「ふわあぁぁぁっ」


 優人部隊の仕事場に、大きな欠伸が洩れた。



 今、その司令所には波月、一人しかいない。



 その波月も、仕事もせずに安楽イスに座って『ゲキ・ガンガー3・パーフェクトフィルムブック』を読んでいた。


 扉の開く音がして顔を上げた波月は、意外な人物に首を傾げる。

「おや? 玲華先輩。
 どうしたんすか?
 今日は休みのはずじゃあ」

「波月。あんたねぇ。
 わざわざ休日出勤して、なにサボってるのよ」

「今は、休憩中っすよ。
 それに、今週中に仕上げなきゃならない始末書は、たった2枚だけだし。
 楽勝っす」

「そういう問題じゃないんだけどねぇ」


「で、先輩は?」

「忘れ物を取りに来ただけよ」

「それにしては、やけに気合が入ってるっすね」

「わかる?」


 その場で、クルンと回る『神狩玲華(かがり・れいか)


 一見、ドレスに見紛うような太腿までスリットの入ったチャイナドレスだった。


 綾絹の白地に、金糸で桔梗が刺繍してある。

 足には、黒の編みタイツに、踵の低い朱色のヒール。


「もちろん。
 わたしも、一応、少女の端くれですからね」


逢引(デート)よ」


 ここ数日、いやに玲華の機嫌が良かったのは、そのせいだったのかと、波月は一人、納得した。

「もしかして…………アキト君とですか?」

「あらっ。良く判ったわね」

「気づかなきゃ、ただのアホっすよ」


 机の引き出しから何かのチケットを取り出した玲華は浮かれた足取りで、ひらひらと手を振って出ていった。



 手を振り返して見送った波月は天井を仰ぎ、眼を細めて呟く。

「テンカワ・アキト…………か。

 あの男…………時たま、虚無や狂気や業火の瞳……『復讐鬼』の眼を見せる時があるんだよねぇ。
 特に『北辰』の名が出た時なんか。

 それに………何かを必要以上に背負ってるみたいだし。
 前に言ってた『ナデシコ』ってヤツなんだろうけど――」


 波月はふっと息を吐く。

「まあ。恋愛は、オネーサマ方に任せておきますか。
 玲華先輩なら、何があっても平気だし。

 『要らぬ心配、万病の元』ってね」


 波月は何事もなかったように、フィルムブックを読み始めた。



*


「…………どうも俺は、押しの強い女性に弱いな」

 当のアキトは、デートの待ち合わせ場所で、独り語ち、黄昏(たそが)れていた。



 と、突然、上着の端をギュッと掴まれた。


 驚いたアキトが見下ろすと、黒い瞳と眼が合う。


 6歳ぐらいの子供が、しっかりとアキトの上着の裾を握っていた。


 肩口で切り揃えられた烏羽のような艶やかな黒髪。

 眼にも鮮やかな赤い振り袖の着物を着ている。

 振り袖には金糸で刺繍された菊が百花繚乱、咲き乱れ、帯は黒と金のシックなものだが、紅赤の着物を引き立てていた。


 振り袖から見ると女の子のようだが、中性的な美貌をしている。


 その黒い眼は眠そうに、とろんとしていた。


 そのため、表情は無くとも、ルリのような固い無機質な無表情ではなく、茫っとした柔らかい夢見る無表情に見える。


 怪しい繁華街をうろついていたら、危ないおじさんにお持ち帰りされてしまいそうな子供だった。


「え〜〜っと、迷子かい?」

 じっとアキトの素顔を見つめている子供は、返答する素振りも見せない。


「離してくれないか?」

 アキトが優しく問いかけるが、子供はふるふると首を左右に振った。


「……参ったな」

 一言も言葉を発さない子供に、アキトは渋面を作る。

 バイザーとマントは着けてないものの、全身黒衣に身を固めた青年と、鮮血のような赤い振り袖を着た秀麗な子供。

 目立つなどと云うものではない。道行く全ての人々の注目を集めていた。


 だが、邪険には振り払えない。相手は子供である。




「アキト君。待った?」

 白地に金のチャイナドレスを着た玲華が、アキトに手を振る。



 ショックを受けたようによろめいた子供は、じっと玲華の清華な美貌を見つめた。


 子供の子犬のような黒い双眸に見つめられた玲華は小首を傾げる。


 と、突然、子供はアキトから手を離し、パタパタと逃げていった。



 言葉無く、その後ろ姿を見送った二人だったが、しばらくしてから玲華が口を開く。


(あたし)が見たところでは…………アキト君に恋して、(あたし)を恋人だと勘違いして…………失恋したと思って逃げていったとか…………」


「…………」

 アキト自身もそう思っていた為、反論が出てこない。



 玲華は真顔でアキトに尋ねた。

「アキト君。あなた、なんかの媚香(フェロモン)だしてない?」


 深い溜息を吐くアキト。

「出してない…………と、思いたいんだがな




 沈欝に沈むアキトの右腕に、腕を絡めた玲華が極上に微笑んだ。

「ま、それはそれとして。アキト君。
 今日は目一杯、楽しむわよ」




*




「な……なんだ、ここは!?」



 玲華に案内された、ガニメデにある街を見、アキトは驚愕の叫び声を上げた。



 一言で言うなら、その街は『3次元的』に不可解な構造をしていた。




 厚さ50センチ、幅1メートルの朱色の重力制御板を何枚も重ねて敷き詰めてある、重力方向が一定してない不思議な街だった。


 眼の前の橋の上を、キムチ用の白菜を山ほど積んだ荷車が、バッタに引かれていく。

 その橋の裏では、逆さになって薪のような漢方を売っている露天商。


 今日は火曜日。『観日』や『鑑賞日』と呼ばれているように、ゲキ・ガンガーの放映日にあたる週一の休日である。その為、毎週火曜日は家々の窓からゲキ・ガンガーの掛け軸が掲げられていた。


 なぜか、道端に小さな稲荷の祠と媽祖の祠が並んでいる。

 横の壁を天井に向かって、ゲキ・ガンガーのお面をして走って行く子供たち。


 人々が、混雑した中央の大通りを行き交っている。

 その隙間を縫うように、バッタに引かれた荷車が進む。その荷車には商品が山のように詰まれていた。

 中には紐でつないだ鶏を生きたまま、運んでいる荷車もある。


 その大通りの両側には様々な露天店が並び、人々の眼を楽しませていた。



 目測で、高さ300メートルほどある天井には、逆さになった瓦屋根の石作りの民家が立ち並び。その前の道には干した洗濯物がはためいている。

 天井通りの両脇には、食物屋台が所狭しと店を広げていた。


 街中には激我と書かれた幾つもの提灯型ランプが煌々と明かりを放っており、そのオレンジの光が当たらない裏路地は、薄暗闇に包まれている。


 その薄暗闇の一角では、テレビの代わりに12個の小型チューリップを麻縄で縛り、木箱の上に重ねて並べ、そこに映し出されているコバッタレースに多くの人が群がっていた。

 その横には赤の三角錐屋根の小さな小屋――配当換金屋がある。




 その案内された街――『激華街』を見て、アキトは眩暈を起こした。

 すでに木連には慣れ、大抵の事に動じなくなっていたアキトが…………である。




 そんなアキトを見、玲華は悪戯が成功したような会心の笑みを浮かべていた。


 アキトの手を握り、玲華は歩きだす。


「さあ、行きましょ。

 あっ!! 気をつけてね。
 朱色の床以外を踏むと、最悪、真上に落ちたり、真横に叩きつけられたりするから」


「こんな迷路みたいな街で、よくここの住民は迷わないな」

「あら、迷うわよ。
 表通りはまだしも、裏路地はここの住民でもわけのわからないことになってるから。
 行方不明者も年に数人、出るらしいし」

「…………だろうな」


「それから、この街はね。物を投げるのは禁止よ。
 どこへ落ちるのか判らないから。
 と云っても、子供たちはゴムボールを投げて遊んでるけど。

 あたしも小さい頃やったけど、けっこう面白いのよ。
 右に向かって落ちていたボールが突然、真上に方向転換したりね。
 (あたし)が見つけた場所は、こう、歪な螺旋状にボールが飛んでいくの」

 玲華は人指し指を螺旋に回した。


「この街は、住民個人の都合で勝手に路地を変えてしまうから、今もあるかわからないけどね」



「でも、なんでこんな街が?
 他の街はもっと、きっちりしていたが」

「木連の創造期、今のように重力制御装置が高等ではなかった時代があったの。
 初期重力制御装置は3メートル程しか効果範囲がなくてね。
 それを、鉄鋼の板に仕込んで使ってたんだけど……。

 他の町は区画整理されて、計画的に建造されたのに対して、この街の住人は自分の好き勝手に建築し始めたのが原因。
 先祖代々、街の人はこれが『便利』だと思っているわ」

「…………なるほどな」




 大通りに下りたアキトたちを様々な物品が出迎えた。



 見ていると引き込まれてしまうような不思議な模様の絨毯を店前に掲げた絨毯屋。


 その隣には、下駄のワゴンセールを実施中の雑貨店。


 その脇は、宝石と見紛うような繊細複雑なビーズ工芸品の露天商。


 その対面の店には、藍染のゲキガン手拭いが並べられている。


 隣は、今にも崩れそうな掘っ建て小屋の漢方薬の専門店。


 その店に対して垂直に立っているコバッタの部品(パーツ)屋。

 二年前に自作コバッタが大流行し、数多くの部品屋が乱立したが、ブームが去った途端、軒並み閉店した。

 今、残っている店は、その時の名残である。



 玲華の先導でアキトたちは、露店を冷やかしていく。


「なんか、いろんな物が売ってるんだな」

「ええ、そうよ。
 ここに来れば、普通では手に入らないようなものでも大概の物は揃うわ。
 品質は一切、保証しないけどね」


 アキトと手を繋いでいる玲華が苦笑を浮かべた。

「それに、気の弱い人間が買い物すると、注文した物と違う物を買わされるの。
 八百屋なんかに行くと、店員が勝手に献立を決めちゃうのよ」


「よくそれで、店が成り立つな」

 ラーメン屋台経験者のアキトが、複雑な表情を浮かべる。


「ここは、客のための商人の街じゃなくて、個人客相手の商人の商人による商人の街なのよ。
 客の都合なんか、お構いなし。

 如何にして、自分にとって都合の良いものを、客に買わせることが出来るか。
 彼らは、それが『商売上手』だと思っているわ」


「所変われば、文化も変わるか」


*




 『外代料理亭』


 玲華に案内された料理店は、西洋と中華がブレンドした、感じの良い料理店だった。


 チケットを渡すと、給仕に奥の円卓の席へ案内される。


 薄暗い店内では、静かな曲調でピアノが演奏されていた。

 旋律はゲキ・ガンガーの主題歌だが、1オクターブ下げ、スローテンポのアレンジをされていて、一遍聞いただけではゲキ・ガンガーの主題歌だと判らないほど、落ち着いた曲調に編曲されていた。



 蝋燭の炎に見立てた蝋燭型ランプがオレンジ色の淡い光りを放っている。

 そのオレンジ色の柔らかな光が、円形のテーブルを包み込んでいた。


 コロニーでは極力、火は使わない。否。使えない。

 皆が火を使えば、あっさりと酸素不足に陥るからだ。


 家庭用コンロは殆ど電熱器だし、強力な火力を必要とする料理店や、まれにガスを使用している民家もあるが、そのガスもガス自体に酸素が含まれ、且つ、二酸化炭素が出ないものとなっていた。

 火を使う例外は、煙草くらいのものである。



 アキトと玲華の前に、数々の海鮮料理が並べられた。


 木連では海鮮料理も、牛肉ほどではないが、滅多に食べられない高価な食事だった。



 白身の煮魚を長い箸で解しながら、アキトは感慨に浸る。


 冷凍でない魚介類を食べるのは、もう何年前になるだろう。

 ナデシコでも魚は食べられるが、保存が効くように全て冷凍だった。



「うん。旨い。
 素材の味を殺してないし、丁寧に調理してある。
 ホウメイさんには及ばないけど、一流の料理人だ。
 木連にも、こんな人間がいるんだな」

「ここの料理長は『外代一清』って云って、木連最高の料理人よ」

「そんな所のチケット。高かったんじゃないか? 玲華さん」

「ダメよ。逢い引き(デート)中に値段の事なんか聞いちゃ」

「そうなのか?」

「そうよ」



 料理は人を写す鏡でもある。

 この料理は、派手さは無いものの、真剣に料理に向き合っている料理人たちの心意気が感じ取れた。




「ねぇ。アキト君」

 玲華の囁くような低い声に、アキトは箸を置いた。


「なんだ?」

(あたし)のこと、どう想ってる?」



「…………」



「…………答えてくれないのね」


「…………すまない」



「そう。

 なら、聞きたかった別の質問を。
 アキト君。あなた、人を殺したことある?」


「ああ。数え切れないほどな」



「そう……やっぱり……(あたし)と同じね」

「同じ?」


(あたし)が昔、海賊だったこと、誰かに聞いてる?」

「波月ちゃんから、少しな」


「ねぇ。アキト君。海賊はどうやって、食料を獲ていたと思う?

 自給自足? 無理よ。
 そんな甘い所じゃない。

 民間船や輸送船を襲って、食料や生活必需品を強奪していたのよ。

 奪って殺して犯して滅する。

 物心ついた時には、(あたし)の世界はそうだった。
 そして、妾はそれは当たり前のことだと思っていた。

 狩猟民族が狩りをする感覚で船を襲い、人を狩り殺した。

 海賊行為が悪行だなんて、士官学校に入学するまで知らなかったわ」


 玲華は白ワインで喉を湿らせてから、独白を続ける。

「木連は、体制の中にいる者には寛大だわ。
 でも、その外にいる者には、徹底的なまでに無関心なの。

 作物を育てるにはコロニー規模の施設が必要だし、日用品を作り出すにはプラントが必要よ。
 でも、体制から弾き出された者が、そんな物を用意できるわけがない。

 ここでは――木連では、社会の仕組みから外れた異端の者が自給自足できるほど、甘い環境じゃないの。


 あとは死ぬだけ。


 それでも、死にたくない者は、他者の物を奪わなくては生きられない世界だから。


 妾は生きていたかったから――殺した。

 他人の命を奪ってでも、生きていたかったから――――殺して殺して殺し廻った。


 勿論、殺した言い訳を環境のせいするつもりなんてないわ。
 妾は『鮮血鬼姫』になるべくしてなったのだから。

 だから、妾は――――」

 そこで言葉を切った玲華は、少し喋り過ぎたとばかり戯けた表情を見せた。


「ねぇ。アキト君。
 アキト君は、自分のことをどう思ってる?」



 自分のこと?


 自分のことなど、とうの『昔』に決めている。



「俺は、俺を許すつもりはない」




 即答したアキトに、玲華は冷笑を浮かべる。



「赦す? アキト君。
 たとえ、あなたが自分のことを赦しても赦さなくても、世界は何の関係もなく進んでいくわ。


 無邪気に不平等に容赦無くね。


 (あたし)は思うの。
 結局、(あたし)たちみたいな『殺人鬼』は、どうあっても自分自身に地獄の底まで付き合うしかないのよ」



「君に、俺の何が解る?」



 くくっと嗤った玲華は、楽しそうにアキトの瞳を覗き込む。





 暗夜に染まる黒瞳。


 琥珀に煌めく茶瞳。





「わかるわ。
 ええ。解ってしまうわよ。

 人の気持ちは、鬼には理解できない。
 鬼の生き様は、人には理解されない。

 でも、鬼には、鬼の心が解る。
 理解し、共感できる。


 人の道を捨てた復讐『鬼』の心意は、この鮮血『鬼』姫には解る。
 解ってしまうわ。


 君は鬼の道を歩みながらも、人の心を捨てられない。
 中途半端で、優柔不断。

 だから、悩み、苦しむ。


 『鬼』には、罪の呵責など存在しないからね。

 そう、妾みたいに(・・・・・)


 …………いや。違うか。

 君は人に留まりたいが為に、悩み、苦しんでるんだわ」


 そっと鬼嗤(ほほえ)む玲華に、アキトは返す。

「俺は……まだ、そこまで達観できちゃいない」


突き抜け(逸脱し)ちゃったとも云うけどね。

 …………まあ、悩んでいる方がアキト君らしいわ」


 眼を逸らしたアキトを、玲華は親愛の籠った茶瞳で見つめる。



 人は捨てられない(・・・・・・・・)

 だが、人にも戻れない(・・・・・・・)


 どうやって決着をつけるのかしら。



 ふふっと玲華は嗤った。


 やっとわかった。

 何故、(あたし)があなたに惚れたか。


 アキト君は、義兄(叶十)に、そして自分に似ている。



 人の心を捨てきれない鬼のアキト。


 鬼に成れるのに成らない人の叶十。


 人の擬態(マネ)をして生きる鬼の自分(玲華)



 三者三様に同族()匂い(気配)がするのだ。

 だから…………妾は――。


「玲華さん。
 確かに…………君は俺のことを――『復讐鬼』を『理解』できるんだろう。

 だが、今の俺は君の想いに答えることができない。
 いや、答えられる余裕がない」


 アキトの拒絶を受け取っても、玲華の微笑みは崩れなかった。



「あなたが、自分の心に決着をつけてからで良いわ。

 でもね――

 あなたに恋している女がいる。

 ここにあなたと同じ『もの()』がいる。

 それだけは覚えておいて」


「…………ああ」



 と、鳶色の瞳を琥珀色に妖光させた玲華は、獰猛な()みを浮かべる。


「ただし、(あたし)は『海賊姫(・・・)玲華(・・)だしね。

 欲しければ、押し倒してでも頂くわ。

 あんまり、じらすと襲っちゃうわよ」



 無言で身を退くアキトに、玲華は可笑(おか)しそうに笑い声を上げた。


「そんなことをしても、あなたは手に入らないから()らないけど」



*



 外代料理亭を出た玲華は伸びをした。

「アキト君。何処か行きたいとこある?」



 木連のことなら大抵のことは理解したと自負していたアキトだったが、『激華街』のような場所を見せつけられては、その自信は完全に崩れさっていた。

 にわか木連人に、まだまだ木連は奥が深すぎる。



「玲華さんの行きたい所を選んでくれ」


 アキトの手を握り、激華街の大通りを歩きながら玲華は考え込む。

「そうねぇ。アキト君が喜びそうな所となると……。
 桜庭園はまだ、桜が咲いてないし……あとは植物園か、カリストの氷の美術展か、エウロパの木星展望台か……。
 もしくは、エウロパ温泉の露天風呂『木連信玄湯』…………。

 あっ。そうそう、カリストの水族館『水中庭園』があったわ」


「魚の養殖場か」


「養殖場じゃなくて水族館よ。
 まあ、養殖も兼ねてるけど。
 アキト君……興味ある?」

「ああ、コックとしてね」


 半眼を差し向ける玲華。

「…………料理人からみれば、水族館も養殖場ね」



「ちょいと、お待ちを。
 ガニメデのいっち(・・・)を見ねぇで、ガニメデを語っちゃぁ、ならねぇでやんす」


 その声に驚いた二人は、足を止めて、勢い良く振り返った。

「夕薙!!」

「夕薙さん?」



 そこには、地球の青い空を思わせる蒼の服を着、めかした『西鳳夕薙(せいほう・ゆうなぎ)』が腰に手を当てて立っていた。

 夕薙が動くと、蒼い服の表面が小波(さざなみ)立った水面のような不思議な光を反射する。



「あなた。なんでここに?」

(ほむら)従兄さんの情報網でやんす」

「なっ!! 情報部をなんて事に使っているのよ」

「焔従兄さんなんか、8割は私用で使ってるでやんすよ」

「あの…………イカレポンチ…………。
 だから、地球に勝てないのよ」

「…………それには、同感でやんすね。
 ま、それはそれとして…………。
 玲華。ちょいと」


 夕薙は有無を言わせずに玲華の手首を掴むと、薄暗闇に引っ張った。


「玲華。抜け駆け無しって、約束したでやんしょ」

 声を低くする夕薙に、玲華も囁き声で返す。

「あ、(あたし)は、アキト君を案内してるだけよ。
 約束は破ってないわ」


 その言い訳に、眼を眇める夕薙。

「へえ。なら、逢引(デート)でなければ、あたくしが居ても問題なしでやんすね」

「えっ!?」


 そこで、アキトに聞こえるように、夕薙は声を大にする。

「じゃあ、あたくしもご一緒するでやんすよ。
 ガニメデのことなら、あたくしにお任せで。
 ねぇ、玲華」

「………………しまった」


「こちらへ。案内しやす」

「あっ、こら。待ちなさい!!」



*


 今、アキトたち三人は、往来の注目を一手に集めていた。

 清華な美女と端整な美女を連れているのだ。

 女性の人口が少ないと云うことも相俟って、嫉妬の的になっている。


 もっとも、玲華を右腕に、夕薙を左腕に絡めている有り様は両手に華と云うより、二人の凶悪な視線に挟まれてアキトの顔色が青白くなっているせいで『連行されている駄目男』と云った方が近い姿であろう。




「女子を侍らして、豪遊とは良い身分だな。
 テンカワ・アキトとやら

 突然、三人の行く手を阻むように、大男が大通りの真ん中に立ち塞がった。


「だれ?」

「お知り合いでやんすか?」


 玲華と夕薙の視線に、アキトは首を振る。

「いや。初めて見る顔だ」



「俺の名は木連式『覇陣流』柔、宗主。

 
岩峰大五労(いわみね・だいごろう)』よっ!!

 今から、貴様を地に這い蹲せる男だ。覚えておけ。
 ふんっ。貴様のような優男に、叩きのめされるとは、『極破』の連中も墜ちたものだな」

「覇陣流? 聞いたことないわね」


 極破の名に眼を眇めるアキト。

「なるほど……これが、波月ちゃんの言っていた『挑戦者』ってやつか」

「たしか、旋牙流の亜流でやんすよ。
 もう潰れた流派だと思ったでやんすが」

 岩峰が指を鳴らすと、三人を取り囲むように十数人の男が現れた。


「ぬははははは。テンカワ・アキト。
 二人を庇いながら戦えるかな?」


 岩峰の声に、棍や木刀を構えた男たちの輪が狭まる。


「あら、楽しませてくれるじゃない」

 軽い口調で言い放った玲華が夕薙と眼を見交わし、互いに不敵に笑い合う。


「アキト殿。今、雑魚を一掃しやすので、ちょいとお待ちを」

「夕薙。あの道場主らしき男は、倒しちゃ駄目よ。
 アキト君の分だから」

「へえ。わかっておりやすよ」


 すっとアキトから腕を抜くと、二人は手近にいた男に襲いかかった。



 夕薙はするっと、相手の内側に入り込み、一瞬で、梃子の原理で腕の間接を極め、木刀を持っている手の甲を手刀で一撃する。

 木刀を取り落とした男を、間接を極めたまま、投げ飛ばした。



 "木連式蓬雅流柔『四方投げ』"

 ズダン!!



 男を地面に叩きつけた夕薙は、地面の木刀の端を踏みつけ、反動で宙に跳んだ木刀を掴んだ。




 玲華は低い姿勢から、足払いを掛ける。

 男はジャンプして避けると同時に、棍を振り降ろした。

 それを左に避けた玲華は、地面に左手を付き、足を蹴りあげる。



 "木連式幻賊流柔『連環穿弓腿』"


 腹に蹴りを喰らわし、顎に蹴りを突き刺した玲華は腕の力だけで跳び上がり、棍を搦め捕って男の後頭部を強打した。





 ざわっと、取り囲んでいる男たちがざわめく。



 そんな彼らを無視し――


「玲華!!」

「夕薙!!」


 玲華と夕薙は、木刀と棍を互いに投げ交わした。



「覚悟はよろしいでやんすか?」

 夕薙が殺気を漲らせて棍を構える。


 受け取った木刀を二、三回振った玲華は、楽しそうに()みを浮かべた。

「さぁて、楽しむわよ」




 それからの攻防は、まさに一方的だった。

 二人が、十数人の雑魚を一掃したのは、わずか三分後。



「それでも、木連男児かやっ!!」

 二人に掠りもせずに倒れ伏した男たちに、夕薙は一喝する。




 自分の門下生たちが、あっさりと叩きのめされた道場主は、信じられないものを見るように、眼の前の二人を凝視していた。


「ま…………まさか……おまえらは」



 木刀を肩に担ぎ、隙だらけのように見えて全く隙の無い白と金色の服の女性と、
 一分の隙もなく棍を構える蒼い服の女性。



「鬼姫の玲華!! 蒼狼の夕薙!!」



 玲華の殺鬼の眼が琥珀に煌めき、

 夕薙の餓狼の眼が蒼紺に輝く。



「な、情けないぞ、テンカワ・アキト!!
 護るべき女人に守られるとは!!」


 蒼白い顔を晒している岩峰を、玲華は嘲笑する。

「大勢で独りを襲うのは、情けなくないのかしら?」


や…………八月蚊(やかま)しい!! 鬼姫!!
 男の尻を追いかけ、海賊を辞めてから初めて、その男に婚約者がいたこと知り、
 なおかつ諦め悪く義妹として傍にいるような腑抜けた海賊くずれに、そんなことを言われる筋合いないわっ!!





 ブッツン!!


 玲華の理性がぶち切れる音を聞いたような気がして、アキトと夕薙は思わず一歩退いた。





 玲華から、圧力を感じるほどの鬼気と殺気が迸る。


「ほ〜〜。人の失恋の傷口を広げるのがそれほど面白れぇか?
 塩を塗り込むのが、そんなに楽しいか?

 
ああっ!! 鬼を嘲笑して、まさか無事に済むとは思ってねぇよな?

 
あたい(・・・)を本気で怒らせたんだ。

 
五体満足で帰れると思うんじゃねぇぞ。屑野郎っ!!

 
そのクソな言葉をベラベラまき散らす舌を引き千切って、尻の穴から食わせてやるよ!!


 
さあ、楽しませてもらおうか」





 血の気が引いた青白い顔色の岩峰は、完全に腰が引けている。




 一切の慈悲の消えた冷眸を見せる玲華が、一歩踏み出す。

 と、玲華の前に、制止させるように手の甲が差し出された。



 玲華は手の持ち主に視線を移す。

 その視線の威圧の凄まじさに、一般人なら間違いなく気絶してるだろう。

 だが、その相手も、一般人にはほど遠かった。




 『鬼』姫・玲華の琥珀に光る茶瞳と、

  復讐『鬼』・アキトの闇冥の黒瞳が交差する。




 アキトが、薄く嗤う。

 玲華は、微かに()んだ。




 鬼気を消した玲華が無言で下がり、アキトは足を踏み込んで構える。



「は、は…………は、ははは!!
 やはり、女などに――」




「御託はいい。かかって来い」





 ムッと顔を歪めた岩峰は、ぐっと拳を突き出した。

「我が右手は、覇陣の力!!

 我が心は、覇陣の法!!

 我に破れぬ者は無し!!


 
征くぞ!! テンカワ・アキト!!」



 真っ直ぐに突進した岩峰は、

「ハッ!!」

 気合とともに両掌を突き出す。


 アキトは右腕で両腕を叩き落とし、身体を回転させて裏拳を振り下ろす。


 ゴッ!!


「ヌゥ!!」

 額に、まともにぶち当たった裏拳を岩峰は気合いで耐え、そのまま、頭突きを放ってくる。



 右手で剃らし、反才歩で左横に回り込んだアキトは、大きく前に飛び出し、

 右足を震脚させ、身体を捻り、腰を沈めると同時に、右拳を岩峰の腹に叩き込んだ。



 ズドン!!


 "木連式極破流柔『冲捶』"



「ムダムダムダァァッ!!」

 岩峰は、アキトの中段突きを腹筋で耐えきった。



 アキトは眼を瞬く。

 この岩峰という男、恐ろしくタフだった。


「フン!」

 荒い鼻息とともに、ぶん回される右腕を、距離を取って冷静に避けるアキト。



 岩峰は岩石のような顔を歪めて嗤う。

「ヌハハハハハハハハハハ。

 木連式72錬芸の一つ『金散布』をやっているこの俺の鋼鉄の身体に、

 
そんなヘナチョコ拳なぞ、効かんわ!!

「錬芸……って、まだ、あんなのやってた人間がいたの?」
 「こりゃ、びっくり驚嘆でやんすねぇ」

「ふん! 驚愕のあまり声も出ないか」

「あれ一つ極めるのに、3年から4年はかかるのよ」
 「へえへえ。それも、廃れた原因でやんしたな」

解ったか。貴様が勝つ可能性など存在しないのだ!!」

「ええ。金散布を極めるなら、防弾服を着た方が早いし」




 アキトは岩峰の啖呵を聞き流しながら、右手首を回していた。





 雄大な木星を背に、岩峰は右掌を天高く掲げる。

「ヌオォォォォォ!!

 
我が心が討ち奮える!!
 敵を討てと木星が吼えている!!


 
覇陣の刻印(しるし)を掲げて、我、敵を粉砕す!!

 覇陣流秘伝!!

 
黄金熱叫掌ぉぉぉぉぉっ!!」




 突き出された掌底を紙一重で避けたアキトは、拳を岩峰の脇腹に密着させた。




 アキトはその場で、鋭い震脚。


 ドンッ!!

 "木連式極破流柔『暗勁寸打』"



 岩峰は2メートルほど吹っ飛び。その場に、うつ伏せに崩れ落ちた。



 だが、岩峰は気絶していなかった。

 呻き声を洩らしながら、なおも立ち上がろうとしている。

「……ぐ」




 アキトは、自分の拳を眺め、手のひらを握ったり開いたりしていた。


 やはり、筋力の減りで、刹那のタイミングが狂うな。

 それに、背筋力がついていないから、発勁の増幅がまだ甘い。

「ぐぐ…………」


 修練あるのみ……か。





「ぐぬはぁぁぁぁ!!
 俺は負けられん!!
 負けられんのだぁぁぁぁ!!」


 岩峰は気勢を発して立ち上がった。



 天に向かって咆哮する岩峰。

「辛酸を嘗め続けた月日も、これで終わりにしてやる!!
 あの日の敗北を取り戻すのだ!!



 あの日の。



 
そう、あの日から俺の辛酸は始まった!!

 あの日!! 木連式水蓮流柔宗主『波月』に、門下生と親父を惨殺されてから!!」



 アキトの眉がぴくりと動く。



「まだ、十に満たない女児に道場主を殺された噂が広まり、『覇陣流』の名は…………地の底に……没落した



 玲華と夕薙が同時に溜息を吐いた。



「だがっ!! 俺は木連式覇陣流柔を復興させる!!
 その為には、手段など選ばん!!
 先祖代々継いでいる我が流派を、俺の代で終わらせてなるものか!!


 
『覇陣』の名にかけて!!」



 ビシッ! とアキトに太い人差し指を突きつける岩峰大五労。


「光栄に思え。テンカワ・アキト。
 貴様の名は、俺の復興の足がけとして、『覇陣』の歴史に刻んでやろう。


 ふっ。わかったか?


 
俺と貴様では、背負っている重さが違うのだぁぁぁぁぁぁ!!」













「言ったはずだ。御託はいらないと」



 至極あっさりと、アキトは切り捨てた。









 岩峰はギリッと歯を鳴らす。


「貴様の負けは確定している。
 『覇陣流』奥義、とくと味わえ!!」


 右拳を大きく引いて構える岩峰。

 対象的に自然体に構えるアキト。



「うおぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁ!!」

 フェイントも牽制もない、真っ直ぐな右ストレートのパンチ。

 たった一つの技を何百万回と繰り返し、一撃必殺の技に昇華するのが覇陣流の基本であり、秘伝であり、奥義だった。


 アキトは、岩峰の打突を左腕で外側に払うと同時に、右拳を下方から振り上げ、鳩尾を狙う。


「甘いわ!!」

 鳩尾の一撃を防いだ岩峰の左腕を、アキトは瞬時に掴んで押さえ、左掌底で顎を打った。


「ウゴッ」


 左腕を押さえられ、岩峰は防ぐことも出来ず、掌底を顎にまともに喰らい、仰け反った。


 一歩踏み出したアキトは、闊歩すると同時に、仰け反って隙の出来た岩峰の左胸に、左肘を()ち下ろす。



 ドゴッ!!


 ”木連式極破流柔『開門左頂肘』”



 上から()ち下された左肘と、膝裏に密着した左足との、梃子の原理によって、岩峰は後頭部から地面に叩きつけられた。


 アキトは、トドメに脇背の腎臓へ、踵を蹴り落とす。



 アキトの流れるような一連の攻撃に、岩峰は完全に気絶した。

「あれは……極破の『六大開』の一つでやんすよ」
 「そうなの? よく知ってるわね」

 起き上がってこない事を確認したアキトは玲華と夕薙に近づき、親指で背後を指した。

「あいつら、どうする?」

「勿論、放っておくでやんすよ」

「いいのか?」

「いいのよ。波月に直接あたらず、アキト君を襲う奴なんて」


「へえ。アキト殿に負けて、あたくしたちの刀と槍に手も足も出ねぇところを見やすと、波月には『瞬殺』されそうでやんすけどね。
 相手にされねぇ可能性もありやすけど」

「相手はしてもらえるわよ。
 『敵』になれば……自分の命を狙われれば必ず殺す()だから。

 たとえ、それがアキト君や(あたし)たちでも躊躇無く……ね」


 渋い表情の玲華と、やりきれない表情で天を仰ぐ夕薙。


「それが……『修羅の波月(化け物)』たる…………所以でやんしたな」







*






 夕薙が案内した、密閉されたコロニー・ドームの中は、何の変哲もない花畑だった。


 高さが膝上ほどの緑の草が、一面に生い茂っている。

 四枚の白い花弁が筒状に花開き、中心に雄しべと雌しべが揺れている握りこぶし大の花が、一本の草に四、五個、開花していた。

 緑葉は笹のような流線型で、先の尖った形をしている。


 その一種類の草花だけが、コロニー、一面を覆っていた。

 たしかに花は可憐だが、雑草と言われても、違和感のない草だ。


 だが、夕薙が自信を持って案内したのだ。

 これで終わりなはずないと、二人は確信していた。


「石畳以外は、踏まねぇでおくれやす。
 この花は踏まれると、枯れるんで」

「弱い花なのね。
 でも(あたし)、こんな花、見たことないわ。
 まあ、妾は、あまり草花のことは詳しくないけど」


「こいつは、蛍雪(けいせつ)草と呼ばれてる花でやんすよ」

「蛍雪?」

「へえ。すぐにわかるでやんす」

 夕薙は自信を持って、微笑みを浮かべた。



 ふと、アキトが地面を見下ろした。

 この感覚は…………。


「夕薙さん。
 ここの重力って、火星と同じゃないか?」

「へえ。その通りで。
 ちょうど、0.38Gに合わせてありやす」

「あら。通りで身体が軽いと思ったわ」



 徐々に太陽偏光鏡が沈む、と同時に暗闇がドームの中を染め上げていく。

 互いの顔も見えなくなる暮夜が花畑を支配した。


 ドームの円蓋天井は透過しており、木星が雄大な姿を晒している。


「あっ!?」

「なっ!!」

 玲華とアキトは驚きの声を上げた。


 闇の中、花の部分が蛍のような黄緑色に発光し始めたのだ。

 葉の部分も葉脈に沿って緑色に発光する。



 また一つ、また一つ。白い花弁が黄緑色の淡い光を放ち始める。

 やがて、コロニー内全ての花が、そして葉が黄緑の蛍光で染まった。

 その蛍光の光が、コロニーの微送風にさわさわゆらりと揺れ光る。



 全ての蛍雪草が発光すると、足元が仄かに見えるほどの明るさまでになった。

「す……すごい」

「これもまた……とんでもないな」


 玲華は屈んで、花弁に触れる。

「花……熱くないのね」

「へえ。ルシフェリンっていう発光物質が酸化することで光るんでやんす。
 光変換率が9割(90%)以上だから、冷光とも呼ばれてるんでやんすよ」

「こんな花が、木連にあったなんて(あたし)、初めて知ったわ」

「この研究機関を知っているのは情報部だけ……いや、違いやすね。
 情報部でも知ってる人は少ねぇんで。
 あたくしは、特別に焔従兄さまに教えて貰ったんでやんすよ。

 このガニメデのいっち(・・・)でやんす


「ああ、確かにな」

「う〜〜ん。認めざるを得ないわね」



「この花は増やすのが大変なんでやんすよ。
 温度や気温が変わると、あっさりと枯れるし、受粉の確率はわずか一分(1パーセント)


「こんな花。どこで創ったの?」

「ちげぇやす。見つけたんでやんす」

「見つけた?」

「へえ。木星の遺跡からでやんすよ。
 初めは、植物型古代人の種じゃないか? な〜んて、話も出ていたそうで。

 まだ、軍人になったばかりの焔従兄様が、それは11億年前の古代火星で生えてた植物だと主張して、他の研究機関を振り切って、焔従兄様主導で培養を進めてきた結果が、この『花畑』でやんす」


「これが……古代火星に?」


「へえ。と、言いやしても、まだ諸説紛々状態でありんす。
 まあ、植物型古代人の可能性だけは無くなりやしたが。

 さて、そろそろでやんすよ」


「まだ、何かあるのか?」

「へえ」

 アキトの問いに、くすっと笑みを浮かべる夕薙。




「こ、これは?」


 屈んで蛍光に光る花を見ていた玲華の前で、筒上の花から黄緑色に光る細かい粉がゆるゆると立ち昇り始める。



 驚いて立ち上がった玲華は、周りの花すべてから、光る粉がゆっくりと沸き昇ってるのに気付いた。




「蛍雪草の花粉でやんすよ」

「花粉? これが?
 でも、さらさらしてるし、手にだって、服にだってくっつかないわよ」

「だから、受粉率一分(1%)なんでやんす」


 花粉が気流と木星の潮力によって、一メートルほどの高さまで浮き上がってくる。




 蛍光に光る水面のような眺めだった。


 微風によって、光る花粉は流れ渦を巻き、対流を起こしては、また浮き上がってくる。

 留まることなく、流水のように流れ動いていた。




「人体には、影響ねぇでやんすよ。

 くしゃみが出る程度で」


 玲華が手で掬うと、さらさらと指の間から流れこぼれる。

「蛍雪草……だっけ、公開すればいいのに」

「駄目でやんすよ。木連中の人が集まって来てしまいやすから。
 もう少し、丈夫な草に品種改良できたら、ガニメデの植物園に移動させる予定でやんすけどね」



 あらぬ方向を見て惚けているアキトに、玲華は気づいた。

「どうしたの? アキト君」

「ここから見る木星は、格別だな……と、思って」


 花粉が黄緑に光り揺れ、蛍光に灯る海のようだった。

 その上には、木星が広大な姿を観せている。

 天の3分の1を占めるほど圧倒している木星。



「黄緑の光る海から昇る木星か……。
 地球の佐世保で、生まれて初めて海の地平線から昇る太陽を見たときも感動したけど、この光景も劣らないな」



 アキトの左腕に、腕を絡める夕薙。

「あたくしは、その地球の海と云うものを一度で良いから、この眼で見てみたいでやんす」



 玲華が、アキトの右腕を抱き寄せた。

(あたし)は夕日ってやつを見てみたいな。
 空が、赤くなるって本当なの?」



「地球との和平がなれば、いくらでも見れるさ」

「…………そうね。
 そんな日が来るといいわね」



「来るさ。
 いや…………来させてみせる」

「へえ。そうでやんしたね」

「ええ」




 三人は互いの眼を見交わした。



「「「必ず」」」






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