孫   第0話






黒い背景に浮かぶ様々な色の光。

それぞれに強くも弱くも輝く光点は、ここ宇宙では瞬くことはない。

そんな銀河の一角、太陽系と呼ばれる宇宙に浮かぶ白亜の城があった。

一隻の白い戦艦、その名をユーチャリス。

専門のオペレーターが一人いれば動かす事が出来る戦艦の艦橋は狭い。

そこに黒衣に黒いバイザーを付けた青年が座っていた。

いや、あぐらをかいていたというべきか。


ユーチャリスの艦橋の一角、厚さ10cmの最高級畳を4枚敷いて、真中には程よく色落ちした卓袱台が置いてあった。

それを挟むように二人の男が座っている。

一人は、前述の黒衣に黒いバイザーの男。

もう一人は、白い着流しを着た初老の目が細く鋭い……それにしてはやたらと目尻が下がっている男である。


二人は色違いの湯呑みで、それぞれに茶を飲んでいた。

卓袱台には、ポット、茶筒、急須ともう一つ少し小さめの湯呑みがある。

日の当たる縁側で、日向ぼっこという感じである。

こう爺婆のまったりとした雰囲気がそこはかとなく漂っている。

そんな中、初老の男が口を開いた。


「次の目標は、ニューアサクサなどどうだ?」

「そこに何がある?」


黒男が問い返すと、初老の男は、知らないのかとばかりにため息を洩らした。


「勉強不足だな」

「いいから、答えろ。そこに何がある」


二人の口調自体は厳しいものだが、辺りに漂う雰囲気は前と全然変っていない。

おそらくこの話し方が二人の地なのだろう。


「ニューアサクサといえば、人形焼きに雷おこしだな。プラスひよこも捨て難い」

「前回がニューハカタの明太子だったからいいかもな。お菓子ならラピスも喜ぶ」

「うむ。酒のつまみには良かったが、ラピスが辛くて食べれないとは盲点だった」

「ああ」


二人でしみじみと肯くと、再び茶を飲んだ。


「シズオカで一番茶、チャイナで烏龍茶葉も仕入れたいな」


今度は、黒男が話し始める。


「コイワイとトカチで、生クリームとチーズ、牛乳もだ」

「三温糖はまだあるか?」

「あるが、イシガキの天然塩が残り少ないかもしれん」


淡々と食材関係の在庫を話し合う二人の元に、トテトテトテッと少女が小走りに近寄って来た。

桃色の髪をポニーテールにまとめ、金色の瞳を元気にひらめかせた少女、ラピス・ラズリは、駆け寄ってきた勢いそのままに、二人に元気良く話しかけた。


「アキト、じじ、次、行く所は決まった?」

「ああ。次は、ニューアサクサだ」


黒男ことテンカワ・アキトが答えると、ラピスは興味津々と尋ねた。


「そこには美味しいものがあるの?」

「うむ、人形焼き、雷おこし、ひよこがあるぞ」


じじと呼ばれた初老の男がアキトの代わりに答えた。


「ソレ、辛くない?」


少々目元を潤ませながら聞くラピスに、アキトも初老の男も相好を崩し答えた。


「みんな、お菓子だから甘いよ」

「人形焼きの餡子もパン生地も甘くて旨いぞ」


それを聞いたラピスは、喜色満面で飛び跳ねた。

その様子に二人の笑みも深まる。


「では、行くとするか、テンカワ・アキト」


初老の男が立ち上がり声をかけると、アキトも立って答えた。


「ああ、行くぞ、北辰」




















火星極冠遺跡での火星の後継者達、北辰との激闘の後、アキトは火星の一角に居を構えた。

居といっても家屋などでなく、ユートピアコロニー跡地の地下深くに潜ったのである。

1本を除き全てのしがらみの糸を断ち切って。


そして、今、アキトはまったりとコタツに入り番茶を飲んでいた。

味も匂いも全くわからないのに、出がらしでないお茶を飲み、草加煎餅をボリボリ齧っている姿は、プリンス オブ ダークネスファンが見たら逃げ出したくなるものがある。

何と言うか、暑さに弛緩し切って、堕落の粋を極めた皇帝ペンギンのような趣である。

よく意味は分からないが……


復讐者として北辰を倒し、王子様としてユリカを助けたアキトは、世界に対してもはや何の関心もなくだらけきっていた。

目標もヤル気も失い、余命は数ヶ月しかないという状態で、完全に呆けていた。

しかし、世間とはうるさいモノ。

宇宙軍も統合軍も火星の後継者の残党もユリカもルリもネルガルも、それぞれ目的は違うがアキトを必死になって追いかけたのである。

何をする気も失ったアキトだが、残り僅かな命くらい今までの激動の代わりに平穏に過ごしたいと思い逃げ出した。

だが、彼等、彼女達の追跡は狡知を極めた。


ユーチャリスを追い詰められてはホゾンジャンプで逃げ出すという毎日に、アキトは遂に一計を案じた。

大きいから見つかるのである。

個人なら小さいから見つからないし、隠れるのも楽だろう。

そこで土星のリングの中の衛星にユーチャリスを隠し、ホゾンジャンプで火星に戻り、ユートピアコロニーの地下に巣くったのである。

ラピスと一緒に。


ラピスには欲望というものがなかった。

あるとすれば、アキトと一緒にいたいという事だけ。

もはやラピスの人格をまともに形成する時期は失われたのである。

ラピスには普通の女の子のような生活を送って欲しいとアキトは思っていた。

同時にそれがほぼ100%無理だということも。

突き詰めれば、ラピスは保護者のいないマシンチャイルドでしかないのだから。

そして、ホシノ・ルリやマキビ・ハリのようにマシンチャイルドが社会的に認知される後ろ盾が彼女にはないのだから。


ハーリーのように戸籍上も遺伝子学上も正式な両親はいない。

ルリのように有名軍人の庇護もナデシコ時代からの友人も電子の妖精としての知名度もない。

あるのは、ネルガルという一大企業の辣腕会長秘書の加護と最悪テロリストの片棒というどうしようもないものだけ。

エリナが死亡や失脚すれば、ラピスは簡単に実験体にされるだろう。

それどころか捕縛、誘拐されたとしても正式に抗議するわけにもいかないのである。


アキトはそれら全ての情報を加味して考えた結果、ラピスの好きにさせた。

無理して、エリナやそれ以外の人にあずけても、良くて四六時中監視という名の牢獄に繋がれる事が目に見えたからである。

いかにエリナが頑張ろうと、彼女がいつまでもラピスを守る事が出来るなどと楽観視出来なかったのだ。


それ故に、ラピスはアキトと一緒に居るのである。

何をするわけでもなく、ぐうたらに食っては寝て、まったりと死が近づくのを待つアキトと共に。


しかし、そんな二人の下に一人の人物が嵐を持ち込んだ。




















「ははははは、探したぞ遅かりし復讐人、テンカワ・アキトよ!」

「北辰、生きていたのか!?」


突然隠れ家に現れた北辰に、アキトは驚愕の叫びを上げると、ズズズーッとほうじ茶をすすった。

一方、ラピスはアキトの隣でコタツに入り、蜜柑の白い筋を取るのに執念を燃やしていた。


「何だ!いい若い者が覇気が足りんぞ!覇気が!!」

「……今更腐った亡霊に何の用だ? 今度はお前の方が復讐にでも来たというのか?」


真剣な言葉とは裏腹に、アキトはコタツに入ったまま動こうともしない。

一度燃え尽きてしまった復讐心は、二度と甦る事がないかのように、平静な装いである。


「フッ。復讐など我には意味を為さん。我が生きるは、この為のみと知れ」


バーンと手帳のようなモノを押し付ける北辰に、アキトは爺臭い目を向けた。

その目はあからさまに嫌そうで、見るのも面倒くさいと告げている。


「ぬぅ、そこまで呆けたか。ならば、仕方あるまい」


北辰は呟くと、懐から無針注射器を取り出し、アキトの首筋に押し付けた。

すっかりコタツでまったりとしていたので、避ける術はなく、注射は打たれた。


「な!?」


流石に動揺するアキトだったが、次の瞬間、苦しみ始めた。


「アキトーッ!」


ラピスは慌てて綺麗に白い筋を取り除いた蜜柑を投げ捨て、叫んだ。

ユーチャリス艦内やオモイカネ級AIがある所ならともかく、ここではラピスは何も出来ない。

両腕で自らを抱えるように強く抱きしめ苦しんでいるアキトを見て、ただオロオロするばかりである。










そして、5分後。

アキトは復活した。

荒い呼吸を無理矢理に沈め、頭をグイッと上げる。


「意外に短かったな」


苦しむアキトやうろたえるラピスを尻目に、コタツに入り、自分で煎れたお茶を飲んでいた北辰が呟いた。


「貴様、どういうつもりだ!」


長らく無気力状態でぐうたらと生活していたアキトでも、まだ怒る事はできたようだ。

それでもコタツから出ようとしないあたり、かなり流されているようではあるが。


「ふむ。まずはテンカワ・アキト。我が声が聞こえるか? 我の姿が見えるか?」

「ふざけた事を言うな! 貴様の声や姿……な……ど……」


アキトの怒りの声はドンドン小さくなっていった。

次いで、慌ててバイザーを取る。


「み、見える……」


呆然と焦点の定まらない目で辺りを見渡すアキトに、ラピスが声をかけた。


「き、聞こえる、ラピスの声が……こ、これはどういう事だ!?」

「薬の効果はあったようだな」

「な? これは貴様がやったと言うのか!」


アキトは、その声にはじかれたように北辰を見た。

しかし、しつこいようだが3人共コタツに入ったままである。

他人が見たら緊張感のある会話が台無しであるが、一応本人達は本気である。


「うむ、我の仕業だ。さっき汝に打ったのはヤマサキから奪ったナノマシンだ。あ奴、汝がコロニー落しに勤しんでいる時に非常に驚いてな、今度捕らえた時の実験の為にナノマシン異常を治すモノを作っていたのだが、ちゃんと完成していたようだな」


微妙に気になる点が多い北辰の話だったが、続けられた言葉にアキトは固まった。


「一応、あたりを付けて、多分最新作のコレだと思うのを勘で取ってきたが、当たったようだな。それから、あ奴の最新作だから、何か余計な副作用もあるかもしれんが気にするな」


アキトが固まっている間、彼が無事で安心したラピスは、新たな蜜柑に全神経を注いでいた。










「今更、俺の五感を取り戻して、どういうつもりだ?」

「五感だけでなく、寿命も数十年単位で延びた筈だが」

「……それも含めてどういうつもりだ?」


アキトは玄米茶の入った湯呑みを両手で持ったまま、詰問した。

勿論、コタツには入っている。

しかし、北辰はアキトに答えず、前に見せた手帳のようなモノを再び取り出し、差し出した。


「これを見ろというのか?」


アキトは肯いて答える北辰からそれを受け取って、開いた。

そこにあったのは、写真。

増えるアルバム最高64ページ分一杯に張られている写真。

被写体は赤ちゃんから1歳児位までの同一の子供と思われる写真であった。


「これは?」

「見てわからぬか?」

「……全くわからん」


北辰は、アキトの答えに失望のため息を吐くと答えた。


「孫だ」

「は!?」

「去年産まれた我が初孫だ」


アキトの精神が跳んで行った。

北辰はアキトの手から落ちたアルバムを今度はラピスに見せた。

ラピスはそれをじっと見る。

北辰はその様子に嬉しくなり、一枚一枚写真の説明を始めた。

これはおしゃぶりを落とした時、これはおしりが冷たいと思った時、これは後1秒でげっぷが出そうな時、これは我が高い高いをした時、これは……

今まで赤ちゃんなど見た事が無いラピスの興味を完全に引いたようである。

北辰の延々続く説明をラピスは一心に聞いている。

それに北辰は益々嬉しくなると、更に熱心に説明を続けた。

今まで部下や同僚や上司に話すと嫌がられていたのだから仕方がない。

それは、アキトが現実復帰し、質問を発するまで終わらなかった。










「その初孫の写真に何の意味があるんだ?」


アキトの問いに北辰は顔を曇らせた。

北辰がそんな表情をするというか、出来るとは思ってなかったアキトは慌てた。


「聞いてくれるか?」

「あ、ああ」


押し殺された声に肯くアキト。

北辰はそこに思いの丈をぶつけた。


「我が愚息と愚義娘は、この可愛い孫に暗殺者の訓練をさせるというのだぞ! 我が一族伝統の殺しの技を教えるだと、否!断じて、否!絶対に承服できん。この天真爛漫な笑顔、紅葉のような手、鈴を転がしたような声! 誰が孫を殺人者などに出来ようか!」


再び旅立ちそうになる意識を必死に繋ぎ止めるアキト。

苦行である。


「故に我は決断した。テンカワ・アキトよ、手を組もうぞ! 火星の後継者の残党を完膚なきまでに叩き潰そうぞ。我が初孫を暗殺者にしない為に」


熱く、とてつもなく熱く、かつ身勝手な北辰のセリフに、アキトは一言で答えた。


「嫌だ」

「何!?」

「面倒くさい」

「ぬぅ……」

「第一、俺は今、火星の後継者の残党なんかと戦っていない。世の中平穏が一番だ」


アキトは新しく煎れ直した玄米茶の香りと味に心を震わせながら断言した。

復讐に飽きた今更、わざわざ苦労して北辰を殺そうとは思わないが、どこに協力する義務があるのか。

軍にも企業にも犯罪者にも知られる事のなかったここをよくぞ探し出したという思いや、ノコノコと良く顔が出せたなと感心する思いはあっても、それ以上何かを思う事はなかった。

北辰はアキトの言葉に、寂しそうにニヤニヤと笑いながら懐から一本のメモリーレコダーを取り出した。


「こんな物もあるのだがな」


メモリーレコダーのスイッチを入れると、アキトの声が流れ出した。


『……終わった。終わったぞ。これで、俺は解放される。そう、ゴーイングマイウェイなユリカからも、執念深いルリちゃんからも……ハハハハハ、俺は自由だぁー!……』


カチャ


『……終わった。終わったぞ。これで、俺は解放される。そう、ゴーイングマイウェイなユリカからも、執念深いルリちゃんからも……ハハハハハ、俺は自由だぁーーーっ!!……』


カチャ


「だーーっ!繰り返すなー!!」


アキトは無言で再生を繰り返そうとする北辰に叫んだ。


「何を慌てているのだ。我は火星極冠遺跡上空で我が負けた後、偶然聞こえてきた声を聞いてるだけだぞ」


アキトは思った。

あの時、普通の通信回線は問題なく使えたなと。

思いっきり本音トーク全開で叫んでしまったのを誰かに傍受されたなと。

次いで、殺るかと、半ば本気で黒い王子時代の殺気を振り撒いた時、北辰がまるで忘れていたかのように告げた。


「おお、そう言えば、ここの事は宇宙軍やネルガルや火星の後継者共にも知られるように情報を流しておいたぞ」

「何!?」

「勿論、元ナデシコ艦長と電子の魔女の所にもな」


ピキィーーン


アキトは音すら立てて、固まった。


「そろそろ早い奴等はここを包囲するかもしれんな」


しかし、更なる追い討ちをかける北辰。

ボケを習得しても、基本は虐めっ子属性のようだ。


そして、北辰が合図をしたかのように、巨大な声が上から降ってきた。


『アキトーッ!!』

『アキトさん!!』


厚い岩盤が地上とここを遮っているというのに響く圧力を持った声。

それを聞いたアキトは、ようやくコタツから出て、立ち上がった。


「ラピス、速攻でホゾンジャンプで逃げるぞ。グズグズしてたら、ユリカやルリちゃんは何をしでかすかわからない」

「わかった」


今までアキトと北辰の遣り取りを黙って見学していたラピスも立ち上がり、アキトに抱きついた。

個人用ホゾンジャンプフィールド発生装置の範囲が狭いからである。


「我もよろしく」


次いで、北辰もアキトにしがみついた。


「貴様、何のつもりだ?」

「我を置いて、どこに行くつもりだ。このメモリーレコーダーなら共にいけば、汝にやるぞ。それとも電子の魔女にでも渡して貰いたいのか?」

「くっ……後で必ずもらうからな」

「心配いらん。我の目的は初孫の教育にしかない」

「わかった。俺がイメージングする。変な事は考えるなよ」

「了」

「……ジャンプ!」




















こうして3人の新たなる旅路が始まったのである。

当初の目的から290度位違った方向性の旅ではあったが……








しかし、それも長くは続かなかった。





ナデシコB、C、火星の後継者の残党の奇襲。

三つ巴の乱戦。

エステバリスの万歳アタック。

ジャンプフィールドの暴走。

ランダムホゾンジャンプ。


ユーチャリスはこの世界から消えた。

















<あとがき>

半年以上のお久しぶりです。もしくは、初めての方には、初めまして。

白い鉄改め空明美(くうめいび)と申します。よろしくお願いしてます。

ちょっとお久しぶりの方へのご挨拶などを。

昨年11月にHDDがクラッシュしました。今年2月に換装するまで、うちのPCは壊れてました。
直して3ヶ月分のメールを受信した時は、ワクチンを入れる前でした。ウイルス乱舞です。
泣く泣く再インストールです。

それでナデシコ系資料共々メールまで全て失われた私は、やる気も失せてしまいました。
一応、それ以降連絡くれた方にはお知らせしてますが、そういう訳でナデシコSSから、
勝手に引退してたんです。

それがどういうわけか最近になって感想メールが連続で届いたので、久しぶりというか、
半年ちょっとぶりに書いてみました。最近はKANONのHPなんかをやってたのですが、
11月以来のナデシコなので、面白く壊れているか不安なのですが、連載放り捨てて、やっちゃいました^^; 半年のブランクで続きを書ける程記憶力ないですね、私。

私なんかの話をまだ読んでくれる人がいるかどうか不安ですが、宜しくお願いしますです。


SSについて。

劇場版ナデシコからの逆行モノとなります。
変更点は2つ。アキトがぐうたらである。北辰が大泉『孫』であり、感化されてぐうたら系。
以上です。










 

 

久々の代理人の感想

Actionよ! 白い鉄は帰って来たっ!

 

と、心の底からの喜びを表現したい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

突然の執筆停止に寂しい思いをした読者のなんと多いことか。

ご本人はブランクを心配してらっしゃいますが・・・・

なんの、あいも変わらず面白い。

 

続きがもっと読みたいです、はい。