長閑な田舎道が続く。


 三人は一匹のバッタにも遭わず、順調に歩を進めていた。



「一度、この先のシェルターで、休憩しましょう」


 アレクが怪訝な表情になる。

「でも、ヴァンの町ってすぐそこなんだろ?」


「だからです。
 その街で何が起こるかわかりません。
 休める場所で、休みましょう」


 二人の目線を受け、ヴァンも頷いた。

「そうだな。街が木星蜥蜴に占拠されてるかもしれないからな」



「いいのか?」


「焦っても、事態は好転しないさ。
 …………本音は、今すぐにでも駆け出して行きたいんだけどな」




 ヴァンは、街を見通すかのように道の遥か先を眺めた。





*




「ここが、シェルターか?」

「そのようですね」


 平屋の四角い建物の入り口を覗き込むアレクとルリ。



「く、来るな。
 お、お前ら、で、出ていけ。出ていけ」

 中に踏み入ろうとしたアレクに、突然、拒絶の声が飛ぶ。


 入り口入ってすぐの通路の暗がりに、一人の痩躯の男が背中を丸めて壁際に(うずくま)っていた。



「なんでだよ。ちょっと休ませて貰うだけだろ」


 男はアレクの声に答えず、ブツブツと何かを呟き、ボロボロの爪を噛み出す。



 男が抱え込んでいた円筒型の缶が、零れ落ちた。


 男が慌てて拾ったら、また零れだし、それを拾ったら、さらに二つ零れだす。


 その内の一つが、アレクの足元まで転がってくる。

 アレクはその缶を拾い上げた。


「新品のクッキーの缶?」



「か、かかか返せ、返せぇぇ」

「あ……ああ」


 アレクから缶を奪い取るようにして受け取ると、大量のクッキーの缶を抱え込むようにして蹲る。

「わ、渡さねぇぞ。こ、これはオレのだ。オレの物だ」


「盗る気なんか無いよ」


 幾つもの新品のクッキーの缶を抱え込んだ男は、ぶつぶつと独り呟き続ける。




 突然、暗闇に濁声が響いた。

「はっ。まだ逃げて来れた難民がいたようだな。
 悪いが、定員オーバーだぜ」


 濁声を狭い廊下に響かせた男に、ヴァンは言い返す。

「別に、ここで暮らすつもりはない。
 1時間ほど、休憩をさせて貰いたいだけだ」



 無言で、3人をじっと見つめた男は顎をしゃくった。


「まあ、いいぜ。
 場所を貸してやるよ」




*




 そこは何もない場所だった。元は倉庫だったのかもしれない。


「なあ、ルリ」

「はい?」


「なんで、ここのシェルターて云うか、倉庫は無事なんだ?
 周りは全て破壊されてたろ?」

「ええ」


「じゃあ、なんでだ?」

「単なる運です」

「運って……」


「アレクも気づいたはずです。
 この辺りに、いえ、その前のシェルターからバッタに会ってないことに」

「それは、ルリのそのバイザーで、事前にバッタを避けていたからで――」


「それもありますが、この辺りは、バッタの絶対数が少ないんです」


「じゃあ、まだこの地域には、バッタが攻め込んでないってことか?
 でも、それじゃ、なんで町並みが壊滅してるんだ?」

「逆です」

「逆?」


「はい。ここは、すでにバッタに侵略されてしまった地域なんです。

 バッタの軍勢は南から北に勢力を延ばしています。
 もう少し俯瞰的に見れば、この先にあるはずのチューリップを中心として、円形状に勢力を広げているはずです。
 だとしたら、敵勢力は円の外周部とチューリップの周囲に重点的に配置されます。
 そこから外れたドーナッツ部分に、バッタを配置する必要性は薄くなり、必然的に、この辺りの防衛は薄くなります」

「は……はあ」


「ですから、このシェルターが保っているのは、ただの偶然です。
 だから、運と答えたんです」


「じゃあ、あまり長居しない方が良いかな?」

「さあ……それは。
 ここまで来たら、何処にても危険性はさほど変わりません」


「…………そうだな」




 声で、子供と知った避難民の一人が、アレクに話しかけてくる。


「畜生。不公平だよな。
 おまえも、そう思わないか?」


「何が?」

「オレが、こんな目に合ってるのに、世界の奴らは平然と暮らしてるんだぜ。ズリィよな」


「そんなこと言ったって、誰かが代わってくれる訳ないだろ」



 男は、アレクの返事など禄に聞かず、さらに泣き言を重ねる。


「映画の中のキャラは良いよな。
 大抵の登場人物は戦闘訓練を受けていて、敵と戦えて、…………何よりも最後はどうにかなる。
 俺たちみたいな銃器の扱い方さえ、まともに出来ない素人が、どうしろってんだよ」



 男は頭を抱え込んだ。


「何でだよ。ズリイよ。キタネェよ。
 なんで、オレばっかり、こんな目に合うんだよ」



 ――――世界は、あんたを中心に回ってる訳じゃないからな。


 そう言いそうになったアレクだったが、何も言わなかった。





*



「さて、そろそろ、行くか」

 30分も経たないうちに、ヴァンが態とらしくそう言って、立ち上がった。


 ヴァンは先程から、ルリに浴びせる避難民たちの視線に、不気味さを感じ取っていた。



「そうですね」

 周りの視線を無視して、ルリが無造作に立ち上がる。



 出入り口に向かう三人の前に、男が立ち塞がった。

「おっと、待ちな!!
 その女は、置いていきな」




「なんでだよ!!」


「勿論、所場代さ」


「なに、言ってやがんだ!!」


「場所を貸してやると言ったが、ただとは言わなかったよなぁ。小僧」

「男、二人は勝手に出て行ってもいいぜ。
 でも、その嬢ちゃんだけは、ここに残って、俺らのを世話してもらうぜ。

 一生な



 ニヤニヤ嗤う男たちに、ルリは無機質な声で問う。


「ここに、女性や子供がいないのは、そういう訳ですか?」


「女子供は初めから入れなかったのさ。
 足で纏いになるのは、眼に見えていたからな。
 でも、こんなことなら、入れておくべきだったぜ。

 性処理道具としてな」



「その変梃なサングラスを取って、素顔を見せな。お嬢ちゃん」


 何の反応も示さないルリに、男は怒気を上げる。


「取れってんだろ!!」



 ルリは、ゆっくりとバイザーを外した。




 ヴァンとアレクは呆然と見つめる。



 金宝の瞳。白綾の肌。白銀の絹髪。現実とは思えない幽麗な美貌。



 そこに居たのは『妖精』だった。




 ルリの妖精のような容貌に、周囲から口笛が飛ぶ。

「おめぇは幾つだ?」


「12歳です」



「「…………12?」」

 アレクとヴァンは愕然と呟いた。



「ははっ。ガキでも、雌であることに、変わりはねぇ」

「な〜〜に、子供の方が、軍の奴等に高く売れるしな。
 こいつは幸運だぜ」

「へへ、神もまだ俺たちを見捨ててなかったらしい。
 当分、こいつで楽しめる」



 ルリを背に庇い、無言でライフルを構えるヴァン。


「なんだ? 兄ちゃん。
 撃てるのかよ? 休憩場所を貸してやった『善良な市民』をよ」


「くっ!!」


「独り占め……いや、二人占めは良くねぇよ」

「小僧もソイツで楽しんでるんだろ。
 なに、ちゃんとお前にも廻してやっからよ」


「ふっざけんな!!」



 何の反応も示さないルリに、たった一つの出入り口を塞ぐ男たちから卑猥な揶揄が投げられる。

「どうした? 嬢ちゃん。
 怖くて声もでねぇか?
 なに、初めのうちだけさ。その内、病みつきになっからよ」


「へっ。昼も夜も存分に可愛がってやるよ」


「ほら、言ってみな。
 『御主人様、お願いします』とな」





 ヴァンの前に進み出たルリは、無言で拳銃(ブラスター)を抜き、両手で構える。




「おやおや。こいつは恐ぇ、恐ぇ」


 態と、大げさに怯えた振りをする男に、周りの『一般市民』たちから卑下た笑い声が響いた。


「あ〜〜あ。そんなオイタをするお子様にゃあ、お仕置きしなけりゃならねぇな」


「俺らも犯りたくないけど、仕方ねぇよな。
 教育ってやつさ。教育」


「こういう反抗的なメスガキは、今のうちに矯正しとかないと自惚れるぜ」






 冷めた双眸のルリは警告もなく、無言で拳銃を撃った。





 高速徹甲弾の為、突入口の傷口は小さく、突出口は大きく抉れた。

 弾に対して、人間の肉体が柔らかすぎるためだ。




 銃声が、シェルターに反響する。




 太股の後ろ半分を吹き飛ばされた男が、絶叫を上げていた。



 その時なって、やっと男たちは、ルリの静かすぎる金の双眸に恐怖を覚える。




 足を撃ち抜かれた男に近寄ったルリは、拳銃を男の額に突きつけた。




 血塗れの右足を押さえながら、男は涙と鼻水で顔をグシャグシャにして叫ぶ。



「俺らは、一般市民だぞ!!」






「ええ。知ってます」



 絶対零度の声音で言い放ったルリは、引き金を引いた。






 銃声と湿った音とともに、頭を吹き飛ばされた男の躯が倒れる。






 沈黙が支配する中、ルリは拳銃を額に掲げた。



「弾薬は全員に行き渡るだけ持ってます。

 道を開けますか?

 それとも……。

 屍となって、私の『道』と成りますか?」




「お、俺らは、『一般市民』だぞ!!
 味方なんだぞ!!」



「路端に転がっている石を敵か味方か、と問うようなものです。
 単に邪魔なだけですよ」


「い、石ころだと――」


「その石が『道』を塞いでいたら、排除するのは当然でしょう」




 薄く嗤うルリ。



「あの人は、襲いかかる者、全てを殺してでも『彼ら』を護ると決めました。

 私は立ち(ふさ)がる者、全てを殺してでも『彼女ら』を殺すと決めたのです」




「狂ってる」



 避難民の男の侮蔑に、ルリは微笑んだ。



「そう。だから、何?」






「もう一度、問います。

 道を開けますか?

 道に成りますか?」



 妖光する金の瞳に、ざぁっと人垣が割れた。



「賢明な判断です。
 行きましょう」



 死体を跨いだルリは、流れる血河を踏み歩んだ。


 水音とともに、白いブーツに、赤黒い血液が跳ね飛ぶ。




 アレクとヴァンは血溜まりを避けて、ルリの後を追った。





「おおお、お、おい」


 足を止めたルリは、横目で暗がりを見やった。


 背を丸めて、壁の隅に座り込んでいる男が、ルリに何かを投げる。

「も、持ってけ」



 それは、封も切ってない新品のクッキーの缶。



 男に、無言で頭を下げたルリは、缶を持って外に出た。




*




 しばらく歩いたルリは、唐突に足を止めた。


「アレク」


「…………なんだ?」


「ここで、引き返してください。
 この先は危険です。

 あのシェルターは止めた方が良いと思うので、その前のシェルターまで戻ってください。

 ここから先は、私とヴァンさんだけで行きます」



「『年下』と聞いといて、「はい。そうですか」なんて言えるかよ」



 アレクの固い声に、ルリが振り返る。




「でも……あなたは普通の人ですから」






 ルリの言い草に、アレクは激昂した。




「ふざけんな!!


 人を殺すことが、そんなに偉いのかよ!!

 そんなに、格好良いことなのかよ!!」






 ルリの胸ぐらを掴んだアレクは、怒鳴り声を浴びせる。




「人殺しなんざ、偉くもなんともねぇ!!


 人殺しなんて、最低最悪だっ!!

 そんな最低ヤロウが、自分を『特別』呼わばりなんかしてんじゃねぇ!!」







「………はい。そうですね。

 …………………その通りです」



 言葉を噛みしめるように、ルリは眼を閉じた。








「いくぞ。ルリ。ヴァン。
 目的の街まで、もう少しだ」


 白い繊手を握ったアレクは、ルリの手を引いて歩き始めた。





「…………アレク」



「ん?」



「私、ヤロウじゃありません。

 …………私、少女です」





 振り返って、眼を瞬いたアレクに、ルリは悪戯っぽく微笑んだ。





*






 ルリたちは、ヴァンの『目的地』を――街中を歩いていた。


 三人は俯き、無言で街中を歩く。何故なら――――



 その街は、完全に焼き払われていたから。



 徹底的に爆撃された街のように、全てが破壊され薙ぎ倒され、煤け焦げている。



 三人以外は、ただの一人の気配も無い。




 そこは、死の街。


 既に、終わった街。




 瓦礫の中を、ヴァンは押し黙って歩いていた。

 その後ろを、ルリとアレクが無言でついていく。




 光が反射する。



 俯いて歩いていたヴァンが、ハッと顔を上げた。

 何かが、自分を知らせるように光を反射していた。


 走り出したヴァンについて行こうとするアレクを、ルリが止める。




 誘うように輝き光る場所に来たヴァンは、呆然とそれを見つめた。



 崩れた家の瓦礫の隙間から、何かを掴むように宙に延ばした、炭化した左手。

 その薬指には、ヴァンの指輪と同じデザインの指輪が、奇跡的に光を反射していた。



 死者の手で光を放つ指輪。



 崩れ落ちるように、地面に膝を着いたヴァンが、震える手で炭化した左手を握る。

 と、待っていたかのように、女性の左手が砕け崩れ散った。



 手の中に残る銀の指輪。



 熱で歪んだ指輪を握り締め、ヴァンは声無く哭いた。


 嗚咽すら洩らさず、奥歯を噛み締めて、涙を流していた。



 虚ろな風の音だけが鳴く。




 声を掛けることもできず、ルリとアレクはヴァンの後ろ姿を、ただ見守るだけだった。





 アレクが、軋るように、呟くように呪詛を洩らす。


「俺たちが、いったい何をやったってんだよ」



 ルリは、無言でアレクの手を握る。



 アレクは、青空に向かって叫んだ。


「ただ、ここで暮らしてただけじゃねぇか。
 ここで、普通に暮らしてただけじゃねぇかよ!!


 俺たちが、何をしたってんだ!!」




*




 しばしの時が過ぎ――




 掌の小さな指輪を見詰めたヴァンは、小指に填めようとするが、第二関節で引っかかる。



 小さく哀しい笑みを洩らすヴァン。


 あいつの指。こんなに細かったんだな。




 指輪を十字架の鎖に通し、立ち上がったヴァンは、二人に向き直った。


「さあ、行こうか」


「でも……」



 心配下に眉を顰めるアレクに、ヴァンは静かな笑みを浮かべる。


「俺一人だったら、ここで終わっていたかもしれない。
 でも、今は君たちがいる。
 諦めない限り、死なない限り……前には進める」


「良いんですね?」

 横目で見上げたルリに、ヴァンはしっかりと頷いた。



「ああ。行こう」





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