機動戦艦ナデシコ
  育てよう  04: 出発の刻




 深夜、街灯だけが明かりの公園に立つキノコが一本。
 夏場は腐り易いキノコだが、このキノコには名前があった。
 ムネタケという。

 季節は夏、8月の熱帯夜だというのに、ムネタケは顔面だけでなく全身から冷や汗をダラダラ流していた。
 それは明かりが届かない暗闇から明確な殺気が注がれていたからである。

 軍人として准将まで上ったムネタケには、戦場の最前線での経験など皆無といっていいが、軍閥利権社会においての修羅場経験ならそれなりにある。
 本来胸を張って言える事ではないが、今の時代の軍人として熾烈な出世競争を繰り広げてきた以上、怨みつらみのこもった視線を受けるのはさほど珍しいことではない。

 しかし、そんなムネタケにして今は震える事しか出来なかった。
 鋭い指向性の殺気が、逃げる事もそれを放つ者への詰問をも阻害していたのである。

「だ、だ、誰よっ? ……あ、あたしは偉いのよ……連合軍の准将……な……のよ……」 

 やっと搾り出された声も明瞭とは言い難いものであった。

「あっ、あたしに何かあったら軍が黙ってないわよ」

 言ってる内容は脅しでも、震える口調が全てを裏切っていた。

 ムネタケは考える。
 何故こんな事になったのかと。

 甘い蜜が吸えそうな情報が入り、フクベ・ジン退役中将の元を訪れた。
 そこで思いの他話が弾み、夕食とお酒までご馳走になった帰り道。
 何者かに追われ、追い詰められた公園。
 目の前には見えない敵が……いや、光の射さない暗闇から闇が分かれて出て来た。
 真夏だというのに大きな黒いバイザーと真っ黒なマントを着た男が。

「ナデシコにとってお前は必要ない」

 その男が断罪を告げる。

「なっ、何を──」

 ムネタケは驚愕の叫びを最後まで発する事が出来なかった。
 何故なら言葉を発する器官は、今のムネタケのどこにも存在してないから。
 代わりに今まで存在していなかった赤とピンクと白色が地面を染め上げていた。

「ルリちゃん、俺はマンホールに捨ててくるから先に帰ってて」

 サイレンサー付の拳銃を懐にしまった黒い男は暗闇に向かって言った。

「はい、後処理はお任せします。私はキノコは本日付けで西欧へ極秘視察に向かった事にしておきますから」

 暗闇からの返答は、小さく低いながらも少女の声。

「頼むよ」
「任せて下さい」

 それを最後に公園に再び静寂が訪れた。










 2196年10月、連合軍サセボ軍港。

 1週間後に華々しい出航セレモニーを控えたネルガル重工製機動戦艦ナデシコは、今日が艦橋要員全員の揃う初めての日であった。
 オペレーターは更に3週間前からAIオモイカネの調整の為搭乗しているが、その他艦長以下が乗り込むのである。


 しかし、その日、早速艦長と副艦長が遅刻していた。

 それも5分10分などという甘いシロモノではなく、AM9:30搭乗完了同10:00艦橋集合という指示をぶっちぎりに破り、昼食後の現在すら姿を現さないくらいに。

 とりあえず集まった者だけでもと、艦長と副艦長以外で顔合わせとして簡単な自己紹介が行われ、その後、オペレーター、操舵士、通信士は艦橋中段に位置する自分達の席で、コンソールや各種設定の確認をしていた。
 が、それも終わるといい加減だれてくる。

 何の仕事も無いのに自席に座っていなければならないというのは意外と苦痛を伴うものだ。
 仕事は多すぎても全く無くても大変なのである。

 そんな中、三つ編みお下げを胸に垂らし、そばかすが幼さを強調している女性が上段の人間に声をかけた。

「プロスペクターさん、かんちょ〜っていつ来るんですかぁ〜?」

 通信士メグミ・レイナードの質問に聞かれた方は、私の方が知りたいですとも答える訳にもいかず、いや〜どうしたんでしょうね〜と口を濁すに留めた。
 士官学校卒業式で卒業生代表を務める艦長が遅刻した為、予定時刻が繰り延べられたという戦歴を知っているだけにその口調は重かったが。

「ほ〜んとどんな人が来るのかしらね?」

 胸元を大きく広げた改造制服を着た女性、操舵士ハルカ・ミナトもメグミの話に合わせるように言った。
 本当に知りたいというより、相槌を打って話を広げたいという感じである。

「格好良い人ならいいなぁ〜」
「メグミちゃん、あまり期待しない方がいいと思うよ〜」
「だって〜ちょっとは期待してたんですよ……」

 女性二人の会話が続く艦橋中段。
 一方、その上段では、アキトがルリに捕まっていた。
 自己紹介時に思わず久しぶりに見るミナト、というかミナトの胸に感動していたおっぱい星人アキトをルリが強制連行して、隣に座らし、お茶しているのである。
 アキトの視線は黒いバイザーに隠れていたので、幸いにしてミナトに気付かれる事はなかったけれども。

「アキトさん、ミナトさんに色目を使うというのはどういうことですか」
「ち、違うよ、ルリちゃん。俺はただ懐かしいな〜と思っただけで……」
「私にはアキトさんの視線はミナトさんの顔を向いてなかったように見えましたけど」
「ご、誤解だってば」

 あくまで小声で話しているアキトとルリだが、周囲の人間──フクベ・ジン提督、プロスペクター、ゴート・ホリーにしてみれば漏れ聞く中身は痴話喧嘩、若いっていいな〜という所である。

 そんなこんなでほのぼの空間と化していた艦橋。
 そこにプロスペクター宛ての通信がサセボ軍港正面ゲートから入り、彼が艦橋から出て行ったのを見て、アキトとルリは意味ありげに視線を交わした。

「この世界のアキトさんが来たようですね」
「…………」
「どうしたんですか?」
「あっ、いや、確か俺はユリカの車を追って自転車でここまで来た筈だが、何でユリカはまだ着いていないんだと思って」

 ヒソヒソ話の二人の間に妙な沈黙が降りる。
 期せずして二人の脳裏には、ジュンを引き連れて艦内を勝手気侭に散策する人物の能天気な笑顔がよぎった。

「と、とりあえず作戦を進めましょう」
「そ、そうだな。じゃあ、俺は行くから、何かあったら連絡頼むよ」
「はい」










おおっ、これが俺のゲキガンガーかーっ!

 ナデシコの格納庫でエステバリスを見上げて絶叫する男が一人。

空が!海が!大地が俺を呼んでいる!
「何だ!? お前どこから湧いて出てきやがった?」

 整備士の言葉など聞いていない男は、ピンク色の機体に乗り込むべく、整備用の足場を登り始めた。

行くぞ!レッツ、ゲキガゲシッ──

 もうすぐアサルトピットという所で、男の頭部にスプレー缶がぶち当てられた。
 見事なクリーンヒットに格納庫中の視線が集まる中、男の体勢が揺らぎ、床に落下する。
 スプレー缶を投擲した本人はそれをしっかりと受け止めた。

「お騒がせしてすまなかった。整備を続けてくれ」

 そして、何事も無かったかのように言った男に整備班長ウリバタケ・セイヤが声をかけた。

「おいおい、どうなってるんだいったい?」

 突然騒々しい私服の男が現れたと思ったら漫画のような世界を見せられた者としては、当然の疑問だろう。

「ああ、え〜と……まずは自己紹介でもしておくか。俺の名前はフクベ・アキト。戦闘オブサーバーということになっているが、実質は艦橋の頭数合わせ人員のようなものだ」
「ほ〜う、だから見慣れない色の制服着てるんだな」

 ウリバタケはアキトのいい加減な初対面の挨拶に感想をこぼした。

 アキトの制服、ルリのもだが、ナデシコ一般と区別する事も含めて、黒を基調とした色合いである。
 元火星駐留軍との触れ込みから徽章のない軍服を着用する事も考えられたのだが、軍関係色を薄めたいとのネルガルの意向でそうなっていた。

「で、こいつが3日後に乗艦予定の本物の正式パイロットです」
「こいつがか?」
「ええ。それで何故今日搭乗したのか確認に来たところ、エステバリスに乗り込もうとしていたので、手っ取り早く止めたという訳です」

 理路整然としたアキトの言い訳。
 前々から考えられていたものであった為にウリバタケはあっさり納得した。

「そうか、助かったぞ。あの機体はまだろくに整備されてねえんだ。そんなものを動かされては堪んねえからな。おっと、忘れてたが俺はウリバタケ・セイヤってんだ。よろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします」
「ところで、お前もパイロットなのか? IFS付けてただろう?」

 先程目敏くアキトの手の甲を見ていたウリバタケの質問に、アキトは首を横に振った。

「違いますよ。元は火星の軍にいたので、付けてるだけです」

 パイロットの給料なんて一銭も貰っていませんからと笑うアキト。
 それを見たウリバタケは少しニヤリと笑った。

「そうかい、そうかい。それはいい事を聞いたな」
「……まさか、ウリバタケさん、『こんな事もあろうかと用意していたぜ』と言いたいが為に俺用のアサルトピットを設定しておこうとか考えてませんよね?」
「ギクッ!」
「はぁ〜〜やっぱり……無駄ですから準備しなくていいですよ」
「ちっ、漢の浪漫の分からん奴め」

 ちょっと未練有り気なウリバタケを残し、アキトは一度受け止めた後床に落としていた男の足を引きずると歩き始めた。

「こいつは持っていきますので、整備の方はよろしくお願いします」
「おう、任せとけ」


 そして、アキトは通路を格納庫から見えない所まで歩き、予定された刻を待った。





 木星蜥蜴の襲来と鳴り響く警報。
 急に慌しくなる艦内と気絶から回復し騒がしくなるヤマ「ダイゴウジ・ガイ!」……
 そして、この時代のテンカワ・アキトがピンク色のエステバリスに乗り込む。
 恐慌をきたし、木星蜥蜴から逃げる為に貨物用エレベーターで上昇していく姿を見送ったアキトは、ガイを解放し、ピンクエステの応援に向かわせた。





 彼は計画通りと悠然と歩いて入った艦橋で目の当たりにすることになる。



 完膚なきまでに破壊されたピンク色のエステバリスの姿を。

 目を見開き、絶叫するミスマル・ユリカの姿を。

 呆然と佇むルリの姿を。











 未来は変わったのだ。











<あとがき>
殺っちゃいました。てへっ♪


管理人の感想

空明美さんからの投稿です。
・・・・・・・おお、斬新な切り口だ。
まさか、こうくるとはねぇ・・・
アキト死亡、あんど、エステ破壊の状態で、ナデシコは無事に飛び立てるのでしょうか?
次回に期待ですね!!