ヨコハマ・シティの郊外にある住宅街を二人は歩いていた。




 買い物帰りなのだろう。

 ツインテールの銀髪の少女は茶色の紙袋を両手で抱えていた。


 隣を歩いている17、8歳の、170センチほどの青年が時折、小声で少女に話しかける。


 少女は異常なほど、真面目な表情で頷いていた。




 この二人は――レイジとルリは、こうして街道を歩きながら、尾行の巻き方・群衆にとけ込む方法・私服警官の見分け方などの実地訓練をしていた。





 ルリの持つ紙袋の中は、日用品と食材である。


 ルリがレイジの元へ訪れてから、食生活はかなり改善されていた。


 もちろん、レイジもサバイバルの一環として料理は作れる。しかし、日常に置いては、栄養が取れれば良いと云う考え方なので、レトルトや栄養剤が大半を占めていた。


 今は、ルリのおかげで、キッチンにも最低限の調理器具が揃っている。

 もっとも、その他の部屋は相変わらずの殺風景だったが。




 アパートの住居に着いた二人は、無言で顔を見合わせる。



 ルリは無言で買い物袋を通路の端に置き、レイジは家の鍵を取り出した。



 玄関の鍵はきっちりと鎖鍵されている。



 眼で合図したレイジに、ルリが頷いた。



 鍵を開けたレイジが扉を引き開けると同時に、ルリは中に飛び込み、床を転がりながらブラスターを抜き放ち、ソファにいる人物に狙いをつける。


 その時には、レイジが斜め後ろから、拳銃を突きつけていた。



「ほっほう。なかなか」

 二つの銃口を突きつけられた男は、そんなことを満足そうに呟きながら、糸目の目尻を下げた。




 ルリは一つ、溜息を吐くと、ブラスターの安全装置をかけて、床から立ち上がる。

 レイジもルリと同じ表情で、拳銃を仕舞った。

「ライブ。不法侵入って言葉、知ってるか?」

「ははは。我々は、それが仕事ですので」


「だからと言って、私たちの家にまで、侵入しないでください。
 もう少しで、撃つところでした」

 憮然と、外に置いてある買い物袋を取りに行くルリに、苦笑を返したレイジは、ソファで寛いでいるライブを見下ろす。

「で、ライブ。
 何の用だ?」


「星野さんの『仕上がり』を見に来たのですが……部屋の外から私の気配に気づくことや、先の突入から見ると、仕事に入れそうですね」


「それを見るための、試験だったんですか?」

 少し拗ねたような口調のルリは、紙袋を持ってキッチンへ向かう。



 少し笑ったライブは、再びレイジに視線を戻した。

「で、どうです?
 『師匠』さん」

「ルリは、俺の前に、どこかで訓練を受けたことがあるのか?」

「そういう経歴は、聞いてませんが」

「間違いなく、ルリは軍の教習を受けてるぜ」

「星野さんが?」


「ああ。
 染み着いたものを強制的に変えるのも不味いからな。
 拳銃の撃ち方は、前からルリが修得していたものだ。と、云ってもあまり上手くないが。

 俺が、教えたのは多対一の時の位置取りや、ちょっとした裏技なんかをな。
 侵入捜査や、襲撃なんかは今、教えているところだ」


「ほう。格闘戦などはどうです?」


 触れて欲しくないところを突かれたように、レイジは顔を顰めた。

「油断していたとはいえ、ナイフ格闘戦では…………俺が瞬殺された」


「それは、すごい」

「今のルリだと、護衛程度の任務なら受けられると思うが……」

「もちろん、彼女一人に仕事を任せることはしません。
 レイジさんと組んで貰います」



 キッチンから戻ってきたルリはテーブルに烏龍茶とビールとジュースを置いた。


 ソファは一つしか無く、レイジは壁に背をつき、缶ビールのプルタブを開け、ルリは床にぺたんと座ってジュースのコップを取る。



「それで、仕事は?
 くだらないものなら、拒否権を使わせて頂きますよ」


「ははは。初めから牽制してきましたね。
 実は、SSの方で、会長が狙われていると、情報を入手しましてね。
 で、護衛をお二人にお願いしたいのです」


 レイジはルリを見おろした。

「どうする? ルリ」


「アカツキさんの護衛ですか。
 まあ、失敗してもかまいませんし」

「失敗しないでください」

「そうだな。
 重要度の低い依頼からこなして、身体を慣れさせるか」

「いえ、重要度高いです」

「それが良いと思います」

 ライブのツッコミを無視し、淡々と相談するレイジとルリ。


「その依頼、受けようと思います。
 いつですか?」


「今からです」


「「はっ!?」」


「すぐに現場に向かってください」


「…………ライブ」

「…………ライブさん」


「いや〜〜。情報を入手できたのが、4時間前でしてね。
 一応、護衛の数は倍にしたんですが、社長派のNSS要員もいて、正直、役に立つかどうか際疾い所でして」


「…………はあ」

「やれやれ」




*






 無反動ブラスター、『アスカインダストリー・BS137(アビス)』を点検するルリを見、同じように火薬式拳銃(デザート・イーグル)を点検していたレイジは眼を眇める。

「やっぱり、ソレを使うのか」

「はい。慣れてますから」


「それは構わんが。
 ルリ。そのブラスター。
 リボルバー・タイプからオートマチック・タイプに変えろ」


「11.85じゃないと、防弾チョッキを撃ち抜けませんけど?」


「それよりも、弾数の少なさが致命的になる」

「そうですね」



 『アビス』をリボルバー・タイプからマガジン・タイプへ変更するのに、専用工具は必要ない。


 ボタンを押しながら、シリンダーを取り外し、その部分に立方体の黒いボックスをセットする。

 厚さ4センチの長方形のダブルカアラム・マガジンを二個取り出して、マガジンの幅広の面をフレームに密着させて、銃の両側に取り付けた。

 グリップを開き、クリップを11.85から9.0へ変更すると、蛇腹が搾られ、銃口が窄まる。

 銃の先端に筒状のサイレンサーを取り付ける。


 ルリは、全長が1.5倍になった銃を振った。

「少し、重いですね」


「300グラム増えただけだ。…………気になるようだったら、先端の消紫電サイレンサーとマガジンを一つ外してもいいんじゃないか」


「良いんですか?」

「襲撃の場合はエレキ・マズルフラッシュ(紫雷)が見えると拙いけど、今回は護衛だからな。
 それに、弾も15発もあれば十分だ。30発も必要ない。
 でも、予備マガジンは持っていけよ」


「はい」



 先端と、左側のマガジンを外したルリがもう一度、銃を振る。

「バランス、悪いです」


「それは、仕様が無いさ」




*


「やあ、吾妻君。どうだい?
 少女との、禁断の蜜月の日々は?

 …………いや。ごめん。
 ボクが悪かったよ。

 だから、真顔で拳銃抜くのは止めてくれたまえ


「レイジさん。
まだ(・・)利用価値のあるアカツキさんを、殺しちゃダメです」


「まだ…………って、利用価値がなくなったら、ボクはどうなるんだろうね」

「日頃の行いで、決定します」


「はっはっは。相変わらずだねぇ。星野君は」


「相変わらずですね。アカツキさんも。
 お久しぶりです」


 微かに微笑みながら挨拶するルリを、アカツキはまじまじと見つめる。



「吾妻君」

「ん?」


「君、どうやって、星野君の心を開いたんだい?
 まさか、彼女を手込めに――

 …………だから、拳銃を突きつけないでくれ



「何が言いたいんだ? お前は」


「星野君が感情を表に出してるだろう」

「? ……それが、どうした?」


「だから、星野君が表情を取り戻したってことだよ」


「何、言ってる?
 ルリは俺と会った時から、表情豊か……とは言えないが、一般人程度には表情を出してる」


「いや……でも、ナデシコから送られてきた報告書には――――」



「あの無表情は、演技です」



 凝然と、アカツキはルリを見おろした。

「え、演技?」


「はい。
 結構、バレないものですね」


 ポカンと口を開けたアカツキに、ルリは片目を瞑り、悪戯っぽい笑みを浮かべる。




 レイジは、私服SSをチェックしながら、辺りに目線を配った。

「ところで、いつもアカツキに引っ付いている黒髪の秘書はどうした?」


「エリナ君かい?
 ナデシコ二番艦『コスモス』の調整の監督に行ったよ。
 彼女、ナデシコシリーズに入れ込んでいてねぇ。

 ボクの5倍は駆けずり廻っているよ」


「それは、会長が働かないからじゃないのですか?」


「やあ、ライブ君。
 臨時秘書、ご苦労ご苦労」

 闊達に笑い飛ばすアカツキに、糸目の青年は溜息を吐く。

「私は、秘書課ではなく、資料課なんですけどねぇ」


「ご苦労様です」

「だが、襲撃の危険性があるなら、本来の秘書が来てなくて正解だろ」


「そうですねぇ。そうやって、自分を慰めて、お仕事しますかねぇ」

 力なく首を振ったライブは、アカツキの後についていった。









*



「ルリ」

「なんです? レイジさん」


「前から言おうと思っていたんだが…………その服装は、どうにかならないのか?」


「これが、何か?」


「白い髪止めと白い手袋と白い上着と白いズボンと白いブーツは良い。
 いや。本当は良くないけど、とりあえず良いことにしておく。

 だが、その白の『バイザー』と『マント』は、どうかと思うぞ」


「そんなに、変でしょうか?」


「きっぱりと、変だ。

 それに、護衛には余りにも目立ちすぎる」



「一人の『護衛』をわざと目立たせ、その死角に目立たない私服のガードを置く。
 護衛の配置としては、レイジさんから習った通りのものですが」


「いや…………そう言うことじゃなくて。

 白一色ってのは、構わない。
 普通のファッションでも、トータルコーディネートとかあるから、人の眼にも、それほど奇異には映らない。

 だが、そのバイザーとマントは明らかに、異物だ」


「ですが、このバイザーには暗視装置や、望遠レンズの機能が有りますし、このマントも体温調節機構などの幾つかの機能を備えてます」


「それでも、もう少し目立たない形にならないのか?
 バイザーじゃなくてサングラス型とか、マントの替わりにコートとか」


 ルリは胸に手を置いた。

「この格好は…………私の家族だった( ・・・)人の模倣(マネ)でして」



 親子三人のバイザーにマント姿を想像したレイジは、冷や汗を垂らして、ルリから視線を逸らした。

「…………ルリにも……色々あるんだな」





「会議。終わったようですね」

 姿を現したアカツキを見、ルリは時間を確かめる。


「ああ。今の所、問題はないな」


「やあ、待ったかい?」

 デートを待つ恋人にでも話しかけるような口調で問いかけてくるアカツキに、ルリは素っ気なく返答した。

「二時間ほど」


「はっはっは。
 オワビに、今日のデートは全部、ボクが持つよ」


「いえ。今日はもう、帰らせて頂きます」



「アカツキ、ルリで遊ぶな。
 それに、ルリも乗るな」


「う〜〜ん。吾妻君は四角四面だねぇ」

「アカツキ。今、護衛中だってこと忘れてるだろ?」

「忘れてやいないさ。
 ちょっとしたコミュニケーションだよ。
 上司と部下の親睦ってやつさ。

 それに…………丁度、送迎車も着いたようだしね」



 それを見、レイジが頷こうと――――アカツキの襟首を引っ掴み、地面に押し下げた。

「なにを?」

「頭を上げるな」

「レイジさん!!」


「ルリ。全周警戒!!」

 ホルスターから、拳銃を抜き、レイジはアカツキを庇うようにして、背後のネルガル支社の建物へ下がり始める。



 そこに、ガードの一人が無造作に近寄って来た。

「おい!! 何してる?」


「寄るな!!」


「何を言っ――――」


 タンッ!!


 乾いた音が鳴り響き、眉間から血を散らせたガードは膝から崩れ落ちた。





 他のガードが異変に気づき、銃を抜いた直後、対面のビルの一角から銃弾の雨嵐が降り注ぐ。



「やれやれ。
 まったく、忙しないねぇ」

 弾雨の中、送迎車を盾にして、楽しそうに嗤うアカツキに、レイジは無愛想に言い返す。


「俺に言うな」





 三人の盾になっている防弾仕様の黒塗りの送迎車が、貫通しないまでも、ライフル弾で車体がボコボコに拉げ歪んでいく。



 白のバイザーを熱サーマル設定に切り替えて、ビルを走査していたルリが、予備弾装を確かめた。

「レイジさん。
 敵の位置がわかりました。
 私が足止めします」


「無理はするな」

「はい」



 ルリは、車体の陰から、対面のビルの一角に向けてブラスターを連射させる。



 敵の銃撃が止み――――


「アカツキ、走れ!!」

「はいはいっと」

 その時には、もうアカツキは支社の建物に向かって走り始めていた。






 引き金を引き続けながら、予備弾装を取り出したルリは、それをブラスターの右側に取り付け、左側の空弾装を取り外し、地面に捨てる。

 すぐさま、新しい予備弾装を取り出し、左側に取り付けた。


 この火星エアフォース式連射術で、銃声を途切れさせることなく、ルリは連射し続ける。



 ルリの銃撃でビルの窓が粉々に砕け散り、コンクリートに幾重もの穴が穿たれる。



 レイジにガードされたアカツキが建物の中に避難したのを見届けたルリは、銃撃を止め、7本目になる空弾装を捨てた。





 粉塵が舞うビルの陰に、紫の影が現れた。


 車を遮蔽板代わりにし、ルリはアビス(ブラスター)を構える。





 そこにいたのは、身長150センチ程の小柄な少女だった。


 ウエットスーツのような肌に密着した紫一色の、厚手の服を着ている。


 右手には、バレルの短いアサルトライフル。




 一陣の風が吹き、粉塵が晴れた。


 ショートカットの夜色の黒髪と対をなすような、白皙の肌。


 秀麗な美貌と、冷徹な鳶色の瞳。



 そして、人形のような冷たい無表情。





 ルリは両手でブラスターをしっかりとホールドし、反撃もせず佇む少女に狙いを定めた。


 引き金に指をかける。


「エレン!!」


 レイジの驚愕の叫び声に、引き金を引きかけていたルリの指が止まった。




 少女の唇が、声を発さずに動く。


「レイジ」



 『エレン』と呼ばれた少女は身を翻し、一瞬でビルの闇間に消えた。




「追います!!」

 ルリは、ボンネットに手をつき、鉄屑と化した送迎車を一足飛びに跳び越える。



「待て、ルリ!! 戻れ!!」


 レイジの声を振り切るかのように、ルリの白い後姿は裏路地へ消えていった。



「星野君を独りで行かせて良かったのかい?」


「良い訳ないだろう!!
 あれは『アイン・ファントム』だ」


「それって、たしか君の師匠の――」

「エレンが……『アイン・ファントム(亡霊)』が姿を見せる筈がない。
 あれは、間違いなく罠だ!!」


「予備の車が用意出来ま――」

「駄目だ!!」

 レイジはSSを叱咤した。


「何のために、彼女(エレン)がこんな街中で襲撃してきたと思ってる。
 今ある車を使用不能にし、予備の車を使わせるためだ。
 予備の車なら警備が手薄になっていたから、いくらでも細工が出来る。
 別の車を至急、手配するんだ」


「そこまでやるかい?」


「エレンの真骨頂はスナイプ能力にある。
 だからこそ、『姿の見えない亡霊(ファントム)』と呼ばれているんだ。

 それをあえて、彼女が姿を見せた。
 見せたら、見せたなりの理由があるはずだ。
 エレンなら、確実に自分を含めた二段三段の罠を仕掛けてくるぞ。
 彼女が姿を見せ、俺をアカツキから引き離し、予備の車に細工をして爆破し、さらに確実に息の根を止めるために襲撃隊を編成しておく。
 エレンなら、絶対にそこまでやる。
 だからこそ、任務達成率100パーセントなんだ」


「会長、レイジさん。ご無事で」

「やあ、ライブくん。
 本当に、襲撃があったねぇ」

「余裕かましている場合ですか」


「良いところに来た。ライブ。
 ここは任せる」


 ライブとレイジは時間を無駄にしなかった。

「俺が、ネルガルに入った『条件』は覚えてるな?」

「もちろん、心得ています」



 その問答だけでレイジは建物を飛び出し、ルリとエレンの後を追跡していく。





*



 エレンは、後ろから追いかけてくる少女と付かず離れずの距離を保ち、着実に誘導をしていた。



 そう。ここまでは、計画通り。



 ネルガル会長暗殺は別チームの仕事であり、エレンの本当の目的は『ツヴァイ・ファントム』の――『吾妻玲二』の傍にいる少女『ホワイト・ゴースト』




 今、自分を追ってきている少女がネルガルに接触してから、クリムゾンの機密が大量にネルガルに流れ始めた。

 それこそ、クリムゾン内部の人間でさえ、手を付けられないような最高機密情報までが、ネルガルに流出したのだ。


 ネルガル社長派にクリムゾンの協力者がいなければ、盗られたことすら気づかなかっただろう。



 何の手掛かりや足跡も残さず、厳重なパスワードをかけたデータを引き出すことから、クリムゾンは彼女に『ホワイト・ゴースト(純白の幽霊)』と云うコードネームを付けた。



 今回の任務は『ホワイト・ゴースト』の捕獲。もしくは抹殺。


 日常では、常にレイジが傍にいるため、狙撃は難しい。

 そして、二人のアパートは、N・S・S(ネルガル・シークレット・サービス) が影ながら二人の監視と護衛をしている。

 だから、エレンは二人の前に姿を見せた。


 少女とレイジを他のNSSから引き離すための作戦であったが、少女だけが自分を追ってきたのは、実に好都合だった。





*



 ルリは教会を見上げた。


 エレンが逃げ込んだ――もしくは、ルリを誘導した――場所だ。


 すでに、使われてない礼拝堂のようで、芝生は延び放題。屋根の十字架も斜めに傾いでいる。



 ルリはバイザーの衛星リンク追跡機能を切った。

 ここから先、余計な情報は一瞬の判断を鈍らせることになりかねない。



 『アビス(ブラスター)』に新しい弾装を取り付けたルリは、礼拝堂の扉を押し開けた。




 埃っぽい教会内には、幾つもの朽ちた長机と壊れた長椅子。


 薄暗い教壇に浮かび上がるくすんだ十字架。


 ステンドグラスからの極彩色の光。


 祈りを捧げたくなるような敬虔な静寂。




 そして、――――肌を貫くような殺気。




 キュッとブラスターを握り締めたルリは、タンッ! と横に飛び退さった。


 直後、ルリの居た場所に凶弾がばら撒かれる。教会の扉を穿ち、木片の屑が舞い散った。


 ルリはブラスターを連射しながら、長イスの陰に転がり込んだ。


 銃声の反響音が消えると、また静寂が訪れる。



 エレンは空薬莢を落とし、シリンダー弾装に薬莢を装填。

 拳銃(コルト・パイソン)を振って、シリンダーを銃身にはめ込む。



 今の攻防で解かったことがある。


 ホワイト・ゴーストは軍人。または、それに連なる者だ。

 手首や肩で狙いをつけるのではなく、肘の角度で狙いをつけていた。

 これは、無反動の重たい拳銃を使う軍隊式の構えである。


 ホワイト・ゴーストが軍関係者だとは予想外だったが、脅威になるほどではない。


 この愛用の『コルト・パイソン(火薬式拳銃)』、一丁で十分だ。



 ホワイト・ゴーストの方から何かが一直線に飛んでくる。

 反射的に狙い、銃口を向け――――


 拳銃(ブラスター)!?



 エレンがブラスターに気を奪われた一瞬、死角から音もなく銀と白の固まりが、間合い内に滑るように飛び込んできた。


 しまっ――


 エレンが銃口を向けるよりも速く、中空に白線が弧を描く。

 ルリの上段蹴りが手の甲に直撃し、エレンのコルト・パイソン(拳銃)が吹っ飛んだ。


 ルリは蹴りを振り抜きざま、鈍色の鋭光を一閃。

 エレンの喉笛に吸い込まれる直前、ルリの小刀の刃をエレンのナイフが受け止めた。


 ギンッ!!


 エレンとルリの間に、刃の火花が散る。



 刹那。ルリは、反才歩で真横に滑りこんだ。

 小刀で上からナイフを押さえ込んで、右手でエレンの顔面に掌底を打ち込こむ。


 エレンは上半身を反らせて掌底を躱し、後方に跳躍。




 間合いを取った二人の少女は、独自の構えをとった。


 エレンは右足を一歩踏み出し、右手のナイフを逆手で握り、頭上に構え、左手を腰の位置に水平に置く。


 ルリは、相手に対し身体を半身にし、小刀を順手に持った左手を肩の高さで前方に突き出し、開いた右手を伸ばした左腕の肘の位置に据えた。




 紅赤のステンドグラスを透過した赤光が、夕日のように二人を染め上げる。


 永遠に続くと思えた静止の中、先に動いたのはエレンだった。



 エレンの持つステンレス製の黒色のナイフの閃光が、ルリを袈裟斬りにする。


 ヒュッ!


 左へ滑るように移動して躱したルリ。

 さらに、横薙に一閃されたナイフを、

 キシッ!

 ルリは小刀で弾いた。


 間を置かずに一気に斬り上げられたナイフを、

 ルリは小刀で上から押さえ込み、右手でナイフを握るエレンの右手首を掴む。


 瞬間。ルリは体勢を入れ替え、エレンを投げ飛ばした。


 空中で扇状に足を広げてバランスを取ったエレンは、掴まれている手首を支点に宙で側転。


 地面に足を付けたと同時に、

 後ろ回し蹴りをルリに放つ。


 ガッ!!


 ルリは距離を取りながら両腕を交差させて、エレンの蹴り足を叩き落とした。


 即座に追撃にかかったエレンが放ったストレートを、

 ルリは右開掌で上に弾きながら、体を落とし、

 エレンの臑を蹴り飛ばす。


 その攻撃に構わず、エレンは逆手に持ったナイフを上段から振り降ろした。


 ルリは蹴り足を地に付け、

 踵を支点に外側に回し、

 側足部で、エレンの踏み込み足の踵を蹴り払う。


 踏み込み足を払われ、姿勢を崩したエレンは、ナイフを空振り、前方につんのめった。



 僅かに浮いた左踵を震脚させたルリは、右足を蹴り上げた。

 チッ!

 上体を反らして避けたエレンの頬を、白いブーツが掠る。


 軸足を1/4回転させ、

 足を振り上げた状態から、ルリは上段蹴り。


 咄嗟に頭を下げて躱したエレンに、

 ルリは蹴り下ろした右足を軸に半回転し、横薙に小刀を一閃。


 キン!


 エレンは、刃をナイフで弾き流した。

 ルリは回転の遠心力を利用してエレンの肋に、右肘を打ち込む。



 当たった瞬間、エレンは自ら後ろに飛ぶことによって衝撃を相殺した。



 距離を取ったエレンへ、

 一瞬で間合いを詰めたルリは小刀を斬り上げる。


 シュッ!

 銀の閃光がエレンの前髪を斬り飛ばした。


 数ミリ単位で攻撃を見切ったエレンは、小刀を躱しながら、

 ルリの側頭にハイキックを叩き込む。


 ガッ!!


 白色のバイザーが吹っ飛んだルリに、エレンはナイフを突き入れた。



 刹那、ルリは大きく飛び下がって距離をとる。




 5メートルの間、ルリはエレンの追撃に備えて小刀を前方に突き出すような構えを取り、エレンも呼吸を整えるためにナイフを頭上に構えた。




 バイザーが弾け飛んだ時に切ったのだろう。

 ホワイト・ゴーストのこめかみから、一筋の赤い血が流れていた。



 表情には一切出さなかったが、ルリの素顔を見て、エレンは内心動揺した。



 わたしと…………同じ?



 ホワイト・ゴーストはエレンが予想していたより、はるかに幼い少女だった。


 陶磁器のような白綾の肌。


 絹糸のような白銀の髪。


 妖精のように儚い幽麗な容貌。



 そして、全てを達観したような金の双眸。




 その金瞳で、エレンは気付いた。



 いえ…………違う。


 彼女とは眼が違う。

 わたしのような人形の眼ではない。



 自分の意思と目的を持っている眼。


 自分の道を歩いている眼。


 …………わたしとは…………違う。




 だが、どうであれ、エレンには――『アイン・ファントム(殺人人形)』には関係ない。任務以外は関係ない。


 絶対零度の冷めた眼でエレンは、冷静に先の戦闘の分析を始める。




 心理的要因は何もないのに、何故か、彼女とは()りにくい。



 初めはホワイト・ゴーストが、エレンと同じように小刀を盾として使用しているせいかと思ったが、エレンと同じように戦う『ツァーレンシュヴェスタン(ナンバー・シスターズ)』たちでは、そんな感覚は起きない。



 彼女の武術と自分の格闘技の違いをイメージのみで比較検証していたエレンは気づいた。


 エレンとホワイト・ゴーストでは、速度の質が違うのである。


 エレンの格闘技は軍式西洋格闘技(マーシャルアーツ)を基本に作られたものであり、スピードに重点を置く。

 ホワイト・ゴーストの武術もスピードは同じなのだが、それは『速度』ではなく『加速度』に重点を置いている。

 だから、予備動作が小さく、また、静止からトップスピードまでが時間的に短い。


 それが、エレンのリズムを狂わせるのだ。



 どちらが、優れてるという話ではない。

 西洋武術の速さと東洋武術の加速度の違い。その差異がエレンを幻惑させていた。


 だが、その程度の差異ならば、エレンの問題ではない。

 反射神経は同じくらいだが、エレンの方がスピード、パワー、実戦経験、全てで勝っているためだ。



 では、何故ほぼ互角に戦えているのか?


 『暗殺に型や技は必要ない。いかに速く急所に手を伸ばせるか』

 これが、エレンの持論である。


 しかし、今、対等に戦えている理由は、ルリの『技』の質がエレンのマーシャルアーツよりも格段に優れているためだった。


 同門同士の試合では、互いに技を熟知しているために、技の重要性はわかりにくい。

 それこそ、身体の大きいものや天性の才能がものを云う。だからこそ、試合をこなせば強くなると錯覚する。



 だが違う。技とは『異種格闘技』でこそ、本来の力が発揮されるものなのだ。



 流派の開祖たちが、そして幾多の天才たちが実戦経験から取捨選択したものが、『技』として、そして技を繋げたものが『套路()』として伝えられている。

 技とは、先人たちの実戦格闘経験の結晶なのだ。



 ゆえに、技の質が勝っているルリはその一点だけで、エレンとの天と地ほどの実戦経験の差を詰めていた。


 エレンは、それを肌で感じ取っていた。




 だが…………それでも……エレンの有利に何ら変わりはない。



 エレンはナイフを握り直した。



 たった二歩で、5メートルを一気に詰めたエレンがナイフを抉るように突き込む。


 際どいながらも、ルリは小刀で捌いた。


 そのまま、衝突するようにルリの懐に飛び込んだエレンはルリの胸元を掴み、

 背負い投げる。


 投げられる直前、エレンの肩に手をかけ、腕を伸ばしながら、自ら前方に飛んだルリは、

 着地と同時にエレンを手首を引き極めた。


 即座に腕を振り払ったエレンは、

 崩れた体勢のままナイフを振る。


 キキュ!

 小刀の刃を螺旋に回転させながら、刺突されたナイフを大きく手前に引き込み、

 ルリは足払いをかけながら、エレンの顔面に鉤手の手首の部分を突き上げる。


 ”木連式水蓮流柔『鶴飛小纏』”




 右足を払われたエレンは地に残る左足を軸に、中空で転がるように身を捻って裏拳を避けた。




 大技を躱され、大きく身体の開いたルリの顎に、

 エレンの掌底が突き刺さる。


 ゴッ!


 まともに喰らい、よろめくルリの腹部に、

 ドンッ!!

 エレンは中段蹴りを蹴り込んだ。


「…………ケホッ」


 咳きこみながら、一歩下がったルリは、牽制するように小刀を構える。


 不用意に前方に出されたルリの左手の甲を、

 エレンは鞭のような、しなやかな蹴りで、蹴り飛ばした。



 石畳に落ちるルリの小刀。



 一分の躊躇なく、エレンはルリの心臓を狙ってナイフを振り下ろした。



 両腕を畳むように、身体に腕を引きつけたルリは、

 右足を踏み込み、腕を外側に捻りながら、前に突き出す。



 エレンのナイフは、ルリの左腕を深く斬り裂きながら、血飛沫とともに、腕の螺旋回転によって外側に逸らされた。



 ズダンッ!!



 "木連式水蓮流柔『双按』"



 右足の震脚と同時に、

 ルリは両掌底を、エレンの胴体に()ち込んだ。



 まともにぶち当たった、たった一撃で、3メートル、吹っ飛ばされるエレン。



 教壇に叩きつけられたエレンは、呼吸が出来ずに胸を押さえて、地面をのた打った。





 床に落ちていたブラスター(アビス)を拾い上げたルリは、ゆっくりと間合いの外、2メートル程まで近寄りブラスターを構えた。


 荒い息を、繰り返し吐き出しながら、エレンは一言も発さずにルリを見上げる。



 ルリの左腕の白い袖が血で赤く染まっていく中、その傷口が活性化したナノマシンで、虹色に淡く発光していた。





「エレン!! ルリ!!」

 突然、礼拝堂に大声が響き、木霊する。


 大きく開け放たれた大扉に、レイジが立っていた。





 埃を被った教会のステンドグラスから、色とりどりの静かな光が降り注ぐ。


 ルリもエレンも彫像のように動かなかった。


 銃を構えているルリと地に伏しているエレンは、ステンドグラスから降り注ぐ極彩光で、一枚の宗教画のように見える。



 その静光や静寂と同等の冷静な瞳で、エレンは銃口を見つめていた。

「そうやって、諦めてしまうんですか?」


 ルリに視線を転じるエレン。


「その眼…………安堵してるみたいです」

 ブラスターに安全装置をかけて、懐に仕舞ったルリは背を向けて、出口に向かう。




 エレンは上半身を起こした。


「なぜ?」




 足を止めるルリ。

「私は自分の意志で『ここ』にいます。
 人を殺すのも、見逃すのも私の意思です」



「そう。…………強いのね」



 ルリは口許に自嘲を浮かべた。

「いいえ。弱いですよ。
 私は、『家族』も、『戦友』も、…………そして――

 大切な『親友』すら、護りきれなかったんですから」





「…………ルリ」

 ルリはレイジの横で立ち止まり、


「お話があるなら、手早く。
 いつ警察が来てもおかしくありません」


「ありがとう」


「礼は全てが終わってから」

 教会から出ていった。






 外に出、横手に回ったルリは、教会の壁に背をついて、蒼穹を仰いだ。



 天高く白雲は流れ、空は青く蒼く碧く凄烈なほど蒼く澄んでいた。


 それが、水に溶かすように、急速に滲み始める。



 ルリはズルズルと崩れ落ち、壁際に座り込んだ。


「キューピッド役も………………楽じゃ…………ありません……ね」




 気を失ったルリは、とさっと音を立てて、芝生の上に倒れた。






*





 レイジは教会に入り、エレンの前に立った。


「……………エレン」


「……………レイジ」


 エレンは上半身を起こし、レイジをじっと見つめる。




 二人は見つめ合ったまま、動かなかった。


 朽ちた礼拝堂の中で、何百年も時が止まっていたかのように、その場の全てが静止していた。



 そのままで、どのくらい経ったのだろう。


 永劫でもあるようで、刹那でもある時間。





 耳が痛くなるような静寂を破ったのはレイジだった。




「エレン。帰ろう」


「……………どこへ? わたしに、帰る場所なんかないわ」

「俺の元は?」


 エレンは答えない。


「俺の元に……………帰ってこないか?」


 エレンはゆっくりと立ち上がった。

「無理よ」


 一言、言い捨てて、大扉に向かって歩き始めるエレンの前に、レイジは立ち塞がる。


「エレン」



「わたしはエレンじゃない。アインよ」



「君は、エレンだ」


「…………違う」


「世界中の人間が違うと言っても、俺は知ってる。俺だけは知ってる。

 君はエレンだ」



「わたしはアイン。

 殺人人形アイン・ファントム」



「違う。人形なんかじゃない。

 君は…………………人間だ」




「…………………どいて」



「…………………」




 血濡れたナイフを構え、

「殺すわよ」


 エレンはレイジの拳銃に目線を落とし、

「それとも、それで、わたしを撃つ?」


 レイジの眼に視線を戻した。

「それでも、良いけど」




 黒と茶の瞳が合い互う。




 レイジは――――――無言で道を開けた。







「さよなら」






「…………………必ず、君を取り戻してみせる」






 エレンは無言で歩み出て行った。







「くそっ!!」


 レイジは、銃のバレルを自分の額に叩きつけた。










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