機動戦艦ナデシコ

               黒いお姫様とその妻達の楽園  

 第1話   黒い姫君の覚醒






 2204年4月    テンカワ・アキトが統合軍の腐敗と汚点、クリムゾングループ
           の火星の後継者とのつながりを暴露。
            統合軍とクリムゾングループの解体を要求。
            統合軍、クリムゾングループ共にそれを否定。解体を拒絶。

 2204年5月    テンカワ・アキトが統合軍とクリムゾングループに宣戦を布告。

 2204年6月    ユーチャリス単独による戦争を開始する。

 2204年同月    統合軍アメリカ第2基地上空にユーチャリス、ボソンアウト。
            チャージ済みのグラビティーブラストの発射により基地は壊滅。

 2204年同月    統合軍によりテンカワアキト、テロリストとして指名手配。
            クリムゾングループにより生死を問わない賞金が掛けられる。

 2204年8月     これまでに、4度の襲撃があり、いずれも統合軍は敗退。
            4度に渡る敗退に統合軍は太平洋に第5艦隊を集結。
             テンカワ・アキトに決戦を挑む。
             テンカワ・アキトこれを承諾。
             艦隊の中央にボソン粒子反応。
             これを予想していた第5艦隊はディストーションフィールド
            を張りながら重火器を装備した機動部隊による集中攻撃を開始。
             ボソンアウトと同時の撃沈を狙う。
             しかし、ボソンアウトしてきたのはユーチャリスではなく、
            新型の爆弾。
             その爆発によって艦隊の60%が壊滅。
             その後、3度爆弾は送られ、艦隊が機能できなくなったとこ
            ろでユーチャリスボソンアウト。
             グラビティーブラストを放つと同時に、ブラックサレナが発進。
            艦隊に止めを刺す。

2204年10月     10度に渡る戦闘の全てで敗退をした統合軍は宇宙軍に対し
            て、遺跡とミスマル・ユリカ、ホシノルリの身柄を要求。
             宇宙軍ミスマル総司令はこれを拒絶。
             統合軍はこれに反発。宣戦を布告する。

2204年同月      宇宙軍極東地区に向けて統合軍第1・2・3・4艦隊の混合艦
            隊が進軍。
             これから、戦端が開かれるという時に、テンカワアキトからの
            通信が入る。
             「俺の家族を狙うと言うのなら、これからは民間人も軍やクリ
            ムゾンの関係者なら標的だ。」
             そのまま、ニューヨーク上空に現れたユーチャリスがグラビテ
            ィーブラストの照準を地表に向ける。
             それが、全ての民間放送に放映されたため、統合軍は進軍を断
            念。

2205年1月      20回に渡る戦闘により統合軍は最後の基地を失う。
             統合軍・クリムゾングループ共に解体を受け入れる。

2205年5月      ミスマル・ユリカ(本人自称テンカワ・ユリカ)が統合軍を吸
            収した統合宇宙軍総帥に任命される。
             「手段を選ばずに勝つのではなく、誰にも恥ずかしくない勝ち
            方を模索するために軍は存在しなければなりません。」の演説が
            世界に熱狂的に受け入れられる。
             これより、1年間、彼女は軍の人事の一新・軍規の改定を行う。

2206年5月      ミスマル・ユリカが後事をジュンに託して表舞台から姿を消す。
             これより、後に彼女の姿を見たものはいない。









   「これがアキト君よ。」

 金髪の美女が感情を押し殺した低い声で目の前に横たわる男性を紹介する。

 そこには、いつもの黒いバイザーを外し、逞しい肉体をダランと脱力させた男がベッドに横たわっていた。

 彼女の言葉にこの部屋まで案内された4人の美女・美少女が沈痛な顔でそれを見つめる。

 「アキト。」

 腰のあたりまで髪を伸ばしたふくよかな胸の女性が男性に呼びかける。

 だが、男からは何の反応も無い。

 「馬鹿だよ。私とルリちゃんを軍が放っておくことが無いからって、軍に喧嘩を売るなんて。いくら、アキトが私を好きでも無茶苦茶だよ。そうやって、残った寿命を戦いで使い切るなんて。馬鹿だよ。」

 大きな両目に涙を一杯にして嗚咽を漏らす。

 そのまま、男の身体に抱きついて体を震わせた。

 「アキトさん。私たちのために戦うよりも、ずっと、大切なことがあったのを知っていましたか? それは、一緒にいることです。只それだけで良かったんです。ほんと馬鹿ですね。」

 瑠璃色の髪を二つにまとめた少女が男に呟く。

 「アキト。アキトが私の全て。私はアキトの目・アキトの耳・アキトの手・アキトの足。アキトがいなければ存在する意味が無いよ。」

 ピンクの髪の最年少の少女が感情を感じさせない声で呟く。

 「くす。会長秘書は辞めたわ。驚いたかしら? でも、本当に大切なものが見つかったの。そのためなら、惜しくは無いわ。」

 ショートカットの黒髪の女性が楽しそうに話し掛ける。

 もっとも、その瞳には悲しみの涙が浮かんでいるが。

 「本当にいいのね? 成功の可能性はとても低いわ。それに、その為にはアキト君が味わってきた苦痛を味わう必要がある。その苦痛によって死ぬ可能性すらあるのよ。」

 白衣の女性が青い瞳に真剣な色を浮かべて彼女達の覚悟を確認する。

 「愚問ですよ。それを恐れる人間はここに来ません! そうでしょ? イネスさん。」

 笑いながら大きな胸をはって、イネスと呼ばれた金髪の白衣の女性に決意を告げる。

 「そうね。馬鹿なことを聞いたわ。許してね。」

 目を細めてうっすらとイネスと呼ばれた女性が笑う。

 「まず、これを見て。」

 そう言うと白衣から無針の注射器を取り出す。

 「これには、アキト君の身体から取り出したナノマシンが入っているわ。まず、これを体内に入れるの。当然、凄まじい激痛が全身を襲うわ。なぜなら、このナノマシンは人の命を度外視して作られたものだから。」

 「でも、アキトさんはいつもその痛みに耐えていたんですね?」

 「そう。激痛が身体を襲うとき。アキトはいつもリンクを閉じていた。でも、閉じたリンク越しでも痛かった。」

 瑠璃色のツインテールの少女の問いに白衣の女性ではなく、ピンクの髪の少女が答える。

 「コミュケ越しの映像で見たことはあるわ。拘束具で全身を拘束し、舌を噛まないようにギャグで口を押さえていた。時には何時間もの間、震える身体で耐えていたわ。」

 その時を思い出したのか。

 形の良い唇を噛み締めて身体を震わせるショートの黒髪の女性。

 「その痛みに私たちが耐えなければいけないの。本当にいいのね?」

 イネスが再び確認する。

 他の4人は一様に頷く。

 「では、最初は・・・・・・。」

 「私がする。」

 ピンクの髪の少女がイネスに訴える。

 表情は無表情だが、瞳に強い輝きが宿っている。

 「ラピス・・・・・・。そうね。この中では一番、アキト君の痛みを知っているのは貴女ね。お願いするわ。」

 「・・・・・・(コクン)」

 無言のまま頷く。

 イネスはラピスと呼ばれた少女に彼女の体型に合わせた拘束具を着せ、ギャグを噛ませる。

 「いいわね?」

 イネスの問いに不自由な身体を動かして頷く。

 そのまま、イネスは彼女に注射を行う。

 「ふぐっ!!!!!!!」

 それまで、無表情だったラピスの顔が耐えがたい苦痛に歪む。

 「むぐっ!!!!! んんんんん!!!!!! ふぐぅぅぅぅぅぅ!!!!!」

 ビクンビクンと身体が跳ねる。

 しかし、拘束具が彼女の身体を固定しているので大きく動かすことが出来ず、それゆえ逆に苦痛が増大する。

 「ううううううう!!!!!!!! ふぐぅぅぅぅぅ!!!!!! はあはあはあはぎゅうぅぅぅぅ!!!!」

 目や鼻や口から大量に液体が流れ出し、身体を跳ねさせるたびにそれが飛び散る。

 常人には正視に耐えない光景が目の前に展開されているというのに、その場にいる他の女性たちは冷静な目で彼女の苦行を眺めている。

 普段であれば必ず、心配げな声をかける優しい彼女たちらしくはないが、それゆえ彼女たちが彼を失うことでどれほど追い詰められているのか想像することは易しい。

 それほど、自分らしさと言うものを失わされるくらい大切な人なのだ。

 それは、20分程も続いただろうか?

 苦痛にのた打ち回っていた少女の肉体から力が抜ける。

 あまりの苦痛に気を失ったのだ。

 まだ、苦痛が残るのだろう。

 意識が無いと言うのに、身体の所々がビクンビクンと動く。

 結局、少女が意識を取りもどいたのは、3時間後だ。

 「大丈夫かしら? ラピス。」

 イネスが少女に問い掛ける。

 「大丈夫。」

 汗や涙を吸って随分重くなったピンクの髪を掻き揚げてイネスに答える。

 すでに、拘束具は取り外している。

 全身が無理な力の入れ方に痛みやダルさを彼女に訴えるが、彼女は自分が為すべきことを行ったという満足感に目を細める。

 「さて、これで、どれだけの苦痛が襲うのか分かったでしょう? アキト君とリンクして苦痛に慣れたラピスですらこうなのよ。どう? やめる?」

 「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」」」

 沈黙が答えを雄弁に物語っていた。

 「分かっていたことを聞いたわね。」

 ふぅと小さくため息をつくと、イネスは彼女達を見つめる。

 彼女達は決心の決まった硬い表情でイネスを見つめる。

 「では、次は誰かしら?」

 「アキトの奥さんの私がします。」  「「ユリカさん・・・・・・・・。(怒)」」

 さりげなくアキトの奥さんを主張した長い髪のふくよかな胸を持つ女性に残った二人から怒りを押さえた声が掛けられる。

 良く見ると、休養の為のベッドに横たわったラピスからも怒りの視線が投げかけられている。

 「あははははははははは・・・・・・・・・・・。と、とにかく。イネスさん。お願いします。」

 乾いた声でイネスに注射を促す。

 ユリカの後は、ルリ・エリナ・イネスの順で注射を打つ。

 こうして、彼女達は望んで苦痛の道を進むのであった。















 「これで、アキト君とのリンクが出来たわ。もちろん、私たちともね。」

 イネスが彼女達を見回す。

 「なんだろう。自分の中に何か他の人が入っている感覚。」

 「そうですね。IFSを使った時とも、感じが違います。」

 「ラピスはいつも、アキト君とこうだったの?」

 ユリカとルリが不思議そうに感じを確かめあい、エリナがラピスに問い掛ける。

 「そう。アキトはいつも私と一緒。私はアキトの目。アキトの耳。アキトの手。アキトの足・・・・・・むぐぅぅぅぅぅぅ。」

 ラピスの口をエリナがふさぐ。

 ムットした目でエリナを睨むが・・・・・。

 「その辺にしときなさいね。ラピス。怖いお姉さんたちが睨んでいるわよ。」

 エリナが目でユリカ達のほうを示す。

 視線を追ってそちらを見ると・・・・・・・。

 赤鬼が3人いた。

 凄い目で自分を睨みつける3対の目。

 ツーーーーとラピスのこめかみに汗が流れる。

 「ねっ。アキト君に会う前に、怪我したくないでしょ?」

 そう言って手を離す。

 「エリナ。痛い。」

 かなり強く口を押さえられたので文句をいう。

 「あら。何か言ったかしら?」

 鬼は3人だけではなかった。

 ここにもう一人いる。

 ラピスは顔は笑っていても、目の笑っていないエリナに向かって首を振る。

 (怖かった。)

 ラピスは北辰に攫われかけたとき以来の恐怖に身体を震わせた。

 「これで、下準備は出来たわ。後は・・・・・。」

 「私がアキトがナデシコに乗るときまでジャンプできたら良いんですね。」

 イネスの言葉にユリカが勢い良く話し掛ける。

 「そう。でも、このジャンプは普通ではないわ。身体ごとがジャンプしてもアキト君は死んだままだし、複数の人間を過去にそれもそれぞれの身体の中に入れなくてはいけないのだから。」

 「大丈夫ですよ。」

 「随分と楽観的ね。」

 お気楽に言うユリカにエリナの毒舌が飛ぶ。

 そちらのほうを向いてユリカがニッコリと笑う。

 「だって、私達はアキトが好き。絶対に会えますよ。」

 太陽が輝くような笑顔で彼女が断言する。

 少しの影も無い信じきった表情。

 「そうね。必ず会えるわよね。」

 ユリカの信じきった表情にエリナの顔にも笑顔が浮かぶ。

 「そうですよ。そして、今度こそ。幸せになるんです。」

 その横でルリがこぶしを握り決意に満ちた声で呟く。

 「それでは、良いかしら? ユリカさんはジャンプのイメージを、ルリちゃんとラピスはその補助を、私とエリナさんは貴女達に心を合わせるわ。アキト君を中心に、全員。手をつないで。」

 「ええ。」「「はい。」」「・・・・・・(コクン)。」

 エリナが頷き、全員が手をつなぐ。

 「では、行きます。」

 その言葉と共にユリカの全身がナノマシンの文様を浮かばせる。

 「アキト。今度こそ、幸せになろうね。」

 手をつないだ中心のアキトに向かってユリカは言う。

 アキトを中心に虹色に輝きだす。

 その輝きは目を開けていられないほど強くなり、そして、消える。

 ドサッバタッ

 さっきまで立っていた彼女達の身体が力を失って倒れる。

 バタンッ

 「遅かったか・・・・・・・。」

 突然、扉が蹴破られ、長い髪をしたアカツキとSSが部屋になだれ込んで来る。

 「くそっ。まったく、何て無茶をしてくれるんだ。僕に親友を助けられなかった負い目だけでなく、君達を救うことも出来なかった負い目まで作るのかい?」

 ユリカの脈を取りそれが動いていないのを確認して、忌々しげに呟く。

 「駄目です。全員、息をしていません。」

 SSの一人がアカツキに報告する。

 「まったく。君は罪作りな男だよ。」

 そう言って天井を向く。

 「ユリカ君たち。彼に無事に会えることを祈るよ。」

 それが、アカツキに出来る只一つのことだった。















 「ここは・・・・・・・。」

 私が目を開くと見慣れた景色が目に飛び込んできました。

 そう、ナデシコのブリッジです。

 どうやら、上手くジャンプできたようです。

 「オモイカネ。」

 私はナデシコを司るコンピューターであるオモイカネに話し掛けました。

 『何? ルリ。』

 ウインドウにオモイカネの返事が浮かびます。

 「テンカワ・アキトに関するデータをお願い。」

 『テンカワ・アキト?』

 「テンカワ博士夫妻の息子です。」

 『でも、それは外部のデータを使わないと分からないよ。』

 「ハッキングしましょう。」

 『ルリ。それは、犯罪だよ。』

 「大丈夫です。ばれなければ良いんです。」

 『・・・・・・・・・。』

 オモイカネが沈黙します。

 随分と気が小さいですね。これでは、これからの出来事には対処できないでしょう。

 クリムゾングループや木蓮の人たち、そして、軍部。

 一筋縄ではいかない連中ばかりです。

 このくらいはクリアしてもらわないと。

 ふう。これからの教育が大変です。

 『ルリ。これでいい?』

 どことなく、震える文字でウインドウにアキトさんの事が表示されます。

 何をおびえているのでしょうか?

 失礼ですね。

 とにかく、データを見ましょう。

 【テンカワ・アキト 
           ・
           ・
           ・
           ・
       2186年  テンカワ博士夫婦と共にテロリストにより命を落とす。】

 何かの冗談でしょうか。

 私はもう一度データを確認しました。

 産まれた日。

 幼稚園に入園した日。

 小学校に入学した日。

 そして・・・・・・・・・・・・・。

 最後に死んでしまった日。

 アキトさんが死んだ?

 もう、会えない?

 もう一度、確認しましょう。

 あれ、どうしたのでしょうか。前が見えません。

 ちゃんと、確認したいのに、これでは困ります。

 視界が潤んで、文字が・・・・・・・・・。

 私は涙が出ているのにも気づかず、それゆえ、涙を拭うことも出来ずに見えないウインドウをただ、見つめていました。

 アキトさんが生きていることを求めて。















 「みなさ〜〜〜ん! 私が艦長のミスマル・ユリカで〜〜〜す。ブイ!!!」

 へへ〜ん。

 前回と同じく、これできっとみんなのハートをキャッチ。

 でも、ルリちゃんは馬鹿とか言うんだろうなぁ。

 どれどれ、ルリちゃんはと・・・・・・・・いたいた。オペレーター席に座っている。

 「ルリちゃ〜ん。」

 私はルリちゃんに声を掛けた。

 きっと、笑顔で挨拶だね。

 うんうん。

 やっぱり、大変な仕事を終えた後は笑顔で『お疲れさん。』だよね。

 「ユリカさん?」

 ルリちゃんがこっちを振り向いた。

 でも、予想とは違った。

 笑顔のはずのルリちゃんの目に次から次へと涙があふれ出ている。

 「ど、どうしたの? ルリちゃん。」

 慌てて駆け寄る。

 どうしちゃったんだろう?

 何かとんでもないことが起きちゃったの?

 ドキドキと心臓が高ぶる。

 不安に押しつぶされそうになる。

 でも・・・・・・・・・。

 (私はルリちゃんのお姉さんだもん。しっかりしなくちゃ。)

 気力を奮い立たせる。

 「ルリちゃん。大丈夫?」

 「あ〜〜〜。艦長。ルリルリを泣かしちゃったの?」

 ルリちゃんの隣のミナトさんが怖い顔でにらみつけてくる。

 「ごめん。ミナトさんはちょっと黙ってて。」

 叫んでミナトさんを黙らせる。

 ごめんなさい。

 心の中で謝るけど、今はルリちゃんのほうが大事。

 「ルリちゃん。何があったの?」

 「アキトさんが・・・・・・。」

 そう言ってウインドウを指差す。

 「ふんふん・・・・・・・。あっ!!! これってアキトのデータだね。」

 「ユリカぁ。今がどういう時か分かってる?」

 「ちょっと、アンタ! 後にしなさいよ。」

 周りでなんか言ってるけど、無視無視。

 「アッキトのデータ。アッキトのデータ。フフフ・・・・・・・・・嘘!?」

 私は喜んでアキトのデータを見ていた。

 そう。

 最後の行を読むまでは。

 アキト、死亡の。

 「そんな・・・嘘だよね・・・・・・。」

 全身から力が抜けていくよ。

 立ってられない。

 ペタンとその場に膝をつく。

 「ユリカさん・・・・・。」

 「ルリちゃん・・・・・。」

 私の胸にルリちゃんが飛び込む。

 ルリちゃんの泣き声に誘われるように私も泣く。

 「ちょ、ちょっと、ちょっと。」

 「どうしたんですか?」

 「今は非常時なのよ。あーーーー。もう。」

 「艦長としての責務をはたせ。」

 周りで何か叫んでいるけど、そんなの関係ない。

 アキトがいないなんて。

 このまま、死んでしまいたい。

 思考がどんどん悪いほうに向かう。

 このまま、バッタにやられてしまおうか。

 そんな風に考えているときだった。

 その声が聞こえたのは。

 まだ、幼い少女の声だった。

 でも、とても綺麗で透き通った声。

 そして、その声が言った言葉。

 『聞こえるか。こちらはテンカワ・アキト。これよりバッタを迎撃する。』















 「この実験体は、もう駄目だな。」

 「そうだな。しかし、もったいないよなぁ。後、10年もしたらいい女になるだろうに。」

 「何だ。おまえ、変態かぁ? 相手は人じゃないぞ。人形相手にそれか。」

 「一応生きているんだろ? 人形はひどいぜ。」

 「それでも、作られた物でしかないぞ。第一、壊れているんだぞ。」

 「ま、そうだけどな。やっぱり、もったいないねぇ。捨てるのは。」

 「また、それかよ。ほら、飯にいこうぜ。」

 「ああ。待ってくれよ。」

 声が遠ざかる。

 それまで、何の反応も見せなかった少女の眉が『捨てる』の言葉にピクリと動く。

 そこは、どこかの研究施設のようだった。

 その研究室の一部に彼女は培養液のようなもので満たされたガラスのポットのような物の中に入れられ漂っている。

 長い黒髪のりりしい顔立ちをした少女だ。

 まだ、10歳にもなっていないだろう。

 先ほどの研究員の言葉ではないが、将来、彼女目当てにどれだけの男が群がるのか想像に難くない。

 隠すべきところを全て晒した全裸だが、彼女のことを作られた人形としか思っていない研究員たちは何も思わないのだろう。

 壊れたとの言葉どおりに、死体のように動くことなく培養液の中で漂っている。

 その死体のように何の反応も見せなかった少女が『捨てる』の言葉に反応する。

 しかし、彼らは何も気づかずに食事に出かけてしまった。

 誰もいない研究室。

 培養液を満たしたポットを動かすための機械や、データを収集するためのコンピューターの作動音だけが部屋を満たす。

 ピクリ

 再び、少女の眉が動く。

 今度は止まらずにそのまま少女は目を開く。

 光すら吸い込まれそうなくらい綺麗な色の漆黒の瞳が姿を現す。

 黒い髪と良くあった美しい目だ。

 「ここは・・・・・・。」

 少女は呟くが培養液の中では言葉にならず、くぐもった音が口から漏れる。

 (ここは、どこだ?)

 今度は口に出さずに、心で思う。

 (確か、俺はユーチャリスのブリッジにいたはずだ。)

 最後の記憶。

 目に涙を浮かべて自分にすがり付いて泣いていたピンクの髪の少女を思う。

 (そうだ。ラピス。)

 少女は目を見開く。  急速に意識が覚醒に向かう。

 (ここはどこだ? どうやら、どこかの研究施設のようだが。)

 少女は先ほどの『捨てる』の言葉を思い出す。

 (捨てるだと? ここも、人を人とは思わぬ外道の集まった研究所なのか? だとしたら・・・・・・・・。)

 少女の目に危険な色が浮かぶ。

 同時に全身にナノマシンの文様が浮かぶ。

 (これは!?)

 少女につけられたデータを取るためのコードを伝って、この研究所のデータが流れ込んでくる。

 ナノマシンが活発化するに従って、少女の瞳が漆黒の黒から、煌く黄金色へと輝きが変わる。

 金の瞳を光らせ、全身をナノマシンの文様に輝かせながら少女はこの研究所の行いを知る。

 (外道どもが!!)

 少女の怒りに反応して、ナノマシンの文様が揺らぎ、金の瞳が輝きを強くする。

 ここは、マシンチャイルドの研究施設であった。

 24人のマシンチャイルドが作られ、少女は13番目の実験体であった。

 彼女の前の12人の少女たちが、すでに誰もいない事実がこの研究所が少女たちをどのように扱っていたのかを知らしめる。

 彼女の後のマシンチャイルドも残っているのは4人しかいない。

 (許さんぞ。外道共が。)

 怒りに全身を震えさせながら、メインコンピュータにハッキングを行う。

 常人には絶対に出来ないことだが、今の彼女には容易い事であった。

 その中の侵入者迎撃プログラムを発動する。

 自分たちマシンチャイルド以外を侵入者として、殺人プログラムを実行する。

 (「な、何だ。どうしたんだ?」

  「た、助けてくれ。うぎゃあぁぁぁぁぁ!!!」

  「か、壁が、壁がしまる! い、息が・・・・・。」

  「どうして? 侵入者迎撃プログラムが? どうして?」)

 いたるところで悲鳴が上がる。

 それをモニターで確認しながら、少女は冷ややかな目で見つめる。

 (貴様らのような外道には、似合いの最後だ。)

 好奇心に溢れた表情で、少女たちマシンチャイルドにナノマシンや薬を投与し、過酷な常人では発狂確実な実験を嬉々として行っていた彼らの姿が少女の頭に浮かぶ。

 (すぐに死ねたのを幸運に思うがいい。)

 皮肉げに少女の薄い唇が歪む。

 モニターに映る研究員や職員が全て動かなくなると、清掃プログラムを発動する。

 速やかに綺麗になっていく研究施設。

 それを頭の片隅に認識しながら少女は、残ったマシンチャイルドのデータを検索する。

 (実験体24号? この子は!!)

 最後のマシンチャイルドを見て、彼女は驚く。

 そこには、彼女の最後の記憶にある少女の幼い頃の姿があった。

 (間違いない。この子は、ラピスだ!!)

 機械を操作して、少女はポットを開く。

 培養液が流れ、少女は外へと流される。

 曲芸じみた動きで、少女は床に降り立つと周りを見渡す。

 椅子に掛けられた白衣を見つけると、裸身にそれを着る。

 さすがに、裸は恥ずかしかった。

 まだ、下腹に毛も生えていない裸体を隠すと、少女は大切な少女の下へと向かうために、研究室を出るのであった。

















 「アキト・・・・・・。」

 私は自室で呟くと、アキトの名を呼んだ。

 もちろん、返事が無いのは分かっている。

 ここは、研究所の私の部屋。

 実験や検査以外では、誰もここには来ない。

 そこに、私はいる。

 「アキト・・・・・・。」

 再び、アキトの名前を呟く。

 それだけで胸に何か熱い物が込み上げてくる。

 心臓の鼓動が早くなり、ドキドキと音を伝える。

 そう、私は彼にもう一度会うために、時を越えてきた。

 いま、アキトは何をしているのだろう?

 胸を高鳴らせながら端末に向かう。

 IFSが輝き、端末にアクセスが始まる。

 『テンカワ・アキト』

 その名前で検索を開始する。

 すぐに、データが帰ってきた。

 ドキドキとしながら、データを見る。

 【テンカワ・アキト 
           ・
           ・
           ・
           ・
       2186年  テンカワ博士夫婦と共にテロリストにより命を落とす。】

 次々とアキトに付いてのデータが出てくる。

 私はそれを読む。

 あまりにも夢中で見ていたために、ピンク色の自分の髪がウインドウを隠すように垂れてくる。

 それを掻き揚げて最後まで読む。

 そして、最後のデータ。

 【2186年  テンカワ博士夫婦と共にテロリストにより命を落とす。】

 「嘘。」

 私は呟いた。

 深い悲しみと信じられない思いが胸に渦巻く。

 「嘘だ。」

 もう一度、呟く。

 これほど悲しいと言うのに感情を表現できず、平坦な声しか出せないのが腹立たしい。

 アキトと出会うことで芽生えてきた感情が凍りついていくのを感じる。

 二度と楽しく思うことは出来なくなる予感がする。

 バタン

 部屋のドアが音を立てて開く。

 この頃の私の部屋には鍵など掛かっていない。

 誰でも中に入ることが出来る。

 誰か入ってきたのだろうか。

 別にどうでもかまわない。

 アキトが私の全て。

 アキトのいない世界に用は無いのだから。

 音のした方に反射的に振り向いたが、無感動に見つめるだけ。

 そこには、黒髪の少女がいたが、どうでもいい。

 「ラピス。」

 凛々しい顔立ちの少女が、ここにいる人が決して呼ばない名前で私を呼ぶ。

 その声の響き、優しい笑顔。

 私は震えた。

 外見はまるで違う。

 第一、 あの人は大人の男の人だ。

 こんな少女とは違う。

 でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 「アキト?」

 震える声で名前を呼ぶ。

 「そうだよ。ラピス。」

 ニッコリと微笑む。

 過去でも滅多に見せなかった明るく優しい笑顔に、私は爆発した。

 「アキト! アキト!! アキト!!! アキト!!!! アキト!!!!! アキト!!!!!」

 彼の胸に飛び込み、ただただアキトの名前を呼ぶ。

 力いっぱいしがみ付いて抱きしめる。

 もう二度と離さない。

 「ラピス。心配掛けてごめん・・・・・・・。」

 優しくアキトが私を抱きしめる。

 そうして、私が満足するまで、アキトは私を抱きしめてくれるのだった。















 「エリナ君の様子がおかしい?」

 「ええ。端末を操作していたかと思うと泣き出したそうです。」

 「あのエリナ君がかい?」

 「はい。」

 僕は彼女の顔を思い浮かべた。

 彼女の泣き顔など想像もつかない。

 もっとも、彼女も人である限り泣かないと言うことは無いだろうが、だからと言って そのような泣き顔など理解の範囲外だ。

 「いったい、何のデータを見ていたんだい?」

 僕は不思議に思ってプロス君に尋ねる。

 「テンカワ・アキトです。」

 「テンカワ? それはもしかして?」

 「はい。あのテンカワ博士の息子です。」

 「何で今更。もう何年も前に亡くなったんだろう?」

 「さあ、理由までは。」

 納得のいかないと言った顔で彼に尋ねるが、いつものポーカーフェースで分からないと答えられた。

 「ふん・・・・・・・。」

 僕は彼女とテンカワ・アキトの接点を考える。

 彼女はボソンジャンプに尋常ではない情熱を燃やしている。

 その関係だろうか?

 だが、彼は死んだ人間だ。

 それも数年前に。

 今更、彼のことを調べても何の意味も無いことは彼女にも分かっているはずだ。

 まして、泣いていたなど・・・・・・・。

 「プライベートな事かもしれませんが、一応会長の耳にと思いまして。」

 「ごくろうさん。こちらでさりげなく聞いておくよ。」

 「それでは、私はこれで。」

 プロス君が部屋から出て行く。

 これで、この広い会長室には僕だけしかいなくなる。

 「しかし、泣いたねぇ。一体、何が起きたのやら。」

 僕は押さえきれずに、笑みを浮かべる。

 自分でも悪い癖だと思うが、何かが起こるとそれがどんな事であろうと楽しむ性格をしている。

 これから、どんな出来事が起こるのやら・・・・・・・。

 それを思うとどうしても楽しくなってしまう。

 悪い癖だ。

 そうやって、一人悦に入っていると、突然、極秘の通信機が音を鳴らす。

 ピルルルルルル・・・・・

 「おっと、一体誰からかな?」

 コミュケを調整してウインドウを出す。

 パッ

 ウインドウが開く。

 「ほぅ・・・・・・・・・。」

 思わず息をついた。

 そこには数年後が楽しみに思える整った顔立ちの少女の姿があった。

 光を反射いて黒々と輝く長い黒髪に、吸い込まれそうなほどの深みを帯びた漆黒の瞳。

 こちらの心を引き付けて止まない深みのある視線が僕を射抜く。

 (これはこれは・・・・・・大したお嬢さんだね。)

 まだ、10歳にもならない年齢の少女に、圧倒される物を感じる。

 背中に冷や汗が流れ、知らず知らずのうちに掌を握り締める。

 「アカツキ・・・・・・。」

 少女が僕の名前を呼ぶ。

 ゾクリ

 ゾクゾクとした戦慄が僕の背中を走る。

 その姿から予想した以上の凛とした、鈴の音色のような澄んだ声が放たれる。

 もっと、聞いていたいと思わせる何かを彼女の声は持っていた。

 「どこで、僕の事を知ったのか知りたいところだけど。それ以上に、君の名前が知りたいな。こちらは、そちらの名前すら知らないのだから。」

 ポーカーフェースを保って少女に話し掛ける。

 クスリ

 少女が笑った。

 ドッキン!!!

 その瞬間、爆発したのではないかと思うくらいに激しく心臓が鼓動を打つ。

 ドキドキドキドキ!

 (一体、何をうろたえているんだ。ぼくは。)

 自分に活を入れる。

 それにしても、少女が笑うとそれまでの凛々しい顔立ちが大きく印象を変える。

 人懐っこい笑顔といったらいいのだろうか?

 それまでの人を寄せ付けない雰囲気がガラリと変わるのだ。

 「テンカワ・アキト。テンカワ・アキトだ。相変わらずのようだな。」

 彼女が名前を名乗る。

 (テンカワ・アキトだってぇ!?)

 顔には出さないが、僕は内心驚愕する。

 先ほど、エリナ君が泣き出した原因がテンカワ・アキトだ。

 これは偶然だろうか?

 「アキトちゃんねぇ。僕にはそんな知り合いはいないはずだけど。何処かで会ったかな?」

 「さあな。秘密だ。」

 そう言って、いたずらっぽく笑う。

 (くっ。そんな顔で笑わないでくれ。心臓が破裂しそうだ。)

 ますます高ぶる心臓の動きに僕は心を乱す。

 もっとも、それを顔に出したりしない。

 だてに、ネルガルの会長はやっていないからね。

 「それで、一体何のようかな。」

 冷静な声が自分から出ているのに、ホッとする。

 「そうだな。まずはこれを見てもらおう。」

 そう言うと、新たなウインドウが僕の前に開かれる。

 「これは・・・・・・・・。」

 それは、僕が禁止したはずのマシンチャイルドのデータだった。

 (これは、酷いな・・・・・・・。)

 そのあまりにも非人道的な行いの数々に僕は眉をしかめる。

 24人のマシンチャイルド。

 そのうち生き残ったのが、5人。

 死んでしまった者は、すでに、処分済みか・・・・・・。

 これで、分かった。

 彼女はマシンチャイルドの生き残りか。

 「それで、君は何がしたいんだい?」

 僕がウインドウのデータを読む間、彼女は黙って僕を見つめていた。

 そんな彼女に質問する。

 「これがあれば、ネルガルに致命的なダメージを与えることも出来る。これほど、非人道的な行いが世間に許されるはずも無いからねぇ。もし、ネルガルに復讐したいのなら、このデータを公表したらいい。それだけで、十分に社会的な抹殺がはかれる。でも、君は僕に連絡をよこした。それは、何か交渉したいと言うことではないのかい?」

 「くっくっくっく・・・・・・。流石だな。アカツキ。話が早い。」

 「では、何を要求するんだい? 余程のことで無ければ叶えるつもりだよ?」

 「そうだな・・・・・・・。まずは、5人の子供たちの保護をおまえに頼みたい。」

 「僕に!? 分かっているのかい? 僕は君たちに酷いことをしたネルガルの会長だよ。なのに、信用できるのかい?」

 驚いて聞き返す。

 普通なら恨みこそすれ、信用などするはずも無い。

 それほど、彼女たちに行われた実験は酷い物だった。

 彼女は僕たちを恨んだはいないのだろうか?

 その答えは・・・・・・・・・・彼女の笑顔だった。

 「ああ。おまえは善人ではないが、だからといって悪党ではない。さっきのデータを見た上で、酷いことなど出来るはずも無い。おまえは自分で思うより腐っていない。」

 「・・・・・・・・・・・・・。(カーーーーーーーーーーー)

 自分の顔が真っ赤になっているのが、自覚できる。

 ネルガルの会長を継いだときから、随分と酷いことをしてきた。

 自分でも、心の一部が腐ってきたと思っていた。

 なのに、この少女の言葉と笑顔。

 特に、この笑顔が駄目だった。

 言葉であれば、嘘もつく。

 だが、この笑顔は・・・・・・・・・。

 「研究所の住所も先ほどのデータにある。それを参照にしてくれ。では、待ってる。」

 そう言うと通信は切れた。

 後には呆然とした僕だけが、会長室に残された。















 「はぁっ!? ネルガルの遺伝子研究所ですか?」

 私は会長に尋ねる。

 「ああ。そうだよ。そこに子供たちを迎えに行って欲しい。」

 「はぁ・・・・・・・。」

 何だか気の抜けた声が出てしまいます。

 急に呼び出されたかと思うと、子供の迎えとは・・・・・・・。

 「で、出迎えの相手は誰ですか?」

 「う、うん・・・・それは・・・・・。」

 モゴモゴとはっきりと言わない。

 会長らしくない。

 随分とぼんやりとした表情です。

 これは、先ほどエリナさんの報告をしてから、私が帰ってくるまでに何かあったということですか。

 それも、かなりのことが・・・・・・。

 目を細めて会長を観察します。

 しかし、この会長がここまで呆けるとは・・・・・・・・・。

 「迎えの相手は、テンカワ・アキトと名乗る少女たちだよ。」

 私の冷ややかな眼差しに気づいたのか、幾分、引き締まった顔で迎えに行く少女の名を告げる。

 「な、テンカワ・アキト!?」

 思わず大声を上げてしまいました。

 紳士らしくない態度ですね。

 反省します。

 「先程、報告したようにエリナさんが涙を流した相手というのが、テンカワ・アキトです。何か関係が?」

 どのような表情も見逃さないつもりで、会長を観察します。

 「いや。それは分からない。だから、君たちに迎えに言って欲しい。彼女達はマシンチャイルドだよ。慎重にね。」

 「マシンチャイルド!? しかし、それは会長が禁止されたのでは?」

 私は驚きの声を上げた。

 その行いが世間に知れたら、会社のイメージに多大なダメージをこうむるとして、会 長自ら中止したはず。

 あれは、ブラフだったのか?

 「社長派の独断だよ。」

 どうやら、私の表情を呼んだらしい。

 うんざりとして付け加える。

 「なるほど・・・・・・。」

 会長のことを気に食わない社長派の連中を思い浮かべる。

 「どうやら、僕を追い落としたいらしいね。もっとも、今回のことで僕が彼らを追放できるけどね。」

 皮肉げに笑う。

 確かに、会長の権力の失墜を狙って、逆に自分たちの足元を崩していては本末転倒というもの。

 この機会に彼らを何とかしますか。

 「その鍵を握るデータは彼女が持っている。もっとも、一筋縄ではいかない相手のようだけどね。」

 「まだ、子供なのでは?」

 「会えば分かるよ。」

 どことなく上気した顔で、疲れたように話す。

 う〜ん。これは、テンカワ・アキトと言う少女に会うのが楽しみですね。

 顔に出さずに心で呟く。

 あの会長をここまで、翻弄する相手。

 私は、別れの挨拶を会長と交わすと、少女を迎えに行く準備を始めるのであった。















 「ここか。」

 ゴートさんが呟きます。

 あれから、私達はデータの中にあった研究所に向かいました。

 もちろん、何があるのか分かりませんので、SSも連れてきています。

 「そうです。しかし・・・・・・・・変ですねぇ。まるで、人の気配がしない。お休みでしょうか。」

 私の冗談に誰も答えてくれません。

 少し寂しいとは思いますが、中に入ることにします。

 ギーーーーー

 門の前に来ると、誰も何もしていないのに開きます。

 「入れと言うことか・・・。」

 ゴートさんが眉をしかめると、一歩足を踏み込みます。

 そして、周りを警戒しながら奥へと入っていきます。

 「行きましょう。」

 私は一声掛けると、ゴートさんの後を追いました。

















 「初めまして。テンカワ・アキトだ。」

 目の前には、年端の行かない少女がいます。

 黒髪・黒目の整った顔立ちの少女です。

 こうして軽く観察しただけでも、少女の将来に期待できますね。

 私はプレッシャーを全身に感じながら、少女を観察します。

 そう、まだ自分の年齢の3分の1すら超えてはいないような小さい少女を相手にプレッシャーを感じています。

 尋常ではない相手ということでしょう。

 一体、どのような経験をしてきたのか、少女の年齢を考えれば不思議で仕方ありません。

 「我々はネルガルのシークレット・サービスだ。迎えにきた。」

 ゴートさんが押し殺した声で、少女に話し掛けます。

 いつでも動けるように、全身の筋肉が緊張しているのが分かります。

 「随分と物々しい歓迎だな。迎えにそんなに人が必要か?」

 少女が嘲るような笑みを浮かべます。

 その笑みに私の後ろにいたSSの一人が感情を害したのを感じますがこの際無視です。

 「別に、貴女を害するつもりはありません。私達が貴女を迎えるのに邪魔をする相手がいるのではないかと思いまして。そのための人数です。」

 私はメガネに手をあて、それを直しながら少女に話し掛けます。

 同時に、視線に力を込め、無言のプレッシャーを浴びせ掛けます。

 ちょっとした小物程度なら、萎縮してしまう迫力があるはずです。

 現に後ろにいたSSが緊張するのを感じます。

 「必要ない。すでにそいつらは処分した。」

 なのに、少女の態度はまったく変わりません。

 ごみを捨てたというのと同じくらいあっさりと答えます。

 「処分と言うと?」

 「文字通り。今ごろは焼却炉の中だろう。」

 「「「・・・・・・・・・・・・・・・・。」」」

 冷や汗がこめかみを伝わって床に落ちます。

 本当に並みの相手では無いと、つくづく感じます。

 「先に言っておくが、俺達を処分したところで、この研究所のデータは公に出るぞ。」

 「それは困りますなぁ。話が違うのではありませんか。」

 「問題ない。俺達が無事ならあれは公開されない。」

 「なるほど。」

 保険と言うわけですか。

 実に抜け目無い。

 ますます、目の前の少女が化け物じみて感じられます。

 「で、どうします?」

 私は尋ねた。

 どうやら、イニシアチブは少女のほうにあるようです。

 「アカツキに会わせてもらおう。」

 「会長の安全は?」

 私がそう言うと少女が驚いたように目を見開きます。

 少女を驚かせたことに、些かの満足感を感じました。

 「どちらかと言えば、俺達のほうが危険だと思うのだが・・・・・・・。くっくっく。そうだな。俺達の保護者としてアイツほど相応しいやつはいない。それを害するのは愚か者のすることだ。違うか?」

 「なるほど。」

 確かに、彼女達はネルガルの弱みは掴んでいるが、他はそうでもないでしょう。

 となれば、会長を害するのは自分達の危険を増すだけだと判断できます。

 本当に彼女は見た目どおりの人間なのでしょうか?

 どう考えても、少女に出来る状況判断ではありません。

 「いいでしょう。ここには貴女だけですか。」

 「違う。他にもいる。ラピス。」

 バタン

 隣の部屋へと続くドアが開きました。

 そこには、目の前の少女に似たピンクの髪と金色の瞳をした少女がいました。

 しかし、髪や目の色のほかにも差異はあります。

 なんといっても、目の前の黒髪のアキトという名の少女が、実に豊かな表情を見せるのに対し、ラピスと呼ばれたピンクの髪の少女はそれをまったく見せません。

 アキトという少女が特別なのでしょうか?

 その後に会った他の少女たちの感情が死んだような表情を見て、私はその思いを強くしたのでした。













 俺はネルガルのSSに囲まれて、アカツキの元に向かいながらホッと息をつく。

 実際、かなりの緊張を強いられた。

 前の身体ならともかく、今の身体ではゴート一人と戦っても勝てなかっただろう。

 だからと言って、たやすく殺せると思われるわけにはいかない。

 アカツキが俺を殺すとは思いがたいが、白鳥・ユキナのこともある。

 油断するわけにはいかない。

 とはいえ、すぐに殺すと言うことは無いようだ。

 「アキト。」

 ラピスが心配そうに俺のほうを見つめる。

 「大丈夫だよ。ラピス。」

 ニッコリ笑って安心させる。

 「うん。」

 笑顔で気持ちが楽になってのか、俺に持たれかかって目を瞑る。

 この身体に変わってから、ラピスとのリンクが切れていた。

 そのせいだろうか?

 ラピスが俺の表情を窺うようになったのは。

 とにかく、少し不安そうなラピスを安心させるために、ラピスの肩に手を回す。

 他の少女たちも安心させてやりたいが、現在ではちょっと無理がある。

 目が合えば、笑いかけてあげるのだが無視される。

 彼女達の今までの境遇を思えば腹も立たない。

 さて、これからどうするか。

 そんなことを考えている間に、ネルガル社の会長室の前についた。

 「会長。只今、到着しました。彼女達も一緒です。」

 「入ってもらいたまえ。」

 アカツキの声が扉の向こうから聞こえる。

 「どうそ。会長がお待ちです。」

 プロスが中へと招く。

 俺たちは誘われるままに中へと入った。















 私は会長室に入ってくる少女たちを見つめていた。

 最初に入ってきたのは、艶やかな黒髪が羨ましい長い髪の少女で、後に入る少女たちを庇うかのような動きをしている。

 次に黒髪の少女に縋り付くようにして入ってきたのは、ピンクの髪の少女。

 「ラピス・ラズリ?」

 私は驚きの声を上げてしまった。

 会長のアカツキ君やプロスペクターが怪訝そうにこちらを見る。

 「オ、オッホン!」

 わざとらしく咳をしてごまかす。

 幸い、誰も何も言ってこない。

 改めて少女たちを見る。

 (やっぱり、どう見てもピンクの髪の少女はラピスだわ。間違いない。 一体、どういうこと?)

 私がじっと見つめていると、そのことに気づいたのか黒髪の少女がラピスらしき少女に私の方へと注意を向けさせる。

 ニコッ

 ラピスがわずかに微笑んだ。

 他の人なら無表情だと思える表情だが、長年、アキト君と一緒にラピスの世話をしてきた私にはあの子の笑顔が分かる。

 (間違いない。あの子はラピス。)

 私は身体が震えるのを押さえることができなかった

。  ラピスの懐く人。

 私やイネスを除けば、たった一人しかいない!!

 「アキト君・・・・・・。」

 小さな呟き、普通なら絶対に聞こえない大きさの声。

 だけど・・・・・ああ・・・・・彼女は・・・・・・。

 「久しぶりだな。エリナ。」

 「ああああああああアキトくん!!!」

 私は彼女の胸に飛び込んだ。

 小さな身体では受け止めきれずに、私と彼女はラピスを巻き込んで倒れこむ。

 「アキト君・・・アキト君・・・・・アキト君・・・・アキト・アキト・アキトォォォォォォォォォォォォ。」

 数時間前の絶望に溢れた泣き声とは違う喜びの声で泣き叫ぶ。

 「大丈夫だ。エリナ。どこにも行かない。ずっと、そばにいる。」

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」

 アキト君の声を聞きながら、何度も頷く。

 感情をコントロールする部分が壊れてしまったのかと思うくらい自分でもどうしようもないほどの大声で泣く。

 そのまま、私が落ち着くまでアキト君は優しく抱きしめ、頭を撫ぜてくれた。

 「落ち着いたかい? エリナ。」

 どれほどの時間が経ったのかは分からない。

 随分と長い間、泣いたようだった。

 「ええ。ごめんなさい。迷惑掛けたわね。」

 「そんなことない。嬉しかったよ。」

 恥ずかしげに俯いていった言葉に、アキト君はニッコリと笑う。

 「そんな優しい顔で笑わないで、ますます、消え入りたくなるくらい恥ずかしくなっちゃうわ。」

 私はますます赤くなった顔で、横を向く。

 「分かった。エリナの可愛い顔は、俺だけが見たいからね。」

 「・・・・・・・・・。」

 アキト君の言葉に恥ずかしさがつのる。

 と同時に、ここには私たち以外の人間がいることを思い出す。

 カァァァァァーーーーーー!!

 アキト君に対する甘い羞恥とは違う恥ずかしさが全身を襲う。

 「いやぁ。エリナ君のこんな姿が見られるとは・・・・・・。」

 「それにしても、お二人はどこでお知り会いに?」

 アカツキ君が冷やかし、プロスペクターが質問する。

 「秘密だ。」

 ニヤリとアキト君が笑う。

 それを聞いてプロスペクターがわざとらしくため息をつく。

 「それでは、アキトさん。貴女は私たちに何を求めるのですか。」

 「そうだな・・・・・・・・。」

 アキト君が腕を組んで、考え込む。

 けど、何を求めるのか、私には分かっていた。

 「ナデシコ・・・・。」

 「「「なっ!!!」」」

 アカツキ君・プロスペクター・ゴートが驚きの声を上げる。

 おそらく、アキト君との関係が無ければ、私も同様の声を上げていただろう。

 「まず、俺とラピスをナデシコに乗せてもらおう。」

 「どこで、ナデシコの事を知ったんだ。」

 ゴートがアキト君に詰め寄る。

 私はとっさに、二人の間に入った。

 「貴方に関係あるかしら?」

 きつく睨みつける。

 「いや。それは・・・・・・。」

 ゴートがしどろもどろになる。

 けど、許すつもりはない。

 アキト君を困らせる者は許さない。

 「まあまあ、エリナさん。そう怒らないで。ゴートさんも職務に忠実だっただけですから。」

 「それに、エリナ君がついているんだ。そのくらいの情報は手に入っても不思議じゃない。」

 アカツキ君が嫌な顔でゴートを押さえる。

 「アカツキ。エリナが情報を漏らすような女に見えるのか?」

 アキト君が悲しそうに訴える。

 嬉しいと同時に、そんな顔をして欲しくないと思う。

 「い、いや。そ、それは。だ、だから。その。あの。」

 急にアカツキ君が顔色を変えて、しどろもどろな弁解をする。

 あの、会長として辣腕を振るう男がどうしたのだろうか?

 ゴートやプロスペクターも怪訝そうな顔をしている。

 「も、もちろん。信じているさ。当然だろ?」

 なんとか、言葉を放つ。

 「そうか。そうだよな。良かった。」

 ニッコリ

 アキト君が笑う。

 「「「「ううっ。」」」」

 その場にいた人たちは、私を含めて全身に衝撃が走る。

 (な、何て。可愛いの!!!!!)

 駆け寄って抱きしめたい。

 そう思うと同時に、行動に移していた。

 駆け寄って、抱きしめる。

 「エ、エリナ!?」

 アキト君が戸惑いの声を上げる。

 でも、止まらない。

 ギューーーー

 思い切り抱きしめてしまう。

 「アキト君。アキト君。アキト君。」

 頬擦り。頬擦り。

 「ちょ、ちょっと、エリナ。皆見てるよ。」

 アキト君が困った声を上げる。

 「エリナさん。ちょっと、エリナさん。」

 プロスペクターが何か言っている。

 ふと、そちらを見る。

 「困りますなぁ。まだ、話の途中ですよ。」

 「ご、ごめんなさい。」

 慌ててアキト君を離す。

 「ま、気持ちは分かりますが・・・・・・。ところで、会長! 会長!!」

 「あ、ああ。何だね。プロス君。」

 アカツキ君も、どうやら、アキト君の笑顔にやられたらしい。

 ぼんやりとした表情で、何とも頼りない顔をしてるわ。

 でも、それほどの威力のある笑顔だったわ。

 よく見ると、ゴートやプロスペクターも頬のあたりが赤い。

 これは、話にならないわね。

 私の予想通り、この後のアキト君の要求は全てあっさりと了承されるのであった。













 「一体。どうしてしまったんだ。」

 アキトちゃんとの交渉が終わり、会長室に一人残った僕は呟いた。

 「まだ、子供じゃないか。」

 再び、呟く。

 「そうだ。僕はロリータじゃない。今まで、子供に欲情したことなど無いんだ。そう!ロリータであるもんか。はははははははははは。」

 僕は笑い出した。

 「そう! そうだとも!! 僕は正常だ。」

 力いっぱい断言する。

 そうすると、今まであったモヤモヤが全て吹き飛ぶ。

 「何が、テンカワ・アキトだ。」

 そう叫ぶ。

 その途端!

 ニッコリ

 アキトちゃんの無防備な笑顔が頭に浮かぶ。

 「あああああああああああああああ。」

 頭をかきむしってその笑顔を打ち消そうとする。

 なのに、ああ、それなのに。

 「(ボーーーーーーーー)いい。」

 ふと、したことで恍惚とアキトちゃんの笑顔を思い出してしまう。

 「ああああああああ。僕は違う! 変態じゃなぁぁぁぁぁぁい!!!!!」

 誰もいない会長室に僕の叫びが木霊した。















 俺は格納庫で仕事をしていた。

 これから、ナデシコは出港する。

 いくらでも、整備の仕事はある。

 なのに、この馬鹿は!!

 「ガイ。スーパーナッパアアアア!!」

 叫ぶと同時にエステが派手にひっくり返る。

 「あの馬鹿!!」

 すぐに、コクピットに向かう。

 「でははははは。ロボットだぜ。手があって、足があって思ったとおりに動くなんて。最高だぜ。」

 あれだけ派手に転んだのに、喜んでやがる。

 処置なしだな。

 こいつ。

 「この最新型のIFSのおかげだな。子供でもこれがありゃ運転出来る。」

 呆れてパイロットをジト目で見つめる。

 「ん〜。最高の気分だ。木星蜥蜴め。来るなら来てみろってんだ。だははははは・・・・・・はぁ!?」

 勢いよくコクピットを飛び出して高笑いを始めたかと思ったら、紫の顔色になってやがる。

 おや、よく見たら足が変な風に曲がってるぞ。

 「おたく。足、折れてるぞ。」

 「ふんぎゃぁぁぁぁ。」

 まったく、うるさいやつだ。

 医務班を呼んで、担架に載せる。

 とにかく、さっさと運んでもらおう。

 ドーーーーーン!!!!

 音とともに格納庫が揺れる。

 「なんだあ?」

 俺は呟いた。

 ブーブーブー

 『只今、敵、上空より攻撃中・・・・・・・・』

 敵襲だと!?

 しまった。

 唯一のパイロットが骨折だぞ。

 どうすんだよ。

 「ラピス。すぐに、ナデシコを動かすように言ってくれ。俺はこいつで・・・出る!!

 「分かった。」

 すぐ傍で、小さな子供の声が聞こえる。

 「はぁ!?」

 見て見るとまだ、誰かがエステに乗り込むところだ。

 「おい!! 何をしてる。」

 「パイロットがいないんだろう。代わりに出てやる。」

 「ちょ、ちょっと待て。」

 俺の制止も聞かずに、その誰かはエステを動かしてエレベーターに向かう。

 「くそ。誰かは知らんが、怪我するぞ。」

 忌々しげに呟いた。

 誰かは知らんが、任せるしかない。

 「頼んだぞ。本当に。」

 こぶしを握り締めると、俺は呟いた。













 『聞こえるか。こちらはテンカワ・アキト。これよりバッタを迎撃する。』

 私は驚いて、新たに開かれたウインドウを見ました。

 そこには、髪の色こそアキトさんと同じ黒色だけれど、アキトさんとはまるで思えない少女の姿がありました。

 黒い大きなバイザーが顔の半分以上を隠し、黒色のTシャツとズボンを着ています。

 「アキト?」

 隣でユリカさんが少女に問い掛けます。

 私も震える指先で頬を押さえながら、問い掛けます。

 「アキトさん?」

 「心配かけたね。ユリカ。ルリちゃん。今度こそ、一緒にいるよ。もう離れない。」

 そう言って、バイザーを取ります。

 神秘的な黒い瞳が姿を現します。

 その優しい眼差し。

 暖かな瞳。

 そうです。

 間違いありません。

 この瞳はアキトさんです。

 「アキトォォォォォ。」

 震える涙声でユリカさんがアキトさんの名前を呼びます。

 「アキトさん・・・・・・。」

 あれ、おかしいですね。

 私の声も震えています。

 涙声です。

 「俺が上の相手をする。その間にナデシコは浮上しろ。いいな。」

 そう言って、アキトさんは通信をきります。

 「ルリちゃん。」

 「ユリカさん。」

 目を見合わせます。

 お互いの顔に嬉しそうな表情が浮かびます。

 「今は、仕事だね。」

 「はい。マスターキーをお願いします。」

 「うん! 皆さん!! これより、ナデシコは海底を通って敵の背後に浮上後。グラビティーブラストで敵を一掃します。準備してください。」

 キッとした眼差しでクルーに指示します。

 でも、みんな動きません。

 あまりの変わり身の早さに皆ついていけないようです。

 呆然としています。

 駄目ですね。

 「ナデシコ。相転移エンジン始動。ドック注水。」

 皆が呆然としている間、私は淡々と作業をこなします。

 「ミナトさん。操船を。」

 呆けているミナトさんにお願いします。

 「えっ。あ、ああ!! うん。後で教えてもらうからね。ルリルリ。」

 ミナトさんが凄い目で私を見つめます。

 けれど、どこまで教えるかはアキトさん次第です。

 アキトさん。ぽっ。

 私は一人で頬を赤らめます。

 あっ。

 一人ではありませんね。

 「アッキト。アッキト。うふふふふふふ。」

 なにやら、浮かれきった不気味な笑い声が艦長席からします。

 ユリカさん。

 周りが引いてますよ。

 あっ。

 ジュンさんが隣でいじけています。

 アキトさんとの関係を尋ねたのに、無視をされたというところですか。

 「ちょ、ちょっと。あんな子供に何が出来ると言うのよ。」

 キノコが喚いています。

 うるさいですね。

 アキトさんを悪く言うのですか。

 ジトーとした冷たい目でキノコを見つめます。

 「そうですね。あんな小さな子が戦うなんて。」

 メグミさん。貴女もですか。

 「ぷんぷん。アキトは私の王子様なんだよ。だから、このくらいの敵は何でもないよ。ねっ。ルリちゃん。」

 「そうですね。ちなみにアキトさんは私のナイトです。(ポッ)

 「あーーーーーー!!!! 何それ。聞いてないよ。」

 うるさいですね。

 ブリッジにいる人、皆、耳を押さえています。

 「王子様? って女の子だよね?」

 ミナトさんが不思議そうに呟きます。

 私はユリカさんとの口論で忙しいので無視です。

 「ルリ。」

 パッと目の前にウインドウが開きます。

 ピンクの髪に金色の瞳。

 幼い姿ですが、間違いなくラピスです。

 「ナデシコを早く出して。」

 無表情ながら、慌てているようです。

 「どうしたんですか。アキトさんなら、この程度の敵に不覚は取らないでしょう。」

 「駄目。今のアキトは私たちと一緒。長くは戦えない。」

 「どういう事です?」

 私は金の瞳に訝しげな色を浮かべてラピスに尋ねます。

 「今のアキトはマシンチャイルド。前とは違うの。」

 「マシンチャイルド・・・・・・。」

 嫌な言葉です。

 ですが、この言葉の意味からすると・・・・・・。

 「まさか。 今のアキトさんは私たちと同じ身体なんですか。オペレーション用に調整された・・・・・・・・・。ユリカさん!!

 「ほへっ!! 何、ルリちゃん。」

 「急いでください。アキトさんが危険です。」

 「えっ。でも・・・・。」

 「早く!!!

 「うん。分かった。ミナトさん。急いで地上に向かってください。」

 「はぁーーーーい。」

 ミナトさんが気の抜ける声で返事をします。

 でも、その動きは今まで以上の速さで動いています。

 ナデシコの動きもアップです。

 「ルリちゃん。アキトがピンチって?」

 「ラピスの言うとおりなら。今のアキトさんは私達と同じオペレーターです。パイロットとして調整されていないんです。ちょっと動かすのならともかく、長時間の戦闘は自殺行為です。」

 「えーーーー!!! それって大変じゃない。」

 「だから、急ぐんです。」

 ナデシコがドックを出ます。

 ウインドウにはエレベーターが地上に出たところです。

 アキトさん。

 私達が行くまで、頑張ってください。

 祈るような気持ちで、私はナデシコをオペレートするのでした。















 俺は驚いた。

 エステの動きにだ。

 流れるような動きを見せたかと思うと、急制動をかけて突拍子も無い動きを見せる。

 とんでもない腕前のパイロットだ。

 見る見るうちに、バッタの数が減っていく。

 だが、おかしい。

 あんな動きが出来るはずが無い。

 それは、整備した俺がよく分かっている。

 「まさか・・・・・・。リミッターを切ったのか?」

 震える声で呟く。

 駄目だ。

 危険だ。

 俺は、コミュケでブリッジにつなぐ。

 「おい。聞こえるか。」

 『何ですか。ウリバタケさん。』

 金色の瞳の少女がウインドウに現れた。

 確か。この子はルリちゃんだったな。

 「すぐに、パイロットにつないでくれ。あの馬鹿。リミッターを切ってやがる。」

 『リミッター?』

 「おうともさ。エステには機体限界と制御限界があってな。機体限界ってのは、文字通りそれ以上は機体が耐え切れないって意味だ。それに対して、制御限界ってのはパイロットが耐えられる限界を表しているんだ。普通は制御限界まででリミッターがかかるようになっている。それ以上はGや衝撃を制御装置が吸収できなくなってしまうからな。なのに、あのパイロットはそれを切ってやがる。コクピットの中は滅茶苦茶だぞ。」

 俺の言葉にルリちゃんの白い顔が真っ青になる。

 『アキトさん。アキトさん。無茶は止めてください。アキトさん。』

 必死で呼びかける。

 しかし、応答は無いようだ。

 「アキトってのか。」

 俺はパイロットの名前を呟く。

 帰ってきたら、一発、殴ってやらねぇと気がすまねぇ。

 そのまえに、無事に帰ってきやがれよ。

 俺は、鬼神のような動きを見せるエステを祈るような気持ちで見るのだった。















 「嘘よ。信じられないわ。何でこんなに動けるのよ。」

 「むぅ。信じられん動きだ。」

 「これは、想像以上の腕前ですな。」

 「というより、エステってこんなに凄いんですか。」

 私の周りでアキトのことを感心したような恐れるような会話が行われています。

 「アキト。」

 バッタの足を掴んだかと思うと、エステを回転させて周りにぶつけ数機を弾き飛ばす。

 と思うと、懐に入り込み拳を叩きつける。

 ミサイルや体当たりをヒラリヒラリとかわすと、いつのまにか安全圏に抜けている。

 怖いよ、アキト。

 私は声に出さずに呟く。

 もちろん、アキトが怖いわけじゃない。

 アキトが私達を襲うなんてありえないって知ってるから。

 私が怖かったのは、自分を大事にしていないような行為。

 自分の命を削るような戦い方。

 一緒にいてくれるんだよね?

 今度こそ、幸せになるんだよね?

 アキトの戦い方にはどこか危うい物が感じられる。

 お願いだよ。

 無理しないでよ。

 心の中で呟く。

 『おい。聞こえるか。』

 突然、ウインドウが開き、ウリバタケさんが顔を出す。

 「何ですか。ウリバタケさん。」

 ルリちゃんが相手をする。

 『すぐに、パイロットにつないでくれ。あの馬鹿。リミッターを切ってやがる。』

 「リミッター?」

 『おうともさ。エステには機体限界と制御限界があってな。機体限界ってのは、文字通りそれ以上は機体が耐え切れないって意味だ。それに対して、制御限界ってのはパイロットが耐えられる限界を表しているんだ。普通は制御限界まででリミッターがかかるようになっている。それ以上はGや衝撃を制御装置が吸収できなくなってしまうからな。なのに、あのパイロットはそれを切ってやがる。コクピットの中は滅茶苦茶だぞ。』

 ウリバタケさんの言葉にルリちゃんの白い顔が真っ青になる。

 「アキトさん。アキトさん。無茶は止めてください。アキトさん。」

 やっぱり。

 どうして、無茶するんだろう。

 嫌だよ。アキト。

 今度、アキトを失ったら壊れちゃうよ。

 目に一杯涙をためて、ウインドウに映るエステを見る。

 「ウウウウウウウ・・・・。アキトの馬鹿ぁぁぁ。」

 「ユリカ・・・・。」

 ジュン君が私に話し掛けてくるけど、返事なんて出来ない。

 今はアキトのことを見ているだけで精一杯。

 「艦長。もうすぐ、地上に出るわよ。」

 「分かりました。ルリちゃん。アキトに連絡を。」

 「アキトさん。もうすぐ、ナデシコは海上に出ます。ナデシコに戻ってください。」

 その言葉が聞こえたのだろう。

 アキトのエステは海に向かう。

 そのアキトに向かって無数のミサイルが発射される。

 その全てを華麗な動きで避けるアキト。

 「むぅ。これは凄い。」

 「嘘よ。軍の最高のパイロットでも、こんな動きは無理だわ。」

 「一体。彼女は・・・・・・。」

 ブリッジにいる人達が、感心と不信を半々にしてウインドウに映るエステを見る。

 「ナデシコ。目的地に到着しました。いつでも、撃てます。」

 「グラビティーブラスト発射。目標、敵全部。てぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

 私は叫んだ。

 もちろん、アキトのエステがナデシコの上に避難したのを見届けている。

 重力波がバッタを消滅させる。

 「目標消滅。地上の被害は甚大ですが、幸い死者はありません。」

 「嘘よ。まぐれよ。こんなの。」

 「流石は。地球連合大学の主席ですな。」

 周りがなんか騒いでるけど、全て無視。

 「ルリちゃん。アキトは?」

 「テンカワ機。回収完了。すでに、格納庫に入ってます。」

 「ルリちゃん。」

 「ユリカさん。」

 「行こ!!!」

 「はい!!!」

 「ジュン君。後は頼むね。」

 「あっ! ちょっと、ユリカぁ。」

 私はルリちゃんを伴うと、格納庫へと向かうのだった。















 「どこのどいつだ。」

 俺は帰ってきたエステに向かって歩く。

 「まったく。一発、ぶん殴ってやる。」

 もちろん。俺だってこのパイロットのおかげで、ナデシコが助かったのは知っている。

 だが、あんな無茶をさせるために、俺たちはエステを整備するんじゃない。

 自殺行動は迷惑だ。

 説教してやる。

 そう思ってコクピットに向かう。

 ドン!!

 「おっと!!」

 突然、押しのけられた。

 手すりを掴んで落下を防ぐ。

 俺は押した相手に文句をいう。

 「なにしやがる。このやろう!?」

 「アキト。アキト。アキト。アキト。アキト。アキト。アキト。アキト。アキト。アキト。」

 ピンクの髪の小さな女の子が、エステに向かって走っている。

 「なんでぇ。まだ、子供じゃねぇか。」

 あっけに取れれちまった。

 まあ、いい。

 あの子の後で、たっぷり文句を言ってやる。

 そう思って手すりに持たれて様子を見ていると。

 「アキトーーーーーーー!!」

 「アキトさぁぁぁぁぁぁぁん!!」


 ルリちゃんと仕官服の女が目の前を走っていきやがった。

 「なんだぁ!?」

 あまりの速さに、口を開いて呆然とする。

 その間にも、コクピットの中に女が入ると、黒髪の無骨なバイザーをした少女を中から引っ張り出す。

 「ちょっと待て。あれを操縦したのは、あの子か?」

 まだ、10歳にも満たない幼子だ。

 グッタリとしており、鼻からは血が出ている。

 「うそだろ!?」

 俺は自分の目が信じられず、メガネの曇りをハンカチで拭ってもう一度確認する。

 だが、どうみても、少女の姿は変わらない。

 細い手足に、小さな身体。

 ぐったりと力のない姿。

 「あんな小さな子に俺達は救われたのか。」

 ガンッ

 手すりを殴りつける。

 「くそっ。」

 自分のふがいなさに苛立つ。

 小さな子供がその身を削って、俺達を救う。

 なのに、俺達は見ているだけか?

 文句なんて、とてもじゃないが言えねぇ。

 俺は仕官服の女に抱かれて医務室に向かう少女の姿を見ながら、自分の情けなさに唇を噛み締めるのだった。















 「ここは?」

 俺は目を開いた。

 どうやら、バイザーは既に外されているようだ。

 「アキト。気が付いた?」

 「アキトさん。」

 「アキト。」

 俺にとって最も大切な人達の声とともに、泣き顔の3人の顔が目に入ってきた。

 「ユリカ。ルリちゃん。ラピス。」

 俺は呟いたが、自分で思った以上の弱弱しい声しか出せない。

 くそっ。

 何て貧弱なんだ。

 顔をゆがめる。

 「アキトさん。大丈夫ですか?」

 すぐさま、ルリちゃんが心配そうに、俺の顔を覗き込む。

 「あ、ああ。大丈夫だ。心配要らない。」

 「そうですか。」

 ルリちゃんがホッと息をつく。

 「何が大丈夫よ。無茶して。本当に心配したんだからね。」

 ユリカが顔の前に人差し指を立てて文句をいう。

 その横で、ラピスが無言で頷いている。

 ああ、俺は帰ってきたんだな。

 「ああ。すまなかったな。ただいま。ユリカ・ルリちゃん。」

 ニッコリ

 故郷に帰ってきた充実感に、俺は笑った。

 帰ってきたんだ。

 「うん。お帰り。アキト。」

 「お帰りなさい。アキトさん。」

 どことなく赤い顔をした二人の笑顔に安心した。

 「悪いが、眠るぞ。」

 そう言って目を瞑る。

 今までは眠りに入るのが怖かった。

 夢を見るのが恐ろしかった。

 だが・・・・・・。

 俺は家族のもとに帰ってきた安心感に包まれて、眠りの中へと入っていった。











 あとがき

 初めまして。
 Tuneといいます。
 初めて、ナデシコの小説を書きます。
 「時の流れを」・「愛天使」・「ブラックリリー」など、素晴らしいナデシコ小説を読んで感動し、自分でも書きたくなり投稿させてもらいました。
 今までは、EVAで小説を書いていたのですが、今回はナデシコです。
 少し書き方を変えました。
 それぞれの人から見た一人称です。
 まだまだ、至らないところがあるでしょうが、よろしくお願いします。