「……リ…………ルリ……ルリ……ルリ。起きて下さい。ルリ」




 椅子に身を預けていた少女がピクッと反応した。

 そして、薄く眼を開く。金色の瞳。

 少女以外誰もいないブリッジを茫と眺めて呟く。


「……オモイカネ?」

「はい。ルリ。しっかりと眼を覚まして」


 金の眼が一度、瞬きし、周りを見回した。


「おはよう。ルリ」

「…………オモイカネ。ここは?」

 白銀の髪の少女がぼやけた頭をはっきりさせるために軽く振る。


「ナデシコのブリッジ」


「…………生きてる?」

 少女はぼんやりと呟き、



「アキトさんはっ!?」


 次の瞬間、椅子から飛び上がらんばかりに、銀髪の少女は必死の形相でオモイカネに喰い付いた。


「大丈夫だよ、ルリ。今から2時間前にアンカーにつながれたまま宇宙に漂っていた『ブラックサレナ』を回収。テンカワアキトは、眼を覚ますと厄介だから医療用睡眠カプセルに放り込んどいたよ」



「…………ナイスです。オモイカネ」



「どういたしまして」

 オモイカネの銅鐸アイコンがウインクしたように瞬いた。


 少女は深く息を吸い込み、そして吐きだした。

「ここは、何処です」

「地球軌道から約2万キロ離れた地点」

「不確定ジャンプにしてはそう遠くないところに跳ばされましたね。…………それが良かったのか……悪かったのか……」


 少女は年に似合わない深く重い沈痛な表情を見せる。


「行きましょう、オモイカネ。地球へ。『私の戦い』の始まりです」

「………………」

「??…………オモイカネ?」

「それなんだけど、ルリ。少し、問題が発生して」


 非常に珍しく歯切れの悪いオモイカネに少女は小首を傾げる。

「問題?」

「その…………ルリ。立ってみれば解るよ」


「?」


 オモイカネの言葉につられて椅子から降り、

「なっ!?」

 途端にずり落ちるスカートを慌てて抑えた。


「な……なに!?」


 靴はぶかぶか、袖も長く手まで隠れてしまっている。

 帽子も立った拍子に落っこちてしまい、マントは胸の辺りまでずり下がった。


「な、なななななな、なんなんです。これは……?」


 あたふたと慌てる少女にオモイカネは呆れたように、戸惑うように告げた。


「いや……何といわれても。11歳の頃のルリにそっくり…………というしかありませんが」

「……………………どうして?……………………
まさかっ!?

「はい。現在の年数を調べてみたところ2196年と算出されました」

「…………………………時間移動?」

「……………………確率76%」

「……………夢ですか?」

「夢の確率0.003%」

「そうですか」

「……はい」

「……」

「…」








機動戦艦ナデシコ
    フェアリーダンス

第一章『ジェノサイド・フェアリー』

第一話『『男らしく』で…………私、少女です』





『ネルガル会長室』


 そう名づけられた部屋は会長室というほど豪華な部屋ではなかった。

 赤い絨毯など敷いていないし、マホガニーの机でもない。皮製のソファーもないし、酒瓶が並んだキャビネットも無い。

 だが、そこは完全に盗聴を阻止した最新式の防犯システム。3重構造になった防弾ガラス。いざという時はライフル弾も止める鉄鋼が入った机。エトセトラ、エトセトラ……。

 セキュリュティシステムの要塞。――たしかに、そこは会長室に相応しい部屋だった。

 その会長席に座っているまだ20代前半の男が片肘を突き、机の前に立っている男を眺める。


「で、プロスペクターくん。状況は?」

「人員の9割までは決定しましたが…………」

 プロスペクターと呼ばれた細身の男が眼鏡を押し上げ、言葉を濁す。


 プロスペクター。『会計士』と名乗っている男の、眼光は事務職のものではなかった。

 会計士と偽り――実際には会計の仕事もやっているが――それを隠れ蓑としたネルガルセキュルティー・サービス。ネルガルきっての諜報部員だった。

 その隣に立つ、深いブルーのスーツを着こなした東洋系の黒髪の女性が切れ眼を訝しげに細める。『エリナ・キンジョウ・ウォン』22才で会長秘書まで登りつめた才女である。


「まだ1割も決まらないの?」

「いえ、正確には1人です。しかし、この1人がいないと戦艦本来の能力を発揮できません。ゆえに、重要度から見れば1割分以上に相当します」

「オペレーターね」

「ご察しのとおりです。こればかりは、お金をいくらかけても調達できませんので」


 会長席に座っている男は自慢の長髪を掻き揚げ、深々と溜息をついた。

「FA-44――『星野瑠璃』が2年前に亡くなったのは痛かったね〜〜」

「あの事件は……彼女には重すぎたのでしょう。死因も精神衰弱ですから」


 ミスコンに出場すれば上位入賞間違いなしの美貌をもつ会長秘書エリナが憂いをおびた表情で、首を振る。

「じゃあ、残るのはFA-64とFA-65のどちらかしかないじゃない。会長。どうするんです?」




 会長と呼ばれた青年――まだ若造と呼んでも違和感ない年齢の男は前髪を後ろに流しつつ、苦笑を浮かべる。

「エリナくん。どちらかしかなければ、どちらかを選ぶしかないんじゃないかな。今回の場合は『二人とも』という選択肢も存在するけどね」


 二人を思い浮かべ、エリナは顔を顰めた。

「二人……といっても二人ともまだ『6歳』なのよ。いくらなんでもそれは拙いわ」

「しかし、彼らがいませんことには…………」

「わかってるわよ。そんなこと!!」

 プロスペクターの言葉を無理やり断ち切って、エレナは一睨みくれた。


 歳に似合わない深い溜息をつつ、若造の会長は頬杖をついた腕に体重をかける。

「しかたがない。一応、その方針で進めるとして……。オモイカネの教育は誰か他の人間に任せなきゃならないね」

 その決定にプロスペクターは宇宙ソロバンを弾き、エリナは手にもっていた書類をぱらぱらとめくる。


 そんな彼らを眺めながら、まだ年若い会長は考えこんだ。

 やれやれ、この宇宙戦艦なんてものが飛んでるこの時代に、最後にものを云うのが人の能力だとはね。

 何よりも最優先で進めてきたこの計画だけど……キーの消失でパンドラの箱は開かずに終わりそうだ。

 さてはて、どうしたものかな〜〜〜。

 このままでは全てをあいつらに握られてしまうし。先手はこっちが取ったけど、ジリ貧だね。


 ピピピピピ


 突然、鳴った電子アラーム音が会長の思考を中断させた。


 会長は物憂げに手を伸ばし、内線のマイクボタンを押す。

「ん〜〜。なんだい?」

「あっ。こちら、受付のミシマです。アカツキ会長。お客様が来ているのですが……」

 ウグイス嬢の可憐な声が会長室に透る。


「来客?………………エリナくん?」

「この時間に来客の予定は入れておりませんが」

「だ、そうだよ。来客は会長秘書のエリナくんを通してくれと云っておいてくれたまえ」

 アカツキは会長あるまじき軽薄な口調で答えた。


「そ、それが…………」

 普通なら、ここで受話器を置く受付嬢が珍しく言葉を濁す。


「とても若い女性の方なのですが………………」




 ピキッ!!




 その一言に会長室が凍りついた。


 ナデシコの出航を控え、猫の手でも借りたいくらい忙しい時期である。

 それを…………この『ダメ』会長は。

 二人の眼がアカツキを貫き、雄弁に語っていた。



 
が、そんな視線など歯牙にかけるアカツキではない。

 面の皮がぶ厚くなければ会長職など勤まらないのだ。


 アカツキは頭の中で、押しかけてきそうな女性の名をリストアップしながら、

「じゃあ、名前と電話番号を訊いておいてくれないかな。後でこっちから電話するからって…………」

「それが……すぐにお会いしたいと」


 部下二人の殺気で、一気に氷点下まで下がる会長室。毎度々々、会長室の冷房節約に貢献するイイ社員である。

 二人の姿を眼の端に留めながらも、笑みを浮かべるアカツキ。


「そう、いわれてもねぇ〜〜」


 ここで承諾の返事など受けたら、この部屋にブリザードの嵐が吹き荒れるのは確実だった。

 さすがのアカツキも、眼を『カーーッ』と発光させている部下の凍てついた視線を前に、しぶしぶ会うのを断念せざるえない。これ以上は本気で命にかかわってくる。


「え?なに?……でも……」


 電話越しの令嬢が何かを喋っている。たぶん、その女性と会話しているのだろう。


「え?そう言えば、会うはずって…………?」




 笑顔の表情で強張ったまま、アカツキの顔色が一気に蒼白くなった。


 逢うことを、避けられない言葉…………だって?


 瞬時に、アカツキの脳裏に最悪の言葉が思い浮かんだ。

 男を縛る魔法の台詞。婚姻という墓場。家庭という義務。それを決めるたった一言。


 
『できちゃったの』………………なんて、言ってくれるなよ。頼むからさ。


 笑顔で固まったダメ会長に、補佐役二人はアイコンタクトでお仕置きの数々を冷然と選んでいた。 


「すいません。え〜と。ス……スキャパレリ・プロジェクト。機動戦艦ナデシコ。イネス・フレサンジュ。こう言えば会ってくれるはずだ……と、こちらのお嬢さんがいうのですが?」


「「「なんだってっ!?」」」


 三人の声が見事に重なる。その声に驚く受付嬢。


「す、すいません!!えっと、この子には無理だといって帰しますので……すいません。お手数を…………」


「待った」


 必死に謝る受付嬢を表向きは冷静な声で止めるアカツキ。

 エリナとプロスペクターに目配せをすると、真顔に戻った二人が頷く。


「会ってみようじゃないか」

「ほ、本当ですか。わかりました。そうお伝えます」

「今、プロスくんをそちらに向かわせるから、ほんの少し待つように言ってもらえるかな?」

「はい。…………あっ?ちょっと待って。………………あの、すいません。アカツキ会長。お客様は会長室の場所は知ってるといって、そちらに向かわれてしまったのですが」

「わかった。ありがとう」


 そう礼を述べ、マイクのボタンを切って二人の顔を見つめる。

「さて、これが鬼と出るかな。それとも、蛇と出るかな?」

「これは、極秘プロジェクトよ。そうそう、洩れるはずが……」

「ユスリにしては変ですね。金儲けなら直接会いに来るのは変ですし、会長暗殺なら個人で会いたがるでしょうし…………。後、残る可能性は会長室で自爆……という線でしょうか?」

「ちょっと、ヤバイじゃない!?」

「それに関してはプロスくんがいるから平気だと思うよ。後は、クリムゾンの使者かもね?」

「まあ、交渉しだいと、いうことですな」


 ベストをピッと引っ張り、扉を見るプロス。

 と、同時に扉がノックされた。

「開いてるよ」


 扉が開き、小さな身体が滑り込んでくる。

 そこに現れたのは膝までの白いマントを羽織り、白いバイザーをかけ、銀髪をツインテールにした10歳前後の少女。

 後ろ手に扉を閉めて、アカツキの前に立った。


「これはこれは、若いと聞いていたがここまでとはね」


 ニヤリと笑うアカツキ。それを少女は無下に切り捨てる。

「似合ってませんよ。アカツキさん」

「おやっ、僕の名前を知ってるのかい?」

「はい。エリナさんとプロスさんも」


 電子音声のように何の感情も示さない冷たい声。

 いや、今日の合成電子音声のほうが、まだ感情があるように聞こえるだろう。

 組んだ腕に顎を乗せて、迷子相談所の子供に問うような口調でアカツキは尋ねる。


「で、君はいったい誰なんだい?」


 アカツキの疑問に答えるように少女は白いバイザーを外した。


 銀の髪に合い極まった妖精のような容貌。

 そして、月の輝きにも等しい『金の瞳』


「「「!?」」」


 三人が眼を見開いて驚愕した。そう、彼女は『死んだ』はずである。


「失礼だが…………名前を聞かせてもらえるかな?」


 軽薄な口調を装って言うが、アカツキの口の中はカラカラに渇いていた。


 少女は静かに『名』を紡ぐ。

「ルリ。…………『星野瑠璃』です」


「し、死んだと聞いていたんだがね」

「そのようですね」


 三人の探るような視線にも何の反応も示さずに平坦な声で返答するルリ。

 ルリの表情は無表情に固定されていて、瀬戸物人形のように変わらない。無表情という言葉がこれほど似合うものはないだろう。


「『星野瑠璃』さん。今まで何処で何をされていたのですか?」


 プロスペクターに向けられた人形のようなルリの瞳からは何の感情も読めなかった。

「社会観察を少し」

「それは…………結構なことですな。ですが、その為だけに死んだと見せかけるのは、少々やり過ぎだと思いますが?」

「その程度で、ネルガルに『やり過ぎ』などと言われる筋合いはありません」


 アカツキとプロスが苦笑した。その通りである。ネルガルの暗部に比べれば、その程度の事など取るに足りない。

 沈黙した男二人に変わって、エリナが問い掛ける。


「で、ホシノ・ルリ。今ごろ訪ねて来て、何の用?」

「ナデシコのオペレーターに空きはありますか?」


 エリナは眼を見開き、慌てて首を縦に振る。まさか、こんな少女が自分から戦艦に乗りたいなどと言い出すとは。

「ええ、あるわよ。乗ってくれるの?」


「条件が二つほどありますが」


 そらきた。


 エリナは心の中でニヤリと嗤う。

 条件というのは相手の正体を掴む強力な要素となる。その条件下で成し遂げられること、それを突き止めれば隠し事など簡単に暴ける。ここはネルガルなのだ。情報収集ならお手の物。

 これで、化けの皮を剥いでやる事ができるわ。

 チラリとプロスにめくばせすると、彼も目線で返してくる。

 エリナはニッコリと笑い、猫なで声で尋ねた。


「なに?あなたが乗ってくれるなら大抵の条件は聞くわよ」

「そうですか。では、一つ目。ネルガル研究所にいるFA-64をナデシコのサブオペレーターにすること」

「なっ。なんで、FA-64のことを知ってるの?」

「彼女は私にとって妹みたいなものですから」


 素っ気無く言う少女に、プロスは問題を提示する。

「ですが、彼女の能力はまだそこまで達しておりませんが。どうするおつもりで?」

「これから、半年間、特別学習を受けさせれば実戦でも十分通用するようになると思います」

「では、すぐに乗せなくても良いというわけですか?」

「はい」


 エリナは探るように目を細めた。この少女は、自分たちの予想を軽々と覆してくれる。

「で、もう一つは?」

「はい。ナデシコ出航の日に『テンカワ・アキト』と名乗る男の人が現れるはずです。その人をナデシコで雇うこと」

「テンカワ……アキト?」

 アカツキはどこかで聞いたことがある名前を呟いた。が、思い出せない。


「火星ネルガル遺跡解析部のCC研究者だったテンカワ博士夫妻の息子です」


「!!」


 三人は驚きの表情でルリを凝視する。


「彼は…………死んだんじゃ」

「火星の人が全滅していたらスキャパレリ・プロジェクトは成り立たないと思いますが」

「だけど、彼は火星にいるはずよ。地球に来れるはずがないわ」

「兎に角、それが二つ目の条件です」

「それだけで乗ってくれるの?」

「はい」


 エリナは困惑した。どこかの組織の差し金で動いていたとすれば、もう少し直接的な要求をしてくるだろう。



 地位とか。権限とか。



 『テンカワ・アキト』なる人物がルリと同等の組織の者の可能性もあるが、ナデシコにはプロスペクターも乗るのだ。

 一人や二人でどうとなる戦艦ではない。

 『オモイカネ』に近づくのが目的?ならば、FA-64をサブオペレーターにしろという条件と合わない。

 エリナは首を振った。情報が少なすぎる。

 悔しいが………………今はまだ結論を出すには早い。


 プロスは懐から小さい機械を取り出した。

「『星野瑠璃』さん。最後に少しよろしいですか?」


 仮面のような無表情の顔が無言で見つめ返してくる。


「身元を調べたいのですが。いや〜。我々も死に物狂いで進めている計画でして、これくらいの用心はしておかないと」

「に、してはそこの会長さん。暇そうでしたね」

「いや、まったくそのと〜〜り」

 アカツキは乾いた笑い声を上げた。エリナが右拳を振るわせる。


「そこにいる窓際会長は放っておきまして。で、よろしいですか?ルリさん」

「かまいませんが」

「いや〜。すいませんねぇ。これも一応規則でして」


 などと言い訳をしながら、首筋に検査器をつけた。

 彼女の遺伝子を検査器にかけながら、プロスはルリを観察する。

 本当に人間かと思うような秀麗な容姿。幻想的な金の瞳に銀の髪。白い肌と相まって『妖精』という字がぴたりと合う。

 その、無表情な表情さえ抜かせば。

 冷たい表情のため、瀬戸物人形のような印象を受ける。


 社会観察をしてきたと言ってましたが…………感情は育たなかったようですね。


 『ピッ』と云う電子音と供に鑑定結果が出力される。結果は、100%本人のもの。

 プロスはアカツキとエリナに頷く。


「はい。終わりました。失礼しました。確かに『星野瑠璃』さんですね。では、後で契約書にサインをお願いします。ああ、そうそう。オペレーターには危険手当と残業がつきまして、だいたいこんなものになります。いかがです?」


 ルリは差し出された宇宙ソロバンをチラリと一瞥し、興味なさそうにプロスの顔に視線を戻した。

「それよりも、私の条件は呑んでくれるのですか?」

「それは、もちろん」

「では、後はそちらで決めてください。私には良くわかりませんから」


 さらりと流されてしまい、プロスは苦笑いを浮かべた。

「それにしても、もう少し早く来て欲しかったですねぇ。あっ、いえいえ。恨み言を言っているわけではありません」

「なぜです?」

「ナデシコのスーパーコンピュータ『オモイカネ』の調整を、手伝って欲しかったんです」


 エリナがプロスの説明を受け継ぐ。

「今のままでは、出航日までには最低限のシステムは立ち上げられるけど…………それ以上の細かい調整は出航後となるわね」

「今のところ、出航後にオモイカネを調整できるのはルリさんしか居ませんから。ルリさんの仕事量が増えると思いましてね。ああ、もちろん。特別手当は出します」


 ナデシコの電子脳オモイカネは自己書き換えを行うフィードバックシステムをとっているため、その思考プログラムはプログラマーたちの予想をはるかに越えるほど複雑に成長していた。

 ネルガル所属のプログラマーはその電脳を宥めすかし脅しつけて、『教育』しているのだが、オモイカネが言うことを聞いてくれないため、四苦八苦しているのが現状だった。

 だが、その白銀の少女は彼らの血と汗のにじむ努力をたった一言で、あっさりと無下にする。


「大丈夫ですよ」


 その思いがけない一言に、思わずアカツキは訊ねた。

「なんでだい?」

「オモイカネの調整なら二週間もあれば十分ですから」

 断言されたルリの言葉に三人が凍りついた。


「なっ?ネルガルのスタッフが1年がかりでもまだ終わらないのよっ!!」


 エリナが激昂して怒声を上げた。


 ルリは冷めた眼でエリナを眺める。

「オモイカネをただのコンピューターと考えて接している限り、何年経っても終わりませんよ」

「その言い方はオモイカネにあったことがあるようだね?」

「……………………ネット上で少し」


 アカツキが眼を細める。オモイカネがネットに?そんな形跡は無かったが?

 無理矢理、疑念を押し込め、一瞬で笑顔に戻ったアカツキは、

「それじゃあ、ルリくん。悪いけどこれからオモイカネの調整に参加してくれないかな。特別手当を弾むからさ」


「はい。では、エリナさん。ラピ……FA-64の方を頼みます」

「頼むといわれても、具体的に何をすればいいの?」

「後で、特別講習用のプログラムを渡しますので、届けてください」

「準備いいわね」

「どうも。プロスさん。オモイカネの所に案内してください」

「では、まいりましょうか」


 プロスに案内されて、部屋を出て行った。

 会長室に残った二人は眼を合わせる。


「さてはて、何者だろうね。『瑠璃』くんは」


 苛立ちを押さえつけるようにルリの出て行った扉を睨みつけるエリナ。

「まだ、情報が少なすぎます。SSに背後関係を当たらせます」

「今のところ吉と出ているが、これがいつまで続くかな?」

「続かせて見せますわ。無理やりでも!!」


 拳を握り締めるエリナを横目で眺めながら、アカツキは大きく伸びをした。


「兎に角。これで、ナデシコの人員は全て埋まったわけだ。サブオペレータと『テンカワアキト』を抜かしてね」


 プロスに部屋へ案内されたルリは、一人になると銀のアタッシュケースを床に放り投げた。

 白色のマントを取り払い、ベッドの端に腰を下ろす。


「ルリ。うまくいったみたいだね」


 ルリ、独りしかいない薄暗い個室に別の声が響いた。


「まあ、及第点はつけられるでしょう」


 瀬戸物人形のような表情を崩し、ルリは軽やかに微笑む。


「久しぶりに、人形のような私を演じてみましたが結構疲れるものですね」

「ルリ。今からそんなんで、後3年も大丈夫?」


 薄暗い部屋でクスクスとルリは独り、笑った。

「そこまでは隠しとおせないでしょう。オモイカネ。そちらの首尾はどうですか?」

「アキトのボソンフィールド発生装置と、対人ディストーションフィールド装置は直しといたよ。だけど、『ブラックサレナ』は時間がかかると思う」

「そうですね。1年あれば、直せますか?」

「それだけあればできると思うよ。設計図もあるし」

「では、それでお願いします。私はこれからオモイカネAの最終調整にかかりますから、アキトさんのこと、頼みます」

「そのことだけど。ルリ。本当にいいの?」


 ルリの瞳に悪戯を仕掛けるような、面白がるような光が宿る。


「はい。出航の当日にサセボドックの近くに転がしておいてください。輸送には念を入れて光学迷彩装備のジョロに運ばせて」

「それで、アキトは本当にナデシコに乗るかな?」

「オモイカネ……いえ、オモイカネC。あなたにもナデシコA時代の記録は残っているでしょう?あなたが記憶しているアキトさんなら、必ず乗ります」

「そうだね、わかった。アキトのことは任せて。それから、見つけたよ。『探し人』」


 ルリは眼を見開く。


「『彼女』が?」

「うん。向こうからアクセスがあったんだけどね」


 ルリはバフッとベッドにねっころがった。その顔には安堵の表情が浮かんでいる。


「『彼女』の『殻』が必要ですね」

「こっちで『甲殻』作る?」

「いえ、私が『ロスト・ナンバー』用のシェルオペレーティングプログラムを組みます」

「僕も一緒についていければ良かったんだけど…………。
 そうだ!!オモイカネAに僕の記憶を移しておいて。そうすれば、オモイカネAの能力も上がるし、ボソンジャンプするときもオモイカネAの演算機能が使えるよ」


「いい考えですね。そうしましょう。………たしか、ナデシコCの改造と艤装が終わるのは1年後でしたね。楽しみにしてます」


「見せてあげるよ。イネス、ウリバタケ、タカマツ、フューリー、カイト、そしてルリたちが構想し、設計した『殲滅戦艦ナデシコ』を。楽しみにしていて」


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