コンコン。




 扉がノックされた。




 エリナが言い忘れたことでもあったのだろうか?


 彼女にしては珍しい。そう思いながら、アカツキは声をかける。

「開いてるよ」



 そこに現れたのは、行方不明になったナデシコに乗っているはずの『星野瑠璃』


「なっ!?」


「お久しぶりです。アカツキさん。
 あ、エリナさんは呼ばないでください。内密な話なので」


「君は…………行方不明になったと聞いていたんだがね」


「私ではなく、ナデシコが…………です」


「それは、そうだけどさ」

 それは、同じ事だろうと思ったアカツキだったが、表面上は平静を装い尋ねる。


「で、なんの用かな?
 出来れば、ナデシコがどうなったか聞きたいんだけど?」

「ナデシコは心配いりません。
 今、帰路の途中ですから」

「て、ことは撃沈したわけじゃないんだ。
 で、君はどうやって?」


 アカツキの疑問を逸らして答えるルリ。

「私が今日、ここに来たのは交渉のためです」


「おやおや。まだ、何か交渉することがあるのかい?」

「はい。取引と言っても良いでしょう。
 私からはデータを、そちらからは教師を」

「データ? 教師?
 星野君。君は何が言いたいんだい?」




 ルリは一枚のディスクを取り出した。

「お土産です」


「これは?」

「見れば解かります」


「コンピューター・ウィルスかい?」

「それなら、持ってくるような、まどろっこしいマネはせずに、ネットから直接そのパソコンに叩き込みます」

「それは、どうも」



 ウィルス・チェッカーは、アカツキの端末にも入っているが、見るだけで危険なウィルスは五万とある。

 だが、このままこうしてディスクを眺めていても埒があかない。


 え〜〜い。ままよ!!


 アカツキは会長にあるまじき、軽率な判断でディスクをインサートした。

 危険よりも己の勘に賭けたのだ。



 画面に現れる文字群。


 それに眼を走らせたアカツキの表情が、だんだんと蒼白に変わる。

「こ…………これは――」


「お土産です」



 机に肘を着き、手を組んだアカツキは、平然としているルリを見据える。

「星野くん。マーベリック社って知ってるかな?」

「聞いたことはあります」


「はっはっは。聞いたことあるねぇ」

 空惚けた声のルリに、苦笑を返すアカツキ。

「そこの社長と会長の名は知ってるかい?」


「…………」

 素知らぬ顔で沈黙しているルリに、アカツキは言い募る。



「社長の名前が『シイ・撫子・思兼』。そして、会長の名が『星野・瑠璃』
 どういうことかな?」


「さあ?」


「ふ〜〜〜ん。
 まっ、うちの社に敵対しなければ、それでいいさ」

「いいんですか?」

「いいのさ。君と敵対しても得は無さそうだし…………と、いうか。これ見ると、敵対したら終わりのような気もしてくるしね」

「賢い選択です」



「そりゃ、どうも。
 で、データっていうのは、これの事なのかい?」


「それも、含めたものです。
 私は電子上にあるデータに関しては、全てを知ることが出来ます。
 ですが、それはあくまでも、ネットワークに繋がっているデータです。
 独立したコンピュータには手が出せません」


「はっはぁ。
 つまり、独立コンピュータの情報が欲しいから、ハードディスクを盗み出してきて欲しいと?」


「違います。

 私が(・・)そのコンピュータまで辿り着ける(・・・・・・・・・・・・・・・)技術を身につけたいんです。

 欲しいのは、そのための『教師』です」


「護衛じゃ駄目なのかい?」

「駄目です」



 何と云うか…………奇妙奇抜な取引である。


 確かに、この少女をコンソールの前に座らせれば、そのコンピュータは丸裸にされる。

 どんなセキュリティもパスワードも意味がない。

 この少女がセキュリティ・サービス(SS)の能力を身につければ、最強の密偵になれるだろう。



 アカツキの悪い癖が出始める。



 これは…………面白い。


 途轍もなく、面白くなりそうだ。


 アカツキは面白いことが大好きだった。

 たとえ、それが自分の身を危うくしたとしても。


 そして、この『取引』は心の琴線にビンビン触れる。



 アカツキは、にやけそうになる口許を組んだ手で隠した。

「星野君は、なんでそんなデータを欲しがるんだい?」


「端的に言えば、『私の戦い(フェアリー・ダンス)』のためです。

 この取引……受けますか?」



 受けるかって?

 もちろん受けるに決まっている。


 だが、そこで交渉を止めてしまっては、会長職は務まらない。


「そうだね。
 あと、二つ。条件を呑んでくれたら、良いよ」

「対等取引ですから、こちらも同じように条件を出しますよ」


「ああ、構わないさ。
 二つ目として、君がネルガル・セキュルティー・サービス(NSS)に入ること。
 ただし、僕の直下としてね」

「では、私はその命令の拒否権を頂きます。
 くだらない仕事まで、受けさせられるのはゴメンです」


アカツキは肩をすくめて、承諾を示す。

「三つ目は…………。
 そうだね。『教師』から条件を聞いてくれ」


「えっ?」


 眼を瞬いたルリに、アカツキは唇の端に笑みを浮かべてから、内線ボタンを押した。


「やあ。ライブ君かい?
 実は、『彼』のパートナー候補が来たんだ。
 彼も連れて、来てくれないか?」


 内線を切ったアカツキは、訝しがるルリを前に、楽しそうな笑い声を洩らした。




*




「お待たせしました」

 髪を中分けにした糸目の男が、眼許まで隠れるくらい前髪を延ばした黒髪の青年を引き連れて現れた。


 男はルリを眼に止めて、糸目を僅かに見開く。


「おやおや。これは可愛いお嬢さんですね。
 私、こういうものです」


「『ネルガル資料室室長

         ライブラリアン』

 司書官? …………ですか?」


 差し出された名刺を読んだルリに、ライブラリアンは営業スマイルを浮かべる。



「いやいや、ペンネームのようなものです。
 ライブと呼んでいただければ幸いです。

 それで、会長。彼のパートナー候補がどうたらと?」


 アカツキは楽しそうに自分のパソコン画面を指さした。

「ライブ君。
 これを、見てみたまえ。
 星野君のお土産なんだけどね」


 ざっと眼を通したライブの顔色が緊張に染まる。

「これは…………クリムゾンの内部機密情報?」


「星野君は、進入捜査技術を持つ『教師』を求めているそうだ。
 どうだい?
 彼と良い組み合わせになると思わないか?」

「確かに」



 ほくそ笑む二人に、ルリは冷たい視線を浴びせる。

「やっかい事はゴメンですよ」


「俺もだ」

 壁に背を凭れ、物憂げに眺めていた青年も素っ気なく口を挟んだ。




 ライブは糸目をさらに細めて、営業スマイルを形作る。


「え〜〜、星野さんでしたね。

 彼は、まだ年若いですが、裏社会では『ファントム』と呼ばれたほどの逸材です」



 ルリは、初めて青年に視線を動かす。

「『ファントム(亡霊)』?
 クリムゾンのトップ・スナイパー(暗殺者)『ファントム』ですか?

 『アイン・ファントム』は女性だから…………『ツヴァイ・ファントム』

…………あなたが『吾妻玲二』さんですか?」



 青年の前髪に隠れた双眸が危険な光を煌めかせる。


「なぜ、俺の本名を知ってる?」



 アカツキが口を挟む。

「彼女の専門は、『情報解析』さ。
 それが、ネットワークに繋がっていれば、彼女に手に入れられないものはないよ。
 例えそれが、ファントムの本名でも、クリムゾンの最高機密でもね。

 どうだい? 吾妻君。
 君の目的にピッタリじゃないか」



 値踏みをするような眼でルリを眺めていたレイジは、一つ、嘆息をした。

「で、俺は何をすればいい?」

「詳しくは星野君に訊いてくれ。
 これで良いかい。星野君」


「三つ目の条件は、アヅマさんの目的を手伝うことですか?」

「そう。探査系の仕事だから、星野君が一番得意にしてる分野だ」



「では、私も三つ目の条件を。
 ラピ…………FAー64の親権を手放して貰えませんか?」

「それは君が里親になるってことかい?」



 無言で見つめてくるルリ。



 彼女は知っているだろうか?


 書類上の『星野瑠璃』の所有権はネルガルになっていることを。

 たとえ、ルリがFAー64を養女にしたとしても、『星野瑠璃』がネルガルの『物』ならば、その子供もネルガルの『所有物』になることに。


 だが、アカツキはそのことをおくびにも出さずに、

「オーケイ。わかったよ。是非とも君は欲しいしね。
 で、親権は君に移せばいいのかな?」


「養子縁組みの書類はこちらで作ります。
 親権移譲の委任状の書類だけ作成しといてください。
 詳しいことは、FAー64がナデシコに来た時点で決めます」



「じゃ、これで契約成立だね。

 契約書でも交わすかい?」


 ルリの金の双眸が細まる。

「いりません。
 契約を破れば、死。
 それは、お互いにわかってるはずですから」



 アカツキは、ニヤッと笑みで返答した。




*



 レイジに連れられてきた所は、築三十年の幽霊アパート一歩手前のアパートだった。


 部屋は、3LDK程の広さである。


 だが、居間にはソファとテーブル。その上にラジオ。

 テレビが一台。

 窓には光を通さぬカーテン。

 奥の部屋には、ベッドが一つ。

 キッチンに、調理道具は何一つ無い。



 『殺風景』と云う常套句がぴたりと当て嵌まる。



 しばし、部屋を眺めていたルリは、つかつかと居間を横切り、キッチンの冷蔵庫を開けた。


「缶ビール、ばっかりですね」

ルリは、レイジに白い眼を向ける。



「それでもカロリーは取れるさ」

 しれっと答えるレイジに、ルリは大きな溜息を吐き出した。






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