「相転移反応ぉ………………下がりまぁ〜〜す」

 ミナトの舌足らずな緩声を合図に、ナデシコは火星大気圏へ突入した。



 火星大気園に突入し、灼熱でナデシコの船体が赤く染まる。

 そこまでは、地球の大気園突入と何ら変わることは無い。


 が、突然、全てが煌めく虹色の層に包まれた。

 電離層が虹色に輝いている。虹色といっても、オーロラとは様子が違った。


 表現するなら、水分子が虹色に輝いている海に潜った、といったほうが的確だろう。

 大気園突入で船体を振動させながら、瞬き揺らめく虹海を潜航していく。




「なんですか?あれ?」

 メグミが誰ともなく尋ねた。


「火星大気を地球環境に近づけるために、自己増殖微細機械……ナノマシンを使っているんです」

 ルリの説明にプロスも大きく頷く。

「そう。ああして大気の状態を一定に保つとともに、有害な宇宙放射線を防いでいるのです。その恩恵を受ける者は、誰もいなくなっても」

「あらっ。プロスさん。その言い方だとぉ、火星には生き残っている人が居ないみたいねぇ」

「おっと。これは失言でした」

 プロスの押し上げた眼鏡が、キラリと反射した。

「…………そうですね。この火星の空の下に、助けを待っている方々がいると信じて、我々はここまで来たのですからね」


「そうそう」

 謡うようにミナトが相づちをうつ。



 艦長コンソールに表示されている高度計を確認したユリカが、大きく頷いた。

「と、いうわけで、グラビティブラスト発射準備」



「「「「「はっ!?」」」」」」




 疑問を浮かべるブリッジクルーに、ユリカが自信満々に答える。

「地上に第二陣がいるはずです。包囲される前に撃破します」


「宇宙で使えば良かったんじゃないのぉ?」

 降下軌道を修正しているミナトの質問に、ユリカが笑みを浮かべる。

「グラビティブラストも、軌道上からだと収縮率が落ちますから。艦首、地上の敵へ向けてください


*



「さてと…………どれにすっかな?」

 リョーコはジュースの自動販売機の前で逡巡した。


「…………『炭酸スパイシー・ドリアンジュース』が無いのが…………残念ね…………」

「それって〜〜、美味しいの?」

「ええ。………………口から泡を噴いて…………白眼を見せて…………悶絶、絶倒するほど」

「そりゃ、不味いって言わねぇか?」

「ふっ………………病み付きになるのよ…………」



「あっ!!アキト君」

 ヒカルのわざとらしい声に、ビクリと震えるリョーコ。


「ア…………アキトもいるか?」

 先の戦闘中の『宣言』で照れが残るリョーコが、顔を朱に染めて尋ねた。


 アキトは静かに首を振る。

「いいや。『今回』は、何もやってないんでね」



 辺りを見回していたヒカルが首を傾げた。

「ガイ君は?」

「医務室に放り込んできた」


「ったく。足引っ張りやがって、あの馬鹿は――――」

 拳を握り締めるリョーコに、アキトは小さく肩を竦めて、弁護をする。

「加速させる距離が足りなかっただけだ。もう少し距離があれば、敵戦艦のフィールドを破れていたさ」


 イズミが唇に指を当てて、考え込む。

「でも、あの特攻をやると…………エステバリスがガタガタになるんじゃない?…………サツキミドリの戦闘時の、テンカワ君のエステみたいに」

「ああ」


「じゃあ、ガイ君。失敗して良かったんだ〜〜。成功してたら、本当にエステちゃんが必要な火星上で、使えなくなってたもんね〜〜」

 ヒカルの指摘に、アキトが苦笑いを浮かべた。

「…………確かにな」


「やっぱ、あいつは足手まといだ!!」

 断言するリョーコに、アキトは首を振る。

「そんなことはないさ。あれでも、腕は一流だ…………たぶん」

「性格に難ありだけどね〜〜」

(せい)画に、(なん)が有り…………(おい)……………プククククク」


「山田のバカには、一度――――――」

 リョーコが、さらに文句を重ねようと口を開き、

「なっ!!」


 突如、格納庫が急激に傾いた。



 咄嗟に、両側にいたイズミとヒカルを抱きかかえたアキトは傍の手摺りに掴まる。


 ヒカルを抱えた腕でリョーコに手を伸ばすが、あと十センチ、足りなかった。

「リョーコちゃん!!」


 リョーコもパイロットである。茫としていたわけではなかった。

 今や壁と化した床を転がり落ちながら、僅かに視界の端に入った、それに手を伸ばす。

「くっ!!」


 右腕に急激な負荷がかかり、リョーコは70度程度、傾いている床の途中で止まった。


 右手の四本指が、何とか床の『窪み』にかかっていた。

 背筋に冷汗が伝い落ちる。


 床が水平の時は躓く危険もあり、邪魔だなと思っていたが――――なるほど、こういう時のためか…………などと、愚にもつかない考えをし、リョーコは皮肉の笑みを浮かべた。


「ッ!!」

 手にかいた汗で床の窪みから、僅かに指が滑る。

 こればかりは『出るな』と命令しても、止まらない。


 非常に掴み難いうえ、全体重を支えている指の握力も限界に近い。


 クソッ!!何か、他に取っ掛かりは――――。




 アキトは、リョーコが途中で止まったことを見、安堵の溜息をついた。

 だが、リョーコの危険は去っていない。もし、手が外れれば――――。


「テンカワ君。…………ワタシたちは大丈夫」

「そうそう〜〜。アタシたちは、手摺りに掴まってるから。リョーコを」

 両側の二人の顔に一瞬、視線を走らせたアキトが二人から手を離し、リョーコに集中した。



 片手で手摺りを掴み、大きく身を乗り出して、リョーコとの距離を目測する。

 チャンスは………………1回。



 大きく息を吸い込んでから――――――アキトは飛び出した。





 片手でぶら下がり、周りを見回していたリョーコは上を見上げ、息を呑んだ。

 傾いている床――壁と云っても過言ではない――を蹴り飛ばして、アキトが疾走してくるのを見たからだ。


 驚愕が失態に繋がった。リョーコの指が床の窪みから外れる。

「うわっ!!」



 一瞬、リョーコの恐怖に見開かれた眼と、バイザーに隠れたアキトの冷静な視線が交錯する。


 二人は手を伸ばしあった。


 リョーコが気丈に笑みを浮かべ、アキトが歯を噛み締める。


 瞬後、互いの手が互いの手首を掴み合い――――刹那、リョーコはアキトの胸元に抱き寄せられた。



 アキトが、リョーコの頭と背中を己の腕で庇う。

 そして――――。





 二人は、反対側の壁まで転がり落ちていった。










 床が斜めになっているのは、格納庫だけではなかった。



「ルリちゃん!!艦内重力制御忘れてる〜〜〜〜〜〜!!」

 艦橋から落ちかけながら、ユリカが叫んだ。


 ルリが淡々と返答を返す。

「お約束ですから」


「「「「「なにが〜〜〜〜〜っ!?」」」」」

 ブリッジクルー全員が大合唱した。


 ルリの手元の格納庫の様子が映っている小さな画面を見、コルリは半眼で呟いた。

「ルリネェも…………マメだね〜〜」









「………………ん……」

 小さくうめいたリョーコは薄眼を開けた。

 眼に映るのは…………深黒…………夜の色…………漆黒。

 ………………黒い…………服?


 リョーコは、唐突に今の状態を把握した。

 アキトの腕が庇うように、自分の背中と頭に回されている。


 今、リョーコはアキトを床側にして、抱きしめられていた。



 それに気づいたリョーコは………………動けなくなった。



 頬を朱に染めて、アキトの胸に顔を埋めているリョーコの耳に声が伝わる。

「大丈夫か?リョーコちゃん」


「す………………すまねぇ」

 何とか声を絞り出したリョーコだが、顔を上げられなかった。今の自分は、真っ赤な顔をしているだろうから。

 だが、次の瞬間、リョーコはアキトの上から、飛び退った。すでに、床は水平に戻っている。


「アキト!!おめぇに怪我は!?」

 アキトの横に座りこみ、顔を覗きこんだ。


 アキトがゆっくりと上体を起こす。

「頑丈にできてるんでね」

「でもよっ」


 20メートルは転がったのだ。軽くても、打ち身は免れない。下手をすれば、骨折する。



 アキトが黎黒のマントを手で撫でる。

「大丈夫。このマントには対G・対衝撃機能がついてる。かすり傷、一つない」



 床に尻をつけてぺたんと座りこみ、不安に眉を顰めているリョーコに、上体を起こしたアキトが微笑みかけた。



 その微笑を見て、リョーコは安堵の吐息をつく。

 だが、またすぐに表情を曇らせた。


 そのまま、アキトの顔を上目遣いで見上げる。

「………………なあ、アキト」

「ん?」

「バイザー…………外してくれるか?」


 その思いがけない台詞に、アキトがリョーコの顔を覗きこむように見つめた。

 普段なら照れて視線を逸らすリョーコも今は、ただ、真摯に見返す。


 右手をゆっくりと持ち上げ、アキトが無言で、バイザーを外した。



 夜の帳のような黒曜の瞳がリョーコを捉える。

 今は、優しく、それでいて少し困ったように微笑んでいた。


 リョーコは眉を八の字に顰め、苦痛に耐えるように口を歪めた。



 優しい瞳…………だが、それは…………見せかけ…………。



 今ならわかる。


 アキトのあの眼を見た今、ならば。


 死神の瞳を見た今、ならば。

 凍りつくような奈落の瞳を見た今、ならば。


 この世の全てに絶望している闇暗の瞳を見た今…………ならば。




 突然、涙が出てきそうになったリョーコは、歯を食い締めて堪える。


 それでも、アキトの底が見えないほど深く昏く、それでいて美しく惹きつけられる黒曜の瞳から眼が離せなかった。



「アキト…………おめぇ……過去に…………何が、あったんだ?」

 吐息を洩らすように囁くリョーコから顔を背け、アキトがバイザーを被った。


「……………………知らない方が良い」


「アキト!!」

 思わず、リョーコはアキトの漆黒のマントを両手で握り締めた。



「リョーコさん。抜け駆けは禁止ですよ!!」


「うおわっ!!」

 突然、現れたメグミのコミュニケ画面にリョーコは仰け反った。


「ば……ばろー。オレは別に…………抜け駆けなんか…………」

 なにやら、ぼそぼそと言い訳をするリョーコを、メグミはあっさりと無視して、アキトに笑いかける。

「アキトさん。この後、ブリッジで作戦会議があるそうです。ブリッジに来てください。あっ。リョーコさんたちもついでに」

「…………オレたちはついでかよ」


 リョーコの文句を、またもや黙殺したメグミはアキトに手を振って、コミュニケ画面を閉じた。



 無言で立ち上がり、アキトが身を翻す。


「アキト!!」

 リョーコが呼び止めるも、

「作戦会議に遅れるぞ」

 それだけ言うと、格納庫から出て行った。






「青春だね〜〜〜〜」

「ごろ寝の心…………精神…アザラシ…………青春…アホらし……プクククク」

 アキトとリョーコを眺めていた二人が安堵した表情で、それでいてニンマリとした笑みを浮かべながら揶揄した。



*




「これより地上班を編成し、揚陸艇ヒナギクで地上に降りる」

 開口一番にフクベ提督が明言した。


 その命令に、ジュンがコミュニケ画面に火星データを表示する。

「しかし…………どこに向かいますか?軌道上から見る限り、生き残っているコロニーは無さそうですが――」


「まずは、オリンポス山の研究施設に向かいます」

 プロスが行き先を述べると同時に、床にピラミッド型のネルガル研究施設が表示された。



「ネルガルのか?…………抜け目ねぇな」

 リョーコの指摘に、プロスが眼鏡を押し上げ、誇らしげな小さな笑みを浮かべた。

「わが社の研究所は、一種のシェルターでしてね。一番、生存確率が高いものですから」







 床に映る研究所の画像とデータに、難しい顔をしている皆を眺め、アキトは一人、黙考する。



 ユートピア・コロニーにいるはずの、イネスを迎えに行かなければな。



 だが…………それは、残りの避難民たちを殺すことを意味する。


 史実どおりにいけば、その他のユートピア・コロニーの避難民たちは、間違いなく死ぬ。

 ナデシコが押しつぶしてしまう。




 『イネス・フレサンジュ』か。その他の避難民の『命』か。…………どちらを取るか?


 答えは、一瞬で導き出される。


 イネス。




 他の人間は――――。

 ………………俺の、知ったことでは無い。




 『ナデシコの仲間』が、護れればいい。

 それだけでいい。

 それ以上は、望まない。


 『全ての人間を救う』…………なんてことは、神にでも何にでも、やりたいヤツに任せておけばいい。


 俺は、俺のできる事を確実にやっていく。

 悪魔と忌み嫌われようと、殺人鬼と罵倒されようと、一切、かまわない。


 俺の大切な者を…………『ナデシコの仲間』を護るためならば――――。

 俺は………………鬼にも悪魔にでもなろう。







 アキトは伏せていた眼を上げ、ゴートに視線を向ける。

「では、地上班メンバーを――」


「悪いが、エステバリスを貸してくれ」


「なんだと?」

 ゴートが眉を顰めた。



「ユートピア・コロニーを見に…………な」

 アキトの口から出た馴染みのある地名を聞き、ユリカが眼を瞬かせる。

「ユートピア・コロニーって…………生まれ故郷の?」


 フクベ提督が生まれ故郷という単語にぴくりと反応する。が、何も言わず、顔を伏せた。



 副艦長であるジュンが眉を顰めて、アキトを止めにかかる。

「テンカワ。君の戦力はナデシコにとって、重要な地位を担う。何かあった時、君がいなければ困るんだ」


 プロスも深深と溜息をついた。

「あそこは、チューリップの勢力園です。もう…………何もありません」




「…………ああ。知ってる」



 アキトの胸の内に意図せず、一人の女性が思い浮かぶ。


「言われなくとも、わかっている。だからこそ、見ておきたい」

 純粋な微笑みを浮かべる黒髪の女性。

「…………当然のようにあったものが、突然、なくなる」

 蒼く光る黒瞳を細め、優しげな眼差しを向けてくる。

「永遠に続くと思っていたものが、目の前から跡形もなく消え失せる」

 太陽のような自らの輝きで、周りの者に道を指し示してきた女性。

「確かに価値はないかもしれない。…………だが……もう、なくなってしまった事を……消えてしまったことを確認したい」

 前だけを、未来だけを見つめ、真っ直ぐに顔を上げて歩いていた『運命の女(ファムファタール)


「どんなに手を伸ばしても、二度と、取り戻せないことを…………絶対に、手に入らないことを…………しっかりと…………見ておきたい」


 ………………『ユリカ






「行ってきなさい」

 静黙したブリッジに低い声が響く。


 全員の視線が老提督に集まった。

「誰にでも、故郷を見る権利はある」


 フクベとアキトの――――咎人と罪人の、視線が交錯する。


「誰にでも………………か?」

「………………誰にでも…………ぢゃ」

 フクベ提督は己に言い聞かせるように、低く囁いた。




「………………ありがとう」

 ただ一声、投げたアキトは踵を返し、出入口へ足を向ける。




「アキト!!」

 リョーコの呼び声でアキトは歩を止めた。だが、何も返答せず、振り返りもしない。


 眼だけは、真っ直ぐに薄暗闇の通路を見定めたまま、立ち止まった。



「…………わりぃ。…………何でもねぇ」

 歯切れの悪いリョーコの戸惑いが伝わってくる。



 沈黙を保ったまま、アキトはブリッジから出て行った。




 通路の暗闇に溶け込むように消えたアキトの背中を、無機質な金の双眸が静かに見送っていた。





「地上班メンバー員を告げる」

 その一言で、再び、全員がゴートに注目する。

「山田が医務室だから、オリンポス山のネルガル研究所に行くのはミスター、スバル、アマノ、マキの四名だな。俺は何かあった時のために、残ろう」


「そうですな。それがよろしいでしょう」

 プロスが頷く。




 ゴートの指示を余所に、リョーコはアキトのことが気にかかっていた。


 アキトの後ろ姿は、サツキミドリで木星戦艦四隻に特攻した時と、まるっきり同じ気魄を放っていた。

 「故郷に行く」と言った口調は、血と硝煙に塗れた戦場を想起させた。


 それで…………、思わず呼び止めちまった。

 アキト、あいつは―――――。


 リョーコは小さく首を振った。


 いや。…………今は、その事に関わっている時じゃねぇ。

 オレたちは『プロ』だ。

 必要な時に、必要な事が出来なければ、失格だ。



 一度、大きく息を吐いたリョーコは、顔を上げた。

「んじゃ、さっさと行くか!!」

「お〜〜。リョーコが燃えてる〜〜〜〜」

「炎上…リョーコ………………遠方…旅行…………クククク」


「では、参りましょうか」







 地上班の四名を見送ったフクベ提督は、ブリッジにあるもう一つの扉に視線を転じた。


「で、艦長。どこに行くのかね?」



 ブリッジから、こっそりと抜け出そうとしていたユリカが、ぎくりと止まる。



「え?あ………………いや、あはははははははは

 ブリッジクルー全員の凄まじく冷めた冷徹な視線に、ユリカが乾いた笑い声を上げた。


 良案を思いついたように、ユリカがパンと掌を打ち鳴らす。

「そうだ!!ジュンくん。代りに艦長――――」

「だ〜〜めっ!!」

 きっぱりとジュンに拒否されたユリカはブリッジを見渡した。

「じ、じゃあ、ルリちゃん。艦長代理って事で―――――」


「いいですよ」


「そっか〜〜〜。やっぱ、だめ――――え!?

 全員の驚きの眼差しがルリに集中する。



「艦長代理なら…………………………いいですよ」



 無表情で淡々と首肯するルリに、ユリカが喜色満面の笑顔で狂喜乱舞した。

「ありがとう!!ルリちゃん!!

 やっぱりルリちゃんは、ユリカの『味方』だね!!


 ユリカが艦長帽をルリに放り投げる。



 放物線を描いた艦長帽がルリの手元に舞い落ちた時には、ユリカの姿は既にブリッジになかった。


 『電光石火』

 期せずして、ブリッジクルー全員の脳裏に、一つの四文字熟語が思い浮かんだ。



「だが、ルリくん。君が艦長代理をやるとなると、オペレーターは誰がやるんだい?」

 ジュンの当然の疑問に、

「大丈夫です」

 ルリが平然と頷いた。


 突然、ジュンの鼻先にコミュニケ画面が開き、その中でコルリがくるりと一回転し、

は〜〜〜い!!助太刀、役立ち、仁王立ち!!『コルリ』でぇ〜〜〜すっ!!

 ビシッとVサインをかます。




「…………と、いうわけです」

 ルリの無感情の声が後を継いだ。



*




 茜色の大地に、赤い砂塵が渦巻き、舞い踊る。


 火星の大地は、植物が少ない。

 酸化鉄を多く含む赤土は、植物が育つには適していないからだ。

 ミミズ型ナノマシンでは酸化鉄を取り除けるはずもないし、それらが作った土壌も10センチそこそこあれば良い方だろう。大雨が降れば、全て流れてしまう。

 そして、大気に舞う赤い砂塵。

 季節風で運ばれてくるこの煉瓦色の砂塵(ダスト・ストーム)が、地面から健気に生えている植物を、簡単に覆い尽くしてしまう。

 ナノマシンで大気調整はできても、気候調整まで出来るはずもなかった。

 一年、人間から見放された火星の大地は、ほぼ人類入植前の赤茶けた砂漠に戻っていた。




 その、生き物のいない死の大地を、一機のエステバリス・カスタムが赤塵を舞い上げて、疾駆する。


 ――――死の大地。


 アキトは自虐の嘲笑()みを浮かべた。


 この赤い大地を――――故郷の土を見て、そう思うようになったのは、いつからだろうか。

 地球の豊かな、何もしなくても植物が生えてくる土壌を見てから…………。


 いいや。違う。そう思う原因は、己の心の中にある。



 この赤い大地は…………血の色を想像させる。



 人から噴出した鮮血が、大地を染めているように感じさせる。


 久しぶりに見た緋の星は、血塗られた星に見えた。

 人の血を――『命』をぶちまけて、創り上げた大地。

 生き血を啜って、生き長らえる惑星。


 事実、この星の上にいた人類は死滅したと言っても、過言ではない。




 全ては、火星から――『死の星』から始まった………………か。



 血色の星から始まった物語が行きつく先は――――――。


 だとしたら、俺は…………。


「ちょっと、メグちゃん。もうちょっとつめてよ」

 俺は………………。

「艦長こそ、アキトさんに擦り寄らないでください」

 俺は………………………………。

「だって、アキトはあたしのこと大・大・大好きなんだよ!!」

「そんなこと勝手に決めないでください!!」

 俺は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。



「た……頼むから……俺の頭の上で…………喧嘩……しないでくれ…………」



「フゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

「キィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」



 エステバリスのIFS操縦で両手を使っているために、耳を押さえることもできない。

 両側から響くユリカとメグミの甲高い怒声に、ユートピア・コロニー跡地につくまで、アキトは身悶えつづけた。







次へ