「ああ、やっと交替だ」

「やっぱり、何もなかったね〜〜」

「一晩経ったカレー……おつなカレー……おつかれー……クククク」


 警備の時間が終わり、ナデシコに帰艦した3機のエステバリスから、パイロット3人娘が降りた。


「おう。ご苦労さん」


 A4サイズのペーパー・パネルから視線を上げたウリバタケが、リョーコたちに片手を振る。



「なになに? ウリピー。何、読んでるの?」


電子雑誌(デジタル・ペーパー)版『サブカルチャー』さ。
 コスモスのメモリーからダウンロードしたヤツだ。
 最新号じゃねぇが、最近の動向は掴めるからな」


「面白い記事でもあった?」


「そうだな……俺的には、GEARミニ四駆がまたブームになってきたことかな」


「へ〜〜、あのGEARミニ四駆が! …………って、なんだっけ〜〜?」


「よくぞ、訊いてくれた。ヒカルちゃん。
 手元の無線コントローラで、高速ギアと低速ギアの切り替えが出来るミニ四駆が『GEARミニ四駆』だ。
 逆に言やぁ、高速と低速にしか、切り替えられない。
 その他は、単三電池2本で走るミニ四駆と何も変わらねぇ」


 このGEARミニ四駆で使う専用モーターは、電流の逆流防止用ダイオードが付属してる他、
 二つの電磁石を組み合わせ、主軸が凹凸するように出たり引っ込んだりと、前後移動することができた。

 その主軸の真ん中に、側面に山が切ってあるソロバン玉型のギアを咬ませ、
 無線コントローラーで、主軸を前後移動させて、低速・高速ギアに切替えが出来ることから、
 『GEARミニ四駆』と呼ばれていた。


「たしか、前に流行ったのは……8年前くらいになるか。
 その前となると……俺がやってた頃だから……もう、18年も前にならぁなぁ」

 感慨深げなウリバタケに、ヒカルが手の平を打ち鳴らす。


「あ〜〜。あったあった。そういえば、そんなの。
 ねぇ、ガイ君はやったこと――…………」

 隣に話しかけようとしたヒカルから、すっと笑みが消えた。


「この、なんとかミニ四駆って、高速ギアのままカーブに突っ込むとコースから飛び出しちまう、あれか?」

 リョーコが、ウリバタケの手元のパネルを覗き込む。


「おっ。知ってんのか? リョーコちゃん」


「ああ、オレが小学校の時に流行っててな。
 クラスの男のを分捕って……いや、借りて、遊んだことあるが……正直言って、面白れぇとは思わなかったな」


「そりゃ、そうさ。
 GEARミニ四駆の面白さは操縦の駆け引きにもあるが、
 一番の醍醐味は、高速と低速のギア比のセッテングにあるんだからな」


 車高やフロントガイドとタイヤの大きさは、規定により統一されていた。

 そして、GEARミニ四駆のレーン(コース)の壁は、そのフロントガイドの高さ、ギリギリしかない。

 高速ギアのままコーナー(カーブ)に突っ込むと、曲がり切れずにアウト(コースアウト)する。

 その為、コーナー手前で低速にギアチェンジするのだが、そのギア比をどうセッティングするかが、一番の悩み所であると同時に、一番面白いところでもあった。

 低速ギア比を落とし過ぎると失速、上げ過ぎるとアウト(コースアウト)

 高速ギアも、あまりにスピード重視だと、パワー不足でループの途中で止まってしまう。


 レーンの壁の高さと、コーナーの角度、コーナー前の傾斜、アップダウン、ループ、ピンカーブ、L字カーブやS字カーブ。その他、諸々を考察して、ギアを決めるのだ。

 子供たちの間で、コースの傾斜角度を測る分度器や、コーナーの曲がりを測るRゲージ、壁の高さを10分の1ミリまで測れるノギス(物差し)が流行した程だった。


 ギア比のセッティングはシビアだが、操縦は高速と低速のレバー、一本だけ。

 そのシンプルさが、人気の出た秘訣であった。



「あ〜〜。半分くらい意味わかんなかったが…………男って、そういうゴチャゴチャしててチマチマしたもんが、本当に好きだよな」

 呆れたように首を振るリョーコに、ウリバタケはスパナを握り締めた拳を掲げる。

「リョーコちゃん。改造とセッティングは男のロマンだぞ!!


「はいはい。オレには、わかんねぇよ」


 苦笑を零し、肩を竦めるリョーコ。


 格納庫にユリカとメグミの姿を見つけたリョーコはウリバタケに片手を上げると、彼女たちの方へ向かう。



 パンパンと自分の頬を叩いたヒカルが、照れたように笑みを浮かべ直して、ペーパー・パネルに手を延ばした。

「ウリピー。漫画の特集も見せて〜〜。
 8ヶ月も経ちゃってると、同人界の流行、変わってると思うし。
 半年で、流行が切り替わる世界だからな〜〜」





 後ろから、リョーコはユリカの肩を叩いた。

「よっ。良いのかよ。
 艦長が、こんな所に居て」

「アキトの見送りです。
 こういうのは、妻の役目ですから」

「誰が、妻ですか!!」

 イズミがウクレレを弾き鳴らす。

「勿論、ユリカだよ」

「……いいの? …………現場……で交替しなくても」

「艦長!! アキトさんは艦長のものじゃないと、何遍言えば――」

「はい。この警備は、一種の安定剤ですから」

「艦長!! 聞いてるんですか?」

「警備してるかは重要じゃなくて…………警備をしてる者が……その場に居るということが重要なのね」


「はい」


「それって、警備しても、しなくても同じことだって言いてぇのかよ」


 不機嫌に問う不満顔のリョーコに、ユリカは素直に頭を下げた。


「ごめんなさい」


「おいっ。謝るのはいいから、説明しろよ」


「説明しましょう!!」


「「…………また、出た」」

「犀と泥鰌……再登場……ククククク」

 コミュニケ画面に半眼を向ける二人と、ウクレレをかき鳴らす一人。


「失礼ね。さて、説明するわ。
 レーダーに映らない戦艦がいつ奇襲をかけてくるか判らない状況は、心理的にかなりの負荷が掛かるわ。
 火星の大攻勢を潜り抜け、8ヶ月という時間を飛び越えた後では、クルーのストレスは特に無視できないものになる。
 この後、軍の作戦に組み込まれ事を考えれば、休める時はほとんど無いかもしれない。
 だとしたら、この場で羽根を伸ばしておく事が、後々重要になってくるわ」


「でも、そうは言ってもよ」

 唇を曲げるリョーコに、イネスは嬉々として説明を重ねる。

「スバル・リョーコ。
 あなたはレーダーに映らない戦艦に奇襲されるかもしれない状況で、心から休憩できる?
 見張りとしていてくれるだけで、ワタシたちの心理負荷は圧倒的に違うわ。
 それが信頼の置けるパイロットなら、尚更よ」


「そ〜〜そ〜〜。
 次は、アキト君たちが警備してくれるから、アタシたちもリラックスできるんじゃない」

 手を後ろに組み、ひょいと顔を出したヒカルが、上目遣いで笑いながら賛同した。


「…………休職で急速に休息する…………ウクックックックッ」


「あ〜〜。もう。わ〜ったよ。
 どうせ、オレはストレスとは無縁の存在だよ。
 で、アキトはどこだ?」

「また、説明が欲しければ何時でも呼んでちょうだい」

「もう、乗り込んでます。
 あとは、アカツキさんを待ってるだけです」

「どんな難問も、わかりやすく、コンパクトに説明してあげるわ」
「あ〜〜。はいはい。わかりました。ありがとうございました〜〜」

 アサルトピットを開放した状態で、アキトは操縦用IFSコンソールを用いて、各種設定を調整していた。


 リョーコは手でメガホンを作り、下からアキトに呼びかける。

アキト。後は、頼んだぜ

「まあ、何もないと思うがな」


 アキトの返答に、リョーコが肩を竦めた、瞬間――――、

 音も無く、銀の光がリョーコの脇を擦り抜けた。


 その銀光は、速度を落とさずに、エステバリスの各部位を足場に、アサルトピットまで駆け跳ぶ。


 宙で一回転し――――アサルトピットの縁に膝を着いて着地した少女は、すっとその場で立ち上がった。



 ツインテールの銀の髪が靡き、金の瞳が冷たく見下ろす。


 妖精のような秀麗な美貌。だが、人形のような無機質な無表情。


 『星野瑠璃(ホシノ・ルリ)



「…………ルリちゃん?」


 眼を瞬いたアキトに、ルリは抱えていた包みを差し出す。

「テンカワさん。これを」


 竹皮に包まれた数個の塩むすび。


「オニギリ?」

 反射的に受け取ったアキトへ、ルリはこくりと頷き返した。


「テンカワさんの布団に潜り込んだ件、やりすぎでした。
 ごめんなさい」

 無表情のまま頭を下げるルリに、アキトも慌てて謝る。

「あ……いや、俺も悪かった。
 ルリちゃんだって、女の子だもんな」

「それ、お詫びです。
 お弁当の代わり。
 警戒中は、暇なはずですから」


 無感情にそれだけ告げたルリは身を翻し、アサルトピットから一足飛びに飛び降りた。



ああ〜〜〜っ!! そっか、手料理があった!!

「なんで、ルリちゃんが……まさか、ルリちゃんも――」

「ルリもアキトを狙ってるのか!?」


 騒然となる三人娘の後ろで、『アキト争奪戦トトカルチョ』で大穴狙いのルリに賭けてるウリバタケが喜びの喝采を上げ――――ようとして、三人娘の凶悪な睨み一発で大人しくなる。


「えっと……なんだい?
 この嵐の前の静けさのような雰囲気は?」

「おお、怖ぇ。怖ぇ。――っと、そうだ。ルリルリ。ちょっと待ってくれ
「はい?」

 ギギギッとアカツキの方へ顔を回転させるユリカ。メグミ。リョーコ。(三人娘)

「バインダー。バインダーっと。
どこやったっけかな?」

「知りたいですか? アカツキさん」

「今、アタシ、誰かを取っ捕まえて、5時間ぐらい愚痴を聞かせたい気分なんですけど」

「同感だ。オレはついでに、手や足が出るかもしれねぇけどな」


サ〜〜。オ仕事、オ仕事。
 タ〜〜ノシイナァ〜

 棒読み口調で嘯き、エステバリスに乗り込むアカツキ。


「テンカワ・アキト。警戒の任務に就く」

 長居は無用とばかり、アキトはさっさと離艦する。


「アカツキ・ナガレ。警戒に行って来るよ。
 出来れば、その間に機嫌を直しておいてくれると嬉しいね。3お姫様方」

 ウインクし、立てた二本指を敬礼風に振って、アカツキも宇宙へ滑り出た。



 エステバリスのメインバーニアから発する黄光で、宇宙に二本の流線が描かれる。



 問い質す間も与えず、逃げるように離艦したエステバリスを、某と眺めていたリョーコだが、
 はっ と我に返り、

あ〜〜〜!! もうっ!!
 飯だ!! 飯!!

 足を踏み鳴らして、格納庫から出て行った。


 お腹に手を当て、小首を傾げてからユリカも、その後に続く。



 一人残ったメグミは口許に指を当て、ルリを見据えながら考え込んでいた。


 ルリが『アキト争奪戦』に参戦したとなると、計画が大幅に狂ってくる。

 女の勘が、アキトの立ち位置に一番近いのがルリであると、告げていたから。

 ルリを参戦したと見做すか、それともルリの言葉通り、ただの詫びなのか?


 メグミは、ルリの後ろ姿から、その真意を読み取ろうとするように見つめ続けていた。



「おっ、あったあった」

 部品の山から電子バインダーを発掘したウリバタケは電源を入れて、ルリに見せる。

「ブリッジの電送系エラーが消えねぇんだ。
 この通り、電気は全て正常に通電してるのによ。
 ルリルリの方で、エラー出てねぇか?」


「そのエラーコードは?」

「2887ー39ーC786。あんまり聞かない番号だな」

「それって…………電気系統や、情報系のエラーコードではありません」

「なに?」

「確か……通信系のエラーだと」

「通信系?
 メグちゃん。何か、通信機に異常は無いか?」


「…………」


「おいっ。メグちゃん!!」

えっ!? …………あ、はい! 何ですか?」


「通信機に、何か異常は無いか?」


「通信機? 別に何も………。
 あっ! ……言われてみれば……微かに、雑音が入るようになった気が……小さい音だから気にしなかったけど――」


「ビンゴ!!」

 ウリバタケは、メグミをスパナで指した。


「チッ。どっかで混線か漏電で、通信系に情報系の電気信号が入り込んでやがんだ。
 小さいってことは、0.3(アンペア)以下か。
 メグちゃん。そう言うことは、すぐに言ってくれなきゃ困るぜ」


「…………ごめんなさい」


「そうとわかりゃ、手の打ちようもあらぁ。
 
手の空いてる奴は、通信系統を1からチェックだ!!

「「「ういっす」」」


 悠揚に立ち去るルリを眺め、メグミは悄然と嘆息して呟く。

「…………素人………………」



*


 低い笑声を洩らしながら、ウクレレを引き流してたイズミは、広い格納庫で一人、立ちづめているヒカルを見つけた。



 ヒカルが見上げる先には、何も無い。


 そう、何も無かった。本来ならば、青い空戦エステバリスが有ったはずの場所。


 山田機が抜けたスペース()を、ヒカルは寂しげに見つめていた。


「ヒカル?」


 イズミの呼びかけに、小さく微笑むヒカル。


「居ると思ってた人が居なくなるのは、寂しいな」


「悲しい?」

「ん〜〜。悲しいとか辛いとかじゃなくて、何か穴が開いたような。
 普段は思わないけど、皆でワイワイやってる時に、話しかけそうになったり、
 こうやって、機体がぽっかりと抜けてるのを見せられた時なんかに……ね」


「時間が経てば、否応なく慣れていくわ」

「人生は、出会いと別れの繰り返し……だったっけ?」


「あれが……山田君の選んだ道…………ワタシたちは……それを見送るだけよ」


「うん。そうだね。
 ガイ君だって、アタシたちを悲しませるために火星に残ることを、選択したわけじゃないもんね。
 アタシたちは、アタシたちなりにやってくしかないよね」


「……ええ。……そうね」

 淡々と相槌を打っているイズミだが、これが彼女なりの元気づけなのだろう。


 だから、ヒカルは照れ笑う。

「イズミちゃん」


「ん?」



「アリガト」



「何のことか、わからないけど……ハゲしく賛同……同意致しまして……どういたしまして…………ウッククククク」


「はいはい」


 いつものやり取りを交わした二人は、格納庫の出入口に足を向ける。


「アタシは、シャワー浴びに行くけど。イズミちゃんはどうする〜〜?」


「…………そうね……。
 ……一日、一定量……訓練しないと落ち着かないから…………シミュレーター機で、少し汗を流してくるわ。
 ふっ、…………無様ね。…………戦場の癖が抜けない。

 ……さらに……川で芋も洗ってしまうわ…………って、そりゃ、
洗浄やねーん……ウシャシャシャシャ


「イズミ。寒さ絶好調だね〜〜」


 軽く片手を叩き合った(ハイタッチした)二人は、十字路で別れた。




*


 忙しい時間帯を過ぎた食堂では、食後の客が思い思いにのんびりと休んでいた。



「よっ。ここ良いか?」


「うん」


 牛丼を片手にリョーコがユリカの前に座る。



 割り箸を口に咥えて割ったリョーコは握り箸で牛丼を掻き混ぜながら、ユリカの手元を見る。


 朱塗りの小さな椀には、白い豆腐。

 刻んだ紫蘇の葉と茗荷に、生姜と溜り醤油が少々かけてあるだけの、冷や奴。


 ユリカは、箸で豆腐を小さく切り崩して口に運ぶ。


「そんなんで、腹に溜まるのか?」

「良いの。オヤツだから」


「ズルイよね」

 ユリカの主語抜きの文句に、リョーコは頷き返した。


「ルリのことか」


 箸を握り締めたユリカが、テーブルに突っ伏す。

「う〜〜う〜〜う〜〜。
 なんか、ルリちゃんばっかり、狡いズルイずる〜〜い」


「あんなガキに嫉妬しても仕様がねぇだろうがよ」

 割り箸を咥えた、呆れ口調のリョーコに、ユリカが顔を上げた。

「ガキじゃないよ。少女だよ。
 ちっちゃくても女の子だよ」

「うっ……まあ、確かに。
 でもよ。そのルリの方は、アキトなんか眼中に無しって態度だぜ」


 生姜をちょんと()けた冷や奴を口に含んだユリカが、唇を尖らせる。

「お布団で寝てた」

「そりゃ、勝手に部屋に入った報復(・・)だろ。
 そういうのとは、違うと思うぜ」



「オニギリあげてた」

「アキトを苛め過ぎた詫びだと言ってたじゃねぇか」



「あたしがメソメソしてると、アキト盗っちゃうって言った」

本当かよ!?

 思わず立ち上がるリョーコ。


「あ。でも直ぐに、冗談だって」

「ほら見ろ。冗談なんだよ」


 椅子に座り直したリョーコに、ユリカは駄々をこねる。

「う〜〜。でもでもでもぉ〜〜」


 テーブルに頬杖を着いたリョーコは、溜息を一つ。

「だいたい、ルリは、まだ恋ってもんがわかってないんじゃねぇのか?」

「恋に恋するお年頃?」


「おう、それだ。
 行動は恋する少女に近いが、物言いや、表情、雰囲気は演技してますって感じだからな」


「う〜〜、うん。確かにそんな気がする」

 豆腐の欠片を口に運び、舌上で味わいながら、ユリカはルリの普段の言動を思い出し納得する。


 牛丼を口に詰め込むように頬張り、咀嚼したリョーコは冷茶を一気に飲み干した。

「それよりも、オレはアキトの変化の方が気になる」


「アキト?」


「なんだ? 艦長は気づかなかったのか。
 なんて言うか、雰囲気が少し変わっただろ。アキトのやつ」


「そうかな〜〜。
 アキトはアキトだよ?」

「そりゃ、アキトはアキトだけどよ。
 ほら、なんつーか…………ああ〜〜、上手く言えねぇ〜〜」


「うんうん。確かに、アキトはさらに、王子様らしくなったよね」


「何だよ。そりゃ?」

「うん。優しくなった」


「ん……まあ、否定はしねぇ。
 前までの張り詰めた雰囲気が薄れたというか、なんかを吹っ切ったっていうか――」


「う〜〜ん。吹っ切るって言うよりも、『仲間』か『同族』ができたって感じが近いと思う」


 斜め上を見上げて答えたユリカを、リョーコは箸で指さす。

そう、それだ!!
 前は全部、自分一人で背負ってるって面してたが、今は自分は独りじゃねぇって顔してやがる」

「うんうん。
 アキトもようやく、ナデシコを『家族』として見てくれるようになったんだね」

「ああ、木星蜥蜴をぶっ倒す『仲間』としてもな。
 それにしても、艦長」


「ふにゃ?」


「艦長も見るべき所は見てるんだな。少し安心したよ」



 ユリカが満面の笑みを浮かべた。

「勿論。ユリカ、ちゃ〜〜んと見てるよ。

 
アキトは、あたしの『王子様』だし、
 アキトは、あたしのことが大好き!!





 リョーコは天を仰いだ。

「……………………これだもんな」



*



 『アマテラス・コロニー』



 そう名付けられたコロニーで、ジュンは死闘を繰り広げていた。


 確かにこれは、星野瑠璃から教えて貰ったシミュレーター(仮想)・ミッションで、いま乗ってる操縦席もシミュレーター訓練機だ。

 撃墜されても、死なない。


 だが、視覚・重加速・振動や衝撃・臨場感・敵兵器の戦術思考・コロニーの防衛戦略。

 どれをとっても、現実のものと変わらなかった。いや、防衛戦術は、現実よりも上かもしれない。


 ゆえに、ジュンにとっては『死闘』と言えるものだった。



 構造物が入り組んだアマテラス・コロニー表装を、機体を巧みに操りながら、高速で飛翔する。



 後方から、一機、青の量産型エステバリスが急速に追い上げて来ていた。


 高速で迫る鉄柱。


 鉄筋を掠めて、回り込むように旋回し、進路を修正する。



 前方から、高速で迫るアンテナ。


 ジュンはギリギリまで引き付け、急激に方向転換。


 アンテナ線を寸前で躱すことにより、後ろから追尾してた量産型エステバリスが引っ掛かった。

 派手にスピンして、コロニー表面に激突(クラッシュ)する。


 爆破音。


 一瞬、ジュンは面白く思う。


 宇宙空間では、音は伝わらない。このプログラムを作製したルリだって知ってるはずなのに。

 だが、この爆破音は『リアル』のように聞こえてしまう。

 どうと云うわけでも無い事だが、ジュンにはそれが面白く感じた。



 前方に、『13』と記されたコロニー入り口(鉄鋼の扉)が見える。



 ――後は、あそこに飛び込むだけだ。



 その気の緩みが、油断に繋がった。


 進路を阻むように、上から鉄板を踏み抜いて着地した量産型エステバリスがラピッド・ライフルを構える。


「くそっ!!」


 ジュンは悪態を吐き、螺旋軌道を描くように機体を操った。


 障害物が多数存在する空間で――僅かでも接触すれば、バランスを崩して激突(クラッシュ)する空間で、螺旋軌道を描きつつ、高速度で敵のエステバリスに突撃する。


 ライフルを構えた量産型エステバリスは、躊躇なく連射した。

 ライフル弾が構造物に当たり、火花を散らす。

 スーパー・エステバリス(ジュン機)のディストーション・フィールドにも多数命中するが、スピードと角度で全弾、滑り弾いた。


 ジュンは高速度を保ったまま、エステバリスの脇を擦り抜け、躱わす。



 ――まだっ!!


 上方でもう一機、こちらに照準を合わせてる機動兵器を、ジュンは察知していた。


 進行方向に頭を向け、背面飛行しながら、上空の敵を狙い――

 狙った瞬間には、レールカノンの引き金を引いていた。


 ジュンを狙っていたステルンクーゲルの右腕を、レールガンごと破壊する。


 ジュンのスーパー・エステバリスはレールカノンの反動で、とんぼ返りを打った。


 縦に3回転してから、もう一発レールカノンを撃ち、回転を止め、方向を修正する。


 よし! 後は、このまま――ッ!!



 右後方の構造物の陰で、光が反射した。



 それで、ジュンは悟る。


 しまった!! 先の2機は、囮!!



 鉄筋の陰で、ラピッド・ライフルを構え、コロニー表面に伏せていた量産型エステバリスが狙撃。


 軌道を修正したばかりで、姿勢を崩していたジュンは、避けることも反撃することも出来ず、背中から撃ち抜かれた。



 アサルトピットを撃ち貫かれたスーパー・エステバリスは、コロニー表面に転倒し叩きつけられ、
 高スピードで構造物に突撃して、コロニー表装で爆破炎上した。





 『GAME・OVER』




「…………はあ」


 モニターに表示された文字を見、ジュンはIFS操縦コンソールから手を離し、大きく溜息を吐いた。



 今回、遺跡専用第13番ゲート手前、2千メートルの位置で破壊された。


 初めて、この位置まで来れた嬉しさよりも、悔しさの方が勝る。


 コロニー入り口(ゲート)が見えていただけに、本当に悔しい。



 のろのろと右手を上げたジュンは、モニターの『りとらい?』にNOと送り、シートベルトを外した。



 この『アマテラス攻略ミッション』のスタート地点は、遺跡専用第13番ゲートの真裏の4つの防衛ラインの最外周、第一防衛ラインの外側にある。



 ジュンが見つけ出した、ゲートに辿り着けそうな進入ルートは4方向。


 だが、コロニーの上側を回るとバッタが雲霞のように飛んでおり、
 下側は、コロニーに配備された砲戦フレームが、レールカノン弾の弾雨を浴びせてくる。

 左側は、戦艦の砲撃が雨霰と飛び交い、
 右側は、青い量産型エステバリス、11機がその行く手を阻む。


 さらに、コロニー防衛域全体に満遍なく、ステルンクーゲルという名の人型機動兵器が布陣されていた。



 一見、右側のルートが容易そうだが、『ライオンズシックルス』と名付けられたエステバリス部隊の連携攻撃は一流レベルで、一切隙の無い見事なものだった。



 それでもコロニー・ゲート、2千メートルの距離まで近づいたのだ。

 第一次防衛ラインで、三秒で撃退されてた頃から考えると、見違える進歩である。


「と言っても、あの連携をやり過ごすのは不可能に近いよ。
 アプローチを変えてみるかなぁ」


 シミュレーション訓練機から這い出したジュンは、盛大な吐息を洩らした。


「…………あなた……何をやってるの?」

「え? あ、マキ君。
 そっか、もう警備は交替した時間だっけ」


 壁掛け時計を見上げるジュンに、イズミが微かに眼を眇める。

「…………質問に……答えてないわ」

「あ、ゴメン。
 ちょっと、戦術ミッションで訓練を――」

「……画面…………何も映ってなかったわよ」


 アマテラス・コロニー攻略ミッションは、訓練機の外部モニターに映らない。

 はじめて、知ったジュンは胸中で頷いた。


 ――――なるほど、徹底してる。


「じゃあ、調子が悪かったのかな。僕が壊してなきゃ良いけど……。

 あっ、そうだ!! ちょっと、練習に付き合ってくれないかな。対戦という形で」


 無理矢理、話題を変えたジュンを深く追求せず、イズミは話に乗る。


「勝てると思ってるの?」

「まさか。学ばせて貰おうと思ってね」


「……武装は?」

「ノーマルエステに、ナイフとライフルの標準装備で」


「……お相手するわ…………遠距離恋愛…………おー、会いてー…………ククククク」


「……………………」



 了承ともギャグともつかない返答を返したイズミは、凍りついた無言のジュンを放ったまま、隣の訓練機に乗り込んだ。


「…………フィールドは……ランダムで良いわね」


「え?…………あ、うん。構わない」


 慌てて訓練機に入り、シートベルトをしたジュンが顔を上げた時、
 そこは、大小の隕石が浮かぶアステロイド帯になっていた。


 宇宙空間の戦闘フィールドとしては、一般的な戦場。


 イズミは、パーソナルカラーである水色のエステバリス。

 対するジュンは、濃緑のエステバリス。



 『READY』



 ジュンは対峙するイズミ機を視界の端に留めながら、周囲の隕石との距離を、鋭い視線で目測した。



 『GO』



 合図と共に、ジュンは素早く一番近い隕石の陰に隠れる。


 一瞬後、後を追って、十数発のライフル弾が隕石に撃ち込まれた。

 初弾を警戒しての行動だったが、まさに予測通り。



 ルリとの対戦を思い出し、ジュンは苦笑いを浮かべた。

 星野君には初弾で、さんざん殺られたからなぁ。



 隕石の上下左右を掠めて撃ち込まれる銃弾に釘付けにされながら、ジュンは考える。


 このまま隠れていても、追い詰められるだけだ。

 左に抜けるか、上か下から回り込み、反撃するか? それとも、一旦…………? 銃撃が止んだ?



 左側から、水色の光の帯が走る。


 水色のエステバリスがライフルを構え、ジュンに狙いを定めた。



「!!」


 反射的に隕石を蹴ったジュンは、その反作用で加速し、逃げ出した。


 い、いつのまに……距離を取らないと。接近戦じゃ一撃で殺られる。



 エステバリス戦で、素人がプロ相手に絶対にしてはいけないのが、接近戦闘だ。


 接近戦闘になればなるほど、複雑な動作を要求される。

 接近戦で、素人に勝ち目はない。



 距離を取ろうと、ジュンは最高速度で飛翔し、隕石を躱しくぐり抜ける。



 前に、ルリと模擬戦をした時は、逃げることに抵抗を感じていたジュンだったが、『アマテラス・ミッション』を経験してからは、そんな矜持など吹っ飛んでしまった。

 あのミッションは、如何にして逃げ切り、生き残るかを会得させるものだったから。

 疑似(バーチャル)ではあるが、死線を体験させられた。


 ルリから聞いた話では、アマテラス・コロニー内部まで進むと、クリア条件が変わ――



 小石が弾け散る。



 前方の隕石で、ライフル弾が撥ねた。


「なっ!?」


 隕石群に見え隠れしつつ、ジュン機と併走するように、水色のエステバリスが飛翔している。


 イズミのエステバリスが高速飛行しながら、ライフルを構え――


 キンッ!!

 ライフル弾が、ジュンの機体を掠めた。

「う、うわっ!!」


 高速度で隕石を避けながら狙撃してるのに、段々と照準が補正されてきている。


 ジュンなど、隕石を避けながら飛ぶことに精一杯だというのに。


 堪らずジュンも撃ち返したが、狙いなど定まらず弾丸は明後日の方へ飛んで行った。


 舌打ちして、ジュンは視線を前に戻す。


「ッ!!」


 寸前に迫った隕石を、ジュンはギリギリで躱した。


 ビンッ!


 イズミの撃ったライフル弾が、頭部のアンテナを掠めて、飛び去った。



 ……う……くぅっ!!


 ここで背中を見せたら、撃たれる。絶対に撃たれる。



 接近戦は駄目。だが、距離すら取らせてもらえない。



 なら…………ヒット・アンド・アウェイ(一撃離脱)だ!!



 背中を見せる恐怖に駆られ、半ば自棄気味に、ジュンはイズミ機へ方向転換した。



 だが、真っすぐ突っ込むと、一瞬で撃墜される。


 だから――――


 隕石に衝突すれば即大破する空間を、ジュンは螺旋の軌道で駆けた。


 この飛翔はバッタに包囲された時、その隙間から離脱するために編み出した機動法。

 何百回も死んで、それでも諦めずに見い出した操縦法。




 濃緑のエステバリスが、大きな螺旋軌道を描き、イズミへ突撃して来る。


 機体を止めたイズミは、即座にライフルを連射し迎え撃った。

 が、イズミの撃ったライフル弾は、ジュン機のスピードとフィールドの角度によって、全て滑り弾かれてしまった。



「…………なかなか……やるわね……」


 それを見、イズミは唇の端で笑う。


 この飛行は、『スパイラル』と呼ばれる宇宙用高等機動術だった。

 無重力の、しかも真空中でしかできない宇宙専用操縦技法。


 ――また、ずいぶんと……珍しい技を……。

 何処で学んだか知らないけど…………使い熟してるようね。



 高速で迫るジュンと、静かに佇むイズミ。



 ジュンはライフルを乱射しながら、イズミ機の真横をすり抜けた。



 一瞬の交差。



 駆け抜けたジュンは、自分の機体を見下ろした。

 エステバリスの右脇のライトに、イミディエット・ナイフが突き刺さっていた。



 あの交差の一瞬で、刺されたのだ。

 あと30センチずれてたら、アサルトピットを貫いていただろう。


 イミディエット・ナイフを抜き、投げ捨てたジュンは機体を止めて振り向く。



 目の前には、隕石だけが浮き漂う宇宙空間。


 交差した直後、イズミ機から視線を切ってしまい、彼女の姿を見失なってしまった。



 後悔に、呻き声を洩らすジュン。



 うぅ……マキ君は、僕の位置を掴んでるだろうな。


 こっちからの攻撃は無理。

 マキ君が何処に居るか、まったく分からない。



 どうする? どうすればいい?


 諦めるなっ!! 考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えるんだ!!



 マキ君の居場所がわからない。それが一番の問題点だ。

 なら、位置を知るには?


 こちらから探す?

 無理だ。

 うろうろと、隕石の陰を覗き見ていたら、背中から撃って下さいと言ってるようなものだ。


 マキ君が隠れてる場所を推測する?

 はは、面白い冗談だ。

 一流のプロ(マキ君)の位置取りを素人()が推察できるなら、ここまで窮地に追い込まれていない。



 …………正攻法は無理……か。



 ……ならば…………こんな考えはどうだ。

 相手の方から、出て来てもらえば良い。


 そして、出て来る時とは――――マキ君が攻撃してくる、その瞬間。



 それに取り得る戦術は、たった一つ…………相打ち覚悟のカウンター。


 ライフルの射程が同等ならば、

 銃で狙うということは、銃に狙われるということ。

 銃に狙われるということは、銃で狙えるということ。


 マズルフラッシュと弾の飛んで来た方向で、おおよその位置はわかるはずだ。…………たぶん。…………きっと。…………理論上では…………。



 そして、アサルトピットさえ破壊されなければ、即死判定にはならない。

 命中しない確率なんて、ほぼ0だろうけど、でも0じゃない。

 そう、0じゃない。……外れる可能性も有る…………と、思いたいよなぁ。



 ああ。……僕は……まだまだ、だ。




 視界の端に、()



 反射的に、機体を捻らせた。


 ドンッ!


 左上腕部を吹き飛ばされる。



 まだっ!!


 ジュンは咄嗟に、右手のライフルで反撃。


 一瞬、輝いた空間に、間髪入れず銃弾をばら蒔いた。

 連射しつつ、隕石の陰に逃げ込む。



 隕石に身を隠したジュンは射撃を止め、銃撃した宇宙空間を伺った。


 隕石だけが浮かぶ漆黒の闇。



 爆発などの手応えは無し。

 銃弾は、全て外れたのだろう。


 しかし、イズミの隠れてる場所は見当がついた。



 ライフルを右腕一本で構え、警戒しながら、隕石から隕石へと移動して行く。




「誰に、教わったのか知らないけど……まあまあのレベルね」

 突然、イズミから音声のみの通信が入った。



「はは、どうも」


 ライフルを構えたジュンは、イズミ機の隠れてる隕石に注意深く近づいて行く。


「このワタシに……ここまで粘れるなんて…………実戦でも十分に通用するわよ」


 ジュンは綻びそうになる顔を、慌てて引き締めた。

 持てる時間の全てを費やし、それこそ死に物狂いで訓練してきたのだ。


 一流のパイロットに実力を認められ、心の中で盛大な歓呼の声を上げていた。


 だが、胸中とは裏腹に、静かな口調で返す。

「まあ、そのために訓練してきたからね」



「でも…………あなたには……まだ欠点があるわ。
 ……それも……致命的なものが……」


「――……それは?」


「…………ふふふふふ」

 イズミは低く笑うばかりで、答えない。




 ジュンは大きく深呼吸し――――――



 素早く、隕石の裏へ回り込む濃緑のエステバリス。

 イズミが隠れてる場所へ銃口を向けた。


 が、そこには誰もいない。

 吸着地雷が張り付いているだけ。


「えっ?」


 爆発!!


 吸着地雷を見た瞬間、逃げ込こんだ隕石の陰で、ジュンは飛散する石片を遣り過ごす。


「……あなたの……弱点はね――」


 ハッ!? と、ジュンは後ろを振り返った。

 そこには、ライフルの銃口を突きつけた水色のエステバリス。


「機動も攻撃も……バカ正直すぎる(・・・・・・・)ところよ」



 イズミの撃った十数発のライフル弾が、エステバリスのアサルトピットを粉々に打ち砕いた。



 『YOU・LOSE』




 両訓練機のドアが上方に開く。


「……はぁ。…………流石は本職だね。
 掠りもしなかったよ」

 重い溜息を吐き出したジュンは、汗で張り付いた前髪を手で掻き乱した。


 イズミが、フッと笑みを見せる。

「……でも……一度だけ……ヒヤッとしたこともあったわ…………ヒヤッ、ひゃっひゃひゃひゃ」


「たった、一度だけか……。
 ん〜〜。でも、僕としては、だいぶ進歩したかな」


 2カ月前では――アマテラス攻略ミッションで訓練する前では――1度の危機感すら与えられなかっただろう。



 少しだけ満足げで、それ以上に悔しげな複雑な表情を浮かべるジュンと、訓練機のシートに横座りして、すらりとした長い足を降ろすイズミ。


「副艦長。あなた……フェイントを……身につけた方が良いわ。
 あなたの動きは……至極読み易い」


「そんなに、違うのかい?」

「……ええ。機会があったら……ヒカルと対戦してみると良いわ。
 ……フェイント……一番上手いのが……ヒカルだから」


「へ〜〜。マキ君よりも?」

「そうね…………ワタシのフェイントと、……ヒカルのフェイントは種類が違うから……一概に比べ難いけどね……。
 ワタシは間合いを外し、相手の死角から攻撃するのに対して……ヒカルは予想をズラすから」

「ズラす?」

「……説明しづらいけど……簡単に言えば、相手が予測する軌道よりも……僅かに、ずらした軌道を取るのよ。
 あれは……天性のものね。誰にでも真似できることではないわ」


「ふ〜〜ん。テンカワは?」


「テンカワ君は……急加速と急減速、急停止と急旋回。
 これらを組み合わせたものよ。
 お陰で……周りがついて来れないから……団体戦闘は不得意のようね」


「スバル君は?」

「…………リョーコは、フェイントは苦手。
 幻惑させるより、ぶっ倒した方が速い。……と、言うのが……リョーコの持論だから。
 まあ……リョーコは危険域よりも……さらに敵に近づいて、反撃を封じてるけど……」

「懐に入り込むって感じかい?」

「……そうね……そんな感じ」


「じゃあ…………星野君は?」


「……彼女ね。
 ……火星で戦闘を見たけど…………あれは、全ての行動を『予測』してるようね」

「予測? それなら、僕だって」

「…………レベルが違うわ。
 彼女は……攻撃ポイントやタイミングだけではなく……軌道・フェイント・防御・回避。その全てを……先読みしている。
 ……たぶん……敵の先読みすら……予測してると思うわ。
 それも……一機だけじゃない。数十機まとめて予測…………いえ、『演算』してるのよ。
 で、なければ……あの未来がわかっているような戦闘法は……無理よ」


 なるほど。と、ジュンは納得する。


 火星への航海中に、ルリと対戦した時、ジュンの弾丸が一発も当たらなかったはずである。


 彼女は全て、読みきって(わかって)いたのだ。照準を合わせた位置から、ジュンが引き金を引くタイミングまで、全てを。


 …………どおりで勝てないわけだ。


「……でも……あの戦闘法は…………致命的な欠陥があるわ」

 伏せていた眼を上げ、イズミはジュンを真正面から見つめた。


 ジュンは額を指で叩きながら、ルリとの戦闘を思い出す。

「ん〜〜。そうは……思えなかったけど」


「演算できる内は良いわ。
 でも…………演算を覆す機動をとる敵――たとえば、テンカワ君のような者や、イレギュラーな事態が起こった場合……先読みを外されると……瞬殺される。
 ……そして……戦場は何が起こるか分からない突発的なイレギュラーと不条理の積み重ね。

 『星野瑠璃』は……射撃・機動・回避・予測……各技能は、一流。
 でも、全てを統合して『エステバリス・ライダー』としてみると、二流(・・)

 ……あんな……パイロットも珍しいわね。…………まあ……本職はパイロットじゃなくて……オペレーターだけど」


 その職名に、ジュンは思わず苦笑いをこぼした。


 そうだった。彼女は『オペレーター』だった。

 そのパイロットとしては『二流』の星野君に、手も足も出ないことは紛れも無く事実だし。


「マキ君。申し訳ないが、そのフェイントを教えてくれないか?
 僕一人じゃ、修得は無理そうだ」


 頭を下げたジュンの依頼に、少し考えたイズミがニヘラと笑う。


「…………そうね。
 ……『極味・炭水化物定食!!』の……焼きオニギリ・お好み焼き・焼きうどんコース。稲荷寿司、タコ焼き付きを奢ってくれるなら…………」



「ん。喜んで」





*



 通路の壁にある外部投影装置――『(モニター)』から、月が見えていた。


 こうして月を眺めてると、本当に火星から帰って来れたのが実感できる。

 いや、帰りの旅路を素っ飛ばし、気付いたら月宙域に出現していた為、火星に行ったことが夢に思える。と言った方が、今の感覚により近かった。


「ふぅ。さっぱり〜♪ すっきり〜♪ すっぱり〜〜♪ 」


「ヒカルさん?」


 大浴場からの帰り道、鼻歌を歌っていたヒカルが首を傾げた。

「おやや〜〜。メグ。奇遇だね〜〜」

「ヒカルさんこそ」

「アタシは、シャワーの帰りだよ〜〜」

 ヒカルは、窓の外を眺めているメグミの隣に並んだ。

「どうしたの? こんな所で」

「え〜〜と、…………ちょっと悩んじゃって」

わおっ。青春!!

「そんなに、いいもんじゃ……」

「いやいや。広大な宇宙を見ながら、自分の存在のちっぽけさを感じてみたり、
 太陽を見て、これが愛なんだと悟っちゃったり、

 さらに『宇宙の海は、オレの海』とか所有権、主張しちゃったり、
 
果ては、自分の中に小宇宙(コスモ)を、感じちゃったりするかもっ!!


それはイヤです


 えぇ〜〜っ と悲しそうな顔になるヒカル。


「……あの…………」

「ん?」

「ヒカルさんは、なんでパイロットをやってるんですか?」

「ん〜〜?」

「あの、え〜〜と……うまく言えないんですけど……よく言うじゃないですか。
 戦ってる時だけが、生きてる感じがするって。
 ヒカルさんも…………その……そうなのかな……って」

「まあ、そういう人もいるけど〜〜……アタシはちょっと違うな。

 アタシの場合は、『時間』を実感するためだからね」


「どういうことです?」


「こうやって、平和に過ごしてると、忘れそうになるんだよね。

 時間は有限だということを。

 人には限られた時間しか無いんだと言うことを。


 アタシは生死を感じるために戦うんじゃなくて、時間を感じるために戦ってるんだ」


「時間を感じる?」


「そ。人の時間は無限じゃない。
 いつか終わりがくる。その時、後悔しても、もう遅い。
 アタシの時間は、終わりが来る。
 早いか遅いかは判らないけど、必ず終わり(・・・・・)が来る


 手摺りに寄り掛かり、月を眺めるヒカルの眼鏡の奥、その茶色の瞳に業火が渦巻いた。


アタシは漫画を描く(・・・・・)
 命を賭けて(・・・・・)漫画を描く(・・・・・)

 そして、その漫画を描ける時間は『有限』。

 今、アタシはネタを集め、ストーリーを練り、ナデシコ・クルー(みんな)を観察しつつ、
 ギリギリの緊張感と緊迫感ってヤツをこの身体に体感させながら、
 『アタシの時間は有限』なんだということを、――――何よりも『貴重なもの』なんだということを、この身体と脳に覚え込ませてる最中なんだ。
 
全ては、『漫画(・・)のために(・・・・)
 『漫画』のためだけ(・・)に。


 だから――――アタシは、戦っている」


 と、ヒカルは普段の、おちゃらけた瞳に戻る。


「アハハハハ。いや〜、ガラにもなく語っちゃった。
 忘れていいよ〜〜。て云うか、忘れて。忘れて。お願い」


 たははは と、笑うヒカルから、視線を外したメグミは窓の外の月を見つめた。

「…………強いんですね。ヒカルさんは」

「ん?」


「アタシは、声優としてはプロだけど……戦場では素人。
 …………ただ、声が良いだけの素人。

 アタシは、ヒカルさんたちのように、最前線で戦えない。

 ミナトさんのように、大胆不敵でいられない。

 ルリちゃんのように、常に冷静沈着でいられない。

 イネスさんのように、頭も良くない。

 ホウメイさんのように、その道を極めてるわけでもない

 艦長のように、人の命を背負えない」


 メグミは手摺を掴んだまま、小さく震え始める。


「アタシは怖い。死ぬかもしれないことが、怖くて怖くてたまらない。
 アタシは強くない。皆のように強くなれない。

 ねぇ。ヒカルさん。
 アタシ、ここに――ナデシコに居ても良いのかな?」


 縋るような眼差しのメグミに、

「うん。良いと思うよ」

 ヒカルは即答した。


「…………ヒカルさん」


 片目をつむったヒカルはメグミに、二度、指を振る。

「い〜〜い。メグが劣っているわけじゃない。
 メグの反応が『普通』なのよ。
 誰だって、戦いの中に置かれれば不安で怖くて脅えるのが当たり前。

 それが、普通の女の子。

 だから、メグは自信を持って。
 ただ、アタシたちが『規格外(・・・)』なだけだから。

 だから、一般人のメグが例外に見えちゃう。
 それだけのことなんだから。
 メグは普通の女の子。それで良いと思うよ。

 無理に、アタシたちと同じにならなくたって良いと思う。
 ううん。メグはなっちゃいけないと思う。

 アタシがアタシであるように、メグはメグなんだからね。
 うん。それが、メグの『強み』なんだと思う。

 ま〜〜、一、漫画家の意見だけどね〜〜」


 瞠目して聴いていたメグミが、最後の言葉に小さな笑みを零す。

「漫画家予定…………ですよね」


「あ、ヒドッ! アタシが大物になってから、吠え面かくなよ〜〜」

「ん〜〜。今、サイン貰っといたら、将来高く売れるかな?」

「売るんかいっ!!」


 顔を見合わせた二人は、楽しそうに笑いあった。



*



 サトウ・ミカコは、シュウの隣に座った。


「どうしたの? シュウ。
 ボ〜っとして」

 忙しい一時(ひととき)が過ぎ、全ての卓を拭き終えたムラサメ・シュウがテーブルに肘を着き、何かを考え込んでいた。


「ん? ああ、暇だなと思ってさ」


 ミカコは眉を寄せ、唇を尖らせる。

「ウソ!!
 シュウ。ナデシコがチューリップを抜けてから、ずっと悩んでる」

「そんなことないって」


「ある!!」

「ない!!」


「あるもん!! シュウ、ずっと暗い顔してる」

「何もないって」


「どうして一人で抱え込むの?
 シュウが元気がないと心配だよ。
 だって、アタシ……アタシ……」


 何時も笑顔の絶えないミカコが唇を震わせた。


 頬に一筋、涙が流れる。



「え、ええっ!? ちょ……待っ……泣くなってば!!」


 シュウは焦って、周りを見回すが、厨房にいるホウメイガールズ(同僚たち)は、満面の笑みで他人顔を決めこんでいた。


 サユリは、ガンバレーと手を振り、
 エリは、キスせよとばかり宙にキスすると、ゴーゴーと拳を振り上げ、
 ハルミは、抱き締めてあげるのですぅと、抱擁するように自分の肩を抱き、
 ジュンコは、頬を指でなぞってから、舌で嘗め取る仕草を色っぽく行ない、涙を嘗め取ってやれとジェスチャーする。


 ――つ、つかえんヤツらめ…………。


 彼女らを白眼視で睨めつけるシュウ。


「う……え〜、あ〜〜」


 何やら呻いて、意味もなく彼方此方に視線を飛ばしたシュウは戸惑いながらも、ミカコの頭を優しく撫でる。


 びっくりした表情でシュウを見、
 それから、ミカコは何かを思い出すように眼を細めた。


 しばらく、眼を細めて頭を撫でられていたミカコは、それで落ち着いたのか、ハンカチで涙を拭きながら、シュウに謝る。

「…………ゴメンね。
 突然、泣き出しちゃって」


「俺もゴメン」


「なんで、シュウも謝るの?」

「女を泣かした時は、どんな場合でも男の方が悪いって、姉ちゃんに言われたことあったから」


 ばつが悪そうなシュウに、小さく微笑んだミカコは上目遣いで身を乗り出す。

「ねぇ。シュウ。何、悩んでるの?
 アタシにも、教えて。一人で抱え込まないで!!


 真正面から見つめられ、シュウは言葉に窮する。


「え〜〜…と………あっ!!
 ほら、一年以上、一緒に過ごした仲間が降りちゃっただろ。
 それに、姉ちゃんも行方不明だし」


「ウソ。今、『あっ』て言った」


「……うっ


「教えてよ。シュウ。
 お願い!!


 息がかかるほどにまで迫るミカコに、シュウは視線を逸らす。


「な、なんでミカコは、そんなこと聞きたいんだよ?」



「決まってるよ!!
 
アタシ。シュウのこと、もっともっと知りたいから!!

「ミカコ。ばっちり、告白してるわね」
「でも、テンパってて、自分で何喋ってるかわかってないね。アレは」
「シュウ君もぉ話を逸らすのに必死でぇ、気づいてないみたいですぅ」

 二人は無言で、お互いを見つめ合う。

「ミカコ×シュウ、ラブラブ恋の援助委員会の結成を宣言するよっ。
 勿論、会長はアタシがやるさっ」

「ほらほら、なに喧嘩してんだい? 二人とも」

「あら、いいわね」

「あ、ホウメイさん。
 シュウが、元気ないんです〜。
 何か、ずっと悩んでるみたいで」

「あの様子を見てると、放っといたら進展しそうにないからね」

「そんなこと、ねぇって」

「ではぁ、不良さんにぃミ〜ちゃんに絡んで貰ってぇ、
偶然通りかかったシュウ君が助けるとかぁ、どうですかぁ?」

 ちらりとシュウを眺めたホウメイが、吐息を洩らした。

「なるほどねぇ。だいたいの事情は判ったよ」

「ハルミ。それ、ベッタベタすぎ」
「ですかぁ〜?」

 ホウメイは、二人の前に座る。


「シュウ坊。フクベ提督が死を選んだのは、自分のせいだとか考えてるんじゃないだろうね」


 眼を見開いたミカコが、両手の指先で口許を押さえ当てた。


 ホウメイに図星を指され、シュウはうろたえる。

「ど、どうして――」


「確かに、別れは悲しいさ。
 でも、それでヘコム、あんただとは思えなかったからね。
 それにしても…………やっぱり、そんなこと考えてたんかい」


「…………」


「誰かに話しちまった方が、すっきりするよ。
 ま、話す話さないは、シュウ坊の自由だけどさ…………どうだい?」


 ミカコは慌てて席を立とうとした。

 ここから先は、他人が勝手に立ち入って良い話じゃない。

「あ、アタシは――」

「ミカコも、ここに居てくれ」

「え? でも――」

「頼む」


「…………うん。それじゃぁ」

 椅子に座ったミカコは膝の上で手をぎゅっと握り、考え込むシュウを心配そうにちらちらと盗み見る。


 対面のホウメイに、シュウはしばし言い迷い――――フクベ提督、火星避難民の仲間、ホウメイのチキンライス、アキトとの会話、洋々なものが駆け巡り――――――
 結局、全ての思いを纏めた言葉がこれだった。


「ホウメイさんは、どうして料理の道を選んだんですか?」



「どうして、料理人になったかって?
 あの調味料を見た者から、その由来を聞かれることは多いけど、料理人になったキッカケかい」

「あっ。話しづらかったら、別に良いです」

「変な気を使うんじゃないよ。
 全然、構わないさね」


 過去を回想するように眼を瞑ったホウメイは、微かに口許を緩めた。

「あたしはね。孤児院の出なんだよ」

「孤児院?」


「そうさね。
 普通に人生を歩んでいれば、料理人になる可能性は低かったろうね。
 でも、8歳の時、突然、全てが引っ繰り返ったさ。
 両親が二人とも、交通事故で死んじまったさね。
 あたしの生活は激変したよ。
 結局、あたしは親戚中をたらい回しにされた挙げ句、孤児院に放り込まれた」


 小さく笑みを浮かべたホウメイはテーブルに頬杖を着く。


「シュウ坊。そんな顔するんじゃないよ。
 その孤児院もすぐに慣れたさね。
 あたしは、面倒見が良かったからね。孤児院の弟や妹たちが懐いてきたよ。

 手先も器用だったから、たまに、その子たちにお菓子を作ってやったもんさ。
 まあ、まだ子供だったから、市販のゼリーの粉を買って来てゼリーを作ったり、そんなもんだったけどね。

 何せ、あれは安かったさね。


 孤児院の食事ってのは、質素なのは勿論のこと、繰り返し単調な物ばかりさ。

 国から援助は受けてるものの、孤児院てやつは概ね金が無い。

 だから、幼い頃のあたしは思ったわけさ。
 お菓子や料理の作り方を知っていれば、安い食材から美味しいものが作れるかもしれないってね。

 この子たちに毎日とは言わないまでも、週に一度くらい美味しいものを食べさせてやれるかもしれないって。


 けど、その当時、あたしは料理の作り方なんて、ちっとも知らなかったんだ。
 これでも結構、お嬢様育ちだったんでね。
 孤児院に入るまでは、家事なんか一切やったことなかったさね。

 まあ、実際やってみると家事も嫌いじゃなかったさ。

 と、話が逸れた。


 で、あたしは子供の頭で考えた。
 どうやったら、料理の作り方を知ることができるか?

 始めはテレビでやってた料理番組をメモしたさ。
 でも、駄目だった。
 そこで使われる食材は、値段が高かったり、普段使わないものが含まれてたからね。

 次に思いついたが、本だ。

 丁度良いことに、孤児院の近くに古本屋があってね。
 そこの店番の爺さんは何時も寝てる老人だったさね」


 じっと聞いてる二人に、自嘲気味に苦笑するホウメイ。


「でも、本なんて買う金は無い。

 だから――
 あたしは、そこで生涯最初で最後の万引き(盗み)をしたよ。


 いっぱい料理が載ってる本を、というわけで百科事典みたいに分厚い料理百科の辞典を盗んだのさ。

 子供の浅はかさだね。


 盗みは上手くいった。
 あたしも孤児院で、それなりのはしっこさ(・・・・・)は身に付けてたからね。

 でも、そんな分厚い本、寮母にあっさりと見つかったさね。

 すぐに皆の前に引っ立てられて、机の上に置かされた両手を鞭で叩かれたよ。
 真っ赤に腫れ上がるぐらいにね。

 普通なら、2・3発で終わるんだけど、あたしは子供の時から強情でねぇ。
 泣きも謝りもしなかったし、悲鳴一つ洩らさなかった。
 だから、余計にエスカレートしたんだろうね。

 その時の傷痕が、まだうっすらと残ってるよ。
 まあ、もう殆ど消えかけてるけどね。


 その後、寮母と共に、古本屋に謝りに行かされた。

 寮母から事情を聞いた爺さんは、あたしを見てちょっと眼を見張ったさね。
 手の甲を真っ赤に腫らして、それでも百科事典を胸にしっかり抱えて、口をヘの字に曲げてる赤毛のお下げの女の子だ。
 そりゃぁ、ちょっとした見物だっただろう。

 「どうして盗んだりしたのだね?」
 って聞かれたから、あたしは正直に答えた。
 「弟と妹たちに美味しい物を、食べさせたかったから」

 そうしたら、奥から3冊の大判の本を持って来た。
 『料理入門書』『簡単夕食オカズ』『お菓子入門』

 意味がわからないあたしに、爺さんは頭を撫でて、
 「これを上げよう。なに、お金はいらないさ。
 汚れてて売り物にならないものばかりだからね」

 理解したあたしは、ボロボロ泣きながら――鞭で叩かれても涙一つ見せなかったあたしが――泣きながら、謝っていたよ。
 「ごめんなさい。ごめんなさい。もうしません」……ってね。

 百科事典は爺さんに返して、新たに3冊の料理入門書を貰ったあたしは、意気揚々と孤児院に帰ったさ。
 寮母は、まだガミガミ言ってたけど、あたしは弟や妹にお菓子作れる嬉しさで一杯だったからね。

 その本を見ながら始めて作ったのは、オムライスだったよ。
 丁度、ご飯と卵と牛乳が余ってたんでね。

 特に弟の一人が――、ジャードって子がそれを気に入って、何かというとせがんでくるようになったもんさ。

 これが、あたしが料理を始めたキッカケさね」


「…………何て言うか…………壮絶ですね」


「そうかい? あたしは、極普通だと思ってるけどね。

 ついでだ。訊かれる前に、その後のことも話しておこうか。
 16歳になって孤児院を出る時、あたしはその進路を、迷わず住込みの料理店に決めたさね。

 中華料理店だったよ。

 孤児院を出る日。弟妹たちはボロボロになったその三冊の料理本をあたしの門出にプレゼントしたさ。
 精一杯、奇麗なリボンを掛けてね。

 料理人になるから、料理の本は何かと必要だろう。って考えたんだろうね。

 残念ながら、役に立ったことは一度もなかったさ。

 そうそう。それから、その古本屋だけど。
 その中華料理店で初任給が出た時、あの三冊の本の代金を払おうと思ってね。
 初任給で、そうしようと思ってたから。

 その古本屋に行ったんだけど、本屋は無くなってたさ。
 潰れて、コンビニになってたよ。
 周りに聞いても、爺さんが何処へ行ったか知ってる者はいなかったさね。

 あの時ほど、落胆した事は数えるほどしかないねぇ。

 それから、その爺さんには会えずじまいさ。
 齢からいっても、もう生きちゃいないだろうねぇ」


 無言の二人。


「ま、こんな感じさね。
 何か他にあるかい?」


 おずおずと、小さく手を上げるミカコ。

「あの〜〜、……ホウメイさん」

「なんだい? ミカコちゃん」

「あの……料理店では……イジメなんかには遭いませんでしたか?
 その…………孤児院出身……とかで……」


「おお。あったさね。
 何せ、あたしは飲み込みが早くて、腕が良くて、センスがあって、さらに腕っ節も強かったからね。
 孤児院出の女だてらにってさ。

 そのことで、よく嫌みや陰口を叩かれたもんさ。
 貧乏人の親無し子くせに生意気だってね。

 悪口なんて言わせとくだけ、言わせとけば言いさ。
 こっちは、小人(しょうじん)のことなんざ、かまけてる暇、なかったしね。
 それに、味方してくれる人も結構いたさね。

 まあ、本当言うと、あたしには『(りゅう)』と言う家名が有る。けど、それで陰口に対抗することは無かったさね。
 それは、弟や妹を無視する行為だからさ。

 あたしの『家族』は、あの孤児院の兄と姉、そして、弟と妹たちなんでね」


「あっ!! だから、ホウメイさんて、あんまり、『劉』って名字は使わないんですね〜」

 手を打ち鳴らしたミカコに、ホウメイは片目を瞑っ(ウインクし)て返した。


「でも、陰口や悪口だけじゃなくて、実際に絡んでくるヤツっていますよね」

 嫌なことでも思い出したのか眉間に皺を寄せるシュウに、にやっと眼で嗤うホウメイ。

「そんな時は、一発、ぶん殴ってから、こう言ってやったもんさ。

 『あたしはどこの誰でもなく、ホウメイだ。
 あたしには『料理』がある。
 誰にも模倣できない『味』がある。
 そして、料理に込められる『心』がある。
 他に何が必要だい?』――ってね」

 ホウメイは唇の片端を上げ、不敵な笑みを見せる。


「はあ、見かけ通り強いんですね」


「なんだい? その見かけ通りってのは?」


「……あ……いや、その……すいません」

 恐縮するシュウを、ホウメイは闊達に笑い飛ばした。

はっはっはっはっは。
 謝る必要はないさね。
 あたしも、可憐な乙女とは言わないさ」


 自信に満ちた静かな眼でホウメイは二人を見下ろす。

「ただ、強いと言ってもね。恐ろしいものは、たくさんある。
 あたしは、ただの一介の料理人だからね。

 だけど、自分の道を行くあたしには、怖いものなんか何もないさね」



 見上げる二人へ、自分も師匠に言われた心得を送るホウメイ。


「料理は、料理人の心ってやつを映す。
 元気がないと、料理までしょぼくれちまうよ


「「はい」」


 それに、シュウ坊。あんたには、あんたを心配してくれる娘もいるしね。

 寄り添うように、少年の隣に座る少女を見、ホウメイは心の中で付け加えた。



*



 宇宙とは、暗闇ではない。



 無数の星が一定の光を放ち続けている、全周、全てを星々の淡い光に満たされた空間。



 その宇宙空間でアキトは、何をするまでもなく機体を漂わせていた。



 警戒中だが、アキトは最低限の注意しか払ってない。

 アキトの直観が、襲撃は無いと告げていた。


 『前』の戦場と死線を潜り抜けて培った感覚だ。

 何よりも信頼できる。


「…………それにしても…………暇だな」



 ルリに貰った握り飯は、すでに食べ終えていた。

 竹皮を玩びながら、茫と宇宙()を眺めるアキト。



「…………ルリちゃんか」



 先程の、食堂での騒ぎを思い出したアキトは苦笑いを浮かべた。

 まるで、『前』の自分に戻ったような感情。



 俺も、甘くなったもんだ。



 …………だが、それも悪くない。


 ああ、悪くない。


 アキトは、そう思えるようになっていた。



 何故、変わったのか? 言うまでもない。


 『木連での八ヶ月』


 この一言に尽きた。

 木連にも、『敵』に該当しない者が居ると認識を改めたあの八ヶ月。



 行き倒れてた俺を助け、受け入れてくれた九十九とユキナちゃん。



 俺の寸打を一から矯正し、さらに木連式極破流柔の続きを――絶招を指導してくれた我が師。

 ――猛虎の月臣。

 『月臣元一朗』


 命を狙われたならば、たとえ世界を敵に回したとしても、一歩たりとも退かず嬉々として相対する少女。

 ――化け物。

 『波月』


 そして、存在すると想像すらしてなかった自分と同じ同類。世界に独りきりだと思っていた自分の前に現われた同族。世界にたった一鬼(ひとり)の同胞。

 ――鮮血鬼姫。

 『神狩玲華』



 夕薙、サブロウタ、叶十(かのと)紗音里(さとり)、秋山、西鳳、東。

 あと、おまけでガイ(山田)



 彼らとともに過ごした(時間)が、アキトの心を開かせた。


 彼らには『前』を重ねずに、心置きなく接することができた。



 そして、アキトを恐れるでも無く、頼るでも無く、畏敬も無く、憧憬も無く、『普通の人』として接してきた彼女ら。

 何故なら…………アキトが一般人に見える程、彼女らの方が『突き抜けて』いたから。

 だからこそ、気兼ねなく対等に付き合えた。



 アキトは、苦笑を洩らす。


 ――そう、『人外』同士としてな。




 この漆黒の闇を貫いて輝く星々の中に、木星もあるのだろうか?



 アキトは深遠を見通す如く、眼を眇めた。


 そして、いつか来るだろうか?

 戦場以外で、彼女らに逢える日が。

 殺し合い以外で、彼女らと話せる日が。



 だが、それには和平が――木連と地球の和平が必須だ。

 木星で「いつか必ず」と、交わした約束。


 和平を目指すならば、地球側(こちら)からの行動も必要だろう。


 その要になるのが、『ナデシコ』



 アキトは、これからおこる印象深い出来事を並べていく。


 月の裏側に遭難。

 北極園の白熊。

 南海の孤島と迷惑お嬢様。

 ナナフシのマイクロ・ブラックホール。

 オモイカネの反抗期。

 テツジンの出現と月へのジャンプ。



 ………………。


 アキトは無言で、機体を左右に振った。

 エステバリスのスラスターは、全て正常に稼働している。


 アキトは苦笑いを浮かべ、独り語ちた。

「さすがに、遭難は無さそうだな」



 和平のために策動するならば、何時から始めるか?


 やはり、九十九がナデシコに来てからだろうか?

 いや、もう少し前から動けないか。


 火星の往路での経緯を見る限り、『過去』の記憶は当てにならない。


 アキトが木連に跳んだ。

 これも、『前』には無かったこと。



「未来の予想がつかないのなら…………いっそ、強引に和平策を進めるか……」


 ……いや、ただでさえ『星野瑠璃』が、俺の経験した過去とは違う行動を取ってるんだ。

 俺まで勝手に行動したら、『前』のような和平にさえ到達できないかもしれない。

 デメリットばかりが増大する。


 なら、『前』の行動をなぞっていく方が、結果的に正解かもしれない。


 しかし、早めに手を打っておきたい、と言うのが本音だ。


 唸り声を洩らしたアキトは、頭を振った。


 …………駄目だ。考えが堂々巡りしてる。

 俺が下手に考えるよりも、ユリカやルリちゃんにゆだねてしまいたい気分だ。


 だが、それは出来ない。

 これは、アキトがやらなければならない。

 バカだろうが、頭が悪かろうが、無い知恵を絞り出してでもやらなければならない。




 ――――これは、俺の贖罪だから。



 ユリカを守れなかった――


 ルリちゃんを置き去りにしてしまった――――



 ――俺だけの罪。



「やあ、テンカワ君。
 少し、話なんか良いかい?」

 アカツキの声が、アキトを思考の海から引き戻した。


 アカツキからの通信は、エステ同士の赤外線通信を使った直通回線のようである。


 ――ナデシコには聞かれたくない会話ってことか。

「かまわん。時間なら有り余ってるしな」


 確かに、とアカツキが声なく笑った。


「単刀直入に訊こう。
 テンカワ君。君はナデシコ艦長を、『ミスマル・ユリカ』を、どう思ってるんだい?」


 アキトは即答する。

ここ(・・)のユリカは別人だ。

 俺の愛した女はもういない。

 この前、それを思い知った。
 …………思い知らされた。
 幻影を見せつけられて、やっと実感した(わかった)

 ここのユリカは『あいつ』とは違う。………今更、気付くのも遅すぎるけどな」


「でも、艦長は君の幼なじみなんだろ」

「いいや。俺の幼なじみは、もういない」

「よく解からないけど、ボクが艦長を口説いても、なんら問題ないってことかい?」


 ただ、アキトがどう反応をするか見たいがために、問いかけるアカツキ。

 そして、アキトもそれがわかっていながら答える。

「なんなら、協力してやってもいいぞ」


「ふ〜〜ん。それは、ありがたい申し出だね。
 じゃあ、もう一人の娘も良いかい?」

「もう一人?」

「星野君さ」


「アカツキ…………ロリコンに鞍替えしたのか?」

「ルリ君を、自分の布団に引っ張り込んだ君に言われたくないね」

「誤解だ!! あの場に、お前も居ただろう」

「さあ、真相はどうだか。
 愛妻弁当まで用意してもらってるみたいだしねぇ」


…………アカツキ


 通信越しでさえも圧迫されるような、殺気に満ちたアキトの声に、
 慌てたアカツキは本当に訊きたかった問いを、言い訳するかのように洩らしてしまう。

「い、いや。ルリ君が行方不明だった2年間、君が彼女の面倒を見てた…………と思ったんだけど……………………どうやら、違ったようだねぇ」

 呆然とした表情のアキトに、アカツキが眼を眇めた。



「ルリちゃんが2年間、行方不明?」


 『前』のルリに、そんな経歴は無かったはずだ。


 木連で行った考察のように、『星野ルリ』と『星野瑠璃』(二人のホシノ・ルリ)が居たならば、その行方不明中に『星野瑠璃(今のルリ)』は、『星野ルリ(『前』のルリ)』に出会った?


 そう考えれば、辻褄が合う。

 その2年間で、未来の出来事やワンマン・オペレーションを学んでいたとすれば……、アキトの推理とぴたりと重なる。


 ただ、証拠は何一つとして無い。


「どうしたんだい? テンカワ君」


「あ、いや……別に……」

 言葉を濁すアキトを、アカツキが軽薄を装いながらも鋭い眼で観察していた。


 ……これは…………何か誤解されたか?


 アキトが苦笑を浮かべた時、


アキトさん。アカツキさん。
 すぐにナデシコへ戻ってください!!

 メグミから緊急の呼び出しが入った。


「どうした?」

「どうしたんだい? そんなに慌てて」


「地球連合軍の戦艦が、木星蜥蜴に乗っ取られたそうです。
 詳しくはブリッジで」


 眼を見交わしたアキトとアカツキが、同時に頷く。


「「了解」」





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