第二話 冗談の惑星


「…なんで俺たちは吹き飛んでいないんだ?」

「アキト…オナカスイタ」



 アキトとラピスは、ナデシコCのブリッジで呆然としていた。

 どうやら彼らはランダムジャンプから、無事通常空間に復帰できたようである。

 これだけでも奇跡といっていいことだが、さらに奇跡的なことに彼らはユーチャリス相転移炉の暴走という事態からも逃れられたようである。



「いったい何が起きたんだ…」

「アキト…オナカスイタ」



 アキトは周りを見回す。

 現在ナデシコCの動力は落ちているらしく、非常用ライトだけがあたりを照らしていた。



「…相転移炉どころか補助動力すら動いていないのか?となると…ProUHDと同様なら、オモイカネも省電力モードでサスペンドしてるか…」

「アキト…オナカスイタ」



 オモイカネが停止しているならば、ナデシコCは一切動きが取れない事になる。

 無論、外部の情報を得る事もできない。

 だがそのとき、アキトの眼前にウィンドウが開いた。



【…いや、僕やナデシコCは実験艦であるユーチャリスよりは若干ながら改良が加わってるからね。最低限の機能は動いてる…。もっとも最低限でしかないから、どうも頭が回らない。演算効率が落ちてるってことさ。ナデシコA時代のハードだったら規模が今より小さい分、非常用バッテリーでも全システム駆動できたんだけど…】

「起きてたのかオモイカネ。…しかし眠そうだな。会話文のフォントが違ってるぞ」

「アキト…オナカスイタ」



 オモイカネは時折弱々しくちらつくウィンドウで、周囲の状況を解説した。



【…テンカワ・アキト。ここは火星の極冠遺跡だと思われるよ。全部のメモリーは動かせないけど、参照できるデータだけでも、まず間違い無いよ…】

「なんだって!?火星の遺跡だと!?」

「アキト…オナカスイタ」



 アキトは驚愕する。

 そんな彼に、オモイカネは自分の推理を披露した。



【…ほら、以前ナデシコAが極冠遺跡に相転移砲を撃ちこんだ事があったよね?でも、相転移現象は起きなかった。相転移炉が暴走するのって、結局のところ理屈は相転移砲と変わらないから。だからユーチャリスの炉も、強引に暴走を停止させられたんじゃないかな。っていうか、その煽りでナデシコCの炉も立ち消え現象を起こしたんだと思うんだ。…演算能力が落ちてるから、検証はできないけど…ね】

「なるほど…。ふ、遺跡に命を救われる…とは皮肉な話だ。だが…まあ喜んでおく、か」

「アキト…オナカスイタ」



 その瞬間、アキトに欠片の気配すら気取られずに、彼の背後に忍び寄った者がいた。

 その存在は信じ難い手練の早業で、アキトの首をチョークスリーパーに極める。

 そしてその存在は、もがくアキトを無視しつつオモイカネに向かい叫んだ。



「オモイカネ!緊急発進ですっ!急がないと、どーせまたアキトさんは気が変わって逃げ出すに決まってるんですっ!!」

「ぐ、ぐげげっ…ぐ、ぐるじぃ…」

「アキト…オナカスイタ」



 当然と言えば当然の事だが、その存在はこのナデシコCの艦長、ホシノ・ルリ中佐殿であったりする。

 アキトは必死になってチョークスリーパーを外そうともがいた。

 このままでは地球に連れ戻される前に、彼は息がつまって死んでしまう。

 オモイカネが弱々しさ爆発と言った風情で、彼女に答えた。



【…あー。ちょっと待ってくれる…かな?あの…さあ、今ユーチャリスのバッタ(勝手に)借りて、最低限の修理やってるんだ。それ終わらないと、どうにも相転移炉を動かすのはおっかなくて…さ】

「何をいってるんですかっ!そんな事してる間にアキトさんが逃げたらどーするんですっ!」

「ぐぐぐっ…」

「アキト…オナカスイタ」



 オモイカネの説得にも耳を貸さず、ルリは激昂して言い返す。

 アキトはそろそろ土気色だ。

 だが彼は、ルリがオモイカネと言い合っていたために生まれた、ほんの僅かな隙を見逃さなかった。



「ぬぬ…でえええぇぇいっ!ぜーっ、ぜーっ…」

「あ…アキトさん!?アキトさんが私を…私を振り払った…?そんな…そんなっ!だから言ったんですオモイカネっ!見ての通りアキトさん、また私を捨てて逃げちゃうつもりですよっ!?」

【…そう言われてもね…電力も足りないし。頭がボーっとしてさぁ…。あー、もうちょっと待っててよルリ…】

「アキト…オナカスイタ」



 九死に一生を得たアキトは、しばしの間信じ難いほど美味に感じる空気を、味覚もまともでない癖に思い切り味わった。

 その後アキトは、あっちの世界へ逝ってしまった様な事を叫び続けるルリに向かって、ゆっくりと話し掛ける。

 彼のこめかみに血管が浮いているように見えたのは、おそらくは気のせいだろう。



「…ルリちゃん。何度言ったらわかってくれるんだ。俺はもう逃げたりしないよ。ちゃんと俺は君達の所へ…いや、君の所へ帰る。命にかけて約束する!…って言うか、そうしないと殺されかねないのは今ので充分わかったし

「え…。私の…私の所へ!?」

「アキト…オナカスイタ」



 アキトは熱のこもった視線でルリを見つめる。

 ルリはうるんだ瞳でアキトの視線を受け止めた。

 アキトは言葉を続ける。



「ルリちゃん…。俺は君の所へ帰る。そう…ユリカの所でもなければエリナ、イネスの所でもない。俺は君の所へ帰るんだ!」

「あ…アキトさん!…エリナさんとイネスさんの下りが微妙に気になりますが、アキトさんっ!!」

「そう…全てはラピスのためにっ!!」

ずべしゃあああぁぁっ!!

「アキト…オナカスイタ」



 ルリは甲子園の球児でもこうはいかないだろうという見事なスライディングを見せて、顔から床に突っ込んだ。

 アキトはあさっての方向を見つつ、言葉を続ける。

 右手の人差し指が、無駄に火星の空を指差した。

 というか、彼が指差してるのはナデシコC艦橋の天井なのだが。



「俺は今までラピスのおかげで生きてこれたようなもんだ。なのに俺はラピスに何もしてやれていない…。だから俺は!俺は責任を持ってラピスを社会復帰させなければならないっ!そう!俺はラピスのおとうさんにならねばならないんだっ!!」

「お、おとうさん…です…か?」

「ああその通りっ!…そして、同じIFS強化体としての辛さや苦しみを知っているルリちゃんなら…きっとラピスを家族として導いてくれる、と…。そう…思ったんだ…」

「アキト…オナカスイタ」



 アキトはルリに手を差し伸べる。

 ルリは少々複雑な顔をしながら、それでもその手を取って立ち上がる。

 二人は見詰め合った。

 だが、アキトは急にその表情を引き締めた。



「しかし、ここが火星極冠遺跡だとすると…研究者や軍隊の駐留部隊がいるはずだな。何故いつまでも誰も来ないのかはわからないが、俺としてはいつまでもここにいて発見されるわけには…」

「…アキト、オナカ…」

「だああああぁぁぁぁっ!!ラピスうううぅぅうううぅうっ!!」



 周囲の雰囲気を無視して空腹を訴え続けるラピスに、とうとうアキトが切れた。

 しかし涙ぐんで上目づかいで彼を見上げるラピスに、彼はグッ!と詰まる。

 だがアキトは必死の努力で自分に残された意思力をかき集め、とくとくとラピスに説教を始めた。



「…いいかラピス、ここはナデシコCだ。言わば『他所のお家』だ。いつも俺は何て教えてる?」

「…ヨソノオウチデハ、オネダリヲシテハイケマセン」

「ああそうだ!俺たちの家であるユーチャリスなら、多少のわがままも大目に見よう。けれどここはナデシコC!あまり恥ずかしいことをするんじゃないっ!」

「あ、アキトさん…小さな子にあまり強く言っては」



 ルリが汗を浮かべて取り成す。

 しかしアキトは聞く耳を持たない。



「いや、そうはいかないよルリちゃん。人体実験とかの影響で身体は小さいが、実の所もう13歳だ。だが異常な環境に置かれたためにラピスの精神年齢は低い。低すぎる。…これではいけない。そう、いけないんだ!ちゃんと社会復帰するためには、きちんとした躾をして、どこに出しても恥ずかしくない娘にせねばならん!それがおとうさんとしての俺の務めなんだっ!!」

「アキトさん…」



 ルリは何かまぶしい物を見るようにアキトを眺めた。

 姿こそ煤けたように真っ黒だが、そこにはかつての優しさと共に、親としての厳しさも身に付けた、成長した黄色アキトの姿があったのだ。

 もっとも彼はかつての間抜けさまで取り戻してしまったようだったが。

 その時、叱られて落ち込んでいたラピスが勇気を奮い起こして反論に出た。



「…デモ、アキトハ…ルリノトコロニカエルッテイッテタ。ダッタラ、ルリノオウチ…ナデシコCハ、ヨソノウチジャナイ。ルリモカゾクノハズ…」

「なっ!ま、まだ俺はちゃんと帰ったわけじゃないっ!ちゃんと帰って挨拶とかすませて、それからならっ…。こういうことはきちんとしたケジメが大切…」

「アキトさん!」



 ルリは突然大音響で叫んだ。

 アキトもラピスも耳を押える。

 アキトは、だからなんでこう言う所だけユリカに似るかな〜、などと考えていた。

 ルリはラピスを抱きしめつつ言った。



「いいじゃないですかアキトさん。ラピスは今までとっても辛い事ばかりだったんですから。ちょっとぐらいの我侭は許してあげましょう?…ね?」

「る、ルリちゃん…」

「さあラピス、電源が落ちてるからあまり大した物はできませんが…。いっしょにご飯にしましょう?」



 ルリの優しい言葉に、ラピスは涙ぐんだ。

 ルリはそっとラピスの頭を撫でる。

 アキトはその様子を見て、心が温かくなるのを感じた。



「…うん。ルリちゃんありがとう。ルリちゃん、改めてお願いするよ。どうかラピスの家族になってやって欲しい。ラピスのお姉」

「まかせてください!ラピスのおかあさんをきちんと努めてみせます!」



 ルリは自分の決意をきっぱりと口にした。

 その目には微塵の迷いも無い。

 唖然としたアキトは一瞬後ふたたび口を開く。



「あ、いや…。そうじゃなくお姉」

「ラピス、これからは私が『おかあさん』です!そう呼んでくださいね♪」

「…オカア…サン?」

「ああラピス!なんて可愛いんですっ!アキトさんは、これからは『おとうさん』ですよ?」

「オトウサン…オカアサン…」



 アキトの外堀は埋まった。

 というか既に内堀も埋まっているような気がする。

 和気あいあいと食事の準備をする母子を後目に、壁際でゴミを突っつきつつ背中が煤けているおとーさんだった。

 そんな中、オモイカネが誰にも見えない所に無意味にウィンドウを出す。



【…どーしたもんだかね。さっさと教えた方がいいかねぇ。ここの遺跡に、例の『ボソンジャンプ演算ユニット』が安置されてるって事。…時間軸、移動しちゃったらしいねぇ。ま、お約束ってことで…】



 彼はとりあえずユーチャリスのProUHDが再起動してから相談しようと決め、この場は放っておくことにしたのだった。


あとがき


 長きにわたるスランプから復帰した私は、ナニはともあれ幾つかある投稿作品をなんとかせねば、と焦ることになった。

 だが、あまり焦っては再度スランプに陥りかねない。

 そうだ!こんなときは!

 あまり頭を使わない、お気楽極楽な作品から書くべきではなかろーか!

 幸いにもプロットはスランプ前に出来上がっておる。

 …あ。

 プロットの穴見っけ。

 …あ。

 まただ。



 かくして結局のところ、かなり頭を使うハメに陥ったのだった。

 マル。


 コメント代理人 別人28号のコメント


 …オモイカネがすれてますねぇ、長い間アキト達の艦チェイスに付き合わされてやさぐれてしまったのでしょうか?


 第一話の「戻る」宣言で何が起きたのかと思いましたが…そうか、ラピスのためか。

 同じ台詞を繰り返してるだけなのに、やけにラピスに存在感を感じたり。


 13才と言えば学校に行けば中学生ですからね、そりゃ躾もしっかりしとかないと問題あるでしょう。

 …アキトとルリがラピスに誇れる程、真っ当に人生送って来たかと言われると少々疑問ですが。



 ルリの方はまだラピスをアキトと自分を繋ぐファクターとしてしか見ていない節がありますので、

 アキトがどこまで親バカを貫けるかに期待して、次回を待ちたいと思います。










 でも、ラピスの良き母を求めるなら、二児(ルリ、ユキナ)の母なキャリアを持つミナトの方が適当な気がする。