんだもんな、御握りにしよう。
      久しぶりに食べるだろうし。


     「じゃ、直ぐに作って持ってくるからね、レイナちゃん。」





     「はい、お待ちどう様、レイナちゃん。
      少し休憩がてら、食べようよ。」


     「ありがとう、アキト君。
      あ、御握りなんだ!!」


      御握りを見て、感動しているレイナちゃん。
      昔の事を思い出してるのかな?


     「嫌いだった?」


     「ううん、ずっと食べてなかったから。
      いただきます。」


     「ん、俺も、いただきます。」


     「美味しい、アキト君。」


     「そう、良かった。
      こっちは梅干、それが鮭で、あ、これはツナね。」


     「梅干がこっちで手に入ったの!?」


     「色んな所を探して探して、見つけたんだ。
      でも、みんな御握りなんて食べないからね、俺も久しぶりに食べたんだ。」





     「レイナちゃん、こっちに来てどう?
      だいぶ慣れた?」


     「……こっちに着いてから、最前線だって事を忘れてて、サラ達と楽しく過ごせてた。
      でも、今日の戦闘で此処が本当に最前線だって思い知ったわ。
      それと同時に、アキト君の凄さも。」


     「そんな、俺は大した事してないよ。」


     「ううん、アキト君がいなければ、今こうして話なんて出来なかった。
      アキト君にみんなして頼り切ってたんだって、分かったの。
      勿論、私も。」


     「レイナちゃん…」


      レイナちゃんはゆっくりと自分の気持ちを確かめるように話す。


     「あの時、アキト君が格納庫に飛び込んできた時、私は分かったの。
      私達がアキト君に護られているって………。
      アキト君、私は、…」






 あの時以来、よく俺の傍でレイナちゃんは働く(?)ようになっていた。



「何言ってるんですか、ナオさん。
 三十分位後に来てくれれば用意しておきますよ。」



「いや、それ位なら待ってるさ。」










「アキトお兄ちゃん!!」



 俺の後ろから女の子の声が聞こえたと同時に、背中に飛びついてくる。
 勿論、俺はとっくに気付いていたのだが、驚いてあげないと機嫌が悪くなるんだよな。



「やあ、メティちゃん!
 いきなり声をかけられると、吃驚するから止めてっていってるじゃないか!!」



 俺は注意するような言葉でありながら、優しく声をかける。



「おいおい、幾らなんでも手を出………何でもありません、ハイ。



 要らん事を口に出しそうになったナオさんを目で黙らせてから、メティちゃんに合わせて、かがみこむ。
 そしてメティちゃんに優しく微笑みかける。



「いらっしゃい、メティちゃん。」



「ねえ、アキトお兄ちゃん。
 この変なおじちゃんだれ?」



 悄然とするナオさんを指差し、俺に聞いてくる。
 俺にとって、美少女の疑問を無視する事なんてできないので、分かりやすく教えてあげようとしたが、
 それよりもナオさんのほうが素早く口を挟んでくる。

 口を挟むというよりも、虚ろな表情で呟いているというのが正解か



「お、おじちゃん……
 俺はまだ、28歳なのに、おじちゃん…。」



 その後姿はさすがの俺でさえ、可哀想な気持ちになってきてしまう位、背中が煤けて見えた。
 先程は『変なおじちゃん』について説明しようと思ったが、これ以上苛めるのは止めておこう…俺はそう思ったのに、
 こんども、メティちゃんが無邪気に言い放った。

 止めの一撃を…



「私は十歳だもん!!
 私から見たら、28歳なんておじちゃん以外の何者でもないもん!!



 ナオさんは燃え尽きてしまったのか、真っ白になってしまっていた。
 もはや、涙も出ないほど悲しいらしい。



「メティ。
 そんな本当の事言うじゃありません。」



 傷口に塩を揉み込む発言をしたのはミリアさんだった。

 ミリアさんは髪は栗毛色で、目は藍色をした美女だ。

 性格は、ちょっと恍けたところがあって、先程の発言も悪気は一切ない。
 その上、メティちゃんが小さい頃にお母さんが亡くなったせいか、
 自分自身に、母親たる事を課しているらしく、色恋沙汰にはてんで疎い。

 俺もアプローチはしているのだが、まだ何も無いと言うのが正直な所だ。
 と言うよりも、アプローチされている事に気付いているか疑問でもあるが…



「あ、お姉ちゃん!!」



「あれ、今日はおじさんじゃないんだ?」



「ええ、今日は父も忙しくて…
 この基地への配達なら、アキトさんがいらっしゃるから大丈夫だろうって。」



 外堀は既に埋まってるんだけど、次の壁が結構高くて攻略出来ないんだよな。
 …その他にも理由があるけど。

 なんてもったいぶる程のものではなく、メティちゃんが俺にくっ付いて離れてくれないというだけの事である。



「そうですか。
 じゃ、早速納入作業とチェックをしてしまいますか…
 そうだ!ナオさんも手伝ってくれます?
 その方が早く食べれますけど。」



 何時の間にかナオさんは復活していたが、毎度の事なので気にも留めなかった。



「ま、しょうがないだろ。」



 俺としては何も考えず、荷物が多い為にナオさんに手伝って貰ったのだが、
 この事を、俺は後に少し悔やむ事になるのであった。







「取り合えず、ナオさんはこの肉の山を厨房奥まで運んで下さい。」



「次はこのワイン百ケースを倉庫まで。」



「冷凍庫までこれを。」



 俺が時間がかかる筈の要求をしているにも拘らず、ナオさんは気が付くとミリアさんを口説いていた。

 俺が邪魔しようにも、チェックを疎かには出来ないという料理人としてのプライドと、
 纏わり付いてくるメティちゃんの相手で忙しく、思うようにはいかなかった。


 結局、ナオさんはミリアさんの名前と電話番号を入手してしまった。
 ミリアさんも嫌な顔一つ見せずに付き合ってたし…

 ミリアさんの性格から、嫌な顔は見せる筈は無いんだが、心配だ。
 取り合えず、保険をかけておくか。


 え〜と、おじさんの電話番号は…



「もしもし、俺です。
 未来の息子たる、テンカワ・アキトです。
 ……はい、はい、……。
 えっと、今日電話した要件はですね、…………。
 ええ、ミリアさんに悪い虫が近付いていて、……はい、そうなんですが……。
 ミリアさんは優しい性格の方ですから……。
 そういう事で、宜しくお願いします。
 はい、失礼します。」



 よしっ!
 これで、時間稼ぎは出来るな。

 念には念を入れて、メティちゃんにも言っておくか……



 しかしこの作戦も長くは続かないだろう…
 短期決戦で決めるしかないか。
 でも、今迄気付いてもらえなかったしな…
 一人ぐらい…









後書き
 「閑話休題」
  実際そう題名を付けてしまおうかと思ったぐらい何にも無いお話です、済みません(いつもそうだというのは却下させて頂きます。)

  で、話は変わりまして、ミリアをどうするかは決めています。
  実は結構前から(笑)

  次は…次も盛り上がりに欠けるかな(爆)
  でも読んで頂けると嬉しいです。

 

 

代理人の「待てやコラアキト」のコーナー(笑)

 

ナオさんいじめられまくり(笑)。

 

上司にはキツイ仕事を押し付けられ、

少女にはガラスのようなハートを撃ち抜かれ、

その姉には死者の胸に杭を打つが如く止めを刺され。

アキトにはネチネチといびられる。

 

その様、

鬼姑に苛められる嫁の如し(核爆)。