信じられない。
アキトさんは、あんなにも追い求めた女性を諦められる、とそう言ったのだ。
それなら、何のためにあんなボロボロになってまで戦ったんですか?

わからない。わからない。 わからない。 アキトさんの居場所を聞いて、そしてあの人が血を吐く思いでどれだけの努力をしてきたのかも聞いた。
一部映像も残っていた。それも見た。
でも、あの人はユリカさんを諦める、とそう言ったのだ。

わからない。わからない。 わからない。 気がつくと、あの公園にいた。
昔、よく三人で屋台を出していた、あの公園。
よく考えてみると、今のアキトさんが住んでいる場所はあのときに住んでいた場所にとても近い。

「やっぱり、諦めてないんじゃないですか…」

口をついて出た言葉。
雨が、ざあざあと降っている。
私に、何が出来るだろう?
本当に、もう、あの頃には戻れないのだろうか?
あの人は、今、ラピスという女の子をを引き取って育てているらしい。
ラピス…ラピス・ラズリ。
私と同じ、マシンチャイルド。
アカツキさんたちの話では、アキトさんはその子の前でだけ昔のような表情をするようになったという。
私が何もすることが出来ない間、ラピスという子は、その子だけは、あの人の笑顔を取り戻すことが出来た。

「…私は、何も出来ない?」

六月の雨は、なんとなく苦い。
本当に、私は何も出来ないのだろうか?
私は、戻りたかった。…いいえ、やり直したかった。
楽しかった、あの短い時間を、私はただやり直したかった。
それは、かなわない望み?
ただただ呆と、灰色の雲を見上げる。



…どこだろう?
この近くでルリちゃんが行きそうなところは、どこだろう?
走りながら考える。
傘もささず、ただ走って出て行った。
走る。捜す。
とりあえず、そのことに集中する。
五分ほど走って、空を見上げたまま立っているルリちゃんの後姿を見つけた。

「…ルリちゃん」

呟くように呼びかけた。
その言葉にびくっと身体を震わせることで、ルリちゃんは反応した。
聞こえたみたいだ。

「…とりあえず、部屋に戻ろう?そのままじゃ、風邪引くよ?」

「…私は、何も出来ないんですか?」

「え?」

「私は、あなたに、何もしてあげることが出来ないんですか?」

「…どういう意味だい?」

その言葉にゆっくりとルリちゃんはこちらを向く。

「ラピスという女の子を引き取っているそうですね?」

「…ああ」

「アカツキさんたちは言ってました。その子の前でだけ、あなたは昔の顔をするようになったと」

…そうなのだろうか?俺には、よく、分からない。

「私が、何も出来ないでいる間、その子は、その子だけはあなたの笑顔を取り戻すことが出来たんですよね?」

「…」

「私は、ただ、昔に戻りたかった。…過去は取り戻せません。でも、やり直すことは出来ると、そう思っているんです。あなたがどれだけ努力をして、あれほどのことをやり遂げたのか、私は聞きました。あれだけの努力をして、どうして諦めてしまうんですか!!」

語気を荒げて、俺に感情をぶつける。
この娘は本当に、よく感情を表に出すようになった。

「…『アマテラス』を襲撃した時、俺は思わず笑っていた」

「…」

「後々になって考えてみるとね、あの時考えていたことは、『これで復讐ができる』ということだったんだよ。『これでユリカを助けられる』じゃなくてね」

…ケジメはやはりつけるべきなのだろう。どちらに転ぶとしても。

「いくつかコロニーを襲撃する間俺が追い求めたのは、『ユリカ』ではなく『遺跡』だった。俺は、きっと無力だった自分に対して自分の力を証明したかったんだと思う。奪われたものを取り返すだけの力があると」

「ユリカさんはどうでもよかったって言うんですか?」

底冷えのする声。でも、俺はここで話さなきゃならない。

「どうでもよくはない。取り戻そうとは思っていた。けどね、一番の優先事項じゃなかった」

「一番の優先事項は、なんだったんですか?」

「…『巻き込まないこと』だよ」

「……え?」

心底わからないというように、きょとんとした表情をしている。やっぱり、この娘は感情を表に出すようになって、とても可愛くなった。
…義娘と思えなくなるぐらいに。

「正直なところ、俺は一人で全てのカタをつけたかった。アカツキやエリナには散々無理だと言われていたけどね。俺は、なるべくなら誰も、そう、誰も巻き込みたくはなかったんだ。一番巻き込みたくなかったのは…ルリちゃん、君なんだよ」



その言葉を、どう捉えたらいいのだろう?
自分では答えが見つからなくて…というより、頭が真っ白になって考えられなくなって、機械のように簡単な質問を返す。

「どうしてですか?…どうして、私を巻き込みたくなかったんですか?」

答えは分かっている。
『義娘だから』と、そう答えることは分かっている。
でも、私は聞かずにはいられなかった。

「…大事な人だから、だよ」

それほど間をおかず、言葉は返ってきた。
でも、曖昧。私は、きっと別の言葉を望んでいる。
だから、続ける。

「…義娘として大事、ということですか?」

さっきより長い間。けど、決心したようにアキトさんは口を開いた。

「…違うよ。一人の女性として、大事なんだ。だから、巻き込みたくなかったんだよ」

瞬間、本当に頭が真っ白になった。スパークするというのはこういうことを言うのだろう。まるで、閃光弾が頭の中ではじけたみたいに。
周りの映像が頭の中に入ってくるようになって気づいた。
アキトさんの暖かい腕。
私を、強く、ぎゅっと抱きしめている。
また、頭の中が真っ白になる。
でも、今度はすぐ元に戻った。

「アキト…さん?」

「ごめんね。はっきりしなくて。でも、俺が一番大事なのは、ルリちゃんなんだよ」

雨で濡れて、冷え切っているはずなのに、暖かいと感じるのはどうしてなんだろう?
ぼんやりと、そんなことを思う。
頭が麻痺している。
…こんなこと、今まで経験したことはない。
けど、不快じゃない。
…むしろ、心地いい。
ああ、そういえば、朝から昔のアキトさんのままだ。
優しい笑顔、優しい声、そして温かい腕。
私は、取り戻していたのだろうか?
昔のアキトさんを。
私は、見てもいいのだろうか?
昔、一度、諦めてしまった、その夢を。

そして、私は、彼の腕の中でただ泣いた。



部屋に戻ると、ラピスがおきていた。
目の周りが腫れている。
起きて、そこに俺がいなかったから不安だったのだろう。
今までも、何度かこんなことがあった。
ラピスをなだめて、服を脱ぐことにする。
シャワーは先にルリに使わせることにした。
身体の芯まで冷え切ってしまっている。…これは、風邪を引いてしまうかもしれない。
『火星の後継者』と相対していた頃、俺の身体は過剰投与されたナノマシンのおかげか、抵抗力が非常に高くなっていた。
身体はボロボロではあったが、病気という病気はしていない。
だが、その過剰投与されたナノマシンを取り除き、制御できるようになると、抵抗力は人並みに落ちてしまった。
それでも、医療用ナノマシンのおかげで普通の人よりは若干抵抗力が高い。
バスタオルでガシガシと頭を拭いていると、ホットミルクを飲んでいたラピスが、マグカップを持ったままこっちを見ている。

「どうした、ラピス?」

「アキト、うれしそう」

「…そうか?」

「うん。きっと、いちばん、やさしいかおしてる」

流暢に言葉を話せないラピスが、たどたどしくそんなことを言う。
そんなに俺はうれしそうにしているのだろうか?

「ルリがいるから?」

小首を傾げて、こちらに問う。
こういう仕草は掛け値なしに可愛い。
…といっても俺はロリコンではない。断じて。

「…そうだな。そうかもしれない」

内心の照れくささもあいまって、そっけない言葉を吐く。
ことっとマグカップをテーブルに置き、とてとてとこちらに向かって歩いてくる。
スウェットのすそをくいくいと引っ張りながら、ラピスは悲しそうな顔をして、聞いてきた。

「わたしより、ルリがだいじ?」

「ラピスも大事だよ。でも…そうだな、ラピスの『大事』とルリの『大事』は違うかな」

ラピスは首をかしげる。

「…よくわからない」

「ラピスもルリも同じぐらい大事だよ」

ということで妥協した。頭をなでてあげると、猫のように目を細めてうれしそうにする。
最初は頭をなでられるのを嫌がっていたが、最近では進んで撫でてもらいたがるようになった。
それで納得したのか、またソファーに戻ってホットミルクを飲み始める。
猫舌のためにゆっくりなめるように飲むので、飲み終わる頃にはすっかり冷めてしまうのが常だが。

「コーヒーでも飲むか」

一人ごちて、キッチンのコーヒーメーカーに向かう。
確か、まだ豆は残ってたはずだ。



熱いシャワーが身体を伝う。
六月の雨で、冷え切ってしまった、この身体。
外側から、熱がじわじわと侵食する。
その様が心地いい。

ユリカさんのことが気にならないと言えば嘘になる。
でも、今は自分の感情を制御できない。
私は、いつからこんなに現金な激情家になってしまったのだろう?
昔は、もっと冷静だった気がする。
…でも、これでいいのだ。
私は気づいてしまった。自分の思いに。
いいえ、最初から気づいていた想い。
『あの日』、閉じ込めたはずの、この思い。
永遠に見ることはかなわないと思っていた夢。
夢…まるで、夢だ。
一度諦めてしまった、過去の夢。
でも、それをもう一度見てもいいと、あの人は言ってくれた。
それなら、何をためらう必要があるだろう?
私は、あの人がいれば、それでいい。
あの人がいれば、生きていける。
もう二度と、絶対に、あの人を放したりはしない。

くす。

思わず、笑みがこぼれる。

「…もう逃がしませんよ」

きゅっと音を立てて、お湯を止める。
脱衣所には洗い立てのバスタオルと少し大きめのスウェットが置いてあった。
きっとアキトさんのものだろう。
着てみると、どうしても裾を引きずってしまうし、袖から手が出ない。
捲り上げて誤魔化すことにした。
バスタオルで髪を拭きながら、リビングに出る。ソファーにはマグカップを持ったラピスがいて、アキトさんの姿は見えない。

「どこにいるのかしら…」

呟くと、ラピスが反応した。

「コーヒー、つくってる」

それならと思って、ソファーに向かう。ラピスに目で隣に座ってもいいかどうか聞くと、無言でうなずいた。
了承ととっていいだろう。
すこし経って、コーヒーの香ばしい香りが漂ってくる。
不意に、ラピスがこちらに話しかけてきた。

「ルリは、アキトのことどうおもう?」

マシンチャイルドだったせいか、ラピスはあまり他人に心を開かない。
情操面では昔の私よりもひどいものだったらしい。
けど、私にはすぐに打ち解けてくれた。
…どうしてだろう?やっぱり、似たもの同士だから?

「好きですよ」

即座に口をついて出る。
自分で、少し驚いた。こんなにはっきり言えるとは自分でも思わなかったからだ。
でも、後悔はない。
…少し、いえ、かなり恥ずかしいですけど。

「わたしもすき」

にっこりと笑って、ラピスは臆面もなく言う。
…これは強敵かもしれません。

「でも、きっとアキトはルリのことがすき。わたしのことをすきでいてくれるけど、すこし、ちがう。さっきいわれて、なんとなくわかった」

ゆっくり、整理しながら話している。
あまり会話というものに慣れていないのかもしれない。

「アキトさんはなんて言っていたのですか?」

「ラピスの『だいじ』とルリの『だいじ』はちがうって」

「そうですか…」

やっぱり、うれしい。

「わたしはアキトのことが『だいじ』。でも、さっきからルリがいてアキトはもっとおだやかになってる。すこしいやだけど、だから、わたしもルリのことが『だいじ』」

私は、横に座っているこの幼い少女を、ただぎゅっと抱きしめた。
驚いた顔をしているけど、嫌そうではなかった。
だから、そのまま、アキトさんがくるまで抱きしめていた。



実をいうととっくにコーヒーは出来ていたが、なんとなく出づらかった。
そのまま簡単な朝食でも用意しようと思って、キッチンにい続けている。
まあすぐ隣だし、リビングの会話は全部筒抜けだ。
正直、ラピスがあんなことを言うとは思わなかったのだが、反面、うれしい。
心持ち少し機嫌がよくなって、ハムエッグの卵は二つにすることにした。

見計らってリビングに呼びかける。

「朝ごはん出来たよ。ルリも食べていくよね?」

自然と、『ちゃん』はとれていた。
きっと、自分の中でもある程度のカタがついたということだろう。
ルリはうれしそうに頷く。
一人前の女性として扱っていることが嬉しいのか、それとも一緒に朝食をとるということが嬉しいのか、判断はつきかねた。
三人で食べる朝食がとてもおいしくて、自分でも驚いた。
なにより、ルリがいるだけでこんなに味が変わるということに。
俺は、よほどルリを求めていたのだろう。
いまさらながら気づく、自分の愚かさ。

いまだに俺はテロリストとして指名手配を受けている。
といってもいまだに戸籍上は俺は死んだことになっているし、そう簡単には見つけられないだろう。
ネルガルはその事に関しては傍観を決め込んでいる。
さすがに俺もそこまで迷惑をかけたくもないので、文句はない。
一応シークレットサービスに所属はしているが、身分証その他ほとんど偽造されたものだ。

罪は、消えない。
『火星の後継者』を落とす際に、俺は万単位で人を殺した。
その罪は永久に消えることはない。
そんなことははじめから分かりきっていたことだ。
だから、俺の残りの生は守ることに使おうと思う。
そんなことでは贖いにならないことは分かっている。
それでも、そうしたい。
せめて、そばにいる人だけでも、俺は守りたい。
ユリカは大丈夫だ。俺がいなくてもおじさんがしっかりしている。
だから、大丈夫だ。第一、今の俺にはユリカを守る理由がない。
俺が今守りたいのは、ルリとラピスの二人。
だから、それが出来れば今はそれでいい。
短いかもしれないけど、夢を見ていたい。
刹那でも、幸せを感じられる永い夢を。

気づけば、雨はあがっていた。
ところどころ雲間から光が溢れている。
日中は珍しく晴れるかもしれない。

「ルリ。行こうか」

そう呼びかけて、手を伸ばした。

〜Fin〜


後書きという名の駄文


はじめましてtatsuというものです。
今回、二次創作というのを初めてやってみました。
ところどころ無理があったり、ありえねえよこんなのという部分が多々あるかもし知れませんが、大目に見てくださると嬉しいです。
あと、一つ。
ここで書いた話はオフィシャルの細かい設定とかほとんど無視してます。
のでラピスが本当に猫舌なのかは知りません。なんとなくイメージで書いてみました(笑)。
ところで、私は非常にそれはもう完膚なきまでにルリ×アキト派です。
ありえない、とかそんな言葉には聞く耳持ちません(笑)。
ですので、もしルリ×アキトの良作などあれば教えてくださると嬉しいです。
ちなみに個人的にユリカは好きではありません。
まあ、この話でのユリカの扱いを見れば分かるかもしれませんが。
ただ、言わせていただければ、テレビでのユリカの『動かし方』があまり好きではないのであって、キャラ的には嫌いではないです。
もしかしたら、そのうち気まぐれでユリカものも書くかもしれませんね。
勿論感想も随時受け付けております。
ということで、ここまで読んだ下さった方に感謝の念を。
どうも、ありがとうございました。

 

 

 

代理人の感想

綺麗にまとまった作品でした。

あとがきできっぱりはっきり言いきってらっしゃいますので

カップリング自体について云々するのは避けますが(笑)、

アキト×ルリの場合、ユリカについてはやはりブッ殺した方がいいかなと思いました(爆)。

 

今回のユリカの症状もルリ至上主義の人には気にならないのでしょうが、

そうでない人にとってはやはり「ルリをヒロインにするためにユリカを貶める」たぐいに見えます。

死んでるとか記憶を失って回復の見込みが全く無いとか、そういった不可抗力ならまだいいのですが

不可抗力に寄らずしてユリカとアキトとが離れる場合、

どうしても(アキト×ルリでない)読者はそこに作者の作為を見てしまうわけです。

アキト×ルリを書く場合、そう言った読者を置いてけぼりにするのを承知の上ならともかく、

そうでないならそこらへん気をつけたほうがよろしいかと。

 

 

追伸

言い忘れましたが誤字がちょっと多かったです(爆)。