「俺は………火星生まれだ。

 その、火星生まれの……地球陣営の人間として言わせてもらう」


 驚愕のさざめきが会場に浸透していく。

 だが、アキトは構わずに続けた。


今、木連が行なっている復讐は、復讐じゃない。

 俺は、復讐は虚しいとか、意味がないとか、そんなことは言わない。
 そんな綺麗事は、第三者だから言える言葉だ。
 部外者だから言える台詞だ。

 俺は『昔』、妻を攫われ、身体と脳を弄くり回され、全てを奪われた。

 絶望の中、俺は生き延びた。
 ただ、復讐を糧にして。

 だから、復讐が虚しいなどとは、口が裂けても言えない。言いたくない。


 だが、この木連の復讐はどうだ?

 この中に、直接(・・)、地球の人間に危害を受けた人間はいるか?
 直接、核を撃ち込まれた人間はいるか?
 直接、妻や子を惨殺された人間はいるか?

 全ては100年前の出来事だ。

 俺達は、100年前の事を『知る』事はできるが『感じる』事は出来ない。

 感じられるなどと云う人間がいたら、それは単なる『錯覚(・・)』だ。
 『共感』は突き詰めれば、錯覚だ。

 その錯覚は悪いものじゃない。
 思い遣りとは、共感から生まれるものだから。

 だが、錯覚で人を殺すのは、愚かしいと思う。馬鹿だと思う。


 地球が謝れば、気が済むか?

 そうはならない。

 地球人を大量殺戮すれば気が済むか?

 そうはならない。


 復讐は、その対象(・・)がその場にいなくてはならない。

 別の人間を殺した所で、何一つ変わらない。
 恨みも憎しみも、そして、現状もだ。


 百年前の人間の恨みを、百年後の人間に償わせる。


 それは、断じて復讐じゃない。

 それは、復讐とは呼ばない。

 憎悪に身を焦がし、復讐に駆られ、殺戮を生き甲斐にした『鬼』から見れば、
 それは、復讐じゃない。


 それは、錯覚による感情的な義憤だ。

 義理の(いきどお)りだ。
 正義の憤りですらない。



 何故なら、恨みを持った当事者がいなくなってるからだ。



 そして、この『過去の義憤』には際限がない。
 何故なら、『過去の義憤』による復讐は、果たされるという事がないからだ。

 相手の殲滅か服従によってしか、終わる道はない。


 復讐は直接被害を受けたものがするからこその復讐であって、
他人のために、正義のために、見知らぬ祖先のための復讐は、『想像の産物(錯覚)』をより所にし、大義名分を持っていると勘違いした『無慈悲な殺戮』でしかない。


 『過去の義憤』による戦いは、何の目的も無く、際限もない。

 ただ、相手を痛め付ける(・・・・・・・・)と云う『手段』があるだけだ。


 それは、鬼畜の有り様と何ら変わらない。



 この戦いは、過去の復讐だけでは無いと反論も出るだろう。

 俺は、この7ヶ月、木連で暮らしてみて思った。
 確かに、いつ空気が無くなるかという環境の中で暮らすのは、辛く厳しく苦しい。

 だからと言って、地球侵攻の大義になるか?

 ならない。

 自分が苦しいからと、他人も同じ苦しみに落とす。
 そんなものは、下種の発想だ。

 他人を苦しめたところで、自分らの辛さは何一つ変わらない。


 その行為は、外道と同じだ。

 火星に核を打ち込んだ地球上層部と同じ位置に堕ちることだ。

 君らが憎む過去の地球上層部と、まったく同じレベルと云うことだ。




 では、どうすればいいか。




 木連の誇りを落とさず、地球に借りを返す方法。

 一つだけある。

 木連が取るべき道は一つ。


 
それは、和平だ。


 和平は負けじゃない。
 和平という名の戦略だ。
 『負けない』という戦略の一つだ。

 地球に『木連』の名を正々堂々叩きつける。

 その為の和平だ。

 これは、平和のためなんかじゃない。
 木連が地球と対等と認めさせるための戦略的手段。



 手に手を取って、世界平和。
 はっきり言おう。そんな奇麗事は無理だ。
 人間から、欲望や競争心、見栄や嫌悪を無くせと言ってるようなものだからな。


 だが、人の心は嫉妬や欲望や憎しみだけじゃない。

 誰かを愛し、誰かを護る。
 それも、人の心の側面の一つ。


 俺には護りたい人たちがいる。

 それは、あなたたちも同じのはずだ。

 その思いは、地球人でも木連人でも変わらない。


 ならば、和平の道を選んで欲しい。


 以上。

 殲滅された火星の生き残りからの言葉だ」




 観衆がざわめき出す直前――



「そんな!!」


 波月の悲鳴のような声があがった。




「波月ちゃん?」


 アキトの呼びかけも聞こえてないかのように、よろめく波月。




「そ………………そんな、

 
火星人は赤くって、頭が三角で、足が八本あるって信じてたのに!!
 裏切ったな!!


 
わたしの夢を裏切ったな〜〜〜〜!!」




「は…………波月ちゃん?」




「そうだよね。ミンナ〜〜〜〜〜〜〜!!」



「「「「おお〜〜〜〜〜!!」」」」

 実にノリのいい木連人たちであった。



「てなわけで…………剥いてみましょう

 手をワキワキとさせ、ニヤリと嗤う波月。



 アキトが何か反応を起こす前に、神速で移動した波月が、アキトの腕を掴んでいた。



 思わず硬直するアキトの耳元で囁く波月。

「早く逃げて。
 まったく、バカなことをしてくれたものね」


「………………すまん」




「あっ、逃げた!! 逃げました!!
 これより、波月は追跡にかかりまっす。


 
では、料理でガッテン。ま〜〜〜た、来週っ!!」



 審査員席の玲華が、波月に鋭い一瞥を投げつけた。


 波月は、その目線だけで玲華の意図を読み取り、軽く頷き返すと、アキトの後を追い始める。



 玲華は最前列にいたユキナを保護するために、客席に飛び込んだ。



*



 当のアキトは野外会場を出た所で、木連憲兵隊に囲まれていた。



 憲兵隊と名は付いているが、実質的には地球の警察とほぼ同じ役目である。


 全員が、1メートルほどのカーボン製の棍棒を構えていた。

 憲兵隊の主な任務は捕縛であるため、刀は持っていない。

 腰のリボルバー拳銃は彼らの最終手段である。



 憲兵隊が、取り囲むように円陣を作った。


「大人しく投降しろ。テンカワ・アキトとやら」



 コリコリと額を掻くアキト。

「どこかで、聞いた台詞だな」



 一人の憲兵が棒をトンボ構えに構えた。


「チェストォォォォォォ!!」

 気合いを発しながら、憲兵が突っ込んでくる。


 振り下ろされる棒を前に、アキトは一歩前へ飛び込んだ。


 棒の根本を左手で押さえ、威力を殺したアキトは、震脚と同時に馬歩となり、憲兵の鳩尾に右肘を叩き込んだ。


 ズン!!


 ”木連式極破流柔『豁打頂肘』”



「チィェェェェェェェェ!!」

 アキトの後ろに回り込んだ憲兵が棒を振り上げる。


 アキトは気を失った憲兵の後ろに回り込むと同時に、その男の身体を、棒を振り上げている憲兵の前に押し出した。

 憲兵が味方を殴るわけにもいかず、躊躇し、たたらを踏んだ一瞬。


 アキトは大きく腕を振り下ろし、掌底で憲兵の額を叩き下ろす。

 返す腕で、鉤手にした手首の部分で、顎を強打。


 ”木連式極破流柔『伏虎』”


 脳を凄まじい勢いで上下に揺らされた憲兵は脳震盪を起こし、あっさりと気絶した。



 二人の男が倒れ、アキトは残り五人の憲兵隊を見やった。

 彼らが棒を構え、半円の包囲網を一歩小さくする。




 と、そこに白と黒の人影が飛び込んできた。




 突き出された棒を、右手で引き込みながら、足払いをかけ、鈎手にした手首で憲兵の顔面に裏拳を打ち込む。

 地面に叩きつけられた憲兵は、そのまま気絶した。


 後ろから横薙に振られた棒を身を沈めて躱し、蹴り足を軸に横回転して、

 ズム!!

 憲兵の腹部を蹴り上げた。


 鳩尾(みぞおち)を蹴られ、憲兵は抵抗することなく気を失った。



 地面を即転し、立ち上がった瞬間、刺突された棒を開掌で弾き、逸らしながら身体を回転させ、憲兵の後頭部に肘打。

 憲兵は脳震盪を起こして、地面に崩れ落ちる。



 筋肉質の大男が、棒を袈裟斬りに振り下ろした。

 鋭い風切り音を立てる棒を躱し、


 ズドン!!


 ”木連式水蓮流柔『通天砲』”



 鋭い震脚とともに、憲兵の鳩尾に拳を打ち上げる。


 吹っ飛んだ大柄な憲兵が、地面に落下した時には、白目を剥いていた。




 棍棒を持った四人の憲兵を僅か六秒で倒した波月は、残りの一人を見据える。




「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃ」

 最後の一人の憲兵は、腰を抜かしていた。


 無理もない。『ソレ(波月)』は憲兵隊では絶対に触れてはならないとされている『化け物』なのだから。



 腰を抜かした憲兵はブルブル震えながら、腰の拳銃に手をやる。


 感情が抜け落ちた波月の眼に、純鉄(化け物)の黒瞳が顕現した。



 憲兵は拳銃を波月に向けることなく、遠くに投げ捨て、涙を流しながら懇願を始める。


「た……助けてくれ!!
 お願いだ。

 俺はまだ、死にたくない。
 この通りだ!!」


 感情の仮面を被った波月が、口を開いた。

「気絶しなさい」

「え?」


 低い声で言い募る。

「早く」


 その場に寝ころんだ憲兵は、気を失ったふりをした。



 波月に伸された憲兵たちを見、全員生きている事を確認したアキトは訝しげな表情を作る。


「殺さないのか?」


「うん。この人たちは『敵』じゃないからね。
 わたしが『敵』と認めるのは、『わたしの命』を狙ってくる者だけだよ。
 まあ、命を狙ってきたら問答無用で殺すけど」

「なるほど」


「行こっか、アキト君。
 これ以上、憲兵隊が出てくると厄介だし」

「ああ」







 二人が去った後、気絶のふりをした憲兵が、むくりと起きあがる。


 二人の会話を聞いていた憲兵は、びっしょりと冷や汗をかいていた。


 あの時、拳銃を捨ててなければ、もし、威嚇のために拳銃を向けていたなら……俺は今ごろ――。



 憲兵は、蒼い顔でガタガタと震えていた。




*




「波月ちゃん。何処に向かってるんだ?」

「ん? 玲華先輩の教えてくれた場所なんだけど。
 ん〜〜。確か、こっちで良かったはずだよ」


「はず? ……本当に大丈夫か?」

「ん。それは、大丈夫。
 それよりも、草壁閣下の実行部隊が出てくる方が面倒になると思う」


「…………北辰か?」


「おや。地球……じゃなかった。火星人なのに、良く知ってるね。
 そ、あの分家の北辰だよ」


「分家?」


「その事は知らないの?
 なんか、アキト君て、変な風に知識が偏ってるね。

 北辰……て言っても、北家の頭首になると『北辰』を名乗るから、今の北辰を北辰と言うことにしておこうか。

 もともと、北辰は北家の分家の、さらにその養子でね。
 言ってしまえば、初めから暗殺者として買われてきた子供だったの。

 もちろん、分家の養子なんて、とてもじゃないけど、見向きもされない。
 出世しても、せいぜい、暗殺実行部隊の一部隊長が関の山。……だったんだけどねぇ。


 幸か不幸か、ずば抜けた殺しの才能を持ってたんだ。
 分家を皆殺しにして乗っ取り、さらには、本家に乗り込んで当時の頭首――先代北辰を倒して、実力で頭首の座を先代からもぎ取ったの。
 まあ、その戦いで北辰も左目を潰されたけどね。

 ちなみに、先代は死んでないよ。右目を潰されただけで助かったんだ。
 この前の花見の時に来てたでしょ」


「あの老人は……北家の先代頭首だったのか」


 アキトは納得する。


 通りで、あの眼に見覚えがあるはずだ。

 あれは北辰と同じ眼光だった。



「そ。今、本家の方じゃ、次期頭首を本家の人間にしようと、かなり力を入れてるみたい。
 それで、本家の方じゃ、何やら色々ごたごたがあるらしいよ。

 北辰の後継者の最有力候補は『綺漣(きれん)』て言ったかな」


「北辰の……後継者だと?」


 波月は、アキトの低い唸り声に気付かない振りをしながら、話を進める。

「そう。情報部にいた頃、私用で情報網使って調べたんだ。
 手合わせしてみたくなってね。
 で、あらゆる手を使って調べたんだけど、年齢も容姿も何処にいるかも一切不明。

 わかったのは、『綺漣』て云う名前と、男なのと、血のような赤い着物を好んで着ていることぐらい。

 焔中将独自の情報網を使えれば良かったんだけど、中将には内緒で調べてたからねぇ。
 結局、それ以上は判んなかった」

「諦めたのか?」


「まさか。仕様が無いから、最終手段にでたよ」


「最終手段?」

「うん。北辰を襲撃したの」

「えっ?」


「北辰なら、その子の居場所を知ってるでしょ。
 だから、襲ったの」


「…………で?」

「北辰の配下の、え〜〜と、そうそう、六連ってやつらを3人ほど殺した所で逃げられちゃった」


 波月の言葉を聞き咎めたアキトは、眼を眇める。

「殺した? いや、だが、『あの時』は、『6人』いたはずだが……」


「ん? 会ったことあるの?」

「…………あ、ああ」


「それはね。補充されるからだよ」

「補充?」


「北家にはね。北家を支える家が9家あるの。

 烈風・嵐乱・凄氷・獄火・雷閃・震土・斬炎・灼砂・緋雪・絞電ってね。
 おっと、絞電は潰れてたか。

 で、この9つの家の中から6人を選んでるんだよ。
 もちろん。各家どうしで暗殺やら毒殺やらが横行してるし、各家の中でも誰が頭首になるかで、血で血を洗う争いしてるし。

 まあ、生き残った人間ほど、非情で、強く、抜け目無く、隙の無い人間てことだから、暗殺部隊の隊員としては、これ以上無い人材だね。
 誰が考えたか、知らないけど良く出来た構造(システム)だよね」


「つまり……北辰にとって、六連は替えのきく『駒』ってことか?」

「うん。たぶんね。
 でも、わたしが3人殺しちゃった時には、その後が大変だったよ。

 木連、上の下への大騒ぎ。

 まあ、情報部の人間に裏の専門家が殺されたなんて、表沙汰にできないから、直接お咎めは無かったけどね。

 ただ、焔中将に怒られる怒られる。
 始末書100枚、書き直し(リテイク)くらう事6回。…………
あれは辛かった

「いや、それでも軽い処分だと思うが」


「次の週なんか、始末書見ると、問答無用で燃やしたもの」


「…………燃やした?」


「うん。火、点けてボッ! って」


「怒られなかったか?」

「滅茶苦茶、怒られた。
 「始末書見ると、条件反射で火を点けたくなるんです」って言ったら、
 電磁調帯(ベルト)とチタン合金製の鎖で後ろ手に椅子に縛られちゃって。

 で、焔中将に「そうデすかい。じゃ、手を使わずに口で書いてくださいな」って、
 にっこりと笑顔で言われて、硯と筆を机の上に置かれた時には、さすがに参った」



「………………書いたのか?」


「口で筆くわえて、始末書に焔中将の悪口、ずらずら書きまくってたら、さすがに同僚が見かねて代筆してくれた」

「…………懲りないね。波月ちゃん」



「上層部で、このまま、わたしに情報部の情報網を使わせておくのは危ないって事になって、『難破船飛び乗り事件』もあったから、『優人部隊』に左遷(とば)されたの」


「目的のためなら、手段を選ばず…………か」


「何言ってんの。アキト君だって、似たようなものでしょ」

「え?」


「先の演説で違和感を覚えてたんだけど、やっとわかったわ。
 解答は、とうの昔にアキト君の口から聞いてたのにね。

 『ナデシコを護る』

 ただ、それだけのために、たった、それだけのために、アキト君はこの戦争を止めるつもりなんでしょ。

 わたしたちと戦いたくないと思っているのは本当かもしれない。
 でも、最重要目的は違うよね。


 戦争が無くなれば、最前線で戦っている兵士が死ぬことはない。


 アキト君は、300人だか400人だか知らないけど、その人数を護るためだけに、戦争を止める気だね」



「それの何が悪い?」


「うん。悪いよ。
 戦争を止めるには、何人も殺すことになるよね。

 アキト君は、護る人数の百倍も千倍も殺して、戦争を止める気でしょ。

 『ナデシコを護る』ためだけに




 酷薄な笑みを浮かべるアキト。

「ああ。その通りだ」




「アキト君。

 君、狂ってるよ」




「だから、何だ?」




 冷酷無比なアキトの鬼の瞳に、『化け物(波月)』は心底嬉しそうに笑いかけた。


「あはっ。アキト君のそういう所、わたしは大好きだよ♪♪」




 波月の屈託ない満面の笑みに、アキトは小さく苦笑を洩らした。






「そういえば、俺も聞きたいことがあった」

「なに?」


「さっき、『通天砲』を使っていたな。
 あれは、極破流柔の八大招式の一つだったはずだが」


「うん。そう。
 極破の技を、わたしが水蓮に取り込んだんだ。

 武術教官なら、自分の流派だけ知っておけばいいけど、主任武術教官は他流派にも精通しておかないとね。
 本来の水蓮の根本からは外れてる技だけど、対人用としては良い技だから」

「ほう」



「今の所、水蓮流で通天砲を使うのはわたしだけかな。
 まあ、この先、わたしだけ(・・)の弟子ができたら、その子には教えようと思ってるんだけどね」




*



「波月。こっちよ」

 手を振っている玲華と、なぜ自分もここに連れて来られたのか解ってないユキナが待っていた。


「おおっ。先輩。
 て云うか、何でわたしの後に出てきた先輩の方が、早く辿り着いてるんすか?」


「それは、(あたし)が聞きたいわよ。
 どこで、道草食ってたの?」

「…………さあ?
 で、こっからどうやって、空港まで行くんすか?」

「えっ? 空港に行くの?」

「じゃなきゃ、このカリストから出られないでしょ」



「アタシ、せっかくカリストに来たから水族館に行こうと思ってたのに〜〜」

「わたしも、そのつもりだったんだけどねぇ」


 ユキナと波月のじと眼に、アキトは視線を逸らした。


「その件は後で、アキトさんに償って貰うとして。
 空港に行くのなら、なんで汽車(リニア・トレイン)を使わないの?」


 コロニー内での主な移動手段は単軌鉄道(モノレール)反重力浮遊鉄道(リニア・トレイン)である。

 だが、地球のリニアのように時速300キロも出せない。

 時速は60キロ。早くても80キロ程度。

 一番の理由は、コロニーは閉ざされた空間であり、速度の六乗に比例して増大する風切音――風を切る騒音が反響しあって、コロニー全体がスピーカーのようになってしまうからである。

 トンネルの中で、轟音を立てるようなものだった。


 この他の移動手段として、バッタ人力車などがあるが、これは自転車程度のスピードである。



「そういや、何でなんすか? 先輩。
 汽車の中に紛れ込んでしまえば、見つかりにくいと思いますが」

「汽車の中で見つからなくても、空港を押さえられちゃ意味無いでしょ。
 空港じゃない、宇宙船がある所へ行くのよ」

「ほへ?」


 悪戯っぽく笑う玲華。


「ほら。行くわよ。ついてきて。
 っと、そうそう。波月」

「なんすか?」


「追っ手はなるべく殺さないように」


「え〜〜。面倒臭いっす」


「ただし、(あたし)たち……特に、アキト君の命を狙う輩が現れたら、問答無用でぶち殺しなさい」



 絶句しているユキナの前で、波月はククッと喉を鳴らした。

「それでこそ、玲華先輩。
 それでこそ、
『カリストの鬼姫』

 
修羅の波月(化け物)』は、全面的に了解しました」




 玲華が、『関係者以外立ち入り禁止』の扉を開けると、そこは見渡す限り、パイプと梯子と陸橋が縦横無尽に絡み合っている空間だった。


 カリストの三分の一に及ぶ広大な空間に、直径十メートルのパイプが複雑に入り組んでおり、まるで、迷路のようである。



「何、ここ?」

「水族館の裏側よ。
 カリストの地下(マントル部)が、まるごと水族館になってるから、その機構部もこれだけ巨大になるの。
 あっ、そこの管は熱いから気をつけて」



 迷ったら二度と出られないような、何の目印もないパイプの迷路を、玲華は迷いなく進んで行く。




「でも、こんな所に宇宙船の発着場なんて、あるんすか?」

「それは、これを見てから言うことね」


 パイプの群を潜り抜けた玲華は、眼下を指さした。




 そこは、市場が開けていた。




 生命力に満ち溢れた猥雑さが渦巻いた市場。

 狭い路地の両側には、すぐに畳めるような作りの店ばかりが立ち並び、耳を塞ぎたくなるような喧噪が市、全体に響いていた。

 幌をかけただけの店には、明らかに違法な物や、一見して何かわからない物が、混然と積まれている。



 ここは、『闇市』と云う単語がもっとも相応しい場だった。


 唖然とする面々に、玲華が説明する。

「激華街が政府公認の闇市なら、ここは本当の闇市ね。
 盗品に、海賊の略奪品、猥褻品(ポルノ)、軍から横流しされた武器、同人誌。

 まれに、ゲキ・ガンガーの幻の三話分とか。
 もっとも、転写(コピー)転写(コピー)を重ねてるから、画像は劣化しまくってるけど。
 売ってないのは、人くらいね」



「玲華先輩」

「ん?」

「夕薙先輩は、ここのこと知ってるんすか?」


「まさか。知ってたら目鯨立てて取り締まってるわ」


「教えないんすか?」

「ええ。ここに住んでる人間には、非合法でもこういう場所が必要なのよ。
 無ければ、飢え死ぬ人間も出てくるしね。
 でも、一番の理由は、ここでは人身売買を禁じてるから。

 こういう闇市は、潰しても潰しても後から幾らでも生まれるわ。
 でも、その時に纏め役がいい加減な人間だと、それこそ完全な無法地帯になる。
 (あたし)の大嫌いな、人身売買をする輩が平然とのさばる。

 この闇市は、妾の友人が仕切っていてね。
 ここは、何があろうと『人』だけは売らないの」

「へえ〜〜」


(あたし)が海賊を纏めるまでは、闇市では当然のように、人が売り買いされていたのよ。
 昔は、木連で闇市と言えば人身売買だったし。

 木連では、『人』が一番の希少品だからね」



 玲華が遠くを見るように眼を眇めた。


(あたし)も、それで海賊に売られた口だから」



 驚きの三人の視線に、玲華は小さく笑みを浮かべた。


「…………もう、昔のことよ。
 さあ、行きましょう」





 陸橋から梯子で下りた四人は、人混みを掻き分けるように闇市を進んでいく。



 中には、玲華の姿を見て逃げ出す客や、波月を見て硬直する商人たちがいた。




 奥へ奥へと進み、最奥の建物に行き着く。


 眼が醒めるような赤に塗られた、赤紅の建物の前で玲華が立ち止まった。


 建物を幾つものパイプが貫通していた。

 この建物が、後から建てられた為である。


「変わってないわね」

 玲華は懐かしげに見上げた。


「それにしても、この色、どうにかならないのかしら」


 壁を叩いた玲華は、アキトたちへ振り向く。

「さあ。着いたわ。
 彼なら、必ず飛空挺を数機持ってるはずだから」



 と、玲華の前に、染めた金の髪を全て逆立て、ジャラジャラと総重量1キロはありそうなアクセサリーを全身に身に着けた痩躯の男が、上目で睨みながら現れた。


「アアッ。あんだテメェはオラァ。
 ぶっ殺すぞ。コラァ」



 罵声を吐く、そのチンピラ然とした男に、玲華は呆れの溜息を吐いた。

(あたし)の顔を知らないって事は、新米ね」



 その言葉に、チンピラがさらに(いき)り立つ。


「ああっ。新米だとゴラァ!!

 
由緒正しきチンピラの中のチンピラ。

 
タイガー・チンピラこと『大牙陳平(おおが・ひねひら)』様たあぁ、俺様のことよっ!!」


「由緒正しきチンピラって?」
 「そこはツッコマないでおこうよ。
 なんか、誇り(ポリシー)持ってるみたいだし」

「はっ!! ビビッたみてぇだな姉ちゃ――グゲッ


 突然、殴り飛ばされたチンピラは、頬を押さえる。

「何、するんスか? 兄貴」


 チンピラを殴った、海坊主に見紛うような丸坊主の巨体の男は、のっそりと見下ろした。


「おめぇ。この貴女を知らねぇのか?」

「闇市の娼婦か何かですけぇ?」



 男は問答無用で、チンピラを蹴飛ばす。


「この御方こそ、『鮮血鬼姫』
 カリストの玲華様だ」


「ウゲェ!!」



 男と玲華は、チンピラを蹴り飛ばした。


「人の名を聞いて、ウゲェとは何よ。ウゲェとは」

「すんやせん。姐さん。
 こいつには俺の方から言い聞かせておきやす。

 で、今日は何でまた」


「飛空挺を借りにきたんだけど? いい?」



 男が、のっそりと後ろのアキトに視線を移す。

「その火星の兄ちゃん絡みですかい」

「相変わらず。察しが良いわね」



「へえ。こちらです」

 男はのっそりと、しかし、全く足音を立てずに建物の奥へと玲華たちを誘う。



「この隠れ家(アジト)、紅は止めなさいって言ってるのに。
 これじゃぁ、目立ってしょうがないわ」

「すいやせん。
 これは、『鮮血鬼姫(姐さん)』の紅なので、変えるわけにはいかねぇです。
 ご勘弁を」

「相変わらず、強情ね」

「へえ。性分でして」




*




「で、これから何処へ行くんだ?」

 アキトが、操縦席に座る波月に問いかける。



 男から小型宇宙艇を借りだし、当局に見つかる事なくカリストを離れていた。


 エウロパに向かって飛んでいる四人乗りの小型艇には、波月が操縦席、玲華が助手席、後部座席にアキトとユキナが座っている。



「エウロパだよ」

 波月の返答に、アキトは困惑した。

「俺が九十九の家に世話になってるのは知れ渡ってるはずだぞ。
 危険なんじゃないのか?」


「勿論だよ。
 ツックーの家に戻るわけじゃないよ。
 叶十先生の所へ行くの」


「ええ。あそこなら、政治家や軍人は手が出せないわ」


 波月と玲華から行先を聞いたアキトは増々困惑を浮かべる。

「叶十さんて、そんなに凄い権力者だったのか?」

「いいえ。叶十義兄さんには、何の権力もないわ。
 手が出せないのは、その妻。
 (あたし)から見れば義姉にあたる、沙音里義姉さんの方よ」


「そんなに凄かったのか、沙音里さんて。
 とても、そうは見えなかったが」



 波月が苦笑した。

「外見で甘く見ると、痛い目に合うっていう見本みたいな人だよ。南雲沙音里さんは…………おっと、今は神狩か。

 あの人は、木連で『策略の沙音里(禁忌)』と呼ばれていてね。
 策略や策謀じゃ、木連で一等一番なんだ。

 現に、不用意にあの人を敵に廻して、地位も身分も金も家族もことごとく叩き潰され、地獄を見た政治家経済家軍人は何人もいるしね。
 政治経済界では、あの人は一種の禁忌(タブー)になってるくらいだから」



「何せ、この(あたし)が――『鮮血鬼姫』が唯一、戦う前に負けを認めた人よ」



「わたしも、あの人とは戦いたくないな。
 たとえ、殺されたとしても、その自分の死すら策略に組み込む人だから。

 あの人にとっては、勝つも負けるも一緒。勝ちは負けで、負けは勝ち。

 果てのない盤上で黙々と世界を相手に、永遠に囲碁を打ってるようなものだよ。
 あの人にとっては『鬼』も『化け物』も駒一つでしかないし、自分すらも駒でしかない。


 さらに――――

 敵は殺す(・・・・)

 この、たった一つの概念だけで、このわたしを…………見境ない殺人者だった『修羅の波月』を社会という枠組みに填込んだ人なんだから」

「え? どういうこと?」


「あんまり話したくない。て云うか思い出したくもない。
 焔中将と紗音里さんに――あの師弟二人組(コンビ)に、どうやって嵌められたか(・・・・・・・・・・・)なんて」


 顔を顰める波月の隣では、玲華が同情か共感か、もしくは思い当たる筋でもあるのか、苦笑いを浮かべていた。




 簡易レーダーで何かを調べていた波月が落胆の声を洩らす。

「ああ。やっぱり検問を敷かれてる」


「検問?」

「うん。小型探知(レーダー)機を網の目のように配置して、その区間を通る船を型番を全部調べてるわけ。
 それが、空港の出着記録と合わない船は、通報されちゃうんだ」


「抜けられないのか?」


「検問はぶっちぎれると思うけど、その後の追っ手がなあ。
 高速戦闘艇と小型艇じゃ、加速も小回りも武装も防御も、全部あっちが上だもん」


(あたし)が操縦替わろうか?」


「冗談。
 先輩なら捲けるかもしれないすけど、今はユキっちも乗ってるんすよ。
 わたしたち三人は兎も角、ユキっちが挽き肉になっちまいます」


「久しぶりに(あたし)の腕を披露できると思ったのに」


「可愛く唇を尖らせてもダメなものはダメっす。
 さて、でも本当にどうしようかな」


 小型艇と高速戦闘艇では、勝負にならない。

 軽自動車とパトカーが高速道路でチェイスするようなものだ。


 逆走のような命賭けのアクロバットをしなければ、どうやっても捕まる。




 首を捻っていた波月は、受信ランプが光ってる事に気づいた。



 受信ボタンを押すと、ピーッと甲高い電子音が鳴り響く。


 そのまま、ピッピッと言う電子音のみが繰り返し鳴り始めた。


「何これ? 壊れちゃったの?」

 身を乗り出すユキナを、玲華が諌める。

「シッ!! これは、打音(モールス)信号よ」


 通信が終わると同時に、波月は右へ操縦桿を傾けた。


「波月。今の誰?
 あなた、海賊に知り合いでもいたの?」


「共通の友人を持った友人と言うべきでしょうか。
 まあ、『人でなし』と云う点ではわたしと同類ですかね」




*




 指定された座標に居たのは、一匹のバッタだった。


 そのバッタは、大きな赤い眼が一つしかなく、黄色の装甲がモスグリーンに塗られ、背羽の部分には、白の塗料でドクロマークが描かれている。


「『コガネ』。お待たせ」


 波月は、言葉と同時にブロックサインで伝えた。

 操縦桿から両手を離して。


 元海賊の玲華にとって、手放し運転など普通の事だし、
アキトは自動操縦付きの地球の乗り物に慣れているため、手を離すということが今一、実感できてない。

 勿論、木連の小型艇には自動操縦機能などという高等な制御装置など搭載されてない。

 ユキナだけが、青い顔で「あわあわ」と慌てている。



「海賊専用の抜け道を教えてくれるって本当?
 て云うか、わたしたち軍人(・・)に教えちゃって良いの?」


 波月のブロックサインに、コガネの眼が赤くチカチカと照り返した。


「ふ〜ん。『海賊(ガヴァメント)』の指示か。

 ところで、その背中の髑髏標章(ドクロマーク)は何?」


 赤い一つ眼がチカチカと光って返答したコガネに、波月は呆れた笑いを浮かべる。


「海賊に入団したから、入れ墨、彫ったって…………塗装(ペイント)じゃん。
 まったく、高松工学博士がそんな姿を見たら…………ああ、博士なら間違いなく喜ぶか」



 波月が「似合うよ」とブロックサインで伝えると、コガネは嬉しそうに眼を点滅させた。




*




 コガネの協力もあり、アキトたちは無事、エウロパの家の前に立っていた。



 ただ――――


 海賊御用達の抜け道を通った時、


「あら、(あたし)が昔、作った道じゃない。
 まだ利用してたのね」

 そう、お気楽に宣った玲華の所見が、波月を無言にさせていた事ぐらいだ。

 声に出したら鉄拳が飛んでくるので、多分、心の中で色々とツッコんでいたのだろう。


 至極、些細で瑣末な問題である。



「本日、初公開!!
 ここが、わたしの家で〜〜す」


 波月は観音扉の前で、大きく腕を広げた。


「うわ〜。波月さんの家って、大きいんだ」

「いつ見ても、無駄に大きいわね。
 エウロパじゃ南雲家に次いで大きいんだっけ」


「え? 叶十さんの家に行くんじゃなかったのか?」


「うふふふ。これは、目眩まし」

「?」


「まあ、入れば解るよ」



 波月の家は、西鳳家の2倍はあろうかという広大な屋敷だった。


 もっとも、その内の7割は巨大な道場が占めている。


 屋敷の中は、調度品はほとんど無く、民家をただ大きくしたような感じだった。



 その屋敷の奥にある2畳の狭い部屋に、不釣り合いなほど巨大な金庫が壁を背に設置されていた。

 大人一人、十分に入れそうである。


 アキトはそれを見て、眼を瞬かせた。

「金庫?」


「そ、金庫」


 波月は、二つのダイヤルを回して鍵を開ける。


 開けると、中は空だった。ただ、金庫の扉の内側にも、同じダイヤルが二つ付いている。


「この中に隠れろって事か?」


 唖然とするアキトに、波月は吹き出した。

「まさかっ!!」



 波月は、金庫の床底に手をかけ、内開きの戸を開けた。



「なにこれ? 忍者屋敷みたい」

 ユキナが眼を輝かせて、喝采を上げる。



 その下は地下通路になっていた。

 一見、空調配管に模してあるが、人が歩き易いようにできている。



「この地下通路は、玲華先輩の家まで――、叶十先生の家まで続いてるんだ。
 非常用脱出路みたいなもんかな」


「なんで、波月ちゃんの家に、こんな地下通路が?」

「うん。どうやら、わたしのご先祖様と、神狩家のご先祖様は、友人らしかったみたいでね」



 脱出路に危険な気配がないか調べながら答える波月に、玲華も乾いた笑いを浮かべた。


「何が起こったとしても、波月家の戦闘力と神狩家の頭脳が組めば、どんな危険も強制的に解決するわ。
 実際、そうやって神狩家は木連黎明期の混乱を切り抜けたみたいだし」


「仙人を殺戮する武術を修めた仙人と、神を狩る一族の(ペア)

 最興な最強の最狂に最恐で最凶っすね」



「そんなこと言ったら、あなたと(あたし)はどうなるのよ。

 『殺仙の化け物と、神狩りの殺人鬼』よ」


「それは、最興で最強に最狂な最恐の最凶であるだけです」


「どっちにしろ、変わらないってことね」


 肩を竦める波月。



「じゃ、波月。
 あとは、お願いね」


 その場でターン(一回転)した波月は元気良く返答と敬礼をする。

「了解でありまっす。
 ああ、楽しみだなぁ」



 3人が潜ったのを確かめてから、波月は床戸を閉め、金庫の扉を閉めた。




*




 本を読んでいた叶十は、奥の狭い部屋に眼を向けた。

 そこに設置されている金庫のダイヤルが、独りでに動いている。


 それを見、一つ溜息を吐く叶十。


 鍵が外れ、内側から金庫を開けた玲華が、アキトとユキナを連れて出てきた。


「おかえり。玲華」

「ただいま。義兄さん」


「出来れば、玄関から帰って来て貰いたかったけどね」

「まあ、ちょっとありまして……」


 言葉を濁す玲華に、叶十が呆れたような視線を送る。


「また、厄介ごとかい。玲華」



 開き直った玲華は、ふわりと極上の笑みを浮かべた。


「ええ。大当たりですわ。
 叶十義兄さん」





*




 巨大な板張りの道場。


 その中央でたった独り、軍服姿の波月が正座をしていた。

 腰には、いつも下げている一本の小刀。


 気配も音もない、痛くなるような静寂の中、すっと眼を開いた波月は小さく嗤う。

「ほらほら。いつまで隠れんぼしてるの?
 とっとと、出てきたら?」


 三方の陰から滲み出るように姿を現わす3人の男。

「我らの陰行を見破るとは、噂に違わぬ手足れよ」


「違うね。君らが未熟なだけよ。
 その足捌き、南雲家に連なる者だね」


 三人が、一瞬、動きを止める。



「地球の間者『テンカワ・アキト』を何処に隠した」


「隠してなんてないよ。
 匿いはしたけどね」



 ジャシュッと、白刃を抜く南雲家近衛部隊の三人。


「詭弁はいらん。欲しいのはあやつの居場所だけだ」

「草壁閣下に――木連に立てつくつもりか」

「素直に吐いた方が、身のためだぞ」




 鈍く光る刃を見せる男たちに、波月は心底嬉しそうに嗤った。


「おやおや。そんなもの見せびらかせて。

 知ってる? わたしは『敵は殺す』よ」




「ほざけぇぇぇぇぇ!!」


 波月は正座をしたまま、床を滑るように突進。刀が振り下ろされる前に、相手の左膝上を弾き突く。


 バランスを崩し、倒れて来た男の右手首を取って、円を描くように投げた。



 目の前の床に叩きつけると同時に、足首の力と重心移動だけで立ち上がり、空を斬るスピードで相手の喉に踵落とし。


 拉潰音。


 喉笛を潰し、延髄を踏み折った。

 気管を潰され、首の骨を折られた男は血の泡を吹いて、絶命した。



「天国にお一人様、ご招待。
 もっとも、片道切符だけどね」


 死体に優しく話しかける波月。

「どう? 天国の居心地は?
 海燕ジョーに逢えた?」



 残りの二人の兵士はギリリと歯を軋らせる。

「婦女子は大切に扱うように教育を受けている。
 だが、それは人間のだ。

 
お前のような『化け物』に、躊躇はしない」



「化け物ね…………そう、正にその通り。

 ならば、古来から『化け物』が『人』相手にやることは、たった一つ」




 波月は両手の伸ばした指を僅かに曲げ、指の関節を鳴らした。


「来いっ!! 『人間』ども」




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