沈黙のナデシコ

〜 地 の 巻 〜

 

 「寝不足と過度の疲労による体調不良

 それによって引き起こされた貧血といったところね」

 

 ナデシコ艦内の一角にある、医療室――。

 「実験帝国」「違法改造帝国」といった、

 根も葉もない(?)噂がささやかれる部屋だが、

 残念ながらナデシコには他に医療設備のある部屋が無い。

 気絶したプロスぺクターが、ゴートという人間担架によって

 ここに運ばれることになったのは、当然といえば当然である。

 

 そして、医療室の主であるイネス・フレサンジュによって

 プロスは診察と治療をされたのだが、まぁ幸いにして

 普通の診療がされたようである。

 

 そして一通りの診療を終えた彼女は、その結果を

 医療室の外で待っていた者に「説明」しているのである。

 

 イネスの「説明」を聞いて(聞かされて)いるのは、艦長のミスマルユリカと、

 プロスを助けたテンカワアキトの両名である。

 

 「一応各種ビタミンと栄養剤を混合したものを点滴しておいたわ。

 でもしばらくは安静にしておく必要があるわね」

 

 手にしていたカルテを見ながら、イネスはそう締めくくる。

 

 「よかったぁ〜」

 

 そう大きく息をついたのはミスマルユリカだ。

 アキトも声にこそ出さなかったが、その顔には

 あきらかな安堵があった。

 

 「よかったじゃないわよ。

 クルーの体調管理に目を配れないなんて、艦長失格よ」

 

 ユリカの安直な感想に、イネスはジト目で忠告をする。

 

 「でも、でもでも…」

 

 イネスの言葉に、アキトの前以外では余り見せない「でも」連発をするユリカ。

 

 「いい、ここのところ2週間のプロスさんの平均睡眠時間は3時間ちょっと。

 成人男性の平均的な睡眠時間の半分以下の数値よ。

 こんな生活を続けていれば、いつか体調を崩すのは当然の帰結。

 むしろ2週間もこんな生活を続けられていたことのほうが奇跡だわ」

 

 そういってコミュニケを操作し、虚空にグラフを出しながら説明するイネス。

 そこには「睡眠時間と体調に関する臨床報告」といった表題がついていた。

 

 「これによると…」

 

 イネスの説明は続いているが、その端々に高度な専門的用語が差し挟まれる為

 アキトとユリカはその内容を把握することができない。

 

 「ちょっ、ちょっとイネスさん」

 

 無謀にもアキトが説明に口をはさもうとするが、速射砲のような

 イネスの「口撃」の前にあえなく敗退する。

 

 「…と言うわけで、人間には少なくとも6時間以上の睡眠が必要なの。わかった?」

 

 「「は、はい。わかりました」」

 

 ここで「わかりません」なんていおうものなら、更なる「補習」が待ち構えている。

 何とかそれを避けたい二人は、声を「わかりました」とそろえて答える。

 

 「で、プロスさんなんですけど…」

 おずおずとユリカがイネスに尋ねる。

 

 「だから言ったでしょ。寝不足と過度の…」

 

 「い、いえそうじゃなくて、この後どうするのかという…」

 

 イネスは先ほどの「説明」をもう一度繰り返そうとしたのだが、

 ユリカが聞きたかったのはこれから後のことである。

 もう一度「説明」されてはかなわないと

 あわてて言葉を言い直す。

 

 「そうね、意識が戻るまでここで寝かせておくわ。

 意識が戻ったら自室にて安静にして療養してもらう。

 そんなところかしらね」

 

 イネスが実に常識的な療養計画を提示する。

 

 「え、そんなんでいいんですか?」

 

 アキトはイネスの発言に、信じられないといった表情で答える。

 

 「さっきも言ったとおり寝不足と過度の疲労が今回の原因。

 で、それを解決するには何よりもまず睡眠なの。

 もちろんその後には体調を整えるための、バランスの取れた栄養が

 必要になるけど…。

 今は睡眠をとらせる以上に効果的な治療はないわね」

 

 アキトの質問に、真顔で答えるイネス。

 

 「というわけで、患者を安静にする必要があるから

 さっさと出て行くこと」

 

 そういってイネスは二人を追い払ったのだった。

 

 

 

 「ここは…」

 

 目がさめてみると、目の前には「見知らぬ白い天井」があり、

 そして左腕にはかすかな痛みがある。

 視線を痛みの元に送ると、黄色い液体が入ったチューブが

 自らの腕に差し込まれているのを発見した。

 

 「あら、目が覚めたのね」

 

 未だ状況を把握しきれていないプロスペクターに

 視線の反対側から声がかかる。

 

 「おや、ドクター」

 

 未だ覚めやらぬ感覚にもどかしさを感じながらも、

 平静を装って声の主に答える。

 答えながら自分の身に何が起こったのかを理解しようと

 曖昧な記憶を必死にたどる。

 

 「ああ、そうでした。確か私はブリッジで…」

 

 意識をなくす直前の記憶を思い出したプロス。

 そして思い出したことによって、今まで曖昧だった感覚が覚醒する。

 

 「しかしブリッジ上部から落ちたわりには

 怪我がないようですね」

 

 はたして無意識のうちに受身でも取ったのだろうかと

 怪訝に思いながらも、傍らに立つ人物、イネス・フレサンジュに

 プロス自は分がどうなったのかを尋ねるのだった。

 

 

 「……というわけで手すりを乗り越えたあなたを、アキトくんが助けたのよ」

 

 プロスペクターに飲み物を渡しながら、イネスは

 簡単に状況を話し、彼の疑問を解消させる。

 

 「その後はまあ、ここに運ばれて点滴と安静という

 面白くも無い常識的な治療を施したの」

 

 「そうでしたか。いやぁ〜、テンカワさんには

 ご迷惑をおかけしてしまったようですね〜」

 

 そういって頭をかきながら韜晦するプロス。

 イネスが「面白くも無い」といったことは故意に無視したようだ。

 そして自分が持っているモノを思い出したように一瞥すると

 一気に仰ぎ飲む。

 

 「うっ……。

 イネスさん。つかぬ事をお聞きしますがこれは……」

 

 プロスペクターが一気飲みしたものは、かなり強い苦味を持っていた。

 無色無臭ゆえに、単なる水だと思ったのだが、

 この苦味からするとどうやら水ではなかったらしい……。

 

 「それ? 誰がいい?」

 

 「誰……、とは?」

 

 プロスの問いかけに、いたずらを仕掛けた

 少女がその過程を楽しむような、そんな表情で微笑むイネス。

 そんなイネスの表情を見て、不安に襲われたプロスの声が僅かに震える。

 

 「艦長、メグミちゃん、スバル リョーコ、

 この三人の中で誰がいいかってこと?」

 

 イネスが指折りながら読み上げる名前を聞くごとに

 プロスペクターの顔色が青くなっていく。

 最後に「誰がいい?」と尋ねられた時には、倒れたときと

 それほど変わらない顔色になっていた。

 彼女たちの料理によってもたらされた損害

 ――個人的にはテンカワ アキト、全体的にはナデシコ食堂の惨状――を

 脳裏に浮かべたからだ。

 

 「冗談よ。

 それを作ったのは私。

 ケールやホウレンソウといった緑色野菜から抽出した成分を

 水に溶かし込んだだけ。ちょっと苦いかもしれないけど、

 疲れた体にはいいものよ」

 

 「そうでしたか…」

 

 悪戯が成功し、満面の笑みを浮かべながらのイネスの謎解きに、

 ほっと一息つくプロスペクターであった。

 

 「冗談はこれぐらいにして、医者としての命令よ。

 プロスさん、明日から3日間、自室で療養すること。拒否権は無し。

 アカツキくん、エリナ女史、艦長、アキトくんの許可は取っているから安心して休んでね」

 

 「ちょっ、ちょっとイネスさん。困りますな〜。

 いきなりそんな事言われてましても…」

 

 笑顔から一転、真顔になったイネスの言葉に、プロスペクターは大きく慌てる。

 しかしイネスのほうはプロスペクターの反論にも動じず、命令の「説明」を始める。

 

 「よろしい。では説明しましょ。

 まず制度上について。プロスさんは制度上、ネルガルの社員。

 なら上位者である会長のアカツキくんの命令には逆らえない。

 エリナ女史も同様だし、隠れた筆頭株主であるアキトくんも

 会長を通して同様のことを命令できる権利があるわ」


 「またプロスさんはネルガルの社員であると同時に

 ナデシコのクルーでもあるから、艦長の命令にも拒否することはできない。

 このことは契約書にも書いてあるはずよ」


 「最後にプロスさんは現在、患者の立場にある。

 医師の治療指導は患者に対して、ある程度の拘束力を持つのは当然。

 だからプロスさんは私にも逆らえない」


 「これだけの理由があるのだから、プロスさんには何が何でも休んでもわうわよ」

 

 やや上気しながら一気に話すイネス。

 どこか陶然とした表情が見えるのは、長々と説明できた喜びのせいだろうか?

 

 「いや、しかし……。わかりました。自室にて療養します」

 

 なおも抗弁しようとするプロスではあったが、イネスの瞳に剣呑な光が

 きらめいた事を認めると、素直に自室療養を受け入れた。

 ここで抗弁し、麻酔薬などで無理に眠らされたらなにをされるか解らない。

「ヤマダさ(ダイゴウジ ガイだ!!) んの二の舞は」

 と考えたからだ。

 

 「そう、わかってくれたの」

 

 その内心がどうかはわからないが、プロスが

 自室療養を受け入れたことを喜ぶイネス。

 そしてコミュニケを操作し、艦長にプロスペクターが目覚めたこと、

 そして自室療養を受け入れたことを「説明」したのである。

 

 イネスが通信を終えると、ピッという小気味よい音がして、

 プロスの前にコミュニケの通信ウィンドウが展開される。

 そこには先ほどイネスと話していたナデシコ艦長

 ミスマル ユリカが映し出されていた。

 

 「プロスさん。ごめんなさい。クルーの体調把握もできないなんて……、

 艦長失格ですよね。でも安心してください。ユリカは学習しました。

 今後は気をつけますので、今はゆっくりと休んでください」

 

 通信ウィンドウに現れた艦長は、それだけのことを一息に話す。

 まるでイネスのお株を奪うかのような話し振りだ。

 

 「いや〜、艦長。申し訳ない。ご迷惑をおかけしました。

 お言葉に甘えまして休ませていただきます。

 で、ちょっとお願いがあるのですが」

 

 「お願い?」

 

 プロスはユリカの言葉の裏に大きな悔恨と

 小さな照れを感じ、これ以上の抗弁をあきらめた。

 艦長の心遣いを素直に受け入れ自室で休むことにしたのだが、

 しかしプロスにはその前にしておくべきことがあった。

 

 「ええ、これから私は休ませて頂くわけですが、だからといって

 艦内の管理を滞らせるわけには参りません。

 そうですね、手の空いているクルーを一人、私の部屋まで

 よこしてください。

 休ませて頂く間のことをお願いしたいと思いますので…」

 

 そう、プロスは自分が休んでいる間のことを考え、

 先手をうとうとしたのである。

 こうした事ができるあたりが、プロスのプロスたる所以なのだろう。

 

 「そうですね、わかりました。すぐに手すきのクルーを選んで、

 プロスさんの所へ向かわせます。

 プロスさんの自室に向わせればよろしいですか?」

 

 「ええ、それで結構です。では、お願いします」

 

 そういってプロスは会話を打ち切り、コミュニケの通信ウィンドウを閉じる。

 

 「まぁ、有給休暇と思ってのんびりしますかね」

 

 そう一人ごちたプロスは、イネスに

 「では自室でゆっくりと休みます」

 と伝え、そして未だ腕に刺さってる点滴を持ちながら、

 イネスに見送られ医療室を退室していったのだった。

 

〜 真 の 巻 へ続く 〜