2184年

日本・トウキョウシティー



その日の天気は快晴だった。

街は何時もの様に活気づき、多くの人が行き交っている。
その街中にある四車線道路を一台の路線バスが走っていた。
休日であるせいか、昼近くにも関わらず乗客が多い。

そのバスの中程にある席に、少女と母親は座っていた。
まだ10歳を超えて幾ばくも無い子供と、彼女をあやしている30歳過ぎの母親。

「ねぇママ」
「何、どうしたの?」
「パパ何時になったらお家に帰って来てくれるのかな?」
娘の思わぬ問いに言葉が詰まる母親。

「今年のお誕生日にも……パパ来てくれなかった」

悲しそうに顔を俯ける少女。
生まれてこの方、少女は父親と話した事が無かった。
母親は何時も傍に居て自分を守ってくれる。だけど何故父親は自分と会ってくれないのだろう。

「う〜ん、パパはお仕事が忙しいからね。なかなか来れないのかもしれないなぁ」

母親の表情に複雑なモノが過ぎる。
が、娘が顔を向けた時には明るい笑みに変わっていた。

「でも大丈夫よ、アザミにはママがついているから」
「うん、ありがとうママ!」

大好きな母親に頭を撫でられ、少女は上機嫌になった。
丁度その頃、二人と多くの乗客を乗せたバスは大通りに通りかかる。
今まで順調に進んでいたバスの速度が遅くなった。渋滞時間に捕まったらしい。
それまでずっと外を眺めていた少女が、ふとあるものに気付いた。

「ママ、何あれ?」
「どうしたの?」

少女の指差す先には、二車線向こう側にある市街地の遊歩道を行進する縦列があった。
煌びやかな軍服を着た兵士達が隊列を組んで行進し、合間合間に高級車がゆっくりと走行していく。
縦列の歩く道路の両脇には多くの市民が見物の為集まっている。
窓で仕切ってある為聞こえ辛いが、軍楽隊による演奏も始まっている様だ。

「ああ、今日は確か連合軍の創立記念日だからパレードがあるのよ」
「遊園地のパレード?」
「う〜ん、ちょっと違うかもしれない」

汚職や不正で新聞を良く賑わす連合軍に、母親はあまり良い感情を持っていなかった。
だがそんな母親の思いなど露知らずに、少女は窓から連合軍の行進を見守っていた。

「かっこいいなぁ〜」

興味の塊の様な少女にはそれはとても刺激的だったのである。

「アザミ、リボン解けかけているわよ。ちょっとこっちへいらっしゃい」
「は〜い」

娘の興味をパレードから逸らす為、母親は娘を自分の膝へと座らせた。
少女の身体がバスの窓枠から離れる。

それが少女の命を救った。
次の瞬間、バスは閃光と爆発に包まれたのだから。








横倒しになったバスの周りに人々が投げ出されている。
緊急車両のサイレンや軍人の怒号、悲痛な呻き声や負傷者の叫びが辺りに響いていた。

「マ、ママ何処……?」

少女も例外無くバスの外へと投げ出されていたが、 近くに居た大人が爆発へのクッションと盾になったせいか軽傷で済んでいた。
だが……。

「あ、ママ。ママ起きてよ」

 少女の母親は近くに倒れていた。
息は既に無い。首が普通では考えられない角度に曲がっている。

「ねぇ……起きてよママ」

千切れかけたリボンの絡みつく赤髪が、未だに続く小規模な爆発で起きた風に強く煽られていた。

「ママ、起きてよ。身体が痛いの……ねぇお医者さんに行こうよぉ……」

 少女が母親の身体を揺すった次の瞬間、30m離れた場所にある電話ボックスが閃光と共に吹き飛んだ。
華奢な身体が爆風を受け、姿勢を崩した少女は仰向けに倒れる。
薄らいでいく意識の中で少女は目一杯に涙を溜めながら呟いた。


「助けて……パパ」






 少女の見上げた空は残酷な程青く澄み渡っていた。
その下で起きた悲劇など存在しなかったかの様に。
















嫌動戦艦ナデシコ 駄目なストーリー

if  もしものエピソード その2

もう一人の復讐者リベンジャー














2201年 7月20日


ネルガル月面ドック




 このネルガル月面ドックには秘密があった。
ここには公式には知らされていないドックが存在し、一隻の戦艦が隠されている。
その名はユーチャリスと呼ばれる白亜の戦艦。そしてユーチャリスの格納庫に格納されている一体の機動兵器『ブラックサレナ』。

近頃頻発しているコロニー襲撃犯が使用している戦艦と機動兵器の姿がそこにあった。





「………」

一人の男が、ドックから中央管制地区に向かって歩いていた。
ドックを警備している猛者揃いと呼ばれるネルガルシークレットサービスの面々ですら、言葉をかけるのを躊躇うほどの鬼気を纏った男が。
その男はテンカワ・アキトと呼ばれる男だった。いや、過去そうだったと言うべきか。
その人物の放つ雰囲気にかつての面影は無い。昔の知り合いが良く知る、何時も楽しそうにラーメンを作っていた男の面影は……。

通路を歩いている時に擦れ違うネルガル関係者達は、一様に視線を逸らし道を空ける。
だが、例外は何処にでも居るものだ。

「ご苦労様ね、黒い王子様」
「『人喰い』アザミか、何の用だ?」
「別に。今日はすこぶる荒れている様だから声かけただけよ」

通路横の自動販売機の脇で珈琲を飲んでいた女性が、歩いて来るアキトを見て声をかけた。

人喰いマンイーター』アザミ。
表向きはネルガル直属のSSで、裏の顔は暗殺技能者である。
赤色のショートヘアを背中に流し、灰色のスーツに紅いネクタイを締めた美女はクスクスと笑う。

「今日もコロニーを落としたそうじゃない。これで三つのコロニーが大破……合計の死傷者は既に3桁にものぼる……か。派手よね〜反吐が出る位派手よね〜」

辛辣な皮肉を混ぜた喋りに、アキトは露骨に敵意を剥き出しにする。

「運が悪かっただけだ。それに暗殺者のお前にそんな事を言われる筋合いは無い」


 アザミはこの男が嫌いだった。
過去のトラウマから無差別テロ等に対して異常な程の嫌悪を示すアザミにとって、目の前に居る男はまさにその対象だった。
だからこそ喧嘩も売るし皮肉も言う。

「随分と酷い言い様だけどさ、私が殺したのは精々300人程度よ。アンタみたいな無差別大量殺戮者と一緒くたにして欲しくは無いわ」

 彼女の仕事の殆どは要人暗殺である。
スナイパーライフルか愛用のショートソードで暗殺対象の眉間を撃ち抜くか、喉元を切り裂くか。
この方法で依頼された対象ー高級官僚・軍人・政治家・裏切り者を消してきた。

「人を殺している点では変わりないだろうが」

殺気にも似た雰囲気を撒き散らすアキトを平然と見返しながら、口の端を歪める。

「ええそうね、だけど無駄に殺しはしない。アンタのは必要有るか無いか以前に、 只無意味に殺している感じだわ。まるで自身の怒りを周りに対して当り散らしている か様に」
「黙れ……」

 コルトパイソンが目の前に突きつけられる。
自分の顔面にポイントされても眉一つ動かしていない。

「そうやって直ぐに牙を剥く。アンタ一々目に付く人間は全員撃ち殺していく気?」
「貴様!」
「おっと」

 アキトの拳銃から放たれた銃弾を上半身を軽く捻る事で回避した。
距離が数mしか離れていないのにも関わらず。
次の瞬間、殆ど鼻先が触れ合う位にアキトへと接近したアズミは、再び微笑を浮かべる。

「本当に撃つか、おい。壁の修理費だって無料じゃないのよ?」
「ぐっ……」

小さな呻き声を上げたアキトを見ながら呆れた様に身を離す。

「ま、気張り過ぎて復讐の途中でくたばらない様にする事ね」

アキトの返事は無い。只顔面一杯に脂汗を流しているだけだ。
愛用の丸い眼鏡ーサングラスをクイッと指先で押し上げながら、アザミは足音を全く立てずにアキトの前から立ち去っていく。
何時の間にか右手に持っていた特殊警棒をクルクルと指の間で回しながら。

「っ……ごほっ」

アザミが背を向ける同時に蹲るアキト。
アザミが抜き打ちで食らわせてきた突きが鳩尾に決まっていたのだ。

「アキト君!」

その時廊下の向こう側からエリナ・キンジョウ・ウォンが走って来た。
この月面ドックの責任者である若き支社長が。

「どうしたのアキト君!」
「別になんでもありませんわよ支社長殿」
「またなの……どうして貴女は何時もそうなの!」

自分を睨みつけて来るエリナの視線など何処吹く風、平然とアザミは言葉を続ける。

「ああそうだ。申し訳ありませんが、会長殿にお伝えください。『サジタリウスの矢は折れた』と。通信機やメールは使うなと言われましたので」

その言葉の意味をエリナは正しく理解した。
ヒサゴプランに協賛している大手の運輸企業サジタリウス社の会長が、3日前に視察中のコロニーで狙撃を受けて死亡した事を指しているのだ。
もちろん犯人は目の前に居るこの女暗殺者である。機密漏洩を防ぐ為に口頭で報告を求められたのだろう。

「……了解したわ」
「有難う御座います。それでは私はこれで」

アザミはエリナと彼女に支えられているアキトに冷ややかな一瞥をくれた後、振り返りもせずに立ち去っていった。









社員寮の一室


 部屋の中は異質だった。
まるで部屋全体が武器庫の様な状況だからである。
SMGが壁際のウエポンラックに十数丁立て掛けてあり、他にもライアットガンやスナイパーライフル。
果てにはアンチ・マテリアル・ライフルやグレネードガンまで置いてある。

 床の片隅には弾薬が詰め込んである缶が並べられており、装備品の数々と一緒に禍々しい気配を放っていた。
携帯型センサーやトラップ解除用の装備は最新鋭の物を取り揃えているが、武器の方はそうでもない。
彼女の戦闘コンセプトが己が肉体の限界を追求する事なので、武器自体は現行の物を使用する場合が多い。
 本来ならSSや保安員の装備は社内にある武器庫にて保管されるのが普通だ。
だが彼女の装備している武器は特別なカスタマイズが施されていたりしているので、個人の管理に任されている。

それだけの権限を持っているのは、アザミが非合法活動を実行するエージェント部隊のエースであるからだ。

「報告書はこんなモノで良いか……」

パソコン上で書類を製作していたアザミは、首を左右に振って肩のこりを解す。
後はこれを会長に直接手渡せば終わりだ。彼女の果たす仕事は極めて重要な役割が多い為、会長ーアカツキ・ナガレと会う事が多い。

「……しかしあの王子様も派手にやっているわね。ま、それだけ蜥蜴どもの残党が活発に動いている訳だけど」


 報告書の誤字を直しながら、先程どついたアキトの事を思い出す。
あの男を奪還する作戦にアザミは参加していたので、どうしてああなったかの経緯は一応知っていた。
ほんの二年か三年前までは人の良いラーメン屋だった男が、今では冷血な復讐者になってしまっている。

(復讐か、私の場合も復讐と呼ぶのだろうね)

復讐という言葉を脳内で反芻させる。
そこには自分の生きる理由と繋がるものがあるからだ。

報告書を閉じ、彼女は自室に帰って来ると必ず行う日課を始める。
某大手製薬会社のサーバールームにハッキングし、特定の人物の情報を割り出す。
幾重ものプロテクトをかいくぐり、やがて引き出した情報を見たアザミの表情に歓喜が浮かぶ。

(もう少し……もう少しだわ。あの男の研究が完成する)

アザミの父親はナノマシン医学の権威とも呼ばれた医学者である。
彼は研究一途の男だった。その為なら他の全てを捨てられる程の。

火星で発見された新種のナノマシンを利用した蘇生薬。それが父親の研究している薬だ。
自身の生涯をかけた研究が完成すれば、父にとって最高の瞬間だろう。
医学界に新しい旋風を巻き起こす新薬、いや人類の夢である不老長寿への第一歩が踏み出せるかもしれないのだ。

だが、アザミにはそんな事はどうでもいい。

(人生最高の瞬間が自分の死ぬ時だと知ったら、どんな顔するかしらね?)

思わず口の端が綻ぶ。考えただけでも楽しくてしょうがない。


アザミの生きている目的は二つ。
あのテロ事件、母親が死んだ事件を起こしたテロリストの抹殺。
そして実の父親の殺害。


アザミは実の父親に捨てられた。

あの事件の後、父親は多額の寄付金と共に娘を施設に押し込んだのだ。
彼女とは一度も会う事も無く、母親の葬式にすら立ち会わなかった。
世間体の為だけに結婚した父親にとって、母親の居ない娘は邪魔であり存在する価値の無い者なのだろう。

事実を12歳の春、離縁の話をする為やって来た弁護士から聞かされた時に彼女は知る。
そしてアズミの心の中で何かが壊れた。


2年後、少女は施設から姿を消し、裏社会へと身を潜めた。
生き残る為なら何でもやった。この時期ほど自分の容姿が整っていたのを感謝したことは無い。
そして絶えず己を鍛え続けた。客の中に元傭兵や殺し屋が居る時は巧みにその技術を聞き出し、我流で身に付けた。
合間合間にコネと人脈を作り、少しずつ情報を集め続けた。ある集団の居場所を突き止める為に。

裏社会に潜り込んで3年後、あの事件ー連合軍に対する爆破テロ事件を起こしたテログループをアザミは突き止めた。
そして彼女はテログループに対して復讐を開始する。
だがその行為は誰が見ても無謀としか言い様の無い行為であり、正しく無謀だった。

アジトに踏み込んで直ぐアザミは男達に包囲された。

 相手は戦闘の玄人であり、所詮は素人の領域を出ないアザミの手に負える相手では無かったのだ。
必死に反撃するもののあっさりと追い込まれ、屈するか死ぬかどちらかを選ぶしかなくなった時。

 彼等は来た。
突如として武装した黒服達がアジトへと突入して来て、瞬く間にテロリスト達を殲滅したのだ。
最後まで生き残ったリーダーはアザミを人質に取る。だがその行為も無駄だった。

 黒服達の隊長の言い放った言葉、『好きにしなさい』の一言によって。
その時アザミが動いた。動揺したリーダーの腕の力が一瞬緩んだのを見逃さずに身を捻って縛めから抜け出す。
次の瞬間、リーダーの喉笛が裂け血飛沫が飛ぶ。アザミが隠し持っていたナイフで斬り付けたのだ。
こうしてアザミの復讐が一つ果たされる。


 後で聞いた話によれば、このテログループは企業間の抗争に加担しており、ネルガルを攻撃していたのだという。
当時のネルガル会長がテログループ排除をNSSに命じ、偶然突入して来たアザミと鉢合わせしたのだ。


 アザミはその後、ネルガルに保護された。
当時のネルガルで最強のエージェントと呼ばれた突入部隊の隊長に資質を見出された為だ。
隊長の実戦と変わりない熾烈な教育に耐え切った彼女は、見る間にその才能を開花させた。
そしてネルガルのエージェントとして働く事になり、入社してから僅か数年で、裏社会最強の暗殺者と呼ばれるまでに成長したのである。

 任務の達成率は100%。
確実に速やかに標的を抹殺する。
何故アザミが自身の戦闘術を極限まで鍛え上げているのか。
理由は只一つ、目標だけをどんな状況でも必ず抹殺出来る様にする為。対象以外を死傷させたりした事は一度も無い。
偽善である事は自覚しているが、彼女は関係の無い人間を戦いに巻き込むのを嫌がる。
最もその分殺す対象に対しては一切の情けも容赦も無かったが。

 アザミの存在意義の片方は既に果たされている。
そしてもう一つの方も、もう少しで果たされる所まで来ていた。

(この分で行けば、年内には公式発表までこぎ着けるわね)

 ハッキングした父親の研究内容を見ながら微笑む。
あの顰めっ面を得意げにしている父親を、どうやって殺してあげようかとアザミは思った。


 生きたまま頭蓋に穴を開けてやろうか?
喉元を死なない様に少しずつ神経に沿って切り裂いてあげようか?
わざと急所を外しながら体中を小口径の銃で蜂の巣にするのも悪くない。


 どの道簡単に殺すつもりは無いから楽しい時間になりそうだ。
おそらくは初めてにして最後の父と娘のスキンシップ。

体得した暗殺術や拷問術の数々を脳裏に浮かべながら、アザミはバリエーション豊かな妄想を続けた。


 殺して独占する。
それがアザミの父親に対する愛情表現。

 殺害というのは至上にして、そして究極の独占ではないかとアザミは考えている。
殺された人の全ての未来が殺した人間によって強奪され、他の人間はその殺された人間に関する一切の未来を奪われるのだ。
まさしく、完全無欠に自分だけの存在に出来る。
テロリストのリーダーを殺したのもひょっとしたら憎しみからでは無く、彼に奪われた母親の命を奪い返す。その為に殺したのかもしれない。

 無論父親もだ。自分を捨てた事や愛情を注いでくれなかった事を怨んで殺そうとしているのではなくて、 父の命も魂も感情も人生も全てを自分の物にしたい。そう思ったからではないだろうか?

完全に狂った考え方だが、彼女の中ではそれが真実だった。

「殺せばもう何処にもいかないよね。私だけを見てくれるわよね?」

近い内に実現するであろう再会に心を躍らせながらアザミは呟いた。

「ねぇ、パパ?」

 最後の言葉は少女の様なあどけなさを含んでいた。
同時に無邪気に蝶の羽を毟る子供の残酷さも伴っていたが。



そしてこの日の10日後、コロニー『シラヒメ』が襲撃を受けて大破、死者105名、負傷者527名を出す事になる。





 謎の機動兵器によるターミナルコロニー連続襲撃事件により、地球圏の星間航路は大混乱をきたしていた。
クリムゾンが主導し、膨大な資金が投入されて建設されたジャンプ・ネットワーク『ヒサゴプラン』。
だがその最大の利点であるボソン・ジャンプ移動の拠点であるターミナルコロニーが、短い期間で次々と潰されている。
『ヒサゴプラン』に関連する航路やチューリップは統合軍の厳重な監視下におかれ、ターミナル利用が出来るのは限られた艦船と軍艦のみとなった。

 だが普通の艦船の運航は引き続き行わればならない。そうしなければ地球圏の経済が停滞してしまう。
現在ターミナル・コロニーを利用した民間船のジャンプ移動は厳しく規制されているので、一時は廃れかけていた通常航路に再び多くの船が往来している。
今の所、あくまで狙われたのはターミナル・コロニーと其処を守っている駐留艦隊だけであり、普通の航路や民間船はまだ襲われていないからだ。
忙しく行き交いする船団の中に、月からコロニー『アマテラス』へと向かう一隻の客船があった。

 只の豪華客船だった。
蜥蜴戦争前から月ー地球間を行き交い人を運んできた客船。
今は『ヒサゴプラン』間の航路を受け持っていたが、襲撃事件の煽りを受けて、通常航路を使用してコロニー間を移動していた。
無論武装もしていない、普通の客船である。

しかし、近くにあった蜥蜴戦争時代の残骸に潜んでいる黒い機動兵器と白亜の戦艦にとっては、その客船は狩るべき対象であった。


「あれか」

 狭いコクピット内部でアキトは呟いた。その目には深い憎悪が渦巻いている。
重々しく禍々しい雰囲気を纏った黒き機動兵器『ブラックサレナ』。それが黒の王子の搭乗機だった。

「ラピス。航路付近に居る統合軍の兵力は?」
『航路沿いに警備艦隊が展開中。ステルンクーゲル30機、駆逐艦3隻、リアトリス級戦艦1隻。配置位置が広い為、戦力的な脅威度は低レベル』
「よし……ラピスは戦艦を潰して警備艦隊を牽制、俺は目標の客船を仕留める」
『解った』

 何故この客船をアキト達が狙うのか。
理由は乗客の中に『火星の後継者』の幹部(現統合軍将校)や、彼等に組している企業の重役が乗っているという情報が入ったからだ。
この所『火星の後継者』の隠し拠点やターミナルコロニーが立て続けに襲撃を受けている為、民間船に紛れ込んで行動をしているらしい。

 彼らを抹殺すれば、少なからずとも急ピッチで進んでいるであろう決起への妨害にはなる。
アキトはそう主張し、客船の撃沈を決行する事にした。
例えその為に全く関係の無い客船の乗員や乗客を巻き添えにしようとも。


 無論エリナやイネスは反対した。特にエリナは泣き縋ってでも止めようとした。
エリナからすれば、罪を重ねる毎に壊れていくアキトを見ているのが辛くて堪らないのだろう。
だがアキトは「それは気の毒だな」の一言で片付け出撃した。




 突如として現れたユーチャリスによる奇襲は、統合軍警備艦隊に強烈な先制ダメージを与えた。
背後に跳躍され、慌てて船体を旋回中のリアトリス級戦艦は、思いっ切り横腹を4連装グラビティブラストで撃ち抜かれ轟沈した。
旗艦を初撃で失いうろたえる駆逐艦隊に、ユーチャリスから発進したバッタの群れが襲い掛かる。
機動兵器部隊も数は居るものの、展開している範囲が広すぎた事と指揮系統の頂点であった戦艦が初っ端で沈められた為、組織的な行動もままならず各個で微々たる反撃をする他無い。

 混乱をきたしたのは統合軍だけではない。航路を進んでいた民間船団も大混乱に陥っていた。
あちこちで衝突が相次ぎ、逸れたバッタを避けようとして駆逐艦に激突する船まで出て来る始末。
その中で標的の客船は、暴走したり損傷して漂流している船を避けながらゆっくりと離脱を図っていた。
しかし漆黒の死神が構える大鎌は、哀れな生贄に対して振り下ろされる寸前だったのである。

「捉えたぞ……」

 客船が居る航路に向かって突撃するブラックサレナ。
サレナを視認したステルンクーゲル数機が、航路を塞ぐ形で布陣し攻撃を仕掛けて来る。
当然連合軍の姿は見えない。規模縮小が進み、『ヒサゴプラン』に関してもネルガル同様爪弾きにされた彼らが此処に居る訳が無いのだ。
その事実に何故か安堵する自分が居る。少なくともあの新しきナデシコとその若き艦長と戦う事はなさそうだからだ。

(未練だな……)

 別れて久しい義理の娘の顔を思い出しそうになり、それを振る切る為か機体に加速をかける。
ブラックサレナは高機動ユニットを付けておらず、両手にはハンドカノンが装着されていない。
代わりにS型の装備から拝借して来た130mmカノン砲を切り詰めたものを両腕に装着している。
目標が艦船である為、何時も使っているハンドカノンでは決定打になりにくいからだ。

「貴様ら程度が相手ならこれでも大丈夫だ」

 130mmカノン砲のセーフティロックが外される。
見る間に近付いて来る航路と応射して来るステルンクーゲル隊。
散発的に飛んで来るレールガンの射撃を回避しながらステルンクーゲルの防衛ラインまで接近したサレナは、客船を襲う際に邪魔な位置にいる2機に砲門を向けた。
横を通り過ぎる際に砲撃。
レールガンに出力の大半を使用していたステルンクーゲルのDFでは防ぐ事が出来ず、2機は爆発し、パイロットは自分の運命を悟る暇すらなかった。

「………」

 防御網を突破し客船の元へとブラックサレナは辿り着いた。
必死に回避運動を取るが、A2型の機動力から船が逃れられる筈も無く、敢え無くブリッジ付近への接近を許す。
直後、ブラックサレナの周りが揺らぎ、それと共にブリッジ部分の外装が捲れ上がっていく。
客船のブリッジ部分に張り付き、DFをMAXで展開したのだ。
やがて耐え切れなくなった隔壁が崩壊し、中に居た乗員や空気を真空へと吸い出していく。
この一撃でブリッジ要員は全滅し、客船内の指揮系統は麻痺した。
身動きが全く取れなくなった客船を見て、王子の口が楽しげに歪む。

「死ね」

 130mmカノン砲の零距離射撃を受け、船体に大きく穴が開く。
続け様に撃ち込まれた砲弾が機関部に致命的な損傷を与えた。
やがて機関部の全てのエンジンが爆発、船体全体が灼熱地獄と化す。

一分後、客船は救命艇を出す間も無く爆砕し、一瞬にして乗員と乗客2400人の命が消し飛んだ。

十数人の人間を確実に殺す、只それだけの為に。

目標が宇宙の塵と化したのを見届けると、ブラックサレナは増援の警備艦隊を牽制するユーチャリスと共にボソンジャンプでその場から離脱していった。



 アキトは知らない。その船にアザミの父親が乗り合わせていた事を。
自分が最凶の暗殺者の逆鱗に触れる行為を、知らず知らずの内にしていた事を。








「う、そ……」

 アザミは呆然とした表情でモニターを見詰めていた。
彼女をよく知る同僚が見たらさぞや驚いただろう。それほど気の抜けた顔だった。

モニターには、あの客船が襲撃された事件がニュースによって放送されていた。

「あの男が……パパが……死んだ?」

生存者ゼロ。

 ニュースキャスターが報じる内容が頭の中で繰り返される。
ニュースの内容が地球連合臨時総会に移ってもアザミは動けなかった。

「そんな……馬鹿な」

 アザミにはどうし様も無い事だった。
もちろん父親の行動を逐一監視しているから、あの船に乗っている事は知っていた。
だが、アキトとその周辺しか知らない作戦行動までは予測出来ない。情報を得る事が出来たとしてもどうしても決行された後になる。
第一あの作戦は偶然拾われた情報を元に、アキトが短い期間で決行を決め、ほぼ独断で行動したものである。
止められる訳が無い。どれだけ強力な戦闘力を有していても、所詮アザミは一社員でしかない。
ましてや父親の行動をどうにか出来る訳が無いからだ。

パリン。

 モニターが割れ、画面がブラックアウトする。
割れた部分の中央にアザミの拳が押し付けられていた。

「ふざけるな……」

アザミの口から怨嗟の言葉が漏れる。

「死ぬ時まで勝手なの!ふざけないでよ!!最後の最後まで私を無視するという訳!!?」

 キーボードに拳が叩きつけられる音と、ヒステリックな叫び声が部屋の中で反響する。
暫くの間鈍い打撃音が響いた後、やっと部屋は静かになった。

「はぁはぁはぁ……」

 真っ赤に染まった己の拳と、バラバラになったパソコンのキーボード。
血走った眼つきで立ち竦むアザミの喉から掠れた笑い声が出る。

「クッ……クククククククク」

笑いは止まらない。そして腹の其処から湧き出てくる激情の波も。

「笑ってしまうわ……馬鹿みたい。死ぬほど殺したいのを我慢して15年間待っていたのに、あと少しの所で全くの部外者に横取りされるなんて、ね」

全身を震わせながらアザミは笑い続ける。

「これじゃあ私、まるっきり道化じゃないの。ククククク……ハハハハハハハハ」

笑い声は延々と続き、やがて止まった。

「…………」

 静まり返った部屋の中で微かに何かが動いた。
幽鬼の様な緩慢な動きでアザミが立ち上がったのだ。

「テンカワ・アキト……」

それは煉獄から響く、亡者の呻きの様な声だった。






 客船襲撃事件より僅か一週間後、コロニー『アマテラス』が襲撃される。
その混乱の中、草壁春樹元木連軍中将率いる武力組織『火星の後継者』が蜂起し、地球圏は再び戦乱の渦に巻き込まれていったのだった。

後にその戦争は『火星の後継者の乱』と呼ばれる事となる。






















2201年 8月20日

ネルガル本社ビル



 本社ビル前のロータリーに虹色の光が輝き始める。
偶然その場に居合わせた人々が驚く中、光は大きく瞬き、視界を埋め尽くす。
次の瞬間、その場には武装した兵士の集団と3機の機動兵器が存在した。

「ジャンプ成功。これよりネルガル本社の制圧・占拠を開始する!」

 隊長らしき男の掛け声と共に、状況が動き出した。
一般人が慌てふためいて逃げ出す合間を逆らう様に兵士達は進む。
誰何しようとした警備員を射殺し、兵士達は足早に本社ビルへと走っていく。

「本部へ、抵抗勢力は存在せず。本社ビルの占拠は速やかに行われる物と思われる」

 拍子が抜ける程楽に進む作戦に、隊長の声音も弾む。
支援の機動兵器・積尸気3機がビルの周りで警戒する中、突入部隊は本社ビル入り口へと向かった。


エントランス

「突入〜!!」

 隊長の叫び声と共に、ライフルを装備した火星の後継者の兵士達が入り口へと殺到する。
自動ドアはロックされてはおらず、あっさりと開いた。

「抵抗する者は容赦するな」
「奸物アカツキ・ナガレの処遇は?」
「天誅を与えろとの上から指示が出ている。解っているな?」
「はっ!」

 それだけで充分に意味が伝わったらしい。
天誅、即ち発見次第即射殺。実際まどろっこしい裁判などをやるよりもこの方が手っ取り早い。
草壁による統治が始まれば、どの道ネルガルは解体されアカツキは極刑の運命。遅いか早いか、それ位の問題だ。

 自動ドアが全開に開き、エントランスに60人近い兵士達が一斉に雪崩れ込む。
だが、彼等の動きは其処で止まった。

何故なら、


「今日は良い天気ねー……」


 無人の受付カウンターの上に、女が一人立っていたからだ。
大きな黒のコートを灰色の背広の上に羽織っている女が、何故か大量のフリルが付いた白い日傘をクルクルと回しながら立っていた。
武器らしい物は何も持っていない。

「貴様、何者だ!!」


 隊長の誰何に答えず女はカウンターから飛び降り、日傘を左右に振りながらゆっくりとした足取りで兵士達に向かって来る。
完全に音程の狂った鼻歌を歌いながら。

「ん〜ふんふんふん♪」
「其処で止まれ!」

彼女は止まらない。

「ふんふんふんふん、ふ〜〜ん♪」
「止まれと言っている!!」

一番前に立っていた兵士が初弾を装填すると、女はようやく立ち止まった。

「傘を捨てろ!」

 彼女はぽいっと日傘を投げ捨てた。
ただし、相変わらず不気味な笑顔を浮かべていたが。

「貴様、何者だ!?」

 女は答えない。只ニヤニヤと笑っているだけ。
兵士は苛立ち思わず前に出て女の胸倉を掴んだ。


「おい、何とか言え!」
「今日は……正統派暗殺者だけで無い事を証明しに……」
「訳の解らない事を言っていあぎゃぁぁああ!!」

 兵士は最後まで言葉を紡げなかった。
何故なら彼の両目から光が奪われてしまっていたからである。

「迂闊過ぎ。無防備に近付くからこんな目に遭うのよ……フフフ」

 刳り抜いた眼球を床に投げ捨て、絶叫を上げながらのた打ち回る兵士を尻目に女ーアザミは怪し過ぎる笑みを浮かべた。
それを見た兵士達の動きと思考が一瞬止まる。目の前の光景が信じられないからだ。
妙な女が日傘をさしながらで出てきたかと思うと、いきなり兵士の目を突いて眼球を引っこ抜いたのだ。驚くのも無理は無い。

だが、アザミにはその一瞬の隙で充分だった。

 コートの裾に仕込んで置いたボタンを押す。
同時にエントランスを照らしていた照明のガラスが全て爆砕し、割れた部分から勢い良く煙が噴出して来た。
そして開いていた筈の、本社入り口の自動ドアが勢い良く閉まりロックされる。
無論、アザミには彼等を生かして帰すつもりは毛頭無い。

「うわぁ!」
「状況、ガス!」
「いいから撃て、あの女を撃つんだ!!」

 たちまち辺りは白い煙で満たされる。
怒号と銃撃音がエントランスに響き、兵士達はますます混乱していく。
この状況でまともな指揮統制等出来る訳も無い。

「ぐわっ!」
「がぁ!」

 視界を遮るスモークの中から飛んできた9o弾が、微かな発射音と共に4人の兵士を薙ぎ倒す。
近くに居た兵士が辺りを見渡すが何も見えない。直後に彼自身も頭部を撃ち抜かれて倒れた。

「居たぞ、あそこだ!」


 彼らには見えた。
煙と煙の合間からロングコートの前を露出狂の如く大きく開き、

「私のダブル・アサルトを食らえっ!!」

MP5KSD6を両手で構え、混乱している兵士達を的確に撃ち倒しているアザミの姿が。

「この女狐が……げきょ!」

 一人の兵士が照準をつけた瞬間に振向き様頭を撃ち抜かれ、脳の一部と脳漿を床にぶちまけながら倒れる。
アザミにとって混乱している敵ほど倒し易い敵はいない。
スモークで視界の効かない状況を全く苦にもせず、敵の気配を読み取り手当たり次第に弾を叩き込んでいく。
既に突入部隊の三分の一を射殺しているが、自身には銃弾が掠めてすらいない。

「あ、弾切れ」

 MP5KSD6が二丁同時に弾切れになる。
MP5KSD6を無造作に投げ捨て、コートのポケットからVz61を二丁取り出し再び撃ちまくる。

「ぎゃああああああああ!!!」
「はい、五月蝿いから黙る」
「ぎゃひ!」

 至近距離からVz61の掃射を浴びた決起軍兵士の顔が西瓜の様に割れる。
無慈悲な殺戮者は負傷兵だろうと、見付け次第容赦無く撃ち殺していく。
それはあたかも彼女自身が嫌い蔑んだ黒の王子の様だった。
まるで復讐の念に捕らわれ、見るもの全てを破壊せずにはおられない狂戦士の様な……。

「あ、またしても弾切れ」

弾切れのVz61を投げ捨てる。

「死ねぇ!」

三度コートに手を突っ込むアザミに、銃剣を装着したライフルを構えた兵士が駆け寄って来た。

「でも予備はまだあるのよねぇこれが」

 後数歩のところで、腹に響く轟音と共に兵士の胴体に大きな穴が開く。
ほんの数メートルの距離から50口径KTW弾を喰らったためである。
大量の血と臓物を床に撒き散らしながら倒れた兵士には目もくれず、アザミは改造マグナムを両手で構えた。

シャー

 銃声が止まないエントランスの中でも、一際目立つ発射音が立て続けに響く。
その都度、何かが砕けたり吹き飛ぶ生々しい音と、液体が床を叩く水音が僅かな生き残りの兵達に聞こえた。
それらは彼等の恐怖と混乱を更に煽り、ますます自分達の生存率を下げていく事になる。

「積尸気隊、援護してくれっ!我々だけではもう……!!」

 絶望的な状況を打開すべく、通信機に対してがなりつける通信兵。
既に突入部隊は組織的な抵抗が出来ず、崩壊寸前にまで追い込まれていた。
現にこうしている間にも味方の断末魔の叫びが耳に響く。
しかし応答は無い。3人のパイロットの怒鳴り声だけが聞こえる。

「何かあったのか!?頼むから返事をしてくれ!」

 そこまで叫んだ時、首筋に冷たいモノが当てられた。
背筋が凍った。自分の意識が喉下に集中し、心臓が爆発する様に脈動する。

「来ない騎兵隊に助けを願っても何もならないわよ……ハリウッド映画の観過ぎ」

背後に立つ人物はクククと喉を鳴らしながら手首を捻り、首に当てていたナイフのブレードを縦に起こす。

「お、お前は」
「ん?」
「お前は……何者だ?」
「『人喰いマンイーター』」

 次の瞬間、通信兵の首にショートソードのブレードが深々と食い込み、動脈と器官を切断した。
痛みは感じない。盛大に噴出す鮮血と共に力が抜けていくのを感じながら、彼は仰向けに転がった。
 息が出来ない事に震える手で喉を押さえながら、いつの間にか背後に回り込んでいたアザミを見上げる。
返り血を浴びてもなお顔色一つ変えないアザミが、自分を見下ろしながら日本刀を振り上げて突撃して来た味方をブローニングの一撃で仕留める。
飛び散る鮮血と硝煙の中で微笑んでいる赤髪の女暗殺者。
それがこの世で通信兵が最期に見た物だった。




 通信兵が絶命した頃、ビルの外で警戒していた3機の積尸気は仲間を助けるどころでは無かった。
突然跳躍して来た白い機動兵器ーアストロメリアと交戦していたからだ。


『ぬ、ぬわぁぁぁぁ!』

 クローにピットのカバーを引き裂かれ、操縦席が剥き出しになる。
だが、戦意はまだ失われていないのか、積尸気は必死に両腕を振り回す。
残りの二機が背後に回り攻撃するが上手くいっていない。
アストロメリアに乗っているパイロットの技量が並外れているからだ。

「まずは1機」

 手早く両腕を破壊し戦闘不能にした積尸気を放ると、アストロメリアは残りの2機に向き直る。
武器は試作機である事もあって両手のクローだけだが、たかが一般兵の操る積尸気3機如き、元優人部隊筆頭だった月臣元一郎にとっては何ら脅威ではない。

「機体の性能を活かし切れていないな……操縦が硬い」

 闇雲に動き回りながらラピットライフルを撃って来る積尸気達との距離を、ダッシュローターで一気に詰める。
弾幕を張ったつもりがあっさりと接近され、恐怖したのか2機はラピットライフルを投げ捨てハンド・アックスを取り出す。
そして左右から同時に斬りかかって来た。

「笑止、それで挟撃のつもりか?」

 それでもタイミングはしっかりと合っていた。
アストロメリアの装甲を砕かんとすべく、2本の無骨なアックスの刃が振り下ろされる。

『な、なんだと!』
『馬鹿な!』

 が、彼等の一撃がアストロメリアに届くことは無かった。
両手のクローがアックスを受け止めていたからである。
器用にも刃の部分をクローの先で挟んで。

『く、このぉ……』
『真剣白刃取りだと!?』
「………」

 二人がかりで必死にアックスを押し込もうとするが、アストロメリアの腕はびくともしない。
軽く挟んでいるだけなのに、まるで斧そのものが固定されたかの様に動かない。

「只力に任せて敵を倒そうとする輩に、我が構えを破る事は出来ない」

 ギギギ……と積尸気達の腕が軋み始める。
二人は驚愕した、逆に押し返されている。全力で押すものの、アストロメリアから来る力は徐々に増して来た。
腕のフレームが悲鳴を上げ、逆にクローが自分達に向かって押し上げられて来る。

『ふ、二人掛かりなんだぞ!何故押し返せる!?』
『腕のフレームがもう持たないぞ、何とかしてくれぇ!』

 パイロット達の声は既に悲鳴になっていた。
そして次の瞬間、アックスは積尸気の腕の中にまで押し込まれ、勢いに負けた1機が後ろに吹き飛ばされる。

「未熟、也!」

 一喝と共にアストロメリアのクローが残った積尸気の頭と両腕を切り飛ばす。
メインカメラを潰されて仰け反った1機を蹴り倒すと、起き上がったもう1機の目の前まで移動する。

「これで終わりだ」

 腕を振り上げ様とした積尸気の両腕を潰し、脚部の関節を砕く。
これで跳躍して来た敵機動兵器は全て戦闘不能になった。

「任務終了」

自分の仕事を終えた月臣は本社ビルに向き直る。

「派手にやっているな……」

 銃撃音が絶えず響き、割れた硬質ガラスの間から煙が流れ出している本社のエントランスを見て、月臣は呟いた。
阿鼻叫喚の地獄と化したエントランスを見詰め、沈痛な面持ちを浮かべる。

 間違い無く、間違い無く突入部隊は全滅する。
彼らには過ちが正されるまで生きていて欲しかった。
シナリオ通りに舞台が進めば、地球上で孤立した攻撃部隊は投降する他に道が無くなるからである。

「しかし、私には彼らを助ける事できない」

 今のアザミを止める事は、即ち自身の命を危険に晒すという事だ。
あの女は相手が例え機動兵器だろうが、戦艦だろうが邪魔をすれば立ち向かって来るだろう。
そして如何なる手段を持ってしてでも相手を抹殺する。

 死ぬ事自体は恐ろしくない。親友をこの手で殺めたあの日から、月臣元一郎という男は死を恐れない様になった。
否、死を望んでいるのかもしれない。
だが、自分の成すべき事を成さずに死ぬのを彼は嫌った。
自分はこの騒ぎを収めなければならない。
友が願った平穏な世界がそれで取り戻されるのならばと、彼は生き恥を晒す事を決意したのだから。

それが僅かでも自分の犯した罪に対する償いとなるのならば……。


「許せ……」

月臣は一言だけ呟くと、意識を集中する。
行き先は地球連合総会会議場。

「跳躍……!」

 次の瞬間、アストロメリアはネルガル本社ビル前から姿を消す。
そしてアストロメリアが消えたのとタイミングを合わせるかの様に、エントランスから銃撃音が消えた。









20分後。



『白鳥九十九が泣いているぞ!旧木連、並びに地球の勇者諸君、武器を納めよ!』

電源の生きていたモニターから木連の英雄、月臣元一郎の演説が聞こえる。
付き合いは殆ど無いが、同じネルガルの下で働いている同僚の声が。

「暑っ苦しい演説……」

 アザミは穴だらけの受付カウンターに腰掛け、壊れた自販機から拾った缶コーヒーを喉に流し込みながらつまらなそうに鼻を鳴らす。
脇には既に口が開いている缶が数個転がされ、ついでにショートソードが置いてある。
ブレードが超振動刃である為、付着していた血が弾かれ周りの床に飛び散っていた。
先程まではなかなか笑える映像が流れていたのだが、無粋な乱入者(向こう側の)が会長に発砲してから面白みの欠ける内容になってしまっている。
 足をぶらつかせる度に起こる微風に、鼻につく様な濃い血の香りが掻き回される。
偶に足元で寝っ転がっている人物に踵が当たり、呻き声が聞こえるのだがそれは無視。

 アザミの周り、エントランスに60人近い決起軍兵士が倒れている。
全て彼女が迎撃し、殺した者達だ。
彼らと共にジャンプして来た3機の機動兵器ー積尸気はアストロメリアによって制圧され、ビルの外で残骸を晒している。
そのアストロメリアはモニターの向こう側、地球連合総会会議場に居た。言うまでも無く月臣の搭乗機だ。
演説は佳境を迎えている。火星ではナデシコCがファイナルを決めている頃だろう。
そしてあの男……テンカワ・アキトも己の復讐を完遂すべく、闘いに興じている筈だ。

「ぐ……おぉ……」
「どう?貴方達の始めた茶番劇が実に下らない結末で終わるのは?」
「き、貴様ぁ……」

 アザミの足元、血の海に這い蹲っている男が怒りの声を上げる。
ネルガル本社を制圧すべく突入して来た部隊の隊長だった。
偶然生き残っていたので、暇潰しに生かしておいたのだ。
「新しい秩序の為に蜂起した勇者達を愚弄するか……ぐぼっ!」
「私にとっては新しい秩序とやらも、今の政府も別にどうでもいいけどね」

 元々生きる自体に大した執着を持たないアザミにとって、世界がどうなろうと知った事の無い話。
唯一の生き甲斐を失った今の彼女にとっては。

「さて、裏口を守っていた連中も戻ってくる事だし、そろそろ帰るかな……」
「ま、待て……」

立ち去ろうとしたアザミのズボンを、隊長の手が掴んだ。

「あら?まだ下らない口叩けるだけの余裕があるんだ?」

隊長を見下ろしながら、アザミは口笛を軽く吹いた。

「仕事が終わったんだから離してくれないかしらね。私の仕事って残業手当が出ないのよ」
「ふざけるな……私一人になっても貴様を!」

震える手で拳銃を取り出し足掻こうとする隊長を見て、彼女の表情は何故か明るくなる。

「素晴らしい!なんて素敵な覚悟でしょう!それこそ正しく木連軍人の魂って奴ですわね!ワタクシ感激致しましたわ!」

やっとの思いで構えられた拳銃を即座に蹴り飛ばし、アザミはニッコリと笑みを浮かべた。

「その軍人魂に敬意を表して、とっても素敵な御褒美をあげましょう」

笑みを顔面に貼り付けながら彼女は続ける。

「ネルガル系列の葬儀店から発売されている死体袋(特級)を一人前プレゼント。しかも一生分の使用権が認められております!」
「そ、それはどういう事だ!」
「ちょっと解りづらかったかしら?御馬鹿な貴方にもわかり易く言うとね……」


 腰のホルスターからブローニングを抜いて、隊長の鼻先にぴったりと押し付ける。
口の端を歪めて悪魔的嘲笑を浮かべるアザミと、目の前に大きく開いた銃口。それが隊長がこの世で最後に見たものだった。

「無駄口叩いていないでちゃっちゃとおっ死ね蜥蜴野郎もくせいじん


 くぐもった銃声と共に隊長の身体がびくりと大きく痙攣し、やがて動かなくなる。
永久に無駄口を叩かなくなった隊長を一瞥すると、アザミは歩き出した。

彼方此方に血飛沫や脳漿が飛び散り、死体が折り重なっているエントランスを何時もの様に真っ直ぐに横切る。

「後は私怨を晴らせばお終いか……待っていなさいなテンカワ・アキト。私の獲物と生き甲斐を奪った罪は万死に値するわよ」


 襲撃部隊を壊滅させた事など、どうでも良い様な口調で呟いた。
実際どうでも良かったのだが。









火星の後継者の乱が終結を迎えてから一ヶ月後。






ネルガル本社内

待機室。




 その部屋にはラピスと二人のSS、つまり彼女の護衛が居た。アキトの診察終了を待つ為である。
五感を失った上に、体中が多種多様なナノマシンによって侵食されているアキトの定期診察にはかなりの時間がかかる。
診察の間、ラピスは護衛と共に沈黙の時を過ごす。ラピスは元々無口であり、SSは任務上私語を禁止されているからだ。
だが、何時もは長く感じる沈黙の待ち時間は、意外な乱入者の手によって破られる。

襲撃者の行動は敏速だった。

「ア、アザミさん……何を……ぐっ!」

 SSがアザミを見上げた瞬間、手刀が首筋に叩き込まれていた。
相棒は既に殴り倒されて昏倒している。

「長い付き合いだから、殺すのは流石に気が引ける」

 気絶した二人のSSを見下ろしながら、アザミは呟いた。
この二人とは仕事に就いたばかりの時からの付き合いだったし、手加減しても十分に対処出来るので、殺すまでも無い。

「さて、ここからが本題なんだけどね」

アザミの視線が身体を震わせている少女に向けられた。

「ラピス・ラズリ……黒の王子の従者」

 黒皮手袋に包まれた手が恐怖に震えるラピスの顔を挟む。
愛しげに柔らかい頬を撫でながら、アザミは眼を細めて囁いた。

「貴女に頼みたい事があるのよ……聞いてくれる?」
「い、いや……アキト!」

何時もは無表情な少女の顔が、泣きそうに引き攣る。

「助けを呼んでも無駄。丁度今頃は薬で眠らされて治療を受けている時間。幾ら五感を共有していても、片方の意識が落ちていては無意味だわね」
「う……あぁぁぁ」
「怖がらなくても良いのよ。貴女には王子様のエスコートをして欲しいの。只それだけだから」

 次の瞬間、ラピスの華奢な身体はアザミに抱き締められる。
必死にもがくが、大蛇の様に巻きついた両手はびくともしない。

「や、やめ」
「おやすみ」

 ラピスが最後に聞こえたのは、アザミのからかう様な言葉。
直後、首筋に押し当てられた無針注射器から注がれる睡眠薬の効果で、ラピスの意識は途絶えた。





30分後、診察が終わり意識の戻ったアキトがラピスが居ない事に気付いた頃には、アザミは本社の何処にも存在しなかった。









6時間後。




「皮肉よね。こんな日に限って晴れ渡るなんて」


空は抜ける様な快晴だった。


「でも……本当に綺麗な青い空だわ……まるで……あの日みたい」


 廃工場の破れた天井から見える青空を見上げながらアザミは呟いていた。
彼女は想いを馳せていた。あの自分の全てを狂わせた15年前の事件に。
確かあの忌々しい日も、こんな風に爽やかな快晴だった。

「お……来たか」

 外に設置しておいた監視カメラに彼女の待ち受けていた存在が映る。
ネルガルのロゴが入った空戦型エステバリスがフラスターを吹かしながら自分の居る場所、つまり港湾区域の外れにある廃工場の前に降りて来る。
ブラックサレナは証拠隠滅の為既に解体作業に入っている。アストロメリアの使用は論外だ。
空戦型エステならば、作業用にも出回っているし、港湾区に居てもそれ程不自然ではない。それこそ武装でもしていなければ。


「王子様の鎧にしては少々風情に欠けるけど……まぁいいか」

 アザミはエステから降りるアキトの姿を視認すると、愛用のサングラスをスーツの内ポケットにしまう。
その時、倉庫周辺に仕掛けて置いた監視カメラのひとつに、彼女の予測した存在が映った。

「ふむ、こちらも来たか」

 倉庫の間を縫う様にゆっくりと進んで来る黒塗りの車が数台。
間違い無くネルガルのシークレットサービスの面々だろう。だがそれに不都合がある訳じゃない。
アキトに送ったメールの中に、

『ヨコハマシティー・港湾区・第8ブロック79番地の廃棄工場まで来られたし。SSを連れて 来ても構わないが、工場内に君以外が入って来たら即座にラピスの命を絶つ』

と書いて置いてあるからだ。アキトの性格を考慮し念の為、NSSの責任者にも送っておいたが。
アザミとしては決闘中に邪魔が入らなければそれで良いし、邪魔されたとしても並のエージェント如きに隙をつかれる程自分は間抜けじゃない。
それに彼等には事後処理も頼みたいからである。アキトに関しても、自分に関してもだ。

「さて、王子様のお出迎えにいかないといけないわね……」

 呟きながら立ち上がり、壊れたコンソールの上に置いてあるVz61を右手に持つ。
闘いの前の高揚感に浸りながら、アザミは制御室から出て行った。



「出て来いアザミ!」

倉庫の入り口に入るなりアキトは大音声で叫ぶ。

「大声出さなくても聞こえているわよ」

 アキトの激情を嘲笑うかの様に、落ち着いた口調でアザミは話しかけた。
入り口に立っているアキトと、倉庫の奥の壁に寄り掛かっているアザミ。両者の表情は対照的だった。

「ラピスを解放しろ。さもなくば……貴様を殺す!」

黒の王子が放つ熾烈な殺気を軽くいなし、アザミは悠然とした口調で話しかける。


「お馬鹿さん。此処に来た時点で貴方の負けは確定しているのよ。貴方が私に勝てる 手段は只一つ、エステバリスでこの倉庫ごと私を吹き飛ばす事。最もそうしたらあのお譲ちゃんも死んでしまうけどね」

 アザミの視線が倉庫の隣の部屋に向けられる。
アキトもつられる様に顔を向け、思わず叫んだ。

「ラピス!」

 フロアを仕切っている壁が壊されている為、その部屋の中はよく見えた。
ラピスが柱に固定してある椅子に座らされ、縄で縛られた上に猿轡をかまされている。
意識があるのか、もがいているものの、身体を揺らす事すら出来ない。
そして周りに張り巡らされている細いワイヤー。それらは全て壁や柱に括り付けられているC4爆弾に繋がっていた。

「迂闊に近づくのは止めた方が良いわよ。周りにC4が仕掛けてあるから。分量的にはこの倉庫付近を丸ごと吹っ飛ばしてもお釣りが来るわね」
「貴様!」
「助ける方法は只一つ……私を倒してトラップを解除する事。さっきも言った様に勝率は非常に低いけどそれしか手段は無いわ」

ゆっくりとアザミがアキトに向けて、右手に握り締めていたVz61を構える。

「ラピスを放せ!」
「駄目。あの子を救うのに必要なのは話し合いではない……殺し合いよ」

 完全に据わった眼つき。そこには迷いも躊躇いも無い。
女暗殺者がどうあっても引かない事を悟ると、アキトも覚悟を決めコルトパイソンをホルスターから抜く。

「……闘う前に一つだけ教えろ。何故、俺を殺そうとする?」
「理由が聞きたい?教えてあげるわ」

待っていましたとばかりに目を細め、アザミは話し始めた。

「二ヶ月近く前に貴方が沈めた客船の事、まだ覚えているのかしら?」
「ああ、それがどうした?」
「あの船には私の肉親が乗っていた……父親がね」
「……動機は親の仇討ちか?」
「違うわよ……私はあの男を、父親をこの手で殺したかった」
「!」

 アキトは意外な発言に驚く。肉親を殺された怒りから復讐に走るのは解る。また自分も身に覚えがある。
アキトもネルガルの企業としての都合で、科学者であった両親を暗殺されているのだから。
だが、アザミの父親に対する想いはそれらとは全く別だ。

「あの男の命を貴方が奪った。勝手に殺した。理由なんかどうでもいい……貴方は 私の殺すべき存在を横取りしたのよ。15年間、私がどんな思いであの男を殺す瞬間を待っていたか解るかしら?解らないわよねぇ」
「………」

彼女は笑顔を浮かべた。酷く虚ろで能面の様な笑みを。

「本当に……本当にあっさりと奪ってくれたわ。私からあの男を、あの男を殺す機会を!」

 語尾になるにつれ、平坦なアザミの口調が激昂する。
アキトの背中に戦慄が走る。自分に向けて怒りを顕にしている女の殺気、それは北辰と同質かそれ以上にドス暗かった。
一瞬怒りを前に出したアザミの気配が元に戻る。怒りで夜叉の様に歪んだ顔が、何時もの薄笑いの表情に戻る。

「だから、私は貴方を赦さない……じっくりといたぶって、その後で嬲り殺してあげる」

 クスリと笑う女の眼には歓喜と狂気と殺意が渦巻いていた。
本来なら父を殺す際に向けられる筈だった激情が、15年間アザミの中で澱んでいたモノが噴き出して来る。
これほど誰かを殺したいと思ったのは、あのテロリスト達と父親以外にはこの男しか居ない。

「さぁ、そろそろ始めましょうか……サドンデスを、ね!」

 声を受けてアキトは腰に装着して来たDF発生装置を起動させる。
アザミは身構えたアキト目掛けて、笑顔を浮かべながらバースト射撃。闘いが始まった。






アキトは携帯DFで襲い掛かる銃弾を跳ね返しながら、アザミに向かって走り出す。

(携帯DFか。用意が良いわね)

 アザミは防御用の装備を持っていない。
愛用のスーツの下に、軍用ベルトとベストを装着しているだけだ。
それが彼女の戦闘スタイル。防御力に重点を置かず、極限まで鍛え上げた勘・反射神経・運動能力で攻撃を避ける。
あたかも大昔の名戦闘機の様だった。防御を無視し特化された格闘力と運動性で、大平洋の空を制した戦闘機の様な。

(DFでこちらの攻撃をキャンセルして捨て身の特攻か、悪くは無い)

 実際アザミ相手には悪くない選択だ。
DFが稼動している間なら幾らかは無茶な行動が出来る。
だがアザミは重い一撃を貰ったらそれまで。相打ち覚悟で来られたら一巻の終わり。

(でも予測済みというものよ。貴方の装備は全てね。それに……『人喰いマンイーター』の名前を舐められては困るわ)

 アキトの銃がこちらに向けられる。
立て続けに飛んで来た3発の弾を見切ってかわし、アザミは素早く横へと跳んだ。
着地の瞬間を狙おうとしたアキトは、突き刺さる様な殺気に襲われた。
咄嗟に身を伏せる。伏せた直ぐ後に9mm弾が空間を貫いていく。
続け様に撃ちまくられるがそれらの攻撃はDFで弾き、こちらに銃を向けているアザミに向かって反撃する。
広い倉庫内に山積みされた廃棄物の合間を、苦も無く走る女暗殺者の周りで火花が散った。

「くっ、アイツは軽業師か!」

 まるで忍者の様に廃棄物の上を駆け抜けていく女暗殺者の動きの早さに、アキトは完全に翻弄されていた。
ポイントを合わせたかと思った次の瞬間には、既に遮蔽物の陰に姿を消している。その癖彼女の攻撃はアキトのDFに全て命中していた。

(存外に固い……9mmじゃ埒があかないわね)

柱の影に隠れ、Vz61のマガジンを床に置きながらアザミは少しずり下がったネクタイの位置を直す。

(まずは王子様の鎧を脱がすとしますか)


マガジンを交換したVz61をホルスターに戻すと、腰にぶら下げていた44マグナムにウェイト挿入部を改造した発射筒を取り付ける。
そしてベストに挿してあった20mmグレネード榴弾を装填した。
持ってきたグレネード弾は3発。それでも破れなかったらこの”対戦車ハンドガン”の異名を取るマグナムを叩き込むまで。

(しかし素直に無反動砲持って来ないでこんなの使うのは、B級フランス映画の見過ぎかしらね?)

自分の嗜好がやや偏りがちなのに、今更ながら気付く。

(ま、簡単に殺したら復讐の意味無いし。これはこれで良いか)




「何処だ……」

 アキトが拳銃を構えながらゆっくりと移動していた。
周囲に気配は全く感じられない。さっきまでそれ程離れていない場所に居た筈なのに。
喉が渇く。喉がからからに渇く。自分が異様に緊張しているのが解る。
何しろ相手は白兵戦において、北辰をも凌駕する程の戦闘力を有しているのだ。

(だが、それでも負ける訳にはいかない)

 アキトには助けなければならない存在がある。
ラピスをアザミから救い出さなければならない。

 摺り足で進んでいき、放置してあるロッカーの陰に背中を預ける。
耳を澄ますが、相変わらず物音一つすら聞こえない。

(そこか!)

 微かに見えた人影に向かってコルトパイソンを連射する。
と、同時に弾ける様な音と共に、アキト目掛けてグレネード弾が飛んできた。

「な!」

 グレネード弾がDFに直撃、衝撃までは殺せなかったのかアキトの身体が後ろに押される。
体勢を立て直そうとして前を向いた時には、2発目が飛んで来ていた。

「ぐぁ!」

 爆炎と破片は防げた。
だがDFが弱っていたのか、衝撃波をもろに浴びてアキトは後ろに転がっていく。

「……無様ね」

 三発目を装填しながら、アザミは呟いた。
今度はアキトの足元を狙い撃つ。至近距離で榴弾が炸裂した瞬間、確かにアキトの腰の部分から鈍い音が響いた。
アキトは急いで腰に装着していたDF発生装置を外し、投げ捨てる。宙を舞った装置は着地する前に爆発しガラクタと化した。

「マグナムを使うまでも無かったか」

 マグナムをしまうと今度はブローニングを取り出し初弾を装填する。
マグナムはDF対策として持ってきたのでもう使わない。
50口径の弾、しかも装填してある弾はTHV弾だ。殺傷力が高過ぎ、一撃で勝負がついてしまう。
まだ闘い始めて間もない。ここで戦闘不能にでもなられたら自分の感情が納得出来ない。

「これで鎧は消えた……」

 柱の影から飛び出したアザミの姿がアキトの視界に入る。が、またしても銃をポイントした瞬間には既に別の物陰へと消えてしまう。
後に残るのは地面から響く様な嘲笑と肩の半ばまで食い込んだ9mm弾。
物陰に消える寸前に彼女がアキト目掛けて発砲していたのだ。反撃を許す暇も無く。

「死に物狂いで鍛えたとしても所詮は付け焼刃。その程度の技量で私に勝てるとでも思って?」
「口数の多い暗殺者だっ!」

 アキトの必死の反攻を舞う様な動きで尽く回避しながら、柱と柱の間をすり抜けて行く。
あまりに圧倒的な実力差。玩ばれている事実が焦りと怒りを生んで更に状況を悪化させる。

「ハハハハハハハ、無駄無駄無駄無駄ァ!」
「くっ、ちょろちょろと!」

 弾を撃ち尽くしたアキトは近くのトラクターを盾にしながら、リロードを開始する。
鉄骨を伝って二階部分の通路に飛び移り、鉄板の上を音も無く駆け抜けながらアザミはシリンダーを開け排莢する音を聞き取った。
弾を込める音が乱れている。焦っている証拠だ。

(焦りなさい。戦場では焦れば焦るほど死神の鎌の間合いに入るのよ)


 アザミにとってアキトを殺す事自体は正直な話簡単だ。
単に殺すだけならエステバリスから降りた瞬間に、NTWで狙撃すればよい事。
もしそうしていたら今頃空戦エステバリスの足元に、新鮮な挽肉が製造されていただろう。
未だに殺していないのは、この戦闘が仕事では無く復讐である為。只単に嬲っているだけだから。

(獲物を前にして舌舐め擦りは三流のする事だけど、今は私怨を晴らしている時だしね)

 そろそろ仕上げに入るのも良いかもしれない。
アザミはリロードを終えたブローニングをホルスターに戻した。
腰に手を伸ばし、ゆっくりと一本のショートソードを鞘から引き抜く。
ショートレンジ用の暗器を見詰め、口の端を歪める。

「貴方は幸せよ……地球圏最高クラスの暗殺技で死ねるのだから」

 一瞬後、アザミの身体が宙を舞う。
跳ねた身体が二階通路から飛び出し、

「HA!」

3m程向かいに立っている支柱を蹴り、勢い良く一階へと飛び降りた。
そしてそこにはリロードを終えたばかりのアキトが居た。








「テンカワァ!」
「アザミィィィィ!!」

 楽しそうに笑いながらショートソードを逆手に構え、アザミは飛び掛ってきた。
咄嗟にコルトパイソンを向けてトリガーを引いたものの、撃つ直前で横払いに振るったブレードが銃身に当たってしまい、狙いが外れる。

ドォン!

「ちっ!!」

天井に空しく銃痕が作られ、同時にアキトが舌打ちを鳴らす。

 利き腕を弾かれ、空いた胸元目掛けてブレードとアザミの笑顔が迫ってくる。
アキトは銃を手放し、コンバットナイフを引き抜いた。意識してでは無く、殆ど闘争本能のままに。

キィン!

 後0.5秒遅かったらアキトの心臓に刃が突き刺さっていただろう。
寸での所でアザミの攻撃を防いだアキトは、満身の力を籠めてアザミにタックルを仕掛ける。
それを軽くバックステップして避けると、彼女の身体が僅かに屈む。

「はっ!」
「ごはぁ!」

 予備動作無しで蹴り上げられた靴底が腹部を捕らえる。
靴底に鋼板が仕込んであるブーツでの蹴りは、普通のキックとは比べ物にならない程打撃力が高い。
一瞬後、アキトの身体は後ろにあった廃棄用のドラム缶に激突していた。

「ほら、もっとしっかりする。あの子を助けるんでしょ?」

 嘔吐感と内臓を掻き回された様な激痛に身悶えるアキトの耳に、からかう様な声とカツカツという硬質な音が近付いて来る。
普段の彼なら何故何時もは完全に足音を消しているアザミが足音を立てているのか、不思議がっただろうが今はそれどころではない。
立たないと死ぬ、間違い無くあの女に消される。消されたらラピスを助ける事は出来ない。

「まだ……」
「?」
「死ぬ訳にはいかねぇんだよぉぉぉぉぉ!!」

 血を吐くような絶叫を上げ、右手に持ち替えたコンバットナイフを構えてアキトはアザミに突撃した。
走り出して数歩も行かない内に、両太股にストライダーナイフが突き立ったが筋肉の引き攣りをも無視したのか速度は一向に衰えない。

「そうこなくっちゃ……面白くないっ!」

 右手に持ったショートソードを構えながら笑う。
その笑みは魅力的だった。とても無邪気で残忍な笑み。

「ふっ!」
「りゃああああああああ!!」

 変則的な軌道を描きながらショートソードが振るわれる。
彼女目掛けて真っ直ぐに猛進するアキトの肩が、腹部が、足が深く切られていく。

「おおおおおおおおお!!」

 コンバットナイフを滅茶苦茶に振り回し、バックステップで退がるアザミを追い掛ける。
幾らダメージを受けても怯まないアキトの突進に、アザミは少なからず感嘆した。

(面白い、非常に面白い)

 死力を尽くして闘う人間は、時としてその能力を遥かに凌駕する力を発揮する場合がある。
今のアキトは正にそれだった。

「あっ」

アザミの身体が少し揺らぎ、姿勢が崩れる。

「アザミィィィィィ!!」

 渾身の一撃、コンバットナイフをアザミの腹部目掛けて叩き付ける。
だが、刃がアザミの身体に触れる事は無かった。

「残姿!?」

 標的の腹を捉えた筈のナイフが空を切る。
アキトの標的は一瞬にして姿を消した。

「速度は脅威、だけど動きが単純過ぎる」

 アザミはアキトの脇を潜り抜けていた。
ナイフは、身体を捻った彼女のスーツの端を軽く切り裂いたに過ぎなかったのだ。
つまりは芝居ーアキトを引っ掛ける為の。

「従って私には当たらない」

アキトの丁度横側に位置を変えていたアザミは、ショートソードを持つ手首をクルリと捻りブレードの先をアキトに向けた。

バシュ!

「がぁ!」
「アハハハハハハ、やっぱり味な小細工は良い物よねぇ!」

 ショートソードのブレード部分がアキトの脇腹に深々と刺さる。
スペツナズ・ナイフと同じ仕掛けだったのだ。
更に姿勢を崩したアキトに容赦の無い回し蹴りが浴びせられる。
蹴り飛ばされ、呼吸困難に陥って跪いている黒の王子を睥睨し、アザミは冷酷な笑みを浮かべた。

「なかなかに楽しませてくれた……予想以上の出来ねテンカワ。及第点をあげる」
「ふざ……ける……な!」

 意識が薄れ掛けているアキトが掠れた吐き捨てる。
アザミはそんなアキトを鼻で笑い蹴りを入れた。
刺さっているブレード部分を足で押し込まれ全身に激痛が走るが、最早身体が言う事を利かない。
満身創痍で出血も激しい。普通の人間ならばショック死していてもおかしくは無い状態だ。

(だが、まだ終わりではない!)

 アキトは自分に残された火器にそっと手を伸ばす。右手は太股の下に隠れ、丁度アザミからは見えない。
ブーツに隠しておいた22口径デリンジャー。
防具らしい物を装備していないアザミに当てる事が出来れば、一気に形勢が逆転するだろう。あくまでも当たればの話だが。

「どうしたの?まさか諦めるとか言うんじゃー」
「死ね!」

 アキトの手がブーツにかかり、一瞬で隠しホルスターからデリンジャーを抜き取る。
アザミの喉元目掛けて引き金を引こうとして、

「ぎゃあ!」

両手を撃ち抜かれた。
9mm弾が丁度掌の真ん中を貫通し、夥しい量の血が流れていく。
血が抜けていくと同時に気力も尽きてしまい、アキトは膝を付いた。

「良い根性ね。クイックドロウで私と勝負しようだなんて」
「が……ぁぁぁぁ」

 アキトがデリンジャーを向けた時には、アザミの手にはブローニングが握られていた。
一瞬で武器を持った右手を撃って攻撃を封じ、ついでに左手も撃ったのだ。

「両手を潰したんじゃ、もう闘えそうに無いかな……」

 最後の反撃手段を潰され、アキトには最早どうする事も出来ない。
ブローニングがアキトのバイザーに向けてポイントされる。

「何か言い残す事はある?」

 返事は無い。代わりに頭が少しだけ上を向いたがそれだけだ。
返事が無い事に若干失望感を覚えるが、それもしょうがないとアザミは思った。

「じゃあね黒の王子様。一足先に地獄で待っていなさいな」

トリガーに力が入り、後数mm引けば弾が発射されるかと思われたその時。

「!?」

アザミは見た。アキトの身体に、露出している肌の部分に一瞬だけナノマシンの紋様が浮かび上がるのを。






(俺は……生きているのか、死んでいるのか)

 朦朧とした意識の中でアキトは自問した。
出血は止まらない。体力は出て行く血に比例するかの様に急激に消耗していく。

(まだ……生きている)

 まだ生きている。現にまだ自分の身体は動く。
まだ眼は見える。バイザー越しにあの女の編み上げブーツが見えた。

 必死になって頭を上げ、視線を上向きにする。
ブローニングの銃口が自分の頭に向けられていた。
女が愉快そうに喋りながらトリガーを引こうとしている。

 俺は死ぬのかとアキトは自問した。
このままだったらアザミに止めを刺されて死ぬのは確実だ。

(嫌だ、このまま死ぬのは嫌だ)

 それではラピスを、手を血に染めてまで自分に付き添ってくれた少女を救うことが出来ない。
自分の死はもう免れないだろう。だが、逝く前にラピスを助けなければならない、今のアキトの意識はラピスの救出に絞られていた。

(その為には……この女を殺す)

 失血により血の気が無くなった体がびくりと大きく痙攣する。
身体の奥からチリチリとした感触が背骨を伝って脳に達する。
度重なる人体実験で数え切れないほど注入された多数のナノマシンーイネスですら除去しきれなかったナノマシンが一斉に活性化する。

(一緒に地獄へと逝って貰うぞ『人喰いマンイーター』!)

 一瞬だけ全身がナノマシンの紋様で光り輝いた。
自身の身体の奥で何かの枷が外れた感じがする。
信じられない程身体が軽くなり、蝕む様な痛みも消え去った。

(今だけは感謝しておいてやる、山崎……!!)

 自分の身体を弄繰り回した狂科学者に礼を言うと、すっとアキトの身体が起き上がる。
瀕死を数歩通り越した傷を負い、起き上げれる筈の無い身体が。
起き上がった瞬間にアザミが発砲し、二発の銃弾が腹部と臀部に穴を開けた。
アキトは気にする事も無く、背中に隠していた予備のコンバットナイフを引き抜く。
手の骨は先程潰されていたが、それすらも無視して強引にナイフを握り締める。

 アザミが驚いた様に何か呟いているが、気にする必要は無い。
自分がやるべき事は一つだけ。目の前に居る暗殺者を殺す事。

 三度の衝撃。今度は両胸と喉元。
肺に血が流れ込み、口の中が血で一杯になる。
アキトは血を吐き捨て、拳銃を自分の身体に撃ち込んでくる女に近付く。
そしてナイフを持った手を無造作に突き出した。

「何……?」

 アザミの表情が驚愕に変わる。
脇腹にアキトのコンバット・ナイフが食い込んでいた。
アキト自身が信じられない程、あっけなく攻撃が命中していた。
だが何故攻撃が当たったのかはどうでも良い。ブローニングの零距離射撃を貰ったがそれすらもどうでも良い。
アキトは怒りの形相で彼女を睨み、ナイフの柄を力任せに押す。
痛みのせいか、アザミの手からブローニングが滑り落ちた。

「これが……人の執念だとでも言う訳!?」
「ラ、ピスを返……せ。俺の……家族を!」
「家族を返せ?」

 血を吐きながらアキトが叫んだ言葉に対し、アザミの声に怒気が加わった。
滅多に変えない表情を夜叉の様に歪めながらアザミは叫ぶ。

「貴方がその台詞を言うの!?貴方が!!」

 叫びながら残っていた最後の火器ーVz61をホルスターから抜いて、仇敵の胸元に押し当てる。
アキトも全力を籠めてナイフの柄を握り締めた。

「死になさいテンカワ・アキトォ!!」
「ぁあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 アザミの身体にアキトの握っていたナイフが柄まで沈むのと、Vz61が30連マガジンを一瞬で撃ち尽くしたのはほぼ同時だった。
そしてVz61の弾が切れた瞬間、アザミの理性もキレた。









(全身が……千切れる……!!)

 ラピスとのリンクが切れ、無くなった筈の五感が戻って来たかの様に、全身に焼け付く様な痛みが走る。
あたかもそれは自分自身が犯した罪が具現化し、己が肉体を燃やし尽くすかの様に。

 アキトはあまりの痛みに絶叫した。
だがそれが過ぎた後、唐突に全ての痛みが消える。

(感覚が無い?)

気が付くと意識が宙に浮いていた。

(あれは……)

 眼下に自分の身体とアザミが見えた。
アザミはVz61を投げ捨て、野獣の様な叫び声を上げながら自分の身体に体術を食らわせている。
信じられない速度で放たれる拳と膝のラッシュ。
関節という関節が粉々に砕かれ、風を切る拳や蹴りが暴風となってアキトの身体に襲い掛かり、致命傷を既に超えた過剰なまでのダメージを与えていく。

 身体が宙に持ち上げられている。
彼女の攻撃で”浮かされて”いるのだ。
アキトは自分の身体が壊されていくのを、見ている他なかった。

(随分と酷く扱ってくれる……)

しかしそれらは最早他人事の様に遠い。痛みも怒りも何も感じない。


(俺は死んだんだのか?)



 もう指一本動かない。
先程の捨て身の攻撃で、テンカワ・アキトという人間の生命力を使い切ったかの様だ。
もうじき自分は無限の闇に呑まれ、意識すらも消え去るのだろう。

アキトの脳裏に過去が過ぎる。



 成り行きで乗り込んだナデシコA。
火星で知らず知らずの内に再会した運命の女。
メグミと一旦はナデシコを降りようとし、逃げずにまた乗船した。
優人部隊との死闘。
白鳥九十九との出会いと別れ。
火星での決戦。
終戦。
サセボでの抑留生活。
三人でラーメン屋台を引き、未来への希望に溢れていたあの頃。
ミスマル邸でのラーメン勝負。
クルー達に祝福されユリカとの幸せに満ちた結婚式。
新婚旅行へ向かう途中での拉致。



 そして五感と妻を失い、復讐鬼として破壊の限りを尽くしていた時代。
走馬灯が目の前を駆け巡って行く。


(そうか……俺は死んだんだ)




自覚した瞬間、アキトの身体が闇に呑まれ始めた。

(すまないラピス)

 あの幼い妖精をこの世に残して逝く事だけが心残りだった。
自分の身を削ってでも支えてくれたエリナやイネス。彼女達には礼すら言っていない。

(すまない、エリナ。すまないイネス……アイちゃん)






 意識が永遠の闇に落ちる瞬間、アキトは幻影を見た。
彼女ははにかんでいた。そして自分を愛しげに見ている。

(すまない……お前には何もしてやれなかった……)

それは、自分が永遠の愛を誓った花嫁の晴れ姿だった。



(ユリカ………)












「ハァハァ……ハァハァハァ………飛ばし過ぎた……か……」

 全身の筋肉が悲鳴を上げ、限界を訴えてきている。一部内出血や裂傷を起こしている場所もあるだろう。
体力の殆どを消耗したこの状態では、並の暗殺者と戦う事すら難しい。

(激昂して力の配分を完全に忘れるなんて……暗殺者、失格かしらね)

アザミ”らしくない”闘いだった。
私情に走り復讐を行った時点で、暗殺者失格だとかつての師だったら言っただろう。
なんて無様とアザミは思った。これほど酷い闘い方は今までやった事が無い。

「お見事。貴方の執念、見せて貰ったわ……私を出し抜いただけはある」

思わぬ手傷を受けたアザミは、アキトの遺体を見下ろしながら呟いた。

(守るべき者を持つ者と持たない者の差という奴か?)

 ふと、そんな感慨を抱く。
派手に動いた所為か、脇からの出血が酷くなって来た。
顔を顰めながら刺さっていたコンバットナイフを一気に引き抜く。
抑えた手の間から鮮血が勢い良く流れ出すが、僅かに眉根を寄せただけ。
ベストに付いているメディカル・ポーチから無針注射器に入ったモルヒネを一本取り出し、自分の腕に突き立て中身を注入する。
別に今意識を失っても構わないが、まだ倒れる訳にはいかないからだ。アザミにはまだやるべき仕事が残っている。




 ラピスを拘束してある広間へと出た。
彼女は眼を見開いていた。猿轡を咬ました口がワナワナと動いている。

「お譲ちゃん、全てを見ていたのね」

ラピスはアザミの声に反応せず、只虚空を見上げたままだ。

(猿轡かまして置いて正解だったわね。そのままだったらショックで舌でも噛んでいたかもしれない)

 ラピスとアキトは五感を共有している。
彼の意識を通して全てを見ていたのだろう。

「今放してあげる」

 無造作にワイヤーを押し退けながら、アザミはラピスの元に辿り着き猿轡と縄を外す。
C4爆弾は本物だったが、肝心の信管がついていなかった。
そもそもワイヤートラップが仕掛けてある場所で、大きな振動を生むグレネード弾を撃ったりはしない。
アザミの仕掛けていた罠はこけおどしだったのだ。

「アキト!」

 解放されたラピスはアザミなど眼中に無いとばかりに走り出していく。
隣の部屋で倒れているアキトの元へと。
アザミもその後を追う様にゆっくりとした足取りで歩いていく。
少女が見るだろう絶望の光景を確かめる為に。



「アキト」

 返事は無い。血の海に沈んだ身体は一切の反応を見せない。
男は寡黙で闘う時は阿修羅の様だったが、少女に対しては優しかった。
だが、今は。

「お願い……返事をしてアキト」

 返事は無い。
男の命は失われていた。彼女の手の届かない場所まで去っていってしまったのだ。

「アキト……返事をして……私……アキトの声が聞こえないよ……」

 ラピスは既に冷たくなりつつあるアキトの傍に座り込んだ。
ほっそりとした足は床に広がっている温い液体で真っ赤に染まりつつあるが、本人はアキトしか目に入らないらしい。

「アキトの意思が感じれない……アキトの声が聞こえない……」

 ラピスの目は既に生気を無くし、虚ろな眼つきになっていた。
「アキトアキトアキト……」と何度も繰り返す様に呟いてる。

「あの男の後を追うかどうかは貴女の判断に任せるとするわ」

 親切心から放心しているラピスの掌に一個のカプセルをそっと置き、握り締めさせる。
彼女が任務失敗時に用意して置いた薬だった。これならば苦しむ間も無く楽にあの世に逝ける。

「じゃあね……お譲ちゃん。私の事も直ぐに終わる。だから残念だけど復讐はさせてあげない」

 最後に優しく微笑み、ラピスから離れる。
アキトの執念の一撃を受けた脇腹がチリチリと痛み、シャツの下半分はほぼ真っ赤に染まっていたが、放って置いた。
手当ても止血もするつもりは無い。もう直ぐ全てが終わるーそう確信していたからだ。
大量の出血で意識がふらつくが、鋼の意志で引き締めてアザミは歩き出す。

 左手にマグナムをぶら提げて、彼女は真っ直ぐに倉庫から出た。
其処が自分にとっての終局であると解っていたから。



「動くんじゃないアザミ!!」

 倉庫の入り口を数台の車が包囲する様に止まっていた。
更にネルガル所属のヘリコプターが上空を旋回している。
そしてアザミに銃を向けている黒服達。言うまでも無くつい昨日まで同僚だったネルガル・シークレットサービスだった。


「これは御機嫌ようミスター・ゴート。あらプロスペクター、貴方まで来るとは意外ですね。ひょっとして会長命令ですか?」
「武器を捨ててくださいアザミさん」


 プロスペクターがゆっくりと前に出ながら言い放った。
アザミはプロスペクターの顔を驚いた様に見詰め、クスクスと笑い出す。

「らしくないですね。かつては『ジェスター』とも呼ばれ、裏社会で誰よりも恐れられた貴方らしくないですよ?」

 戦艦ナデシコに乗ってからこの男も随分と変わったと思う。
かつての師でありパートナーでもあった人物の変化に、アザミは気が付いていた。
それを考えるとあのテンカワ・アキトを含めてナデシコクルーの面子と言うのは、非常に興味深い連中だと彼女は思った。
惜しむらくはもう彼女には機会も時間も無いと言う点か。

「『裏切り者には死を持って報いる』これは我々の鉄則の筈。貴方は私をこの場で制裁しなければならない。私にこの世界の掟を叩き込んだ貴方がそれを示さないでどうするのですか?」
「武器を捨ててください」

 アザミの声を押し切るかの様にプロスペクターは繰り返す。
溜息を吐くと、彼女は少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべる。

「……貴方も会長もあの船に乗ってから変わってしまった。 昔だったら私よりも先に貴方達がテンカワを始末していたでしょうに。そして今の私の処遇で頭を悩ます事も無かった」
「……でしょうな」

 プロスペクターは否定しない。
火星の後継者を倒し、クリムゾンの一大プランが頓挫した今、アキトの存在価値は殆ど無い。
逆にリスクの方が高いだろう。もしアキトがネルガルに加担している事が世間にばれようものなら、ネルガル自体が傾きかねない。

彼がコロニー襲撃犯でもあり、22世紀最大の大量殺戮犯だからだ。

 ばれれば統合軍は躍起になってネルガルとアキトを潰しに掛かるだろう。自分達の失態を世間から逸らすスケープゴートとして。
せっかく弱体化させたクリムゾンもネルガルが消える事で息を吹き返すかもしれない。
これでは全てが元の木阿弥である。
アキトは戸籍上は死亡しているし、表向きにはネルガルに所属していないイリーガルな存在だ。
つまり彼が死んでも全くネルガルにとって不都合は無い。それこそ死人には口が無いからだ。
ネルガルという企業からすればアキトは既に用済みであり、すぐさま抹消しなければならない人物なのである。

だが、今の彼や会長にはかつての様に躊躇いも無く仲間を切り捨てる事は出来なかった。


アキトも、そしてアザミの場合も。


「アザミさん、武器をー」

プロスペクターの最早懇願に近い声を遮る様にアズミは口を開いた。

「プロスペクターも意外に甘い様で。そんな事では古株エージェントとして部下に示しがつきませんよ……」
「お待ちなさい!」

 アザミの真意に気付いたプロスペクターの制止は間に合わず。
最後の力を振り絞り、彼女の身体はプロスペクターに向かって飛び跳ねた。

 咄嗟にSS達が発砲するが、腕に一発が命中しただけで勢いを止める事が出来ない。
プロスペクターの視界に、アザミの放り投げたマグナムが飛んできた。
プロスペクターは掌でマグナムを叩き落とす。
マグナムの影に隠れる様にして接近して来たアザミが、ショートソードでプロスペクターに襲い掛かる。
プロスペクターは軽く拳を握り締めると、素早く開いた。
そこにあったのは一本のスローイング・ダガー。
ダガーを軽く握ると静かに構える。既にその時にはアザミは間合いに入っていた。
二人の刃が交差し、プロスペクターのベストに、アザミのスーツに向かい合う。

一瞬の空白の後。

 二人の姿が重なった。
肩と肩を少しだけ触れ合わせながら、二人は彫像の様に動かない。
その場に居た人間全ての動きが止まる。

「う……」

 先に動いたのはアザミだった。
ゆっくりと自分の胸元に視線を落としながら、掠れた声でプロスペクターに語り掛ける。

「流石……です……ね」
「誰が貴女に……戦闘術を教えたと思っているのですか?」
「あ、はははは貴方でしたね。会計士なんかになったか……ら忘れてまし……たよ」

 アザミの一撃はプロスペクターのベストを切り裂き、腹部に浅い傷を作っていた。だが、それだけだ。
プロスペクターの一撃は決まっていた。灰色のスーツに深く、胸の間を貫いた刃から紅い滴がポタポタと流れ出し始める。

「出来れば……貴方に裁いて欲しいと思っていたんです……私は」
「それは身勝手な言い分ですよ。アザミさん……」
「復讐者は皆……身勝手……な人間なんですよ。プロスペクター……」

 視線を上げてプロスペクターの顔を見詰めながら、アザミは刃から身を引き抜いた。
昔は何時も冷徹だったー今は変わってしまった師の表情が、何故か悲しげに見えたのは気のせいだろうか?

「ふぅ……う」

 後ろ向きにゆっくりと身体が倒れていく。
アザミの真っ赤な唇の端から赤い血の筋がゆっくりと流れ出す。
身体から急激に熱と生気が抜けていく。そして今まで何度か経験した死の気配が我が身を覆い尽くそうとしていた。
昔は死なない為にあらゆる手段を尽くし、意思を強く持って救助とチャンスを待った。
だが、今は。

(これが私の死か)

 アザミは一切抵抗などせず、死が自分を包み込む事に対して安心したかの様に微笑んだ。
ネルガル最強の暗殺者は、静かに死を迎え入れようとしていた。
その背中には彼女の名前の様な赤い花……血が広がっていく。




霞んでいく視界と意識の中、仰向けに倒れた彼女の眼に空が映る。

「ふ、うふふふふふふ……皮肉よね。本当に、今日の、空は」


アザミが見上げたその日の空は、















「凄く綺麗……」










 あの日の様に、残酷な程青く澄み渡っていた。
その下で起きた悲劇など存在しなかったかの様に。
























THE END





























後書き

 ぬぁ〜全く救いのねぇSS書いてしまったぜ。
ぬ、そりはチミの技量が足りぬと?ま、その辺は目を瞑ってくだされ。

取り敢えずコンセプトは、

 『アキトのやった事(劇場版)は決して奇麗事では無い』
『復讐者の行いは新しい復讐者を生む』
『そしてそれらの結末は悲劇だ』

です。


『花言葉』アザミ(赤):権威・触れないで・独立・厳格・復讐・満足・安心



今年はこの作品が最後になります。皆さん良いお年を。


……最後の作品位、ほのぼのでも書けんのか私は?








ブラックサレナに関しては、日和見さんの
第二回 「ブラックサレナ、意外と知られていないその真実」を参考とさせて頂いております。


















代理人の個人的な感想

・・・・・・・うわ、本気で救いがない。

残業続きのテンパった脳味噌には中々・・・・来る物がありますねぇ。

ずずずん、と気分は奈落の底。



まぁ、最後まで読んだ方には余計な物はいらないかと。

多分今感想書いたらマトモなものは書けそうにないし(笑)。