それは、うららかな土曜日の昼下がり。
「すー、はー・・・すー、はー・・・」
とある女子寮に一人の少女が居た。
年の頃は、中学生くらいだろうか?
小柄で、その顔には未だあどけなさが残っており、どこか小動物を連想させられる。そんな容姿を持つ少女だった。
街角で訊けば、十人が十人『可愛い』と答えるだろう。
しかしその少女は、何故か扉の前で深呼吸を繰り返していた。
それも、まるで決戦に挑む前の武将のような真剣な面もちで。
「すー、はー・・・よしっ」
そうして幾度目かの深呼吸の後、何かを決意したように頷くと、真剣な面もちのまま右手を降り上げ、目の前の戸をノックした。
トントン
「・・・どうぞー、開いてるよ?」
その戸から返ってきたのは了承の言葉。
声質から判断するに、返答者は男のようだ。
「お、お邪魔します」
返事を得た少女は、緊張した様子のまま室内へと足を踏み入れた。
「やあしのぶちゃん。どうしたの?何かあった?」
彼女を出迎えたのは、人の良さそうな笑みを浮かべ眼鏡をかけた一人の青年だった。
部屋の中には青年と少女以外に人影はなく、先ほどの返答も彼のものだったのだろう。
「いえ、あの、話たい事があって来たんですが・・・今、良いですか?」
青年に『しのぶ』と呼ばれた少女は、笑顔で迎えられたことで少し気が解れたようだが、それでもかなり緊張した様子で尋ねる。
対して青年はその様子に気づいているのかいないのか、軽い調子で答える。
「あ、大丈夫大丈夫。ちょうど今切りの良いところだったから」
その返答にホッと胸をなで下ろしつつ、しのぶは青年の後ろに鎮座する机に目をやった。
「あ、お勉強してたんですか?精が出ますね、今日は予備校もお休みなのに・・・」
「はは。なるちゃん曰く、受験生に休みはないってね・・・実のところ、この前の模試がちょっとヒドくってさ」
「大変なんですね・・・」
苦笑する青年の前で、しのぶは瞳に少しだけ不安の色を滲ませた。
「どうかした?」
しのぶのその変化は通常なら見落としてしまうような本当に細かなものだった。
が、今度はそれに目敏く気付いたようで、青年は優しく声をかける。
「い、いえ・・・本当は、今日来たのは明日ここに一緒にいって貰おうと思ってなんですけど・・・」
そう言って彼女が取り出したのは、とあるテーマパークの入場券。
そのテーマパークに青年を誘う。
それが彼女がここに来た目的だった。
しのぶにとって恥ずかしく、あまり青年に知られたくないことではあるが――部屋の前で深呼吸を繰り返したのも、部屋に入って緊張に体を強ばらせかけてしまったのも、全てそのためだった。
しかし
――駄目、だよね・・・
――お勉強、忙しいみたいだし、遊ぶ余裕なんてないみたいだし・・・
期待と不安の入り交じっていた入室前とは違い、そんな暗い気持ちが彼女の中に渦巻いていく。
彼女は、彼が目的のためにどれほどの努力をしていたか、知っていた。
短い期間でも、ずっと見ていたから。
だからこそ、気晴らしにもなればと誘おうと思ったのだが・・・
彼女は目の前の優しい青年を困らせないため、笑って誤魔化そうと思った。
『やっぱり駄目ですよね』と。そして自分にもう少し勇気が出せれば、『また誘いますね』と。
しかし――
「ねえしのぶちゃん、ソコって食べ物の持ち込みOKなの?」
唐突に、そんな言葉がかけられた。
「え?、あ、ちょっと待ってください」
そんな事は全く予期していなかったしのぶは、あたふたとチケットに目を通す。
「えっと、どこにも持ち込みはダメって書いてないから、大丈夫だと思いますけど・・・」
困惑し、怖ず怖ずと答えた少女。
「そっか、じゃあ明日は美味しいお弁当作ってこうか」
そんな彼女に向けられたのは、特上の笑顔。
「えっ・・・一緒に、行ってくれるんですか!?」
驚いて聞き返すしのぶに、青年は微笑んで答える。
「だって、誘いに来てくれたんでしょ?」
「あ、ありがとうございますっ!!」
そんな青年に、しのぶが感極まって仰々しいお辞儀をしてしまったのも仕方のないことかもしれない。
――――こうして前原しのぶは青年こと浦島アキトと、いわゆる『デート』の約束を取り付けた。
しかし、その『デート』が彼にとって大きな騒動となるなど、誰が予測しえたのだろうか・・・
『とある日曜日のこと』
そして日曜日。
AM9:30・ポニーランド正面ゲート
目的のテーマパーク、『ポニーランド』に足を踏み入れたしのぶとアキト。
「わぁ・・・お休みの日なだけあって、人がたくさん居ますね」
彼女らの訪れた『ポニーランド』は、小さな町の規模の小さな遊園地である。
だが、日曜日ともなれば家族連れ等結構な来場者数を誇っている。
しのぶはその人混みに感嘆し、
「そうだね。はぐれないよう気をつけようか?」
アキトはさりげなく手を繋ぐ。
そしてその行為に今度はかぁっと赤面してしまうしのぶ。
追記しておくと、彼自身は別に手を繋ぐ必要など無かった。
諸々の事情により、人を視覚ではなく『気配』で判断する彼には、日常の生活の範疇で人を見失うということは皆無である。
読者の方々には言わずともおわかりかと思うが、下心があった、と言うわけでもない。
自分は兎に角、しのぶが何かあって自分を見失わせてしまったとき怖がらせてはいけない。
そんな彼の何気ない優しさからの行為なのである。
モテる人間とはこういう点に細かく気付く故になのだろう。見習いたいものである。
同刻・ポニーランド某所
一組の男女が、部屋の中で向き合っていた。
「・・・本当に俺がこんなマネをしなきゃならんのか?」
「ええそうよ。あまりに急な連絡だったから本当は宣伝が誇大なんじゃないかって疑ってたんだけど・・・上司さんの言う通りね。アナタは素晴らしい。そして、だからこそこれを任せられるのもアナタしかいないのよ」
「・・・わかった。で?俺はどう動けばいい?」
「全部これに書いてあるわ。――リテイクの効かない本番に、一片のミスも有り得ない。それが私の信条。いいわね?」
「信用しろとは言わん。が、これくらい片手間にでもこなしてみせる」
「あらあら、それは頼もしい。じゃあお願いするわね――漆黒の、戦神さん?」
「――フン」
それは遊園地の日常の裏で、来場者には知られる事のない会話の一部。
当然、人知れず訪れている大戦の英雄と呼ばれる彼の者にも気付かれずに・・・
AM11:00・ポニーランド中央広場
「大丈夫?しのぶちゃん」
「だ、大丈夫です〜・・・」
ベンチ一つを占領し、アキトはぐったりとしたしのぶを休ませている。
「ごめんなさいアキトさん・・・私が行くって言い出したのに・・・」
「気にすること無いよ。結構な迫力あったし、正直俺も少しビビっちゃったしさ」
まあ会話から察せられるかも知れないが、彼らがさっき行ってきたのはホラーハウスという名のアトラクション。説明するまでもなくお化け屋敷である。
しかし単なる造り物と侮る無かれ。
その内容の生々しさとリアリティは、幾多の戦場を駆け抜けたアキトにさえ息を呑ませるほど。
『ベタだけど暗闇でできれば抱きつきたい』という少女の願望を、開始三十秒であっさり気絶させ打ち砕く事なんて朝飯前である。建築物は食事をとらないが。
何故それ程までお化け屋敷に力が入っているのか。それはポニーランド七不思議の一つとして常連客に語り継がれているらしい。
「11時、か・・・」
アキトは何気なく時間を確認。
「だいぶ早いけど、もうちょっと良くなったらお昼にしようか?食べ終わった頃みんな昼食食べてるだろうから人気あるのに乗りやすそうだし」
「そうですね、わかりました」
しのぶとしてはそこまでアトラクションに興味がある訳ではなかった。
ここでの一番の目的はアキトと二人っきりの時を過ごすことで、他のことなど端っから二の次三の次であるからだ。
しかし、そうなると当然アキトにも楽しい思いをしていて欲しいと言う願いも生まれてくる。
そして食事を少し早くするくらいでそれが叶うのなら彼女に不満などあろう筈もなく、寧ろ幸福の絶頂にいた。
けれども、だからこそ彼女は願う。
たとえ一分でも、一秒でも。今日この日の今というこの時が、長く続きますように、と・・・
同刻・ポニーランド某所
「どうだ?準備は終わったのか?」
場所は変わって、やはりポニーランド内のとある一室。
幾人かの男たちが蠢いていた。
その殆どが片膝をついて畏まるように座しており、その中心の一人だけが起立している。
「はい。全部で15ヶ所、設置完了しました」
片膝をついた男の中の一人がリーダー格らしき立った男に報告し、
「くくく・・・15個の爆弾か。それだけあればこんな遊園地などひとたまりもあるまいて・・・くくく」
報告を受けた男は楽しそうに下卑た薄ら笑いを浮かべ、独り言のように先を思い浮かべる。
その部屋の隅で、二つの人影がその様子をじっと眺めていた。
「順調のようだな」
片方が言う。
「彼らに失敗は有り得ないわ。そう言う風に『指導』してきたんですから」
もう片方はそれに応え、詩を紡ぐように喉を震わす。
「だから、さっきも言ったけど事の成否はアナタ次第。
完全な成功を納め私たちが笑みを浮かべるのか、それとも愚かにも失敗して嘲笑の的となるのか?
はてさてどちらの未来が待っているのやら・・・うふふ」
「・・・くだらんな」
その二人は、丁度一時間半程前に密談を交わしていた二人だった。
「あら、もうすぐ仕事だっていうのに凄い平常心。流石ねぇ、やっぱり私が見込んだだけは在るわぁ」
「そんなこと、誰だってそうだろう。心を乱してみっともない失敗をするのは未熟の証拠、或いはそれ以前の問題だ。
現にお前だって浮かれても怯えてもいないだろう」
吐き捨てるように片方が言い、
「褒め言葉と受け取っておくわ、有り難う。――でもね、それが思うように上手くいかないのが人間ってモノよ。せいぜいがそれを外に出さないようするのが精一杯。
私だってそう。本当は仕事の前はいつも吐きそうな程怖いけど、それを人に見せない技術があるだけ。
でもアナタは違うわ。今まで沢山の人を相手に働いてきたけど――本当の意味で完全に平常心の人と仕事なんて初めてよ」
もう片方は物思いに耽るように答える。
「やはりくだらんな」
再び吐き捨てられたのを聞き片方はやれやれと苦笑するのだった。
AM11:15・ポニーランド中央広場
「ごめんしのぶちゃんっ!まさか飲み物忘れてくるなんて・・・」
「気にしないでください。一緒に作っていた私も気づきませんでしたし・・・」
「でもやっぱりずっと持ってたのに思い至らなかった俺の責任だよ。今すぐ買ってくるから、ちょっと待っててね」
同刻・ポニーランド某所
「それじゃ、何度でも言うけどミスの無いようにね」
「どこに行く気だ?」
「うふふ、せっかくの遊園地ですもの私だってプライベートを楽しみたいわ。大丈夫。予定に支障は来さないから。・・・それとも私に気があってモーション掛けてきてくれているのかしら?でもダ〜メ。これでも私には先約があるのよ」
「ちっ・・・いちいち癇に障る奴だ・・・早く行け」
「まあ怖い。それじゃあね」
――さて。
全く関係の無い話だが、とある物語にパンをくわえて走る遅刻しそうな女子高生が登場したとしよう。
すると、彼女は99%を超す可能性でトラブルに見舞われる。
曲がり角で美少年とぶつかって恋を芽生えさせたり、朝登校したら隣の席に転校生が現れたり、或いは唐突に不思議生物が現れて魔法少女に任命されるかもしれない。
何故か?
――理由はただ一つ。それが世界の『お約束』であるからである。
同じように複数の人間で階段や坂から転がり落ちれば魂の入れ替わりが起きるし、突発的にロボットに乗せられた少年は驚異的な才能を発揮するし、テンカワアキトがランダムジャンプすれば何処か凄い所に飛ばされる。ついでにテンカワスマイルで誰かしら女性を堕とす。
これらも総て『お約束』として定められており、嫌でも逃れられない必然という奴である。
――と、くどくどと語ってきたが要は何が言いたいかと言えば。
単純に、同じ時間に動きを見せた人間は互いにトラブルに見舞われるだろうという、ただそれだけのことである。
結局それも、『お約束』故に。
PM1:00・ポニーランドマウンテンコースター前
・・・どうしてこんな事になってるんだ!?
俺、浦島アキトの現在の服装――上から下まで黒一色。
動きやすそうな服装ではあるが・・・お世辞にも趣味が良いとは言えない。
同じように黒色のフィルターで被われた視界は薄暗い。
こんなんで街中を闊歩すれば特異な目で見られることは請け合いだ。幸いここは遊園地なので、街中よりはずっとましだが。
「くくく、くはははははっ!これで、これで彼の忌まわしき漆黒の戦神もこの世から完全に消滅させられるわ。跡形すら残るまい・・・くくく・・・ははは・・・くはーっはっはっ!!」
目の前では全身ダークレッドの奇人が物騒なことを叫んで高笑いしている。
どうやら漆黒の戦神とかいう奴に恨みがあるようだ。
彼の名前は『クリムゾンサンダー』。年齢不詳。
前半部分が気に食わないが、勿論本名ではなくコードネームらしい。
最近のコンプレックスは同僚の『レッドコメット』さんと混同されることだとか。同じ赤でもクリムゾンとレッドの区別はしっかりして欲しいのだろう。
似て非なる紅と赤。実はレッドの方が微妙に成績が良いとか。クリムゾンの方はそのせいで自分の影が薄いと悩んでたりとか。
色々ありそうだ。
――と、企業内の自己アイデンティティーについての考察を黙々と思索していると、よく言えばクールな、悪く言えばスカした声が降りかかってきた。
「ふう・・・そこにいたのか。相も変わらずセコいことをする。趣味なのか?だとしたら、良い趣味とは言えないがな」
「な、何奴っ!?」
慌ててクリムゾン・・・長いな雷さんでいいか。雷さんが音の元を辿り、仰ぎ見る。
その先は、遙か上空二十数メートルの彼方。ジェットコースターの線路上にある小さな人影。
「解りきったことを聞くなよ、えーと・・・れっどさんだー・・・だったか?」
あっさりとウィークポイントを突く謎の人物。えげつない。
「クリムゾンッ!クリムゾンサンダーだっ!!でぇいっ、貴様っ、いやさ漆黒の戦神!降りてこい!!」
憤慨して叫ぶ雷さん。よくよく考えれば相手側は声が通るものだ。こっちからは滅茶苦茶に叫んでるのにあっちは全然そんな事はないもんな。
「そう急かすなよ」
ぼんやりとそんな事を思う間に、線路の上の不審人物――雷さん曰く漆黒の戦神――はその身を宙に躍らせた。
ストン。そんな軽い音を立ててソイツは俺たちの前に現れる。なかなかの脚力だ。
そしてその人物の服装は俺と同じように黒一色だけど、やっぱりあっちの方がいいなぁと思ってしまう。
顔を隠す漆黒の大きなバイザーに、身体を被う闇色のマント。
俺のよく知るモノとよく似たものを纏った人物は、発する『気』まで俺が嫌と言うほど知っているそれと瓜二つだった。
「おい・・・言われたとおり降りてきてやったぞ?何か言うことはないのか?」
目の前の雷さんを前に、やれやれと肩を竦める漆黒の戦神。
「ぐ・・・くくく、余裕が有り余っているのう、漆黒の戦神テンカワアキト。しかしそれも今日までよ」
雷さんは余裕しゃくしゃくという風をなんとか装って言葉を紡ぐ。
「なに・・・?」
テンカワアキトと呼ばれたソイツは彼の言葉に違和感を感じ取ったのか、威圧感を剥き出しにする。
「き、貴様がこの遊園地に来る事など、お見通しよっ。い、いいい、今から百八十秒で、ここに仕掛けられた、じゅ、15個の爆弾が、大爆発をっ・・・」
尋常じゃない威圧感に体をガタガタと震わしながらも、雷さんは自分の責務を全うしようとする。流石はプロだ。
「関係のない、一般人まで巻き込むつもりか、お前は・・・っ!!」
『漆黒の戦神テンカワアキト』の悲痛な言葉を聞きながら、俺はふっと天を仰いだ。
フィルター越しのダークブルーの空には、それでも燦々と太陽が輝いていた。
あぁ、本当に何でこんなとこにいるんだろう、俺は・・・
マスクの中で眼からはらはらと心の汗を流しながら、俺は丁度一時間四五分くらい前のことに想いを馳せてみる。
〜〜〜〜回想〜〜〜〜
程なくして自販機を発見、今日のお昼は和食なのでお茶を二本購入。
さて、しのぶちゃんも待っているし早く戻――
「きゃ、あ〜ん風せーんっ」
と、どうやら手放してしまったらしい風船に追い縋る少女を発見。
その無邪気な様子についつい微笑みを漏らしつつも、軽くジャンプして風船を捕獲。
「痛っ!?」
その瞬間、何故か誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
不審に思いつつも、とりあえず女の子に風船を渡す。
「はい。もう放さないようにね?」
「わぁ、お兄ちゃんありがとう!!」
彼女は俺に明るくにお礼を言い、またとてとてと駆けていった。
やっぱり子供は元気が一番だ。
これからのことはわからないけれど、少なくとも大きな戦いを一つ終わらせたことで、あの子のような子供たちに『戦争』という出来事と関わる時間を少しでも減らせれた事になれば嬉しい。
あんな悲惨な戦いを経験する人間は、これ以上増える必要なんか絶対にない筈だから。
――それはそれとして。
さっきの悲鳴は何だったんだろう?
何となく気になって、声のした方を確かめてみる。
すると。
「いたたた・・・」
三十代前半くらいの男性が、足を押さえてうずくまっている。
側にはここの自販機で買えるお茶の缶が一つ転がっていた。
ふといやな予感が脳裏によぎり、自分の持ち物を確認。
お昼にと購入したお茶が一本。
・・・さて、もう一本はどうしたろう?
うん。風船の紐を取るのに邪魔だったから、軽く投げ捨てた記憶がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
俺は慌てて謝りに行った。
自分の罪を素直に認められない人間はきっといい大人じゃないし、子供だったらきっといい大人にはなれない。
「あの、大丈夫ですか?すみません、そのお茶投げたの俺なんです。本当にすみませんっ!」
完全に俺の不注意だ。
どうにも『浦島アキト』でいるとやっぱりミスをしやすい気がする。気のせいだろうか?
・・・言い訳にもならないな。
兎に角この人を怪我させたのは俺だし、今は誠心誠意謝ることしかできない。ならば、そうするのが筋だろう。
相手の人が憤慨しても、黙って受け入れるしかない。
「そうですね、見てましたよ・・・良かったですね、あの子の風船が掴まえられて」
「・・・は?」
「いや、本当に良かったですよ。こう言うところに来て、何か一つでも嫌な思いが残るのは可哀想ですから」
「え・・・」
「それにしても凄かったですね、さっきのジャンプ。何かスポーツをおやりになるんですか?」
この人は・・・嫌みとかを一切含めないで言ってくれているみたいだけど・・・滅茶苦茶お人好しな人なのか?
「あの、足の方は大丈夫なんですか?」
「え?ああ、足ですか?いや、私も嗜む程度に鍛えてまして、あれくらいなら動くのには全く問題がないんですよ」
ホラ、もう大丈夫ですと、さっき押さえていた足を頻りに動かして見せてくれる。
本当に問題はないようだ。
それでももう一回謝っておこう。問題なかろうが何だろうが俺が悪いし、もしこの人じゃなくてさっきの子みたいな小さい子に当たっていた場合、下手したら大惨事になっていたかも知れない。
「・・・本当にご迷惑をお掛けしました。何かお詫びできることがあったら言って下さい。出来る限りのことは・・・」
「いやですからそんな気にしていただかなくても・・・あ、じゃあ一つだけお願いがあるんですが?」
ぴっと人差し指を立てて、男性は俺に言った。
「何ですか?」
「実はですねぇ、私、仕事柄よく人の肉体を確認することが多くありまして。服の上からも感じてましたが、貴方相当鍛えてらっしゃいますね? 加えて、さっきの跳躍・・・そのままでも宜しいので、少し筋肉を触って確認させていただけないでしょうか?」
「そんな事でしたら、お安いご用です」
気恥ずかしさはあるが、これくらいは我慢の内だろう。
「ほう・・・これは・・・ふむふむ」
彼は二の腕を両親指の腹でマッサージするように押している。本業は整体師か何かだろうか?
指は上腕二頭筋から胴体に回って胸筋、腹筋、更には大腿筋と足の方まで確認している。と思ったら今度は後ろに回って背筋か。
「ふぅ〜・・・一つ、当てさせてもらっても宜しいですか?」
彼は満足したのか手を止めると、俺に向き合い神妙な顔をして口を開く。
「貴方・・・何か武術をやってますね?それも相当実戦的な。いえ、寧ろ実戦の中で磨きをかけてきたような代物を」
「――!」
俺は彼の言葉に声もなく感嘆した。まさか体に触れただけでそこまで解るとは。どんな仕事かは解らないが、この人は相当な玄人だ。
そして彼は俺のその様子を肯定と受け取ったのだろう。言葉を続ける。
「ここから先は完全な勘ですが・・・或いは貴方は兵士で、その武術で人を殺めたこともありますね?」
「そこまで、解りますか・・・」
もう驚くしかないな。ここにしのぶちゃんが居なくて良かった。
「やはり、そうですか・・・貴方の肉体は、素晴らしいモノです。筋肉の付き方といい、バランスといい、太さや引き締まり方も完璧。長年いろんな躯を見てきましたが、貴方の躯は最高級品とも言えます。私も同じレベルの肉体ですら一度しかお目にかかったことはない。ですが・・・」
彼は眼を伏せ、やりきれなさそうに言う。
「ですが、それが戦い、命の奪い合いの中で育まれたのだとしたら、酷い皮肉です。先ほどの貴方に匹敵する肉体を持つという人物も、兵士、殺し合いの中に身を置く人物でした」
この人は、人間として凄く好ましい人だ。まるで人の懺悔に親身になって耳を傾ける聖職者のような。
「・・・いや、戦いが終わって本当に良かった。そしてこの先も内用願いたいモノです。貴方のような若い人達が、これ以上凄惨な戦いに身を置かなくても済むように」
「俺は・・・自分で選んで戦いの中へと進みました。そのことに後悔はありませんが、貴方のその言葉には同意しますよ」
ついさっきも、同じことを考えていたし。
すると、彼はそうですねと微笑み――
「それはそれとして、貴方のその素晴らしい肉体、平和利用する気はありませんか?別に難しいことじゃあありませんし、すぐ終わります。ただ午後少しだけお時間戴ければいいんです」
一瞬、その顔がプロスさんに見えた気がした。
〜〜〜〜回想終わり〜〜〜〜
そんなこんなで、俺が今立っているのはヒーローショーの特設ステージの上。
役柄は台詞も演技も全くと言っていいほど無い、『ザク・アーミーH』。ぶっちゃけ雑魚キャラだ。
俺のために急遽一人増やしたらしい。
それじゃあ出る意味なんか無いし、寧ろ素人の自分を出しては今まで培ってきた出演者たちの調和を乱してしまうのでは?
そう思い彼に談判したところ、
――あのね、みんなプロだし貴方一人増えたところでへまはしないわ。それに私の舞台に関してのモットーは、『素晴らしい肉体は素晴らしい舞台を彩る』貴方はいるだけでもいいの。それに、言ってなかったけど主役を張る子だって貴方と同じくらい素人よ。
矢継ぎ早にそう返されてしまった。お姉口調で。
それなりに名の通った監督らしい彼はモチベーションを上げるため芝居のことになると、そうなるらしい。
兎に角、俺は彼の言葉にそれ以上の反論はなく、さっき缶をぶつけた負い目もあったので従うことにした。
幸い、30分程度のストーリーらしかったので、しのぶちゃんも事情を話したところ快くOKしてくれた。
因みに演目は『テンカワアキト対クリムゾン・サンダー。子供たちを救え!』・・・なんともこそばゆい。
ヒーローは俺らしい。その『俺』に『俺』はやられる。こんな体験は初めてだ。
黒マントの俺は、黒タイツの俺をやっつける。黒タイツの俺は黒マントの俺に倒される。そんな経験する奴は、普通は居ないが。
・・・さて、視点を舞台に戻そう。
「3分か・・・いいだろう。お前等を倒し、子供達を救うには十分すぎる!」
格好良く啖呵を切る俺。いや、俺じゃないか。というか中身は多分アイツだ。
何でこんなところにいるかは知らないが――凄くノリノリだ。
「う、ぐ、く・・・でぇいっ、威勢がいいのも今だけよっ!やれいザク・アーミー共っ!!」
あまりの恐怖に雷さんは何かが吹っ切れたらしい。俺たちに突撃命令を出した。
命令通り他のA〜Gと一緒に突っ込む俺。・・・バレないよう気をつけなきゃな。客席にはしのぶちゃんだって来ているのだ。
「くっ、有象無象如きで、俺を止められると――思うなっ!!」
流れるような動きで吹っ飛ばされる雑兵の俺たち。
それにしても大丈夫か? 今の攻撃、かなり力が入ってたぞ?
監督のポリシーに従ってか、出演の人たちはかなり体を鍛えてあるらしく、みんな怪我はないようだが。
突っ込む順番がアルファベット通りで俺が最後だったのも助かった。見たところ、右肩上がりに威力が上がっていっている。
しかしだからこそ――ヤバい。
本当に最後に殴り飛ばされるのは俺じゃなく、雷さんなのだ。
「最後はお前だ、覚悟しな」
そんな思考を巡らせる間にも、テンカワアキトは駆け出し、
「―――ッ!!」
役者根性で悲鳴を堪える雷さん。大したものだが、ソレしかできていない。
動くことすらままならない彼に、文字通りに輝く右腕が襲いかかり――
「っ、やりすぎだろ北斗っ!」
間一髪で俺が滑り込み、雷さんを庇うことに成功。小声で黒いバイザーをつけた人物、北斗を窘める。
――危なかった。反応が後コンマ一秒遅れていれば・・・来ている子供達は、ヒーローが怪人の体を文字通り粉々にする衝撃的なスプラッタ殺人の目撃者になっていただろう。
・・・しかしどういう経緯か知らないが木連で真紅の羅刹の字を持つ人物が俺を演じるとは・・・なんとも滑稽な気がする。
――と、北斗の方も目の前の黒いフルフェイスのヘルメットに黒タイツの人物が誰か気づいたらしい。
「もしやとは思っていたがやはり貴様だったか、アキト!」
ぼそぼそと小声で話しかけてくる辺り、最低限のタブーはわかっているようだ。
「しかし、俺だと解っていながら何故あっさりと負けた様なふざけた真似をした!?」
「いや、今は舞台の上で役を演じてるんだろう、お互いに」
「俺とお前に、そんな事はどうでもいい筈だ――今日こそは俺かお前どちらかが倒し、決着をつけさせて貰うぞ!」
「だから今はマズいんだって!・・・と言うか、お前はいっつもそういうこと言うがなんだかんだで決着付かないよな、いつも」
「ぐ・・・何を」
「・・・本当のとこを言えば俺はそれが楽しくもあるんだが」
「・・・まあ、否定はせんが、な・・・いや、いっそのことずっと二人で、二人だけで、ずっと、ずっと・・・って、何を言わせる!!やはり今日こそ決着をつけてやる!!」
「わわっ、な、何だよ急にっ!」
・・・これらの会話は決して平和的なものではなく、互いに拳や蹴りが織り交ぜられた殺伐とした戦いの中の会話だ。
どうでもいいとかいいながら北斗はやっぱり小声だし、俺に関しても観客に聞こえないよう細心の注意を払っている。払ってはいたが・・・ストーリーは台無しだった。
だってそうだろう。本来なら主役は雑魚敵をあっさり倒して真打ちとの戦いに臨み、雑魚敵はあっさりやられてボスへの道を開けるはずなのに、そのボスへの攻撃を倒されたはずの雑魚敵が防ぎ、主役と一進一退の激闘を繰り広げるなんて・・・
「・・・無茶苦茶だ」
「何を言っている?こんなもの、まだまだ序の口だろうっ!!」
俺の独り言を勘違いしたのか北斗はますますペースアップ。
戦況は俺がじり貧。流石に昇気の衝撃から客席を庇い続けるにも、限界がある。
例えば――
昇気を込められた右拳→勢いがつく前に両手で払う→同じように左拳→払ったときの勢いで力の方向をずらす→そのまま膝蹴り→何とか体を捻って回避・・・
とこんな感じに防戦一方になってしまう。
そして、守りだけにされては北斗に勝つ術はない。
「どうした?動きにいつもの冴えがないぞ!?」
テンションが上がっていく北斗。
と。
「頑張れアキトーッ!!」
「負けるなーッ!!」
「そんなヤツやっつけちゃえー!」
客席から、子供達の声援が響いてきた。
それは純真で、とても眩しい声で――
「流石に人気だな、アキト」
「や、今のアキトはお前なんだが・・・」
この戦いの中でもその役割を果たしてる衣装って凄いな。顔が隠されてるのはほんとに助かるが。
しかし何だか悔しくなって俺も躍起になって応戦してしまった。
そんなこんなで死闘は続くのだった。いったいいつになったら終わるのやら・・・
PM18:13・とある路上
「ごめんねしのぶちゃん。せっかく誘ってもらったのに・・・」
「いいえ、午前中に十分楽しめましたから。それより先輩もお疲れさまでした」
「最初に殴られてずっと気絶してたんだけどね?」
あの後――結構な時間殴り合った後、流石に主役を倒すわけにはいかないので、適当にワザと負けた。
北斗にはバレていたらしく大層不満そうだったが。
舞台は台無しだった。三分なんてとっくにオーバーしてたし、雷さんなんか忘れ去られていた。
しかし何故か観客の人たちにはもの凄く好評だったらしい。
何てったって俺と北斗の戦いが終わったとたんに子供達が舞台上になだれ込んで来たほどだ。
子供に囲まれておろおろしていた北斗がおかしかった。何故か敵役の俺も囲まれたのだが。
その際何気なく近づいてきた監督は『内容は滅茶苦茶だったけどスゴいモノを見せてもらったわ』とのこと。
また出演しないかと誘われたが、丁重に断らせてもらった。
後で知った事だが――『あのショーのテンカワアキトは本物で、対等に戦った雑魚はテンカワアキトのライバルである木連の人間だった』と言う当たらずとも遠からじな噂がまことしやかに流れていたらしい。
どちらにしろ、ヒーローショーはもう懲り懲りだ。
最後にしのぶちゃんとの帰り道は平和だったと記しておく。特に意味はないけれど。
おまけ
翌日・戦艦ナデシコ
「あれ?メグミちゃん、何このシャクヤクとの交信記録?」
「あー、特に何でもないですよ?強いていうなら――ちょっとした遊び心です」
「?」
同日・戦艦シャクヤク
「舞歌様、昨日のナデシコとの交信は何なんですか?そういえば、急に北ちゃんを地球に向かわせてましたけど・・・」
「あ、それ?ちょっとした悪戯よ、イ・タ・ズ・ラ」
「悪戯?」
「舞歌、今帰った。なんだ零夜も居たのか」
「あ、北ちゃんおかえりー・・・ってどしたのその真っ赤なサンバイザーとマント!?テンカワアキトみたいだよ!?」
「いや、地球で同じ様な格好する事になってな。そのとき気に入ったんだが、流石に黒と言うわけにもいかなかったから赤いのを頼んで作ってもらってきた」
「そ、そうなんだ・・・」
メグミ・レイナードと東舞歌。彼女たちの情報網と人脈がどうなっているかは謎である。
ついでに言うと、この日を境にシャクヤクではちょくちょくと赤マントに赤バイザー姿の北斗が目撃されるようになったことを明記しておく。
――後・記――
ふっと思いついてそのまま書き始めた品です。しかし・・・書き終わってみるとしのぶの影がかなり薄いと言うか中盤以降はほぼゼロ・・・しかも何だかやまなしおちなし意味なし気味に・・・
・・・気を取り直して、少しだけオリキャラの説明をば。
まず監督さん。
本当はアキトや北斗とは別の方面でスゴい人をコンセプトにしました。
仕事以外の面では超が付くほどのお人好しで人格者。けれど仕事となると鬼・・・ではなくオカマに変心。彼にとって信条は絶対に守るべき事で、ポリシーは精一杯の努力で満たしていくこと。
名前は村山義治。整体士の資格と少林寺拳法の大範士(八段)の称号をもってます。妻子持ち。
クリムゾン・サンダー(雷さん)とザク・アーミーの役者さんたち。
劇団慈遠に所属する俳優の方々。団訓は『役者は体が資本・根性で鍛えるべし』なので皆体は頑丈。
自分のポリシーとピッタリなので、村山は好んで依頼する。
最近は劇団の中で色々な派閥間の争いがあって大変らしい。
・・・と、まあこんな感じで。
代理人の感想
確かに山なし落ちなし意味なし、な話で(苦笑)。
正直短編を上手く書けない人は長編も書けないと思うので、こう言った短編をせめて落ちだけでもつけて書いて見るのはいい修行になるかと。