「まさか、すぐに使う事になるとはな。こいつを見越していたのか?ルリルリ?」

 ウリバタケが、ボルトを締めながらルリに訊いた。


「言ったはずです。『保険』だと」

 ルリの返答に小さく肩を竦めて、配線を艦長用コンソールに繋いだ。

「ほい。終わったぜ」



 肘掛けの先端部分に半球状のIFSコンソールがついた可動式の椅子『ウィンドウボール型IFSトラックコントロールシート』を、ルリの要請で艦長席に取り付けたウリバタケが、上を見上げる。



 今のルリは、いつものオレンジの制服ではなく、黒と白を基彩とした艦長服を着ていた。


 頬までかかる立襟から、背中と袖にまでかけて黒色。胸の内側は白色。フチは金色で彩られている。

 金色の袖の折り返しと、金色の肩当てが眼に眩しい。

 立襟の裏襟や、胸襟の折り返しは、深紅。

 首元には、提督とは色違いの、幅広の白いスカーフが巻かれ、織り締められていた。

 極ミニの紺のスカートは、膝上までの丈の長い上着に完全に隠れており、その下からは白いタイツに包まれた細い足が伸びている。


 その艦長服の上から締められた幅広の金のベルトにはホルスターがつき、拳銃(ブラスター)ABS(アビス)』のモデルガンが差しこまれていた。


 両肩にはネルガルのシンボルではなく北極を中心に地球地図を象った連合軍の腕章が縫い付けられ、左胸元の階級章は中佐を示す金と赤。これは、もちろんダミー(贋物)であるが。



 一言で言えば、一世代前の地球連合宇宙軍艦隊の艦長服である。


 その艦長然とした造型から、今でもマニアの間では名高い制服だった。





「よく、星野に合う艦長服などあったな」

 ルリの頭から足元まで視線を這わせたゴートがむっつりと問う。



「まあなっ!!『こんなこともあろうかと』ってな」

「嘘ですね」

 得意絶頂になって自慢するウリバタケに、ルリが一言で否定(ダウト)した。



「な……なにを?」



 ルリが艦長服を白い繊手でさする。

「この服は…………アオイさんの手作りですね」


「な、なぜそれを!?」

 顔を引き攣らせるウリバタケに、無表情のルリが一語、一語、はっきりと発音した。



「P・H・R」



「「ギクッ!!」」

 凍りつき固まったジュンとウリバタケを、ルリの視線が射貫く。



「知らないとは―――――――言わせません」



「「あ、あははははははは」」

 顔色が蒼白と化したジュンとウリバタケが、虚空に向けて空笑いをかます。


 ルリは横目で、自分には関係ないという顔をしているゴートを見上げた。

「ちなみに、予約券持ってるゴートさんも同罪です。ここにいない流通担当のプロスさんも」


 ゴートは、むっつりとした表情を崩さずに顔色を変えた。

「ムウ。な…………なぜ、知ってる」


「顧客リスト及び、会員リストは押えてありますから」

 事無げに断言したルリに、ウリバタケは絶句する。



 ルリが冷たい無表情で、おろおろと動転している男どもを見据えた。

「後で制裁するから…………………………覚悟して」




 冷汗。冷汗。冷汗。





 彼らの様子に、ミナトは首を傾げ、コルリがキシシシシと笑う。

「なぁにぃ?P・H・Rってぇ?」


「『パーフェクト・ホシノ・ルリ』の略。

 簡単に言えばウリピー班長特製、ルリネェ1/1等身大フィギュアだよ〜〜。

 あの艦長服は、その着せ替え用の服」



 心底、呆れ顔になったミナトがコンソールに肘をつく。

「そりゃ…………ルリルリも怒るわねぇ」


 腕組みしたコルリが、うんうんと賛同した。







 ルリが艦長席(トラックコントロールシート)に座り、少し身じろぎをしてから、肘掛けの半円球状のIFSコンソールに手を置く。

「オモイカネ。艦長代理権限を『星野瑠璃』に設定」

『承認』


 画面に現れた代理権限条項を確認すると、ナデシコ艦内にある全ての業務用モニターに通信を繋いだ。



 見慣れない、しかし、よく似合っている艦長服を着た『星野瑠璃』が、ぺこりと頭を下げる。

「こんにちは」


 顔を上げてから、ゆっくりと話し始めた。


「臨時の艦長代理…………『星野瑠璃』です」



 ルリのその姿と台詞に、ナデシコクルーの誰もが手を止め、唖然とモニターを見つめた。



「ナデシコは、乗員の皆さんの協力により、こうして火星まで無事に着くことができました。

 ですが、これで終わりではありません。
 火星に残された人たちと、資材の引き上げがスキャパレリ計画の本来の要です。

 さて、そこでですが……。
 現在、付近のチューリップ及び、制空権を確保していたバッタを一掃したので、この地は比較的安全かと思われます。

 この間に、乗員の皆さんに2時間づつ休憩を取ってもらいます。
 もちろん、全員の方に休憩をされては緊急時に対処できないので、交代で休憩に入ってください。

 身体の休息もありますが、この休憩で張り詰めた精神を休ませてください。今から緊張していると、後々まで保たなくなります。

 それから、整備班の船体修理員は例外なく全員休憩に入ってください。敵の攻撃が来たら、簡単には休めなくなります。


 休める時に、休む。これが生き残るための鉄則です。


 以上。艦長代理からの通達でした」




 通信画面を閉じたルリがブリッジに視線を向ける。

「アオイさん。ミナトさん。お二人は、申し訳ありませんが、休憩は無しです。ブリッジに留まっていてください。いつ、何が起こるかわかりませんから」

「オッケィ。ルリルリ」

「それが、副艦長と操舵士の勤めだからね」


 ルリが二人にぺこりと頭を下げた。

「すいません。………………それから、ミナトさん」

「ん?」

「相転移エンジンはアイドリング状態にして、動力は切らないでください。数時間のアイドリングでエネルギーなくなるヤワなエンジンではありませんし。
 …………それに、騒音で苦情を言ってくるご近所さんもいませんから」

「はい、は〜〜〜い」




「ルリ君。ここは僕もいるし、休憩に入っていいよ。………………まったく、11歳の女の子に艦長代理を任せるなんて、ユリカも何を考えているのやら」

 疲れたように大きく肩を落とすジュンに、ルリが首を振る。


「火星は木星園です。私には敵地で艦長席を離れる勇気はありません」


「………………でも――」

 ルリの固い無表情を見て、ジュンが諦めたように吐息をついた。

 これでも、このニヶ月を共に過ごしてきたのだ。今のこの子に何を言っても無駄ということが良くわかっている。

「じゃあ、食堂に出前でも取ろうか?」

「そうですね。そういえば、そろそろお昼ですね」


 ミナトが気を利かせて、食堂にコミュニケ通信を開いた。


 ホウメイがルリを見て、笑みを浮かべる。

「おや、艦長代理さん。どうしたんだい?」

「出前、いいですか?」

「ああ。いいさ」


「………………すいません。食堂は休憩できませんね」

 頭を下げるルリに、ホウメイは片目を瞑った。

「ははははは。いいってことさ。他が休みの時は、食堂は大盛況。こちとら、それが商売だしね。なに、うちの娘たちには、暇を見て休憩を取らせるさね」


 すいませんとルリはもう一度、頭を下げる。

「ハンバーガーとオレンジジュースをお願いします」

「僕は…………サンドイッチと紅茶を」

「俺は、牛丼特盛り、ツユだく、生卵付きを頼む」

「わしは、栗羊羹と渋茶をもらおうかの」

「ん〜〜〜。ワタシはぁ、サラダセットとダイエットコーラ。お願いねぇ」

「アタシは〜〜〜〜って、もの食べらんないや。いいさ。オモイカネと一緒に、システムリソース、バカ食いしてやる〜〜〜〜!!」

「処理が重くなるから、やめて」

「はいよ。ちょいと待ってな。すぐに届けるよ」

 メモを取っていたホウメイが、顔を上げ、ルリにじっと視線を注ぐ。

「ルリ坊」

「はい?」

「ルリ坊は休憩を取らないのかい?」

「艦長代理ですから」

「あんまし…………無理すんじゃないよ」


「……………はあ」

 ホウメイの心配顔に、ルリが気の抜けた返事を返した。




 ホウメイのコミュニケ画面が閉じた後、ジュンが訝しげな顔をして、口を開く。

「ルリ君」

「はい?」

「もしかして、…………戦闘時にも艦長代理をやろうなんて考えていないかい?」

「考えていますが」

 当たり前のように即答されて、思わずジュンは天を仰いだ。

「ルリ君。君の責任感の強さは知ってるけど、緊急時には迷わず僕に艦長代理権限を譲ること。いいね」

「…………………………はあ」



 まったく…………なんて()だ。


 本気で、艦長代理の役職を全うしようとしている。

 ルリの顔に緊張の陰は見られない。

 普通、子供が大人から重要なことを頼まれると気を張って引き受けるが、彼女にはそれがない。異常なほど自然体だった。


 そして、先の艦内放送。あれは、副艦長である自分や艦長であるユリカが通達しなければいけなかった事項なのだ。

 だが、ジュンは正直、そこまで気が廻らなかった。

 キャリア2ヶ月の新米副艦長の自分よりも、今のルリの方が遥かに堂々としている。

 この歳で、ごく自然に、当たり前のように艦長代理をやっている少女に、ジュンは畏怖を覚えることを止められなかった。



 相変わらずの無表情であるが、今、この少女は本来の役職に戻ったような超然とした雰囲気を放っていた。





 ふとルリが、ジュンに尋ねる。

「そういえば………………ミッションの方はどこまで行きました?」


 ルリに訊かれたことが、『アマテラス攻略』と名づけられたエステバリスシミュレーターの隠しミッションのことだと悟ったジュンは、苦笑を返した。

「どうしても、二つ目の防衛ラインが越えられない」


 ルリが首を巡らして艦長席から、ジュンを見上げる。

「今、使っているのはノーマルでしたね」

「もちろん」

「カスタムにする事をお勧めします。
 ノーマルで『アマテラス』までたどり着くにはテンカワさん級の腕が必要です。カスタムの操縦はピーキーですが、ノーマルと比較にならない加速力が得られますし、標準で大型レールカノンを実装していますから」


「でも、カスタムの操縦はかなり難しいって、リョーコ君たちに聞いたけど―――」

 顎に手を当てて考え込むジュンに、ルリが頷いた。

「そうですね。私も、カスタムではなくてスーパーエステバリスを使っています」

「それって、あのミッションだけにあるやつだね」

「はい。そちらの方が使い慣れていますから」



 しばし、何かを考えていたジュンがルリに尋ねる。

「やっぱり、ルリ君よりもテンカワの方が腕は上なのかい?」


「比較するのも、バカらしいくらいです」


「そ…………そうなんだ」

 じゃあ、そのルリ君にボコボコに負けた僕っていったい?

 そんな思いにかられたジュンは、ず〜〜んと気落ちした。




「は〜〜〜い。なにやら、お困りのようだね〜〜。このコルリちゃんが相談に乗って進ぜよう!!」

 コミュニケ画面がジュンの前に展開し、学者のような帽子を被ったコルリが現れる。

 その後ろには『なぜなにナデシコ。パイロット講座。コルリ編』と書かれていた。



 それを見て、ジュンが引き攣ったような笑みを浮かべる。

「あ…………いや、コルリ君じゃ、たぶん…………役に立たないから――」


「あ〜〜〜〜!!そんなこと言って良いと思っておるのかな〜〜!!差別だぞよ。プンプン!!」



「いや、だって………………君……オペレーティング・プログラムだし…………」


 ジュンの真っ当な指摘にコルリは、にまぁと笑みを浮かべた。

「エステバリス・カスタムの操縦法でしょ?」

「え?あ………………う、うん」



「カスタムとノーマルの大きな違いは、やっぱり加速力なんだよね。

 ノーマルは基本的に人体をでっかくして、パワーがあって空を飛べる…………と、こんな感じだから、コツを掴めば、初心者でも扱える。肉体の延長上だからね。

 でも、カスタムはジェット戦闘機に手足をくっ付けた感じだから、その操縦法はかなり変わるよ。

 ノーマルが自動車のミニだとしたら、カスタムはF1カーのようなもの。操作の仕方は同じだけど、路面を走らせるときのテクニックは、まったく違うでしょ。
 それと、同じ感じ。

 だから、カスタムは人型ロボットを動かしていると言うより、高加速度戦闘機を操縦していると考えたほうが良いかな〜〜。
 F1と同じように、急激に曲がるとこけるしね〜〜」


「こけるって?」

「バランスを失うこと。そうなると、平衡感覚が混乱して立て直そうとすればするほど、わけわからくなるから。特に宇宙だとね〜〜」


 ルリが小首を傾げる。

「そんなことあるんですか?…………私は聞いたことありませんが」


「普通のノーマルならそんなことおこらないけどね。加速度や機体反応速度の設定が過剰なカスタムだと、たまに起こるよ。
 小さい子供が、足の着く水の中で溺れるのと同じ感じかな?まあ、熟練すれば大丈夫だけど」


「その熟練するまでが、大変なんだけどね」

 ジュンが苦笑した。



 コルリが丸っこい指を一本立てる。

「ん〜〜〜。とりあえず、眼を瞑って操縦してごらん」

「眼を?」

「そう。ルリネェもジュン副艦長も、視覚は通常モニターを使ってるでしょ」


「ええ」

「ああ。もちろんさ」

 ルリがこくりと首肯し、ジュンが何を当たり前なことを、と云った顔で頷いた。



「だから、その情報を完全に断ち切って、機体からのカメラアイ情報だけを頼りに操縦するの。

 眼球の動きは限界があるけど、カメラアイからの情報はIFSを通して、直に副電脳に直結されるから、眼では絶対に捉えることが不可能な速度も普通に見えるよ。
 速度や集中による視野の狭隘もおこらないしね〜〜」


「そんなこと…………できるのかい?」

 ジュンが疑問に思うのも当然である。


 そんな操縦の仕方など、軍のマニュアルには一切、載っていない。



「もち。初めの内は、情報量が多すぎて混乱するけどね〜〜。慣れれば、必要な情報だけを抜き出すように副電脳が再構成されるから。
 あっ!!それから、IFS視覚同調率は最高まで上げとくこと」


 銀髪を揺らしながら、コルリが丸っこい手を口許に当てた。

「あとは…………最初の数回は、酔い止め薬を呑んでおいたほうがいいかな?全ての動体が鮮明に見えるから、ついつい無茶しちゃうんだよね。
 初めは加減がわからなくて、アタシ、眼を回したことあるから」


 体験談を話すようなコルリの口ぶりに、ジュンは唖然と問う。

「良く知ってるね…………コルリくん」





 初耳という顔で講義を聞いていたルリが、金の瞳を『コルリ』に差し向けた。




「そういえば、『あなた』は…………こちらが『専門』でしたね」




「おう!!オペレートは、正直、苦手だぞ!!『コルリ』がじゃなくて、『アタシ』が、だけどね〜〜」


 威張るように、胸を張る『コルリ』





 ジュンは眼を瞬いた。

 オペレートが苦手な擬似オペレーティングプログラムだって!?



 当惑しているジュンを余所に、二人は意味不明な会話を続けていく。


「データにあるサレナA2型時代のアキトニィだったら、楽勝だぞよ!!」

「では、『C』にある『あの』サレナならば?」

「う〜〜ん。アキトニィがどれほど乗りこなしているか知らないけど、『前』にあったっていうアタシ専用の機体『バンシー』がないと辛いかな?」

「『レイス』には?」

「100パーセント無理。『バンシー』があってもたぶん、無理」

「『フューリー』さんと、どうしても逢わなければなりませんね」

「多分、あそこにいるんだろうけど…………タイミングが厄介やね」

「ですね。それに、逢うとしても取り次ぎ役の『彼女』も、一筋縄ではいきませんし」

「…………あの、破茶滅茶なお姫様ね」

 苦労と徒労を予想し、首を振ったコルリが、ふと顔を上げた。


「そういや、話変わっけど、『波月』参謀長のエステ操縦記録がないのは、どして?IFSは持ってたでしょ?」

「それは――――」

 ルリとコルリは、咄嗟に口を噤む。



 無言で近寄ってきたゴートに、コルリが丸い指を振った。

「乙女の秘密を探りだそうだなんて、無粋だぞ〜〜」



「ムウ。…………そこに、アオイもいるが?」









「男性と見てませんから」

 真顔であっさりと言ってのけたルリに、うんうんと深く賛同するコルリ。







ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!

 ジュンの泣き声が遠ざかっていく。

「あや〜〜。また、泣いちゃった」
「通路は走るの禁止なんですが」

「む………………惨いな」

 11歳の女の子に『男性に見えない』などと言われたジュンを慮り、さすがのゴートも同情した。


 そんなゴートをルリは横目で見上げ、淡々と告げる。

「これで、アオイさんへの『制裁』は終わり。次は、ゴートさんの番です」


「………………ムウ」


 キシシシシシと笑うコルリ。

「さて、ここにユリカ艦長が和服姿ですっ転んだときに、太腿を見て鼻の下を伸ばしているゴート指導員の映像データがあるんだけど――」

「『こんなこともあろうかと』と思い、撮っておいたものです。…………あとで、ミナトさんに渡して置きましょう」

「ちゃんと、画像に日付と秒単位の時間も入れとかなきゃダメだよ。ルリネェ」

「では、そうしましょう」



「………………ムウッ!!





 だらだらと冷や汗を流すゴートを、横目で見上げたルリが、ぼそっと呟いた。

「ご愁傷さま」




*




 プロス、ヒカル、イズミがネルガルオリンポス研究所を探索する間、リョーコは警護を兼ねて、出入口付近に佇んでいた。


 ネルガルのオリンポス研究所の窓から、外を眺める。

 今は、赤い砂塵が吹き荒び、壁がそびえるかのように全ての景色を覆い隠していた。



 この時代だからこそ、視界がまったく利かなくてもなんとでもなるが、もし何の装備も持たず、この中を徒歩で目的地を目指すとしたらゾッとする。

 果てが見えないというのは、こんなにも不安になるものなのか…………。


 リョーコは一人、微苦笑を浮かべた。

 喩えれば、この砂塵が、今のオレとアキトとの距離…………か。


 それは、彼との心の距離でもあるし、技量の差でもある。

 いくら歩いても、相手の姿さえ見えない。

 いいや、自分が彼に向かっているのか、離れているのかさえもわからない。



 オレは彼に追いつくと言った。そう、宣言した。


 その場の勢いもあっただろう。

 でも、あの時は本気で思った。


 当然のように危険をあいつに任せようとした自分の弱さを見て、負けることが当たり前だと言い訳する己の心を見て、本気でそう思った。


 だが………………。



 オレは……………………。




 ………………本当に、あいつに追いつけるのだろうか?




「リョ〜〜コ。どうしたの。ぼ〜〜っと外、見て?」

「え!?あ…………いや、何でもねぇ。どうだ?なんか見つかったか?」

 リョーコはヒカルに眼を向けた。

「な〜〜〜〜んにもっ。とっくに逃げ出しちゃったって感じだよね〜〜。そっちは?」

「時たま、砂嵐が吹くだけで、異常無しだ。イズミ。おめえは?」

「裸子植物……実は付けん…………みはつけん…………未発見…………クククククハハハ」


「「…………はいはい」」

 リョーコとヒカルが、疲れたように肩を落とす。



「そろそろ、戻らねぇか?ここにいてもラチが開かねぇぜ」

「そうですな。…………しかし、ここに居ないとなると、他に隠れる場所は見当もつきませんね」

 プロスは当てが外れた、というように首を振った。


「だから〜〜〜。これから、火星全土を廻って、調べるんでしょ〜〜」

 指を振るヒカルに、プロスが肩を落として、溜息を吐く。

「時間がかかりそうですな。…………では、ナデシコに帰りましょうか」


 イズミも同意した。

「そうね。…………砂嵐も止んだようだし…………」


 リョーコが外に眼を向けると、いつの間にか地平線の彼方まで見渡せる風景が広がっていた。


 赤い大地。


 見晴らしが良い……と、言えば聞こえは良いが、何も無いといった方が正しい。

 正確には、全てを滅ぼされた跡と、云ったところだ。




 隣に立ったイズミが、その光景に眼を細める。

「静かな……………………ものね」




「そりゃ、誰もいねぇんだからよ」

「そうね。…………誰もいなくなってしまえば…………静かよね」

 イズミが痛みを堪えるような、呆れるような曖昧な笑みを浮かべる。

「イズミ?」

「どうしたの?イズミちゃん」




 プロスがポンと手を打ち鳴らした。

「そういえば、イズミさんは元火星エアフォース隊でしたな」



「「………………………………うっそ!!」」

 二人の頓狂な声に、イズミは否定も肯定もしない。

「じゃあ、イズミ。火星会戦を――」

 ヒカルの問いかけに、イズミが首を振った。

「いいえ。…………ワタシが地球に戻った直後に、木星蜥蜴が襲来…………運が良いんだか悪いんだか…………」


 リョーコは首を捻って、イズミに尋ねる。

「でもよ。なんだって、わざわざ火星にまで来て、エアフォース隊なんかに入隊したんだ?おめぇの腕なら地球の軍でも十二分にやっていけただろうによ」


 イズミが、遥か遠くを眺めながら、ぼそぼそと呟くように話し始める。

「14歳の時に、親と漫才の方向性で意見を違えて……家出をして…………なんか、気づいたら火星エアフォース隊に入ってたの……………………未だに不思議」


 は〜〜いっとヒカルが手を上げた。

「漫才の方向性って〜〜?」


「親は掛合漫才を中心に…………ワタシは駄洒落を中心に………………それはもう……凄まじい抗争になったわ」


「まあ。…………イズミの寒いギャグに比べりゃ、なんぼかマシだろ」

 緑に染めている髪を掻くリョーコに、イズミが首を振り、訂正する。

「うちの親の掛合漫才も、…………『ケツの毛が凍るほど寒い』って有名よ…………」

「…………結局、似たもの親子なんだね〜〜」

 ヒカルが半眼でツッコム。


「でも、イズミ。たしか、おめぇ、地球出身だろ?よく、14歳で火星に来れたな?」

 リョーコの疑問にイズミが頷き、口許に指を当てて考え込む。

「ワタシ…………パスポートも所持金も持っていなかったはずなのに…………どうやって、火星に渡ったのか……………………未だに不明」


「…………イズミも、ずいぶん大雑把な人生、歩んでるね〜〜〜」

「大きな拶双魚…………大サッパ……大雑把…………ククククク」


「「………………はいはい」」




 陰鬱な嗤いを収めたイズミは、改めて赤茶けた大地を眺める。



 何もない大地。風の音だけが響く空虚な空間。



 だが、イズミの耳には迫撃砲の幻聴が甦り、眼には血飛沫舞う戦場の幻影が映る。


 血で血を洗う地獄の戦場。憎しみが憎しみを生む凄惨な連鎖。


 高度1500メートルから落下傘(パラシュート)降下した街並み。初めて人を殺し、嘔吐した塹壕。明日、死ぬかもしれない恐怖に怯えながら眠った野営。



 イズミは顔にかかる前髪を掻き揚げた。


 火星エアフォース隊の生き残りも、蜥蜴襲来の前に辞めた自分と、会戦時、地球連合火星守護第一艦隊宇宙軍に出張していた『イツキ・カザマ』の二人だけになってしまった。


 かつては、内戦やテロリストとの戦いで血と硝煙と砲撃が渦巻いたこの火星の大地も、主役となる人間がいなくなっては、戦争も内紛もおこらない。



 皮肉なものね。本当に…………皮肉なもの。


 全ての人間が死に絶え、結果、静かになったこの地も……軍から離れられないでいる自分も……再びこの火星へ来ることになったことも…………そして――――


 ……………………自分が今、生きていることも。




 赤い大地を……地獄の戦場を……第二の故郷を眺めながら、イズミは口の中で囁く。

「ミカヅチ隊長、ローヤルン副隊長、リューク、セイシャ、スイレイ…………」



 霞みがかっている地平線に、イズミは眼を細めた。

 遠くを、決して行きつけない遥か遠くを――――『過去』と云う名の距離を見通す。




 火星で……この赤い大地で死んだ…………二人の……………『婚約者』





 イズミの無言の呼びかけに答える者もなく、火星の大地に虚ろな風だけが吹き抜けていった。







*




「うぅ〜〜〜〜〜〜。僕だって〜〜。僕だって〜〜〜〜」

 食堂のテーブルでへちゃつぶれているジュンが、悲哀な泣き言を発する。



 ジュンは、ワイングラスの赤紫の液体を喉に流し込んだ。

「酷いよ。酷いよ。…………確かに、僕は、初めてテンカワを見たとき逃げ出したくなったし、ユリカにトビウメに置きざりにされて、皆に忘れ去られてて、テンカワには一瞬で負けて、帰ってきてもユリカに見向きもされなくて、サツキミドリ防衛戦では完全に役立たずで、エステバリスシミュレーターではルリくんにボコボコにされたけど〜〜〜!!




 天に向かって遠吠えする、哀しき者『アオイ・ジュン』

「それでも、僕だって〜〜。男なんだ〜〜〜!!」




 藍色の髪をボブカットにした『ミズハラ・ジュンコ』が、ジュンの持つワイングラスに赤紫の液体をゆるりと注ぐ。

「まあまあ、これでも呑んで落ち着きなよ」


 グラスの中身を一気に呷るジュン。

「うぅ〜〜〜〜〜。ぐしぐし。バカヤロ〜〜〜」

「はいはい」

 相づちを打ちながら、ジュンコは空になったワイングラスに赤紫の液体を注いだ。


 光がワイングラスを透過して、紅光の影を作る。




 二人の様子を見、髪をお団子状に纏めた『サトウ・ミカコ』がキャハハハと笑い声を上げた。

「さっきからず〜〜と、あんな感じ〜〜〜」


「でも、いいの?警戒中にお酒なんか呑んでっ?」

 茶色の髪をポニーテールにしている『ウエムラ・エリ』が口許に人差し指を当てて、小首を傾げると、
藍色の長髪をポニーテールにしている『テラサキ・サユリ』が苦笑して答える。

「あれ、お酒じゃないわよ」

「へっ!?」


 焦げ茶の髪を三つ編みにしている『タナカ・ハルミ』がのんびりと説明する。

「紙パックにぃ〜〜、『濃縮100パーセント・ブドウジュース』ってぇ〜〜書いてありますぅ〜〜」


 ミカコが幼い子供のように笑い転げた。

「キャハハハハハ。ジュースだったんだ〜〜〜〜」


「まっ。それなら、いいのかもっ」

 エリが半眼で眺め、サユリが頬に手を当てる。

「そうなんだけど。…………な〜〜んか、中途半端よねぇ」


 間延びした口調でハルミも同意する。

「見てる方がぁ〜〜痛々しいですぅ〜〜」


「でもっ、ジュンコって、ああいうの好みだったけっ?」

 エリが二人から眼を離し、問うような目線をサユリに送る。

「あれでも、結構、情に深い娘だから」


「ジュンコちゃんの眼にはぁ〜〜、副艦長がぁ〜〜、たぶん、捨てられた子犬さんにぃ見えるんですよぉ〜〜」

 ほんわかとした笑みを浮かべるハルミの見立てに、ミカコが笑いだす。

「キャハハハハハ。そっくり〜〜〜〜」


「確かにっ」

 エリも失笑を返した。



 ふと、サユリが食堂を見渡す。

「そういえば、アキトさんは?」


 途端に、ハルミ、エリ、ミカコの眼が輝いた。

「気になるぅですかぁ〜〜〜」

「うふふふふっ。アタシが相談に乗って上げましょうっ!!」

「さ〜〜〜。あつ〜〜〜い恋心をバクロなさ〜〜〜い」


 一瞬、しまったという表情をしたサユリは、くるりと身を翻し、

「さ〜〜〜。仕事、仕事っと」

 厨房の奥にスタスタと早足で歩いていく。


「サユリちゃん。逃げた〜〜〜」

「サユリッ!!逃がしまへんで〜〜〜っ」

「逃げ場はないですぅ〜〜〜。観念してくださ〜〜いぃ」

 甲高い笑い声と共に、ミカコ、エリ、ハルミの三人は、サユリの後を追いかけて行った。






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