それは、黒電話の古風なベル音から始まった。





 休日。



 それは地球でも木連でも変わらない。

 ここ白鳥家でも、三人は思い思いの休日を過ごしていた。


 ユキナは居間の畳の上に寝っ転がりながら、算数の宿題を開いている。

 本人は算数を解いてるつもりなのだが、さっきから手は全く動かず、教科書と睨めっこになっていた。



 アキトは居間の柱に背を預けて、『天音希咲良(あまね・きさら)著・慈優(しう)編集。木連の郷土料理研究書』と云う本を読んでいる。


 自称料理研究家の波月が貸してくれた料理本だった。波月の母親が集め、波月が編集した数々の木連料理の調理法(レシピ)が載っている。

 地球人から見れば、木連の勘違い料理集とも言えるが、そもそも料理に正解不正解はない。

 あるのは、美味しいか、否かである。



 九十九は自室でTVに齧り付いていた。

 木連のTVチャンネル数は3チャンネルしかないが、休日の火曜日は『鑑賞日』と呼ばれているように、ゲキ・ガンガーとニュースしか放映していない。

 ゲキガン好きの人間なら、天国であろう。

 少なくとも、九十九にとっては天国であった。


 時々、泣き声やら歓声が響く部屋を、ユキナが迷惑そうに眺め、アキトが肩をすくめる。




 今日も、そんな平穏な一日で終わると誰もが思っていた。


 波月の本から見つけた料理を昼食に作ろうと、アキトが立ち上がろうとした時、居間の黒電話のクラシックなベル音が鳴り響く。


 ユキナが「のそのそ」と呟いて起き上がり、電話を取った。

「は〜〜い。白鳥でございます」

 余所行きの声で応じるユキナ。

 マダム顔負けの声色である。


「は? ええ。はい。います」


 ユキナが慌てたように受話器の口を押さえ、襖の向こうの九十九を呼んだ。

「お兄ちゃん。優人部隊の副司令さんから!!」




*




「はっ。至急、向かいます」


 話し終えた九十九が受話器を置くと、チンと軽快な音が鳴り響いた。


 難しい顔をしている九十九に、ユキナが心配そうに問いかける。

「どうしたの?」


「詳細はわからないが、宇宙船の事故が起こったらしい。
 優人部隊副司令の玲華准将が、直接指揮を執っているとなると、かなり危険な状態と見える」


「お兄ちゃん。……気をつけてね」


「ふっ。心配するな。ユキナ。
 先までゲキ・ガンガーを見ていたおかげで、俺の熱血(パワー)は最高潮だ。

 
あと10年は戦える!!


さっさと行け。バカ兄



「九十九。俺も行こう」

「客人にそんなことさせられません」


「危険と聞いては、黙ってられないな。
 『仲間は護る』。それが俺の誓いだ」


「しかし…………」

 九十九の言論を、アキトは眼光で黙らせた。


 時間にして数秒睨み合った九十九は、根負けしたように息を零した。

「駄目と言っても付いて来るのでしょう」

「当然だ」


「言い争っている暇はありません。付いて来てください」

「ああ」


 アキトは壁に掛けてある黒マントとバイザーを掴み、九十九の後を追いかけた。



*



 二人がエウロパ宇宙管制室に到着した時には、優人部隊の主要メンバーは揃っていた。


 先に来ていた波月と月臣が、声無く直立不動で立っている。


 その横には白の軍服を着た大柄な大男と、黒の学生服を着崩して短い黒髪を逆立てた青年が、口を噤み背筋を伸ばして直立していた。




 彼らの前には、一人の女性が足を組んで座っている。



 その女性は、清純さと妖艶さを合わせ持った清華な美女だった。


 165センチの背丈に、腰まである長いウエーブのかかった茶髪。

 優人部隊の学生服のような軍服ではなく、朱色のチャイナ服ような上着に、朱のタイトスカート。

 胸元の袷には、本物の赤紅のルビーが輝いている。

 金の細帯で腰を締め、足には焦げ茶の戦艦用磁力靴。

 肩には、襟に准将の階級章のついている極薄手のコートを羽織っていた。


 意志の強い、吊目気味の大きな瞳が猫科の肉食獣を思わせる。



 今は気が立っているのか、獲物に襲いかかる直前の虎のような雰囲気を発散していた。



 その雰囲気に呑まれ、管制室は一言も無く静寂に満ちている。



 彼女はただそこに居るだけで、その場を覇していた。




 その場の空気を察した九十九が冷汗を垂らしながら、敬礼した。

「白鳥九十九。ただ今、到着しました」


 光の加減で琥珀に光る茶瞳が、九十九を貫く。

「遅いわよ。白鳥中佐」

「も、申し訳ありません」


「で、そちらの方は?」


 黒マント姿のアキトを下から上へ視線を這わせた女性の視線が、アキトの素顔で止まる。


 アキトの夜色の瞳に引き込まれるように、女性の琥珀に光る茶瞳が魂入いった。



 彼女に睨まれていると勘違いしたアキトは、九十九を弁護する。

「テンカワ・アキトだ。
 何か手伝えることがあるかもしれないと思って、無理矢理ついてきた。
 九十九に非は無い」


「…………テンカワ・アキト?
 ……ああ。寸打の……。あなたが、あの噂の人ね」


 アキトの自己紹介に、我に返った女性が小さく微笑した。


「自己紹介しとくわ。

 (あたし)の名は『神狩玲華(かがり・れいか)

 木連優人部隊の副司令よ。
 時間があれば、ゆっくりと話していたいところだけど――」



 アキトから視線を外した玲華が部下を見渡す。

「重大な事故が起きたわ。
 今、この近場にいる優人部隊はあなた達五人だけ。まずは、それを認識しなさい」



 玲華は昂ぶる気を落ち着かせるように大きく息を吸い込み、一瞬止め、ゆっくりと吐き出す。


小学生、百人の児童が乗った遊覧宇宙船が難破したわ。

 あと、一時間後に木星に墜落する。


 現在、慣性移動している船から一番近い場所にあるのが、このエウロパ・コロニーよ」




 一息で喋った玲華の台詞に、五人が眼を見張った。

「そ、それで救援は!?」


 玲華は5人を見据える。

「それを、(あたし)たちがやるのよ」



「夕薙先輩の木連宇宙警備軍は?」

 問いかけた波月に、玲華は首を振った。

「今、こっちに向かっているけど、二時間はかかるって話よ」



「ならば、すぐに戦艦を派遣しなければ」

 九十九の発言に、またもや玲華が首を振る。

「船の軌道とエウロパとの間に、放棄された人工の小隕石群があるわ。
 迂回するとなると、時間がかかるのよ」


「ちっ。無計画にコロニー建設なんて始めるから」

 黒の学ランに下駄姿の青年――『高杉三郎太』が舌打ちし、白い優人部隊の軍服を着ている大柄の大男――『秋山源八郎』が眉を顰める。

「それに小型艦は、全て無人艦だ。有人艦に変更するには、時間がかかりすぎる」



 管制室を見回していた波月が、首を傾げた。

「東総司令は?」


 途端に、手負いの獣のような表情をしている玲華の顔が、さらに凶悪なものと変わる。

「あの昼行灯!!
 また、捕まらないのよっ!!
 この緊急時に、ボケナスを探してる暇などないっ!!」


「また、連絡つかないんすか?
 …………相変わらずっすねぇ」


「あの男のことだから、どっかの茶屋でまったりしてるんでしょうけどねっ!!」



 怒れる玲華に、びくびくとしながらサブロウタが問いかける。

「で…………いったい、原因はなんです?
 遊覧宇宙船も弱いとはいえ、時空歪曲場を持っていますし。海賊っスか?」


「それだったら、『事故』とは呼ばないわよ。
 木星に大規模な極光(オーロラ)が発生したのは、知ってるわね?」


 5人全員が揃って首を横に振った。


 玲華が柳眉を顰める。

報道(ニュース)でやっていたでしょう」


「ゲキ・ガンガー、見てたっすから」

「右に同じく」

「まったく、同じくです」

「今日は27話だったから、絶対に見逃せなかったっス」


「ふっ。ジョー。いつ見ても良いものだ」

「うむ。あれこそが漢!!」

「だよね〜〜。だよね〜〜」



 拳を奮わせる玲華。


「こ…………こいつらは……。
 まあ、いいわ。説明を続ける。

 その磁力の影響で遊覧船を操船していた戊式虫型機動兵器(ヤドカリ)が停止。
 同時に、機器の狂いから時空歪曲場が一瞬途切れてね。そこに宇宙塵(スペースデブリ)がぶち当たったのよ」


宇宙塵(デブリ)が?」

「じゃ、船は木っ端微塵に?」

「いえ。幸か不幸か、船に甚大な影響は及ぼさなかったわ。
 …………ただし、宇宙塵(デブリ)が吹っ飛ばした先端部分に船を操っていた戊式虫型機動兵器(ヤドカリ)がいたの」


「時空歪曲場を張っていれば、極光(オーロラ)の磁場くらいなら影響されないはずですが?」

 九十九の疑問に、玲華は溜息を吐く。

「遊覧船は予算の都合から、虫型機動兵器の発動機(ジェネレーター)を使ってたんだけど、出力の関係で前面にしか歪曲場を張ってなかったの。
 宇宙塵(スペースデブリ)が弾ければ良いだけだからね。
 船を一隻しか持っていない小さな会社だし。血も涙もない改善要求は出せなかったのよ。
 それに、正規の船乗りたちなら、そんな船で極光(オーロラ)に突っ込む真似はしないしね」


「次からは、改善要求を出したほうがいいっすね」

「ええ。でも、今は未来のことより現在よ。
 幸いなことに、船の舵は生きているの」


 波月が訝しげな顔になる。

「? じゃあ、なんで戻って来れないんすか?

舵が生きているのなら――」

「操舵士は、単なるアルバイトで、操舵航法を知らないらしいわ。
 いつも戊式虫型機動兵器(ヤドカリ)に音声で命令していたそうよ。
 通信機の使い方だって、よく解かってないみたいだし。
 人件費節減にも程があるわ。
 まったく、楽しくない


「うわっ!! 最悪」

 天を仰ぐ波月。




 玲華は手で管制室のオペレーターたちに指示すると、遊覧船の設計図と予測軌道図が大型モニターに表示される。


「これが船の設計図。戊式虫型兵器(ヤドカリ)がいた遊覧船の前方部分は完全に破壊されてるわ。
 真ん中のこれが、乗客のいる航央部(ポッド)
 後ろの、この空白部分は貨物室ね」


「貨物室?」

「元は貨物船だったものを改造して、遊覧船にしたみたいね」


 腕組みをして、遊覧船の航法軌道図を睨み付けていた秋山の表情が険しくなった。

「神狩副司令。このまま遊覧船が予想の軌道を取ると、木星への進入角度が浅すぎて、30分後にいったん、木星の大気で弾き飛ばされるぞ」

「水切りっスか?」


「そう。その前に誰かが船の内部に入り、操船して木星重力園を抜ける。
 そこを、テツジンで確保する」


「問題は、どうやって中に到達するか……だな」

 秋山が航法図に表示されている船の速度(スピード)を見ながら、暗算をする。

「あの速度だと、テツジンでは船の速度に合わせられないぞ。乗り移ることが出来ない。
 それに、あの小隕石群を潜り抜けるのは難しい」


「マジンやテツジンの頭部ならどうでしょう」

「そうか!! あれなら旋回機能が優れているから、小隕石群を突っ切れるぞ」

「ダメよ。あれは脱出用に作られているものだから、あの船の速度まで出せないわ」

「無重力空間っスから、速度を出そうと思えばあの程度なら出せます」

「そこまで加速させる時間と距離がないよ。加速力は虫型兵器の2分の1なんだから」


「衛星間を行き来する個人用小型艇はどう?」

「無理っスよ。
 加速力は良いとしても、単易計器しか付いてないから、小衛星群を抜けるには天才級の腕が必要っス。
 て、言うか小型艇で抜けられたら人間じゃありません」



「有人で、船に合わせられるくらいの加速と、小隕石群を抜けられる旋回機能を持つ小型船。そんなものあるか?」



「アルバイトとはいえ、操舵室に人が居るのなら、無線で指示するのはどうスか?」


「無線は木星の電磁波の影響で雑音混じりだし、木星の重力に捕らわれた船を立て直すのは、微妙な均衡(バランス)があって難しいわ。
 (あたし)や高杉君みたいに幼少の頃から船に乗り慣れてるなら兎も角ね」

「それに、操作を一つ間違えたら木星に突っ込むっすよ」



くっ!! 船まで辿り着ける小型船は無い。無線誘導も無理。
 助けることなど不可能ではないか!!


 声を荒げる月臣に、玲華が静かに怒れる猛虎ような視線を当てた。


「ええ。そうね。
 確かに、楽しくないわ。
 でも、諦める訳にはいかないのよ。
 そう。木星の海に落ちるその瞬間まで、(あたし)は決して諦めないわ」



 静かに激昂する玲華に、管制室にいた全員の視線が集まる。


「子供というのは、まだ何もしていない。まだ何もしてないということは、無限の可能性があるってことよ。
 あの中には後に、この木連を背負って立つ子がいるかもしれない。
 もしかしたら、この地球木連戦争を終結させられる人物だっているかもしれない!!
 子供というのは何よりも代えがたい『人材』なのよ!!

 絶対に、見殺しにしてはならない」



 その琥珀に輝く鳶色の瞳に全員が呑まれ、管制室に沈黙が落ちた。



 だが、今、この瞬間にも命の重さにも等しい時間ばかりが過ぎていく。


 俯いて何かを考え込んでいた波月が、決意したように顔を上げた。

「わたしが行きます」


「波月中尉? どうやって!?」

 声をあげるサブロウタに、波月が眼を向ける。


「昔、難破船でやったことがあるの。
 宇宙服着て、虫型兵器(バッタ)の背に身体を電磁調帯(ベルト)で括り付けて、重力射出機(カタパルト)で射出するの。わたしが、優人部隊に入る前のことだよ。
 その時の功績が認められて、わたしは優人部隊に配属されたんだから。
 でないと、わたしの年齢で優人部隊に入れるはずないじゃない」


「なっ!! そんなことやったのか?」

「ええ」


 波月は覚悟を決めた眼で、玲華を見据えた。


 玲華は波月を見返す。


「覚えているわ。話題になったからね。
 なにせ『情報部』の人間が、そんな離れ技をかましてくれたんですもの。よく、憶えてるわ。
 でも、今回のこれは――」


「玲華先輩。前、わたしたちに一喝しましたよね。
 『眼の前で苦しんでいる人間がいたら手を伸ばす。それがあなたたち人間てもんでしょうが!!』って」


(あたし)の言えた義理じゃないんだけどね。
 それにしても、波月。…………あなたも、詰まらないこと覚えてるわねぇ」


「記憶力だけは良いんで。

 それに、玲華先輩が命令し、わたしが動く。

 いつものことっす」




 二人が睨み合うように、視線を交わした。


 管制室のオペレーターたちまでもが、手を止めて彼女らの緊迫した睨み合いを見つめている。


 張り詰めた静寂が、管制室に満ちる。



 だが、二人とも解かっていた。


 今は、その方法しかなく、さらに時間が切迫していることを。



 根負けしたように玲華は小さく溜息を吐いた。

「………………仕様が無いわね。
 止めて聞くあなたじゃないし。
 でも、必ず返ってくること!! いいわね」


「はい!!」



 玲華は、九十九、月臣、秋山、サブロウタ、波月の5人に最終確認をする。

「波月が虫型兵器(バッタ)で遊覧船に乗り込み、船を操縦して木星衛星軌道上まで繰船。
 それをマジン三機とテツジン一機で捕獲し、木星重力園外まで引っ張り上げてから、エウロパまで牽引。
 もし、船体に問題があった場合、その場で船体を破棄し央築部(モジュール)だけ運びなさい」



「「「「「了解」」」」」






「待て」






 今まで一言も口を利かずに、予測航路図と船の設計図を見つめていた男が、彼らを制止した。


「アキト君?」




 眼の前で苦しんでいる人間がいたら手を伸ばす。それが、人間…………か。









 懐かしい言葉だ。





 組んでいた腕を解き、背をつけていた壁から身体を離す。


「バッタをカタパルト射出するより、安全な方法がある」


「「「何!?」」」


「エステバリスだ」

「エステ…………?」


「小型チ――…………小型時空跳躍門から出てきた地球の人型兵器があっただろう。そのロボットの名前だ。
 あれなら、間違いなくあの船に追いつける」


「でも、あれの操縦は――」


 黒のグローブを脱ぎ、IFSタトゥーを見せるアキト。


「俺が…………できる」


「あなたは…………いったい……?」

「詮索は後だ。時間が無いんだろう?」

「ええ。そうね。
 本当に動かせるの?」

「あれが故障などしていなければな。
 バッタなどよりも船に辿り着ける確率は、遥かに高い」


「でも、途中に小隕石群があるし、宇宙塵(スペースデブリ)があるかもしれないわ」

「あの機動兵器はディス……時空歪曲場を張れる。
 隕石群は……俺の腕を信じてもらうしかないな」




 玲華とアキトの視線が絡む。


 アキトの夜色の瞳と、玲華の琥珀に光る鳶色の瞳が、互いの心を覗き込むように()合った。



 と、驚きに眼を見張る玲華。

「あなたは――――」


 玲華は、アキトの瞳に『同族』を見取ったから。




 言葉を切り、小さく頷いた玲華はオペレーターたちに振り返り、凛と命令を下す。


「高松工学博士に連絡しなさい!!」




*




「高松博士!!」


「おう。波月ちゃんか!!
 ちょい待ち!!」


「早くね!!」



 エウロパ整備工場。ここには、バッタジェネレーター付エステバリスの他に、マジンやテツジンも格納されていた。



「あっ!! そうだった。紹介しとかなきゃ」


「ん?」

「こっちが、かんなづき艦長『秋山源八郎』
 実質、わたしの上司」

 大男がアキトに目礼する。


「で、こっちが、かんなづき副艦長『高杉三郎太』
 実質、わたしのイヂメられ役」

「…………俺のほうが階級上なんだけどな」

「でも、事実」

 頬を掻きながらぼやくサブロウタを波月は一蹴し、アキトを二人に紹介する。


「それで、こっちが黒い人が、今、噂の『寸打の天河』こと『テンカワ・アキト』君」


「副司令も言ったが、時間があればゆっくりと話したいところだが――」


「お〜〜い!! 準備できたぞ。時間無いんだろうが!!」

「と、いうわけだ」


「では、波月殿、アキト君。後は頼みます」

「任しときっ」


「そっちこそ。船体の捕獲を頼んだぞ」


「優人部隊の誇りにかけても、捕獲します」

「ふっ。腕がなるぜ!!」

「大丈夫っス。大船に乗った気持ちで!!」

「ああ。こっちは、任せておけ」



 黒のバイザーを被ると、アキトは波月を追って、エステバリスに駆け寄った。




 高さ5メートルにあるハッチに、波月は一足飛びで跳び乗る。


「アキト君。早く!!」

 コクピットに収まった波月が当然のことのように見返してきた。


 アキトはぐるりと周りを見回し、エステの近くにあった高さ2メートルの橋梁に手を掛け身体を持ち上げる。

 そこから、ジャンプしてアサルトピットに跳び移った。


「遅いぞ!!」

「無茶を言うな」


「たかが5メートルくらい跳べなくてどうする?」

「できないのが『普通』だ!!」

「人間、日々限界を目指すことが大事だぞ」


 フレームが閉じ、ピットの中が薄暗くなる。


「波月ちゃんの『限界』は、人間にとって『不可能』だ」

「ぶぅ〜〜〜〜」



 アキトはIFS操縦コンソールに手を置いた。

 手の甲のIFSが淡い虹輝を発し、ピットの内部を照らす。


 アキトの膝の上に座っている波月が興味津津に眺めている。


 と、突然、ピット内に明かりが灯り、次々とセンサー類が立ち上がっていった。


「おおぉ!!」

 ここに来るまでに、アキトに簡単なエステバリスの説明を受けていた波月が、感嘆の声を発する。


 素早く機体チェックをしていくアキト。


「大丈夫。動かせそうだ。

 波月ちゃん。重力カタパルトは何処だ?」


「すぐ、そこ」


 エステバリスがゆっくりと歩き出す。

「うおぉぉぉ!! 歩いてる!!
 おおっ!! 足首の関節が、柔軟機構(フレキシブル)!!」

 外から、高松の嬌声が聞こえるがこの際、無視だ。

「これだ!! これだよ!!
 おれが長年求めていたものは!!
 構造解析したい!!」

 アキトは、重力カタパルトにジェネレーター付き0Gエステバリスを乗せる。

「は、離せ〜〜〜〜!!
 武士の情けだ〜〜!! 至高の宝が〜〜!!」

「行くよ。波月ちゃん。舌、噛まないようにね」

「了解。…………て、結構狭いね」


 膝の上の波月は、アキトの腕の中で身じろぎした。

「落ち着いてください。高松工学博士。
 もう一機あるでしょう」

「一人乗り用だからな」



 ほとんど、アキトが波月を抱き込むような体勢で乗り込んでいる。



 波月の黒髪が顔にかかり、顔を引くアキト。


 ルリちゃんを膝の上に乗せた時は、あまり狭くは感じなかったんだけどな。

 やっぱり、身長差が40センチあると違うな。

「外見が同じだからといって、
 中が同じだとは限らないんだ〜〜!!」

「う〜〜ん。ゲキ・ガンガーやマジンの操縦槽(コクピット)は、やたら広いのに」


 唇を尖らす波月に、アキトは苦笑する。


「あれは、無駄に広いって言うんだ」




 エステバリスが急加速され、宇宙空間に高速で射出された。





*




「そろそろ、小隕石群だよ」

 波月の前に半透明のウインドウが立ち上がり、最適の航路が自動で表示される。


 感嘆の声を上げ、波月が眼を見張った。


「木連には、こういう機械はないのか?」

「三次元投影画面のこと?
 一応、研究所では試作されてるけど、実用に耐えうるのはないかな。
 繊細な機械だから、ぶっ飛んじゃうんだよね」


「吹っ飛ぶ?」

「そ。木星の電磁嵐で、繊細な電子精密機器は簡単に逝っちゃうんだ。
 木星から発される電子の強さは、地球の約一万倍。陽子は数千倍もあるからね。
 だから、木連が求めるのは、繊細で精巧な電子精密機械じゃなくて、多少使い勝手が悪くても電磁波嵐や重力渦にも耐えられる耐久性のある物なんだ。
 だから、木連にある機械は無骨なんだよ」


「そうか。
 おっと、お喋りは終わりだ。波月ちゃん。
 しっかり、掴まってろ」



「わたし、もうアキト君に抱き抱えられてる状態なんだけど…………」




「…………そうだったな」





 アキトはエステバリスのスピードを落とさず、小衛星群に突っ込んだ。



 眼の前を隕石が凄まじい勢いで飛び去っていく。


 眼の前に隕石が出現し、ぶつかると思った刹那、それが一瞬にして上下左右のどの方向かに隕石が飛び去り、次の瞬間、また新たに隕石が現れる。

 そんな、悪夢のような光景が絶え間無くモニターに映し出されていた。



 一般人なら、髪を逆立てて気絶しているだろう。

 だが、波月は心底一般人ではなかった。

 眼を輝かせて、眼の前のモニターを凝視している。

 状況が許せば、歓声を上げて、手でも叩いていただろう。



 15分後、小隕石群を無事、駆け抜けた直後――



感激っ (ブラボー)!!」


 オーケストラの名指揮者に送るように、波月は拍手喝采をアキトに送った。





「それにしても、まるで、先が判かっているみたいに避けるねぇ」


「ああ。全てのレーダーとカメラアイを副電脳に直結してるからな。

 実際に、先の進路は判かっている。後は避けるだけで良い」


 アキトは事無しに言って除けるが、常人には絶対に不可能な技能である。


 波月は、しみじみと感嘆の溜め息を吐いた。

「『あい・えふ・えす』って便利だねぇ」


「まあな」



 小さなデブリなどは、エステバリスのディストーション・フィールドで弾かれてしまうため、小衛星群を抜けてしまえば、難破中の遊覧船まで直行できる。




 木星に太陽光が当たり、黒一色だった木星が、鮮やかに彩った。


 木星表面で、赤雲と黄雲が火山煙を吹き上げるように沸き出ては、高速で南北へ移動していく。

 黄色や赤、オレンジ色の雲は、乱気流の中、渦を巻き、目まぐるしく模様を変えていった。

 吹き出した雲は、ある地点まで来ると、下降気流で急速に消失する。

 そこは、雲の反射が無く、緯度に沿って、帯状の薄暗い深淵が続いていた。

 時折、暗い部分で白煙のような白い雲の渦が立ち昇りては、消える。


 残念ながら、この位置から大赤斑は見えない。

 この間近で眺められれば、圧巻だっただろう。


 木星間近に住んでいる木連人たちにも、木星の遊覧は人気ある観光名所の一つだった。




 巨大な木星を背景に、ちっぽけなライトブルーのエステバリスが木星を横切っていく。




「目の前で苦しんでいる者がいたら、…………手を伸ばすか」


 アキトの腕の中で、木星を眺めていた波月の耳に、彼の声が落ちた。


「アキト君?」

「いや…………俺にも『昔』、そんな時期があったな。と思ってね」


 僅かに振り返り、にぃっと波月は笑う。

「ふふ〜〜ん。玲華先輩に惚れた?」

「な、なにを?」


「あっ。ちなみに玲華先輩には義兄さんがいるから。
 前に話した叶十先生だけど。
 叶十先生に『義妹をください』ってお願いしに行くときには、わたしにも知らせてね。
 影からこっそり覗いてるからさ。
 いや〜〜〜、一度見てみたかったんだ」


「波月!! …ZA…あなた、何…ZA…言ってるのよ!!」


「ありゃ、通信機が入ってたのか。ちっ!!」


「アキトく…ZAP…。そいつの言うこ…ZA…信じないで!!」


「ぶぅ〜〜〜!! 本当のことじゃないですか」

「だから…ZA…て!!」




「雑音が酷いな」

「近くにある衛星イオの電離層の磁気園で、木星から放出される300メガヘルツの電波が加速されるせいだよ。
 でも、まだマシ。
 フラックス・チューブが発生した時は、電波無線は完全に使えなくなるからね」







 遠くに、太陽光を反射した遊覧船の反射光が輝いた。


 重力波レーダーとも一致する。

「あれか」


「ダメ!! 反対方向へ全速力で!!」


「何故?」

「早く!!」

「あ……ああ」



「あの船は高速で移動してるんだよ。対方向に走らせたら、一瞬で擦れ違っちゃう。
 最悪、ぶつかったら木っ端微塵になるしね」




 相対速度で、ゆっくりと進んでいるように見える遊覧船が、エステバリスに近づいてくる。


「このまま少しづつ速度を落として、並走して」

「了解」



 波月がアキトの腕の中で狭そうにもがいた。


「まず、宇宙服を――」

「必要ない」

「え?」



 船の後部に回りこんだエステバリスは、手動レバーを引いて後部の貨物扉を開け、するりと中に入り込む。



 ハッチを閉めたエステバリスは、壁のボタンを押した。

 エステバリスの外部空気圧センサーが徐々に上がり始める。


「ここは……後部貨物室?」

「ああ。船の設計図を覚えておいて、正解だった」


 外の状態をセンサーで確認したアキトは、一度頷いてから、アサルトピットを開けた。




*




「ここは優人部隊が引き継ぎます。
 すぐさま、航央部(ポッド)へ向かいなさい」


 操舵室に飛び込んだ波月が、開口一番に怒鳴り声を上げた。



 軍服の少女と黒マントの男に、青年がギョッとしたように振り返る。

「え…………でも、俺は――」



「早く!!」


 波月の一喝で青年は蹴躓くように、操舵室から転がり出て行く。



 ざっとパネルを見渡した波月は慣れた手つきで、手動スイッチを入れた。


「こちら、波月。聞こえますか?」


「珍しく、感度良好よ。
 波月。船の状態は?」


補助推進機関(サブブースター)赤灯(レッドランプ)以外ほとんど正常。思ったより、良好な状態っす。
 操舵室に居たのが熟練の操舵士(パイロット)だったら、わけなく戻れたと思います」


「木星の海に弾かせる必要はある?
 そこからでも、上昇できない?」

「時間が足りません。
 時空歪曲場も生きてるし、変に上昇するより、弾かせた方が上昇しやすいっす。
 もっとも、船は廃船確定になりますが――」


「弾かせる方に決定ね」

「了解っす」



 玲華と話しながらも、手早く操作パネルで設定変更していた波月が、振り返ってアキトを見る。

「アキト君。そこの電波探知機(レーダー)見てて。
 前方の時空歪曲場を、木星大気に接触する下方に設定し直すから。
 前方に宇宙塵(デブリ)があったら、警告して」


「ああ。だが、ここから上に加速した方が安全なんじゃないのか?」

「秒速60キロメートルまで加速しなければ、木星の重力園から抜けられないの。
 主力推進機関(メインバーニア)を吹かせる時宜(タイミング)を誤ったら、木星の海に逝くことになるよ」



 波月は内部マイクを掴んだ。


「え〜〜。てすてす。

 臨時船長の優人部隊中尉『波月』です。
 これから、一分後にかなり揺れますので、全員手近な物に掴まってください。
 ほんと〜〜に揺れますから。
 それから、皆さんは必ず家に帰してあげます。
 だから、遊覧船に乗った気分で安心していてください。
 以上」



 内部放送のスイッチを切った波月は振り返る。


「てな訳で、アキト君も吹っ飛ばされないように気をつけて」


「ああ」




 遊覧船の時空歪曲場が木星の大気に触れたとたん、船内が震度8の地震が起きたように振動し始めた。

 海上の船の揺れなどとは、比較にならない。まるで、シェイカーにかけられているよう振動だった。


 この遊覧船は、スピードと進入角度の関係で、いったん木星の大気から弾き飛ばされる。



 3分ほどで振動――なんていうほど生優しいものではなかったが――が収まった。



 操縦管を固定していた波月はパネルを見て、唸り声を上げた。


 ほとんどが、レッドランプに染まっている。



「表面装甲が全て溶け落ちたか…………。
 この船、かなりの安普請だわ」


 波月の予想より、船の耐久性は大幅に悪かった。

 安全基準を満たしているかどうかさえも疑わしい。




 波月は首を一つ振った。


 今は、最善を尽くすだけだ。

 文句は、後で幾らでも吐ける。



 操縦管を引き、温存してきたメインバーニアを最大噴射させた。



 後ろ向きの重力加速がかかり、小刻みな振動とともに、木星の重力を振り払う。


 遊覧船は持てる限りの推進力を出して、木星に対して70度の角度で真っ直ぐに飛翔した。


「何とかなりそうだな」

 アキトの声に、波月は微かに笑みを浮かべる。

「そうだね」



 直後だった。



 ドオォォン!!


 耳をつんざくような爆発音が船内を叩いた。

 同時に、パネルのレッドランプが3割増え、狂ったように警報音が鳴り響く。


 波月の表情が凍り付いた。


「波月ちゃん!?」

 アキトの呼びかけに、波月が掠れた声を出した。


「…………主力推進機関(メインバーニア)が…………爆発した」


「なっ!?」



 波月は一瞬、眼を閉じる。


 ――脳内の化学物質制御。

 ――心臓の鼓動を制御。

 ――呼吸を制御。



 刹那で、冷静さを取り戻した波月は、モニターを見上げ、木星衛星軌道高度と遊覧船の速度を見、舌打ちする。



 駄目だ。速度が足りない。

 制御用推進機(スラスター)を全力で噴かせば――。


 数秒で計算した波月は両手を握り締める。


 駄目だ…………この加速力じゃ、木星重力園を抜けられない。



 波月は結論を出した。

 船体なんて重い物を背負っている限り、絶対に衛星軌道距離に届かない。




 眼を閉じ、外部の情報をシャットアウトした波月の頭脳がフル回転する。


 出来が悪いとはいえ、叶十の弟子であり、この木連では『奇策の波月』などと呼ばれている自分だ。

 こんな時に、策を思いつけなくて、なにが参謀だ。なにが木連軍人だ。なにが優人部隊だ。


 考えろ。考えろ。考えろ。

 時間はない。


 せめて、小学生たちだけでも木星衛星軌道まで引っ張り上げる方法が………………あった。



 波月は眼を開く。


 だけど、それだと……。いや、迷っている時間は無い。




 勢いよく振り向いた波月は、アキトを見据えた。





「アキト君。あなたの命、わたしに頂戴」





 一瞬、眼を見張ったアキトだったが、静かに問いかける。

「一つ質問がある」

「なに?」


「波月ちゃんは優人部隊だったな」

「ええ」


「ジャンパー……跳躍処理は受けているのか?」


「なぜそれを!? それは最高軍事機密事項で――」


「受けているか?」

 アキトの静かな威圧に、波月は無言で頷いた。




「わかった。この命。波月ちゃんに預けよう」





「波月!!」

 通信機から、焦った声が響いた。


「玲華先輩」


「高エネルギーが、こちらで観測されたけど…………何かあったの?」

「ご名答。主力推進機関(メインブースター)が爆発しました」



なっ!? 今の速度では、軌道上まで上がらないわ。すぐに補助推進機関(サブブースター)…………はダメだったわね」



「はい。補助推進機関(サブブースター)は完全に死んでます。
 ですから、制御用推進器(スラスター)を最大出力にし、さらに放物線の最高点の時に手動で航央部(ポッド)を、真上に切り離します。それで、秒速5キロは稼げるはずです。
 それでも、衛星軌道には届きません。でも、マジン四機分の推進力があれば、衛星軌道まで引っ張り上げられるはずです」


「ちょっと待って、波月。
 戊式虫型兵器(ヤドカリ)が居ない今、船の操舵室からでしか、切り離し操作は出来ないはずよ。
 そんなことしたら、航央部(ポッド)を切り離した反発力で、あなたたちの乗っている船体は真っ逆さまに木星に落ちるわ」


「………………はい」


「ダメよ!! まだ、別の手があるはずだわ!!」


 会話を聞いていたのだろう。

 テツジンに乗っているサブロウタから通信が入る。

「完全に軌道距離に上がらなくとも、木星を周回できれば、警備隊の船が到着する。
 それまで保たせられないのか?」


主力推進機関(メインバーニア)が爆発したとき、発動機(ジェネレーター)がおかしくなって、時空歪曲場が切れちゃってね。
 宇宙塵(デブリ)にぶち当たる可能性があるの。

 それに、時間的にぎりぎりなはず」


「ですが、他に方法はあるはずです。
 早まらないでください」


 九十九の通信に、波月は肩を竦めた。


「それと、木星に弾かせた時、装甲が全てはげ落ちました。そこら中、赤灯(レッドランプ)だらけっす。
 いつ空中分解するかわかりません。
 最高点に上がった後は落ちていきますから、好機(チャンス)は一回きりです。
 ちゃんと、航央部(ポッド)を受け取ってくださいね。三羽烏殿」


「待ちなさい。波月。
 (あたし)は許可なんかしてないわ」



 玲華のせっぱ詰まった声に、波月は悪戯っぽい笑みを浮かべる。



「アキト君の命も貰っちゃったしね。
 やっぱり、こういうのって『駆け落ち』の『心中』ってことになるのかな?

 木連女子の夢って感じっすよね〜〜〜」



「なに、バカなこと言ってんのよ!!」



「波月参謀長。今、行く」

「バカ!! 百人が乗った航央部(ポッド)が向かうのよ。
 それに、もう間に合わない。最高点まで、あと1500キロ、30秒程だから。
 ………………言っとくけど、取り損ねたら子々孫々の代まで祟ってやるからね!!」


「波月!! 絶対に戻ってくるって約束したでしょう!!
 上官の命令は絶対よ!!」



 波月は全てを覚悟した微笑みを浮かべた。

「すいません。玲華先輩」



「このバカ波月!! あんたは――」


 指でスナップスイッチを弾き、波月は音声通信を切った。


「アキト君。減数刻(カウントダウン)するから。
 そしたら、そこの航央部(ポッド)切り離し梃子(レバー)を引いて」


「これか?」

「そうそれ。わたしは船の操縦で手が離せないの。
 お願い」


「ああ。任せろ」

 そのレバーは自分たちの死刑執行サインと同等なのに、アキトの声には震えも脅えもなかった。



「…………これは、地球人を見直すべきかな?」


「何か言ったか? 波月ちゃん」

「ううん。何でもないよ。減数刻(カウントダウン)を始める」

「ああ」


減数刻(カウントダウン)。5秒前」

「4」

「3」

「2」

「1」


央築部(モジュール)切り離し!!」



 ドンッ!!



 波月の眼が、レーダーの赤い点と緑の点を追う。

「よ〜〜し、よし!! そのまま、そのまま。
 三バカ烏&ブータども取り損ねたら、承知しないんだからね」


 四つの緑の点と、赤い点が重なった。


「よっし!!」

 波月は両手を握り締めてガッツポーズをする。



 ポッドを切り離した船体が異常振動を起こし、全てのレッドランプが点灯した。





 ポッドを抱えたマジンを操縦する四人は、成す術もなく木星に落ちていく船体を見守った。

 遊覧船が水素の青い炎に包まれる。


「くっ、クソ!! 何が優人部隊だ!!
 跳躍装置さえ開発されていれば!!」


「開発されていたとて無理だよ。サブロウタ。
 あれだけの巨体を抱えて戻ってくるなど不可能だ」



「チクショ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


 サブロウタが悲痛な罵声を木星に解き放った。








 操縦管から手を離した波月が、静かに微笑んだ。


「ゴメンね。アキト君。わたしの我侭につき合わせちゃって」



 アキトは俯く波月に歩み寄る。



「心中にしちゃ、色気のない女だけどね。…………間に合わせで、これで勘弁して」


「諦めが良すぎるぞ。波月ちゃん」



 静かに首を振る波月。



「ここから逃れる術はないわ。
 あのエス……なんとかって人型機動兵器でも、木星の重力園は抜けられない」



「波月ちゃん。今度は、俺に命を預けて貰おう」



 力強いアキト声に、波月は顔を上げた。


「なにをするつもり――キャ!!



 アキトは無言で波月を抱き寄せる。



「な、なななななな、なにを?」



 波月を抱きしめたアキトの周りにジャンプ・フィールドが張られた。


「こ……これは、跳躍障壁…………まさかっ!?」


「玲華さん…………だっけ。彼女の顔を思い浮かべて」


「う、うん」


「跳ぶぞ…………ジャンプ!!










 木星に墜ちていく遊覧船が、水素の青白い炎に包まれた。


 マジンの外部カメラから送られてくる映像に、玲華は怒声を上げる。


「こらっ!! 波月!! 返事をしなさい!!
 聞いてんの!!」


 罵声を上げている玲華の言葉遣いが、メッキが剥がれるように悪くなっていく。


「てめぇ!! あたい(・・・)に何て言った!!
 勝手に死ぬなんて、あたいは許さねぇぞ!!
 生きて帰ってくるって約束しただろうがっ!!」


 木星内部に墜ちていき、青橙の炎に包まれた船が黄雲の渦嵐に消えていった。


「遊覧宇宙船。木星の嵐に落ちました。
 …………生存は…………絶望的です」



「波月の……………………オオバカヤロウが!!」



「ち、跳躍反応!!」


「…………」


「場所は…………この部屋です!!」




「!? …………まさか…………そんなはずは――――」




 玲華が振り向いた。


 唖然とした玲華の見ている前で、景色が歪み始める。



 虹色の光芒が弾け散ると同時に、二人の姿が現れた。



「………………は……波月」



 玲華の声に、はにかむ波月。

「波月…………ただいま帰りました。
 心配おかけました。先輩」





「………………………………」




「…………………………」



「……………………」


「………?」


 俯いたまま、反応のない玲華に、波月が手を振る。

「玲華先輩?……お〜〜い、先輩。
 どうしたんすか?」




 ビヒュッ!!




 ハシッ!!



 どこに隠し持っていたのか、怒り心頭の玲華が超高速で振り下ろした木刀を、波月は白刃取りで防いだ。




この……バカ! ……アホ! ……アンポンタン! ……ボケ! …………ドアホッ!!
 てめぇは、いつでも楽しませすぎなんだよっ!!



 罵詈讒謗を吐きながら、玲華はギリギリと体重をかけて木刀を押しやる。



わ〜〜っ!! 先輩。待った、待ったっす!!
 謝るから、謝りますから!!
 すいませんす!! 反省してますです!! はい!!」


そいつはぁ、前の時にも聞いたぜ!! このクソヤロウ!!


「本当っす。本当。誠心誠意マジものっす」


いや。信じられん。一発、てめぇのケツ穴のような頭を殴らせろ!!



「鉄芯を仕込んである木刀でぶん殴られたら、大怪我しますって」


「てめぇなら平気だ」


「根拠は? そこに至った根拠は?」


ない!! が、あたいが大丈夫だと信じてっから問題ない!!


「そういう信用のされ方は、わたし的に大問題っす〜〜」



ふふふふふふふふふふふ


「いや〜〜。先輩、眼がマジっすぅ」







 ギリギリと一分ほど、波月と押し合いを続けていた玲華が、ようやく木刀を引いた。




 玲華は、重量5キロ程もある鉄芯入り木刀を軽々と片手で回し、ドン!! と床に突く。



「木連優人部隊かんなづき参謀長、波月中尉!!」



「は…………はい!!」


 官名で呼ばれ、条件反射で敬礼する波月。





「上官を心配させた罰で、明日までに始末書20枚!!」





 途端に、波月の顔が世にも情けなくなる。

うぎゅぅ…………り、了解っす」




「マジンおよびテツジン、木星重力園を抜けました。
 こちらに向かって、航央部(ポッド)を牽引中」


 オペレーターの報告に、管制室に喜色歓声が沸き起こった。






 そこに、沈痛に顔を歪めた九十九、月臣、秋山、サブロウタの通信が開かれた。


「すまん。神狩副司令。
 我らの力が及ばなかったために――」


 微かに微笑み、いつもの口調に戻った玲華が優しげな声で言う。

「あなたたちのせいではないわ。人間は神ではないのよ。
 全てが100パーセント達成できるとは限らない。
 それに――」


 コンッと木刀を床に響かせた玲華は、ふわりと微笑む。

「奇跡を運んでくれた人がいたしね」


「「「「は!?」」」」



 玲華の後ろから、ひょいと顔を出す波月。





「「「「 !!!! 」」」」

 驚愕する四人。





「よ〜〜〜し。よし。取り損ねなかったようだね。

 取り損ねたら、子々孫々まで祟るために、激我神社に一万度参りしなきゃならいところだったぞ」


 四人は声も出せず、口を開けたまま、呆けていた。


 玲華はオペレーターの1人に声をかける。

「水木君」

「はい?」


「今の四人の顔。記録してる?」

「は……はあ。一応」


「今度の軍部内会報『激我新聞』の表紙に使うわよ」


 玲華の性格を把握しているオペレーターが頷いた。

「はっ。面白い顔を選び出しておきます」


「特に元一朗君の顔なんか、視聴者受けするでしょうね」



 後日、『驚愕』と題された4人の顔写真は、その人気から、広報や宣伝など至る所で使い回されることとなる。





 驚愕に凍り付いている四人を置き去りにし、玲華はアキトに向き直った。



 波打った薄茶の髪がさらりと揺れる。


 玲華の鳶色の瞳が、アキトの黒の瞳を見つめた。



 二人の瞳は似ている。


 二人とも『同種』のものを封印していた。そう禍々しい『凶禍()』なる物を。

 互いの瞳の中に同じ物を見取った二人は、同時に口許に微風のような嗤みを一瞬、浮かべて消した。



 深々と頭を下げる玲華。

「ありがとう。アキト君。心から礼を言うわ」

「俺は、単に運び屋をやったにすぎない」

「それを言うなら、(あたし)なんて、ここから命令していただけよ」


 波月がアキトに指を振る。

「感謝は素直に受けるものだよ。アキト君」

「感謝は波月ちゃんが受けるべきさ。それよりも――」


「ええ。『生体時空跳躍』のことは緘口令を敷いておくわ。
 優人部隊副司令『神狩玲華』の名にかけて、絶対に外部には洩らさない」



「ありがとう」



 礼を言うのは、こちらの方なのに――。



 バイザーを外したアキトの夜色の黒瞳を覗きこんだ。

 その瞳は夜の帳のように、その向こう側(内心)を見せない。



 アキトの手を玲華は両手で、そっと包んだ。

「本当に……………………ありがとう」




 そんな二人を見ていた波月が、驚いたように眼を見開く。

「あやや。これは、…………瓢箪から駒というか、嘘から出た真というか」



 すっとアキトの手から両手を離した玲華が、波月に笑顔を向けた。


「波月。あなたも、ご苦労様」


 ニ、三度、眼を瞬かせた波月は、笑みを浮かべ、

「いつものことっす」

 と、胸の前で両手を組み、上目遣いで自分より背の低い玲華を見上げる。


「それよりも、…………始末書、減らしてくれませんか?」







 玲華は虎のような眼を細め、口許だけ、にっこりと微笑んだ。



「それは、それ。これは、これ」








「あう゛ぅぅぅぅ」


 管制室に、波月の泣き声の混じった呻きと、皆の笑い声が響いた。






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