どんな場所でも、時間は流れ、そして朝はやってくる。


 そう、ここ木連でも。

 コロニーの温度調節装置が作動し、気圧差から木々の間を潜り抜けた爽やかな風が流れてくる。



 アキトは手際よく包丁を扱い、ネギをざく切りにしていた。



 前に夕食を作ったら、自動的に食事当番に割り当てられたのだ。



 ネギを多めに入れたほうが、味噌汁は美味しいからな。

 朝餉だから、味噌の濃さは、少し薄味と。



 完全に主夫と化しているアキトであった。



 朝餉の香りが風に乗り、日本家屋風の各部屋に流れていく。


 その朝食の匂いに釣られたように、寝ぼけ眼のユキナが顔を出した。


「おはよ〜〜〜。アキトさん」


 サンタクロースのような格好の『サタン・クロックM』の人形の片手を引きずりながら、ユキナが挨拶をする。


 ゲキ・ガンガーに見向きもしないユキナだが、この人形だけは特別だった。


 これは幼稚園の時、今は亡き両親から買って貰った物だったからだ。

 たまに、八つ当たりの殴り相手になったりするが、概ね大切にしている。



 アキトはアジの切り身を焼きながら、挨拶をする。

「ああ、おはよう。ユキナちゃん。
 もうすぐ、朝ご飯ができる。九十九を呼んできてくれ」

「ふぁ〜〜〜い」

「ぺたぺた」と呟きながら、ユキナは裸足で廊下を歩いていった。



 太陽偏光鏡で反射される光が明るい。


 木星から太陽までは遠いが、この衛星型太陽偏光鏡で太陽の光を集め、地球よりやや暗い程度の明るさを保っている。

 これは朝や夜に対応して自動的に偏光するようになっていた。

 真昼になり、光量が足りない分は、コロニー天井の透過高分子プラスチック材が発光する仕組みになっている。





 狭い庭に立っている巻き藁に、九十九は上段蹴りを放った。



 豪快な音とともに、巻き藁が振動する。


 九十九は上段蹴りから、軸足を闊歩し、踵落としと変化させ、蹴り足が地面に着くと同時に、回転膝蹴りで巻き藁を強打した。



 『木連式旋牙流柔』は大技が多い流派だが、中でも九十九は高速連続技と回転技を多用するため『旋風の白鳥』と呼ばれている。


 木連三羽烏と呼ばれる月臣、秋山にも字名がついていた。

 月臣は『極破流』の中でも、猛虎硬破山という技を得意としていることから『猛虎の月臣』

 『崩獅流』の秋山は、わずか半歩の突き、一撃で敵を倒すことから『崩拳の秋山』という字名が付いてる。



「お兄〜〜ちゃん。ご飯だって」

 縁側からユキナが呼びかけた。


 巻俵に正拳突きを放った九十九は動きを止め、アキトの朝ご飯を想像し顔を綻ばせる。


 アキトが作る飯が、ここ最近の九十九の密かな楽しみであった。

 地球で料理人をしていたと聞ていたが、彼が作った初めての夕食はユキナと共に絶句した。

 地球の食文化は凄いという噂があったが、まさかあそこまでとは思わなかった。



「なに、ニヤニヤ、笑ってるのよ。お兄ちゃん。
 お味噌汁、冷めちゃうでしょ!!

「あっ。悪い悪い、今行く」

 ユキナから投げ渡されたタオルを受け取って、九十九は朝の自主トレを終わらせた。




*



 朝食は米飯に味噌汁。焼き魚というオーソドックスなものである。



 初めて、海が無いはずの木連の市場で、魚が売っているのを見た時、アキトは自分の眼を疑うほど驚いた。


 九十九に詳しく聞いてみると、カリストのマントル(地下部)は水で出来ており、そこを巨大水族館兼養殖場にしているとのことである。

 豚肉や鶏肉に比べると割高だが、そこは『朝は、ご飯に味噌汁、焼き魚に漬け物』という日系移民族の意地であろうか。


 他にも、梅干し、海苔、味噌、納豆などはアキトが驚くほど見事に再現されていた。


 だが、全ての料理、食材が再現されているわけではない。おかしな料理もかなりある。



「ユキナ。醤油をとってくれ」

「で、今日、俺に時間を空けてくれと言っていたな。もっとも、俺は目一杯、時間が空いているが」

「はい。……あっ。アキトさん。そこのケチャップとって

「ああ、友人を君に紹介しようと思ってね」

「友人? …………はい。って、ケチャップを、魚に付けるのか?

「君と同門の男だ」


 アキトがぴくりと頬を動かした。


「同門て? …………そうだよ。ちょっと付けてみなよ? おいしいから


 アキトは苦笑する。

「…………気づいていたか」


「夜。あれだけ、震脚の音が響けばな…………。ユキナ。ケチャップは邪道だ。魚には、醤油が基本だろう


「あれでも、抑えていたつもりだったんだがな…………このケチャップ……辛いぞ


赤唐辛子が入ってるから当然よ。で、二人で何の話してるの?」


「アキト君がやってる木連式柔のことだよ」

「え? アキトさん。木連式柔、使えたの?」

「ああ、多少はな…………これ、タバスコって言わないか?

「そうなんだ。…………アタシてっきり――」

「ん?」


「ううん。なんでもない。……それより、木連で『ケチャップ』ってそれのことだよ。赤いし


「いや……確かに赤いけど」


「ゲキ・ガンガーの中では、それをオムレツにべったりと付けるのですが…………どうも味が合わなくて、木連中の料理人が苦労してます」

「それは…………そうだろうな」





*





 早朝の住宅街を三人は歩いていた。


 今日は休日の早朝なので、大通りも閑散としている。


 横薙の風が三人の間を吹き抜けていく。

 コロニー内部では、脱臭の為に絶えず風が吹いていた。


 コロニー内はアキトが想像していたよりも、植物が多かった。

 一定の区間で必ず、スプリンクラーで水を撒いている芝生の広場がある。



 アキトは知らなかったが、これはコロニーに住む人々の生命線だった。


 この純水作成装置(スプリンクラー)は酸素と水素から水を合成しているため、ほぼ純水である。


 相転移機関のエネルギーラインが絶たれても、大気調整機、温度調整機、純水作成装置だけは稼働し続けるため、普段は加湿器の役割をしているこの装置も、緊急時には飲み水や生活用水に転用できる。

 また、調節により毎分1トンもの水を作成できるため、火災時の消火栓にも使用される。


 コロニーで起こる災害で恐ろしいのは、一つ目は空気が無くなること。二つ目は火災だった。

 火災になると、火が酸素を食い尽くしてしまい、コロニー全体に一酸化炭素が充満して、最悪の場合、コロニー1つが全滅する。

 だから、火事の時には近隣の住人総出で消火に当たるのは当然だった。

 その際、スプリンクラーにホースさえ取り付ければ、住民の誰もが消火活動を行えるほど、防災訓練は徹底されている。


 そうでなければ、生き残れない環境でもあった。




 瓦屋根の日本家屋風の木造住宅街をアキトは興味深そうに眺めていた。

 まるで、250年前のニホンの町並みのようである。



「そんなに家が珍しいの?」

 ユキナの不思議そうな顔に、アキトは疑問を返す。

「いや、木造の家が多いな……と思って。木連に雑木林でもあるのか?」


「クスクス」と呟いてから、ユキナは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「違うよ〜〜。アキトさん。あれ、木じゃないよ」


「え? ……でも」

「木に似せた合成樹脂(プラスチック)だよ」

「どっからどうみても、木に見えるが」

「残念ながら、鉄筋の支柱を耐熱耐延焼合成樹脂(プラスチック)で覆ったものです。
 本当はプラントで木材も合成できるのですが、火災時の延焼防止の為と、遮蔽所(シェルター)代わりの為に木材は極力使わないようにしてます」


「シェルターの代わりって……隙間だらけにみえるが」


 純日本家屋なので、密閉性はかなり悪い。


「まあ、そこで生活してますから、実用一辺倒では息が詰まります。遮蔽物(シェルター)機能は気休め程度ですね。
 それに、きっちりとした遮蔽施設(シェルター)は別にありますから」


「そうそう。空気が無くなると、空気防護面(マスク)を持って遮蔽所(シェルター)まで走るんだよ」


「空気が無くなるのか?」

「う〜〜ん。だいたい三ヶ月に一回くらいかな。空気循環装置に問題が起きるから」


「だいぶマシになったものです。私が小さかった頃は、もっと頻繁に起こってましたから」


「へ〜〜」


 生徒のような表情で、頷いたアキトだったが、ふと顔をあげる。

「鉄で出来てるといったが……木星で鉄なんか採れるのか?」


 それだけではない。あれだけ大量の無人兵器を量産できるのだ。鉱脈の一つや二つでは到底賄えない量である。


 アキトの質問に、九十九は頷いた。

「鉄は採れませんが、資源は大量にあります」

「資源?」


「そう。木星の水素だよ」


 ユキナの返答に、アキトは疑問を浮かべる。

「水素って……気体の?」

「正確に言えば、水素金属を使います」

「水素金属?」


「木星内部は300万気圧以上ありますから、水素が水素金属として液状化します。それをプラントの資源としますので、量は、ほぼ無尽蔵と言えるでしょう」


「水素って……液体になるのか?」

「ええ。マイナス253度にするか、300万気圧をかけるかすれば」


「空間歪曲場も元は、木星の資源採取のために、発掘された技術なんだよ。
 300万気圧だと、全ての物がぺちゃんこになっちゃうからね。

 それに、木星内部はものすごい……ええと、風速200キロだったかな? ……の風も吹いてるし」


「ディス……時空歪曲場は、初めから兵器として開発されたわけじゃなかったのか」

「はい。兵器に転用されたのは5年前です。一人の天才工学博士が実用化させました」


「むぅ〜〜。話を逸らさないでよ」

 ユキナが唇を尖らして、二人の注意を引きつける。


「あ……ああ、すまん」

「続きを話してくれないか? ユキナちゃん」


「うん。で、採ってきた水素の塊を…………え〜〜と、原子……いや、元素……同素体……あれ、同位体?
 …………とにかく、なんとか変換して、他の物を作るの。理論上は存在してる全ての物質を作れるんだって」

「木連建設当初では、木星の環を形成していた衛星を砕いて資源にしていましたが、今では、緊急時以外ほとんどありませんね」


「環? 木星に環なんてあるのか?」

「あるよ」

「そうか。環があるのは、土星だけだと思っていた」

「天王星と海王星にだってあるよ」

「へえ〜〜」


 呆れた表情を見せるユキナ。

「アキトさん。ちゃんと、勉強してたの?」


「いや。親がいなくてアルバイトに明け暮れてたから、学校は寝る場所だった。
 それにしても、いろいろ知ってるんだね。ユキナちゃん」

「この前、理科の筆記試験(テスト)があったの。後、十日したら全部忘れてる」

「そういえば、その理科の試験(テスト)はどうだった?」


「うぐぅ!! ヤブヘビ!!」


 その後、道場に着くまで、ユキナは懇懇と九十九のお小言を受ける羽目になった。







*




 その道場は純和風の武道場だった。


 木製に似せた観音開きの扉の前で、長い髪を風に靡かせた月臣が、腕ぐみをして待っていた。


「九十九!!」

「元一朗!!」

 二人は声を掛け合う。


「我らは優人部隊」

「鉄の拳が鋼を打ち砕く」


「「レッツ!! ゲキガ・イン!!」」



 哄笑を上げている二人を、アキトは半眼で眺める。


「あれ。いつもやってるのか?」



 ユキナが恥ずかしそうに俯いた。


「…………うん」



「…………そうか」





 哄笑を納めた月臣が、アキトに眼を向ける。


「彼は?」

「テンカワ・アキト君だ。おまえと同門の男さ」


「ほう。極破流を?」

「ああ」


「ならば、家族同然だな」

「家族?」


「そうとも。『武林是一家』と言って、同門なら身内と同じだ」


 月臣の言葉に、九十九が頷いた。

「そうか。極破は、特に仲間意識が強かったな」


「それはそうだ。仁義礼知信厳勇を兼ね備えた者しか伝えないからな。
 少数な分、仲間意識も強いのさ。

 おっと、門を大きく開いてる、おまえの旋牙流を貶してる訳じゃないからな」

「なに、わかってる」


「だが、この道場で学んだのではないとすれば、どこで極破を学んだ?」

「いや……それは……」

 言葉を濁すアキトに、慌てて九十九が促す。

「立ち話もなんだ。中に入って話さないか?」


「おお。すまん。気づかなかった。その通りだ。
 お茶とお菓子を用意させよう。ユキナちゃんは大福で良かったな」


「うん。できればイチゴ大福!!

「こら。ユキナ。はしたないぞ」


「買い置きがあったかな?」


 首を捻りつつ、道場に入る月臣に先導されて、アキトたちも後に続いた。





*




 甲式虫型兵器二黒系 (コバッタ)が運んできたお茶とお菓子を前に、三人は話し込んでいた。


 ユキナは一心不乱に、ちびちびと苺大福を食べている。

 果物が入っているお菓子は、家では客が来るとき以外、滅多に食べられない希少価値の高い食べ物だった。



 月臣と九十九は座布団の上に正座で、ユキナは足を崩して、アキトは片膝を立てて座っていた。



 広い道場に震脚の音が連続して響く。

 これでも床下には消音設備を施してあり、そうでなければ会話すら出来ないであろう。



 アキトは意外そうに極破の門下生たちを眺めた。

「柔の他に、抜刀術もやってるんだな」


「ええ。抜刀術はその精神を学ぶ為に、どこの道場でも木連式柔と組み合わせて学んでいます」

「精神?」


「いかにも。『斬らぬば抜くな、抜かば斬れ』とな」


 疑問を浮かべるアキトに、九十九が笑いかける。

「要は、相手に情けが残っているならば、刃を抜いてはいけないと言うことです。
 刃を抜くときは、相手を殺す覚悟と、相手に殺される覚悟ができてからにしろ。と……まあ、そういうことです」


「相手を取り押さえようとするならば、刃など抜かなくても言葉でなんとかすべきだし、それで十分。
 無闇に刀を抜いて、力を誇示するなど三流のやり方だ」


「抜刀の極意とは、刃を抜かないこと。それにつきます」



「…………いまいち、良くわからないが、無闇に争うなってことか?」


「覚悟ができてから、争えと言うことですね」


 ますます訳が解らないと云う顔をするアキトに、九十九は話題を変える。


「木連式抜刀術にも細かな流派があります。
 中には抜刀術という名がついているものの、納刀状態でない抜刀術もあります」

「技量の差にもよるが、抜き身の刃と勝負をした場合、7分3分で抜刀術が負けるからな。
 そういう流派が出てきても不思議ではない」

「速さが違いますからね」


「速さ?」


「はい。抜刀術はその技の性質上、鞘から抜かなければなりません。
 移動量を考えた場合、刀を正眼に構え、真っ直ぐ刃を突き出して相手の喉を狙った方が、抜刀するよりも、はるかに少ない。

 それが、速さに関わってきます」


「それじゃあ、抜刀術は勝てないんじゃないか?」

「いいえ、抜刀術の最大の長所は間合いです」

「間合い?」


「敵を『斬る』というのは、ただ闇雲に刃を振り回せば良いものではありません。竹刀のようにぶつければ一本ということもありません。
 刃筋を合わせ、物打と呼ばれる刃の中程部分で、一気に『斬ら』なければならないのです。
 この力点部分がずれれば、刃が浅かったり、途中で止まったりします。

 抜刀術は納刀状態のために、相手は剣の長さが解らない。
 つまり、間合いを掴ませないということなのです」


「抜刀する者は、日頃からその刀で抜刀術を修行しているから、自分の刀の長さや、踏み込みの距離――――間合いを掴んでいる」


「この3センチや2センチの僅かな感覚の違いが、勝敗を分けるのです」



「もっとも、達人ともなれば構えを見ただけで、相手の間合いを掴むというがな…………我々はまだまだ」


「それが出来る達人と言うと…………木連優人部隊主任武術教官の波月殿などは、その域に入るでしょう」

「ああ。この間など、刃を潰した日本刀で竹を三本巻いた竹俵を、鼻唄交じりにスッパスッパと斬っていたからな」

「あれぐらいでなければ、優人部隊の主任武術教官は務まらんさ」

「確かにな。
 だが、その水準(レベル)を我々にも求めてくるのだけは閉口するけどな」


 げっそりと言う月臣に、同意の苦笑を浮かべる九十九。



 と、ゲキ・ガンガーの主題歌の電子音楽が三人の会話を遮った。

 四角い電波通信機を背負ったコバッタが歩いてくる。




 その通信機と何やら話した月臣が立ち上がった。

「すまんが、客人がきたようだ」


「客人?」

 見上げる九十九に、月臣が苦笑いを浮かべる。

「噂をすれば何とやらだ」


「ほう。珍しい」







 月臣が席を外してから、アキトは門下生たちに視線を向ける。

 先ほどから、彼らの好奇な視線が、鬱陶しいほどアキトに浴びせられていた。


「何か、用か?」


 門下生たちが一瞬、視線を交錯してから、一人が進み出る。

「お前、柔をやって何年ぐらいだ?」


 アキトは訝しげな顔をしたが、正直に答える。

「4年だが…………実際には2年ぐらいだな」



 その後は、身体が満足に動かなかったからな。



 アキトの返答に、門下生たちから嘲りの嘲笑が洩れた。

「『旋風の白鳥』が初めて、弟子を連れて来たと思えば、……………なんだ。初心者か」

「ああ、まったくだ。
 旋牙流の門下生と腕試しをしてみたかったんだが、2年ぽっちじゃ可哀想だな」



「待て、アキト君は――」


 九十九を手で制するアキト。

「いいだろう」


「何?」


「手合わせだろう? かまわん」

「正気か? ここにいるのは全員が7年以上の強者だぞ」

「ほう。いつから武術の強さに、年功序列制ができたんだ?」


な……なんだと!?


「先から思っていたが、貴様無礼だぞ。その座り方からして――」

「座り方?」

 キョトンとしたアキトは隣の九十九を見てから、唇の片端を吊り上げる。

「ああ、悪いな。俺の育った所じゃ、正座なんて座り方がなくてな」


 陽炎のように、ゆらりと立ち上がるアキト。


「アキト君!!」


 声を上げる九十九をアキトは眼光だけで圧してから、門下生たちに向かってニタリと笑みを作った。



「最近、一人稽古ばかりで対戦相手が欲しかったところだ」




*




 月臣が客人を連れて戻ってきた時には、ほぼ終わっていた。


 多数の門下生が死屍累々と床で気絶している。

 九十九が感嘆の眼で見つめ、ユキナが眼を丸くしていた。

 最後の一人の門下生は青白い顔で、佇む黒衣の男を見つめている。


 静かに佇んでいるアキトは構えもせず、呼吸も乱しておらず、静謐な眼で門下生を眺めていた。



 門下生の男は身体を半身にし、足を肩幅に開き、腰を落として、右手をミゾオチの前に、左手を前方に突き出して構えている。が、膝が微かに震えていた。


 アキトが素っ気なく言う。

「どうした? 来なければ、こちらから仕掛けるぞ」


「う…………うおおおおぉぉぉぉ!!」


 恐怖を振り払うように雄叫びを上げながら、突進してくる門下生の拳を右手で捌き、左掌底を相手の胴体に密着。


 ズドン!!


 鋭い踏み込み音とともに、門下生の男の身体が吹っ飛んだ。



「寸打だと!?」

 月臣が驚きの声を上げる。



 アキトの打撃法は、寸打もしくは暗徑と呼ばれている打法だった。


 最小の動きで敵の攻撃を捌くか、衝撃をポイントをずらして受け、最大の攻撃力を決して外さない密着した状態で叩き込む。

 一つ間違えば相打ちになる危険な極接近戦法だった。

 そして、アキトがもっとも得意とする。同時に、もっとも多用する接近戦闘法。


 『前』に月臣から、一撃必殺の武術を叩き込まれたが、満足に身体が動かなくなっていたアキトは、このような戦い方しか出来なかったのだ。




 一撃で気絶した門下生を冷めた眼で見おろしてるアキトに、笑みを含んだ声が投げられる。


「ふ〜〜ん。技は練り込まれてるけど、筋力が心象(イメージ)についていけてないみたいだねぇ」



 内心、驚愕したアキトが鋭い視線で、声の出所を辿った。


 そう、今のアキトは筋力が鍛える前に戻ってしまい、自分のイメージに身体の動きが追いつかない状態なのだ。

 鍛錬はしていたが、この二ヶ月ばかりでは、望む筋力を得られてない。



 それを僅か、寸打一撃で見破られたのだ。驚くなという方が無理である。




 アキトは、眼を疑った。



 声の出所に居たのは、女性――――いや、年齢的には少女の域に入るだろう。


 身長は168センチ程あるが、まだ、少女の面影が色濃く残った童顔だった。

 黒く艶やかな背中まである長い髪。

 九十九と同じ白い軍服の上着に、スリットの入った膝上までの黒のタイトスカート。

 白の軍服の上から細い腰を絞めている金色のベルトに小刀を吊り下げている。



 特徴的なのは眼だった。


 その鷹のように光る眼光は、断じて少女の物ではない。

 自分の意思で自分の道を歩いている者の眼であった。



 月臣の後ろの少女は口の端で笑う。



「おっと、自己紹介がまだだったよねぇ。

 木連優人部隊中尉。『波月』です。

 優人戦艦『かんなづき』の参謀長と、木連優人部隊の主任武術教官してまっす」



 よろしくと、波月は茶化した敬礼をアキトにする。



 視覚的には、どうみても、普通の背の高い少女にしか見えない。



 だが、アキトは瞬時に察した。


 戦えば…………殺される。



 アキトは危険に、かなり敏感である。

 『前』の死線をくぐり抜け、生き抜いたアキトの戦闘本能が最大の警報を鳴らしていた。


 危険。


 離脱しろ。






 波月が無造作に一歩踏み出すと、何かから逃れるようにアキトはすっと一歩退いた。

 それを見て、波月が声無く嗤う。


 その嗤い方を見て、アキトは自分の直感が正しかったことを覚った。




 アキトの顔色を見て、くすくすと笑った波月は、

「で、そっちの自己紹介はしてくれないの?」

 悪戯っぽく問いかけた。



「あ……ああ。テンカワ・アキトだ」


「へ〜〜〜。アキトさんか………………じゃ、あだ名は『アッキー』とか」

「そ…………その名だけは勘弁してくれ」


「え〜〜。
 それがダメとなると…………、アートとかアキンドとか、OTIKAとか、真っ黒アキとか…………」

「波月ちゃん。あだ名つけるセンス、悪いって言われないか?」


「えぇっ!? 何で知ってるの?」

 愕然と驚く波月に、アキトは溜息をつく。

「…………アキトでいい」


アキゴンってのは…………どう?」


「断る」


「ぶ〜〜〜〜〜」



 横からユキナも同意した。

「確かに波月さんて、感性(センス)、悪いよね。
 アタシも
『ユキゴブリン』とか言うあだ名をつけられそうになったことあったし」


「え〜〜〜。可愛い名前だと思うんだけどな〜〜〜」

「可愛くない!!」


「俺らも変な名前つけられそうになったことあったな」

「ああ、月臣、秋山、白鳥で『オミリン、ヤンキー、シラタキ』とな」

「サブロウタも『ブータ』とか呼ばれて、泣いて訂正して貰ったことがあったらしい」


 腕を組んだ波月が、しみじみと呟く。

「良いあだ名だと思ったんだけどなぁ」


「「「良くない!!」」」

 全員のツッコミがハモった。






「それにしても、不甲斐無いな」

 そう言って周りを見回す月臣に、アキトは唇の端を上げる。


「訓練にはなったさ」



「見事な寸打だった。誰に木連式極破流柔を習った?」


「…………月臣…………お前にさ」


「「「「はっ!?」」」」


 アキトは唇を歪ませる。

「…………冗談だ」


「アキトさん。真顔で冗談言うと、判別つかないから困るぞ」




「波月殿。でもなぜ、今日ここに?」


「白鳥少佐が来るって、オミリンに聞いたっすから。
 玲華先輩から伝言があってね」

「オミリンはやめてくれ!!」

「神狩副司令が? 私に?」


「うん。無限砲の完成が延びるって。削岩機が上手くいかないそうっす」

「そうか。高松工学博士も頑張ってくれているんだがな」


 顎に手を当てる九十九を、月臣が茶化す。

「自分の船が恋しいか?」

「まあ、恋しくないといえば嘘だな。あれは、俺にとって第二の家だからな。
 元一朗。お前も、そうだろ?」


 笑みで同意を示した月臣が、波月を見下ろす。

「そう言えば、そっちの跳躍砲はどうなった?」

「『ゆめみづき』の無限砲が終わってから、こっちの開発に入るって話っすよ」


「なるほど」


「あっ!! 跳躍砲で思い出した。
サブくん大尉に仕事押し付けてきちゃったから、早く帰らないと」



「え〜〜〜。でも、そろそろお昼だよ。
 波月さん。一緒に食事でもしようよ〜〜」


 ユキナのお誘いに、小首を傾げた波月は小さく呟く。

「う〜〜ん。ゆめみづき艦長と副艦長に引き止められたって言えば、公然と仕事をサボれるかな?

 うん、食事に行こう!!


「賛成〜〜〜!!」


「彼らはどうするんだ?」

「頭を冷やさせるには良い機会だ。
そのまま、ほっぽっとくさ」




*


 木連、エウロパ商店街。


 エウロパで最も有名な商店街だった。


 商店街の入り口は、名物の朱色の大きな門が客を出迎える。

 門と言っても、商店街を護っているわけではない。鳥居のようなものである。


 門の右側には全長6メートルの超合金製のゲキ・ガンガー。

 左側には同じくウミガンガー。

 そして、中央に全高3メートルの木樽が置かれ、そこにはリクガンガーが掘り込まれている。


 この商店街の先には、激我神社があり、そこには地球から持ち込まれたゲキガンガーの生ディスクニ枚が厳重に冷蔵保管されていた。

 正月には初詣で、多くの人で賑わう、このエウロパコロニー商店街のシンボルである。


 この朱染めの門も遺跡から発掘された物だった。色々調べたが、何に使うか解らなかったため、商店街の門となったのだ。


 商店街の商人たちは商売繁盛のご利益があると信じている。

 老激会の年寄りたちは、腰痛に効くと平日でも訪れる者がたくさんいた。



 幅3メートル弱の路地の両側には所狭しと、商店が並んでいる。


 街道の上空には、針金が渡してあり、そこには和紙で造ったナナコやケン、ゲキ・ガンガーなどが貼り飾られていた。

 両側には『激我』と書かれたチョウチン型の電灯が立ち並んでいる。


 道の真ん中には、ゲキガンガーの各キャラクターの電飾が飾ってあった。

 夜ともなれば、色彩鮮やかに電飾が虹輝し、人々の眼を楽しませるのに一役かっていた。


 店々からは、威勢の良い呼び声が飛び、名物ゲキガン醤油煎餅と、ダイチ揚げ饅頭の香りが漂ってくる。



 案内された定食屋は、テッペイ信玄餅屋とハカセ明石タコヤキ屋の間にひっそりと店を構えていた。

 柳の木が店門を覆い隠すように生えている。



 店内は木材こそ使っていないが、木材に似せた高分子材をふんだんに使ってあり、木色と白色を基彩とした落ち着いた店内であった。


 店の壁に木の板が吊り下がり、そこに品目と値段が書き込まれてる。


 ちなみに、木連の通貨の単位は『円』である。

 これは、ゲキ・ガンガーの世界が『円』になっているため、それに合わせているからだ。



 壁のメニューに目を走らせたアキトの視線が『らぁめん』の文字で止まる。

 ラーメン屋台を営業していた頃は、新しい地や店に行くと必ずラーメンを頼んでいた。



 もっとも、五感を失ってからは、そういう店には近寄りさえしなかったが。

「アキトさん。注文決まった?」


「あ……ああ。ラーメンを」


「アキトさんがらぁめんで、わたしが蕎麦で、ツックーが肉南蛮で、ユキっちが餡蜜で、月リンがシメ鯖定食……。
 …………って、月リン、正気っすか?」

「ふっ。あの味が病みつきになるのさ」


 アキトが不思議そうな表情を浮かべる。

「〆鯖がどうかしたのか?」


「あれ? アキトさん、知らないの?
 ほら、ゲキ・ガンガーでケンたちが、シメ鯖に中毒(あた)ったでしょ」


「ああ。確か第16話だったな」



「そうそう。だから、木連ではシメ鯖は『禁断の食べ物』って言われてるんだよ」


「……それは、また極端だな」




 アキトをじぃっと見つめていた波月だが、「ま、いいか」と呟いてから声を張り上げた。

「オバちゃ〜ん。注文、決まったよ」



「おや。波月ちゃん。ご無沙汰だったねぇ」


 へへへと波月は照れ笑いを浮かべる。

「優人部隊に配属されてから、仕事が忙しくてねぇ」



「また、問題でも起こしてるんだろう?」


 食堂のおばちゃんの言葉に、無言で眼を逸らす波月。



「図星だな」

「ああ。直球、ど真ん中だ」

 九十九と月臣が腕を組んでしみじみと頷き合う。




 波月の拳が二人に飛んだ。




 そのすさまじい拳速に、アキトでさえ軌跡がかろうじて判別できたくらいだ。


 ユキナは何が起こったのかわかりさえしなかっただろう。

 現に、頭を押さえて呻いている二人を、目をぱちくりさせて眺めている。



「え……え〜と、らぁめんと、蕎麦と肉南蛮とシメ鯖定食と餡蜜。各一つづつ」

 乾いた笑い声を上げながら、波月が注文した。


「はいな。ちょっと待ってな」


*


 出された『らぁめん』を一口啜ったアキトは沈黙した。


 確かに黄色い麺には、コシがある。喉越しも良いし、あっさりとした薄味の醤油のツユとも合っている。


 だが…………これは――

「ただの、細うどんのような――」


「アキトさん。それは、言っちゃいけないお約束!!」


 ビシッと遮る波月にたじろぐアキト。

「そ、そうなのか?」



「地球から持ち込まれた料理本に載っていた調理法(レシピ)以外の木連の料理は、アニメや小説から想像して作っている物が大半だからね。
 特にらぁめんとカリーは、その代表」


「へぇ〜〜」


「って、木連人なら『常識』なんだけどな」

 波月はアキトに眼を当てて、口の端で微笑む。


「あ…………ああ、そうだったな」

 慌てて頷くアキトを細めた眼で眺めながら、波月は無言で蕎麦を啜った。





「そ、……そう言えば、ある海賊が急激に勢力を増してるそうですね」


 慌てて、話題を変える九十九に波月が頷き返す。



「うん。海賊の中じゃ、弱小の海賊団だったんだけど、……ここ最近、急速に人数を増やしてるみたいで」


「木連宇宙警備軍は討伐に当たらないのか?」

「夕薙先輩も頑張っているんすけどねぇ。
 結構、逃げ足が速いらしくて」


「副司令はなんと?
 海賊対策は『神狩玲華』准将の十八番だったはずですが」


「玲華先輩の言うことには、前例と違ってて予想がつかないそうっす」

「今までと違う?」


「うん。海賊って普通、輸送船や客船を襲うでしょ。
 でも、この海賊団は輸送船の護衛とかしてお金を貰ってるみたいっす」


「それは…………自警団って言わないか?」


「だよね〜〜。でも『海賊団』って名乗ってるからには取り締まらないと、宇宙警備軍にも面子があるっすから」



 先に食べ終わった九十九が食後のお茶を呑みながら、嘆息する。


「桜の季節までには何とかしたいですね。
 せめて、敵の正体が判れば……」



 その台詞に、質問しようとしたアキトだったが、何も言わずに口を閉じた。

 この木連にも春が……いや、季節感など有るのかと訊きたかったのだが、波月に疑われている今、迂闊な言葉は言えない。





 一人、考え込んでいるアキトに、

「ねぇ、アキトさん」

 波月が蕎麦をすすりながら、何気ない口調で問い掛けた。


 アキトも『らぁめん』―――否、これをラーメンと呼んだら冒涜である―――黄色細ウドンを食べながら答える。

「ん?」

「本当のラーメンの作り方って、知ってる?」

「え? ああ、知ってるが――」



「本当!?」


 波月が眼を輝かせて、勢いよく立ち上がった。



 しまった!!



 声を無くしたアキトに、波月が喝采を上げる。


「ああ。伝説のラーメンの作り方を知ってる人を、や〜〜〜っと見つけた!!」



「波月ちゃんもコックなのか?」


「違うよ。わたしは『料理研究家』
 その道では、少しは知られてるんだから」


「自称でしょ」

 ユキナのツッコミに、波月がたじろいだ。


「じ、自称だろうがなんだろうが、なんだろうが『研究家』だもん。
 ユキリンも料理は出来た方が良いぞ」

 波月は、返す言葉でユキナをバッサリと斬る。

「べ……別にいいんだもん。アタシは」


「婦女子たるもの、料理ぐらいできなくてどうする!!」


「なんで…………アタシにふるのよ」

「だって、この場の女の子って、わたしとユキっちしかいないじゃんよ」

「うぐぅ」


「さ〜〜。アキトさん。午後、空いてるね。と、云うか空けなさい。

 極めるまで、アキトさんの家に通うから」


「しかし、波月殿。仕事は?」


「そんなもの、後回し!!

 サブくん副艦長は優秀だもん。報告書の200枚や300枚、どうってことないって」



「いや…………それはどうってことあるんじゃ」


「サブロウタも不憫だな」

「波月殿の上司になったことが運の尽きだ」

「くわばら。くわばら」




 波月が眼を眇め、低い声で二人を恫喝する。


「ほっほう。『極破流』月臣元一朗殿、『旋牙流』白鳥九十九殿。

 わたしに何か意見があるのかな?


「「ありません!! 波月『武術教官』殿!!」」




 声をダブらせて、最敬礼する二人に、波月は口許だけで微笑んだ。



「よろしい」










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