「ごめんねえジュン君、いつもいつも」

 毛先に軽くカールのかかった藍みがかった長い黒髪をたたえた妙齢の女性が、その髪を揺らしながらにぱっという罪のない笑顔で両手を合わせている。

「うう、うん、だいじょーぶ、だよーユリカー」

 ぜんぜん大丈夫そうに聞こえない同い年ぐらいの男性は、お世辞にもたくましいとはいえないその腕で身の丈並みの衣装ケースを抱えながら、よたよたと歩いていた。こういう構図でなければ、柔らかめの黒髪に女顔、二人同時にナンパされてもおかしくないぐらいの美形である。
 ラフな私服姿から、この二人が今年度の連邦士官学校の主席と次席であるとは想像はつかないだろう。
 主席の彼女は極東方面軍の名門ミスマル家の令嬢、ミスマル・ユリカ。
 次席の彼はこれまた名門アオイ家の令息、アオイ・ジュンである。
 もうかれこれこんな感じで10年近くのつきあいになる。

「でもねーユリカー」
「ん? なぁにジュン君?」

 荷物の向こうから切れ切れにしゃべっているので、荷物がしゃべっているのかジュンがしゃべっているのかよくわからない。

「ユリカが待ってる白馬の王子様はー、こんな風に荷物は持ってくれないと思うよー?」

 ほえ? とユリカがきょとんとする。
 最初にジュンが知り合ってから、ユリカはずーっと、『白馬の王子様』を待ち続けているのだという。
 火星開拓師団を率いていたミスマル・コウイチロウは、ユリカを産んだ妻を早くに亡くしている。それ以来、蝶よ花よと大事に大事に育てられたユリカは、天真爛漫なその性格の内側で、箱入りの自分をどこかに連れ去ってくれる力強い白馬の王子様を求めるようになっていた。
 ……もともと、天真爛漫で想像力豊かな子供だったおかげで、いまやその想像上の白馬の王子様はすさまじい勢いで成長を遂げているらしい。

「いいの。たとえ夫婦の間でも、必要以上に干渉しないのは最低限のルールなんだから」
「……ユリカー、それ絶対何か違うよー」

 報われない男だと同情されつつも、ユリカ以上に現実を見なければならないのは実はジュンのほうなのかもしれない。
 だが、それは無理な話だ。
 昔から、恋は盲目、とはよくいったものである。

「さぁて、それじゃ気合入れなおして午後のバーゲンいってみましょーっ!」
「……まだお買い物するのー?」

 手ぶらで元気一杯のユリカに向かって、さすがのジュンも泣きそうな声を上げる。

「あ、そっか。ジュン君もお疲れだもんね。じゃ、お茶にしようか」
「ううう、そうしてくれるとありがたいよー」

 強引にマイウェイを突き進む割に、こんな風に細かいことに気配りもできたりする。
 ただ甘やかしただけではないという、コウイチロウの教育方針が垣間見える一瞬だ。
 一つだけ問題があるとすれば、気配りはできても気遣いはできないということだろうか。
 ジュンは、こういうユリカの美点をよく見ているからこそ、振り回されることを許容できるのだが。
 いい天気なので、近くのオープンカフェの店外の席につく。
 ユリカはアールグレイのミルクティ、ジュンはアイスコーヒーを注文した。

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅっ、やぁっと落ち着いた」
「あはは、疲れた?」
「さすがにね。ユリカだって、コウイチロウおじさんの勲章全部つけた礼服を肩から羽織ってごらんよ」
「……それは重たいかなー、ちょっと」
「ちょっとじゃすまないよ」

 へばりながらちうちうとアイスコーヒーをすするジュンを見て、ユリカが笑っている。
 にこにこしているユリカの目の前で、つられて笑わないようにするのは結構至難の業だ。
 ただ、今のジュンは苦笑しか浮かべられないが。

「それにしても平和になったねぇ。この街もだいぶ復興してきたし」

 ユリカの呟きを聞きながら、ぼんやりとジュンが見回している光景。
 どの建物も真新しい。
 それもそのはずだ。つい2年前まで全地球圏で起こっていた一年戦争、加えて地底文明圏や異星人相手の侵略戦争で極東地区は大混乱に陥っていた。日本という国が崩壊する直前のところぎりぎりで踏みとどまっていたのだ。
 それだからこそ、この平和な光景がとても大事なものだと思える。
 ただ軍人の家系に生まれただけで、ジュンやユリカは今の人生を選んだわけではないのだ。

「この平和、守らなくちゃならない」
「そうだね」

 少しだけ居住まいを正して、ジュンがつぶやく。一つうなずいて、ユリカはミルクティを飲み干した。

「でも、ネルガルはどうしてこんな時期に戦艦を運用しようとしてるんだろうね?」

 ユリカが唐突に首をかしげながらこんなことを言ったのを聞いて、ジュンがあわてる。

「ちょちょちょ、ユリカっ、こんなところでまずいよその話は」
「ほえ? あ、そっか〜あはは」
「あははじゃないって。極秘プロジェクトだって、言われてただろう?」

 ネルガルの新造戦艦を、軍に卸すのではなく、ネルガルが私的に利用するためのプロジェクト。それが、スキャパレリプロジェクトである。
 ユリカとジュンは、その戦艦の艦長と副長として、ネルガルにスカウトされていたのだ。
 ネルガルの交渉人(ネゴシエーター)、プロスペクターのスカウトを承諾したとき、ユリカもジュンも説明は受けている。
 新造艦の艦長と副長に才気豊かな若者を登用する。聞こえはいいが特定の軍閥からの干渉をなるだけ避けようとするネルガルの計算も多分に含まれているのだ。そうでなければ独立行動する戦艦の運用に、こんな素人を使うわけがない。
 ずいぶんと順番が変わったが、今日の買い物はその新造艦に向かう準備のためだったのだ。決してユリカの趣味だけではない。

「まぁ、どうしてかはわからないけど、少なくともこの地球のために何かできる力を手にしたことは間違いないよ。武門の誉れ、なんて言うつもりはないけれど、軍人の卵としてはうれしいね、正直」

 こういう台詞を聞けば、ジュンも立派な士官候補生であると万人が認めるだろう。
 ただ、ある意味一番認めてもらいたい目の前の女性……ユリカは、そんなジュンの台詞に眉をひそめていた。

「ジュン君」
「ん? 何?」
「その話、私以外の人にしちゃだめだよ」

 やや三白眼気味に、大きな瞳を節目がちにしている。
 こんな表情のユリカは、物事の本質を今あるものから錐の鋭さで抉り出す洞察力を示す。戦術シミュレーション無敗を誇る『天才戦術家』の顔なのだ。
 ほんの少しのほころびも見逃さず、常人では考え付かない方法で蟻の穴から堅牢な城塞を切り崩す。卓抜した能力である。
 ただ、与えられた情報の矛盾や特異点を見出すことには他者の追随を許さないが、その視点をマクロに広げるのはやや苦手だ。だから、士官学校の教授達は彼女を戦術家と評しても戦略家とは呼ばない。むしろ、そういう能力はジュンの方が上だという意見もある。
 なんにせよ、そんな能力は彼らが実戦を経験してなおかつ生き残ってこそ花を咲かせるものだ。今のところはユリカもジュンも経験に乏しい士官候補生でしかない。
 話がそれたが、ユリカはさっきまでののほほんとした雰囲気を一変させ、もうすでに戦艦に乗り込んでいるかのような表情でジュンを見据えていた。

「もし、特機に乗ってるパイロットが今のジュン君と同じことを言ったら、私はその人とお友達になることはできないよ。純軍事的な戦力を『自分の力』だと勘違いしてしまったら、その人は遅かれ早かれ『手に入れた力に飲み込まれる』ことになる。確か、光子力研究所のマジンガーZって、『我が力、魔にも神にもなる』という意味の『魔神我』から取られたって話だよね?」
「あぁ、戦史研究の授業でそんなことを言っていたね」
「あの特機を創った兜博士は、自分が創り出した力が神にも悪魔にもなる可能性を危惧していたの。民間の研究者ですらそう考えていたんだよ? まだ正式任官してないとはいえ、私達は軍人になろうとしているんだから、力を持つことの意味を軽々しく考えちゃいけないと思う」

 諸説紛々あるとは思うが、ミスマル・ユリカという女性は、おおむね軍事的には聡明である。少なくとも、その片鱗はうかがえる。
 ましてや、彼女自身が従軍しているわけではないが大規模な戦争は経験している。人の命とそれを左右できる力に関して、思うことができているのも当然だろう。
 父親はその当時から極東方面軍の重鎮である。コウイチロウの軍人としての名声は内外問わず認められるものだ。
 そこまでの師父がいれば、ダイヤの原石が見事に研磨されても不思議ではない。
 自分が何でユリカに魅かれているのか。
 そんな単純で大事なことに改めてジュンは気づかされていた。

「……そうだね、その通りだ」
「うふふ、ジュン君ならわかってるとは思ったんだけど。一応念のため、って感じかな」

 いたずらっぽく笑うその表情。
 この落差こそ、ミスマル・ユリカなのだろう。

「じゃあそろそろ、ユリカの今日の戦場に赴くとしましょうか」
「うわ、ジュン君もやっとバーゲンを勝ち抜く快感に目覚めたのねっ!」
「……僕がどう言ったところで行くことには変わりないでしょ……」

 苦笑を浮かべながらジュンが伝票を持って席を立つ。
 店内に戻ろうとしたところで、入り口で立っていた男の肩にぶつかってしまった。

「ああ、すみません、だいじょ……」

 うぶですか、と続けようとしたジュンが固まる。
 全身黒尽くめのスーツにサングラスの偉丈夫が睥睨(へいげい)していれば、それも致し方ないところだろうか。

「アオイ・ジュン。我々と来てもらおう」
「ジュン君!」

 ユリカがあわてて声を上げたのと同時に、店の周りから似たような黒尽くめがわらわらと飛び出してきた。
 とっさに飛びのいてユリカをかばおうと思ったのはいいが、それより先に取り囲まれてしまい、ジュンは眉をひそめる。

「なんだ!? 僕を連れて行ってどうしようっていうんだ!?」
「うーん、ジュン君女顔だし華奢だから、もしかしたらアッチ方面の趣味のダンディな富豪のお妾にされちゃうんじゃ」
「……そんなわけないってユリカ……」

 シリアス台無しである。
 だが、そんな場違いなユリカの台詞にも眉一つ動かすことなく、黒尽くめの集団はじりじりと包囲の輪を縮めてくる。

「ミスマル・ユリカ。お前も一緒に来てもらうぞ」

 ここに至ってようやくユリカの顔も真剣に……ならなかった。
 小首をかしげて右の人差し指をあごに当てながら、実につまらなさそうにこうつぶやいた。

「デートの誘いだとしたら、30点かなぁ。そんなことじゃ王子様にはなれませんよぉ?」

 やはりミスマル・ユリカは大物である。
 黒尽くめの集団がほんの数秒、自分たちの目的を見失ったのだ。
 時間にして一瞬。
 だがその一瞬だけで、彼には十分だった。

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