見事、と言うべき、満開の桜だった。


 朧霞に咲いている、白色に近い薄桜色の桜花の樹木が、数百本も植えられている。

 白桃色の霧が立ち込めているような光景だった。


 大気調節機から微風が流れ、桜の花弁が舞い散り、降り積もる。



「おっ花見!! お花見〜〜!!」

「桜に団子にお弁当に、お酒でやんす〜〜!!」

 満開の桜を前に、波月と『西鳳夕薙(せいほう・ゆうなぎ)』が喝采を上げていた。


 アキトは桜吹雪に眼を眇めた。

「地球の桜より、白いな」


「土のせいじゃないかしら?」

 小首を傾げる『神狩玲華(かがり・れいか)』に、義兄の『神狩叶十(かがり・かのと)』が笑って答える。

「いえ。桜の木の種類によって花の色が変わるんです」


「えっ!? 花の色って、桜の下に埋まっている死体の数で決まるんじゃないの?」


 驚く波月に、『西鳳焔(せいほう・ほむら)』が溜息を吐いた。

「波月君。マジで聞いてますねェ。
 そンなこと、誰に聞いたンですかい?」


「わたしが幼児の頃、母様が寝物語に語ってくれたっす。
 桜の樹の下には死体が埋まっていて、その血肉を養分として育ち、
 桜の花弁の血色は、その死体の数で決まるって」


 叶十の妻『神狩沙音里(かがり・さとり)』が頬に手を当てて尋ねる。

「寝物語にそんな話を聞かされたら、怖くて寝れなくならないかしら?」

「そうっすか?
 わたしはワクワクしながら、喜んで聞いてましたが」


「波月ちゃんらしいな」

 苦笑を浮かべたアキトが辺りを見回した。

「それにしても、人がいないな」


「そう言えば、アタシたちの他に見かけないね」

 頷く『白鳥ユキナ』に、波月が説明する。

「ここまで桜庭園の奥に来る人は少ないんだ」


「なんで?」

「ん〜〜? 血桜伝説のせいかな」


「血桜?」

「えっと――」



「波月中尉。場所はこの方向で良いのか?」

「え? チョイ待って」


 『高杉三郎太』の問いかけに返事を返した波月は、『慈優』と刺繍の入った藍染めの手提げ袋を持ってサブロウタの所へ行く。



「少し、肌寒いな」

「ええ。木連では、この『桜庭園』と『植物園』だけ、四季があるの」


「他は四季が無いのか?」

「そうね。理由は色々あるけど、第一に過ごし易い気候を無理に変える必要がないこと、
 それから、温度に変化をつけるより、一定の方が空気調節機と温度調節機の設定や調整が楽だしね」


「そ。だから、木連には2箇所しか四季が来ないんだ。
 農作物コロニーは、春と夏だけだし」

「冬も作るのか?」

「ある程度の温度の上昇と下降があれば良いんだけどね。気分の問題かな」

「その分、故障も多いでやんすがね」


「そうね。一定温度の居住空間でも月に一回は問題が起こるし。
 年に一回は重大な問題(トラブル)が起きてるしねぇ」


「パニックは起きないのか?」

「伊達に、鉄板一枚隔てた真空の地獄の中で暮らしているわけじゃないわ。
 生粋の木連人か見分けるには、空気を薄くして、平然としてるか恐慌するか確かめれば良い……なんて、冗談があるくらいだし。
 ただ、五年前、木連最大の穀物食料施設が真空になって、稲作が全滅したときは、さすがに参ったわね」


 玲華の嘆息に、波月もうんうんと賛同した。

「穀物施設(コロニー)は、各所に幾つもあったから何とかなったけど、もし一箇所だけで栽培してたら、今ごろ飢餓で木連、全滅してたよ」


「一応、プラントで炭水化物も合成できますので、全滅は無かったと思いますが?」

 頬に指先を当てる神狩沙音里(さとり)に、サブロウタが顔をしかめる。

「ああ。あのマッズイの。
 通称『石鹸の塊』っスね。
 俺も、士官学校の訓練で食わされたっス。
 旨味成分(グルタミン酸)を山ほどかけても、不味い物は不味いと証明するような食物でしたね」



「地球憎しの気運が盛り上がったのも、あの穀物全滅事故あたりの頃からでやんしたね」


「食物の恨みは恐ろしいでンすからねェ」

 今日はラフな着物姿の焔が腕組みし、叶十が苦笑した。

「それが生死を分かつとなれば、尚更です」


「ここの桜庭園もいつ真空になるか、けっこう戦戦恐恐なんスよね」

「小さな事故だけですんでるのは、『血桜』の『守護』だって言われてるっすけどね」

「それと、ここの施設整備員の血の滲むような努力よ。
 おかげで、災害対策手順書(マニュアル)は、ここが一番進んでるって言う噂だし」


「噂じゃなくて、事実でやんす。
 宇宙警備軍の災害手順書(マニュアル)も、ここの施設の物を参考にしてやすから」




「おっ。あそこでンす」



 薄桜色の桜霧の中、黒と見間違えるような紺黒の衣服を纏った青年がにこやかな笑みを浮かべて、手を振っていた。


「東総司令!?」

 波月が素っ頓狂な声を上げた。


 のんびりと青年は微笑む。

「やあ、遅かったね」


「悠流くん。場所取りご苦労様」

「いえいえ。どうせ、暇だったし」


「な…………なんで、あんたがここに居るの?」


 木連優人部隊総司令『東悠流(あずま・ゆうる)』は副官の玲華に、にっこりと笑いかけた。

「あんころ餅が出るからって、誘われたから」


「こ……こ……このボケ司令!!
 普段はふらりといなくなるくせに、こんな時だけ出てきて!!」


「副官が優秀で、ぼくの仕事が無いからね」


「なんなら、仕事。作ってあげましょうか?
 波月に頼めば、イヤというほど作ってくれるわよ」

「あはははは。遠慮しとくよ」


 にこにこと笑いながら、玲華をいなす悠流。




 一升瓶とお猪口を取り出した悠流は、とくとくと酒を注ぎ、玲華に差し出した。

「まあまあ、玲華も日頃の悩みを忘れて、一杯どう?」



「…………日頃の悩み?」


「うん。そうだよ。
 パーっと忘れて――」



「………………



「め?」




「滅っっさぁぁぁぁぁぁぁつッ!!


 このボケ司令がっ!! ああっ、悩みを忘れるだと?

 その『悩みの種』が眼の前に座っとって、忘れられるかっ!!


 あたい(・・・)を嘗めてんのかっ!?
 今日という今日は勘弁ならねぇ。

 微塵切りにして桜の養分にすんぞ!!」


「やあ。それは、綺麗な花が咲きそうだねぇ」


 のほほんと笑う悠流の手からお猪口を奪い、一気に煽った玲華は気炎を噴く。

「おおっ!! 少しは世間の役に立ちやがれ!!」






「見事なキレっぷりでやんすねぇ」

「最近じゃ、週に一回は見ないと一週間が来たって気がしなくて」


 しみじみと言う波月に、深く賛同する『白鳥九十九』とサブロウタ。


「そんなに怒るのか? 玲華さんって」

「東総司令。週に一回は、仕事さぼるんで。
 なんでも水曜日は団子の特売日だとか言って、草壁閣下との会見すら、すっぽかすぐらいっすから」


「それは…………怒るだろうな」

 こめかみを掻いたアキトは、炎を吐きそうなほど気炎を噴き上げまくっている玲華を横目で眺めた。



「この前なんか、堪忍袋の尾が粉々にブッチギレた玲華先輩が、東司令に手錠かけて、鎖でグルグル巻きにして、さらに南京錠を四つかけて、司令室の扉を外から釘で打ち付けたのに――――、

 東司令、10分で司令室から脱出したからね」



「…………手品師か?」


「玲華先輩。今度はでっかい水槽を用意して、手錠かけてから、箱に閉じ込めて鎖で巻いて、水に沈める計画まで立ててるよ」



「世紀の大脱出でやんすか。
 東司令って、総司令よりも手品師の方が向いてるんじゃぁございやせんか?」


「そうですよねぇ〜。
 あんまりにも見事なんで、この前、東司令に弟子入りしようとしたら、玲華先輩に鉄心入り木刀で追い回されて、止められたっす」


「そりゃぁ、波月みてぇな問題児が『脱出』なんて技能を修得したら、玲華の手に負えなくなるでやんしょが」

「え〜〜? そうっすかねぇ?」


 腕を組んで首を傾げる波月を見、夕薙は深々と溜息を吐く。

「これだから、自覚ねぇって云うのは…………」



 一部、エキサイトしてるが、他の面々は、まったりと花見を楽しみ始めていた。




「よう!! アキト」


「ガイ!?
 どうして、ここに?」


「ああ。九十九に呼ばれてな」

「九十九に?」



 九十九は山田を認めて、顔を輝かせる。


「おおっ。『兄弟』」


「よう。『同志』」


「「レッツ!! ゲキガ・イン!!」」


 腕を絡み合わせた山田と九十九は、高笑いをかました。




「お久しぶりっス。ガヴァメント」

「サブロウタだったけかな。久しぶりだ。
 約束通り、33話。持ってきたぜ」


「「おおぉっ!!」」



 盛り上がっている三人を横目に眺めながら、アキトは波月に問いかける。

「そういや、月臣と秋山さんは?」


「お・し・ご・とっ♪♪」


「波月ちゃん。
 …………今度は、何やらかしたんだ?」


「酷いよ。アキト君。
 何かあったら全部、わたしのせいにして。
 今回は、わたしのせいじゃないもん」


「そうなのか?」


 サブロウタが頷く。

「はい。『今回は』違うっス」

「そうか。『今回は』違うのか」



 二人の会話に、波月は口先を尖らせた。

「『今回は』じゃなくて、『今回も』だよ」


「いや。それは信じられない」

「波月殿。私も信じられません」

「波月中尉。嘘は駄目だぞ」

「波月。嘘、バレバレでやんす」

「波月さん。嘘つきは泥棒の始まりだよ」



「あううぅ。皆が信じてくれないよぉ。
 なんで?」



「「「「日頃の行ない!!」」」」



「ああ。天国の母様。
 皆に信じて貰えなくても、波月に強く生きていける力をください」



「「「「あんた、もう十分に強すぎ」」」」





「そうだ。ガイ殿。
 残りの二話は、見せてくれないのか?」


 意気込む九十九に、山田は意地悪く笑った。


「宇宙無宿海賊に入るなら、見せても良いぜ」



「う〜〜〜〜む」



「こらっ!! お兄ちゃん!!
 本気で悩まない!!」


 ユキナの叱咤に、九十九はたじろぎながらも反論する。

「し…………しかし!! 幻の第13話だぞ!!」


「却下!!」




「焔さん。悠流さん。何か対策とらないと、優人部隊の人間は全員、海賊に引き抜かれますよ」

 離れた所から、一部始終を眺めていた『神狩叶十』は、『西鳳焔』と『東悠流』に忠告した。


「いやァ、まったく…………これは、困ったもんでンすねェ」

 台詞とは裏腹に、まったく困ってなさそな口調の焔は、秋晴れのような笑い声を上げる。


「うん。本当だよねぇ」

 緑茶を飲みながら、のほほんと笑みを浮かべている悠流も同意した。



「こ…………こいつらは――」

「まあまあ」


 プルプルと拳を震わせている義妹の玲華を、叶十が執り成す。



「玲華先輩。皆がイジメルっすぅ」

 酒瓶を持って、玲華の所に来た波月が、焔の隣に座っている短身痩躯の隻眼の老人に眼を丸くした。

「おや、ジーサン。
 あんたも来てたの?」


 片目に刀傷のある白髭隻眼の老人が鼻をすんすんと鳴らす。

「へっへっへぇ。片目ぇ潰されてからぁ、ただ酒の匂いは見逃さなくなったんでぇ」


 唇を突き出してづつぅーーと音立てて、酒を吸い込んだ。



「波月…………あなたの御祖父?」


 波月と老人を見比べていた玲華が恐る恐る訊くと、波月は心底、嫌そうな顔をする。

「まさかっ!!
 わたしに、こんなジーサンがいたら『瞬殺』して、墓穴に叩き込んでやります」

「ヒヒヒヒ。そいつはぁ、おっかねぇなぁ」



「東司令。では、こちらの方は?」

 悠流は、玲華に耳打ちをした。


「なっ!! きた――」

「しーーっ」

 悠流は、手の平で玲華の口許を塞ぐ。


「でも……なぜ?」


 隻眼の老人は、にぃんまりと笑った。

「ヒヒヒヒ。鬼姫のお嬢よ。
 あっしは、ただの楽隠居の酒呑み老人。
 酒の香りに釣られて、ふらふら迷い込んじまっただけよ。
 飲兵衛なんかに、目鯨立てちゃぁいけねぇぜ。
 なあ、焔の小僧」

「ま、そういうことでンす。玲華君。
 でも、先代。『小僧』は止めて頂きたいんでンすがねェ」

「ヒヒヒ。やなこった。
 おめぇや叶十の餓鬼や悠流の坊やは、そこらの無象どもに比べりゃ、そこそこ(・・・・)マシだが、小僧が取れるにゃあ、30年早ぇよ」


 老人は手酌で酒を注ぎ、ぐぅびと酒を煽った。

「で、あっしみてぇな、チンケな老人に見て欲しい小僧っ子ってのは何処でぇ?」


「玲華。
 先代をテンカワって人の所へ案内してくれないかな」

「アキト君?
 まさか……アキト君を?」

 悠流の言葉に、人に擬態している玲華の瞳が急速に鬼へと変貌していく。


 叶十が玲華の肩に手を置いた。

「玲華。
 こんな観衆の中で、そんな真似はしないよ。
 さらに、波月君まで居るんだから」


「…………それも……そうね」



*



 玲華に案内された隻眼の老人はどかっと、アキトの前に座り込んだ。

「おおっ。おめぇさんが、『寸打の天河』けぇ」


「あ……ああ」


 アキトは、この老人と前に会った気がした。

 顔に見覚えはない。

 だが、眼が――眼光が記憶の何かに引っかかる。


 白髭を撫でながら、隻眼の老人は遠くを眺めるように眉間に皺を寄せた。

「ほぉ〜〜。なるほどなぁ。なるほどなぁ。
 こいつはぁ、エライこった」

「エライ?」


「ヒヒヒヒヒ。
 飲兵衛ジジイの戯れ言だ。気にすんなぁ若いの」


 翁はひょいと立ち上がると、

「ゴメンよ。ゴメンよ。ゴメンよさんよ」

 そう言いながら、焔たちの所へ戻って行った。


「なんだったんだ?」

 アキトのもっともな問いに、玲華も首を傾げる。

「さあ?」




「へえへえ。しけた面して、どうしたんでやんすか?」

 玲華の隣に、夕薙は酒瓶を抱えて陣取った。

「玲華と酒を呑むのは久しぶりでやんすねぇ」


「あなたとは、これで知り合ったようなものだしね」

 酒瓶を振る玲華。


 一升瓶を持った波月とジュースを持ったユキナがひょいと顔を出す。

「先輩たちって、お酒が縁なんすか?」

「ま〜〜ね」


 ユキナが眼を輝かせる。

「わ〜〜。聞きたい。聞きたい!!」


「士官学校時代、玲華はあたくしの一つ年下でやんしたが、同学年でやんしてね」


「ああ。玲華先輩も飛び級をしたんでしたっけ」

「波月には、敵わないけどね」


「ええっ? 波月さんて頭良かったの!?」

「ユキっち。その話は後で。
 今は、玲華先輩と夕薙先輩のお話」

「そうだった。夕薙さん。それで、それで?」



 椀に酒を注いで、思い出すように眼を眇める夕薙。

「その当時の玲華は、海賊意識が抜け切れてねぇ状態でやんして。

 
敵対すれば斬り、立ち塞がれば斬り、隣に立てば斬る。

 完全な『殺鬼』ってな感じで、傍に近寄ることさえ、できなかったんでやんすよ」


 玲華も思い出したのか、失笑を噛み殺した。

「まだ、人に擬態する事に慣れてなかったのよ」


「まあ、そんな玲華だから、当然、友人なんて一人もいなかったでやんすね。
 当時から、麗美な美貌でいっちの人気でやんしたが、その強烈な殺気で、近づく男もいやしねぇ。

 近づいた怖いもの知らずも、一人いやしたけど、玲華の睨み一発で気絶でやんしたな」

「アララギ君ね。
 あれは悪いことしたわ」


「へえ。あれから、彼は玲華の信望者でやんすからねぇ」

「気絶した時、美がどうたらと呟いてたけど、関係あるのかしら?」



「で。ある日、夕飯が終わった後、食堂で玲華が一人、酒を呑んでやんして」


「え? 士官学校って、お酒飲んでも良いの?」

 ユキナの疑問に波月が答える。

「うん。適量ならね。
 まあ、学校側の本音は、外で呑んで問題を起こすぐらいなら、中で呑め。って事なんだけど」

「ふ〜〜ん」



「で、周りから浮いていた(あたし)に声をかけてきた夕薙の初めての言葉が「学年主席(トップ)が独りで酒を呑むのは、寂しすぎるでやんす。
 今宵は、あたくしと一勝負」…………だったわね」

「そうでやんす」



え゛!? 二人の出会いって、酒呑み勝負?」


「うわっ。先輩たちらしい!!」


「で、で。結果はどうなったんですか?」

「食堂中の酒を呑み干して、両者撃沈。引き分けでやんしたな」


「あれには、驚いたわ。
 なにせ、海賊時代から荒くれの男どもをコテンパに打ち負かしてきた(あたし)が、まさか女性に引き分けるとは」

「酒呑みの意地として、負けらんねぇでやんしたからなぁ」


「次の日、二日酔いを抱えながら、教官に二人して怒られたわね」

「ガンガン鳴る頭に、あの怒声はきつかったでやんす」


「へぇ〜〜」


「その一騎打ち。見たかったような、見なくて良かったような……」

「見なくて正解よ」

「でやんす」


「…………は……はあ」

 不敵な笑みを浮かべる玲華と夕薙に、波月はびびりながら生返事を返した。








 ユキナ・波月・玲華・夕薙が会話を弾ませ、その向こうでは山田とサブロウタがゲキガン話に大輪を咲かせている。


「『修羅の波月』に『双刀の玲華』に『槍術の夕薙』。
 壮観たる眺めですね」

 九十九の言葉に、隣のアキトも同意する。

「最強の三人組だな」


「ですが、個人の勇は所詮、個人のものです。
 千の兵士に勝てる波月殿でも、戦艦の砲撃一撃で消し飛びます。
 刀と刀の時代なら『無敵』でしょうけど、今は『重力波砲』と『時空歪曲場』の時代です」

 酒で僅かに上気した九十九が、アキトの椀に酒を注いだ。

「そうだな。
 生身では宇宙空間に出れないし、
 戦艦と生身の人間では、間違いなく戦艦が勝つ」


「はい。比べるまでもありません。
 私は波月殿より、その戦艦を手足のように指揮する叶十殿の方が、はるかに怖い。
 もっとも、その波月殿も叶十殿の『弟子』で、しかも『かぐらづき』参謀長ですから、十分に脅威に値しますが」


「だが、こう言っては何だが……波月ちゃんて、参謀で役に立つのか?」

「波月殿には『奇策の波月』、または『奇襲の波月』という字名がありましてね。
 彼女は、奇襲や奇策を得意としてるのです」


「その表情だと、何か問題がありそうだな」

 アキトは、九十九の椀に酒を注ぎ返す。


「ええ。戦略仮想戦(シミュレーション)では、奇襲をかけた始めの内は良いのですが、中盤以降に戦列を崩して、後はズルズルと負け込むことが多いんです。
 要は、奇襲を押さえて、奇策にさえ気を付ければ、私でさえ勝てるのです」


「波月ちゃん。参謀に向いてないんじゃないか?」

「いいえ。彼女が打ち出してくる奇襲・奇策には眼を見張るものがあります。
 ただ、それを生かせる人材が木連にいないのです。
 彼女の奇策を取り込みつつ、冷静冷徹に戦局を左右できる人物が」

「そうなのか?」


 純米酒に口をつけるアキトに、九十九は腕を組んだ。

「この木連で冷静沈着な戦術を立てられる人物はほとんど居ません。

 例外は叶十殿ですが、彼の場合は波月殿の戦術を必要としません。

 今、波月殿の上官のかんなづき艦長の秋山源八郎は冷静な男なのですが、質実剛健な作戦を得意としており、奇襲奇策はあまり採用しません。
 よって、波月殿の戦術も制限されてしまいます。

 冷静沈着で絶対に負けない手を打つ艦長が、波月殿を参謀に抱えたら。
 しかも、互いの長所を生かし合うことが出来たら…………。

 それは、叶十殿にも引けを取らない最強の組み合わせ(コンビ)になると思います」



「木連がゲキ・ガンガーを聖典にしている限り、現れそうにないな」

「確かに。ですが、ゲキ・ガンガーを聖典に掲げるのを止める時とは、木連が崩壊する時です」







 はらはらと散る薄桃色の桜を()ながら、波月と玲華と夕薙は、ほろほろと酒を呑む。

「美味しいお酒っすねぇ」


「ええ。そうでやんすこと…………て、待つでやんすよ。波月。
 木連での飲酒は―――」

「夕薙先輩。美味しい酒の前で、ケチつけちゃダメっすよ。
 まずは、一献」


 波月に進められるままに、夕薙は椀の酒を呑み干す。


「は〜〜。
 でやんすが、飲酒は木連の法律で年齢が――」

「ほいっ。も一つ、ぐ〜〜っと、一息」


 とくとくと注がれた酒を、夕薙は一息に呑んだ。


「ふは〜〜。
 今、波月の歳はたしか――」

「まだ、呑み足りないようっすね。夕薙先輩。
 ほ〜〜ら。もう、一杯」


 なみなみと椀に注がれた酒を、夕薙はくぴくぴと煽る。


「ぷっはあぁぁぁ!!
 旨めぇ酒をたぁんと呑みてぇってのが人情!!
 酒を呑むのにゃ、人に罪はねぇ。


 うめぇ酒が悪いんでぇ!!

 波月。時化た面してねぇで、呑み明かすでやんすよ!!」


 威勢良く喝采を上げる夕薙。



「くくくくく。
 これぞ秘奥義。『未成年飲酒の術』
 大成功!!」


 ほくそ笑む波月に、呆れ顔になるユキナ。

「………………波月さん」





 その様子を見ていたアキトが、九十九に問う。

「あれが……参謀長?」


「はあ…………まあ。一応」

 九十九は自信無げに答えた。





 波月の年齢は考えまいと、ユキナは別の質問をする。

「そういえば、波月さん。ラーメンの方は、どうなったの?」

「ん〜〜。あと、一歩のところで止まってる。
 色々やってるんだけど、どうしても『壁』が超えられないの」

「壁?」


 玲華が横目で波月を見やる。

「波月がラーメンと叫び始めてから、もう随分、経つわよ」


「そうは言ってもここまで来るのも、結構大変だったんすよ。
 麺に鹸水(カンスイ)って云うのを混ぜるんですが、アキト君もその成分を知らなくって。
 調べるのに一週間もかかったっす。

 100年前の地球の百科辞典を調べても、『中華麺に混ぜるアルカリ性の水。主に炭酸ナトリウムなど』としか書いてないし。
 石鹸水でも、ぶち込んでやろうかと思いましたよ」


「それ、もう食べ物じゃないでしょう。
 で、結局、どうしたの?」

「『美○しんぼ』って云うご先祖様が地球から持ってきた電子書籍(メディア・ライブラリ)の漫画に載ってたっす。
 え〜〜と、38巻目だったかな?
 結果、『いらない』ってことになったのは皮肉と言うか何と言うか」


「そりゃ、びっくり。
 そんな本があったんでやんすか」


「うん。過去の地球の電情報(データ)は情報部が掌握してるから、殆ど出回ってないっすけど。
 地球の物って、実は裏でかなり規制されてるんですよ」

「へぇ〜〜」



 玲華はユキナから注がれた酒を口に含んだ。

「波月。ラーメンが完成したら調理法(レシピ)、教えてね」

「いいっすよ。
 料理を広めるのが、『料理研究家』の役目っすから。

 玲華先輩。料理できましたよね」


「勿論よ。
 宇宙では料理・掃除・洗濯から船の操船、果ては修理まで全て熟せなければ生きてこれなかったから」


「海賊も大変なんすね」

「ええ。空気が漏れるなんて日常茶飯事だったし。
 苦手だ、嫌いだなんて四の五言ってられるような甘い環境じゃなかったのよ。
 料理だってそう。
 料理は食に関わる根元のものだからね。
 出来なきゃ、生でかじるか、飢え死にするだけ」


 手酌で、かっぱかっぱと椀を空けていく夕薙が質問する。

「他の人には、任せられないんでやんすか?」

「他人には、他人自身の仕事があるのよ。
 相互に仕事の役割を決めるなら兎も角、ただ他人に仕事を押しつけるだけなら、他人ともども共倒れするわ。
 宇宙では、自分の仕事を自分でやらない奴から死んでいくのよ」


 なみなみ注いだ椀から零れ、手にかかった酒を嘗め取る波月。

「玲華先輩。今でも、そういうところは厳格っすよね。
 ああ。だから、東司令が仕事をすっぽかすとぶち切れるんすね」


「まあね。
 でも、あいつも、やることはやってるのよ。
 仕事を部下に押しつけたりしないし。
 この前すっぽかした会見も、後で団子と揚げ饅頭を持参して行ったようだしね」


「見かけによらず、真面目なんだ〜〜」

 ジュースを飲んでいたユキナが驚いた仕草で言う。


「そう。ただ、水曜日にふらふらと出歩くのだけは、勘弁して欲しいわ。
 緊急事態に捕まらないと、本当に困るんだけど」


「別に居なくても、玲華先輩だけで、全て解決しちゃえるんじゃないんですか?
 この前の遊覧船木星墜落事故みたいに」


 本気で言う波月に、玲華が微笑んだ。


「東司令の『力』ってのは、作戦や戦術、個人の戦闘力じゃないのよ」


「じゃ、何なんすか?」

「そのうち、わかるわ」

「はあ」




「料理と言えば、波月。
 あなた、なんで『料理研究家』なんてやってるの?」

「あ、アタシもそれ訊きたかった」

「そうでやんす。
 料理人を名乗ってる割には、料理の腕はあたくしより下だし」

玄人(プロ)級の腕を持ってる夕薙先輩と比べられても…………。
 一応、わたしも並の腕は持ってるんすけどね。

 それに、わたしは料理『研究家』であって、料理人じゃないっす」


「…………同じじゃない」


「わたしのしてることは、どちらかと言えば『民俗学』の分野。
 『美味しさ』よりも『作り方』に重点を置くんです」


 酒を口に含んでから、波月は桜を見上げる。

「もとは、わたしの母様が研究してたことなの。
 …………母様の死後、遺品を整理してたら研究手記(ノート)を見つけて――」


「「「…………」」」



「わたしが勝手に後を継いだだけなんすけどね」

 小さく肩を竦めた波月は、チロッと舌を出した。




*




 白髭隻眼の老人は、アキトの所から戻ってきてから押し黙ったまま、黙々と酒を呑んでいた。


 沈思している隻眼の老人に、焔が問いかける。

「先代。
 彼を……『テンカワ・アキト』を、どう見ますかい?」


 椀をぴたりと止め、老人の片目の眼光が白刃の如く鋭く煌めく。

「ありゃぁ。あっしや鬼姫のお嬢や波月嬢ちゃんなぞ、及びもつかんほど人を殺しとるわい。
 『鬼』ってやつよ」


「鬼?」



「久しぶりに見たわ………………『復讐鬼』の瞳なんぞ。
 お〜〜〜。こわぁ〜〜〜」


 唇を突き出し、ずるずると酒をすすり、

「ふほぉ〜〜〜。あ゛ぁあ〜〜〜」

 宙に酒息を吐き出した。



「…………復讐鬼…………でンすかい。
 …………それなのに、和平を望んでる?」


 焔は顎に手を当てて、眼を眇める。

「何か…………裏があるのか?」


 それは、部下にすら滅多に見せない情報部『中将』の瞳だった。



「テンカワ・アキトに何かあるのですか?」


 叶十の視線に、微かに口許を緩める焔。

「そうでンすねェ。
 叶十君と悠流君になら、いいデしょう」


 そう前置きしてから、焔は話し始める。

「お二人は、四人の科学者(フォー・ジーニアス)が、元は五人の科学者だったってことァ知ってマすかい?

 お二人に説明するまでもねぇンですが、我々の東・南・西・北は火星の各研究棟の位置から東西南北が決まり、
 そして、その四つの研究棟を統括していた中央が『天』と呼ばれてたんでンすよ。

 この中央の総責任者、跳躍技術や時空跳躍門などの時空施設の開発に携わった科学者が木連に着いた時、『天河』の姓を名乗ったんでンす」


「テンカワ?」


「エエ。そうでンす。
 で、この天河なる人物は、自ら跳躍実験を施して行方不明。
 木連創生期の出来事でンすから、100年ぐらい前のことでンすね」


「では、その跳躍実験で天河なる科学者は死なずに、火星に辿り着いたと?」

「可能性は、無い訳じゃァないでンすね」


「アキト君には言ったのですか?」

「まさか。全ては過去のこと。
 名前も単なる偶然の一致の可能性が大でンすよ。
 もし、直系だとしても彼には関係ねぇし、知ったとしても我々に組みすることはねェでンしょ。
 だとしたら、教える必要もありゃしマせん」

「まあ、確かに」



 悠流が湯呑みを置く。

「火星と言えば…………遺跡の噂は、どうなの?」

「さすが悠流君。情報が早ェ」

「ぼくも一応、『東家の頭首』だからね」


「何の話です?」

「火星の遺跡都市……聞いたことありマせんかい?」

「遺跡…………ああ。沙音里から、そんなことを聞いた覚えが」


「『時空跳躍演算機』と『次元跳躍潜航艦』の二つの遺跡があるという話でンす」

「あればいいなぁ、と云う程度だけどね」


「でも、もしそれが本当ならば、そして、それが見つかったならば、和平の話もかなり変わってきますよ」

「そうでンすねぇ。
 上層部では、草壁閣下は火星の遺跡が目当てで戦争を始めた。なァんて、噂も飛び交ってマすからねェ」


「もしかすると、閣下の計画では和平交渉と、その決裂の筋書き(シナリオ)さえ入っているかもしれませんね。
 目的のためなら手段を選ばないお方ですから。

 だいたい、戦略的に見れば、火星を攻撃することすらおかしいんです。

 月を取るなら制空権確保ですが、地球と火星は離れすぎてます。
 さらに、地球・火星・木星は公転してますから、位置関係によっては、地球より火星の方が遠くなることさえあります」

「そうだね。閣下は中継地点確保とか言ってたけど、どこにでも設置できる時空跳躍門があれば、あんまり地理的な意味ってないしね」


「それに、木連は木星の水素の海という資源こそ、膨大な量がありますが、プラントの生産能力はそれほど高くありません。
 関係ない所に戦力を回す余裕は無いはずなんです」


「敵の頭を――火星を押さえ込めば、投降すると思ったんじゃねェんデすかい?
 もしくは、敵の出方を見るためとか?」

「ん〜〜。わざわざ、こちらの手の内を晒す必要はないと、ぼくは思うけどなぁ。
 火星襲撃があったから地球に、防壁(バリア)張られちゃったわけだし。
 それがなければ、今ごろ地球を落としてると思うよ」

「そうですね」


「テンカワ……だっけ。彼に遺跡の事は聞いたの?」

「遺跡のことでンすかい?
 イヤァ。見事に質問をはぐらかされましてねェ」

「それは、知っていると答えているようなものじゃないのかな?
 操縦士(パイロット)でも知ってるぐらいだから、地球じゃかなり知れ渡ってるかもしれないね」

「彼を、一介の操縦士と定義すればですけど。
 地球では、上役だった可能性も捨て切れません」

「ん〜〜。どうかなぁ。
 地球の間者(スパイ)に行ってる北辰からの報告じゃ、地球の軍人の偉い人は、滅多に前線に立たないって聞いてるけどなぁ。
 焔さん。『マザー』で地球の事は解んないの?」

「木星全域が精一杯。地球に『チャイルド』があれば、別でンすがね」

「なんです? マザーって?」


 悠流が、へにゃぁと笑う。

「ひみつ〜〜」


「……はあ。
 兎も角、草壁閣下が初めから遺跡奪取の為に戦争を始めたのだとしたら、和平はそう簡単にはいかないと思います。
 そして、疑心暗鬼から、どちらかが全滅するまで戦争は続きます。
 物資的には木星が優れていますが、『撫子(ナデシコ)』の映像を見る限り技術力は向こうが上でしょう」


 叶十の言葉に、悠流もうんと頷く。

「あの映像は、ぼくも見たよ。
 あの『撫子(ナデシコ)』級で艦隊を組まれれば、負けると思うな。
 叶十さんが指揮を取ってくれれば別だけど」


「私は――」



 三人は唐突に会話を止めた。





「いってぇ、こそこそと、何を話し込んでるんでやんすか?」

 夕薙が三人の会話に顔を出した。


「ふっ。バレては、ショウがないでンすね。
 さて、叶十君。悠流君。行くとしマすかい」

「は? 何処へですか?」


「もちろん。ナンパでンす。

 叶十君いると、引っかかり具合が違うんでンすよ」



 えらく上機嫌な焔を、叶十の妻の沙音里(さとり)が半眼で睨めつける。

「焔先生。夫を釣りの餌にしないでくださいませ」



「………………焔従兄さま。西鳳家頭首としての誇りを――」


「ハハハ。チリとホコリはさっさと払い落とすもの。
 後に残るのは真っ正直な自分てなもンです」


「ああ。天国の叔父様、叔母様。
 夕薙は、この不良頭首を更生できねぇでやんす。

 ――――お許しを」

「気にすることはァありマせんよ。夕薙。
 私の父もこんな感じでンしたからねェ」



「よよよよ。
 薄幸のあたくしは涙で暮れて、自棄酒でやんす」



 泣き真似をする夕薙に、玲華がツッコム。

「夕薙。(あたし)には、呑む理由を探してるようにしか見えないんだけど」



「かてぇことは、言いっこなしでやんすよ。玲華」

「あなたって、酒が絡むと、本当に人が変わるわね」





 沙音里は、叶十の隣へ足を崩して座る。

「叶十さん。お客様です」

「お客?」

「はい。あちらに」


 沙音里が手のひらで指し示した先には、長身の黒髪の青年と波月が立ち話をしていた。

四騎(しき)さん。香奈っぺは元気?」

「最近は比較的にね。
 もっとも、病院から退院することはできないけど」

「そうっすか」


「波月ちゃんは、同じ年でしたね。
 また、見舞いにきてください。妹も喜びます」

「ほ〜〜〜い」


 元気に返事をする波月に、『四騎』と呼ばれた青年はポンと手を打った。


「あ!! そうそう、波月ちゃん。
 新作が出来たんですよ」


「え゛っ!?」


 後退さる波月に、四騎は自信満々に言い放つ。



「『ゆで卵を茹でた孫』

 『モノレールにも乗れーる』

 『悠久の有休』」



 桜の花弁だけが、二人の間を舞ってゆく。



「これで妹も笑ってくれるでしょう」

 晴れ晴れとした笑顔で、青年は波月に同意を求めた。



「確か、香奈って心臓が悪いんだよね?」

「ええ。…………昔から弱くて――」


「その駄洒落。絶対に言っちゃダメ!!」


「なっ!? 快心の出来ですよ!?」




「義兄さん。…………あれね。噂になってる妹さんを危篤状態に陥らせた駄洒落って」


 呆れ顔の玲華に、叶十も深い溜息を吐いた。

「ええ。妹さんを楽しませようとしたのは良いんだけど…………笑いの感性(センス)が思いっきりズレててね。
 心臓の弱い香奈さんに30分間、あのような駄洒落を聞かせ続けて心肺停止状態に陥らせたそうだよ。
 四騎君も悪気は無いんだが…………」

「余計に(たち)が悪いわね」





 何故、妹に言ってはいけないんだろうと、首を傾げながら『塚刀四騎』は叶十に挨拶をする。

「お久しぶりです。神狩先生」

「久しぶり。『塚刀四騎(つかとう・しき)』君。
 君の活躍は聞いているよ」

「はは。まだまだです」


「謙遜しちゃって〜〜〜。
 同じ弟子のわたしなんか、問題児(トラブルメーカー)っすよ」


 ひらひらと上下に手を振る波月に、叶十はキツイ苦言を送る。

「君の場合は自業自得です」

「あぅっ」



「おヤ。久しぶりでンすね。塚刀中佐」

「はい。お久しぶりです。西鳳中将」


「上官の南雲大佐に、探ってこいと言われたンですかい?」

「さすがは、西鳳中将。ご明察です」

「なに、単なる花見でンすよ」


 三色団子を頬張りながら、悠流が周りを見回した。

「あれ? いつもの両脇はどうしたの?」


男十浪(だんじゅうろう)は折角の花見に、仕事はイヤだと向こう側で部下と酒盛りをしてます。
 青五(せいご)響希(ひびき)君と逢い引き(デート)でして…………。

 二人には、後で半泣きになるほど書類仕事を押しつけてやります」


 クックックッと低い声で笑う四騎に、何かを思い出したように波月がびびる。

「『半泣きになるほど』って言葉が、現実的(リアル)で怖いっす」


「経験者の言葉は、重みがあるわねぇ」

「ええ。そうでンすねェ」


(あたし)は、罰で五日間ほど閉じ込めて書類仕事させましたけど、西鳳中将もですか?」

「そうでンす。私は七日間、缶詰にしましたねェ」

「あら。あと、もう二日は保ったのね」


「玲華先輩。勘弁してください。
 本当に、発狂しますから」


「大丈夫よ。
 
ちょっと本気で泣くだけだから」


「いや〜〜っ!!
 玲華先輩、眼が本気(マジ)っすぅ!!」



「自業自得だよ」

「書類なら腐るほど滞ってるから、いっぱいあるよ」

「まあ、死なない程度に頑張ってください」

「ちょいと、上の苦労を味わうのも、良いもンですよ」

「ふふふふ。今度は、終わるまで逃さないわよ」



「そんなことされたら、書類の中で、朽ち果てちゃいます!!」



「「「「「問題なし!!」」」」」

 全員が、ビシッと親指を立てる。



「なんですかーー!? ミンナして、そのイイ笑顔はっ!!」

 半泣きになった波月のツッコミが、桜吹雪と共に響き渡った。




「アキト君。上司たちが集団イジメに走ったっすぅ」

 一升瓶を持って、夕薙の酌の相手をしていたアキトに絡む波月。


「ぷっはぁぁ〜〜。
 時化た面して、どうしたでやんすか。波月」

「うわっ。夕薙先輩。
 完璧に出来上がってますね」


「当ったりめぇの、こんこんちきよぉ。
 花見に酒を呑まずして、何を呑めってんでい!!

 でぇ、どうしやした?」


「上司たちが、イジメるっす」



 木の升にたっぷり注がれた酒をくぅっと一息に飲み干した夕薙はタァァンッと、升を地面に叩き置いた。


よぅござんす。

 良い先生が、居るでやんすよ」



「先生?」


「へえ。木連最凶の『禁忌』
 鬼姫にして、絶対に敵に回したくないとまで言わしめたお人。

 触らぬ神に、祟りなし。

 『策略の沙音里(さとり)』さんでやんす!!」



「ゆ、夕薙先輩。それは、拙いっす。
 その人だけは、拙いっす!!」


 慌てる波月の隣に座った叶十の妻『神狩沙音里』が、ふわりと波月に尋ねる。

「で、どうしたのですか?」


「あ〜〜、いや、別に沙音里さんに出張って貰う程の――」


 言葉を濁す波月の思惑など無視して、夕薙が説明する。

「集団イジメのお礼参りだそうでやんす」



「あらあら、イジメのお返しね」


 独り納得した沙音里は、波月の耳元で囁く。


「まずは、ここをこうするの――」

「えっ? ええぇ!?」


「さらに、これをああして、こうしてあげて――」

「そ、それは、鬼っす!!」


「仕上げに、こんな所をこんな風にして、さし上げれば――」

「沙音里さん!!
 それ本当にやったら、
絶叫絶倒、人外魔境の孤島絶境、崖っぷちっすよ!!」



 何を聞いたか知らないが、恐れ戦き、訳の判らない単語を口走る波月を見、玲華は友人に非難の眼を向けた。

「夕薙。とんでもない人を引っ張りだしてくれたわね」


「情けは人の為ならず。
 されど、己の為だけにもあらずでやんす」



 ひゃひゃひゃと笑いながら、肩を叩いてくる夕薙に、玲華は重い溜息を吐き、

「沙音里義姉さん。程々にしてくださいよ」

「うふふふ。わかってるわ。
 スッゴイ方法を教えてるだけだから」

「凄い?」


「ん〜〜。超絶」

「超絶!?」


「悶絶の方が良かったかしら?」

「何を、教え込んでるんですかぁぁぁっ!?」


 ツッコム玲華に、沙音里は手のひらを頬に当てて微笑んだ。

「玲華は真面目ねぇ」

「そういう問題じゃありません」


「そう……残念ね」


 悲しそうに拗ねる沙音里に、玲華は柳眉をひそめる。

「義姉さん。もしかして、酔ってんですか?」


「あらぁ。ぜんぜん酔ってないわよぉ。
 ぜんぜん。かんぺき。まったくよぉ」


「後ろに転がってる、その数本の酒瓶は何です?」

「あらあら、まぁ。こんなに」


「ついでに、酒瓶と一緒に転がって、完全に酔っぱらって眼を回しているユキナちゃんは?」


「あらあら、まぁ? なんでかしら?
 とぉぉっても、不思議」



「………………」


「…………」


「……」


 ほえほえと笑っている沙音里を見つめていた玲華は、無言で一升瓶を掴むと、つかつかと歩き、アキトの隣に陣取った。


「アキト君。
 酔っぱらいは酔っぱらいに任せて、二人で呑みましょう。
 (あたし)、これ以上、酔っぱらいどものツッコミ役やってられないわ」


 憤然と言う玲華に、アキトは乾いた笑いを浮かべた。



「お酒、強いのね」

「強いと言うほど、強い訳じゃない。
 ただ、セーブの仕方を知ってるだけだ」


 遠い目で桜を眺めるアキト。

「ナデシコでは、浴びるほど呑まされたからなぁ。
 特に、ウリバタケさんに」



「ま、一献」


「ありがとう」




 ユキナを介抱している九十九。


 ほわほわと笑う沙音里を説教している叶十。


 戦術論を討論している波月と夕薙と四騎。


 肩を組んで、大声でゲキ・ガンガーを熱唱している山田とサブロウタ。


 その熱唱を聞きながら、静かに酒を呑む焔と隻眼の老人。


 その横で、緑茶を片手に、みたらし団子と饅頭を嬉しそうに頬張っている悠琉。




「平和ね」


「ああ」



「ねぇ、アキト君。お願いがあるの」

「ん?」



口付け(キス)しても、良い?」



「…………酔ってるのか? 玲華さん」

「さあ? 多分、恋に酔ってるのね」


「れい――」



 アキトの唇を、玲華は自分の唇で塞いだ。


 桜の花弁が吹雪舞い散り、二人を覆い隠す。




 温もりを名残惜しむように、玲華が離れた。

「本当は、最後まで()っちゃいたいけど…………さすがに、観衆がいる中じゃね」

「……ははは」


 じぃっとアキトを見る玲華。

「怒らないのね。勝手に接吻(キス)したこと」

「周りなんか、まったく見ない女を知ってるんでね」

「駄目よ。アキト君。
 女性と居るときに、他の女のことなんか話題に出しちゃ」


「そうなのか?」

「これだから」

 やれやれと首を振る玲華。


 どういう表情をして良いか、わからなかったアキトは、顔を逸らして桜を見上げた。

「………………桜か」



「アキトー。アキトー。桜、さくら、サクラ〜〜」

「ユリカさん。はしゃぎ過ぎです」

「でも、綺麗なのには、変わらないさ」

「そうですね」

「ねえ、アキト!! 桜とユリカ……どっちが綺麗?」

「な、何言ってんだお前!!」

「ねぇ、どっち? どっち?」

「ユ…………ユリカだよ」

「え〜〜〜!! 聞こえない!!」

「嘘つけ!!」

「もう一度、大きな声で!!」

「い、言えるかよ!!」


「………………バカ」





「…………う…………あ……」


 一瞬、幸せな時を――――、ユリカやルリと、公園でラーメン屋台をやっていた『昔』を思い出し、奥歯を噛み締めた。



 アキトから鬼気が発される。



「あ……アキト君? どうしたの!?」

「…………なんでも……ない」

「なんでもないって――」


「すまない…………少し……独りにさせてくれ」



「アキト君!!」


 追おうとする玲華を、叶十が止めた。

「義兄さん?」


「私が行こう」







「くそっ。どうして、ユリカを。
 あいつのことは、もう諦めたはずだ」


 そう。復讐が終わったあの時に。

 火星から何も言わずに去ったあの時に。


 なのに…………なんで、心がこんなに痛い?



「…………俺は、なんて情けないんだ」


 ふと、アキトは顔を上げる。


 桜の樹々の間に、人影が見えたのだ。



「…………誰だ?」



 その人影が、誘うように跳ねるように、桜吹雪の薄桃色の霧の中に消える。


 アキトの足は、自然にその人影を追いかけ、桜の森の奥へ奥へと迷い込んでいく。



 まるで隠れんぼをしているように、樹から樹へと人影が移動する。



 長い黒髪が風に靡いた。


「…………あれは…………」


 空調からの風とは明らかに違う風が吹きあがり、花弁の霧が濃くなる。



 白いケープが翻った。


「…………そんな……バカな」



 薄桜色の霧の中に、一際大きな桜の樹のシルエットが写った。


 白桜の桜花の霧を通しても、その桜の花弁が赤く染まっているのがわかる。




 アキトの耳に、声が響いた。


 ――――アキト。




 アキトの唇が戦慄く。


「………………ユリカ?」



 瞬間。


 突風の竜巻が吹き上がり、ざぁっと桜花の霧が晴れた。



 アキトの眼の前に、巨大な桜の樹が姿を現す。

 それは、この桜庭園の主のように全ての桜の中心に繁り栄え、そびえ立っていた。



 他の白桃色の桜の中で、その桜は血色よりも赤く朱く緋く紅い桜華を満開に咲き誇っている。



 それは、見た者を引き込み、引き吊り込む妖桜。




 唖然と桜華を見ていたアキトの視線が、樹下に移った時、アキトは硬直した。




 一人の女性が立っていた。



 両腕を広げて。


 優しく嬉しそうに、微笑みながら。




 夢遊病者のようにアキトは歩を進める。



 ――――アキト。



 再び、アキトの耳に声が届く。


「……………………ユリカ」




 『ユリカ』


 最愛の妻。


 『テンカワ(・・・・)・ユリカ』



 ――――アキト。


「………………ユリカ」



 ――アキト。


「…………ユリカ」





「アキト君!!」

 と、アキトは腕を押さえつけられた。


「……ユリカ」



 それでも、ユリカの所へ行こうと、もがくアキト。



「アキト君。あれは、幻です!!」



「…ユリカ」



 アキトを必死に押し止どめながら、叶十が叫ぶ。


「私には誰も見えません!!
 アキト君。あれは、君にしか見えない幻なんです!!」



「…………ま…ぼ…ろ…し?……だが……、ユリカが――」



「聞いてください。
 木連黎明期、ある少女がこの地に、桜を植えようとしました。
 しかし、いくら植えても、土が合わないのか、他に原因があるのか、全て枯れてしまうのです。
 毎年毎年、いくら植えても全て全滅しました。

 ある年、少女は一本の桜の木を植え、そして、その場で小刀で喉を掻っ切りました。
 桜の苗に血を吸わせ、その少女は息絶えました。
 その少女が、なぜそこまでしたのかは、今でもわかってません。

 ただ、その桜の木だけは枯れることなく生長し、それからこの地には、桜だけが育植するようになったんです。


 ですが、数年に一度、行方不明者がでるようになりました。
 奇跡的に生還した人の話では、心の底から逢いたかった人物の幻に誘われるのだと。
 だから、森の奥まで入ってくる人間は少ないんです

 これが、桜庭園の『血桜伝説』です。


 アキト君。今、君が見ている者も幻影なんです。
 眼を覚ましてください!!」


 暴れるのを止め、呆然と立ち尽くすアキトから、叶十はそっと腕を外した。



 そのアキトの口から、低い笑い声が洩れ出る。


 その声は少しづつ、少しづつ、大きくなり――


「は……はは……ははははははははははははは」



 『ユリカ』を見つめながら、アキトは涙を流し、哄笑していた。



 哭き嗤いながら、アキトは自分を罵る。


「馬鹿だ………………俺は…………馬鹿だっ!!」



 力が抜けたように、膝を着くアキト。


「いつかは、帰れるんじゃないかと…………いつかは許されるんじゃないかと…………いつかは受け入れられるんじゃないかと…………」



 アキトは激情に任せて、両拳で地面を叩きつけた。


「違うんだ!! そうじゃない!!

 彼女は…………ユリカは…………もういない。この世界には…………いないんだ。

 
どこにも、存在しないんだっ!!」



 膝を着いたまま、アキトは虚脱したようにユリカを見上げる。


「今、やっと実感した。
 ユリカには、二度と逢えない。

 幻を見せつけられて、やっと理解した。
 ユリカは…………死んだ。
 いや、俺が『元の世界』から消えたのか。

 どちらにしろ、同じ事だ。

 俺は、ユリカには逢えない。
 どんなに望もうが、切望しようが……絶対に逢えない。

 それが…………今、やっと解った」





 哭き嗤いをおさめ、静かに呟くアキト。



「…………馬鹿もここに、極まり…………だな」







 アキトはゆっくりと立ち上がった。





 アキトだけに見える幻影。





 優しく微笑み、両腕を広げて愛しき(アキト)を待っている『テンカワ・ユリカ』









 そのユリカ()に、アキトは優しく愛しく慈しみの微笑みを浮かべた。











「さよなら。ユリカ」










 ユリカに背を向けるアキト。







「行こう。叶十さん」





「君は…………強いですね」


「いいや。決別を決めるのに、今の今まで、この瞬間までかかったんだ。
 強いとは、到底、言えないさ」





 桜吹雪舞う中を二人は歩いていく。



 アキトは叶十に、ただ一言。

「ありがとう」


 叶十は静かに返答。

「どういたしまして」






 アキトと叶十は、桜並木の後ろに隠れている二人に気づかなかった。



 舞い散る桜花を眺めながら、彼女らは口許に強い笑みを浮かべる。

「よぅござんす」

「楽しませてくれるじゃない」



*


「お〜〜。居た居た。アキト君」

 大きく手を振って駆け寄った波月は、眼を瞬いた。


「およっ? 何かあったの?」


 アキトの顔を覗き込む波月。


「…………いや。
 自分が大馬鹿だってことを、再確認してきただけだ」

「はっ?」


「それより、波月ちゃん。何か用があるんじゃないのか?」


 波月はパンと手を打ち合わせる。

「そうそう。アキト君。
 料理勝負を受けて欲しいの!!」


「料理勝負?」


「うん。題材は何でも構わないの。
 自分の得意料理で大丈夫だよ。
 他に頼める料理人、知らないし。
 お願い!! 引き受けて!!」


 少し思案したアキトだったが、波月の威圧すら感じる『お願いポーズ』に気押されて頷いた。

「ああ…………構わないが」


「本当? 本当? 絶対だよ!!」


 念を押しまくる波月に、アキトは頷く。

「あ……ああ」


「対戦相手の料理人が突然、辞退しちゃってね。
 よかった〜〜、引き受けてくれ――」




「さ。呑み直しましょう」


「逃さないでやんすよ」



「玲華さん? 夕薙さん?」

 有無を言わせず、両腕を取られたアキトは、玲華と夕薙に引き擦られていく。




 二人の様子に、訳がわからず首を傾げた波月の頭を、叶十がぽんぽんと叩く。

「波月君。君も種保存の脳神経(シナプス)回路を作った方が良いですよ」


 叶十の隣に立つ妻の沙音里も微笑んだ。

「恋愛は良いものです」



「え〜〜。面倒くさいっす。
 沙音理さんに言われて、月経とかいうのもやってみたけど、身体が重くなるだけだったし」



 口先を尖らせる波月に、沙音里は頬に手のひらを当てて、小首を傾げる。

「今はどうしてるのですか?」

「月経したくないし、排卵する必要もないから、卵巣は休眠させて、脳の下垂体から出る内分泌液(ホルモン)も最小にしてるっす。
 凍結しても良かったんすけど、解凍する時が面倒で」



 波月の説明に、沙音里は深々と吐息を吐く。


「あなたは、本当に『人』ではありませんね」



 波月は唇の端を吊り上げて、笑みを形作った。


「何を『当たり前』なことを」




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