車から降りたルリは、倉庫を見上げる。


「ここですね」

「ああ」



 長い息を吐きながら、気を落ち着かせるように、ルリは気配を消した。

 ここ最近、レイジはそれだけを訓練させてきていた。



 この倉庫は市街地から、かなり外れた広野に建っている。

 多少の音が漏れても、気づく人間はいないだろう。


 ただ、風の音だけが物悲しく鳴っている。

 遙か遠くの街の陰が、蜃気楼のように揺らいでいた。




*



 倉庫の中では、黒いスーツを着た十数人の男たちと、謝肉祭のマスケラ(仮面)を被った6人の少女と背の高いロシア系の男が対峙していた。




 音もなく倉庫に滑り込んだ二人は、鉄製のコンテナの陰で小声で話す。

襲撃()きますか?」

「いや。彼女らの戦闘が終わった直後、気を抜いた瞬間を襲う。
 こっちは、数で負けてるんだ」


「エレンさん。居ませんね」

「いや…………いる。
 エレンの殺気が充満してる。
 この倉庫の何処かに潜んでるはずだ。
 俺が向こうへ廻る。
 ルリは反対側のコンテナの陰へ行け」


 無言で頷いたルリは、コンテナの陰を風のように疾っていった。



 それを見届けたレイジも身を屈め、足音を立てずに、作業用の空中の渡り陸橋を昇る。





 長身で銀髪碧眼のロシア系白人の男――『サイス・マスター』は全てを嘲けり皮肉るような独特の笑みを浮かべた。


「こちらは『AKー162』を百丁、用意したが、サテ、そちらはどうかね」



 AKー162は、2162年に開発されたAKー74の四代後の後継アサルト・ライフル銃である。

 AKー74が8つのパーツで出来ているのに対し、AKー162はさらに少ない6つのパーツで構成され、しかも部品は全て耐熱強化プラスチックで形成されているため、重量はAKー74の半分にまで軽減されている。

 さらに、踏みつけ歪ませた弾丸さえ暴発させずに撃てるAKー74の特長をそのまま引き継いでおり、もっとも世界に広まっているアサルト・ライフルだった。

 このアサルト・ライフルは、ダイカスト・プレス製造で、日に一万丁は製造できる世界で一番安価なライフル銃である。

 アメリカが世界の8割を製造していたが、この銃を使う人間の90パーセント以上が犯罪者集団と貧乏な反政府軍と海外のテロリストと云った者たちだった。



 ケースに納められた新品のAKー162に、マフィアの男たちが舌嘗めずる。


 人と金と麻薬と武器の数が即、勢力に結びつく地元の弱小マフィアにとっては垂涎の品だった。



 中古のAKなら闇市に腐るほど出回っているが、新品は当局の捜査の手が延び、滅多に出回らない。

 そして、中古のAKは第三国の激戦をくぐり抜けてきた物が殆どで、暴発する危険が非常に高かった。

 あんな物を使うのは、素人犯罪者くらいである。




 リーダー格の黒服が、獰猛に嗤った。

「約束の金だ」



 男がサイスの足元に滑らせたトランクを、マスケラを被った少女の一人が進み出て、足で蹴り開ける。




 トランクの中には、ぎっしりと詰まっていた――――新聞紙が。




「随分と在り来たりな、『お約束』だな」

 呆れ顔のサイスが侮蔑を浮かべた。



 マフィアたちが全員、一斉に拳銃を抜く。

「穴だらけになりたくなければ、口を噤んでブツを渡しな」



「やれやれ。田舎者ヤンキーは、やることなすこと古くさすぎる。
 おまけに馬鹿で陳腐だ。救いようがない」


 心の底から首を振るサイス。




 もっとも男たちは、サイスの嘲りが聞こえないぐらい、後ろに控える少女たちの身体を嘗めるように眺め這わすのに余念がなかった。


 彼女らの素顔は、マスケラで見えないが、ウエットスーツのような身体に密着したボディスーツのため身体の線が、はっきりと出ている。



「…………そうだな。
 そいつらを味わせてくれたら、金を払っても良いぜ」


 マフィアから、卑下た笑いが響く。



「フン。仕方ない。
 味わせてやろう」



 瞬間、彼女らがステアーAUG(アサルト・ライフル)を構えた。



「な、何の真似だ?」


「言っただろう。
 味わせる。とな…………ただし、戦闘能力をだ。
 ただ、一人残すな。殲滅しろ」


「「「「「「イエス・マスター」」」」」」





「一方的だな」

 レイジは、陸橋に身を潜めながら、眼下の戦闘を眺めていた。


 的確な訓練を受け、身体を鍛えている一流の暗殺者と、社会から溢れ自堕落な日々を送ってきたチンピラ。

 おまけに、彼女たちの持っている武器は最新型の無反動式軽量アサルトライフル銃なのに対し、マフィアたちは威力を誇示するためだけの火薬式45口径リボルバー。


 その勝負は火を見るより明らかだった。




 勝負は、彼女らがマフィアを片付け、僅かに気が抜ける一瞬後。


 レイジとルリの勝機は、その一瞬にしかなかった。



 じりじりと、その一瞬を待つレイジは銃把を握りしめ――――

 タン! と横に飛びすさる。


 ナイフが空を一閃した。


 橋上を転がり、体勢を立て直したレイジに、ナイフが振り下ろされる。


「くっ!!」


 ガキンッ!!


 ナイフを拳銃のバレルで受け止めた。



「エレン!?」



「やはり……あなただったのね」



 ナイフを弾くと同時に拳銃を捨てたレイジは、エレンと同じステンレス製の黒色のナイフを抜刀した。

 エレンに対して、この距離で拳銃を使うのは、殺してくれと言っているようなものだ。



 眼下のフィーアたちが気になるが、それを気にしていたら間違いなくエレンに殺されるだろう。





 無言でナイフを構えるエレンに、レイジは問う。


「エレン。俺の誓いは……君との約束は覚えてるか?」





「………………忘れたわ」



 嘘だった。忘れられるはずがなかった。



 ――――エレン。君と一緒に、この悪夢(せかい)から抜け出そう。




 エレンの心の奥の奥に仕舞ってある命よりも大切な約束。

 この悪夢の中の、たった一つの灯火(ともしび)




「嘘だ」



 レイジの返答を否定するように、エレンはナイフを振るった。



 レイジは、それを的確に避けていく。


 やはり、急所を正確に狙ってくる癖は変わってないな。


 ナイフの鈍い輝きを眼に留めながら、レイジは冷静に思考した。

 狙ってくる箇所がわかっていれば、避けるのは、たやすい。



「エレン。
 とっくに気づいてるんだろう。
 サイスは、君を捨て駒の一つとしか見ていないことに」


 喉元を狙ってくるナイフを、上半身を逸らして避けた。



「解かってるんだろう。
 このまま、サイスに従っていても破滅しかないことを」


 心臓を狙ってくるナイフを、身体を捻って躱す。



「自覚してるんだろう。
 君は、『アイン』と云う名の呪縛で、心を乖離させてるだけだということを」


 肝臓を狙ってくるナイフを、ナイフで叩き落とした。



 距離をとったレイジとエレンは、右手のナイフを逆手に頭上で構え、左手を開掌し腰に据える。

 二人は、まったく同じ構えで対峙した。




 エレンは、無機質な声で呟くように言葉を返す。



「わたしは知らない」

 ――――知れば、絶望してしまうから。




「わたしは感じない」

 ――――感じてしまえば、壊れてしまうから。





「わたしは心を持たない」

 ――――心を持てば、あなたを愛してしまうから。





 わたしは、何も感じない、何も思わない、心もいらない。

 1個の人形に…………『殺人人形』になりたい。





「わたしはアイン。
 殺人人形『アイン・ファントム』」






「エレン!!」


「アインよっ!!」



 上段から振り下ろされた刃をナイフで受け止めたレイジは、足の臑を蹴り飛ばした。

 エレンが体勢を崩した瞬間、手首を掴んで投げる。


 叩音。



 エレンは受け身をとれずに、陸橋に叩き付けられた。


「…………くぅ!!」



「ツヴァイならば、アインには勝てなかっただろう。

 だが、俺は『吾妻玲二』だ。

 君がアインのままならば…………俺には勝てない」




 パチパチパチ。



 やたらと、もったいぶった拍手が倉庫に響く。


「久しぶりだな。ツヴァイ」

「会いたくはなかったがな。サイス」


 いつの間にか、マフィアは全滅していた。



 掠り傷一つないフィーアたちが銃口を定め、レイジを狙っている。


 だが、レイジは動じなかった。

 冷徹冷酷な眼でサイスを見下ろしている。



「アインを倒すとは……ツヴァイ、さらに腕をあげたな。
 良い機会だ。
 私の所に戻って来ないかね?」



「ああ。確かに、良い機会だ。

 貴様を殺すのに……な」



 瞬間、レイジが身を翻し、橋桁から飛び降りた。と同時に、フィーアたちのライフルの銃口が火を吹く。


 コンテナの陰に逃げ込んだレイジは、予備の拳銃を抜いた。



「申し訳ありません。マスター」

叩き付けられた左腕を庇うようにして戻ってきたエレンに、サイスは鼻を鳴らす。

「フン。…………まあいい。
 もう一人、侵入しているようだが、心当たりはあるか?」


「『ホワイト・ゴースト』と推察します」


「ホウ。お前の報告にあった『ファントム(亡霊)』に付き従う『ホワイト・ゴースト(純白の幽霊)』か。
 実に好都合だ。
 彼女にも興味があるのでね」




 鉄製のコンテナの陰で、レイジはルリに、コミュニケ通信を開いた。

「すまん。ルリ」


 敵弾で、その場に釘付けにされていたルリも苦笑を返す。

「こちらも、バレました。
 付け焼き刃の隠形じゃ、ごまかせませんね。

 ?? …………銃声が、止んだ?」



「聞こえるかね。ツヴァイ。
 お前は何故、この取引を知ったのだ?
 これはクリムゾン内部にも、ほとんど知られてないはずだぞ」


 レイジから返事は返ってこない。


「フム。と、言うことは『ホワイト・ゴースト』が絡んでいるのか?

 だとしたら、噂以上に危険な存在だな。
 非常に残念だが、仕方ない。始末するか」




 サイスの護衛にアインとノインを置き、残りの5人で強襲すれば、ツヴァイは確実に()れる。


 しかし、それでは手塩かけて育てたツァーレンシュヴェスタン(私兵)の2、3人は殺されるだろう。


 『ファントム』と呼ばれ、クリムゾン最高の暗殺者だったツヴァイである。

 その、実力は侮れない。


 サイスの今の手ゴマは、この7人と『ドライ』だけ。

 しかも、『ドライ』は気紛れで、サイスの命令を聞かない。

 今の時点で、無駄な損失は避けたかった。


 普通のやり方では、損失は否めない。ならば――――。



 サイスは、邪悪に唇をねじ曲げた。



「ツヴァイ。
 『ホワイト・ゴースト』の首を掲げれば、お前は鳴いてくれるかな?」



「ッ!!…………サイス!! キサマァァァァァァァ!!」



「フュンフ。ホワイト・ゴーストの首を刈り取ってこい」

「イエス。マスター」



 レイジはコミュニケに叫ぶ。

「ルリ!!」


「大丈夫です。
 エレンさんよりも実戦経験の少ない者ならば、一対一で負けるつもりはありません」


 ブラスターから弾を抜き、オモイカネから貰った特別仕様の弾丸を込めたルリは、アビス(ブラスター)をしっかりと両手で構えて、フュンフが楯にしているリフトを撃った。



 ドンッ!!



 弾丸は大きく上方に逸れて、コンテナを突き破り、鉄柱をやすやすと穿ち、屋根に大穴を開けた。




 そして、ルリは――――――尻餅を着いていた。

「…………オモイカネ。これ、反動…………大きすぎです」




 と、ルリは転がるように跳ね起き、小刀を抜刀する。

 直後、ルリの喉元があった床に、フュンフのナイフが突き刺さった。



 新たなナイフを抜刀したフュンフが下から斬り上げる。


 ナイフを受けた小刀を回転させながら、手前に引き込み、ルリは地面に滑らせるような蹴りでフュンフの足を払った。


 体勢を崩したフュンフの右手首を右手で掴んで回し、間接を極め押さえ込みながら、左手の小刀で喉笛を貫く。



 ズシュッ!!


 ”木連式水蓮流柔『鶴飛大纏』”



 ルリの白色のバイザーに血滴が跳ねる。




 白マントを翻しながら、ルリは小刀を斬り抜いた。


 フュンフの喉から血が吹き出し、倒れ、床に転がる。




 ルリは赤く染まった小刀の刃を見てから、床を眺めた。


 喉からの血で血溜まりを作った床に、事切れた少女が横たわっていた。

 長い赤茶髪が床に広がり、赤黒く血に染まっていく。


 倒れた時にマスケラが外れ、15、6歳の美少女の素顔が晒されていた。

 焦点の合わない瞳が、もう生がないことを語っている。



 血の滴る小刀を持ち、呆然と少女を見下ろしていたルリは口許を押さえた。



「…………うっ……」



 キン!!

 コンテナに跳弾する音を聞いたルリの身体は、条件反射でコンテナの陰に逃げ込んだ。




「…………落ち着いて。
 焦らない。焦ってはダメ」


 コンテナの陰に座り込み、銃を顔の前に掲げ、ルリは精神を落ち着かせる。



「冷静に……沈着に……感情と思考を切り離して……常に……勝てる手を」



 細まった金の双眸が煌めいた。



 それは、『連合宇宙軍・第四独立艦隊・ナデシコC艦長・星野ルリ中佐』の瞳だった。





「ルリ!! 大丈夫か?」

「怪我は……ありません」


「フュンフは?」

「殺しました」


「…………大丈夫か? ルリ」

「問題はありません」


「そうか。
 なんとしてでも、この包囲網を突破しなければならないんだが…………そう簡単には逃してもらえなさそうだ」


「レイジさん」

「ん?」

「レイジさんの所から見える敵の配置は、どうなっていますか?」

「俺から見える?」

「はい」


「俺から見えるのは、三人だ。
 柱の影に一人。その、サポートでコンテナの上に一人。
 もう一人は、かなり離れた所にいる。
 残りの二人がルリの襲撃担当のようだから、それのバックアップだろう。
 それから、サイスの隣に、ガード役のエレンだ」



「ああ。やはり、そうですか」



「やはり?」


「レイジさん。
 この包囲網から脱出……いえ、包囲網を壊滅させる(すべ)が見つかりました」



「なに?」


「退却用の発煙筒を」


「何も見えなくなるぞ」


 この軍仕様離脱用発煙筒の煙は、煙自身が発熱し、熱サーマルや赤外線センサーを使用不能にする。

 退却時ぐらいにしか、使用できない。



 ルリは、ブラスターから特殊弾を抜き、手早く通常弾を込めていく。

「大丈夫です。
 私の言う通りに、動いてください」


 あまりにも命令し慣れている口調と瞳に、レイジは思わず頷いていた。



「コミュニケ通信は開けっ放しで。
 手首からの骨振動モードでお願いします」


「こっちは何時でも良いぞ」




「では、いきます。
 Ready…………GO!!」



 ルリの合図で、発煙筒がばら撒かれ、一瞬で倉庫に煙が充満した。




「予測シミュレート開始。
 ターゲット1、3-2-1から、3-1-3に移動後、8-1方向にアタック。
 ターゲット2、5-3-2から、3-3-3に移動。
 他、待機。

 レイジさん。5メートル、左へ移動。
 銃声がしたら、一人が隠れていた柱を射撃後、前のコンテナへ」


 ルリはコンテナから走り出し、煙の中へ突っ込む。


 倉庫に銃声が木霊した。


予測(シミュレート)。ターゲット3、6-4-2から4-4-4に移動。
 4、5-6-9から4-6-5。
 5、4-7-1から2-7-6へ。
 ターゲット4が4-6-5なら、角度60度。この位置ですね」


 ルリは煙の中で片膝を着き、煙で50センチ前方も見えない空間にブラスターを二連射し、すぐさま、前方に走り、地面に伏せる。


「ターゲット、4。4-6-5で、アウト。

 予測(シミュレート)。ターゲット1、3-2-3から、1-1-9へ。
 2、3-3-3から、5-5-1……いえ、この場合は4-5-6へ向かう確率が高いですね。
 3、4-4-4から7-3-5へ。
 5、2-7-6から4-6-3へ。

 レイジさん。8秒後に、レイジさんからの位置から、左斜め19度に集中連射。
 その後、5メートル前方10メートル右に移動してください」



 5秒数えたルリは跳ね起きると、ブラスターを全弾連射した。


 バイザーの暗視も熱視も利かない、視界ゼロの白煙の中で、ルリは躊躇いなく引き金を引く。

 アビス(ブラスター)Cz(拳銃)の銃声が轟音となって反響した。



「ターゲット2、ターゲット5。4-6域で、アウト」


 その場から移動し、柱の影に身を潜めたルリは、ブラスターから薬莢を廃莢し、銃弾を装填する。



 一切、視界が利かない白煙の中で、ライフルの連射音が反響した。


「煙で何も見えないから、やたらと撃ってますね。
 ターゲット1、1-2-1から、8-1方向にアタックしましたから……。

 予測(シミュレート)。1、1-2-1から、8-2方向にアタック後、6-2-9へ移動。
 3、7-3-5から7-4-5方向に移動。


 レイジさん。その場で振り返って、銃を構えてください。
 1-2……2-1……3-2……アタック!!」


 5秒で10発の乾いた銃声が雷のように残響する。



「ターゲット1、3-2-7でアウト。
 3、7-4-5で待機」



 ルリは気配を消して、柱から歩みでると、15歩歩き、片膝を着いて銃を構えた。


「6-5-4から7-4-5を狙うと、45.7度」


 ルリは身体を捻る。



 ルリは、白煙の中に銃弾を撃ち込んだ。



「ターゲット3、7-4-5でアウト。
 レイジさん。倉庫の真ん中へ」



 空調管理してある倉庫が異常を察知し、自動でファンが回り始めた。煙が眼に見えて薄くなる。



 煙が晴れ、ルリの前に人影が現れた。




 アサルト・ライフル(ステアーAUG)を構えているフィーア。



 フィーアが、がくんと床に両膝を着く。そのまま、前のめりに崩れ倒れた。


 胸部からの鮮血が床に広がっていく。




 片膝を着いていたルリが立ち上がり、レイジが横に並んだ。


 二人の視線がサイスを捉える。



「な…………バカな!!
 私の兵が、一方的に負けるだと……ありえない!!

 取り乱したサイスが喚いた。



 レイジとルリを凝然と見つめるサイス。


「ツヴァイ? …………いや、ツヴァイにそんな技能はないはずだ。

 !! ……そうか…………そういうことか」



 何かを納得し、落ち着きを取り戻したサイスは傍らにいるエレンに命令を下す。


「アイン。私は彼女と話がしたい」

「イエス。マスター」


 エレンは拳銃をレイジに突きつける。


 反射的に、レイジもエレンに拳銃を突きつけていた。



 膠着状態に陥った二人に、サイスは嘲笑を浮かべる。

「アイン。ツヴァイが銃口を私に向けたら、引き金を引け」


「イエス」

「くっ!!」


 レイジにエレンは撃てない。それを見越したサイスの命令だった。




「無粋者は邪魔できない。
 サテ、これで君とゆっくり話が出来る。
 『ツヴァイ・ファントム(2番目の亡霊)』に寄り添う『ホワイト・ゴースト(純白の幽霊)』君」


 ルリは無言を返す。


「フム。私は是非とも説明してほしいのだよ。
 いったい、どういう魔法を使って、私の『ツァーレンシュヴェスタン(ナンバー・シスターズ)』を倒したのだね。
 失礼だが、君たち二人に負ける可能性は、ほぼゼロだったはずなのでね」


 凍てついたルリの視線に、サイスは言葉を重ねた。


「私は、アインの引き金を引かせることもできるのだよ」

 サイスは勝ち誇った嘲笑を浮かべる。



 レイジは口を挟まなかった。

 それは、レイジも疑問に思っていたことだから。





 サイス、エレン、レイジの三人の視線に、ルリは口を開く。


「私の本職は『艦長』です。

 敵の作戦パターンを解析し、その状況に応じた最善の手を打ち、常勝する。

 それが、私の『専門分野』

 あなたの私兵がどれだけ優れていようと、マニュアルに記載された基本作戦行動しか取れない戦団など、私の敵ではありません」




「フ…………フハハハハハハハ。
 素晴らしい。素晴らしいぞ!! ツヴァイ。
 よくも、このような少女を見つけたものだな。

 最高技能の統一スペックを持つ兵たちを、指揮できる少女。
 ハハハハ。まったくもって素晴らしい!!


 君は、私の10番目の作品。ナンバー『](ツェーン)』だ!!
 私の物になるといい。君のために最高の兵士を用意しよう」



「お断りします」



「フム。悪い条件ではないと思うが?
 それに、ツヴァイの弟子ならば、私の弟子ということでもあるのだから」


 唸り声を洩らすレイジ。

「………………ふざけたことを」


「仕方ない。アイン。彼女を捕らえろ。
 腕の一本ぐらい構わん。必要なのは、その頭脳だからな」


「無理です」


「なに?」

「わたしは一度、彼女に負けました。
 わたしの能力(スペック)では、彼女を捕らえることができません」


「おまえが………………負けた?」

「はい。格闘戦では、勝てません」


「ホウ。なるほど………………ますます『Zehn(ツェーン)』に相応しい」




「お喋りは、そこまでで良いですか?」


 ブラスターを構えるルリ。



「フム。なるほど」


 サイスは拳銃を捨てた。



「?」



「フフフ。私と君は面識のない赤の他人だ。
 そして、丸腰の無抵抗の者でもある。
 君に撃てるかな?」




 ニヤッと嘲笑を浮かべるサイスに――――







 ルリはふわりと微笑んだ。

「ええ」






 ドン!!


 サイスの腹に銃弾を撃ち込む。



「グゥオオオオオッ!!」




「バカ最大級ですね」




 苦悶にのたうつサイスを、ルリは嘲笑った。


「私をエレンさんと混同しないでください。

 私は、自分の意志で銃を取り、自分の意志で戦場に立ち、自分の意志で人を殺したんです。

 人に言われたからでも、命令されたからでもありません」



「ぐぅっ!?」



 陰った目許に、金の双眸を妖光させたルリは、小さく笑った。


「さよなら」



 と、ルリが後ろに飛び退る。



 キン! キン! キン!


 銃弾がルリの対人ディストーション・フィールドに弾かれ、発光した。




「…………バリアか」


「お…………遅いぞ。『リリス』」



 存在感のない180センチくらいの長身の青年が拳銃を片手に佇んでいた。

 際だった特徴はないが、黒髪黒瞳で女性のような線の細い整った容貌である。


 たった一つの特徴と云えば、その空虚な瞳だろう。

 彼らを背景の一部としか認識してないため、焦点が定まっておらず茫洋な眼に見える。



 『リリス』は抑揚のない、やる気のない声で返答した。


「僕は、あなたの部下じゃない。
 あなたが死のうが生きようが、どうでもいいからね」


「私はよくない」

「ああ……そうなんだ」



「アイン。引き上げるぞ」

「イエス。マスター」



「逃がすかっ!!」


 レイジの追撃は、リリスの銃撃に阻まれた。


「チッ」

 舌打ちしたレイジは反撃しようと拳銃を構える。



 殺気も気配も存在感もない、背景に融け込んでしまう陽炎のような青年に狙いが定まらず、レイジは戸惑う。



 その一瞬の戸惑いを利用して、彼らは倉庫から脱出した。



 何もせず彼らを見逃すルリ。





「また…………逃がしちまったな」

「そう……ですね」





*




 この時間では、ヨコハマ・シティのアパートまで帰れないため、アメリカのモーテルの一室で一夜を明かすことに決めたレイジはブランデーをタンブラーに注ぎ、ベッドに腰掛けているルリに手渡した。




 これは、断じて祝杯の酒ではない。



 人を殺した罪悪感を、嫌悪感を少しでも和らげるためのものだった。




 かたかたと震える手でブランデーに口をつけるルリ。


 呑んではいない。いや、呑めないのだろう。

 唇で舐め取っているだけだ。



「人を殺したのは初めてか? ルリ」


「…………いいえ。……艦隊戦では……何百人も…………」

 ルリは、かちかちと歯を鳴らしながらも答えた。


「…………」


「……でも…………自分の手で……人を……殺したのは…………初めて……です」


「……………………そうか」



 レイジも壁に背を着き、ブランデーを瓶から直接飲んだ。

 喉と胃が焼けるように、熱くなる。


 でも、それだけだ。




 この殺しは、ルリの中に長く残るだろう。


 初めて殺した『人間』

 2年半も経つが、俺もはっきりと覚えている。


 死なれた者の記憶は時間とともに薄らいでいくが、殺した者の記憶は逆に鮮明になっていく。


 連合海軍北米方面部大尉『ウォルフ・レイヤー』

 この男は、軍の武器をテロリストに横流しをしていた。

 それが軍にバレて、クリムゾンに逃げ込んできたのだ。


 この男の抹殺。それが暗殺者『ツヴァイ』になるための、サイスが課した『最終試験』だった。


 そして、エレンに暗殺技術を叩き込まれていた俺は、それ(殺人)を難無くこなした。



 そして…………人を殺した俺は、もう戻れない自分に涙を流し、覚めない悪夢に…………絶望した。



 あの時――――


 人を殺し、涙を流す俺を、エレンが後ろから抱きしめ、こめかみに銃口を突きつけた。


「どうしてほしい? わたしに」


 淡々と問うエレンに、俺は泣きながら、懇願した。


「俺を…………殺してくれ。
 全てを終わらせてくれ。何もかも。
 この俺ごと、消してくれ」



 エレンが――


 撃鉄を引き起こし――


 涙を流す俺に――




 ガチン!! ――――撃鉄が落ちた。





 エレンの拳銃には銃弾が入ってなかった。


 だが、その銃声と架空の弾丸は俺の魂を殺した。

 人を殺して涙を流せる俺の心を、確実に殺した。


 あれは、エレンの優しさだったのだろうか。それとも、冷酷さだったのだろうか。



 だが、殺してくれたからこそ、俺は生きてこれた。

 長い長い悪夢を、覚めない悪夢を『ツヴァイ()』として生き延びた。



 あの瞬間、粉々に砕け散った俺の心は必死にかき集めても、指の間から零れ落ちていくだけだ。


 そう…………今でも。




 レイジは、ベッドに腰掛けて震えているルリを見下ろす。


「ルリ。…………辛ければ止めろ」



「…………止めません。

 私は……ここで、止まるわけには……いかないんです。絶対に」




「ルリ?」







「そう、絶対に――」





 かちかちと歯の根を噛み合わせながらも、その琥珀の眼が劫火のように底光った。







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