翌朝。


 簡単な地図を描いて貰い、ルリとアレクは、早朝にシェルターから出発した。

 そんな二人に、せめてもと水と食料を押しつけるように手渡したシェルターの人々に見送られ、ルリとアレクは空軍基地に向けて歩き始めた。



 歴史ある石造りの街は、壊滅的な打撃を受けていた。

 そこに、繁栄を誇った姿は、影も形も見られない。



 一言で言うならば、壊滅した廃墟。



 瓦礫の山と、倒壊した建物。


 散乱しているガラス。


 ひしゃげ、黒こげになっている自動車。


 火花が散っている電線。


 破裂し、水を吹き出している水道管。


 炎に捲かれ、炭化した樹木。





 そして…………夥しい数の死体。




 二人は、手を握り合って街を歩いていく。

 まるで、互いに縋り付くように、しっかりと。




 行方不明者の名前が掘ってある石。


 壁に掘ってある十字架と、祈りの文句。


 死んだ子供二人と手を繋いだまま、地面に倒れている女の骸。


 公園の池に浮く、十数の膨張した亡骸。


 子供をかばって、炭化した女。その子供も息絶えている。


 遺体の赤ん坊を水に浸けたまま、炎に焼かれた白骨。


 炎で焼け爛れ、小さく縮れた男。


 壁に凭れて、両足を投げ出し、喉元からの血で服を赤茶に染め、白濁した虚ろな眼を開いて事切れている女の子。


 黒く焦げた車に取り残され、煙で窒息死した四人家族。


 逃げる時に、群衆に踏みつぶされ、折り重なって死んでいる子供たち。


 火に取り囲まれて、焼け死んだ十数人の奇怪なオブジェのような、炭化した黒い固まり。


 消火水に浸かって、白骨化した親子。




 初めは死体を見るたびに視線を逸らしていたアレクも、市街の中心地に近づくに連れて眼を逸らすことすらしなくなった。





 心が摩耗していく。


 精神が擦り切れていく。


 感性が疲弊していく。





 ぎゅっとルリの手を握ったアレクは、呻くように、唸るように声を軋らせる。



「嘘だ」





「戦争が格好良いなんて…………嘘だ」





「戦争を仕掛ける奴が正義だなんて…………嘘だ」






「殺すことが上手い奴が、勇者だなんて…………………………嘘だ」





「多くの人間を虫けらのように殺した奴が英雄だなんて……………………絶対に嘘だ!!








 青く蒼く碧く凄烈なほど澄んでいる蒼い空。





*



 市街地を抜け郊外まで出ると、建物が少なくなり、それに呼応するように死体も減っていく。


 焦臭い腐臭混じりの風から、この土地本来の爽やかな涼風が二人の頬を撫でる。



「あれはなんですか?」

 ルリは立ち止まって、広大な敷地に立つ建物を見上げた。


 未だに手を繋いでいたアレクが慌てたように、ルリから手を離す。

「あ……あれは、大学だ。
 確か、工学系の大学だったと思う」


「大学?

 もしかしたら、データ端末があるかもしれませんね」


「データ端末って?」

「自然災害に備え、主な公共機関などに情報端末の設置が、60年前に国際法で義務づけられましたから。
 その端末から、空軍基地までの詳細な地図を出力できるかもしれません」


「行くのか?」

「はい。行きましょう」







「へえ〜。大学の中ってこうなってるのか。
 やっぱ、中学校(ジュニア・ハイ・スクール)とは違うな〜〜」

 キョロキョロと辺りを見回しながら、アレクは歩いていく。



 整えられた緑の芝生。


 冷たい水を循環させている噴水。


 テラスに配置されているシックな木製の円卓と丸椅子。


 無闇に大きい建物。


 そこは、典型的な大学の風景だった。



 人が全くいないことを除けば。




 と、ルリがアレクの腕を掴んで引き留めた。


「どうしたんだ? ルリ」


 ルリのバイザーに幾何学模様が浮かび上がっている。


 振り返るアレクの視線の先には、一匹のバッタが四つ眼を赤光させていた。



「なんで、こんな人がいない所に!?」



 アレクが叫び声を上げると同時に、ルリはバッタに向かって走り出した。


「ルリ!!」


 アレクの驚愕の愕声を背後に、さらにルリは加速する。



 突き出されたバッタの足を、ルリは身を沈めて躱した。



 ”木連式水蓮流柔『通天――

 ルリは濡れた芝生に足を滑らせる。



 しまっ――




 ガツッ!!


 横薙に薙いだバッタの前足に、ルリは吹っ飛ばされた。



「ルリ!!」


 壁に叩き付けられたルリの揺れる視界に、アレクが駆け寄ってくるのが映る。



「た……対人ディストーション・フィールドを展開させるのが……あと0.2秒遅かったら、首を…………もぎ取られてました」

 肩を震わせ、ルリは荒い息を吐きながら呟いた。



「バカ!! バッタに生身で突っ込むなんて、正気かよ!!」

 ルリが生きていることに、安堵したアレクは次の瞬間、怒声を浴びせた。


「一応……正気のつもりですが」


「アホ!! 生身でバッタを破壊できる奴なんて、映画に出てくるような『化け物』だけだ!!
 現実と空想をごっちゃにするな!!」


 何が面白かったのか、微かに頬を緩めるルリ。

「そうですね。『人』と同列に考えたら、『化け物』に失礼ですよね」



 アレクは振り返り、ルリを庇うように、バッタの前に立ち塞がる。


「アレク。どいてください」

「嫌だ!!」


 どこからか拾ってきたのか、鉄パイプを構えるアレク。

 だが、アレクにもわかっていた。そんな物では、絶対にバッタは倒せない。


 ルリは立ち上がろうとしたが、先のショックと衝撃で膝が笑い、立ち上がれない。

「アレク!! どいて!!」


 ルリの叫びを無視して、アレクは鉄パイプを振り上げる。




 赤い線光が宙を疾しり、バッタの眉間で、三度、火花が散った。




 とっさにアレクの上着を引っ張ったルリは、倒れ込んだアレクを後ろから抱き抱え込む。



 ドォォォン!!


 二人の眼の前で、バッタが爆破飛散した。



「誰だか知りませんが、もう少し考えて助けて欲しいものですね。

 …………いや、マジで」


 ぼそっと呟いたルリが、対人デストーション・フィールドを切ると、視界の歪みが消え、熱風が吹き付ける。



「大丈夫か?
 早く、こっちに来い!!」



 首を巡らせて声の出所を確認したアレクは、ルリの手を握り駆け出した。



「怪我はないか?」

 二人を見下ろしたのは、旧式のライフル銃を持った長身の男だった。

 背が高いと痩躯に見えるものだが、この男は何かスポーツをやっているのか、引き締まった体躯をしている。


 茶色の瞳に、背中まである黒の長髪を背中で縛っていた。

 肌の色は黄色だが、顔の彫りは深く西洋人と東洋人のハーフのようである。



 光が溢れるような金髪、緑玉のような緑眼、磁器のような白い肌のアレクとは対象的な男だった。



 60センチは背丈の違う男に、アレクがつっかかる。

「あぶねぇな。殺す気かよ」

「スマン。あんなに派手に爆発するとは思わなかった。

 爆発に巻き込まれなくて何よりだ」


「助かったけどさ。
 ありがとう。兄ちゃん。

 俺の名は『アレキサンドライト・トパズ』
 アレクって呼んでくれ。

 こっちは、ルリ。俺の命の恩人だ」



「俺は、『ヴァン・リー』
 ヴァンでいいさ」


「ヴァンさん……でしたか。
 どうして、ここに残ってるんですか?」

「ん? ああ。
 人がいないから、木星蜥蜴が滅多に来ないのと、
 ここには学生が持ち込んだ保存食が大量にあるし、水も出るからな。
 シャワーもあるぞ。太陽発熱だから一応、まだ湯も出る」


「シャワーですか?」

「ルリ、浴びてこいよ」

「アレク、先にどうぞ」

「こういう時はレディー・ファーストだ」


「私は端末から情報をダウンロードしますので、その後に」

「そういや、そいつが、目的だったっけ」


「情報端末?」

「ありますか?」

「ああ、あるにはあるが、ネットは断たれちまってるぞ」

「構いません。
 アレはネットが断たれた時を想定して設置されたものですから」


 ルリの頑固さを知っているアレクは、肩を竦めた。

「じゃあ、先に使わせて貰うよ」



*




 案内された端末の前に、コミュニケを掲げると自動でシリコン・レーザー通信を始めた。


 ヴァンがルリのコミュニケを凝視する。

「これって、ネルガルのコミュニケじゃないのか?」

「よく知ってますね」

「これでも、工学部なんでね。
 でも、そいつは、まだ一般には流通してないはずだぞ」

「軍なら別です」


「君。軍人だったのか?」

「今も……です」

「そっか」


「シリコン・レーザー通信でも全部落とすのに結構、時間がかかりますね」

「全部って…………そいつの容量って何百テラ(1012)あるんだ?」

「桁が違います。500ゼタ(1021)バイトです」

「嘘だろ?
 そんなに高性能なのか」

「私のだけが特殊仕様なんです。
 そう、6年後の――」


「え?」



「シャワー、空いたぞ」


 金髪を拭きながら現れたアレクに、銀髪を揺らしてルリが振り返った。


「こちらも、ちょうど終わりました」



「シャワー室は右の階段を下りて、突き当たりを左だ。
 お湯もちゃんと出る」


「………………はあ」

 気の無い返事と茫洋な表情とは裏腹に、シャワー室へ向かうルリの足取りは軽く、浮かれてるように見えた。






 ルリが去った後、アレクとヴァンの間に、しばし沈黙が訪れる。


「なあ、兄ちゃん」

「ヴァンでいい」

「じゃあヴァン、話があるんだ」


「話? …………はっはぁ。
 覗きに行きたいのなら、黙っててやるぞ。
 俺も男だ。気持ちは解る」


「ちげぇよ!!」

「なんだ。違うのか」


「何で、残念そうな顔してんだよ。
 って、話ってのは、ソイツだよ」

 アレクは、ヴァンが肩に担いでいる博物館に陳列されそうなショルダー・ストック部が木製のライフル銃を指さした。


「ん? これか?」

「そうだ。
 なんで、そんな古びた銃でバッタを倒せたんだ?
 そんなんでやれるなら、地球は木星蜥蜴に、ここまでやられてねぇよ」


「その通りだ。
 こいつは、見かけは280年前の骨董ライフル銃だけど、色々改造してあっからな」


「『改造』で済んだら、軍隊いらねぇよ!!」


「ははは。なかなか、含蓄ある良い言葉だ。
 まあ、種明かしをするとだ……俺が、この大学で研究している技術を全てつぎ込んだんだよ」


「研究って…………何の?」

「重力子の工学的応用だ」

「重力子?」

「アレクの解りやすい言葉で言えば……グラビティ・ブラストだな」


「えっ!?
 そいつで、何とかって戦艦と同じグラビティ・ブラストを撃てんのか?」

「まさか。
 グラビティ・ブラストを撃とうと思ったら、戦艦サイズの重力制御装置と通常の数百倍も早いコンピューターと、そいつを操れる超一流のオペレーターが必要になる」

「さっき、撃てるって言ったじゃんか」

「撃てると言ってない。
 グラビティ・ブラストと同じ系列の研究をしてると言っただけだ」

「?」

「具体的にいうと、重力子を集めて、質量を持たせる研究だ」


「それって、何か意味あんのか?」

「あるような……ないような…………。
 結論から言っちまうと、研究してる俺が楽しいから良いんだ。
 で、こいつは、重力子を圧縮して、重力子の弾丸を撃ってるわけだ。

 ちなみに、この重力子を超超圧縮すると、マイクロ・ブラックホールになる。
 まあ、そこまでやるには、この大学並の大きさの施設が必要だけどな」


「重力子とやらを弾丸にして良いことでもあんのか?」

「エネルギーが尽きるまで重力子弾を撃ち続けられる」

「………………それだけ?」

「元の目的はな。
 だが、今はディストーション・フィールドを撃ち抜けることが解ってる」

「すげぇ。本当かよ」

「一発じゃ、無理だけどな。
 同じ場所に三発から四発当てると突破できる。

 デストーション・フィールドは、云わば空間の歪みだ。
 この空間に一番反応してしまうのが、レーザー光などの光学兵器。
 これが効かなかったから、火星会戦では、地球が大負けした。
 弾丸などの質量弾も、ディストーション・フィールドに有効だけど、貫くにはエステバリス用の速射砲(ラピッド・ライフル)じゃなきゃ無理だ」


「でも、ルリは拳銃でバッタを倒してたぞ」

「はっ!? 拳銃で?」

「そうだ」


「それは……見間違えか……偶然、バッタがフィールドを張ってなかったためだろうな。
 フィールドさえ無ければ、拳銃でコバッタは倒せると実証されてるから…………大型拳銃なら、フィールドを張ってないバッタも破壊できると思う」


「じゃあ、ヴァンが破壊した先のバッタもフィールドが切れてたのか?」

「いや。あれは張っていたと思う。

 そこが、重力子弾の特徴だ。
 さっきも言ったように、フィールドは重力子によって空間をねじ曲げることによって造られている。
 そこへ別の重力子が当たると空間の曲がりが、その一転で渦を巻く。
 さらに、その渦の中心に当てることによって、螺旋の重力渦が出来る。
 重力の強さを考慮にいれなければ、構造的にはホワイトホールのようなものかな。

 で、三発目、もしくは四発目がその重力渦の穴を通り、機体に直撃する。

 これが、バッタ破壊の理論だ。

 でも、これが通用するのはバッタなんかの小型虫型兵器だけだな。
 戦艦は、この歪曲場を螺旋回転させてるから効かない。
 ああ、それにエステバリスもだ」


「………………???

 あ〜〜。今の説明、何が言いたいのか、さっぱりわからないんだけど……」


「……………………。

 重力子弾なら、フィールドの同じ箇所に三発以上当てると、穴が空く。

 ただし、それが効くのはバッタだけ」


「ん。解った。
 でも、よく同じ場所に三発も当てられるな」




「種明かしをすると、ただ単に三点バーストになってるだけさ」

「なんだ? 三点バーストって」

「一度引き金を引くと、三発、弾が出る機構だよ」

「ああ。俺がやってたゲームの中に、そんなのがあったな」

「反動を押さえるのが、結構、大変なんだけどな」


「弾は何発ぐらい撃てるんだ?」


「無限」

「嘘だろ!!」


「うん。ウソだ」


「…………おい」


「でも、完全に嘘と言う訳じゃないさ。
 この部分の太陽電池で、常にエネルギー補給をしてるからな。
 太陽電池の充電容量を越えなければ無限だ。

 だけど、夜の暗闇の中じゃ10発が限度だな。
 あとは、200ボルト電圧で充電するとかだな」


「…………使えそうで、使えないな」

「言うなよ」



「なあ、ヴァン。
 そいつがあれば、俺でもバッタを倒せるってことか?」

「一応な」

「もう一丁。造れないか?」

「残念だが、無理だ」


「なんで?」

「この太陽電池と重力子を圧縮させる装置がない」

「だから、それも造れば……」

「そう簡単に造れれば、大学で研究なんかしちゃいないさ。
 この重力子圧縮装置は、今んとこ成功例が2つだけ。
 造るのに2ヶ月かかるし、成功確率は、70分の1。

 それから、この太陽電池は普通の太陽電池じゃなくて、光電変換率が98パーセントっていう偶然産物的な代物で、やっぱり精製するのに一ヶ月の時間と成功率38分の1の超難度精製技術が必要になる。
 この太陽電池は、俺の友人が研究してた物なんだけど、非常事態ってことで勝手に徴収したもんだしな」


「……よく解んないけど、難しいって事は解った。
 でも、その重力圧縮装置は、もう一つあるんだろ。なら――」

「この研究は協同研究でね。
 もう一つの成功例は、別の大学の研究室にある」


「…………そっか。

 じゃあ、ヴァン。
 普通の拳銃で、フィールド張ったバッタを倒すにはどうしたら良い?」

「そりゃあ、逃げるのが最良の手だ。
 もし、逃げられない場合は…………。

 バッタなら眼、ジョロなら口許を狙うことだな」

「眼? 口許?
 そこが、急所なのか?」

「違う。そこが、フィールドの薄い箇所だからだ」

「そうなのか?」


「何度も繰り返すけど、ディストーション・フィールドってのは空間の歪みなんだ。
 つまり、光がねじ曲がっちまう。
 バッタの眼は赤外線だろうが紫外線だろうが光学で見ていることには変わりないから、あまりに強いフィールドだと視界がねじ曲がっちまうんだ。
 最新の戦艦――ナデシコなんかだと、それを補正できるコンピュータなんかが載せられてるらしいけど、バッタにそこまで高等な演算機が載ってるとは思えないからな。
 だとしたら、その眼の部分のフィールドは他よりも薄いはずだ。
 ジョロの口許も同じ理由。あそこから、レーザーが発されるけど、フィールドで曲がって明後日の方角に飛んじゃあ、武器として成り立たない。
 まあ、もしかしたら、撃つ瞬間だけフィールドを切ってるかもしれないけどな。

 ……と、色々述べたが、あくまで俺個人の意見だからな、鵜呑みにしないでくれ。
 もし、バッタと対峙した場合、逃げるのが一番だ」



「お待たせしました」

 白銀のツインテールに、ブルースケルトンの髪止め。

 純白のバイザーに綾白のマントは同じだが、中に着ているのもは無骨な作業服ではなく、白で統一した上下に、白のブーツ。



 アレクは眩しそうに眼を瞬かせた後、

「なあ、その白い服。何処に持ってたんだ?」

 もっともな質問をする。


「圧縮パックにしてました」


「その白いブーツもか?」

「はい。折り畳み式なんです」

「ブーツがか?」

「ブーツがです」


 ヴァンが二人の会話に口を挟んだ。

「聞いたことある。
 軍じゃ、携帯装備は極力小さくするのが重要なんだそうだ。
 その空いた分、弾薬や薬を詰め込めるからな。
 中には、折り畳み式のブーツから、厚めの手帳程度の大きさまで圧縮した上着まであるそうだぞ。
 まあ、俺は見たことはないが」

「ええ。そのとおりです」

「ふ〜〜ん。水に浸けると増えるワカメみたいなものか」




「で、お二人さんはこれから、どうするんだ?」

「勿論、空軍基地へ行きます」

「本気で行くつもりなのか?」

「マジものです」


 少し考えていたヴァンが、立ち上がった。

「俺も行こう」


「「えっ!?」」


 二人の視線を受け、ヴァンは気楽な仕草で肩をすくめる。

「俺が、本当に行きたい所は、この先にある小さな町なんだけどな」



 ヴァンの薬指の指輪に眼を止めるルリ。

「奥さんですか?」

「いや、婚約者だ」


「そうですか。
 いつ頃、出発できます?」


「今すぐでも良いさ。
 準備は全て整ってる。
 本当は、昨日中に出発する予定だったんだが、ずるずると先延ばしになっててな」

「でも、ルリ。
 ここなら、水も食料もあるから、もう一泊ぐらい留まれるぜ」


「ダメです。アレク。
 明日の朝になったら、囲まれてました。なんてことになったら、洒落になりません。
 まだ、日も高いですし、出発しましょう」





*



 廃墟と化しているゴースト・タウンに銃声が響く。

 一瞬遅れて、爆発音が瓦礫の街に轟いた。


「こっちは、片付きました」


 『アビス(ブラスター)』から、空薬莢を落とすルリに、ヴァンもライフル銃を肩に担ぐ。


「こっちも、終わったぜ」



「ここら辺は、バッタが多いな」

「しかたないさ。アレク。
 軍は引き上げちまったんだし、駆除するヤツラがいなければ、そりゃ、のさばるだろうよ」


 血色の夕陽が揺らめき沈んでいく。

 地平の彼方の空を、焼き尽くすような炎色に染め上げて。


「もうすぐ、夜になるぞ。ルリ」


 眼を細めて夕日を見つめているアレクに、ルリはコミュニケを操作する。

「この先ですね」

「なにが?」

「シェルターのある場所です」

「そんなことも解るのか?」

「ええ。あの情報端末に入ってましたから」



*



 そのシェルターは、薄暗くなった夕暮れの中、埋もれた瓦礫の間に、闇の口を開けていた。

「ここか?」

「はい。地図上では、ここが避難所となってます」


 アレクが暗い建物の中を覗き込んだ。

「本当に、この先がシェルターなのか?」


 闇の中から返答が返る。

「はい。その通りです」


 胸に十字架をかけ、神父の服を着た男が闇の中から現れた。

「避難されて来た方ですか?」



 ヴァンが頷く。

「ああ、そんな感じだ」

「では、こちらへ。
 ここは迷える者、全てに門戸を開いております」


「ここのシェルターは生きてるようだな」

 囁いたヴァンに、ルリが囁き返す。

「ええ。奇跡的に……ですが」



 その先のシェルター内部は、先ほどの闇より尚、重暗い暗鬱さが充満していた。



「はははっ。新しい、お客さんか?」

 突然響いた場違いな明るい声に、周りの沈欝がさらに増していく。



 三人の前に現れた無闇に明るい男は、腕の中の物を差し出した。


「どうだ? 俺の息子は可愛いだろう」



 それは、ぼろぼろのヌイグルミだった――――
 眼のボタンが片方取れ、腕の付け根が綻び、耳が半分引きちぎれている熊のヌイグルミ。




 男は無邪気な笑みを見せる。

「はははっ。可愛い子だろう?」



 アレクとヴァンが絶句する中、ルリだけがそっと微笑んだ。

「ええ。可愛い子ですね」


「はははっ。そうだろう。そうだろう。

 俺の息子は世界一さ!」




 ヌイグルミを抱いた男は浮かれるような足取りで、薄暗闇に消えていった。


 アレクの問いかけるような眼に、ルリはぼそっと呟いた。

「息子さんを…………亡くされたんですね」


「はい。その通りです。
 それを信じたくないばかりに…………彼は、壊れてしまった」


 神父はルリを見おろした。

「ありがとう。お嬢さん。
 彼を傷つけないでくれて」



「戦場で何人も見てきましたから。

 …………壊れた人間は」





 アレクが薄暗闇に眼が慣れてくると、幾つもの長椅子が見えてくる。

 地下にある礼拝堂のような場所だった。



「北の方から、逃げてこられたのですか?」

「いいえ。南へ行く途中です。
 一晩だけ、場所を貸してください」

「それは、構いませんが…………、ここから南も、ほとんど破壊されてますよ」

「ええ。そうでしょうね」


 ルリと神父の会話は、それだけで途絶えた。





 闇の中で、複数の人影が蠢く。


「神父様。なぜ神は、我々にこのような試練を与えるのでしょうか?」

「世界の終末が訪れたのでしょうか?」

「神は何故、我々を助けてくれないのでしょうか?」

「神の救いは、奇跡はいつ訪れるのでしょうか?」

「毎週、かかさず教会に行ってたのに、何故、我々だけがこのような目に合うのでしょうか?」


 口々に問いながら、神父の周りに、シェルターの避難民が集まってきた。




「神は、常に私たちを見守っています。

 祈りなさい。
 汝等に、神の祝福があらんことを」




 静かな声で諭した神父は、胸元で十字を切る。



 周りの信者も無言で十字を切った。






*




 新たに現れた三人を、胡乱げに遠巻きにしていた避難民たちだったが、ルリを子供と、それも女の子だと気づいた女性たちが、周りに集まってくる。



「可相想にねぇ」

「お菓子があるよ。お食べ」

「怖くなかったかい?」

「辛かったろう?」

 彼女らは口々に、ルリに同情と心配を投げかけた。



「…………はあ。別に」

 ルリは気の抜けた返事を返す。



「別に……って、辛くないのかい?」

「何がですか?」


「ほら、避難する羽目になっちまって」

「それの何が、辛いんですか?」


「何って……」




たかが(・・・)、こんな戦争で根を上げていたら、この先にある戦争は起こせません」



「この先にある戦争?」




 ルリは、声なく薄く嗤う。


「その戦争は、この戦争(蜥蜴戦争)より死傷者の数は圧倒的に少ないでしょう。

 でも、 
誰も信じられない(・・・・・・・・)。 何も信じられない(・・・・・・・・)。 敵さえ見えない(・・・・・・・)

 
泥沼のような戦争(フェアリー・ダンス)






 絶句する女性たちを後目に、ルリはアレクたちに視線を送った。

「アレク。ヴァンさん。
 明日は早いから、今日はもう寝ましょう」




*




 まだ、日の昇っていない翌日の早朝。


「もう、行くのですか?」

 神父の問いにルリは、こくりと頷いた。

「ええ。昼過ぎには次のシェルターに辿り着く予定ですので」


「汝の道程に幸あらんことを」

「…………どうも」



「食料などは分けられませんが、せめてもこれを」

「…………十字架?」

「十字架だけなら、沢山ありますから」

 神父の手には、三つの十字架。


 ヴァンは、胸元から鎖を引っ張りだした。

「俺は、自前のがある」



 二つ受け取ったアレクはルリに十字架を差し出した。

「これ。ルリの分だってよ」


 一瞥したルリは、興味なく視線を外し、道の先を見つめる。

「いりません」


「宗教、嫌いなのか?」



「今の私には、必要の無いものです。

 行きましょう。アレク」



 慌てて、神父にペコンと頭を下げたアレクはポケットに二つの十字架を突っ込み、南へ歩き始めたルリの後を追った。





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