「…………たい…………くつ…………」




「艦長。それ、38回目です」

 ルリがモニターに表示されているプログラムを修正しながら、答える。


「だって〜〜〜〜〜〜〜!!すっごい退屈なんだもん!!」

「まあ、否定はしませんが」


 今、ナデシコブリッジには艦長席でタレているユリカ。通信席でファッション誌をめくっているメグミ。オペレーター席で何かをプログラミングしているルリ。ユリカの真後ろで直立不動で立っているゴート。

 いつもながら、ミナトはお寝坊さんである。


 『コルリ』は今日、メンテナンスで裏側に引っ込んでいた。



「う〜〜〜〜〜!!タイクツ!タイクツ!タイクツ!タイクツ!タイクツ〜〜〜〜〜〜〜!!

「艦長。鯛と靴が降ってきそうなので、止めてください」


「にゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」




 項垂れていたユリカは顔を上げる。

「そういえば、ルリちゃん。出航時からず〜〜っとプログラム組んでたよね。まだ、終わんないの?」

「一応、終わっています。今はバグ取りです」


「ふ〜〜〜ん。いいなあ、やることあって〜〜〜〜」

 再び、ユリカがタレた。



「そうですか?」

「うん。それに比べて、あたしはひまのヒマの暇。な〜〜〜んにも、やることがない。ルリちゃん。艦長ってなんだろうね」


 ルリがプログラム画面を閉じた。

「知りたいですか?」

「うん。知りたい」

「教えることはできませんが、過去のデータなら」




「本当?」

 ユリカが勢いよく顔を上げ、眼を輝かせた。




 椅子から立ち上がったルリが中空に人差し指を振り、

「オモイカネ。データ転送。ライブラリよりデータ検索。艦長の傾向と分析」

 ユリカのところまで歩いていく。



「ルリちゃん、すごい。子供なのに――」


「私、少女です」


「…………はぁ」



 ユリカとルリの前にオモイカネの銅鐸アイコン画面が現れた。

「来ました。いつ頃の艦長にしますか?」

「あ、ここ百年で」


 ウインドウ画面に、『検索中』という文字が表示され、その上下に何体もの『コルリ』がポテポテと歩いていく。



 突然、その『コルリ』たちがピタリと立ち止まり、ユリカたちに顔を向け、一斉にニッと笑った。



「…………でました。最近の艦長の傾向と分析。第二次大戦以降、名艦長と呼ばれる艦長は出現していない。現代のように戦闘がマシンシステム化した時代では、僅か一艦長の決断に大戦の優劣を決める力は無い。艦長は戦艦のシンボルになるような象徴。または、クルーの不平不満悩みを気持ち良く吸収する役目が取れればよい。よって、最近は若者にやる気を持たせるために美少年、美少女タイプも多い」


 ルリの淡々とした説明にユリカの顔が蒼ざめていく。

「そ、それって――」



「ようは、作戦力や決断力などのある本質的な艦長は必要としないってことです」



「それって、…………それってどういうこと?」

 頭の回転の速いユリカである。答えはもうわかっていた。

 でも、心が納得しない。訊かずにはいられない。



 ルリに泣きそうな顔で尋ねるユリカに、メグミがファッション誌から顔を上げて、ポソッと呟いた。






「はやい話、誰でもいいってことですね」







!!……う…………うぅ…………うわ――






「そうでもありませんよ」



 泣きながら走り出そうとするユリカを、ルリの平淡な声が押し止める。






「ル、ルリちゃん?」

 大きな眼をいっぱいに潤ませたユリカはルリを見つめた。




 ユリカから視線を逸らしたルリがモニターを――――漆黒の宇宙空間を眺める。


 無限に広がる深遠の宇宙と無数に煌めく星々。

 人の命から見れば、永遠と呼べる悠久の世界。

 だが、そんな世界にも、生と死は存在する。




「大戦の優劣は決められないかもしれませんが、戦闘中の艦長の一言で、その艦の全員の運命が決まります」


 ルリが宇宙を見透かすように金の双眸を細める。


「『ナデシコ』の二百名の『命』が、艦長の『命令』にかかっているんです。二百名の『命』を背負う決断。誰にでも、できることではありません」





 ユリカ、メグミ、ゴートが、驚いた表情でルリを見つめた。





 ルリが顔を伏せて、己の白い両掌に視線を墜とす。



「たった、一つの愚かな判断で、間違った命令で、全てを失うんです。

 戦友を……部下を……弟を……家族を……そして、『親友』を…………。

 浅はかな選択をした瞬間、全てが瞬く間に、掌からこぼれ落ちるんです」



 静かに金瞳の双眸を閉じた。


「それは…………二度と取り戻せません。

 どんなに自分を呪い、罵倒し、傷つけ、血の涙を流しても、その『大切なもの』は二度と帰ってこない。

 そして…………後に残るのは――――」




「ル…………ルリちゃん?」




 ルリが眼を開き、無感情な金の瞳をユリカに向ける。

「…………と、いう『映画』が最近ありましたね」



「へっ?」


「題名は忘れてしまいましたが、たしかそんな内容だったと…………艦長はご存じないですか?」


「え、映画?………あ……アハハハハハ。そっか、映画か…………あたし、てっきり――――」






 ルリの、水のように透明な金の瞳。






 ユリカは『ルリちゃんのことだと思った』という言葉を呑み込んだ。

 何故か、その言葉を言い出せなかった。


 だから、別の台詞を口にする。

「でも、ルリちゃん。あたし、そんな重いものを背負える艦長に、なれる自信ないよ」

「なれますよ。艦長なら」

「そうかな〜?」

「そうですよ」

「そうかな〜〜?」

「そうですよ」

「そうなのかな〜〜〜」

「そうですよ」



 考え込んでいたユリカはふと顔を上げた。

「でも、あたしが今、暇なのは変わるわけじゃないんだよね」


 ルリが視線を逸らす。

「まあ、それはそうですが」


「うう〜〜〜〜〜。やっぱり、あたしは艦内で一番、暇な艦長さんなんだぁ〜〜〜〜〜」


「まあ、それも否定しませんが」

「うっ!!何気にひどいね。ルリちゃん」



 小さく溜息をついたルリが、再び泣き出しそうなユリカに尋ねる。

「艦長。艦長の一番大切なものってなんですか?」


「あたしの…………一番大切なもの?」


「はい」


 夜、寝るときに抱いて眠るヌイグルミ。お父様から誕生日に貰ったネックレス。お母様の形見の指輪。心の支えの写真立て。パーティ用のドレス。お気に入りの帽子。この前、買ったリング。

 大切なものなら、いっぱいある。

 でも…………でも、一番大切なものは――。



「アキトッ!!アキトが一番大切!!」

 ユリカの歓声にルリが頷く。

「それを忘れなければ、大丈夫ですよ」


「大丈夫って?」



「『艦長は』、一番大切なものを忘れずに行動すれば大丈夫ですよ。それで、立派な艦長になれると思います」



「一番大切なものを忘れずに行動………………そうかっ!!
アキトは…………
あたしが好き!!アキトはあたしが好き!!
それを、忘れなければいいんだ!!
あたし、艦長としてどうすればいいかわかったよ!!
ありがとう、ルリちゃん!!

アキト〜〜〜!!今、行くからね〜〜〜〜!!

 ブリッジから背を翻し、ユリカは全速力で食堂に走っていった。







「ちょっと違いますが………………まあ、艦長はあれくらいでいいでしょう」

 呟きながらルリはオペレーター席へ歩いていく。






 じっと注がれているメグミの視線に気づいて、ルリが顔を上げた。

「なにか?」

「ルリちゃんて艦長の味方?」


 ルリがわずかに首を傾げる。

「なにが『味方』なんですか?」



「ううん。別になんでもない」

 不貞腐れてメグミは雑誌に戻った。恋も知らない11歳の少女に言っても、詮無き事である。



 真横で、メグミを眺めていたルリが口を開く。

「艦長の模倣(まね)は誰にもできないと思いますよ」


「え?」

 驚いて顔を上げるメグミに、ルリが無感情に話しかける。

「たった一人の命と、その他大勢の命を天秤にかけられる人物が艦長以外にいるとは思えません。たとえ、地球が滅んでも艦長は、100パーセント、テンカワさんを取るでしょう」




 ルリが何を言いたいのか把握できないメグミはハテナマークを浮かべ、眼を瞬かせた。




「艦長は艦長だということです。模倣できなくたって、それで優劣が決まるわけではありません」

「ルリちゃんの言いたいことって…………艦長は艦長で、アタシはアタシってこと?」

「『昔』、私の『家族』だった『姉』が言った台詞ですが「あたしは、あたしらしくやります」と。事実、その人は実にその人らしくやってのけました。メグミさんもメグミさんらしくやってみたらどうですか?」

「あたしらしく…………か。艦長が言いそうな言葉よね。それ」


「………………そう…………ですね」



 しばらく、何かを考えていたメグミはふっと息をついてから、ルリを眺める。

「ルリちゃんて…………すごいよね」

「そんなことありません」

「ううん。凄いと思う。他にも、アキトさんとか、艦長とか、ミナトさんとか、ウリバタケさんとか…………。この『ナデシコ』ってさ。そういう凄い、プロの人たちばっかり集まってるんだよね」


 メグミは膝を抱えた腕に、頭を乗せ、無言で聞いているルリに笑いかけた。


「ほらっ、アタシってさ。元声優っていうけど、ただ声が良いだけの普通の人なのよね。なんの特殊技能も持ってないし。なんか…………劣等感、抱いちゃうんだ」

「そんなことありません。メグミさんだって――」


「いいの。自分でわかってるから。でも、ルリちゃんの話し聞いて、なんかね、心のモヤモヤがスッと消えた感じ。そうだよね。他人と自分を比べたって、仕様がないよね。アタシはどうやったって、アタシだもんね」



 ん〜〜〜〜〜っと伸びをしてから、メグミは勢いよく席から立ち上がった。



「よ〜〜〜〜し、やる気出てきたぞ〜〜!!ありがとう!!ルリちゃん」

「…………いえ。別に」



艦長なんかに負けるもんですか!!えいえい、お〜〜〜〜〜〜!!





 拳を振り上げ、活を入れて、ブリッジから出て行くメグミを見送ったルリも、猫招きのように右拳を上げた。







「…………。おーー」








 しばらくメグミが消えた廊下を無表情で眺めていたルリが、やおら身を翻すとオペレーター席の下に頭を突っ込んで、ごそごそと何かを引っ張り出した。




「勤務者に持ち場を外させることを示唆するのは感心しないな」

 上から降ってきた咎言に、取り出した三体の人形の埃を払っていたルリが艦橋を見上げた。


 そこには厳つい顔を顰めた『ゴート・ホーリー』


 ルリがその非難の視線に淡々と意見を返す。

「今の時期に、ブリッジに何人も待機させる必要性を感じませんが」

「万が一ということもある」



 ルリが『代理』の名札をつけたウミガンガー人形をオペレーター席に置いた。

「今の散発的な攻撃は、ナデシコの能力を計るためでしょう。本格的に襲ってくるのは制空権を確立している火星からだと思われますが、ゴートさんはどう思います?」


 ゴートの頬がピクリと動く。

「………………子供なのに、鋭いな」


「私、少女です」

 通信席にリクガンガー人形を座らせたルリが淡々と訂正した。



 ルリが手にしていたゲキガンガー人形を艦橋のゴートへ投げる。

「それ、艦長の席に置いといて下さい」



 ゴートはキャッチした『代理』の札をつけたキテレツな形の人形を眺める。

「なんだ…………これは?」

「詳しく訊きたければ、山田さんに。必要なことから不必要なことまで、たっぷり一ヶ月は語ってくれるはずです。暇つぶしに、どうぞ」

「………………ム」


「では、私はこれで」


「待て。どこへ行くつもりだ?」



「そろそろ、ミナトさんが起き出してくる頃ですから。オフィス・ラブは、少女の私の情操教育に良くないため、これで退散します」






 何も言い返せずに口を開けたり閉じたりしているゴートを、ルリが横目で見上げる。

「では、あとはよろしく」






 後には、いつものしかめ面で唖然としているゴート、ただ一人が残された。







*





 眼下にはピンクのエステバリスを中心として、青色の制服を着た人間が走り回っている。


 それは砂糖に群がるアリにも似ていた。

 整備班の好物を与えられたような顔を見ていると、あながち間違いではないのかもしれない。



 たまに、こうして眺めているのだが、重力波ユニットの増設というのは大変らしい。


 ほとんど作り直しに近い……とぼやいていたウリバタケの台詞が理解できた。

 前面フレーム、足回り、エネルギーバイパスに電装関係。ここから見ていると総取替えしているのがよくわかる。




 以前の自分なら、別のパイロット1人の機体だけをカスタムすると聞けば猛烈に抗議しただろう。

 だが、あの殲滅の武舞を見てしまったら、そんな気力も無くなる。

 ………………いや、それだけじゃない。

 以前の自分ならそんな戦闘技術を見せ付けられれば、追いつこうと躍起になるか、そのパイロットを敵視して己を鼓舞しているだろう。


 だが、そんな気力がわいてこない。正確に言えば、そのパイロットに敵意や憎悪が湧かない。


 そのパイロットは自分の一番を奪い取る、自分の居場所を取るヤツだ。

 何度、自分にそう言い聞かせても、心の内からは腑抜けた返事しか返ってこない。


 こんなことは初めてだった。




「どうしちまったんだ…………オレは………………」

 そう呟くが、本当のところはわかっていた。

 これでも18年生きてきた身である。恋の一つや二つしている。



「けど………………よりによって、どうして…………テンカワなんだ?」

 戦艦に突撃する前の凍りつくような薄笑と、歓迎会前に握手をした時の優しい笑顔。

 二つの笑みがフラッシュバックした。



 戦闘になると性格が変わる人間は結構いる。イズミなんかも戦闘に入るとヒカル曰く『ハードぶりっ子モード』になる。

 だが、あれはそんなものじゃなかった。性格が変わるとかではなく、まるで同じ顔の『別人』にすり替わったような――。



 格納庫を見下ろせる陸橋の上で、『スバル・リョーコ』は激しく頭を振った。



 最近どうかしてるぜ。暇があればテンカワのことを考えちまう。

 んなことよりも、テンカワより強くなる方が重要だってのによ。




 ふとリョーコは眼を瞬かせた。


 今、頭を振ったときに、視界の端に誰かいなかったか?




 リョーコはそーっと横を覗き見る。






 そこには無感情な金の双眸が、自分を見上げていた。






「うおわっ!!」


 そこだけ切り取られたように、何の気配もなくルリがリョーコの真横に佇んでいた。



 オレが近づく気配さえ察知できなかった?

 リョーコも居合術では師範クラスの腕前を持っている。師である祖父からは精神修養が足りないといつも言われてきたが、考え事していたとはいえ、人が近づいたら即座に気づける自信があった。

 それが、リョーコの五感に何も引っかからなかったのだ。



 まるで風のように佇んでいるルリが格納庫のエステバリスに視線を下ろす。

「エステバリス・カスタム。そろそろ完成ですね」


「あ…………ああ」


 リョーコは手摺りに寄りかかり、無表情のルリが後ろでに手を組んでエステバリスを見下ろす。

「リョーコさん」

「ん?」

「リョーコさんの機体はカスタムしないんですか?」



 リョーコは自嘲の笑みを浮かべた。

「ああ。まず一機作ってそいつでテストして本当に使えるか試してから、他のに手をつけるんだと。その試作機が故障したときヤバイからだってよ」



「プロスさんですね」

「あ?」

「ウリバタケさんなら改造できるものがあれば何だって改造しますから、たぶん『待った』をかけたのはプロスさんでしょう。プロスさんらしい安全策です」

「ふ〜〜〜ん」

「私、『ネルガル』の研究ファイルを漁ったことがあるんです」


「は?」

 唐突に言われ、リョーコは眉を顰めた。話の筋がさっぱり見えない。


 だが、ルリは気にもせず続ける。

「ネルガルでは重力波ユニットを二つ付けた試作機『エステバリスU』というのを作ったことがあるそうです」

「重力波ユニット、二つで、ツーか?」

「たぶんそうです。ネルガルは安直なネーミングが多いですから。会長の影響です。と…………話が逸れました。で、その試作機ですが、ネルガルお抱えのパイロットでは誰も乗りこなすことができなかったそうです」



 リョーコは口の端に嘲笑を浮かべた。


「そりゃそうだ。一度、手合わせしたことがあるけど、てんでダメだった。現行のエステバリスを乗りこなすのがやっとのヤツラに、そんなもんが乗りこなせるわきゃねぇな」

「はい。ですから、プロスさんはこの話に渋ったんだと思います。もし、乗りこなせなかったら…………その考えに囚われたのでしょう」




「ふん!バカにすんじゃねぇよ。これでもオレは――」

 唐突に嘲罵を止めたリョーコは横に立つルリをまじまじと見つめる。

「もしかして、オレのこと励ましてくれてんのか?」



「事実を述べてるだけです。私の私見を付け加えるならば、リョーコさんはエステバリス・カスタムを確実に乗りこなせると思います」



 フッと小さく笑ったリョーコはクシャクシャとルリの銀髪を撫でた。


 ルリが、すっと横に一歩退く。

「髪…………乱れます」


「ハハハハハハ。わりー、わりー」



 リョーコは笑みを消して、アキトのエステバリスを見下ろした。

「なあ、ルリ」

「はい?」


「おめぇ、言ってたよな。テンカワと同レベルのヤツがあと、二人いるって」

「はい」


「………………そうか」

 手摺りの上に腕をのせ、リョーコは無言で眼下を眺める。






 昔から何でも良いから、一つだけ誇れるものが欲しかった。



 勉強はまるでダメ。運動はそこそこ良いけど、世界を見ちまうとな。

 初めは戦闘機のパイロットになろうと思ってた。親父もそうだったしな。

 でも…………そんな時、あいつに会っちまった。


 一つ下の後輩。『弓崎カヲリ』


 兎に角、常識の通用しないパイロットだった。

 セオリーも常識も何もかも無視して、それで戦果を収めて、生きて帰ってきた。

 弾が勿体無いからといって、音速の戦闘機で体当たりぶちかますヤツだ。

 心底、あいつにはかなわないと思った。いや、命が幾つあっても足りない…………のほうが正確か。


 そんな時だったな、………………エステバリスに逢ったのは。




「エステバリスパイロット…………これは天命だと思ったよ。射撃や居合は得意だったしな」


 唐突に話し始めるリョーコをルリが横目で見上げた。が、リョーコはかまわずに続ける。

「オレはエステバリスの操縦にかけては誰にも負けないと思っていた。
そりゃ、現時点ではオレよりも腕が上の連中はいるさ。連合宇宙軍第十三艦隊、『愚連隊』のヤツラとかさ。だけど、いつかは追いつき、追い抜かせると思ってる。

数年後には間違いなく連合軍一の腕前になっている。そいつは確実だと思っていた」





 リョーコの脳裏に浮かぶのは、鬼神のような戦いを繰り広げる一機のエステバリス。



「そいつは確実だと思ってたんだ………………テンカワの戦いを見るまでは――」


 大きく息を吐いてから、天井を見上げた。


「だが…………テンカワのあれには手が届く気がしねぇ。何年かかろうが、何万年かかろうが…………絶対に勝てねぇ」





 絶え間ない作業の騒音と振動が、二人の居る鉄橋まで響いてくる。

 眼を輝かせて仕事をしている整備班員たちは誰も、鉄橋から見下ろしている二人に気づかなかった。




 沈黙が支配した二人の間に、ルリの声がぼそっと落ちる。

「そんなことありません」



「ん?」


「リョーコさんが自分自身で『絶対』という『限界』を決めてしまったら、()えられるものも超えられなくなります」



 リョーコはルリを見下ろした。

「そいつは詭弁だ。世の中どうやったって超えられない壁ってもんは存在する。そいつに気づかずに、何年も時間を浪費するつもりはねぇよ」


「私も結果よりも過程が大事などとは言いませんし、言いたくありません。でも、壁は超えられないものと決めつけたくありません」



 リョーコは小さく笑う。

「『絶対』を超えられると信じてるのか?」








「それが信じられなければ、私は『ここ』にいる価値すらありません」







 予想もしなかった返答にリョーコは驚き、ルリを凝然と見つめた。

 ルリのことだ。『はい』としか答えないと思っていたのだ。



 リョーコはルリの眼を見つめるが、そこには心中を読ませない凍てついた金の瞳。

 まるで何かを秘めているような。


 ……………………考えすぎだ。こいつは、まだ11歳の子供だぞ。

 自分の思いつきにリョーコは首を振った。


「だけど、もしかしたら…………そいつは全て『無駄』かもしれないんだぜ」

「でも、そうでないかもしれない」


「結局、やってみなきゃわからないってことか?」


「はい」


「『未来』が見えりゃ良いんだがな」

 リョーコの苦笑に、ルリがエステバリス・カスタムを見下ろす。




「……………………見えても、気苦労が増えるだけかもしれませんよ」




「ハハハハハハハハ。………………かもな」

 ルリと話し、そして、声を上げて笑ったリョーコは吹っ切れはしないが、心の中のツッカエが少し軽くなったような気がした。



「………………ルリ」

「はい?」

「今の話、他のヤツには黙っててくれよ」

「はい」



「サンキュウ。さてと…………オレは『アキト』にあの高速機動法のコツでも訊いてくるかな」



 ヒラヒラと後ろでに手を振って格納庫から歩み去ったリョーコを見送ったルリが、振り返り、傍の鉄柱を見据えた。



「相変わらず、隠れるのが上手いですね。イズミさん」


 ぼろろろろろろん。

 柱の影からウクレレが鳴る。


 ぬうっと影が持ち上がったような感じで、ウクレレを持った『マキ・イズミ』が現れた。

「…………蜂蜜……買った〜…………みつ……かった〜〜………………プ……ククククククク」


 無表情のまま、ふらりと揺れるルリ。


 引きつったような笑みを浮かべたまま、イズミは続けた。

「…………ルリ…哀しみの争奪戦………………ルリが悩みの相談人………………」



 三十秒ほど固まっていたルリが、ふるふると頭を振って再起動する。


「悩み…………無さそうですね」






 イズミはすぅっと笑みを消し、真摯な表情で囁く。


「悩み、あるわ」







「ギャグのできが、悪いとか?」






「………………なぜ…………わかったの…………」


 べべんっと低い音をかき鳴らすイズミに、ルリが半眼の眼差しを向ける。

「わからいでか…………というか、これ以上ギャグを突然変異させるの止めてください。オモイカネがフリーズします」




「…………フリーズンヨーグルト………………て、そりゃ……フローズンヨーグルト…………エヘ……エヘ……エヘヘヘヘヘヘヘ」



 一分後、死『寸前』硬直から、なんとか立ち直ったルリがこの世に眼を向けると、イズミはいなくなっていた。




「敵艦をハッキングしたときに、あの人の漫談を強制的に流せば、簡単に『掌握』できそうですね。…………いや、マジで」

 ぼろっと呟いたルリが、重い足取りを食堂へ向ける。







 心なし項垂れて歩いているルリの目の前に、スッと缶紅茶のホットが差し出された。

「災難だったね。ルリくん」


「アオイさん」


 ジュンは笑いながら、ポスッとルリの両手に紅茶の缶を手渡す。

「ホットでいいよね」

「ありがとうございます」

「イズミくんと喋っているのを見たから、こうなるんじゃないかと思ってね。それに、お礼を言うのはこっちさ。ルリくんが教えてくれた特別コース。たしかに『特別』だったよ」



 ルリがホットの缶を両手で挟み、コロコロと転がす。

「どこまで行きましたか?」



 ジュンは小さく笑って、肩を竦める。

「一番外側の防衛ラインを突破する寸前で爆破された。本当にあの『アマテラス』っていうコロニーに辿り着けるの?」

「私は到達しました」

「そうか…………じゃあ今日も、足掻いてみるかな?」



 訓練室に歩いていくジュンに、ルリが声をかける。

「アオイさん」


「ん?なんだい?」



「無理は禁物です」

 気遣っていると聞こえないような平淡な声を発するルリに、ジュンは頷いて見せる。



「わかってるさ」




 手を振って通路に消えるジュンに、ルリも小さく手を振り返した。







*







 最近、あの人を眼で追ってしまう。

 あの人がたまに見せる微笑みに胸が高鳴る。

 視界にいないと無意識のうちに探してしまう。

 あの人が笑顔で自分の名前を呼ぶのに胸が締め付けられる。



 それで、ミスしがちになって、よくホウメイさんに怒られている。


 ホウメイにも仲間の皆『ホウメイガールズ』にも、すでに気づかれていた。



 『テラサキ・サユリ』は丸椅子に座ったまま溜息をつく。

「………………アキトさん………………か………………」




 丁度、昼時が終わり、食堂はかなり空いていた。


 騒がしいひと時が終わっても、未だに喧しいのはカウンターの一角に陣取っているナデシコ暇人三娘こと『ミスマル・ユリカ』、『メグミ・レイナード』、『スバル・リョーコ』




 もちろん、目的もなしに食堂に来ている訳ではない。三人が三人とも同じ目的。


 『テンカワ・アキト』


 それはサユリの『想い』とも重なる。



 それにアキトを狙っているのは何もあの三人だけではない。事務班や医療班の女性たちにも密かにチェックされ始めていた。


 確かに初めは怖がられていた。それは女性クルーに限ったことではない。

 男性クルーも、いや、独りを抜かしてナデシコ全クルーに恐れられていた。


 だが、厨房に入り、優しい笑顔を見せるようになって…………そして、この前の新パイロット歓迎会の時にユリカ、メグミ、リョーコの三人に取り囲まれ、引きつった笑いを浮かべていた…………さらに、それが原因で男性クルーにタコ殴りにあっていたアキトを見て、彼の認識を改めた者がかなりいた。


 とても18歳に見えない落ち着いた言動。包み込むような優しい微笑み。

 そして何より、ナデシコクルーを見る幸せそうな眼差し。


 今、彼の株は急高沸騰中であった。女クルー限定ネットワーク、いわゆる『噂話』では『掘り出し者』とか呼ばれている。


 だが、アキトにアプローチする女性は少ない。なぜなら――。

 厨房側で丸椅子に腰掛けているサユリは、カウンターの対角にいる彼女ら三人を羨望の眼差しで眺めた。



 自分は、ユリカのように美人ではない。

 メグミのように声が綺麗なわけでもない。

 リョーコのように格好よくもない。



 カウンターに片肘をついたサユリは重い溜息を吐いた。

「………………やっぱり……………………無理かなぁ」


「……リさん…………サユリさん…………サユリさん」


「え!?えっ?えっ?」

 サユリは自分が呼ばれているのに気づき、慌てて周りを見回し、

「うひゃ!!」

 悲鳴とともに丸椅子から飛び上がった。



 サユリの真横のカウンターから、金の瞳が自分の顔を見ていた。

 そこには紅茶の缶を前に置き、頬づえをついてサユリを眺めているルリ。



 サユリは動悸を治めようと胸に手をおく。

「ル…………ルリちゃん。…………いつからいたの?」


「先から、ずっとです」

 そう言う少女の表情は人形のように変わらない。




 『星野瑠璃』



 この名を知らない者は、ナデシコにはいない。

 銀の髪、金の瞳、白い肌。そして、可憐な美貌。

 妖精のような容姿に男性クルーの間では密かなブームとなっている。


 だが、それよりも有名なのは――。

 どんな窮地に陥っても冷静沈着な言動。そして、瀬戸物人形のように絶対に変わらない無表情の仮面。


 女性クルーはヤッカミ半分で『人形』とか『鉄仮面』などと陰口を叩いていた。



 だが、クルーは誰も彼女自身にチョッカイをかけない。

 理由の一つは、彼女がまだ11歳だということ。

 もう一つは、『テンカワ・アキト』の暴走を止められるのは『星野瑠璃』だけ、という暗黙の了解があること。

 軍の反乱の時、ブリッジでの出来事は艦内全てに放送されていたため、全クルーに知れ渡っている。


 そして最近、それに、もう一つ『噂』が加わった。

 先のコロニーの戦いではルリ1人がいなかったために、ナデシコはグラビティブラストを撃てなかったという『噂』。




 そんな訳で、密かに男たちに人気のあるルリに話しかける男性クルーは『テンカワ・アキト』、『アオイ・ジュン』、『ウリバタケ・セイヤ』、『プロスペクター』の四名程度だった。



 その『噂』の『人形姫』がじっとサユリを見ている。




 ふと、サユリはあることに気づいた。


 サユリは丸椅子に座り直し、ルリに顔を近づける。

「アタシの言葉。い、いつから聞いてたの?」

「『アキトさん』…………からです」


 真っ赤になったサユリは声も出せずに口を開けたり閉じたりした。


 …………気づかなかった。

 …………傍にいたのに、ぜんぜん、気づかなかった。

 一人で赤くなったり、溜息をついたり、頭を振ってたりしてたのを見られていたんだろうか?

 紅茶をすするルリは何も言ってこないが、間違いなく見られていただろう。

 ルリちゃんはそういうこと、言いふらす子じゃないと思うけど…………。


「ねぇ、ルリちゃん」

「はい?」

「えっ……と、傍に来たら今度から、声かけてくれないかな?ほらっ、気づかないとなんだし…………ねっ」

 ああぁ。自分は何を言っているんだろう。


「…………はあ。いいですけど」


「あとね。さっき、言ったことは誰にも喋らないで。…………お願い!!」



 紅茶の缶を握っているルリの両手がぴたりと止まり、上目遣いでサユリを見上げる。

「『想い』は言葉にしなければ伝わりませんよ」

「えっ!?」

「いくら想わせ振りな行動をとっても、明確な一言には敵いませんよ。サユリさん」

「ル…………ルリちゃん…………なに言って――」

「相手が『恋愛限定超天然鈍感』のテンカワさんでは特に。ここ二週間、一緒に仕事をしてきたサユリさんの方がよくわかっているはずです」


 サユリは口を噤んだ。ルリの言う通りであった。



 彼の前で、ちょっと想わせ振りな行動をとっても、気づいてすらくれないのだ。

 初めのうちは、嫌われているのかと思っていたのだが、最近になってやっと判ってきた。


 そう、ルリの言う通りマジに『天然』なのである。



 片付けを手伝うと言っても「これも修行だから」と手伝わせてくれないし、彼の下拵えの手際のよさに驚き料理を作ってみてはどうかと持ちかけても「ホウメイシェフの許可をもらってない」と微笑でかわされてしまうし、それならその練習の料理の味見をしてあげると言っても「人に食べさせられるような出来じゃない」の一言で断られてしまう。

エトセトラ、エトセトラ…………。



「…………やっぱり…………ルリちゃんもそう思う?」

「歓迎会の様子を見れば、たぶん誰でも」

「だよね〜〜〜〜〜」


 歓迎会の時、三人に迫られていたアキトに『アマノ・ヒカル』が「で、誰にするの?」と意地悪く尋ねると、真顔で「なんのことだ?」と問い返したそれは伝説になっている。


 これがその後、男性クルーにタコ殴りされた原因の一つだった。



 そのときの様子を思い出し、サユリはクスリと笑う。

「でも、ルリちゃんもそういうことに興味あるのね。ちょっと安心」

「…………はあ」

 サユリのチャカシにルリが気の抜けた返事を返した。


 この少女は他人のことなど、関心を示さないように見えていたのだが、けっこう人を観察していたようだ。


 サユリは頬づえをつき、カウンターの一角で騒いでいるお気楽三人娘を眺める。

「でも、アタシ。あの中に入っていく勇気ないなあ〜〜」

「焦らなくてもいいと思いますよ。先は長いんですから」


 サユリはルリに視線を戻す。

「なんで、先が長いってわかるの?あと、四週間後には火星よ。あっ…………そっか。火星全土を巡るから、1年やそこらじゃきかないかもね」

「そ、そうですね」


 コクコクと頷くルリに、笑いかけたサユリは勢いよく丸椅子から立ち上がる。


「ありがとう。ルリちゃん。うん。少し、元気出てきた。ありがとついでに今日はアタシが奢るね。何が良い?」

「そうですか?では、チキン――」



「げっ!!」

 突然、サユリが潰れた蛙のような濁声を上げた。




「サ〜〜リュ〜〜リ〜〜ちゃあ〜〜ん。ひまそぉ〜〜だね〜〜〜」

 墓場から起きたばかりの幽霊のような裏返った声が、ルリの頭上を越えていった。




「ご、ごめん。アタシ、忙しいから!!ああ、忙しい、いそがしい、イソガシイ…………」

 、 、 、
 じゃっと手を上げて、サユリは即行で厨房の奥に逃げ去る。



「ああぁぁぁぁ〜〜〜〜、ひきょ〜〜〜ものぉ〜〜〜〜〜!!」

 絶望まみえる悲痛な悲鳴をうめいたヒカルは、力尽きたようにスツールに座り、カウンターにぐったりと突っ伏した。



 髪はあちこちにピンピンと飛び跳ね、眼鏡の奥の眼は充血し、眼の下にくっきりとクマができている。



 ルリが、隣に突っ伏している『アマノ・ヒカル』の前に自分用の冷水を置いた。



 ゾンビの腐った眼が目の前のコップに注がれる。


 コップから透かし見えるのは横長にぼやけた白銀の少女。



 ………………『星野瑠璃』。愛称”ルリルリ”


 ………………11歳。


 ………………金の瞳、銀の髪、白い肌の『妖精』


 ………………無表情の『人形姫』


 ………………ナデシコのオペレータ―


 ………………現在、ナデシコは火星まで自動航行中


 ………………つまり


 ………………オペレーターは


 ………………『ヒマ




 三分間かけて導き出した答えにヒカルはガバッと上半身を起こした。



「ルルルルルッル、ルイルルリルラルリルウル――」




「お冷」





 ヒカルはコップを掴むと冷水を一気に飲み干した。


プハッ!!ハア…………。ルリルリ!!今、ひま??


「…………はあ、一応」




「ウフフフフフフフフフフフフノフフフフフフフフノフッフッフノフフフ」



 子供ならトラウマになること間違いなしの、壊れ崩れ崩壊しきった三日月型の笑みを浮かべたヒカルはルリににじり寄る。

「ルリルリ、漫画って読んだことある?」



「『昔』の『家族』の『姉』が好きで、暇つぶしに私もたまに読んでいましたが」



 後ろで『ホウメイガールズ』がルリに首を振ったり、早く逃げろと手で指示したりしているのを、
ヒカルは
カァーーーーーッ!!っと歯をむき出して威嚇してから、

「漫画…………描きたいと思わない?」

 がっしりとルリの両手を握り締めた。――――もう、絶対に離さない。




「別に描きたいとは、思いませんが――」


 フッ。一発で了解を貰えるとは思ってない。これからが『常時全開お喋り女』と呼ばれたヒカルちゃんの『口』の『利かせ』所。

 狂気に充たされた某黒マント男ばりの引きつるような酷薄な冷笑をニタリと浮かべるヒカルに、ルリが淡々と言葉を続ける。


「漫画の原稿描きを手伝ったことならあります」



「へっ!?」



「消しゴムかけと、ベタ塗り、集中線引き、簡単なスクリーントーン貼りならできます。あ、点描も描けます」


「ア…………アシスタント…………やったことあるの?」

 唖然と尋ねるヒカルにルリが頷いた。

「絵心ないので、ペン入れや背景は出来ませんが。…………でもCGによる背景取り込みなら――」



 顔を俯かせたヒカルが身体をプルプルと痙攣させている。


「ヒカルさん?」



「ウッフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」

 距離にして2千万キロ離れている地球の地の底から響いてくるような、重低音の笑声を震わせるヒカル。





 ルリが、もう一度呼びかけてみる。

「ヒカルさん?」














「灯台下暗し、漫画家その日暮らし!!勝てば官軍、お猿の川流れ!!

こうぼう筆を選ばず、ルリルリを選ぶ!!

締め切りなんてなんのその、ミンナで渡ればやっぱり怖い!!

漫画の神は見捨てていなかった、手○治虫さま一生ついていきます!!」



 天を仰いだヒカルの奇妙奇天烈な歓声が食堂に響き渡った。寝不足に道理を求めてはいけない。




「さあ、ルリルリ!!今、描こう!!すぐ、描こう!!思い立ったが即行動!!
締め切りの果てにあるものこそが
栄光〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!



 ヒカルは血走った眼でルリの奥襟首をムンズッと引っ掴むと、ズルズルと食堂の出口に引きずっていく。
















「………………なんで私。ヒカルさんに会うと、いつもこうなるのでしょう?」


 子猫のように引きずられながら、ルリが至極もっともな疑問を口にしたが、聞いてる者も答える者もいなかった。









次へ