第八話

自分が記憶喪失と自覚してから随分と時が経つが、未だ殆どの記憶は復旧していない。

客観的に見て今の僕にあるのは「知識」。無いのは、生まれてからこれまでの多くの「記憶」。失われた情報の殆どは「経験」。

例えば、実を言うとエステバリスやナデシコ、それにテンカワさんに代表される一部のクルーの名前、そしてプロフィールの一部は知っていた。

だが、その人と自分にどんな繋がりがあるのかは知らない。その「経験」が無いからだ。

加えて、お約束というべきか、ある特定の言葉や人を見ると、新たに「記憶」が思い出される事もある。

大海の中に何かある。それを狙って釣り糸を垂らすかの如く手を伸ばすものの、殆どが空振りに終わる事もあれば、偶然放って置いた糸に魚がかかる事もある。

現に、サラの名前や、予知の映像に関しては後者だった。これで、予知の謎は多分だが解明できた。

理由については、そうなるものと割り切った。情報が少なすぎるし、今のままでも困ってはいないからだ。

記憶の件で思い出したが、僕の記憶喪失に関しても気になることが無いわけではない。

僕がそうだと断定されたわけではないが、確か記憶喪失とは頭部外傷、精神病、てんかん、ヒステリーなどの意識障害からの回復(恢復)期に現れ、器質的原因と心因的原因があるらしい。

しかし、どれが理由かと思考してみても、こればっかりだが材料が足りない。

後ろ3つについては記憶が無いし、詳しい知識も無いから何もいえない。

頭部外傷については、確かあの夜には頭部に痛みも傷も無いから多分理由としては違う確率が高いが、強打してから痛みを無くすほど長い時間気絶していた、という可能性も捨てきれない。

――――ふと、頭に電撃が走った。思いつき、とでも言うのだろうか。

だが、僕の常識の概念がそれを即座に破り捨てた。

あまりにも意味不明だった。認めたくもなかった。

この記憶喪失が、その後の行動が誰かの手のひらの上によるものだという仮説。

事実、僕は両親と因縁のあるナデシコに乗り、未来のテンカワアキトと都合よく出会い、偶然にも以前の未来と同じ道のりを歩んでいる。

偶然も何度も続けば、必然と言う。

自分が決めたと思っている意思決定が、実は何者かに操られた結果かもしれない。

ばかばかしい推測ではある。だが何故か、換気扇にこびりついた油汚れのように、頭から離れてくれないのだ。

ならば、仕方なしに心の片隅に留めておこうと思う。

そうとりとめもない事を考えているうちに、時刻は夜と深夜の境目に入ろうとしていた。

僕とテンカワさんは、最後の仕事の皿洗い、及び皿拭きをしていた。

いつもの喧騒は跡形もなく、周りには見知る人も見知らぬ人も誰もいない。

「・・・なあ、少年?」

まるでこれ幸いとばかり、テンカワさんは問いを投げかけてきた。

「聞いていいか?

 ・・・おいおい、そんな怪しい訪問販売を見る目は止めてくれ。

 何、単なる世間話だよ。」

「・・・何ですか?」

「そうだな・・・。

 平行世界って、解るか?」

「あ・・・はい。SFの知識くらいなら少し。

 多世界解釈とか何とかで、無限にあるっていう可能性の世界のことですよね。」

「・・・ま、そうだな。大体そんなもんでいいだろう。

 本題は、無限に広がる際の発生源である、いわば分岐点とその後だ。仮に、その分岐をYと名づける。

 さて・・・」

と、不意にテンカワさんは洗っている最中の皿を一枚、洗い場の中に落とす。

食器同士の甲高い音が鳴り響くが、幸い割れることは無く、テンカワさんも動揺する事は無かった。

「って、何をしてるんですかっ!」

「と、俺は皿を落とした。

 つまり、この世界は『俺が今皿を落とした世界』となる訳だ。

 仮に世界Aとする。

 だが、もし皿を落とさなかったり、落としたその皿が割れていたら?

 そういう違う世界の一つを、世界Bとする。

 つまり、『皿を落とすか落とさないか』が、分岐を表すYになる訳だ。

 此処で、Yの事だが、世界は分岐する。

 さて問題。分かれた二つの世界にはそれぞれ俺Aと俺Bがいるわけだが、俺達は互いの存在を見ることが出来るのか?」

もしかして、この問題の為だけに皿を落としたのだろうか?

割れてたらホウメイさんに怒られてただろうな、と思ったところで、ああ、怒られるか怒られないかも分岐か、と苦笑する。

相変わらず、誰もいない空間には透明の流体物が蛇口から絶え間なく流れ出て、食器を穿ち続ける音がするのみ。

ともかく質問に答えなければならないと、僕は口を開いた。

「見えないと、思う。」

「何故?」

「何故って・・・えっと・・・」

自分でもこの答えは自信がある。だが、そういう考えに至った過程が説明できない。

喉元まで来ているのに、小骨が刺さったようにもどかしい。

形にする事が、出来ない。

そういう逡巡を見て取ったか、テンカワさんは話を続けた。

「・・・ま、いいけどな。よし、解りやすく例えるな。

 とある漫画本と、それの小説がある。」

「質問。」

そこで僕は、教師に物を尋ねる生徒の如くまっすぐに挙手した。

「何だ?」

「漫画って・・・何?」

聞いた途端、テンカワさんは目を丸くしてあっけに取られた様子で僕を見つめた後、哀れむような視線に変えた。

「少年・・・本気か?」

「いえ、知識はあるんですけど、実際に読んだ感覚が無いんで・・・」

すると、テンカワさんは納得したとの表情。

「ああ、そういう意味か。てっきり、漫画も読んだ事の無い天然記念物かと思っちまった。

 漫画を読んだ事が無いなんて、人生の20パーセントを間違い無く損してるからな。

 ・・・話を戻すぞ。

 それらの世界は、両方とも同じ世界観を持ち、同じ登場人物が活躍するとする。

 だが、同じ基本設計であるにもかかわらず――――少しぐらいなら違っててもいいが――――漫画の主人公は小説の主人公を見ることは出来ないし、逆もまたしかり。

 まあ、そういう意味で考えてもらって、差し支えないと思う。

 同じ次元同士じゃ、別の世界を見ることは出来ないんだ。」

「つまり、自分は一つの選択を決定するごとに、他の無数の世界の可能性を選ばなかったって事?」

「選ばなかった、じゃない。見えなくなったんだ。」

・・・全然わからない。

「ま、追々解るようになるさ。

 ・・・だが、例外として、漫画の世界も小説の世界も両方見ることが出来る奴がいる。」

「誰ですか?」

「俺達だ。

 ・・・こらこら、人を哀れむような目で見るな。俺は至って真面目だ。」

「なら、ちゃんと説明してください。」

「よし解った。

 よく、俺達は漫画や小説、アニメを二次元と表す。そして、それを見ている俺達がいるのは3次元だ。

 例えば漫画は、ページが進む事でその世界の時が経つ。

 だが俺達は、ページを進めたり時には戻したりと、その世界の時間軸内を自由に動く事が出来る。

 極論だが、このとき俺達3次元人は、2次元の世界を見回している。」

「要するに、3次元の人は、2次元のYを見通せるって事?」

「まあ・・・そんなもんだな。

 話を纏めると、1次元の線を全て見通すには2次元から、2次元の平面ならば3次元から見る必要がある。

 n次元の全てを見通すには、n+1次元にいなきゃいけないって事だ。

 ・・・おっと、こんな時間か。よし、小難しい話は終わり。」

そう言って、洗い終わった皿の一枚を横に置くテンカワさん。

しかし、僕は最後に残った疑問を放ってみた。

「・・・なんで、いきなりこんな話を?」

「それは聞かないのがお約束だよ、少年。」

講義終了後、再び食堂には皿と布が擦れる音と、水の打つ音だけが流れるようになる。

そのまま半ば固定空間と化したその場所に、通路の方から新たな音の発生源。

白衣と金髪を揺らすその姿は、イネスさんだった。

「アキト君、こんばんわ。

 ・・・少年君もいるのね。ちょうどよかったわ。」

「・・・ちょうど?」

「俺、席外しましょうか?」

「別にいいわ、そのままで。」

その口ぶりは、まるで僕を探していたかのよう。だけど、僕にはイネスさんに探されるような事は無いはずだ。

病気も無ければ、怪我らしい怪我も無く。

懸念事項はジャンパー問題だけど、それなら1対1で内緒話にすると思う。

ならば今からする話は、大した話じゃないか、みんな知っている事なのか。

「・・・今は、起こってないみたいね。」

「・・・何の事?」

「その調子だと、自覚は無し、ね。サラちゃんや他のみんなが言っていたの。勿論、そこのアキト君も。

 貴方と話をしている時、他にはした後とか、ふと貴方がおかしくなるそうよ。」

「おかしく?」

そんなつもりは毛頭無い。

普通通りに話をして、聞いてをしているつもりだし、暴れたり叫んだりした事も無い。更には、会話中に突然意識を失うような事も無い。

そんな風に思考の海の底に沈んだ僕を、テンカワさんが引き上げる。

「時々・・・何て言うんだろうね・・・心だけが体から抜け出たようになるんだよ、お前。

 魂の無い人形みたいに。」

「人形には、魂はありませんよ?テンカワさん。」

「おっ、こりゃ1本取られたな・・・って、揚げ足取りはどうでもいいんだよ。例えだ、例え。」

「アキト君、他の人にも言っておくけど、もしまた目の前でそういう状況になったら、連れて来て。」

「解ったよ、イネスさん。」

言うだけ言うと、それじゃと去って行ったイネスさん。

去り際に独り言のように言った、実験してみたい事があるから、というセリフは無視しておく。

怖いから。

「少年、テンカワ、あがりだよ!」

厨房の方からのホウメイさんの声で、僕達はようやく今日の労働から解放された。

・・・う〜む、テンカワさんの差し伸べた手を断っておきながら、何となくテンカワさんの掌の上にいたままなのは、気のせいかな。

「おい、天河?」

木星近郊の船の中では、太陽も月も光が地球ほど届く事は無いが、確実に夜を示す時刻。

よく通る、しかし少し暗さのある声で、湯呑みに茶を入れていた涼権はユリカに問いかける。

普段なら適当にあしらうはずの声を、今回は珍しくユリカは聞く姿勢に入っていた。

気分の問題もあったが、涼権の瞳に宿る、幾分かの鋭さと深さを認めたからだ。

幾ら生きていればこんな瞳をするのかと思いつつ、木の椅子に座って足を組み直し、湯呑みを受け取ってから返事をした。

「珍しいわね、こんな時間に。

 ココと、一緒に『寝て』いなくてもいいの?」

「ココなら、今は電波送信中だからな。そっとしておくのがいい。」

皮肉を告げたつもりが意味不明な回答をされたため、ユリカはしばしどんな反応をすればいいか迷い、視線を虚空にさまよわせる。

ようやく思いついたのは、八つ当たりのように涼権にきつい視線をぶつけることだった。

まるで遮光器土偶のような視線に、涼権は一瞬だけひるむ。

「それで・・・何か用?」

「ああ、いや、大した用じゃないんだがな・・・」

「大した用じゃないなら、帰りなさい。私は眠るの。」

毒を含んだ返答に憮然としながらも、涼権は続ける。

「そうだな・・・死ななくて、死ねない人間について、どう思う?」

「・・・意味が解らないわね。ちゃんと人間の言葉をを話しなさい?

 せめてバースディケーキに立てられて火をつけられた挙句、燃え尽きる事無く火を消されてすぐにお役御免で捨てられる蝋燭程度には意味のある言葉をね。」

ユリカを知る者が聞けば、解っただろう。声の温度が少し下がり、不審と困惑の属性が追加された事、加えて僅かに詰まってしまった事に。

しかも、それを無意識に隠すように饒舌になる。

だが、幸か不幸か涼権は全くすっきりさっぱり気づきもしない。

「例えばでいい、与太話だからな。

 もし、内的要因―――というより、老衰と考えてくれ―――で死ぬことも出来ず、致命傷でも死ぬ前に完治してしまい、死ぬ事が出来ない人間がいるとしたら?」

「退屈ね。」

鏡に当てた光の如く、彼女は瞬く間に返事をする。

いつもの気だるそうな声が、今回はブラックホールより深く暗いものになって。

「本当に、退屈。どれだけ絶望を感じようと、終わりは来ない。

 誰も、迎えに来てくれないし、連れていってもくれない。苦痛よ。」

「お前・・・経験者みたいに言うなあ。」

涼権のぼやきにユリカは鼻ではんと笑い、次に喋りすぎたと落ち込む。だが、涼権はふと一つの可能性に思い当たった。

それが当たっているかどうかの考察さえ忘れて、彼は呟いていた。

「・・・もしかして、キャリアか?」

「―――!?」

その途端、ユリカの瞳は刹那、驚愕で全開に見開いた。

そして何かを思い出す様に呟き始め、彼女の中で一つの結論に辿り着かせた。

(そう・・・未来でも知っていたのだから、過去でも知っている可能性はあるのよね・・・)

二日酔い後のように頭を抱えながら、ユリカは喋り過ぎた事を自省する。

ある時、僕の前に突如として一人の女性が現れ、僕の全身を驚きで固めていた。

それがナデシコクルーであれば、わっとびっくりしてそれで終わる。

だが目の前にいる桃色髪の細身の女性はナデシコの中で一度も見たことが無く、何より彼女はネルガルの制服を着ていなかった。

―――ボクは知っている。

そこに立っているのは、ずっと昔に別れたっきりの、八神ココと言う名の少女だった女性。

―――ボクは知らない。

目の前の女性が、誰だったかを。

「こんばんわ、お兄ちゃん。

 こっちの年月計算だったら、久しぶりだね。」

高めな女性の声にも、僕は反応を見せる事は無かった。今まで以上に、記憶の海が荒れていた。

何処かで会ったかも知れないし、初対面のような気もする。

僕が無反応なのが気になったらしく、彼女は上目遣いに問いの視線。

そもそもいきなりの不審者に、僕は混乱状態。

それでも意識の片隅で、多分この人はオモイカネのレーダーにも引っかからないんだろうな、と冷静な思考をしていた。

「・・・あれ?お兄ちゃん?

 ・・・あ、そっか。私の事を知らないお兄ちゃんもいるんだね。」

反省、と言う感じで彼女は頭に手を当てて笑う。

それは、贔屓目にも反省しているようには見えなかったが。

「・・・君は・・・誰?」

枯れた声でそう呟くのがやっとの僕に、彼女は意味深な言葉をかけてくる。

どこか寂しげな声で。かすれた記憶の一部を、引き出すような事を。

「お兄ちゃんを、知っている人だよ。それに、お兄ちゃんの知っていた筈の事も、知ってる。

 例えば、」

「―――キュレイウイルス―――」

その名を聞いた途端、僕の全身を雷が流れたような衝撃が走る。

知っている。

僕は間違いなく、その名を知っていた。

キュレイウイルスの存在。

それは―――

「レトロウイルスの一種で、感染者のDNAを書き換える力を持つ。そして、感染は多種族の壁を越えて感染する事は無い。

 更に、DNAを書き換えられた細胞はガン細胞よろしく増殖するけど、その際にガン抑制遺伝子であるp53をも変異させて無力化させるから、増殖は阻害されない。

 そうして書き換えられた人間は、複数の変化がもたらされる。

 まず、体内で―――」

「・・・よく知ってるな。

 これを知っているのは、今じゃごく一部のみなんだが。」

スラスラと言葉を紡ぐユリカを見て、涼権はただただ感心する。だが、と付け加えはしたが。

「補足するなら、感染原因はキャリア―――感染者の事だが―――の血液を通じて感染する可能性が高いと言う事。

 DNAの書き換えられるレベルも人によって違うが、ひどい奴はp53の消失の影響で、紫外線に対する耐性が圧倒的に弱くなる。

 俺の知り合いで少し・・・いや此処だけの話だがかなり怖い・・・奴がいて、そいつは、太陽の下に出るのが大変だったからな。

 ―――だからだろ?天河がいつも、黒ずくめに身を包んでいるのは。」

「・・・そうよ。

 どうせ、初め見たとき何とち狂った電波なコスプレしてるんだこいつとか思ってたんじゃないの?私の事。」

バイザーこそ今は無い物の、黒のゴシックロリータ風ワンピースに黒マントで着込んだセンスの欠片もない格好をした女は頷く。

後半の台詞を無視して更に確認するように、涼権はまだ喋る。

何だかこの女、急に喋るようになったなあと思いつつ。

「それ程の症状って事は、お前、『停止』してやがるのか・・・。

 悲惨な・・・」

「―――ま、ね。

 特徴は、こんなものかしら?」

「……という事、だね?」

「やっぱり、覚えてたね。お兄ちゃん。」

不思議なものだった。不思議という言葉以外に表現できないほど、不思議だった。

知らない筈の事を、まるで以前聞いたことがあるかのように流暢に言葉を発するボクの口に、僕は戸惑いを隠せない。

だからこそ、

「君は・・・誰なの・・・?」

心からの問いに、しかしココは違う話題で返してきた。

「空間に点ABCDがあって、平面ABCと平面ABDがあるの。

 ABCとABDを重ねるには、どうしたらいいか解るよね。」

「――――――」

「今は何の話かは解らないかもしれないけれど、覚えておいて。

 久しぶりに逢えて嬉しかったけど、今日はもう寝ちゃうね。

 おやすみ、お兄ちゃん。」

そう一方的に告げると、彼女は現れた時と同様、何の前触れも無く姿を消してしまった。

夢か幻を、見ているよう。彼女の居た残滓は、何処にも見当たらなかった。

狐に摘まれたような感じを心の片隅に残したまま、僕は襲い来る睡魔に抗いきれず、部屋に帰ってそのままベッドに飛び込んだ。

「お前がキャリアだというのは、まあ信じる。じゃあ、お前は何歳なんだ?

 俺も仕事上、いろんなキャリアを見てきたが、お前の時々見せる態度は30年や40年じゃきかねえぞ?」

涼権のいぶかしむ問いに、ユリカは見るだけで人を殺せそうな視線を向けつつ、悪魔の笑みでこう告げた。

「見た目うら若き女性に軽々しく年を聞くな、下郎」

(いや、年を聞くなって年齢かなあ・・?)

「何か文句ある?」

「・・・まあな。お前の年齢って」

「黙れ喋るなロリコン野郎」

「や か ま し い」

絶対零度の凍傷より痛く、レーザーメスよりよく切れる一言を浴びせられ、考えるより先に怒鳴り返す涼権。

だがその反応は、自分がそうであると認める返事をしている、何よりも雄弁である証明で。

「やっぱり愚劣で外道で矮小で強盗も裸足で逃げ出す変質者なゴキブリ野郎で甲斐性無しなロリコン変質者なのね。

 そんな貴方にはミスターロリペドフィンの称号を進呈します」

「いるかよっ!」

 かまをかけて見事的中させたユリカはここぞとばかりに畳み掛けた挙句にはんと止めに笑い、涼権は反撃も防御も忘れ、トラウマから床に突っ伏してドナドナオーラを放出していた。

今の自分は売られる子牛だ。間違いない。

山崎ラボ。

木星圏でもその場所どころか、その存在さえ殆ど知られていない非合法研究所。

目的は表に出ないような人物の為の搭乗機の設計開発と、木連軍人の為に行うジャンパー措置の為の人体実験。

戦前から始められていたジャンパー措置も、最近には漸く成功した者が現れ、軌道に乗り始めていた。

今では順調に、優人部隊の人間に措置を施している。

そんな折、建物の名前が表す通り、最高責任者のヤマサキヨシオの部屋に、一人の来訪者が現れた。

それは聞き覚えのある足音。だからこそ、扉に背を向けていたヤマサキは振り返りもせずに挨拶する。

「おや、北辰さん。今日はどんな御用で?」

それから、手に持っていた道具を机に置き、ゆっくりと振り向く。

北辰、と呼ばれた目の鋭い、一目見て堅気にあらざる雰囲気を持つ男がそこにいた。

片目に埋め込まれた紛い物の瞳を暗く光らせ、客は告げた。

「―――夜天光の準備は出来ているか?」

「あれを?何の用事で?」

「地球にて、新型機の奪取という直々の命令だ。

 あれの試験には丁度よい。」

「草壁さんの?

 ああ・・・まだ、ちょっと無理だねえ。」

夜天光はごく最近、草壁直々の命令によって特殊部隊用に製造され、今は1機がやっと完成した新型機。

以前は大型大出力をベースにしたジンシリーズが主な製造ラインに乗っていたが、

この世界では何が起こったか、最近になって対小型兵器用に積尸気とステルンクーゲルが量産の主力となっていた。

まるで、未来の火星の後継者のように。

「草壁さん、最近変わったよねえ。

 具体的には、えっと・・・地球で撫子とかいう戦艦が出航するちょっと前頃だったかな?

 何と言うか・・・草壁さん、北辰さんみたいな匂いをさせるようになってねえ。

 ・・・おっと北辰さん、にらまないで。失言、冗談。」

ヘラヘラとした笑みを貼り付けながら両手を前に掲げて、迫る北辰を引き止める。

北辰はそれを見て呆れて立ち止まった物の、威圧の風を感じて後ろに2、3歩下がった拍子に山崎は後頭部を飛び出していたパイプで強打。

軽い音とともに前に振られた顔から、2つの小さな何かが落ちた。

「おっと、いけない。」

慌てて拾うそれは、黒のコンタクト。そしてそれをはめ込む先の瞳は、出血の理由ではない、ただ純粋に紅く輝いていた。

黒の瞳が多い木連では黒以外は珍しく、ましてや赤は尚更希少。

だから、隠す。黒のコンタクトで。

知る者は、草壁や北辰を含む、極少数。

「危ないねえ、代わりは少ないんだから・・・。

 機体は、ちゃんと六連の予備を用意しておくよ。壊すなり爆破するなり、お好きにどうぞ。」

「・・・ふむ。」

「そういえば、天河ユリカとの決着は、いつ付けるんだい?」

「今はまだ早い。唯一つ言える事は、奴は間違いなく木連の為に動いてはおらぬ。

 以前からその兆候は見受けられたが、最近になってそれが顕著になっている。

 いつか尻尾を出した時が、奴の最後よ。」

「おやおや、勇ましい事で。

 出来るなら、その時はどんな状態でもいいから生きたままで持ってきて欲しいねえ。

 跳躍措置も受けずに跳躍に耐えられるあれの体、興味が尽きないからね」

下卑た笑いを浮かべる山崎に北辰は顔を背け、さっさと部屋を後にした。

その顔に、表情はなく。

後に一人残る山崎は、笑い終わった後に静かに佇んだ。

「やれやれ・・・措置が成功してから、あの人は忙しい事で。

 尤も、僕も優人部隊の残りの人にやってこなきゃならないから、おあいこだけど。」

「此処が・・・?」

横須賀基地から少し離れにある、一風変わった形の建物。ネルガル傘下の、アトモ社と呼ばれる会社だった。

その入り口の前で、成長したマキビハリは初めて見る場所の大きさに呆然としていた。

「此処で・・・暫く世話になるのか・・・。」

それは、3日前。優から、ハリは突然理不尽な命令をされた。

「アトモ社に、ジャンパー実験で出向しなさい。」

「いきなりですね薮から棒にっ!?」

誰が見ても自棄なハリの態度に、優は半眼を向ける。

「・・・やけになってる?」

「なりますよ。優さんはいつも理不尽ですから。」

昼食のラーメンで醤油とみそを間違えただけで机ごとちゃぶ台返しされたり、逆にドクターペッパー内蔵(?)のバレンタインチョコの実験台にさせられたりした思い出がハリの脳裏に蘇る。

理不尽、のくだりで優は一瞬瞳を尖らせるが、すぐに平静を取り戻す。

そのまま何事も無かったかのように懐に手を入れ、数枚のカードを出し、ハリに手渡した。

「じゃ、これ私とあんたの名前書いた名刺だから、偉い人にでも渡すのに使いなさい。」

「聞く気無いし・・・ん?」

と、ハリは名刺を見て初めて気づいた様に、思わず呟く。

「田中研究会社、社長……」

 以前は田中研究所と言う名で、主に人材派遣や下請け、時には高度な技術力で独自に様々な物を開発したりと150年以上、表に出ない範囲で名が広まっていたが、その技術力を危険視した他企業の手によって数年前に崩壊した。

時の所長であった優は脱出させるのにかろうじて成功した数人の人間の所員と数十人の甲種人型生命体レプリスタイプCを連れて、

以前より用意していた第2研究所をそのまま改装し、運営させ始めて現在に至る。

目の前の人物から以前聞いた話を思い出しながら、ハリは読み続けていこうとする。

が。

「田中・・・優美清春がっ!?」

「甘いわね、ハリ」

「〜〜〜〜〜っ!?!?!?」

「私の本名程度も噛まずに言えないようじゃ、1流のアナウンサーにはなれないわ!」

「なりませんよっ!」

舌を思いっきり噛んだせいで少し涙目になりながらの間髪入れない突っ込みに、優は舌打ち一つ。

そして、気を取り直してもう一度言い直してみる。

「田中……優美清春香菜……。

 長ッ!」

「チェストぉっ!」

ビシ、と優の垂直チョップがハリの脳天にいい音させて突き刺さる。

痛みに頭をさすりながら、ハリは唾を飛ばさんばかりに抗議した。

「何するんですか!」

「本当に甘いわ、ハリ!私のむ―――」

「何だかいやな予感がするから止めてください!」

こんな名前の長い人、日本人でそうそういるのだろうか?いやいない筈だ。ハリは脳内会議で断定した。

だがそんな事知った事かと、優は話を元に戻す。

「いいからさっさと行く!はい!」

「わ、解りました!

 けど、実験って大丈夫なんですか僕の体!」

優と話す時はつい早口で大声になるハリ。

いつも同じ事をされているうちに、トラウマとして精神的にも肉体的にも染みこんでいた。奥深くまで。

「大丈夫よ。貴方の今の体は、未来の技術でジャンパー処理されているから、受動的な人体跳躍の実験なら、可能よ。

 ……多分」

「多分って何ですか多分って!?」

「とっとと行って来なさい!キャンセル不可!」

「僕の意思無視ですね!?」

「で、結局来ちゃったけど……おや?」

ふと下から前に視線を変えると、建物の側からスーツ姿の屈強な男が数人姿を現していた。

ずっと建物を見上げていた為、不審人物と判定されての結果だった。

あっという間に男達はハリを取り囲み、抑揚の無い声を容赦無くぶつける。

「何か用でも?」

「あ、田中研究所からこちらに出向でうかがったのですが……。

 これ、名刺です」

「……失礼しました」

名刺を渡すと同時、慇懃無礼な態度は一瞬にして消滅した。

それでも硬い姿勢は崩さず、そのままガードするように囲まれ、案内される。

「こちらです」

「はあ、どうも」

無論そんな経験なんか無いハリは、恐縮しっぱなしだった。

草壁の変貌は、表立っては木連内には殆ど知られる事は無かった。

彼の主張や目的は以前と変わらず、見た目や行動からも変化は見られなかったからだ。

変化といえば新兵器を次々と発案して造らせていることだが、多くの木連人は、これを漸く始まる悪の地球への大攻勢と思っていた。

無論、この僅かな変貌に気づいた者も少なからず居た。

例えば、北辰や山崎のような闇にどっぷり浸かり、草壁に会う機会の多い者。

だが、彼等にはそれは些細な事象としか判断されない。はっきり言えば無視してもいい問題。

北辰は草壁に対する忠義は確かに少しばかり、はあるものの、いや実際は塵ほどにしかないが、元より彼は外道を名乗る者。

闘争と血と死の匂い、そして強さを求める彼にとって、草壁春樹と言う者の『存在』が重要なのであって、その中身にはさしたる興味は湧かないのが現実。

山崎は更に言うに及ばず、自分の研究施設が確保でき、研究ができればそれでいい。

故に、両者とも草壁がそのまま『機能』しさえいれば、木連の歯車として壊れてさえいなければ、問題ではなかった。

そして、例外の残りは、逆行者の中で草壁の見る機会の最も多かった、高杉三郎太であった。

彼の逆行の時期は、ルリ達と同様の時期だった。

まず周囲の状況と自分の様子を確認してから、此処が過去だと認識した。

続いて取った行動は、目を盗んでルリとの連絡。

それに成功し、目標と目的を聞いた彼は、当面の間は過去の姿を擬態する事にした。

黒髪の、何も知らず正義と熱血を妄信していた頃の自分に。

しかし、ナデシコが火星に到着した頃から、状況が変わってきた。

以前の過去にはありえなかった、草壁直々による未来の量産兵器の開発。

加えて、彼にとっては二回目の『入りたて』の優人部隊の下士官達の中で、半信半疑でささやかれた噂があった。

『木連の何処かで、悪の地球人殲滅用に細菌兵器が開発されているらしい』

多くの者は噂程度、それも賛成気味にしていたが、これに肝を冷やしたのが高杉。

それは、彼に草壁との直接の話し合いを決心させるきっかけになった。

それから約8ヶ月。

草壁は広く意見を求める為、上の者から下の者まで分け隔てなく討論をしあう事があった。予約し、条件を満たせば。

その対面の予約日時がようやく訪れた彼は、草壁の待つ執務室のドアにノックをぶつけた。

自らの名を告げると、了承の返事とともに扉が音も無くスッと開く。

直方体の面の向こうに、部屋の一部が姿を覗かせる。

あるのは大きな木の机とモニター、後は目をひきつける物は殆ど無い。

昔通りの質素な部屋の構造に、高杉は過去同様こういう所には好感を持っていた。

自分の思想の他人への無闇な押し付けは勘弁して欲しいなあ、とも。

「高杉君……だったかな?」

厳かな声に、高杉は意識を現実へと引き戻された。

「は、はい!優人部隊、高杉三郎太であります!」

彼のこの時代での擬態は殆ど完璧だった。

上司の秋山や白鳥、月臣にも不審がられる事無く、時々沸きあがる女の子を口説きたいなあと言う衝動にも耐えて、実直な木連軍人を演じていた。

それは、誰にもばれていなかった筈だった。

「嘘はいかんな。連合宇宙軍所属、ナデシコB及びCの副長、高杉三郎太よ」

目の前の男が口を開き、ニヤリと口の端を歪めるまでは。

「な……!」

「何故、その事を?と言いたげだな」

(まさか……こいつも……)

「まさか、こいつも逆行者か?と思っている」

「くっ……!」

言おうとする事や心に浮かぶ事を次々と言い当てられ、危うくパニック状態になる精神を意思で押さえ込む。

(何時ばれた……?こいつの態度、まるで前から解ってたみたいじゃないか!?)

「何時から知っていたかなど、大した問題ではない。

 用があるため、高杉三郎太と言うものを生かしておいただけだからな。

 なるほど……あの電子の妖精や黒の皇子の一団も逆行してきたか。

 ……うん?黒の皇子に関しては……事情が異なるか?いや、面白い」

草壁の意味不明な独り言に業を煮やした高杉が口を開く。

「事情が異なるってのは、どういう事だ?」

「外から見るだけでは、中は解らんという事だ。

 ……ふむ、色々聞きたそうだな」

「ああ、聞かせてもらうぜ……!」

高杉は擬態を既に止め、辺りに気を配りながら脱出経路を脳裏に浮かべていた。

それを承知で、草壁は身構える事無く悠然とその場に立ち、余裕を見せていた。

「まずは・・・私は誰か、からかな?

 これは多少難解な問いだが、単純に答えさせてもらおう。」

「勿体ぶらねえで、さっさと言えよ……!」

「……草壁春樹という人間を基盤にした、火星の後継者達の複数の意識が集まり、人格の統合が成された者だ」

「な……!?」

「初めに自己を自覚したのは、ナデシコが地球を発った頃と解った。

その当時は、私は一部記憶が欠如していた。

水に数十種類の絵の具を混ぜると明確な色が出なくなるように、数十人の人格が統合されると、以前の人格は死んだも同然になると、山崎が言っていた。

だが、私は地位ゆえに手に入れられる様々な書類及び記録、そしてそれを見た際に連動する記憶の再生によって、今に至るというわけだ」

「そんな事が……起こり得るのか……?」

「本来ならば、死者が時間を越えて意思を伝え、あわよくば乗っ取ると言う事は起こり得ない。

 霊に乗っ取られやすい等と言う者―――無論本当にいるかどうかは定かではないが―――はともかく、普通の人間にはな」

「じゃあ、アンタは普通の人間じゃねえってのか!?」

「それも正しくない。私も至って普通の人間だ。

 逆行等とは縁の無い、な」

そこで、草壁は高杉を皮肉ったように笑う。

苦虫を3ダースほど噛み潰した高杉を尻目に、草壁は口を開く。

「この理由について、助言となるだろう物があった」

そして草壁は数歩向きを変えずに下がり、机の下に手を差し込む。

引き出しから現れたのは、1枚のCD−ROMの形状をしたものだった。

テラバイトディスク。

2010年に画期的発明として鳴り物で広まり、190年経とうとする今でさえ前世代のフロッピーと同じようにして使われる事がある。

1枚で名の如くテラバイトの容量が入り、大きさもCD−ROMと同程度。

それを手袋をした手で目の前に軽く掲げ、言い放った。

「これは木連建国当初から伝わる『予言書』といわれる物だ。無論これを壊しても、中身は既に保存してある。

 とは言うものの、殆どの部分が未解析ではあるのだがな。

 これは長い間、いつか解析される日の為に、ごく一部の上層部の手で極秘に受け継がれてきた」

「それで、アンタがそれを解析したってのか?」

高杉の脳内は、混乱の極致にあった。

逆行も常識外の話だが、目の前の話はそれを更に超えている気がした。

自分が逆行者じゃなければ、何だこの変なおっさんはと考えていたことだろう。

「少し、正解だ。

 否、現在の段階で、僅かにだけ解ったと言うべきだろうか」

僅かに、草壁の顔が無念に沈む。

だがそれも一瞬の事で、再び現れたのは有能な指揮官として知られている固い表情だった。

「執筆者も不明、大部分が強固なプロテクトと暗号によって意味不明。

 読める範囲は、後継者時代の兵器や戦艦の設計図に一部の闇に葬られた兵器、何故か建国当時から蜥蜴戦争、そして5年後までを通した推移。

 そして、様々な詩的文章の一部」

「ある時、無から有が現れた」

「同一軸より生じた双子は、不思議な運命を共有する」

「失われた半身を求めて、どこまでもどこまでも追い続ける」

「光を超えて―――。

 無限を超えて―――。」

「対なすもの。あるいはその中間」

 「男と女。仮面の落とした影。老賢人に添う太母。

道化を装う英雄。朱と青。その中間」

「すべてを掌握するもの。全てであり全てでないもの。

三位一体。神でも悪魔でもないもの」

「アイツは……どこだ?」

詩の一節のような文章の連続は、神秘性を秘めていたように高杉は感じた。

この世界から……遠く離れた……まるで冷たく儚い何かに、全てを見通されているように感じられた。

そして心に引っかかるのは最後の一文。

『アイツ』

これに限っては、幾千年も積み重ねられた怨み憎しみの感情が漏れ出して来ているかの如き威圧感にすら襲われる。

「調査の結果、人間には理解しがたい事が起こっていた。

 詳しい事は省略するが、2007年や2011年にも、人の人格を突然狂わせ、あるいは変えてしまう存在が現れたという。

 それは怖れをもってこう名づけられた……『影』、と」

「影、だと?」

それは、先程の詩の中にある言葉。仮面から、落とされる物。

「後に、今は潰れてしまっているが、地球のとある製薬会社の遺した調査結果によると、影の正体は『第3の目』の確率が高いという結果に落ち着いた。

 アイツと対を成す存在であり、アイツを追い続け、アイツに追われ続ける存在。

 時にデウス・エクス・マキナの様な力で救いを与えると思えば、悲劇をも与える、全てを決める存在。

 それのせいで―――否、それ自体が願った事で―――今の私は此処にいる」

ずっと話を聞き続けていた高杉の頭の中は、混乱を越えて、ホワイトアウトしていた。

顎に一撃を貰ったボクサーよろしく、視界が定まらない。

意識が、体が、ふらふらする。

流れる空間に置いていかれる、感じがした。

(影……『予言書』……前には、そんなもんは無かった……。

 それに、『第3の瞳』やらデウス・エクス・マキナやら『アイツ』って……何なんだよ!?)

対照的に、一通り話し続けた草壁は、ふと壁にかかったアナログ時計に目を向けた。

会話開始直後から長短2本の針は、1時間と15°の分を回転していた。

「……ふむ。少し、話し過ぎたようだな。以降の質問はまた会えたらと言う事にしよう。

 生きて会えたら、と言う事だ」

まあ構わんと満足げに話し終えた後一人で頷いてから、草壁は鋭い視線で高杉の両の瞳を見据える。

目を通り抜けて頭の反対にまで通り抜けようかと言う圧力のレーザーに怯んだ高杉に、彼は悪魔の嘲笑を見せた。

「―――この話、冥土の土産にでもして貰うとしよう」

それは本能が為せる業だった。

草壁の口が閉じきらないうちに、高杉は敵に背を向けて脱兎の如く走り出す。

槌を思わせる脚の一撃で無理矢理にドアを蹴破り、ひたすらに駆ける。

自動ドアのつなぎ目からまき散らされる火花が体に当たるのを気にも留める暇なく、駆ける。

数歩で廊下に駆け込んだ直後、僅かに遅れて分厚い物と固い物がぶつかる音、そして何かが弾ける炸裂音が背中に届く。

草壁が自室の大型机を片脚で持ち上げつつ蹴り飛ばし、間に合わずに壁にのみ衝突した結果。

心技体、そして知性ともに実力のある者が主に上に選ばれる木連軍内において、草壁もまた例外では無く、全力を以ってすれば机を文字通り蹴り『飛ばす』事は難しい事ではなかった。

既に一人きりとなった部屋だが、草壁はその後も振り上げた脚を下ろそうともしない。

1つの彫刻のように、揺らぐ様子も無く片脚で固まったまま誰に聞かせる事も無く呟く。

「……高杉はどのようにでもなるが、地球が『視』たイメージにならないのはアイツがいるからか。

 かの撫子もその範囲内にいる事になると、少しばかり厄介な事になる。

 我等の勝利の為に、撫子を沈めるは必須。ジャンパー実験の研究所を優人部隊に叩かせてから、撫子に対する策を講じるとしよう。

 重要なのは我等木連が地球を殲滅する事。そして、それには3つの切り札が重要不可欠となる。

 未来の兵器技術に、地球人殲滅用の『深き蒼』、そしてボソンジャンプの代わりとなるやもしれぬ『転移装置』が完成すれば、木連の勝利は揺るぎない物となる。

 その時こそ、我等が、『世界を変革させる』…!」

ばれているなら、木連にいればややこしい事になる。

艦長の予定を変える事になるが、撫子に亡命するか。

廊下を走る中でそう決めた高杉は、どうやってこの船から逃げるかと思案する。

(まだ警報は鳴ってねえ……。

 大規模な軍事作戦もやってねえし、格納庫にジンの1機や2機はあるだろ?)

 その目論見は果たして正しかった。新しく造られて増え続けていた、骨組みが所々見えるステルンクーゲルに追いやられる様に、しかし高さではその存在感を示して、ジンシリーズが数機壁際にそびえ立っていた。

鋼の皮膚に光る輝きは、まだ若い物には負けないと自己主張しているかの如く。

そのうちの一機、デンジンに目を留めた彼は、迷う事無く以前の搭乗機めがけて走り、整備中で開いたままのコクピットに乗り込む。

それを見逃す事無く、近くにいた若い整備員が上に声を張り上げてきた。

「何かありましたか!?」

対する高杉も心の中で若い男の未来に謝りつつ、機械音渦巻く格納庫の床へ声を振り下ろす。

「緊急の任務だ!これの整備は!?」

「万全です!今すぐ行けと言われても大丈夫ですよ!」

「よくやった!行って来る!」

軍に入ったばかりの若い整備員の彼は、なまじ優人部隊の凄さを耳にしていた為、その白学ランを着ていた高杉の任務という言葉をミクロンも疑いもしない。

ステルンクーゲルが大量搬入され、整備員の大部分が騒音の嵐の中に駆り出されて、ジンシリーズには見向きされる余裕も無かった事も幸いした。

高杉は邪魔を入れられる事も無く発進し、誰かが気づいた頃には出口から飛び出して跳躍門へと進路を取っていた。

(艦長達に、早く伝えねえと……)

「――――え?」

急に襲ってきた眩暈で、僕は廊下で意識を取り戻した。

だが、おかしい。暗号解読におけるアリスとボブが同一では無かった時ほどに、違和感がある。

眩暈で意識を飛ばすのなら解るが、その逆は有り得るのか?

それに、どこか遠い所で、見た事が有る様な無い様な若い軍人が必死になって逃げ出していた風景を感じた。

違和感は僕自身にもある。違和感だらけで、自分が電波人間の様に感じられて少しへこむが。

心だけが体を置いてきぼりにして、僕の知らない場所へと飛んで行った後の悪寒。

予知は記憶を失う前の逆行の記憶だって解った矢先に、またこれだ。

それに、昨日変な女性に会って、話が終わって寝てから、それから『今僕が廊下に来るまで』の記憶が全然無い。

「貴方と話をしている時、他にはした後とか、ふと貴方がおかしくなるそうよ。」

「時々・・・何て言うんだろうね・・・心だけが体から抜け出たようになるんだよ、お前。

 魂の無い人形みたいに。」

もしかして、イネスさんやテンカワさんが言ってたこの事に、何か関係があるのだろうか?

関係が、あるとすれば……

早計かもしれないが、『魂の無い人形みたい』という言葉から判断すると、僕には夢遊病の気があるのかもしれない。

さもなくば、第二の人格とでも言うべき存在が、何らかのショックで新しく生まれたのだろうか?

新しく生まれたのが『心が空っぽの』人格、もしくは人格の『断片』でしかない存在ならば、外部に対する反応の仕方が解らない事も考えられる。

つまりは、乖離性同一性障害―――Dissociative Identity Disorder、略してDID―――の可能性も、あり得ると思う。

以前見た白い部屋の夢が昔の事ならば、それだけ虐待に近い事を受けていた事になる。

成人は外傷体験によって新たな人格が生まれる事は無いが、子供時代ならば生まれることがあるというし。

それにしても、どうして僕は、こういう精神系のややこしい問題ばかり浮上するのだろう?

恐らく一般少年少女には関係すら持とうとしない問題の事ばかり考えていると、気が滅入ってくる。

そして、余りにも思考の海に潜り過ぎていて、その時僕の後ろから忍び寄る人に、完全に気づいていなかった。

「やあ、少年」

「うわあっ!」

突然背中に鬼は外の豆の如く思いっきり薮から棒にぶちまけられた声に、僕は天井に頭をぶつける程に大きく跳躍した。

幸か不幸か、鳴門渦潮の様にぐるぐる渦巻いていた疑惑と懸念は、刹那の間に雲散霧消していった。

「そ、そんなに驚かなくても……」

というため息混じりの声に、振り向けばそこにはアオイさんが立ち尽くしていたのだった。

「あ……は、はあ。すみません、アオイさん。

 ちょっと、考え事をしていて……」

「ああ、ごめんごめん。でも、ちょっと相談したい事があってね」

アオイさんは滅多にした事の無い真剣極まりない、言うなれば影の濃い(写真に撮ったら少しは売れるかも)顔をして、僕の両肩をがっしと引っ掴んできた。

手袋越しに指が肩にぐいっと食い込み、かなり痛い。

「落ち着いてください、アオイさん。」

「あ……すまない。実は……」

「実は?」

「ユリカに、告白しようと」

「無理ですね」

「カムバァァァァァック!!」

 正論というか思いつく以前に喉から勝手に出てきた言葉をそのままに、去ろうとする僕の首を背後から、バーゲンでおばちゃんが人ごみの奥の目当ての品を引きずり出すぐらいのハングをし、ガクガクと前後に揺らして意識を飛ばそうとする。

いや、ハング(hang)という言葉自体に『絞首刑にする』と言う意味があるから、実際殺されるのかもしれない、とまで思ってしまった。

「頼むから、話を聞いてくれッ!

 この艦で大人しく話を聞いてくれそうなのは、君しかいないんだ!」

「う……あう…………」

(それは、僕が扱いやすいというのを暗に示唆しているんじゃ…)

そして何とか解放してもらった後、アオイさんの話というか作戦にもならない作戦を長々と聞かされ、強制的に協力者に仕立て上げられた。

そして、アオイさんは僕を放って置いて勝手に作戦を進めた後、特攻。

―――結果は知らない。

僕はその隙にエリナさんに呼び出されていたし、遺伝子解析に対する一般人の興味の度合い並みに関心を持てなかったというのもあった。

さて、次も予定通りなら、ヨコスカの軍の基――――――

――――――空が、背後に去る。大地が、加速度を増して落ちてくる。

その表現は、どちらも等しく正しく、等しく間違っていた。

幾重にも幾層にも重なり連なる大気の壁が、目の前からせり上がってくる。

雲が、水滴が、背後に流れていく。

その勢いはとどまる事を知らず、むしろ加速し続けていく。

それに反比例するように、見える空間は時間が緩慢になっていた。

気のせいか、いや気のせいにしたいが事実なのだが、周りが軋みの不協和音を奏でている。

不協和音のオーケストラは秒毎に激しさと耳障りさを増し、風の音がそれに混ざり始める。

一歩間違えれば大地経由地獄行きのブレーキが壊れたハイスピードトレイン状態だが、その状態が搭乗者の精神を揺らがせる要因には鳴り得る事は無かった。

「頃合か……」

高度計を一瞥して頷いた片目義眼の男は、慌ても何も無くプログラムに決められた事をするコンピュータの様に脱出装置を作動させて、先に空に舞い上がった。

幾つもの布の傘が鳳仙花の様にパッと開き、大気が下から引越し業者も驚きの力で急激に持ち上げる。

―――数秒後、田中研究会社の第2棟の真上に衝突した落下物、即ち爆発物フル装備の六連一機が、『自爆』した。

そして生まれるのは、炎の花畑。そう形容出来る程に周囲の草原や森は燃え盛り。

そして造られるのは、焔の家。そう比喩出来る程に大きな建物全てが焼かれていた。

夜の闇を、豪勢かつ豪華で豪快すぎる焚き火の赤が塗り替えていた。

更には、近くに錫杖を携えてそびえ立つ6体の鋼鉄の人が、薪を放り込む様にミサイルを時折撃ち込んでいた。

田中研究会社は、今襲撃を受けていた。

秘密は暴かれ、そして暴く為にある。

そのセオリー通り、入手した内部構造を頭に叩き込んでいる侵入者、北辰が駆ける。

全身を夜間迷彩タイツに包んだまま、血の様に紅い義眼を光らせ走るその姿は、まさに黒豹か。

時折見つける獲物に対しては、その加速を落とす事無く片手に握る一本の大きな爪を振るう。

獲物は悲鳴をあげる暇すら許されず、頭頂から股間まで縦一文字。

赤く塗れる刃を殺した相手に対する意識とともに振り払い、柄を握り直し、再び加速。

黒豹は黒い弾丸へと変わり、目的の場所へとの足の回転を速める。

任務は、此処に眠る新型機の奪取。

「此処は、通さないわよ」

幾つのも障害を易々と突破してきた北辰の前、新型機の格納庫へと繋がる扉の前に最後に立ち塞がるのは、防弾防刃加工白衣を着た優美清春香菜。

だが、侵入者はほんの僅か、原子番号三桁台の存在時間程だけ静止し、再び突撃。

加えておまけとばかり、高速疾走の勢いを込めた、瞬速の片手スナップが繰り出すナイフ投げ。

目標へ向かうは数本、首胸両腕両足瞳―――!

「―――ッ!」

必死の形相で優はサイドステップ回避、更には既にトリガーに指をかけた拳銃が手の中に。

ただの人間には、ましてや体を動かすのが得意とは一般的に思われない科学者には有り得ない運動能力と反射速度。

 今まで手加減してもお釣りが来る相手ばかり―――2流の警備兵や体をあまり動かさない科学者相手では当然であるが―――だった為、北辰の挙動に僅かに油断が生じる。

その隙に、躊躇いも迷いも無く、彼女は冷静に敵を正面に見据え、鉄の口から死の石を吐き出させる―――!

「か……」

それは刹那の事。だが当然とも言える帰結。

優美清春香菜の胸の中心には、長々とした銀光きらめく刃がそびえ立つ。

彼は、既にこの結果を予測していた。

相手が常人に有り得ない運動能力なら、こちらは鍛えに鍛えた超人的な能力と経験による技量で上回るのみ。

弾が届く前に、全速力の刺突で貫く自信。

結果は自分の命がまだ有る事と、頬を僅かに掠った相手の銃弾が生み出した傷と流れる血の熱さ、そして今という時が証明。

銀を伝って、彼女の胸から赤の線が流れ出る。

刃は体の裏側まで一直線に、標本のように貫通して壁に縫い止める。

力を失った白く細い指先から、鉄の塊が静かに滑り落ち、コンクリートの地面に乾いた音を与える。

「―――甘い」

刃を引き抜くと、当然赤の噴水が噴き出す。それは白の床にどんどん領域を広げていく。

心の臓こそ外したものの、与えたダメージは致命傷。まともな生命体なら、5分も持たず朽ちるだろう。

そう判断した北辰は、敵だった物に背を向け、最後に立ち塞がる壁のようなドアをいとも容易く斬り捨てた。

「ふん……此か」

北辰は自分に影を重ねる原因である、前に立つ物を見上げる。

そこには、かの黒の皇子が搭乗機、ブラックサレナがあった。

そしてそれは、ブラックサレナではなかった。

以前のサレナより細くされたフォルム。それでいて、合いまみえる者に威圧感を与える姿。

「六連一機を無駄にさせた釣りにしては、十分すぎるやもしれぬな」

彼は今回の作戦の際、意表をついて研究所の『真上』上空から、六連を突撃させたのだった。

無論自身は衝突前に脱出、パラシュートで滞空。

そしてその間に、機体内に仕込んだ自爆装置で爆破、跡形も残さず第2棟施設地上部も吹き飛ばす一石二鳥の方法で、悠々と混乱最中の第1棟屋上から侵入。

新型機が第1棟の地上深くにあるという情報を事前に入手していたし、自分がこの作戦でいけるという自負もあった。

多少、珍しく、本当に珍しい事だったが、少しばかり遊び心があった事も否定は出来なかったが。

ともかく、連れの六連数機には地上から牽制で攻めさせ、混乱を更に広げさせてから、という訳であった。

結果は、今自分が此処にいる様に、成功であった。

そうやって今回の作戦を思い返している間に、体は既にコクピットの中。

手にはクリムゾン経由で山崎特製のIFS。

いざという時の為に注入していたのが、今役に立った。

起動手順をこなすと、内部の動力機関、相転移エンジンが唸りをあげる。

それは、目覚めの歓喜に満ちた獅子の咆哮。戦える場所へ行ける、狼の雄叫び。

連れ立って湧き上がる興奮を出来るだけ抑えつつ、北辰衆専用無線機を通じて報告する。

「これより脱出に移る。各員、所定の跳躍門より帰還する」

「了解」

程なく地中から、黒の塊が鉄の床をぶち抜いて出現。

近くにいた数機の機動兵器とともにどこかへ消えたのが、偶然近くを飛んでいたヘリのパイロットにより確認された。


アキトにあげないのなら北辰にあげてしまえ……。

あまりにも安易な権化、CVTBです。

ただしこの準備のよさはご都合主義ではありません……つもりです。

>涼権がロリコン

公式にはそんな事実はありません。・・・・・・が、そういわれてもある意味仕方がない悲惨な男。

あの後、多分周りからは冗談にしろ本気にしろそう言われた事でしょう。

>優関係

さすがにあの人はネタバレになるので名前どころか存在を隠さなきゃいけません。

・・・この作品が単なるネタバレ垂れ流しの迷惑作品なのは変えられない事実となってますが。

ちなみに優美清春香菜という名前は実在するそうです。

>乖離性同一性障害

意図的な誤字です。本当の漢字は解離性同一性障害(らしい)です。

文章量は増えても中身は殆ど変わっていない(涙

 

 

 

 

代理人の感想

電波だ―っ!(爆)

 

しかしながら、どんどん独特のスタイルは完成しつつあるようで。

電波は電波でも読んでて苦しくはないんですよね。

第一話のあれはまぐれじゃなかったと言うことなのかな、うん。