病室の中で彼女はじっと外を眺めていた。
郊外の病院の所為か、周りは美しい緑色の景色で覆われている。
眼下に見える大きな病院内公園。少し離れた所に広がっている河川。そして大きな土手と野原。

彼女は何が楽しいのか、無邪気な笑みを浮かべながらそれらの光景をみつめていた。




 「失礼します」

やがて日が沈み始め、部屋が夕焼けに紅く染まる頃。
軽いノックと共に、病室の扉が開いて1人の少女が姿を現した。
瑠璃色の髪に金色の瞳、そして華奢な細い肢体の少女である。
似合わないモール付きの軍服を着て、手にはユリの花束と小箱を抱えていた。


「ユリカさん、こんにちわ」
「あー」

 ユリカと呼ばれた女性の返事は、やや舌っ足らずな声だった。



彼女は立派な成人女性である。
長く伸びた青みがかった黒髪、整った顔立ち。そして充分に発育した肢体。
どう見ても、先程の返事を返すにはおかしな年齢だ。

だが、少女は全く意にも返さず、にっこりと笑うとベッドの側に歩み寄って来た。
やや笑みの端が引き攣っている感もあるが、少女の性格を鑑みれば努力の賜物なのだろう。

「今日は少し日差しが強かった様ですけど、ユリカさんは大丈夫でしたか?」
「うー」

相変わらずの笑顔で首を縦に振り、肯定の仕草を見せる。
それに合わせる様に少女も頷き、ベッドの横にあった椅子を引き寄せて座った。

 「今日はユリカさんの好きな資○堂のケーキを買ってきたんですよ」

手にしていた小包の蓋を開け、中に入っていたプチケーキを見せる。
きゃっきゃっと両手を叩きながら笑い、ニコニコと無邪気な笑みを浮かべるユリカ。
正しく幼子の様な反応。否、『様な』ではなくそれそのものだ。

「うっ……」
「あーう?」
「ユリカさん……」

白く整った可憐な面持ちが一瞬、悲しみに歪む。
ユリカが浮かべる微笑ましい笑みすらも、少女    ホシノ・ルリにとっては見ていて辛いものなのだ。

 そう、ルリの見ているユリカの笑みは、ルリの記憶にある笑みではない。

少女がオペレーターとして搭乗していた戦艦の艦長を務めていた時のものでもなく。
拘留時代の長屋、同棲時代のアパートで少女に向けられていた天真爛漫な笑みではない。

 「ユリカさん……私、お茶を淹れてきますね……」

 やがて耐え切れなくなったルリはケーキ箱をベッドサイドに置くと、逃げる様にして病室に付いている小型キッチンへと向かう。

違う笑顔。
彼女の知るどのミスマル・ユリカという女性が浮かべていた笑顔ではない笑顔。
今ホシノ・ルリの前に居るミスマル・ユリカは、ミスマル・ユリカであってミスマル・ユリカではない。

かつてのミスマル・ユリカは最早居ない。
肉体や容姿、声は全く同じでも、中に内包する精神や人格は既に無い。

 そう、今の彼女はミスマル・ユリカと呼ばれた女性の抜け殻であり、全くの別人と成り果てていた。




















 嫌動戦艦ナデシコ 駄目なストーリー
もしものエピソード if 4




 記憶の果て


























ナデシコCによって『草壁の乱』が制圧されたあの日。
『火星の後継者』の手により、ジャンプ操作用のユニットとして遺跡に同化させられていたミスマル・ユリカは救出された。

だが、ルリ達ナデシコ・クルーが救出出来たのは、彼女の躰だけ。
遺跡から切り離されたユリカは自我を失い、記憶も人格も消え失せていた。



火星の後継者の研究班主任、山崎ヨシオが提唱したジャンパーの運用法。
それはA級ジャンパーを仮死状態にして遺跡と同化させ、任意での跳躍を容易にする為のバイパスとして利用する事にある。

大勢の人や大質量の物体を跳ばせば、たちどころに体力を消耗してしまう生身のA級ジャンパー。
だが、彼らをパーツにしてしまえばどれ程ジャンプ回数や質量を増やそうとも遣い減りはしない。
B級ジャンパーさえいれば望むところに、兵隊の大軍や機動兵器部隊を瞬時に送り込むことが出来る。

 正しく、理想的なジャンパーの運用と言えるだろう。

更に火星の後継者の研究陣はミスマル・ユリカの精神を解析し、最も効率良く彼女を遺跡とのパーツとして扱う手段を編み出す。
彼女の夫であるテンカワ・アキトの疑似データーを作成してユリカの脳内に直接繋げ、あたかも彼がユリカに対して頼み事をするかの様に仕組んでいた。

 これによりアマテラスに搬入され、集中的な運用を検討された後でも制御を受付け無かったユリカを屈服させ、思うが侭のジャンプ跳躍を実現させたのである。  

 しかし、最後の最後で予想外の事態が起こった。

後継者の行ったかつて無い大規模ジャンプ時の負荷が後継者側の計算を遥かに上回り、パーツであるユリカにも多くの負担をかける。
その負荷が遺跡から切り離された時に、一気に彼女の脳に襲い掛かって来たのだ。
パーツだからこそ耐えれた負荷は、人の身に戻されたユリカにはあまりにも大きく、尚且つ彼女はあまりにも遺跡と結びつき過ぎていた。

結果、ユリカは壊れてしまい、残されたのは体だけ。
かつてのミスマル・ユリカの人格は消え果て、残っているのは幼い人格を依代とした抜け殻。
残酷な事実を知らされた時、ルリは声も出せずに涙を流し、父親のコウイチロウは失意のあまり膝を付いた。

昔の仲間、ナデシコAのクルー達が絶えず看病に来たがそれでも何の変化もみられなかった。
そして1年の月日が経ち、未だクルー達の足取りは絶えないものの、病状は一向に改善の兆しすらみせない。

 ユリカ自身の心身と、彼女の『家族』の精神をゆっくりと摩り減らしながら、時だけが緩やかに過ぎ去っていった。












ふと、ユリカは目を覚ました。
カーテンから見える外の風景はまだ漆黒の闇に包まれている。
室内も、入り口の上にある小さな常夜灯だけだ。

何の変哲も無い夜の風景。
……の筈だった。

 「うー……?」

 否、何者かが病室内に居る。

 「………」

徐々に視界が闇に慣れてくる。
同時に病室のドアとベッドの中間部の位置に立っている人影が、ユリカの網膜に認識された。

 「あぅ……?」

巡回の看護婦の訳が無い。また医者でもあるわけが無い。
何故なら、その人物の姿は異様だったから。

黒いマントを羽織り、その下には漆黒のライダースーツを着用している。
手入れが行き届いていないぼさぼさ頭の下にある顔の上半分は大きなバイザーで覆われていた。

 「……」

すっと男がユリカのベッドに向かって歩き始めた。
ユリカは動かない。只、きょとんとした顔で男の方を眺めている。

普通の人間なら直ぐにナースコールを押すか、悲鳴を上げるだろう。
だが、ユリカは動かない。黙って近付いて来る男の顔を見詰めていた。

 「……ユリカ」

ベッドの側まで歩み寄って来た男の手が、そっとユリカの白い頬に添えられる。
自分を見上げて来る彼女をじっと見返しながら、何度も確認するかの様に頬を撫でる。

「あーう?」
「……!」

バイザーの下で男の眼が見開かれる。
一瞬だけ顔の表面が光り輝き、暗い病室内をほのかに照らした。

「やはり……全て、忘れてしまったのか」
「ふぇ……?」

頭を垂れる男を不思議そうに見るユリカ。
彼の握り締められた拳と、その下に広がるシーツにポタポタと透明な染みが落ちた。
彼女には解らなかった。何故この男が自分を見て泣いているのかを。

「俺の事も、ルリちゃんも、ナデシコの皆の事も。お前の中には、もう存在しないんだな……」
「うー」

絶望を含んだ問いかけ。
ユリカの状態に関しては解っていた筈。それでもこうして逢いに来てしまった。

何処かで期待していたのだ。自分と顔を合わせれば、ユリカが元に戻るのではないかと。
かつての彼女はある意味問題な程、男だけを見ていた。だからこそ、あるかどうかも解らない可能性に賭けた。

 「やはり、1度失われた記憶は、取り戻せないのか……」

男の口から、来る前にくどい程担当医に聞かされた言葉の単語が漏れる。
そう、『失われた記憶は、2度と元には戻らない』と。

人間の脳は高性能で尚かつ非常にデリケートだ。
現に最高クラスの医療コンピューターを持ってしても、脳の機能を完全に解析してコピーすることは未だ不可能だとされている。
それ故にバックアップは効かず、1度機能を喪失してしまうと2度と修復することは不可能。

ネルガル最高の頭脳と呼ばれたイネスの医術を持ってしてもどうにもならない。
幾ら後継者の研究資料を奪取しても、治療法などみつからない。

当然の話である。
半永久的に遺跡へ組み込んでおく予定の『パーツ』に対する治療法など、彼らが考える筈は無いからだ。


 「すまないユリカ」

我が身を闇の世界に堕としでも、乞い願った復讐戦。
戦いの後に残されたのは、血塗られた我が手と壊れて1人ではろくに動かない躰。

それでも妻を奴等の手から解放出来たと感じた時。
良いと思った。それでも良いと。
アイツが再び、平穏に生きれるのならば、自分はそれで構わないと。

しかし、その願いすら叶えられなかった。
あの忌まわしい遺跡から切り離されたのに、ユリカは記憶を無くして人形となってしまった。

 「結局、俺はお前を助ける事が出来なかった……」

 胸の中を満たしていく敗北感。

結局、自分は何も救えなかった。
自分自身も。愛する妻も。囚われていた火星の同胞達も、誰一人として。

 「すまない……すまなかった」

謝罪の言葉を繰り返し、ユリカの躰に縋り付き詫び続ける男。
何故かその姿は威圧的な外観とは裏腹に、とても小さく見えた。






 「ちょっとテンカワ」

通路から良く通る、だがこの上なく冷ややかな声が病室に響く。
黒服姿の女が病室のドアから顔を出して、鋭い眼光で2人の方を睨んでいた。

「そろそろ時間切れよ」
「……もう少し、もう少しだけ待ってくれ。頼む」

彼は振り返らず、声だけを絞り上げる。
男の嗚咽混じりの懇願に、女は返事をせず肩だけを竦めてドアを閉じた。







病室から音が消えた瞬間、男の身体がブルブルと震え出す。
そしてユリカは強い力で覆われた。

「ユリカ……ユリカ……ユリカァ!」
「うぁ……?」

いきなりきつく抱き締められ苦しげにしながらも、ユリカは暴れたり拒否したりしなかった。
それどころか、何か懐かしささえ感じていた。自分の覚えの無い時間に、この腕で抱き締められた事があったかの様に。

「すまない……俺が、俺が無力だったばっかりに。お前を、お前を自分の手で救おうとしなかったばっかりに!」
「うーう……」

男の顔は大きなバイザーで隠されている。
だが、その下で凄まじい奔流を見せるナノマシンの紋様と、バイザーの隙間から流れ出る涙が、この男の悲しみを示していた。

 「許して……許してくれ……!!」

自分を抱き締め激しく嗚咽する男。
だが、ユリカは怯えも戸惑いも見せ無い。
身体が理解しているのか、そっとその両手がマントの後ろ側に回る。

「あーあーう」
「……ユリカ!?」

宥めるように、ポンポンと防弾対刃仕様のマントが叩かれた。
涙にぬれた視線を上げると、ユリカが無邪気な笑みを浮かべながら男の顔を眺めている。

「あー♪」
「…………」

いささかの邪気も、穢れも感じられない無垢な笑み。
そこにはかつて彼女が男に対して抱いていた慈しみも愛情も無い。男の知っている笑顔ではない。
だが、男にとっては何よりも尊かった。守らなければならないものだった。

しかし、守れなかった。
彼女は、心身共に癒し難い程に穢され、壊されてしまった。

 「ユリカァ……」

男の黒い手袋に包まれた手が再び頬に添えられた。
まるでその感触を手に馴染ませるかの様に、愛おしげに撫でる。

ユリカもじっと眼を閉ざし、その愛撫に身を任せていた。
まるでその感触を愛しむかの様に、男の手に自分の手を重ねる。

 「………」

男の手が優しくユリカの顔を上向かせた。
そしてまだ眼を閉ざしている彼女の唇に、震える己の唇をそっと重ねた。






 「んっ……」







時間にすれば、僅か1分足らずの間。
2人は躰を重ね、静かに抱き合っていた。

男は万感の想いを寄せて。
女は拠り所の無い感覚に支配されながら。







やがて、唇が離れた。
ゆっくりと、男がユリカから躰を離し、ベッドから身を起こす。

 「っ………」


 男はバイザーを外し、涙に濡れていた目蓋と頬を袖で拭う。

 「許さない……」

男の唇から言葉が漏れた。
再びバイザーを付ける時に見えた形相、それは修羅の面持ち。
顔の一面が一瞬だけ紋様の輝きで包まれる。
だが、それは哀惜ではなく、怒りと憎悪の奔流。

 「お前と、俺から全てを奪った奴等を……俺は、許さない」

男は呪詛の言葉を吐く。
決して顔を愛しい女に向ける事無く、扉へと歩みを進めながら、

 「絶対に、絶対にだ……!」

血を吐く様な誓いと共に、男は病室を後にした。
致命的に、悲壮な覚悟と決意を胸にして。



















男が決意を固めてから2ヶ月後、火星の後継者の残党はほぼ壊滅状態になる。
そしてその最後の戦いの最中、怒りと憎しみと悲しみに身を焦がした男が戦場で果てた。

 幾多の死闘で傷付いた男の黒い鎧は、まるで頃合を見計らう様に宇宙に散華したという。

















「久し振りね、元気だった?」
「あー」

 その女性、エリナ・キンジョウ・ウォンが姿を見せたのは、『後継者』が壊滅してから数日後の事だった。

幾分やつれた顔立ち、そして痛々しく腫れた両目。
会長秘書として、キャリアウーマンの頂点を極めた女傑の面影は無い。

エリナにもユリカは無邪気な笑みを浮かべて迎えた。
だが、エリナの表情は凍っている。まるで何かの所為で自身の感情が凍り付いてしまったかの様に。

 「貴女に、渡す物が有って来たの……受け取って頂戴」

エリナがすっと手を差し出し、ユリカに何かを手渡す。
それは小さな指輪ケースだった。

 「うー……?」

覚束無い仕草でユリカがケースを見て、エリナの方を見る。
エリナはユリカの持っているケースに手を伸ばすと、蓋を開けて見せた。

 「あー」

中に入っていたモノ。
それはプラチナの指輪だった。

「これを渡せとは言われていないけど、貴女がもっていた方が彼も喜ぶと思うから……」
「んー?」

訳が解らないという風に首を傾げて見せるユリカ。
確かにそうだろう。見覚えも、記憶にも無い物を手渡されたとして、どう反応すればいいと言うのか。

ただし、今のユリカには過去は無い。
そして、今のユリカにとっては他人とは何の意味も持たない存在なのだ。

「うー」
「………」

 中の指輪を取り出し、掌の中で玩ぶユリカを見ていたエリナの肩が。

 「艦長……」

 細かく痙攣し、その震えは全身へと広がっていく。

 「お願いよ……あの人を、アキト君の事を……思い出して頂戴」

涸れ果てるかと思う程涙を流した両目から、再び滴が流れ落ちていく。
泣いている。男と張り合う事だけを考え、直向に自分の道を突き進んでいた彼女が。
只1人想いを寄せた男の事を悼んで泣いている。

 「他の事はいいわ……せめて、せめてアキト君の事だけでも!!」

エリナの顔を構成していた仮面が崩れていく。
その下にあるのは悲しみ。ひたすらな、悲しみの感情があった。

「貴女に……貴女に忘れられたら……アキト君は、一体、一体何の為に戦ったのよぉ……!!」
「あぅ……?」

そのままユリカの胸に顔を押し当て、エリナは号泣した。
抱き付かれたユリカは戸惑う様に指輪とエリナの双方を見ていたが、ふと、指輪を見たところで動きを止めた。

 「あー……う」

掌の中にあるプラチナの指輪。
ユリカの視線が真っ直ぐに注がれる。

そしてユリカの視線がある箇所で止まった。
指輪に刻んである、小さなイニシャルの文字列に。
リングの僅かな装飾の間にある一行の文字。そこには、



 「うっ……あっ……」

 『AKITO』

 と、刻まれていた。



 瞬間、ユリカは眼を見開き。

 「ああぁ…………うぁ、あああぁぁぁー!!」

 天井を見上げ、絶叫した。




 (す、するぞ……結婚!)

  どくん。
ユリカの中で、何かが動いた。

 (本当はお前の誕生石とかにしたかったんだけどな……ごめん)

そっと薬指に填められるプラチナのリングの感触。
頭が痛い。心臓がどくどく波打っている。

 (ま、馬子にも衣装って……しょうがないだろ! お、俺はタキシードなんて着たの、初めてなんだからっ!)

胸が、心臓が熱い。
目が霞む。目の前の女の人が何か叫んでいる。

 (向こうに着いたら、親父とお袋にも挨拶しような)

解らない、わからない、ワカラナイ。
頭が痛い、あたまがいたい、アタマガイタイ。



タスケテ、たすけて、助けて……!
助けて、              !!



 意味も解らず叫び続ける。

 「艦長! しっかり、しっかりして! 看護婦さん、艦長が……!!」


遠くから聞こえるその声を最後に。
幼児であるユリカの意識は闇の中へと沈んでいった。










アキトが戦死してから1ヶ月後、ユリカの容態は悪化の一途を辿っていた。
まるでエリナの来訪を境に止まった時が進みだしたかの様に、ずっと小康状態を保っていた彼女の体が衰弱し始めたのだ。
あの時以来意識は戻らない。体力は段々と磨り減っていき、躰は更に痩せ衰えていく。

主治医のイネスを初めとする医師達は考え得る限りの治療法で施療を行ったが、悪化した病状を打開するには至らない。
打つ手は何も無くなり、イネスはアキトを治療した時に感じた絶望を再度味あわされる事となる。

 昏い表情のまま、イネスはコウイチロウに対して最後の言葉を通達する。

 「艦長の……お嬢さんの躰は、非常に危険な状態にあります。無論、最後まで最善の治療は行います……ですが」

 静かな医務局の空気が凍り付き、イネスはカラカラに渇いた喉を必死に動かして言葉を紡いだ。

「後1カ月が山場です……覚悟は、しておいてください」
「……なんたる、事、だ……!!」

非情と言える宣告。
ガクリと膝を床に落とし、コウイチロウは喉から言葉を搾り出す様に呟いた。

 「……あの子は記憶を無くし、夫にも先立たれた」

 怒号と共に、拳が床に叩きつけられる。

 「これ以上、これ以上命さえも失わなければならないと言うのか!!」

愛娘を襲う、これ以上無い程の残酷な現実。
嘆くコウイチロウに、かけるべき言葉などありはしない。
イネスは辛そうに、コウイチロウから視線を外した。






更に十日が過ぎたある日の事。
その日は偶然、彼女の父親も義理の娘も、仲間達も病室に訪れて居ない日だった。


ずっと閉ざされたユリカの目蓋が、ゆっくりと開く。
上半身が起き上がる。力の入っていない、頼りない動きだったが彼女は久方振りにベッドから自力で起きたのだ。

 「………」

病室内を見渡す。
もちろん誰も居ない。
僅かな空調の音と、ベッド脇に設置してある医療器具が奏でる単調な電子音だけが室内を支配していた。

 「?」

ユリカは病室の窓の方を見遣った。
彼女の視線の先に映っていたのは、何時も暇があれば眺めていた川原と小さな丘。
暫くじっと眺める。彼女の網膜には、風にそよぐ野花の群れが見えた。

 「………ナデシコ」

 

 そう、とても綺麗な撫子の花が。

無言でユリカはベッドサイドに置いてあった、指輪を握り締めた。
静かにベッドから降りると、まるで産まれたての子馬の様にふら付く足を必死に動かして歩き出す。

ユリカはややびっこを引く感じで、病室のドアに近付いていく。
常人ならば気にも留めずにこなせる運動を、ユリカは数倍かけてこなす。
 

 「うっ……あっ……」

震える手と腕を必死に御しながら、ドアノブへと腕を伸ばす。
ノブを掴み、ゆっくりと捻っていき。
   

 がちゃり。

 

 そして、扉はゆっくりと開いたのだった。







ふらふらと覚束無い足取りで、ユリカはあぜ道を歩いていた。
此処暫く雨が振っていなかった所為か、空気はカラリとしている。
まだ梅雨とも言えるこの時期に、珍しいともいえる天気だった。


どう やって病室を、病院を抜け出せたかは覚えていない。
彼女は遺跡から助け出されてからまともな思考状態になった事はないのだ。
いや、無い筈だった。あの指輪を渡されて、自身の内部に何かが沸き立つまでは。



丘と川原は病院の敷地内にあり、遊歩道も設置されている。
病棟から100m程なので、具合の良くなった患者の散歩道にもなっているのだ。

やや熱気を含んだ強い風が青みのかかった黒髪を後ろへと攫っていく。
幸い、遊歩道には誰も居なかった為、ユリカの歩みを咎める者は居ない。







やがて丘の上を通り過ぎ、ユリカは川原の花畑の中に居た。
初夏の折、川原には美しい野生の撫子の花が一面に群生している。
 

 (撫子……の花)

力尽きたかの様に座り込み、やや丈の長い撫子の花に半分埋もれるユリカ。
消毒液の匂いしかしない病室とは違い、咽るほどの花の香りに満ちていた。

(ほらアキト。花輪が出来たよ〜)
(お、おい頭に載せるなよっ。僕は男だぞー!)
(男の子でも良いのっ。アキトはユリカの花輪が嫌いなの〜!?)
(そ、それはその……っておい泣くなよ……)

とても、懐かしい香りだった。
紅い故郷の星の花畑で、トウキョウシティーの端にある河川敷きで。
そう、ユリカはこの香りを楽しみながら、花輪を作ったのだ。
 

 (花輪……)

 

 周りに咲いている撫子の花を一房引き抜くと、花と茎を互いに組み合わせながら花冠を作り始める。

 

 (撫子の……花輪)

 

 記憶を持たない筈の彼女が、何故か既視感に捕らわれていた。

(上手でしょ? 火星のお花畑で良く作っていたから得意なんだ♪)
(お前は何故、料理はあーなのに、こういうのは得意なのかなぁ?)
(むー、酷いよアキト〜。ユリカだって練習すればどうにかなっちゃうんだから!)
(でも、それまでに私達の胃が持たないと思います)
(あっー! ルリちゃんまでそんな事いうんだ〜プンプン!)

手の中で幾重にも織られていく撫子の花冠。
程好い大きさまで織重ね、そっと静かに頭に乗せてみる。
 

 「……」

自分の頭にぴったりと納まる花冠。
ユリカは完成した花冠をそっと押さえながら、躰をそのまま仰向けに倒していく。
 

 (三の字……で、お昼寝)

とても懐かしい感じ。
確か、あの人が真ん中であの子が私と反対側。

(お前は寝相が悪いからな、ルリちゃんが潰れたら大変だろ?)
(ユリカ、そんなに重くないもん!)
(……そーいう問題じゃないだろ?)

何だかんだ言いながら、休日には川原や窓を全開にした部屋の中でお昼寝をした。
温かい日差し、外から聞こえる子供達の声。全てが穏やかに流れる毎日。


気が付くとユリカは泣いていた。
有り得ない筈だった。何かを想って泣く感情など、今のユリカには存在しない筈なのに。
だが、彼女は自分の意思で泣いていた。失われていた想いに涙を流していた。
そう、何故ならば、
 

 「やっと……」

思い出せたのだ。
失った大切なものをやっと思い出せた。
 

 「アキト……」

今なら、脳裏に鮮明に思い出せる。全ての記憶、そして彼女の想いを。
ユリカはようやく、失った物を取り戻したのだ。



 

 「アキト……?」

 それは夢か幻か。

何時の間にか、彼女の隣には愛する男が横たわっていた。
ユリカの頭の下に自分の腕を通し、からかう様な目付きでこちらを見ている。

 「ユリカ」

彼の発した声に、ユリカは何も言わず微笑んだ。
腕枕に顔を寄せ、甘える様に彼の顔を見上げながら。

アキトもまた微笑み、彼女をそっと抱き寄せて頬に口付ける。
格好は相変わらず無粋な黒マントのままだったが、表情は憑き物が落ちたかの様に柔らかい。


「やっと、逢えたね」
「ああ、待たせてすまなかった」
「もう、何処にもいっちゃ嫌だよ?」
「解っている。お前の側にずっと居るよ」
「ありがと、私の旦那様……」

ユリカの持っていた指輪は、何時の間にかアキトの薬指に戻っていた。
同じ様にユリカの薬指にも、失われた筈のプラチナの指輪が輝いている。

 「ずっと、一緒だよ」

2人の手が、静かに重なり合い、指同士が絡み合う。
そして          


















急に病室から姿を消したミスマル・ユリカは、病院近くの川原の撫子が群生している場所で見つかった。
初夏の風に揺れる撫子の花々に包まれ、まるで眠るかの様に息を引き取っていたという。



 

 第一発見者の看護婦は後に後述している。












 

 ユリカの寝姿は、まるで花畑の中で眠る白雪姫の様だったと。






















  THE END

























言い訳後書き






全身から己の活動源力   『妄想分泌汁』を噴出しながら、自動投稿作家takaは叫ぶ。


「……あああ、そんな……だ、代理人様ぁぁ〜〜お……お許しください……白痴ネタを使ったのは、takaの、takaの本心ではないのです…! 代理人様ぁぁ!!」



 

 

代理人の感想

「ふ・・・・おばかさんなtaka。

 おまえは終に使ってはいけないネタを使ってしまったのさ・・・・・

 自分の生きたネタを手放して二次創作が存在できるもんか・・・・

 お前はもう・・・・おしまいだよ」

 

 

 

 

まぁ、随分前なんで多分読者の半分以上置いてけ堀なネタはここまでにして。

取りあえず読んで泣け。